大判例

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高松高等裁判所 平成14年(う)295号 判決 2003年3月13日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役3年2月に処する。

原審における未決勾留日数中100日をその刑に算入する。

押収してある草刈鎌1本を没収する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人阿部晶子作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載のとおりであり,これに対する答弁は,検察官西浦久子作成の答弁書に記載のとおりであるから,これらを引用する。

1  職権判断

事実誤認及び量刑不当の各論旨に対する判断に先立ち,職権をもって原審の訴訟手続について調査するに,被告人の本件殺人未遂の実行行為によりAが被った傷害の加療期間について,起訴状記載の公訴事実では「加療見込み約3か月」とされているのに対し,原判決は「入院治療に53日間を要し,退院後約2年間の通院治療を要する見込み」である旨,訴因に明示された上記加療期間を大幅に上回る認定をしたことが明らかである。ところで,殺人未遂の被害者が被った傷害の加療期間は,訴因の記載として不可欠な事項でないとはいえ,その行為態様と並んで,一般的に刑の量定に相当程度影響を及ぼすものであり,被告人の防御にとって重要な事項であるということができるから,検察官が訴因の中でそれを明示した以上,判決においてそれと実質的に異なる認定をするには,原則として訴因変更の手続を要し,仮にこの手続を採ることなく訴因と異なる事実を認定することが可能な場合があるとしても,少なくとも釈明権を行使するなどして不意打ち防止の措置を採っておく必要があると解される。しかるに,原審裁判所は,訴因変更の手続はもとより,そうした不意打ち防止の措置すら採らないまま,上記のように訴因で明示された期間を大幅に上回る加療期間を認定したのであって,こうした点において,原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるというべきである。原判決はこの点において破棄を免れない。

2  控訴趣意中,事実誤認の主張について

論旨は,要するに,被告人の行為は,Aによる急迫不正の侵害の程度を被告人の生命・身体に重大な危険を及ぼすものと誤信し,かつ,防衛の程度を超えたものであるから,誤想過剰防衛に当たるのに,本件について誤想過剰防衛を認めなかった原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに,関係証拠によると,本件に至る経緯及び本件の犯行状況は,以下のようなものであったと認めることができる。

(1)  被告人は,平成8年7月ころ,その所有土地上に建築した住宅を敷地共々Aに売却したが,平成10年ころ以降,Aから,その住宅東側造成地の法面整備,南側斜面の擁壁設置,道路の側溝設置等の工事をするように頻繁かつ執ように要求されるようになった。そうした要求をする際のAは,いつも大声であり,しかも,ときには怒鳴って脅したり,被告人の腕をねじり上げ,あるいは胸倉をつかむなどの暴力を振るったりすることもあったため,被告人はAを毛嫌いするとともに,体格及び体力の双方で被告人に勝るAに対しおびえの感情を抱き,Aから上記のような暴力を伴う要求を受けることがあってもあえて争ったりはせずに,人に助けを求めるなどしてやり過ごすことを常としていた。

(2)  被告人は,平成14年5月14日午前10時ころから,建築用木材等を保管するなどしていたA方近くの作業場(以下,単に「作業場」ともいう。)内で,木材の手入れや移動等の作業をしていたところ,同日午後1時15分ころ,Aが作業場出入口に現れ,被告人を認めるなり「こりゃー」と声を張り上げながら作業場内に立ち入り,いきなり右手で被告人の左手首をねじり上げるとともに,「○○よ,こりゃー,やっちやろか,頭割ったろか。」などと怒鳴りながら左手の握りこぶしを被告人に向けて突き出す,といった暴力的な行動に出て来た。驚いた被告人は大声で近所の住人に助けを求めたものの,Aを制止してくれる者などはおらず,Aは被告人の左手首をねじり上げたまま,上記の側溝設置等の工事について「こりゃー,われはいつするんぞ,どがいするんぞ。」などと怒鳴り続けた。被告人は,その後,Aが力を緩めた隙にAの手を振りほどき,少しずつ後ずさりしながら作業場奥へ逃れたが,Aは「こりゃー,○○,やっちやる。」などと怒鳴って被告人を威圧しつつ,逃げる被告人に迫って行った。逃げ場を失った格好になった被告人は,作業場奥の,もみじやけやきの大木を数本並べて囲い,自ら神聖な場所と考えている空間に回り込み,迫り来るAに対し,これ以上入ってはいけない旨動作をも交えながら伝えたものの,Aは,なおも被告人を追って同所にまで入り込もうとした。

(3)  被告人は,こうして作業場奥に追い詰められた上,神聖な場所と考えている上記空間にまでAに迫られたことで切羽詰まり,これ以上の暴力を伴う要求を止めさせようと,たまたまその場においてあった草刈鎌(重量が約1キログラム,刃体の長さが26.7センチメートル,全長が95.5センチメートル)を手にとって振り上げ,約1メートルの距離で対じするAを威嚇してみたものの,Aはこれに動じないばかりか,「やれるものならやってみよ。」などと,逆に被告人を挑発する言葉を発しながら更ににじり寄ってきたため,同日午後1時20分ころ,ついに,被告人は,Aの頭部目掛けて上記草刈鎌の刃体部分を2回振り下ろし,さらに,この攻撃によりその場に仰向けに倒れたAに対し,その頭部目掛けて同部分を1回振り下ろして,Aに加療見込み約3か月間を要する頭蓋骨骨折,脳挫傷等の傷害を負わせるに至った。

以上のとおりである。

1.こうした事態の推移を見ると,原判決もその「事実認定の補足説明」の項で適切に説示するように,Aの被告人に対する暴行等は,被告人の身体に対する急迫不正の侵害に当たることが明らかである(なお,Aは,上記のとおり被告人からその頭部に上記草刈鎌で2回の攻撃を受けて,仰向けに倒れたことが認められ,そこに至る経緯やその際にAが被ったであろうダメージの大きさなどをも踏まえて分析的に見てみると,その時点でAが被告人に更なる暴行を加えるおそれは大幅に減少したか,場合によってはもはやなくなったと見る余地もないではない。しかしながら,この2回の攻撃をも含めた被告人による計3回にわたる攻撃は,当初存在したAによる被告人の身体に対する急迫不正の侵害に対し,極わずかな時間のうちに連続的に敢行されたものであり,しかもその各行為の目的や態様も異なるものでないと見ることができるから,その3回の攻撃が全体として防衛のための行為と評価し得るかどうかを検討するのが相当である。)。

ところが,原判決は,このようにAによる急迫不正の侵害の存在を認めながらも,これに対する被告人の本件での反撃行為は,専らAに対する積極的な加害意思に基づいて実行されたものであって,この反撃行為に出るに当たり,被告人は防衛の意思を有していなかった旨認定している。しかしながら,この原判決の認定は是認することができない。すなわち,被告人の捜査段階での供述によると,確かに,被告人は,(1)これまでにもしばしばAから暴力を振るわれることがあった上に,この日もAから上記のような暴行等を受けるに至ったこと,(2)Aが,被告人の制止を聞こうともせずに,被告人が神聖な場所と考えている上記場所にまで入り込もうとしたこと,(3)草刈鎌を示して抵抗の姿勢を見せたのに,逆にAから「やれるもんならやってみよ。」などと挑発されたことなどから,Aに対する憤懣の念に駆られ,Aに対する未必的殺意を持って本件の反撃行為に出たことが認められるけれども,他方で,被告人は,同じく捜査段階で,こうした怒りの気持ちのほかに,「やらな,やられる。」,すなわち,これまで一度も見せたことのない抵抗の姿勢を示した以上,反撃しなければAからこれまで以上に痛めつけられる,という気持ちもあった旨繰り返し供述しており,この供述は,そこに至る経緯に照らしても格別不自然ではなく首肯することができるものであるから,反撃行為に出た際に,被告人は,憤懣の念からのAに対する加害意思とともに,Aから更に手ひどい暴行を加えられることを恐れ,これから自己の身体を防衛しようとの意思をも併せて有していたものと認めることができる。したがって,被告人の本件行為は,Aによる急迫不正の侵害から自己の身体を防衛する意思をもってした行為であるとの一面をも有していることを否定することができない。

もっとも,被告人の反撃行為は,素手のAに対して,上記のような大型の草刈鎌を3回にわたりAの頭部目掛けて振り下ろすといった態様で実行されたものであり,しかも最後の1回はAが仰向けに倒れた後に実行されたものでもあるから,その攻撃の態様,程度は明らかに防衛に必要な程度を逸脱したものであるというほかなく,被告人の反撃行為は過剰防衛に当たるというべきである。

なお,所論は,被告人はAによる侵害を被告人の生命・身体に重大な危険を及ぼすものと誤信した旨主張するけれども,被告人の捜査段階での供述によると,被告人は,Aから命まで奪われると思ったことはなく,ただ,これまでの腕をねじり上げられたり,胸倉をつかまれたりする程度の暴行では収まらずに,素手での暴行により更に痛い目に遭わされるかも知れない旨考えていたにすぎないことが認められる(この認定に反する被告人の原・当審での各供述は,公判段階に至って初めて述べられたもので,そうした変遷についての合理的な理由も見出せないから,直ちに信用することができない。)。したがって,この所論は前提を欠き採用することができない。

以上検討したとおり,被告人の本件行為は結論として過剰防衛に当たると認めるのが相当であり,これを認めなかった原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというほかない。論旨はこの限度で理由がある。

3  原判決の破棄

以上のとおり,原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があり,また,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認もあるから,量刑不当の論旨に対する判断を省略し,刑訴法397条1項,379条,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に次のとおり自判することとする。

4  自判

(罪となるべき事実)

被告人は,かねてよりA(当時73歳)からその自宅周辺の側溝設置等の工事をするよう,執ように,また,ときには暴力的に要求されていたが,平成14年5月14日,被告人が愛媛県宇和島市a番地付近の作業場内で木材の手入れ等の作業をしていたところ,Aが同所に現れて,いきなりその右手で被告人の左手首をねじり上げるなどしながら,上記工事をするように強く求める行動に出てきた。被告人は,隙を見てAの手を振りほどき,少しずつ後ずさりしながら作業場奥へと逃れたが,Aがなおも「こりゃー,○○,やっちやる。」などと怒鳴りながら迫ってきたため,これ以上の暴力を伴う要求を止めさせようと,たまたまその場においてあった大型の草刈鎌を手にとって振り上げ,約1メートルの距離で対じするAを威嚇してみたものの,Aはこれに動じないばかりか,「やれるものならやってみよ。」などと,逆に被告人を挑発する言葉を発しながら更ににじり寄ってきたため,同日午後1時20分ころ,Aに対する憤懣の念とともに,Aの更なる暴行から自己の身体を守る意思で,防衛に必要な程度を越えて,Aが死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,上記草刈鎌を,Aの頭部目掛けて2回振り下ろし,さらに,その場に倒れたAの頭部目掛けて同様に1回振り下ろしたが,Aに対し,加療見込み約3か月間を要する頭蓋骨骨折,脳挫傷等の傷害を負わせたにとどまり,Aを殺害するに至らなかったものである。

(証拠の標目)

[省略]

(法令の適用)

[省略]

(量刑の理由)

本件は,被告人が,上記のような経緯から,大型の草刈鎌をAの頭部目掛けて3回にわたって振り下ろし,Aに対し加療見込み約3か月間を要する頭蓋骨骨折,脳挫傷等の傷害を負わせたが,Aを殺害するには至らなかった,という殺人未遂の事案である。この犯行は,防衛行為の側面を有するとはいえ,素手のAに対し,上記草刈鎌を用いてその頭部に3回にわたり攻撃を加えたもので,その犯行態様は,防衛の程度を越え,Aの生命をも奪いかねない甚だ危険で悪質なものである。Aの負った傷害の程度は重く,その処罰感情にも厳しいものがある。以上を併せ考えると,本件の犯情は悪く,被告人の刑事責任は重いというべきである。

そうすると,被告人のAに対する殺意は未必的なものにとどまったこと,本件では過剰防衛が成立すること,Aは,被告人に上記の側溝設置等の工事を要求するに当たり,暴力的な言動に及ぶことがしばしばあり,本件当日も,被告人に上記のような暴行を加えたり,上記草刈鎌を構えた被告人を挑発するような言動に及んだりもしており,Aの側にも被告人の犯行を誘発した点で落ち度があるといえること,被告人の親族が,Aを見舞い,その際,見舞金として10万円を支払ったほか,Aが負担した治療費合計14万150円を同人に支払ったこと,被告人が罪を反省していること,被告人は古い罰金前科を2犯有するのみであること,被告人は70歳を超える高齢であること,その他諸般の情状を考慮しても,被告人に対しては主文の実刑処断が相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 正木勝彦 裁判官 増田耕兒 裁判官 齋藤正人)

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