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静岡家庭裁判所沼津支部 平成14年(少)85号 決定 2004年3月22日

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

1  検察官主張の本件送致事実の要旨(犯行日時について当初の送致事実から変更した後のもの)は、「少年は、B、C、D、E、F、G、H、I及びJと共謀の上、K(昭和○年○月○日生。当時15歳)を強いて姦淫することを企て、平成13年9月9日午後9時30分前後ころ、静岡県御殿場市萩原775番地の2所在の御殿場市中央公園終日亭北側において、同女に対し、背後からその場に押し倒し、両腕、両足を押さえつけ、その衣服をはぎ取るなどの暴行を加えてその反抗を抑圧し、同女を強姦しようとしたが、同女が生理中であったことから、順次交代して同女に接吻したり、乳房を弄ぶなどのわいせつ行為をするに止まり、その目的を遂げなかった」というものである。

しかしながら、当裁判所は、一件記録中の各証拠をもってしては、被害者をKとする少年を含む10名の者による強姦未遂行為が平成13年9月9日午後9時30分前後ころに行われたと認定するに十分でないと判断した。その理由は以下に述べるとおりである。

2  一件記録によれば、非行事実の存否を判断する前提となる事実として、次のとおり認められる。

(1)  少年は、a中学校を卒業後、同県沼津市内の私立高校に進学するもまもなく中途退学し、以後時々アルバイトをする生活をしていた者で、非行歴はない。

少年は、F(以下「F」という。)及びI(以下「I」という。)とは前記中学校の同級生、H(以下「H」という。)とは中学時の部活動を通じて、G(以下「G」という。)及びJ(以下「J」という。)とはF、Iなどを通じて知り合い、平成13年9月当時いずれも交遊を持っていた。また、少年は、中学校の1学年先輩であつたB(以下「B」という。)、C(以下「C」という。)及びE(以下「E」という。)とは地元のサッカー少年団を通じて小学校時から交友関係を持ち、D(以下「D」という。)とはBを通じて同月ころに交遊を持っていた。

B、D及びEは、同年夏ころ、○○○という女性と肉体関係を持つことを目的にした集団を作り、F及びGもこれに加え、同人らに対し会員カードを発行するなどしていた。B、D及びEらは、Fらに対し、遊べる女はいないかなどと申し向けては、容易に肉体関係を持つことができるような知り合いの女性を紹介するよう命令し、10回くらいはFらに女性を紹介させたことがある。

(2)  K(以下「K」という。)は、a中学校を卒業後、東京都内の私立高校に進学し、平成13年9月当時、高校1年生であった。同女は、自宅最寄りのJR御殿場駅を利用して電車通学をしており、下校時等に同駅まで両親のどちらかに迎えに来てもらうことがあった。

Kは、平成13年9月16日午後8時ころ、部活動の帰りに母親に電話をかけて、事故で電車が止まっているから帰宅が遅くなるなどと虚構の事実を述べて迎えを断り、同県富士市内で友人の男性と会い、肉体関係を持つなどした後、同月17日午前0時過ぎころに帰宅した。Kは、帰宅後、母親から電車事故が嘘であることを指摘されたため、母親に対し、帰宅が遅れた理由として、御殿場駅で中学校の同級生であるFから腕を掴まれ、御殿場市中央公園(以下「中央公園」という。)まで連れて行かれ、同所で10人くらいの男からわいせつな行為をされたが、生理だったので、下半身は触られなかったなどと虚構の被害事実を述べた。同女は、同日通常どおり登校したところ、母親から上記被害内容の連絡を受けた教師の勧めにより、同日、警察に上記内容の相談をし、その旨被害の届け出をした。

Kは、同月当時、F、I及び少年のことを中学校の同級生として知っており、B及びCの顔と名前も知っていた。

Kは、上記届出後、捜査官に対し、一貫して被害日時を平成13年9月16日午後9時50分ころから午後11時ころであると述べていたが、平成14年7月4日、B、D、E及びCを被告人とする強姦未遂被告事件(以下「関連刑事事件」という。)の第3回公判期日において、被害日時が平成13年9月9日午後9時30分前後ころであるなどと供述を変更した。

(3)  当裁判所は、平成14年2月19日の本件第1回審判期日において、犯行日時を平成13年9月16日午後9時50分ころから午後11時ころとする内容の送致事実について、少年がこれを認める供述をし、反省の態度と復学の意思を明らかにしたことなどから、上記送致事実にかかる非行事実が認められることを前提として家裁調査官の在宅試験観察に付した。その後、当裁判所は、平成14年5月28日の本件第2回審判期日において、少年が前記送致事実について、同事件にかかわっていない旨供述を変遷させたため、同日、前記試験観察を取り消し、同年10月24日、本件審判期日に検察官を出席させる決定をし、同年11月5日の第6回審判期日において、補充捜査依頼に基づき検察官から提出されたKの関連刑事事件における証人尋問調書(第3回)をもとに、送致事実中の犯行日時を平成13年9月9日午後9時30分前後ころに変更して、再度少年の認否を確認した上、本件審判を進行させることとした。

3  被害日時等を変更させた後のKの供述の信用性について

(1)  検察官は、<1>Kが本件被害の核心部分である少年らの犯行の実態及びその態様自体については一貫して供述していること、<2>KがFらを罪に陥れる動機がないこと、<3>Kの供述変更には合理的な理由があること、<4>被害当時の天候に関するKの供述が客観的状況と矛盾するものではないこと、<5>Kが被害直後の平成13年9月12日に友人Oに対し電子メールや電話で被害事実を打ち明けていることが、同人の供述などから裏付けられること、<6>BやCが少年鑑別所の同室者にした告白とも合致していること、<7>Kが同月9日を特定するためにした供述がRの供述から裏付けられること、<8>少年が捜査段階で犯行日が1週間違うことや犯行の際雨が降っていたなどと供述していたことから、Kの前記変更後の供述部分には信用性があると主張する。

(2)  Kは、捜査段階から関連刑事事件における証人尋問(第2回、第3回)に至るまで、部活の試合を終え町田市から御殿場駅に到着した後、Fともう1人の男から言い寄られたこと、Fに手を引かれ、前記両名に挟まれる状態でカラオケ店グリーンハウスの駐車場まで連れて行かれたこと、同所で4人、その先の神社から別の4人の男がそれぞれ現れ、Kの前後を歩き、10人に囲まれる状態で中央公園に到着したこと、中央公園内の噴水脇のベンチに座らされてFから口説かれたこと、その後、リーダー格の男が「やっちまおうぜ。」などと発すると、Fに手を引かれて終日亭近くまで連れて行かれて押し倒され、複数人から手足を押さえ付けるなどされた上、着衣を脱がされたこと、リーダー格の男が最初に同女に対し、キスしたり、乳房をもんだりするわいせつな行為をし、そのとき生理用品を着けていたことに気付き、姦淫には至らなかったこと、その場にいた10人全員が同様のわいせつ行為に及んだこと、最後の男が終わったところで、リーダー格の男から口止めされたこと、逃げ帰る途中、背後から追ってくる男がいたことなどの点で一貫して供述している。しかしながら、関連刑事事件の第3回証人尋問調書中で、(ア)本件被害日時のほか、(イ)帰宅時刻が1時間程度早まることに合わせて、駅から公園までの時間、公園内で口説かれていた時間、被害に遭っていた時間、被害後かけこんだコンビニエンスストアの滞在時間等の各時間の長さに関する供述を変え、(ウ)駅で会った際、Fから自宅に嘘の電話をかけるよう言われたことはなく、電話をかけたこと自体がなかったことや午後8時24分に電子メールを送信したことに合わせて、Fと公園まで進む間の心境に関する供述を変え、(エ)被害当日の天候、(オ)犯人の中にIがいたことを確認していたこと、(カ)被害当日が生理前であったことなどの点で、これまで事実と異なることを述べていたとして、当初の供述を変更した(1ないし3、10、12、14丁)。

(3)  そこで、同女の供述を詳細に見ると、たとえば、前記の供述変遷と関連がない部分に関し、Kの平成13年9月21日付けの員面調書には、御殿場駅にFとともに来た、Kを中央公園まで連れて行った者について、もう1人の男と表現されるにとどまり、その顔等の身体的特徴について一切言及されていないのに、Gの逮捕後である同年12月6日付けの員面調書において、前記もう1人の男の特徴について、「背はFより少し低い感じがして、体は細くて、顔は細面で、目も細く、黒縁の眼鏡をかけていて、唇は厚く、髪の毛は短めでした。」と詳細に供述し、その後Gを透視鏡で確認した後、前記もう1人の男に間違いないと特定しているという経過を辿っているところ、前記同年9月21日付け員面調書中に、犯人10人の特徴に言及した部分があるにもかかわらず、その中ではどの人物が前記もう1人の男を指すのか不明確である上、黒縁眼鏡や唇が厚いなどの印象に残りやすいはずの特徴を挙げられた者がおらず、これに、Kの変更後の供述にも、御殿場駅から飲み屋街などを通ってグリーンハウスまで二、三〇分間かかった(第3回証人尋問調書8丁)、Fの顔を駅の明るいところではっきり見た(同21丁)とあることを考え併せると、面通し前に同女に対し捜査官の暗示・誘導があった可能性を否定できず、同女がGを犯人と特定するに至る供述はきわめて不自然であるということができるし、Fの犯行時の服装についても、Kが、被害後間もない時期に、「白っぽいチノパンを履いていた(平成13年9月29日付け員面調書)。」、「薄いベージュ色のチノパンだった(同年11月26日付け員面調書)。」と供述するのに対し、Fがすでに事実を認める供述をしていた時期である同年12月12日付けの同人の「事件を起こしたときの服について」と題する上申書には、「下.黒のデニム」とあり、ズボンの色等について明らかに異なる内容となっているという不自然な点がある。

また、前記変更後の供述部分に関し、Kは、前記犯人10人の特徴に言及した部分の供述について、何の記憶に基づいて顔や服装の特徴を述べたか尋ねられると、「中央公園の噴水のところで噴水が出たときにライトアップされたときにやめた人もいたけれども、でもあんまりはっきりと覚えていなかったので、大体こんな感じの人がいたんじゃないかな、という自分の記憶で言っていました。」と供述し(第3回証人尋問調書32丁)、わいせつ行為の被害を受けている途中に見た記憶を述べている点は明確にしているところ、中央公園の噴水は、夜間稼働する際はライトアップされるが、遅くとも午後9時までには止まると認められること(平成14年1月22日付け「噴水の稼働時間について」と題する電話聴取書)からすれば、同女の供述する被害時刻と符合しないことが明らかである。さらに、Kは、「平成13年9月9日夜に中学校の同級生を含む10人の男性から公園内で続けてわいせつ行為を受けて夜も歩けなくなるくらいの精神的な苦痛を被ったが、当時電子メールを交換する友人だったOに本件被害を打ち明けても信じてもらえず、冷たくされた感じだったので、その直後である同月13日ころに、だれでもいいから優しくしてくれる男の人が欲しいと思い、Lとメール交換を始め、同月16日に同人と初めて会ってデートをし、森みたいな林の中に止めていた同人の車中で肉体関係を持った。」などと供述するが(第3回証人尋問調書44、45丁)、実際同女が同月17日の帰宅後に母親に話す前に、前記Lに対し本件被害を打ち明けたことはなく(57丁)、同帰宅後、同人に対し、電子メールで『同級生から駅から公園に連れて行かれてやられたという話にしてあるから大丈夫だよ』などといって母親からの追及をごまかしたことを伝えていること(46丁)などを考え併せれば、性犯罪被害に遭って間もない者が取る行動としてはきわめて不合理なものであるといわざるを得ず、前記Lとの交際について、本件被害を忘れ、その直後の心の痛手を癒してもらえる男性を探すためにした行動であると捉えることはできない。

さらに、<4>平成13年9月9日の降水量について、御殿場市<以下省略>所在の御殿場地域気象観測所では、午前0時から午後6時までが計37ミリメートル、午後7時台が1ミリメートル、午後8時台が3ミリメートル、午後9時台が1ミリメートル、午後10時台が3ミリメートルであったことが認められ(平成14年8月5日付け捜査関係事項回答書)、同市<以下省略>所在の御殿場消防署敷地内観測所では、午前0時から午後6時までの降水量が計29ミリメートル、午後7時台が0、午後8時台が3ミリメートル、午後9時台が0.5ミリメートル、午後10時台が2ミリメートルであったと認められる(平成14年7月27日付け捜査報告書)ところ、前者の方が本件被害現場からの距離が近く、それだけ同所の天候に近いと推測できるから、同日、本件被害現場付近には、未明から断続的に相当多量の降水があった上、午後8時台と午後10時台には二、三ミリメートルという相当量の降水が、午後7時台と午後9時台には1ミリメートル程度の降水があったことを認めることができる。しかるに、Kの関連刑事事件における証人尋問調書(第3回)には、「ベンチで座っているときに噴水の霧だか雨の霧だか分からないが霧のようなものが顔にかかった。家に帰るときもたまにぽつぽつという雨が顔にかかった。同日の天気のことははっきり覚えていないので分からない。Fと一緒に歩く間傘を差した記憶はない。押し倒されたときに服が汚れたような記憶はあるが、濡れていたような記憶はない。」とあり(14、36、50丁)、他方、「御殿場駅からグリーンハウスまでFらと大体二、三〇分歩いた。その間は恋の相談かとか思って嬉しかった。公園内のベンチでFと30分間ぐらい話した。わいせつ行為の被害を受けていたのは40分間ぐらいだと思う。午後11時前に帰宅した。」とあること(3、7、8、10、12丁)を総合すると、Kは相当長時間にわたり、屋外で計五、六ミリメートル以上の雨を受けた上、公園まで移動し、ベンチに座っていたという午後8時台には約3ミリメートルの雨を受けたはずであるにもかかわらず、雨の降り方を霧のようと表現し、着衣の濡れを認識しなかったというのであるから、その途中から本件被害にあったことにより異常な心理状況に至ったであろうことを考慮しても、同女の前記供述部分は不自然であると言わざるを得ない。

そのうえ、前記の犯行に至る経緯及び犯行状況に関する供述に関し、平成13年9月9日のHの携帯電話の通信記録からは、同日午後8時49分から約17分間高校の同級生と会話したと認められるところ(平成14年8月15日付け捜査報告書〔H分〕、附6)、Kが中央公園内のベンチに座ったまま10人から囲まれていた状況との整合性に疑問の余地があるし、同様に、Iの携帯電話の通信記録からは、同人が同日午後10時32分及び午後10時36分にアルバイト先を探すため、2か所の飲食店に電話したことが認められるところ(平成14年8月15日付け捜査報告書〔I分〕、附7、8)、同時刻は犯行終了直前ないし直後ころにあたることになり、その場の状況からはその整合性に大いに疑問がある。

(4)  そして、Kは、被害日時等に関する供述を変遷した理由について、「16日にLと会っていたことがメールとかで出てきてばれてしまい、やっぱり本当のことを言わなければいけないと思ったからである。」などと供述する(25、42丁)。これは同女の平成13年9月16日の行動を裏付ける証拠を示され、もはや嘘をつき通せない状況に追い込まれたため、同日を本件被害日とする供述を維持できなくなったから、供述を変更するに至ったという限りでは合理性があるが、この供述は単なる記憶違いにとどまらず、供述者自らが積極的に偽証していたことを認めるもので、それ自体、同女の供述全体の信用性を著しく低下させるものであるし、1週間前の日を新たに本件被害日であるとする部分の変更後の供述の合理性を何ら推認させるものではなく、かえって、Kが「私が具体的にFと言ったので、警察がFのところまで行くとは思ったが、同人を呼んできて、こういうことをしたのかと言って怒るだけかと思い、日にちのことまでは考えていなかった。」などと供述していることから(21、22丁)、当初大事にならないと軽信して本件被害を申告したことが認められること、Kが被害申告当時15歳の少年であったこと、前記認定の母親や教師に促されて本件被害を警察に届け出た経緯、本件被害自体が嘘であることをKが認めれば、虚偽告訴の罪に問われることになる可能性があり、当初の嘘が発覚したからには別の被害日を特定する必要があるという状況に陥っていたことを総合すると、Kには、たとえ虚偽の内容であっても、新たな被害日を申告し、本件被害があったとの供述を維持すべき動機がないとはいえない。そのうえ、一件記録によっても、KにFを罪に陥れる動機があるとは窺えないが、前記のとおり、FがKの中学校の同級生で、○○○という愚劣な集団を構成する素行不良な少年であったことを考えると、Fを加害者の1人として挙げることは被害事実に迫真性を与えるものという見方すらできる。

(5)  Kの変更後の供述内容を裏付ける証拠として提出されている各証拠の信用性について付言する。

ア  <5>O及びPの関連刑事事件における各証人尋問調書によれば、Kが前記Oに対し大勢から襲われたなどと電子メールで知らせたことは認められるが、その内容は襲われた日時に言及するものではない上、同人らがKから上記内容の電子メールを受けたのは平成13年9月12日であったと供述するところ、時日が相当経過しているためその記憶はかなり曖昧であり、電子メールを受信した場所である飲食店の利用日時を特定する根拠として注文内容、天候や前記Pの給科日などを併せて供述する内容には、精算状況に関し供述の変遷が見られたり、給料を受け取った日と飲食した日の結びつきも曖昧さがあること、同月12日前後から同月19日までKが前記Oに対し同月17日を除き1日に多数の電子メールを送信し、その間度々電話もかけていたことが認められること(平成15年9月25日付け捜査報告書)などからして、上記の電子メールを受信した日時に関する前記Oらの各供述をそのまま信用することはできない。

イ  <6>について、Mは、平成15年8月27日付け員面調書において「Bと少年鑑別所で同部屋になった際、同人が、『強姦未遂で鑑別所にきたけどやってない。後輩が俺の名前を出したので捕まった。その日は相手の女の子は彼氏と遊んでいた。本当は事件はその日の1週間前か後だった。』などと言っていた記憶がある。」などと供述し、同年9月19日付け検面調書において「Bは、『本当はやってない。』と言っていたが、親だか弁護士と会った後、部屋に戻ってくると、『女がおかしいんだよ。調べたら最初に言った日にちと1週間くらい日にちがずれているみたいだ。』などと言っていた。それはBが審判を受ける平成14年3月8日より少し前のことである。平成15年1月か2月に私が自宅でテレビを見ていた際、御殿場の強姦未遂事件が報道され、被害者の女の子が被害に遭った日を1週間ごまかしていたことがわかったなどという内容を見て、Bの事件だと分かり、興奮しながら、隣にいたQに『鑑別所で一緒だった子が僕に日付が違うと言っていた。』などと話した。」などと供述し、前記Mの関連刑事事件における証人尋問調書には前記検面調書と同旨の供述がある。そして、前記Qは、員面調書、検面調書及び関連刑事事件における証人尋問調書において「Mが御殿場の強姦未遂事件について報道したテレビを見て、『日付が違うと鑑別所で聞いた。』などと興奮して話していた。」などとMの供述に沿う供述をしている。しかしながら、前記Mの供述が、Bが少年鑑別所在所中に同人が知り得ないKの9月16日の行動について述べている内容になっていることを考えると、関連刑事事件に関してされたテレビ報道の影響を受けて記憶が変容していることが明らかであるし、前記Mが前記Qに話した内容も単に日付けが異なるという限度にとどまるのに、前記Mがずれの幅を「1週間」と特定しているのも、前記報道の影響によると考えるのが合理的であるから、Βから犯行日が1週間ずれていると聞いたとの前記Mの供述部分をそのまま信用することはできない。

そして、Nは、平成15年10月8日付け員面調書において「Cと少年鑑別所で同部屋になったとき、同人が、Nに対し『強姦未遂で来ました。俺はやってないです。近くにはいたけど手は出していないんです。』などと言っており、何日か経つと、犯行日について『日が違う。』などと言っていたが、その理由などは話してなかった。」などと供述し、同月14日付け検面調書(抄本)において「Cと同部屋になって何日か経つと、同人が、親だか弁護士だかと面会したと説明した上で『僕は、事件の日には現場には行っていないんです。僕には事件の日にアリバイがあるんです。事件があったのは、本当は1週間前なんです。』などと言った。僕がその意味を聞き直すと、Cは『日にちが違うからやってないんです。』などと意味の分からないことを言っていた。」などと供述するが、両供述の間には、具体的な犯行日に関する供述があったかどうか、犯行日が異なる理由に言及していたかどうかというきわめて重要な部分に変遷が見られるところ、変遷について合理的な根拠が窺えず、その供述経過に不自然さが窺え、これに上記供述の際前記Nが少年院在院中であったことをも考え併せると、Cから犯行日が1週間前であると聞いたとの前記Nの供述部分を信用することはできない。

ウ  <7>Rは、「平成13年9月9日の宗教行事に参加予定であったKが、部活動の試合の日と重なったという理由から欠席し、そのことで、その前日、同女に強い口調で欠席は困るなどと言った。」などと供述し(平成14年8月7日員面調書)、これはKの関連刑事事件における証人尋問調書(第3回)の内容(4、29丁)と符合するが、このことはKが平成13年9月9日の記憶を有していることを推認させるに止まり、本件強姦未遂行為の被害日であることの裏付け証拠とはならない。

エ  <8>本件に関し少年の取調べを担当した警察官であるVは、平成14年9月2日付けの員面調書において「勾留後3日目位のときに、平成13年9月のカレンダーを示しながら犯行日について取り調べていると、少年は、私の提示したカレンダーを確認しながら、ふと『僕たちが被害者を襲ったのは9月16日になっているけど、自分の記憶だとその1週間位前だったような気がする。』と申し立てた。そのため、他の共犯者の供述内容もふまえて少年に当時の記憶を喚起させてさらに取調べを行ったところ、少年は同年9月16日のことで間違いないと申し立てた。その後、少年は、犯行日の様子と違う供述をすることがあり、たとえば『被害者を中央公園のベンチに座らせているとき、ジュースを買いに行っているが、この時、雨がポツリ、ポツリ降っていた記憶がある。』などと供述したこともあったが、9月16日当日の天候は晴れであった旨申し向けると、自分の勘違いであったと納得していた。」などと供述し、当審判廷において「少年が犯行日が1週間位前であると申し立てたのは平成14年1月15日の取調べの際であり、雨が降っていたと申し立てたのは同月19日である。私はそのいずれもメモを取らず、他の捜査官にも話していない。」などと供述しているが、これに沿う少年その他の者の供述が一切なく、自らメモすら取らなかった内容であること、少年から1週間位前との申立てがあった日に関する前記Vの供述は変遷しており、その他の同人の供述経過からは少年に対する取調べ状況に関する記憶自体かなり曖昧であることが窺えること、前記の少年の雨に関する表現は、前記認定の平成13年9月9日の雨量と符合するとは言い難いことなどに加え、前記員面調書の作成時期は前記認定のとおりKが本件被害日時に関する供述を変遷させた後であり、捜査官としてはこれに沿う証拠収集を重視していたことが明らかであることを考え併せると、前記Vの供述はにわかに措信し難いものというべきである。

(6)  こうしてみると、Kの一連の供述の中には、本体被害にあった被害者であれば、容易に供述できるはずの点に関し、不自然な供述経過を辿っていたり、客観的な状況と符合しない、あるいはその状況からするとかなり不自然な内容になっている点が見受けられる等その信用性を疑わせる事情があるほか、被害日時等に関する供述変遷については、その経過に合理性は窺えず、むしろその供述全体の信用性を低下させるものと見る余地があり、そのうえ、検察官が平成13年9月9日を被害日であると主張するために提出したその他の証拠についても、いずれもそうした裏付け証拠とみるには相当疑問があるのであって、後記4(3)のとおり、同女が本件被害にあったと窺わせる事情がないとはいえない状況にあることを考慮しても、なお本件被害が同日にあったとするKの供述部分を信用することはできないというべきである。

なお、Kの携帯電話通信記録によれば、毎日頻繁に行われていた同女からOに対する電子メール送信及び電話が、同月9日午後8時24分から同月10日午前0時28分までの間には行われていないことが認められるが(平成15年9月25日付け捜査報告書)、上記の検討結果に照らせば、その間に本件被害にあったと推認することは困難である。

4  少年の自白供述の信用性について

(1)  前説示のとおり、Kの本件被害日に関する供述が信用できず、その他に本件犯行が平成13年9月9日に行われたことを裏付ける証拠はないというべきであるが、本件においては、少年の供述経過が特異であるため、少年の自白供述の信用性について付言しておく。

(2)  少年の供述経過については、次のとおり認められる。

少年は、平成14年1月9日朝、御殿場警察署まで任意同行され、本件犯行には身に覚えがないなどと述べて全面的に否認したまま、同日夕方に通常逮捕されたところ、同警察署から沼津警察署に護送される途中で自白に転じ、護送車両内でその旨の上申書2通を作成した(S証人尋問調書44ないし46丁)。その後、少年は、同月10日、検察官調べや勾留質問で被疑事実を認める供述をし、同月11日には、共犯少年9名の名前を明らかにするとともに、犯行当日の行動に関する上申書を作成し、その内容に沿った自白調書が作成されるなどし、同月18日、平成13年9月16日に少年がアルバイトをしていた事実が発覚した時点で否認に転じる構えを見せたが、即座に自白に転じ、その後一貫して事実を認める供述をし、本件第1回審判期日においても事実を認める供述をしたが、前記認定のとおり、本件第2回審判期日以後は、再び本件犯行には身に覚えがないという全面否認の状況が続いている。

この点、付添人は、少年が護送車両内で自白したのは、手錠を掛けられた際に暴れて警察官から制圧された後、車中でその警察官から怒鳴られ続けたためであって、これをきっかけとして自白供述が始まっていることからすると、少年の自白供述には任意性がないと主張し、少年は、護送車両内で事実を認めた理由につき、当審判廷において「逮捕すると言われて手錠を掛けられた際、納得がいかなくて暴れたところ、警察官が一杯入ってきて、U警察官に壁のところに押し飛ばされた。護送車の中で、同警察官から早く認めろとか年少に送るぞとかずっと怒鳴られ、認めれば早く出られると聞いていたことから、ずつと怒鳴られてつらい思いをするなら、認めてしまおうと思い、やったと言ってしまった。」などと供述し(第6回11ないし13丁)、その後事実に関する詳細な供述調書が作成され、あるいは自ら上申書を作成した状況については、「上申書は、誰かの調書を見ながらV刑事が言ったことを書いたり、そのまま見せられたとおりに書いたり、表題は同刑事が付け、行動については、もう覚えていたので、自分で書いたというものもある。調書作成の際、被害者の言うとおりという形にせず、自分の考えで判断したが、調書の内容を聞かされているとき、内容を聞かずに返事をし、読むように言われて渡された調書も読まずに返したこともある。」などと供述する(第6回18丁ないし21丁、第8回16丁)。

たしかに、警察官が、平成14年1月9日、被疑事実を全面否認している少年に、片手錠のまま護送車両内で自白の上申書を作成させたことは、捜査官の対応として相当問題があったと言わざるを得ない。しかし、少年は、その翌日、捜査官ではない裁判官による勾留質問の際に事実を認める供述をしている上、その後の取調べにおける上申書や供述調書の作成方法についても、結局少年が自ら積極的に摸査官に迎合する供述をしていたというに止まるから、取調べの手段には特に違法な点は認められず、また、同月10日午後6時ころには弁護人(後の付添人)の接見を受け、以後両親や弁護人との面会も相当の回数が支障なくされていること(平成15年11月12日付け調査回答書)、同月18日に一旦否認に転じる構えを見せた旨の上申書を作成していること、家裁送致後は身柄を鑑別所に移され、捜査官の関与はなかったことなどの事情を考慮すると、同月10日以後の少年の上申書、供述調書及び当審判廷における供述について、その供述の任意性を疑わせる事情はないものと認めることができる。

(3)  少年の自白供述の内容を見ると、たとえば、犯行に至る経緯に関し、平成13年9月16日の行動であることが明らかな午後4時30分ころまでのアルバイトを終えた後に、実際には行っていないカラオケ屋に行き、本件犯行の謀議に加わったとの内容になっている(平成14年1月18日付け員面調書)など、捜査官に迎合し、虚偽の事実を述べていることが明らかな部分が認められる。

しかしながら、その他の経緯及び犯行状況に関し、同月16日の犯行であることを前提としているものの、それ自体不自然さがない供述が一貫しており、これはF及びGの供述とほぼ全部の事項に関して符合している。これに、共犯者間は互いに知らない者同士もあったが、それまで親密な交遊関係を有していた者が多く、他人を罪に陥れる動機がある者は窺えないこと、Fの供述経過を見ても、同人が共犯者10名を挙げるまでの過程には格別不自然な点はないし、Gも、共犯者として少なくともF、D、J、H及び少年の名前は自ら挙げていること、CかBが、その所属する暴走族関係者を取り仕切る暴力団組員Tに対し、平成13年10月15日前ころ、「Fが連れてきた女をやっちゃって事件になりそうなんです。」などと相談し、同年12月3日の直前ころ、Cが、前記本に対し、「Fが女をやっちゃった件でパクられたんです。自分らみんなでやっちゃったんで、パクられるかもしれず、やばいんですよ。最後まではやってません。」などと再度相談したことが認められること(T平成14年6月22日付け検面調書)、前説示のとおり、Cが同室者Nに対し自分が現場近くにいた強姦未遂事件があったことやその日付が違うことを打ち明けていたことは認められること、少年が少年鑑別所の同室者複数人に対し強姦未遂事件につき自分はその場にいたけど手を出していないなどと話していたと認められること(Sの平成15年8月8日付け員面調書、Tの同月11日付け、同月19日付け各員面調書)、少年が、本件第1回審判期日において、事前に家裁調査官から少年院送致の可能性が高いことを仄めかされていたにもかかわらず、自白供述を維持していたこと、以上の事実は、少年の供述中に、少年が自らに対する処分を軽減させるために捜査官に迎合してされた供述が含まれていることを考慮したとしても、なお少年を含む多人数の者が中央公園内で女性に対し集団でわいせつな行為をした事実があったことを強く窺わせるもので、しかも本件強姦未遂事件の被害者がF、J及び少年の中学校時代の同級生で、以前から面識のあった者であるのに、そのことを前提として同人らが自白供述を維持していたことから、人違いがあるとはやや考えにくいことを考え併せれば、その被害女性がKであることまで窺えるのであって、その限りではこれと符合する少年の自白供述をおよそ信用性がないものと扱うことはできない。

とはいえ、少年及び共犯少年の捜査段階から現在までの各供述によっても、前説示のほか、たとえば、I及びJが、本件犯行前のグリーンハウス近くの神社にいるとき、Iの指示でJがFに電話をしてKが来たかどうか確認したなどと平成13年9月16日午後7時56分の通信記録に符合する内容を一致して供述しているのに(平成14年1月17日付けI員面調書、同月18日付けJ員面調書)、同月9日にはこれに対応する通信記録がないこと(平成14年8月15日付各捜査報告書)、Iは、本件わいせつ行為後、HとともにKの後をローソンのところまで追いかけて自分たちだけ同女と性交しようとし、同女が逃げ込んだローソンの駐車場では10分くらい待っていたなどと供述しているところ(平成14年1月19日付け員面調書)、前記のとおり、Iが同日午後10時32分及び36分にアルバイト先を探す電話をしていることの説明が困難であるし、同電話について、捜査段階で一切言及がないこと、Iが同日午後8時54分に少年に対し電話していることにI及び少年が一切言及していないこと、Hは、自動販売機までジュースを買いに行き、Kを口説いていたFに電話をかけ、同人から預かった金では希望のジュースが買えないと話したなどと供述し、同月16日午後9時14分にこれと符合するHからFへの電話通信記録があるのに(H証人尋問調書17、18丁、H作成の平成14年1月18日付け「中央公園内でジュースを買いに行った時のこと」と題する書面)、同月9日にはこれに対応する通信記録がないこと、Hが前記の同日午後8時49分から約17分間にわたる高校の同級生への電話については当然言及すべきであるのに、一切言及がないことなど同人らの供述中に捜査官からの誘導・暗示があることが明らかな場面が少なからず存在すること、さらに、少年及び共犯少年の同月9日の行動を裏付ける証拠が通信記録以外に何ら提出されていないことからすれば、同月16日の行動としてされた供述を単純に同月9日の行動と読み替えるには説明困難な事情があるから、本件犯行が同日午後9時30分前後ころに行われたものであると認めるには足りないというべきである。

5  以上のとおり、一件記録及び当裁判所における審判の結果を総合しても、平成13年9月9日午後9時30分前後ころに、少年が他9名と共謀の上、Kを被害者とする強姦未遂行為を行ったと認定するには、なお合理的な疑いを払拭し得ず、結局本件送致事実について証明がないことになる。

よって、少年法23条2項により、主文のとおり決定する。

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