高松地方裁判所 平成16年(ワ)4号 判決 2012年5月30日
主文
1 被告は,原告に対し,550万円及びこれに対する平成8年11月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2に対し,110万円及びこれに対する平成8年11月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支私え。
3 原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,これを30分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。
5 この判決の1項及び2項は,この判決が被告に送達された日から14日が経過したときは,仮に執行することができる。ただし,被告が原告に対し350万円の担保を,原告X2に対し70万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告に対し,2億3221万5088円及びうち9931万1087円に対する平成8年11月6日から,うち1091万5130円に対する平成16年2月19日から,うち1億2198万8871円に対する平成17年11月9日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2に対し,1100万円及びうち500万円に対する平成8年11月6日から,うち500万円に対する平成17年11月9日から,うち50万円に対する平成16年2月19日から,うち50万円に対する平成18年3月1日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 請求の要旨
本件は,原告X1が,脊髄動静脈奇形の治療のため,被告が設置,経営するa病院(以下「a病院」という。)において観血的手術(外科的手術。以下「本件手術」という。)を受けたところ,遮断術を行うとしていた術前の説明と異なり,適応がないはずの摘出術を施行されるなど,承諾なく術式を変更された上,脊髄損傷等の不適切な手術手技により,体幹部及び両下肢の痙性麻痺,感覚麻痺,膀胱直腸障害等の障害を生じて身体障害者2級1種となり,さらに,本件手術後の経過観察中に発生した動脈瘤を見落とされ,上記障害が拡大して身体障害者1級1種となったのは,被告の適応違反,説明義務違反,本件手術手技上の過失及び動脈瘤の見落としの過失に起因するものであるとして,原告X1が,被告に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為(民法709条)に基づく損害賠償及び遅延損害金の支払を求めるとともに,原告X1の夫である原告X2が,被告に対し,主位的に不法行為(民法711条),予備的に診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償及び遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提事実(争いのない事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
⑴ 当事者について
ア 原告X1(証拠<省略>生)は,薬剤師であり,脊髄動静脈奇形の治療のため,a病院において治療,手術を受けた者である。
イ 原告X2は,原告X1の夫であり,医師としてb医院を経営している者である。
ウ 被告は,a病院を設置,経営する国立大学法人であり,平成16年4月1日,国立大学法人法に基づき,国立大学法人として成立すると同時に,訴訟承継前被告国から本件訴訟を承継した(同法附則9条,国立大学法人法施行令附則4条)。
⑵ 脊髄,脊椎の構造について
人間の脊髄(spinal cord)は,脊髄実質が内側から順に軟膜(piamater),クモ膜(arachnoid),硬膜(dura)で覆われ,これを脊椎と呼ばれる鎧状の骨が囲む構造をしている(以下,単に「軟膜」「クモ膜」「硬膜」という場合は,脊髄のものをいうものとする。)。脊椎は,腹部側にある大きな円柱状の椎体と呼ばれる骨と,背中側にある兜のような形をした椎弓と呼ばれる骨で構成される。
椎体は,7個の頚椎(上から順にC1~C7),12個の胸椎(同T1~T12),5個の腰椎(同L1~L5),5個の仙骨(同S1~S5)及び尾骨で構成される。椎体の間には,脊髄につながる脊髄神経が存在しており,上から順に頚神経(C1~C8),胸神経(T1~T12),腰神経(L1~L5),仙骨神経(S1~S5),尾骨神経と呼ばれる。
脊髄,脊椎の部位は,上記の椎体の高さ(椎体レベル)を手がかりに「T5」などと呼ぶ場合と,脊髄における脊髄神経の接続部位(脊髄レベル)を手がかりに「T5」などと呼ぶ場合がある。椎体レベルと脊髄レベルの表示が同じであったとしても同じ部位を示すとは限らないが,一搬的には,単に「T5」(Th 5)などという場合は,椎体レベルを指すものとされている(以下,単に「T5」又は「Th 5」などという場合には椎体レベルを示すものとして扱う。「第5胸椎レベル」などという場合も同様とする。)。
脊髄神経は,その1つ1つが体のどの部分の運動や感覚を受け持つかが決まっているため,感覚障害の発生部位を検査する脊髄髄節知覚支配域検査により,どの脊髄レベルにおいて障害が生じたのかを知ることができる。なお,脊髄神経の受け持ち領域を示した脊髄髄節知覚支配域の図は,脊髄レベルに基づき作成されている。(証拠<省略>)
⑶ 脊髄動静脈奇形について
ア 動静脈奇形
動静脈奇形(Arterio Venous Malformation,AVM)は,動脈(artery)と静脈(vein)が毛細血管を介さずに異常血管によって直接繫がった血管形成異常であり,脊髄にできるものを脊髄動静脈奇形(spinal AVM)という。
動静脈奇形の呼称は,研究された年代や研究者によって様々であり,動脈から静脈へつながる異常血管(以下「動静脈短絡」という。)が1か所あるいは数本にとどまるものを動静脈瘻(Arterio Venous Fistula,AVF)ということがあるが,動静脈奇形(AVM)と動静脈瘻(AVF)の両者を総称して動静脈奇形(AVM)と呼ぶこともある(なお,以下では,動静脈短絡部分のみならず,その周辺の異常血管も含めて「動静脈奇形」ということもある。)。(証拠<省略>)
イ 脊髄動静脈奇形の分類
脊髄動静脈奇形は,①髄内動静脈奇形(intramedullary AVM,髄内AVM),②脊髄辺縁部動静脈瘻(perimedullary AVF)及び③脊髄硬膜動静脈瘻(dural AVF)又は脊髄硬膜外動静脈瘻(extramedullary AVF)の主に3つのタイプに分類される。
髄内動静脈奇形は,動静脈短絡が脊髄実質内(髄内)にある脊髄動静脈奇形であり,クモ膜下出血(Subarachnoid Hemorrhage,SAH)あるいは髄内出血を引き起こすとされる。
脊髄辺縁部動静脈瘻は,動静脈短絡が脊髄表面にある脊髄動静脈奇形であり,その形成される部位に応じて,クモ膜下出血,髄内出血,静脈圧の亢進による進行性の脊髄障害などを引き起こすとされる。
脊髄硬膜動静脈瘻又は脊髄硬膜外動静脈瘻は,動静脈短絡が硬膜の表面又は外にある脊髄動静脈奇形で,脊髄辺縁部動静脈瘻と概ね同様に脊髄障害を引き起こすとされる。(証拠<省略>)
ウ ナイダスについて
動静脈奇形の病変部位の呼称は様々であり,動静脈短絡部につき「瘻孔」,「フィストゥラ」(fistula),「ナイダス」(nidus),「シャント」(AVシャント,shunt)といった言葉が用いられることがある。
ナイダスは,狭義には髄内動静脈奇形における動静脈短絡部及びその周辺の毛玉に似た血管塊を指すとされるが,その用語法は統一されておらず,被告は,ナイダスを上記の狭義の意味で使用し,a病院における手術においてナイダスは摘出されていないなどと主張するのに対し,原告らは,a病院が,原告X1や,脊髄動静脈奇形に関する論文において用いていた「ナイダス」という用語は,髄内動静脈奇形におけるものに限定されていないなどと主張している。また,動静脈瘻(AVF)においては,動静脈短絡部からの血流を受ける流出静脈(還流静脈,ドレイニングベイン,ドレイナー,drainer)部分が拡張,屈曲蛇行してナイダス様の異常血管に見えることもあるが,これを動静脈短絡自体と厳密に区別せず,これも含めてナイダスと呼ぶことがあったかについても争いがある。(証拠<省略>)
エ 脊髄障害の発症過程について
脊髄動静脈奇形による脊髄障害の主な原因,発症過程は次のとおりであり,その規模や程度により,神経症状の後遺障害が残ることがある。ただし,脊髄辺縁部動静脈奇形における動脈瘤(aneurysm)やこれに起因する障害の有無,盗血現象の有無等については争いがある。(証拠<省略>)
(ア) 正常な血管内の血圧は,動脈が100~140mmHg(以下,単位は初出のもののみ記載し,後出の箇所では省略することもある。),静脈が20mmHg程度であるところ,動静脈短絡を経由して静脈に動脈血が流入することにより,静脈圧が亢進して静脈が拡張し,場合によっては静脈瘤(varix)を形成し,それらによって脊髄の圧迫や出血を起こす。
(イ) 静脈圧の上昇により,正常な毛細血管により脊髄組織に栄養供給等して流出静脈へ流出する血液の流れが障害され,脊髄の栄養障害を起こす(うっ血性脊髄障害)。
⑷ 原告X1のa病院以外における主な診療経過
原告X1の,a病院以外の主な診療経過は,次のとおりであった。(証拠<省略>)
ア 昭和49年ころ(中学3年時,当時15歳),急な頭痛や背部痛があり,クモ膜下出血とされたが,手足の動きには異常はなく,その当時は様子をみていた。
イ 昭和51年ころ(高校2年時,当時17歳),突然の頭痛,背部痛,嘔吐,項部硬直,左手の運動障害があり,クモ膜下出血とされ,c病院において脊髄動静脈奇形と診断されたが,手術は不能とされた。
ウ 昭和52年ころ(高校3年時)にも同様な症状があり,同病院に約1か月入院した。
エ 大学生になってから,d病院で検査を受けたが,ここでも手術は不能とされた。
オ 大学4年時(当時21歳)も脊髄出血がみられた。
カ 昭和57年(当時23歳),e病院で血管塞栓術(血管内のカテーテル操作により,流入動脈に塞栓物質を注入して動静脈奇形への血流を遮断し,肥大化や破裂を防止することを目的とした非観血的な血管内手術。人工塞栓術,embolization。以下「塞栓術」という。)を2度受けた。しかし,その後,血流の再開通が確認された。
キ 平成7年6月,クモ膜下出血があり,神経症状の悪化があったため,平成8年1月,塞栓術を目的として,<省略>県のf病院外来を受診した。
ク 平成8年4月,同病院での入院検査の結果,同病院での塞栓術は困難とされ,同年6月,紹介を受けて<省略>県のg病院に行き,同病院のJ医師から,観血的手術が可能かもしれないとのことでa病院を紹介され,後述のとおり同年7月に同病院を受診し,同年9月に同病院に入院の上,本件手術を受けた。
ケ 同年11月5日のa病院退院後,同病院の紹介により,<省略>県<省略>市のh病院(現在のh1病院)においてリハビリテーションを行った。
コ 平成9年5月26日,i外科病院でMRI撮影を受け,同日,同画像を持参してa病院を受診した。
サ 平成10年5月18日,i外科でMRI撮影をした後,同日,同画像を持参してa病院の脳神経外科外来を受診し,診断書作成を依頼した。
シ 平成11年8月23日,i外科を受診し,MRI撮影を受け,同月24日,同画像を持参してa病院の脳神経外科外来を受診した。
ス 平成12年12月30日,クモ膜下出血のため,c病院に入院し,止血剤とステロイド投与により止血をし,平成13年1月5日,同病院を退院した。
セ 平成14年3月11日,i外科を受診し,MRI撮影を受け,同月12日,同画像を持参して,a病院の脳神経外科外来を受診した。
ソ 平成16年12月末ころから下半身の対麻痺の症状が急激に悪化し,歩行が完全に不能となって車椅子でなければ移動することができなくなったため,j病院を受診して治療のための助言を受けた。
タ 平成17年1月25日,k病院を受診し,同年2月4日に入院した。同月7日,血管造影検査等の結果を踏まえ,左第12肋間動脈上の第9胸椎レベルにおける動脈瘤のサイズが大きくなっていること等の説明がなされた。
原告X1は,同月9日に同病院を一旦退院した。その後,同年3月1日に第9胸椎レベルの動脈瘤に対する塞栓術の目的で入院したものの,下肢の下随意運動のために局所麻酔下での治療が行えずに断念し,同月3日に再び一旦退院した。そして,同月16日に同病院に再入院し,同月17日,全身麻酔下で第9胸椎レベルの動脈瘤の治療のため塞栓術を受けた。
チ 同年6月14日,経過観察のためにk病院に入院し,検査を受けたが,塞栓術の施行前に比べて病状の目立った改善は得られていなかった。対麻痺は幾分か改善したが,感覚障害や膀胱直腸障害は改善がなく,その後,対麻痺の幾分かの回復と増悪があり,同年11月8日に入院して検査を受けたところ,同年10月にはその対麻痺の症状も固定したものと認められた。
ツ 平成18年1月16日付けで,障害等級を1級1種とする身体障害者手帳の再交付を受けた。
⑸ a病院における主な診療経過等
原告X1のa病院における主な診療経過(入退院,検査,手術等)は,次のとおりであった。また,当事者の主張する主な診療経過及びそれについての意見は,原告らについては別紙1<省略>,被告については別紙2<省略>のとおりである。
ア 平成8年7月11日,輸血検査,脊髄髄節知覚支配域検査及び神経学的検査を受けた。(証拠<省略>)
イ 同年9月2日,入院し,脊髄髄節知覚支配域検査を受けた。(証拠<省略>)
ウ 同月3日,呼吸機能検査,胸脊髄レントゲン(X線)撮影,脳CT撮影を受けた。(証拠<省略>)
エ 同月4日,MRI(MRイメージ)撮影を受けた。(証拠<省略>)
オ 同月5日,MRI撮影を受けた。(証拠<省略>)
カ 同月9日,血管造影検査を受けた。同月4日のMRI撮影及び同月9日の血管造影検査等の結果,原告X1の脊髄動静脈奇形は,第7頚椎レベルから第9胸椎レベルまでの間に髄内動静脈奇形,脊髄辺縁部動静脈瘻及び脊髄硬膜動静脈瘻が全て混在する極めて複雑かつ難治性の症例であり,①右椎骨動脈から流入し,第7頚椎レベルにおいて脊髄後方に存在する脊髄辺縁部動静脈瘻(以下,当該患部を「患部①」という。),②第3肋間動脈から流入し,第2胸椎レベルにおいて大きな動脈瘤を伴った脊髄辺縁部動静脈瘻(以下,当該患部を「患部②」という。),③左第7肋間動脈から流入し,第5胸椎レベルにおいて静脈瘤を伴った脊髄辺縁部動静脈瘻(以下,当該患部を「患部③」という。),④左椎骨動脈及び左第12肋間動脈から流入し,第1胸椎レベルから第7胸椎レベルにかけて前面に存在する髄内動静脈奇形,⑤第9肋間動脈から流入し,第9胸椎レベル硬膜外に見られる脊髄硬膜動静脈瘻の,少なくとも5つの脊髄動静脈奇形が混在しているものと推測された。(証拠<省略>)
キ 同月18日,本件手術の実施にあたり,予め第2胸椎レベルの患部②及び第5胸椎レベルの患部③の血流を減少させ,本件手術における出血を抑えるとともに術中の目印とするため,血管造影の上,プラチナコイル(以下,単に「コイル」ということがある。)30本,ポリビニルアルコールパウダー(Polyvinyl alcholic powder,PVA)などを使用した左第3肋間動脈及び左第7肋間動脈の塞栓術を受けた(以下「本件塞栓術」という。)。なお,第7頚椎レベルの患部①については,動脈が細すぎるため,塞栓術は不可能と事前に判断されていたので,当該部分につき塞栓術は行われていない。(証拠<省略>)
ク 同月19日,胸椎レントゲン撮影を受けた(証拠<省略>)。また,原告らに対し,本件手術についての術前説明が行われた。ただし,その詳明担当者や説明内容については,当事者間に争いがある。
ケ 同月20日,脊髄髄節知覚支配域検査及び輸血適合検査を受けた後,a病院のA教授(平成7年4月1日から平成9年3月31日までa病院病院長。以下「A医師」という。),O助教授(以下「O医師」という。)及びB助手(以下「B医師」という。)ら医師で構成される医師団(以下「本件医師団」という。)により,患部①ないし③の脊髄辺縁部動静脈瘻につき観血的手術(本件手術)を受けた。本件手術は,全身麻酔の下,背中側の皮膚及び筋肉等を第6頚椎レベルから第7胸椎レベルに相当する部分まで切開した上(B医師執刀),第7頚椎レベルから第7胸椎レベルまでの椎弓切除(ラミネクトリー)を行い(B医師が執刀し,途中からA医師が執刀を交代),第5胸椎レベルの硬膜及びクモ膜を切開して患部③を手術し(A医師執刀),第2胸椎レベルの硬膜及びクモ膜を切開して患部②を手術し(A医師執刀),第7頚椎レベルの硬膜及びクモ膜を切開して患部①を手術する(B医師執刀)という順で行われた。(証拠<省略>)
コ 同月21日,胸部レントゲン撮影を受けた。(証拠<省略>)
サ 同月24日,脊髄髄節知覚支配域検査を受けた。(証拠<省略>)
シ 同年10月4日,MRI撮影を受けた。(証拠<省略>)
ス 同月8日,血管造影検査を受けた。(証拠<省略>)
セ 同月14日,一般血液検査を受けた。(証拠<省略>)
ソ 同月30日,脊椎レントゲン撮影を受けた。(証拠<省略>)
タ 同年11月4日,筋力検査,脊髄髄節知覚支配域検査及び神経学的検査を受けた。(証拠<省略>)
チ 同年11月5日,退院した。(証拠<省略>)
ツ 平成9年5月26日,脊髄髄節知覚支配域検査及び神経学的検査を受けた。(証拠<省略>)
テ 平成10年5月18日,神経学的検査を受け,同月19日付けで身体障害者2級該当との身体障害者診断書が作成された。(証拠<省略>)
ト 同年11月12日,神経学的検査及び関節の自動運動の範囲検査を受けた。(証拠<省略>)
ナ 平成11年8月24日,脊髄髄節知覚支配域検査及び神経学的検査を受けた。(証拠<省略>)
ニ 平成12年9月25日,入院し血液検査を受けた。(証拠<省略>)
ヌ 同月26日,MRI撮影及び血管造影検査を受けた。(証拠<省略>)
ネ 同月28日,MRI撮影及び血液検査を受けた。(証拠<省略>)
ノ 同月29日,退院した。(証拠<省略>)
ハ 平成14年3月12日,脊髄髄節知覚支配域検査及び神経学的検査を受けた。(証拠<省略>)
ヒ 原告X1の脊髄動静脈奇形につき作成された模式図のうち,a病院において平成8年9月2日から同年11月5日までの1回目の入院(以下「1回目の入院」という。)期間内に作成された入院診療録(以下「入院診療録(1回目の入院)」という。)に記載されたものは,別紙3<省略>のとおりである(ただし,当該模式図及び各図に記入された血管の名称等が,原告X1の疾患を正確に記載したものとは限らない。)。なお,別紙3証拠<省略>の模式図に記載された用語の一般的な意味は,次のとおりである。(証拠<省略>)
(ア) 「Rt.vertebral a.」(同模式図①,患部①の模式図<省略>)
右椎骨動脈
(イ) 「Rt.C6/7 Segmental a.」(同)
右第6,7分節動脈
(ウ) 「Shunting point」(同模式図②,患部②の模式図<省略>)
動静脈短絡部位
(エ) 「Aneurysm」(同)
動脈瘤。この記載についての当事者の主張は,後述のとおりである。
(オ) 「Lt.Th3 intercostal a.」(同)
左第3肋間動脈
(カ) 「Varix」(同模式図③,患部③の模式図<省略>)
静脈瘤。この記載についての当事者の主張は,後述のとおりである。
(キ) 「Lt.Th7 intercostal a.」(同)
左第7肋間動脈
(ク) 「ASA」(同模式図④,上記カ④の模式図<省略>)
前脊髄動脈
(ケ) 「Lt Th3,4 intercostal v.」(同)
左第3,4肋間動脈。ただし,入院診療録(a病院の2回目の入院時のもの。証拠<省略>)18頁の模式図につき被告側が作成した解説資料(証拠<省略>)等では,左第3,4肋間動脈と説明されている。)。
(コ) 「Rt.Th9 intercostal a.」(同模式図⑤,上記カ⑤の模式図<省略>)右第9肋間動脈。ただし,入院診療録(2回目,証拠<省略>)18頁の模式図につき被告側が作成した解説資料(証拠<省略>)等では,左第9肋間動脈と説明されている。
(サ) 「Lt.Th6,7 intercostal v」(同模式図⑥,上記カ④や第9胸椎レベルの血管の模式図<省略>)
左第6,7肋間静脈
⑹ 本件訴訟の提起
原告らは,平成16年1月7日,本件訴訟を提起した。(顕著な事実)
⑺ 被告の消滅時効援用の意思表示
被告は,原告らに対し,平成16年12月15日(当審第4回口頭弁論期日),仮に本件手術等に関して不法行為に基づく損害賠償請求権が認められるとしても,当該請求権につき消滅時効を援用する旨の意思表示を行った。
(顕著な事実)
第3争点
1 本件手術の適応違反の有無
⑴ 術前に予定していた術式
⑵ 本件手術についての説明内容
⑶ 本件手術の内容
⑷ 本件手術の適切性・合理性(適応違反の有無)
2 本件手術手技上の過失の有無
⑴ 脊髄等の損傷の有無
⑵ 重大な出血の有無
3 本件手術についての説明義務違反,合意遵守義務違反の有無
4 経過観察中,第9胸椎レベルにできた動脈瘤の見落としの有無
5 因果関係の有無
⑴ 本件手術と損害との因果関係の有無
⑵ 動脈瘤の見落としと損害との因果関係の有無
6 原告らの損害及びその額
7 不法行為に基づく損害賠償請求についての消滅時効の成否
第4争点に対する当事者の主張
1 争点1(本件手術の適応違反の有無)について
(原告らの主張)
⑴ 術前に予定していた術式
ア 本件手術による治療の目的は,あくまで流入側の動脈を遮断する観血的遮断術によって,流入動脈上にできた動脈瘤の破裂を防ぎ,静脈圧を減少させ,脊髄動静脈奇形を縮小させ,静脈からの出血やうっ血性脊髄障害を予防するというものであった。
脊髄動静脈奇形の治療法としては,①単独での塞栓術,②単独での観血的遮断術,③塞栓術と観血的遮断術,④観血的ナイダス又は流出静脈の摘出術があるところ(証拠<省略>),本件では,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルについては③を,第7頚椎レベルにおいては②を行う予定となっていた。すなわち,原告X1は,本件手術前,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルでは,予め塞栓術(本件塞栓術)を行って出血を予防した上,本件手術において,プラチナコイルの詰まった主流入動脈を極力同定し,血流の再開通を防止するためにバイポーラ(双極性電気焼却器)により確実に遮断し,側副流入動脈も極力同定の上,遮断して,動静脈短絡への血流を減らすことにより,以後の出血と悪化を予防する方針となっていたのである。また,第7頚椎レベルについては,血管が細いので本件手術前に塞栓術はしないが,本件手術で無理をしない範囲で遮断術を行う方針となっていた。
イ 原告X1のような脊髄動静脈奇形は,それ自体がかなり稀な病気であり,当時,その治療方法として塞栓術は広く行われていたものの,根治術としての観血的手術は,有力大学の附属病院で施行しているところがあるという程度であった。
原告らは,平成8年1月,カテーテルによる脊髄動静脈奇形の塞栓術が安全に実施可能かどうか検討してもらうため,兵庫県のf病院を訪ねたが,検査の結果,同病院では塞栓術は難しいと言われ,同病院での検査フィルムを持参して<省略>県のg病院血管内外科のJ医師の診察を受けた。このときの目的も,もちろん塞栓術による治療であった。しかし,g病院では塞栓術は行わず,観血的な遮断術を行う方がより確実に遮断ができるといわれ,その観血的遮断術の可否を相談するため,最も多くの動静脈奇形の患者を治療しているといわれていたa病院を紹介してもらった。
原告X1の症状は,治療による改善が期待されたものの,あえて摘出術をしなければならないような生命の危険や増悪の危険が差し迫っていたわけではない。ただ,塞栓術では再開通の可能性があるため,恒久的な閉塞を目的に,観血的な遮断術を受けることにしたのである。
ウ 脊髄辺縁部動静脈瘻を含む全ての種類の動静脈奇形の治療方法とその治療結果を検討した平成7年8月の第3回Spine Frontier研究会やa病院の論文(証拠<省略>)には,如何なるタイプのAVMでも摘出は目指さず,還流静脈は拡張していようと極力温存すると述べられている。a病院の本件手術前の方針も,この文献の趣旨に沿ったものであり,①如何なるタイプのAVMであれ,ナイダスの摘出は目指さず,動静脈短絡の遮断のみを行う,②還流静脈は拡張していようと極力保存する,というものであった(証拠<省略>)。ここで,「如何なるタイプのAVM」という言葉は,髄内動静脈奇形だけでなく,脊髄辺縁部動静脈瘻を含むものとして述べられており,また,「ナイダス」も髄内のものに限定しての用語法でないことに留意すべきである。a病院がそのような方針をとっていた理由は,a病院の症例を検討した論文(証拠<省略>)では脊髄辺縁部動静脈瘻の患者も含む,いわゆるナイダスや流出静脈の摘出術を行った患者は全て術後症状が悪化していたためであった(証拠<省略>)。なお,被告は,「ナイダス」は髄内動静脈奇形に限られると主張するが,問題は,現在のナイダスの定義ではなく,本件手術当時の本件医師団の「ナイダスやドレイナー」についての認識や,上記論文における「ナイダスやドレイナーの処置」の意義なのである。
⑵ 本件手術についての説明内容
ア 原告らは,B医師,C病棟医長(病棟のチーフレジデント。以下「C医師」という。)及びP主治医(以下「P医師」という。)らから,本件手術前である平成8年9月19日,予定する手術の説明として,第7頚椎レベルから第7胸椎にかけて切開して上記遮断術を行うこと,これを安全確実に行うために,本件塞栓術により事前にマーキングと塞栓をしてあり,出血は少ない見込みであるとの説明を受けた。当該説明は,B医師が中心に行ったが,B医師らは,原告らに対し,「原告X1のAVMは複雑な症例であり,とても1回の手術では治療はできず,数回に分けて治療することになる。」「今回の治療は,T2,T5,C7の3つの脊髄後方の脊髄辺縁部AVFに対し,流入血管(feeder)を極力同定して遮断してAVM(AVF)が50%でも縮んでほしい。」「姑息的ではあるが安全性の高い手術である。」などと説明した。すなわち,本件手術においては根治を目指さず,コイルの詰まった主流入動脈を確実に遮断し,側副流入動脈をできる限り検索して遮断することにより動静脈奇形が50%でも縮んでほしい,さらに,術後の血管造影(angio)によって評価して,その後,放射線治療(Ra)も検討しているとのことであった(証拠<省略>)。この説明の際に,遮断術か摘出術かという2つのコンセプトがあることや,各メリット,デメリットについての説明は全くなかった。原告らは,脊髄を圧迫している血管瘤などを脊髄から剥がして摘出したり,拡張した流出静脈まで遮断して摘出したりするという説明は聞いておらず,それによって生じうる合併症の説明も聞いていない(証拠<省略>)。A医師も,摘出術を行う可能性のあることについて説明しなかったと自ら証言している。
イ A医師は,B医師による上記説明の席にはいたようであるが,原告らは知らない。本件手術の説明者はB医師であり,執刀医がA医師とは聞いていなかったし,術中の判断をA医師に委ねたことはない。手術同意書(証拠<省略>)にも,平成8年9月19日の日付で,A医師ではなくB医師のサインがある。A医師は,後述のように,脊髄を圧迫する血管塊は摘出すべきである,何本かの静脈も処置してよいというのが持論であって,A医師が執刀医として説明をしたのであれば,遮断術の考え方に沿った説明にはならなかったはずである。
⑶ 本件手術の内容
ア 第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術
(ア) 本件手術では,術前の遮断術を行うとの方針,説明と異なり,A医師の意向により,術中に,後述のとおり適応がない術式への不適切な変更がなされ,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルでは,「本件塞栓術によりコイルの詰まった動脈瘤とその前後につながる流入動脈及び動脈瘤周辺にみられた拡張した流出静脈」の摘出が行われた。本件医師団は,動静脈短絡を含んでいたかを同定しないまま上記血管塊(mass)を摘出したのであり,その検証もなされていないから,「脊髄動静脈奇形摘出術」とすらいえないものである。
A医師は,本件塞栓術を担当した放射線科のQ医師(以下「Q医師」という。)が,視野にある動脈瘤を基準にして動静脈短絡を検索することや,赤く怒張している血管は動静脈短絡からの血流を受けている静脈であるので,これを逆にたどって動静脈短絡を検索すること,静脈は処置しないこと,コイルの詰まった動脈瘤は焼き縮めるべきであるといった意見を具申していたのに,それを無視し,術前の説明にも沿わずに,上記血管塊の摘出を行った。
(イ) 第5胸椎レベルでの手術
A医師は,第5胸椎レベルにおいて,過去の出血による癒着のため摘出(剥離)物と周辺の組織の境界が不分明であるにもかかわらず,周辺の小さな血管をも含めてバイポーラで焼いて,そこをハサミで切断し,切断時に血管を傷つけてはバイポーラで焼いて止血することを繰り返した。Q医師は,A医師に対し,本件ビデオ3巻0時間13分ころ,「ベインは最後まで残しておいて,血栓化した動脈瘤を(焼いて)縮めるのはどうか。」と提案しているが,A医師は,動静脈短絡部位の検索をすることも,その部位で流入動脈の遮断をすることもせず,血管塊の摘出を追求していった。
A医師は,同0時間19分ころ,第5胸椎レベルの血管塊の剥離を進めるうち,血管塊の奥に白っぽい平べったい血管を発見し,超音波ドップラー装置(以下「ドップラー」という。)で確認したところ,静脈であったため,「これは温存した方がいいな。」と発言した。また,同0時間30分ころには,コイルの詰まった流入動脈を発見し,血管塊の下方にある赤い静脈をいじる必要はないと発言した。ところが,A医師は,その後,「どっちか1本切っていかない?」と述べ,同0時間41分ころ「向こうを切って,こちらを生かそう。」「マスをとろう。」と発言して,同0時間44分ころ,下方にあった静脈をバイポーラで焼いて切断した。A医師は,同0時間45分ころ,血管塊の奥に平らな流出静脈を見つけ,「この奥のドレイナーを残せば,マスの表面にあるベインは要らないのではないか。」と聞き,Q医師は気乗りのしない返事をしていたものの,「これ,僕がオペしているわけじゃないですから。」と反対しなかった。ここでいう「ベイン」とは同0時間41分ころ,「こちらを生かそう」として残されていた静脈であり,同1時間0分ころ,A医師の「しょうがないもんな,切りますか。」との発言とともに,焼いて切断された。
A医師は,同1時間24分ころ,血管塊から上方に出ている太い静脈をドップラーで確認をすることなく,凝固し切断した。その後,血管塊の裏側から奥の静脈に入る細い静脈を発見したが「切るしかないだろうね,だって,取れないんだもん。」と言いながら,凝固,切断した。このようにして,同1時間28分ころ,コイルの詰まった流入動脈を残して剥離し,同1時間33分ころ,A医師の「ナイダスを持ってて。」との指示により血管塊がピンセットで持ち上げられ,流入動脈の凝固,結紮及びクーバーによる切断が行われ,摘出が終了した。
(ウ) 第2胸椎レベルでの手術
次に,A医師は,第2胸椎レベルの硬膜及びクモ膜を切開した上,同部位の血管塊の摘出を行った。
Q医師は,A医師に対し,本件ビデオ3巻1時間43分ころ,第2胸椎レベルの血管につぎ,「このレベルは,アーテリー側は,コイルが詰まっている。」と説明し,B医師も,同1時間44分ころ「コイルが詰まったフィーダーを焼き切れば終わりのような気がする。」と,コイルの詰まっている流入動脈を凝固すれば手術の目的を達するという適切な発言をしている。さらに,Q医師は,「AVシャントまではコイルは詰めていない。」「シャントは右の大きな縦長の動脈瘤の右側だろう。」「動脈瘤に出しているやつ(流入動脈)にコイルがずぼずぼ入っている。」と,コイルが入っている塊の遠位(ディスタル)に動静脈短絡があるとしている。同1時間57分ころ,血栓化した白い血管が発見され,Q医師は,これを「(コイルが)詰まっているから動脈だ。」と説明した。ところが,A医師は,本件医師団の他の医師の同意等を得ないまま,同1時間58分ころから,第2胸椎レベルの血管塊の剥離を開始した。
A医師は,本件ビデオ4巻の冒頭から,ドップラーで確認することなく,血管の焼却と切断を繰り返し,同0時間7分ころ,コイルが詰まって血栓化した流入動脈を焼いて切断し,その流入動脈の奥に,コイルは入っていないが血栓化した血管を発見して,根拠もなく「ドレイナーの起始部だ。」と述べ,その血管を焼いて切断した。A医師は,同0時間36分ころ,第2胸椎レベルの血管塊を摘出したが,これはコイルの詰まった動脈瘤と,その前後の流入動脈及びその周りにあった流出静脈を含んだ血管塊であり,その摘出のために脊髄の静脈も切断されてしまった。
(エ) 被告は,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルからの摘出物は「静脈瘤」ないし「動静脈短絡(動静脈瘻)が一体となった静脈瘤」であったと主張する。しかし,本件手術が行われた部位(患部①ないし③)には静脈瘤自体が存在しない。術前の検査で,原告X1の第2胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻には動脈瘤があり,第5胸椎レベルについては,当初,第6及び第7胸椎レベルの2個の動脈瘤と動静脈短絡を経て第5胸椎レベルに「Varix」があるとされていたが,それもQ医師の本件塞栓術の施行により動脈瘤であると判断されたのである(証拠<省略>別紙3模式図③<省略>)。本件塞栓術の施行前後の血管造影の写真を比較対照しても,コイルが詰まっているのは流入血管とその途中にある動脈瘤であることがわかる。平成8年9月19日の説明の際にも,患部にある血管瘤は動脈瘤(A瘤)として説明されていた(証拠<省略>)。
Q医師は,本件ビデオ2巻の1時間54分ころに「コイルの入っているところはみんなアーテリー(動脈)で,赤い血管がベイン(静脈)だ。」と説明しているし,摘出対象となった血管瘤を動脈瘤と判断してコイルを詰めたと証言している。Q医師は,A医師に対し,第5胸椎レベルを手術している際(本件ビデオ2巻の1時間56分ころ),「開いている第5胸椎レベルの部位に動脈瘤があり,その頭側(本件ビデオ画面の左側)にシャントがありそうだ。」,第2胸椎レベルでは「動脈瘤の右あたりが(動静脈短絡部位として)怪しい。」と説明している。
本件ビデオにおいて,術中に当該血管瘤を静脈瘤あるいはこれと一体となった動静脈短絡と判断し,本件医師団で協議をした痕跡は全くない。本件ビデオを見る限り,摘出物はどのように見ても「単一の血管構造物であるから静脈瘤である」とはいえず,結局,被告の主張は何ら証明されていない。a病院の診療録,看護記録その他の術後の記録も,すべて「AVM摘出術」又は「脊髄動静脈奇形摘出術」となっており,「静脈瘤摘出」という文言は微塵もない。
B医師も,本件手術前及び本件手術当時,摘出対象となった血管瘤は「動脈瘤」であると考えており,動静脈短絡部位も同定できていないことを認める証言をしている。また,A医師も,本件手術当時,同様に血管瘤は「動脈瘤」であると考えていたこと,術中に動静脈短絡部位を同定できていないこと,当該血管塊を焼いてみて縮まるかどうかを確かめずに摘出したことを認める証言をしている。
被告は,脊髄動静脈奇形では動脈瘤は生じないから本件で動脈瘤を摘出するはずがないとも指摘するが(証拠<省略>),実際に原告X1には第9胸椎レベルに動脈瘤が生じたのであるから,これは明らかにおかしい。
このように,本件医師団は,摘出した血管塊を,「流入動脈と流入動脈上に形成されていた動脈瘤及びその動脈瘤周辺に存在した流出静脈」であると認識していたのであり,コイルが詰まった静脈瘤を術中に発見したため,その摘出を行ったとの被告の主張はあり得ない。A医師も,B医師も,当時は「動脈瘤」であると認識したものを,あえて「静脈瘤」であったと主張することにより,静脈側を処置したことを合理化しようとしているにすぎない。
(オ) 被告は,動脈瘤と静脈瘤の区別は問題にならないなどと主張するが,両者の区別は重要な問題である。
本件手術中に,それが静脈瘤であり,瘤内にコイルが詰まっていたのなら,主流入動脈から進入したコイルが動静脈短絡に詰まっていたはずであるから,遮断術の目的は達せられており,それ以上に動静脈奇形が拡張して脊髄がさらに圧迫を受けるおそれや,出血のおそれもない。動静脈短絡にコイルが不完全に詰まっていたとしても,コイルのある血管瘤の手前を遮断すれば,それで動静脈短絡の遮断術は終了する。したがって,あえて危険を冒して静脈瘤を摘出する必要は全くない。また,動脈瘤であれば(前述のとおり,本件のコイルの詰まった血管瘤は「動脈瘤」であった),動脈側にあるため摘出しても正常な静脈還流を阻害することはないが,摘出のための剥離操作には脊髄を損傷する危険があり,本件では摘出の同意もなかったから,その摘出は許されない。動脈瘤を下流にたどっていけば動静脈短絡部位があるはずであるから,その同定を行い,動静脈短絡の極力近位置で流入動脈を遮断したり,動脈瘤を焼却すれば足りる。ところが,A医師は脊髄を圧迫している血管塊を摘出することだけを優先して,それを行わず,摘出に伴う流出静脈の遮断や,剥離操作で脊髄を傷害しただけでなく,動静脈短絡部分の遮断術の完遂の機会を失ってしまった。
したがって,摘出した瘤が動脈瘤か静脈瘤かという区別は,過失を評価する上で大きな意味があるのであって,どちらでも良いという問題ではない。
(カ) A医師は,当時のa病院とは異なるコンセプトによって治療をする方針の医師であり,全国の脳神経外科,放射線科の医師が集まった平成7年8月の第3回Spine Frontier研究会においても,「累々としたドレイナーが脊髄を圧迫しているときに,そのドレイナーをやっつける,という考え方について,うちのスタッフはやめてくれ,というが,何本か焼いたことがある。その症例は術後悪化してしまった,やはり手をつけてはいけないのか」と発言していた。また,Q医師も,「A医師は,B医師と違う考え方で手術をしていたのではないか…圧迫を取る,腫瘤を取るというようなお考えでこの手術を進めていると受け取れる。」と,A医師が血管塊を腫瘍のように考えて,合理的理由がないのに摘出したと証言している。A医師は,血管塊が脊髄を圧迫していれば,減圧のために摘出すべきであるという上記コンセプトに基づいて第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの血管塊を摘出したのである。
被告は,A医師が切断した静脈は,「静脈瘤の出口の流出静脈」であり,それより離れた末梢の「累々としたドレイナー」を処理したわけではないと主張するが,摘出した血管瘤部分は本件手術時点では動脈瘤と認識されていたのであるから,その周辺部の拡張した静脈が静脈瘤直後の静脈であると判断することはできないにもかかわらず,それを遮断したということになる。
イ 第7頚椎レベルの手術
A医師の退室後,B医師が交代して,本件ビデオ4巻の0時間47分ころから第7頚椎レベルについて執刀し,流入血管の遮断を行った。B医師は,当初はドップラーやテンポラリークリップを使用し,血管造影のフィルムもチェックしつつ,血管の検索・同定をしていた。同1時間11分ころ,「シャンティングポイントは,このベインをたどって5ミリくらい上。」と動静脈短絡部位の検索がなされ,C医師は「ここがナイダス」と発言している。ところが,B医師は,後半になると,それらの手順を省略し,O医師の同1時間50分ころの「この,もじゃもじゃね。全部焼いちゃおか。」(もじゃもじゃした形の流出静脈を焼けばいい)との発言に応じ,動脈か静脈か同定されていない血管の凝固,遮断を繰り返し行い,正常な静脈である可能性のある血管を処置してしまった。
ウ 被告は,原告らが,本件手術の動画記録を音声も含めて解析した上で証拠として提出しているのに,それらは断片的であるとし,明瞭に録音されているA医師の発言,Q医師の発言に関する原告らの主張を無視し,ビデオの動画について丁寧な解説をしていない。被告の主張の誤りを示す文献は,a病院の医師のものを含めて多数あり,逆に被告の主張を正当化する文献はない。被告は,当然作成すべき手術経過報告書を提出せず,手術標本や術中に撮影された写真が行方不明であるといい,撮影されたはずの術後のMRIもないという。診療録に本件手術後10日間,記載が全くないのも不自然である。
⑷ 本件手術の不適切性・不合理性(適応違反)
ア 脊髄動静脈奇形の治療の基本方針について
(ア) 髄内動静脈奇形(髄内AVM),脊髄辺縁部動静脈奇形(脊髄辺縁部AVF)の病態の本質は,正常な動脈と静脈の間に異常な動静脈短絡が形成されることであり,その動静脈短絡の複雑さや形態によって,単純に1本や数本の動静脈短絡で繫がっているものをAVF,複雑な毛糸玉のような血管構造で繫がっているものをAVM(ナイダス)と呼ぶ。ナイダスが髄内動静脈奇形に限られるかどうかについては議論があるとしても,結局の所,その症状は,脊髄の静脈に毛細血管を経ずに動脈血が流入することにより,脊髄の静脈圧が正常より上昇してしまうことで生じる。このことには,次の過程がある。
① 静脈に動脈圧がかかることにより,静脈が拡張したり,場合によっては静脈が膨らんで静脈瘤を形成し,それらによって脊髄の圧迫を生じる。
② 静脈に圧がかかることにより,静脈や静脈瘤から出血を起こす。
③ 静脈圧が上昇すると,脊髄から毛細血管を経て脊髄に栄養供給等した血流の流れがうっ滞し,脊髄の栄養障害が起こる(うっ血性脊髄障害)。
④ 動静脈短絡は,毛細血管よりも血管抵抗が弱いため,より多くの血流が流れ,正常の脊髄動脈の血流が減ってしまう(盗血現象)。
⑤ より多くの血流が流入した流入動脈は,太く拡張し,時として血管屈曲部に動脈瘤を生じ,この瘤により脊髄が圧迫されたり,出血を引き起こす。
この脊髄動静脈奇形の治療のためには,動脈側から動静脈短絡に流れ込む部分の血流を減少させ,かつ,静脈を通って流出する血流を極力温存することが重要である。つまり,流入動脈から動静脈短絡までの部分を遮断し,静脈側の遮断を行わないのが原則である。
(イ) 脊髄動静脈奇形の治療は,動静脈短絡部分の異常な血行をいかにして遮断するかということになる。動静脈短絡部分の構造が単純であれば完全かつ安全にそこを遮断して根治させることが可能であるが,原告X1の病態のように複雑である場合には,短絡部の血行を全て遮断させることは困難であり,むしろ安全性を重視した姑息的な遮断術にならざるを得ない。手術を受ける患者は,根治性と安全性を天秤にかけながら,その施設での治療方法の種類と従前の結果の統計を勘案し,当該施設で治療を受けるか,また,治療の種類を判断することになる。
(ウ) もともと,この病気は脊髄の静脈に過剰な動脈血が直接流れ込んでいることが問題なのであるから,その流入側の動脈を遮断するならともかく,脊髄からの本来の血液を排出している流出側の静脈を遮断することはタブーである。数々の文献でも,静脈の温存の必要性が強調されており,それは脳神経外科医のみならず医師なら誰でも知っている原則である(証拠<省略>)。
本件手術当時も,今日でも,どの文献についても共通している治療法の基本は遮断術であり,摘出術ではない。つまり,可能な限り動静脈短絡部分を同定し,それに流入する動脈を遮断することにより,静脈側への血流を遮断するという治療であることに変わりはない。ところが,本件では,術前に当時の医療水準に基づき合理的に選択された遮断術を変更すべき必要性,合理性は全くなかったのに,不適切な術式への変更がなされた。
イ 摘出の必要性の欠如
(ア) a病院は,手術前には摘出した血管塊を動脈瘤であると考えていたのであり,それを塞栓したのであって,Q医師が明言したとおり静脈側には塞栓をしていない。しかも,塞栓術前より瘤の体積が増加したわけでもない。本件ビデオや,診療録(証拠<省略>),看護記録(証拠<省略>)などの被告の記録を精査しても,本件塞栓術によリコイルが詰まった瘤による圧迫が予期に反して問題となったとの証拠はないし,それについて本件医師団で協議した形跡も皆無であり,A医師の「これ(mass)を取りたいんですよ」という発言が記録されているばかりである。したがって,本件手術において,あえて摘出を行う必要はなかった。
(イ) 流入動脈上にできた動脈瘤にコイルが詰まっていて,脊髄への圧迫が認められても,それを解除するためには,術前に予定されていた遮断術を施行し,その動脈瘤を焼き縮めれば足りるのであって,その周りにあった静脈を処置する必要性は全くない。ところが,A医師は,術前の説明で予定されていた遮断術を丁寧に行えば静脈側への血流は低下することが期待され,また,Q医師が焼き縮めるのはどうですかと質しているのに,術前で予定されていた遮断術を履践せずに,ひたすら摘出術に邁進した。
(ウ) A医師は,瘤内にコイルががちがちに硬く詰まっていて焼けないと判断したと述べたが,コイル以外の部分は血栓(詰まったコイル等により形成される)であるので,焼けば凝固縮小するはずである。B医師も,論文(証拠<省略>)で焼き縮めればよいと述べている。また,Q医師は,プラチナコイルは大変柔らかいもので,コイルは動脈側にだけ詰めたこと,コイルの体積と血栓の体積はせいぜいコイルが3~4割程度であると述べており,A医師のいうような「がちがちに詰まっている」という状況ではなく(証拠<省略>),焼けば血栓分は縮むわけであるから,体積が顕著に減少することが期待できる。ところが,A医師は,摘出前に焼く操作を試みてもいないことを証言で認めており,これは,焼くことはできるが,摘出することが前提だから焼かなかったということである。この点,R鑑定人(以下「鑑定人」という。)は,血管瘤を焼く時の脊髄への熱の影響を述べていたが,もともと流入動脈は焼却して遮断する予定だったのであるから,瘤の表面だけを軽く焼く程度で終わらせれば,瘤自体の体積からしても,脊髄までの距離を考慮すると,脊髄への悪影響はないはずである。
(エ) B医師は,以前は原告X1の患部にあった血管塊を「動脈瘤」としていたのに,訴訟提起後に検討した結果,それが「静脈瘤」であったと判断したといい,その静脈瘤にコイルが詰まっていることを手術開始後に「発見」し,摘出しないと減圧できないと考えたので摘出したという説明を始めた。このような説明は,本件訴訟提起以前には一切説明されたことがなかった。B医師は,従前は,摘出とこれに必然的に伴う静脈の切断に反対しており,そして,遮断術の説明をしたにもかかわらず,摘出した理由の説明に窮して,このような弁解を思いついたのであろう。
(オ) もしA医師がコイルの詰まった血管瘤の摘出を行わなかった場合,コイルの詰まった部分は本件手術後も残るが,コイルが詰まっているからといって,塞栓術の前の動脈瘤の体積より大きくなるわけではない。むしろ,血行が途絶えていることで動脈圧の拍動性の圧迫は消失して,瘤自体も元よりも縮むはずである。原告X1は,本件手術前,痙性歩行は多少あっても,一人で支持なし歩行ができ,膀胱直腸障害もなかった。動脈瘤に関しては,将来の圧迫の増大や出血の予防ができれば十分な成果である。
(カ) 被告は,鑑定人のいう,何も治療行為をしないで自然な経過をたどった患者のナチュラルコース(自然経過)(証拠<省略>)からすると摘出を行う必要があったと主張するが,本件では,適応のある遮断術を選択しており,それが適切に施行されていれば結果は異なっていたはずであるから,被告の上記主張は,本件における摘出術の必要性を基礎付けるものではない。しかも,上記の研究報告は1974年(昭和49年)に発表された非常に古いものにすぎない。
(キ) 鑑定人は動静脈短絡の同定のためにも血管瘤の裏側を捜索するのに摘出が必要であると供述するが,A医師は動静脈短絡の捜索は全く行っていないし,被告も,そのような捜索のために摘出が必要であるとは主張していない。また,Q医師は,A医師に対し,本件手術中に,血管造影上,第5胸椎レベルの動静脈短絡は動脈瘤の頭側(本件ビデオ画面では瘤の左側),第2胸椎レベルでは動脈瘤の右側(本件ビデオ画面では瘤の上側)あたりにあると説明しているのであるから,瘤の裏側の捜索は必要ない。
鑑定人の供述等は,結論だけは被告の主張に沿った部分もあるが,内容を詳しく検討すると必ずしも全てがそうではないし(証拠<省略>),本件手術における摘出の必然性についての合理的な理由を裏付ける文献の提出をしていない。
ウ 摘出の不合理性(脊髄の損傷,還流障害等)
(ア) 本件手術までにa病院で行われた動静脈奇形の摘出術の治療結果が悪い原因の第一は,血管塊を摘出するために脊髄を圧迫している組織を脊髄表面から剥離するという操作に大きなリスクがあるためであり,当該リスクは鑑定人も供述している。剥離操作のリスクについては,摘出したものがナイダスであれ,動静脈短絡であれ,動脈瘤や静脈瘤であれ,脊髄辺縁部から剥離するのであり,全く同じである。摘出を行う場合,確かに摘出した血管塊の体積はなくなるが,動脈瘤と脊髄の間に硬い手術器具(A医師の場合はバイポーラ)を挿入して脊髄から血管塊を剥がす操作をする必要があり,当然,脊髄と血管瘤の間隙に存在していた小さな血管から出血させたり,脊髄自体を傷つける可能性がある。実際,B医師は,本件手術後,「瘤の部分の癒着がひどく,はがすのが大変だった。脊髄自体も傷んでいると思う。」と説明し,脊髄からの血管塊の剥離操作により脊髄に損傷を与えたことを認めていた。
(イ) 摘出術の治療結果が悪い原因の第二は,脊髄からの流出静脈を切ることにより脊髄のうっ血を助長するからである。この場合,動静脈短絡部分をきちんと同定してその動静脈短絡直後の静脈を切る場合は,動静脈短絡を通じて流入してくる動脈からの血流がなくなるので,静脈系の圧力は低下する。しかし,それ以外の場合は,動静脈短絡からの動脈血流は維持したままで還流静脈の遮断によって残された静脈の負担が大きくなり,かえって脊髄静脈圧が高くなってしまう。
このように,摘出には,脊髄のうっ血等のリスクがある以上,摘出するものが何であれ,摘出の必要性,必然性や,合併症のリスクを原告らに説明し,同意をとってから行わなければならないはずである。(なお,摘出術自体に適応がない上,本件手術においては,後述する不適切操作という手術手技上の過失により,脊髄損傷や静脈損傷が生じている。)
(ウ) 鑑定人は,動脈からの血液だけが流れている静脈は切っても良いとするが,それを客観的に確かめる方法が存在しないとも述べているから,やはり,還流に影響しないという確信のない静脈を切ってはいけないはずである。また,鑑定人は,術者の勘や経験で切って良いかどうかを決めると述べるが,きちんとした根拠もなく,安易に勘や経験で静脈を処置して良いはずがない。
鑑定人は,流出静脈はネットワークになっているから切っても良いとも述べるが,動静脈奇形のせいで,本来の脊髄からの還流の容量をはるかに超える動脈血が流入しているため,流出路である静脈ネットワークは拡張して限界状態になっている。その状態で流出路の遮断をすることは,動静脈奇形の症状悪化を助長することになるので,静脈は切ってはいけない。遮断した静脈に流れていた脊髄からの還流血がネットワークを介して流れていけば,遮断前は流れていなかった血流が流入することにより静脈圧が上昇し,出血やうっ血を起こす。脳であれ脊髄であれ,動静脈奇形の治療において,流入側の血管を完全遮断せずに流出側を遮断することは行うべきではない。
鑑定人は,l医学部附属病院脳神経外科での経験から,手術の根治性と安全性の両立を考慮しながら治療を行ってきており,なかんずく安全性のためには,還流静脈の温存が必須の課題であると,文献で繰り返し説明している(証拠<省略>)。鑑定人の「摘出すべきである」という主張は,これらの文献の趣旨から逸脱しており,独自の理由の説明はあっても,これらの文献から逸脱する理由の説明がない。
(エ) 現在では,本件手術当時と異なり,動静脈短絡の同定のため,術中DSA(造影剤を注入した血管のレントゲン写真をコンピューター処理して,造影剤の入った血管のみを造影するデジタル差引血管造影法)や色素などを使った術中の血管同定検査が可能となり,安全性,根治性が高まっている。しかし,本件手術当時は,動静脈短絡の捜索の手がかりは,コイルの詰まった動脈をたどることや,ドップラーによる血流方向の同定と血管造影との比較,赤く怒張した血管を静脈と想定しての検索,そして,疑わしい血管にテンポラリークリップをかけて流出静脈が縮小するかの確認による方法による同定を行わなければならなかったところ,本件医師団はこれを怠った上で摘出を行った。Q医師は,本件手術中,静脈を切ると動静脈短絡が分からなくなると述べている(本件ビデオ3巻0時間13分,証拠<省略>)。しかるに,A医師は,静脈を先に遮断してしまい,それによって当初の治療目的である動静脈短絡や側副流入動脈の同定や遮断をできなくし,術後の追加的治療を著しく困難にさせたのであるから,本件手術は安全性も根治性もないものであった。
(オ) 第3回Spine Frontier研究会やa病院の論文(証拠<省略>)においても,塞栓術のみによる治療や,塞栓術及び観血的遮断術による治療を行ったグループは術後成績が改善しているのに対し,ナイダスや流出静脈の摘出を行ったグループは術後成績が悪化したとされている。また,後で詳述するとおり,原告X1は,本件手術により,痙性麻痺,歩行困難,感覚麻痺,しびれ感,左右の胸背部痛,発汗障害,栄養障害,自律神経障害による血管運動障害,消化管の運動障害による便秘傾向や麻痺性イレウスの発症,膀胱直腸障害など重大な後遺障害が起きて,身体障害者2級1種となってしまった(さらに,後述する第9胸椎レベルの動脈瘤の見落としによる第2次的障害により,同1級1種となった。)。
(カ) 被告は,術中の判断として医師の臨機応変な裁量権の行使であるとも主張するが,術前に同意した術式から逸脱する合理的理由が必要である。A医師が行った血管塊の摘出は合理性がなく,脊髄への直接損傷,静脈の損傷によるうっ血性脊髄障害発生の危険があるものであったから,執刀医は,その術前合意を尊重する義務があり,これに反する判断は独断であって裁量権の濫用である。
(キ) このように,摘出術は脊髄への直接傷害や流出静脈の切断による血行動態の変化によるうっ血性脊髄障害の危険があるから回避しなければならないのであり,本件手術において摘出術を施行する合理性はなかった。
(被告の主張)
⑴ 術前に予定していた術式
ア 脊髄動静脈奇形の治療法は,①塞栓術,②観血的遮断術であり(現在はさらに,③定位的な放射線治療がある),症例に応じて①と②を組み合わせて行うのが一般であった。本件手術で行われた摘出が②に含まれることについては,後述のとおりである。
イ 原告X1は,血管内手術で当時国内最高の医療水準にあるとされていたg病院のJ医師においても,血管内手術(塞栓術)のみの治療を継続しきれず,観血的手術の適応を検討するため,a病院脳神経外科を紹介された。
平成8年9月4日のMRI撮影等及び同月9日の血管造影検査の結果,原告X1の脊髄動静脈奇形は,第7頚椎レベルから第9胸椎レベルまでの間に,髄内動静脈奇形,脊髄辺縁部動静瘻及び脊髄硬膜動静脈瘻が全て混在する極めて複雑かつ難治性の症例であることが判明した。そして,原告X1は,本件手術前にクモ膜下出血を繰り返しており,その症状が少しずつ増悪していたことから,その症状の進行を抑えるために手術を行うこととなった。
ウ 本件手術は,第7頚椎レベル(患部①),第2胸椎レベル(患部②)及び第5胸椎レベル(患部③)の脊髄辺縁部動静脈瘻への流入血管を観血的に凝固遮断する予定であった。
本件医師団は,脳神経外科と放射線科の合同カンファレンスを行い,平成8年9月のMRI等の検査結果等を基に,患部①ないし③の脊髄辺縁部動静脈瘻は観血的に治療が可能であること,うち患部②及び③の脊髄辺縁部動静脈瘻については,主流入動脈が太く拡張しており,脊髄周囲の血管もかなり発達していたことから,手術時の大出血を押さえるため,手術前に塞栓術を施行した方がより安全に手術を行えることを確認した。また,血管内手術である塞栓術のみでは一過性の効果しかない上,胸椎レベル及び腰椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻に静脈瘤が存在する場合には,その静脈瘤は次第に大きくなって脊髄を更に圧迫し,麻痺の増悪をきたすことから,その進行を予防するためにも,最終手段として,手術前に塞栓術を行った上で脊髄辺縁部動静脈棲に対する手術を行うことを決定した。
なお,本件医師団は,当初,患部①ないし③の3か所の脊髄動静脈瘻の手術を3回に分けて行うこととしていたが,原告らから長期間の入院はできないとの申し出があったため,検討した結果,3か所同時に手術を行うことも可能であると判断し,本件手術に及んだものである。
エ 「ナイダス」とは,あくまでも,髄内動静脈奇形において髄内に存在する毛玉様の血管構造物(動静脈短絡)を示す用語であり,髄内動静脈短絡における動静脈短絡(ナイダス)の摘出と,本件手術で行われた静脈瘤及び動静脈短絡の摘出を同様に論ずることは相当ではない。本件医師団は,あくまでも「ナイダス」という言葉を,脊髄動静脈奇形の病変部位(動静脈短絡)を指すものとして使用していたのである。なお,当時研修医であったS医師が作成した退院時サマリー(証拠<省略>)に,第2胸椎レベル及び第5胸椎レベルの「ナイダス」を切除した旨記載され,第7頚椎レベルにナイダスが存在していたかのような記載もあるが,これは,同医師が本疾患に対する理解不足のために静脈瘤とナイダスを取り違えたものである。
⑵ 本件手術についての説明内容
ア a病院脳神経外科においては,患者等に対し,手術前に,手術に関する十分な説明を必ず行っている。原告X1の脊髄動静脈奇形は,極めて稀な疾患であり,脊髄分野に関する最先端の医学的知見と多数の臨床経験を有する病院ないし医師によらなければ,手術自体が不可能であるとされていたのであるから,このような患者に対し,手術を行うに際して,合併症や脊髄損傷の可能性について相当な説明をしないなどということは到底あり得ない。
イ a病院の担当医師は,原告X1が平成8年7月11日に脳神経外科外来を受診した際に,観血的手術後の神経症状の増悪など手術による合併症の可能性について説明しており,その後,同医師と原告X1との間で手術に関する電話やインターネットでのやり取りがあり,同医師は,さらに同年9月2日の入院時から同月20日の本件手術時までの間においても,何度も詳しい説明を行った。
ウ A医師,B医師,C医師及びP医師は,原告らに対し,本件手術前日である同月19日,①流入血管の遮断術を行うこと,②事前に塞栓術を施して血流量を減らしていること,③動静脈奇形(AVM)を50%程度でも縮小することができれば成功と考えていることなど,遮断術に関する説明を十分に行った(証拠<省略>)。したがって,原告らが,A医師が執刀医であると思わなかったとは,およそ考えられない。
エ 原告らは,動脈瘤であれ静脈瘤であれ,いかなる血管の摘出も事前には予定されておらず,そのような「摘出」について説明を受けたこともなく,承諾もしていないと主張する。しかし,本件医師団は,血管を摘出することを具体的に想定しておらず,その説明はしなかったが,そうであるからといって,抽象的可能性も含めて一切血管を摘出しない予定であったわけではない。
また,B医師は,摘出術は遮断術に含まれるという見解を示しており,A医師も術前には摘出を予定していなかったとしつつ,「遮断の中には塞栓術で異常血管を詰めて遮断するのも遮断ですし,塞詮術+流入血管,流出静脈の一部を焼却して血流を途絶えさすのも遮断ですし,最終的には異常血管が腫瘤として存在して神経を圧迫している場合にはそれを摘出するという操作も,すべて含めて動静脈奇形遮断,動静脈瘻遮断と,大きな意味にありますから,摘出が加わったからといって術式そのものが変わったということではありません」と同様の証言をしている。鑑定人も,「これは程度の差だけでして,基本的にはどこまでを離断といって,どこまでを摘出とかいうのは,決まった用語の使い方はないと思います。」などと供述し,自分自身が本件手術で行ったような摘出術を行う可能性があっても「遮断」すると伝えると思う旨述べている。
⑶ 本件手術の内容
ア 本件手術は,椎弓切除及び硬膜切開後,患部③,患部②,患部①の順に行われ,第5胸椎レベルの患部③及び第2胸椎レベルの患部②においては,脊髄辺縁動静脈瘻への流入血管の凝固と,塞栓術の際に使用したコイルが一部詰まった状態で脊髄を圧迫していた静脈瘤の摘出が行われ,第7頚椎レベルの患部①においては,脊髄辺縁部動静脈瘻への流入血管の凝固,遮断の処置が行われた(証拠<省略>)。
原告X1は,本件手術以前に5回の脊髄出血の既往があり(中学3年時,高校2年時,同3年時,大学4年時及び平成7年6月時),癒着が強かったことから本件手術は決して容易なものではなかったものの,本件塞栓術の効果により,患部②及び患部③の脊髄辺縁部動静脈瘻の静脈瘤周囲の脊髄表面血管はあまり拡張していなかったため,ほとんど出血を見ないままアプローチができた。A医師は,患部②及び患部③の脊髄辺縁部動静脈瘻の「静脈瘤」が,それぞれ著明に脊髄を圧迫していたので,まず,ドップラーを用いて周囲の血管の動脈及静脈の同定,血流方向の同定を行いながら,動静脈瘻への流入血管を凝固遮断したが,コイルが一部詰まった状態で脊髄を庄迫していたことから,慎重にそれぞれ脊髄から剥離した上で摘出した。また,大きな静脈瘤においては動静脈短絡と静脈瘤との移行部が明確でない場合が多く,本件においても静脈瘻の裏に存在していた太い流入血管から静脈瘤に移行する部分は,動静脈短絡の一部が静脈瘤と一体となっていたため,「静脈瘤」の摘出に際して「動静脈短絡(動静脈瘻)の一部」も併せて摘出した可能性もある。
その後,B医師は,第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻の流入動脈を可能な範囲で凝固遮断した(証拠<省略>)。
イ 本件手術において摘出されたのは,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルに存在した「静脈瘤ないし動静脈短絡(動静脈瘻)が一体となった静脈瘤」であり,別紙3模式図③<省略>の第5胸椎レベル(Th5)に「Varix」(静脈瘤)と記載されているもの及び別紙3模式図②<省略>の第2胸椎レベル(Th2)に「Aneurysm」(動脈瘤)と記載されているものである(証拠<省略>)。本件医師団,特に第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルを執刀したA医師は,非常に拡張した単一の血管構造物であったことから,摘出したものは静脈瘤であると認識していた。
この点,原告らは,B医師の説明に不合理な変遷があると主張するようであるが,B医師は,証人尋問において,当時の血管造影は,画像としては今よりも大分画質が落ち,どこからどこまでが流入血管で,どこからどこまでが動静脈瘻で,どこからどこまでが静脈瘤かというのは,なかなか正確にはいえないこと,最近では,動脈瘤と思っていたものが実は静脈瘤であるというのは大体周知の事実であること,B医師の判断では,今の段階で静脈瘤であろうというものを,あえて動脈瘤であるというふうに固執する必要はなく,医学的に正しいことを述べようと思ったと述べているのであるから,B医師の説明が動脈瘤から静脈瘤に変遷したことには合理的理由がある。
ウ 原告らは,摘出された第5胸椎レベルの血管塊が動脈瘤であるのか静脈瘤であるのかを問題にするが,摘出された瘤状の血管が動脈瘤であれば,摘出により正常な静脈還流を阻害することはない。静脈瘤であっても,本件手術で摘出した静脈瘤は正常な静脈に存在するものではないから,静脈の還流を阻害するものではないし,「動脈瘤」と「静脈瘤及びこれと一体となった動静脈短絡(動静脈瘻)」の摘出の手技等が異なるわけでもない。したがって,摘出された瘤状の血管が動脈瘤であったか,静脈瘤であったかは問題にならない。
エ 原告らは,証拠<省略>の討論部分などから,A医師が脊髄を圧迫しているものや静脈は処置してよいというのが持論であったとするが,当該部分におけるA医師の発言内容は「drainerというのは,やはり手をつけてはいけないものなのか,お聞きしたいのです。」という質問であるから,この時点でも,これ以降においても,A医師が原告の主張する持論を有していたとは読み取れない。また,本件手術においては,静脈瘤を摘出する際に,「静脈瘤の出口の流出静脈」の一部を遮断したのであって,それより離れた末梢の「累々としたドレイナー」を処置したわけではない。
オ 原告らの本件ビデオに関する主張は,恣意的かつ主観的な評価を付加した不正確なものであり,その根拠は薄弱である。本件ビデオには本件手術に立ち会った全ての医師等の全発言が明瞭に録音されているわけではなく,発言内容の復元自体が困難であるのみならず,当該発言の趣旨等を正確に把握することも極めて困難である。Q医師も,同医師の発言部分とされるものの中に,自分の声でないと思う部分が含まれていると証言している。
⑷ 本件手術の適切性・合理性(適応違反の不存在)
ア 摘出の必要性
(ア) 本件医師団は,第5胸椎レベル(患部③)及び第2胸椎レベル(患部②)の脊髄辺縁部動静脈瘻の静脈瘤が,髄外に存在し,本件塞栓術の際に使用したコイルが一部詰まった状態で脊髄自体を圧迫しており(証拠<省略>),流入血管を遮断しても,この静脈瘤が自然に縮むことはなく,それを放置しておけば脊髄に対する圧迫のため,短期間に両下肢の完全麻痺,失禁,失便などの状態に陥ることが予測されたことから,当該静脈瘤を摘出して脊髄に対する圧迫を除去するのが相当であると判断し,それぞれ慎重に脊髄から剥離した上で摘出した。
(イ) A医師は,静脈瘤を摘出しなければ除圧効果がないので症状が良くならないと判断した旨述べ,B医師も,静脈瘤が脊髄を圧迫しており,これを放置すると進行性の足の麻痺や感覚障害が現れること,静脈瘤が非常に硬く存在し,生きている状態であったので,摘出したのは正しかったと思う,摘出以外の方法については,静脈瘤にはコイルが詰まっていて硬く,焼き縮めることができず,コイルを抜くこともできなかったと述べている。したがって,流入動脈の遮断によっては手術の目的は達し得なかったから,摘出の必要性も妥当性も肯定できる。
(ウ) 鑑定人も,本件ビデオに見られるような,大きな病変が脊髄を圧迫している所見を認めれば摘出を行うべきであり,圧迫所見を認めながらも放置する方がむしろ問題であって,放置すれば内部に血栓を形成しさらに増大する可能性もあるとしている。また,焼却や結紮などによる流入血管の遮断のみで病状の改善が期待できたかという点については,「なかなか難しいと思います。圧迫して,それによって症状が出ていると判断されているわけですので,脊髄半切症候群といいますか,その原因がこの瘤であると判断されたら,これを取らないと改善はない。」として,これを否定し,加えて,「焼却にとどめる場合,周囲組織への熱損傷を防ぎながらどの程度焼却すればいいのか,その判断は困難である。焼灼だけにとどめた場合には,将来,血行の再開通がありえる。」として,A医師の判断と同じ見解を示し,摘出するリスクと摘出術を行わなかった場合のリスクを比較し,「完全に下半身不随になるということは,やっぱり避けるリスクです。」としている。
さらに,鑑定人は,本件塞栓術で用いたコイルが瘤に入っていた点に関して,コイルは血管に食い込んだり,もつれたりしていることから,連続する血管に損傷を来す可能性があることや,どこに入っているか分からないので,それを抜去するのは非常に無謀な措置になると述べ,コイルの抜去可能性を否定している。
(エ) 脊髄動静脈奇形の患者の予後(ナチュラルコース)について60名の患者を対象とした研究(証拠<省略>)によると,19%の症例は発症6か月以内にレベル4もしくは5以上の重い障害を呈し,3年では症例の50%が重度(レベル4もしくは5以上)となっており,下肢の筋力低下や歩行障害が発症したら,しばしばそれは極めて急速に進行し,患者が重い障害を負うまでに至ること,下肢の機能障害の発症が3年以内に起こった場合,50%の患者が重症な障害となったこと,増悪の割合は通常,着実に進行していき,有意な寛解が得られたのは1例しかないことなどが考察され,長期的な予後を改善するためには外科手術が必要であることが正当化できる旨,結論づけられている。
したがって,脊髄動静脈奇形の患者を放置した場合には,ほぼ着実に増悪が進行し,重い障害を負うに至ることもあるといえ,かかる研究報告からも,原告X1の第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの静脈瘤を放置したまま手術を終えることは妥当ではない。特に,原告X1の疾患は,非常に症例の少ない脊髄動静脈奇形の中でも複雑かつ難治性の高いものであり,放置した場合に長期間安定した症状が続くとは限らず,そのような確実性を肯定する証拠もない。
(オ) 原告らは,動派瘤(ただし,被告の主張は静脈瘤である)の摘出という判断に際し,術中に本件医師団で協議をして結論を出したことはうかがえない旨主張するが,最終的な手術の方針は患者と手術について合意した執刀医が決めるものであり,特定の処置をする際に協議をする義務があるわけでもなく,医師団の多数決によらねばならないとの義務もない。Q医師も,A医師と意見が異なる点があったことを認めており,最終的な判断はA医師がすべきであると供述している。Q医師は放射線科の医師であり,脊髄動静脈奇形に興味を持っていたため本件手術にも立ち会ったが,血管造影の所見について尋ねられることもあったという程度であり,外科医の判断について尋ねられても分からないと証言している。したがって,A医師とQ医師の意見が食い違ったことは,摘出の必要性の欠如やA医師の過失を基礎付けるものではない。
イ 摘出の合理性(脊髄の損傷,還流障害等の不存在)
(ア) 本件医師団が摘出したのは,「静脈瘤ないし動静脈短絡(動静脈瘻)が一体となった静脈瘤」である。髄内動静脈奇形においては,ナイダスを摘出したり,ナイダスに対して凝固遮断術を施行する場合には,脊髄を直接切開することにより脊髄を損傷する危険性が高いのに対し,脊髄の外に動静脈短絡が存在する脊髄辺縁部動静脈瘻あるいは脊髄硬膜動静脈瘻においては,脊髄を損傷する危険性は,ナイダスの摘出に比較してはるかに小さい。原告らは,髄内動静脈奇形におけるナイダスの摘出と,それ以外のタイプの脊髄動静脈奇形における動静脈瘻の摘出とを区別することなく,すべての脊髄動静脈奇形について,一般的に動静脈短絡を摘出することが禁忌であるとの前提に立っているものと解され,相当でない。
(イ) また,原告らは,摘出の際に流出静脈を切断したことによる血行動態の悪化を主張する。しかし,静脈瘤摘出の際に,静脈瘤と一体となっていた動静脈短絡(動静脈瘻)を一部摘出した可能性はあるとしても,摘出(切断)した可能性があるのは静脈瘤に付随したごく短い部位のみであり,この静脈瘤(摘出部位)に対しては,脊髄からの正常な血流の還流はないことから,脊髄の正常な血流が阻害されることはなく,血行動態を悪化させることは考えられない。
この点,鑑定人も,血行動態の悪化があれば,術後に顕著な症状悪化(完全対麻痺)として現れてしかるべきであるが,本件では杖なし歩行ができるまでに改善するなど,術後の神経症状の悪化は受け入れられる範囲内であり,したがって,流出静脈は部分的に遮断されているかもしれないが,それが脊髄動静脈奇形全体の血行,脊髄の血行を悪化させたとはいえないとの見解を示している。また,鑑定人は,脊髄の表面には非常に多くの血管のネットワークがあるので,静脈を1本焼いたからその還流以下全部が障害されるわけではないこと,真の静脈であっても,異常な血液だけが流れていて正常な静脈還流が関与していない,すなわち静脈として全く役に立っていないと判断された場合には,当該静脈を摘出して構わない,それを摘出して更に奥が分かれば,さらに動静脈短絡の本体が分かるかもしれないので,静脈だから取ってはいけないとは一概にはいえないとしている。
仮に,流出静脈の閉塞による脊髄動静脈奇形梗塞を来した場合には,長期間にわたる脊髄の浮腫及び永久的な脊髄麻痺が残存することから,後述するとおり,本件手術後の原告X1のように脊髄機能を回復することはあり得ない。このことも,本件手術による血行動態の悪化がなかったことを示している。
(ウ) 本件医師団は,本件手術前の血管造影写真に基づき,さらには,手術中,頻繁にドップラー装置を用いたり,流入血管に詰まっているコイルを目印にするなどして,動脈と静脈をできる限り区別した上で,流入血管を凝固,遮断していった。現に,流入血管を特定できなかった動静脈短絡については処置をしておらず,当該動静脈短絡が一部残存した状態で手術を終了している。鑑定人も,「本手術では,少なくとも術者は,流入動脈,流出静脈を特定した上で凝固していると思われる。」と評価している。また,常にテンポラリークリップを使用しなければ動脈と静脈の区別ができないわけではないから,テンポラリークリップを使用していないからといって不適切な手技であったとはいえない。
原告らは,血管塊の上方に出ている太い静脈をドップラーで確認することなく凝固,遮断したと主張し,また,切断の手順を誤ったと主張するが,第5胸椎レベルの静脈瘤に流入する最も太い流入血管にはコイルが詰まっていたのであるから,切断が後になっても,出血等の支障は考えられず,これを最後にしたことが不適切な処置とはいえない。そもそも,本件ビデオテープに録音されている発言内容の復元は不正確であり,仮に,再現された発言内容が原告らの主張のとおりであったとしても,「取れない」などという発言の趣旨や意図等を正確に把握することは困難である。
原告らは,本件医師団が動静脈短絡の同定を怠って摘出を行ったと主張するが,鑑定人は,先に動脈からの血が流れているものを遮断してしまうと動静脈短絡を見つけることが難しくなるのではという質問に対し,そのようなことはなく,焼いた血管に瘢痕が残るから,それをたどっていくことができると述べており,動静脈短絡や側副流入動脈の同定や遮断をできなくしたわけではないから,本件手術に動静脈短絡捜索の手技に不合理な点はない。また,本件手術を行わなかった場合に,原告X1が術後の追加的治療を受けることができたかは不明である。
(エ) a病院の脳神経外科は,脊髄部門においては国内最高の医療水準にあり,特に,髄内腫瘍,脊髄空洞症,脊髄動静脈奇形などの外科治療が難しい疾患については,全国各地から患者が治療のために集まってきており,当時,脊髄動静脈奇形の患者数及び治療数は国内随一といわれていたのであって,原告らの,a病院の脳神経外科で摘出術の手術成績が芳しくないとか,ほとんど全例が手術後悪化しているとの主張は事実に反する。
(オ) 原告らは,鑑定人から摘出の必然性について合理的な理由を裏付ける文献が提出されていないと批判するが,脊髄動静脈奇形の治療に関する確立した見解は未だに存在しない状況であるし,論文や文献として発表するには至らない個々の医師の経験の集積にも専門性,合理性は当然認められるから,かかる批判は失当である。
(カ) そもそも,医療行為の本質から考えてみると,治療には複数の選択肢があり,事前にどの選択肢が最も適切かは正確には分からないにもかかわらず,医師は何らかの有効と考えられる処置を迅速に取らなければならないという立場に置かれているのであるから,具体的事案に則して,医師にはある程度の裁量が認められる。脊髄動静脈奇形の手術については,本件手術が行われた平成8年当時も,現在においても,遮断術又は摘出術の選択や,摘出範囲につき,学会において確立した見解は存在しないところ,原告X1のような極めて複雑で難治性の高い症例において,大きな病変が脊髄を圧迫している所見を認め,本件手術の目的を達成する上で摘出すべきと判断したことは,医師の合理的裁量の範囲内の選択として許されるべきものである。
2 争点2(本件手術手技上の過失の有無)について
(原告らの主張)
⑴ 脊髄等の損傷
ア 本件手術の内容(第4の1の原告らの主張⑶)において詳述したとおり,本件医師団は,本件手術において予定外の摘出術を行って,血行動態の変化等,摘出術に必然的に伴う直接的,間接的な脊髄,血管の損傷を生じさせた上,慎重さを欠く施術(手術器具による圧迫等)により,脊髄や血管の直接的な損傷を生じさせた。
イ A医師は,承諾も合理的理由もない術式の変更により,血管塊の摘出に伴って当該血管塊につながる動脈はもとより,当該血管塊周囲にある動脈,静脈を遮断,損傷し,還流障害(うっ血性脊髄障害)という間接的な脊髄損傷を生じさせた。米国で発行された学術雑誌「Journal ofNeurosurgery」(脳神経外科雑誌)の1999年(平成11年)4月号に掲載されたB医師ら執筆の論文(証拠<省略>)には,脊髄動静脈奇形の20の症例が紹介されており,Table1の14番の患者は,年齢などのデータから本件手術後21か月後の原告X1のことを指すと思われるところ,唯一,症例が悪化した例として紹介され,その原因として,術中に流出静脈を損傷したためと考えられると記載されている。このように,A医師は,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルにおいて血管塊を周辺組織から慎重に分離せずに摘出した際,必然的に流出静脈も切断し,血行動態に変化を来させた。
ウ A医師は,第2胸椎レベルにおいても,血管の同定をすることなく焼却と切断を繰り返し,さらに,脊髄実質から出血させ,そこを何とバイポーラで焼却している(本件ビデオ4巻0時間30分,証拠<省略>)。被告は,焼いているのは脊髄実質ではなく,あくまで血管であると強弁しているが,脊髄の表面を走行する血管を焼いているのであって,脊髄への傷害が避けられない操作である。さらに,A医師は,後述するとおりバイポーラで還流静脈を傷つけ,大出血を起こさせている。
エ 第7頚椎レベルについては,A医師が手術室を退室していたので,B医師が執刀を担当したものであるところ,B医師も同様に流出静脈の遮断を行い,第7頚椎レベルからの髄内動静脈奇形への血流を増加させ,同部位の動静脈奇形を悪化させた。すなわち,第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻は,右椎骨動脈から分かれた2本の分節動脈が主流入動脈であるが,これらの流入動脈には術前にコイルが詰められていないため,第2胸椎レベルや第5胸椎レベルのように主流入動脈を同定すること自体が難しい状態であり,B医師は,まず,テンポラリークリップなどを使用して,術中に流入動脈と思われた血管を1本遮断したが(本件ビデオ4巻1時間42分,証拠<省略>),終了間際に,「この,もじゃもじゃね。全部焼いちゃおか。」とのO医師の発言に応じて,動脈か静脈か特定せずに累々と赤く拡張していた流出血管を焼いてしまった(本件ビデオ4巻1時間49分~56分,証拠<省略>)。被告は,本件ビデオの声がはっきり聞き取れないとするが,仮に聞き取れないとしても実際に焼いているのは拡張した状態の静脈であり,被告はこれが静脈でないことの証明をしていない。また,B医師は,第7頚椎レベルにつき,術後,2本ある主流入動脈の1本のみを遮断したと説明していたが,実際には2本とも遮断ができておらず,流出静脈を遮断していたのであり,かえって,その後の血行動態に悪質な変化を来させた。
⑵ 重大な出血
ア 本件手術の椎弓切除及び硬膜切開にあたり,出血は異常に多く,ゼルフォームなどで止血しながら手術が行われた。この出血につき,O医師は,A医師に対し,「出血がものすごい。」と説明しており,この出血により,手術前に準備していた輸血用の血液を使用してしまい,血液の追加注文をせざるをえなくなった。本件ビデオ2巻の終わりには,追加の輸血用血液がなかなか到着せず,麻酔医の「何時になりますか,もうないんですよ。」という悲痛な声での催促が記録されている。本件手術後の説明でも,「出血しました。(輸血は)6単位使っています。」と記載されている(証拠<省略>)。被告は,本件ビデオの会話や,診療録の記録があるにもかかわらず,ヘモグロビン値の推移だけを根拠に出血が多くなかったと主張しているが,ヘモグロビン値は麻酔医が適切に輸血を行ったからこそ維持できたのであって,事前に予想されていた以上の出血があったから,準備していた血液を全て使い切ったことに間違いない。この硬膜外からの出血自体が原告X1の後述する第1次的障害に直結するものではないが,このような状況下であえて予定外の摘出を行うことで侵襲を大きくするべきではなかった。
イ A医師は,第5胸椎レベルの血管塊の剥離時(本件ビデオ3巻1時間14分ころ),血管塊をバイポーラで剥離中に,血管塊のすぐ裏側にあった太い還流静脈を損傷して出血させ,あわててバイポーラで出血口を焼いて凝固して止血しようとしたが,かえって傷口を拡大させてしまった。A医師は,さらにバイポーラの電圧を上げて焼いて閉じようとしたが,傷口は広がるばかりで,この方法では止血できず,同1時間16分ころ,ベンシーツとゼルフォームを用いて,その裏側には脊髄が存在するのに圧迫して止血し,持続的な止血処置は事後に委ね,手術操作に戻った。A医師は,本件ビデオ3巻の1時間30分ころ,上記出血部位のゼルフォームを取ってみたがすぐに出血がおき,再びゼルフォームでの圧迫止血を試みたが,止血は困難で,助手にゼルフォームでの圧迫を維持させて,第5胸椎レベルの血管塊の剥離のために,最後に残ったフィーダーの処理に入った。この出血は,第7頚椎レベルに対する手術の後に,ビオボンド(生体接着剤)で閉じられたが,本件医師団は,「びゅっびゅって拍動して出てきた。」「ちょっと裂けただけなのにバイポーラで焼くんだもん。」「これは見なかったことに。」などと会話し,患者のために祈ろうという話になり,拍手を打っている。
結局,出血は多量となり,出血量は1110ミリリットル,輸血はMAPで780ミリリットルに達した(証拠<省略>MAPは1単位が140ミリリットル,全血液に換算すると200ミリリットル分であるので,輸血量は5.6単位,全血液換算で1126ミリリットルになる)。原告らが問題にしている最大の出血はこれであり,a病院の本件手術には,前述のとおり,適応がないにもかかわらず意図的に静脈を切断するという適応違反に加え,第5胸椎レベルで大きな静脈損傷を引き起こすなどの手術手技上の過失があったのである(本件ビデオ3巻1時間14分,証拠<省略>)。
(被告の主張)
⑴ 脊髄の損傷の不存在
ア 第5胸椎レベルについて行われた手術手技の適切性
被告の脳神経外科においては,難易度の高い本件手術に際し,脊髄外科の最高権威であり,脊髄動静脈奇形の臨床経験が豊富であったA医師を執刀医とし,脊髄外科を専門とするO医師及びB医師をアシスタントとするとともに,放射線科の専門医グループを加えた,当時において考え得る最高の医師団を結成したものであって,本件医師団は,カンファレンスを行った上で本件手術に臨み,高度の技術を必要とする本件手術を適切に行ったものである。
原告らは,第5胸椎レベルに存在した血管塊の剥離に際し,脊髄など周辺組織との境界が不分明であるにもかかわらず,それらを慎重に分離しないまま血管塊の摘出を先行させたと主張する。しかし,静脈瘤の周辺組織からの剥離は顕微鏡下で慎重かつ丁寧に行われており,その手技に不適切な点はない。
イ 第2胸椎レベルについて行われた手術手技の適切性
原告らは,A医師が第2胸椎レベルで血管塊の剥離をした際,ドップラーでの確認をすることなく,血管の焼却と切断を繰り返したこと,切断した流入動脈の奥にコイルは入っていないが血栓化した血管を発見し,根拠もなく「ドレイナー(流出静脈)の起始部だ。」と述べ,その血管を焼いて切断した,剥離操作をしている血管塊と脊髄の境界部位で出血があり,焼いて止血しているが,脊髄表面も焼かれて損傷を受けたと主張する。
しかし,静脈瘤を周辺組織から剥離する際にある程度の出血があるのはやむを得ないし,そのような出血に対してバイポーラを用いて止血するのも通常の措置であって,本件医師団の手術手技に過失はない。また,止血の際に脊髄は焼いていない(証拠<省略>)。
ウ 第7頚椎レベルについて行われた手術手技の適切性原告らは,「この,もじゃもじゃね。全部焼いちゃおか。」とのO医師の発言が「もじゃもじゃした形の流出静脈」を意味することを前提として,B医師が第7頚椎レベルについて,静脈と思われる拡張した血管を確認することなく何本も凝固して遮断していったなどと主張するが,前提とする発言の正確性,その解釈の根拠自体が極めて疑わしい。そもそも,B医師は,血管の凝固,遮断の前に,ドップラーやテンポラリークリップを用いて血流を確認しており,この点は原告らも認めるところであって,これに基づいて凝固,遮断を行っているから,その手技に過失はない。
⑵ 重大な出血の不存在
ア 入院カルテの麻酔記録等によれば,本件手術における輸血量は,4単位780ミリリットルであったが(証拠<省略>),本件手術は,皮切及び筋肉の剥離が第6頚椎レベルから第7胸椎レベルまでの9椎体レベルという広い範囲に及んだことから,ある程度の出血はあったものの,上記手術創の範囲を勘案すれば,到底,大出血とはいえないものであった。原告X1は,痩身であったことから,手術後に貧血で縫合不全やめまい等を起こさないように輸血量を配慮したものであった。この点,B医師は,780ミリリットルの出血量は,9椎体に及ぶ手術の輸血量としては少ない方であると証言し,鑑定人も,術中の出血について,想定を超える出血があったとはいえないとしている。
なお,当時研修医であったS医師が作成した退院時サマリー(証拠<省略>)には,本件手術における輸血量は10単位であった旨記載されているが,上記の麻酔記録に照らせば,この記載が誤りであったことは明らかである。仮に,本件手術における輸血量が10単位2リットルであったとしても,本件手術の内容等を勘案すれば,大出血にはあたらない。
イ 一般に,手術の際に輸血を要するのは,血中ヘモグロビン量が8.0g/d1以下になる場合とされているが,本件手術中の麻酔記録(証拠<省略>)によれば,血中ヘモグロビン量(血色素量,Hb)は,午前10時30分ころから午後3時30分ころまで,10.9,9.1,9.6,11.0,10.7と推移し,その後追加の輸血がないのに,午後8時30分の時点では11.7と,いずれも適正な値が保たれている。したがって,本件手術前に準備していた輸血用の血液を使用してしまい,血液の追加注文をしたことをもって,本件手術における出血が異常に多いと評価することはできない。
ウ 原告らは,本件ビデオ3巻1時間14分ころの出血を捉え,問題とする最大の出血はこれであるとする。確かに,静脈からと思われる比較的多くの出血がみられるが,「大出血」と評価すべきほどのものではない。本件医師団は,この出血に対し,ゼルフォームを用いているが,バイポーラで凝固できない静脈性出血にゼルフォームを用いて止血するのは通常の止血操作であり,その止血操作のために脊髄を損傷したという事実もない。
エ 上記出血に対する止血は適切に行われており,原告X1の術後経過は後述のように良好であり,血腫が形成されたことを窺わせる事実もなく,平成8年10月4日以降の検査においても血腫の存在は認められていない。本件手術における剥離操作の際,ある程度の出血はあったものの,適切に止血操作を行っており,脊髄に損傷を与えるような血腫の形成があったという事実はない。鑑定人も,術後血腫は必ず起こるものであるとした上で,「不完全な止血があったとは思われず,術後血腫の形成はあっても僅かであり臨床上問題ないものと思われる。何故なら,大きな血腫あれば,完全対麻痺(下半身不随)となる。」としている。
3 争点3(説明義務違反,合意遵守義務違反の有無)について
(原告らの主張)
⑴ 患者は,人格権に基づく自己決定権として,医師及びその他の医療従事者から,自己の病状,医療行為の目的,方法,危険性,予後及び選択しうる代替的治療法などにつき,正確で分かりやすい説明を受け,十分に理解した上で,自由意思に基づき,医療行為につき同意,選択又は拒否する権利を有している。
⑵ 原告X1は,長期にわたって自らの持病についての詳しい情報を入手して検討しており,薬剤師でもあるから,説明を聞けば理解し,是非を判断する能力があり,その意欲もあった。原告X2も,医師としての経験に加え,原告X1の夫として長期にわたって原告X1の持病に関心をもち,情報を収集してきて原告X1の治療について全面的に協力してきたし,説明を理解,判断する能力を持っていた。<省略>県在住の原告X1は,そういう事情にあったからこそ,<省略>や<省略>に行き,慎重な検討を経た上で,遮断術を受けることを目的にわざわざ北海道のa病院まで行ったのである。事前に摘出術について検討の余地があると思えば,その安全性や効果について,新たに情報を収集し検討した上で判断するはずであった。この時点での原告X1の症状は落ち着いており,危険を冒して摘出術を実行する必要はなく,時間的余裕があったし,当面は遮断術を受けてその効果を確認する経済的余裕もあった。
原告らが医師らの平成7年の論文(証拠<省略>)を入手したのは,本件訴訟の提起を検討するようになってからであるが,本件手術についての説明当時に,ナイダスや流出静脈の摘出を行ったグループの術後成績が悪化しているといった説明を受けていれば,a病院にその詳しい説明を求めたはずである。原告らは,これらの文献の検索をする能力,意欲,入手方法があったのであるから,摘出術に伴う得失を考慮すれば,「摘出した4例とも悪化」と報告されていた,当時,a病院が施行していた摘出術につき同意することは絶対になかった。
⑶ 原告らが本件手術前に説明を受け,同意した内容は,「流入動脈や動脈瘤の焼却,遮断」であり,動脈瘤であろうと,静脈瘤であろうと,摘出術には同意していなかった。動脈瘤があることは本件手術前から説明されていたが,その上で遮断術の選択に合意したのである。動脈瘤の摘出術は,手術前にあった原告X1の脊髄圧迫症状の軽減ということのみが唯一のメリットであるが,剥離操作時に脊髄を傷つける可能性があり,術前の原告X1の症状から考えてもデメリットの方が大きい選択である。
a病院は,術前の説明の際,何らかのものを摘出することは想定していなかったが,被告のいうような,手術中に初めてコイルの詰まった静脈瘤が脊髄を圧迫していることが分かったという事実はない。コイルがどこに詰まっているのか,どの程度の分量が詰まっているのか,どの程度固いのか,どの程度脊髄を圧迫しているのかは,事前に分かる事項であり,摘出術の適応があるのであれば,事前に説明できたはずである。仮に,術前に説明することができなかったとしても,A医師も証言で認めるとおり,術中に説明すること自体はできたのであり,原告X2も本件手術中の事態に備えてa病院内で待機していて,説明を受けて判断することができたのであるから,説明を行う義務があった。
⑷ 鑑定人は,遮断術でも一部を摘出することがあり,遮断術と摘出術の区別は難しいと述べる。しかし,A医師らの発表した論文(証拠<省略>)では,遮断術(interruption)と摘出術(removal)は異なった術式,治療法として論じられていて,それぞれの治療結果も大きく異なっているのであるから,両者は異なる。遮断術は静脈への血流を遮断することにより,膨らんだ静脈や動脈瘤,静脈瘤による脊髄への圧迫,静脈還流の阻害,出血の危険を除去することにある。その遮断の方法として,前述のとおり,単独での塞栓術のほか,単独での観血的遮断術,塞栓術と観血遮断術の併用があり,いずれも遮断術の範疇に属するものである。仮に患部の一部を摘出するとしても,それは動脈側でなければならず,それと,観血的ナイダス又は流出静脈の摘出術とはコンセプトが異なる。
⑸ a病院は,本件手術後の診療録に,「全体を摘出した」と,あたかも脊髄動静脈奇形の全摘出術であるかのような説明を行った旨,記載しているが,これは現在の被告の説明とも,事実とも異なった虚偽の説明である。また,被告は,現在,説明義務違反になりそうになったために,静脈瘤を摘出したと説明しており,これも虚偽の説明である。
⑹ 本件手術は,動脈側についてのみ遮断術を行うこととなっており,静脈の遮断や,ましてや静脈側の何かを摘出することは全く予定されておらず,本件では承諾なく術式の変更があったというべきである。そして,本件手術前の手術内容についての合意は,病院と患者との間の診療契約の目的として選択された治療方法であるから,この合意と異なる別の治療を行うことは許されないのであり,摘出したものが動脈瘤であっても静脈瘤であっても,合意のない危険な手術を行い,後述のとおり症状を悪化させたことは,契約違反であって,債務不履行,不法行為を構成する。
⑺ このように原告X1には,患者として,医師による誠実な説明を聞いた上で,治療機関や治療方法,治療時期を選択する自己決定権があるにもかかわらず,a病院の担当医師らは,それを尊重した説明を行わず,また同意を得ないまま,適応がない術式へと勝手に術式を変更して摘出術を行い,術後にも虚偽の説明を行ったのであるから,自己決定権を尊重しなかったという説明義務違反,合意遵守義務違反がある。
(被告の主張)
⑴ 説明義務の根拠及び程度について
医師の患者に対する説明義務とは,医師が患者に対し,治療をするにあたって,その病状,治療方法,治療に伴う危険等を説明する義務であり,患者の自己の人生への自己決定権の確保するために認められているものと解されるから,医師の診療行為がいかに医療目的を達成できたかなどの医療行為としての相当性と,患者の最終意思決定をいかに尊重しようとしたかの二つの考量を総合して行うべきである。また,手術内容に関する詳細な説明の要否については,患者が手術の意味と危険を認識し,また,当然認識し得べき場合には説明不要ないし簡易な内容の説明で足りると解される。
⑵ 本件手術の術式は術前の説明における術式に含まれること
本件手術においては,当初予定していなかった「摘出」を行った事実はあるが,これは遮断に含まれるから,術式の変更にあたらず,術前の説明どおりの手術が行われたことになるから,説明義務違反はない。
原告らは,原告X2が医師,原告X1が薬剤師の夫婦であり,原告X1の症例については当然理解しており,観血的手術を求めてa病院を訪れていることから,遮断術を行うという説明があれば,詳細な説明がなされていないとしても,本件手術が行われる可能性があることを十分認識したと考えられる。したがって,a病院の医師の説明に「摘出」という言葉がなかったとしても,原告らの遮断術に対する承諾は,摘出を含むものと考えるべきである。鑑定人も,科学論文においては最も頻繁にやった方法を強調して書くわけであり,それに該当しないものは除去するので,遮断とあっても,実際には部分的に摘出を行うことがある旨,供述している。
また,本件手術について詳しい説明を受けた原告らが,静脈瘤を摘出したことについて,説明を受けていないなどと抗議することがなかったことや,本件手術前の時点で摘出術を選択するかしないかを重要視していたことを窺わせる事情がなかったことも,原告らに「摘出術」をあくまでも回避する意思がなかったことを推認させる。
原告らは,塞栓術より進んで,血管の焼灼や切断を行う観血的手術を選択したのであり,これに通常伴う種々の処置については,患者である原告X1が明示的に拒絶しているのでない以上,具体的でない将来の処置の内容まで医師に個別の説明義務はない。仮に,「何らかのものを摘出する可能性」を説明しなかったことが説明義務違反にあたるとすると,医師には,一般に,観血的手術の際に行う可能性がゼロではない処置等の全てについて説明する義務があるということになりかねないが,これは不可能を強いるに等しく,医師が特定の事項の説明をしなかったことが直ちに説明義務違反を構成するものではない。
⑶ 従前の説明における術式の変更があったとしても,説明義務違反,合意遵守義務違反にあたらないこと
仮に,本件手術において静脈瘤を摘出したことが術式の変更にあたるとしても,診療契約の性質に鑑みると,手術の具体的術式に関する医師の説明が,そのまま契約内容となって医師を拘束し,それ以外の術式を採用することが直ちに債務不履行等の評価を受けると解することはできない。前述のとおり,摘出術を実施した判断には必要性・合理性が認められるからである。
第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの静脈瘤が,コイルが一部詰まった状態で脊髄を圧迫していることは,本件手術中に判明したものであり,本件医師団が,原告らに対し,上記静脈瘤の摘出可能性を事前に説明したことを示す証拠はない。しかしながら,鑑定人が「手術開始後に手術方法の変更を説明することは現実的ではない。このような困難な例では,執刀医に臨機応変な術中の対応は委ねられるべきである」との見解を示すとおり,本件手術は,手術開始後に判明した状況に応じた臨機の処置として,摘出という「遮断術」の範疇にある手段を採用したものであり,患者の生命・健康の維持・保護としての治療義務に基づく医師の「裁量権」の範囲内の処置に当たるもので,術中に個々詳細にわたって説明義務を課されるべきものではない。
⑷ したがって,被告の説明義務違反,合意遵守義務違反はない。
4 争点4(経過観察中,第9胸椎レベルにできた動脈瘤の見落としの有無)について
(原告らの主張)
⑴ 被告は,本件手術後の経過観察中,第9胸椎レベルの左第12肋間動脈上の動脈瘤の発生と増大を見逃して,適切な時期に適切な治療をすることを怠った。
a病院は,①平成12年9月26日(a病院入院中)の血管造影画像,②同月28日(同)のMRI画像及び③平成14年3月12日(外来受診時)の同月11日に撮影されたMRI画像診断時の3回,第9胸椎レベルの動脈瘤を発見する機会があった。平成12年9月26日の左第12胸椎肋間動脈の血管造影の検査では,第9胸椎レベルに,平成8年9月9日の血管造影画像にはなかった動脈瘤が描出されており,まだ大きくはなかったが,平成12年9月28日のMRI画像によれば,既に当該動脈瘤が脊髄への相当程度の圧迫を起こしていたことがわかる。また,i外科でMRI撮影を行った平成14年3月11日時点では,原告X1に当該動脈瘤による明らかな自覚的・他覚的症状はなかったが,当該画像によれば,第12胸椎肋間動脈の第9胸椎レベルにある動脈瘤が更に肥大化しており,強く脊髄を圧迫していることが分かる。
⑵ 被告は,平成14年3月11日のi外科の医師の読影レポート(証拠<省略>)に動脈瘤の発達が指摘されていないとするが,原告X1の経過を知らないi外科の放射線科医師が見落としたからといって,原告X1の経過を毎年観察していたB医師の誤診の責任が免責されるわけではない。重要なのは,血管造影との比較や,経時的変化の観察である。
⑶ 鑑定人は,末梢の変化であるので第9胸椎レベルの動脈瘤の発見は難しいと述べたが,この動脈瘤は髄内動静脈奇形の流入血管上にできた動脈瘤であり,決して脊髄動静脈奇形と関係のない血管ではなく,結局はそれを見逃したということである。
また,鑑定人は,症状が出てから治療を検討するとも述べたが,動脈瘤から出血してからでは治療は遅いはずである。実際,原告X1は,平成12年の年末にもクモ膜下出血を起こしてc病院に入院している。原告X1の,平成17年における第9胸椎レベルの動脈瘤は,長径1.5㎝,短径1㎝と,いつ出血してもおかしくない状態であった。
(被告の主張)
⑴ 原告らは,平成8年9月9日と平成12年9月26日の各血管造影から読み取れる第12肋間動脈の変化から,動脈瘤が形成されていることが分かると主張するが,平成12年9月26日の血管造影画像に写っている第12肋間動脈の所見は,通常の動静脈奇形の血管の蛇行によってもみられる,拡張した流入血管の屈曲部であり,これをもって動脈瘤と判断することはできない。同日のDSA(血管造影)読影リポート(証拠<省略>)にも動脈瘤があるとの記載は存在しない。
⑵ 原告らは,平成12年9月28日及び平成14年3月11日に撮影されたMRI画像に動脈瘤が写っているかのように主張するが,平成12年9月28日のMRI画像には,原告らが指摘する部分以外にも黒い部分(無信号領域)が12か所認められ,この中には原告らが指摘する部分より大きなものがある。さらに,平成14年3月11日にi外科で撮影されたMRI画像にも,原告らが指摘する以外に黒い部分(無信号領域)が6か所認められ,この中には原告らが指摘する部分より大きなものもあるが,これらは拡張した血管(流出静脈の一部)と思われ,これらが動脈瘤でないことは,その後の経過からも明らかである。
鑑定人も,第9胸椎レベルの動脈瘤の発見は不可能であるとし,平成14年3月11日のMRI画像を後ろ向きに見ると小さな瘤があるように見えるが,疾患全体のダイナミックな変化の中ではとても小さな病変であって,日常診療の中で異常な変化と捉えることは不可能であるとしている。原告らが指摘する画像(証拠<省略>)は,MRI画像の一部を拡大し強調したものであり,画像全体から正しく判断されなければならない。
⑶ 平成14年3月11日のMRI画像につき,i外科の医師が作成した読影リポートでも,動脈瘤の存在を窺わせるような記載は一切ない(証拠<省略>)。現時点で平成12年9月26日に撮影された血管造影画像及び平成14年3月11日に撮影されたMRI画像を検討しても,血管の蛇行によってもみられる程度のものであり,これをもって,動脈瘤と判断することはできない。
加えて,原告らは,平成14年3月12日時点では,明らかな自覚的・他覚的な症状はなかった旨認めている。
⑷ したがって,第9胸椎レベルの動脈瘤の見落としはない。
5 争点5(因果関係の有無)について
(原告らの主張)
⑴ 本件手術と損害との因果関係
ア 原告X1は,本件手術における適応違反,手術手技上の過失,説明義務違反及び合意遵守義務違反により,次の(ア)~(エ)の損傷を受け,これによって,本件手術部位以下の痙性麻痺,左足位置覚の喪失による歩行困難,首から下全体の深部感覚,位置覚,圧感覚,温・痛覚,触覚などの感覚麻痺,しびれ感,左右の胸背部痛,発汗障害,栄養障害,自律神経障害による血管運動障害,消化管の運動障害による便秘傾向や麻痺性イレウスの発症,膀胱直腸障害などが起きた(以下「第1次的障害」という。)。
そして,次のウ及びエの悪化並びに第9胸椎レベルの動脈瘤の見落としの過失の競合により,対麻痺,歩行不可能で感覚麻痺の進行,会陰部のほぼ全感覚消失,左足の位置覚の消失,両側足の振動覚の消失などが第1次的障害と重畳的に起き,平成17年月10月には対麻痺の症状も固定したものと診断された(以下「第2次的障害」という。)。
(ア) 摘出術の際,手術器具による圧迫などにより,脊髄に直接損傷を受けた。
(イ) 手術器具による第5胸椎レベルの静脈の損傷のために出血し,血腫を形成したことにより,間接的に脊髄に損傷を受けた。
(ウ) 摘出のため何本もの流出静脈を切断されたことにより,脊髄の還流障害(うっ血性脊髄障害)による間接的な脊髄損傷を受けた。
(エ) 摘出術の際,流出静脈の切断により,第7頚椎レベルから髄内動静脈奇形への動静脈短絡の血流が増加したことにより,同部位の動静脈奇形を悪化させた。
イ A医師は,第2胸椎レベルと第5胸椎レベルについて,術前の説明にあった側副流入動脈の慎重な同定と遮断を行わず,説明にはなかった動脈瘤を含む血管塊の剥離を行い,それを摘出するための剥離操作で脊髄の後索を傷つけ,還流静脈の遮断摘出により,脊髄静脈にかかる圧を減少させるどころか,流出路を塞いで,かえって静脈圧を高くする要素を作った。また,B医師らは,第7頚椎レベルについての還流静脈の不適切な遮断を行って還流障害を生じさせた。そして,本件手術で血行動態に変化を来させた結果,原告X1に後遺障害を残させたのである。
また,血管塊の剥離や,血管の焼却,切断の操作や止血作業のために,これらの血管塊や隣接する脊髄が損傷を受けざるをえず,そのために,原告X1には本件手術後から深刻な合併症が生じた。
ウ 原告X1は,本件手術前は,左足の軽い麻痺,体部の部分的な感覚麻痺,左背部痛などがあったものの,支持がなくても歩行が可能であった。原告X1は,自転車にも乗れていたし,本件手術の前年まではテニスもしており,a病院の入院時には単独で必要な荷物を持参し,自宅から高松空港までマニュアルミッションの自動車を運転して行き,千歳空港を経て,札幌市にあるa病院に行けたのである。原告X1の入院時の看護記録にも,日中は支障なく仕事をしており,左膝,足首に力が入りづらいがADL(日常生活動作)に問題なし,と書かれている。
しかし,本件手術の結果,原告X1には,歩行障害,膀胱直腸障害などの重い障害が起きてしまい,術前に比べ明らかに悪化した。被告は,原告X1が平成8年9月21日に「両下肢とも挙上が可能であった」と主張するが,看護記録には「片足ずつ10秒ほど挙上できる。両足でもできるが,すぐおちてしまう。」とあり(証拠<省略>),「左足ポンと挙上していても自覚はないと。痙性もたまに見られる。感覚も日中より変化なし。右大タイも少ししびれあり,全体にOPE後しびれはupしている」と記録されており,挙上は不可能ではなかったが,術前に比べて左足の感覚は明らかに悪化し,術前になかった右大腿部のしびれを訴えていたのであり,病状の一部だけをとりあげて順調に回復していたかのようにいう被告の主張は不適切である。同年10月11日には,歩行器での歩行練習をしたが,左足がもつれて危険な状態であり,同月末ころには手すりを使わずに歩くことができるようになったものの,回復したわけではなく,ふらふらしながら何とか歩けていたにすぎない。これは,筋力の問題ではなく,本件手術による脊髄の神経障害のため,左足の深部知覚を喪失し歩行障害が起きたものである(証拠<省略>に「センソリー(注・知覚)の問題」とある。)。原告X1は,同年11月5日に退院したが,「独歩」とはいっても,夫に杖の代わりをしてもらって,夫の支持がなければ歩行は不可能であって,荷物を持っての歩行は無理であり,病院から千歳空港までタクシーで行き,空港内の移動は車椅子を使用せざるを得なかった。入院前に,経営していた英語スクールのクリスマスパーティにおいて,痙性歩行ではあっても支障なく歩行しているのとは大違いである。到底,正常に歩行できるまで回復したものではなく,原告X1が本件手術により症状が悪化する中,帰宅後の家事,家業への復帰のために一生懸命にリハビリの努力をし,不自由な足を操ってかろうじて歩けるようになっていたにすぎず,本件手術直後の急性期はともかく,退院時の症状が改善したことがない。本件手術前にはなかった膀胱直腸障害,第2胸椎レベル(脊髄レベル)以下の感覚障害も,術後は一度も改善したことはない(証拠<省略>)。
原告X1が平成9年5月26日にa病院を受診した際も,杖は使用しなくとも夫に杖代わりをしてもらっていたし,手すりを使わないと階段の昇降はできなかった。このときも移動は全部タクシーを利用し,空港内の移動は車椅子であった。また,膀胱直腸障害を生じ,尿線が弱く残尿があり,排尿障害から腎不全になるおそれもあり,泌尿器科への紹介状にも「神経因性膀胱」と書かれていた。排便についても,常に便秘であって数日ごとに下剤を使用する必要があり,排便排尿に要する時間は長く,感覚がないために音で確認するなどの状況で,そのため外出も制約されている。
B医師も,本件手術から約21か月である平成10年5月19日,原告X1の状態が「身体障害者2級相当の両下肢機能の著しい障害」であることを証明しており(証拠<省略>),これは術前にはなかった障害であって,本件手術後に生じたものである。
エ 本件手術から約8か月後である平成9年5月26日にi外科で撮影されたMRI画像(証拠<省略>)では,T1強調(なお,ここでいうT1はMRIの撮影方法で,椎体レベルとは異なる。脊髄は灰白色,髄液は黒色に写る。)で白く写った第2胸椎レベルの脊髄実質部分は全く同じスライスのT2強調(同じく,MRIの撮影方法)では白く高輝度に写っており,うっ血性脊髄障害が進行したことを示している。被告は,高輝度に写っているのは髄液であると主張するが,髄液であればT1強調では黒く写っているはずである。
オ 本件手術による血行動態の変化により,平成12年には,第2胸椎レベル,第5胸椎レベルないし第7胸椎の脊髄辺縁部動静脈瘻の再開通が確認された。被告は,平成12年9月の血管造影検査の結果によれば,第3肋間動脈から流入し第2胸椎レベルで脊髄を圧迫する大きな静脈瘤を形成していた脊髄辺縁部動静脈瘻は完全に消失しているのが確認されたとするが,k病院の医師は,同写真から,この時点で第2胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻にも再開通があったと診断している。
カ 原告X1の症状の経緯,原因については,B医師自身,論文において「外科医にとっての外科治療のキーポイントは,AVシャントの遮断時にはDraining Vein(流出静脈)を温存しておくことであり,もし静脈瘤が脊髄を圧迫している場合はそれを凝固して固める」と述べ(証拠<省略>),摘出のため流出静脈を切断したり,還流静脈を傷つけたりしたことが症状悪化の原因であると分析している。同論文における原告X1についての悪化との評価は,本件手術から21か月後のものである。
キ 被告は,左第2~第3胸椎レベル(脊髄レベル)の痛覚検査の結果,平成10年11月には,30~40%分かるとされていたものが,平成14年3月には0%(何も感じない)と悪化していたことを指摘し,この悪化が平成12年末のクモ膜下出血によるものであると主張する。しかし,そもそも原告X1は本件手術前には,左第3胸椎レベル(脊髄レベル)以下の痛覚障害はあったが,左第2胸椎レベルの障害はなく,右上半身においては全く正常であった(証拠<省略>)。それが悪化したのは平成9年5月26日からであって,既にこの時に左は第2胸椎レベル(脊髄レベル)まで悪化し0%となっていて,更に右上半身にも悪化が起こっていることは明白である(証拠<省略>)。被告の主張する平成10年11月の左第2~第3胸椎レベル(脊髄レベル)の所見(証拠<省略>)の30~40%は,たまたまこの時にそうであったというだけであって,平成11年8月24日の所見では平成9年と同様,左第2~第3胸椎レベル(脊髄レベル)は0%である。つまり,このような変化は,本件手術後から起こっていた変化であって,平成12年のクモ膜下出血が原因ではない。また,被告がいうような悪化が平成14年までみられていたとしても,それがうっ血性脊髄障害によるものではなく出血の後遺症であるとは断定はできないし,その出血の原因として,第9胸椎レベルの動脈瘤を見逃すことなどあってはならない。
原告X1は,本件手術前,第2胸椎レベル(脊髄レベル)の痛覚は全く問題なく,左第3胸椎レベル(脊髄レベル)以下の痛覚障害だけであったものが,本件手術から8か月後の痛覚検査(証拠<省略>)では,両側性の感覚障害(麻痺)が出現しており,右半身の痛覚障害の変化をみれば,本件手術後すぐの平成9年以降,年々悪化していることが明らかである。術後1年8か月後の平成10年5月18日には,B医師によって,身体障害者2級と認定されている(証拠<省略>)。これは,平成12年の出血では説明ができず,平成8年の本件手術によるうっ血性脊髄障害などによる進行悪化,及び摘出操作による脊髄後索への直接傷害が関与しているというべきである。
ク 被告は,原告X1の下肢の麻痺の増悪は,手術が不可能な髄内動静脈奇形を原因として発症を繰り返すクモ膜下出血と癒着性クモ膜炎によるものと考えられるとするが,a病院の診療録にはそれを示す検査所見がない。また,原告X1は,本件手術まで10回あまりクモ膜下出血を起こしていたものの,それによる下肢の運動神経麻痺は主として左足の膝から下に限局され,本件手術前のa病院の診断でも,脊髄左後方からの神経圧迫によるブラウンセカール症候群(脊髄半側切断症候群又は脊髄半切症候群。脊髄の右又は左半分が障害されて起こる病態で,障害側の下肢の運動麻痺,触覚・深部知覚麻痺,障害と反対側の温度覚,痛覚麻痺が起こる。)と診断されており,本件手術後に発生した両下肢のしびれ感や,麻痺の増悪,膀胱直腸障害とは異なっているのである。したがって,本件手術後の原告X1の下肢の麻痺等の増悪の原因は,本件手術に起因するものと考えられる。
ケ A医師は,椎弓切除において重大な出血を生じさせたほか,第5胸椎レベルの血管瘤の摘出術を行うに際して手術器具により還流静脈を損傷したために,重大な出血を起こした。本件医師団は,その止血を試みたが,それが不十分であったために,その流出血液により血腫を生じさせ,また,出血の吸引や止血のための圧迫により脊髄の損傷を来した可能性も高く,それらにより原告X1の後遺障害を生じさせた。
コ また,本件手術による血流の変化により,血管壁の弱い部分に急激な圧の負担が加わり,第9胸椎レベルに動脈瘤が生じた。被告は,本件手術と当該動脈瘤の発生は無関係であるとするが,本件手術は第5胸椎レベル,第2胸椎レベル及び第7頚椎レベルすべてにおいて流入血管だけでなく流出静脈も遮断しており,これらの静脈は,脊髄静脈のネットワークで脊髄前方にある髄内動静脈奇形とも繫がっている。したがって,手術部位でないからという理由で,第9胸椎レベルの動脈瘤形成と本件手術が無関係とはいえない。実際に,後述するとおり,本件手術後,第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻から脊髄前方の髄内動静脈奇形への血液の流入の発生が起きている。第9胸椎レベルの動脈瘤は,本件手術の影響で前脊髄の髄内動静脈奇形が増大し,そのため,その流入動脈である第12肋間動脈の血流が増え,当該動脈の最も屈曲した第9胸椎レベルの血管壁(別紙3模式図⑥参照<省略>)に圧力が加わったため発生したのである。
サ 第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻は,B医師が本件手術で正常な静脈である可能性のある血管を処置してしまったことにより,異常血管が髄内にまで延伸するなど,明らかに悪化した。平成8年10月4日の血管造影のレポートには「右椎骨動脈から見られた分節動脈(第7頚椎レベルのAVFの流入動脈)は,術前よりも太くなっており,これが2つに分かれた外側部の動脈が特に太い。またここから見られるAVMの範囲は前回よりも下流まで延長しており,本件手術によって血行動態が変化し,この分節動脈からAVMへ流れる血流が増えたことが示唆される」とあり,第7頚椎レベルの流入動脈を流れる血流が第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻を超えて,さらに髄内動静脈奇形にまで流れ込んでいるということが記載されている(証拠<省略>)。このような急激な流入血流の増加が,流入側の血流を遮断することだけで生じることはあり得ない。これは,本件手術において,術前の説明及び同意(インフォームドコンセント)で予定されていた遮断術を的確に施行せず,流入動脈の同定と遮断をしないまま温存すべき静脈を遮断したことにより,その静脈を経て排出されていた血流が行き場を失って髄内動静脈奇形に向かって流れ込むようになったことが原因である。
さらに,本件手術前には,第7頚椎レベルより上に脊髄辺縁部動静脈瘻はなかったのに,平成12年9月28日のMRI撮影により「第4頚椎レベルより第12胸椎レベルで脊髄周囲に拡張した血管を認める」と,術後4年で頚椎レベルの脊髄動静脈奇形が悪化した。この原因も,本件手術において第7頚椎レベルの流出静脈を遮断したことが原因である。
結局,第7頚椎レベルでも,還流静脈を損傷したことによって血行動態を変化させ,脊髄への圧迫を大きく増悪させたのである。
⑵ 動脈瘤の見落としと損害との因果関係
原告X1は,被告による第9胸椎レベルの動脈瘤の見落としにより,第2の脊髄神経障害(第2次的障害)を負った。この動脈瘤は,脊髄の右前方から脊髄を圧迫していて,摘出されてしまった第2胸椎レベルや第5胸椎レベルの脊髄後方の動脈瘤と違い,右下肢の運動神経への影響が起きやすく,平成17年段階で,脊髄は後方に圧迫され薄くなってしまっている(証拠<省略>)。a病院は,当該動脈瘤がここまで大きくなって右足の麻痺が悪化する前に,病状を原告X1に告げて,治療の必要性や考えられる治療法を説明し,必要に応じて瘤内塞栓術やクリッピングなどで治療を行うべきであった。この動脈瘤は,他の動静脈瘤の中にあるものと異なり,塞栓術の適用があるものであり,また,治療効果も期待できたものであった。
被告は,平成12年9月26日の時点で当該動脈瘤と判断したとしても,同日の時点で治療を行うことは考えがたいとするが,当該動脈瘤が治療できるものであるかどうかに関わらず,原告らに対して治療方法の難しさや今後の治療方針について説明しておく必要がある。発見及び説明がなされていれば,原告らは治療選択の機会があった。現に,原告らは,当該動脈瘤が脊髄の腹側にあり観血的手術は背側よりも困難であること,流入血管が前脊髄動脈であり,うかつにこれ自体を塞栓することが危険なことを承知した上で,k病院において,第12肋間動脈を直接塞栓することのない瘤内塞栓術を選択している。
この点,鑑定人は,平成14年時点で発見した場合,動脈瘤のクリッピングや瘤内塞栓術を検討したりする可能性に言及している。つまり,この時点までにこの部位の動脈瘤に気づき,適切な検査と治療方法の検討や経過観察をしておけば,動脈瘤が平成17年の状態にまで拡大する前に治療を行うことができたはずである。平成14年までに第9胸椎レベルの動脈瘤が発見されていれば,原告X1は,右足の麻痺が極端に悪化した平成17年までの間に治療を受けることができ,身体障害者1級にならずに済んだのである。
(被告の主張)
⑴ 本件手術と損害との因果関係
ア 原告X1は,本件手術前,両下肢に痙性対麻痺(脊髄等の神経組織が障害されたために起こる運動障害である痙性運動麻痺が左右の下肢に対になって起こる病態)が認められ,特に,左下肢については,バビンスキー反射(錐体路と呼ばれる運動神経伝導路の障害で起こる,成人の場合は正常では起こらない病的な反射)及びチャドック反射とも陽性であって,筋萎縮も強く,明らかな歩行障害が認められていた(証拠<省略>)。
原告X1の本件手術後の症状は,本件手術直後においては両下肢の麻痺が一時的に増悪したものの,原告らが主張するような完全麻痺の状態ではなく,本件手術の1か月後には,入院診療録にも記載されているとおり,独歩退院ができるほど回復していた(証拠<省略>)。
原告X1は,平成8年9月21日に,左右差はみられたものの,両下肢とも挙上が可能な状態となり(証拠<省略>),同月24日には,左右差はみられたものの両下肢も挙上保持が可能な状態に(証拠<省略>),同年10月11日には歩行器を使用しながらの歩行が可能となり(証拠<省略>),同月末ころ,病棟内において手すりを使わずに歩行することが可能となった(証拠<省略>)。さらに,同年11月4日,当時研修医であったS医師が筋力検査等を行ったところ,右下肢の筋力は正常,左下肢の筋力は本件手術前に比べわずかに低下したにすぎないものであった(証拠<省略>)。そして,同月5日,原告X1は,入院診療録にも記載されているとおり,独歩により退院した(証拠<省略>)。その後,平成9年5月26日の退院後第1回目の脳神経外科外来における受診に際しては,本件手術前と同様に杖なしで歩行しており,手すりを使って階段の昇降ができ,尿線は弱いながらも自排尿できていた(証拠<省略>)。
本件医師団は,平成8年10月8日,手術後の評価のために,原告X1に対し,脊髄血管造影を行ったところ,第2胸椎レベル及び第7胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻は消失しており,造影されなかったが,左第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻は,側副路において造影されていた(証拠<省略>)。また,原告X1は,平成12年9月25日から同月29日まで,血管造影検査のためにa病院に入院したが,検査結果によれば,第7頚椎レベル及び第5胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻は残存しており,再発を認めたものの,第3肋間動脈から流入し第2胸椎レベルで脊髄を圧迫する大きな静脈瘤を形成していた脊髄辺縁部動静脈瘻は完全に消失しているのが確認された。加えて,平成8年9月4日のMRIと比較して,第2胸椎レベルから第3胸椎の拡張した血管構造は著明に縮小している(証拠<省略>)。
イ 鑑定人も,原告X1の本件手術後の回復状況につき,脊髄の手術をすると,脊髄やその血管を触るため,ほとんどの症例でいったんは悪化するが,本件手術後の症状は順調に改善傾向にあること,介助はあったとしても歩行ができるまで回復しているということは,この疾患の全体像を考えるとすごい回復であると評価している。
また,鑑定人は,本件のように全摘出できない動静脈奇形は,姑息的に流入血管の遮断だけで対応できる易しい疾患ではなく,患者の希望どおり適切に流入血管の遮断が行われていても,新たな流入血管が次から次に現れ,長期的には進行,症状の悪化を来すとしている。したがって,原告X1の現在の症状については,脊髄動静脈奇形という疾患自体に起因するものといえる。
ウ 脊髄動静脈奇形の手術を行う場合には,脊髄への影響は避けられないものであるし,原告X1の後索症状は新たに出現したと思われる。しかし,それは脊髄を後方から手術操作するときに非常に高頻度で生じる合併症であり,回復するものである。
原告X1は,本件手術後,順調に回復しており,もし,原告らの主張するように脊髄が強い損傷を受けたならば,術後1か月半の間にこのような回復がみられるはずはない。鑑定人も,本件手術後の原告X1の症状の原因は,術中の操作による後索障害もあるが,残された髄内の動静脈奇形及び他の動静脈瘻が影響したと考えてよいと述べている。
エ 原告X1は,平成12年12月30日及び平成13年10月にクモ膜下出血を発症して以降,一時は両足とも全く動かず,尿失禁があった(証拠<省略>)。原告X1は,平成12年12月30日にc病院に入院したが,その後,原告X1がa病院で診察を受けたのは,c病院を退院してから1年以上経過した平成14年3月12日のことであり,診察の結果,左下肢のアキレス腱に拘縮がみられ,全身の感覚障害も,平成10年11月には30~40%分かるとされていた温痛覚が0%(何も感じない)と悪化していた。したがって,原告X1が平成12年12月にc病院に入院して以降の症状の悪化の原因は,手術が不可能な髄内動静脈奇形を原因として発症を繰り返すクモ膜下出血の後遺障害あるいは繰り返したクモ膜下出血による癒着性クモ膜炎(脊髄の周囲に癒着を生じ,脊髄表面に血行障害が起き,徐々に神経の麻痺を生じる)による進行性の脊髄障害によるものと推測され,本件手術が原因ではない。
また,原告X1の両下肢の筋力低下の主な原因は,a病院に最後に来院した平成14年3月12日以降,第9胸椎レベルに新たに発生した動脈瘤が脊髄を直接圧迫し,k病院におけるコイル塞栓の治療では脊髄への圧迫が軽減されなかったことによるものであり,本件手術が原因ではない。
オ 原告らは,術前の説明に反して摘出術が行われ,流出静脈を切断したことにより血行動態が悪化したと主張するが,仮に血管の切断による血行動態の変化があるとしても,それがどのような影響を及ぼしたかについて具体性を欠く以上,この点に関する主張は失当である。
カ 「Journal of Neurosurgery」(証拠<省略>)に掲載されているB医師らの論文において,原告X1の運動機能が悪化したとの評価が記載されているのは,脊髄動静脈奇形の症例報告としてではなく,人工塞栓術の効用全体について述べているものであり,また,原告X1に関する記述は,手術直後の回復していない段階でもあったことから,静脈還流の大切さを訴える趣旨で,悪化の原因として流出静脈を損傷した可能性があると記載したものである。本件手術後に原告X1の症状が順調に回復したことをふまえれば,上記記載は誤りであったといわざるを得ない。
キ 原告らは,平成16年末ころから下半身の麻痺と膀胱直腸障害が急速に進行し,その原因は,本件手術によるうっ血性脊髄障害の進行と,第9胸椎レベルの動脈瘤による圧迫の影響であると主張するが,術後8か月目の外来診療までの間に,うっ血性脊髄障害が進行したということはなく(証拠<省略>),原告X1の症状は本件手術後退院するまでの約1か月半の間に改善しており,また,平成11年8月24日のa病院外来時には,杖なしで歩いたり,手すりを使って階段を上り降りできるようになっている。もし,原告X1に,進行性のうっ血があったならば,そのような症状の改善がみられるはずはない。
ク 原告らは,平成9年5月25日に撮影されたMRI画像において,脊髄が高輝度に写っており,うっ血性脊髄障害が進行していることを示しているとするが,MRI画像上,脊髄の像に特異な点はない。高輝度になっているかのように写っているのは,原告X1が側弯症を有するため,MRIで脊髄の矢状断(正中線に平行な断面)を撮影しても,脊髄が曲がっているため,側弯症の上方と下方では脊髄の横の髄液が高輝度に写りうることや,静脈瘤を摘出した後の隙間の髄液が高輝度に写り得ることなどによるものである(証拠<省略>)。したがって,本件手術により,第2胸椎レベルのうっ血性脊髄障害が進行していたとする原告らの主張は,医学的な根拠に基づかないものである。
ケ 原告らは,第9胸椎レベルの動脈瘤は,本件手術により血流が変化し,血管壁の弱い部分に急激な圧の負担が加わったためである可能性が極めて高いとするが,仮に,手術により血管の一部が傷ついて仮性動脈瘤になったのであればともかく,本件手術においては第7頚椎から第7胸椎までの椎弓切除しかしておらず,しかも脊髄背側の処置であり,第9胸椎レベルの動脈瘤が発生した部位は何らの処置もしていないから,失当である。
⑵ 動脈瘤の見落としと損害との因果関係
仮に,平成12年9月26日の時点でこれを動脈瘤と判断したとしても,その時点では脊髄への圧迫がなかったこと,当該部位が脊髄腹側であり観血的手術は極めて困難であること,流入血管が前脊髄動脈という重要な血管であり,塞栓術を行うと前脊髄動脈を遮蔽する危険性が高く,そうなれば脊髄虚血に陥ることなどからすると,同日時点で治療(塞栓術)を行うことは考えがたい。
また,原告X1の両下肢の筋力低下の主な原因は,第9胸椎レベルに新たに発生した動脈瘤が脊髄を直接圧迫したことにあると解されるところ,k病院での塞栓術では動脈瘤にコイルが充塡されることで,動脈瘤が破裂する危険性はなくなるが,そのままの大きさで瘤が脊髄を圧迫し続けることになった。k病院の採った治療方法(塞栓術)がやむ得ないものであったとすれば,原告X1の現在の症状は,残念ながら不可避のものであったといわざるを得ない。
6 争点6(原告らの損害及びその額)について
(原告らの主張)
⑴ 原告X1の後遺障害について
ア 第1次的障害
原告X1は,平成8年11月5日にa病院を退院して自宅へ戻り,同月7日以降,リハビリテーションを続けてきたが,平成16年1月時点で,支持歩行は可能になったものの,手術部位以下の痙性麻痺,左足位置感覚の喪失,首から下全体の感覚麻痺,しびれ感,感覚異常,左右の胸背部痛,膀胱直腸障害がある。これらの後遺障害は,a病院の退院日である平成8年11月5日には,既に症状が固定していた。
この障害は,後遺障害別等級表の6級に相当する。
イ 第2次的障害
原告X1は,平成16年2月4日,k病院に入院して検査を受けた結果,対麻痺となっており,歩行不可能で感覚麻痺も進行し,会陰部のほぼ全感覚消失,位置覚は左足が消失,振動覚は両側足で消失していた。原告X1は,同年6月14日,同病院に再入院して検査したところ,対麻痺は幾分改善したが,感覚障害や膀胱直腸障害は改善がなく,その後対麻痺の幾分かの回復と増悪があり,平成17年10月には対麻痺の症状も固定したものと認められた。そして,原告X1は,平成18年1月16日付けで,障害等級を1級1種とする身体障害者手帳の再交付を受けた。
また,これらの障害に関連する自律神経系の障害,栄養障害,精神的な抑鬱,不安なども起きている。
⑵ 原告X1の損害額
ア 第1次的障害の症状固定までの損害額 508万0153円
(ア) 休業損害 103万0136円
原告X1は,原告X2のb医院の事務長として,従業員である看護師らの採用,労務管理,給与計算やその支払,医院の受付の采配,現金管理,医療費の保険請求手続,薬剤や機械・什器備品の購入と支払,銀行債務の支払と記帳,納税など,事務処理全般を担当してきた。さらに,原告X1は,薬剤師の資格があるので,薬局長として必要な薬剤の購入と管理,調剤,禁忌薬剤の調査等を担当し,原告X2の処方に従って投薬や服薬指導を行っていた。原告X1の仕事量は,事務長としての仕事が2,3割,薬局長の仕事が7,8割であり,このほか,X1家の主婦として家族の世話をしてきた。そして,薬剤師の平成8年当時の年収は,部長クラスだと同700万円から800万円であったところ,原告X1は薬局長の仕事をしていたので,部長クラスと同等であり,平成元年から平成4年6月までの3年半に,平均年収822万8571円を得ていた(証拠<省略>)。
原告X1は,平成4年6月までは上記のとおり事業専従者としての待遇を受けていたが,同年7月21日,b医院の経営に必要な土地,建物,機械,什器備品等をb医院に賃貸する事業や,英会話スクールを経営する有限会社m(以下「m社」という。)を設立して同社の代表取締役となった(証拠<省略>)。原告X1は,m社の設立以降は,従前の事業専従者としての給与に代わり,m社から役員報酬を得るようになったが,m社は原告X1の趣味のような会社であり,英会話スクールからの収益はなかったので,原告X1の役員報酬の原資は,b医院からの賃料であり,原告X1の仕事の内容も,m社設立の前後で変化はなかった。
そこで,上記の経緯に鑑みて,休業損害,逸失利益の計算基礎となる年収は800万円が相当である。なお,これは,原告X1のb医院での稼働による給与を元に計算したものであり,m社の役員報酬(年額800万円を大きく上回る。証拠<省略>)での請求を差し控えたものであって,b医院の収入が増加していたことや,原告X1の主婦分の稼働も考慮すると,控え目の金額である。
したがって,本件手術日である平成8年9月20日から退院日である同年11月5日までの47日間,不適切な本件手術により何らの仕事に就くこともできなかったことについての休業損害額は,次の計算式のとおり,103万0136円となる。
(計算式)年収800万円÷365日×47日=103万0136円
(イ) 入院雑費 7万0500円(1日あたり1500円×47日)
(ウ) 付添等費用 52万1187円
a 原告X1の母であるUが高松空港から飛行機により往復した上で<省略>ホテルに宿泊して看病のための付添をした費用として,付添費1日あたり6000円の22日分である13万2000円と,宿泊料1泊あたり5974円の21泊分である12万5454円の合計32万4254円を要した。
b また,原告X2も交代で付き添っており,交通費,宿泊代金として19万6933円を要した(その一部の領収書として証拠<省略>)。
エ 治療関係費 145万8330円
a 治療費 16万7200円
b 個室料 37万6000円(日額8000円×47日)
c 経過観察中の通院費用 91万5130円
原告X1は,本件手術後の経過観察のため,合計6回(平成9年5月,平成10年5月,同年11月,平成11年8月,平成12年9月及び平成14年3月)にわたりa病院を受診したが,本件手術により通院を余儀なくされたものであるから,経過観察中の通院費用91万5130円も損害に含まれる。なお,これは症状固定後の損害であり,遅延損害金の起算日は,訴状送達日の翌日である平成16年2月19日からとする。
(オ) 慰謝料 200万円
原告X1は,自分の仕事や主婦及び妻としての十分な働きをするため,病状が回復すればとの一心から,わざわざ北海道まで出かけたのに,説明を聞いてもいない本件手術を勝手に施行され,しかも,その予後が悪い中,a病院は本件手術について何らの説明もしなかったため,麻痺などの障害と闘う生活となった。その間の原告X1の精神的苦痛を慰謝するためには,200万円が妥当である。
イ 後遺障害の損害 2億0613万4935円
(ア) 第1次的障害の逸失利益 3809万8880円
原告X1の第1次的障害の逸失利益は,本件手術当時(満37歳)から第2次的障害が固定した平成17年10月(同46歳)までの9年間(ライプニッツ係数7.108)につき,後遺障害等級6級による労働能力喪失率を67%として計算すると,次の計算式のとおり3809万8880円となる。
(計算式)年収800円×67%×7.108=3809万8880円
(イ) 第2次的障害の逸失利益 1億0256万8000円
第2次的障害の逸失利益は,第2次的障害が固定した平成17年10月(同46歳)以降,労働可能年齢である67歳までの21年間(ライプニッツ係数12.821)につき,労働力喪失率を100%として計算すると,次の計算式のとおり1億0256万8000円となる。
(計算式)
年収800万円×100%×12.821=1億0256万8000円
(ウ) 車両購入費 275万円
原告X1は,本件手術の後遺障害により,以前所有していたマニュアルミッションの自動車のクラッチ操作が不可能になり,平成13年2月にオートマチックミッションの自動車を購入せざるを得なくなったので,これも損害に含まれる(証拠<省略>)。
(エ) 移動補助具の購入費用 39万8720円
原告X1は,車椅子(一般用)の費用3万1500円,外出用車椅子の費用7万5000円,医院用車椅子の費用24万6000円,自宅用歩行器の費用9600円,医院用歩行器の費用9800円,シャワーチェアーの費用6220円,杖の費用6600円,褥瘡予防クッションの費用1万4000円の合計39万8720円を要した。
(オ) 自宅改修費用 474万1125円
原告X1は,自宅改修を余儀なくされ,手すり,スロープ,床段差解消,床暖房などの費用325万1850円,手すり追加費用10万7625円,トイレ(医院)改修費用37万9050円,階段昇降機の費用85万2600円,テーブルこたつの費用15万円の合計474万1125円を要した(証拠<省略>)。
(カ) 介護費用 3757万8210円
原告X1は,第1次的障害と第2次的障害によって,下肢の運動機能が全廃となったことにより,主として原告X2の介助を要することになった。原告X2は,b医院を経営しているが,原告X1に薬剤師・事務長として勤務してもらうどころか,逆にその介護が必要となり,極めて大きな負担を負った。そこで,介護費用を1日あたり6000円,年間219万円と評価し,原告X1の第2次的障害の症状固定日における46歳女子の平均余命まで40年に相当するライプニッツ係数17.159を用いて計算すると,介護費用は次の計算式のとおり3757万8210円となる。
(計算式)年間219万円×17.159=3757万8210円
(キ) 後遺障害の慰謝料 2000万円
a病院は,独断で,術前の説明とは全く異なる摘出術を行い,そのことについて真摯に説明せず,今でも強く争っている。原告X1は,本件手術前は支障なく歩行できており,主婦として,家族の幸福のために尽力しながら,家業であるb医院を薬剤師,事務長として万全の支援をしていた。また,趣味の英会話では,m社が経営していたスクールを取り仕切っており,クリスマスパーティのビデオ(証拠<省略>)にあるように明るく楽しい生活を送っており,持病である脊髄動静脈奇形はあったものの,格別の支障のない充実した日常生活を送ってきた。原告X1の,このような本来の人生の価値からすれば,第1次的障害(症状固定以降のもの)及び第2次的障害の慰謝料は少なくとも2000万円であり,この程度の金銭で取り返せるものではない。
ウ 弁護士費用 2100万円
原告X1は本件訴訟を代理人弁護士に委任しているところ,本件訴訟の期間,訴訟活動等に照らすと,弁護士費用として,少なくとも上記アとイの合計額の約1割に相当する2100万円が認められるべきである。
エ 上記合計 2億3221方5088円
よって,原告X1は,被告に対し,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として,上記損害の合計2億3221万5088円及びうち9931万1087円(第1次的障害の損害額から経過観察中の通院費用及び第1次的障害に関する弁護士費用を控除した額)に対する平成8年11月6日から,うち1091万5130円(経過観察中の通院費用91万5130円と第1次的障害に関する弁護士費用1000万円の合計額)に対する訴状送達日の翌日である平成16年2月19日から,うち1億2198万8871円(第2次的障害に関する損害)に対する平成17年11月9日から,各支払済みまで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
⑶ 原告X2の損害額
ア 慰謝料 1000万円
原告X2は,原告X1の第1次的障害により,b医院の経営が影響を受け,精神的にも苦痛を被っており,これを慰謝するには500万円が相当である。また,原告X2が第2次的障害で重度の身体障害となったことにより,重大な精神的,肉体的,経済的苦痛を被っており,これを慰謝するにはさらに500万円が必要である。原告X2は,日常の診療活動が終わると自宅に戻って介護をする生活を長く続けており,これが人生の最後まで続くことになっている。また,本件訴訟においても,原告X2は夫としてだけではなく,医師として医学的知見を蒐集し,膨大な時間と費用をかけて,甲号証を緻密,丁寧かつ徹底的に集中して作成し,期日にも同行し,長期にわたる苦難を受けているのである。
イ 弁護士費用 100万円
上記慰謝料の1割に相当する,第1次的障害分50万円,第2次的障害分50万円の合計100万円が弁護士費用相当額である。
ウ 上記合計 1100万円
よって,原告X2は,被告に対し,主位的に不法行為(民法711条),予備的に債務不履行に基づく損害賠償請求として,上記損害の合計1100万円及びうち第1次的障害の慰謝料500万円に対する第1次的障害の症状固定日の翌日である平成8年11月6日から,うち第2次的障害の慰謝料500万円に対する平成17年11月9日から,うち第1次的障害に関する弁護士費用50万円に対する訴状送達日の翌日である平成16年2月19日から,うち第2次的障害に関する弁護士費用50万円に対する訴え変更の準備書面送達日の翌日である平成18年3月1日から各支払済みまで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
⑴ 原告X1の第1次的障害及びこれに関する損害額の主張については,否認ないし争う。また,原告X1の年収は本件手術後に減少していないから,逸失利益があるとは認められない。a病院退院時に,原告X1の症状が固定していたとの点も否認する。
⑵ 原告X1の第2次的障害については知らず,これによる原告らの損害額については否認ないし争う。
7 争点7(消滅時効の成否)について
(被告の主張)
原告らは,本件手術に関し,不法行為があったとする日(原告X1の第1次的障害の症状が固定したとする日)を,原告X1の退院日である平成8年11月5日としており,同日から平成16年1月7日の本件訴訟提起までには3年以上が経過している。そして,原告は,上記不法行為があったとする日に損害及び加害者を知ったものといえ,被告は前提事実(第2の2⑺)のとおり時効を援用する旨の意思表示を行ったから,仮に,本件手術に関し不法行為に基づく損害賠償請求権が認められるとしても,同請求権は時効により既に消滅している(民法724条前段)。
(原告らの主張)
原告らは,本件手術直後には,実際に手術室の中でどのような手術が行われたかは知らなかった。本件手術後の症状悪化は,手術に伴う合併症であり,リハビリテーションによって回復できるはずのものであると説明され,そのように理解していた。
原告らは,「Journal of Neurosurgery」の1999年(平成11年)4月号を平成14年9月に見て疑問を抱いたことを契機に調査検討を開始し,同年10月ころ,B医師ら被告の医師団が,論文(証拠<省略>)において原告X1の症例を掲載し,同医師が「静脈にダメージを与えた」ことにより症状が術後に悪化したこと,静脈は温存しなければならないと評価していることを知った。そして,原告らは,札幌地方裁判所の平成15年3月18日の証拠保全手続により,診療録や本件ビデオなどを入手して検討し,第1次的障害が被告の責任により生じたものであることを知った。
したがって,原告らの損害賠償請求権について消滅時効が進行するとすれば,証拠保全による検討結果が判明した以降のことであるが,原告らは,その時効完成前である平成16年1月7日に本件訴訟を提起しているから,同請求権の消滅時効は完成していない。
第5当裁判所の判断
1 本件に関する医学的知見
⑴ 脊髄について(証拠<省略>)
ア 脊髄
脊髄(脊髄実質)は,脊柱管の中にある柔らかい乳白色の器官であり,脳と同様,中枢神経である。その長さは,約42~45cm,太さは部位に応じて異なるが,直径約1~1.5cmである。脊髄の役割は,四肢・体幹と脳の間を連絡し,運動,感覚などを伝達することである。脊髄は,水平断面が羽を広げた蝶のような形をした,主に神経細胞からなる灰白質と,その周囲に広がる神経繊維である白質で構成される(以下,単に「灰白質」「白質」という場合は,脊髄のものをいうものとする。)。
イ 白質
白質は,上下の神経の伝導路(神経の通り道)であり,髄節ごとに脊髄の外側(横方向)へ命令や情報を伝達する脊髄神経(白質との接続箇所は前根糸及び後根糸に分かれる)が繫がり,体の特定の部分の運動及び感覚をそれぞれ司っている。白質は,腹側から順に,前索,側索,後索に分けられる。脊髄伝導路は,下行性(運動性)伝導路と上行性(感覚性)伝導路に分けられ,主な伝導路,司る機能及びその方向(体の同側か対側か)は,次のとおりである。
(ア) 下行性伝導路(運動路)
a 前皮質脊髄路 訓練された動き 対側
前索の前正中裂(白質の腹側正面にある切れ込みのような溝)付近に存在する伝導路である。
b 前庭脊髄路 伸筋の緊張 同側
前索のうち,前皮質脊髄路の近くに存在する伝導路である。
c 赤核脊髄路 屈筋の緊張 同側
横索に存在する伝導路である。
d 外側皮質脊髄路 訓練された動き 同側
横索(赤核脊髄路より後索側)に存在する伝導路である。
(イ) 上行性伝導路(知覚路,錐体路)
a 薄束(下肢) 位置覚・触覚 同側
後索に存在する伝導路である。深部知覚を司る。
b 楔状束(上肢) 位置覚・触覚 同側
後索(薄束の近く)に存在する伝導路である。深部知覚を司る。
c 後脊髄小脳路 伸展受容体 同側
横索に存在する伝導路である。
d 外側脊髄視床路 痛覚・温度覚 対側
横索(後脊髄小脳路の近く)に存在する伝導路である。
e 前脊髄視床路 四肢の位置覚 対側
前索に存在する伝導路である。
ウ 脊髄伝導路の障害による症状
脊髄伝導路に障害が起きると,各部位・機能に対応した症状が発生する。
(ア) 一般症状(伝導路ごとの障害)
a 錐体路障害(上位運動ニューロン障害)
障害を受けた側の上下肢の運動障害が起きる。また,深部腱反射の亢進や,バビンスキー反射,チャドック反射が見られる(なお,反射とは,刺激により引き起こされる不随意の筋収縮であり,深部腱反射は腱を叩打した際に起きる反射であって,上腕二頭筋反射,上腕三頭筋反射,橈骨反射,膝蓋反射,アキレス腱反射等がある。ホフマン反射,バビシスキー反射(徴候),チャドック反射(徴候)は,正常では原則としてみられない病的反射である。バビンスキー反射は,錐体路と呼ばれる運動神経伝導路の障害で起こる,成人の場合は正常では起こらない病的反射であり,足底外縁を下から上にこすった際に,母趾が背屈し,他の指が扇状に開くと陽性となる。チャドック反射は,足背で外踝の下から前方に刺激を与えた場合に,母趾が背屈し,他の指が扇状に開くと陽性となる。)。
b 脊髄前角障害
筋萎縮,筋緊張の低下,線維束収縮が起こる。
c 脊髄視床路障害
対側の温度覚の低下が起こる。ただし,触覚は低下しない。
d 脊髄後索障害
同側の下肢あるいは上肢の位置覚,振動覚及び触覚が障害される。位置覚,触覚等が障害されると,手足の筋肉等に異常がない場合であっても,正常な歩行等が不能となる。また,ロンベルク徴候(起立閉眼で立位を保持できない症状)が陽性となる。
(イ) 特殊な症状
a 横断性脊髄症状
外傷,血管障害,腫瘍などの圧迫等により,脊髄が横断性に,すなわち,全部の伝導路が障害された状態である。障害部以下の全ての運動障害及び感覚障害が発生する。
b ブラウンセカール症候群(脊髄半側切断症候群)
脊髄のある髄節の半側が障害された時に生じる症候群であり,①障害髄節に相当する皮節に全感覚障害,障害髄節によって支配される筋萎縮,反射の減弱が出現するとともに,②障害髄節より下の髄節のうち,障害側(上行路のうち同側を司るものが障害されるため)に,中枢性運動麻痺,深部知覚麻痺,腱反射亢進,病的反射が出現し,対側(外側脊髄視床路が障害されるため)に,温度覚・痛覚障害が出現する(医学書院「医学大辞典」(第2版)2466頁も参照)。
⑵ 脊髄血管系について
ア 脊髄動脈系(証拠<省略>)
椎体の前側(腹側)には上下に大動脈が存在し,大動脈から肋間動脈等の分節動脈が分岐し,そこから更に分岐した血管により,椎体,椎弓及び脊髄実質への栄養供給が行われる(脊髄は,上位及び中位頚髄では椎骨動脈により,下位頚髄では深頚動脈及び甲状頚動脈(上行頚動脈)により,胸髄では肋間動脈により,脊髄円錐部では内腸骨動脈により栄養されるなどしているが,以下では,胸髄の動脈系を主に取り上げることがある。)。脊髄実質については,肋間動脈から分岐した脊椎枝が椎体と椎弓の間の椎間孔から脊柱管(椎体と椎弓の間にある,脊髄実質等が存在する部位)内に入り,神経線維の前根糸に沿う形で前根動脈が,後根糸に沿う形で後根動脈が脊椎枝から分岐し,前脊髄動脈及び後脊髄動脈(Posterior spinal artery)に繫がり,脊髄実質周囲にも動脈のネットワークが形成されている。ただし,脊椎枝は,前脊髄動脈及び後脊髄動脈に繫がらずに脊柱管内に入るまでに終わるものも多い。
脊髄実質は,1本の前脊髄動脈と複数の後脊髄動脈によって栄養される。前脊髄動脈は,前正中裂に沿って下行し,後脊髄動脈は,両側の後外側溝に沿って脊髄を縦走するが,後脊髄動脈は脊髄後背側に網目状の血管網として存在することも多く,また,前脊髄動脈とも細い動脈を通じて繫がり,脊髄軟膜動脈叢と呼ばれるネットワークを形成している。
脊髄実質は,前脊髄動脈から脊髄実質内へと分岐する中心動脈及び溝交連動脈により,脊髄断面の腹側3分の2(脊髄視床路及び両側皮質脊髄路を含む)が栄養され,脊髄表面の動脈網から放射状に分布する細動脈が主に脊髄断面の背側3分の1を栄養している。血流動態の観点からすると,胸髄(胸椎)レベルは,他の部位と比較して虚血に対して脆弱であると考えられている。
イ 脊髄静脈系(証拠<省略>)
脊髄静脈は,基本的に動脈に沿って存在する。脊髄内部でも主に灰白質にある内脊髄静脈叢からの血液は,中心管の両側を縦走する中心静脈に流入し,前正中裂を通じて軟膜静脈叢へ流入する。白質と灰白質後部からの主な血液は,放射状に脊髄表面に向かい,直接,軟膜静脈叢へ流入する。軟膜静脈叢からの血液は,脊髄を取り巻く冠状静脈叢も介しながら,前外脊髄静脈及び後外脊髄静脈へ入り,さらに,根静脈(前根静脈,後根静脈)から流出し,肋間静脈,腰静脈等の分節静脈を経て,下大静脈等へ還流する。
前脊髄静脈,後脊髄静脈及び後外側脊髄静脈は,脊髄実質の表面付近に存在し,これらは互いに吻合し,非常に入り組んだネットワークとなっている。通常の静脈には血液の逆流を防止する弁が存在するが,脊髄の静脈には逆流防止の弁構造が存在しない。
⑶ 脊髄動静脈奇形について
ア 分類(証拠<省略>)
(ア) 分類法
脊髄動静脈奇形は,比較的みられる脳内の動静脈奇形と異なり,原発性脊髄腫瘍性病変に対して数%を占めるにすぎない極めて稀な疾患であり,小児から中高年までの幅広い年齢層に発症し,臨床症状は急性発症から慢性進行型まで多彩である。脊髄動静脈奇形は,動静脈短絡の生じる部位等に応じて分類され,①髄内動静脈奇形,②脊髄辺縁部動静脈瘻,③脊髄硬膜動静脈瘻や脊髄硬膜外動静脈瘻に分類されることが多いが,その分類法は多彩であり,その時代に応じて変遷がみられる。また,若年性に生じるものを,若年型動静脈奇形ということもある。
(イ) 髄内動静脈奇形
髄内動静脈奇形は,動静脈短絡が髄内にある脊髄動静脈奇形である。髄内動静脈奇形は,動静脈短絡の発生状況に応じ,髄内限局(glomus)型と,髄内外進展(juvenile)型に細分されることもある。
髄内動静脈奇形は,主に前脊髄動脈を介して中心動脈から栄養されることが多いが,後脊髄動脈からも栄養され,通常は複数の血管が流入血管となっている。流出静脈も複数である。
髄内動静脈奇形の好発部位は限定されておらず,髄内に一様であり,小児から若年成人に発症することが多い。髄内動静脈奇形においては,動静脈短絡周辺に脊髄があるため,動脈瘤や静脈瘤を生じることは稀であるとされる。臨床経過は,比較的緩徐であるが,急激に悪化することもある。出血は稀であるが,出血時は,髄内出血やクモ膜下出血により,急激に症状が悪化することがある。特に,髄内出血が起きると重篤な症状を呈する。
(ウ) 脊髄辺縁部動静脈瘻
脊髄辺縁部動静脈瘻は,動静脈短絡が脊髄表面にある脊髄動静脈奇形であり,髄内動静脈奇形と同様,硬膜内の脊髄動静脈奇形である。脊髄辺縁部動静脈瘻は,1本の小さな流入血管のみから血流を受ける小病変から,複数の流入血管を持ち流出静脈の著明な拡張を伴う大病変まで様々であり,治療法も異なるので,①流入動脈が単一で動静脈短絡も1箇所であり,小さな動静脈短絡を有するタイプ(以下「タイプ①」という。),②流入動脈が複数で,動静脈短絡は1箇所あるいは複数であり,中等度の動静脈短絡を有するタイプ(以下「タイプ②」という。),③流入動脈が複数で大きな径を有し,血流も早く,動静脈短絡も複数であるタイプ(以下「タイプ③」という。)に細分されることもある。
脊髄辺縁部動静脈瘻は,後脊髄動脈あるいは前脊髄動脈からの脊髄辺縁部(脊髄表面の軟膜)への小動脈により栄養されることが多い。
脊髄辺縁部動静脈瘻は,髄内動静脈奇形や脊髄硬膜動静脈瘻と比較すると稀であり,下位胸椎から腰椎に発生することが多い。臨床的には,20~40歳代の成人に発症することが多く,多くは静脈還流障害による急性進行性脊髄障害を呈し,動脈瘤あるいは静脈瘤の合併が多く,クモ膜下出血を発症する例も少なくない。
(エ) 脊髄硬膜動静脈瘻及び脊髄硬膜外動静脈瘻
脊髄硬膜動静脈瘻は,動静脈短絡が脊髄硬膜の琴面にある脊髄動静脈奇形であり,脊髄硬膜外動静脈瘻は,動静脈短絡が脊髄硬膜外にある脊髄動静脈奇形である(以下,脊髄硬膜外動静脈瘻については,脊髄硬膜動静脈奇形とぼぼ同様のものとして説明を省略することがある。)。脊髄硬膜動静脈瘻は,根動脈あるいは硬膜動脈により栄養される。
脊髄硬膜動静脈瘻は,下部胸椎から腰椎に発生することが多く,臨床的には中高年男性に好発し,腰背部痛に始まり,慢性進行性の脊髄障害を呈し,下肢の筋力低下が主要な初期症状であることが多い。膀胱直腸障害は,初期症状としては稀であり,症状の進行に伴って徐々に出現することが多い。出血等による急性悪化は稀とされる。脊髄硬膜動静脈瘻の成因には,脊椎手術や,外傷等の後天的要素が強いとされる。
イ 脊髄症状の機序,原因(証拠<省略>)
脊髄動静脈奇形においては,次の事象等により,脊髄の伝導路等が障害され,下肢等の麻痺,しびれ,排尿排便障害等の脊髄症状を呈する。
(ア) うっ血性脊髄障害
正常の動脈血圧は100~140mmHg,静脈血圧は20mmHg程度であるところ,動静脈奇形は,動脈と静脈が毛細血管を介さずに異常血管で直接繫がった血管形成異常であるため,静脈に高い圧力がかかる。そのため,脊髄から毛細血管を経て正常の静脈に戻る血流の流れが悪くなり,脊髄の栄養障害を引き起こす。
(イ) 脊髄の圧迫
動脈は,平滑筋が密で弾性板もあり丈夫であるのに対し,静脈は,血管壁に平滑筋が疎であり,さらに細静脈では内皮細胞しかないため,動脈圧のような高い圧力に耐えられるようにできていない。そのため,動脈圧が動静脈奇形により慢性的にかかった静脈は次第に太くなり,一部については静脈瘤になるなどして脊髄を圧迫し,これによる脊髄症状を引き起こす。ただし,脊髄は,外部からの長期的圧迫には比較的強いとされる。
(ウ) 出血
静脈が破綻し,出血部位に応じ,クモ膜下出血,髄内出血等を起こすこともある。出血により,脊髄内の圧力が急速に亢進するなどして,脊髄障害を引き起こす。
ウ 動静脈短絡及びその周囲の血管(証拠<省略>)
前記のとおり,脊髄実質の表面付近における脊髄動脈系は,前脊髄動脈と後脊髄動脈との間の脊髄軟膜動脈叢などのネットワークが形成されており,脊髄静脈系も,前脊髄静脈,後脊髄静脈及び後外側脊髄静脈などが脊髄実質の表面付近に存在し,これらは互いに吻合し,非常に入り組んだネットワークを形成している。そのため,脊髄辺縁部動静脈瘻等における流入動脈は複数存在することが多く,流出静脈も複数存在することが多い。また,ネットワーク構造のため,動静脈短絡からの血流と,毛細血管からの正常な静脈血の双方が,複数の静脈を経て還流することが多いとされる。
動静脈短絡への流入動脈及び流出静脈は,血管造影においては主たるものが濃く造影されるが,上記のとおり動静脈短絡には複数の流入動脈及び流出静脈が存在し,主たるもの以外にも側副血行路が存在し,その中には血管造影に写らないものも存在することがある。
エ 治療法(証拠<省略>)
(ア) 手術の種類
本件手術当時における脊髄動静脈奇形の治療法には,塞栓術,観血的手術(予め塞栓術をするなどの併用を含む)及び放射線治療が存在していた。
塞栓術は,カテーテルを鼡径部の動脈から挿入して,脊髄動静脈奇形の流入血管に,PVA,コイル,NBCA(Nonbutyl cyanoacrylate。液体状の塞栓子。)等の塞栓子を詰める血管内手術である。塞栓術には,基本的に非観血的手術であるため侵襲が比較的少なく,病変部の同定も容易であるなどの利点があるが,流入血管にカテーテルをうまく挿入できないなどの原因で動静脈短絡のみへの血流の遮断ができず,正常な血管を閉塞する可能性や,血管が裂ける可能性などの欠点が存在する。特に,前脊髄動脈が動静脈短絡への流入血管である場合の塞栓術は,前脊髄動脈が脊髄の前側3分の2を栄養しているため,危険性が高い。また,塞栓術には,血流の再開通の可能性も存在する。
観血的手術は,脊髄ないしその付近を切開した上で,脊髄動静脈奇形の流入血管を凝固したり,動静脈短絡を遮断,切除等する外科的手術である。観血的手術には,流入血管や動静脈短絡そのものを確認できる場合には,それらを凝固又は遮断できるため,完治率が高いという利点があるが,手術手技自体が侵襲的であることや,脊髄の表面に多数の血管が拡張している症例では病変部の同定が困難であるなどの欠点がある。観血的手術においては,血流の低下等を目的として塞栓術が併用されることがあるが,塞栓術により動静脈短絡への主流入血管を遮断しても,時間の経過とともに側副血行路を介した血流量が増加することもあるため,観血的手術に先立って行う塞栓術のタイミングも重要であるとされる。
脊髄動静脈奇形の治療において,根治に至らない姑息的療法は,一時的な症状の改善は得られてもいずれは再発し,再発例では病変が複雑な形式になって治療がより困難となるため,原則的には選択しない方が良いとされる。また,脊髄動脈系は,各分節に多数の起始部を有することから,術前と同じ分節動脈からの血管造影上の消失は,必ずしも治癒を意味しないとされる。
(イ) 脊髄動静脈奇形の種類に応じた治療法
a 髄内動静脈奇形
髄内動静脈奇形の場合,脊髄実質の中に動静脈短絡が存在するため,観血的な手術による治療は侵襲が高く,極めて困難である。また,髄内動静脈奇形は,前脊髄動脈から中心動脈を介して栄養されることが多いが,前脊髄動脈は脊髄の前側約3分の2を栄養しているため,これを遮断すると永久的な麻痺が生じる。そこで,髄内動静脈奇形の治療については,通常は,塞栓術により,前脊髄動脈を閉塞せずに動静脈短絡への流入量を抑える術式が適応となる。
b 脊髄辺縁部動静脈瘻脊髄辺縁部動静脈瘻については,観血的手術での治療,塞栓術による治療,ないし,これらの併用による治療が適応となる。ただし,前脊髄動脈が栄養血管である場合は,これを遮断すると麻痺が発生するため,観血的手術で特定部位に絞って処置を行うのが一般的である。
脊髄辺縁部動静脈瘻では,軟膜上に血管造影でも写らない細動脈の側副血行路があり,主流入動脈を遮断しても側副血行路がバイパスとなるので,塞栓術が無意味となる場合もある。特に,タイプ②及びタイプ③の脊髄辺縁部動静脈瘻では,動静脈短絡の部位自体が大きく膨らんで破裂の危険があることも多く,また,そこだけの摘出では再発の危険性もあるため,動静脈短絡のみならず,その前後の流入動脈及び流出静脈の処置が必要となる。
c 脊髄硬膜動静脈瘻及び脊髄硬膜外動静脈瘻
脊髄硬膜動静脈瘻及び脊髄硬膜外動静脈瘻の治療方針は,国内でも意見が分かれており,観血的手術で治療を行う場合と,塞栓術による治療,ないし,これの併用による治療が適応となる。本件手術当時のa病院では,その患者の多くが高齢であったことから,塞栓術を第一の選択とし,それで不完全に終わった場合や,同じ所から脊髄そのものへの栄養血管が出た場合に観血的手術を行うことが多かった。
オ 血管造影検査(証拠<省略>)
脊髄動静脈奇形の診断等にあたっては,血管造影検査等が行われる。血管造影検査は,カテーテルを挿入した上で目的の動脈に造影剤を流して,造影された血管の写真を高速度で連続撮影する検査である。血流により,最初の時間の写真ほど動脈が濃染され(動脈相),時間の経過とともに造影される部分は下流側に移動していく。
カ 脊髄動静脈奇形の観血的手術時に用いる主な機材等(証拠<省略>)
(ア) ドップラー
ドップラーは,器具先端のプローべから超音波を出して,血液中の赤血球に跳ね返る音波を計測し,血流の方向を判定する機械である。赤血球がプローベに近づく場合や,離れる場合には,ドップラー現象により周波数が異なるので,血流方向が判明する。ただし,ドップラーだけでは動脈や静脈の区別は判別できず,それらを区別するためには,動静脈短絡等との位置関係を把握する必要がある。
(イ) テンポラリークリップ
テンポラリークリップは,血管を挟むことにより血行を遮断する器具である。血行を一時的に遮断することにより,その下流の血管が縮小するため,脊髄動静脈奇形の手術においては,動静脈短絡への流入血管の同定等にも用いられる。
(ウ) ビオボンド
生体接着剤。本件手術当時は使用されていたが,血管毒性及び神経毒性があるため,現在は使用中止となっている。
(エ) MAP
輸血用の濃厚赤血球。なお,MAP1単位は,全血200ミリリットル分の赤血球(130ないし140ミリリットル)に相当する。
2 認定の前提となる原告X1の主な診療経過等
⑴ a病院受診までの主な経緯(第2の2⑷の前提事実)
ア 昭和49年ころ(中学3年時,当時15歳)
急な頭痛や背部痛があり,クモ膜下出血とされたが,手足の動きには異常はなく,その当時は様子をみていた。
イ 昭和51年ころ(高校2年時,当時17歳)
突然の頭痛,背部痛,嘔吐,項部硬直,左手の運動障害があり,クモ膜下出血とされ,c病院において脊髄動静脈奇形と診断されたが,手術は不能とされた。
ウ 昭和52年ころ(高校3年時)
過去のクモ膜下出血と同様の症状があり,同病院に約1か月入院した。
エ 大学在学中
d病院で検査を受けたが,ここでも手術は不能とされた。大学4年時(当時21歳)も脊髄出血がみられた。
オ 昭和57年(当時23歳)(証拠<省略>)
e病院で塞栓術を2度受けた。しかし,その後,血流の再開通が確認された。なお,塞栓した部位は不明である。
カ 平成7年12月10日時点での原告X1の身体動作状況(証拠<省略>)
平成7年12月10日に行われたm社・イングリッシュ・スクールのクリスマス会においては,原告X1は,支持なしで歩行するだけでなく,中腰の姿勢での写真撮影や荷物整理,しゃがんだり立ったりする動作等が可能であった。
キ 平成8年1月
平成7年6月にクモ膜下出血があり,神経症状の悪化があったため,平成8年1月,塞栓術を目的として,<省略>県のf病院外来を受診した。
ク 平成8年6月13日ころ(証拠<省略>)
平成8年4月,f病院での入院検査の結果,同病院の塞栓術は困難とされ,同年6月13日ころ,<省略>県のg病院に行き,血管内治療の国内最高権威と言われていた,同病院のJ医師の診察を受けた。検討の結果,観血的手術の実施が可能かもしれないとして,当時,脊髄動静脈奇形の観血的手術において,国内一,二位を争う実績があったa病院を紹介された。
J医師の,a病院のB医師に当てた紹介状(証拠<省略>)には,診断(または問題点)として,複雑な血管奇形であり,脊髄辺縁部動静脈瘻の疑いがあること,上位胸髄のものは脊髄辺縁部動静脈瘻ではないかと考えていること,第9胸椎レベルには硬膜外を還流するタイプの脊髄硬膜動静脈瘻がみられること,塞栓術に続いて手術が可能なものかどうか検討願うなどと記載されていた。また,検査・治療所見として,下位頚髄の小さなものは髄内動静脈奇形の可能性は否定できないように思うが,別途考えるしかないと思うこと,もし手術が可能であれば,タイミングの問題もあるので,塞栓術をa病院でお願いしたいなどと記載されていた。
⑵ a病院における,本件塞栓術までの診療経過等
ア 平成8年7月11日(脳神経外科外来を受診)(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
輸血検査,脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) 主訴
歩行障害,左足の動きが悪い,背部痛
(ウ) 現病歴
中学3年生の時に,急に頭痛及び背部痛があったが,手足の動きは全く何ともなかった。高校2年生の運動時に,頭痛,背部痛,左手の動きが悪いこと,しびれ等があり,c病院において,脊髄動静脈奇形といわれる。高校3年生の時も同様な症状があり,同病院に一時入院した。大学のとき,d病院へ検査入院し,大学4年(21歳)の時も出血がみられ,23歳の時に,e病院に入院し人工塞栓術を受けた。昨年(平成7年)の6月にも同様の症状があり,左足の動きが少しずつ悪くなっている。排尿,排便障害は自覚的にはない。
(エ) 神経学的所見
下肢バレー徴候(腹臥位において両下肢が接しないように両膝関節を45度に曲げた場合,肢位を保持できない場合は,異常所見として陽性となる)陽性,左下肢の筋萎縮が認められた。深部腱反射では,左側のバビンスキー反射及びチャドック反射が陽性であった。また,左側での片足起立はできず,歩行は痙性歩行であった。
神経学的陽性所見は,①痙性対麻痺,②ブラウンセカール型の脊髄障害,③歩行障害であった。
(オ) 血管造影所見
複雑なタイプの脊髄動静脈奇形であり,①右椎骨動脈からの後脊髄動脈を介しての第7頚椎レベルの脊髄背側に小さな脊髄辺縁部動静脈瘻が,②左椎骨動脈及び左甲状頚動脈より脊髄硬膜動静脈瘻(?(ママ))が,③左第2,第4肋間動脈より前脊髄動脈を介して,第1胸椎レベル前方に静脈瘤あるいは動脈瘤を伴う脊髄辺縁部動静脈瘻が,④右第9肋間動脈より脊髄硬膜動静脈瘻がみられる。
(カ) 脊髄髄節知覚支配域検査所見
a 痛覚
左半身については,第3胸椎レベル(注・脊髄髄節知覚支配域については,第2の2⑵の前提事実のとおり,いずれも脊髄レベルで表記する。)から第10胸椎レベルまでに痛覚低下の痛覚障害があり,第3胸椎レベルから第8胸椎レベルでは痛覚がほぼ消失し,左下肢は痛覚過敏(正常の120%)であった。右半身については,膝から下に痛覚障害が存在し,正常の60~70%であった。
b 触覚
左半身については,第3胸椎レベルから下(足先まで)に触覚低下の触覚障害がみられ,第7,8胸椎レベル付近では触覚がほぼ消失しており,その他の部位も正常の約0~30%であった。右半身については,大腿から膝付近までに,触覚低下の触覚障害があり,正常の60%であった。
イ 平成8年7月22日及び同月29日(原告X1のファックス等)(証拠<省略>)
原告X1は,B医師に対し,平成8年7月22日,血管造影検査や,手術の時期がいつごろであるのか,また,航空券の予約のため,入院予定日がいつになるのかを知らせて欲しいとのファックスを送信した。これに対し,B医師は,同月29日,入院予定日が同年9月2日であること,総回診及び神経放射線カンファレンスで検討の上,血管造影を再度施行し,同月9日の神経放射線カンファレンスで放射線科と治療方針について相談の上,早ければその週に手術を行うこと,ただし,塞栓術が必要な場合には術前にもう少し時間を要する見込みである旨回答した。
ウ 平成8年9月2日(1回目の入院)(証拠<省略>)
原告X1は,a病院での1回目の入院として,平成8年9月2日から同年11月5日まで入院した。同年9月2日の診療内容等は,概要,次のとおりであった。
(ア) 検査・処置
脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) 診察
歩くのは何mも歩くが,少しつまずきやすい。昨年(平成7年)まではテニスをしていた。同日,入院した。
(ウ) 所見
継ぎ足歩行:なんとかOK。膀胱障害:自覚的には(-)。
(エ) 脊髄髄節知覚支配域検査所見
痛覚及び触覚については,同年7月11日の検査と概ね同様であった。なお,触覚検査については,左半身のT6付近の触覚が0%であり,その上下も50~60%程度であり,左下肢の触覚は30~50%であった。
(オ) 看護記録
看護記録(証拠<省略>)に記載されていた原告X1の疾病の受け止めについては「脊髄AVMで動脈or静脈瘤がある。エンボリ後opeできるかもときいて,opeしにきた。エンボリ(注・塞栓術を施行)しても又開通する恐れがあるので,全部摘出した方がよいときいている。何年かかけて3回位opeが必要だときいている。」と記載されていた。また,原告X1の性格・理解力・印象等については,インテリジェンスが高く,かなり動静脈奇形のことを勉強している印象があるとのことであった。また,ADL(日常生活動作)は全く問題なく,手術については1回で施行するのは困難である旨を主治医から話されているとのことであった。
(カ) 入院時合併症
原告X1は,側弯症(脊椎変形)を併発していた。
エ 平成8年9月3日(証拠<省略>)
午前から左頚部ないし頭部にかけて頭痛があったため,念のためCT撮影検査が行われた。
(ア) 検査・処置
呼吸機能検査,胸脊髄レントゲン検査,脳CT検査
(イ) 脳CT検査所見
脳室は軽度拡大していたが,脳溝は正常大であり,脳実質にも異常なく,頭蓋内に出血の所見は認められない。
オ 平成8年9月4日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
頚椎から第7胸椎レベルまでのMRI撮影検査を受けた。
(イ) 所見
第7頚椎レベル/第1胸椎レベル以下で脊柱管内に拡張した血管による陰影(無信号効果)があり,脊髄動静脈奇形として矛盾しない。第1胸椎レベルから第2胸椎レベルでは,脊髄が右側に偏位しており,静脈瘤と思われる無信号域が脊髄左側に認められる。脊髄内にもT1強調画像で低い,T2強調画像で高い異常信号域がみられるが,明らかな脊髄の腫大はなく,髄内動静脈奇形の可能性は低く,脊髄辺縁部動静脈瘻あるいは脊髄硬膜動静脈瘻の可能性が高いと思われる。
(ウ) 看護記録
左下肢全体にしびれあり。右下肢は膝から下にしびれがあり,温感覚(-)であるが,冷感覚はある。左腹部感覚なし。左肘関節は,原因不明だが固縮しており,屈曲困難となっている。また,原告X1は同年11月中旬まで休暇を取得しているが,今回の治療後,再入院するのは仕事が忙しく無理であるとのことであった。
カ 平成8年9月5日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
第1胸椎レベルから第1腰椎レベルまでの矢状断面及び第1胸椎レベルから第10胸椎レベルの横断面のMRI撮影検査を受けた。
(イ) 所見
中位胸椎レベルで脊髄は脊柱管内右側に偏在しており,左側に凸の側弯症が疑われる。全胸椎レベルで,脊髄周囲に拡張した血管による無信号域が認められるが,第1胸椎レベルから第7胸椎レベルで強く拡張した血管が認められる。脊髄の腫大は伴っておらず,髄内動静脈奇形の可能性は低く,脊髄辺縁部動静脈瘻あるいは脊髄硬膜動静脈瘻の可能性が高いと思われる。
キ 平成8年9月9日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
血管造影検査を受けた(以下,同日の血管造影画像を「平成8年9月9日の血管造影画像」という。証拠<省略>)。
(イ) 血管造影検査所見
a 第7頚椎レベルで脊髄の後方に脊髄辺縁部動静脈瘻があり,非常に細い動脈が右椎骨動脈の第6,7頚椎レベルの分節動脈から出て2本に分かれ,このAVFに繫がっている。この脊髄辺縁部動静脈瘻に関しては,動脈が細すぎるため,塞栓術は不可能である。
b 左椎骨動脈及び左第12肋間動脈から第1胸椎レベルから第7胸椎レベルまで続く前正中裂に長く連続する異常な拡張血管を示す。おそらく,髄内動静脈奇形と言って良い病態がみられる。この動静脈奇形のあるレベルでは,脊髄の前方に太い静脈が走行し,肋間動脈及び奇静脈に繫がっている。第1胸椎レベルから第7胸椎レベルまでの前正中裂にあるものに関しては,前脊髄動脈が関与しており,塞栓術はリスクが高すぎると思われる。
c 第2胸椎レベルには脊髄辺縁部動静脈瘻があり,これは左第3胸椎レベルの肋間動脈が繫がっており,この肋間動脈から第3,4胸椎レベルの椎間孔から硬膜内に入り,上行する蛇行動脈がみられ,ここに動脈瘤と思われる拡張がある。
d 第5,6胸椎レベルに動静脈短絡を持つと思われる脊髄辺縁部動静脈瘻が左第7肋間動脈から描出される。この肋間動脈の硬膜内への枝が硬膜を貫く部分で大きな動脈瘤が見られ,更に上行する途中にも小さな動脈瘤が見られる。径が突然変わる部分には動静脈絡部位の静脈瘤と思われる不整な拡張した血管が見られる。c及びdの二つの脊髄辺縁部動静脈瘻に関しては,NBCAによる塞栓が可能であるが,蛇行と途中の動脈瘤があり,困難が予想される上,リスクも少ないものの存在する。
e 第9胸椎レベルの右椎間孔レベルに動静脈短絡を持つ脊髄硬膜外動静脈瘻があり,これは左第9胸椎レベルの肋間動脈から描出され,奇静脈に繫がる。これに関しては,塞栓が可能であるが,病状改善にどれだけ関与するかは不明である。
f 左第10肋間動脈は拡張蛇行が激しく,途中に動脈瘤様に拡張した部分も見られるが,動静脈短絡はみられず,AVMやAVFの関与はない。
ク 平成8年9月12日(本件塞栓術の術前説明)(証拠<省略>)
放射線医師(C医師も同席)により,本件塞栓術の術前説明が行われた。
その概要は,次のとおりであった。なお,原告X1は,常に医学用語を用いて医者の話を繰り返し,納得していた状況であり,塞栓子の材質にも相当こだわっていた。
(ア) 原告X1の脊髄動静脈奇形のうち,①症状の出ていないものが2か所(注・上記キa及びe),②治療すると麻痺が現れるものが1か所(注・上記キb),③現在の症状を出しているものが2か所(注・上記キc及びd)あり,③の2か所を塞栓する予定である。
(イ) 第2胸椎レベルから第3胸椎レベルの血管にはヘアピンカーブがあり,カテーテル等を通すのが難しい。第4,5,7胸椎レベルには,途中に動脈瘤があり,ワイヤーなどでここらを突き破るとクモ膜下出血となってしまい,状況により手術が必要になる可能性がある。
(ウ) 塞栓により出血のリスクを減少させ,手術(本件手術)をやり易くすることが本件塞栓術の目的である。
(エ) 塞栓により,下肢麻痺,出血,感染の合併症の危険がある。
ケ 平成8年9月13日(証拠<省略>)
a病院整形外科から,脳神経外科のP医師に宛てた文書によると,原告X1は,第3胸椎レベルから第8胸椎レベルに30度,第8胸椎レベルから第2腰椎レベルに20度の側弯症が認められるが,現時点ではその治療の必要性はないとのことであった。
コ 平成8年9月17日(証拠<省略>)
本件塞栓術当日及びその後の流れ(点滴を1週間程度要すること等)の説明が,一通り詳細に行われた。
サ a病院の症例検討(証拠<省略>)
本件手術前に,原告X1の治療方針を検討した「症例報告」と題する書面(以下「本件症例報告」という。証拠<省略>)が作成された。その詳細な作成日付は不明であるが,その記載内容からすると,同月9日の血管造影検査後から同月18日の本件塞栓術の間に作成されたものと認められる。ただし,本件症例報告に記載された治療方針が,本件手術時の治療方針と同一であるかについては,本件症例報告だけでは判然としない。
本件症例報告には,原告X1には①後側の脊髄辺縁部動静脈瘻,②前側の脊髄辺縁部又は髄内動静脈奇形,③脊髄硬膜動静脈瘻の3つがあり,病歴と現在の神経所見から考えて,今回は後脊髄動脈系の動脈瘤及び動静脈短絡による症状が主であるため,同月18日に同部の塞栓術を行い,血流を減少させ,同月20日に第7頚椎レベルから第7胸椎レベルの椎弓切除により外科的遮断(surgical interruption)を行うのが最善と思われること,前脊髄動脈系及び脊髄硬膜動静脈瘻に関しては,今回の術後の神経症状,血管造影等の所見を再検討し,治療方針(観血的手術,塞栓術,放射線治療等)を決定したいと考えること等が記載されていた。
⑶ 本件塞栓術の実施(平成8年9月18日)(証拠<省略>)
ア 原告X1は,午前9時すぎころから午後1時ころにかけて,第5胸椎レベルの患部③及び第2胸椎レベルの患部②の脊髄動静脈奇形につき,流入動脈に塞栓物質を注入して動静脈奇形への血流を遮断し,肥大化や破裂を防止することを目的として,血管内手術による塞栓術(本件塞栓術)の施行を受けた。本件塞栓術の術者はQ医師であり,左第3胸椎レベル付近及び左第7胸椎レベル付近の血管造影の下に塞栓術が施行された。なお,第7頚椎レベルの患部①については,脊髄動静脈奇形への流入血管が細かったため,塞栓術は施行されなかった。
イ 本件塞栓術では,局所麻酔の下,左大腿動脈に6フレンチ(注・太さの単位)のシース(注・カテーテル等を挿入するための管)を置き,親カテーテルを左第7肋間動脈まで進め,ここからトラッカー325.135㎝を挿入した。そして,Q医師が「最初の動脈瘤」と認識していた血管瘤の位置まで先端を進め,リキッドコイル118のストレート2㎝を2本,ストレート5cmを1本,ストレート5cmを1本,ストレート10㎝を3本,へリカル径2.8mmのヘリカル2.2㎝を7本,同2.8mmのヘリカル5㎝を2本用いて塞栓し,さらにPVA420~590μを加えて塞栓を行った。
続けて,左第3肋間動脈にカテーテルを挿入し,「動脈瘤」であると認識していた血管瘤まで先端を進め,リキッドコイル118等での塞栓を行った。使用したコイルは,ストレート2cmが7本,ストレート5㎝が4本,ヘリカル径2.8mmのヘリカル5cmが3本であった。次に,ファストラッカーから塞栓物質であるPVA420~590μで塞栓しようとしたが,カテーテルが詰まるので,親カテーテルからPVAで塞栓を行った。
なお,第3胸椎レベルでの塞栓術前にキシロカイン20ミリグラムを動注し,麻痺の出現をチェックしたが,麻痺は出現せず,原告X1の状態に特に変化はなかった。
ウ 本件塞栓術により,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの脊髄動静脈奇形への流入血管の血流量は著明に減少した。また,本件塞栓術後,原告X1には足のつっぱりが現れたが,本件塞栓術前と比較して,他に神経学的に問題となる所見は現れなかった。
⑷ 本件手術についての術前説明等(平成8年9月19日)
ア 看護記録に記載された術前説明の内容(証拠<省略>)
原告らは,本件医師団から,平成8年9月19日,本件手術についての術前説明を受けた。当該説明について,看護記録に記載された内容は,次のとおりであった(改行は一部省略)。
「Prof,BDr,チーフ,PDr→Pt,夫へMT(注・A医師,B医師,C医師,P医師が,患者(原告X1),夫(原告X2)に説明を行った)
動静脈奇形
脊髄の前と後から異常血管
前はひじょうに入りくんでいるため手をつけず,後ろのみ
Th 3から入っていくのと,Th7から上の方のものとをopeする
A瘤(注・動脈瘤)もありますネ
すぐopeするという方法もありますが,まず血管つめて血流量へらしopeにむかう
足のつっぱりが少しでてしまった様ですが,あれ程の症状ですんだのなら大成功といっていいでしょう
前のAVMは前脊髄A(注・前脊髄動脈)が関与しており 髄内に病変あること多い
前脊髄A かなり脊髄を栄養しているので
安全第1で今回は前はさわらず後ろのみのopeしようと思う
細かいフィーダーはきちんと焼いて,AVMが縮小する様にしてこようと思う
ope後再びangio(注・血管造影)して後ろの評価し,その後Ra(注・放射線治療)も検討している
Raはねらいうちできるので しんしょう(注・侵襲)少なくてすむ
とりあえず今回のopeでうしろを焼いてどれ程のAVM縮小が期待できるかはハッキリしないが50%程はちぢんでほしいと思う。
Pt 後ろからのopeで今出ているN(注・神経)症状が改善されるのか
Dr.たぶん改善は期待できる
無理をしない範囲でなるべく効果ある様に,何度もopeしなくていいように行なってこようと思っている。
Pt 後ろの血管やくことで症状↓しないのか?
Dr.後脊髄Aは後索の1/3の栄養しているので たぶんそれ程えいきょうは少ない
前は2/3栄養しており,やいたりして栄養いかない危険をおかす方が症状↓してしまう。
Pt 後ろをやくことで前が悪化するということは?
Dr.急激にということはないと思うので2~3年で評価していく
将来慎重にみていく
今までにラプチャー(注・破裂による出血。原告X1の場合はクモ膜下出血。)9~ 10×(注・回)程ある様だが,それ程すごい症状出していないので小さなものだし,脊髄の中(注・髄内出血)だともっとマヒでたりすごいことになっていたと思う。
C7にも小さな所見ある
エンボリはむずかしいのでopeで流入血管やいてきます
C7~Th 7までのラミネク(注・椎弓切除)予定
Thは肋骨もあるのでとること大丈夫と思う。
足の感覚が1時悪くなると思います。
Pt どれ程で回復してきますか
Dr.何ともいえません
脊髄のはれによるものならすぐだし,焼いたことでNへの支障ならしばらくかかる。
Pt 歩行はいつくらいから可能となるのか
Dr.N症状によってもだが,1W(注・1週間)内には歩ける様になるだろう。
Pt 前を残しておくことでラプチャーするきけん残しておくということ
Dr.A瘤あるのも流量UPしているのも後ろなので,まずは後ろをやってみて考えていきましょう」
イ 患者連絡表に記載された術前説明の概要(証拠<省略>)
上記術前説明については,原告X1が薬剤師であり,知識豊かであるため,処置に対しての説明を詳細に行う必要があった。原告X1は,手術により,下肢の感覚が一時的に低下する恐れはあるが,動静脈奇形を50%位縮小することを目的とする手術という理解で,手術に同意した。
ウ 検査・処置(証拠<省略>)
同日,胸椎のレントゲン検査が行われた。
⑸ 本件手術の実施(平成8年9月20日)
ア 執刀担当者等(証拠<省略>)
本件手術の主な執刀担当者は,皮膚切開開始から椎弓切除の途中までがB医師(当時,a病院助手),椎弓切除の後半から第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術までがA医師(当時,a病院病院長),第7頚椎レベルの手術がB医師であった。なお,B医師は,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術においてもA医師の助手を務めている。また,Q医師も本件手術に同席し,血管の同定等につき意見を述べている。その他,本件手術においては,ドップラーによる血流方向の測定を行ったV医師,写真撮影等を担当したC医師,麻酔を担当したW医師,その他医師が同席していた,なお,原告X1は,証拠<省略>生まれであり,本件手術当時37歳であった。
イ 皮膚及び筋肉等切開,椎弓切除まで(証拠<省略>)
(ア) 平成8年9月20日午前9時ころ,全身麻酔が開始された。本件手術は,腹臥位の状態で行われた。皮膚切開開始から,椎弓切除までの術者はB医師であり,椎弓切除の途中から,A医師が執刀を担当した。
本件ビデオ1巻0時間1分ころ(午前10時20分ころ),第6頚椎レベルから第7胸椎レベルまでの背中の皮膚切開が行われ,その後,レーザー照射も用いながら椎弓までの切開がなされた(なお,本件ビデオに録画されている事項の時刻については,本件ビデオテープの巻数及び再生時間で示す。以下,同じ。)。筋肉には異常血管が多く,血流が多かったため出血量も比較的多く,午後0時40分ころには出血を少なくするため低血圧麻酔が開始され,午後1時20分ころには輸血が開始された。
本件ビデオ1巻0時間23分ころ,椎弓切除が開始された。椎弓切除は第7頚椎レベルから第7胸椎レベルまで実施されたが,広範囲であったため,午後2時30分ころまで要した。
(イ) 本件医師団の間では,本件ビデオ1巻1時間20分ころ,「思ったより出血してない?」「すごい出るんで,全部開けられるだろうか?」などの会話がなされ,同1時間46分ころ,A医師に対し,手術の状況として「エピドラ(注・硬膜外)T7」「クモ膜の多分,外だと思うんですけれど。アンギオ(注・血管造影)に写っていない部分ですね。ものすごいバリックス(注・静脈瘤)がごろんとある。」「まだ,あの,最後の椎弓取ってないです。ものすごい大,出血がものすごくてですね。」「マッスル(注・筋肉)からも,ものすごく出血した。」などと説明がなされた。
本件ビデオ2巻0時間47分ころ,原告X1の輸血用血液として,B型のMAP(濃厚赤血球)5単位及びFFP(新鮮凍結血漿)を追加準備するよう指示が出された。
ウ 硬膜及びクモ膜の切開(証拠<省略>)
椎弓切除後,A医師執刀の下に,硬膜及びクモ膜の切開が行われた。
本件ビデオ2巻1時間20分ころ,第5胸椎レベル付近から硬膜切開が開始され,第7頚椎レベル付近から第7胸椎レベルの硬膜が切開され,手術用糸で固定された。この段階ではクモ膜等がまだ存在していたが,クモ膜を通じて,第5胸椎レベル等に存在する後述の血管瘤の存在を本件ビデオ画面上でも確認できるようになった。当該硬膜切開は,同1時間29分ころに終了した。
同1時間35分ころ,第5胸椎レベルないし第6胸椎レベル付近のクモ膜の切開が開始され,第7頚椎レベル付近から第7胸椎レベルのクモ膜が切開された。当該クモ膜切開は,同1時間51分ころに終了した。
エ 第5胸椎レベル及びその付近の手術(証拠<省略>)
引き続き,A医師執刀の下に,第5胸椎レベル及びその付近の手術が行われた。
(ア) 第5胸椎レベルでは,本件ビデオ画面の左側(原告X1の頭側。なお,本件ビデオ画面は,右側が原告X1の足側,下側が原告X1の左側,上側が原告X1の右側に相当する。以下,血管等の位置関係については,本件ビデオ画面中の上下左右をいうものとする。)に白っぽい血管瘤(以下「第5胸椎レベルの血管瘤①」という。)が存在し,その右側にも表面に窪みのある血管瘤(以下「第5胸椎レベルの血管瘤②」という。)が存在していた。また,第6胸椎レベル付近においても,第5胸椎レベルの血管瘤①や第5胸椎レベルの血管瘤②よりは小さいが,同様に白っぽい血管瘤が存在していた(以下「第6胸椎レベルの血管瘤」という。)。第5胸椎レベルの血管瘤②と第6胸椎レベルの血管瘤との間に相当する部位には,コイルの詰まった白っぽい血管(以下「血管①」という。)と,その下側の赤い血管(以下「血管②」という。)が存在していた。第5胸椎レベルの血管瘤①と第5胸椎レベルの血管瘤②の間付近に相当する部位には,概ね上下に赤い血管(以下「血管③」という。)が存在し,第5胸椎レベルの血管瘤②の上部にも,左右に赤い血管が存在していた(以下「血管④」という。)。なお,上記血管には,剥離作業の途中で確認されたものもある。
本件ビデオ2巻1時間56分ころ,Q医師は,「T5にある動脈瘤の」「大体頭側あたりにシャント部位がありそうだと思うんですけれど。」と説明した。また,Q医師は,同1時間57分ころ,「T2のやつ,にも動脈瘤ありますよね。そのやつは,それの右あたりが(注・シャント部位として)怪しいと僕は思うんです」と説明した。これに対し,「ちよっと待って下さい。上の話はちょっと待って。」との発言や,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②付近を指しながら「T5のこの辺だね。」との確認質問がなされ,Q医師の「T5の頭側です。」との回答があり,これに対して「丁度,これ詰まっている辺りだな。問題の所は。」という発言がなされた。
同1時間58分ころ,同0時間47分ころに注文した輸血用血液が未だに到着していなかったため,「もう血液がないんですよ。」などと,輸血用血液の追加準備依頼が再度なされた。
本件ビデオ3巻の冒頭ころから,第5胸椎レベル及びその付近の血管の剥離等が繰り返し行われた。Q医師は,本件ビデオ3巻0時間10分ころ,「その動脈瘤のある周りは剥離できないですかね?」と質問し,これに対して,第5胸椎レベルの血管瘤①ないし同②付近を指しながら「ここですね?ええ,できますよ。」との回答があり,剥離作業が行われた。同0時間12分ころ,「これを見たいんでしょう?」との発言があり,Q医師は「ええ。その周りに多分,シャントがあると思うんですけど。みんな血管が太いのが集まってきてますから。」などと発言した。
Q医師は,同0時間13分ころ,「ベインは最後まで残しておいて,その,血栓化した動脈瘤(注・第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②)を,こう~縮めちゃうってのどうですか?」と提案し,これに対し,「いや,ちょっと待ってよ~。ベインって事は,この周りがベインでしょう?」との発言があった。Q医師は,続けて,「ベイン焼いちゃうとシャントが分かんなくなって来ちゃうと思うんで。」と発言し,これに対し,血管④などを指しながら,「ベインってのは,この,この事でしょう?」との発言があり,Q医師の「ええ,そうです。」との回答に続けて,「そうなんですけども~。」との発言があり,第5胸椎レベルの血管瘤①等の剥離作業がハサミやバイポーラ等を用いて行われた。なお,剥離作業においては,以下で記載した血管以外にも複数の血管が剥離,遮断されている。
上記剥離作業の継続中の同0時間19分ころ,第5胸椎レベルの血管瘤①の左側に,概ね左右方向に存在する白い血管(以下「血管⑤」という。)が発見され,血流方向をドップラーで測定した結果,「ベインだ。」「(注・血流が)向こう行ってんだ。ということは,これは温存した方がいいな。」との発言がなされた。
同0時間25分ころ,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②の下方(原告X1の体の左側)の一部剥離がなされた。
同0時間26分ころ,血管③につき,ドップラーの測定がなされ,「これは向かってます。」との結果が報告された。Q医師は,当該測定結果を踏まえ,「だからそれをたどっていくと,シャントじゃないですかね。」と発言した。
同0時間29分ころ,第5胸椎レベルの血管瘤②右側の一部剥離がなされ,同0時間30分ころに血管①が確認され,Q医師の「あ,コイルが見えます。」との発言に続けて,「見えますね。これが動脈で,こう入って。」などとの発言がなされた。また,血管②等につき,「これが静脈で,これも静脈でしょう?」「静脈でしょうね。」などの会話がなされた。また,同0時間33分ころ,「どっちか1本,切っていかない?」などの発言がなされた。
同0時間39分ころ,血管②につき,ドップラーの測定により,「ほとんど触れません。」との結果が報告され,血管④を示して「これだけだ,大事なのは。」などの会話がなされた。
同0時間41分ころ,「向こうを切って,これを生かそう。な?」「そして,下のマス取ろう。」などの発言がなされ,第5胸椎レベルの血管瘤①の上方の一部剥離作業が行われた。
同0時間44分ころ,血管②につき,「役に立ってないよな?よし。これ,流れ,ないから切りますよ~。」などの会話がなされた後,血管②が焼かれ,同0時間45分ころ,ハサミで血管②が切断された。
同0時間45分ころ,血管①等の奥(腹側)に,平らになった太い血管(以下「血管⑥」という。)が発見された。同0時間46分ころ,血管⑥につきドップラーの測定がなされた後,「なんかこういうフラットな静脈ありますね。ですから,この正面のこれ(注・血管④)要らないんじゃないかな~。」「このマスが~。取りたいんですよ。あの~,左から圧迫してますからね。ですから,ここが入っている所,ず~っとこれ,ず~っと確認して,この静脈に入る所で切れば。この静脈は外から血液が還流して入りますのでね。」などの発言がなされ,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②を摘出することが検討され,Q医師も最終的には「じゃあ…これ,僕がオペしている訳じゃないですから。」と述べた。その後,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②の上や,その裏側の剥離作業が行われた。
同1時間0分ころ,「切りますか~,ね。しょうがないもんな~。」との発言とともに血管④がバイポーラで焼かれ,同1時間1分ころ,ハサミで切断された。上記切断前の時点で,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②は概ね裏返った状態となっており,血管④が第5胸椎レベルの血管瘤②の裏側に繫がっていることが窺える。
同1時間5分ころ,血管⑤につき,ドップラーで測定した結果,「離れていってます。」「逃げてますね。」「これと,あの奥の太い静脈は何とか残せばいいんじゃないかな。」との会話がなされた。
同1時間14分ころ,第5胸椎レベルの血管瘤②と周辺組織の剥離作業のためバイポーラの先端を閉じたり広げたりしていたところ,血管⑥ないしその付近の血管に穴が開き(以下「本件出血部位」という。),頻繁に血液の吸引を要する出血が起きた。本件出血部位については,その周囲をバイポーラでつまんで焼くことによる止血が試みられたものの,出血は止まらず,止血のためゼルフォームを上から当てて押さえる措置がなされた。
同1時間24分ころ,第5胸椎レベルの血管瘤①の左にあった血管⑤につき,「問題はこれなんだよ。」「これ切りますよ。」との発言がなされ,血管⑤が上下をバイポーラで挟まれて焼却され,ハサミで切断された。
血管⑤の焼却中に,その下側(腹側)に細い血管(以下「血管⑦」という。)が発見され,同1時間26分ころの「切るしかないだろうね~。」「だって取れないもん。」などの発言の後,ハサミ等でその切断がなされた。ただし,この血管につき,「ドレイナー」であるとの発言がなされているかは,本件ビデオ上は不明瞭である。
同1時間28分ころ,コイルの詰まった血管①を残して,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びにそれに付随する血管の一部が脊髄から剥離された。
同1時間29分ころ,本件出血部位上に当てていたゼルフォームを除去したところ,流れ出るように再び出血したため,頻繁に血液の吸引が行われ,再度,ゼルフォームが上から当てられた。
同1時間31分ころ,上記「マス」に繫がっていた血管①につき,「ここで焼いちゃおうか,縛って。先生,これ切ってもいいですか?」との質問がなされ,Q医師は,これに対し,「どうぞ,どうぞ,構いませんよ。」と回答した。同1時間33分ころ,「ナイダス持ってて」などの発言とともに大部分剥離された血管塊(第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びその周辺の血管)が持ち上げられ,結紮糸で血管①が縛られた後,中に入ったコイルごと血管①が切断され,当該血管塊が摘出された。同1時間36分ころ,切断後の血管①につき,はみ出たコイルの一部抜去とバイポーラによる焼却が行われた。その後,第6胸椎レベルないし第7胸椎レベルの血管の一部につきドップラーの測定がなされ,第6胸椎レベル付近の血管の小さな瘤状のふくらみや,その他の血管の一部がバイポーラで焼かれた。
なお,第5胸椎レベルにおいては,血管の同定のためテンポラリークリップが用いられることはなかった。また,ゼルフォームが再度詰められた本件出血部位の最終的な止血措置は,後で行われることとなった。
(イ) 手術室看護記録(証拠<省略>)によると,午後4時30分ころに,「1ヶ所AVM切除」を行ったとのことであった。
オ 第2胸椎レベルにおける手術について(証拠<省略>)引き続き,A医師執刀の下に,第2胸椎レベルの手術が行われた。
(ア) 本件ビデオ3巻1時間39分ころ,第2胸椎レベルの手術が開始され,クモ膜の切開がなされた。
同1時間43分ころ,表面の血管を分けるなどしたところ,それらの裏側にコイルが詰まっている血管(以下「血管⑧」という。)が発見され,Q医師は,「詰まってますよ。」「アーテリー側は。」などと発言した。その後,周辺の血管につきドップラーによる測定がなされた。
同1時間44分ころ,血管⑧の下(原告X1の左側)の血管(以下「血管⑨」という。)につき,ドップラーによる血流方向の測定がなされ,「向かってま~す。」「これ,ドレイナーだな。」との会話がなされた。
同1時間50分ころ,「マス入っている所で切って,できればこれ,取りますか?」との発言がなされた。また,「AVシャントにはコイルはもう詰まってるんですか?」との質問がなされ,Q医師は「いや,それは詰まってないと思いますよ。詰まってたら,ベインが多分コラプスする(注・つぶれる,collapse)だろうし。」「どっちかっていうと右,その大きな,あの~動脈瘤みたいなのがあるんですね。」「それの右側だと思うんです。縦長の,上下に長い動脈瘤があって,それの右側あたりにあるんじゃない?」などと説明した。
同1時間53分ころ,Q医師は,「結構大きい動脈瘤に対して出してるやつが,これなんです。この中にコイル,ずぼずぼっと入っている。だから,ここが動脈瘤のある所で。」「で,少し下へ下がって,この辺ですね。これが,この辺りがシャントじゃないですかね。」などと説明し,「要するに,コイルがある塊の,この奥ってことだね?」との問いに対しては「まだディスタル(注・遠位)。」と回答し,「この下ってことだよね。」との問いに対しては,「そうですね。」と回答した。なお,血管⑧や血管⑨の左には,コイルの詰まった血管瘤(以下「第2胸椎レベルの血管瘤」という。)が存在していた。
本件ビデオ4巻0時間4分ころ,第2胸椎レベルの血管瘤につき,「ここちょうど詰まっちゃってるよ,先生。」「さっきみたいに剥離できればいいがな~。」との発言がなされた。
同0時間5分ころ,コイルが詰まっていた血管⑧につき「これがフィーダーでしょう?」との発言がなされ,バイポーラで焼かれた後,同0時間8分ころ,ハサミで切断された。その後,切断された血管⑧の裏側に白い血管(以下「血管⑩」という。)が発見され,「それコイル入ってます?」「これが入ってんの?そんなことないか。これ入ってないよ。血栓化しちゃってるよ。」「これ,ドレイナーの起始部でしょう?」との会話がなされた。
同0時間10分ころ,血管⑩につき,「これはフィーダーですね。」との発言がなされ,同0時間11分ころ,「ハサミください。」との発言の後,血管⑩がハサミにより切断された。
同0時間13分ころ,血管⑨がバイポーラで焼かれた後,ハサミにより切断された。
同0時間15分ころ,血管⑩の裏側に,太い白色の血管(以下「血管⑪」という。)が現れた。血管⑪についても,「Q先生ね。今,やってるところがなんか,ドレイナーだと思うんですよ。もう太くて,あの,もう,血栓化してますよね。」との発言とともに,バイポーラで焼かれ,ハサミにより切断された。
その後も,第2胸椎レベルの血管瘤の摘出作業が継続され,周辺組織からの剥離等が行われた。同0時間30分ころ,「見えないの,ここが。」と,バイポーラを広げて周辺組織を押し上げた際に,脊髄実質(後索)表面付近の血管から出血し,「離せ!」「ちょっと見せろよ。その出血してるところ。」などの発言とともに,当該部分がバイポーラで焼かれた。
同0時間36分ころに,第2胸椎レベルの血管瘤の剥離が終了し,同血管塊と繫がっていたために,あるいは癒着していたために,本件手術により切断された周辺血管とともに,その塊が摘出された。なお,第2胸椎レベルの手術においても,血管の同定のためにテンポラリークリップは使われていない。
(イ) 手術室看護記録(証拠<省略>)によると,午後5時ころに「2ヶ所硬く剥離困難」という状況であり,午後6時ころに「2ヶ所摘出」とのことであった。
カ 第7頚椎レベルの手術前になされた本件出血部位に関する会話(証拠<省略>)本件ビデオ4巻0時間40分ころ,A医師が手術室を退室し,B医師が執刀を交代した。
同0時間42分ころ,第5胸椎レベルの本件出血部位につき,「止血をがっちりしないと,先生。」「Tの5,流れたままですからね。」「ゼルフォームを当てて。」「あ~,お祈りしよ。」などの会話に続けて,ぱんぱんという手拍子が打たれた。
キ 第7頚椎レベルにおける手術について(証拠<省略>)
B医師執刀の下に,第7頚椎レベルの手術が行われた。
(ア) 本件ビデオ4巻0時間44分ころから,第7頚椎レベルの硬膜が,予め切開されていた部位より更に左側(頭側)に切開され,手術用糸で固定された。同0時間47分ころから第7頚椎レベルのクモ膜切開,剥離等が開始された。
第7頚椎レベルの血管については,塞栓術が施行されていなかったため,多くの血管が赤く怒張していた。第7頚椎レベルでは,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術と異なり,血管の同定のため,テンポラリークリップが3回ほど用いられた。また,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術と同様,ドップラーによる血流方向の測定も度々行われた。
同0時間57分ころ,脊髄辺縁部動静脈瘻への流入血管を探す趣旨の会話がなされ,消息子(血管等の組織の様子,消息を探るための器具)等も用いながら,血管の探索が行われた。
同1時間11分ころ,「そのベインをたどって5ミリぐらい,水平になった所,5ミリぐらい上ですかね。シャンティングポイントは。」「ここはもう。ちょうどここで,ここがナイダス。」との会話がなされた。
同1時間39分ころ,バイポーラで血管を焼却したところ,怒張していた血管が収縮し,同1時間46分ころ,「なんか急にね~,なんか小さくなったぞ。」「しゅるって(注・縮んで)きたぞ~。やっぱり,これが本命やったんだわ~。」などの会話がなされた。
同1時間49分ころ,「これは全部ドレイナーだな。」「方向で決まっているから,これもう焼き切っちゃえばいいんだよ。表面のやつ。」などの会話がなされ,続けて同1時間50分ころ,「このもじゃもじゃね。全部焼いちゃおか。」などの会話がなされた。
同1時間57分ころ,第7頚椎レベルの手術が終了した。
(イ) 手術室看護記録(証拠<省略>)によると,午後6時50分ころに「3ヶ所テンポラリークリップ使用」とのことであり,午後7時ころに「上部焼却し摘出はせず」とのことであった。
ク 本件出血部位に関する会話(証拠<省略>)
本件ビデオ4巻1時間57分ころ,出血が継続していた第5胸椎レベルの本件出血部位につき,「ビオボンド下さい。」との発言がなされ,同2時間1分ころ,同部位に当てられていたゼルフォームの上からビオボンドが塗られた。なお,本件ビデオの録画終了後も,本件手術は続行された。
ケ 手術終了(証拠<省略>)
午後7時45分ころ,硬膜がゴアテックスシートにより閉鎖され,午後8時ころに閉創縫合がなされ,午後9時28分ころ,本件手術が終了した。本件手術における輸血量は約780ミリリットル,出血量は約1110ミリリットルであった。また,午前10時30分ころから午後3時半ころにかけての血中ヘモグロビン値の推移は,10.9,9.1,9.6,11.0,10.7g/dlであった。なお,本件手術後の出血の排出のため,硬膜外ドレナージが設置された。
コ 手術直後の身体状況(証拠<省略>)
原告X1は,午後10時5分ころに手術室を退室し,午後10時10分ころに帰室した。午後10時15分ころには,胸部から下の全部位につき感覚障害がみられた。バイタルサインは正常であり,上肢挙上や触覚も正常であったが,下肢については,重だるさ強く,少し膝立てするがずり落ちる状況であった。
サ 原告X2に対する術後説明(証拠<省略>)
原告X2は,本件手術当日,a病院の手術室外で待機していた。本件手術後,B医師から原告X2に対し,本件手術内容の説明がなされた。
その概要は,予定どおり手術を進めていったが,筋肉の血管自体が怒張しており椎弓にたどり着くのが大変であったこと,第7頚椎レベルから第7胸椎レベルの椎弓切除を行い,第7胸椎レベルの硬膜外に大きな瘤があったこと,硬膜内は第2胸椎レベルに癒着があり,他(第8胸椎レベル)にも大きな瘤があり,脊髄全体が右側に圧迫されていたこと,本件塞栓術はうまくいっており,コイルも見えたこと,瘤の癒着がひどく,剥離が大変であり,脊髄自体も傷んでいると思うこと,全体をとってきており,上の方の瘤もとってきたこと,脊髄の圧迫が長年あったので,脊髄の戻りはみられなかったこと,長い手術であったので,左足の動きが心配であったが,少し動いていること,出血の問題については,しつこく出血しているので様子をみること等であった。また,原告X2の質問とそれに対する回答の概要は,次のとおりであった。
「夫:とる時に神経を傷つけた可能性あるのか。影響はどうなのか。
Dr:多少はあると思う。
夫:経過をみてみないと思います。出血は多いのか。
Dr:出血しました。6単位使っています。」
⑹ 本件手術後,1回目の退院までの経緯
ア 平成8年9月21日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
胸部レントゲン検査
(イ) 身体動作
a 夜勤看護時
下肢は徐々に改善し,午前6時には片足ずつ10秒ほど挙上できる。両足でもできるが,すぐに落ちてしまう。左右差は(-)。
しびれは,左下肢,右下肢(膝から下)は元々であるが,右大腿も少しあった。
b 日勤看護時
左下肢挙上保持OK(午前中には傷痛のため保持できなかった)
右下肢挙上OKも,保持は傷痛のためできない。
左右どちらも50㎝くらいの高さまで,片足ずつ行っている。しびれについては,手術後,変化なし。
c 準夜勤看護時
バイタルサイン問題なし。上脚,下肢挙上OK。右足はしっかりできるが,左足はポンと挙上しても自覚はない。痙性もたまにみられ,感覚も日中より変化なし。右大腿部もしびれ感あり,全体に手術後,しびれ感は悪化している。
イ 平成8年9月22日(証拠<省略>)
上肢,下肢の挙上OK。左下肢痙性がみられ,両下肢伸展位をとっていても,患者(原告X1)の自覚はない。腰から下の感覚鈍麻あり。しびれはなし。また,本件手術後から排便はなかった。
ウ 平成8年9月23日(証拠<省略>)
(ア) 夜勤看護時
右臀部にぶさ変わらず。知覚は足指1指しか分からず。位置覚も母指は正答するが,他は誤答あり。
(イ) 日勤看護時
硬膜外ドレナージ抜去。
脇腹に触られると嫌な感じが残る。下肢は触っているのは分かるが,足指は第1指と第5指のみ分かる。両足の挙上はOK。
(ウ) 準夜勤看護時
両足同時にはできないが,片足ずつの挙上はOK。しびれ,変化なし。
エ 平成8年9月24日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) 身体動作等
日勤看護時,両下肢は右>左で挙上保持OK。顔の感覚を10とすると,右が3~4,左が2~3とのことであった。脇腹から腹部にかけて,嫌な感じがあった。本日も排便なし。
オ 平成8年9月25日(証拠<省略>)
端坐位(ベッドの端に両下肢を垂らして腰掛ける姿勢)はOK。夕方は,看護師が片手で背中を支える必要あるが,それでも10分頑張った。午前9時に排便あり。準夜勤看護時も知覚に変化なし。
カ 平成8年9月26日(証拠<省略>)
午前6時ころ,便意があり,30分後,多量に出ていたが,排便があったことは分からなかった。
キ 平成8年9月27日(証拠<省略>)
昼食中,約1時間,ずっと両手で支えつつも,端坐位とれている。両手で支えないと臀部と臀部の感覚が鈍いので不安であり,下肢の位置覚が依然としてないままであるのが気持ち悪いとのことであった。
ク 平成8年9月28日(証拠<省略>)
排便が午前9時にあったが,出たのは分からなかった。感覚は,ここ1,2日で変化はない。歩行許可が出たが,立位をとってみると,足を動かせず,看護師が支えて足を動かしてあげなければ位置を変えられず,結局,車いすのみにとどまる。
ケ 平成8年9月29日(証拠<省略>)
片足ずつ挙上し同じ高さに上げられるが,左足の方が上がりにくい。下肢全体にしびれる感じがあるのは以前と同じであるとのことであった。
コ 平成8年9月30日(証拠<省略>)
車いすに乗る際,右足は少しずつ動かせるが,左足が内反しとても危険。ベッド上で自主的に下肢を動かしてリハビリをしている。午後8時すぎ,差し込み便器を当てて5分頑張ったが,自排尿は40ccのみであり,それに比べ,残尿は400ccと多かった。
サ 平成8年10月1日(証拠<省略>)
午前5時40分ころ,尿意というよりは腹満で尿を出そうと思ったため,ナースコールを行った。午前中2回,コルセットを付け,車いすで他の患者の所へ遊びに行く。努力すると尿は出て,止まるのもわかるとのことで,残尿感はなかった。
シ 平成8年10月2日(証拠<省略>)
車いすからベッドへほぼ自力で移れた。午後7時50分には,自排尿430cc,残尿20ccとOKであるが,やはり尿意より腹満であるとのこと。1日1日と動きが良くなり,意欲もある。
ス 平成8年10月3日(証拠<省略>)
ベッドサイドにポータブルトイレを置き,その間は介助せず,見守る状態で移動可能であった。リハビリで立位の練習を始めている。
セ 平成8年10月4日(証拠<省略>)
(ア) 検査・所見
MRA(MRアンギオ)撮影検査
(イ) MRA検査所見
脊柱管内と思われる部位に上下に長く走る異常血管と,それから流入または導出してくると思われる肋間動脈または肋間静脈,及び,第8胸椎レベルから第5,6胸椎レベル付近まで上行し,ヘアピンカーブを描いている血管を認める。動静脈奇形の所見。
(ウ) 身体動作
45度くらいの角度から自力で起き上れる。少しふらふらしているが,支えなく自力で起き上れている。足を前に出すのはまだ無理であった。
ソ 平成8年10月6日(証拠<省略>)
自力歩行2,3歩できる。トイレも車いす移動をしてあげれば自力で移動でき,2~3歩,歩ける。
タ 平成8年10月7日(証拠<省略>)
コルセットを介助にて装着すれば,自力起き上りがスムーズにでき,車いす移動も見守りだけでOKであった。
チ 平成9年10月8日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
血管造影
(イ) 左椎骨動脈と左第12胸椎レベルから見られる前脊髄動脈を介して見られる上下に長い動静脈奇形は変化なし。左第7胸椎レベルの塞栓をした部分では動静脈短絡は消失している。左第3胸椎レベルの塞栓をした部分は脊柱管内には異常な静脈の早期描出が見られないが,頚部の軟部組織と思われる部分に口径不整な動脈及び静脈の早期描出が見られ,動静脈短絡があると考えられる。左第6胸椎レベルからの動静脈短絡はなし。第9胸椎レベルからは術前と同様に椎体の動静脈奇形が見られた。左第9胸椎レベルには動静脈奇形はないが,肋間動脈に動脈瘤がある。
右椎骨動脈から見られた分節動脈は術前よりも太くなっており,これが2つに分かれた外側部分の動脈が特に太い。また,ここから見られる動静脈奇形の範囲が前回よりも下まで延長しており,手術によって血行動態が変化し,この分節動脈から動静脈奇形へ流れる血流が増えたことが示唆される。
ツ 平成8年10月9日(証拠<省略>)
壁伝いに自室トイレ使用中。
テ 平成8年10月10日(証拠<省略>)
とにかく肛門の感覚が鈍麻しており,意識的にしめている。便意があり排便しようとして肛門を弛緩しようと意識するが,今度はなかなか力が緩まない。
ト 平成8年10月11日(証拠<省略>)
歩行器使用開始。
ナ 平成8年10月13日(証拠<省略>)
歩行器使用(廊下歩行は看護師付添い)し,他患者の部屋を訪室し,談笑している。臀部にしびれがあり,長く坐位でいるとしびれが増悪する。歩行時,左足にしびれあり,接地感がない。
ニ 平成8年10月14日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
一般血液検査
(イ) 身体動作
歩行はまだぎこちなく,看護師が付き添って歩いている。歩いていると左下肢がどんどん右に寄っていってこんがらがるので,気をつけなければ転んでしまうかもしれないとのこと。リハビリでは,1本杖で10~20メートルくらい歩く練習を行う。
ヌ 平成8年10月16日(B医師等による術後説明)(証拠<省略>)
B医師は,C医師同席の下,原告X1に対し,本件手術や本件手術後の検査結果につき,概要,次のとおり説明を行った。なお,原告X1によると,排尿はわかるが,排便がうまくいかず,排便感がないとのことであった。
(ア) 第3頚椎レベルから第7頚椎レベルで動静脈瘤が脊髄を押している。
(イ) 第7頚椎レベルまで椎弓切除を行い切開した。下の方の硬膜外の動静脈からの出血がひどかったが何とか切開した。内はかなり癒着がひどく,かなり脊髄は圧迫されており,切除は困難であった。主たるものは正直いって残った。椎弓切除をもう上方にするのは困難と判断,症状も出ていないため,手術を止めた。
(ウ) 脊髄後方は良くなったが,前の方が残っており,それらが悪化してくる可能性がある。当面は何もせず,症状が出たら考える。一部放射線治療もあるが,ここの場所は長く,虚血に弱い。粉を入れる対症療法,液体流入の根治療法は危険であると考える。
(エ) 原告X1の「前回のMRIはope後ふくらむということはなかったのか」との質問に対しては,「なかった。2~3か月はかかる。後ろのメインの所は治療したが,その他は残っているためMRIのフォローが必要。」などと回答した。
ネ 平成8年10月17日(証拠<省略>)
リハビリで歩行が安定してきたので,一人で歩行器を使って歩いて良いと言われ,早速,他患者の部屋へ行く。
ノ 平成8年10月18日(C医師の術後説明)(証拠<省略>)
C医師は,原告X1及び原告X2に対し,概要,次のとおり,本件手術等につき術後説明を行った。なお,原告X2は,第7頚椎レベルから胸椎レベルにかけての前脊髄動脈の動静脈奇形が現在の医療技術では治療困難と理解している一方で,残存していることを心配している様子であり,原告X1の方が「仕方ないのよ。」と励ましている様子であった。
(ア) 第7頚椎レベルの異常血管網は,メインが左から,サブが右からあった。メインを何とか捕まえたが,血流があり生きている。その分,サブが強くなり,ナイダス自体は変わらない。これによる症状は出していなかったので,残念だが,今回の治療で目的の8割を達した。
(イ) 原告らとの質疑応答の概要は,次のとおりであった。
原告X1:歩けるようになって帰りたい。
C医師:筋力だけなら,今歩ける。センソリー(注・知覚)の問題。
原告X1:10月末~11月初めに帰りたい。
C医師:足のもつれは徐々に回復してくると思う。
原告X1:右足は体重かかっている感じがわかる。左はわからない。
原告X2:はがしてとったところが問題?C医師:血流が変わってるのもあるし,原因がどれとはいえない。
原告X1:圧迫とれたら異常反射もなくなると思ってたが違った。圧迫あったところだと思うが,嫌な痛みある。
ハ 平成8年10月19日(証拠<省略>)
朝から歩行器を使用し,よく歩いている姿を見かける。足の出方も良くなっている。
ヒ 平成8年10月23日(証拠<省略>)
浴槽の出入りは浴槽のへりに腰かけて足を出入れさせている。誰かが手を取り,体を支えれば,家でも入浴OKと思われた。浴室内では,他者の手を借りて支えながら歩けている。
フ 平成8年10月25日(証拠<省略>)
だんだんと歩行可能となっており,病棟内を歩行器を使用して歩いている姿を見かける。
へ 平成8年10月30日(証拠<省略>)
(ア) 検査:処置
脊椎レントゲン撮影(側弯症の程度は,1回目入院初日と変化なし)
(イ) 身体動作
浴槽から上がる時に左下肢がまたぎきれず,看護師が介助した。原告X1の65号の部屋から60号の部屋まで手すりに頼らずに行け,帰りにはコーナーで一度手すりにつかまったのみであり,「多少バランスが悪くても1歩が出るし,持ち直しがきくの~。」とのことであった。
ホ 平成8年10月31日(証拠<省略>)
廊下の中央を,手すりを使わず660号まで往復する自主リハビリを続けている。
マ 平成8年11月4日(証拠<省略>)
(ア) 検査・所見
筋力検査,脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) 神経学的所見
運動:下肢の筋力低下
深部腱反射:左足の膝蓋腱反射及びアキレス腱反射が著明亢進,バビンスキー反射,チャドック反射及びクローヌス反射(筋肉や腱を不意に伸張した際に生じる規則的かつ律動的に筋収縮を反復する運動。陽性である場合は,錐体路障害があるとされる。)が陽性。
(ウ) 脊髄髄節知覚支配域検査所見
a 痛覚
左半身については,第3胸椎レベルから下に痛覚障害が存在し,第3胸椎レベルないし第10胸椎レベル付近は0~40%,第12胸椎レベル付近以下は120%となっていた。右半身については第4胸椎レベル以下に痛覚障害が存在し,第4胸椎レベルから第1腰椎レベル付近は20~80%となっており,第2腰椎レベル(大腿部)以下は110~120%となっていた。痛覚麻痺は,左右とも第7胸椎レベル付近で強かった。
b 触覚
左半身については,第2胸椎レベルから下に触覚障害がみられ,第5胸椎レベルから第10胸椎レベルでは触覚がほぼ消失し,その他の部位も正常の10~40%であった。右半身については,大腿部から足先までに触覚障害があり,同約10~50%であったほか,第7胸椎レベルから第16胸椎レベルについても,麻痺(触覚低下)がみられた。
(エ) 位置覚
左足第1指消失,右足第1指減弱
ミ 平成8年11月5日(1回目の退院)(証拠<省略>)
(ア) 退院時サマリーに記載された内容
9月20日にAVM摘出術を行った。左第9胸椎レベル肋間動脈により描出される硬膜外動静脈奇形をそのままにしたためか,皮下,筋からの出血が著しく,硬膜を開けるまでに10単位輸血した。第3胸椎レベル,第7胸椎レベルからの流入動脈の入るナイダスは切除した。第7頚椎レベルのナイダスはそのままにし,流入動脈のみ切除した。
術後,左下肢の筋力低下,位置覚が増悪し起立不能となった。10月2日,リハビリテーションを開始し,症状は徐々に改善し,10月下旬には独歩可能となった。
確認の血管造影では,第3胸椎レベル,第7胸椎レベルからの動静脈奇形は造影されていないが,右椎骨動脈から造影される異常血管は逆に若干増大傾向を認めた。
神経学的陽性所見としては,①対麻痺(右>左),②左第2胸椎レベル以下及び右第7~10胸椎レベル,第2腰椎レベル以下の触覚低下,左第3~11胸椎レベル,右第4胸椎~第1腰椎レベルの痛覚低下,左第12胸椎レベル以下,右第2腰椎レベル以下の痛覚過敏,第1仙髄レベル以下のしびれ,両足の位置覚減弱~消失(右>左),③左痙性歩行を認める。これらは,本件手術前より増悪した。
(イ) h病院への紹介状
術後,知覚低下,位置覚が減弱~消失し,歩行不能となった。しかし,その後リハビリテーンョンを開始し,位置覚は改善。現在,不安定ながらも短い距離であれば歩行は可能な状態となっています。
⑺ a病院における1回目の退院以降,2回目の入院までの主な診療経過
ア 平成9年1月31日(証拠<省略>)
原告X1は,1回目の退院後,h病院でリハビリを継続した。平成9年1月31日のh病院のa病院に宛てた返答状によると,原告X1は,両下肢筋力低下,表在深部知覚の低下のため,歩行が不安定であり,装具等の使用を勧めたが,本人が使用したくないとのことで,無装着のままリハビリを継続したとのことであった。また,月1回ほど外来でリハビリを受診しているが,筋力もついてきて,自宅医院の診療の手伝いも行っているとのことであった。
イ 平成9年2月3日(証拠<省略>)
原告X1は,B医師に対し,同日,ファックスを送信した。その概要は,両足の麻痺及びしびれに関してはまだまだ先が長いようようであり,本当に良くなるのか時々不安になること,ただし,筋肉が付いてきたので,歩行時の安定感だけはできたというものであった。
ウ 平成9年5月26日,27日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
同月26日にi外科で撮影したMRI画像の所見検討,脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) 神経学的陽性所見等
左の膝蓋腱反射亢進,アキレス腱反射亢進,バビンスキー反射陽性,チャドック反射陽性。
片足起立は左側で不可。右側はOK。歩行は著明な痙性歩行。筋力は上昇しているが,知覚は不変。後索症状はOK。
左足の位置覚が悪い。杖なしで歩行している。手すりで階段を上り下りしている。自排尿(ただし,尿線弱い。)。
(ウ) 脊髄髄節知覚支配域検査所見
痛覚は,左右(前方)とも第2胸椎レベル以下に痛覚障害があり,第2胸椎レベル付近の痛覚は0%であった。なお,B医師から泌尿器科医師に宛てた紹介状(証拠<省略>)には,痙性対麻痺,第2胸椎レベル以下の全知覚障害,歩行障害を認め,神経因性膀胱もあるようであると診断されていた。
(エ) MRI所見
側弯症陽性,胸髄に血流による無信号あるも,昨年の術前にみられた静脈瘤(-)。血流による無信号も随分少なくなっている。
(オ) 方針
術後経過良好。6か月又は1年に1度診察する。
エ 平成10年5月18日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
i外科で撮影したMRIの所見検討
(イ) 神経学的陽性所見
左側の膝蓋腱反射亢進,アキレス腱反射亢進,バビンスキー反射陽性,チャドック反射陽性。歩行は痙性歩行。
(ウ) 身体動作
歩くのは,杖は使っていないが,坂道では手を引いてもらっている。背中と両足のしびれが残存している。残尿はあるが,自排尿はOK。便意が?
(エ) MRI検討
MRI不変。このまま様子みる(身体障害の手続)。
オ 平成10年5月19日(身体障害者2級診断)(証拠<省略>)
B医師は,原告X1の症状につき,次のとおり診断を行った。
(ア) 障害名
両下肢の機能の著しい障害
(イ) 障害固定
平成10年5月18日
(ウ) 総合所見
痙性対麻痺,第2胸椎レベル以下の全知覚障害,歩行障害を認める。障害の程度は,身体障害者福祉法別表に掲げる2級の障害に相当する。
(エ) 神経学的所見等
脊髄を起因部位とする感覚障害(感覚鈍麻),運動障害(痙性麻疸),排尿排便機能障害あり。
(オ) 身体動作
立つ:半介助(手すり)
家の中の移動:半介助(壁,杖)
ズボンをはいて脱ぐ:全介助
背中を洗う:半介助
2階までの階段の昇降:全介助
屋外移動:全介助
公共の乗り物の利用:全介助
カ 平成10年11月12日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
関節の自動運動の範囲検査
(イ) 神経学的陽性所見
左の膝蓋腱反射亢進,アキレス腱反射亢進,バビンスキー反射陽性,チャドック反射陽性。右の膝蓋腱反射亢進。
キ 平成10年11月27日(簡易保険障害診断書)(証拠<省略>)
同日付け簡易保険障害診断書に記載された,当時の身体障害の状態は,概ね次のとおりであった。
(ア) 自覚症状
左下肢が重たい,両足のしびれ
(イ) 他覚所見
痙性対麻痺,左第3胸椎レベル以下の知覚障害,右膝以下の知覚障害,歩行障害,排尿排便障害
(ウ) 日常生活動作の状況
残尿多く便意が少ない。便秘が強い。ズボンの着脱に介助を要する。屋外の移動には常に介助を要する,足の位置覚が悪いため車の運転ができない。両足のしびれがつらい。
ク 平成11年8月24日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
同月23日にi外科で撮影した胸髄レベルのMRI画像の所見検討,脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) 神経学的陽性所見
左の膝蓋腱反射亢進,アキレス腱反射亢進,バビンスキー反射陽性,チャドック反射陽性。右足は片足起立可能,左痙性歩行。
(ウ) 身体動作
両足の力は自覚的には変わらない。背部痛はある。杖なしで,夫に支えてもらって歩いている。手すりを用いて階段の昇降はできる。
(ウ) MRI所見
胸髄中央部での血流による無信号著明。一部,髄内に高輝度陰影あり。
なお,i外科での報告書(証拠<省略>)では,「脊髄周囲に拡張した血管構造が無信号効果として描出されており,動静脈奇形の残存が示唆される。第4胸椎レベルから第6胸椎レベルの椎弓切除術術後状態である。左側傍椎部に腫瘤性病変がみられる。静脈瘤,血管腫などが疑われる。」と記載されていた。
(エ) 脊髄髄節知覚支配域検査所見
痛覚は,左については第1胸椎レベル以下に,右については第2胸椎レベル以下に麻痺がみられた。
ケ 平成12年7月22日(証拠<省略>)
原告X1のB医師に対するメールの概要は,次のとおりであった。
「一時ほど強い痛みはほとんどなくなりましたが,常に,嫌な軽い痛みと,左脇腹に見られるような,感覚麻痺と異常感がでています。ほぼ,左右対称な感じです。これは,どの部位の圧迫の可能性が高いのでしょうか。Th 4-6のAVMは摘出して無いはずなのですが,側復路(注・側副路)が形成されたのでしょうか。それとも,頸部のAVMの圧迫によるものでしょうか。少なくとも,悪化しているのは確かだと思いますので,少し不安になっています。」
⑻ a病院での2回目の入院
ア 平成12年9月25日(2回目の入院)(証拠<省略>)
原告X1は,検査を目的に2回目の入院をした。
(ア) 原告X1の病状・経過の要約
2回目の入院にあたって記載された原告X1の病状・経過の要約には,原告X1が「Th 2にAneurysm合併」「Th 7にAneurysm合併」していること,第2胸椎レベル及び第5・6胸椎レベルの動静脈奇形につき「nidus切除」を行ったことが記載されていた。そして,本件手術後の血管造影検査の所見では,第2胸椎レベル及び第5・6胸椎レベルの動静脈では異常所見が消失していること,第7頚椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻からの異常血管がやや増加していること,第1胸椎レベルから第7胸椎レベルにかけて存在する髄内動静脈奇形と,第9胸椎レベルの脊髄硬膜動静脈瘻が不変であったこと,本件手術後,やや神経症状が悪化したこと等が記載されていた。
(イ) 2回目入院時の神経学的陽性所見
① 左優位の痙性対麻痺
② 感覚障害(両側第3胸椎レベル以下の触覚障害,左第11胸椎レベル以下,右第4腰椎レベル以下の痛覚障害)
③ 左片麻痺歩行
(ウ) 身体動作
手すりにつかまりながら,何とか歩けるという状況であった。なお,2回目の入院期間における検査時は車いすであり,食事は配下膳介助が必要であった。
(エ) 今後の治療計画及び投薬
脳神経外科外来経過観察,B医師により,年1回程度,MRIのフォローを行う。
イ 平成12年9月26日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
MRI撮影検査,血管造影検査(両側椎骨動脈,両側第3胸椎レベルから第12胸椎レベルまでの選択的造影検査。以下,同日の血管造影画像を「平成12年9月26日の血管造影画像」という。証拠<省略>)
(イ) 血管造影検査所見
病変部は硬膜内部分と硬膜外から傍脊柱管部に広範囲に及んでおり,硬膜外病変は第3胸椎レベルから第10胸椎レベルまで存在するように思われる。
左椎骨動脈から分岐する左第6頚椎レベルの分節動脈が根髄動脈になっている。ここから著明に拡張した前脊髄動脈下行枝が描出されている。また,左第12肋間動脈からも根髄動脈が分岐し,著明に拡張した前脊髄動脈上行枝が描出されている。この前脊髄動脈から多数の中心静脈が分岐し,第7頚椎レベルから第7胸椎レベルまでの髄内動静脈奇形ナイダスを形成している。また,右椎骨動脈から分岐する右第7頚椎レベル分節動脈,第5肋間動脈,左第10肋間動脈からそれぞれ根軟膜動脈が描出されており,この動静脈奇形の流入動脈となっている。また,本件手術によって消失していた第6胸椎レベルから第7胸椎レベルにかけての動静脈奇形の成分が左第7肋間動脈から分岐する根軟膜動脈によって再び描出されるようになっている。流出静脈は動静脈奇形の上方部分は左第4,5根静脈を介して,また,下方の部分は左第7根静脈を介して流出している。前回と比べて,全体的にやや動静脈短絡血流量が増加しているような印象がある。
(ウ) MRI所見
T2強調画像矢状断像で,第4頚椎レベルから第12胸椎レベルで脊髄周囲に拡張した血管を認める。上位胸椎レベルでは脊髄髄内にも血管構造を認め,この部分は髄内動静脈奇形と考えられる。また,第5,6胸椎レベルと第7,8胸椎レベル付近で,拡張した流出動脈が左椎間孔から脊柱管内外に認められる。平成8年9月4日のMRIと比較して,第2胸椎レベルから第3胸椎レベルの拡張した血管構造は著明に縮小している。
ウ 平成12年9月28日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
MRI・MRA撮影検査(MRA撮影範囲は第4頚椎レベルから第2腰椎レベル)(以下,同日のMRI画像を「平成12年9月28日のMRI画像」という。証拠<省略>)
(イ) MRA所見
髄内動静脈奇形の部分の流入動脈である左第6頚椎レベル分節動脈及び左第12肋間動脈から起始する根髄動脈が明瞭に描出されている。脊髄辺縁部動静脈瘻の流入動脈となる右第7頚椎レベルの分節動脈及び左第7肋間動脈等も確認できる。第2胸椎レベルから第10胸椎レベルにナイダスが描出され,今回のMRA上は上下のナイダスは連続しているように認められる。左第5胸椎レベル及び第7胸椎レベル肋間動脈が著明に拡張しており,主な流出静脈となっている。
(ウ) MRI所見
血管成分以外の脊髄実質内に明らかな異常増強像は認められない。
(エ) B医師及びF医師による説明
第7胸椎レベルの再開通した部分に血管内治療を行うことは可能であり,それほど危険も高くないが,それによる効果は必ずしも症状を軽快させるともいえず,今,行うべき時期でもない。外科手術についても手段なく,経過をみましょう。
エ 平成12年9月29日(退院)(証拠<省略>)
オ 平成12年12月30日(証拠<省略>)
下肢の麻痺の増悪,尿失禁があり,クモ膜下出血のため,c病院に緊急入院した。また,平成13年10月ころにもクモ膜下出血があった。
カ 平成14年3月12日(証拠<省略>)
(ア) 検査・処置
MRI撮影検査(同月11日に,i外科で撮影。以下,同日に撮影されたRI画像を「平成14年3月11日のMRI画像」という。(証拠<省略>),脊髄髄節知覚支配域検査
(イ) MRI撮影検査所見
血流による無信号は(++)で変化なし。このまま様子を見る方針とする。
(ウ) 神経学的陽性所見
左の膝蓋腱反射亢進,アキレス腱反射亢進,バビンスキー反射陽性,チャドック反射陽性。
(エ) 身体動作等
平成12年12月30日より下肢の麻痺の増悪,尿失禁あり。歩行は痙性歩行であり,左足はほとんど使っていない。
(ウ) 脊髄髄節知覚支配域検査所見
痛覚は,左は第1胸椎レベル以下に,右は第2胸椎レベル以下に痛覚障害があり,左第3胸椎レベル付近の痛覚は0%であった。
キ 平成14年10月11日(原告X1のメール)(証拠<省略>)
原告X1は,B医師に対し,平成11年4月の「Journal of Neurosurgery」に掲載されたa病院医師の論文(証拠<省略>)に紹介された脊髄動静脈奇形の治療を受けた患者のうち,Table1の14番目の症例が,年齢,性別,動静脈奇形の場所,経過から自分のことであると考え,概要,次の内容の質問をメールで行った
「これを見る限りでは,手術結果が悪化したのは私のみで(中略)その原因としては,Resultに,術中にdraining veinを損修したためと考えられる,とありました。
本を調べると,脊髄手術において,drainerが長時間塞栓すると,重篤な対麻痺・排尿排便障害が生じることがあるとありました。この,対麻痺・排尿排便障害は,現在,私を悩ませている症状とまさに一致します。しかし,術後の説明には,脊髄後索を傷つけたかもしれないと言うことは言われましたが,drainerを傷つけた旨の説明はまったくありませんでしたし,それによってどのような症状が生じるかの説明もありませんでした。(中略)
今まで,私は,これらの症状悪化は,術後の血行動態の変化が原因しており,予測不能であったと思っていました。でも,どうもこの文献を読むと,そうではないように思われます。
術前の説明では,本来,この手術は,出血も少なく,AVFへのfeederの切除であり,本体そのものの切除を行う可能性についての言及はありませんでした。術式の変更は,術後に始めてお聞きしました。(中略)そこで,あらためてお聞きしたいのですが,
1 麻痺の悪化が,drainerの損傷が原因であれば,どのような状況でその損傷が生じたものなのか。また,回避できなかったのか。
2 術前の説明と,実際の手技に違いがありますが,そこにいたった経過説明と,脊髄に傷害を残してまで,AVFを切除する必要があったのかどうか。(一応,私どもも,脊髄に対する圧迫をとることが,最大目標であることは把握はしております。しかし,とったことで生じる障害が大きいと思われる場合は,とるべきではないと考えます。)
3 術中,かなりの出血がありましたが,これは,どの部分を傷つけたことによるものでしょうか。事前の血管塞栓あるいは,術中の配慮で,防ぐことが出来なかったのか。
今,思いつく質問はこれだけです。私の手術が,他の手術より困難なものであったことは十分承知しております。しかし,術後の麻痺により,生活に不便を来しているのは事実であり,その原因等について,知り得る限りのことを知っておきたいと思うのです。(後略)」
原告X1とB医師の間では,上記メールの後に数回,メールのやりとりがなされ,原告X1は,同月30日に,上記メール中の質問2及び3につき,改めて質問した。これに対し,B医師は,同日,質問2については「脊髄動静脈奇形へのfeederの切除だけでなく,Varixを摘出したのは術中判断で必要と思われたから(A先生)したこと」と回答し,質問3については,「術中出血したもののコントロール可能であったと記憶しております。念のため入院カルテを調べると輸血の血液は4本使用されており,麻酔記録は輸血量は780mlとなっておりました。したがって,大出血というのにはあてはまらないと思います。」などと回答した。
⑼ 証拠保全(証拠<省略>)
原告らは,平成15年1月31日,札幌地方裁判所に対し,証拠保全の申立てを行った(事件番号<省略>)。同裁判所は,同年3月18日,a病院における原告X1の診療録,看護記録,本件ビデオ等の証拠保全を行った。
⑽ 本件訴訟の提起(顕著な事実)
原告らは,平成16年1月7日,本件訴訟を提起した。
⑾ a病院最終受診以降の主な診療経過
ア 平成16年末ころ(証拠<省略>)
j病院を受診し,k病院の予約をとる。平成16年夏ころから徐々に対麻痺,膀胱直腸障害が増悪し,特に平成17年1月ころに症状が悪化した。
イ 平成17年2月4日(k病院1回目の入院)(証拠<省略>)
(ア) 身体動作等
膝立て 右:3/5,左:不可
挙上 右:3/5,左:不可
足背屈 右:4/5,左:不可
足底屈 右:4/5,左:不可
立位は何とか可能という程度で,歩行は不可。入院時は車いすを使用。
(イ) 神経学的所見等
左優位の対麻痺,第2胸椎レベル以下の感覚障害,膀胱直腸障害。触覚は,会陰部はほぼ全感覚消失。位置覚は左足がなく,振動覚は両足ともない。
ウ 平成17年2月7日(証拠<省略>)
(ア) 検査
k病院での血管造影検査。なお,平成12年9月26日の血管造影検査以降,今回の検査までの間に血管造影検査は行われていない。
(イ) 血管造影検査所見
k病院では,本件手術前である平成8年9月9日の血管造影画像,本件手術後の経過観察中であった平成12年9月26日の血管造影画像と,平成17年2月7日の血管造影画像を比較し,原告X1の脊髄動静脈奇形につき,概要,次のとおり判断した。
① 髄内動静脈奇形
第2胸椎レベルないし第7胸椎レベルのものと,第7頚椎レベルないし第4胸椎レベルのものが同じコンポーネントを構成している。平成12年9月26日の血管造影画像では,動静脈短絡の血流量が増加している。平成17年2月7日の血管造影画像では,動静脈短路の血流量自体に大きな変化はないが,前脊髄動脈の第9胸椎レベルの動脈瘤が平成12年と比べ拡大している。
② 第7頚推レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻
平成12年9月26日の血管造影画像では血流量が増加し,①の流入血管になっている。平成17年2月7日の血管造影画像では,当該流れに大きな変化なし。
③ 第1胸椎レベルないし第5胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻
平成12年9月26日の血管造影画像及び平成17年2月7日の血管造影画像では,動静脈短絡が再開通している。
④ 第4胸椎レベルないし第7胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻
平成12年9月26日の血管造影画像では,動静脈短絡が再開通している。平成17年2月7日の血管造影画像では,左第7肋間動脈からの流入は減少したが,第7肋間動脈からの流入量が増加している。
⑤ 第9胸椎レベルの脊髄硬膜動静脈瘻
平成17年2月7日の血管造影画像では,変化なしか,むしろ消退傾向と思われる。
⑥ 第11胸椎レベルの動脈の拡張。ただし,動静脈短絡はなし。平成12年9月26日の血管造影画像では,根髄動脈を介して①に流入している。
エ 平成17年2月9日(同病院退院)(証拠<省略>)
オ 平成17年3月1日(同病院2回目の入院)(証拠<省略>)同病院における前回入院時と比較して,右足の脱力進行が認められた。
カ 平成17年3月3日(塞栓術)(証拠<省略>)第9胸椎レベルの動脈瘤に対して塞栓を試みたが,不随意運動のため,続行は危険と判断され断念された。
キ 平成17年3月4日(同病院退院)(証拠<省略>)
ク 平成17年3月16日(同病院3回目の入院)(証拠<省略>)
ケ 平成17年3月17日(塞栓術)(証拠<省略>)全身麻酔下で,第9胸椎レベルの動脈瘤に対する塞栓術が施行された。
コ 平成17年3月20日(同病院退院)(証拠<省略>)
サ 平成17年6月14日(同病院4回目の入院)(証拠<省略>)
(ア) 検査
MRI撮影検査
(イ) MRI所見
同月15日の判定では,同年3月18日と比べ,著変なし。
(ウ) 身体動作等
知覚及び膀胱直腸障害は同年2月4日と変化なし。主な身体動作は次のとおりであった。
膝立て 右:4/5,左:2/5
挙上 右:4/5,左:時に可,2/5
足背屈 右:5/5,左:0/5
足底屈 右:5/5,左:3-/5
シ 平成18年1月16日(証拠<省略>)
原告は,同日付けで,障害等級を1級1種とする身体障害者手帳の再交付を受けた。
ス 平成18年2月6日(証拠<省略>)
k病院退院後も対麻痺の軽快と増悪を繰り返していたが,平成17年10月ころより悪化が顕著になり,同年11月8日に入院したところ,同年6月に比べて対麻痺は明らかに悪化していた。症状固定,下肢機能全廃は平成17年10月と診断。
3 脊髄動静脈奇形に関するa病院医師(本件手術当時)の論文
⑴ B医師・O医師・D医師・A医師・E医師「脊髄動静脈奇形の治療―各タイプ別における治療の選択について―」Spinal Surgery 9,平成7年,135~141頁(証拠<省略>)
ア 手術成績については,観血的に流入血管の遮断を施行したのが6例,いわゆるナイダスの摘出が4例行われた。流入血管の遮断を施行した6例中5例では,運動及び知覚障害の改善を認め,1例では不変であった。ナイダス摘出を行った4例では,いずれも術後症状の悪化を認めた(Table1 b)。なお,Table1 bでは,摘出(removal)と遮断(interruption)が区別して記載されていた。
イ 脊髄動静脈奇形の治療手段としては,塞栓術と観血的手術に分けられる。以前は,ナイダスの摘出が動静脈奇形の治療とされたが,著者らは,脊髄動静脈奇形では動静脈短絡の遮断が治療の主目的であると考えている。治療の選択としては,脊髄辺縁部動静脈瘻,脊髄硬膜動静脈瘻では塞栓術,あるいは観血的手術による動静脈短絡の遮断が適応となる。この場合,再開通をきたさぬよう,塞栓子としてはPVAではなくNBCAなどの液体による塞栓術が望ましいと思われる。また,髄内動静脈奇形では,主にPVAによる塞栓術が適応と思われる。(中略)塞栓術はすべてのタイプの脊髄動静脈奇形に対して適応があるが,脊髄辺縁部動静脈瘻,脊髄硬膜動静脈瘻では,動静脈短絡の遮断を行う上で,観血的手術がより確実であり,症例によっては,塞栓術と組み合わせた治療を行う必要がある。
⑵ B医師・O医師・D医師・A医師・E医師「脊髄動静脈奇形における外科的治療」及び第3回Spine Frontier研究会での討論部分,SpineFrontier Volume 3,平成8年7月25日,79~85頁(証拠<省略>)
平成7年8月2日及び同月3日に,北海道サロマ湖のホテルで行われた第3回スパイン・フロンティア研究会での講演集をまとめたものである。A医師,O医師,J医師,B医師等が参加していた。
ア 各治療法別の結果
(ア) 塞栓術
術前のスコアは2.22,術後のスコアは2.77
(イ) 観血的遮断術
術前のスコアは2.4,術後のスコアは3.0
(ウ) 塞栓術+観血的遮断術
術前のスコアは2.1,術後のスコアは3.0
(エ) 観血的ナイダスまたは流出静脈の摘出
術前のスコアは2.16,術後のスコアは1.5
イ 脊髄動静脈奇形の治療手段としては,塞栓術と観血的手術に分けられ,以前はナイダスの摘出が動静脈奇形の治療とされてきたが,最近では,ナイダスは拡張した髄内血管であるとの考えもあり,また,我々の成績でもナイダスの摘出を試みた群の成績が劣ることから,現在,著者らは脊髄動静脈奇形では動静脈短絡の遮断が治療の主目的であると考えている。
ウ 治療の選択としては,脊髄辺縁部動静脈瘻では,観血的手術による動静脈短絡の遮断が主となる。ただし,後脊髄動脈に対しては,PVAあるいはNBCAなどによる塞栓術を組み合わせて行う。髄内動静脈奇形では,塞栓術が主たる治療法となるが,例外的に少数の栄養血管が関与している場合には,観血的な遮断術もありうる。脊髄硬膜動静脈瘻では,観血的手術がより確実な手段として適当と思われるが,高齢者も多いことから,症例によっては塞栓術の適応もあると思われる。
エ 脊髄動静脈奇形の外科的治療の上で重要なこととして,次のことを念頭に置くべきと考える。
① 如何なるタイプのAVMであれ,ナイダスの摘出は目指さず,動静脈短絡の遮断のみを行う。
② 還流静脈は,拡張していようと極力保存する。
③ 特に前脊髄動脈からの栄養血管を遮断する際には,後方到達法にて脊髄を露出後,脊髄の剥離を十分に行い,歯状靱帯を切断の上,脊髄を愛護的に回転させる。
④ 栄養血管,還流静脈の同定,遮断効果の判定の上でドップラーは有用である。
オ 討論の概要は,次のとおりであった。
「A医師
(前略)この例において私は,累々としたdrainerが2,3本あったのですが,これがなかなか簡単にcollapse(注・つぶれる)してくれませんでしたので,うちのスタッフはやめてくれと言ったのですけれども,私はそれを何本か縮めました。凝固しまして。
帰ってきましたら,やはり症状が悪くなっていまして,術前もrupture(注・破裂による出血)していますので,かなり悪かった症例です。それでも悪くなりまして,それが2,3ヶ月後にやっと回復して退院したのですが,その後,私は何が悪かったのか,sulcal artery(注・溝動脈)をcoagulate(注・凝固する)して,centralの方の前方の方のfeederを処置したときに,やはり脊髄の供給が悪くなったのか,それとも余計なことをして,drainerをつぶしたことが脊髄の鬱血を来したのか,非常に迷いまして
(中略)
そこで,あの症例はあれしかしようがなかったと思うのですが,J先生,あるいはE先生にお聞きしたいのは,feederを何とか処理することにとどめて,intramedullary(注・髄内)の場合に,どんなにdrainerが累々としていても,やはりdrainerというのは,手をつけてはいけないのか。と申しますのは,脳のAVMでやはりdrainerがちょっとでも残っていると,後から幾らfeederの方を処理しても,また細かいfeederができて,またshuntができると。ですからdrainerの出口を遮断するという考え方もあるわけです。
ですから,Spinal AVM(注・脊髄動静脈奇形)の場合には,feederを処理しただけでは,ちょっと不足かもしれないと。それで危険かもしれないけれども,drainerの出口をやっつけておけば何とかなるのではないかというような考えも,乱暴かもしれませんがないこともないと思うので,drainerというのは,やはり手をつけてはいけないものなのか,お聞きしたいのです。
J医師
(中略)feeding arteryを処理しただけで,流出静脈の方を遮断しますと,やはり出血を起こしたり,あるいはvenous circulation(注・静脈還流)は,やっぱり悪くなるというふうに論理的には考えられます。それは,脊髄動静脈奇形の場合も同じではないかと考えられます。それぐらいしか申し上げられません。
A医師
drainerは処置しない方がいいと,手術的には。
J医師
feederがほとんど処理できていない限り,しない方がよろしいのではないかと思います。
E医師
私も昨日,それから今日の幾つかのご発表の中でフォアラジャーニー症候群がございましたけれども,natural courseでも静脈thrombosis(注・血栓症)で症状が悪くなりますし,それからembolization(注・塞栓術)でも悪くなることがありますし,やはり同じように外科的にdraining veinをcoagulation(注・凝固)するのは,やっぱり正常な静脈還流を阻害するのではないかと思います。」
⑶ B医師・O医師・J医師・E医師・A医師「Results of the surgicaltreatment of perimedullary arteriovenus fistulas with special reference toembolization(注・塞栓術の参照を加えた脊髄辺縁部動静脈瘻の観血的手術の結果)」Journal of Neurosurgery:Spine Volume 90,平成11年4月,198~205頁(証拠<省略>)
ア 脊髄辺縁部動静脈瘻を罹患している患者に,先行して塞栓術を行い,その後観血的手術を行った20例の治療成績につき行った回顧的調査につき,術後の神経症状は,11例で改善,8例で変化なし,1例(Table1のNo.14)で増悪しており,その臨床症状の悪化例は,術中に流出静脈を損傷したためと考えられた。なお,当該悪化例は,個人名は掲載されていないものの,原告X1の本件手術に関するものであった。
イ 治療の最終的な目的は,観血的あるいは血管塞栓による動静脈短絡の遮断である。脊髄辺縁部動静脈瘻,特に流速の早いものについては,動脈から静脈への小さな他の側副血行路が存在することに留意しなければならない。それゆえ,流入動脈の近接部の遮断のみでは,脊髄辺縁部動静脈瘻の根治術とはなりえない。その他の治療上の重要な側面は,動静脈短絡の遮断を行う一方,正常な脊髄の還流を保存することである。(中略)脊髄動静脈奇形の動脈流入部よりも手前での結紮は,動静脈奇形への複数の側副血行路を形成することになり,一時的な効果しか期待できない。動静脈短絡の血行遮断を行う外科医のための外科的手技上の重要なキーポイントは,脊髄上の流出静脈を損なわないように留意し,もし静脈瘤が脊髄を圧迫しているのであれば,それを焼き縮めることである。
ウ 結論として,脊髄辺縁部動静脈瘻のケースでは,動静脈短絡部位の同定も重要であり,最善の治療は,動静脈短絡の遮断である。
4 本件手術における義務違反等の有無(争点1ないし3)について
⑴ 前記1ないし3で認定した各事実及び掲記の証拠によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告X1の脊髄動静脈奇形について
原告X1の脊髄動静脈奇形は,10歳代から若年成人に多くみられる若年型動静脈奇形であり,各部位の動静脈奇形も単独で別々に存在しているのではなく,それぞれが異常血管により繫がり,流入動脈間の圧格差により血管造影で描出される部分に分かれているにすぎないものであって,鑑定人等からみても,国内でもほとんど例をみないほど極めて複雑な血管構造を有し,治療の困難性がずば抜けて高いものであった(証拠<省略>)。そして,前記2の認定事実(特に,平成8年9月9日の血管造影画像)によれば,原告X1の本件手術時点の脊髄動静脈奇形は,概ね次のとおりであったと認められる。
① 第7頚椎レベル脊髄後方に存在する脊髄辺縁部動静脈瘻(患部①。a病院1回目の入院時に作成された模式図は別紙3の模式図①<省略>。以下「第7頚椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻」という。)
右椎骨動脈が栄養血管(流入血管)であり,非常に細い動脈が右椎骨動脈の第6,7頚椎レベルの分節動脈から出て2本に分かれ,第7頚椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻に繫がっていた。
本件手術において,3番目に施術が行われた箇所である。なお,本件塞栓術では,右椎骨動脈が細すぎるため,塞栓は行われていない。
② 第2胸椎レベルの血管瘤を伴った脊髄辺縁部動静脈瘻(患部②,同模式図②<省略>。以下「第2胸椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻」という。)
第3肋間動脈が栄養血管である。予め本件塞栓術が行われ,本件手術において,2番目に施術が行われた箇所である。
③ 第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②を伴った脊髄辺縁部動静脈瘻(患部③,同模式図③<省略>。以下「第5胸椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻」という。)
左第7肋間動脈が栄養血管である。予め本件塞栓術が行われ,本件手術において,最初に施術が行われた箇所である。
④ 第1胸椎レベルから第7胸椎レベルにかけて脊髄前面に存在する髄内動静脈奇形(同模式図④<省略>。以下「第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形」という。)
左椎骨動脈及び左第12肋間動脈が栄養血管であり,前脊髄動脈が関与している。本件塞栓術及び本件手術は行われていない。
⑤ 第9胸椎レベルで硬膜外(右椎間孔レベル)に見られる脊髄硬膜外動静脈瘻(同模式図⑤<省略>)
栄養血管は左第9肋間動脈である。本件塞栓術及び本件手術は行われていない。
イ 本件手術前の原告らに対する説明内容について
原告らに対しては,本件手術の前日である平成8年9月19日に術前説明がなされており,原告X1は自身が薬剤師であり,動静脈奇形に対する知識も豊かであったため,神経症状の改善の可能性,脊髄後方の血管を処置することによる脊髄前方の髄内動静脈奇形への悪影響の有無,回復の見込み等を詳細に質問した。その説明の概要は,次のとおりであり,A医師同席の上,B医師によって行われた。
① 原告X1の動静脈奇形のうち,脊髄前方のものは非常に入り組んでおり,前脊髄動脈が関与していて,髄内に病変あることが多いので,安全第一で今回は手術を行わず,後方のみ手術する。動脈瘤もある。
② 手術においては細かい流入動脈はきちんと焼いて,AVMが縮小するようにする。とりあえず今回の手術でどれほどのAVMの縮小が期待できるかは明確ではないが,50%程は縮んでほしいと思う。
③ 第7頚椎レベルにも小さな所見がある。塞栓術は難しいので,手術で流入血管を焼いていく方針である。
④ 椎弓切除は第7頚椎レベルから第7胸椎レベルまで行う予定である。
⑤ 脊髄後方の血管を焼くことで症状が悪化する可能性については,後脊髄動脈は前脊髄動脈と異なり脊髄の3分の1を栄養しているにすぎないので,多分それほど影響は少ない。
⑥ 脊髄後方を処置することで脊髄前方の髄内動静脈奇形が悪化する可能性については,急激にということではないので,2~3年で評価していく。動脈瘤があるのも流量が増加しているのも脊髄後方であるので,まずはそれを手術してみて考えましょう。
⑦ 脊髄後方の手術により,今ある神経症状を改善することは,多分期待できる。術後は,足の感覚が一時悪化すると思う。どれ程で回復するかは何ともいえず,脊髄の腫れによるものであれば早期に回復するし,焼却にあたり神経に支障を生じた場合は時間を要する。神経症状によって異なるが,歩行は1週間以内に可能となるだろう。
ウ 第5胸椎レベルにおける本件手術の概要について
第5胸椎レベルにおいては,A医師が執刀を担当し,B医師が助手を務め,その他の医師のほか,本件塞栓術を行ったQ医師が血管同定等のために同席して行われた。そしてA医師は,Q医師から第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②の頭側あたりに動静脈短絡が存在する可能性を告げられ,血栓化した第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②をバイポーラで焼き縮めることを提案されたものの,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②が脊髄を左から圧迫していたことから,その摘出を目指し,これが周辺の血管や脊髄実質,軟膜等と癒着していたため,剥離,周辺血管の切断作業を行い,第5胸椎レベルから摘出した。
この摘出作業においては,血管①,血管②,血管④,血管⑤,血管⑦など多くの血管が剥離,摘出のために遮断,切断されており,本件手術によって,脊髄辺縁部動静脈瘻の流出静脈のいくつかも遮断された可能性が高いものと認められる。また,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②の摘出が目指されたため,動静脈短絡自体の同定はさほど行われておらず,摘出後に第6胸椎レベル以下の怒張した血管の一部が焼却されているが,動静脈短絡を同定した上での遮断は行われていない。
エ 第2胸椎レベルにおける本件手術の概要について
第2胸椎レベルについても,A医師が執刀を担当し,B医師が助手を務め,その他の医師のほか,本件塞栓術を行ったQ医師が血管同定等のために同席して行われた。そして,A医師は,Q医師から,「この辺りがシャントじゃないですかね。」などと提案を受けたものの,第2胸椎レベルの血管瘤を圧迫していたことから,その摘出を目指し,これが周辺の血管や脊髄実質,軟膜等と癒着していたため,剥離,周辺血管の切断作業を行い,第2胸椎レベルの血管瘤等を摘出した。
この摘出作業においては,血管⑧ないし血管⑪など多くの血管が剥離,摘出のために遮断,切断されており,本件手術によって,脊髄辺縁部動静脈瘻の流出静脈のいくつかも遮断された可能性が高いものと認められる。また,第2胸椎レベルの血管瘤の摘出が目指されたため,第5胸椎レベルの手術と同様,動静脈短絡の同定はさほど行われなかったものと認められる。
オ 第7頚椎レベルにおける本件手術の概要について
第7頚椎レベルの手術については,B医師が執刀を担当し,その他の医師のほか,本件塞栓術を行ったQ医師が血管同定のために同席して行われた。第7頚椎レベルの手術においては,予め塞栓術が施行されていなかったため,血管の多くが怒張しており,同定に相応の時間及び手間をかけて動静脈短絡への流入動脈の探索が行われ,血管の焼却が行われた。
⑵ 本件手術の適応違反の有無(争点1)について
ア 原告らは,本件手術において「本件塞栓術によりコイルの詰まった動脈瘤とその前後に繫がる流入動脈及び動脈瘤周辺にみられた拡張した流出静脈」の摘出が行われたものであるところ,当該動脈瘤については焼却等での対応が可能であり,摘出を行う必要性はなかった上,摘出術は脊髄に侵襲を与え,流出静脈の摘出は還流障害を生じさせる危険性があり,血行動態の変化によって肝心の動静脈短絡ないしこれに近接した流入動脈の同定,遮断を行うことも不可能になったから,摘出の合理性もなく,結局,本件手術には適応がない,また,仮に静脈瘤であれば,本件塞栓術により動静脈短絡部も塞栓されているはずであるから,なおさら摘出を行う必要性も合理性もないなどと主張する。このように,本件手術において摘出された物についても,原告らと被告との間で争いがあるから,以下,摘出物について検討を加えた上で,本件術式の適応の有無について検討することとする。
イ 第5胸椎レベルからの摘出物について
(ア) 第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②について
a 前記のとおり,第5胸椎レベルにおいては,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②の剥離,摘出が行われているところ,この血管瘤につき原告らは動脈瘤であると主張し,被告は,脊髄動静脈奇形において動脈瘤が生じることは稀であり,以前は動脈瘤と考えられていたものの大部分が静脈瘤であったことが判明していることからすると(証拠<省略>),脊髄動静脈奇形において動脈瘤は生じないのであり,当該血管瘤も静脈瘤であった旨主張する。
b そこで,まず一般的な医学的知見から検討するに,静脈は平滑筋が疎であり動脈圧のような高い血圧に耐えられないため,脊髄動静脈奇形により慢性的血圧がかかった静脈が次第に拡張して静脈瘤を生じる場合があることは,医学的に確立した知見であると認められる。これに対し,動脈瘤については,従前は動脈瘤と考えられていたものが静脈瘤であると解明されてきたという研究成果(証拠<省略>)は認められるが,原告X1には,第5胸椎レベルとは部位が異なるものの,本件手術後の経過観察中に第9胸椎レベルに動脈瘤が生じたこと,平成14年に出版された「脊髄動静脈奇形の病態と診断」144頁でも脊髄辺縁部動静脈瘻では動脈瘤あるいは静脈瘤の合併も多いとされていること,鑑定人も,本件証拠上,動脈瘤か静脈瘤かの断定はできないとし,動脈瘤が生じた可能性も否定していないことからすると,一般的な医学的知見として,脊髄動静脈奇形において,動脈瘤が発生することが絶無であるとまでは認めるに足りないというべきである。
c 次に,本件塞栓術や本件手術の状況,血管造影画像所見等から検討を加える。
この点,平成8年9月9日の血管造影画像で,第5,6胸椎レベルにつき,肋間動脈の硬膜内への枝が硬膜を貫く部分で大きな動脈瘤が見られると判断されていること,同月18日に本件塞栓術を施行したQ医師も第5胸椎レベルの血管瘤を動脈瘤と判断していたこと,同月19日に行われたB医師らの本件手術の術前説明においても動脈瘤がある旨説明されていたこと,本件手術において,Q医師以外の医師も,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②を動脈瘤であることを前提に発言を行っていたこと,本件手術後の診療録等にも,第5胸椎レベルから動脈瘤を摘出したと記載されていたことからすると,本件医師団は,原告X1がa病院を最終的に受診した平成14年3月12日ごろまで,概ね一貫して第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②を動脈瘤であると認識しており,同年10月に原告X1からメールで本件手術に関する問合せを受け,また,平成16年に本件訴訟の提起を受けてから,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②を静脈瘤であると,認識を変更したものであると認められる。そして,本件医師団の当初の認識は,本件手術前の血管造影所見や,本件塞栓術を担当したQ医師の判断に依拠していたものであると窺われるところ,Q医師は,血管造影画像において,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②が動脈相に濃染されていることを確認し,塞栓に使用したコイルが静脈側に流出しないよう監視しながら,当該血管瘤が静脈側ではないと考えてコイルを当該血管瘤にも詰める作業を行ったものであるから(証拠<省略>),第5胸椎レベルに存在する血管瘤であるとしたQ医師の判断には,相応の根拠があったものと認められる。
しかしながら,脊髄動静脈奇形や脊髄血管系の研究は年々進歩しており,かつては毛玉様にみえたために動静脈短絡様血管と思われていたものが,その後の研究の進歩により,血圧亢進により拡張した静脈であったことが判明した事例が報告されたことや(証拠<省略>),かつては動脈瘤と思われていたものが静脈瘤と判明した例が報告される(証拠<省略>)等の脊髄動静脈奇形における血管系統の研究の進捗状況からすると,本件手術当時,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②が動脈瘤であると認識されていたとしても,これが客観的には静脈瘤であった可能性も否定できないというべきである。また,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②と繫がっていることが窺われる血管にも静脈と判断されたものがあるところ,当該血管と,動脈瘤とされた上記血管瘤との間に,動静脈短絡等の動脈と静脈の境にあたる部分が存在するはずであるが,本件ビデオ上,この存在が確認されたかは判然としない。
さらに,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②については,組織標本が保存されておらず,鑑定人も,組織標本があれば特定できる可能性はあるが,本件ビデオ画面のみでは動脈瘤か静脈瘤か断定できないとしている(証拠<省略>)。
そうすると,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②は,前記のQ医師の判断根拠や,本件医師団の本件手術中の会話からすると,動脈瘤であった可能性は高いものの,結局のところ判然とせず,「第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②」の限度で認定せざるを得ない。
(イ) 血管①ないし血管⑦について
本件ビデオにおける本件医師団の医師の発言内容からすると,本件ビデオ3巻0時間45分ころに切断された血管②は流出静脈,同1時間1分ころに切断された血管④も流出静脈,同1時間24分ころに切断された血管⑤も流出静脈,コイルが詰まっており,同1時間33分ころに切断された血管①は流入動脈,血管⑥は静脈(還流静脈)ということになる。しかしながら,前記のとおり,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②が動脈瘤であるのか,静脈瘤であるのか断定できないため,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②との関係での血流方向のみで単純に動脈か静脈かを判別できないこと,原告X1の脊髄動静脈奇形の血管構造は極めて複雑であり,本件ビデオだけでは到底その全貌を把握できないこと,鑑定人も,本件ビデオ画面上,動脈か静脈か判別できないとしていること(証拠<省略>)等からすると,第5胸椎レベルの血管①ないし血管⑦が動脈か静脈かを断定することは困難である。
そこで,本件塞栓術によるコイルの塞栓状況,血管の位置やドップラーによる血流方向の測定結果等も踏まえて検討すると,血管①は第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②等への流入血管であったと認められるが,他の血管については,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②に繫がる流入血管又は流出血管という限度で認定せざるを得ない。
(ウ) 第5胸椎レベルからの摘出物
以上を総合すると,本件手術において第5胸椎レベルから摘出された組織は,「第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②と,これらに繫がる流入血管及び流出血管の一部」であったと認められる。
ウ 第2胸椎レベルからの摘出物について
(ア) 第2胸椎レベルの血管瘤について
第2胸椎レベルの血管瘤については,平成8年9月4日のMRI画像所見では静脈瘤と思われる無信号域が脊髄左側に認められるとされているが,本件塞栓術を担当したQ医師は動脈瘤であると認識しており,本件手術中においても動脈瘤であることを前提とする会話がなされ,本件手術後の診療録等にも,第2胸椎レベルから動脈瘤を摘出したと記載されていたことからすると,本件医師団は,原告X1がa病院を最終的に受診した平成14年3月12日まで,概ね一貫して第2胸椎レベルの血管瘤を動脈瘤であると認識しており,その後,それが静脈瘤であると,認識を変更したものであると認められる。そして,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②と同様,第2胸椎レベルの血管瘤についても,動脈瘤であるのか静脈瘤であるのかは断定できないというべきである。
(イ) 血管⑧ないし血管⑪について
本件ビデオにおける本件医師団の医師の発言内容からすると,本件ビデオ4巻0時間8分に切断された,コイルが詰まっていた血管⑧は流入動脈,同0時間11分に切断された血管⑩が流入動脈,同0時間13分に切断された血管⑨が流出静脈,同0時間15分に切断された血管⑪が流出静脈となる。しかしながら,前記のとおり,第2胸椎レベルの血管瘤が動脈瘤であるのか,静脈瘤であるのか断定できないこと等からして,第5胸椎レベルと同様,第2胸椎レベルの血管⑧ないし血管⑪が動脈か静脈かを断定することは困難である。そこで,血管⑧ないし血管⑪についても,第2胸椎レベルの血管瘤に繫がる流入血管又は流出血管という限度で認定せざるを得ない。
(ウ) 第2胸椎レベルからの摘出物
以上を総合すると,本件手術において第2胸椎レベルから摘出された組織は,「第2胸椎レベルの血管瘤と,これらに繫がる流入血管及び流出血管の一部」であったと認められる。また,手術室看護記録によると,本件手術当日の午後6時ころに「2ヶ所摘出」とあること,原告X2も,摘出した組織を3つ見せられており,そのうち1つは第5胸椎レベルからの摘出物であって,第7頚椎レベルでは摘出は行われていないことからすると,第2胸椎レベルからは,2つの摘出物があったと認められる。ただし,第2胸椎レベルの血管瘤及びその前後の血管の一部以外に,どのような組織が摘出されたかは証拠上不明である。
エ 第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルで行われた術式の適応の有無について
(ア) 第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルでは,それぞれ存在していた血管瘤が摘出されており,摘出物の中に動静脈短絡が含まれていたかは不明であり,また,一部の血管の焼却は行われているが,動静脈短絡を同定した上での遮断あるいはその直前の流入動脈の遮断が行われたとは認められない。そして,A医師は,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤を摘出した理由として,血管瘤が脊髄を左から圧迫していたため,圧迫を除去する目的であった旨説明し,これに対し,原告らは,静脈還流の障害や,脊髄への傷害等の観点からすると,いかなる血管の摘出も適応がなく,また,本件においては,血管瘤をバイポーラで焼き縮めることも可能だったのであるから,やはり適応がない旨主張するので,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルで施行された手術の適応の有無を検討する。
(イ) 摘出術一般の適応の有無について
a 前記で認定した医学的知見及び脊髄動静脈奇形に関する諸論文によれば,脊髄動静脈奇形の治療法には塞栓術や観血的手術等が存在し,観血的手術には,大別すると遮断術と摘出術が存在することが認められる。もっとも,前記で認定した医学的知見や証拠<省略>を総合すると,一口に脊髄動静脈奇形の摘出といっても,動静脈短絡のみを摘出する場合や,動静脈短絡とその付近の血管を一塊のものとして摘出する場合,動静脈短絡とは別に血管瘤を摘出する場合など,その詳細は症例に応じて様々であると認められる。そして,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルにおいては,血管瘤及びその前後の血管の一部が摘出されたものであるから,まず,本件と同様の摘出術の一般的な適応がどのように考えられるかを検討する。
この点,脊髄動静脈奇形に関する諸論文によれば,遮断術については,「interruption of the arteriovenus shunt(動静脈短絡部の遮断)」(証拠<省略>),「This fistulous point was coagulated.(この瘻孔部は焼却された)」(証拠<省略>),「AV shuntの遮断」(証拠<省略>),「AVF遮断」等の言葉が用いられ,摘出術については,「観血的 nidus or drainerの摘出」(証拠<省略>),「Nidusの摘出」(証拠<省略>),「硬膜AVMのnidusを除去」(証拠<省略>),「AVshuntの離断」(証拠<省略>)等の表現が用いられているところ,鑑定人質問の結果及び証拠<省略>によれば,一般的に「遮断」と「離断」は同じ意味で用いられており,血管を結紮する場合もあれば,術中の判断によっては確実に血行を断絶するため切り取る場合もあるとされ,それが遮断と離断の違いにすぎず,「離断」と「摘出」についても,どこまでを離断といい,どこまでを摘出というかは程度の差だけであって,決まった用語の使い方はないことが認められる。また,「AVM」や「AVF」という言葉自体についても,動静脈短絡がより単純なものを「AVF」と呼ぶことはあるが,本質は同じものと考えられるとのことである。さらに,「ナイダス」という言葉についても,厳密に髄内動静脈奇形の動静脈短絡に限定して用いられているとまではいえないとされており,実際,証拠<省略>の研究論文では,「如何なるタイプのAVMであれ,ナイダスの摘出は目指さず」などと記載されている。
そうすると,前記の諸論文における「AVM」「AVF」「ナイダス」「AVシャント」「フィストゥラ」という言葉や,「離断」「遮断」「嫡出」という言葉の有する意味については,曖昧模糊とした部分があり,「摘出術」施行例の術後成績が悪いと報告がなされていたとしても,それが,本件手術と同様に,血管瘤及びその前後の血管の摘出が行われた事例についてのものであるのか不明である以上,かかる症例報告を理由に,本件手術のような摘出術一般の適応を直ちに否定するのは相当でない。むしろ,証拠<省略>からすると,本件と同様の手術一般につき,摘出術が禁忌であるとの見解が医学的に確立したものとなっていたとは認められず,如何なるタイプのAVMであれ,「ナイダス」の摘出は目指すべきでない等の議論も,提言にどどまるものであったというべきである。
b また,摘出という手術手技は,脊髄への侵襲や血行動態の変化を生じさせるものであるが,脊髄の血管は脊髄表面等においてネットワークを構成しており,その一部を遮断しても必ずしも直ちに還流障害を生じるわけではないため,術者において手術による効用と安全性を比較検討,判断した結果,正常な静脈還流に関与していないと判断した血管を遮断することが医学的に誤りであるとは認められない(証拠<省略>)。この点,原告らは,脊髄動静脈奇形により脊髄の血管のネットワークが限界に達しているので,静脈の遮断に適応がない旨主張するが,前記の医学的知見で認定した脊髄血管系の存在状況からすれば,かかる主張を踏まえても,いかなる流出静脈の切断も許容されないとまでは言い難い。
したがって,血管瘤による周辺組織への圧迫所見など,摘出の必要性が高い場合と認められる場合に,血行動態に重大な悪化を生じさせないと判断した血管を遮断,切断して血管瘤を摘出することは,医学的見地からすれば,許容の範囲内であると認められる(証拠<省略>)。この見解を排斥するに足りる医学的知見は,全証拠を精査及び検討しても見あたらない。
c 以上からすれば,本件手術と同様の手術に関する一般論として,摘出術自体に適応がないとは認められない。そこで,以下では,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルを執刀したA医師の適応判断に誤りが存在したかを検討する。
(ウ) 本件手術における適応の有無について
a 摘出の必要性の有無について
⒜ 前記のとおり,証拠<省略>によれば,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②,第2胸椎レベルの血管瘤が相当の大きさをもって脊髄を左側から圧迫していたことが認められる。また,平成8年7月11日の神経学的所見としてブラウンセカール型の脊髄障害と診断されており,前記で認定したブラウンセカール症候群に関する医学的知見及び同日の脊髄髄節知覚支配域検査の結果からすると,原告X1は,第3胸椎レベルないし第8胸椎レベル(脊髄レベル)付近に対応する脊髄の左側が障害されていたことが窺える。そうすると,麻痺部位が一定の範囲にわたっていたことや,椎体レベルと脊髄レベルが同一とは限らないことを踏まえると,原告X1の脊髄の障害部位が第5胸椎レベルであるのか,第2胸椎レベルであるのか,双方であるのかまでは断定できないものの,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤が脊髄を左から圧迫していたことが原告X1の当時の脊髄障害の原因となっていた可能性が高いと認められる。
そして,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルについては本件手術に先立ち本件塞栓術が施行され,本件塞栓術施行後に撮影された平成8年9月18日の血管造影画像で塞栓部位以下の血流が著明に減少していたにもかかわらず,本件手術時には,依然として第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤が,コイルが入った状態で,相当な大きさをもって脊髄を圧迫しており,これを放置したのでは圧迫が継続する上,将来,本件塞栓術において塞栓された部分の血流が再開通して,圧迫により神経症状が更に悪化する可能性も存在していたものである。
したがって,本件においては,脊髄への圧迫を解除するため,血管瘤の摘出を行う必要性が存在していたものであり,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術は,血管瘤による脊髄への圧迫を解除し,脊髄障害の原因を除去するという必要性に基づいて行われたものと認められる。
⒝ この点,原告らは,血管瘤(なお,原告らは動脈瘤であったと主張している。)による脊髄への圧迫が認められても,それを解除するためには流入動脈等の遮断術を施行し,その血管瘤を焼き縮めれば足りる,血管瘤にはコイルが入っていたが,コイル以外の部分は血栓であるので焼き縮めることは可能である,焼却に伴う熱の影響についても,瘤の表面だけを焼くことは可能である,本件塞栓術の施行により,動脈圧の拍動性の圧迫は消失して血管瘤自体も元よりも縮小するはずであり,将来の圧迫の増大や出血の予防ができれば十分であったなどとして,摘出の必要性を強く否定する。
しかしながら,血管瘤への流入血管の遮断という手法については,血管瘤への流入血管が1本のみという単純な場合であれば格別,本件のように血行動態が極めて複雑で,多数の流入血管が存在する可能性がある場合,その全てを遮断しない限り,術後に血流が再開通する可能性もあるところ,手術の目視下(顕微鏡下を含む)に全ての流入血管を発見して遮断するのは極めて困難であるし,血管瘤の裏側の探索も要することになり,多大な侵襲を伴うことになる。また,バイポーラによる焼却についても,血管瘤の表面だけの焼却では血管瘤内の血管壁は焼却しきれないまま残存し血流が再開通する可能性があり,血管瘤全体を確実に焼却する場合は,血管瘤が相当に大きいことから相当な電圧をかけて焼却を行う必要があり,手術部位が脊髄実質の極めて近傍であることからすると,脊髄への熱の悪影響は免れないところである。
⒞ 原告らは,仮に第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤が静脈瘤であった場合,その中にコイルが入っていることから,動静脈短絡を越えてコイルが入ったことになり,動静脈短絡にもコイルが詰まっているはずであるから,その部分を遮断すれば足りるとも主張する。しかしながら,仮に第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤が静脈瘤であったとしても,脊髄は直径約1~1.5cmと幅が狭い組織であり,その幅の多くを当該血管瘤が占めていた上,動静脈短絡は周辺組織と色が異なるわけでもなく,その同定は極めて困難であったことからすると,本件では,かかる手法は現実的とは言い難く,また,それにより脊髄を圧迫していた各血管瘤が縮小する保証もない。
⒟ また,血管瘤の中のコイルを抜去する方法については,塞栓術施行直後であれば格別,塞栓術施行から一定の時間が経過することによりコイルが血管壁にはまり込むなどし,無理に抜去すると血管壁の重大な破綻を来す可能性がある以上,かかる方法も非現実的である。
⒠ そうすると,原告らの主張を踏まえて検討しても,本件手術において第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤の摘出の必要性は否定できないというべきである(証拠<省略>)。
b 摘出の合理性の有無について
⒜ 原告らは,血管瘤と脊髄の癒着の剥離操作等で脊髄が傷つくことから本件のような摘出術に適応がない旨主張するが,そもそも脊髄動静脈奇形に対する観血的手術自体が脊髄への一定の侵襲を伴うことが不可避である侵襲的医療行為である。血管瘤の剥離,摘出という手術手技は,流入血管及び動静脈短絡のみの遮断と比較して侵襲が大きい点は原告らの指摘するとおりであるが,摘出術一般の適応が常に否定されるものではないことは既に検討した医学的知見のとおりであり,また,手術における適応は施術により得られる効用と安全性の比較検討を行った上,判断されるべきところ,本件では,脊髄圧迫の解除という高い必要性,効用が存在していたものであったことからすると,原告らのかかる指摘を踏まえて検討しても,本件手術における摘出の合理性は直ちには否定されないというべきである。
⒝ また,原告らは,摘出に伴う流出静脈の遮断により,還流障害が発生する危険を指摘する。この点,確かに,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤の摘出操作により,流出静脈の一部も遮断された可能性は高いと認められるが,脊髄辺縁部動静脈瘻が存在する脊髄表面付近には多数の血管のネットワークが存在しており,また,流出静脈の一部が遮断されたとしても,それは摘出に伴う必要最小限度のものにとどまっていたといえるから(証拠<省略>),直ちに還流障害を生じる可能性があるとまでは認められず,かかる主張は採用できない。
⒞ したがって,本件手術においては,摘出の合理性も否定されない。
(エ) 以上からすると,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの手術に適応違反の過失があったとは認められないというべきである。
オ 第7頚椎レベルで行われた術式の適応の有無について
第7頚椎レベルにおいては,摘出は行われず,動静脈短絡への流入血管の探索及び焼却がなされたものであるが,動静脈短絡自体あるいは動静脈短絡に近接した部位の流入動脈を遮断する手技自体は適応があるところであり,第7頚椎レベルで行われた術式に適応違反は認められない。
カ 以上によれば,本件手術に適応違反があったとは認められないというべきである。
⑶ 本件手術手技上の過失の有無(争点2)について
ア 第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルまでに行われた手術手技上の過失の有無
(ア) まず,椎弓切除時までは時間をかけて慎重かつ丁寧に手術が行われており,また,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルで行われた剥離操作も顕微鏡下で慎重かつ丁寧に行われていることが認められる(証拠<省略>)。
(イ) 脊髄への直接的な損傷の有無
a 摘出術においては,不可避的に脊髄への一定の侵襲や,流出静脈の一部の遮断を生じるものであるが,本件手術の手技に適応が認められることは前記のとおりであり,原告X1の脊髄動静脈奇形が極めて複雑な構造を有していたものであることも併せ検討すると,その剥離操作に伴って生じる脊髄への一定の侵襲や,流出静脈の遮断を本件手術手技上の過失と評価することはできない。
b 本件ビデオ4巻0時間30分ころには,第2胸椎レベルの脊髄後索ないしその付近が焼かれているようにも見えるが,これが脊髄自体を焼いたものであったかは本件ビデオだけでは断定できず,仮に脊髄付近を焼いたとしても,それは止血のため不可避的な操作であり,かつ,必要最小限にとどまっていたもので,これをもって,本件手術手技に過失があったと評価することはできない。
ウ 重大な出血の有無
a 原告らは,本件手術における出血のうち,椎弓切除までの出血量が多かったこと,本件ビデオ3巻1時間14分ころに本件出血部位から多くの出血がみられたことを指摘し,特に,後者の出血は術後の血腫形成の可能性等を考慮すると極めて問題がある旨主張する。
b 本件出血部位からの出血について
確かに,前記第5の2⑸で認定したとおり,本件ビデオ3巻1時間14分ころ,バイポーラでの剥離作業中に本件出血部位から出血し,バイポーラで止血が試みられたものの奏功せず,最終的には本件手術の終了前にゼルフォームの上からビオボンドが塗られたことが認められる。しかしながら,本件手術のような侵襲的医療行為においては,一定量の出血は不可避である上,当該剥離操作自体も,この部分だけとりわけ乱暴な剥離操作が行われたとは認められない。また,術後の硬膜内の血腫形成の点についても,大きな血腫が生じれば完全対麻痺(下半身不随)となるところ,原告X1は,本件手術後,手術直後の急性期を除ぎ,少なくとも数年の間は下半身不随となっていないことからすると,わずかな血腫形成の可能性はあるものの,重大な血腫が生成されたとも認められない(証拠<省略>)。
なお,本件ビデオにおいては,被告は不明瞭と指摘するものの,原告らの指摘のとおり,本件出血部位につき,術後血腫を心配する趣旨と思われる会話や,「お祈りしよう」という会話等も聞かれるが,予想される最悪の事態を医師として話し合うなどすることもあるのであるから,手術室内での会話を表面的に捉えて直ちに手術手技に過失があると評価することは妥当でないというべきである。
c 椎弓切除時等の出血について
椎弓切除時までには3時間程度を要し,本件手術全体の出血量は約1110ミリリットル(証拠<省略>),輸血量は約780ミリリットル(証拠<省略>。なお,S医師が作成した退院時サマリー(証拠<省略>)には,本件手術における輸血量が10単位(全血液換算2000ミリリットル)であった旨の記載があるが,輸血を担当した麻酔医の作成した麻酔記録等に照らせば,本件手術の出血量は780ミリリットルであると認められる。)となったところ,原告らは,輸血したMAP780ミリリットルを全血液換算すると1126ミリリットル相当となること,へモグロビン値が維持されているとしても,それは麻酔医が輸血を行った結果であって,追加の血液の督促がなされていることからすれば,予想を上回る出血量があった旨指摘する。
しかしながら,本件手術は観血的手術であって一定の出血は不可避であり,例えば,他の脊髄動静脈奇形の患者の観血的手術においては約1万2000ミリリットルの出血があった例も存在していたところ(証拠<省略>),本件の約1110ミリリットルという出血量は,第6頚椎レベルないし第7胸椎レベルまでの9椎体レベルに及ぶ手術の結果としては多量であったとはいえない。本件ビデオ画面上は,頻繁に吸引を要する出血もみられるが,それは拡大した画像下のものである点も考慮する必要があり,本件ビデオを検討した鑑定人においても,出血量は想定の範囲内にとどまってると評価している(証拠<省略>)。また,一般的に輸血を要するのは血中ヘモグロビン値が8.0g/dl以下となった場合であるところ(証拠<省略>),本件手術中の麻酔記録によれば,原告X1の血中ヘモグロビン値は午前10時30分ころから午後3時半ころにかけて,10.9,9.1,9.6,11.0,10.7と推移しており(証拠<省略>),輸血はされているものの,血中ヘモグロビン値は比較的安定した値となっていて,制御困難な量の出血があったとも認められない。さらに,本件ビデオにおける「出血がものすごい」等の発言は,その時点における一時的な出血量に対する発言であって,本件手術全体で大出血があったという趣旨ではなく,追加の輸血用血液の準備依頼がなされた点についても,実際に輸血が開始されたのは午前10時20分ころの手術開始から約3時間が経過した午後1時20分ころからであって,手術当時の麻酔医の前方視的な判断として輸血用血液が不足しないよう万全を期したものと窺われることからすると,これらの点をもって,過失と評価できるほどの出血があったということも相当ではない。
したがって,本件手術手技上,過失と評価できるほどの出血があったとは認められない。
イ 第7頚椎レベルで行われた手術手技上の過失の有無
(ア) 原告らは,本件手術後に,第7頚椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻へ2本の流入動脈が造影されていることから,動静脈短絡への流入動脈の遮断はされなかった,本件手術後,第7頚椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻から第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形への血流が開通するなど悪化しているなどと主張する。
(イ) そこで検討するに,本件手術前である平成8年9月9日の血管造影画像では,第6,7頚椎レベルの分節動脈から流入動脈が出て2本に分かれ,第7頚椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻に繫がっていること,その流出静脈は,最初は脊髄辺縁部動静脈瘻の下端付近から一旦下方に向かうものの,その後,内椎骨静脈叢から椎体外の静脈と思われる静脈に,上方向に流出している様子が撮影されている。そして,本件手術後である平成8年10月8日の血管造影画像では,造影されていた2本の流入動脈のうち,画像右側の流入動脈は,本件手術前とほぼ同様の形を留めているが,濃度が薄くなり,他方,画像左側の流入動脈が太く濃染されていること,更に,脊髄辺縁部動静脈瘻の下方から,第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形への還流が生じていることが認められる。そのため,双方の画像を単純に比較すれば,第7頚椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻の,造影された2本の流入動脈は処置されず,本件手術により血行動態が変化,悪化して新たに第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形への血流の連絡が生じたものとも見えるところである。
しかしながら,脊髄動静脈奇形においては,側副血行路が多数存在することがあり,血管造影検査は,造影剤を目的動脈に注入して経時的に撮影検査するものであって,血流の流速に応じて濃染の度合いが異なること,また,造影されるのは流入動脈の圧格差によって描出されるもののみであり,造影されない側副血行路も存在することを踏まえて検討すると,血管の遮断を行った場合であっても,手術後に当該血管が造影されても矛盾しないというべきである。むしろ,平成8年10月8日の血管造影画像において,画像右側の流入動脈が薄くなったのは,側副血行路を通じて血流が残存したが,画像左側の流入脈と比較して流速が遅くなったためと考えるのが相当である。さらに,本件手術後に第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形への還流が造影されるようになった点についても,第2頚椎レベルの手術により血圧が低下し,第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形における血圧との圧差が逆転するなどして,本件手術前に造影されなかった第1胸椎レベルないし第7胸椎レベルの髄内動静脈奇形への血流が造影されるようになったものとも考えられ,本件手術により血行動態が悪化したとまでは認められないというべきである(証拠<省略>)。
(ウ) そうすると,本件手術において,血管の焼却後に周辺の血管が縮小したこと,本件手術後の説明において,メインの流入動脈を遮断したとの説明がされたことも併せて検討すると,第7頚椎レベルにおいては,第2胸椎レベル脊髄後方の脊髄辺縁部動静脈瘻の動静脈短絡への複数の流入動脈のうち,一部の遮断がなされたものであり,それは,本件手術において探索等が可能な限度内で行われたものであって,第7頚椎レベルで行われたその手術手技に過失は認められない。
ウ したがって,本件手術手技上の過失は認められないというべきである。
⑷ 説明義務違反,合意順守義務違反の有無(争点3)について
ア 原告らは,原告X1には,患者として,医師による誠実な説明を聞いた上で,治療期間や方法,時期を選択する自己決定権があり,原告X1は,原告X2の全面的な協力の下,情報を収集し,遮断術を受けるためにわざわざa病院まで赴いたもので,当時の原告X1の症状は落ち着いており,当面は遮断術を受けてその効果を確認する時間的,経済的余裕があり,事前に摘出術について検討の余地があれば,その安全性や効果について検討,判断できたはずであったのに,本件医師団がそれを尊重した説明を行わず,実際に行われた本件手術の術式につき同意も得ないまま本件手術を行ったものであるから,a病院には自己決定権を尊重しなかったという合意遵守義務違反,説明義務違反があるなどと主張する。
イ そこで,まず,合意遵守義務違反の有無について検討するに,原告らは,血管瘤の存在自体は告げられていたものの,これに関する具体的な施術については説明を受けておらず,流入動脈を焼くことにより,動静脈短絡部のみならずその周辺の疾患を広く含むものと窺われる「AVM」の縮小を目指すという説明を受けて手術に同意したものにすぎないから,本件医師団との間でなされた本件手術の具体的な術式に関する合意はある程度概括的なものにとどまっており,本件については,原告らが主張する合意遵守義務違反は認められないというべきである。
ウ 次に,説明義務違反の有無について検討する。
(ア) 診療や治療行為には一定の侵襲を伴い,また,それによる予後が患者の人生に重大な影響を与えうることから,医師は,当該患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,その侵襲自体に同意を得るため,また,患者が自らの身に行われようとする術式につき,その利害得失を理解した上で,その術式の手術を受けるか否かを選択,決断することを助けるために,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があると解される。そして,術前の説明は,侵襲に対する同意や将来の予後を踏まえた術式の自己決定等の目的のために行われることからすれば,当該患者が必要とする情報を提供し,理解が可能となるよう説明を行うことが重要であり,また,手術の内容,部位,医学的知見の確立の有無等に応じ,医師としても,説明すべき内容には差異があるものと解するのが相当である。
(イ) これを本件についてみるに,B医師らによる術前の説明の内容は,「細かいフィーダーはきちんと焼いて,AVMが縮小する」ことを目指すというものであり,原告X1も脊髄後方の血管を焼却することで神経症状が悪化しないのか質問していること等からすると,本件の術前説明において,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤自体を摘出する可能性が存在すること及びその危険性につき,具体的な説明がなされたとは認められないというべきである。
また,本件において,「AVM」という言葉は,動静脈短絡及びその流入動脈,流出静脈のみならず,周辺に形成された血管瘤とその前後の流入血管,流出血管と等の周辺の病態を含む,広い意味で用いられたことが窺えるところ,血管瘤と動静脈短絡がほぼ同一であった場合は別として,血管瘤を処置した場合であっても,動静脈短絡本体は残り,発展する可能性もあることからすると,血管瘤の処置のみにとどめるのか,動静脈短絡の遮断等も併せて目指すのかなどの点についても相応の説明を行うべきであったが,この点の説明も十分なされたとは言い難い。
この点,a病院1回目の入院時の看護記録に「エンボリしても又開通する恐れがあるので,全部摘出した方がよいときいている。何年かかけて3回位opeが必要だと聞いている。」旨の記載があること(証拠<省略>),原告X2が,本件手術後に摘出された血管塊を3つ見せられた際に,摘出の適応に疑問を呈する発言をしたことが記録されていないこと(証拠<省略>)からすると,原告らが,本件手術前に摘出の可能性の説明を受けていたかも問題となりうるところである。しかしながら,看護記録の上記記載については,第5胸椎レベル,第2胸椎レベル及び第7頚椎レベルを3回に分けて施術する可能性を検討している段階のものであって,最終的な術式決定がなされていない段階のものであり,本件手術前日である同月19日の上記説明内容や,同月9日以降に作成されたa病院の本件症例報告(証拠<省略>)に,今回は後脊髄動脈系の動脈瘤及び動静脈短絡による症状が主であるため,塞栓術施行後に外科的遮断(surgical interruption)を行うのが最善であるなどと,同月19日の説明内容と合致する記載がされていたことからすると,原告らに対し,摘出の可能性が具体的に説明されたとは認め難い。また,本件手術後に,原告X2が手術適応に疑問を呈する発言を行った旨の記録がない点についても,原告X2が,摘出時に神経を傷つけた可能性を質問するなど,原告X1の容態の回復を気遣っていた状況下での出来事であることからすると,この点をもって,原告X2が摘出術についての十分な説明を受け,それに同意していたと認めることはできない。
(ウ) 確かに,脊髄動静脈奇形における全ての血管動態を術前に把握し,説明することは困難である。しかしながら,本件では血管瘤の存在自体は本件手術前にも判明しており,術前説明でもその存在に言及がされていたこと,Q医師が,本件塞栓術において,血管瘤の先端付近までカテーテルを進め,血管瘤も含めて塞栓を行った事を報告していたこと,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルにおける実際の手術手技をみると,A医師は,当初から一貫して血管瘤の摘出に向けた手術を施行していたとみられること,原告X1や原告X2に対する術後説明において,やむなく予定を変更して摘出を行ったという趣旨の説明がなされていないこと等からすると,本件は,術前に全く予測できない圧迫所見を認めたために,術前に予定していた動静脈短絡や流入動脈の遮断という手術手技を,術中における医師の判断によりやむなく変更した場合とは異なっており,術前説明で血管瘤の摘出の可能性を説明できなかったとは認められないというべきである。
(エ) 以上を総合すると,A医師が施行した第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルにおける術式は,血管瘤の剥離,摘出を当初から目指したものであることが窺われ,B医師の原告らに対する本件手術前の説明内容とは大きく異なるもので,B医師においては,この説明の当時,a病院医師らの当時の論文やB医師において施行された第7頚椎レベルにおける手術手技等からすると,上記説明内容どおりの術式を想定して,原告らに対する説明を行ったものと考えるのが自然である。そして,血管瘤の剥離,摘出による脊髄等に対する侵襲の程度が,本件手術の結果等からしても,これらをしない場合と比較して大きいことや,原告らが,術前の説明時に,予定する血管の焼却部位や焼却による神経症状への影響を詳細に質問等していた状況にも鑑みると,薬剤師である原告X1及び耳鼻咽喉科医師である原告X2においては,血管瘤の剥離,摘出に伴うリスクについての説明を本件手術前に受けておれば,これを選択しないということも十分あり得たと認められる。
(オ) したがって,本件医師団は,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルにおける血管瘤の剥離,摘出をする可能性や,その効用,リスク等について十分説明すべき義務があったにもかかわらず,これを怠り,原告らの本件手術における選択権を侵害したものというべきである。
5 第9胸椎レベルにできた動脈瘤の見落としの有無(争点4)について
⑴ 本件手術後,原告X1は,a病院に通院,2回目の入院等をして経過観察を続けていたものであるが,第12肋間動脈の第9胸椎レベルに動脈瘤を生じ,k病院において,平成17年3月17日に塞栓術の施行を受けたものである。この点につき,原告らは,a病院は,①平成8年9月9日の血管造影画像と平成12年9月26日の血管造影画像との比較から,平成12年9月26日に動脈瘤の発見が可能であった,②平成12年9月28日のMRI画像で,脊髄への動脈瘤の圧迫所見を,同日の所見検討で発見可能であった,③平成14年3月11日のMRI画像では,更に動脈瘤が肥大化し強く脊髄を圧迫していたことから,これを検討した同月12日の時点で発見可能であったので,a病院には,第9胸椎レベルに生じた動脈瘤の見落としの過失があった旨主張する(証拠<省略>)。
⑵ そこで,検討するに,平成12年9月26日の血管造影画像に写っている第12肋間動脈の所見(証拠<省略>)は,通常の動静脈奇形の血管の蛇行部分にも同様にみられる程度のものであり,当時,注意を要する動脈瘤であると判断しなかったことを過失と評価することはできない。
また,平成12年9月28日のMRI画像における第9胸椎レベルの動脈瘤の無信号領域(証拠<省略>)は比較的小さなものであり,平成14年3月11日のMRI画像における第9胸椎レベルの無信号領域(証拠<省略>)は平成12年9月28日のMRI画像と比較すれば拡大しているものの,それでも,第9胸椎レベルより上位の本件手術部位に近い椎体レベルにはより大きな無信号領域が認められていて,第9胸椎レベルの所見が特徴的であったわけではない。さらに,原告X1の側弯症のため,1つの画像では脊髄全体を捉えきれないという状況下で,矢状断面像及び水平断面像が多数枚撮影されており,原告らが指摘する第9胸椎レベルの無信号領域が撮影されていたのは,その一部の画像の,数椎体レベルにわたる画像の一部にとどまっていた上,第9胸椎レベルは重点的な経過観察を要する本件手術を施行した部位から離れており,平成14年3月11日のMRI画像を撮影したi外科の所見検討(証拠<省略>)でも第9胸椎レベルの動脈瘤は指摘されていない。そうすると,第9胸椎レベルの動脈瘤の画像を拡大した上で事後的かつ集中的に比較検討すれば,当該動脈瘤が時間の経過観察とともに拡大していたと容易に認められることは原告らの指摘のとおりであるが,平成12年9月28日と平成14年3月12日の当時における医学的判断として,第9胸椎レベルの無信号領域を著明な病変と捉えることは困難であったと認められる(証拠<省略>)。
⑶ したがって,原告らのこの点に関する主張は採用しない。
6 因果関係の有無及び損害(争点5及び6)について
⑴ア 第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤の剥離,摘出の可能性,その危険性等につき具体的な説明がなされていないという説明義務違反が認められることは前記4⑷記載のとおりである。そして,本件手術開始後には第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤による脊髄の圧迫所見を確認し,コイルが入っていたため摘出しない限り圧迫を解除できないと判断し,医学的には適応のある摘出術を行わざるを得なかったとしても,原告X1が,国内の脊髄動静脈奇形の治療で最も臨床例があり,国内最高レベルの技能を有し安全性も高いと考えていたa病院まで赴いたこと,本件手術前である平成8年9月19日の術前説明において,神経症状の改善の見込みを心配し,詳細に質問をしていたこと(証拠<省略>),原告ら自身,原告X1の脊髄動静脈奇形が極めて複雑で根治がほぼ不可能であることを理解していたこと(証拠<省略>)等からすると,原告らが,本件手術にあたり,根治性よりも安全性を優先していたことは明らかである。そうすると,原告X1が第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルの血管瘤の圧迫が原因と思われる脊髄症状を呈していたとしても,緊急に摘出術を施行すべき状況ではなかったことからすると,本件医師団による説明義務が遵守されていれば,原告らが血管瘤の剥離,摘出手術を選択しないということも十分あり得たものと認められる。
イ もっとも,原告らは,観血的手術により動静脈短絡の探索及び遮断,あるいは,動静脈短絡近傍の血管の探索及び遮断自体は了承していたものであり,本件医師団による説明義務が遵守されていたとしても,動静脈短絡等の遮断という観血的手術が行われていた可能性が高いというべきところ,かかる手術手技自体も脊髄への一定の侵襲を伴うものであって,手術直後の急性症状は,観血的手術自体により不可避的に生じる障害ということができる。
また,原告X1の中・長期的な症状については,前記2のとおり,本件手術前は手すりや原告X2等の支えがなくとも歩行可能であったのに対し,本件手術後には手すりや原告X2等の支えを受けながらの歩行しかできなくなり(平成16年末ころ以降は更に悪化),感覚障害も両側性に悪化していることが認められる。しかしながら,その原因については,これまでに認定判断したところによれば,観血的手術自体に伴う脊髄への不可避的な侵襲が寄与していることや,原告X1の脊髄動静脈奇形が極めて複雑で治療困難かつ経時的に悪化する疾患であり,本件手術部位以外の脊髄動静脈奇形を含め,その疾患全体が脊髄障害の発現につき本領を発揮している点にあると認められる(証拠<省略>)。例えば,平成12年末に発症したクモ膜下出血も,その一例と考えることが可能である。さらに,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤は,本件塞栓術施行後も相当な体積を占めて脊髄を圧迫しており,脊髄は外部からの長期的な圧迫に対しては比較的強いとされるものの,それでもブラウンセカール症候群等が見られはじめており,仮に本件手術においてその摘出を行わずに自然経過観察とした場合には,下半身の知覚障害,排尿排便障害等の下半身不随を来すことが相当な確率をもって予想されている(証拠<省略>)。
そうすると,一般的に,血管瘤の剥離,摘出による侵襲が動静脈短絡あるいはその直前の流入動脈の遮断による侵襲よりも大きいことや,本件手術後の原告X1の感覚障害,身体動作,神経学的所見が本件手術前よりも悪化したという原告らの主張を踏まえて検討しても,その悪化による全損害と本件医師団の説明義務違反との間に因果関係があるとは認められず,原告らは本件医師団の説明義務違反に基づく自己決定権侵害についての精神的苦痛に対する慰謝料のみを被告に対して請求できるというべきである。
⑵ 原告X1は,将来の生活動作の悪化を防ぎ,m社の仕事や,主婦・妻としての十分な働きをするため,その脊髄動静脈奇形の治療法を可能な限り調査検討し,根治性ではなく安全性を重視しながら全国各地の病院を多数受診して治療を受け,観血的手術による脊髄症状の改善の望みをかけて本件手術に臨んだものである。原告X1は,薬剤師として脊髄動静脈奇形につき一定の知見を有しており,術前説明においては手術による神経症状の悪化の可能性も含めて質問したものであるが,手術による神経症状の悪化についての一般的な説明は受けたものの,血管瘤の剥離・摘出の可能性や効用,危険性につき具体的な説明を受けず,脊髄のAVMを焼くという概括的な説明のみ受けて血管瘤の摘出を受けた。原告X1としては,脊髄が身体の中枢というべき部位であり,一旦,摘出や遮断をした血管は二度と元に戻らず,手術により血行動態や神経症状に変化が生じうることから,術前に十分な説明を受け,治療方針を理解し,術式を選択した上で手術に臨みたいとの思いを抱いていたことは明らかである。また,原告X2は,最愛の妻である原告X1の脊髄動静脈奇形につき多大な関心を有し,平成8年9月19日の術前説明の場にも同席して術前説明を受け,原告X1とともに検討し,原告X1による術式の決定に大きく関与していたことが明らかである。そして,原告らは,本件手術後に血管塊の摘出が行われたことを知り,当初の説明と異なるのではないかという釈然としない思いの中,それでも自ら検討,選択した手術の結果,術後症状が悪化したのであれば,それを受け入れざるを得ないと考えていたところ,a病院医師の論文を発見して摘出術に関する知見を入手し,証拠保全により本件手術の詳細を把握し,本件医師団が説明義務を尽くしておれば,第5胸椎レベル及び第2胸椎レベルで行われた摘出術を受けることはなかったとの痛切な思いを抱くに至ったもので,原告らは本件医師団の説明義務違反により相当の精神的苦痛を被ったものと認められる。
そこで,かかる事情や,その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば,原告X1については,説明義務違反に基づく自己決定権の侵害による精神的苦痛に対する慰謝料としては500万円を,原告X2についても,説明義務違反に基づく精神的苦痛に対する慰謝料として100万円をそれぞれ認めるのが相当である。
そして,原告らが,訴訟代理人弁護士に訴訟追行を委任したことは当裁判所に顕著であるところ,本件事案の性質,内容,訴訟の経過,認容額等に照らすと,本件と相当因果関係のある弁護士費用としては,原告X1については50万円,原告X2については10万円とするのが相当である。
7 不法行為に基づく損害賠償請求権についての消滅時効の成否(争点7)について
被告は,原告X1の第1次的障害の症状固定日が平成8年11月5日であり,平成16年1月7日の本件訴訟提起までに3年以上が経過しているとして,不法行為に基づく損害賠償請求について消滅時効を援用する。
そこで検討するに,原告X1は,平成12年7月22日にはB医師に対し,メールで感覚麻痺等の原因を質問するなどし(証拠<省略>),平成14年3月12日までa病院を受診し(証拠<省略>),「Journal of Neurosurgery」の平成11年4月号(証拠<省略>)で紹介されていた20例の治療成績のうち,唯一の悪化例として原告X1の症例が紹介され,術中に流出静脈を損傷したことがその原因である旨の記載があることを平成14年9月ないし10月ころに発見し(証拠<省略>),それを前提に同年10月にメールで摘出を行った理由等を問い合わせ(証拠<省略>),一定の回答は得ていたものの,本件手術の具体的な内容を把握できなかったため,平成15年3月18日の証拠保全で本件ビデオ等を収集し,それによって本件手術の概要を把握して平成16年1月7日に本件訴訟を提起したことが認められる。そうすると,原告らは,本件手術において血管塊の摘出術が行われたという概括的な情報は本件手術後に得ていたものの,本件訴訟を提起するか否かの判断を行える程度に本件手術内容を具体的に把握したのは,証拠保全で本件ビデオ等の資料を収集した時点であるというべきであるから,そこから3年以内に訴訟提起がなされている本件において,消滅時効は完成していない。
したがって,被告の上記主張は採用しない。
第6結論
以上によれば,原告X1の請求は,債務不履行又は不法行為に基づく請求として,550万円及びこれに対するa病院の1回目の退院の日の翌日である平成8年11月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこの限度で認容し,その余の請求には理由がないから棄却すべきである。
また,原告X2の請求は,不法行為に基づく請求として,110万円及びこれに対するa病院の1回目の退院の日の翌日である平成8年11月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこの限度で認容し,その余の請求には理由がないから棄却すべきである。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判官 横溝邦彦 藤岡淳 岸田二郎)
別紙1ないし別紙3<省略>