高松高等裁判所 平成13年(行コ)11号 判決 2001年12月20日
主文
1 原判決を取り消す。
2 本件を高知地方裁判所に差し戻す。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 主文1項と同旨。
2 主位的申立て
主文2項と同旨。
3 予備的申立て
被控訴人は,原判決別紙目録記載の高知市選挙区選出の高知県議会議員15名に対する滞在手当のうち往復の交通費(1km当たり37円)を超える部分を本判決確定の日の翌日から支出してはならない。
第2事案の概要
高知県の住民である控訴人が,次のとおり主張して,地方自治法(以下「法」という。)242条の2第1項1号に基づき,同県議会事務局長である被控訴人に対し,原判決別紙目録記載の同議会議員15名(以下「本件議員ら」という。)に対する滞在手当のうち往復の交通費(1km当たり37円)を超える部分(以下「本件滞在手当」という。)の支出の差止めを求めた。すなわち,被控訴人は,「地方自治法第二百三条に規定する者の報酬,期末手当,費用弁償等に関する条例」(昭和28年1月26日条例第13号。以下「本件条例」という。)に基づき,本件議員らに対し本件滞在手当を支給している。しかし,本件議員らは,いずれも高知市選挙区選出の議員であって,県議会又は委員会等に出席するために滞在する必要がないから,同議員らに対する費用弁償としての本件滞在手当の支給は違法である。したがって,控訴人は,被控訴人に対し,本件滞在手当の支出の差止めを求める,と。
原審は,本件滞在手当の支出により法242条の2第1項ただし書の「普通地方公共団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」とはいえないから,本件訴えは不適法であるとしてこれを却下した。そこで,控訴人から控訴がなされた。
1 基礎的事実(括弧内に証拠を記載したほかは争いがない。)
(1) 控訴人は,高知県の住民である。
被控訴人は,高知県議会事務局長であり,本件滞在手当を支出する権限を有する者である(高知県会計規則〔平成4年3月10日規則第2号〕3条1項により,議会にかかる支出負担行為等の権限が知事から議会事務局長に委任されている〔乙3〕。)。
(2) 被控訴人は,高知市選挙区選出の本件議員らに対し,本件滞在手当を支給しており,今後も,同議員らに対し本件滞在手当を支給することが相当の確実さをもって予測される。
(3) 本件条例6条は,次のとおり規定している(甲1,2,乙1)。
「第6条 旅費は,別に定めるもののほか,公務のため旅行し,又は議会,委員会等に出席したとき支給する。
2 議会の議長,副議長及び議員が議会の招集に応じたとき若しくは常任委員会等に出席したとき又は議会の議長及び副議長が議会の閉会中に公務のために出務したときは,前項の規定にかかわらず,滞在手当を支給することができる。
3 滞在手当の額及び支給方法は,知事が議会の議長と協議して,規則で定める。」
(4) 「地方自治法第二百三条に規定する者の報酬,期末手当,費用弁償等に関する条例第六条第三項に規定する滞在手当の額及び支給方法を定める規則」(以下「本件規則」という。)1条は,本件条例6条3項に規定する滞在手当の額について,居住地と招集地とが同一の市町村の場合の1日当たりの額を8000円と規定している(乙2)。
2 争点及び当事者の主張
(本案前)
(1) 監査請求前置について
ア 控訴人
控訴人は,平成11年1月13日,高知県監査委員に対し,本件滞在手当の支出につき住民監査請求をした。しかし,高知県監査委員は,同年2月8日付で同監査請求を却下したため,控訴人は,同月26日,本件訴えを提起した。控訴人の監査請求は適法なものであったから,本件訴えにつき監査請求前置の要件は充足している。
イ 被控訴人
控訴人の本件滞在手当にかかる住民監査請求は,平成11年2月8日付で却下されている。したがって,本件訴えは適法な住民監査請求を経ておらず不適法である。
(本案前又は本案)
(2) 「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無について
ア 被控訴人
法242条の2第1項ただし書の「普通地方公共団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」は,同項1号の差止請求訴訟における訴訟要件と解すべきである。そして,本件滞在手当は事後的に回復が不可能となるほど多額ではなく,その支出により高知県に「回復の困難な損害を生ずるおそれ」があるとはいえないから,本件訴えは不適法である。
イ 控訴人
本件滞在手当は,1人1日当たり8000円であり,累積すると巨額になるから,本件滞在手当の支出により高知県に「回復の困難な損害を生ずるおそれ」があるというべきである。
(本案)
(3) 本件滞在手当の支出の違法性
ア 控訴人
法203条3項は,地方議会の議員が職務を行うため要する費用の弁償を受けることを認めているが,ここにいう費用は,議員が現実に要する交通費や郡部選出の議員が議会等に出席するために要する滞在費等に限定されるべきである。しかるに,被控訴人は,本件条例に基づき,県議会又は委員会等に出席するために現実に滞在する必要のない本件議員らに対し,費用弁償としての本件滞在手当を支給している。したがって,本件滞在手当の支出は,著しく合理性を欠き,法232条1項,地方財政法4条1項等に反する。
イ 被控訴人
本件条例6条は,法203条3項及び5項を受けて,旅費は公務のために旅行し,又は議会,委員会等に出席したときに支給するが,議会の議長,副議長及び議員が議会の招集に応じたときや,常任委員会等に出席したときなどは,滞在手当を支給することができることとし,その額及び支給方法については,規則で定めることとしている。そして,本件規則1条は,滞在手当の額を距離により区分し,高知市選挙区選出の議員に対しては,居住地と招集地とが同一の市町村として1日8000円の滞在手当を支給するものとしている。
ところで,普通地方公共団体の議会が,法203条5項に基づき,その議員等に対する費用弁償等に関する条例を制定するに当たっては,あらかじめその支給事由を定め,それに該当するときに標準的な実費である一定の額を支給することも許され,この場合,いかなる事由を支給事由とし,一定の額をいくらとするかは,議会の裁量に委ねられている。本件滞在手当のように,居住地と招集地が同一の市町村の議員の場合にも,出席のための交通費や諸雑費について費用弁償の必要があり,その額も不当に高額なものではないから,被控訴人が条例に基づきこのような支給方式により本件滞在手当を支給したとしても何ら違法ではない。
3 当審補足主張(「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無について)
(1) 控訴人
ア 法242条の2第1項ただし書の「普通地方公共団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」を,同項1号の差止請求の訴訟要件と解し,かつ,これを厳格に解釈するとすれば,本案の審理がされないまま「回復の困難な損害を生ずるおそれ」がないとして,ほとんどの請求が却下されることになる。しかし,そのような事態は,事前に行政の不正をチェックし,無駄をなくし損害を防止することを目的として上記差止請求を認めた趣旨を没却することになる。上記の「回復の困難な損害が生ずるおそれがある場合」との要件は,相当な範囲で緩やかに解されるべきである。なお,「普通地方公共団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」との要件は,上記差止請求の訴訟要件ではなく,同請求が認められるための実体要件と解すべきである。
イ 滞在手当の額は本件議員らに対するものに限っても,1年間で867万円(うち交通費は1割に満たない。)である上,本件議員らに準ずる近隣市町村居住の議員らがさらに15名前後いる。そうすると,滞在の事実のない議員に本件滞在手当が支給される額は,1年間で約1700万円ないし2000万円にもなる。このように,例え本件滞在手当の額を1年間に限ったとしても,県議会事務局長個人が,事後的にそれを補填することは不可能に近い。
ウ また,本件滞在手当の支給は昭和28年から続いており,その累積額は年間2000万円として計算すると50年間で10億円にも達し,これからもさらに累積される。したがって,仮に,事後的に各議員に対しその返還を請求するとしても,容易に回収できるとはいえない。原判決は,「適時に損害の回復を図りさえすれば,そのような巨額の金額が累積することはありえない。」とする。しかし,提起されるか否かが不確実な住民訴訟を当てにして,「回復の困難な損害を生ずるおそれ」を否定することはできない。
エ 被控訴人は,本件議員らに対する1年間の本件滞在手当の支給額を約764万円と計算し,「確かに,これは,県議会事務局長1人で負担するとすれば必ずしも少額ではないかもしれない。」とするが,本件においては,その事実が認められれば十分である。すなわち,1年間の負担でもそうであるとすれば,それ以上に累積される本件滞在手当について,被控訴人が事後的に補填するための負担に耐えられないことはいうまでもない。
(2) 被控訴人
ア 本件議員らに対する本件滞在手当の支給額は,平成11年度を例にとると,本会議分が635万2000円,委員会分が213万6000円の合計848万8000円である。
ところで,本件訴えで控訴人が支出の差止めを求めるのは,滞在手当のうち,往復の交通費(1km当たり37円)を超える部分であり,同交通費は滞在手当中の1割に満たないとのことであるから,上記滞在手当の支給額のうち,本件滞在手当に対応する額を9割とすれば1年間で約764万円となる。確かに,これは,県議会事務局長1人で負担するとすれば必ずしも少額ではないかもしれない。しかし,仮に本件滞在手当の支給が違法無効であれば,本件議員らを被告として,同支給が法律上の原因を欠くものとして不当利得(民法703条)の返還を求める住民訴訟(法242条の2第1項4号)を提起することが可能である。そして,本件議員ら1人当たりの不当利得の額はそれほど多額ではなく,各議員の負担能力を超えるものではない。他にこのような事後的な損害の回復を不可能とするような事情は存在しない。
そうすると,本件滞在手当の支出については,高知県が事後的に損害を回復することが可能であるから,「回復の困難な損害を生ずるおそれ」はなく,本件訴えは,法242条の2第1項ただし書の要件を欠き不適法である。
イ 控訴人は,①昭和28年以降の本件滞在手当の累積額を問題とし,また,②損害の回復を図るために,適時に住民訴訟が提起されることが期待できないかのように主張する。しかし,①については,本件訴えの提起(平成11年2月26日)以前の累積額はそもそも当初から本件訴えにかかる差止請求の対象となっていないのであるから,本件訴えの訴訟要件との関係では問題にならない。また,②については,本件議員らに対し不当利得の返還を求める住民訴訟が提起され,本件滞在手当が違法であるとしてその請求を認容する判決が確定したとすると,違法と判断された本件滞在手当の支出がそのまま継続されることは通常考えられない。したがって,差止請求によらずとも事実上本件滞在手当の支出を止めることができるから,適時に上記のような住民訴訟が繰り返し提起される必要はない。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(監査請求前置)について
(1) 証拠(甲5,6)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 控訴人は,平成11年1月13日,高知県監査委員に対し,概ね次のとおり主張して,本件滞在手当の支出につき住民監査請求(以下「本件監査請求」という。)をした。すなわち,高知県が県議会議員に支給している滞在手当のうち,旅費,郡部議員の宿泊費を除く日当などの支給分は違法な公費の支出である。本件条例に基づき,同県議会議員全員に滞在手当が支給されているが,少なくとも高知市選出議員15名については,滞在の必要性はない。旅費を除いてこれまで違法に支給された高知市選出議員の滞在手当及び郡部選出議員の滞在手当のうち日当に相当する部分をそれぞれ返還させること,及び会議出席等につき今後旅費と滞在実費以外の公費の支出の差止めを請求する,と。
イ しかし,高知県監査委員は,平成11年2月8日付で本件監査請求を却下し,その旨控訴人に対し通知した。その理由は概ね次のとおりである。
すなわち,本件監査請求は,既に支給された滞在手当の返還及び今後の支給差止めを求めるものであるが,条例に定められた額と方法に基づき支給されている行為を監査対象としている以上,請求の趣旨は手当支給制度の可否を問うものであるといわざるを得ない。しかしながら,住民監査請求の対象は,法242条において,地方公共団体の長等が行う財務会計行為あるいは財産や契約にかかる一定の怠る事実とされており,財務会計行為の前提となる地方議会で定められた条例の内容については対象とされていない。よって,本件監査請求は,法242条1項に規定する要件を欠くものであり,不適法である,と。
ウ そこで,控訴人は,平成11年2月26日,本件訴えを提起した。
(2) 被控訴人は,本件監査請求は不適法として却下されているから,本件訴えは適法な監査請求を経ておらず不適法である旨主張する。
しかしながら,本件監査請求は,被控訴人の「違法若しくは不当な公金の支出」(法242条1項)を対象とするものであることが明らかであるから,これが監査請求の対象にならないとして不適法とされるべきいわれはない。したがって,本件監査請求は適法であるにもかかわらず,不当に不適法却下されたものといわざるを得ない。そうすると,本件監査請求の却下の通知があった日から30日以内に提起された本件訴えは,監査請求前置の要件(法242条の2第1項,2項)を充足しているというべきである。
よって,被控訴人の上記主張は採用できない。
2 争点(2)(「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無)について
(1) 法242条の2第1項ただし書は,住民訴訟を提起することができる者及び場合を定めた本文に続いて「ただし,第1号の請求は,当該行為により普通地方公共団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合に限る」と定め,当該行為の事前差止めを請求することができる場合を限定している。そして,同項所定の住民訴訟は,自己の法律上の利益にかかわらない普通地方公共団体の住民という資格で特に法によって出訴することが認められている民衆訴訟の一種であり,このうち同項1号所定の差止請求訴訟は,事後的な請求によっては目的を達成することができない場合に限って設けられた訴訟類型とみられる。これらにかんがみると,回復の困難な損害を生ずるおそれがないにもかかわらず提起された差止請求訴訟は,法により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しない訴えとして,不適法といわざるを得ない(最高裁平成12年12月19日第三小法廷判決・民集54巻9号2748頁)。控訴人は,上記の「回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」は,差止請求の訴訟要件ではなく,同請求が認められるための実体要件である旨主張するが,その主張は採用できない。
(2) そこで,本件滞在手当の支出が「回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」に該当するか否かについて検討する。
法242条の2第1項1号の規定による住民訴訟の制度は,普通地方公共団体の執行機関又は職員による法242条1項所定の財務会計上の違法な行為(以下「当該行為」という。)を予防するため,一定の要件の下に,住民に対し当該行為の全部又は一部の事前の差止めを裁判所に請求する権能を与え,もって地方財務行政の適正な運営を確保することを目的としたものである。このような事前の差止請求の趣旨及び目的に照らすと,法242条の2第1項ただし書にいう「回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」とは,当該行為によって普通地方公共団体が事後的に回復することが困難な財産的損害を被るおそれがある場合をいうものと解するのが相当である(上記最高裁判決)。
本件についてこれをみるに,被控訴人の主張によれば,平成11年度に本件議員らに対し支給された滞在手当の額は,本会議分が635万2000円,委員会分が213万6000円の合計848万8000円であるところ,うち交通費は概ね1割とみるとそれを除いた本件滞在手当の額は約764万円となるから(被控訴人も同様に計算している。),本件滞在手当の1年間の支出額は概ね750万円程度と考えられる。そして本件滞在手当の支給は毎年繰り返されるものであるが,本件訴えの提起から約3年間(ちなみに本件訴えの提起から当審口頭弁論終結時までは約2年7か月)に支給された本件滞在手当を考慮するとしてもその額は約2250万円(約2年間としても約1500万円)であり,これが少額であるということはできない。そして,本件滞在手当の支出が違法である場合に,高知県がその損害を事後的に回復できる可能性についてみるに,まず,議会事務局長個人に対する不法行為による損害賠償を求める代位請求訴訟(法242条の2第1項4号)が提起される場合を考えると,仮に滞在する必要がない本件議員らに対する本件滞在手当の支給が違法であるとしても,高知県会計規則により知事から議会にかかる支出負担行為等の権限の委任を受けて本件滞在手当の支出権限を有する議会事務局長が,県議会の定めた本件条例及び知事が議長と協議して定めた本件規則に基づき本件滞在手当を本件議員らに支給したことにつき直ちに重大な過失(法243条の2第1項)があったものとは断じ難い。そうすると,議会事務局長個人に対する住民訴訟によっては,事後的に高知県が本件滞在手当の支出により被った損害を回復することができない可能性がある。なお,仮に,法的に議会事務局長個人に対する上記のような請求が可能であるとしても,本件滞在手当の上記額からして,同人が個人として事後的にその全額を補填し得るか否かについても疑問がある。
また,被控訴人は,次のとおり主張する。仮に本件滞在手当の支給が違法無効であれば,本件議員らを被告として,同支給が法律上の原因を欠くものとして不当利得(民法703条)の返還を求める住民訴訟(法242条の2第1項4号)を提起することが可能である。そして,本件議員ら1人当たりの不当利得の額はそれほど多額ではなく,各議員の負担能力を超えるものではない,と。なるほど,仮に,本件議員らに対し,不当利得返還請求権の行使が可能であれば,各議員1人当たりの負担額はそう多額ではないと考えられる。しかしながら,本件議員らに対する本件滞在手当の支給が違法であるとしても,本件条例及び本件規則に基づき支給された本件滞在手当の支給が直ちに法律上の原因なくなされたことになるわけではない。そうすると,本件議員らに対する住民訴訟によっては,事後的に高知県が本件滞在手当の支出により被った損害を回復することができない可能性がある。
以上によれば,本件滞在手当の支出により高知県が事後的に回復することが困難な財産的損害を被るおそれがある,すなわち,法242条の2第1項ただし書にいう「回復の困難な損害を生ずるおそれがある」といわざるを得ない。したがって,本件滞在手当の支出により「回復の困難な損害を生ずるおそれがある」とはいえないから本件訴えは不適法である旨の被控訴人の主張は,採用できない。
その他,上記認定判断を左右するに足りる証拠はない。
3 結論
以上の次第で,本件訴えが不適法であるとして,本案の審理に立ち入らないままこれを却下した原判決は不当であるから取消しを免れない。よって,民事訴訟法307条本文に従い,原判決を取り消したうえ本件を高知地方裁判所に差し戻すこととし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小田耕治 裁判官 田中俊次 裁判官 松本利幸)