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高松地方裁判所丸亀支部 昭和43年(ワ)57号 判決 1970年2月27日

原告

松原キヌヱ

ほか二名

被告

佐藤文帝

ほか一名

主文

被告両名は各自原告松原キヌヱに対し金七五万二、七二七円、原告松原武に対し金七万六、三六三円、及び右各金員に対する、被告佐藤文帝は昭和四三年四月三日から、被告米本運送有限会社は同月二日から、各支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

被告両名は各自原告米澤孝昭に対し金八九万二、九三二円、原告米澤トシコに対し金六〇万円、及び右各金員に対する、被告佐藤文帝は昭和四三年六月二日から、被告米本運送有限会社は同月一日から、各支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告松原キヌヱと被告らとの間に生じたものはこれを二分し、その一を同原告の、その余を被告らの、原告松原武と被告らとの間に生じたものはこれを三分し、その二を同原告の、その余を被告らの、原告米澤孝昭と被告らとの間に生じたものはこれを三分し、その二を同原告の、その余を被告らの、原告米澤トシコと被告らとの間に生じたものはこれを二分し、その一を同原告の、その余を被告らの各負担(被告らは各連帯して)とする。

この判決は、原告松原キヌヱは二〇万円、原告松原武は二万円、原告米澤孝昭は三〇万円、原告米澤トシコは二〇万円の各担保を供するときは、それぞれその勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

一、〔原告松原キヌヱ、同松原武〕

(一)  被告らは各自原告松原キヌヱ、同松原武に対し、各金一五〇万円、及び右各金員に対する本件(昭和四三年(ワ)第三四号慰藉料請求事件)訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決並びに保証を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、〔原告米澤孝昭、同米澤トシコ〕

(一)  被告らは各自原告米澤孝昭に対し金四三三万七、四三〇円、原告米澤トシコに対し金二〇〇万円、及び右各金員に対する本件(昭和四三年(ワ)第五七号損害賠償請求事件)訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求める。

第二、請求の趣旨に対する答弁

〔被告両名〕

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第三、請求の原因

一、(原告らの身分関係)

(一)〔原告松原キヌヱ、同松原武〕

原告松原キヌヱ(以下原告キヌヱという)は訴外亡松原孝義(以下孝義という)の実母であり、原告松原武(以下原告武という)は右孝義の実兄である。

(二)〔原告米澤孝昭、同米澤トシコ〕

原告米澤トシコ(以下原告トシコという)は孝義と事実上の夫婦として同棲していたもの、原告米澤孝昭(以下原告孝昭という)は孝義と原告トシコとの間に生まれた子であり、孝義の死亡後認知の裁判確定により認知を受けたものである。

二、(事故の発生)

〔原告ら四名〕

孝義は次の交通事故によつて死亡した。

(一) 発生時 昭和四一年五月三一日午後二時二五分頃

(二) 発生地 善通寺市金蔵寺町一八四番地の七先国道一一号線上

(三) 事故車 普通貨物自動車

(四) 運転者 被告佐藤文帝(被告米本運送有限会社(以下被告会社という)の従業員、以下被告佐藤という)

(五) 被害者 孝義(被告会社の従業員)

(六) 態様 被告佐藤が降雨中の右道路で、先行の貨物自動車を追い越そうとして、時速六〇キロメートル余でハンドルを右に切り追い越しにかかつたところ、事故車の車輪をスリツプさせて操縦の自由を失い、道路右端添いのブロツク塀及びブロツク建納屋に事故車前部を激突させ、同乗の孝義に対し、脳挫創、頭蓋底骨折等の傷害を負わせ、同年六月四日午後七時二〇分頃同市善通寺町六八〇番地国立善通寺病院で、右傷害に基づき死亡させた。

三、(責任原因)

〔原告ら四名〕

(一) 被告佐藤に対し、

過失による不法行為 事故発生地道路はアスフアルト舗装で、折から降雨のため路面が濡れていたので、高速度で進行すると車輪がスリツプし易い状態にあつたから、高速度で進行することを避けるべき注意義務があつたのに、これを怠り、前記二、(六)の如く先行車を追い越しにかかつた過失がある。

(二) 被告会社に対し、

自賠法三条の運行供用者責任 事故車を所有し、自己のために運行の用に供していたので、自賠法三条により、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

〔原告キヌヱ、同武〕

被告会社に対し、

使用者責任 被告佐藤を自動車運転手として雇用し、同被告は事故発生時に被告会社の業務に従事し、前記の如き過失があつた。

四、(損害)

(一)〔原告キヌヱ〕

原告キヌヱは孝義の実母として同人の本件事故による死亡により甚大な精神的苦痛を受けた。これを慰藉すべき額は一五〇万円が相当である。また同原告の夫訴外亡松原明嘉(以下明嘉という)も孝義の父として同額の慰藉料請求権を有したが、その死亡により原告キヌヱは妻として相続により法定相続分三分の一にあたる五〇万円の慰藉料請求権を取得した。合計二〇〇万円である。

(二)〔原告武〕

原告武は孝義の実兄として、原告キヌヱ同様の精神的苦痛を受け、これを慰藉すべき額は一五〇万円が相当である。また、父明嘉の死亡により法定相続分六分の一(兄弟姉妹は同原告を入れて四人である)にあたる二五万円の慰藉料請求権を取得した。合計一七五万円である。

(三)〔原告孝昭〕

(イ) 孝義の逸失利益

孝義は死亡当時二〇歳で、被告会社に雇われて月給二万二、〇〇〇円を支給され、そのほか、年二回計二箇月分相当の賞与を支給されていたので、年収は三〇万八、〇〇〇円であつた。

右のうち、孝義の生活費を四五パーセントと見てこれを差引くと、年間純収益は一六万九、四〇〇円となり、孝義は本件事故がなければ六〇歳までの四〇年間は稼働可能であつたから、右期間の純収益合計額から、ホフマン方式により中間利息を控除したその現価は三六六万二、四三〇円となり、原告孝昭は孝義のただひとりの子として右金額相当の損害賠償請求権を相続により承継した。

(ロ) 慰藉料

父を亡くしたことによる精神的苦痛を慰藉すべき額は一五〇万円が相当である。

(四)〔原告トシコ〕

本件事故により夫孝義を亡くし、今後ひとりで原告孝昭の母として苦痛を背負つて行かなければならない。慰藉料として二〇〇万円が相当である。

五、(結論)

原告キヌヱは前記慰藉料額二〇〇万円中一五〇万円、原告武は前記慰藉料額一七五万円中一五〇万円、原告孝昭は、自賠責保険金として八二万五、〇〇〇円を受領しているので、前記損害金合計五一六万二、四三〇円から右金額を控除した残金四三三万七、四三〇円、原告トシコは前記慰藉料額二〇〇万円、及び右各金員に対する本件事故の後である本件各訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の割合の遅延損害金の各支払を求める。

第四、請求原因に対する答弁及び被告らの主張

一、請求原因に対する認否

〔被告佐藤〕

第一項中、原告キヌヱ、同武の主張事実は認める。原告孝昭、同トシコ主張の事実は知らない。仮に原告孝昭が孝義と原告トシコとの間の子であるとしても、原告トシコは孝義の配偶者ではなく、内縁配偶者でもない。

第二項は認める。

第三項中、被告佐藤に過失があつたことを認める。

第四項は全て否認する。仮に被害者の兄弟姉妹に固有の慰藉料請求権が認められるとしても、被害者の死亡により、「父母、配偶者、子」が通常受けるであろう苦痛以上の格別の精神的苦痛を受けたであろうと認められる場合に限るべきである。

第五項中、原告孝昭が自賠責保険金として八二万五、〇〇〇円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。

〔被告会社〕

第一項中、孝義と原告トシコとが同棲していたことは認めるが、内縁関係にあつたことは否認する。その余の事実は認める。

第二項は認める

第三項中、被告会社が、事故車を所有し、自己のために運行の用に供していたこと、被告佐藤を自動車運転手として雇用し、事故発生時に被告会社の業務に従事していたことは認めるが、被告佐藤に過失があつたことは否認する。

第四項中、原告キヌヱ、同武、同孝昭の身分関係、孝義が事故当時二〇歳で、被告会社に雇用されていたこと、孝義の死亡後の稼働可能年数が四〇年であることは認めるが、その余の事実は否認する。孝義は事故当時日給六一〇円で月平均出勤日数は二六・七日であつたから、一箇月二七日として月収一万六、四七〇円で年収一九万七、六四〇円(賞与は支給しない)であるところ、総理府統計局調査による都市別勤労者世帯一箇月間の収入支出表による消費支出より推考しても、純収入は総収入の一五パーセント位であるから、孝義の年間純収入は三万円前後である。兄弟姉妹に固有の慰藉料請求権の認められるのは、父母、配偶者、子と同様の精神的苦痛を受けたと見られる特殊の事情がある場合に限る。

第五項中、原告孝昭が自賠責保険金として八二万五、〇〇〇円を受領したことは認めるが、その余は争う。

二、被告らの主張

(一)〔被告会社〕

(1) 被告会社は、被告佐藤の選任、事業の監督につき相当の注意をしていたから、使用者としての損害賠償責任はない。

(2) 仮に原告キヌヱ、同武が明嘉の固有の慰藉料請求権を相続しうるとしても、同人は自賠責保険金一四万一、八二〇円を受領したから、右金額につき法定相続分に応じた金額を同原告らの慰藉料額から控除すべきである。

(二)〔被告両名〕

原告孝昭は、昭和四四年七月から、同原告が満一八歳に至るまで、年額三万三、二二〇円(原告トシコと両名で年額六万六、四四七円で、その二分の一。一〇円未満切捨)の労働者災害補償保険法(以下労災保険法という)に基づく遺族補償年金を支給されることになつている。

右年金は原告孝昭が現実に受領したときは、同原告に対する民法上の損害賠償金(喪失利益)から控除さるべきであるが、受領未了の場合においても、すでに年金額、支給期間が法律に基づき決定されている本件の場合、同原告の相続した孝義の喪失利益額から控除さるべきものである。そして、支給期間一五年間の中間利息を年毎単利ホフマン方式で控除した現価は三六万四、七八二円となり、右金額を同原告の損害額(慰藉料を除く)から控除すべきである。

第五、被告らの主張に対する原告らの答弁

(一)〔原告キヌヱ、同武〕

被告会社が、被告佐藤に対する選任、監督につき、相当の注意をしていたことを否認する。

(二)〔原告孝昭、同トシコ〕

原告孝昭、同トシコに対し、被告ら主張の期間、年額の遺族補償年金が支給予定となつていることは認めるが、右金員を原告孝昭の損害賠償請求権から控除すべき旨の主張は争う。

第六、証拠〔略〕

理由

一、(争いない事実)

請求原因第一項中、原告キヌヱ、同武がそれぞれ孝義の実母、実兄であること、及び第二項、第三項(被告会社は被告佐藤の過失の存在を争つているが、自己の運行供用者としての責任を認めている以上、右過失の存否は被告会社の責任の存否に消長を来たさない)の各事実は当事者間に争いなく、同第一項中、原告孝昭が孝義と原告トシコの間の子であり、孝義の死亡後認知の裁判確定によつて認知を受けたことは原告孝昭、同トシコと被告会社間に争いなく、また、原告孝昭、同トシコに対し、被告ら主張の期間、年額の遺族補償年金が支給の予定であることは、右原告両名と被告両名間に争いがない。

二、(原告トシコ、同孝昭と孝義との関係)

〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。

原告トシコ(昭和二二年三月二日生)は孝義(同二〇年七月八日生)と同じ中学に在学した(孝義が一年上級)ことから知り合い、同原告が高校入学後交際するようになつた。高校卒業後、原告トシコは一旦大阪で働くようになつたが、間もなく丸亀市に戻り、昭和四〇年五月頃から同市福島町に間借りをして孝義と同棲を始め、同年七月には同市城東町のアパート旭荘の一室に移つて同棲生活を続けた。孝義は被告会社に運転助手として勤務し、原告トシコは同市内のミシン工場で働いた。二人の同棲は、双方の親の反対を押し切つて始められたもので、婚姻届はせず、結婚式も挙げなかつた。また、住民登録も居住地に移していないし、孝義は被告会社に対し原告トシコを内縁の妻として届け出てもいない。しかし他方、孝義の父明嘉は、孝義らが右旭荘の一室を賃借するにつき、敷金を出し、連帯保証人にもなつてやり、また孝義の兄茂夫とともに時々右旭荘を訪れ、米や野菜などを二人に与えた。原告キヌヱや同武は右旭荘を訪れたことはなく、原告トシコの母米澤シズヱは当初二人の同棲に強く反対していたが、後に認めるようになつた。同棲後孝義は友人五人を招待し、そのうちのひとりからお祝いをもらつたこともある。間もなく、原告トシコは妊娠し、明嘉が右旭荘を訪れた際入籍してくれるよう求めたが、同人は出産の一箇月位前になつたらするからと答えた。本件事故当時原告トシコは妊娠八箇月位であり、ふたりの関係には別に破綻を生ずるきざしはなかつた。孝義の葬儀は実家の明嘉方で行なわれた。葬儀は明嘉が取り仕切つたが、会葬者に手渡した挨拶状には喪主として原告トシコの名(松原トシ子)が、また文面には「亡夫孝義儀葬送に際しては……」と印刷されていた。昭和四一年七月二三日原告孝昭が出生した。原告トシコは香川県第八回産業災害物故者合同慰霊祭に遺族として出席し、同慰霊祭名簿にも妻として掲載されている。孝義は原告トシコを受取人として生命保険契約を締結しており、同原告は保険金三九〇万円余を受領した。原告孝昭、同トシコは、孝義の遺族(原告トシコは孝義とその死亡当時事実上婚姻関係と同様の事情にあつたと認定されて)として、昭和四四年七月から年額六万六、四四七円の労災保険法に基づく遺族補償年金を支給されることになつている。以上の事実が認められ、〔証拠略〕中、右認定に反する部分は、爾余の前掲各証拠及び右認定した事実に照らし措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右に認定した事実を総合すると、本件事故当時、孝義と原告トシコとの同棲関係が、双方の親族及び社会一般から全き夫婦として公認されていたとまではいえず、その意味で、右同棲関係を婚姻に準ずる狭義の内縁関係であると見ることは相当ではない。しかしながら反面、同棲を始めた頃はともかくとして、少くとも孝義の死亡当時においては、すでに同棲後一年余を経過し、近く子も出生の予定となり、ふたりの関係にもひびを生ずるきざしもなく、当事者間においては一時的の野合関係では勿論なく、今後とも夫婦として共同生活を続けていく意思のあつた事実は十分に窺われ、また夫婦として暮らすことにつき、ことさらに他人に対して内密にしていたわけでもなく、双方の親達も、右の事情からしてやむを得ずではあれ、ふたりを事実上の夫婦として容認していた事実を推認しうる。以上のような事実関係の下においては、原告トシコは孝義と広義の内縁関係にあつたと認めることに支障はなく、もしその関係を第三者から不法に消滅させられた場合には、法律上の救済を与えられるべきであり、民法七一一条の適用上も「配偶者」に準じて扱うのが相当である。原告孝昭が孝義の子であることは、〔証拠略〕によつて認める。

三、(損害及びその填補)

(一)  原告孝昭の相続した孝義の喪失利益

〔証拠略〕を総合すると、孝義は本件事故当時、被告会社に、日給六一〇円で一箇月平均二六日位勤務していたこと、別に年二回合計六、〇〇〇円を支給されていたことが認められる。右〔証拠略〕中、基本給(日給)以外の給与額は、残業ないし休日勤務等によるものと推認されるが、二六日間出勤した場合の基本給(日給)以外の給与額については、右〔証拠略〕の基本給以外の給与金額総計五、〇三九円(二九日出勤)を二六日のの割合に計算すると、四、五一八円(5.039円×26/29)となるので、二六日分の日給合計一万五、八六〇円(610円×26)に年二回の計六、〇〇〇円の特別給与額の月割金額五〇〇円と右四、五一八円を加えた計二万〇、三七八円が孝義の死亡当時の一箇月間の収入額と推認される。〔証拠略〕も右推認を裏付けるに足り、他に右推認を覆えすべき特段の事由は存しない。他方、原告トシコ本人尋問の結果によると、同原告もミシン工場で働き、月一万円程度の収入を得ていたことが認められるところ、共働きであるので、原告トシコと孝義の生活費を同額と推認し、〔証拠略〕により、ふたりの総収入を全部生活費に費消していたことが認められるから、結局孝義の一箇月の生活費は一万五、四三九円(<省略>)となり従つて同人の一箇月の純収入は四、九三九円、年間五万九、二六八円となる。孝義は死亡当時二〇歳で特に病弱であつたと認められる証拠もないから、統計上、平均余命の範囲内で以後四〇年間就労可能であつたと認められるところ、右期間中少くとも右金額相当の年間純収入をあげえたと考えられるから、ホフマン方式により年五分の中間利息を控除した右期間中の純収入の死亡当時における現価は、一二八万二、七一四円(59,268円×21.6426)であり、原告孝昭は孝義のたゞひとりの相続人として被告らに対する右同額の損害賠償請求権を承継したことになる。

(二)  慰藉料

(イ)  原告キヌヱ

原告キヌヱの母としての固有の慰藉料は六〇万円が相当である。亡夫明嘉も同額の慰藉料請求権を有していたと認められるところ、同人の死亡により、同原告はその三分の一の二〇万円の請求権を相続した(明嘉の固有の慰藉料請求権が相続の対象となりうることは当然である。)

(ロ)  原告武

死亡した被害者の兄弟姉妹であつても、被害者と密接、特別な生活関係があつて、社会通念上、被害者の死亡によつて、親、配偶者、子と同様の、格別の精神的打撃を受けたであろうと認められる場合には、これらの者にも慰藉料請求権があると解するのが相当である。ところで本件における原告武の場合、右格別の事情を窺うに足る証拠はなく、かえつて、〔証拠略〕によると、原告武は孝義とは気が合わず、〔証拠略〕によると父明嘉や次弟茂夫が何度か孝義のアパートを訪れているのに、原告武は一度も行つたことがなく、右アパートの所在も知らなかつたことが認められ、従つて、むしろ兄弟の関係は疎遠であつたと推認され、到底右判示の格別の事情ある場合に該当しないから、兄としての固有の慰藉料請求権を認めることはできない。原告武については、結局、父明嘉の六〇万円の慰藉料請求権の法定相続分六分の一を相続した一〇万円の慰藉料を認めうるのみである。

(ハ)  原告孝昭

八〇万円を相当と認める。

(ニ)  原告トシコ

六〇万円を相当と認める。

(三)  損害の填補

(イ)  自賠責保険金 原告孝昭が自賠責保険金八二万五、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いなく、右金額が同原告の全損害額から控除さるべきことは、同原告自ら認めるところである。また明嘉が自賠責保険金一四万一、八二〇円を受領したことは当事者間に争いなく被告ら(被告佐藤も弁論の全趣旨から)は右金額を明嘉の慰藉料額から控除さるべき旨主張し右主張は相当であるので、右金額につき法定相続分に従つて原告キヌヱ、同武の明嘉から相続した慰藉料額に充当する。

(ロ)  労災遺族補償年金 原告孝昭、同トシコが、昭和四四年七月から年額六万六、四四七円の労災保険法に基づく遺族補償年金を受領することに確定したことは当事者間に争いないが、被告らは、原告孝昭が孝義から相続した喪失利益額から、右年金額の半額の年三万三、二二〇円(一〇円未満切捨て)、支給期間一五年間の総支給額からホフマン方式で中間利息を控除した現価三六万四、七八二円を控除すべき旨主張し、原告孝昭はこれを争うので考える。労働基準法(以下労基法という)の災害補償は、労働者並びにその家族の生存権の保障を狙いとし、民法の不法行為制度とは、その理念や要件を異にしているから、労基法上の災害補償請求権と民法上の不法行為請求権(当然のことながら、民法の特別規定としての自動車損害賠償保障法三条の場合も含む)とは併存すると解すべきであるが、ただ両請求権とも損害の填補を目的とする点では共通しており、労働者が一方の給付によつてその損害を填補された以上、同一の損害についてさらに他方の給付を受けうる筋合いのものではない。労基法八四条二項はこの理を規定したものである。ところで労災保険法は、政府が管掌し、災害補償を行なうべき事業主を加入者とする保険制度の形で、災害を受けた労働者並びにその家族に対し、確実かつ迅速、公正な保護を与え、その損害を填補せんとするものであつて、労災保険法による保険給付は、実質的に見れば労基法にいう災害補償といいうるわけであるから、労災保険法には労基法八四条二項と同様の規定はないけれども、同規定を類推適用するのが理の当然であると解される。従つてすでに支給された遺族補償金については、その金額を不法行為に基づく損害賠償金から控除すべきである。ところで、本件の如く遺族補償が年金の形でなされるときは、労基法八四条二項が、「…補償を行つた場合においては……」と規定しているため、右の如く、労災保険法による保険給付についてもこの規定を類推適用するとしても、将来受領することとなる年金の場合には「補償を行つた」とはいえないのではなかろうか、との疑念を生ずる。しかしながら、労災保険給付の主体は国であり、本件の場合調査嘱託の結果によると、具体的な支給年金額及び支給期間も法律に基づきすでに確定されているから、原告孝昭は、国に対し、後記価額の具体的な債権を取得したと見るべく、かつまた、本件の場合、控除の対象となる損害金は原告孝昭の相続した父孝義の死亡による将来の喪失利益であり、右将来の損失を現在の損失と考えることが許されることとの権衡上も、かような場合には「補償を行つた場合」に該るものと解するのが相当である。従つて労災保険法一六条の三の二項、一六条の四の一項五号に則り、右被告ら主張の年額三万三、二二〇円の、原告孝昭が一八歳になるまでの一五年間の総給付額からホフマン式により年五分の中間利息を控除した右遺族補償年金額の現価は三六万四、七八二円(33,220円×10.9808)となり、右金額を原告孝昭の前記損害金(孝義から相続した喪失利益――なお被告ら主張のとおり労災保険給付は、被害者である労働者及びその家族の蒙つた財産上の損害填補のためにのみなされるもので、精神上の損害を填補することを目的としないから、慰藉料請求権を控除の対象とすることはできない)に充当すべきこととなる。

四、(結論)

結局前記各充当後の各原告の請求しうる金額は、原告キヌヱは、慰藉料八〇万円から一四万一、八二〇円の三分の一を控除した七五万二、七二七円、原告武は慰藉料一〇万円から一四万一、八二〇円の六分の一を控除した七万六、三六三円、原告孝昭は、前記相続した喪失利益一二八万二、七一四円から同原告に対する遺族補償年金総額の現価三六万四、七八二円を控除し、これに慰藉料八〇万円を加えたものから受領済の自賠責保険金八二万五、〇〇〇円を控除した八九万二、九三二円、原告トシコは慰藉料六〇万円であり、なお、本件各訴状送達の日の翌日(いずれも本件不法行為時の後である)がそれぞれ主文掲記の日であることは本件記録上明らかであり、被告らは右各日以降支払ずみまで、右各請求認容額につき、民法所定年五分の割合の遅延損害金を支払う義務がある。従つて、原告らの請求は、主文の限度で正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきであるから、訴訟費用につき、民訴法九二条、九三条を、仮執行の宣言につき、同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢野伊吉 菅浩行 吉田昭)

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