高松高等裁判所 平成13年(ネ)189号 判決 2002年8月29日
控訴人
A野花子
他2名
上記三名訴訟代理人弁護士
松岡章雄
小笠豊
被控訴人
国
同代表者法務大臣
森山眞弓
同訴訟代理人弁護士
氏原瑞穂
同指定代理人
片野正樹
他8名
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人は、控訴人A野花子に対し、金七三七万円及びこれに対する平成六年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人は、控訴人B山一江に対し、金三三〇万円及びこれに対する平成六年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被控訴人は、控訴人C川二江に対し、金三三〇万円及びこれに対する平成六年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 控訴人らのその余の請求を棄却する。
六 訴訟費用は、第一、二審を通じて二分し、その一を控訴人らの負担とし、その一を被控訴人の負担とする。
七 この判決の第二ないし四項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人A野花子に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成六年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人は、控訴人B山一江に対し、金六六〇万円及びこれに対する平成六年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被控訴人は、控訴人C川二江に対し、金五八〇万円及びこれに対する平成六年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二当事者の主張
一 原判決の引用
当事者の主張は、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。ただし、次のとおり補正する。
(1) 原判決六頁一〇行目から一一行目にかけての「必要であったのかと思っている」を「必要であったのかとは思っている」に改める。
(2) 同一二頁八行目の「気かけていた」を「気にかけていた」に改める。
(3) 同一八頁末行の「太郎の急激な意識状態の悪化したことを」を「太郎の意識状態が急激に悪化したこと」に改める。
二 当審補充主張
(1) 控訴人ら
ア 控訴人らが主張する過失(ないし医療契約上の注意義務違反)の内容を再度整理すると、①危険性の高い脳血管撮影検査を適応(必要性)がないのに実施した過失、②説明義務違反、③脳血管撮影検査中の平成六年六月二九日午後〇時ころ(以下、同日の事柄については、時刻のみで記すことがある。)、太郎に意識レベルの低下、四肢の脱力、失語症などの異常が認められた時点で、脳血管撮影は中止すべきであったのに、その後も脳血管撮影を続行した過失、④同検査中に脳出血を起こしたのに、脳塞栓と診断を誤り、ウロキナーゼを添付文書の記載に反して過量に使用した過失の四項目となる。原判決は、上記③の主張に対する判断が遺脱しており、取り消されるべきである。
イ 脳血管撮影検査中の午後〇時ころ、太郎に意識レベルの低下、四肢の脱力、失語症などの異常が認められた時点で、客観的・事後的には太郎は脳内出血を起こしていたと判断される。この異常の発生について、D原医師は脳梗塞を疑ったが、午後〇時を境に血圧及び脈圧が上昇していたから、脳出血も疑われた。そして、脳梗塞と脳出血とでは治療法が一八〇度違うことになるから、治療を開始する前に、脳梗塞か脳出血かを鑑別する必要があり、そのために検査を中止して頭部CTスキャンを緊急に実施すべきであった。被控訴人は、血管造影室と頭部CT室が五四mも離れていたから移動できなかったとの弁明をしているが、脳梗塞と脳出血の鑑別の重要性を考えれば、同じフロアで五〇mくらい離れていてもCT撮影が困難とは考えられず、絶対に実施すべきであった。
しかるに、D原医師が脳血管撮影検査を中止せず続行したことは重大な過失である。また、脳出血であればウロキナーゼの使用は禁忌であるにもかかわらず、D原医師が頭部CTスキャンを緊急に実施して脳出血の可能性を否定しないまま、添付文書の記載に反した使用量、使用方法をもってウロキナーゼを使用したことにも重大な過失がある。
ウ 本件では、脳血管撮影検査中、太郎が脳出血を起こし容体が変化したが、D原医師はそれを脳出血による症状か脳梗塞による症状か鑑別しないまま、軽率に脳梗塞を起こしたものと誤診し速断したために、血栓を溶かすためのウロキナーゼを四八万単位も使用し、そのために脳出血が促進・増大し、検査終了後の午後七時一五分以降に頭部CT撮影をした時点では、既に相当広範囲の脳出血が生じており、手術しても救命の可能性はかなり低い状態だった、そして、一〇日後に脳出血で死亡したという経過が明らかである。
脳出血の発生機序は明確でなくとも、脳血管撮影が原因で脳血管撮影中に発症したものであり、直ちにCT撮影を実施して、脳梗塞か脳出血かを鑑別しておけば脳梗塞ではなく脳出血と診断できたはずであり、その上で脳出血に対する治療を実施しておれば最悪の結果は避けられた。ところが、D原医師は、それを軽率に脳梗塞と速断し誤診したために、脳出血を促進・増大させるウロキナーゼを四八万単位も使用して、脳出血を促進・増悪させたものである。したがって、脳血管撮影を続行した過失及びウロキナーゼを使用した過失と太郎の死亡との間には相当因果関係が認められる。
(2) 被控訴人
ア 控訴人ら主張の過失は、すべて争う。
イ 脳血管造影検査における合併症についての詳細な取りまとめが記述されている医学論稿によると、神経学的異常所見を呈した全ての合併症は、脳虚血あるいは脳梗塞が原因であり、脳出血によるものは報告されていないのであって、本件当時の脳血管造影検査において発症し得る合併症は脳梗塞に尽きるということが、臨床医学上の常識であった。したがって、D原医師が、脳血管造影検査時に太郎に発症した意識障害の原因として、脳出血を想定せず、脳梗塞によるものと判断したことは当然である。D原医師は、同検査を中止するよりも、更に同検査を続行して閉塞している血管の状況を見極め、当該部位に血栓溶解療法に適切であるウロキナーゼを効率的に投与することが良い結果を得られると判断したものである。
控訴人らは、鑑別のためCTスキャンを撮るべきであったと主張する。しかし、太郎に対しては頭部CT検査を実施した上で、脳血管造影検査を行っていたものであり、また、合併症としては脳梗塞発症の可能性が極めて高いといえるところ、全く別個のCT検査のためだけに太郎を全てのモニターを取り外した全く無防備の状態のまま、鍵型になった五四mもの廊下を通ってCT室まで移動させることは極めて危険な処置である。また、そのような時間を費やしてCT撮影をした結果何ら有意な映像を得ることができなかった場合には、患者の状態をより悪化させることになる。したがって、発症の可能性を強く疑うべき疾患である脳梗塞に対する治療を優先させたことは医師として当然の判断である。
ウ 控訴人らは、脳出血の原因が脳血管造影検査にあると主張するが、その因果関係は全く不明である。一般的に脳神経外科領域では、脳内での外科的操作をしている正反対側の脳内で出血が起こったり、侵襲性・非侵襲性を問わず全ての検査中やリハビリ治療中に出血が起こったりすることは、確率的には極めて稀ではあるが経験することがある。したがって、脳血管造影検査中に偶発的に出血が起こったことを完全に否定する証拠は存在しないし、太郎の死後、病理解剖により出血原因を明らかにすることを勧めたが、控訴人らの拒絶によって実現できなかったため、出血の原因は不明のままとなっている。
また、ウロキナーゼの半減期が一五分であることに照らせば、投与直後はもとより、その後しばらくしても神経学的症状に特段の変化もなく、投与後四ないし五時間を経過してから初めて明白な意識症状の悪化をみた本件にあっては、ウロキナーゼの投与と脳出血との因果関係も極めて希薄であるといわざるを得ない。
第三当裁判所の判断
一 認定事実
(1) 原判決の引用
争いのない事実、並びに、本件治療に関係する手術・検査の内容、本件の経過の概要について認定した事実は、原判決「理由」の一及び二(一九頁四行目から二四頁二行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、次のとおり補正する。
ア 原判決二二頁九行目の「受けられなっかった」を「受けられなかった」に改める。
イ 同二三頁一九行目の「希有な型の」の次に「広範囲に及ぶ」を加える。
(2) 認定事実の補充
《証拠省略》によると、上記(1)の事実に加え、平成六年六月二九日に行われた脳血管造影検査の経過の詳細、ウロキナーゼの添付文書の記載内容、同検査における医師の措置についての専門家の見解等として、次の事実が認められる。
ア 脳血管造影検査の経過、検査中及びその直後の太郎の状態の詳細
平成六年六月二九日に太郎に対し行われた脳血管造影検査の経過の詳細は次のとおりである。
午前一〇時五〇分
造影検査室入室 局所麻酔施行
午前一一時一〇分
大腿動脈穿刺、大腿静脈穿刺、カテーテル挿入
ヘパリン五〇〇〇単位投与
血圧一四七/八七
午前一一時三〇分
心拍出量測定、圧測定
血圧一五七/七七
午前一一時四〇分
左心室造影、胸部大動脈撮影
午前一一時四五分
鎖骨下動脈造影
午前一一時五〇分
左総頸動脈造影
午前一一時五五分
左内頸動脈造影
午後〇時
意識清明、反応が鈍くしゃべりにくそう。
名前はとの問い掛けに「コウノ」あとがわからない状態になる。
血圧一六一/七〇
D原医師は、太郎の状態はカテーテルから血栓が飛んだことによる確率が高いと判断し、ウロキナーゼ二四万単位を投与した。
午後〇時一五分
血圧一八一/七〇
午後〇時二六分
右腕頭動脈造影、左総頸動脈造影
呼名にて「ハイ」と返答あり
午後〇時三一分
四肢しんどいと動かす。指示には反応あるも不正確
血圧一三六/七〇
午後一時
ウロキナーゼ二四万単位投与
これに先立ち左中大脳動脈造影
ウロキナーゼ投与後に内頸動脈造影
午後一時一五分
血圧一四一/七五
午後一時二〇分
撮影終了。なお、脳右側についても造影が試みられたが、カテーテルが腕頭動脈までしか上がらなかったため撮影できなかった。
血圧一四四/八三
午後一時五〇分
止血終了、末梢抜針
血圧一七二/九〇
午後二時二〇分
造影検査室から帰室
発語あるもややろれつ不全があり聞き取りにくい。
午後四時
帰室時よりずっと傾眠気味。強く呼名にてやっと開眼する程度
午後六時
傾眠傾向、呼名にても開眼せず。
イ ウロキナーゼの添付文書の記載内容
ウロキナーゼとは血栓溶解剤であり、ウロキナーゼ(ウロキナーゼ六万―ミドリ)の添付文書(平成七年七月改訂)には、効能・効果として、「閉塞性疾患の治療、脳血栓症(発症後五日以内で、コンピューター断層撮影において出血の認められないもの)、末梢動・静脈閉塞症の治療との記載が、用法・用量として、「本剤を一〇mlの日本薬局方生理食塩液に用時溶解し、静脈内に注射する。なお、日本薬局方生理食塩液又は日本薬局方ブドウ糖注射液に混じて点滴注射することが望ましい。脳血栓症に対しては、一日一回六万国際単位を約七日間投与する。」旨が記載されている。また、警告として、「脳血栓の患者であることを十分確認すること」が記載され、一般的注意として、「脳内出血が疑われる場合には、直ちに投与を中止すること。脳内出血の有無については、コンピューター断層撮影により確認することが原則であるが、やむを得ない理由によりコンピューター断層撮影によることができない場合には、髄液検査と臨床症状の観察により出血部位がないと判定できる場合にのみ本剤を投与すること」との記載がされている。なお、相互作用として、「出血傾向が増強することが考えられるので、ヘパリン等の併用に注意すること」と記載され、高齢者への投与については、「出血の危険性が高まるおそれがあるので慎重に投与すること」と記載されている。
なお、急性心筋梗塞における冠動脈血栓の溶解剤である「ウロナーゼ(一二万)」と呼ばれる医薬品は、内容的にはウロキナーゼと同一であるところ、その添付文書(平成七年九月改訂)には、用法・用量として、「通常、ウロキナーゼとして四八万から九六万国際単位を二万四〇〇〇国際単位/四ml/分で冠状動脈内に注入する」旨が記載されている。
ウ 専門家の見解の要旨(ただし、前記第二の二(1)アの③、④の過失及び因果関係に関する部分)
(ア) 鑑定人藤井清孝の鑑定結果及び同人の証言(合わせて「藤井鑑定」という。)の要旨
脳血管造影検査中に、患者の意識レベルの低下、けいれん、四肢の脱力、失語症など明らかに異常が認められればその時点で検査を中止するのが原則である。
本件では、午後〇時ころを境に血圧上昇が認められているため何か不測の病態が生じた可能性は高い。血管撮影を一旦中止し、カテーテルを留置したままで緊急に頭部CT検査を行う方法もあったと考えられるが、当時の病院の事情が不明であり、そのような手法が可能であったか否かは判断できない。いずれにしても異常を疑ったのであれば、血管撮影終了後できるだけ早期にCT検査を施行して病態の把握を行うべきであった。
合計四八万単位のウロキナーゼの使用は、脳塞栓症の治療として術者の間ではある程度のコンセンサスが得られている投与量である。
太郎の出血の原因は、アミロイド・アンギオパチー(脳アミロイド血管炎)による出血、高血圧(平成六年月六月一五日の診断)による出血、血管撮影操作に関連した出血などいろいろな可能性があるが判断できない。
脳血管造影検査を実施していなければ太郎の脳出血が防止できたかどうか、脳血管造影検査中の操作が適切にされていれば脳出血の発症を防げたかどうかはいずれも判断できない。
(イ) 医師山口研一郎作成の鑑定意見書及び同人の証言(合わせて「山口意見」という。)の要旨
午後〇時ころ、太郎の意識レベルが低下した時、D原医師には、直感的に「血栓の流出による脳塞栓」が頭に浮かんだことが考えられる。頻度的にはアンギオ(脳血管撮影)中の意識低下の原因として、脳梗塞の可能性が高いことは確かであるが、太郎の年齢から来る血管の脆弱性、アンギオ中の高血圧、脳動脈瘤の存在を考えると、脳内出血の可能性も十分に考えられた。したがって、原因を確かめることなくウロキナーゼを四八万単位使用したことは、無謀というほかない。この時点で、一旦検査を中止し、CTを撮ることが第一にされるべきであった。少なくともウロキナーゼを使用する前にCTを撮る必要があった。また、ウロキナーゼ使用後依然として意識の低下は続いていたのであるから直ちにCT撮影をすべきであった。
二か所同時に出血が生じている太郎の脳内出血の所見については経験のないようなタイプの血腫である。一般の脳内出血であれば、二か所同時に出血が生じることは極めて稀である。従来の低吸収域の部位に一致していることからその部位に何らかの血管病変があると考えられ、脳アミロイド血管炎による出血と考えることが最も道理に合っている。
結局、このように不自然な出血が生じたのは、アンギオ及びウロキナーゼの注入という人為的操作が加わったためと考えざるを得ない。したがって、当然ながらアンギオを施行していなければ脳内出血は生じなかったし、アンギオの結果脳内出血が生じたとしてもウロキナーゼを使用していなければ、血腫の増大及びその結果としての患者の死亡はなかったものと考えられる。
二 被控訴人の責任について
(1) 上記一の認定事実に基づいて被控訴人の責任につき検討するに、当裁判所は、太郎に反応が鈍くしゃべりにくそうになるなどの異常が認められた午後〇時ころの時点(少なくとも一回目のウロキナーゼを投与する前の時点)で、担当医師には、CT検査等によって太郎に生じた異常が脳梗塞によるものか脳出血によるものかを鑑別し、その上で治療方針を立てるべき注意義務があったものであり、D原医師が、そのような鑑別を行わないまま、脳血管造影検査を中止しないで続行し、かつ、二回にわたりウロキナーゼ合計四八万単位を投与したことは、全体として不法行為法上の過失に当たると判断する。
(2) 被控訴人は、本件当時の脳血管造影検査において発症し得る合併症は脳梗塞に尽きるということが、臨床医学上の常識であり、D原医師が、脳血管造影検査時に太郎に発症した意識障害の原因として、脳出血を想定せず、脳梗塞によるものと判断したことは当然であったと主張する。
たしかに、脳血管造影検査中に意識低下が生じた場合の合併症として可能性の高いものが脳塞栓であることは、控訴人らも積極的に争っているわけでなく、藤井鑑定及び山口意見も、本件において太郎の意識低下に際し第一に脳塞栓を疑うべきこと自体は相当であるという点で一致している。また、被控訴人が当審で提出した脳血管造影検査中の合併症の報告例(乙二八の一・二、二九、三〇)には、脳内出血の例は記載されていない。しかし、これらの事実は、脳血管造影検査中の合併症として、前記一(2)ウで認定したような藤井鑑定又は山口意見が指摘する脳出血の可能性が存することを否定するに足るものではない。したがって、午後〇時ころ認識された太郎の異常について脳梗塞のみを想定し脳出血については想定しないで治療を行うことが臨床上当然であるとはいえない。同時刻ころ、太郎の血圧が上昇していることを考慮すれば尚更である。また、控訴人B山作成の報告書及び同控訴人の供述には、本件検査の翌日に、D原医師から「太郎が造影検査の途中で眠たがっていたので造影が引き金になって出血したのだと思う。今思えばその時点で中止した方が良かった。」との趣旨の説明を受けたという部分があり、証人D原竹夫も、はっきりした記憶はないというものの当時そのような説明をしたことを否定していない。同説明が本件検査の翌日のものであり太郎の家族の感情を害さないようにされたであろうことを考えると、D原医師が上記のような説明をしたからといって、直ちに同説明に係る事実が真実であるとは速断できないが、D原医師の上記説明は、脳血管造影検査中に同検査が一因となって脳出血が発症するという事態が臨床医師であるD原医師にとって医学上考え難いものではなかったことを窺わせるものといえる。
そして、脳血管造影検査の続行自体、患者に対し負担を与えるもので、脳出血に対し悪影響を及ぼす可能性があると考えられること、脳出血に対する治療は脳梗塞に対する治療とは正反対であり、D原医師が取ったウロキナーゼの投与という選択は脳出血の患者に対しては禁忌であること、その投与量の四八万単位もウロキナーゼの添付文書の記載を大幅に超えるものであり、そのような添付文書に反する量を脳出血の患者に使用するときは患者に対し死亡等の重篤な結果を生じさせることは容易に予測されること(なお、藤井鑑定及び山口意見で、四八万単位のウロキナーゼの投与は当時の医療従事者の間では一応のコンセンサスを得ているとの趣旨の部分があるが、これは脳出血の可能性がない患者であることが確認されてはいない場合をも想定してのものではない。)、しかも、太郎は慎重投与すべきとされる高齢者であり、相互作用に注意すべきとされるヘパリンが既に投与されていたことを考慮すると、一般的に脳血管造影検査中の合併症の確率としては脳梗塞が脳出血を大きく上回るとしても、本件において、脳出血をも想定し、その可能性がないことを確認しないまま、D原医師が、脳血管造影検査を続行し、四八万単位のウロキナーゼを投与したことに過失がないということはできない。
(3) また、被控訴人は、造影検査室から五四mもの廊下を通ってCT室まで太郎を移動させることは極めて危険な処置であると主張する。しかし、上記(2)のとおり、脳出血でないことを確認しないまま、ウロキナーゼを添付文書の記載を超えて太郎に投与することが死亡に直結しかねない危険性を有することに鑑みれば、造影検査室からCT室までの距離が五四mあることを考慮に入れても、上記(2)の判断は左右されない。
(4) ところで、本件においては、太郎の病理解剖が行われていないこともあり、太郎に発症した脳出血の機序が明らかになったとはいい難い。しかしながら、上記一の認定事実によると、太郎は、脳血管造影検査中の午後〇時ころ、意識レベルが低下したが、D原医師は同検査を続行し合計四八万単位のウロキナーゼを太郎に投与し、夕刻に撮影したCT写真では、両側前頭葉に極めて希有な型の広範な血腫(脳内出血)が認められたというのであるから、特段の事情のない限り、D原医師による脳血管造影検査の続行及びウロキナーゼ四八万単位の投与が太郎の脳出血を促進・増大させたと推認するのが相当である。自然科学的な観点からは、太郎の脳出血がD原医師の上記措置と全く無関係に生じたと考えることが不可能ではないとしても、そのことを推認させる具体的事実が認められない限り、そのように判断することは合理的な事実認定とはいえない。そして、本件全証拠によっても、上記具体的事実は認められない。
ちなみに、被控訴人は、ウロキナーゼの半減期が一五分であることを指摘し、投与後四ないし五時間を経過してから初めて明白な意識症状の悪化を見た本件では、ウロキナーゼと脳出血との因果関係は極めて希薄であると主張する。しかし、投与後四ないし五時間を経過していたとはいえ、太郎の脳出血がウロキナーゼの投与と同日に発症し、かつ、そのCT写真で認められた血腫が希有な型の広範なものであったことからすると、被控訴人指摘の上記事実を考慮しても、本件において、ウロキナーゼの投与が脳出血を促進・増大させたとの前記推認はなお妨げられず、かえって、ウロキナーゼの投与と脳出血との関係がないと判断することの方が不合理である。
したがって、上記(1)で認定したD原医師の過失と太郎の脳出血ひいては太郎の死亡との間には相当因果関係があるというべきであるから、被控訴人は、民法七一五条に基づき、太郎ないし控訴人らに生じた損害を賠償する責任を負う。
三 損害について
(1) 太郎の逸失利益
《証拠省略》によると、太郎は、平成六年当時B野商店の名称で手袋、タオル等の卸業を営んでいたこと、しかし、同事業による利益は上がっていなかったこと、太郎の平成五年度の年金収入は一六三万六五六六円であったことが認められる。
同事実によると、太郎は平成六年当時事業による利益を得ていなかったものであり、また、当時の太郎の年齢(満八二歳)に照らすと、同事業の好転や転職等により将来において事業等による利益、収入が得られた蓋然性があったと認めることもできない。また、太郎の得ていた年金収入についても、その金額に鑑みれば、同収入は太郎の生活に充てられる費用にほぼ匹敵するものと認めるのが相当である。したがって、太郎の逸失利益としての損害は未だ認めるに足りない。
(2) 墳墓葬祭費
《証拠省略》によると、控訴人A野が費用を負担して太郎の葬儀等が行われたことが認められる。しかし、葬儀等に要した費用については、的確な書証等の提出はなく、控訴人B山の供述も、葬儀社に支払ったのが五〇~六〇万円、お寺が一〇万円を超えるくらい、新聞広告が一〇万円以上、皿鉢代、ケーキ代等の小さい費用が若干で、大体一〇〇万円近くなると思うなどと甚だ曖昧であり、同供述により、控訴人ら主張の一〇〇万円の支出を認めることはできない。そこで、現実に葬儀等が行われていることと控訴人B山の上記供述を総合的に考慮し、控え目に七〇万円の限度で葬儀費用等の支出があったものと認める。
(3) 慰謝料
太郎が死亡に至る経過、死亡当時の太郎の年齢、控訴人らと太郎との関係、控訴人ら相互間での控訴人ら請求慰謝料額の割合その他本件に顕れた諸般の事情、とりわけ本件特有の後記アないしウの事情をも斟酌し、太郎の死亡についての控訴人らに対し支払われるべき慰謝料(控訴人ら固有の慰謝料)は、控訴人A野につき六〇〇万円、同B山及び同C川につき各三〇〇万円をもって相当と認める(なお、控訴人らは、太郎の慰謝料の相続分及び固有の慰謝料の合計額としての慰謝料を請求している。しかし、控訴人らは、その内訳について全く金額を示していないのであり、控訴人らの慰謝料請求は、要するに、①もっぱら太郎の慰謝料の相続に基づく請求、②もっぱら固有の慰謝料、③これらの慰謝料の双方の三つの法的構成を包含した請求であり、かつ、これらは選択的なものとして主張されていると善解することが可能である。そして、法的相続分の異なる控訴人B山及び同C川につき同額の慰謝料の請求をしていることを考慮すると、控訴人らは、このうち②の慰謝料請求に重きを置いていると考えられるので、当裁判所は同請求に基づき判断した。)。
ア 太郎には、控訴人B山及び同C川のほかに、二名の非嫡出子が存したものであり、控訴人らは太郎の相続人全体ではない(なお、控訴人A野の法定相続分は二分の一、同B山は五分の一、同C川は一〇分の一である)。
イ 控訴人A野は、医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構から遺族一時金として六七二万八四〇〇円の給付を受けている。この給付は、医薬品の副作用による健康被害の迅速な救済を図ることを目的とするものであり(医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構法一条)、同法の給付は、医療費及び医療手当、障害年金、障害児養育年金、遺族年金又は遺族一時金、葬祭料とされ(二八条一項)、遺族一時金の給付対象者は死亡当時その者と生計を同じくしていたものとされ(同法施行令九条)、相続人とはされていないことに鑑みると、上記給付金を控訴人A野の慰謝料から損益相殺をすることはできない。しかし、上記(1)のとおり、本件証拠上は太郎の逸失利益そのものは認定できないものであり、公平の観念をも参酌すると、控訴人A野に対する慰謝料を認定する上で、同控訴人が上記給付を受けていることを一定限度考慮することは許容されると考える。
ウ 前示のとおり、D原医師の過失と太郎の死亡との間には相当因果関係があると判断されるが、太郎の病理解剖がされていないこともあって、脳出血の機序は明らかになっておらず、病院側において把握していなかった太郎の内在的要因もまた脳出血に寄与したのかどうか、寄与したとしてその程度はどの程度かは明らかでない。病理解剖が行われなかった理由が、控訴人らの同意が得られなかったことにあることを考慮すると、このことを慰謝料認定の一事情として考慮することは許容されると考える。
(4) 弁護士費用
上記控訴人らに対する各認容額及び本件訴訟の経緯に鑑み、被控訴人に支払を命ずべき弁護士費用相当の損害額は、控訴人A野につき六七万円、同B山及び同C川につき各三〇万円とするのが相当である。
四 結論
よって、控訴人らの被控訴人に対する請求は、控訴人A野につき七三七万円、同B山及び同C川につき各三三〇万円及びこれらの各金員に対する太郎死亡の日である平成六年七月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。
よって、同判断に従い、原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。なお、被控訴人の求める仮執行免脱宣言は相当でないから付さない。
(裁判官 朝日貴浩 裁判長裁判官小田耕治、裁判官田中俊次は転任のため署名押印することができない。裁判官 朝日貴浩)
<以下省略>