大判例

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高松高等裁判所 平成12年(う)107号 判決 2000年10月19日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人島尾大次作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官有本恒夫作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、被告人が、平成一〇年九月一九日午前一〇時五八分ころ、徳島県鳴門市撫養町《番地省略》付近歩道上において、Aに対し、その左下腿部を右足で一回足蹴りにし、その顔面を手けんで殴打するなどの暴行を加え、よって、同人に対し、全治約一〇日間を要する下口唇裂傷の傷害を負わせた旨認定したが、被告人は、Aが所属する右翼団体による街頭宣伝活動(以下「街宣活動」ともいう。)の模様を撮影したり録音したりしていた際に、Aに集音マイクを奪い取られたことから、これを取り戻すべくAに近付いたところ、Aがいきなり殴りかかってきたため、右足を踏み込んで防御の姿勢をとり、なおも被告人を殴りつけてくるAの動きを止めるために両手を前に三回突き出したにすぎず、(一)このうちの一回が同人に当たりはしたものの、この被告人の行為によりAが原判示のような傷害を負ったことの立証はそもそも尽くされていない上に、(二)被告人のこうした行為は、Aから右集音マイクを取り戻すための正当行為に当たるか、Aからの暴行に対し、自己の生命、身体の安全を防衛するため、やむを得ずにした行為として正当防衛に当たるかのどちらかであって、被告人は無罪であり、(三)仮にこの被告人の行為が正当防衛に当たらないとしても、少なくとも過剰防衛には当たるから、いずれにしても、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。

二  そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、本件の事実経過は、おおむね原判決がその「弁護人の主張に対する判断」の第一項の1で説示するとおりであると認められ、それを更に敷えんすると、次のとおりである。

1  被告人の父は、平成一〇年当時A野市長であったが、ごみ処分場建設予定地の決定をめぐって、同年九月一四日ころから右翼団体による街宣活動が激化し、被告人方周辺にも街頭宣伝車(以下「街宣車」という。)が次々訪れては大音量でテープを流すなどしたために、被告人ら家族は日常生活にも支障を来すようになっていた。そこで、被告人は、右翼団体によるこうした街宣活動をやめさせるための仮処分を裁判所に申し立てることにし、弁護士の助言を得た上、その活動状況をカメラで撮影するなどして証拠の収集にあたっていた。

2  被告人は、本件当日、右翼団体がいつものように被告人方周辺で街宣活動を始めたことから、カメラを首からぶら下げ、小型録音機につないだ集音マイクをTシャツの前襟に取り付けて本件現場付近歩道上まで赴き、街宣車を撮影するなどし始めた。先頭を走行する街宣車に乗車していたAは、被告人のこうした行動に気付き、街宣車のスピーカーを通じ「写真撮るな。」などと怒鳴って被告人をけん制したものの、被告人がなおも写真を撮影し続けたため、カメラを奪い取ってでもこれを中止させようと決意した。そして、Aは、街宣車から路上に降り立った上、「写真撮るな、こら。」と怒鳴りながら被告人に近付き、手を伸ばして被告人のカメラを奪い取ろうとしたが、その手がカメラを持った被告人の手に強く当たったのみで、カメラを奪い取ることはできなかった。この時、Aは、被告人がカメラを首からぶら下げていたことに気付いてこれを奪い取るのは難しいと考え、次いで目に入った前記集音マイクを引ったくるようにして被告人から奪い取った。その後、Aは、被告人と向き合ったまま三メートルほど後ずさりして街宣車に戻り、その出入口ドアから右集音マイクを同車内に投げ入れて、右出入口ドア前に立ちふさがった。

3  被告人は、Aに集音マイクを奪われたことに立腹し、これを取り戻そうという気持ちから、Aに近付いてその左下腿部を右足で一回足蹴りにした。これに対し、Aは直ちに被告人の顔面を手けんで殴打し、被告人も左右の手けんでAの顔面目掛けて数回殴りかかり、うち一回がAの唇付近に当たった。その後も、Aは被告人に対し手けんで多数回殴りかかり、被告人も、手数においてはこれに劣るものの、手けんで殴りかかるなどして相対するうち、右翼団体による街宣活動を警戒するために出動していた中野克則(以下「中野」ともいう。)ら警察官数名が駆け寄って、これを制止した。

なお、Aが街宣車から路上に降り立ってから、警察官らが殴り合う被告人ら両名の間に割って入るまでは、一分ほどの短い時間であった。

4  Aは、被告人から手けんで唇付近を殴打された際、全治約一〇日間を要する下口唇裂傷を負ったが(ちなみに、Aは、被告人から足蹴りにされた左下腿部には傷害を負っていない。)、被告人もAから顔面を手けんで殴打されたことにより、全治約一〇日間を要する上口唇裂傷の傷害を負った。

これに対し、所論は、この認定にほぼ沿う内容の被告人の捜査官に対する供述や、これに符合するAや中野の原審での各供述は、いずれも信用することができない旨主張する。しかしながら、被告人の右供述は、本件当日の取調べの際からおおむね一貫したものである上に(なお、捜査官らが、被告人に対し、虚偽の供述を余儀なくされるような不当な取調べをした形跡はない。)、とりわけ、本件の事実経過に関する部分は、Aや中野の右各供述ともほぼ符合していて、その信用性を相互に補強し合っていることなどに照らすと、所論指摘の点を踏まえて検討しても、前記認定に沿う限度では十分信用することができるものである。そして、Aや中野の原審での各供述も、これとほぼ符合する被告人の右供述等に照らし、前記認定に沿う限度でいずれも十分信用し得るというべきである。この所論は採用することができない。

三  続いて、右二の事実経過に即して、被告人の行為が正当防衛等に当たるかどうかについて検討する。

1  Aが被告人のカメラを奪い取ろうとした際、その手がカメラを持った被告人の手に強く当たったこと、Aが被告人のTシャツの前襟から前記集音マイクを奪い取ったことが、被告人の身体及び財産に対する急迫不正の侵害に当たることは明らかである。もっとも、こうした急迫不正の侵害が、被告人がAの左下腿部を足蹴りにする行為に及んだ当時にも継続していたと認められるかどうかについては、更に検討を要する。そこで、被告人が右行為に及ぶに至るまでのAの行動をみてみると、Aの目的は、専ら被告人からカメラ等を奪い取ることにより被告人の写真撮影行為等を中止させることにあったというべきであって、Aには被告人の身体に対し積極的に攻撃を仕掛ける意図まではなかったと認めるのが相当であるから、Aによる被告人の身体に対する前記の急迫不正の侵害は、遅くともAが後ずさりして被告人から離れた時点で終了したものとみることができる。これと同旨の原判決の判断はこの限度では是認することができる。しかしながら、Aによる被告人の財産に対する急迫不正の侵害、すなわち、被告人の集音マイクに対する急迫不正の侵害が、遅くともAがこの集音マイクを街宣車内に投げ入れた時点で終了したとの原判決の判断は是認することができない。すなわち、Aが被告人の集音マイクを奪い取った行為は、少なくとも窃盗に当たることが明らかであるところ、確かにAによるこの窃盗は、遅くともAが右集音マイクを街宣車内に投げ入れた時点で既遂に達したとはみられるものの、その後、右街宣車の出入口ドアが閉じられたり、一旦停車していた同車が動き始めたりした形跡はないことに加えて、前記のとおり、A自身も、それを奪い取った場所に極めて近接した右出入口ドア前に立ちふさがって、被告人による集音マイクの取戻しを阻止しようとしていたのであって、こうした状況に照らすと、Aによる右集音マイクに対する占有は、いまだ確固たるものになっていたとまでは評し得ず、これが不法に奪い取られつつある事態がなお進行していたとみるのが相当である。したがって、集音マイクに対する急迫不正の侵害は、その後も継続していたといわなければならない。

2  そこで、次に、被告人の行為が、防衛の意思をもってなされたものであるかどうかについて検討するに、被告人によるAの左下腿部に対する足蹴り行為は、前記のとおり、専ら前記集音マイクを取り戻そうという気持ちからなされたものであると認められるから、これが防衛の意思をもってなされたことは明らかである上に、その後のAに対する殴打行為も、右集音マイクを取り戻されまいとするAの行為に対応するためになされたものとみられるから、これが防衛の意思をもってなされたと認めるのに妨げはない。

3  さらに、被告人の行為の防衛行為としての相当性について検討するに、Aは、前記のように、街宣車の出入口ドア前に立ちふさがって被告人による集音マイクの取戻しを阻止する気勢を示していたのであるから、被告人が、これを取り戻すべく直ちにAに近付き、傷害を負わせない程度の力でその左下腿部を一回足蹴りにしても、これが集音マイク取戻しのための手段として不相当なものであったとは認められない。また、Aが、被告人のこの足蹴り行為に対し、たちまちその顔面を手けんで殴打する暴行を加え、引き続き、被告人目掛けて多数回にわたり手けんによる殴打行為を繰り返したことに照らすと、被告人がAに対しその顔面を殴打するなどしてこれに相対したことも、その手数がAのそれに比して劣っていたことなどをも考慮に入れると、その態様・程度においてAによる右殴打行為を上回るものであったとは認められない。そうすると、被告人のAに対する行為は、全体として、質的にも量的にも、防衛行為としての相当性の範囲を逸脱するものではなかったと認めるのが相当である。

4  以上によると、被告人のAに対する一連の暴行は、Aによる急迫不正の侵害に対し、自己の財産を防衛するためにやむを得ずにした正当防衛に当たるというべきであるから、この暴行に基づく傷害に関し、被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがあるというべきである。論旨は理由がある。

四  よって、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に判決することとする。

本件公訴事実は、「被告人は、平成一〇年九月一九日午前一〇時五八分ころ、徳島県鳴門市撫養町《番地省略》付近歩道上において、A(当三三年)に対し、その左下腿部を右足で一回足蹴りにし、その顔面を手けんで殴打するなどの暴行を加え、よって、同人に対し、全治約一〇日間を要する下口唇裂傷の傷害を負わせた。」というものであるが、前記認定のとおり、被告人の行為は正当防衛として罪とならないものであるから、刑訴法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島敏男 裁判官 浦島高広 齋藤正人)

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