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高松地方裁判所 昭和34年(行)4号 判決 1962年3月31日

原告 米田在久 外一名

被告 高松国税局長

主文

被告が原告米田在久に対して、昭和三十四年二月五日付をもつてした同原告の昭和三十二年分所得税に関する審査決定は所得金額六十三万六千五百四十一円を超える限度においてこれを取消す。

徳島税務署長が原告米田在久に対して、昭和三十三年六月十日付をもつてした同原告の昭和三十二年分所得税に関する所得金額を金七十三万二千九百円と更正する旨の処分および更正後の加算税額を金四千八百円とする旨の加算税決定処分のうち、所得金額六十三万六千五百四十一円を超える部分はこれを取消す。

右審査決定・更正処分および加算税決定処分の各取消を求める原告米田在久のその余の請求を棄却する。

原告中田新一の各請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、原告米田在久と被告との間に生じた部分はこれを七分してその六を原告米田在久の、その余を被告の各負担とし、原告中田新一と被告との間に生じた部分はすべて原告中田新一の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告らの申立

1、被告高松国税局長が昭和三十四年二月五日付審査決定通知書をもつて原告らにした原告らの昭和三十二年分所得税の再調査決定処分に対する審査請求を棄却する旨の処分はこれを取消す。

2、徳島税務署長が昭和三十三年六月十日付昭和三十二年分所得税の更正通知書をもつて原告米田に対してした、原告米田の昭和三十二年分所得を金七十三万二千九百円とする旨の更正処分および右同日付昭和三十二年分所得税の加算税額の更正通知書をもつて原告米田に対してした、更正後の加算税額を金四千八百円とする旨の加算税決定処分は、これを取消す。

3、徳島税務署長が昭和三十三年十月三日付昭和三十二年分所得税の再更正通知書をもつて原告中田に対してした、再更正処分中、原告中田の事業所得を金九十万一千円とする部分および右同日付昭和三十二年分所得税の加算税額の決定通知書をもつて原告中田に対してした再更正後の加算税額を金五千百円とする旨の加算税決定処分は、これを取消す。

4、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二、被告の申立

「原告らの各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

第二、請求の原因

一1、原告らは、いずれも徳島県勝浦郡勝浦町で農業を営む者であるが、昭和三十二年分の所得につきその納税義務を履行するため、昭和三十三年三月、法定の申告期限内に徳島税務署長に対し、原告米田在久は所得額金十一万三千八百八十七円、原告中田新一は所得額金二十五万一千円とそれぞれ申告した。

2、ところが、徳島税務署長は、昭和三十三年六月十日付昭和三十二年分所得税の更正通知書により、柑橘所得の基本並びに所得金額の計算誤謬によるとの理由で、原告米田に対してはその所得を金七十三万二千九百円とする旨の、原告中田に対してはその所得を金九十万一千円とする旨の各更正処分をなし、併せて同日付昭和三十二年分所得税の加算税額の決定通知書により、原告らがその所得を過少申告したことを理由に、原告米田に対しては金四千八百円、原告中田に対しては金七千二百円をそれぞれ加算税とする処分をし、右各通知書はいずれも同月十二日原告らに到達した。

二1、しかし右各処分は、いずれも徳島税務署長が原告らの事業所得を確定するに当つて原告らの収入金額を過大にまた支出金額を過少に認定した違法な行政処分である。殊に徳島税務署長が支出金額の認定に当つて原告米田の訴外有限会社カネヨ農園に対する、また原告中田の訴外有限会社新紅園に対する各請負報酬の支払を原告らの支出と認めなかつたのは違法である。以下この点について詳述する。

2、原告米田在久について。

(一)、原告米田は、農民に対する所得税課税の不平等を指摘し、あわせて農業経営の合理化、近代化を図るため、その所有する蜜柑園(前記勝浦町在)の経営に関して、家族と共に次のとおり(いずれも定款の記載事項となつている。)有限会社カネヨ農園なる法人を設立した。

(1)、設立登記年月日 昭和三十二年九月十一日

(2)、所在地     徳島県勝浦郡勝浦町大字三溪字橘四十四番地

(3)、目的      柑橘園の経営およびこれに附随する一切の業務

(4)、会社の事業年度 毎年九月一日から翌年八月末日まで。

(5)、資本の総額   金百三十万円

(6)、出資一口の金額 金千円

(二)、右有限会社の社員とその出資の関係は次のとおりであつて、社員はすべて同居の家族である。

出資口数

(全部現金出資)

役職名

社員の氏名

生年月日

世帯主との続柄

一、〇〇〇

代表取締役

米田在久(原告)

明治二十六年八月十七日

世帯主

一〇〇

取締役

米田武夫

大正十一年十二月八日

長女の夫

一〇〇

取締役

米田久美恵

昭和三年五月七日

長女

一〇〇

監査役

米田イヘノ

明治三十年二月十四日

原告の妻

(三)、右会社においては、現金出資の方式がとられ、設立後この出資現金をもつて会社の事業活動に必要な蜜柑樹、貯蔵庫などの資産を買取ることになつていたが、これら資産はすべて原告米田が所有し、その価格は合計して金百十五万四千五百円と見積られたので、原告米田の出資については、出資金百万円は現実に払い込まれず、あたかも右資産の現物出資がなされたかのような形になつた。他の社員については、現実に所定の出資金(合計金三十万円)の払込がなされ、この払込金から右資産の代金と原告米田の出資金との差額に相当する金十五万四千五百円が会社より原告米田に逆に支払われ、その残額金十四万五千五百円は設立諸費用や当座の運転資金等にあてるため会社に保管された。この結果、会社は、それまで原告米田の所有していた蜜柑樹、貯蔵庫二棟(徳島県勝浦郡勝浦町大字三溪字中ノ倉三十四番の一地上、家屋番号三溪六百五十六番、木造瓦葺平家建貯蔵庫一棟、建坪十五坪七合五勺および同町大字三溪字東娑羅尾三十二番の五地上、家屋番号三溪六百五十五番、木造瓦葺平家建貯蔵庫一棟、いずれも昭和三十四年十二月二十七日登記)、農機具、運搬具および水槽などの資産を取得し、その後あらたに噴霧器、揚水ポンプなどの動産を買い入れ、昭和三十三年三月一日には勝浦郵便局に、同三十四年二月二十七日には四国銀行勝浦支店にいずれも会社名義で預金を持つようになつた。なお、会社設立後蜜柑樹の買い入れによる農作業の実施が農地法に牴触すると指摘されて、会社の事業形態を農作業の請負を行うようにあらためたので、右買入れの蜜柑樹は原告米田に買い戻され、この買戻に伴う会社の資本と資産の関係を調整するため、蜜柑樹以外の原告米田提供資産について蜜柑樹の買入れ代金に相当する額だけ評価増しを行つた。

このようにして、原告米田らの設立した有限会社カネヨ農園については、一部の社員につき現実に出資金の払込がなされなかつたが、結果においては、設立後会社の資産は充実され、会社の実体が確立されたものといえる。

(四)、設立当初、有限会社カネヨ農園は原告米田との間で、原告米田所有の蜜柑園を賃借する旨の賃貸借契約を締結して、自ら蜜柑園を経営すべく事業に着手したが、この事業形態が農地法に牴触する旨指摘されたので、右賃貸借契約を合意解約し、あらためて原告米田との間で、昭和三十二年十一月二十七日付をもつて、会社が同原告所有の蜜柑園の肥培管理等の農作業全般を請負い、その報酬として同原告から蜜柑売却代金の九割の支払を受けるこれまで賃貸借契約に基いてなされた会社の農作業のうち請負契約によつても当然なされると認められるものについては請負契約に基いてなされたものとするとの趣旨で請負契約の効力を会社設立の日まで遡及される旨の請負契約を締結した。

(五)、かくて、有限会社カネヨ農園は、原告米田所有家屋の一部を事務所として賃借し、前記会社資産を使用し、右請負契約に基き、原告米田からその所有する蜜柑園の施肥、蜜柑採取など一切の農作業を請負つて現実に農作業を行い、請負人として請負契約に基く義務を履行し、原告米田から蜜柑売却代金の九割に相当する金額をその報酬として受取つた。なお会社は、このため、

(1)、作業の必要に応じ、労務費を支払つて日傭労務者を雇傭した。

(2)、会社の計算で作業に必要な肥料、消毒薬等の物資を購入した。

(3)、蜜柑販売業者から金十万円余を運転資金として借入れた。

(4)、地元の横瀬農業協同組合と会社名義で取引した。

(5)、社員給与の所得税源泉徴収分を国に支払つた。

(6)、会社の業務および計算関係を明らかにするために必要な諸帳簿を備えていた。

3、原告中田新一について

(一)、原告中田は、原告米田と同様の意図(前記2(一))をもつて、その所有する蜜柑園(前記勝浦町在)の経営に関し、家族らと共に次のとおり(いずれも定款記載事項となつている。)有限会社新紅園なる法人を設立した。

(1)、設立登記年月日 昭和三十二年五月十五日

(2)、所在地     徳島県勝浦郡勝浦町大字棚野字山蔭二十番地の一

(3)、目的      蜜柑園の経営およびこれに附随する一切の業務

(4)、会社の事業年度 毎年五月一日から翌年四月末日まで

(5)、資本の総額   金二百五十万円

(6)、出資一口の金額 千円

(二)、右有限会社の社員とその出資の関係は次のとおりであつて、仁木鶴一を除く他の社員はすべて同居の家族である。

出資口数(全部現金出資)

役職名

社員の氏名

生年月日

世帯主との続柄

九〇〇

代表取締役

中田新一(原告)

明治三十六年八月二十五日

世帯主

一〇〇

取締役

中田長吉

昭和七年二月五日

長男

一〇〇

取締役

中田花子

昭和九年六月十二日

長男の妻

五〇〇

取締役

仁木鶴一

明治三十三年三月十一日

原告の兄

九〇〇

監査役

中田シマ子

明治四十二年四月十三日

原告の妻

(三)、右会社においては、現金出資の方式がとられ、設立後この出資現金をもつて会社の事業活動に必要な柑橘樹、貯蔵庫などの資産を買取ることになつていたが、これら資産については、貯蔵庫は中田シマ子の所有で価格は九十万円、また柑橘樹、水槽、農具などは原告中田の所有で価格は合計百二十五万円であつたので、中田シマ子については、出資金と会社が支払うべき売買代金とが対等額となり、原告中田の場合は同原告が会社から受取るべき売買代金が出資金を三十五万円上廻る計算となつた。そこで、右両名については、出資金の現実の払込は行われず、あたかも現物出資がなされたような形になつた。中田長吉および中田花子は現実の払込をなし、また仁木鶴一については、原告中田が会社設立にあたつて兄である同人の名義を借用したものであつて、現実には原告中田が仁木鶴一名義で金五十万円の払い込みをすることにした(但し、その際、かつて同訴外人が原告中田に対して有していた金十万円の貸金債権はこれを振替えて実質上同訴外人の出資金とすることにした。)しかし、前記のとおり原告中田は会社に対し金三十五万円の債権を有することになるから、現実の払込は金十五万円のみであつた。このようにして、会社が設立直後に有した資産は、それまで中田シマ子の所有していた貯蔵庫三棟((イ)徳島県勝浦郡勝浦町大字三溪字立川二十一番地上、家屋番号三溪六百五十七番、木造木皮葺平家建貯蔵庫一棟建坪六十五坪、(ロ)同所二十番地の一、同番地の三地上、家屋番号三溪六百六十番、木造一部石造木皮葺平家建貯蔵庫一棟建坪六坪、(ハ)同所同番地上、家屋番号三溪六百五十八番、木造瓦葺平家建貯蔵庫一棟建坪十坪、木造瓦葺二階建貯蔵庫一棟、建坪十二坪五合、二階十九坪、いずれも昭和三十四年十二月二十二日中田シマ子名義で保存登記)同じく原告中田新一所有の柑橘樹等の資産と、現金三十五万円であつた。この現金については、うち金三十万円を横瀬農業協同組合に預金し、残額は設立費用や当座の運転資金等にあてるため会社に保管された。その後会社は、あらたに噴霧器、揚水ポンプなどの動産を買い入れ、貯蔵庫一棟(前記大字三溪字立川二十番地の一、同番地の三地上、家屋番号三溪六百五十九番、コンクリート造木皮葺平家建貯蔵庫一棟、建坪五坪二合五勺、昭和三十四年十二月二十二日会社名義で保存登記)を建築し、引き続いて横瀬農業協同組合に預金を有していた。

このようにして、原告中田らの設立した有限会社新紅園については、一部の社員につき現実に出資金が払い込まれなかつたものの、結果においては、設立後会社の資産は充実され、会社の実体が確立されたものといえる。

(四)、なお、会社設立後蜜柑樹の買入れによる農作業の実施が農地法に牴触すると指摘されて、会社の事業形態を農作業の請負を行うようあらためたので、右買入れの蜜柑樹は原告中田に買い戻され、したがつてこの蜜柑樹の価格に相当する資本の減少がなされた。そしてこれに伴い、会社は、昭和三十三年六月二十九日に会社の目的を「一、果樹園の経営および農作業の請負、二、右に附随する一切の業務」と変更し、また同年九月十四日資本の総額を金百七十万円に変更し、これら変更登記はいずれも同年十月七日に行われた。なお、資本金額の減少に伴い、原告中田新一および中田シマ子の出資口数は各五百口となつた。

(五)、設立当初、有限会社新紅園は原告中田との間で、原告中田所有の蜜柑園を賃借する旨の賃貸借契約を締結して、自ら蜜柑園を経営すべく事業に着手したが、この事業形態が農地法に牴触する旨指摘されたので、右賃貸借契約を合意解約し、あらために原告中田との間で、昭和三十二年十月十九日付をもつて、前記カネヨ農園の場合と同一内容(前記2・(四))の請負契約を締結した。

(六)、かくて有限会社新紅園は、原告中田方の家屋の一部を事務所として賃借し、前記会社資産を使用し、右請負契約に基き原告米田からその所有する蜜柑園の施肥、蜜柑採取など一切の農作業を請負つて現実に農作業を行い、もつて請負人として請負契約に基く義務を履行し、原告中田から蜜柑売却代金の九割に相当する金額をその報酬として受取つた。なお会社は、このため、

(1)、作業の必要に応じ、労務賃を支払つて日傭労務者を雇傭し、昭和三十四年十一月二十六日徳島労働基準局長の承諾を得て労働者災害補償保険に加入した。

(2)、会社の計算で作業に必要な肥料、消毒薬などの物資を購入した。

(3)、地元の横瀬農業協同組合と会社名義で取引した。

(4)、右組合から昭和三十二年十一月七日金三十万円を運転資金として借入れた。

(5)、社員給与の所得税源泉徴収分を国に支払つた。

(6)、会社の業務および計算関係を明らかにするために必要な諸帳簿を備えていた。

4、以上のとおり、訴外有限会社カネヨ農園および同新紅園は適法に設立され、会社としての実体を具備し、その資本と雇入れた労働力をもつて農作業の請負業務をなし、もつて事業活動を営んで来たのであるから、原告らの支払つた請負の報酬は、右両会社にその所得として有効に帰属し、したがつて原告らの蜜柑園経営に関する支出としてその所得計算に当り収入金額から差引かれるべきものといわなければならない。このことは、前記請負契約の効力の有無によつて左右されるものでないし、また同請負契約は農地について農地法第三条にいう使用および収益を目的とする権利を設定するものではなく、同条所定の知事の許可を必要としないから、本件において農地法牴触の問題を生じない。

しかるに徳島税務署長は、前記支払の請負報酬が右両会社にその所得として有効に帰属し、したがつて原告ら所有蜜柑園の経営に関する支出となることをいずれも否定し、よつて原告らの昭和三十二年における蜜柑関係の所得を計算して本件各処分に及んだのであるから、これら処分の違法であることは明らかである。

5、そこで原告らの昭和三十二年分の事業所得は次のとおりである。

(一)、原告米田の分(合計金十三万八百九十四円)

(1)、蜜柑関係分  金十万八百九十七円

(2)、普通田畑関係 金二万二千七百八十七円

(二)、原告中田の分(合計金十八万二百九十七円)

(1)、蜜柑関係分  金十二万五千百八十二円

(2)、普通田畑および雑収入関係分金五万五千百十七円

三、1、そこで、原告らは昭和三十三年七月十日徳島税務署長に対し、前記各処分の取消を求めて再調査請求をした。

2、ところが、徳島税務署長は昭和三十三年十月三日に至り、同日付昭和三十二年分所得税の再更正通知書をもつて、何ら理由を付することなく原告中田に対し、前記更正処分による事業所得金九十万一千円に不動産所得金一万八百九十円および山林所得金六十七万四千六百九十円を付加した額を総所得とする旨の再更正処分をし、同時に同日付昭和三十二年分所得税の加算税額の決定通知書をもつて、原告中田に対し過少に申告したことを理由とする加算税額を金五千百円とする旨の処分を行つた。

3、その後同月六日に至り、徳島税務署長は原告らの前記各再調査請求をいずれも理由なしとして棄却し、その旨の通知書は原告らに同月七日到達した。

4、そこで原告らは右各再調査請求に対する棄却決定処分の取消を求めるため、同年一一月四日に被告高松国税局長に対し審査請求をしたが、被告は昭和三十四年二月五日付審査決定通知書をもつて審査請求を棄却し、同通知書は同月七日原告らに到達した。

5、しかし、徳島税務署長の違法な更正処分およびこれに伴う加算税決定処分を是認した被告の審査決定並びに事業所得について右更正処分と同一の認定をした右税務署長の再更正処分およびこれに伴う加算税決定処分は、これまたいずれも違法な行政処分である。

四、そこで原告らは被告に対し、被告が原告らに対してした前記審査決定、徳島税務署長が原告米田に対してした前記更正処分および加算税決定処分、並びに同税務署長が原告中田に対してした前記再更正処分中、原告中田の事業所得を金九十万一千円とする部分およびこれに伴う加算税決定処分の各取消を求めるものである。

第三、被告の答弁と主張

一、請求原因一の事実を認める。

二、請求原因二の事実については、

1、同二・1の事実を否認する。

2、同二・2の事実については、

(一)、同二・2・(一)の事実は、前記勝浦町に蜜柑園を所有、経営する原告米田がその家族と共に原告ら主張の事項を定款の記載事項とする有限会社カネヨ農園なる法人を設立したことは認めるが、その余の事実を争う。法人設立の動機は、蜜柑の豊作によつて激増した所得税負担の軽減を図るためである。

(二)、同二・2・(二)の事実を認める。しかし、後述のように出資は現実に履行されていない。

(三)、同二・2・(三)の事実は、有限会社カネヨ農園が現金出資の方式をとつていること、原告米田がその主張のような資産を所有していること、蜜柑樹の買入れによる農作業の実施が農地法に牴触する旨指摘されて、請負契約方式がとられるに至つたことは認めるが、その余の事実を争う。右会社については、出資とは名のみで、出資金の払込はなく、資本は充実されていなかつた。したがつて、右会社は、有機的組織体としての実を備えず、事業活動の基盤に欠けて居り、請負契約も架空のものである。

(四)、同二・2・(四)の事実は、設立当初、右会社が原告米田所有の蜜柑園を貸借するとの方式がとられていたが、その後これが農地法に牴触する旨指摘されて請負契約方式に切替えられたこと、この請負契約の内容が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の事実を争う。このような作業方式はいずれも会社が事業活動を行つているとの外観を作出する手段として考え出されたものであり、また請負契約方式は農地法の規制を免かれる意図のもとに案出されたものである。

(五)、同二・2・(五)の事実は争う。会社が請負契約に基いて農作業をした事実はなく、また原告米田が会社に報酬を支払つた事実もない。原告米田所有の蜜柑園の肥培管理は、原告米田個人が自己の責任においてその家族と共に行つているに過ぎず、蜜柑栽培上必要な物資の購入および蜜柑の売却にあたつても、個人と法人の混同が見受けられ、帳簿の記載も両者の経理が判然として区別されていない。

3、同二・3の事実については、

(一)、同二・3・(一)の事実は、前記勝浦町に蜜柑園を所有・経営する原告中田が、その家族と共に原告ら主張の事項を定款の記載事項とする有限会社新紅園なる法人を設立したことは認めるが、その余の事実を争う。法人の設立の動機は、原告米田の場合(前記第三・二・2・(一))と同様である。

(二)、同二・3・(二)の事実を認める。しかし、後述のように出資は現実に履行されていない。

(三)、同二・3・(三)の事実は、有限会社新紅園が現金出資の方式をとつていること、原告中田がその主張のような資産を所有していることは認めるが、その余の事実を争う。右会社については、出資とは名のみで、出資金の払込はなく、資本は充実されていなかつた。したがつて、右会社は、有機的組織体としての実を備えず、事業活動の基盤に欠けていた。

(四)、同二・3・(四)の事実は、会社設立後蜜柑樹の買入れによる農作業の実施が農地法に牴触する旨指摘されて、請負契約方式がとられるに至つたこと、会社の定款および商業登記簿の変更並びに原告中田新一および中田シマ子の出資口数の変更がいずれも原告中田主張のとおりなされたことを認め、その余を争う。

(五)、同二・3・(五)の事実は、設立当初、有限会社新紅園が原告中田所有の蜜柑園を賃借するとの方式がとられていたが、その後これが農地法に牴触する旨指摘されて請負契約方式に切替えられたこと、この請負契約の内容が原告中田主張のとおりであることは認めるが、その余を争う。このような作業方式はいずれも会社が事業活動を行つているとの外観を作出する手段として考え出されたものであり、また請負契約方式は農地法の規制を免かれる意図のもとに案出されたものである。

(六)、同二・3・(六)の事実は争う。会社が請負契約に基いて農作業をした事実はなく、また原告中田が会社に報酬を支払つた事実もない。原告中田所有の蜜柑園の肥培管理は、原告中田個人が自己の責任においてその家族と共に行つているに過ぎず、蜜柑栽培上必要な物資の購入および蜜柑の売却にあたつても個人と法人の混同が見受けられ、帳簿の記載も両者の経理が判然と区別されていない。

4、同二・4の主張は、原告ら主張の二有限会社が設立されたことのみ認め、その余を争う。

5、同二・5の主張は、うち(二)・(2)の事実のみ認め、その余を争う。

三、請求原因三の事実は、原告ら主張の処分が違法であるとの主張のみを争い、その余をすべて認める。

四、本件両会社についての被告の主張

1、農業法人設立の経緯

原告らの居住する勝浦町は徳島県の蜜柑栽培地帯を形成しているが、同地方における昭和三十一年の蜜柑は非常な豊作に恵まれたうえ、取引価格がさして低落をみなかつたので、蜜柑栽培農家のこれによる所得は前年に比して著しく増加し、そのため前年、所得税納税義務を負わなかつた農家も三十二年度においては納税義務を負うことになり、また従来所得税を納めていた者の税額は、前年のそれに比し、五割以上増加するに至つた。このような所得税の負担を苦慮した同町の蜜柑栽培農家は、協議の末これが対策として一農家一法人のいわゆる農業法人を設立し、家族を従業員にしてこれに給料を支払う形式を採ることにより、所得税負担の軽減を図ることを発案し、この農業法人設立の気運が同地方の蜜柑栽培農家一般に急速に浸透した結果、昭和三十二年五月から十月までの半年間に納税義務を負う蜜柑栽培農家六百余戸のうち百四戸がこの種の法人を設立し、その登記を終了した。原告らの主張する両訴外会社も亦このような背景をもつて設立されたのである。

2、農業法人の組織形態およびその締結した契約の非合法性

(一)、このようにして設立された農業法人は、すべて設立手続の簡易な有限会社組織を採るものであつて、その目的とする事業はひとしく蜜柑園の経営並びにこれに附帯する一切の事業を営むことであり、その形態はことごとくが家族を社員とする一農家一法人の完全な同族会社であつた。その資本金額は蜜柑園の規模に応じ、おおむね金五十万円ないし二百万円程度で、現実には出資義務の履行はなく、資本の充実はみられないが、書類上の出資形式は、両訴外会社のような現金出資によるものと、現物出資を主体として一部現金出資によるものとの二種があつた。前者は、社員となるべき世帯主および家族らから現金の払込を受け、この払込によつて蜜柑園の栽培に必要な資産を会社が世帯主から買取る形式を採るものであり、また後者は、蜜柑樹を現物出資し、現金出資分によつてその他の資産をその所有者である世帯主から買取る形式を採るものである。そしてそのいずれの方式を採る場合にも、蜜柑樹の生立する農地については、書類上も現物出資あるいは会社による買取は行われず、会社と所有者との間に賃貸借契約または使用貸借契約が結ばれていたが、これについてはすべての農業法人が農地法第三条所定の許可を受けておらず、右両会社も亦その例外ではなかつた。そのため徳島県当局はこのような農業法人による農業経営は農地法に違反して許されない旨の見解を示すに至つた。

(二)、そこで右両会社を含めた既存の農業法人は、従来の方式に代えて、会社と農地所有者との間で蜜柑栽培の請負契約を結ぶという方式を考案し、すべての農業法人が昭和三十二年十一月この方式に切替えるに至つた。この方式は、農業法人が従来の蜜柑園の経営主(この経営主は法人設立によつて殆んど代表取締役となつている。)所有の蜜柑園について、肥培管理および病虫害の防除等蜜柑の収穫に要する一切の農作業を行うことを請負い、従来の経営主は農業法人から引渡を受けた収穫蜜柑を売却し、その売却代金の九割を請負報酬として法人に支払うという仕組を採るものである。しかし右請負契約の履行は当然農地およびその定着物として土地と一体をなす蜜柑樹の使用収益を伴うから、右契約を締結することは農業法人に対し農地法第三条第一項にいう「その他の使用及び収益を目的とする権利」を設定することになる。しかも法人が農地の使用収益権を取得することはいわゆる自作農主義の原則を貫く農地法の精神に反するから、これに対して同法第三条所定の許可を与えることはできないと解される。したがつて、右請負契約方法によつても、現行法上は農業法人による農業経営は違法であるというのほかはない。

(三)、以上要するに勝浦町における農業法人は前記両会社も含めて、所得税軽減の意図の下に農地法の規制を無視して設立された法人であつて、すでに法人設立の登記を了しているので、法人の成立自体は否定し難いが、市井一般の中小商工業者が適法に設立した同族会社と同一に論ぜられるべきでない。

3、農業法人に対する課税の取扱方針

(一)、右請負契約方式によると、少くとも蜜柑の売上収入が蜜柑園の所有者個人に帰属することは明らかであるから、問題は、農業法人の所得となすべく意図された請負報酬が法人に帰属するかどうかである。課税当局は、法人の設立自体は一応肯定する立場に立つてこの問題を検討した結果、次に述べる(二)および(三)の理由によつて、請負報酬は法人に帰属せず、したがつて原告らの支出となり得ない旨判定して課税することにした。このことは前記両会社についても勿論妥当する。

(二)、法律上の見地からの検討

およそ所得が何人に帰属するかの認定に当つては、所得税、法人税の課税対象となる所得は、一般に法律上合法的に帰属するとみられる者に実質上も帰属するものとして課税するのが建前である。ところで前述の請負契約が農地法第三条に違反して無効であることは既述のとおりであるから、蜜柑園の所有者に請負報酬を支払う義務なく、農業法人としても法律上請負報酬を受取ることはできない。したがつて、農業法人が特段の事由によつて収益を享受しているとの事実が認められない限りは、蜜柑園の経営によつて得た収益はすべてその所有者個人に帰属するものといわざるを得ない。

(三)、経営の実態面からの検討

前述の請負方法によると、蜜柑園の所有者は自己の取得した蜜柑の売上金の九割を請負報酬として法人に支払い、その代りに法人はその支払を受けた金額をもつて、蜜柑の収穫に要する肥料等を購入するほかは、社員たる蜜柑園の所有者およびその扶養家族に対する給料等の支払にあてることになる。そうすると、蜜柑栽培による収益の殆んどが農業法人に収得される形となつても、それは更に右給料等に変形して蜜柑園所有者に還元されることになるから、蜜柑栽培による収益を実質的に享受している者は、結局のところ蜜柑園の所有者であつて、農業法人はいわば通り抜け勘定の手段ともいうべきものとなる。つまり原告らは、一方において蜜柑園の所有者として請負契約の注文者となり、他方では請負人たる法人の主宰者という立場に立ち、しかも究極においてはその蜜柑園から生ずる収益のすべてを享受することになるが、このような形態はいかにも技巧的であつて、極めて不自然といはねばならない。のみならず、農業法人の実態は前記第三・二の2および3で述べたとおりであつて、要するに農業経営の実際は、蜜柑園の所有者個人がその家族と共に自己の責任において自家の蜜柑園を耕作しているに過ぎず、一家の生計および自家の蜜柑園の維持がもつぱら収穫した蜜柑の売却収入によつて賄われていることも、法人設立の前後を通じて変りがない。

五、原告らに対する課税について。

1、事業所得についての昭和三十二年における原告らの収入金額、必要経費および差引所得金額の明細は別表記載のとおりである。

2、蜜柑関係収入金額認定の根拠

(一)、原告米田について。

原告米田の蜜柑関係収入金額は所得税法施行規則第九条所定の方法、すなわち蜜柑の収穫時における価格(以下「収穫価格」という。)を基準として算出した。すなわち、原告米田の蜜柑の出荷量は八千三百五十三貫であるところ、蜜柑は十一月末から十二月上旬に収穫して貯蔵しているので出荷までは十五パーセントの目減りがあるから、これを考慮に容れて計算すると原告米田の収穫量は九千八百二十七貫(貫未満切捨)であることが認められる。これに収穫時の単価(貫当り)金百二十八円を乗じて計算すると、右蜜柑の収穫価格の合計は金百二十五万七千八百八十円となつて別表記載の収入金額を上廻る。

(二)、原告中田について。

原告中田の蜜柑の出荷量は九千九百三十五貫五百匁であるところ、うち三千二百貫五百匁は昭和三十二年内に代金三十八万二百三十七円で売却されたので残る六千七百三十五貫について原告米田の場合と同様の方法で計算すると、その収穫量は七千九百二十三貫五百匁、収穫価格は金百一万四千二百十一円(円未満切捨)であることが認められ、この金額に右の代金三十八万二百三十七円を加えるとその合計は金百三十九万四千四百四十八円となつて、別表記載の収入金額に近い数字が得られる。

3、原告米田の普通田畑分所得認定の根拠

原告米田の昭和三十二年における普通田畑関係の収入の内訳は、玄米金三万八千九百五円、稲藁金二千六百二十六円、麦八千二百九十五円および野菜等金七千円であつて、野菜等を除く他のものについては、各産物毎に次のとおり徳島税務署が勝浦町において適用している田畑所得標準率を適用して、収量および収入金額を算出し、これを合計した。

(一)、玄米と麦

産物

田の所在地

耕作面積

反当りの収量

収量

石当りの単価

収入金額

玄米

字楠田

字東ベラオ

一反

一反四畝

二石一升

一石四斗五升

二石一升

二石三升

九千六百三十円

右同

四石四升

三万八千九百五円

一反

一石七斗五升

一石七斗五升

四千七百四十円

八千二百九十五円

(二)、稲藁

玄米収量

石当り生産量

貫当り価格

収入金額

四石四升

五十貫

十三円

二千六百二十六円

4、そうすると、別表により、原告らの昭和三十二年における事業所得は次のとおりとなる。

(一)、原告米田 金七十七万二千八百十円

(二)、原告中田 金九十五万八千四百一円

六、結論

そうすると、原告らの取消を求める各処分は、いずれも原告らの事業所得金額を右の金額の範囲内で認定しているから、原告ら主張のような違法の点はなく、したがつて、事業所得金額の認定に誤りがあるとして本件各処分の取消を求める原告らの各請求はすべて失当である。

第四、被告主張に対する原告らの答弁

一、被告主張第三・五・1の事実は、各種必要経費(但し蜜柑関係経費支弁の主体は争う。)並びに、原告中田の普通田畑および雑収入関係の所得が被告主張のとおりであることを認め、その余を争う。

二、同第三・五・2の事実は、原告米田の蜜柑の収穫量が八千三百五十三貫であること、原告中田の蜜柑のうち三千二百貫五百匁が昭和三十二年内に代金三十八万二百三十七円で売却され、その残りの分の収穫量が七千九百二十三貫五百匁であることは認めるが、収穫時の単価は貫当り金百十円を超えない。したがつて、以上を計算すると原告らの蜜柑の収入金額は、原告米田が金百八万九百七十円また原告中田が金百二十五万一千八百二十二円となり、いずれについてもその九割を訴外両会社に請負報酬として支払つたのであるから、差引すれば原告らの蜜柑関係の所得は次のとおりとなる。

1、原告米田 金十万八千九十七円

2、原告中田 金十二万五千百八十二円(円未満切捨)

三、同第三・五・3の事実は、野菜等の収入金額が被告主張のとおりであることは認めるが、その余を争う。原告米田の田畑はその立地条件、土壌等からして被告主張の所得標準率を適用するに不適当のものである。原告米田の普通田畑関係の正確な収入金額は、玄米が金三万二千円、麦が金五千五百円、稲藁が金千円と野菜等金七千円の合計金四万五千五百円である。

第五、証拠<省略>

理由

一、原告らがいずれも徳島県勝浦郡勝浦町において農業を営む者であること並びに原告らの昭和三十二年分の所得額および所得税額についての確定申告、これに対する徳島税務署長の更正処分、再更正処分およびこれら各処分に伴う加算税決定処分、右更正処分およびこれに伴う加算税決定処分に対する原告らの再調査請求と右税務署長によるその棄却決定、これに対する原告らの審査請求とこれに対する被告の棄却決定が、いずれも原告ら主張のとおりに順次なされたことは、すべて当事者間に争がない。

そこで原告米田に対する右更正処分およびこれに伴う加算税決定処分、原告中田に対する再更正処分およびこれに伴う加算税決定処分並びに原告らに対する右審査決定に原告らの昭和三十二年における事業所得の認定に関する違法があるか否かについて判断する。

二、法人による農作業実施の有無

1、問題の所在

原告らは、昭和三十二年における事業所得につき、収入金額(蜜柑関係および原告米田については普通田畑関係も含む)および支出金額(蜜柑関係)の双方を争うのであるが、そのうち特に主要な争点としているのは蜜柑関係の支出について原告らの主張する法人が関係しているかどうかという点にある。この点に関し原告らは、昭和三十二年における蜜柑関係の収入の九割を原告ら所有蜜柑園の農作業を請負つた訴外有限会社新紅園(原告中田関係。以下単に「新紅園」という。)および有限会社カネヨ農園(原告米田関係。以下単に「カネヨ農園」という。)にその請負の報酬として支払つたから、この支払金額が原告らの事業所得額の計算に当り支出金額として収入金額より差引かれるべきものである旨主張する。これに対して被告は、右報酬支払の事実を否定し、併せて右請負は農地法第三条に違反する無効のものであり、しかも右両会社が農作業をした事実はないから、右支払は無効であり、如何なる意味においても原告らの支出たり得ない旨主張する。これらの主張のうち、報酬支払の事実の有無および請負が農地法違反になるかどうか等の点も無意味とはいえないけれども、所得計算との関連において考えれば、右両会社が昭和三十二年に原告ら所有の蜜柑園の農作業をした事実の有無が右主張の当否を決する根本的な争点になるといえる。

そこで先ず右両会社において昭和三十二年中に原告ら各所有蜜柑園の農作業をした事実があるかどうかについて検討する。

2、事件の背景となる事実

証人土井照則および同浜崎正己の各証言、成立に争のない乙第一号証の一、右各証人の証言によつて成立の認められる乙第一号証の二の一ないし十一(但し同号証の二の三の米田武夫の署名押印部分の真正は当事者間に争がない。)、同じく乙第一号証の三の一ないし十二(但し同号証の三の十二の中田新一名下の印影の真正は当事者間に争がない。)、同じく乙第一号証の四の一ないし五を綜合すれば、前記勝浦町は徳島県下における蜜柑栽培地帯を形成しているが、この地方における昭和三十一年産の蜜柑が豊作に恵まれ、したがつて蜜柑栽培農家の蜜柑による所得も前年に比して約百六十パーセント増加し、このため納税農家が増え、その所得税負担も増大したので、同町の蜜柑栽培農家はこれが負担の軽減を策して一農家一法人のいわゆる農業法人を設立し、家族をその従業員にしてこれに給料を支払う形式をとることを案出し、昭和三十二年中に原告らを含めて百四戸の蜜柑栽培農家がいわゆる農業法人を設立したこと、かようにして設立された農業法人はいずれも蜜柑園の経営等を事業目的とする有限会社で、いわゆる一農家一法人の同族会社の域を出ず、被告が昭和三十三年二月に右のうちの十四戸について調査したところその大部分が現金出資の形態をとり、この出資金で従前の経営者(大部分はこれが法人の代表取締役になつている。)等から蜜柑園経営に必要な資産を買取るという形式がとられていながら、実際は関係者には現物出資の観念しかない場合が多く、買取るべき資産の評価はもとより、出資義務の履行も極めて不完全で、帳簿備付、記帳等も不十分であることなどが確認されて、法人としての実体のないことが判明したうえ法人による蜜柑園の経営が必然的に蜜柑樹の生立する土地の使用収益を伴うことからこれに農地法第三条違反の疑が生じたので、蜜柑栽培農家の昭和三十二年分所得の申告につき法人申告を個人申告に切換えるよう指導した結果、原告らを含めた三件を残し他のすべての農家が個人申告に切換えたことの各事実が認められ、証人植松次平の供述中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして信用し難く、他にこの認定を動かすに足りる証拠はない。

そこで右認定の事情の有無を原告らの設立した前記両訴外会社について具体的に考察する。

3、訴外会社新紅園(原告中田関係)について。

(一)、設立に至るまでの経過

原告中田新一が前記勝浦町に蜜柑園を所有していることは当事者間に争がない。証人中田長吉および同大塚茂一(第一回)の各証言によれば、この蜜柑園は原告中田が経営しているものであるが、同原告が昭和二十五年の水害で負傷してからは、事実上長男の中田長吉が中心となり、原告中田、その妻中田シマ子および長吉の妻中田花子らの家族(この四人が当時より同居の家族であることは当事者間に争がない。)と共に右蜜柑園の農作業はじめ経営全般の業務に従事していたこと、長吉は農業殊に蜜柑園経営に対する所得税課税の方法の不当なことを感じ、自家の蜜柑園経営を法人化することによつて蜜柑園の経営と家計とを分離し経営の収支を明らかにし、もつて所得税課税に対処しようと考え、徳島県小松島市在住の計理士大塚茂一に相談したうえ、同計理士の具体的指導を受けて、原告中田らの家族および原告中田の実兄訴外仁木鶴一と共に合計五名で昭和三十二年五月十五日訴外有限会社新紅園を設立し、同日その旨の登記を経了するに至つたものであることが認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

(二)、甲号証等から見た新紅園の概要

(1)、このようにして設立された新紅園の定款(甲第二十号証)には、

(イ)、目的    一、蜜柑園の経営

二、右に附随する一切の業務

(ロ)、本店所在地 勝浦町大字棚野字山蔭二十番地の一(原告中田の肩書住所と同一。)

(ハ)、資本の総額 金二百五十万円

(ニ)、出資の口数 一口千円で合計二千五百口

(ホ)、社員とその出資口数および役職名

九百口 原告中田新一 代表取締役

九百口  中田シマ子 監査役

百口    中田長吉 専務取締役

百口    中田花子 取締役

五百口   仁木鶴一 取締役

(ヘ)、営業年度  毎年五月一日から翌年四月末日までとする。

旨の各記載があり、このことは当事者間に争がない。

更に、甲第八号証(商業登記簿謄本)には、昭和三十三年六月二十九日目的を「一、果樹園の経営及び農作業の請負、二、右に附随する一切の業務」に、また、同年九月十四日資本の総額を金百七十万円にそれぞれ変更する旨の同年十月七日付登記がなされた旨の記載があり、この事実および右資本の変更に伴つて原告中田および中田シマ子の出資口数がそれぞれ五百口に減少したことは、いずれも当事者間に争がない。

(2)、出資の関係については、甲第二十一号証の一ないし五(領収証)には、代表取締役の原告中田新一がいずれも昭和三十二年五月十五日(新紅園成立の日)右五名の社員からそれぞれ定款所定の出資口数に相当する会社設立の出資金を正に領収した旨の各記載がある。

(3)、次に資産取得の関係については、甲第二十九号証の一および二(新紅園会計簿)に、新紅園が会社成立の翌日である昭和三十二年五月十六日中田シマ子から貯蔵庫を買受けてその代金九十万円を支払つた旨の、また同日原告中田から水槽を代金十六万九千円、農機具を代金十七万七千円、運搬具を代金六万円で、その外蜜柑樹をそれぞれ買受けてその代金を支払(但し蜜柑樹については金八十四万四千円の内払)つた旨の各記載がある。 もつとも甲第四十号証の一ないし三(登記簿謄本)によれば、勝浦町大字三溪字立川二十番の一、二十番の三地上家屋番号三溪六百六十番、一、木造一部石造木皮葺平家建貯蔵庫一棟建坪六坪、右同番地上家屋番号三溪六百五十八番、一、木造瓦葺平家建貯蔵庫一棟建坪十坪、一、木造瓦葺二階建貯蔵庫一棟建坪十二坪五合、二階九坪および右同字立川二十一番地上家屋番号三溪六百五十七番、一、木造木皮葺平家建貯蔵庫一棟建坪六坪五合の各貯蔵庫について本訴提起後である昭和三十四年十二月二十二日受付をもつて中田シマ子を所有者とする所有権保存登記が、また同日受付をもつて同三十二年五月十六日付売買を原因とするシマ子から新紅園への所有権移転登記がそれぞれなされたことが認められ、甲第四十号証の四(登記簿謄本)によれば、前記登記と同じ日に、字立川二十番の一、二十番の三地上家屋番号三溪六百五十九番、一、コンクリート造木皮葺平家建貯蔵庫一棟建坪五坪二合五勺につき新紅園を所有者とする保存登記がなされたことが認められる。

(4)、蜜柑園の農作業に関しては、甲第二十二号証(議事録)に、昭和三十二年十月十九日新紅園の社員総会が開かれ、その席上議長たる原告中田より「我社としては発足に当り個人中田新一より賃借契約を結び経営をなすことになつたのであるが、賃借は農地法にふれる疑いも無い事もないので請負契約によつて運営の合理化を図りたい、ついては別紙(甲第二十二号証にはこれに該当する別紙はない。)条文参照の上本社の進む可き態度を決議願いたい」との発表があり、続いて専務取締役中田長吉から「我社としては賃借で進みたいと思つていたが、合法的な請負契約の方法で経営するのが良いと信ずる」との発言があり、ここで議長採決を行つたところ全役員異議なく了承し、満場一致で決議された旨の記載がある。

更に、甲第二十三号証(柑橘栽培請負契約書)には、右同日原告中田と新紅園との間で、次の内容の請負契約を締結した旨の記載がある。

「原告中田を注文者とし、新紅園を請負人として末尾記載(甲第二十三号証にはこれに該当する記載がない。)の注文者所有果樹園に栽培されている柑橘栽培に関し次のとおり請負契約を締結する。以下注文者(原告中田)を甲と称し、請負人(新紅園)を乙と称する。

第一条 甲はその所有に属する果樹園を乙に管理せしめその肥培管理をなさしめるものとし、乙はこれが肥培管理ならびに病虫害等災害の防除等柑橘の収穫に要する一切の仕事を行うことを引請けるものとする。

第二条 乙はその仕事に着手する時に存在する果樹園の悪条件又は果樹の病虫害等についてもその改良または防除に努めるものとする。

第三条 甲はこの契約が効力を生じた後目的たる果樹園につき他に使用収益の権利を主張するものがある時はこれを排除して自由に仕事の遂行を得せしめる義務を負う。

第四条 乙はその仕事の遂行に要する労力、肥料、農薬、その他一切の費用を負担するものとし、甲は果樹園に対する公租公課を負担するものとする。

乙はその仕事の遂行の状況及びこれに要した収支を正確に記帳して甲の求めにより何時にてもこれを提示しなければならない。

第五条 乙は果実を収穫してこれを甲の指図に従い甲または甲の指定する者に引渡したときにその仕事を完成したものとする。

但し昭和三十二年会計年度においては乙の口座を利用し、会計年度末において決済をするものとする。

第六条 甲は乙より引渡を受けた果実を翌年四月末日までに売却するものとし、その売却の時期及び条件については乙の意見を聞くものとする。

第七条 甲が乙より引渡を受けた果実を売却する時は決算期において十分の九に相当する金額を報酬として乙に支払うものとする。

第八条 この契約は甲が果樹園を乙に引渡した時に効力発生し、報酬の全額の支払を完了した時に終了する。契約関係の終了した時は乙は直ちに果樹園を甲に返還しなければならない。但し契約関係が終了して一ケ月以内に当事者双方から別段の意思を表示しない場合はこの契約と同一の条件で翌年度の栽培について請負契約が成立したものとする。

第九条 この契約に記載のない事項は民法請負の規定によるものとする。

また日傭傭人費の中、会社が支払つたものの内一部みかん以外に働いた日傭の雇人費は決算期において甲から会社へ支払うものとする。

第十条 昭和三十二年度に限りこの契約は昭和三十二年五月十六日より効力を発生し、三十二年度の乙に対する報酬金額はこの契約による金額からこの契約の効力発生前に甲において負担した同年度の肥培管理に要した金額を差引いた金額とする。

また甲第二十九号証の一、二(会計簿)には、昭和三十二年五月十六日から翌三十三年四月末日までの間の新紅園の金銭の出納が記帳され、その内容をみると、肥料代、農薬代等各種経費の支払、給与、労賃等の支払、売上金の入金その他蜜柑園経営全般にわたると思われる各種目の収支が継続して記載されている。

(5)、取引関係については、

(イ)、甲第二十五号証の一ないし三(預金通帳)および甲第三十号証の一ないし三(普通預金元帳)には、新紅園が昭和三十二年五月十五日横瀬農業協同組合に預金口座を開いて金三十万円を預け入れ、以後預金の出し入れを続けている旨の記載がある。

(ロ)、甲第三十五号証の一ないし百四(荷受伝票)には、横瀬農業協同組合柑橘部が昭和三十二年九月二十六日から翌三十三年四月五日まで引き続いて新紅園から蜜柑の出荷を受けている旨の記載がある。

(ハ)、甲第二十四号証(通知書)には、横瀬農業協同組合が新紅園に対し昭和三十三年一月三十日貸金返済の請求をしている旨の記載がある。

(6)、公租公課については、

(イ)、甲第三十三号証の一ないし九(計算書および領収証書)および同第三十四号証の一ないし五(所得税源泉徴収簿)には、新紅園が昭和三十二年五月分以降の社員らの給与の源泉徴収税額を徳島税務署に納付している旨の記載がある。

(ロ)、甲第三十七号証の一、二および同第三十八号証の三(いずれも通知書)には、徳島税務署長が新紅園に対して右源泉徴収に関する各種の通知をしている旨の記載がある。

(ハ)、甲第三十八号証の四(督促状等)には、徳島税務署長が昭和三十三年七月十日新紅園に対し同会社の昭和三十三年度分法人税支払の督促等をした旨の記載がある。

(ニ)、甲第三十九号証の二、三(報告書)には、新紅園が本訴提起後である昭和三十四年十二月三日徳島労働基準局に対し労働者災害補償保険の保険関係成立のための報告書を提出した旨の記載がある。

(ホ)、甲第四十二号証の二(証明書)には、勝浦町長が新紅園に対し昭和三十五年度分固定資産税を賦課し、新紅園よりその納付があつた旨の記載がある。

(三)、新紅園の出資および資産取得の実情

前項挙示の甲号各証によれば、新紅園は一応形式および実質共に備わつて設立され、昭和三十二年において現実に農作業を実施しているもののように窺われる。しかしながら、証人富田順三の証言によつて成立の認められる乙第七号証の三の十二の記載、証人三好恒治の証言によつて成立の認められる乙第十五号証および証人中田長吉の証言を綜合すれば、訴外有限会社新紅園は設立後蜜柑栽培等の事業を行うため、蜜柑樹、水槽、農機具、運搬具および貯蔵庫(原告ら主張の三棟)など蜜柑園の経営に必要不可欠な資産を買取ることになつていたが、この貯蔵庫三棟は中田シマ子が、またその他の資産はいずれも原告中田がそれぞれ所有し、貯蔵庫三棟が金九十万円、その他の資産が金百二十五万円と評価されたので、中田シマ子は自己の出資額金九十万円を金銭をもつて現実に払い込まず、代りに自己所有の右貯蔵庫三棟を会社設立と同時に会社に譲渡することにし、また原告中田は自己の出資額金九十万円および仁木鶴一の出資額のうち金三十五万円の合計金百二十五万円を金銭をもつて現実に払い込まず(仁木鶴一自身も払い込んでいない。)代りに自己所有の右各資産を会社設立と同時に会社に譲渡することにし、ただ以上いずれについても外形上出資はあくまで金銭をもつて現実に払い込まれたようにするため、出資金の領収証(前掲甲第二十一号証の一、二および五はその写。)が作成されて会社設立手続に供され、他方資産の譲渡は設立後会社に売却されたように帳簿上処理(甲第二十九号証の一、二)され、後日登記を経了(甲第四十号証の一ないし三)したものであることが認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

そして右認定の事実によれば、右挙示の出資および資産の譲渡は、単なる現金出資と資産売却の重複競合といつたものではなく、相互に関連し一体としてなされたもので、資産譲渡をもつて出資の履行に代える一種の現物出資の範疇に属するものであることが認められる。

ところで有限会社にあつては、その設立手続は同じく物的会社である株式会社の場合と比較して簡易であることはいうまでもないが、この簡易性はあくまで会社設立手続の形式面においてのみ認められているものであつて、資本の充実という実質の面においてまで許容されているものではない。むしろ有限会社においては、設立手続の簡易性がもたらすかも知れない弊害を防止するため、有限会社法は会社設立前全額払込の原則を採り(同法第十二条、第十三条第一項)、もつて成立する会社の資本的基礎を強固にし、実質的には株式会社の場合と同様に資本の充実を要請しているものと解しなければならない。かような有限会社法における資本充実の原則からすれば、有限会社設立の際の出資は、定款に現物出資の記載がない限り、常に社員が金銭をもつて現実に払い込まなければならず、これと異なる方法をもつてする払込は法律上違法、無効というべきである。

而して新紅園の定款に現物出資の記載のないことは甲第二十号証(定款)に徴し明らかであるから、前記のような資産の譲渡をもつてする出資の履行は違法、無効というのほかなく、したがつて前記各資産については、会社が有効にこれを取得していないものといわなければならない。

なお、仮に前記のような資産譲渡が新紅園にとつていわゆる財産引受であるとしても、会社の成立後に譲受けることを約した財産、その価格及び譲渡人の氏名は定款の相対的必要記載事項であるにもかゝわらず、新紅園の定款である甲第二十号証には、右の事項の記載が見当らないから、財産引受としての法律上効力を生じないものといわなければならない(有限会社法第七条参照)。

また仮に前記のような資産譲渡につき、会社の有する出資金払込請求権と原告中田および中田シマ子の有する資産売却代金債権との相殺または相殺契約の締結がなされたものとしても、かような有限会社設立の際の出資金払込請求権を一方の債権とする相殺ないしは相殺契約はすでに説示した有限会社法における資本充実の原則からして到底許容されず、これまた違法、無効と解するのほかはない。

次に、成立に争のない甲第二十五号証の一、二および同第三十号証の一によれば、訴外横瀬農業協同組合に有限会社新紅園が設立された昭和三十二年五月十五日、同会社名義の普通預金口座が設けられ、同日現金三十万円が預け入れられている事実が認められ、この事実と証人中田長吉の証言によれば、中田長吉および中田花子の両名が定款所定の出資金各十万円宛を金銭をもつて現実に払い込んだ事実を認めることができ、前顕乙第七号証の三の十二の記載、証人土井照則および同富田順三の各証言、同証人らの証言によつて成立の認められる乙第七号証の三の一の記載中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

更に仁木鶴一の出資については、総額金五十万円のうち金三十五万円について有効な出資の履行のなかつたことは前記認定のとおりであり、残額金十五万円については、右認定の預金額が長吉および花子両名の出資金合計金二十万円に更に金十万円を加えたものであること、証人中田長吉の証言の一部によれば、昭和二十五年の被災の際に仁木鶴一が原告中田に金十万円を見舞金として贈つたことがあり、同原告はかねてよりこれが返済を考えていたことが認められること並びに前掲乙第七号証の三の十二の記載を綜合すれば、右金十五万円のうち金十万円についてだけ原告中田が鶴一に代つてこれを同人の出資として金銭をもつて現実に払い込んだ事実が推認され、証人中田長吉の供述中この認定に反する部分は信用し難く、他にこの推認を覆えすに足りる証拠はない。

そうだとすれば、有限会社新紅園については、設立当初の定款所定の資本の総額金二百五十万円のうち金三十万円についてのみ有効な出資の履行がなされたが、その余については有効な出資の履行がなく、また金三十万円が右会社の預金となつた以外に会社としての事業遂行に必要不可欠な資産の有効な取得がなかつたものといわざるを得ない。

4、訴外有限会社カネヨ農園(原告米田関係)について。

(一)、設立に至るまでの経過

原告米田が前記勝浦町に蜜柑園を所有していることは当事者間に争がない。証人米田武夫および同大塚茂一(第一回)の各証言によれば、この蜜柑園の経営は、原告米田が長女の米田久美恵、その夫米田武夫および原告米田の妻米田イヘノらの家族と共にこれに当つていたが、右米田武夫は、この蜜柑園の経営をさきに設立された新紅園同様法人化し、これによつて蜜柑園経営の経費を明確にし、もつて所得税の課税に対処しようと考え、家族や前記計理士大塚茂一に相談したうえ、同計理士の具体的指導を受けて、原告米田らの家族と共に昭和三十二年九月十一日有限会社カネヨ農園を設立し、同日その旨の登記を経了したことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(二)、甲号証等から見たカネヨ農園の概要

(1)、このようにして設立されたカネヨ農園の定款(甲第九号証)には、

(イ)、目的      一、柑橘園の経営

二、右に附随する一切の業務

(ロ)、本店の所在地  徳島県勝浦郡勝浦町大字三溪字橘四十四番地(原告米田の肩書住所と同一。)

(ハ)、資本金の総額  金百三十万円

(ニ)、出資の口数   一口千円で合計千三百口

(ホ)、社員とその出資口数および役職名

一千口 原告 米田在久  代表取締役

百口    米田武夫  専務取締役

百口    米田久美恵 取締役

百口    米田イヘノ 監査役

(ヘ)、営業年度    毎年九月一日から翌年八月末日までとする。

旨の各記載がある。(このことは当事者間に争がない)。

(2)、出資の関係については、甲第十一号証の一ないし四(領収証)に、代表取締役の原告米田がいずれも会社成立の前日たる昭和三十二年九月十日前記四名の社員からそれぞれ定款所定の出資口数に相当する会社設立の出資金を正に領収した旨の各記載がある。

(3)、次に資産取得の関係については、甲第十二号証(物件売渡証書)に、原告米田が昭和三十二年九月十一日その所有する発動機および動力噴霧機各一台、索道一基、パイプ並びに荷車等をカネヨ農園に金四十三万二千円で売渡し、右代金を正に受領した旨の記載があり、甲第十三号証(物件売渡証書)には、原告米田が同年十一月二十七日その所有する発動機および動力噴霧機各一台並びに索道一基をカネヨ農園に金三十一万円で売渡し、右代金を正に受領した旨の記載がある。また甲第十四号証(貯蔵庫売渡証書)には、原告米田が昭和三十二年十一月二十七日その所有する貯蔵庫二棟(勝浦町大字三溪字中の倉四十九番の三地上木造セメント瓦葺十二坪五合および同町大字三溪字東バラオ三十二の一地上木造セメント瓦葺七合)をカネヨ農園に対し金四十万六千五百円で売渡し、右代金を正に受領した旨の記載がある。

更に甲第十八号証(不動産売渡証書)には、原告米田が昭和三十二年十一月二十七日その所有する貯蔵庫二棟(勝浦町大字三溪東婆羅尾三十二番の五地上家屋番号三溪六百五十五番、木造瓦葺平家建貯蔵庫一棟建坪八坪七合五勺並びに同町大字三溪字中の倉三十四番の一地上家屋番号三溪六百五十六番、木造瓦葺平家建貯蔵庫一棟建坪十五坪七合五勺)を金四十万六千五百円で売渡し、右代金を全額受領した旨の記載がある。

以上の資産の譲渡が帳簿上どのように扱われているかについては、甲第二十六および第二十七号証の各一、二(金銭出納帳)には、カネヨ農園が会社成立の日である昭和三十二年九月十一日原告米田から貯蔵庫を金四十万六千五百円、機械器具、設備および車輛を合計金七十四万八千円でそれぞれ買受けてその代金を支払つた旨の記載があり、また甲第二十八号証の一、二(金銭出納帳)には、右農園が昭和三十二年九月一日(十一日の誤記と認められる。)建物貯蔵庫を金十三万二千五百円、機械および設備を金三十六万七千円、車輛運搬具を金一万円のほか柑橘樹を金六十四万五千円で買受け、その代金を支払つた旨の記載がある。

なお、成立に争のない甲第四十号証の五、六(不動産登記簿謄本)によれば、前記甲第十八号証の貯蔵庫二棟について、本訴提起後である昭和三十四年十二月二十八日受付をもつて原告米田を所有者とする所有権保存登記が、また同日受付をもつて同三十二年十一月二十七日付売買を原因とする原告米田からカネヨ農園への所有権移転登記がそれぞれなされたこと、並びに右昭和三十四年十二月二十八日受付をもつて前記家屋番号六百五十五番の貯蔵庫につき、カネヨ農園より増築を原因としてその建坪を十六坪二合五勺に変更する旨の建物表示変更登記がなされたことが認められる。

(4)、蜜柑園の農作業に関しては、甲第十六号証(臨時社員総会議事録)に、昭和三十二年十一月二十七日カネヨ農園の第二回臨時社員総会が開かれ、その席上専務取締役の米田武夫より「有限会社カネヨ農園運営に関し賃貸借契約による運営を昭和三十二年十一月二十七日柑橘栽培請負契約による運営と致したく、斯る重大変更を余儀なく相成つた根本は既に社員各位御承知の通り農地法関係により農業法人存立不能云々という時代錯誤も甚しき農林省及び大蔵省国税庁当局の見解により起因するものであり、当局の進歩的解釈又は農地法改正等その他判然する迄会社設立当時に遡及して効果を生ぜしむべき」との説明があつて、社員一同異議なくこれを承認可決した旨の記載およびこれが可決に伴つてすでに会社が買受けた柑橘樹を原告米田に返還し、原告米田から譲受けた資産の評価替を行い、その評価替後の価格をもつて同原告から譲受けることとし、これらの効果を会社設立当時に遡及さす旨の議案が社員一同異議なく承認可決された旨の記載がある。

そして、甲第十号証(柑橘栽培請負契約書)には、昭和三十二年十一月二十七日原告米田とカネヨ農園との間で新紅園の場合と全く同一趣旨の請負契約を締結した旨の記載がある(前掲甲第二十三号証の記載内容参照)。

また甲第二十六ないし第二十八号証の各一、二には、昭和三十二年九月から翌三十三年八月末日までの間のカネヨ農園の金銭の出納が記帳され、新紅園の場合と同様蜜柑園経営全般にわたると思われる各種目の収支が継続して記載されている。

その他、甲第十五号証(事務所賃貸借契約書)には、原告米田が昭和三十二年九月十一日肩書住居の一室を賃料年千二百円でカネヨ農園に対し賃貸した旨の記載がある。

(5)、公租公課について。

(イ)、甲第三十一号証の一ないし四(計算書および領収証書)および同第三十二号証の一ないし五(所得税源泉徴収簿)には、カネヨ農園が昭和三十二年九月分以降の社員らの給与の源泉徴収税額を徳島税務署に納付している旨の記載がある。

(ロ)、甲第三十八号証の一および二(督促状等)には、徳島税務署長が昭和三十三年六月十一日カネヨ農園に対し同社の昭和三十三年度分法人税支払の督促等をした旨の記載がある。

(ハ)、甲第四十二号証の一(証明書)には、勝浦町長がカネヨ農園に対し昭和三十五年度分固定資産税を賦課し同農園よりその納付があつた旨の記載がある。

(三)、カネヨ農園の出資および資産取得の実情

前項挙示の甲号各証によれば、カネヨ農園は一応形式および実質共に具備して設立され、現実に農作業を実施しているもののように窺われる。しかしながら証人浜崎正己の証言およびこれによつて真正に成立したと認められる乙第一号証の三の一、証人米田武夫の証言およびこれによつて真正に成立したと認められる甲第十二および同第十四号証を綜合すれば、右会社は設立後蜜柑栽培等の事業を行うため蜜柑樹、農機具、運搬具および貯蔵庫など蜜柑園の経営に必要不可欠な資産を買取ることになつていたが、これら資産はいずれも原告米田が所有し、全部で金百十五万四千五百円と評価されたので、同原告および他の社員三名は同原告の出資金百万円およびその他の社員の出資金合計金三十万円のうち金十五万四千五百円を金銭をもつて現実に払い込まず、代りに原告米田所有の右各資産を会社設立と同時に会社に譲渡することとし、ただ以上いずれについても外形上出資はあくまで金銭をもつて現実に払い込まれたようにするため、出資金の領収証(甲第十一号証の一ないし四はその写)が作成されて会社設立手続に供され、他方資産の譲渡は設立後会社に譲渡されたように書類および帳簿上処理(甲第十二ないし第十四号証、第二十六ないし第二十八号証の各一、二)され後日各登記を経了した(甲第十七ないし第十九号証および甲第四十号証の五、六)ことが認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

そして右認定の事実によれば、右出資および資産の譲渡は、有限会社新紅園について説示したと同様単なる現金出資と資産売却の重複競合というものではなく、相互に関連し一体としてなされたもので、資産譲渡をもつて出資の履行に代える一種の現物出資の範疇に属するものであることが認められる。

而してカネヨ農園の定款に現物出資の記載のないことは甲第九号証(定款)に徴し明らかであるから、右資産の譲渡をもつてする出資の履行は、新紅園の場合について述べたと同一の理由によつて違法、無効というのほかなく、したがつて前記各資産についても会社が有効にこれを取得していないものといわざるを得ない。

なお、仮に前記資産譲渡がカネヨ農園にとつていわゆる財産引受になるとしても、それは定款の相対的必要記載事項であるにもかゝわらず、カネヨ農園の定款とする甲第九号証にはその旨の記載が見当らないから、これまた違法、無効というのほかはない。

また仮に前記のような資産譲渡の代金債権と会社の有する出資金払込請求権とにつき相殺または相殺契約の締結がなされたものとしても、それは、新紅園の場合に説示したと同様の理由によつて違法、無効と解せざるを得ない。

次に米田武夫、同久美恵および同イヘノの三名の出資については、その合計額金三十万円のうち金十五万四千五百円について有効な出資の履行のなかつたことは前記説示のとおりであり、残る合計金十四万五千五百円についても、この金額が中途半端のものである上、この金員が会社設立の頃預金された事実を認めさせる証拠がないのみならず、証人浜崎正己および同土井照則の各証言、これら証言によつて成立の認められる乙第一号証の三の一および同じく乙第七号証の二の一の各記載を綜合すれば、右三名の社員が金銭をもつて現実に払い込んでいないことが認められ、乙第七号証の二の三の供述記載および証人米田武夫の供述中右認定に反する部分は右採用の証拠に照らして信用し難く、他に右認定を覆えして有効な出資履行のなされた事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、訴外有限会社カネヨ農園については、定款所定の資本の総額金百三十万円の全部について有効な出資の履行がなく、また蜜柑園経営に必要不可欠な資産の有効な取得がなかつたものといわざるを得ない。

5、以上の次第で、原告らが設立した訴外両会社は、一応会社の人的要素たる社員を確定し、設立登記を経了していて、その形式的存在を否定できないとしても、いずれも出資の大半ないしは全部につき有効な払込がなく、また定款所定の事業目的遂行に必要不可欠な資産を法律上有効に取得していないから、物的会社としての会社の実体構成に不可欠な物的基礎を著しく欠いているものといわざるを得ず、しかも右両会社が少くとも昭和三十二年内において右の程度の欠缺を補充した事実を認めさせる証拠もない。

そして右認定の程度の会社の物的基礎の欠缺は会社の事業遂行に支障を及ぼす程度に至つているものというべく、このことは一方において会社設立無効の原因となると解されると同時に、他方において当該会社から本来の事業遂行能力を奪うものと解するを相当とする。

6、また、原告ら所有蜜柑園の農作業の実態についてみると、原告らが右両訴外会社の事業内容として主張する蜜柑園の農作業の請負なるものは、前掲甲第十号証及び同第二十三号証(いずれも柑橘栽培請負契約書)より判断するに、原告らが一方において蜜柑園の所有者の立場から請負の注文者となり他方においてその請負人たる法人の代表者となるという極めて技巧的で奇妙なものである上、請負という形式をとつているものの、契約の実質的内容は要するに右両会社において原告ら所有の蜜柑園の経営全般を行うにひとしい趣旨のものであつて、請負本来の範囲を遥かに逸脱して居り、また蜜柑園の所有者である原告らが蜜柑売上金額の九割という多額を、農作業の請負に対する報酬として会社に支払うというのも甚だ不自然であつて首肯できない。而も請負契約締結の前後を通じて蜜柑園の農作業の実態に何等本質的な変化はなく、現実に農作業に従事する者にも格別変動のなかつたことは、証人米田武夫及び同中田長吉の各証言により窺うことができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

7、そこで以上認定した本事件の背景となる事実、両会社設立に至るまでの経緯、両会社設立の実情、両会社が物的基礎を著しく欠き会社としての事業遂行能力を有していなかつたこと並びに前記請負契約と称するものの内容その他前認定の各事実を彼此綜合すれば、少くとも両会社が設立されて間のない昭和三十二年中においては原告ら所有蜜柑園の経営及び農作業は、原告らが、それぞれ自己の責任においてその家族らと共にこれに当つていたもので、訴外両有限会社が会社の業務として蜜柑園の農作業に当つていたものとは未だ認め難い。このことは、前掲甲号各証の各記載にあるような諸事実が存し、右両会社の社員が蜜柑園の経営に関し会社の名において行為(記帳、取引、公租公課納付手続など。)し、また第三者が会社の存在を是認して会社を相手方として取引ないし交渉した事実があつたとしても、それによつて左右されるべき筋合のものではなく、他に前記認定を覆えして昭和三十二年における前記蜜柑園の農作業が右両会社の事業としてなされた事実を認めるに足りる証拠はない。

三、所得額の確定

そこで昭和三十二年における原告らの事業所得の金額について検討する。

1、先ず蜜柑関係の所得について考察する。

(一)、収入金額について。

(1)、原告ら各所有の蜜柑園における昭和三十二年の蜜柑栽培による収入金額について、被告は、原告米田が金百二十万五千七百九十円、原告中田が金百四十三万八千五百七十円であると主張するに対し、原告らは、原告米田が金百八万九百七十円、原告中田が金百二十五万一千八百二十二円であると主張する。

(2)、証人中野利明の証言の一部、これによつて成立したと認められる乙第十八号証および証人中田長吉の証言によれば、原告ら所有の蜜柑園で昭和三十二年に収穫された蜜柑の収穫時の生産者売渡価格は貫当り平均して金百十円を超えなかつたことが認められ、証人中野利明の供述中この認定に反する部分は右採用の証拠に照らして信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(3)、昭和三十二年における原告米田の蜜柑の収量が九千八百二十七貫(貫未満切捨)であつたことは当事者間に争がなく、この収量に右認定の単価金百十円を乗じて計算すると、右収穫蜜柑の所得税法施行規則第九条所定のいわゆる収穫価格は合計金百八万九百七十円であることが明らかとなる。この金額が原告米田の蜜柑関係の収入金額ということができる。

(4)、原告中田が昭和三十二年に収穫した蜜柑のうち三千二百貫五百匁を同年内に代金三十八万二百三十七円で売却したことは当事者間に争がない。また残余の収穫蜜柑について、その収量が七千九百二十三貫五百匁であることは当事者間に争がなく、この収量に前記認定の単価金百十円を乗じて計算すると、その収穫価格は合計して金百一万四千二百十一円(円未満切捨)であることが明らかとなる。そして、この金額に前顕金三十八万二百三十七円を加えた合計金百三十九万四千四百四十八円が原告中田の蜜柑関係の収入金額であるといえる。

(二)、支出金額について。

(1)、昭和三十二年における原告ら各所有蜜柑園の農作業の必要経費が被告主張のとおり原告米田関係において金四十六万七千二百十六円、また原告中田関係において金五十三万五千二百八十六円であつたことは当事者間に争がない(別表参照)。そして右の農作業を実施したのが訴外両会社ではなく原告ら個人であつたと見るべきであることはすでに説示したとおりであるから、仮に原告らが右両会社に対し請負に対する報酬名義でそれぞれ昭和三十二年収穫蜜柑売却代金の九割を支払つた事実があつたとしても、かかる支払は無効であつて、前認定の事実関係の下にあつては如何なる意味においても原告らの有効な経費支出となり得ないと断じなければならない。(換言すれば、昭和三二年度においては、訴外両会社の収入ないし所得と見るべきものは存しない。)

そうすると、昭和三十二年における原告らの蜜柑関係の支出金額は、前記必要経費額即ち原告米田において金四十六万七千二百十六円、原告中田において金五十三万五千二百八十六円のみであるというべきである。

(三)、所得金額について。

そこで前記(一)および(二)によつて原告らの所得額を計算すると、原告らの昭和三十二年における蜜柑関係の所得は、原告米田が金六十一万三千七百五十四円、原告中田が金八十五万九千百六十二円であることが明らかである。

2、次に原告らの蜜柑関係以外の事業所得について検討する。

(一)、原告米田の普通田畑関係の所得について。

(1)、原告米田の昭和三十二年における普通田畑関係の収入については、うち野菜等の収入が金七千円であることは当事者間に争がなく、その余について、被告は玄米が金三万八千九百五円、稲藁が金二千六百二十六円そして麦が金八千二百九十二円である旨主張し、成立に争のない乙第十九号証(原告米田の昭和三十二年分所得税確定申告書)には右主張に副う金額の記載が見受けられるけれども、この金額は具体性を欠き、右主張の金額と細部において一致するものではないから、これが記載によつて右主張の金額を原告米田の収入として認定することはできず、かえつて証人米田武夫の証言によれば、昭和三十二年における原告米田の普通田畑関係の収入(野菜等を除く)は同原告主張のとおり玄米が金三万二千円、稲藁が金一千円、麦が金五千五百円であつたことが認められ、他にこの認定を覆えし、前掲乙第十九号証と相まつて被告主張事実を認めさせる証拠はない。

そうすると、原告米田の昭和三十二年における普通田畑関係の収入金額は合計して金四万五千五百円であることが明らかとなる。

(2)、原告米田の右収入金額から差引かれるべき必要経費の合計が金二万二千七百十三円であることは当事者間に争がない(別表参照)。

(3)、したがつて、昭和三十二年における原告米田の普通田畑関係の所得は金二万二千七百八十七円であることが明らかとなる。

(二)、原告中田の普通田畑関係および雑収入関係の所得について。

昭和三十二年における原告中田の蜜柑関係以外の事業所得が普通田畑関係および雑収入関係の各所得を合計した金五万五千百十七円であることは当事者間に争がない。

3、以上を計算すると、原告らの昭和三十二年における事業所得は、原告米田が金六十三万六千五百四十一円、原告中田が金九十一万四千二百七十九円であることが明らかである。

四、結論

(一)、叙上説示に照し原告米田の昭和三二年分事業所得金額を金七十三万二千九百円とした徳島税務署長の更正処分およびこの更正処分を前提としてなした同署長の加算税決定処分並びにこれら各処分を是認した被告高松国税局長の審査決定のうち原告米田の所得金額金六十三万六千五百四十一円を超える部分は違法であるといわなければならない。

(二)、次に原告中田に対する徳島税務署長の再更正処分およびこれに伴う加算税決定処分並びにこれら処分を是認した被告高松国税局長の審査決定は、いずれも前記認定の金額の範囲内で原告中田の事業所得金額を認定したものであるから、これら各処分に違法の点は存しない。

(三)、よつて、原告米田の本訴請求中、徳島税務署長のした更正処分および加算税決定処分並びに被告のした審査決定の各取消を求める部分は、所得金額金六十三万六千五百四十一円を超える部分の取消を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却することとし、また原告中田の徳島税務署長のした再更正処分およびこれに伴う加算税決定処分並びに被告のした審査決定の取消を求める請求は、いずれも理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条、第九十二条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浮田茂男 野田栄一 小瀬保郎)

(別紙省略)

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