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高松高等裁判所 平成14年(う)135号 判決 2003年2月25日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は,主任弁護人生田暉雄,弁護人馬場基尚連名作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書(ただし,控訴趣意書中,訴訟手続の法令違反をいう点は,事実誤認の主張に含め,独立の控訴理由としては主張しない旨,主任弁護人において釈明した。)に,これに対する答弁は検察官井村立美作成の答弁書及び同武部正三作成の答弁書(補充)に各記載のとおりであるから,これらを引用する。

1  控訴趣意中,事実誤認の主張について

論旨は,要するに,原判決は,実父方からスクーターで帰宅途上の被告人が,たまたま見掛けたA(当時12歳)にわいせつな行為をしようと思い立ち,スクーターを降りてAに声を掛けた上,運転免許証を落としたので一緒に探して欲しいなどと言ってAをB商店倉庫東側軒下の通路(以下「本件通路」ともいう。)に誘い込み,Aを先頭に通路奥に入って行ったところ,途中で異変に気付いたAが声を上げたため,脅して静かにさせようと,上着の内ポケットからくり小刀(刃体の長さ約13.9センチメートル)を取り出してAに示したものの,なおもAが叫んだため,とっさに,Aが死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,右手に持ったくり小刀でAの右胸部を1回突き刺し,Aを右胸部刺創に基づく失血性ショックにより死亡させた旨認定したが,(1)被告人が当時右手に持っていたくり小刀がAの右胸部に突き刺さったのは,正対した被告人の右手側をすり抜けて逃げようとしたAが,その進路をふさぐように動いた被告人とぶつかった時のこととしか考えられず,(2)その際,被告人は,くり小刀がAに突き刺さったとの認識すらなかったのであるから,被告人にはAに対する殺意などはなく,せいぜい強制わいせつ致死罪が成立するにすぎないのに,Aに対する未必の殺意を認定して,被告人の行為が殺人罪に当たるとした原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに,原判決が,その挙示する関係証拠により,被告人に原判示のとおりの未必の殺意に基づく殺人の事実を認めたのは正当である。また,原判決がその「事実認定の補足説明等」の項で詳細に説示するところも,相当として是認することができる。当審における事実取調べの結果によってもこの結論は動かない。被告人の捜査段階及び原・当審での各供述並びに被告人作成の上申書2通及び陳述書の各記載中,この認定・判断に抵触する部分は,上記関係証拠と対比して信用することができない。なお,所論にかんがみ,説明を若干補足する。

所論は,原判決は,C作成の鑑定書中の「偶然に右前胸部に刺創を生じた場合には,右後方に向かって創管が形成されること,Aの体の移動により,体内から刃器が抜ける際,方向が変わり刺創の創口が屈曲したり,創縁に切れ込みがみられるのが一般的であるが,Aにはこのような所見がみられない等矛盾がみられる。従って,Aが正対した後,被告人の右側をすり抜けようとして受傷したとは考えられない。」との記載に依拠し,上記(1)のような態様では,Aに本件のような刺創が生じることはない旨認定して,被告人の弁解を排斥しているけれども,①Aが,右手にくり小刀を持って正対していた被告人の右手側をすり抜けて,その後方に逃れようとする場合,Aの上体は進行方向である南東方向に向かっているのであるから,北方向を向いた被告人の持っていた上記くり小刀がAの右前胸部から刺入し,そこからAの身体の左後方に向かう創管を形成したのは自然である上,Cも原審証言中ではそうしたことが起きる可能性を全面的には否定しておらず,また,②被告人が述べるような態様で両者がぶつかり合ったとすると,Aが右胸部に痛みを感じて反射的にそのまま後ずさりすることも考えられないわけではないから,くり小刀の刺入方向とそれが抜け出る方向とが絶対に変化するとはいえず,Aの刺創の創口が屈曲していなかったり,創縁に切込みが生じていなかったりしても,不自然とまではいえないのであって,原判決が,上記鑑定書に依拠して,被告人の弁解を排斥したのは誤りである旨主張する。確かに,被告人が供述するように,Aが正対した被告人の右手側を素早くすり抜けようとし,被告人が右手にくり小刀を持ったままこれを阻むように動いたと仮定した場合,被告人がくり小要旨刀を構えていた位置やその切っ先の方向,被告人の右手側をすり抜けようとした際のAの上体の向き,これを阻もうとした被告人の動きやそれに伴うくり小刀の動きなどによっては,その可能性自体は相当に低いとは思われるものの,その際,本件で起きたのと同様に,くり小刀がAの右乳房部から左後やや下向きに刺入することも絶対にあり得ないこととまではいえない。しかしながら,他方で,被告人は,捜査段階から一貫して,その際Aと「ドーン」という感じでぶつかり合った旨供述しているところ,そうした比較的激しい動きの中でくり小刀が上記のように刺入したとすると,上記鑑定書やCの原審証言(以下,両者を併せて「C鑑定」ともいう。)中にもあるとおり,体内に刺入されたくり小刀は,たとえ瞬時であってもAの体の移動と共に移動し,このため刺入時の方向と刺出時の方向とが変化することにより,大きな創口を形成したり,創口が屈曲したり,創縁に切込みを伴ったり,更には刃側で生じる創角が2か所に見られるのが一般的であると認められるにもかかわらず,Aの負った創傷の創口にはそのような特徴が見られない。また,そうした態様でのぶつかり合いがあったとすると,くり小刀の刃体の全部あるいは少なくともその大部分がAの体に刺入したとしても不自然ではないと解されるのに,Aの負った刺創の深さはそれとは異なる情況にある。以上を総合すると,被告人が供述するような態様でAに本件の右胸部刺創が生じたことはないと認めるのが相当である。したがって,原判決が上記鑑定書に依拠して被告人の上記弁解を排斥したのは,結局,正当である。この所論は採用することができない。

所論は,原判決は,原判示のような刺創の生成過程に照らして考えると,くり小刀による刺突の認識がなかった旨の被告人の供述は信用することができない旨認定しているが,①Aにくり小刀が刺さったのは,被告人から逃げようとしたA(身長141センチメートル)が「ドーン」という感じでぶつかってきた際のことであり,被告人がくり小刀を持った右手に衝撃を感じなかったとしても,それは微少な刺突の衝撃が大きな衝突の衝撃に吸収されたことによるものとして理解し得るから,何ら不自然ではない上に,②被告人は,思いもかけず,Aが大声で叫んだり逃走を試みたりしたために,相当動揺していたとみられるし,本件直前にある程度飲酒してもいたから,C鑑定の内容を踏まえても,右手に刺突の衝撃が残らなかったとする被告人の弁解は不合理とはいえないのであって,原判決が被告人の上記供述の信用性を否定したのは誤りである旨主張する。しかしながら,まず①の点については,Aが被告人に「ドーン」という感じでぶつかってきたということ自体が,上記のとおり事実に反するものである。また,②の点については,C鑑定によると,かなり激しく争ったり,言い合ったりしたときのように,高度な興奮状態にあった場合や,高度な酩酊状態にあった場合以外には,刺突の際の感触が手に残ることが通常であると認められるところ,関係証拠によっても,本件犯行当時,被告人がそうした高度の興奮状態に陥るような要因は見出せない上,本件犯行当時及びその前後の被告人の行動状況からは,被告人が飲酒していたとしても,その酔いの程度は,高度の酩酊状態にはほど遠い,軽いものであったと認めることができる。したがって,この所論はいずれにしても前提を欠くというべきであって,採用することができない。

所論は,被告人は,本件犯行後いったん帰宅し,その後新居浜市内でセーラー服等7点を盗んで再度帰宅した後,自室で自慰行為にふけったことが認められるが,こうした行動は,Aの胸をくり小刀で一突きしたことを認識していた人間の行動としては甚だ不自然であって,この事実も被告人が刺突の認識を有していなかったことを裏付けている旨主張する。しかしながら,被告人の前科の内容等によると,本件犯行当時,被告人には性的欲望が満たされない場合に常軌を逸した行動に及ぶ性向があったことが強くうかがわれるところ,被告人が本件犯行に及んだ後に所論指摘のような行為に及んだのも,Aへのわいせつ行為を遂げられず,性的欲望を解消することができなかったことから,そうした性向が顕在化したものとして理解し得るのであって,被告人がそのような行動に及んだことと,Aに対する刺突を認識していたこととは,所論の言うように被告人の行動として相互に相容れないものであるとはいえない。この所論も採用することができない。

所論は,原判決は,服役中に被告人と同房であったDが,その検察官調書中で,「服役中に被告人から本件について打ち明けられ,『女の子が大声を出して泣くか何かした。刃物を出して静かにせえと言うと声を出して暴れた。自分はうわーっと思ってナイフを突き出して刺した。』などと聞いた。」旨述べているのを信用し,これによると,とっさに取った行動とはいえ,被告人がAを意図的に刺突したことが裏付けられる旨認定しているが,Dが被告人からそうした話しを聞いたとされる時から,この検察官調書が作成されるまでには13年近くが経過しており,しかもこの検察官調書は予断を持った捜査官によって調書化されたものであるから,類型的に信用性が認められにくいものであるし,仮に被告人がしゃべったことが一言一句,Dが述べるとおりであったとしても,被告人がそうしたことを話したのは,暴力団の抗争事件の話しをしている際のことであり,数名の他の受刑者の前でもあったから,虚勢を張って大げさに表現したものとも考えられるのに,原判決は,その証拠価値を過大に評価し過ぎている旨主張する。しかしながら,このDの供述が十分信用するに値するものであることは,原判決がその「事実認定の補足説明等」の項の4で適切に説示するとおりであり,また,その供述中の被告人の上記会話内容からは,被告人が有りもしないことを大げさに表現した様子は何らうかがわれない。この所論も採用することができない。

その他所論がるる指摘するところにかんがみ検討してみても,原判決には所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。

2  控訴趣意中,量刑不当の主張について

論旨は,被告人を懲役11年に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である,というのである。

そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

本件は,原判示のとおりの殺人の事案であって,原判決が,その「量刑の理由」の項で詳しく説示するところは,後記の点を除き,当裁判所においてもこれを相当として是認することができる。すなわち,被告人は,帰宅途上にたまたま見かけたAにわいせつな行為をしようと思い立ち,Aの親切心に付け込んでAを言葉巧みに暗がりの本件通路に誘い込んだものの,異変に気付いたAに大声を上げられたため,とっさに所持していたくり小刀でAの胸を突き刺して逃走したのであって,被告人がこの犯行に及んだ動機は全く短絡的で身勝手極まりないものである上,その手段も鋭利な刃物で年端も行かないAの胸部を突き刺すという非常に残虐なものである。Aは,不運にも自宅近くの自動販売機で飲み物を買って帰宅する途中で被告人に声を掛けられ,何の疑いもなく,被告人の求めに応じてその落とし物を探してあげようとした折りに本件の被害に遭遇したもので,もとよりAの側には何の落ち度もなく,薄れ行く意識の中にあって,なおも「お母さん,ごめんなさい。」などと母親を気遣う言葉を残しながら,わずか12年の短い命を閉じざるを得なかったAの無念さを思うと,誠に不憫というほかない。愛娘の命を突然奪われたAの両親は,非常な悲しみに打ちひしがれたばかりでなく,一度は有力容疑者として捜査線上に名が上がった被告人が,虚偽のアリバイをでっち上げて逮捕を免れ,その後も15年近くにわたって逃走を続けた間に,根も葉もない子殺しの噂まで立てられて,長年にわたりやり場のない怒りや苦しみにさいなまれながら過ごしてきたのであって,同人らの被告人に対する処罰感情は当然のことながらこの上なく厳しい。小学校6年生の少女が自宅近くで通り魔的に殺害され,長年解決されなかった事件として,本件が付近住民を始め社会に与えた不安や恐怖も極めて大きかったと考えられる。加えて,被告人は,ようやく罪を精算する気になって,自らAを死亡させた旨自供したものの,ここに至っても,何とか罪を免れたい一心から,Aに対する殺意はなかったなどと不合理な弁解を続けており,被告人に真しな反省心があるとは認め難い状況にある。以上のような本件の罪質,動機,態様,結果及び被告人の応訴態度等に加えて,被告人は,本件犯行前後の時期から多数の犯罪を犯し,懲役刑に服したもの(現に服役中のものも含む。)に限っても5犯もの前科を有する上,この中には,本件犯行と一面類似するような女性の下着盗や強姦罪等も含まれており,被告人にはその種の犯罪性向や規範意識の希薄さが認められることなどをも併せ考慮すると,被告人の刑事責任は非常に重いといわなければならない。

そうすると,本件は偶発的な犯意に基づくものといえる上に,Aに対する殺意も未必的なものにとどまったこと,くり小刀による刺突回数は1回であって,犯行態様に執ようさまでは認められないこと,殺意の点はともかく,自らの手でAを死に致したこと自体については,被告人なりの思いから,公訴時効成立の直前であったにもかかわらず事実を警察官に告白するなど,相応に反省の態度を示しているほか,Aとその遺族に対して謝罪したいとの気持ちは有していること,被告人は本件犯行の時点では前科のない19歳の少年であったこと,その他所論が指摘し記録上も肯認し得る被告人のために酌むべき諸事情を十分考慮しても,原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。

なお,原判決は,その「量刑の理由」の項の2で,「被告人には……5件の確定判決があり,確定判決前の余罪である本件の量刑に当たっては,これら各確定判決中の懲役年月数を勘案し,これらと本件とが同時審判を受けた場合と均衡を失しないように考慮すべきである」旨説示し,その前提として,「確定裁判」の項で,(1)から(5)までの5つの判決を掲げた上,「法令の適用」の項の「併合罪の処理(確定判決前の余罪)」欄で,平成7年法律第91号による改正前の刑法45条後段,50条を適用し,上記確定裁判の対象となった各罪と原判示の殺人罪とが同法45条後段の併合罪であるとして,いまだ裁判を経ない同罪につき更に処断することとしたことが明らかである。しかしながら,併合罪とは,同時に併合審判を受けることができ,かつ,そうすべきであったという相互の関連から,科刑上有利な取扱いを受ける数罪であると解されるところ,(1)の確定裁判があった後に犯された(2)ないし(5)の確定裁判の対象となった各罪は,(1)の確定裁判時にはいまだ存在しなかったのであり,(1)の確定裁判以前に犯された原判示の殺人罪が同時に併合審判を受けることができ,かつ,そうすべきであったのは,(1)の確定裁判の対象となった各罪に限られるから,原判示の殺人罪が上記(2)ないし(5)の確定判決の対象となった各罪と併合罪関係にあるとして科刑上有利な取扱いを受けるなどということは,あり得ないことである。したがって,原判決が(2)ないし(5)の確定裁判をも同法45条後段にいう確定裁判として掲げたのは,同条の解釈適用を誤っており,これを前提にした上記「量刑の理由」の項での説示も誤っているというほかない。しかしながら,原判決は,余分な(2)ないし(5)の確定裁判を掲げてはいるものの,原判示の殺人罪と(1)の確定裁判の対象となった罪とを併合罪として処断していると解されることのほか,本件犯行の内容やその犯情,同種事案の量刑の実情等をも踏まえて検討すると,この各誤りは,判決に影響を及ぼすことが明らかであるとまではいえないし,原判決の量刑の当否の判断を左右するものでもない。

論旨は理由がない。

よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法181条1項ただし書を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 正木勝彦 裁判官 増田耕兒 裁判官 齋藤正人)

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