静岡家庭裁判所 昭和37年(家イ)64号 審判 1962年4月27日
申立人 松井正子(仮名) 外二名
相手方 松井治(仮名)
主文
申立人松井正子と相手方松井治とは離婚する。
この当事者間に出生した長女一子(昭和二十九年十二月二十五日生)、長男伸之(昭和三十一年四月三十日生)、二女文(昭和三十四年十月三十日生)の親権者並びに監護者を申立人松井正子と定める。
申立人松井大作および同じく松井きくと相手方松井治とは離縁する。
申立人らは連帯して相手方に対し、財産分与等として金五〇万円を支払え。
理由
本件申立の要旨は、申立人正子は申立人大作および同じくきくの長女であり、申立人は元来雛具の製造販売を業とする家庭であつたが、申立人正子と相手方は紹介する者があつて昭和二十八年十一月十九日事実上の夫婦生活に入り、昭和二十九年四月十七日婚姻の届出をなし、同日申立人大作およびきくは相手方と養子縁組の届出をしたものである。
申立人正子と相手方が事実婚をした昭和二十八年十一月十九日以降相手方は申立人らの家庭にあつて稼業の雛具製造販売に従事していた(尤も、相手方は申立人正子と事実婚の後約一年間は従来勤務していた焼津水産業会に勤務していた)。
申立人正子と相手方との間には、昭和二十九年十二月二十五日長女一子、昭和三十一年四月三十日長男伸之、昭和三十四年十月三十日二女文がそれぞれ出生した。
養子縁組後養親である大作およびきくと相手方との間には家庭生活において特に取り上げるべき風波の原因はなかつたようであるが、申立人正子と相手方との夫婦仲は、結婚頭初はともかく、性格相違もあつて必ずしも円満とはいえなかつたが偶々昭和三十六年一月末頃、当時稼業は繁忙を極めていたし、取引先との関係において稼業に蹉跌を生じていた折柄、仕事上のことから口論の末、相手方は申立人正子を殴打し、傷害を与えたことが主とした動機となり、申立人正子は相手方とこれ以上婚姻を継続することはできないとして離婚を決意するに至り、同時に申立人大作およびきくと相手方との関係においても暗影がさしはじめその後曲節を経たが遂に申立人らと相手方との間には感情的に決定な破綻がおとずれたものであり、夫婦の間の子女三名はそれぞれ申立人方においてこれまで順調に成育してきたものであるからその親権者ならびに監護者は申立人正子と指定せられたいので主文第一ないし第三項同旨ならびに申立人らは相手方に対し、財産分与等として金五〇万円を支払う旨の調停を求めるというのである。
当裁判所の調停において、相手方は、子女三名中長女一子については相手方が親権者となり引取り監護を強く主張し、申立人正子は、子女は三名共同申立人が親権者となり養育監護を続けて行くことを強調したため、主文第一、第三、第四項については大体当事者双方間の意見が一致したものの前記長女の親権者等の点に関し、これが最終的結論を発見できず調停が不成立と相成つたものである。
しかしながら当裁判所は、本件調停の経過に鑑み、家事審判法第二四条に基づき、本件に関し審判をなすのを相当と考える。
よつて、申立人正子と相手方との間の子女の親権者および監護者の指定の点について主として考察する。
およそ、子女の哺育・監護・教育をなすべき親権者および監護者を定めるにあたつては、離婚後の父母が生活する家庭の状況、就中その家族と子女との過去の生活関係におけるつながりの親疎又は、直接食事その他身辺の世話等を担当する者の意向、父母の性格、資産、収入、生活状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが子供の幸福へとつながる条件を相対的観点に立つて考察決定しなければならないところである。
当裁判所における本件調停の経過によれば、申立人正子は現在父母(申立人大作およびきく)の家庭にあつて従来どおり雛具の製造販売に従事しており、固有財産としてはみるべきものはないが両親と生活を共にすることから経済的には一応安定した生活をなしており、一方相手方は申立人らと円満を欠くに至つてから申立人方を去つて生家に戻つたり、再び婚家へ復帰する等迂余曲折を経たようであるが、結局昭和三十六年九月以降は肩書住所にある生家に戻つて生活することになり、その頭初は世間体を気遣い、我いは子等と起居寝食を別にするに至つた寂寥感等から精神的には必ずしも安定した日々を送つていたとはいえないかも知れないが、同年十一月頃から相手方の妹の嫁ぎ先である焼津市内の大畑孵化場(株式組織)に前示生家から通勤することとなり、最近では月収も二万五千円程度を得るようになり、精神的にもかなり安定した生活を送つている。又、相手方の資産としては、株式時価三〇万円相当(相手方はこれを子女の教育・結婚等の費用に資したいという)を有する外特段の財産はない。
現在相手方が生活する生家の家族としては、相手方の他相手方の母小山りん(五八才)相手方の兄小山義男、同妻およびその子二人(現在小学校二年生と中学校一年生でいずれも男子)がある。
本件夫婦間の子女は、それぞれ生後今日に至るまで申立人らの家庭にあつて監護教育を受けて順調に成長してきたもので、相手方の生家に寝泊りした等の事実は僅々数日を数える程度であつた。
かような事実を認めることができる。
つぎに証人松井大作およびきくは子供はこれまで申立人方にあつて順調に成長して来たもので、小学校二年生になる一子のみを更に幼い弟妹と現在において引きはなすことは情においてしのびないし、なによりもいわゆる孫に対する愛情によつて起居寝食身辺の世話等なして今日に至つたことを思えばこれまた手ばなすことは到底でき得ないとし、一方相手方の長兄である証人小山義男および弟である大木幸男(現在婚姻により他家にある)は相手方との血肉の情からしても一子一人のみは相手方をして親権者たらしめ、その監護教育にあたらしめたい、又、そのための物心両面の援助は惜しまないとしている。
又、証人松井一子(九才)の証言によれば、同人は、今直ちには母である申立人正子の手許を離れたくない人情にあることが窺知することができ、且つ、証人小山義男の証言によれば、相手方の母親(五八才)はむしろ相手方が子女の親権者となり、これを引取つて監護教育することは希望していないことなどがうかがわれる。
更に、申立人正子は、稼業の集金その他の商用で他出勝ちであり、絶えず子女等の身辺の世話ができ得ない状況にあつたとしてもなお申立人大作、きくらは家庭にあつては子女の面倒をみることが可能であり、他方相手方は焼津市内の勤務先に通勤しておつて日中は殆ど不在であることなども亦前段認定事実から推認するに難くないところである。
よつて、当裁判所は、以上の諸点を考慮に入れ、申立人正子と相手方との本件離婚に伴う双方間の子女三名の親権者および監護者は母親である申立人正子に定めるのを相当と考える。
その他の点についても、本件調停の経過その他本件に現われた一切の事情を綜合勘案し、当事者双方のために衡平に考慮した結果主文のとおり審判する次第である。
(家事審判官 三関幸太郎)