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高松高等裁判所 平成13年(う)272号 判決 2002年7月25日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金10万円に処する。

その罰金を完納することができないときは,金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

第1控訴趣意に対する判断

本件控訴の趣意は検察官北川健太郎作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は弁護人小早川輝雄作成の答弁書に各記載のとおりであるから,これらを引用する。

論旨は,「被告人は,平成12年10月28日午前零時10分ころ,高知県須崎市a町b番地所在の手打ちうどん店「c」駐車場において,A(当時26年)に対し,右腕を同人の首に回して地面に投げ倒す暴行を加え,よって,同人に加療約88日間を要する左肩鎖関節脱臼等の傷害を負わせたものである。」との本件公訴事実に対し,原判決は,「被告人の行為は刑法36条1項の正当防衛に当たる」として,本件につき無罪を言い渡したが,その原判決の判断は,証拠の取捨選択及び評価判断を誤って事実を誤認し,その結果,刑法36条1項を適用するという法令適用の誤りを犯したものであって,これが判決に影響を及ぼすことも明らかである,というのである。

そこで,所論(検察官の当審弁論を含む。)にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

1  原判決の認定,判断の概要

原判決は,要するに,①被告人が警備員の仕事を終えて帰り支度をしていたところ,その付近を酒気を帯びたAとBの2人連れが通りかかった,②Aは被告人の手にしていた誘導灯を見るなり,Bに「ニンジンを借りて遊ぼう」と言って被告人に近づき,「その棒を貸せ」と声をかけた,③しかし,被告人が誘導灯を貸すことを拒否したため,Aは力ずくで被告人から誘導灯を奪い取ろうとして,誘導灯の先端をつかんで引っ張り,被告人もこれを奪われまいとして引っ張り返し,互いに誘導灯を引っ張り合う状態になったが,Aは,誘導灯を奪い取ることができないことに立腹して,被告人に「やるがかや」と言いながら,その胸ぐらをつかんでねじ上げた(Aの第1次先制暴行),④これに対し,被告人も,「やるがやったら,やっちゃらあ」と答えながら,空いていた片手でAの胸ぐらをつかみ返し,被告人とAはお互いに胸ぐらを引っ張り合う状態になった(被告人の第1次反撃暴行),⑤その場に少し遅れてやってきたBが,被告人に対し「おんしゃ横着なねや,やっちゃおうか」等とAに加担するかのようなことを言ってAをけしかけた,⑥Bの言で勢いを得たAは「場合によっては,しばいちゃお」と考え,被告人に対し「奥へ来い」と言って,その胸ぐらをつかんだまま被告人を人気のない駐車場の奥の方へ引っ張っていこうとした,⑦それに対し,被告人も「おう行っちゃらあ」と答え,Aの胸ぐらをつかんでいた自分の手を離し,自分の胸ぐらをつかんでいるAの手を振りほどいた,⑧そして,被告人は,それまで被っていたヘルメットを脱ぎ,持っていた誘導灯と共に地面に置き,Aの少し前方を,前を向いて駐車場の奥に向かって歩き始めた,⑨Aは,先に歩いていく被告人を見て,「この野郎」と思い,被告人の背後から,突然その衣服の襟をつかんで後ろに強く引っ張った(Aの第2次先制暴行),⑩被告人は,このAの行為に身の危険を感じ,直ちに身体をねじって右腕を同人の首に回し,足を掛けて同人をひねり投げた(被告人の第2次反撃傷害),⑪その際,被告人もAの上に折り重なるように倒れたため,Aは左肩鎖関節脱臼の傷害を負った,⑫その後,被告人は,Aに何らの攻撃を加えていない,との事実を認定した上,(1)Aの第1次先制暴行は被告人の財産及び身体に対する急迫不正の侵害に当たり,被告人の第1次反撃暴行は,誘導灯と自らの身を守ろうとした防衛のためにやむを得ずした行為と認められ,正当防衛が成立すると解され,その際,被告人が「やるがやったら,やっちゃらあ」と言ったのは,売られた喧嘩を買ってでたものではなく,「不当な攻撃を仕掛けてくるのなら断固応戦する」という防衛の意思を表明したに止まる,第1次反撃暴行は,防衛のみの性質を帯びるに止まる行為で喧嘩闘争に当たらない,(2)Aの第2次先制暴行も被告人の身体に対する不正の侵害に当たり,この侵害に臨んだ時点で被告人がAに対し積極的加害意思を有していたとはいえない,すなわち,(ア)凶器として使用することが可能なヘルメットや誘導灯を地面に置き手放している,(イ)Aより先に歩いて駐車場の奥に向かったのも,AやBと一緒に駐車場の奥に向かったのでは両名から挟撃されるおそれがあるから,これを避け,防衛に有利な態勢を作ろうとしたもので,防衛準備行為をしたに止まる,(ウ)被告人はAから「奥へ来い」と言われ,「行っちゃらあ」と応じているが,その言葉も,「不当な攻撃を仕掛けてくるのなら断固応戦する」という防衛の意思を表明したもの,あるいは,せいぜい,それと併存し得る程度の攻撃意思を推認せしめ得るに止まるから,被告人が積極的加害意思を有していたとはいえず,侵害の急迫性の要件に欠けるところはない,また,被告人の第2次反撃傷害も,防衛の意思に基づくもので,社会通念上相当な範囲内にあったものと評価でき,Aは相当重い傷害を負っているが,被告人の予期しない過大な結果がたまたま発生したからといって防衛行為が相当性を失うものではない,(3)したがって,被告人の本件行為(上記第2次反撃傷害)は,正当防衛に当たり,罪とならない旨の判断を示した。

2  当裁判所の判断

後記の関係証拠によると,原判決が認定した上記事実のうち①ないし④に加え,その後の経過として,⑤その場に少し遅れてやってきたBは,Aに「もう,やめちょきや」と言うとともに,被告人にも「酔たんぼに取り合ったらいかんで」と言ってつかみ合いを止めようとしたが,両名が興奮して聞き入れようとしないため,「やるがやったら,奥の方へ行って,タイマンでしいや」などと,人目のつかない駐車場の奥に行き,1対1で喧嘩して決着をつけるよう言った,⑥これを聞いたAは,「おう,やっちゃら」などと述べ,被告人に対し「奥へ来い」と言って,その胸ぐらをつかんだまま被告人を駐車場の奥の方へ引っ張っていこうとした,⑦それに対し,被告人も「おう行っちゃらあ」と答え,Aの胸ぐらをつかんでいた自分の手を離し,自分の胸ぐらをつかんでいるAの手を振りほどいた,⑧そして,被告人は,それまで被っていたヘルメットを脱ぎ,持っていた誘導灯と共にこれらを地面に置き,駐車場の奥でAと殴り合いになることを予想しながら,同人のやや前方を,前を向いて駐車場の奥に向かって歩き始めた,⑨しかし,Aが歩きながら被告人の衣服の胸ぐらをつかみかかったため,被告人もAの衣服の胸ぐらをつかみ,両名はその状態で駐車場の奥の方に向かって数歩歩いた,⑩そこで,被告人は右腕を同人の首に回し,足を掛けて同人をひねり投げ,Aは地面に倒され,その際,被告人もAの上に折り重なるように倒れたため,Aは左肩鎖関節脱臼の傷害を負った,⑪その後,被告人は,自己の上体をAの上体に乗せたまま,左手でAの顔面を,数回殴りつけた,⑫そこへ,Bが駆け寄って,被告人に「もう止めちょけ」と言ったところ,被告人は立ち上がって「おまえもやるがか」などと言い寄った,⑬Bも「おうやっちゃら」と言って,これに応じる態度を示したが,被告人の同僚のCが駆けつけて,失神していたAを介抱するとともに,被告人とBの間に入って両名を制止した,以上の事実が認められる(原判決は,被告人の捜査段階及び原審での各供述に基づき,被告人が駐車場の奥に向かってAの前方を歩いていた時,その背後から,突然Aが被告人の衣服の襟をつかむ暴行を加えたため,直ちに被告人がAを投げ倒した旨認定しているが,当審で取り調べた証人Bは,Aと被告人が互いに衣服の胸ぐらをつかみ合って駐車場の奥に向かって移動した後,被告人がAを投げ倒した旨供述しており,この供述は,同じく当審で取り調べた証人Cの目撃供述とも状況的におおむね合致し,信用性が認められる。被告人の捜査段階,原・当審での各供述中これと異なる部分は信用できない。ただし,証人Bが,被告人が先に立って駐車場の奥へ向かって歩く場面がなかったかのように供述しているのは,被告人がヘルメットや誘導灯を地面に置いた経過や被告人とAとの間で胸ぐらのつかみ合いが始まった経過等の記憶にあいまいな点や少し混乱が見られること,当審で取り調べた証人Aが「断片的であるが,被告人が背中を向け自分の前を歩いている情景を記憶している」旨供述していることに照らし,信用できない。したがって,本件の事実関係は上記認定のとおりである。)。

これら一連の事実を前提に考察すると,被告人とAは,当初の誘導灯の引っ張り合いから,衣服をつかみ合う程度の闘争状態となったが,さらに,Aからの挑発を被告人が受けて立ち,殴り合い等の本格的な闘争に及ぶため,人目につかない場所へ移動中に再び衣服をつかみ合う小競り合いとなって,被告人がAを投げ倒す暴行を加えたものであって,その暴行は,たとえ,それに先立ってAから衣服をつかむなどの攻撃が仕掛けられたとしても,予期された相手方の侵害の機会に,積極的な加害意思をもって行われたものというべきである。原判決は,被告人が積極的加害意思を有していなかったとの論拠として,前記(ア)ないし(ウ)を挙げるが,(ア)は,被告人が素手による殴り合いの喧嘩を志向し,ヘルメットや誘導灯を凶器として用いようと考えなかっただけのことであり,(イ)は,そもそも,殴り合い等の闘争に及ぶために人目につかない場所へ移動しようとした被告人の行動を,単純に防衛準備行為とみることに無理があるし,(ウ)も,被告人の言葉が,相手の攻撃に断固応戦するという意思を示したものとみることはできるとしても,その意味するところは喧嘩態様での攻防とみられるから,これらが被告人の積極的加害意思を否定する事情とはいえない。

そうすると,被告人がAを投げ倒した行為は,正当防衛が成立するための侵害の急迫性を欠いているから,正当防衛を認めた原判決は事実を誤認しており,その誤認が判決に影響を及ぼすことも明らかであり,原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

第2破棄自判

そこで,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成12年10月28日午前零時10分ころ,高知県須崎市a町b番地所在の手打ちうどん店「c」駐車場において,A(当時26歳)に対し,右腕を同人の首に回して地面に投げ倒す暴行を加え,よって,同人に加療約88日間を要する左肩鎖関節脱臼等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)かっこ内は原審及び当審各検察官請求証拠番号を示す。

・被告人の当審公判供述

・原審第1回ないし第3回公判調書中の被告人の各供述部分

・被告人の検察官調書(原審乙3)及び警察官調書(原審乙2)

・証人A,同B及び同Cの当審各公判供述

・Aの検察官調書(原審甲7)及び警察官調書2通(原審甲5,6)

・B(原審甲9)及びC(原審甲11)の各警察官調書

・実況見分調書4通(原審甲8,12,13,当審11)

・写真撮影報告書(原審甲4)

・電話聴取書(原審甲3)

・診断書2通(原審甲1,2)

(被告人及び弁護人の主張に対する判断)

被告人及び弁護人らは,本件について正当防衛あるいは過剰防衛の成立を主張しているが,既に判断を示したところにより,本件については,侵害の急迫性の要件に欠けるから,正当防衛も過剰防衛も成立せず,上記主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は,刑法204条に該当するので,所定刑中罰金刑を選択し,その所定金額の範囲内で,アスファルト舗装の上に投げ倒すといった本件暴行の態様は相当危険であることや,被害者が重い傷害を負っていることに照らすと,犯情軽微とはいえないが,被害者の落ち度が大きく,動機,経緯に酌量すべき点もあるので,これらを考慮して,被告人を罰金10万円に処し,その罰金を完納することができないときは,同法18条により金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 正木勝彦 裁判官 増田耕兒 裁判官 河田泰常)

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