静岡家庭裁判所 昭和53年(家)839号 審判 1979年4月13日
主文
静岡県静岡市長は、昭和五三年七月五日付で申立人に対してした同年六月六日届出の入籍届を受理しない旨の処分を取り消し、右入籍届を受理せよ。
理由
(申立の要旨)
申立人は、昭和五三年六月六日静岡県静岡市長に対し母の氏を称し本籍愛知県渥美郡○○町大字○○字○○○××番地筆頭者亡村田省三の戸籍に入籍する旨の届出をしたところ同年七月五日付で、戸籍法第七七条の二の届出による復氏者の氏は単に呼称上離婚の際に称していた氏に変更されたものであつて民法上は婚姻前の氏と同一であるから申立人が呼称上離婚の際称した氏を称していても母の氏と同一であるため受理できないとの理由で不受理処分を受けた。しかし、右届出は、静岡家庭裁判所昭和五三年五月三〇日付子の氏の変更許可の審判により家庭裁判所の許可を受けてしたものであつて、右静岡市長の処分は不当であるから、不服を申し立てる。
(当裁判所の判断)
本件記録中の入籍届、静岡市長作成の「入籍届の不受理について」と題する書面および同市長作成の戸籍届出等不受理証明書、当庁昭和五三年(家)第五五九号氏の変更許可審判事件記録中の筆頭者井上治子の戸籍謄本および家庭裁判所調査官○○○○の調査報告書ならびに当庁昭和五三年(家)第六四三号子の氏の変更許可審判事件記録中の子の氏の変更許可申立書、筆頭者村田省三の戸籍謄本および子の氏の変更許可審判書に申立人審問の結果を総合すると、申立人は、本籍愛知県渥美郡○○町大字○○字○○○××番地筆頭者村田省三(昭和五二年六月二七日死亡)とその妻礼子との間の長女で、昭和四七年四月二六日井上誠と夫の氏を称する婚姻をしたが、昭和五二年四月五日同人と協議離婚をし、同日戸籍法第七七条の二の届出をして「離婚の際に称していた氏」である「井上」を称したものであるが、右は申立人が当時静岡市立○○○小学校教諭であつた関係で婚姻前の氏である「村田」を称することにより離婚の事実が明らかになることの児童に対する影響や職場における申立人自身の立場を配慮したことによるものであるところ、申立人は、昭和五三年四月同市立○○小学校に転勤し、同校では当初から「村田」姓を用いているため右のような配慮をする必要は消滅し、一方申立人としては「井上」を称することは離婚した夫とのつながりが切れない感があつて精神的に負担となつており、また申立人はさしあたりは母と同居する予定はないが、申立人の母は申立人が「村田」を称することを申立人の離婚当時から強く希望しており、母との連帯関係を維持するためにも「村田」を称することを相当とする事情があるので、申立人の氏「井上」を母の氏「村田」に変更しようと考え、昭和五三年五月二五日静岡家庭裁判所に対しその許可を求める申立をし、同年五月三〇日許可の審判を得、同年六月六日静岡県静岡市長に対し申立の要旨記載の入籍の届出をしたところ、同年七月五日付で、同市長から申立の要旨記載の理由で右届出は受理しない旨の処分を受けたことを認めることができる。
右事実によると、静岡市長が申立人の入籍届を受理しない旨の処分をしたのは、離婚により婚姻前の氏に復した者が民法第七六七条第二項により「離婚の際に称していた氏」を称することは「呼称上の氏」の変更であつて「民法上の氏」は前後同一であり同条項により「離婚の際に称していた氏」を称する者の父または母がその子の婚姻前の氏を称しているときはその父または母と子とは「呼称上の氏」は異るが「民法上の氏」は同一であり、一方民法第七九一条第一項にいう「子が父又は母と氏を異にする場合」とは子が父または母と「民法上の氏」を異にする場合をいうのであつて「呼称上の氏」を異にする場合をいうのではないから右のような場合「離婚の際に称していた氏」を称する子は右条項による子の氏の変更の手続により婚姻前の氏を称することはできないという見解に基づくものであることが明らかである。
しかしながら、民法第七六七条第二項と同法第七九一条第一項の規定の体裁、すなわち、両者がひとしく民法の規定でありかつ前者が「離婚の際に称していた氏を称することができる。」とするのと後者が「その父又は母の氏を称することができる。」とするのとその文言にも別段の差異がないことから考えると、本件処分者のように一方は「呼称上の氏」の変更であり他方は「民法上の氏」の変更であると解することは、はなはだ疑問であるというべきである。
のみならず、現行民法の氏の観念には必ずしも明確でない点があるとはいえ、夫婦親子がその関係に基づいて称する共通の呼称であることがその核心をなしていることは否定し難いところであり、民法第七九〇条において子は原則として父母の氏を称するものと定め、同法第七九一条一項において子は父または母と氏を異にする場合には家庭裁判所の許可を得てその父または母の氏を称することができる旨定めているのも、親子の間に氏という共通の呼称が存在することによる社会生活上の利益が存在することを前提として親子には原則として氏という共通の呼称を保持させるとともになんらかの理由でそれが保持されていない場合には比較的容易な方法でそれを保持させる途を開くことにその主眼があるものと解せられるのであつて、本件処分者のように親子の間に共通の呼称が保持されていない場合であつても、「民法上の氏」が同一であると解せられるときは右第七九一条第一項が適用されないと解することは、右趣旨に反するものであり、また「民法上の氏」が異ると解せられるときに比していちじるしく均衡を失する不当な結果を生ずるものというべきである。
以上の点から考えると、民法第七九一条第一項の解釈としては、子の氏と父または母の氏が呼称を異にするときはその呼称を異にすることになつた原因にかかわりなく常に右条項にいう「子が父又は母と氏を異にする場合」にあたるものとして右条項による子の氏の変更が許されるものと解するのが相当であり、したがつて離婚により婚姻前の氏に復した後民法第七六七条第二項により婚姻前の氏と呼称を異にする「離婚の際に称していた氏」を称した者は、婚姻前の氏を父または母が称しているときは、民法第七九一条第一項による子の氏の変更の手続により婚姻前の氏を称することができるものと解すべきである。
そうであるとすれば、本件の場合、申立人は、民法第七九一条第一項によりその氏「井上」を母の氏「村田」に変更することができるものというべきであり、静岡市長としては申立人が昭和五三年六月六日届け出た入籍届を受理すべきであつたのに、同市長がこれを受理しない旨の処分をしたのは不当であり、本件不服申立は理由があるから、主文のとおり審判する。