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静岡家庭裁判所 昭和63年(家)658号 審判 1989年11月06日

主文

事件本人高田淳子を申立人桑山光信と申立人桑山礼子の特別養子とする

理由

本件一件記録によれば、次の事実が認められる。

1  申立人らは、昭和54年6月7日婚姻した夫婦であるが、第一子長男祐一郎(昭和55年2月16日生)誕生後、第二子を流産して以来子供に恵まれず、かつ、今後も妊娠の可能性は殆どないといわれ、しかし、もう1人子供が欲しいと思っていたところ、申立人礼子の弟が事件本人淳子の実父と大学の同窓であったことから、実父に紹介され、昭和63年7月24日に淳子を受け取り、以後現在まで監護養育をしてきたが、事件本人淳子が申立人らによくなついたので愛情が深まり、実子同様に養育していきたいとの希望から本件申立てをするに至った。

2  申立人光信は、大学卒業後しばらくサラリーマンをし、その後家業である土木建築業に従事し、現在現住所に土地を購入して自己の居住用建物を所有し、また岐阜県内に別荘地約100坪を所有しており、経済的には裕福である。申立人礼子は、短期大学を卒業後自宅で家事手伝いをしていたところ、光信と知り合い婚姻した後は主に家事、育児に専念している。申立人らは、いずれも健康であり、夫婦仲もよく、問題はない。また同人らの長男祐一郎(審判時9才)は事件本人淳子を実の妹と思い可愛いがっている。

3  事件本人淳子は、事件本人周作(医師)、同智子の長女として昭和62年7月13日に生れたが、同児出産のかなり前から夫婦仲が悪く、昭和63年3月8日には、智子が淳子を置いたまま家出をしてしまった。残された周作は病院に勤務するかたわら、看護婦等に淳子を預けるなどしていたが長続きせず、智子に養育費20万円を出すから引取ってもらうよう弁護士を介して交渉したが、智子が子供は要らないと拒否したので周作の養父の姪(上田市在住)に淳子を預けた。(なお、周作、智子は昭和63年4月11日に協護離婚している)。

以上のような経緯のため周作は職場に居辛くなって退職、事件本人淳子のことについて心痛していたところ、周作の大学の同窓生である申立人礼子の実弟山北俊彦がこれを知って事件本人周作に話をしたところ、周作は申立人らと会い、淳子を託する決意をした。

4  事件本人周作は、医師で経済力は十分にあるが勤務医で夜勤等もあるため、現実の監護能力は殆どない状態であり、申立人らには自分の方から特別養子にしてもらうようにお願いしており、現時点では自分で監護養育する意欲は完全に失っている。

他方、事件本人智子は、今回実情を初めて知って悩み、逡巡したが自分の経済力(法律事務所勤務、月収5万円位)や将来を考えるとき、事件本人淳子への愛情がないわけではないが、引取って養育することは無理であると判断するに至っている。そして、現在では実父母である事件本人周作、同智子ともその趣旨を十分に理解した上で特別養子縁組に同意している。

5  申立人らによる事件本人淳子の監護の状況をみるに、申立人らの養親としての適格性及び申立人らと事件本人淳子との適合性に問題はない。

6  以上の認定事実によれば、本件においては要保護性をはじめ特別養子縁組成立に関する民法所定の要件はいずれも充足されている。

よって本件申立ては理由があるので、これを認容することとし、主文のとおり審判する。

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