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高松地方裁判所丸亀支部 昭和63年(ワ)148号 判決 1991年8月12日

原告

高橋蓉子

右訴訟代理人弁護士

臼井満

久保和彦

被告

社会福祉法人 恵城福祉会

右代表者理事

和田笑子

右訴訟代理人弁護士

白川好晴

主文

一  原告が、被告の設置する保育所恵城保育園において主任保母の地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、

1  金一九九四万九四九〇円及び別紙認容未払賃金一覧表(略)1項の各月合計欄記載の各金員につき同表2項(遅延損害金の起算日)記載の日から支払い済みまで年五分の割合による金員

2  平成元年四月以降毎月二八日限り一か月金二二万一一〇〇円及びこれに対する毎月二九日(ただし、当該月が平年の二月であるときは当該年の三月一日)から支払い済みまで年五分の割合による金員

3  金八七四万二九四〇円及び別紙認容未払一時金一覧表1項の3月期、6月期、12月期の各欄記載の各金員につき同表2項(遅延損害金の起算日)記載の日から支払い済みまで年五分の割合による金員

4  平成二年一月以降毎年三月一五日限り、金一〇万六三〇〇円及びこれに対する毎年三月一六日から支払い済みまで年五分の割合による金員、毎年六月三〇日限り、金四四万六四六〇円及びこれに対する毎年七月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員、毎年一二月一五日限り、金五三万一五〇〇円及びこれに対する毎年一二月一六日から支払い済みまで年五分の割合による金員

5  金二五〇円及びこれに対する平成三年八月一二日から支払い済みまで年五分の割合による金員

をそれぞれ支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  主文第一項と同じ

二  被告は、原告に対し、

1  金二〇一四万一五八〇円及び別紙請求未払賃金一覧表1項の各月合計欄記載の各金員につき同表2項(遅延損害金の起算日)記載の日から支払い済みまで年五分の割合による金員

2  平成元年四月以降毎月二八日限り一か月金二二万三三〇〇円及びこれに対する毎月二九日(ただし、当該月が平年の二月であるときは当該年の三月一日)から支払い済みまで年五分の割合による金員

3  金員九〇四万八四三〇円及び別紙請求未払一時金一覧表1項の3月期、6月期、12月期の各欄記載の各金員につき同表2項(遅延損害金員の起算日)記載の日から支払い済みまで年五分の割合による金員

4  平成二年一月以降毎年三月一五日限り、金一一万〇五五〇円及びこれに対する毎年三月一六日から支払い済みまで年五分の割合による金員、毎年六月三〇日限り、金四二万〇〇九〇円及びこれに対する毎年七月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員、毎年一二月一五日限り、金員五七万四八六〇円及びこれに対する毎年一二月一六日から支払い済みまで年五分の割合による金員

5  金八〇〇万円及びこれに対する本件第一審判決言渡しの日から支払い済みまで年五分の割合による金員

をそれぞれ支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、社会福祉事業法に基づき昭和四三年八月一日保育所の経営を目的として設立された法人であり、保育所恵城保育園(以下、単に「園」ともいう。)を経営している。

2  原告は、昭和四三年九月一日、被告の事業開始と同時に保母として期限の定めなく雇用され、開園後二〇日ほどして主任保母に任命され、以来その業務に従事し、昭和五五年一二月頃は、月額一九万五〇三〇円の賃金(本俸一八万五六〇〇円、特殊勤務手当七四三〇円、通勤手当二〇〇〇円)を毎月二八日限り受給していた。

3  被告は、原告に懲戒事由があるとして、昭和五六年一月五日、同月一日付けで主任保母を解任する旨の意思表示(本件降格)をし、更に、同年二月一〇日、被告の就業規則一一条四号の事由により同日付けで普通解雇する旨の意思表示(本件解雇)をした。

4  被告は、本件降格及び本件解雇が有効であると主張し、原告が被告の主任保母としての雇用契約上の地位にあることを認めない。

二  当事者等

右事実に加え、当事者等について、以下の事実が認められる。

1  恵城保育園は、昭和五六年一月当時、定員三〇〇名、職員数四〇名に達する香川県下では最大規模の保育園であった(<証拠略>)。

2  園における主任保母の主な職責は、一般の保母の保育指導、保育カリキュラムの指導、特別行事に関する計画立案、その指導などであるが、原告は、岡田房枝が園長に就任した昭和四五年九月頃からは、広く園の保育面全体の指揮を任された立場にあった。被告においては、主任保母の給与は一般の保母よりも高く格付けされていた(<証拠略>)。

3  また、原告は、昭和五二年三月に恵城保育園職員組合が結成されて以来同年六月まで同組合(その後、昭和五五年に日本社会福祉労働組合に加入し、その恵城保育園分会となった。以下、単に「組合」という。)の委員長に就任し、その後、昭和五五年六月までは監査委員を、更に同月以後は再び委員長を務め、組合活動においても中心的立場にあった(<証拠略>)。

三  争点

原告は、<1>園の主任保母の地位にあることの確認、<2>未払賃金、一時金の支払い、<3>不法解雇、不当抗争により原告に生じた損害の賠償を求めて本件訴訟を提起した。

本件における中心的な争点は、以下の1ないし5のとおりである。

1  本件降格の性質

原告は、本件解雇に先立つ本件降格の性質は懲戒処分であると主張するのに対し、被告は、その性質は原告が主任保母として不適任であると判断したため行った人事上の処分であり、懲戒処分ではないと主張する。

2  懲戒事由の存否、本件降格の効力

被告は、本件降格を基礎づける懲戒事由として、次のAないしCの事実を主張し、本件降格は正当であると主張する。これに対し、原告は、懲戒事由の存在を争い、本件降格は懲戒権の濫用であり、かつ、不当労働行為にも該当するから、無効であると主張する。

A 会計上の越権、不正行為等

(一) 会計上の越権、不正行為等(総論)

昭和五二年四月、園では浅野吉治郎が理事長に、伊藤文子が園長に、それぞれ就任し、原告は口頭で園長代行に任命された。

原告は、浅野理事長を無視排除し、主任保母と園長代行の権限を濫用し、<1>昭和五二年四月から昭和五三年六月まで、措置費会計、雑会計及び主食会計を自己において管理し、<2>理事会が同年六月、雑会計と主食会計に関する帳簿、預金通帳等の返還を命じたが、これに従わず、<3>しかも、雑会計の預金名義を菅綾子とし、主食会計については原告名義とした上で原告が常時所持する印章を使用するなどして、これらの会計を自己の意のままに専断した。

(二) 無断昇給の実施

原告は、菅とともに理事長に無断で給与表の改訂を行い、給与台帳にその旨を記入し、年度途中である昭和五二年一〇月に原告、菅他一名のみの昇級を実現した。

(三) 雑会計の不正支出

原告は、雑会計について、<1>職員の負担すべきおやつ代、<2>送別会負担金、<3>職員上靴代、<4>ソフトボール応援代、<5>生活発表会、反省会費用、<6>県、市職員の接待費、<7>不必要なタクシー代に合計二八万〇六〇二円の不正支出を行った。

(四) 主食会計の不徴収

原告は、理事者の意に反して、昭和五三年二、三月分の主食会計を徴収しないという経営的判断を恣意的に行った。

(五) 職員の給食費に関する不正

また、原告は、本来別途に行うべき職員の給食費の預入れ・支出を、園児の主食会計の中で一緒に行い、しかも職員が負担する食費(主食・おかず)が実際に要する額より過少であったため、この分を園児の主食費から負担させた。

(六) リベートの収受

被告の職員はリベートを厳禁されていたのに、原告は、昭和五四年四月から七月三一日まで、青木写真館からリベートを継続して受け取った。

(七) 右の各行為は、懲戒解雇事由を定めた就業規則四〇条三号の「職務上の指示命令に従わず、越権、専断の行為をなし、職場の秩序を乱した者」又は八号「その他前各号に準ずる行為をした者」に該当する。

B 主任保母としての職責違反等

(一) 出勤時間

原告は、昭和五二年四月以降、被告から午前八時出勤を命じられたのに、これを守らなかった。

(二) 岡田巌への敵対反抗行為

原告は、昭和五五年五月以降、当時副園長であった岡田巌に敵対反抗し、次の行為を行った。

イ 就業時間中、職場を離れて外出する際、巌に届け出る義務を怠り、しばしば無断で外出したり、園内で所在不明となり、業務に支障を生じさせた。

ロ 保母からの欠勤の届け出を受けながら、事前に巌に連絡しないなど父母と管理者側との意思疎通、連絡調整を故意に妨げた。

ハ 保育に従事中、その職務を放棄して現場を離れ、巌の制止を無視して、巌と恵城保育園父母の会(以下「父母の会」という。)会長との話し合いの席に終始同席を強行し(各三〇分から一時間)、無断で口出し発言することがあった。このような事実は、昭和五五年頃の一〇か月の間に少なくとも二〇回に及んだ。

ニ 巌が特別行事のプログラムを事前に見せるように指示したのに、繰り返しこれに違反した。昭和五五年一〇月の運動会については、従来の慣行に反し、主催者である巌の挨拶を削除しようと画策した。同年の生活発表会では、来賓等の面前で、臨席していた巌の挨拶の機会を強引に奪い去った。

ホ 巌は、右のイないしニの行為のつど、原告を注意し又は制止したが、原告はこれをまったく無視して従わず、しばしば巌に対して言葉激しく反発した。

(三) 右の(一)は、懲戒解雇事由に定めた就業規則四〇条四号の「理事長の承認を受けないで、職務を放棄し、職場を離脱した者」に該当する。

また右の(二)は、同四〇条三号、四号、八号に該当する。

(三) 虚偽事実の流布等

(一) 原告は、岡田房枝及び巌を理事会から追放しようと企て、当時自己の影響下にあった組合、父母の会を指揮し、これら団体をして、ささいな事実又はまったく根拠のない事実を取り上げさせ、左記のような文書で、これらの事実と昭和五二年度にあった特別監査事件とを強引に結び付け、房枝及び巌が理事である限り右の事件に匹敵するような事態が発生するかのような真実に反する宣伝を、父母その他第三者に宛てて繰り返し、被告の信用、名誉に重大な損害を与えた。

作成名義 作成日付 文書の題目

ア 組合 54・3・19

「みんなで子どもたちを守りましょう」

イ 父母の会 54・12・14

「恵城だより」

ウ 組合 55・3・17

「おとうさん・おかあさん」

エ 組合 55・ ・

「社会福祉関係者・父母・県民のみなさん」

オ 組合 55・10・25

「未来をになう子どもたちによりよい教育を」

カ 組合 55・11

「子どもたちとその保育を守るために」

(なお、作成日付は、昭和年・月・日の略である。)

(二) 原告は、自分しか知らない被告の秘密事項を組合に漏らした。

(三) 右の各行為は、懲戒事由を定めた就業規則四〇条三号、八号に該当する。

3  解雇事由の存否、本件解雇の効力

被告は、原告が本件降格後も反省せず、かえって次の(一)ないし(三)の行動に出たもので、これらは普通解雇事由を定めた就業規則一一条四号所定の事由「その他前各号に準ずるやむを得ない事由がある場合」に該当するから、本件解雇は正当であると主張する。原告は、解雇事由の存在を争い、本件解雇も解雇権の濫用であり、かつ、不当労働行為にも該当するから無効であると主張する。

(一) 被告が、昭和五六年一月、通常の保母としてクラスへ入室して保育を担当するように業務命令を出したのに対し、二日間拒否して従わなかった。

(二) 同じ頃、三回ほど、保育現場で保育時間中に父母の会の副会長ら数名と、無断で私的な会合をもった。

(三) 昭和五六年二月五、六日頃、同月八日に開催予定の父母の会臨時総会用のプログラム、経過報告、議案を含んだ冊子が園児の父母らに配布された。この冊子には、事実の根拠を欠き、あるいは事実を歪曲した被告に対する中傷記事が含まれており、冊子の配布によって、被告の名誉、信用が傷付けられた。この冊子は、原告が、父母の会をして作成させ、父母らに配布させたものである。

4  解雇期間中の賃金額

原告が主張する解雇期間中の賃金額は、本俸等については、別紙請求未払賃金一覧表(ただし、平成元年四月以降は毎月本俸二一万二六〇〇円、特殊勤務手当八五〇〇円、通勤手当二二〇〇円の合計二二万三三〇〇円である。)のとおりであり、一時金については、請求未払一時金一覧表(ただし、平成二年一月以降は、三月期一一万〇五五〇円、六月期四二万〇〇九〇円、一二月期五七万四八六〇円である。)のとおりである。

特に、賃金改定の点について、原告は、昭和五六年四月以降、園において原告と比較的同程度の経験を有する保母について昇給があり、また、手当について増額がなされた事実を基礎に、原告についても同程度の昇給等がなされたとして、解雇期間中の未払賃金、一時金を算定すべきであると主張する。これに対し、被告は、昇給は使用者である被告の現実の発令があって初めて効力を生じるものであるし、仮に、原告が解雇期間中勤務していたとしても、原告は昭和五二年四月以降急激に昇給し、その賃金は昭和五四年の時点では国の保育単価試算表上の主任保母の本俸を大幅に上回ったことさえあったから、試算表や、他の保母との関係などに照らして、原告主張のような大幅な昇給は到底考えられないと主張する。

5  不法行為の成否、損害額の算定

原告は、被告が原告を不当に解雇し、その後もこれに固執し、原告の就労を拒否し、賃金等を支払わない上、本件降格、解雇に関する地位保全の仮処分事件において、第一、二審判決がいずれも原告の主張を認めたのにもかかわらず、第二審判決確定後、何ら勝訴の見込みはないのに本案の起訴命令を申し立てるなどの不当抗争を行ったとして、この解雇、不当抗争は不法行為を構成し、被告は原告に対し、損害金八〇〇万円(慰謝料五〇〇万円、弁護士費用相当額三〇〇万円)を賠償する義務があると主張する。

第三争点に対する判断

一  本件降格の性質について

被告の就業規則には懲戒処分として降格の規定はない(<証拠略>)。しかし、主任保母から一般保母への降格は原告にとって不利益な処分であり、被告の理事会は原告に懲戒処分に値する事由があると判断し、懲戒解雇を検討したところ、浅野理事長の提案により原告に反省の機会を与えるために本件降格をするよう決定されたのである(<証拠略>、弁論の全趣旨)から、本件降格は懲戒権の行使として行われたものというべきである。

二  懲戒事由の存否、本件降格の効力について

A  会計上の越権、不正行為等について

1 会計上の越権、不正行為等(総論)について

(一) 事実

証拠(<証拠略>、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は、房枝が中心となって設立された法人であるが、理事長であった房枝は、昭和四五年九月から、園長を兼務し、昭和四七年一月には、房枝の夫である巌も園の事務長に就任するなど、園の運営の実権は房枝夫婦に集中した。園の会計についても、同夫婦が事務員を置かずに自ら処理していた。

(2) ところが、昭和五二年二月になり、香川県による特別監査の結果、被告の運営に関し、<1>昭和四九年度から昭和五一年度にかけて、架空の保母の人件費一三九〇万六四四九円を不正に受給していたこと、<2>昭和五〇年度及び昭和五一年度において、定員外で私的契約児を多数入所させ、これらの者の保育費用も定員分の措置費で賄い、これらの者から徴収した保育料七七六万六三八〇円を他に流用したこと、<3>給食材料費一四二万三八八五円を浮かせて、これも他に流用したこと、が明らかとなった。そして、県の指摘によれば、このような不正が発生した原因は、内部の組織体制及び運営関係諸規定が不明確なため、権限が房枝夫婦に集中し、独善的な運営がなされたことにあった。

(3) そこで、房枝は、事件の責任をとって、昭和五二年三月までに園長、理事長を辞任し、後任として、理事長には浅野が、園長には伊藤がそれぞれ就任した。また、巌も、四月には事務長を辞任したが、引き続き園の用務員として勤務を始めた。

(4) 浅野新理事長は、被告の会計管理等の改善のため、県の積極的な指導監督を要請し、その一環として、同月、従前保母をしていた菅を会計担当専任の事務員として配置し、同人が県の指導と伊藤園長の指示に従いつつ、措置費関係その他の会計事務処理に従事するようになった。

しかし、房枝夫婦から菅に対する会計事務の引継ぎや説明等は一切なく、菅は、浅野理事長から措置費関係の通帳一通を引き渡されただけであり、会計帳簿類についても措置費関係の差引き簿が事務室に残されていただけであった。

(5) 菅は、会計事務を担当して間もなく、園内の電話料金(料金回収後電話局に支払うまでの間一時的に園で保管していた。)などは、措置費会計とは区別して管理すべきものであるとの考えから、伊藤園長に相談の上で、措置費外で処理すべき会計(雑会計)の通帳、帳簿を設けることとした。

ところで、園では、菅が会計を担当する以前から、園が園児に対して制服、保育用品などの販売を斡旋した場合に、業者から園に対し割引料や謝礼などの名目で金員が支払われたことがあった。菅は、これらの金員(以下「割引料収入」という。)についても、措置費会計とは区別すべきであると考え、雑会計として管理し、記載することにした。

そして、割引料収入は、来客の食事代や茶菓子代など本来措置費からの支出が不適当な場合の支払いに当てるための財源としても使用されたが、これらの支出は、すべて伊藤園長(当時)がその都度判断した上で、その会計処理を菅に指示して行ったものであり、菅が独自の判断で金員を支出したり、原告がこれを命じるようなことはなかった。

なお、菅は、雑会計の記帳に当たり、前記の不正流用事件の教訓から、雑会計の通帳の金員の表示が帳簿上のそれと一目で対照できるよう、同一日に複数の入出金を行う場合には、帳簿上の項目ごとに出入金の伝票を分け各別の処理を行うなど、会計処理の明確化に特に気を配った。

(6) また、園では、三歳以上の園児についても昼食を用意していたが、その主食代は措置費からは支出できないため、父母から実費を徴収していた。また、園は、保母にも園児たちと同様の昼食を用意し、その実費として各保母から月額二五〇〇円(昭和五四年六月当時。その後、同年九月頃からは月額三五〇〇円)を徴収していた。

菅は、措置費会計、雑会計との混同を避けるため、これら主食代の収支について別個に主食会計を設けて管理するようにした。

(7) そして、以上の各会計ごとに預金通帳が設けられることになった。

このうち措置費会計については、県の指示により当分の間、伊藤園長名義の預金講座が使用された。雑会計と主食会計については、通帳等の名義が同一人に集中しない方が良いとの伊藤園長の意見で、主食会計の通帳は菅の名義とされ、雑会計の通帳は原告の承諾を得て原告名義とされた。

しかし、菅が担当したのは、各会計のうち記帳事務を中心とする専ら事務的な部分に限られ、物品購入などは伊藤園長の指示に従って行われ、高額なものについては、更に、理事長の許可を受けるものとされた。また、雑会計の支出も、個々に同園長の指示によってなされた。

原告は、雑会計の通帳に名義を貸したほか、一時期、菅が忙しかったので賃金台帳の記載を手伝ったことはあるが、その他には各会計の管理に関与したことはない。

また、各会計の帳簿は事務室の書棚に、預金通帳は事務室の金庫に保管され、特定の個人の手元で管理された事実はない。

(8) ところで、浅野理事長は、理事長就任当初こそしばしば園を訪れたが、次第にその回数が少なくなり、理事長やその他の理事から、菅に対して会計処理に関する具体的な指示や指導を伝えるようなことはほとんどなかった。

その後、県からの注意もあって、園での会計面における執行責任体制を整備すべく、昭和五三年五月頃、会計担当理事として溝淵義雄が選任された。浅野理事長は、同年六月初め、溝淵を同伴して園の事務室を訪れ、菅に対し、以後、同人の事務を溝淵理事に引き継ぐよう指示した。そこで、菅は、当日、措置費会計関係の帳簿、試算表などを溝淵に示して引き継いだ。

また、溝淵が理事に就任すると間もなく、真鍋悦子が会計事務員として入ったので、菅は、同年九月頃には会計担当から完全に離れた。

主食会計については、その頃までに菅が真鍋に説明しながら引き継いだが、雑会計については、同年一〇月以降は、伊藤園長の判断で、同園長自身が直接に記帳し、管理することとされ、更に同園長が退任する直前の昭和五四年三月初めから、真鍋が引き継いだ。

(二) なお、被告は、原告が昭和五二年四月頃、園長代行に任命されたと主張し、浅野作成の報告書(<証拠略>)には、伊藤園長の要請を受け、原告を園長代行に任命し、管理職手当として本俸の二パーセントを支給することとしたとの記載がある。しかし、辞令など任命を基礎づける明確な資料がないこと、二パーセントの手当は、園長代行を解かれたとされる昭和五四年八月以降も支給され、管理職手当であるのか疑問があること、原告、伊藤がこれを否定していることに照らして、被告のこの主張を採用することはできない。

(三) 判断

以上の事実によれば、昭和五二年四月から昭和五三年六月までの間、園の会計は、浅野理事長の責任のもとに、伊藤園長の指示監督に従い菅が管理、記帳を行っていたものであり、措置費、雑、主食の各会計いずれについても、原告が自らこれらを管理、支配していた事実は認められない。

2 無断昇給の実施について

(一) 事実

証拠(<証拠略>)によれば、以下の事実が認められる。

浅野理事長は、前記特別監査以後、県の職員から、被告の給与規定が整備されておらず、各人の給与に不均衡があることを指摘されたので、県にその指導を依頼した。県の担当者は、昭和五二年四月頃、菅に対し、丸亀市の給与条例を参考にして、各人の職歴、経験、学歴を基礎とした俸給の格付けや昇給のやり方を指導した。菅は、原告の協力の下に、各保母に関する資料を作り、右試案に沿って給与表を作り、更に給与の改定作業を行った。その結果、それまでの給与と比較して、上る者もある反面、下ることになった者も数名おり、原告はかなり昇給することとなったけれども、これは、新しい給与表への当てはめの結果であり、その格付けに当たって、菅や原告が恣意的な評価をした事実はない。そして、この新しく格付けされた給与について、浅野理事長から各人に辞令が交付され、その後も、理事長の承諾の下に昇給が行われた。

(二) 判断

以上の事実のとおり、昇給の実施は、県の指導に従い給与の改定作業に基づき給与額を算出し、理事長の承諾の下になされたものであり、原告が理事長らに無断で行ったものとは認められない。

3 雑会計の不正支出等について

証拠(<証拠略>)によれば、雑会計について、被告の主張<1>~<6>の費目について支出がなされたこと、その必要性の点はともかくとして、<7>タクシー代についても支出がなされたこと、以上の合計額が約二八万円になること、割引料収入の一部がこれらの支払いに流用されたことが認められる。しかし、前記(1(一)(5))認定のとおり、これらの支出は園長の判断に従いなされたものであり、被告が命じたものではない。

4 主食会計の不徴収について

昭和五三年二月、三月分の主食費が徴収されていないことは原告も認めている事実であるが、これは、昭和五三年度の主食会計に余裕があったため、伊藤園長の判断でなされた措置である(<証拠略>)。

5 職員の給食費に関する不正について

前認定のとおり、主食会計を管理していた者は菅であって、原告ではない。また、本件全証拠によっても、職員の過少負担の結果、本来職員が負担すべき主食費、おかず代が園児の主食費からの負担となっていたという事実を認めるに至らない。

6 リベートの収受について

(一) 事実

原告は、昭和五四年夏頃、青木写真館が園に対して、割戻金として一万五〇〇〇円を持参した際、これを受け取ったが、その場で直ちに吉川園長にその金の趣旨を説明して交付し、その後はその割戻金の処分に関与していない(<証拠略>)。

そして、右以外については、本件全証拠によっても、原告が青木写真館から割戻金を受け取ったという事実を認めるに至らない。

(二) 判断

右の事実によれば、原告は右割戻金を単に園側の窓口として受け取ったに過ぎない。そして、前認定のとおり、この種の金員の収受は特別監査の以前から行われており、その収入が原告や特定の個人のために使用されたことはなく、その収支状況については菅が会計を担当した以後は、逐一帳簿に記載され、明確にされていたのであるから、原告が割戻金を受領したことについて特に非難することはできない。

7 まとめ

以上のとおり、懲戒事由A(会計上の越権、不正行為等)についての被告の主張は、いずれも根拠がない。

B  主任保母としての職責違反等について

1 出勤時間について

(一) 事実

証拠((<証拠略>、弁論の全趣旨)により認められる事実は以下のとおりである。

園の職員の出勤時間は午前八時が原則であったが、原告については、園に勤務した当初、子供の幼稚園の通園時間との関係から、遅く出勤することが容認されていた。そして、子供が成長した後も、主任保母は退園時間が遅くなりがちなため、原告の出勤時間は遅く、昭和五二年一〇月頃には、午前八時四〇分ないし五〇分前後のことが多かった。

ところが、浅野理事長は、これでは保母が急に欠勤した場合に不都合があるという巌の進言を受け入れ、伊藤園長には相談せずに、同月三一日付けの内容証明郵便により、原告に対し、「原告の出園時刻を午前八時、退園時刻を午後五時とする」旨の業務命令を発した。原告は、業務命令が突然内容証明郵便という形式で行われたことに驚いたが、その後はこれに従い、午前八時までに出勤することとした。

しかしながら、原告の訴えにより組合が浅野理事長に対し団体交渉を申し入れた結果、同理事長は前記業務命令を撤回し、「今後のことは園長に任せるから、園長と相談して園の運営に支障のないようにやって欲しい。」と述べて、原告の出勤時間のことは伊藤園長に処理を委ねた、そこで、同園長は、原告に対し、当面の間、午前八時に出勤するように命じ、原告もこれに従った。

その後、伊藤園長は、居残り園児の保育のため、原告が主任保母として午後五時三〇分頃まで残留する必要があることが多かったという事情を考慮し、昭和五三年七月ころ、真鍋が勤務を始めたのを契機として、原告の出勤時間を午前八時二〇分に変更し、以後、原告は同時刻までに出勤するようになった。

(二) 判断

右の事実によれば、原告が出勤時間に関する業務命令に違反した事実はなく、浅野理事長による業務命令が撤回された後は、伊藤園長の指示に従っているのであるから、被告の主張は理由がない。

2 巌への敵対反抗行為について

(一) 被告主張イ(無断外出等)、ロ(連絡懈怠)、ホ(巌への反発)の各事実について

証拠(<証拠・人証略>)には、被告の右主張に沿う部分があるが、これらは反対趣旨の証拠(<証拠略>)に照らして、採用することができず、結局、これらの事実を認めるに至らない。

(二) 同ハ(父母の会会長との話し合いへの参加等)の主張について

この点について、証拠(<証拠略>、弁論の全趣旨)により認められる事実は、以下のとおりである。

昭和五五年頃、父母の会の代表が副園長である巌のところに話し合いに来た際、原告が就業時間中これらの話し合いに参加したことはある。しかし、これは、おおむね原告に関する事柄が話題に出たために参加したというものであり、巌がこれを咎めたのは、同年末頃、チャリティーコンサートへの出場が問題となった席上で一度あるだけである。そして、この時も、咎めを受けた後は、原告が巌の注意を無視して話し合いを強行したことはない。

(三) 同ニ(行事での挨拶の削除等)の事実について

証拠(<証拠略>、弁論の趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

巌が副園長に就任した昭和五四年八月当時、吉川園長は、保育上の問題は専ら原告と話し合って決定しており、巌には相談がなかった。ところで、吉川が昭和五五年四月に園長を辞任した後、後任の園長が決まらず、その間は、副園長の巌が園の最高責任者となった。

運動会や生活発表会のプログラムは、最終的には、職員会議で決定され、これには巌も副園長として出席していた。

昭和五五年の運動会のプログラムは、原告が原案を作成し、職員会議で決定されたものであるが、巌は、この原案に副園長の挨拶の予定が記載されていないことを指摘し、この点の記載を補充させたことがある。

また、原告が司会を担当した同年一二月の生活発表会では、副園長である巌の挨拶が来賓の社会事務所長の後になった。しかし、生活発表会について、園長らの挨拶は従来からプログラムに記載しておらず、巌は、この同年一二月の発表会につきプログラムを決定する職員会議に出席しながら、この点になんらの意見を述べてはいない。

以上の事実に照らすと、昭和五五年の運動会のプログラム原案に副園長の挨拶予定が記載されていなかったことや、同年の生活発表会の挨拶の順番について巌が社会事務所長の後になったからといって、これらの事実は原告が故意に画策し、巌に反抗したものであるとまでは認め難い。

(四) まとめ

以上のとおり、被告が巌への敵対反抗行為として主張する事実のうち、認められるものは、わずかに右(二)に認定の点のみであり、その余の主張はすべて理由がない。

C  虚偽事実の流布等について

1 父母の会が、被告主張イの文書(「恵城だより」<証拠略>)を発行したことは、原告も認めている。

原告が、父母の会の発行した文書について責任を負うべき根拠について、被告は、父母の会が原告の影響下にあり、原告が父母の会を指揮して、文書を配布させたとする。しかし、本件全証拠によっても、父母の会が原告により指揮されていたということは認めるには至らない。

2 組合が被告主張のその余の文書(<証拠略>)を発行したことは原告も認めており、これらの文書が発行された当時、原告が組合の委員長であり、組合活動の中心的な立場にあったことは前記のとおりである。しかし、だからといって、右の事実から当然に、原告が組合の発行した文書の記載内容やその個々的な表現の当否について、個人としての立場で責任を負うべきものとはいえない。

右の点を一応おいて、組合が発行したこれらの文書の内容について検討すると、これらの文書には、昭和五二年度の特別監査で明らかとなった不正流用事件を大々的に取り上げ、従前岡田夫妻が園を私物化しており、保育環境が劣悪であったこと、この特別監査以後も、岡田夫妻が園に復帰し、再び園を私物化しようとし、保育現場にも不当に介入していること、昭和五三年一一月頃、短期採用保母など多数が退職したが、これは保母に対する弾圧が強まった結果であること、昭和五五年になり、給食、おやつの質が低下したことなどを主張し、岡田夫妻や理事会(理事者には岡田房枝と血縁関係にあった者も少なくなく、組合は、理事会が岡田夫妻の強い影響下にあるとみていた。)の言動を批判する記載がある。そして、その記載の中には、強い非難的な語調にわたっている部分や、理事会側の弁明を無視して一方的な見方を強調しているとも受け取られるような部分がある。

しかしながら、証拠(<証拠略>)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 不正流用事件は、内容的にも重大な不正事件であり、その後始末は昭和五三年度まで及び、法人の運営が独善的であったことが同事件の原因であることは県の文書でも明確に指摘されていた。ところが、県の推薦により就任した伊藤園長は、理事会の中で孤立し、自らの指導力の限界を感じ昭和五四年三月末に一期限りで退任した。しかるところ、同月巌が理事会で理事に選任され、また、房枝が、伊藤の退任後の園長に復帰しようとして、県にその旨申請がなされた。しかし、県は同人が不適任としてこれを承認しなかった。

(二) 昭和五三年から昭和五四年初め頃にかけて、無資格者を含む短期採用の保母に退職が勧告されるということがあった。理事会側は、国の指導により、無資格者は雇用できなくなったという事情を強調したが、組合は、短期採用制度自体が保母の地位を不安定にし、保育に悪影響を与える重大な問題であると把握し、地方労働委員会に斡旋を求めるなどの活動を行った。

(三) 伊藤園長が退任後約三か月間の園長不在の状態が続いたが、同年七月に至り浅野理事長からの要請を受け吉川が園長に就任した(なお、同じ頃、理事会により巌が副園長に選任された。)。吉川は、小、中学校での教職を長く経験してきた者であり、就任要請を受けるにあたり、中立的な立場から、理事会と職員、父母の話し合いを深め、園を再建しようと考えた。しかし、その就任直後、時期尚早ではないかという吉川の言にもかかわらず、房枝が理事に復帰し、その後かえって理事会と組合、父母の会の対立が深まり、失意を覚えた吉川は、職員等の慰留にもかかわらず任期終了前の昭和五五年五月辞任した。理事会は、再度の園長不在の事態に対し、同年八月巌を園の最高責任者である園長代理とする措置を取ろうとしたが、県はこの措置も不適当であるとして認めなかった。

(四) 昭和五五年二月頃、経験のある調理員や栄養士が、園の混乱の中で退職するなどしたため、きちんとした献立が立てられなくなり、おやつの量が少なくなったり、同じ献立が続いたり、仕出しが入るなど給食等の質が低下したことがあった。また、その頃、房枝が保育現場に入り、園児の前で保母をどなりつけたりすることもあった。組合は、これらの事態を保育現場の混乱であると把握し、これは、岡田夫妻が園に復帰し、二人の園長を軽視し、保育に不当に介入した結果であると考えた。

(五) そこで、組合は、園を正常化するためには、早期に適切な園長を設置し、岡田夫妻の影響下にある理事会を刷新することが必要とし、陳情、書名運動等の活動を行った。

以上の事実を総合すると、前記文書は、職員の労働条件、保育条件の向上のためなされた組合活動の一環として作成、配布されたものであるところ、個々の記載の当否はともかく、文書の内容は全体としてことさら虚偽の事実を記載したものではなく、また、文書発行の目的が園ないし理事会の名誉、信用を毀損することにあるとも認め難く、これら文書の作成、配布をもって、直ちに社会的な相当性を欠く非違行為と評価することはできない。

そうすると、組合の文書発行についても原告の懲戒事由とすることはできない。

3 また、原告が被告の秘密事項を組合に漏らしたという主張については、本件全証拠によっても、これを認めるに至らない。

4 そうすると、懲戒事由C(虚偽事実の流布等)についての被告の主張は、いずれも理由がない。

D  本件降格の効力(まとめ)

以上要するに、被告が主張する降格事由のうち、その事実が認められるのは前記B2(二)の点(就業時間中に巌と父母の会代表との話し合いに無断で参加したこと)のみであるが、この事実は、行為の動機、態様に照らし、軽微な秩序違反であり、これに対して降格処分は重きに失する。したがって、本件降格は懲戒権の濫用であって無効である。

三  解雇事由の存否、本件解雇の効力について

1  解雇事由の存否について

被告主張(一)(二日間の保育拒否)の事実については、その前提となる本件降格が無効であるばかりでなく、本件全証拠によっても、原告が二日間にわたって保育を拒否したことを認めるに至らない。

同(二)(保育時間中の私的な会合)の事実については、本件全証拠によっても、これを認めるに至らない。

同(三)(父母の会の冊子配布)の事実については、父母の会では昭和五六年二月八日に臨時総会が予定され、用意されたプログラム、経過報告、同総会における議案を含んだ冊子が父母らに配布されたことはある(<証拠略>)。しかし、この冊子は父母の会がその責任において作成したものであって、原告が父母の会をしてこれを作成、配布させたことを認めるに足りる証拠はない。

2  本件解雇の効力

以上、本項及び前第二項で認定したところによれば、原告には就業規則所定の普通解雇事由が存在するものとは認められず、本件解雇は解雇権の濫用であって、無効である。

したがって、原告と被告との雇用契約はなお存続し、原告は園の主任保母の地位にある。

四  解雇期間中の賃金額について

1  賃金請求権の発生について

本件解雇は無効であり、以上で認定した事情に照らせば、被告が解雇の有効に固執して原告の就労を拒否した期間についても、原告は、民法五三六条二項本文に基づき、賃金請求権を取得する。そして、解雇期間中の賃金の額は、解雇がなければ雇用契約上確実に支給されたであろう賃金の合計額と解するのが相当である。

2  通勤手当の請求について

被告の給与規程(<証拠略>)によれば、同手当は運賃相当額(ただし、交通用具使用者については、距離に応じた額。)を支給することとされ、現実にも園では通勤距離等に応じて同手当を支給していた(<証拠略>)。そうすると、通勤手当は現実に就労した場合の実費補償の性質を有すると解するのが相当であり、被告が原告の就労を認めた期間に限り通勤手当請求権の発生を認める。

被告は、解雇期間中、仮処分事件の第一審判決言渡し後である昭和六〇年二月七日から約六か月間は、原告の就労を認めたが、その余の期間は、これを拒否した(<証拠略>、弁論の全趣旨)。そこで、昭和六〇年二月七日から同年八月六日までの間に限り(二、八月は日割り計算とする。)、原告は通勤手当を請求できる。

3  賃金改定について

(一) 証拠(原告本人一、二回)によれば、園では、前記のとおり、昭和五二年に給与の改定作業があり、給与表が作成されたこと、昭和五三年頃には定期昇給が行われていたが、昭和五四年頃には給与表がなくなり、やがて定期昇給もほとんど行われなくなり、賃金の改定は主としてベースアップだけという状況になったこと、ベースアップは、各年度の給料を定める団体交渉に際し、おおむね各保母の経験年数に応じて増額分が定められていたことが認められる。

そこで、原告の賃金も、賃金改定時に、他の者に準じて改定されたと推認するのが相当であるから、経験年数が原告と近似する為定美保らのベースアップ額を参考に、原告のベースアップ額(本俸の月額)を推認すると左記のとおりとなる(<証拠・人証略>、弁論の全趣旨)。

期間 ベースアップ額 改定後の本俸

56・4~ 一五〇〇円 一八万七一〇〇円

58・4~ 二四〇〇円 一八万九五〇〇円

59・4~ 四一〇〇円 一九万三六〇〇円

60・7~ 五八〇〇円 一九万九四〇〇円

62・4~ 四八〇〇円 二〇万四二〇〇円

63・4~ 三五〇〇円 二〇万七七〇〇円

元・4~ 四九〇〇円 二一万二六〇〇円

(二) また、特殊勤務手当は本俸の四パーセントであるから(弁論の全趣旨)本俸の改定に応じて増額され、通勤手当は、昭和六〇年七月分から二二〇〇円に増額された(<証拠略>、弁論の全趣旨)。

(三) これに対し、被告は、まず、昇給は被告の現実の発令があって初めて効力を生じるものであるとするが、右で認定した賃金の改定の性質は昇給ではなくベースアップであり、被告の査定の要素を含まず、経験年数に応じて算出されるものとみられるから、被告の原告に対する個別の発令がなくして当然に増額を認めても不合理ではない。また、被告は、国の保育単価試算表上の主任保母の給与との比較によって、原告について右のような増額は考えられないとするが、試算表は原被告間の雇用関係を直接規律するものではなく、被告の右主張も理由がない。

(四) 以上の検討に基づき、被告の原告に対する未払、将来賃金(一時金を除く。)を算定すれば、昭和六二年二月以降平成元年三月までは、別紙認容未払賃金一覧表に記載したとおりで、その合計は一九九四万九四九〇円となり、平成元年四月以降は、月額二二万一一〇〇円(本俸二一万二六〇〇円、特殊勤務手当八五〇〇円)となる。

4  一時金(期末手当、勤勉手当)の請求について

(一) 期末手当は、三月、六月、一二月の各一日を、勤勉手当は、六月、一二月の各一日を基準日とし、左記の支給日において、本俸に左記割合を乗じた額が支給されることとされており(<証拠略>、弁論の全趣旨)、原告についても、解雇期間中の各期について、右の割合に従いこれら一時金の請求権が発生したと解するのが相当である(なお、給与規程には、勤勉手当の額について、理事長が成績を査定して決定する部分があるような記載がある(<証拠略>)。しかし、現実には、勤勉手当の額を査定により増減していた形跡はなく(<証拠略>)、この点は右認定を覆す事情にはならない。)。

支給日 期末手当 勤勉手当

三月一五日 〇・五か月分 なし

六月一五日* 一・四か月**分 〇・五か月**分

一二月一五日 二か月分 〇・五か月分

(*) 昭和五八年以降、六月期の支給日は一五日から三〇日に変更された(弁論の全趣旨)。

(**) 平成元年四月以降、期末手当、勤勉手当それぞれが〇・一か月分増額された(この点、原告は、三月の期末手当と一二月の勤勉手当が増額されたとするが、(証拠略)に照らし、採用することができない。)。

(二) 原告は、請求にあたり本俸と特殊勤務手当の合計額を一時金算定の基礎として主張している部分があるが、給与規程の記載はもちろん、原告自ら本俸を基礎とする計算書を作成していること(<証拠略>)に照らし、右算定方法は採用できない。

(三) そこで、被告の原告に対する未払、将来一時金を算定すれば、平成元年一二月までは別紙未払一時金一覧表に記載したとおりで、その合計は八七四万二九四〇円となり、平成二年以降は、毎年三月一五日限り、金一〇万六三〇〇円、毎年六月三〇日限り、金四四万六四六〇円、毎年一二月一五日限り、金五三万一五〇〇円となる。

五  不法行為の成否等について

1  証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和五五年一〇月県による再度の特別監査の結果、園の措置費から被告の経営する助産院のガス・水道料金が支払われていたなど会計上の不適正が指摘された。組合は、これは前回の不正流用事件の教訓を生かしておらず、子供の保育に重大な影響がある事件ととらえ、園長不在の異常事態が継続していたこともあり、理事会や園に復帰してきた岡田夫妻への批判を強めた。原告は、当時組合の委員長であり、組合活動の中心的存在であるとともに、主任保母として、園の保育面でも中心であり、職員、父母の多数の信頼を集めていた。

(二) 原告は、昭和五六年一月五日、巌から本件降格の意思表示を伝えられたが、その際、園側からは、なんら降格の理由は示されず、巌「主任保母としてふさわしくない」、「自分の胸に聞いてみな」というだけであった。原告は、突然の処分に驚き、地方労働委員会に斡旋を申し立てたが、審理係属中の同年二月九日、理事長代理の巌から口頭で解雇を言い渡された。翌日、解雇通告の内容証明郵便が送達されたが、通告書にも、懲戒事由に当たる具体的な事実は示されていなかった。

(三) そこで、原告は、同月一六日、高松地方裁判所丸亀支部に主任保母としての地位保全、賃金仮払いを求める仮処分を申請した。同事件の審理は口頭弁論によることとなり、二九回の弁論期日が開かれた上、約四年後の昭和六〇年二月六日、同支部において、原告の申請をすべて認める判決(以下「第一審判決」という。)が言い渡された。

この間、原告は園での就労を申し入れたが、被告はこれを拒否し続け、賃金の支払いをしなかった。

(四) 被告は、第一審判決を不服として高松高等裁判所に控訴した。控訴審では、原、被告双方の本人尋問などを中心として約三年七か月の審理を行い、昭和六三年九月一二日、同裁判所は、控訴棄却の判決を言い渡した。

第一審判決後の約六か月間、被告は、原告が園の事務室に出勤することは認めたが、保育室の立ち入り、園児との接触を禁止した。その後、被告は、従前のとおり、原告の就労を拒否するようになった。

なお、この間、被告は原告に対し任意に賃金を支払わなかったので、原告は第一審判決に基づく強制執行により賃金の仮払いを受けた。

(五) 被告は、右の控訴審判決については争わなかったが、起訴命令を申し立てたので、原告はこれに応じて本件控訴を提起した。被告の本件訴訟における本件降格、解雇の正当性に関する主張は、仮処分事件の控訴審での主張と基本的に同一であるが、被告は、園の施設の検証や多数人の証人尋問等を申請し、原告の請求を全面的に争った。

被告は、前記控訴審判決後においても、原告に対する就労拒否の態度を取り続けている。

2  以上の事実に加えて、本件降格、本件解雇において、懲戒事由に該当するとみられるのはわずかに前記第二項B2(二)のみであることを考慮すると、本件解雇は社会的相当性を欠く不法行為であり、被告は少なくとも過失により原告の権利を侵害したものというべきである。次に、第一審判決に対する控訴や起訴命令の申立ては、法律上仮処分の被申請人に認められた基本的な権利であり、かつ、これらの控訴活動は弁護士である被告訴訟代理人の判断により行われたことであることも考慮すると、これらの訴訟活動自体をただちに被告の違法な訴訟行為とみることはできないが、被告が本件の仮処分申請後現在までの長期間、原告の主任保母たる地位を否定し、その就労を拒否し続けたという抗争行為は、全体的に考察して、社会的相当性を欠く不法な抗争行為と評価すべきものである。

そして、本件で現れた一切の事情を考慮すれば、被告の違法な解雇、抗争により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、二〇〇万円が相当である。

また、本件仮処分事件及び本件訴訟の弁護士費用相当額についても、被告の違法な解雇、抗争により生じた損害ということができるが、これら被告の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、五〇万円と認めるのが相当である。

第四結論

以上のとおりであるから、原告が園の主任保母の地位にあることを確認し、主文の限度で、賃金(主文第二項1、2)、一時金(同3、4)、損害賠償金(同5)の各支払請求を認容する(なお、被告は仮執行免脱宣言を申し立てているが、相当でないから却下する。)。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官 入江健 裁判官 太田晃詳)

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