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高松高等裁判所 平成元年(ネ)195号 判決 1997年12月19日

控訴人・附帯被控訴人(被告) 学校法人倉田学園

被控訴人・附帯控訴人(原告) 岡好孝 外三名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴人は、原審認容金額の外、被控訴人岡好孝に対し六七六六万一二七二円、被控訴人中村益夫に対し五九八八万八三八三円、被控訴人草野晃に対し六一〇四万〇二九〇円、被控訴人柳井博に対し二四四二万六六七六円をそれぞれ支払え。

三  控訴人は、被控訴人岡に対し、三三万四一一六円に対する昭和六〇年三月二二日から、別表第一の昭和六〇年四月二一日から平成元年一月二一日までの各合計欄記載の金員に対する各対応の期日欄記載の日の翌日から及び別表第九の各残額欄記載の金員に対する各対応の期日欄(「得べき賃金」、「得べき一時金」、「得べきベア遡及差額」についてのもの)記載の日の翌日から、それぞれ支払い済みに至るまで各年五分の割合の金員を支払え。

四  控訴人は、被控訴人中村に対し、二六万九三七二円に対する昭和六〇年三月二二日から、別表第二の昭和六〇年四月二一日から平成七年七月二一日までの各合計欄記載の金員に対する各対応の期日欄記載の日の翌日から、被控訴人草野に対し、二四万八〇四八円に対する昭和六〇年三月二二日から、別表第三の昭和六〇年四月二一日から平成八年五月二一日までの各合計欄記載の金員に対する各対応の期日欄記載の日の翌日から、それぞれ支払い済みに至るまで各年五分の割合の金員を支払え。

五  控訴人は、被控訴人柳井に対し、別表第四の各請求金額欄記載の金員の九割相当額(円未満切り捨て)に対する各対応の期日欄(「得べき賃金」、「得べき一時金」、「得べきベア遡及差額」についてのもの)記載の日の翌日から、それぞれ支払い済みに至るまで各年五分の割合の金員を支払え。

六  控訴人は、被控訴人岡に対し、本判決確定に至るまで、平成九年一〇月二一日から毎月二一日限り、月額四九万二四七二円の割合の金員を支払え。

七  被控訴人らのその余の当審における拡張請求を棄却する。

八  控訴費用は控訴人の負担とする。

九  この判決は、第二項及び第六項の月額の六割相当額(円未満切り捨て)に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの原審における請求をいずれも棄却する。

3  被控訴人らの附帯控訴をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  被控訴人らの附帯控訴に基づき、原判決主文二項を次のとおり変更する。

(一) 控訴人は、被控訴人岡に対し九四三九万七八〇二円、被控訴人中村に対し六八三八万二四七五円、被控訴人草野に対し六八〇二万九〇九七円、被控訴人柳井に対し三四七〇万九二七七円をそれぞれ支払え(請求の拡張と従前請求の一部減縮)。

(二) 控訴人は、被控訴人岡に対し別表第一の、被控訴人中村に対し別表第二の、被控訴人草野に対し別表第三の、被控訴人柳井に対し別表第四の、各支払期日から支払い済みに至るまで、各未払賃金に対する各年五分の割合の金員を支払え。

(三) 控訴人は、被控訴人岡に対し、本判決確定に至るまで、平成九年八月二一日から毎月二一日限り、月額四九万二四七二円を支払え。

3  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  当事者の主張は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決事実「第二 当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。

二  (原判決の補訂)

1  原判決四枚目裏一〇行目の「金額」の次に「ただし、被控訴人草野につき六九八万八八〇七円の限度で、被控訴人柳井につき七五六万八五二五円の限度で)」と改める。

2  原判決八枚目表二行目の「(4)」を「(3)」と、同一〇枚目表四行目の「右労働契約」を「被控訴人らを教諭として勤務させる旨の労働契約」と、同一一枚目表四、五行目を「(3) その(3)は争う。」と、それぞれ改める。

三  (当審における新主張)

1  控訴人

(一) 懲戒解職処分を緩和した本件降職処分

仮に本件各降職処分が降職処分それ自体として無効であるとしても、本件各処分は、就業規則所定の懲戒解職事由ある場合に、端的に「懲戒解雇」のみをしないで、これと同時に緩和措置として新たに「被控訴人らに対しいずれも非常勤講師としての地位を提供すること」を付加する処分をしたものである。

(二) 懲戒解職の意思表示

仮に被控訴人らに対する本件各降職処分が懲戒解雇としての効力の有無について判断されないのであれば、控訴人は、被控訴人らに対し、就業規則六九条に基づき平成二年一〇月一日到達の準備書面で、被控訴人らを懲戒解職する旨の意思表示をした。

(三) 普通解職の主張

仮に、右懲戒解雇の主張がいずれも認められないとすれば、被控訴人らに対する本件各降職処分の意思表示には、予備的黙示的に普通解職の意思表示が含まれていると解すべきである。そして、被控訴人らについて既に本件各降職処分事由として主張した事由は、いずれも就業規則(乙一)六〇条二号の「勤務成績又は能力が劣悪なとき」、同三号の「人格の欠陥又は学力の不足等により当校の職員として、適格性を欠くものと認められたとき」、同四号の「その他前各号に準ずる事項があったとき」を充足することが明らかであるので、普通解職である本件各降職処分により、被控訴人らは昭和五七年四月一日以降、それぞれ控訴人の教員としての地位を喪失したものである。

仮に、以上の主張がいずれも認められないときは、控訴人は、被控訴人らに対し、就業規則六〇条に基づき平成九年一〇月二日到達の準備書面で被控訴人らを普通解職する旨の意思表示をした。

(四) 被控訴人らの賃金請求権の不存在

被控訴人らの各所為が懲戒解職事由に該当し、かつ、これが就業規則上同人らを本件各処分に付し得るものと控訴人が判断したことに無理からぬものがあったから、控訴人には民法五三六条二項本文の「責に帰すべき事由」がなかった。現に、本件に対応する仮処分事件においては、本件各降職処分の効力を維持する判決がなされている。

(五) 中間収入の控除

仮に、被控訴人らの賃金請求権が発生しているとしても、同人らは高松校で教諭として稼働しなかった期間、塾経営、他の学校への勤務(被控訴人岡の場合)等による中間収入が各対応期間あったものであるから、平均賃金の四割及び賞与(一時金)の全額を限度として、請求金額から控除されるべきである。

被控訴人らは昭和五七年四月一日から平成九年七月二一日まで、特段の事情のなき以上、少なくとも各年の標準生計費に相当する別表第五ないし第八記載のとおりの中間所得を得ていたと推認すべきである。なお、別表第五ないし第八の「世帯人員」とは、本人と扶養手当支給対象者の数である。

そうすると、被控訴人岡につき四四一七万五六〇八円(平成九年七月分まで、翌八月から本件口頭弁論終結時点まで毎月一八万六八九六円の割合の金員を付加)、被控訴人中村につき三三一一万四五〇八円(平成七年七月まで)、被控訴人草野につき三四三六万三三六六円(平成八年五月二一日まで)、被控訴人柳井につき七三三万三〇二九円(五九年一二月まで)が、それぞれの賃金等から控除されるべきである。

仮に、被控訴人らが右の標準生活費相当の賃金を得ていないとしても、これを他所において獲得することは容易であって、これを怠ったのであれば、同人らの責めに帰すべきであるから、信義則上、これらが控訴人の支給することとなる賃金額から控除されるべきである。

(六) 被控訴人岡は、昭和六三年末、控訴人を任意退職してニュージーランドに渡航し、現在に至っており、平成元年一月以降、同被控訴人の本訴請求は理由がない。

(七) 右(一)ないし(六)の主張が認められない場合、被控訴人ら主張の未払賃金等(後記2(一))は大要において認める。ただし、被控訴人柳井については、現実に同人に支給され、同人において受領したものが全額であって、これらを超える金額部分は全て争う。なお、本件各懲戒処分の結果、控訴人は、被控訴人らを控訴人の職員としての身分なきものとして扱って来ているため、また、それらについての懲戒処分が係争中であるため、あるいはその他の理由により、それらを理由として昇給延伸等の措置がとられていない被控訴人らの従来のすべての非違行為に基づき、将来昇給延伸等の措置を取り得る権限を留保する。

2  被控訴人ら

(一) 未払賃金等(諸手当を含む。)

被控訴人らの未払い賃金等は、原審の認容額のほか、別表第一ないし第四請求金額一覧記載のとおり、被控訴人岡につき昭和六〇年三月一〇日から平成九年七月二一日までの間の八四六七万五七四三円、被控訴人中村につき昭和六〇年三月一〇日から平成七年七月二一日までの間の五九八八万八三八三円、被控訴人草野につき昭和六〇年三月一〇日から平成八年五月二一日までの間の六一〇四万〇二九〇円、被控訴人柳井につき昭和六〇年三月二一日から平成八年五月二一日までの間の二七一四万〇七五二円である。

右各金額と各原審の認容額の合計額は、被控訴人岡につき九四三九万七八〇二円、被控訴人中村につき六八三八万二四七五円、被控訴人草野につき六八〇二万九〇九七円、被控訴人柳井につき三四七〇万九二七七円となる。

控訴人に対し、被控訴人らは、当審において、各原審の認容額に加えて、その後の上記各未払い賃金等の支払いを請求するとともに、後者につき別表第一ないし第四請求金額一覧の請求金額欄の各金員に対する当該支払期日から完済まで各年五分の割合の金員の支払と、被控訴人岡は、本判決確定に至るまで、平成九年八月二一日から毎月二一日限り、月額四九万二四七二円の支払を請求する。

(二) 控訴人の当審における主張(一)ないし(四)は争う。被控訴人らには懲戒解職事由はない。また、控訴人の普通解職の主張は、まさに時機に遅れたものであって、失当である。

(三) 中間収入の不存在

控訴人の当審における主張(五)を否認する。

被控訴人ら(岡を除く。)の生活費については、原則的に、生計を維持するに必要最低限の金額を組合から貸し付けられてきた。右被控訴人らは、長期かつ膨大な訴訟費用の一部に充てるため、塾経営を企画したが、その収入は被控訴人らに直接所得として配分されたことはなく、東京と高松で行われている裁判や労働委員会のための費用や旅費、書証の謄写や電話代などの事務経費、支援呼びかけのための宣伝行動などの活動費に全額支出した。

平成六年度の活動費が約六〇〇万円であるのに対し、塾収入は一〇〇万円程度であった。なお、塾経営も大手の塾に押され、平成七年度に閉鎖している。

被控訴人岡は、平成元年二月からニュージーランドのカウェラウ高校に勤務したのち、平成五年一月以降現在に至までマナワツ・ポリテクで教鞭をとっており、次のとおりの収入を得ていることは認める。

(1) 平成元年二月ないし同年一〇月(カウェラウ高校勤務、週給四二五ニュージーランドドル)

総額一八、二七五ニュージーランドドル(日本円に換算すると一五九万一〇〇〇円

(2) 平成元年一一月ないし平成四年一二月(同勤務)

総額七九、七七三ニュージーランドドル三一セント(日本円に換算すると六二八万〇九六四円)

(3) 平成五年一月ないし平成七年一〇月(マナワツ・ポリテク勤務、週給六〇〇ニュージーランドドル)

総額一一四、六〇〇ニュージーランドドル(日本円に換算すると七六四万円)

(4) 平成七年一一月ないし平成九年七月(同勤務)

総額五五、四八八ニュージーランドドル六二セント(日本円に換算すると六二八万〇九六四円)

(四) 控訴人の当審における主張(六)は否認する。

第三証拠関係<省略>

理由

第一  請求原因1(被控訴人らが教諭として控訴人に雇傭された事実)及び同2(被控訴人らに対する本件各降職処分がなされた事実)は、当事者間に争いがない。

第二  前提となる事実(以下この事実は、当事者間に争いがないか、末尾記載の証拠によって認められる。)

一  高松校に勤務する教職員で組織する香川県大手前高松(中)学校教職員組合(以下「組合」という。)は、昭和五二年九月一〇日、結成され、被控訴人らは組合結成時からの組合員である(甲五九五の4)。

昭和五二年九月一二日、組合の執行委員長の天野(以下「天野委員長」という。)ら組合執行部役員七名は、控訴人理事長倉田キヨヱ(以下「倉田理事長」という。)に対し、組合結成の通告を行った。

その際、倉田理事長は、「組合とは、利益が相反する。行くところまで行く。」、「何やら知れん、得体の知れんもんとは、団交できん。」等と発言し、組合に対する嫌悪感を示した(甲八一)。

控訴人と組合との間では、組合結成後間もない昭和五二年九月一九日に開催された団体交渉において、労使双方の交渉人員について意見の対立があり、要求内容について交渉が行われない状態が続いた。その後、団体交渉ルールについての交渉が行われたが、最終的に香川県地方労働委員会(以下「香労委」という。)の斡旋があり、同年一二月一三日付けで団体交渉ルールを内容とする協定が締結された(甲一一二)。

二  控訴人は、組合活動につき、高松校内では時間内外を問わず、特に許可した場合を除き、全面的に禁止する方針をとり、組合ニュースの配付や職場内での集会等の活動について、数多くの警告書を発したり処分を行って右方針を厳格に完遂しようとした(甲一二三、乙六八)。

組合は、控訴人が就業時間外における職員室でのビラ配付を認めない等の不当労働行為を行ったとして、次の事実につき、香労委に対し、救済命令の申立てをした。

<1>  昭和五二年九月一二日以降に行われた組合ニュース等の配付に対し、控訴人が合計八件の警告書を交付した。

<2>  同月二一日以降行われた職場集会のための小会議室の使用に対して控訴人が合計五件の警告書を交付した。

<3>  同月一八日、倉田理事長が組合員福家誠の父親を丸亀校に呼出し、父親に対して福家の退職を強要した。

<4>  昭和五三年三月一〇日に行われた卒業式終了後の職員祝賀会における組合の抗議行動に対して、控訴人は天野委員長ほか一名に対し訓告処分を行った。

<5>  昭和五二年九月一六日付け要求書における要求事項である公立並待遇の早期実現に関しての前歴計算及び同年末ボーナス査定に関する団体交渉において、控訴人が誠実に対応しなかった。

<6>  昭和五三年二月下旬、父兄に対する「私学助成をすすめる会」への入会勧誘に際して、生徒を使ったことに対して、控訴人が、天野委員長ほか一名に対し訓告処分を行った。

これに対し、香労委は、昭和五八年一二月一〇日、右<1>ないし<5>につき、不当労働行為の成立を認めて救済命令を出したが、<6>については不当労働行為の成立を認めなかった(甲二八)。

控訴人の再審査申立てに対し、中労委は、平成五年五月一九日、右<1>ないし<3>及び<5>につき初審命令を維持したが、<4>については不当労働行為に当たらないと判断した(甲五一七)。控訴人の訴えの提起により、東京地裁は、平成九年二月二七日、右命令を基本的に維持した(甲五七八)。

三  控訴人は、昭和五三年四月、西山教諭を教頭補佐に任命し、組合対策労務担当にあたらせた(以下「西山労務担当」という。)。

控訴人は、昭和五四年三月三一日付けで、組合員の海野に対し、紙筒闘争、リボン闘争並びに理事長及び校長への要請行動等を理由として、教諭から常勤講師に降職する処分を行った。

昭和五四年四月から倉田理事長の娘婿である倉田康男(以下「倉田校長」という。)が新たに高松校校長として赴任した。

控訴人は、昭和五四年六月二七日、組合員の小泉に対し、生徒に対する体罰事件に関して、教諭から非常勤講師に降職する処分を行った。

四  組合は、昭和五四年六月二九日、単独では労使関係を正常化することは困難であると考え、日本労働組合総評議会香川県地方評議会(以下「県総評」という。)に加盟した。

県総評は、昭和五四年七月以降、組合、控訴人間の労使紛争解決のため、控訴人と折衝を重ねたり、団体交渉を申入れたが、控訴人は団体交渉になじまない事項もあり検討する等として結局これに応じなかった。

また、県総評は、同年八月ころ、高松校PTAに事態解決への協力を求めた。

同PTAは、同年九月以降数回にわたり、組合及び控訴人と三者会談を持ち、海野の告訴取下げ及び校内の組合活動を中心議題として話合解決を目指したが、同年一一月不調に終わった。

その後、県総評は、同年一一月下旬から同五五年三月まで、海野の降職処分の撤回及び労使関係正常化のための話合の場を作るため、控訴人と数回にわたり折衝したが、控訴人は同処分を撤回できないなどと主張して、事態は進展しなかった(弁論の全趣旨)。

五  昭和五四年度中、組合と学園との間では、月一回程度の団体交渉が行われたが、海野の降職処分、同天野及び同小泉に係る懲戒処分等に関する団体交渉の申入れに対し、控訴人は、個人の処分問題については団体交渉に応じる義務はない、団体交渉の議題にはならない等として、一切これに応じなかった(弁論の全趣旨)。

六  このように、県総評あるいは組合が要求する団体交渉等に控訴人が応じない状況が続く中で、県総評は、事態の打開のためにはより広範な支援組織が必要と考え、昭和五五年三月二四日、組合、高松地区労働組合連合会、日本社会党香川県本部等二三団体を構成メンバーとする大手前高松高等(中)学校教職員組合不当処分撤回支援共闘会議(以下「共闘会議」という。)を結成した。

共闘会議は、控訴人の組合員に対する不当処分の撤回と正常な労使関係の回復を目的に、ビラ貼り、宣伝車等の宣伝活動を行った。

共闘会議は、同年四月一日、二三日、同年五月一七日、同月二四日、及び同年七月八日に、控訴人の所在地周辺及び高松市内の電柱等に「不当解雇反対」、「学園の私物化反対」、「入学金の先取りを止めろ」、「大手前倉田理事長は高い学費で私腹を肥やすな 共闘会議」、「大手前倉田理事長は 教育をもうけの手段にするな」等の文言を記載した縦約五五センチメートル、横約二〇センチメートルの大きさのビラを相当数貼付した。

また、共闘会議は、同年四月から七月までの間、高松市内及び丸亀市内を、県総評等の宣伝車で走行しながら、ラウドスピーカーにより、不当処分の撤回と組合との話合に応じることを主旨とする(一部「大手前では学校を金儲けの手段と考え、」とする部分があった。)録音テープに収録した宣伝文句で宣伝活動を行った。

これに対して、控訴人は、昭和五五年八月九日及び一〇日、天野委員長ほか六名に対し、右ビラの貼付をしたこと、又は宣伝車による宣伝が控訴人の社会的信用を失墜させ、名誉を傷つけたとして、一〇日間の出勤停止処分を行った(六につき、乙五二〇、五三八)。

七  昭和五五年三月頃、組合は、高松校の所在地番を書いた組合宛の郵便物が届かなくなったことに気付き、調べたところ、控訴人が約三ヵ月間、一〇通を超える組合宛の郵便物を留置していたことが判明し、それら郵便物は組合の要請で引渡された。

その後、控訴人は、現在まで、組合宛の郵便物については、高松校の所在地番には宛名の者はいない旨の附箋を付けて、差出人に返送している(甲五九五の20の1、乙五二〇)。

八  昭和五五年三月末、控訴人は、海野を、講師の雇用期間満了を理由として、雇い止めとした。

昭和五五年八月、組合員以外の者四六名が参加した大手前教育研究会(会長平畑教頭補佐)が発足した(甲四五)。

中労委は、昭和五八年一一月一六日、「控訴人は、組合の昭和五五年一一月八日付昭和五五年度冬季ボーナスに関する要求について、海野が交渉委員として出席することを理由として団体交渉を拒否することなく、団体交渉の開催場所を学校外とすることに固執することなく、資料を提出するなどして、誠意を持って団体交渉に応じなければならない。」との救済命令を発し(甲二七)、最高裁判所は平成二年一〇月に同命令を支持した判決を言い渡した(甲五一二、五一四、五二〇)。

九  昭和五六年三月三一日、控訴人は、高松校における生徒数の減少に対処するためという理由で、天野委員長に対し休職処分を行った。これに対して、組合は控訴人に対し団体交渉を求めたが、控訴人は個人の問題であり団体交渉になじまないとして、これに応じなかった(弁論の全趣旨)。

一〇  昭和五七年三月三一日、控訴人は、被控訴人ら四名に対し、本件降職処分をなすとともに、天野委員長の休職期間の満了とともに退職となった旨通知して同人の復職を認めず、また、小泉の非常勤講師としての雇傭を雇い止めとした。そして、天野委員長につき、同年四月一日からの非常勤講師として取り扱った。

一一  控訴人は、高松地裁の仮処分決定に基づき、昭和六〇年一月、被控訴人柳井を仮に教諭として取り扱うことにしたが、同被控訴人に対し教員としての本来の授業を担当させず、給料も基本給しか支払わず定期昇級もさせなかったため、一〇年経過しないうちに初任給よりも低い給与となった(甲五六三)。

一二  香労委は、平成元年九月、被控訴人ら四名に対する本件降職処分並びに天野委員長に対する休職処分及び小泉に対する降職処分後の雇い止めがいずれも不当労働行為であるとして、バックペイの支払と原職(被控訴人ら四名及び天野委員長につき教諭、小泉につき非常勤講師)への復帰を命じ(甲五〇九、五一〇)、中労委もこれを維持した(甲五五三、五七一)。東京地裁は、平成七年六月及び平成八年二月、右各命令取消し訴訟において、中労委の緊急命令申立てを認容し、同被控訴人らの原職復帰とバックペイを命じた(甲五六一、五六八)。

しかし、控訴人は同年八月被控訴人ら四名、天野委員長及び小泉を復職させ、バックペイを支払ったものの、同人らを原職に復帰させなかったため、中労委は緊急命令不履行通知を高松地裁に行い、同地裁は平成九年一月二〇日、控訴人に対し五〇〇万円の過料を課す決定をし、右決定は確定した(甲五八一、五八二)。

第三  被控訴人らの教諭たる地位の確認請求について

一  本件降職処分の効力

被控訴人らは、使用者が就業規則の懲戒規定に基づいて労働契約の基本的内容を一方的に変更することは許されないから、本件降職処分は無効である旨主張するので、以下検討する。

1  控訴人の高松校の就業規則(抜粋)が原判決添付の別紙のとおりであることは、当事者間に争いがない。

この争いのない事実に証拠(原審証人倉田康男)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 控訴人は、高松校の職員を就業規則により懲戒することとし(六六条)懲戒の種類として、譴責(訓告、戒告、厳告)、減給、出勤停止、降職、懲戒解職の五種類を設け、降職とは、「始末書を提出させ、身分又は職階を下げ若しくは剥奪する。身分又は職階に対し特に支給した給与は、降職により支給しない。」旨定めている(六七条)。

降職、出勤停止、減給又は譴責の処分事由は、各処分毎でなく各処分に共通に個別具体的に規定され、情状により右の処分を選択することが予定されている(六八条)。いずれも始末書を提出させることとしている(ただし、訓告、戒告を除く。)。

懲戒解職事由は右とは別個に規定され、その事由があるときでも情状により降職又は出勤停止にとどめることができる(六九条)。

(二) 職員の身分及び職務は、就業規則上、教育職員、その他の職員、雇員に大別された上、教育職員については校長、教諭、養護教諭、助教諭、講師に、その他の職員については、事務職員、技術職員に細別されている(五二条)。更に慣行上、教育職員につき、校長と教諭との間に、副校長、教頭、教頭補佐の職階を設けられ、講師については、常勤講師と非常勤講師とに区分されている。

(三) 職員は、満六〇歳に達したとき、定年退職となる(六二条)。これに対し、就業規則上には明示の規定はないが、常勤講師も非常勤講師も雇傭期間は一年間とし、更新しない限り、その期間の経過により講師の身分を失うこととされていた。

常勤講師の待遇はほぼ教諭に準じ、給与は月給であるが、非常勤講師の給与は時間給である。

2  右認定の懲戒事由の規定の仕方とその内容、職員の身分及び職務の区分とその内容、始末書の機能が「懲戒を行う場合でも、将来の労働関係のスムースな展開を考慮して、可能な限り本人の納得のうえでこれを行おうとしている」ことにあることを考慮すると、控訴人の高松校の職員に対する懲戒は、労働契約を終了させない(労働契約の同一性を前提とする)譴責、減給、出勤停止、降職の各処分が、労働契約の終了を前提とする懲戒解職(これに降職処分が含まれるかは後述する。)の処分がそれぞれ予定されていると解される。労働契約の同一性を前提とする降職処分とは、例えば、教諭として採用された者が教頭に就任している場合に、教頭の地位を剥奪するような場合である。

ところで、被控訴人らに対する降職処分は、教諭から非常勤講師に降職する内容であるが、右認定事実によれば、満六〇歳までの終身雇用の教諭としての地位を雇用期間一年間で月給でなく時間給の非常勤講師の地位に降ろすものであって、労働契約の基本的内容を変更するものであるから、社会通念上労働契約の同一性を有すると解することはできない。

したがって、本件降職処分は、懲戒解職と新たな講師としての労働契約の申込みの実質を有するものであり、労働契約の同一性を前提とする降職処分ではないから、就業規則六八条所定の懲戒事由を処分事由として降職処分を行うことは許されないと解される。

3  もっとも、控訴人は、被控訴人らには、そもそも「懲戒解雇」に足りる非違事由が存し、懲戒解職するに足るだけの条件が備わっている場合において、これを緩和する措置として、かつ労働者がこの下げられた職に拘束されない(下げられた職が不満なれば辞職できる。)場合に、降職処分が許される旨主張するので検討する。

右のとおり、高松校の就業規則上、降職処分は身分を剥奪することも予定し(六七条四項)、懲戒解職事由があるときに情状により降職処分にとどめることができる(六九条)旨規定されているところからすると、懲戒解職事由を具備し懲戒解職を行うことができるときは、例外的にこれを緩和する措置として、教諭から講師への降職も許される(労働者は講師として労働契約を締結するか否かの自由があるので、不利益な処分ではなく、懲戒手続に特段不利な事情は認められない。)と解するのが相当である。

そうすると、被控訴人らに対する本件降職処分は、懲戒解職と新たな講師としての労働契約の申込みの実質を有するものであるから、懲戒解職処分を緩和する降職処分として、懲戒解職事由があるか否かを検討してその効力の有無を判断していくこととする。

二  被控訴人岡・中村に対する降職処分につき、懲戒解職事由の有無

1  控訴人主張の被控訴人岡・中村の非違行為等

争いのない事実並びに証拠(甲六、八、一〇、一四、一七、五〇ないし五二の各1ないし3、五三の1、2、六一の1ないし、二三二、二六七ないし二六九、五〇一、五〇二、五〇七、五〇八、五六〇の2ないし6の各1、五六〇の6の24、五八六、乙二、三、一六、二四、二六、三六、四二ないし四五、五九ないし六二、六五、六六、一一五、五〇一、五〇三、五〇四、五二〇、五二一、五二五、五二七、五二八、五三〇、当審証人(尋問途中で控訴人代表者となる。)倉田康男、当審における被控訴人中村本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被控訴人岡は、昭和四六年三月、早稲田大学社会科学部を卒業し、同年四月、高松校の社会科教諭として採用され、高校の日本史等の教科を担当していた。

被控訴人中村は、昭和四七年三月、神戸市外国語大学英米学科を卒業して、昭和四八年四月、高松校の英語科教諭として採用され、英語の教科を担当していた。

(二) 被控訴人岡は、組合結成以来、昭和五二年度は書記長、昭和五四年度は副委員長、昭和五五年度は書記長を務めていた。被控訴人中村は、組合結成以来、昭和五三年度は会計監査、昭和五四年度は書記長、昭和五五年度は書記次長を務めていた。なお、組合の年度は、当年九月から翌年八月末までの期間である。

(三) 高松校において、校務分担として、校長、教頭の下に、生徒指導部が設けられ、同部のなかに生活指導係、交通安全係、生徒会活動、クラブ活動等の分野別に生徒を指導する教諭が配置されていた。

生徒指導部は、昭和五四年度に控訴人の承認を受けて「服装についての指導基準」を作成し、同基準は、同五五年度以降生徒に配付されてきていた。昭和五五年度において、高松校在校生の服装の乱れや遅刻が目立ち始めたため、輪番制による遅刻指導を行ったが、これについて控訴人から特に異議が述べられることはなかった。

(四) 倉田校長は、昭和五六年四月三日開催の職員会議の席上、新年度の校務分掌表を発表するとともに、生徒の服装が乱れてきたことの対策として、同分掌表で生徒指導部の生徒指導係(校内担当)に指名された組合員小松弘、被控訴人岡・中村及び大町幸子の四名中、女性で養護教諭である大町幸子を除いた三名に対し、翌四日以降当分の間、毎朝高松校の玄関前で、就業規則で定められた始業時刻より一五分早い午前八時一五分から四〇分まで生徒の服装指導をするように命じた(以下「本件早朝生徒指導命令」という。)。右「当分の間」とは、倉田校長は、一年間の趣旨で指示したものであり、被控訴人岡・中村もその趣旨に受取った。

その際、被控訴人岡・中村は、それぞれ、「突然言われても困る。家の都合がある。」などと発言したが、司会をしていた吉田教頭が「さらに意見があれば後にして下さい。」などと発言して、次の議題に移り、その後この点についてのやりとりがないまま、職員会議が終わった。

なお、高松校では、当日の学校行事に関する注意事項等が伝達される職員朝礼が毎朝午前八時三〇分から三五分にかけて行われていたので、被控訴人岡・中村は職員会議に参加できなくなる。

ところで、高松校の校務分掌については、校長が決定し、毎年度の第一回目の職員会議で発表されるのが例であった。ただ、従前の校務分掌では、生活指導部の生活指導係の下にさらに細かく分掌が分けられることはなかったが、昭和五六年度からは同係が校内担当と校外担当に分けられることになった。

(五) 一方、被控訴人岡・中村が構成員である生徒指導部(野口部長)は、昭和五六年四月九日開催の部会において、同五六年度は、生徒指導は全員の教師が一致して行うことにより高い教育効果が生まれること、校務分掌上他に受け持っている仕事との関係で特定個人に負担がかからないようにすることが必要であること等から、生徒の服装指導や遅刻指導について、生徒指導部員の輪番制による指導を行うこととし、同月一三日から一八日までの期間、毎朝午前八時一五分から九時四〇分まで高松校の玄関前で、同八時四〇分から五〇分まで同校の二・三号館二ないし四階非常扉前等で、同八時四〇分から九時四〇分まで視聴覚教室で、それぞれこれらの指導を行うことを内容とした「昭和五六年度四月生徒指導(校内)計画」を作成し、これを実施した。

しかし、その後、倉田校長から同計画が、被控訴人岡・中村ら三名が毎朝玄関前で生徒指導を行うことになっていないとして、右計画は採用されなかった。

生徒指導部は、その後も同五七年三月まで、遅刻指導及び服装指導について午前八時四〇分前の指導を含む輪番制による生徒指導計画を逐次作成し、実施した。もっとも、控訴人は、同年六月頃、右指導計画書も被控訴人岡・中村が毎朝玄関前で服装指導をすることになっていないとして正規指導の計画と認めなかったが、結局、生徒指導部では午前八時四〇分前の指導を、被控訴人岡・中村を含んで輪番制で続行した。ただし、同年九月、一〇月だけは、体育祭の準備等で多忙なため、生活指導部からクラス担任・副担任による指導へと指導形態が変わった(甲一〇)。

(六) 昭和五六年五月一日の始業時刻前、被控訴人岡(当時組合書記長)は、職員室において、教頭補佐西山に団体交渉を申入れ、居合わせた倉田校長にも同様の申入れをしたが、倉田校長は「玄関前のところで指導をしていなければいかん時間じゃないですか。」と述べ、被控訴人岡は、それは四月三日以来保留されているはずである旨答えた。

(七) 倉田校長は、同年五月被控訴人岡・中村に対し、それぞれ個別に校長室に呼んで早朝生徒指導命令に従うように指示した。

これに対し、被控訴人岡・中村は、生徒指導部が作成した輪番制による生徒指導計画に従って指導を実施しているので、それについては生徒指導部と話をして欲しい旨、及び本件早朝生徒指導命令には就業時間の変更等労働条件に係わる問題も含まれているので、組合とも交渉して欲しい旨述べた。

(八) 組合も、本件早朝生徒指導命令による労働時間の変更は労働条件に関する問題であるとして、同年五月、六月、同命令に伴う就業時間変更等を議題とする団体交渉を申し入れたが(甲六一の2ないし5)、控訴人は個人の問題であるので団体交渉になじまないとしてこれに応じなかった。

控訴人は、被控訴人岡・中村に対し、昭和五六年七月八日、同被控訴人らが右命令に違反している旨の警告書を交付した上、同年八月四日、就業規則六八条五号により、同月五日から同月一〇日まで出勤停止処分に付した(乙五九ないし六二)。

組合は、右各出勤停止処分に抗議するとともに、何度も右各処分を議題として団体交渉の開催を申し入れたが(甲六一の7ないし19)、控訴人はいずれもこれに応じなかった。

被控訴人岡・中村はその後も昭和五六年度末に至るまで右命令を無視し、輪番制による早朝生徒指導を実施したものの、毎日の指導まではこれを行わなかった。

控訴人は、被控訴人岡・中村の右行為は、就業規則六八条五号(正当な理由のない遅刻)、九号(業務上の命令違反)及び一〇号(勤務の怠慢による業務阻害)に該当するとして、右被控訴人らを本件降職処分に付した。

2  本件早朝生徒指導命令の有効性

被控訴人岡・同中村は、本件早朝生徒指導命令は、就業規則一五条本文に違反するもので無効である、即ち、同条ただし書で定める勤務時間変更命令は、短期的、一時的な場合にのみ適用され、本件のように一年間にわたるような勤務時間の変更命令に同条ただし書は適用されない旨主張する。

よって検討するに、証拠(甲五六〇の6の1、24)によれば、就業規則一五条ただし書の規定は、本件早朝生徒指導命令が発令されるまでは、修学旅行、入学試験等の一日又は数日程度の勤務時間変更のような臨時的な必要が生じたときに限って適用されていたことが認められる。

しかし、前記のとおり、高松校の生徒の服装の乱れに関して適切に指導を行うため勤務時間を繰り上げてその実施をする必要性があり、その繰り上げた時間も年間を通じて一五分で社会的に著しい負担を伴うものではなく、学校における業務にこのような対応を要する場合があることは否定できないから、従前は臨時的な必要があるときに限り適用されてきたとしても、本件早朝生徒指導命令が就業規則一五条ただし書の予定しないところで無効であるとまで解することはできない。

3  懲戒解職事由の有無

以上によれば、被控訴人岡・中村に対する早朝指導命令は有効であり、同じ事由で出勤停止処分後も同命令の不履行があり、結果的に一年間にわたって断続的に同命令に従わなかった右被控訴人らの行為は、就業規則六八条五号(正当な理由のない遅刻)、九号(業務上の命令違反)及び一〇号(勤務の怠慢による業務阻害)に該当する非違行為であって、職場規律を維持する上で軽視し難いものがあるといわなければならない。

しかしながら、本件早朝生徒指導命令は、勤務時間の変更を伴う命令であって、組合員の労働条件にかかわる事柄であり、個人の問題であるので団体交渉になじまないとして団体交渉を拒絶することは許されないにもかかわらず、控訴人は、本件早朝生徒指導命令の対象者の人選や輪番制よりも適当とする理由につき何らの説明をせず、組合の団体交渉の申入れにも応じなかったこと、控訴人の意思には反するものの、事実上生徒指導部の策定した生徒指導が行われており、被控訴人岡・中村の命令不履行の影響は重大なものとは評価できないこと、本件早朝生徒指導命令が労使関係が険悪化しているところで、事前の打診もなく突然組合幹部が指名されるなど、控訴人の姿勢に被控訴人岡・中村が疑いを持ち、反発することも無理からぬ点があること等の事情に照らすと、右被控訴人らの右非違行為は、就業規則六九条所定の懲戒解職事由には該当しないと解するのが相当である。

よって、被控訴人岡・中村に対する降職処分はいずれも無効である。

三  被控訴人岡・中村に対する降職処分の不当労働行為性

1  前記第二に認定したとおりで、天野委員長ら組合執行部七名が倉田理事長に対して組合結成の通告を行った際の言動、高松校内での組合活動については勤務時間の内外を問わず、特に許可された場合を除いては全面禁止の方針をとり、組合ニュースの配付や職場内での集会等の活動について、処分や警告を発して右の方針を厳格に完遂しようと努めていたこと、処分を受けた組合員の処遇についての団体交渉の申入れに対し、個人の処分問題については団体交渉になじまない等として一切応じていないこと、昭和五五年三月頃には、控訴人が組合宛の郵便物を約三か月間留置していたこと等に照らすと、控訴人は、組合の結成当初から組合及び組合員の活動を嫌悪していたものと認められる。

2  右事実に前記第二、第三の二のとおり、被控訴人岡は、組合結成以来、昭和五二年度は書記長、昭和五四年度は副委員長、昭和五五年度は書記長を務めていたこと、被控訴人中村は、組合結成以来、昭和五三年度は会計監査、昭和五四年度は書記長、昭和五五年度は書記次長を務めていたこと、被控訴人岡・中村には懲戒解職事由がなかったにもかかわらず本件降職処分がなされたこと、本件早朝生徒指導命令はそれまでに例がない長期間の勤務時間の変更を伴うもので、事前の協議もなく校長から突如命じるもので他意を窺わせるものがあること、輪番制による生徒指導にも合理性があるのに本件早朝指導命令を適当とする理由につき、控訴人は何らの説明をせず、組合の団体交渉の申入れにも応じなかったこと、被控訴人岡・中村に対する本件降職処分時に、同時にその他の被控訴人二名に対する降職処分を行うとともに天野委員長の復職を認めず、小泉の非常勤講師としての雇用を雇い止めとしたことを併せ考慮すると、控訴人は、被控訴人岡・中村の組合活動を嫌悪して不利益処分である本件降職処分をしたと認められる。

四  被控訴人草野に対する降職処分につき懲戒解職事由の有無

1  控訴人主張の被控訴人草野の非違行為等

争いのない事実並びに証拠(甲二、五、七、一一、一五、一八、二四、一七三、二三三、五〇二、五〇三、五七七の1ないし6の各1、五七七の6の2、五八八、五九九、六〇〇、六二二ないし六二四、乙四ないし一四、二八、三七、四二、四六、五〇、五〇一、五〇二、五二九、当審証人(尋問中に控訴人代表者となる。)倉田康男、当審における被控訴人草野本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被控訴人草野は、昭和五一年三月広島大学文学部を卒業し、同年四月高松校の教諭として採用され、中学歴史及び高校世界史を担当し、放課後の部活動では、採用された年からバトミントン部の顧問に任命され、稲葉教諭とともにバトミトン部の生徒を指導した。稲葉は昭和五六年四月に丸亀校に転任した。

(二) 被控訴人草野は、組合結成からの組合員であり、組合の役員として、昭和五四年度は会計監査、同五六年度及び同五七年度は執行委員を勤め、また組合の写真記録係を務める等活発に組合活動をしていた。

(三) 高松校では、開校以来「六年制コースの生徒の部活動については、対外試合への参加は高校一年までとする。」との規則で運営していたが、体育学部志望の生徒については、当該生徒、父母、部顧問、学級担任の了解があれば、右規則の例外を認めてきた(甲二三三)。

(四) 被控訴人草野は、バトミントン部の顧問をしていたが、昭和五六年四月二六日、二九日の県協会杯バトミントン大会に生徒を参加させるため、事前に吉田教頭の了解を得て、右大会の申込みをした。そして、同年四月一八日、吉田教頭に対し、右バトミントン大会に、六年制コース高二の女子生徒(以下「N」という。)外数名の生徒を試合に参加させたいとの許可申請書を提出した(甲六二四)。右申請書には、Nの親もNが体育大学を志望し、右大会に出場許可の申出書が添付されていた(甲一七三)。Nは従前から医学部の進学を希望していたので、体育学部との併願志望の形となった。Nは、右大会でシングルスと猪熊とペアを組んだダブルスに出場する予定で熱心に練習していた。

右申請書には、部活動の杉谷教諭、体育科主任の野口教諭、吉田教頭が目を通していたが、特に異論はなかった。

(五) しかし、倉田校長は、大会前日の四月二五日になって、顧問の被控訴人草野に対し、Nの体育学部進学に疑問を持ち、Nは体育学部のみの進学希望者でないとの理由で、Nの出場を認めない旨伝えた。同時に、「この春卒業したある生徒は、規則を乱用して、対外試合に出場したが、体育系大学に進学するという約束を破ってしまった。Nの件も規則の悪用にならないように、普段から生徒を指導するように」と注意した。これに対して、同被控訴人は、Nが相当ショックを受けるので例外的に明日の大会に出場することを求めたが、認められなかった。

Nは右試合に出場したい気持ちが強く、クラス担任の説得にも耳を貸さず、同校長に直接面談を求めた。

そこで、倉田校長は、Nを同女の叔母とともに校長室に入れて話し合ったが、Nは相当に興奮して泣き声で試合に参加させない同校長を非難した。その際、同校長は、Nが今は体育学部志望と言っていながら、後になってそうではないと言っても校長として他の学部の内申書を書けない旨厳しく諭し、Nの大会出場を認めなかった。

Nは、森本教諭に対し、同年五月二日にも体育学部に進学したいので、県総合体育大会に出場したい旨申し出たが、同月七日その意を翻し、勉強に専念することとし、結局現役で医学部に進学した。

(六) 被控訴人草野は、バトミントン部の生徒への指導を充実させるために部誌「NET・IN」(以下「NET・IN」という。)を発行することとし、第一号を同五三年五月に発行し、それ以降、毎年二号、各二〇ないし三〇部宛発行し、部員である生徒及びその父兄並びにバトミントン部に協力している教職員に配付していた。

被控訴人草野は、昭和五六年七月、一四丁からなる「NET・IN」七号(本件冊子)を発行し右のとおり配付したが(甲五七七の6の2)、その構成内容は、バトミントン部の紹介(三丁)、大会成績報告(四ないし六丁)、同部の会計報告(六丁)、夏休み練習予定表(八丁)、新入部員の抱負(九、一〇丁)、部顧問生徒の住所録(一三、一四丁)のほか、次の事項が記載されていた。

<1> 倉田校長がNに対して行った個人指導について、「★六年制のメリット?デメリット?」と見出しを付けてその個人指導の内容を公表し、三年制の生徒は高二の秋まで大会出場を認めるのに対し、六年制の生徒は体育学部専願でなければ高二から出場を認めないという学園の方針について、生徒の父母に賛否を問う形をとってこれに疑問を投じた(一、二丁)。

<2> 右個人指導のなかで、校長が「体育学部ということで大会に参加しても構わないが、受験時に他学部へ志望変更しても絶対に内申書は発行しない。」と明言した。

<3> また、「★今夏からクラブ活動に制約」との見出しを付け、クラブ顧問会議で、校長がクラブ活動の洗い直しを行い、今夏から新しい方針を打ち出したこと、クラブで勉強合宿を計画したが、勉強合宿はクラス単位で許可することがあるとの理由で不許可になったことも紹介している(二丁)。

<4> 部員顧問名簿の末尾に稲葉の名前を記載し(一四丁)、バトミントン部紹介の記事の欄外に「稲葉先生早くもどってきて下さい。」と被控訴人草野の願望を表現した(三丁)。

右「NET・IN」の発行について、被控訴人草野は、学園の許可を受けていない。

なお、倉田校長のNに対する指導内容については、N本人が被控訴人草野をはじめ複数の教員やバトミントン部員に限らず広く友人にも話していた。

(七) 本件冊子は、バトミントン部の生徒(同年七月当時の部員数は二九名)及びその父母、並びに同部に協力している教職員に配付されたが、倉田校長は、本件冊子を同年八月二一日入手し、初めて「NET・IN」の存在を知って驚いた。

控訴人は、六年制一貫教育を目標に掲げて生徒募集に力を入れていた。

(八) 控訴人は、高松校において、中高六年間の一貫教育を重視し、これを対外的に広報宣伝していた(甲四ないし一三)。

(九) 控訴人は、被控訴人草野に対し、昭和五七年三月三〇日付け内容証明郵便で、<1>部活動顧問の立場を利用して「NET・IN」を無断で発行し、生徒及び父母に配付したこと、<2>本件冊子の中で業務上の秘密を漏らして高松校の教育方針を公然と批判し、かつ、高松校の信用を傷付けたことにつき、就業規則六八条二号、九号、六九条四号、五号、七号、一〇号を適用して、同被控訴人を同月三一日付けで教諭から非常勤講師に降職する旨の降職処分通告書を送付した(甲二)。

2  懲戒解雇事由の有無について

(一) 右認定のとおり、倉田校長のNに対する個人指導は、その内容において被控訴人草野が指摘する問題点があるとしても、Nに対し高松校生徒の対外試合に参加の方針を納得させ、ひいてはNの進路指導をする教育業務の一内容をなすものであり、その指導内容には生徒の極めて微妙な心理的な葛藤を強いる場合があり、その一部だけを取り上げ公表することは、世間の誤解を招きかねない内容を含むことがあり、プライバシーとしての保護も必要であるから、関係者の同意なくこれを書面で公にすることは、就業規則六九条四号所定の「業務上の秘密を漏らした」ことに該当すると解されないではない。

しかしながら、倉田校長のNに対する個人指導内容については、N本人が複数の教員や広く友人にも話していたこと、本件冊子はバトミントン部の生徒とその父母等限られた範囲で配付されたものであること、Nの大会出場については関係者の了解のもとに吉田教頭の事前の了解まで得ていたのに、大会前日になってNのそれまでの練習や心情に対する特別の配慮をせずに大会出場を認めなかった校長に対し、部顧問の被控訴人草野がその指導内容を取り上げたことにつき無理からぬ点も認められることを考慮すると、本件冊子の執筆発行を理由として教諭の身分を剥奪しなければならないほど悪質重大な懲戒解職事由としての「業務上の秘密を漏らした」ものとは解されない。

(二) なお、控訴人高松校の就業規則六九条各号の懲戒解職事由の内容に徴するとき、同条項にしたがい被控訴人ら職員を解職するには、単に同条各号の該当する非違行為があるだけでは足りず、非違行為が、学校の秩序維持上、職員を学校外に放逐しなければならないほど重大かつ悪質であり、情状の重い場合でなければならないと解するのが相当であり、右の事由も右見地から懲戒解職事由に該当しない。

そして、就業規則六八条各号の労働契約の同一性を前提とする各種懲戒処分事由が、同六九条一四号の懲戒解職事由に当たるといえるためには、本来の懲戒解職事由との均衡上、特に情状が重い場合でなければならないと解すべきである。

(三) また、控訴人は、高松校の教育方針を公然と批判し(同六九条一〇号)、かつ、控訴人の信用を傷つけた(同六九条五号)と主張するので、検討する。

右認定のとおり、高松校では、開校以来「六年制コースの生徒の部活動については、対外試合への参加は高校一年までとする。」との規則で運営し、これを教育方針としていたから、倉田校長がこの方針に従いNを個人指導したことに関し、被控訴人草野が「★六年制のメリット?デメリット?」との見出しを付けてNに対する個人指導の内容を公表し、生徒の父母に大会出場の期限に関する指導方針についての賛否を問う形をとり、控訴人の教育方針に疑問を投じたことはこれを批判したものと受け止められてもやむを得ない面があると解される。

しかしながら、右の指導方針も体育学部を併願する生徒につき必ずしも明確でなく、関係者の了解のもとに大会出場も許されてきた経緯もあったこと、クラブ活動に参加している生徒にとって、大会出場の可否は大きな関心事であると考えられることから、右記事は、倉田校長のNに対する指導内容が高松校の新しい方針を示したものと受け止めた被控訴人草野が、バトミントン部の顧問としての立場から、この新しい方針を部員及びその父母等に周知させる意図により掲載したものであると認められる(甲六〇〇)から、右記事を掲載した本件冊子の発行・配付によって、控訴人の部活動の制限を批判したことが、懲戒解職事由としての控訴人の教育方針に違反し、控訴人の信用を傷つけたものとまでは認められない。

(四) 部員顧問名簿の末尾に稲葉の名前を記載し、バトミントン部紹介の記事の欄外に「稲葉先生早くもどってきて下さい。」と被控訴人草野の願望を表現した記事も、転勤直後の稲葉を顧問名簿に記載した点に控訴人の人事を批判したと解されないではないが、これをもっては懲戒解職事由である控訴人の教育方針に違反し、控訴人の名誉又は信用を傷つけたものと認めることはできない。

(五) 控訴人は、被控訴人草野がバトミントン部顧問という地位を濫用して(就業規則六八条二号)、控訴人の許可なく業務外の文書である本件冊子を発行した(同六九条七号)と主張するが、本件冊子の内容・構成に照らし、被控訴人草野のバトミントン部顧問としての教育上の配慮から発行されたものと認められ、記事の中に控訴人の教育方針に対する若干の批判が含まれているとしても、本件冊子全体としてみれば、就業規則一四条一二号に規定する、書面による許可を要する「業務外文書」であると認めることはできない。なお、校長の検閲・許可がなければ、全て就業規則六九条七号の懲戒解職事由としての「業務外文書」となると解するのは同規則上及び社会通念上相当でない。

また、本件冊子の発行・配付の意図、記事の内容及び配布先に照らし、本件冊子の発行・配付が懲戒解職事由としての「職員の身分又は資格を濫用した」とまで認めることはできない。

(六) 以上によれば、被控訴人草野に対する降職処分は、懲戒解職事由がないから無効といわざるを得ない。

五  被控訴人草野に対する降職処分の不当労働行為性

前記二、三1、四のとおり、被控訴人草野は、組合結成からの組合員であり、組合の役員として、昭和五四年度は会計監査、同五六年度及び同五七年度は執行委員を勤め、また組合の写真記録係を務める等活発に組合活動をしていたこと、同被控訴人には懲戒解職事由がなかったにもかかわらず降職処分がなされたこと、控訴人はかねてから組合及び組合活動を嫌悪していたこと、被控訴人草野に対する本件降職処分時に、同時にその他の被控訴人三名に対する降職処分を行うとともに天野委員長の復職を認めず、小泉の非常勤講師としての雇傭を雇い止めとしたこと等を併せ考慮すると、控訴人は、同被控訴人の組合活動を嫌悪して不利益処分である本件降職処分をしたと認められる。

六  被控訴人柳井に対する降職処分につき懲戒解職事由の有無

1  控訴人主張の被控訴人柳井の非違行為等について

証拠(甲四、九、一二、一六、一九、二七六、五〇四ないし五〇六、五六四の1、2の各1、五六四の3の1、2、五七七の2の4、5、六二八、六三一、六三二、乙一五、一九、二一の1、2、二二の1、2、二三の1ないし3、二九、三一ないし三三、三五、五三一、五三二、五三四、当審証人(尋問途中で控訴人代表者となる。)倉田康男、当審における被控訴人柳井本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被控訴人柳井は、昭和五一年三月東北大学理学部数学科を卒業し、同年四月高松校の教諭として採用され、高校及び中学の数学を担当した。

(二) 被控訴人柳井は、組合結成当時からの組合員であり、昭和五四年度から同六二年度まで連続九期にわたり執行委員を務め、主に組合の会計、教研部の仕事に携わり、活発に組合活動をしていた。

(三) 倉田校長が、昭和五四年九月五日、校内を巡回中、被控訴人柳井の担当する中二の授業が騒がしかったので教室に入ったところ、同被控訴人は、同校長に対し、生徒達が自由に話せなくなる旨抗議した。同被控訴人は、右授業で、二、三人をグループにしてお互いに分からないところを教え合う形で問題演習をさせていたので、普段の授業よりも騒がしく聞こえたものである。

また、倉田校長が、昭和五五年九月一六日校内を巡回中、同被控訴人の担当する高二の六組の授業が騒がしかったので教室に入ったところ、同被控訴人は、同校長に対し、黙って入って来られては困る旨抗議した。もっとも、生徒の目から見ると、右授業は普通の状態で、特に騒がしい授業ではなかった(乙二三の1ないし3)。

同校長は、同日放課後同被控訴人に右授業態度を注意したところ、同被控訴人は、突然教室に入って来られたのでは授業がやりにくい、参観されるのなら前もって知らせて欲しい旨述べた。

(四) 昭和五四年度から同五六年度にかけて、被控訴人柳井がしばしば出勤簿への捺印を数日間連続して怠っていた(乙二一、二二の各1、2)ことがあったので、吉田教頭は、同被控訴人に対し数回口頭で注意した。

なお、職員の毎日の出勤状況の確認については、教頭が、職員室の黒板の出欠欄に記載される出欠勤の予定、出勤簿等の記載を参考にしながら、職員の現実の出勤状況を把握して学級日誌に記載していた。

(五) 被控訴人柳井は、昭和五六年度の一学期の終わりに提出すべき実施記録と二学期の初めに提出すべき学習指導計画の控訴人への提出を怠り、これらを遅れて二学期末に提出した。同被控訴人の提出した学習指導計画及び実施記録(以下これらを総称して「進度表」という。)は、同年度一学期分について毎週の反省・記録欄がほとんど空白であり、一学期全体の進度や学習指導上の感想、意見欄への記入は皆無という状況だった(乙五三四)。

このため、倉田校長は、同被控訴人に対し、提出された進度表については不備があるとして、反省・記録欄にも書くよう指示した。

もっとも、被控訴人草野の昭和五五年度、五六年度の進度表(甲五七七の2の4、5)の反省・記録欄も、期末考査の日時とその平均点を記載しているところが被控訴人柳井の進度表のそれと異なるだけであった。ただし、被控訴人草野の進度表の学習指導上の感想、意見欄には相応の記載がある。

(六)(1) 被控訴人柳井は、昭和五六年一〇月二四日、吉田教頭に対し、同月三一日(土)及び同年一一月二日(月)の両日年次有給休暇を取ることの承認申請書を提出した。被控訴人柳井は、高一の四組にはプリントの準備をし、高三の五組には、数学を入試科目としている生徒は使用中の問題集を解くこと、そうでない生徒には入試に必要な科目を学習するように課題を指示した。高三の五組は私立文科系を志望するクラスで数学を受験教科として必要がない生徒が大半を占めており、三か月後の入試に向けて、クラスの実状を考慮したものであった。

(2) しかし、吉田教頭は、被控訴人柳井に対し、同年一〇月三〇日、高三の五組についても数学のプリント作成を準備するように指示した。

同被控訴人は、右の教育的配慮をしている旨述べた。

(3) 同被控訴人が休暇を取得した同年一一月二日の授業について、高一の四組では同被控訴人の準備したテストが実施されたが、高三の五組では自習教材が作成されないまま同被控訴人指示のとおりの自習が行われた。

倉田校長は、同被控訴人に対し、同月四日、年次有給休暇を取って休む場合には、事前に振替授業を行うか少なくともプリントを用意して生徒が自習できるようにとの注意、指導を行った。

(4) 控訴人は、昭和六一年度から、自学学習の制度を実施することにし、高校三年二学期より、私立大学受験者は受験に必要のない教科の授業は受講せずに、受験に必要な教科を各自自習する制度で、被控訴人柳井の本件欠講時の指示と同趣旨のものである(甲六三二)。

また、控訴人は、同年度から欠勤等が予め分かっているときは、原則として振替え授業を行い、それが困難なときは自習用のプリント・課題等を作成しておく旨を内規に明文化した(甲六三一)。

(5) 高松校では、従来より、右内規のとおりの教育的配慮が慣行として一般に行われていたかについては、これに沿う証拠もあるが、これを否定する証拠(甲五九五の4、六二八)もあり、右慣行の事実を認めるに足りない。

(七) 被控訴人柳井は、昭和五六年一一月一五日の日曜日に日直当番に当たっていたが、所定時刻より遅れて登校し、午前九時二〇分頃職員室に着いた。

同日、控訴人が小学生を対象に開催している日曜教室の準備のため職員室に来ていた倉田校長がこれを見咎め、同被控訴人に遅刻を注意するとともに、直ちに巡視を行うように指示し、同被控訴人は校内を巡視した。

高松校において、日曜日直時間が午前八時三〇分から午後五時までと定められ、巡視を行うことになっていたが、日直開始時刻及びその巡視については、必ずしも徹底厳守されていたものではなかった(甲六二八)。

倉田校長は、翌日の朝礼で、全職員に対し、日曜日直担当者は午前八時三〇分に出勤し、校内を巡視するように周知徹底した。

(八)(1) 被控訴人柳井は、昭和五六年度は高一の二組の副担任をしていたが、主担任の福家と相談のうえ、生徒の実態を把握して今後の指導に役立てるため、当初高一の二組についてアンケートの実施を企画した。その後、アンケートの実施に数名の教員が賛同したので、同被控訴人は、これらの教員と共同で調査表を作成し、校外の業者に必要部数を印刷させた(以下「本件アンケート」という。甲五六四の1の5)。

(2) 同被控訴人らは、昭和五七年三月八日の三時限目に行われたホームルームの時間中に、高一の二組並びに右教員らが主担任を務める高一の三組、四組及び高二の二組ないし五組において、クラスの生徒全員を対象とした本件アンケートを実施した。同アンケートは、四三の項目からなっており、一部に学園の全体的印象や教師に対する印象を問うものもあったが、全体としてみれば、進学、授業、生徒の生活実態等を問うものであった。

(3) 本件アンケートの実施を知った倉田校長は、同年三月中旬以降同アンケートを実施したクラスの主担任又は副担任を順次校長室に呼んで事情聴取し、同被控訴人についても、同月二三日に事情聴取したところ、同被控訴人らが控訴人に無届けで本件アンケートを実施したことを認めたため、同校長は、同被控訴人らに対し、生徒が記入したアンケート用紙の全てを提出するように命じた(甲五六四の3の2)。これに対し、一クラス担任はこれに応じて同用紙を提出したが、同被控訴人は、主担任の福家と相談する旨を回答し、福家と相談したが、本件降職処分のなされた同月三〇日までその提出をしなかった。その間、控訴人から本件アンケート用紙の提出について督促を受けたことはなかった。

(4) 控訴人は、高松校に対する一般的感想を述べさせたり、入学の動機等をアンケートする際、方法如何により自校での学園生活についての誇りを傷つけたり、その結論が対外的に発表され父母その他に誤った学校観を与える可能性があることを極力避けてきたところで、例えば少年育成センターから毎年依頼されていた生徒指導のためのアンケートも断っていた。

もっとも、本件アンケートを実施した他のクラスの主任又は副主任については、控訴人から事情聴取をされたのみで注意すら一切受けなかったし、その実施につき生徒や父母からの苦情はなかった。また、本件アンケートは、結局その集計結果がまとめられて活用されることもなかった。

(九) 控訴人は、被控訴人柳井に対し、昭和五七年三月三〇日付け内容証明郵便で、同被控訴人を同月三一日付けで教諭から非常勤講師に降職する旨の降職処分に付したが、その事由として、<1>欠講時間用の教材の準備について、校長等の指導に従わなかった(就業規則六九条一〇号、六八条九号)、<2>日直当番に遅れたにもかかわらず、反省の態度を示さなかった(同六八条五号)、<3>無断で本件アンケートを実施し、同アンケート用紙を提出を怠り、その使用目的の説明を拒否した(同六八条二号、八号、九号、一〇号、六九条七号)、<4>出勤簿の捺印をしばしば長期にわたって怠った(同六八条七号、九号、一〇号)<5>進度表の提出を怠り、その内容が不備である(同六八条七号、九号、一〇号)<6>担当する授業が騒がしく、生徒の管理が不十分である、これに対する校長の注意に反省の態度がみられない(同六八条九号、一〇号)と指摘した(甲四)。

2  よって、右<1>ないし<6>の指摘事由が懲戒解職事由になるかを、右1の時系列順に検討する。

(一) <6>につき、被控訴人柳井の担当する授業が騒がしいことがあったので、教室に入った倉田校長に対し、同被控訴人がこれに抗議したことにつき、同被控訴人の倉田校長に対する言動には適当でないものがあるが、同被控訴人の担当する授業が騒がしかったことが、右1(三)の認定事実に照らし、控訴人が処分理由として挙げる就業規則六八条一〇号の「勤務怠慢」によるものと直ちに認めることができない。したがって、倉田校長がこれを指導したにもかかわらず同被控訴人がこれを聞き入れなかったとしても就業規則六八条九号(指示違反)にあたるとはいえない。

(二) <4>につき、右1(四)のとおり、教頭の注意にもかかわらず、被控訴人柳井がしばしば出勤簿に捺印を数日間連続して怠った行為は、就業規則六八条九号(指示違反)にあたるといわざるをえない。しかし、毎日の出勤状況は教頭が毎朝確認し、出勤簿は補助的な確認手段であることを考慮すると、右非違行為は懲戒解職事由にはあたらない。

(三) <5>につき、右1(五)のとおり、被控訴人柳井には、進度表の提出の遅れと記載不備の行為があり、右行為は、就業規則六八条七号(書類の提出の怠り)、九号(指示違反)、一〇号(勤務の怠慢)に該当するが、右認定事実関係のもとでは、懲戒解職事由とすることはできない。

(四) <1>につき、右1(六)の事実関係のもとで、被控訴人柳井は、吉田教頭から年次有給休暇取得の際、プリント作成を準備するように指示され、高三の五組についてプリントの作成をしていないが、同被控訴人がクラスの実情に配慮して欠講時の課題を与えているところであって、年次有給休暇取得に伴う教育的配慮をしていると認められるから、就業規則六八条九号(指示違反)にまであたるとはいえないし、特に悪質で懲戒解職事由にしなければならないものではない。

また、高松校において、当時欠勤等が予め分かっているときは、原則として振替え授業を行い、それが困難なときは自習用のプリント・課題等を作成しておく旨慣行が確立していたといえないので、就業規則六九条一〇号所定の「高松校の教育方針に違反した」にも該当しない。

(五) <2>につき、右1(七)のとおり、被控訴人柳井の日直当番への遅刻行為は、就業規則六八条五号(正当の理由のない遅刻)に該当するが、右認定事実のもとでは到底懲戒解職事由にはあたらない。

(六) <3>につき、右1(八)の本件アンケートの実施について検討するに、一般に、教師が生徒の教育、指導に役立てるため、その担任するクラスにおいて、ホームルームの時間にアンケートを実施することは、当該教師の裁量に属するものということができる。

本件アンケートの調査内容は、全体としてみれば、生徒の生活実態等を問うものであり、特段生徒に教育上重大な影響を与え、控訴人の対外的印象を傷つける危険性のあるものとまでは認められないこと、本件アンケートの目的が生徒の実態を把握して今後の指導に役立てることにあったこと、生徒やその父母から本件アンケートの実施について苦情が出たの事実も認められないことに照らし、本件アンケートは、就業規則六九条七号に規定する「書面の許可を要する業務外文書」であるとは認められない。したがって、同六八条二号(身分の濫用)、八号(勤務時間中の私事)、一〇号(勤務の怠慢)にもあたらない。本件アンケートの使用目的の説明を拒否した事実は認めるに足りない。

また、倉田校長が生徒の記入したアンケート用紙の提出を命じることができるとしても、同用紙を業務外文書として取扱い、本件アンケート結果を利用させないことを意図しての業務命令であったこと及び被控訴人柳井が主担任と相談する旨答え、同担任と相談して間もなかったことに鑑みれば、同被控訴人がその提出を怠ったことは、就業規則六八条九号(業務上の命令違反)に該当するとは一応いえるとしても、懲戒解職事由には到底当たらない。

(七) 以上検討したとおり、被控訴人柳井には、右2(二)ないし(六)の非違行為があり、職場規律を図る上で軽視できないところであるが、個々の非違行為はそれ自体懲戒解職事由に当たらないし、それらの内容及び程度に照らし、それらを総合しても、教諭としても身分を剥奪しなければならない程重大悪質な懲戒解職事由があるとは解されない。

よって、被控訴人柳井に対する降職処分は無効である。

七  被控訴人柳井に対する降職処分の不当労働行為性

前記二、三1、六のとおり、被控訴人柳井は、組合結成当時からの組合員であり、昭和五四年度から同六二年度まで連続九期にわたり執行委員を務め、主に組合の会計、教研部の仕事に携わり、活発に組合活動をしていたこと、同被控訴人には懲戒解職事由がなかったにもかかわらず降職処分がなされたこと、控訴人はかねてから組合及び組合活動を嫌悪していたこと、被控訴人柳井に対する本件降職処分時に、同時にその他の被控訴人三名に対する降職処分を行うとともに天野委員長の復職を認めず、小泉の非常勤講師としての雇傭を雇い止めとしたことを併せ考慮すると、控訴人は、同被控訴人の組合活動を嫌悪して不利益処分である本件降職処分をしたと認められる。

八  控訴人の当審における主張(普通解職)について

本主張は、控訴提起後七年余を経過した当審最終の第二四回口頭弁論期日において初めて主張されたものであって、このような主張自体法律上許されるか議論の分かれているところであり、普通解職事由の存否とともにさらに双方の主張、立証を要することは明らかであるから、民事訴訟法第一三九条に該当するものとして、却下することとする(なお、既に被控訴人らに関する本件降職処分の存否について検討したところからみても、被控訴人らにつき控訴人主張ような普通解職事由に当たる事由があるものと解するのは困難というべきであり、また、平成九年に至って一〇数年前の解職事由を云々することにも疑問がある。)。

第四  被控訴人らの賃金等請求について

一  控訴人の当審における主張(四)(民法五三六条二項本文の「責に帰すべき事由」の不存在)について

第三に説示したところによれば、被控訴人らに対する本件各降職処分は、いずれも懲戒解職を緩和した降職処分であり、懲戒解職事由が必要であるのにこれが存在せず、かつ不当労働行為に該当するところであるから、控訴人が本件各処分を付し得るものと判断したことにつき、民法五三六条二項本文の責に帰すべき事由がなかったということはできない。

もっとも、証拠(乙五〇五、五〇六)によれば、本件に対応する仮処分事件においては、被控訴人柳井を除く被控訴人らにつき、本件各降職処分の効力を維持する判決がなされたことが認められる。しかし、仮処分手続は、本案に附随する手続で迅速な処理を要するものであり、また、そこでなされる処分は暫定的なものである(立証も疎明でよい。)から、仮処分事件で逆の判断がなされたというだけでは、控訴人のなした本件各懲戒処分が民法五三六条二項本文の責に帰すべき事由がなかったということもできない。

二  被控訴人岡の任意退職(控訴人の主張(六))について

控訴人は、被控訴人岡が昭和六三年末に任意退職してニュージーランドに渡航した旨主張するので検討するに、証拠(甲五八五及び乙五一七の1、2、五一八、五一九)によれば、同被控訴人は控訴人から昭和六〇年三月実質解雇されたため、生活に困り緊急措置として平成元年ニュージーランドに渡り日本語等の教師をしていること、右就職に際し、昭和六三年一二月、控訴人に対し、在職証明書の交付を求めたことが認められる。

しかし、右認定をこえて被控訴人岡が控訴人を任意退職したと認めるに足る証拠はない。

三  被控訴人らの賃金等請求について

1  被控訴人らが教諭として控訴人から受取ることのできた昭和五七年四月分から昭和六〇年二月分までの賃金は、(被控訴人草野、同柳井が請求を一部減縮したことで)当事者間に争いがない。

2  当審における拡張請求分

被控訴人岡の昭和六〇年三月一〇日から平成九年七月二一日まで、被控訴人中村の昭和六〇年三月一〇日から平成七年七月二一日まで、被控訴人草野の昭和六〇年三月一〇日から平成八年五月二一日までの未払賃金等(諸手当等を含む。)の額は、控訴人において大要認めるところであり、弁論の全趣旨によれば、その請求額を認めることができる。

被控訴人柳井は、当審における拡張請求において昭和六〇年三月二一日以降の未払賃金を請求しているが、同被控訴人はこの時点ではすでに前記のように仮処分決定により控訴人に職場復帰している。このような場合、復職後の給与、賞与については、控訴人の主張するように、現に勤務している以上、他の職員に対するのと同様に、勤務評定により、特別昇給の有無、昇進延伸及び勤勉手当の成績等を定めざるを得ない(弁論の全趣旨)から、被控訴人柳井の主張する「得べき賃金」ないし「得べき一時金」をそのまま認容額の基礎とすることは相当ではない。その正当額について特に控訴人からの主張、立証もない本件では、その額を確定するに足りる的確な証拠はないと言わざるを得ない(将来において前記の評定を基に具体的な額が確定されるべきである。)が、甲六六八の記載及び弁論の全趣旨によると、被控訴人柳井の未払賃金等は右の点を考慮してもその主張の請求額の一割を控除した金額を下らないものとみるのが相当である。従って、被控訴人柳井の請求については、その請求額の九割の限度(合計二四四二万六六七六円)で認容することとする。

3  右1、2の未払賃金の合計は、被控訴人岡につき九四三九万七八〇二円、被控訴人中村につき六八三八万二四七五円、被控訴人草野につき六八〇二万九〇九七円、被控訴人柳井につき三一九九万五二〇一円であり、弁論の全趣旨によれば、被控訴人岡の平成九年八月分の賃金及び諸手当の月額合計額は、その主張の四九万二四七二円を下らないことが認められる。

四  控訴人の当審における主張(五)(中間収入の控除)について

1  控訴人は、被控訴人らに塾経営による収入があるので、これを控除すべきである旨主張するが、被控訴人ら各自の収入及び期間につき具体的な主張立証がないので、採用できない。

なお、被控訴人岡を除く被控訴人三名は、解雇期間中の生活費は、原則的に生計を維持するに必要最低限の金額(月額最低一〇万円から最高一七、八万円)を組合から借受け、その余の生計費は専ら妻の収入に頼っていたこと(甲六四四)、被控訴人草野の平成五年から平成七年の町・県民税課税・所得証明書(甲六四七、六四八の各1ないし3)によれば、同被控訴人は控訴人からの給与収入以外に所得がなかったこと、被控訴人中村の平成四年から平成六年の町・県民税課税・所得証明書(甲六四五、六四六の各1ないし3)によれば、同被控訴人は控訴人からの給与収入以外に所得はないことが認められる。

被控訴人らは、同人ら(被控訴人以外の解雇者を含む。)の企画した塾の収入は、訴訟の費用の一部に充てられ、被控訴人らに直接所得として配分されことはない旨反論するところである。なお、被控訴人らの非常勤講師として得た収入も中間収入となるが、これは、請求金額から既に控除済みである。

また、被控訴人らは昭和五七年四月一日以降、特段の事情のなき以上、少なくとも各年の標準生計費に相当する中間所得を得ていたと推認すべきである旨控訴人は主張するが、被控訴人岡を除く被控訴人らは、組合から生活費を借受けて生計を立てていたところであって、右の推認をすべき根拠はなく、右主張は採用できない。

控訴人は、被控訴人らが現実に右所得を得ていない場合においても信義則上右標準生計費に相当する所得を控除すべき旨主張するが、独自の見解であって採用できない。

2  被控訴人岡は、平成元年二月から平成四年一二月までニュージーランドのカウェラウ高校に、次いで翌五年一月からはマナワツ・ポリテクニック(国立高等技術専門短期大学商学部、甲六七〇)にそれぞれ勤務して現在に至っていること、その間給与として、<1>平成元年二月から同年一〇月まで週給四二五ニュージーランドドルの計算による収入(総額一八、二七五ニュージーランドドル)、<2>同年一一月から平成四年一二月まで総額七九、七七三ニュージーランドドル七一セントの収入、<3>平成五年一月から平成七年一〇月まで週給六〇〇ニュージーランドドルの計算による収入(総額一一四、六〇〇ニュージーランドドル)、<4>同年一一月から平成九年七月まで総額五五、四八八ニュージーランドドル六二セントの収入を得ていたことは、同被控訴人の自認するところであり、これを超える収入があったことを認めるに足りる証拠はない。

そこで、右自認する収入を基礎として、本件で請求している同被控訴人の賃金等と対応する期間について、中間収入として控除すべき金額について検討する。

証拠(甲六四四、六四九の1ないし6、六五二、六五四の1ないし6、六五五、六六七、六六九、六七〇)によれば、<1>及び<3>の期間については、具体的な収入額、その取得日を確定すべき資料はないが、少なくとも右期間内に前記の各週給額の割合による金額を下らない収入を得ていたこと並びに<2>及び<4>の期間については、別表第一〇のとおりの収入を得ていたことが認められる。そこで、以上の点を基礎とし、一時金の査定対象期間(甲六六八)にほぼ一致する各年三月一日から六月末日、七月一日から一一月末日、一二月一日から二月末日(翌年)の三期間につき、対応する月の収入(為替レートは各期間の当初と末日に近い日のもの(別表第一一「為替レート」表に記載)を平均した数を採用、<1>及び<3>の期間については、週給を日割にして、当月の日数を乗じて算定、なお、平成七年一一月については、別表第一〇の週給額に、三〇日から二週間を除いた日について日割で計算したものを加算)を、その月の請求賃金等の四割額と対比し、これに満たない場合はその額を、これを超える場合は右四割額を、それぞれ請求賃金等(各月の賃金と手当は同一月に支払われるものであるから一体として考え、その支払日が先に到来する後者から先ず差し引くこととする。)から差し引き、右の超える場合の超過金額はその期間に対応する一時金から差し引く(ベア遡及金額は一時金よりその支払時期が後であることを考慮)方法で算定すると、右の被控訴人岡の中間収入として控除すべき金額とその結果は別表九のとおりとなる。

ところで、被控訴人岡は、平成九年八月分以降本判決確定までの賃金等の支払を求めており、これに対して控訴人は口頭弁論終結時点までの中間収入の控除を主張しているので、右と同様の方法で右期間中の控除後の総額を検討する。右期間内に支払期日の到来する賃金等は、額前記の賃金等の月額四九万二四七二円を基礎とすると、同年八月と九月の二か月分の九八万四九四四円となり、その四割は三九万三九七七円となるところ、これに対する同期間内の同被控訴人の収入は、自認する週給額六〇〇ニュージーランドドルを基礎(日割計算)として、右期間の当初に近い日の為替レート(別表第一一の同年七月三一日における七九・〇八を採用)を乗じて、右期間内の賃金等の総額を算定すると、四一万三四七四円となり、右四割の額より多くなるから、右四割の額を前記の九八万四九四四円から差し引くと五九万〇九六七円となる。そこで、この金額を別表九の最終累計額に加えると六七六六万一二七二円となる。

従って、被控訴人岡の請求しうる未払賃金等の総額は六七六六万一二七二円となる。

第五  結論

以上のとおり、原判決は相当であって本件控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人らの附帯控訴に基づき当審において拡張した賃金等の請求については、被控訴人中村、同草野につきそれぞれ全額を認容し、被控訴人岡につき六七六六万一二七二円、被控訴人柳井につき二四四二万六六七六円の各限度で認容し、その余をいずれも棄却し、未払賃金等に対する年五分の遅延損害金の請求については、主文第三ないし第五項の各金員につき各支払期日の翌日からの分を認容して、その余を棄却することとし、被控訴人岡の平成九年八月分以降の賃金及び諸手当の支払請求については、前記の五九万〇九六七円と同年一〇月二一日以降本判決確定までの分を認容し、その余を棄却するアととして、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九二条但書、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大石貢二 馬渕勉 重吉理美)

別表 省略

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