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高松地方裁判所丸亀支部 昭和33年(ワ)39号 判決 1960年5月02日

原告 国

訴訟代理人 大坪憲三 外一名

被告 中讃通運株式会社 外一名

主文

被告等は、原告に対し、各自金三十七万五千六百七十六円及び内金二万六百九十六円に対する昭和三十年四月十六日より、内金一万百八十四円に対する同月二十一日より、内金千十四円に対する同年五月一日より、内金四千九百九十五円に対する同月八日より、内金一万八千六十八円に対する同年六月十一日より、内金千百五十円に対する同年八月十四日より、内金二万八千百八十七円に対する同月二十六日より、内金二千四百九十六円に対する同年十二月一日より、内金四万七百八十二円に対する同月十六日より、内金二十四万六千三百八十四円に対する同月二十四日より、内金千七百二十円に対する同三十一年一月十五日よりそれぞれ支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

この判決は、原告において、被告等に対しそれぞれ金十二万円の担保を供するときは、当該被告に対し、仮りに執行することができる。

事実

原告指定代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、被告中讃通運株式会社(以下被告会社という)は、貨物自動車運送等を業とする株式会社であり、被告吉田は被告会社に傭われ自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和二十九年十二月二十七日、被告吉田は、被告会社の運送事業のため、徳島市より坂出市に帰るべく、被告会社所有の普通貨物自動車(香一-二三三一)を約二十粁の時速で運転し、同日午前十一時三十分頃、徳島県板野郡大山村国鉄板西駅北側国道を同駅に通ずる町道と交叉する十字路にさしかゝつたところ、折から右交叉点の町道の右(北)側より南進してくる訴外山田巖運転の軽自動車を認めたので、側面衝突を避けるべく、急遽把手を左に切つて避護措置を講じたが、その際運転を誤つたため、国道左側の三号電柱に車体を突き当て、電気工事を終えて降りようとしていた訴外徳島電気工事株式会社(徳島市幸町三丁目二十八番地に本店を有し、電気工事、電気土木工事等を業とする会社)の電気工である訴外岡島俊久を地上四米の右電柱より転落させ、よつて、同訴外人に対し休業加療約三ケ月を要する左下腿骨々折の重傷を負わせるに至つた。

二、しかして、右交叉点は国道と板西駅に通ずる町道とが略直角に交る見透しのよくない十字路で、かつ交通量もかなり頻繁なところであるから、苟くも自動車を運転する者は、何時町道の両側から人や車が飛び出してくるかも知れないことを予期し、あらかじめ警笛を吹鳴し、また充分減速する等して、不時の危険にいつでも対処できる程度の余裕を保持して運転すべき注意義務があるにも拘らず、被告吉田はこのような注意義務を怠り、あらかじめ警笛を吹鳴せず必要な減速もせず、不時の横断車に思いを致さなかつたため、前記訴外山田巖運転の軽自動車が進行してくるのを発見するや、周章狼狽、専らこれとの衝突を避けることにのみ心を奪われ、急激な避譲措置を講じたため、遂に前記電柱に衝突して本件事故を発生せしめたのであるから、右事故は同被告の過失によるものである。

三、しかして、市街地の電柱に自動車を衝突させてこれを折損し、そのために人畜に被害を生ぜしめたような場合、これを抽象的、客観的に観察しても、通常予想される結果であるから、本件事故により訴外岡島を負傷させたため生じた損害はすべて通常の損害というべきである。仮にそうでないとしても、前記電柱上において訴外岡島が作業していたことは、その数十米手前から認識できる状態であるから、被告吉田においてもそれを認識していたものであり、もしそれにも拘らず同被告が認識しなかつたとすれば過失があるので、被告吉田において訴外岡島の転落を予見しまたは予見し得べかりしものというべきであるから、その損害について賠償すべきである。それ故いずれにしても、同被告に本件事故による損害につきその賠償をする義務があり、また被告会社も会社の事業執行のため被用者たる被告吉田がその業務とする自動車運転に関し他人に蒙らせた損害であるから、民法第七百十五条によりその賠償をする義務がある。

ところで、訴外岡島は、右事故による負傷により次のような損害を蒙つた。すなわち同訴外人は、大正十四年十一月一日生れの健康な男子であり、昭和二十六年七月二十五日訴外徳島電気工事株式会社に入社し、電気工(外勤)として働いていたものであつて、給与は、日給制能率給及び諸手当を受け、本件事故直前の昭和二十九年十月分(九月二十六日より十月二十五日まで)として金一万六千六百七十四円、十一月分(十月二十六日より十一月二十五日まで)として金二万八百二十円、十二月分(十一月二十六日より十二月二十五日まで)として金一万五千九百八十八円を得ているので、毎日金五百四十七円五十二銭以上の収入があつたのである。然るに本件事故により(一)その治療費金二万千八百六十九円を負担し、(二)事故発生当日より昭和三十一年一月末日まで四百二日間安静加療を余儀なくされたため、この間得べかりし前示給与収入金二十三万九百五十七円相当を得られなかつた外、(三)さらに左下肢の関節を損壊し、その屈伸に著しい不自由を感ずるに至り、そのため将来電気工(外勤)として働くことができなくなつたので、内勤に職場を替えるのやむなきに至り、これによる収入減は少くとも毎月二千円を下らないところ、同訴外人の事故当時の余命は三十九年であるが、うち三十一年(六十才まで)間を労働可能と推定し、その間右労働能力の低下により得られなくなつた損害を今一時に請求するとして、ホフマン式計算法により、中間利息を控除すると、金二十九万千七百六十四円となる。以上(一)(二)(三)の合計金五十四万四千五百九十円を下らない損害を蒙つたものというべきである。

四、ところで、訴外岡島の負傷は、同訴外人の業務上の事故であつたので、原告(鳴門労働基準監督署)においては、労働者災害補償保険法第十二条に基き、同訴外人に災害補償として、別表記載のとおり、合計金三十七万五千六百七十六円の保険給付をなしたので、同法第二十条第一項により、原告は右給付の価額の限度で、同訴外人の被告等に対する前記損害賠償債権及びこれに対する本件事故発生時以降の遅延損害金債権を取得するに至つた。

五、よつて、原告は被告等に対し、各自請求の趣旨記載のとおりの金額及びその内金に対する本件事故発生後である各保険給付の翌日以降これが支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六、被告等の主張に対して、訴外山田巖運転の軽自動車は、せいぜい約十粁の時速で、前記交叉点に進んでいたにすぎない。またたとえ同訴外人が一時停車の義務を怠り道路交通取締法に違反したようなことがあるとしても、被告吉田において前記注意義務を果しておれば、本件事故は容易に避け得られたであろうから、被告等主張のように緊急避難とは到底いゝ得ない。と述べた。

立証<省略>

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決を求め、答弁として、

一、原告主張の請求原因中、第一項の、被告等が原告主張のようなものであること、被告吉田が被告会社の運送事業のため原告主張のように自動車を運転して、その主張の日時その主張の場所にさしかかつた際、訴外山田巖運転の軽自動車を認めたので、側面衝突を避けるべく、急遽把手を左に切つたため、国道左側の三号電柱に車体を突きあてたこと及び第三項の被告吉田の右自動車の運転が使用者である被告会社の事業執行のためのものであることは認めるが、第一項の訴外徳島電気工事株式会社及び同岡島俊久が原告主張のようなものであること及び第四項の原告(鳴門労働基準監督署)が主張の保険給付をしたことは知らない。以上を除くその余の事実は否認する。

二、被告吉田は本件現場において、訴外山田嶽運転の軽自動車が右側町道から、突如進行してきたので、これを避けるため、把手を左に切り、緊急避難をしたので国道左側の三号電柱に衝突したのである。しかも被告吉田の過失あるによるものではなく、むしろ訴外山田巖の過失によるものであるから本件事故につき被告等に責任はない。と述べ、

立証<省略>

理由

被告会社が貨物自動車運送等を業とする株式会社であり、被告吉田が被告会社に傭われ自動車運転の業務に従事しているものであること、被告吉田が被告会社の右事業執行のため昭和二十九年十二月二十七日徳島市より坂出市に帰るべく被告会社所有の普通貨物自動車(香一-二三三一)を運転して同日午前十一時三十分頃徳島県板野郡大山村国鉄板西駅(検証の結果によれば、現在は、同郡板野町国鉄板野駅と改名)北側国道と同駅に通ずる町道との交叉する十字路を通過する際、その交叉する町道の右(北)側より南進してくる訴外山田巖運転の軽自動車を認めたので、側面衝突を避けるべく、急遽把手を左に切つたため、国道左側の三号電柱に車体を突き当てたことは当事者間に争なく、成立に争のない甲第一、二号証に証人岡島俊久の証言を綜合すると、右電柱に自動車を突き当てた衝撃により、その電柱で電気工事を終えて降りようとしていた訴外徳島電気工事株式会社(徳島市幸町三丁目二十八番地に本店を有し、電気工事、電気土木工事を業とする会社)外線工の訴外岡島俊久が、地上約五米の右電柱より転落し、ために左脛骨及び腓骨々折並びに左顔面裂傷の傷害を負うに至つたことが認められる。

そこで、右事故が被告吉田の過失によつて生じたものであるかどうかについて判断するに、証人岡島俊久、同山田巖、同吉兼泰司、同松永愈の各証言及び被告吉田本人訊問の結果(後記信用しない部分を除く)並びに検証の結果を綜合すると、本件事故発生現場は、徳島県の西部で香川県との県堺に近い徳島県板野郡板野町の国鉄板野駅の北側を東西に通ずる幅員約四米の国道が同駅前より北方に通ずる町道を約五十米進んだ所において略直角に交叉している十字路であつて、町道の幅員は国道までの南側は約九、五米、国道から北側は約五、五米となつていて、いずれも歩車道の区別のない凹凸のある非舗装道路であり、また右国道は右交叉点より東方約三十五米までは直線であるが、それより東はやゝ南方にカーブしており、さらに右交叉点附近の国道、町道の両側に〃は西、南角が低い板囲いの僅少な残地となつておる外、いずれも商店が軒を並べているような状況のところでもあり、従つて東方徳島市方面よりの現場の見通しは不良であり、特に右交叉点の近くにならなければ右町道を進み交叉点で国道を横断し、または国道に曲ろうとする人車があるかどうかの見透しは殆んど不可能であること、しかも右交叉点近くにはバス停留所があり、バスも十分毎に往来している外、右国道は香川、徳島両県に通ずる唯一のものである関係から交通量もかなり頻繁であること、被告吉田は東方徳島市方面より高松市を経て坂出市方面に向うべく、前記国道を約二十粁の時速で、普通貨物自動車を運転して前記交叉点にさしかかつた際、右前方約五、六米ぐらいのところで交叉点まで約二、三米ぐらいあるところの町道を交叉点に向け進行する訴外山田巖運転の軽自動車を発見し、しかもその軽自動車の方で同被告運転の自動車の進行に気付いていたかどうかわからない状況であつたにも拘らず、軽自動車が交叉点の手前で一時停止するものと軽信して、警笛の吹鳴をしなかつたばかりでなく、そのまゝの速度で横断しようとして交叉点を進行していたところ、予期に反し、同訴外人の軽自動車もそのまゝ進行を続けるのに慌てゝ、急逮把手を左に切ると共に急停車の措置をとつたけれども及ばず、車体右側ドアの取手附近に右軽自動車の前車輪泥除け附近を接触転倒させ、余勢を駆つて、なおも車体前部を右交叉点の西南角附近の国道左側にある三号電柱に激突させ、よつて前記認定のとおり電柱から被害者岡島を転落させるに至つたものであることが認められる。被告吉田本人の供述のうち、同被告が右交叉点にさしかゝつた際、訴外山田巖運転の軽自動車を発見したのは、右前方約十米のところで交叉点まで約七米あるところの町道を進行していたときである旨及び同被告の車は交叉点まで約十五粁の時速で走つていたが、交叉点にかかるとアクセルを離したので自然にエンヂンブレーキがかゝつて、さらに速度が落ちた旨の部分は、他方同被告運転の貨物自動車は十五粁の時速で急停車の措置をとれば一間半位で停車すると云うに拘らず、急停車の措置をとつたと云いながら右自動車が約十米進行し、なおも前記電柱に突き当り、そのうえ地上約一間位に及ぶ縦の亀裂を生ぜしめたような状況を窺知できること、訴外山田巖の軽自動車は当時歩行程度の速力しか出していなかつたため、前記接触転倒により同訴外人において何ら傷害を受けず、また軽二輪車も修理に金二百円を要した程度の損傷に過ぎなかつたことが前顕各証拠によりうかがわれることに徴し、にわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、苟も自動車を運転するものは、絶えず前方を注視し細心の注意を以てその運転にあたるべく、殊に見透しの効かない交通量のかなり頻繁な市街地の交叉点を横切る場合には、何時交叉点の両側より人や車が進入してくるかも知れないのであるから、警笛の吹鳴はもちろんあらかじめ自車の速度を充分減速し、事態の緩急に応じ、場合によつては急停車の措置を講じ、以て交叉点の両側より進入してくる人や車との接触衝突等の危険は勿論、さらに道路両側に所在する電柱、人家等との接触等を未然に防止すべき注意義務があるものというべきところ、前記認定のとおり、本件事故現場は見透しの殆んど効かない市街地の交叉点であるに拘らず、被告吉田においては何ら減速除行などをせず漫然約二十粁の時速で右交叉点に進行し、さらにその進行方向の右前方約五、六米で交叉点まで約二、三米の至近距離に訴外山田巖運転の軽自動車の進行するのを発見しながら軽自動車運転者において同被告運転の自動車に気付いていたかどうかもわからないような状況であつたにも拘らず、それが一時停止するものと軽信して警笛の吹鳴をしなかつたばかりでなくそのまゝの速度で交叉点を横切ろうとしたなど危害を未然に防止するためしなければならない注意や措置を怠つたため予期に反し右軽自動車が交叉点へ進行するのに慌てて、急遽把手を左に切ると共に急停車の措置をとつたが及ばず、前記電柱に衝突したのであるから明らかに被告吉田に過失があるとするを免れない。

被告等は、この点について、被告吉田は訴外山田巖運転の軽自動車が右側町道から、突如進行してきたのを避けるため、把手を左に切つて緊急避難をした結果、国道左側の三号電柱に衝突したのである。しかも被告吉田の過失によるものではなく、むしろ訴外山田巖の過失によるものである旨抗争するので考察するに、以上認定により明らかなように突如町道から同訴外人運転の軽自動車が進入してきたものでなく、また証人山田巖の証言並びに被告吉田本人訊問の結果によれば、右交叉点においては、町道よりも国道の通行を優先させるようになつていたにも拘らず、町道を通行する訴外山田巖において右交叉点に入る前、一時停止の措置をとらなかつたことがうかがわれるが、たとえ優先通行権のあるものといえども、衝突の危険が認められるに拘らず、それを無視して通行することを許す趣旨のものでないことは明らかであるから、本件事故につきたとえ訴外山田巖にも何らか過失の責むべきものがあるとしても、被告吉田の前示過失の責を免れしめる理由とならない。しかも緊急避難は「他人の物より生じた」危険を避けるものでなければならないのに拘らず、本件は「訴外山田巖の運転する軽自動車」との接触衝突なる危難ではあるが、その軽自動車は同訴外人の運転するものであるから、結局人の行為によるものであり、いわゆる物より生じた場合に当らないので、被告の右抗争は採用できない(なお前示の如く被告吉田の過失に基く行為であるからには「他人の不法行為に対し」と云うべき場合に当らないのでいわゆる正当防衛と考える余地もない)。

しかして、市街地において、自動車の運転をする場合、その自動車を電柱に衝突させたとしても、それだけでは電柱に衝撃を与えまたは折損倒壊などを生ずるに過ぎず、その電柱にたまたま人が登つていたりまたは人が附近に居合せるか通行しておるかなどと云うような特別な事情の存するときは、衝撃により転落し、または折損倒壊などにより危難を受けるなどの事故を生ずるのである。そうすると、被告吉田が前認定の如くその運転する自動車を電柱に突き当てるに至らせた衝撃により、電柱に登つていた訴外岡島を転落するに至らせたのであるから、その間に、因果関係の存すみこともちろんであるが、それにつき同被告が如何なる範囲において責に任じなければならないかは人の共同生活において加害者に責任を負わせるを相当とする範囲で因果律を応用すべきものであり、その範囲を行為者が行為当時認識し又は認識し得べかりし事情による損害につき責に任ずべきであるとすべきである。然るに検証の結果と右認定の事実とを併せ考えると、被告吉田においては、本件事故の発生した交叉点の手前約二十米のところあたりから、前記電柱に訴外岡島が登つていることを認識し得る状態にあつたことがうかがわれるので、本件事故発生当時も、同被告においては、前示電柱の存在及びそれに人が登つていること、従つて電柱に衝突すれば人が転落するに至ることなどの事情を予見し得べかりし情況であつたものというべく、従つてそれによる損害について、賠償の責に任ずべきものである。

ところで被告吉田の右貨物自動車運転が同被告の使用者たる被告会社の事業執行のためのものであることは当事者間に争がないから、被告会社もまた被告吉田の行為による右損害につき賠償をする義務があるというべきである。

そこで、つぎに訴外岡島が被告吉田の右不法行為により蒙つた損害及びその額について判断するに、成立に争のない甲第二号証、鳴門労働基準監督署が職務上作成した謄本であると認められるので真正に成立したものと推定される甲第三号証の一ないし四、同第四、五号証の各一ないし八、同第六号証及び証人岡島俊久の証言によれば、訴外岡島は前記認定の事故により、前記認定のような傷害を受けるに至つたので、(一)これがため治療費金二万千八百六十九円を負担し、(二)事故当時、勤務していた訴外徳島電気工事株式会社の外線工として給与は、日給制能率給、家族手当、自転車手当、班長手当等を受けており、事故直前のそれは昭和二十九年十月分金一万六千六百七十四円、十一月分金二万八百二十円、十二月分一万二千三百三十一円を得ていたのであるから、少くとも毎日金五百四十七円五十二銭以上の収入があつたのであり、事故発生当日より昭和三十一年一月三十一日まで四百二日間休業加療をするの余儀なかつたため、その間右の収入を得られず、従つて一日の収入金五百四十七円五十二銭の四百二日分合計金二十二万百三円を得られるべきであつたのを喪失し、(三)さらに事故当時二十九才の健康な男子であつたが、本件事故により、左下肢の関節を損傷し、治療後もその屈伸に不自由を感ずるに至つたため、将来外線工として働くことができなくなつたので、治療後一旦退社し、嘱託として再入社したが、内勤に職場替えするのやむなきに至り、その結果、少くとも毎月金二千円の収入減となり、前示休業による得べかりし収入喪失の損害として認められた最終日の翌日たる昭和三十一年二月一日以降その不利益を蒙ることとなるのであり、しかして健康な一般男子の平均労働可能年令は六十才であることは顕著な事実であるから右昭和三十一年二月一日当時三十才三ケ月(大正十四年十一月一日生)になつていた同訴外人の将来における労働可能期間は二十九年九月と推定されるので、右労働能力の低下による収入減は右期間において得べかりしものを喪失するに至る損害を蒙ることとなるから、これをホフマン式計算法により、年五分の中間利息を控除すると、現在、一時に請求し得べき額は金二十八万七千三十五円となる。以上(一)(二)(三)の合計金五十二万九千七円が少くとも同訴外人の本件事故により蒙つた損害といわなけれはならない。

ところで、前記甲第三号証の一ないし四、同第四号証の一ないし八、同第五号証の一ないし八、同第六号証に証人岡島俊久の証言を綜合すると、訴外岡島の蒙つた前示負傷は、同訴外人の業務上の事故によるものであること、それで原告(鳴門労働基準監督署)は、労働者災害補償保険法第十二条に基き、同訴外人に対し、災害補償として、別表記載のとおり、療養補償金二万千八百六十九円、休業補償費金十万七千四百二十三円、障害補償費金二十四万六千三百八十四円、合計金三十七万五千六百七十六円の保険給付をなしたことが認められる。そうすると、原告は、同法第二十条第一項により、訴外岡島が被告等に対して有する前記損害賠償請求権の内、右給付の価額の限度すなわち前記(一)の治療費の損害金二万千八百六十九円については、その全額、(二)の休業による収入喪失の損害金二十二万百三円については、その内金十万七千四百二十三円、(三)の左下肢の障害による収入減の損害金二十八万七千三十五円については、その内金二十四万六千三百八十四円を取得したものというべきである。

よつて、原告の被告等各自に対する右損害金の合計三十七万五千六百七十六円及びこれに対する右損害賠償債務発生の時以後である原告の訴外岡島に対する保険給付による賠償請求権取得の日の翌日以降各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の請求は正当であるから、これを認容することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田元 塩田駿一 裁判官長西英三は転任のため署名捺印することができない。)

別表<省略>

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