大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 平成12年(う)114号 判決 2002年3月12日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮6月に処する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人臼井満作成の控訴趣意書及び同補充書に記載のとおりであり,これに対する答弁は検察官井越登茂子作成の答弁書に記載のとおりであるから,これらを引用する。

1  控訴趣意中,本件公訴の棄却を求める主張について

論旨は,要するに,起訴状記載の訴因(以下「主位的訴因」という。)及び予備的訴因追加請求書記載の訴因(以下「予備的訴因」という。)は,いずれも注意義務が無限定であって特定されておらず,被告人の防御を困難ならしめるものであるから,訴因の特定を欠くものとして,本件公訴は刑訴法338条4号により判決で棄却されるべきであったのに,これをしなかった原判決には不法に公訴を受理した違法があり,破棄を免れない,というのである。

そこで,検討するに,記録によれば,本件の主位的訴因は,「被告人は,自動車運転の業務に従事しているものであるが,平成7年6月15日午後3時7分ころ,愛媛県川之江市a町b番地先道路右側に停車させていた大型貨物自動車を運転し,東方に向け発進させるに当たり,同所付近は住宅地で店舗等もあり,同所付近道路や空き地が幼児等の遊び場となっているのを知っていたのであるから,乗車前,自車周囲の安全を確認し,幼児を認めれば,安全な場所に避譲させるとともに,発進するに当たっては,アンダーミラー等により前方左右を注視し進路の安全を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,乗車前,自車周囲の安全を確認せず,左直前の安全不確認のまま時速約3キロメートルで発進した過失により,折から,自車左直前で補助車付き自転車に乗車していたA(当時4年)に気づかず,自車左前部を接触転倒させてAを左前輪で轢過し,よって,Aを,即時同所において,内蔵破裂により死亡させたものである。」というものであり,予備的訴因は,主位的訴因のうち「折から,自車左直前で補助車付き自転車に乗車していたA(当時4年)に気づかず,」とする部分を「折から,自車左前部角付近を右から左に向かい,補助車付き自転車をその左側から押しながら歩行していたA(当時4年)に気付かず,」と変更したものであるが,論旨が採用しえないことについては,原判決がその「当事者の主張に対する判断」の「一 弁護人の公訴棄却の主張について」の項において,原審弁護人の同旨の主張に対して適切に説示するとおりであり,要するに,主位的訴因及び予備的訴因における注意義務は,いずれも乗車前の自車周辺の安全確認義務及び発進の際の進路の安全確認義務であり,被告人はこの注意義務を怠って時速約3キロメートルで発進した過失行為によって本件事故を起こした責任を問われているのであるから,注意義務が無限定であって特定を欠いているとか,被告人の防御を困難ならしめるということはなく,いずれの訴因についてもその特定に何ら問題はない。論旨は理由がない。

2  控訴趣意中,事実誤認の主張について

論旨は,原判決は,ほぼ予備的訴因に基づいて,被告人は,自動車運転の業務に従事しているものであるが,平成7年6月15日午後3時7分ころ,愛媛県川之江市a町b番地先の東西道路に東向きで右側に一時停止させた大型貨物自動車(以下「加害車両」ともいう。)を運転し,前方やや左に発進させるに当たり,同所付近は住宅地で店舗もあり,付近道路や空き地が幼児等の遊び場となっているのを知っていたのであるから,直接ないしミラーを介して前方左右を注視して進路の安全を十分確認しながら発進すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,左側のサイドミラーを一瞥したのみで進路の安全確認を十分しないまま時速約3キロメートルで発進した過失により,折から自車左前部付近を右から左に向かい,補助輪付きの自転車(以下「本件自転車」ともいう。)をその左側から押しながら歩行していたA(当時4歳)に気付かず,自車左前部をAに接触転倒させてAを左前輪で轢過し,よってAを内蔵破裂により即死させた旨認定したが,Aが加害車両の左前部付近を右から左に向かい,本件自転車を押しながら歩行していたことはなく,さらに,本件事故は,加害車両の左後方の死角から本件自転車に乗ったAが加害車両の前付近に向けて進行していたところ,加害車両の発進に驚いて急に左ハンドルを切った勢いで,右前方,加害車両の左前に投げ出され,その上に本件自転車が重なって倒れ,その上を加害車両が左前輪で轢過したことにより生じたもので,加害車両のような大型貨物自動車において死角が生じることは避けがたいことからすると,本件事故は不可抗力によって生じたもので,予備的訴因については勿論,主位的訴因についても被告人に過失はなく被告人は無罪であるから,予備的訴因に基づき前記の業務上過失致死の事実を認定し被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり,さらに,主位的訴因についても被告人は無罪である,というのである。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。

(1)  まず,関係証拠によると,被告人が,原判示の日時・場所において,道路右側に停車させていた加害車両を運転し,前方やや左に時速約3キロメートルで発進させたところ,自車左前方付近において,A及び本件自転車を左前輪で轢過し,よって,Aを内蔵破裂により即死させたことが認められる。

ところで,本件では,本件事故を直接目撃した者の供述は得られておらず,被告人もこの事故を起こすまでAや本件自転車の存在に気付かなかった旨供述しているため,A及び本件自転車が加害車両の左前方に停止していたのか,いずれかの方向から進行してきたのか,Aは本件自転車に乗っていたのか,これを押しながら歩行していたのか,加害車両とA及び本件自転車との接触の態様はどのようなものであったのかといった事故時の状況を直接立証する証拠は存しない。

原判決は,こうした事故時の状況について,交通事故を工学的手法で解析する専門家であるDの原審における証言及びD作成の鑑定書(以下併せて「D鑑定」と総称し,後記の法医学の専門家であるEの当審における証言及びE作成の鑑定書を併せて「E鑑定」と総称する。)が,本件の事故態様について,要旨,加害車両は,道路直進方向約6.5度程度左向きに進行していた,Aは加害車両右前方から,本件自転車をその左側から押しながら歩いていた,加害車両は,左前角付近によって約35度前後に近い角度でA及び本件自転車へと衝突した,加害車両は,衝突後,A及び本件自転車を押し倒し,仰向けに倒れたAの身体を左前輪によって,左膝内側~左腹胸部・左腕内側~左肩方向へと擦過及び轢過し,さらに,右横転した本件自転車後輪左側面を自転車の前後輪の車軸を結ぶ線と約35度前後の角度で左下から右上方向に轢過し,それに伴って路面を引きずって進行後停止した,としていることに依拠して,Aが加害車両の前を右から左に向かい,本件自転車をその左側から押しながら歩行していたものとして,予備的訴因に沿う事実を認定したものであることは,原審の審理経過や原判決の判文に照らし明らかである。

しかしながら,D鑑定は,以下の点から採用することができない。

第1に,Aが加害車両の前を右から左に向かい,本件自転車をその左側から押しながら歩行していたとするのは,関係証拠により認められるAの事故発生前までの行動等に照らすと,それ自体極めて不自然なものである。すなわち,関係証拠によると,Aは,事故現場の北西側にあるたこ焼き等販売店c店東側の空き地の二軒北側に居住する当時4歳の幼稚園児であるが,事故当時は午後2時半ころ,母親のBと自宅に戻り,Bから100円もらうと家に入らずにc店まで行きかき氷を買って一旦帰宅し,再びc店に行き,c店の店員Cからヤクルトをかき氷にかけてもらい,再び自宅に戻ってBに報告した後,自宅を出て三たびc店に行き,c店南側の出入口に顔を出したこと,これに対しCは,店が忙しかったことからAの相手をせず,本件自転車に乗ったAをc店南側の縁石の付近で送り出し,その後程なく(原審におけるC証言では,この時間は警察の実況見分に立ち会った際に計ったところ,2,30秒であったという。)本件事故が発生したこと,Aは本件自転車を約2年間乗っており,この日の自宅とc店間の往復にもこの自転車を使用していたこと,また,本件自転車は補助輪付きのものであるが,Aは補助輪がなくても自転車に乗れる程度にまでなっていたことなどが認められるのであって,これらの事実に照らすと,本件自転車に乗り慣れており,c店から本件自転車に乗って出発したAが,その後程なくわざわざ本件自転車から降りてこれを押して歩行する理由もなければ,c店から自宅に帰るのにわざわざ道路を渡って加害車両の前を横切って戻ってくる必要もないのであって(しかも,その道筋だと,Aが,本件自転車を運転してc店前を出発して本件事故が発生するまでの時間が短すぎる感がする。),D鑑定がいう前記Aの行動はそれ自体極めて不自然なものといえる。

第2に,D鑑定は,A及び本件自転車の進行方向を検討するに当たり,本件自転車がその後輪左側面を自転車の前後輪の車軸を結んだ線に対し約35度前後の角度で左下から右上方向に轢過されたことをその主要な根拠としているものと解されるが,加害車両が動き出したことを気付いたAが衝突直前に本件自転車の方向を変えたりする可能性もある上,本件自転車は前記のとおり補助輪付きのものであり,しかも加害車両の時速が約3キロメートルと低速であることからすると,本件自転車の衝突部位や衝突する角度によっては,本件自転車は加害車両との衝突によって直ちに転倒することなく,転倒するまでの間にA自身のとっさの行動等によってもその進行方向を変えて転倒することも十分考えられるのであるから,本件自転車が加害車両の左前輪で轢過された角度をもって,自転車の進行方向を推認することには無理があるといわざるを得ない。

第3に,D鑑定は,Aが本件自転車に乗らずにこれを押していた点について,Aには事故時に本件自転車にまたがっていた場合に生じるであろう自転車と路面間に挟まれたことによる足の損傷が全く認められないことをその主要な根拠としているものと解されるが,E鑑定によると,Aの足には左大腿前面上部の皮下出血,左下肢の膝蓋部右下縁の擦過傷,左下腿の表皮剥奪,左足の指の皮下出血,右手親指内側の皮下出血,右下腿の表皮剥奪,右膝の後面右外側寄りの表皮剥奪等,自転車から路面上に転倒する際に生じたと考え得る多数の怪我があることが認められるから,D鑑定のこの判断部分は前提を欠いたものといえる。そして,Aの足に自転車から路面上に転倒する際に生じたと考え得る多数の怪我があることに,前記のとおりAが本件自転車に乗り慣れ,補助輪なしでも乗れる程度になっていたことを併せ考えると,Aは本件自転車に乗っていたところを,加害車両に衝突され転倒したものと推認するのが相当である。

第4に,D鑑定は,加害車両の左前輪が,仰向けに倒れたAの身体を左膝内側~左腹胸部・左腕内側~左肩方向へと擦過及び轢過したものとしているが,E鑑定によると,Aは俯せで倒れたところを,その背面を左肩付近から右斜め下方に向かって轢過されたことが認められる(この認定は,法医学の専門家によってなされ,前提資料に信用性を欠くものはなく,認定に至る推論過程にも問題はないことから,十分信用することができる。)から,この点でも,D鑑定は採用しがたい。

以上の諸点に照らすと,事故時の状況について,Aが加害車両の前を右から左に向かい,本件自転車をその左側から押しながら歩行していたとするD鑑定は採用することができず,他に,原判示の事実中「折から自車左前部付近を右から左に向かい,補助輪付きの自転車をその左側から押しながら歩行していたA(当時4歳)に気付かず,」とする部分を認定するに足りる証拠はないから,原判決は事実を誤認したものといえる。そして,この事実誤認は,本件事故の態様及び過失の内容・程度に関するものとして判決に影響を及ぼすことが明らかであるから,原判決は破棄を免れない。したがって,予備的訴因に沿った原判示の事実認定は誤りであり,この限度で論旨は理由がある。

(2)  そこで,進んで,主位的訴因について検討することとする。なお,本件において,検察官が主位的訴因の訴訟追行を断念して,主位的訴因が当事者間の攻防から外れたとみる余地はないから,当裁判所が,予備的訴因に関する有罪判決を破棄した場合に,進んで主位的訴因について審理することは許されるものであり,現に,検察官及び弁護人もこの点を念頭において刑訴法393条4項に基づく弁論をしている。

そして,(1)で検討したことによると,本件事故は,被告人が,加害車両を運転し,前方やや左に時速約3キロメートルで発進させた際,自車左直前で本件自転車に乗車していたAに気づかず,自車左前部を接触転倒させてAを左前輪で轢過し,内蔵破裂により即死させたものと認められるから,主位的訴因のうち,その客観的な事故態様についてはこれを認めることができる。

なお,前記のとおり,所論は,本件事故は,加害車両の左後方の死角から本件自転車に乗ったAが加害車両の前付近に向けて進行していたところ,加害車両の発進に驚いて急に左ハンドルを切った勢いで右前方,加害車両の左前に投げ出され,その上に本件自転車が重なって倒れ,その上を加害車両が左前輪で轢過したことにより生じたものである旨主張している。

しかしながら,所論の事故態様でも,A及び本件自転車の転倒の原因が加害車両の発進にあることにかわりはないから,この所論は,後記の死角の問題を除いて(3)で後に検討する被告人の過失の有無の判断に格別影響を与えるものではないが,本件審理の経過にかんがみ,この点について簡潔に付言しておく。所論中,Aが加害車両の左後方の同車両の死角から進行してきた可能性があることについては当裁判所もこれを完全に否定できないと考えるが,所論中,Aが加害車両の発進に驚いて急に自転車の左ハンドルを切った勢いで右前方,加害車両の左前に投げ出されたとする点については,補助輪付き自転車に乗ったAが自らハンドルを切ったその勢いで右前方に転倒するというのはいかにも不自然な感が否めない上,これを裏付ける証拠はなく(弁護人がこの裏付けになるという当審弁護人請求証拠番号1番のビデオテープは,補助輪付き子供用自転車に子どもの代わりに水15リットルほどを入れた一斗缶をサドルに乗せ,ハンドルとともに結んでおき,ハンドルの両方にロープを結んで両方を引っ張り,途中で片方だけをやめてハンドルを切った場合には,一斗缶はハンドルを切った方向と逆方向に投げ出されるというものであるが,この場合の一斗缶の動きと運転者自らがハンドルを切って転倒する場合の運転者の動きとを同列に論じることはできないから,このビデオテープをもって所論が裏付けられるとはいえない。),却って加害車両の左前バンパーに埃払拭痕があることの合理的な説明にも窮することから採用の限りでなく,また,所論中,転倒したAの上に自転車が重なって倒れ,その上を加害車両が左前輪で轢過したとする点についても,Aの受傷内容等に照らし明らかに不合理である(この点に関するE鑑定は,前同様の理由で十分信用することができる。)から採用の限りでない。

(3)  そこで,更に進んで,前記(2)で認定した本件の客観的な事故態様を前提に,被告人の過失の有無,殊に,A(以下,本件自転車に乗っているもの。以下,同様。)が加害車両の死角から進行してきた可能性の程度及びその場合の過失の有無について検討する。

所論は,前記のとおり,Aが加害車両の死角から進行してきたものであると主張する。しかしながら,Aがc店の南側縁石付近でCに送り出されてから,衝突地点に至るまでの間の正確な進路については,これを明確にする証拠は存しないものの,その進路として通常想定される道路上は,AがCに送り出された位置を含めそのほぼすべてが加害車両の左サイドミラー,左補助サイドミラー及びアンダーミラーによって視認可能である(原審検察官請求証拠番号1番,2番の各実況見分調書等参照。)と認められるから,加害車両の左後方の道路上にはそもそも所論が問題とするような死角自体がほとんど存しないのであって,Aが死角から進行してきた可能性は,AがCに送り出された位置から道路の左寄りを進んでいたAが突如進路を右に変えたような場合にわずかに考えられる程度に過ぎない。

しかも,仮に本件の場合,Aが加害車両の死角を通ったと仮定した場合においても,被告人の過失はこれを優に認定することができる。以下,念のため,この点についても説明する。

まず,四輪の自動車においてはその構造上一定の範囲の死角が存することは避けがたいところ,自動車運転者は,乗車する前には死角内の人(自転車に乗っているような場合を含む。)の有無を確認し,人がいれば安全な場所に避譲させて乗車し,発進の際には死角から人が進行してくる可能性に十分に留意し,肉眼により直接又は車両に取り付けられている各種ミラー等を通して間接に前方左右を注視しながら発進すべき業務上の注意義務を負っていることはいうまでもない。それゆえ,所論は,加害車両のような大型貨物自動車には広い死角が存し,死角から人が進行してきた場合には,運転者としては避けようがないから,運転者には過失がない旨主張するが,これが人が死角から進行してきた場合には常に運転者の過失が否定されるという趣旨であるならば,到底採用することができない。

そして,関係証拠によれば,被告人は当時自動車運転手として働き専ら加害車両を運転していたこと,加害車両は大型貨物自動車であって,その左側には死角があること(なお,被告人は,加害車両の助手席に床からの高さが0.6ないし0.7メートルのシート等を乗せていたため,本件当時,助手席ドア中央に設けられていた安全窓は使用できない状況にあった),被告人はこの加害車両を道路右側に寄せて一時停止させていたこと,事故現場付近は住宅地でc店や空き地があり,付近道路や空き地が幼児の遊び場になっており,被告人はこのことを知っていたこと,そして,c店は加害車両から見て左後方にあるところ,被告人は加害車両を前方やや左に発進させたものであることなどが認められるのであって,これらの事実を総合すると,被告人は,死角内に幼児がいることや,死角から幼児が進行してくることが十分考えられる本件現場において,左方部分に死角が生じる加害車両を自ら不適切にも道路の右側部分に駐車した上,死角から幼児が進行してきた場合にこれと衝突する可能性が高い前方やや左側に向けて加害車両を発進させたものであるから,このような場合に死角から幼児が進行してくることについては,被告人に高い予見義務があったといえる。そして,秒単位で事故発生直前のAの位置を認定するようなことは不可能であるものの,CがAを送り出した位置や本件事故がCがAを送り出してから程なく発生したことに照らすと,本件事故が,被告人が加害車両に乗車するときにそもそも加害車両の周辺にはいなかったAが,加害車両の発進と同時に突如その左直前に高速度で飛び出したきたことによって生じたものと考える余地はないから,被告人が前記の注意義務を果たしていれば本件事故が回避できたことは明らかである。そうすると,Aが加害車両の死角から進行してきたと仮定した場合においても,被告人の過失はこれを優に認定することができる。所論は,被告人は乗車前や発進時において,十分な安全確認をしていた旨主張し,被告人もこれに沿う供述をするけれども,被告人が行ったとする安全確認の内容は,公判の進展とともに次第に具体的かつ詳細なものになっており,その変遷の過程が不自然といえる上,被告人が前記の注意義務を果たしていれば本件事故が回避しえたことは前述のとおりであるから,被告人の捜査段階,原審及び当審における各供述中,前記の注意義務を果たしたものと評しうるような安全確認がなされたとする部分はこれを信用することができないというほかなく,この所論は採用することができない。

その他,所論がるる主張する点にかんがみ検討しても,主位的訴因に基づき後記「罪となるべき事実」を認定することに合理的な疑いをいれる余地はない。

(4)  そうすると,主位的訴因に基づき,後記「罪となるべき事実」を認定することができるから,主位的訴因について被告人に過失はなく被告人は無罪であるとする論旨は,理由がない。

3  破棄自判

よって,刑訴法397条1項,382条により予備的訴因に基づき原判示の事実を認定した原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に次のとおり,判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は,自動車運転の業務に従事しているものであるが,平成7年6月15日午後3時7分ころ,愛媛県川之江市a町b番地先道路右側に停車させていた大型貨物自動車を運転し,前方やや左に発進させるに当たり,同所付近は住宅地で店舗等もあり,同所付近道路や空き地が幼児等の遊び場となっているのを知っていたのであるから,乗車前,自車周囲の安全を確認し,幼児を認めれば,安全な場所に避譲させるとともに,発進するに当たっては,直接ないしミラーを介して前方左右を注視して進路の安全を十分確認しながら発進すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,乗車前,自車周囲の安全を確認せず,左直前の安全不確認のまま時速約3キロメートルで発進した過失により,折から,自車左直前で補助車付き自転車に乗車していたA(当時4歳)に気づかず,自車左前部を接触転倒させて同人を左前輪で轢過し,よって,同人を,即時同所において,内蔵破裂により死亡させたものである。

(証拠の標目)

「証人Eの当審における供述 鑑定人E作成の鑑定書」を追加し,「証人D(第13回公判調書)の供述部分 鑑定人D作成の鑑定書」を削除するほか,原判決の証拠の標目の欄に記載のとおり。

(法令の適用)

被告人の判示所為は,平成13年法律第138号による改正前の刑法211条前段に該当するところ,所定刑中禁錮刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮6月に処することとし,原審及び当審における訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,自動車運転の業務に従事する被告人が,過失により,大型貨物自動車で幼児を轢過して死亡させた,という業務上過失致死1件の事案である。この犯行の罪質,過失の態様,生じた結果及び被告人の前科関係等,殊に,被告人は,自動車を発進させるに当たって必要な安全確認義務を怠ったもので,この過失は自動車運転者としての基本的注意義務に違反したものであること,生じた結果は,4歳の幼児の生命を一瞬にして奪い去ったもので非常に重大であること,しかるに,被告人は,原審及び当審において本件事故は不可抗力であるとして自己の刑事責任を否定する態度に終始し,遺族の面前においても,本件事故はいかに注意しても避けようのなかったものであるなどと供述し,こうした被告人の態度により遺族の処罰感情は,事故後6年以上が経過した今なお相当に厳しいこと,示談が未だ成立していないこと,加えて,被告人は,これまで業務上過失傷害罪や道路交通法違反罪によって7回罰金刑に処せられ,2度にわたり運転免許停止処分に処せられるなど,その交通法規に関する規範意識は薄く,自動車運転者としての適性にも問題があるとみられること,以上を併せ考えると,本件の犯情は悪く,被告人の刑事責任を軽くみることはできない。

そうすると,本件事故では,Aが加害車両の死角から進行してきた可能性が完全には否定できないものであるところ,この場合の過失の程度は,Aが加害車両の前面を進行していたような場合に比べれば小さいといえること(なお,この可能性が完全に否定しえない以上,量刑を判断するに際しては,被告人にもっとも有利なように,Aが加害車両の死角から進行してきた場合を前提とするのが相当である。),自賠責保険から遺族に約3000万円の賠償金が払われているほか,加害車両は対人補償としては十分な額の任意保険に加入しており,いずれは相応の金銭賠償がなされるとみられること,被告人自身もAの葬儀に香典10万円を包み,その後の法事に供物を届けるなど一応の謝罪の態度を示していたこと,その他記録上認められる被告人のために酌むべき諸事情を十分考慮しても,本件は被告人に対し刑の執行を猶予すべき事案とは認められないものの,刑期としては主文程度の実刑が相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 正木勝彦 裁判官 浦島高広 裁判官 齋藤正人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例