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高松高等裁判所 平成15年(ネ)341号 判決 2004年10月29日

控訴人

A野二郎

他3名

上記四名訴訟代理人弁護士

望月浩一郎

津田玄児

南元昭雄

朝倉正幸

原田敬三

佐久間大輔

被控訴人

学校法人 B山高等学校

同代表者理事

C川松夫

同訴訟代理人弁護士

岩尾研介

松岡章雄

山下訓生

被控訴人

高槻市

同代表者市長

奥本務

同訴訟代理人弁護士

寺内則雄

俵正市

井川一裕

被控訴人

財団法人 高槻市体育協会

同代表者理事

石垣一夫

他1名

上記両名訴訟代理人弁護士

天野勝介

渡辺徹

上記渡辺徹訴訟復代理人弁護士

籔内俊輔

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人らは、連帯して、控訴人A野二郎(以下「控訴人二郎」という。)に対し、金二億六〇六九万七三三八円並びに内金二億三七二七万七三三八円に対する平成八年八月一三日から、内金二三四二万円に対する第二審判決言渡しの日の翌日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人らは、連帯して、控訴人A野太郎(以下「控訴人太郎」という。)、控訴人A野花子(以下「控訴人花子」という。)及び控訴人A野一郎(以下「控訴人一郎」という。)に対し、各金一一七七万円及び内各金一〇〇〇万円に対する平成八年八月一三日から、内各金一七七万円に対する第二審判決言渡しの日の翌日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  請求原因

(1)  当事者等

① 控訴人ら

控訴人二郎は、平成八年当時、被控訴人学校法人B山高等学校(以下「被控訴人学校法人」という。)が設置・運営するB山高等学校(以下「B山高」という。)の一年に在籍し、同校にある課外活動(クラブ活動)のうちサッカー部に所属していた者である。

控訴人太郎は、控訴人二郎の父であり、控訴人花子は、控訴人二郎の母であり、控訴人一郎は、控訴人二郎の兄である。

② 被控訴人ら

ア 被控訴人学校法人は、肩書地を主たる事務所とし、学校教育法・私立学校法に基づきB山高(全日制普通科)及びB山中学校を同所に設置し、これらの学校に入学した生徒に対し教育基本法・学校教育法その他の教育関係法規に基づき教育活動を行うことを目的として、これらの学校を運営している学校法人である。

イ 被控訴人高槻市は、大阪府が平成九年九月一三日から実施した第五二回国民体育大会(通称「なみはや国体」、以下「国体」という。)において、同大会の秋季に行われるサーカー競技(少年男子)部門等の会場の設置・運営を吹田市と協同して分担した者である。

ウ 被控訴人財団法人高槻市体育協会(以下「被控訴人体育協会」という。)は、傘下の通称高槻市サッカー連盟(以下「サッカー連盟」という。)とともに、被控訴人高槻市が行う前記サッカー競技及びこれに関する諸事業の実施に協力してきた者である。

エ 被控訴人北脇助三郎(以下「被控訴人北脇」という。)は、サッカー連盟の会長であり、かつ高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会(以下「本件フェスティバル実行委員会」という。)の委員長である。

(2)  落雷事故

① 被控訴人体育協会は、傘下のサッカー連盟をして高槻市教育委員会を後援者とする本件フェスティバル実行委員会を設置させ、平成八年八月、サッカー競技に関するフェスティバルを企画した。

② 控訴人二郎は、前記企画に基づき平成八年八月一二日から同月一五日(以下、この期間については「平成八年」を省略することがある。)の予定で行われた「平成九年なみはや国体サッカー競技(少年男子)開催記念・第一〇回高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル」と称するサッカー競技大会(以下「本件フェスティバル」という。)に、被控訴人学校法人の課外活動としての対外試合参加として、B山高を代表して他の部員二一名とともに、全国から参加する六二チームのうちの一チームの一員として参加し、同月一三日、競技に出場した。

その際の引率兼監督は、被控訴人学校法人の設置するB山中学校の監督であるD原竹夫教諭(以下「D原教諭」という。)が、B山高サッカー部の監督を担当していたE田梅夫(以下「E田教諭」という。)に代わってその職務を行った。

③ 控訴人二郎ら部員が競技に参加したフィールド(以下「本件フィールド」という。)は、被控訴人高槻市が管理する「高槻市南大樋運動広場(公園)」(《住所省略》所在、以下「本件グランド」という。)に設営されたA、B二面のフィールドのうちBコート(グランド北西側)であった。

競技の前日である八月一二日には、九州南部に「大型で強い台風(台風一二号)」が接近しており、一二日から一三日にかけて大阪府地方を通過することが予報されており、一三日には高槻地方でも午後三時ころから台風の影響で断続的な強い雨とともに近畿地方の所々で雷が発生し、本件グランドからも雷鳴が聞こえ、大阪管区気象台より同日午後三時一五分雷注意報が発令されている気象状態であった。

本件サッカー競技中にも本件グランド北側から時折雷鳴が聞こえていたが、全体として競技運営が遅れており、B山高サッカー部と大阪トレセンB2チームとの間に予定されていた競技時間(午後四時一五分)が前の競技時間帯からずれ込んでいたため、競技は中止することなく続けられていたところ、同日午後四時三五分ころ、控訴人二郎が本件フィールド内を南側から北側にボールを追って走行しているところを、控訴人二郎の頭部を直撃する形で落雷があり、控訴人二郎は、その衝撃で転倒、意識不明となった(以下「本件落雷事故」という。)。

④ 控訴人二郎は、高槻市中消防署所属救急車によって、同日午後四時五七分、《住所省略》所在の財団法人大阪府三島救命救急センター(以下「三島救命救急センター」という。)に搬送され、救急手当を受けた結果、幸いにも蘇生した。

その後、控訴人二郎は、同年九月九日まで同センターで引き続き治療が続けられたが、控訴人二郎の両親である控訴人太郎及び同花子は、費用負担がかさむ等の理由から控訴人二郎を同日退院させ、控訴人二郎は、高知市所在の高知赤十字病院に転院した。

その後、控訴人二郎は、同病院で医学的治療を、同市内所在の近森リハビリテーション病院でリハビリ治療をそれぞれ続けたが、両目が〇・〇〇一の失明状態、両下肢機能全廃、両上肢運動能力微弱の後遺症を残すこととなり、かつ、B山高において授業を受けることが不能となって、退学せざるを得なくなった。

なお、控訴人二郎の後遺障害等級は一級であり、具体的な症状は以下のとおりである。

ア 嚥下障害 下垂足 構音障害 湿疹 尿路感染症

イ 白癬 便秘症 失調症 落雷による脳損傷

ウ 症候性てんかん

エ 運動失調 不完全な皮質盲 低酸素脳症

オ 四肢運動障害 感覚障害

(3)  被控訴人らの責任根拠

① 被控訴人学校法人について

ア 控訴人二郎は、平成八年三月、控訴人太郎及び同花子の親権の共同行使により、被控訴人学校法人の設置、運営するB山高において、憲法二六条その他の子供の教育権等人権保障にかかる諸規定を理念とし、教育基本法を頂点とした学校教育法・私立学校法等の教育に関する諸法規に基づき、教育原理等諸教育科学の研究の成果に依拠した高等学校教育の教授を受けさせることを内容とする教育に関する契約(以下「在学契約」という。)を締結し、同年四月入学した。したがって、被控訴人学校法人は、同契約締結により、控訴人二郎に対し前記諸法条、教育諸科学に依拠した科学・文化・真理を教授する教育活動義務を負うとともに、同契約に本質的もしくは信義則上内在する義務として、教育活動から控訴人二郎の生命・身体に対し危害が発生しないように人的・物的にわたり教育諸条件を整備する義務及びこれを履行する義務(以下「安全配慮義務」という。)を負うに至った。

また、控訴人太郎及び同花子は、在学契約当時、控訴人二郎の親権者として教育監護義務を負っていた者であり、その履行として、被控訴人学校法人に対し、安全配慮義務を控訴人二郎に対し履行することを委託し、被控訴人学校法人はこれを受託したのであるから、被控訴人学校法人は、在学契約に基づき、控訴人太郎及び同花子に対して、教育活動から控訴人二郎を守るべき義務を負っていた。

そして、被控訴人学校法人は、具体的には、控訴人二郎をして、B山高の教育活動の一環である課外活動においてサッカー部に所属させ、野外競技であるサッカー競技に参加させていたのであるから、控訴人二郎、同太郎及び同花子に対し、サッカー競技の有する危険から控訴人二郎を保護するため万全の配慮をなす義務(民法四一五条)を負っていた。

なお、B山高の校長以下の職員らは安全配慮義務の履行補助者であるから、同人らの安全配慮義務を尽くさなかったことによる損害については、被控訴人学校法人が賠償の責めを負うというべきである。

イ また、B山高の校長以下の職員らが安全配慮義務を尽くさなかったことは、控訴人二郎、同太郎及び同花子に対する債務不履行であると同時に、控訴人らに対する不法行為(民法七〇九条、七一〇条)を構成し、被控訴人学校法人は、同人らの不法行為について、民法七一五条に基づく使用者責任を負う。

② 被控訴人高槻市について

高槻市教育委員会は、本件フェスティバルを後援し、被控訴人高槻市は、その管理に係る本件グランドを、本件フェスティバルにおいてサッカー競技場として貸与した。

したがって、本件グランドは国賠法二条一項の「公の営造物」であるから、その管理に瑕疵があり、これによって他人に損害が生じた場合には、被告高槻市は、その損害賠償責任を負う。

③ 被控訴人体育協会について

本件フェスティバルの主催者は、本件グランドの被貸与者である被控訴人体育協会及び同被控訴人により組織され、本件フェスティバルの企画実行を行った本件フェスティバル実行委員会である。

競技会の主催者が参加者を募集し、これに応じた者に競技会への参加を承認した場合、主催者と参加者との間には、スポーツ大会参加契約が成立したものということができ、主催者は、同契約に基づき、参加者に対し、競技を実施する義務を負うとともに、これに付随し、そのスポーツ大会に伴い生じる危険に対しては、大会参加者が安全に競技できるように配慮し、参加者に対して危険が迫った場合には、当該危険を除去し、自然現象などで除去できない場合には、危険を回避するための万全の措置を講じる義務がある。

よって、被控訴人体育協会は、控訴人二郎、同太郎及び同花子に対し、その現地における担当者(履行補助者)の安全配慮義務違反について債務不履行責任(民法四一五条)を負う。

また、被控訴人体育協会は、控訴人らに対し、その現地における担当者の不法行為(民法七〇九条)についての使用者責任(民法七一五条)を負う。

④ 被控訴人北脇について

被控訴人北脇は、本件フェスティバルの主催者である本件フェスティバル実行委員会の委員長である。そして、本件フェスティバル実行委員会は権利能力なき社団ではなく、責任主体とはなり得ないから、被控訴人北脇は、本件フェスティバル実行委員会こと被控訴人北脇として、自らあるいはその履行補助者の行為により、控訴人らの権利を侵害した場合には、債務不履行責任ないし不法行為責任を負う。

(4)  注意義務の具体的内容及び注意義務違反

① 被控訴人学校法人について

被控訴人学校法人は、控訴人二郎を含む在学生徒に対して安全配慮義務を負っているところ、具体的には以下に列挙する内容の安全配慮義務違反がある。

ア 人的条件整備(人的配備)義務違反

本件落雷事故は、被控訴人学校法人管理下のクラブ活動としての野外スポーツ(サッカー競技)を第三者計画の練習大会で実施していた時に発生したものである。

そして、B山高の校長であるA川春夫(以下「A川校長」という。)は、生徒に対する安全配慮義務の一環として、本件フェスティバル参加の可否について被控訴人高槻市、同体育協会及び同北脇らと自校の全参加生徒の安全確保に関する対策について協議・確認し、自校としての対策を確立し、生徒の引率者兼監督につき、その有資格要件を検討し、人選すべき義務があった。

しかるに、A川校長は、その事前協議を怠ったばかりか、競技の引率者兼監督(生徒の安全管理者)について、本来の担当顧問であるE田教諭をD原教諭に交代させることを承認し、D原教諭に対して出張承認を行った。

しかしながら、D原教諭は、野外スポーツと気象条件による危険発生とその予防対策の知識を持ち合わせていないどころか、全く無関心であり、スポーツ競技の引率者兼監督としてはふさわしくなかったもので、D原教諭を人選したのは、被控訴人学校法人の代理監督者(校長)としてなすべき安全配慮義務(人的条件整備義務)の違反である。

さらには、被控訴人学校法人としては、少なくとも、安全配慮義務の一環として、野外スポーツの運動クラブを担当する顧問等の教諭に対しては、野外スポーツに伴う危険を予見するために、危険発生原因について運動そのものに内在する危険(衝突や転倒による傷害等)に限らず、当然、野外スポーツ一般に伴う危険発生原因として気象条件によるもの(例:熱中症・雪崩被害・風水害・雷被害)について、被災予防に関するルールを常に習熟すべく学習、研究させる義務が存し、さらに、これらの教諭にも、その学習・研究義務が存する。

しかるに、前記のとおり、D原教諭は、サッカー競技そのもののルール以外、とりわけ気象条件による危険発生原因と対策については全く無知であったものであり、これはD原教諭の義務違反であるとともに、被控訴人学校法人には、このような状況を放置した安全配慮義務違反が存するというべきである。

また、A川校長は、D原教諭に対して出張承認をした当時、台風一二号の進路は日本本土に向かっていること(予兆情況)は認識していたのであるから、安全配慮義務の一環として、少なくとも教頭等に指示して引率者を増員すべきであったのに、A川校長は、そのような措置を講じなかった。

イ 台風接近時の生徒に対する安全確保義務違反

およそ、教育者としては、台風が接近しているような状況下でスポーツ競技に参加することを考える場合には、台風による危害発生原因(本件では落雷被害の可能性を含む。)について学習し、その詳細を公的機関等に問い合わせる等して情報収集すべきであった。

しかるに、A川校長及びD原教諭は、本件フェスティバルに向けて高知県を出発する以前から、台風一二号の発生とその後の気象状況を公的情報によって知見し、もしくは知見し得たにもかかわらず、詳細な情報収集には関心がなく、これを怠った。

また、野外スポーツの性質上気象の変化を無視できないものであるから、A川校長、教頭としては、その情報収集のため携帯ラジオ(小型で可)や携帯電話等の情報収集機器を引率者に携行させ、気象に関する情報収集を容易にさせ、B山高との連絡体制を確立しておくべきであるのに、漫然と船が出港したから安全と考えるという杜撰な対応をとった。

また、D原教諭もA川校長ら監督者に対し、こうした対応を求めるべきであったにもかかわらず、それをしなかった。

これらは、いずれも、本件フェスティバルに参加した生徒に対する安全配慮義務違反である。

ウ 本件グランドの安全確保のための事前調査義務違反

本件落雷事故発生現場である本件グランドは、いうならば、B山高のサッカー部活運動場が県外に移動したものであり、授業場所の一的的な移動であると評価できる。

しかして、本件グランドは、B山高としては、初めて使用する教場であるから、A川校長としては、D原教諭あるいはE田教諭に対し、本件グランドとその周辺地域を調査させ、安全性の確保が具備されているか確認する義務があった。

もし、D原教諭又はE田教諭がこうした調査を行っていれば、気象状況によって発生する落雷の際の安全対策としての避雷針の所在場所や雷雲来襲の際の安全空間(避難場所)の存否を確認でき、かつ、避雷針の効用を学習していれば、出発前に台風一二号についての予兆認知の際に本件グランドの危険性が認知できたはずであるが、両教諭はこれをなさず、漫然と参加した。

また、A川校長もこの現地調査を指示しなかった。

これらも、安全配慮義務の一環としての本件グランドの安全確保のための事前調査義務違反を構成するというべきである。

エ 本件グランド到達時点での競技実施手順の確認・競技中断等の協議義務違反

前記のとおり、本件フェスティバルにおけるB山高サッカー部の競技実行当日である八月一三日は、台風の影響による降雨等、気象の変化が予想されていた。

したがって、D原教諭は、本件グランド到着後(午前一一時ころ)、直ちに、当日の競技実施手順の確認をとらなければならず、台風の影響による気象状況の悪化に伴う競技の中断・中止について、ひいては、本件フェスティバルの運営そのものの中断・中止について、本件フェスティバルの主催者の本件グランドにおける現場担当者であるC田一男(大阪府立D野高等学校体育教諭、以下「C田」という。)との間で中止・中断のルームを確認し、あるいは自らの意見を具申して協議決定しておくべきであり、主審らとの間においても、気象が変化したときにおける競技の続行及び中止の基準を協議しておくべきであった。

加えて、D原教諭は、本件グランドに落雷回避施設がないことを知見していたのであるから、少なくとも、AMラジオを携行する等して、雷注意報の発令を随時確認できる体制を整えておくべきであったし、雷注意報が発令されるなど落雷の危険が発生した場合における回避場所を探すべきであった。

雷注意報は、生命の危険をもたらす落雷の危険が確実に切迫していることを知らせる独立した情報である。レーダー観測で大気中に存在する高圧の電位差を測定して科学的になされるものであり、その発令は放電が確実に起こることを知らせるものである。落雷の危険があれば安全なところへ逃げるしかなく、逃げることにより確実に被害からは逃れることができる。

したがって、引率の教諭は、台風が接近し、落雷の可能性、特に雷注意報の情報に気を配るべきであった。

しかるに、D原教諭は、これらの義務をいずれも怠ったものであり、これは安全配慮義務違反である。

オ 天候が悪化した時点(午後一時ころから本件落雷事故に至る直前)における結果回避義務違反

本件フェスティバル当日である八月一三日、本件グランド付近では、昼ころから雨が降り始め、同日午後一時ころには、本件グランド付近に降雨があり、空には黒雲が立ちこめ、同日午後三時一五分には、大阪管区気象台より大阪府全域に雷注意報が発令される事態となった。

また、本件落雷事故のあった競技の前の試合の時には、雨はさらに強くなる状況にあった。

さらに、上空に雷を発生させる雲の発生を意味する黒い雲が現れ、本件落雷事故の発生した競技の開始時点にもこれは認められており、雷鳴・雷光も見聞された。

黒い雲と雷光・雷鳴の二つは、落雷の危険が切迫していることを示す誰でも分かる具体的な兆候であり、広い平坦なグランドの中で屋外スポーツをしている場合、前記の兆候に出会えば直ちにスポーツを止めて避難しなければならない。

したがって、遅くとも、本件落雷事故の発生した、B山高サッカー部の第二戦の開始時刻である午後四時三〇分ころには、引率教諭としては、競技の中止・中断を審判あるいは運営責任者に申し入れ、あるいは、危険が迫った場合には自らの判断で主審の指示を待つまでもなく緊急避難権の行使として競技への参加を取りやめ、あるいは競技を中断・中止し生徒を避難させるべきであった。

しかるに、D原教諭は、落雷に備えての安全空間の確保も確認せず、また自らが他の試合の審判であったことから、その間少なくともグランドからの可視範囲内での雷雲の発生の事実に神経を集中せず、これを看過し、また、審判役を終わった後も全く気象の変化に関心を持たず、上空の様子の分からないB山高用テントの後方で自分の審判中に汚れた靴下や靴を洗っており、参加生徒であるB野夏夫(以下「B野」という。)から競技続行に不安を告げられたにもかかわらず、主催者が決めることとの認識を示し、自ら意見具申する等の努力をなさず、漫然と放置し、落雷被害回避のための措置を全くとろうともしなかった。

B野は、D原教諭に「こんな状態でもやるのですか」と告げ、試合を止めてほしいとの意思表示をしたにもかかわらず、D原教諭は、「大会側が決めることだから」として相手にしなかったことは、参加生徒が自らの安全に関わる問題について表明した意見さえも無視したものであり、「児童の権利に関する条約」(平成六年五月一六日条約第二号)一二条(意見を表明する権利)違反である。

カ 被控訴人学校法人の危険性認知義務(警戒義務)及び避難義務

被控訴人学校法人は、落雷事故による被災の危険性ある場所においては、常に落雷の危険性があるため、落雷事故を避けるため、具体的安全配慮義務として、落雷の現実的危険性認知義務(警戒義務)及び落雷の現実的危険性を察知したならば、落雷事故を避けるための避難義務を負っていた。

最高裁判所平成七年六月九日判決(民集四九巻六号一四九九頁(未熟児網膜症姫路日赤事件))において、診療契約に付随する義務としての安全配慮義務違反の有無の判断基準が示されたが、同基準は、被控訴人学校法人と控訴人二郎との在学契約においても適用されるべきであり、被控訴人学校法人の安全配慮義務違反の有無は、被控訴人学校法人において、落雷事故予防に関する知見を有することを期待することが相当と認めらるか否かによって判断されるべきである。そして、被控訴人学校法人の履行補助者において、落雷事故予防に関する知見が不十分であり、落雷事故発生の危険を予見していなかったとしても、被控訴人学校法人は、履行補助者に上記知見を得させておくべきであって、仮に履行補助者の認識が不十分であり、落雷事故発生の危険を予見していなかったとしても、安全配慮義務は否定されるものではない。

具体的安全配慮義務の前提としては、基礎的な気象情報を把握することが必要である。しかし、基礎的な気象情報を把握しただけでは、具体的に、いつ、どこで、どの程度の雷が発生するかを明確に予測することはできないから、避難の前提となる落雷の現実的危険性を認知しなければならない。

落雷事故から避難するためには、その前提として落雷の現実的危険性を認知することが必要であり、これを認知するには、次の方法がある。

第一の方法は、人体の五感で落雷の現実的危険を認知する方法であり、五感による判断の対象は、雷鳴及び入道雲の発達と頭上の厚い雲の広がりである。

第二の方法は、AMラジオ、無線機を利用して落雷の現実的危険性を認知する方法である。AMラジオ、無線機に入る雑音により、雷の接近が把握できるのである。

屋外スポーツを実施する者にとって、雷雲等が発生し、あるいは雷注意報が発令されたという事実は、落雷の現実的危険性以前の、落雷が生じる一般的危険性の存在に関する基礎事情である。すなわち、雷雲等が発生し、雷注意報が発令されただけでは、具体的にいつ、どこで、どの程度の雷が発生するかという落雷の現実的危険性の判断をする上では情報として不足しているのであり、避難義務を直ちに履行する状態ではなく、これらの情報から導かれる具体的安全配慮義務は、継続的にかつ最新の気象情報を収集し、落雷の現実的な危険性を認知し得るためのAMラジオなどを用意するというものである。

キ 被控訴人学校法人の危険性認知義務(警戒義務)及び避難義務違反

本件事故の三日前の八月一〇日付け朝日新聞は、「台風一二号や大陸からすすんでくる気圧の谷の影響で、雲の多い天気になり、にわか雨や雷雨のところもありそう」と予報し、雷に要注意という報道をし、注意を喚起しており、本件事故当日である八月一三日には大型で強い台風が日本に接近していた。被控訴人学校法人の履行補助者であるD原教諭は、「大阪地方は曇り時々晴れ、気温高い、台風一二号影響下、少し天候は不安定な状況であった。」と認識していたから、B山高サッカー部員が本件グランドに到着した同日午前一一時ころには、D原教諭は、「大気が不安定」であり、本件グランド付近で落雷が生じる可能性が高いことを認識すべきであった。

そうである以上、D原教諭は、(ア)継続的にかつ最新の気象情報を収集し、(イ)落雷の現実的危険性を認知し得るためのAMラジオなどを用意する義務(警戒義務)があるが、これらの義務を履行することなく、午後三時一五分ころ、大阪管区気象台から雷注意報が発令された事実を看過した。

そして、(ア)午後一時五〇分の時点で、雷雲が上空に現れ、小雨が降り始め、時に遠くに雷鳴が聞こえるような状態であり、(イ)午後一時五〇分の時点で、B山高サッカー部の選手の中には、その試合の前後に、落雷防止のため、首にしていたペンダントを外す者もおり、控訴人二郎もチームメートにペンダントを外した方がいいかを聞いたりしていた、(ウ)午後三時ころから開始された本件事故の前の試合(三原高校対武生商業高校の試合)においては、試合開始直後から、空には暗雲が立ちこめて暗くなり、ラインズマンがラインを確認し、オフサイドの判定をするのが困難なほどの豪雨が降り始め、後半も激しく降り続いた、(エ)午後三時一五分ころ、大阪管区気象台から雷注意報が発令され、雷鳴や黒雲の発生については、遅くとも三原高校対武生商業高校の試合の後半の半ばころである午後四時ころまでには、確認されていたとの諸事情が認められているのであるから、同時刻ころまでには、落雷の現実的危険性認知義務に基づき、落雷の現実的危険性を認知すべきであった。それにもかかわらず、D原教諭は、これを看過して試合を中断することなく続行し、さらに、その後の気象状況は、(オ)B山高と大阪トレセンB2チームとの試合(以下「本件試合」という。)が開始された午後四時三〇分には、「雨は止み、空も大部分は明るくなりつつあった。もっとも、そのころには本件グランドの西南の方向に黒く固まった暗雲が立ちこめ、雷鳴が聞こえ、雲の間に放電が起きるのが目撃されたが、雷鳴自体は大きなものではなく、遠くの空で発生したものと考えられる程度のものであった。」(原判決の認定。ただし、この認定が誤りであることは、後記のとおり。)というのであり、本件試合が開始された午後四時三〇分の時点、あるいは本件事故が生じた午後四時三五分の時点までの気象状況の推移は、再開するための条件、すなわち落雷の現実的危険性が去ったことを判断するために必要な条件である「上空に雷雲がなくなっても二〇分くらい様子をみる」との条件(「大気電気学」北川信一郎編著・平成八年六月)を満たしていないことは明らかであり、本件グランドに落雷が生じる危険性がなくなったと判断できる材料は皆無であったにもかかわらず、避難義務を怠り続けたという具体的安全配慮義務違反があり、もって本件落雷によって人身事故を生じることを回避し得なかったものである。

なお、午後四時三〇分の時点で、「空も大部分は明るくなった。」との原判決の認定は誤りであり、「雨はやんだが、西南からどんよりした黒い雲が迫ってきて、どうなるか心配だと思う者が多かった。」と認められるべきである。

ク 被控訴人学校法人の民法七一五条に基づく責任

D原教諭は、上記キのとおり、落雷事故発生を防止するための具体的安全配慮義務(注意義務)を怠ったものである。

よって、被控訴人学校法人は、民法七一五条に基づき、D原教諭の過失により控訴人らが本件事故で被った損害について賠償する責任がある

② 被控訴人高槻市について

被控訴人高槻市には、本件グランドの管理者として、国賠法二条一項に基づき、以下のとおり、本件グランドの管理の瑕疵によって控訴人らに生じた損害を賠償する責任がある。

ア 本件グランドが落雷事故の危険性のない気象状況下において、サッカー競技を行うに当たり通常有すべき安全性を有していたとしても、本件グランドの客観的な性状が、落雷の現実的危険性が存する気象状況下で利用するには、落雷事故の危険性ある施設であるならば、落雷の危険性が迫った時点において、本件グランドは「通常有すべき安全性」に欠ける状態になるのであり、被控訴人高槻市は、落雷の危険性について情報収集をし、かつその危険性について判断し、危険性が認められる場合は、その利用を中止する措置を講じなければならない。

本件グランドの客観的状況は、(ア)その広さがサッカーのフィールドが二面とれるような広大なものであり、(イ)グランド面が落雷から守られるような避雷針あるいはこれと同じ機能を果たす構造物は設置されておらず、(ウ)競技者及び観客の収容数が相当数となり、これらの収容者全員が避難できるような避雷舎も設置されていない、との状況にある。

本件グランドの設置・管理は、防災科学の見地を取れ入れて検討されるべきであり、本件グランドの客観的状況をみれば、本件グランド利用者が落雷事故に被災することは、容易に予見され得るものであった。

本件グランドの客観的性状が、落雷の現実的危険性が存する気象状況下で利用するには、落雷事故の危険性ある施設であることは、その構造上明らかであり、本件事故当時のように、落雷の現実的危険性が存する気象状況下において、本件グランドを落雷事故防止対策を全く講じないまま利用させるという管理方法は、通常有すべき安全性に欠けるものである。

仮に、被控訴人高槻市において、落雷の危険性について情報収集をし、かつ、その危険性について判断し、危険性が認められる場合、利用中止する措置をとることを被貸与者である被控訴人体育協会に委ねることが許されるとしても、被控訴人高槻市は、(ア)本件グランド利用契約に際し、被貸与者である被控訴人体育協会に対し、本件グランドの利用が危険であるか否かの判断基準及び危険であると判断すべき事情が生じた際には、本件グランド利用者を安全な場所に退避させる措置を講じることが必要であることを告知し、(イ)退避措置を講じることを利用者である被控訴人体育協会に履行させ、(ウ)退避措置が講じられていることを確認する措置を講じなければならない。

上記措置を本件グランドに即してふえんするならば、被控訴人高槻市は、(ア)落雷が予想される気象条件下では、本件グランドは、通常有すべき安全性に欠ける状態となることを告知し、(イ)本件グランドの客観的環境から、本件グランドは、利用者に落雷事故が生じやすいことを告知し、(ウ)本件グランド利用者は、落雷の危険性について情報収集をし、危険性が認められる場合は、利用を中止する措置を講じる必要があることを告知し、(エ)本件グランドないしその周囲の避雷設備及び避難経路を教示し、被控訴人体育協会をして、使用中止の判断から安全に避難が完了するまでに要する時間を確認させ、避難に要する時間を考慮の上、避難が可能な時点で、予め利用を中止させる必要がある。

しかるに、被控訴人高槻市は、上記措置を何ら講じていないのであるから、本件グランドの管理に瑕疵があったことは明らかである。

イ 被控訴人高槻市は、サッカー競技の場所を提供し、これを管理するものとして、その場所に集う競技参加者に対し、発生が予測される危険についての防止義務を負う。

被控訴人高槻市は、本件フェスティバルの主催者に気象情報を正しく伝え、主催者をして中止・中断を正しく判断させることが求められる。

被控訴人高槻市には、台風とこれによる雷の被害・危険に関する警報や注意報が出されたときには、主催者が中止や中断の判断を行わない場合であっても、即時に本件グランドにおける競技を中止・中断させ、競技を順延させる等の本件グランドの管理者としての義務が存した。

しかも、本件グランドに避雷針も避雷舎も設置されていない状況においては、被控訴人高槻市としては、公の営造物の管理義務の一環として、雷注意報の発令に対応した競技の中断・中止のルールを定め、マニュアル化してこれを周知徹底しておく義務が存し、同時に、自ら中断・中止を速やかに判断できる体制を作っておく義務が存した。

このような義務はいずれも関係者と予め申し合わせておけば済むことであり、あるいは申し合わせ内容のマニュアルを一、二枚のチラシに印刷しておけば済むことであり、いずれにしても被控訴人高槻市にとっては極めて容易に履行しうる内容の義務であった。

しかるに、被控訴人高槻市は、これらの義務を怠ったものであるから、国賠法二条の営造物の管理の瑕疵がある。

③ 被控訴人体育協会及び同北脇の責任について

ア 被控訴人体育協会及びサッカー連盟会長兼本件フェスティバル実行委員会委員長であった被控訴人北脇は、本件フェスティバルにおいてサッカー競技を運営するにあたり、安全に競技が開催できるように、特に参加するサッカー選手が高校生であること、本件グランドが野外運動場であり、避雷針も避雷舎もなく競技者に落雷することが予想されること、かつ開催が夏季であり、台風の接近や落雷の危険が事前に予想されることなどから、落雷の危険のある気象状況下におけるサッカー競技のあり方、競技の中断・中止の条件等についての取り決めを競技開始前に行うほか、落雷被害を防止するに足りる人的物的体制を整え、落雷の危険その他安全について監視する責任者(雷注意報が出されたときには、さらに、気象状況に注意し、積乱雲が発達して上空を覆ったり、雲鳴が聞こえたりするときは、即時競技を中断・中止するかどうかを判断する責任者)を定め、予め本件グランドの近くに安全な退避場所を設置し、連絡体制を作り、あるいはこれらの確認をし、これらの態勢がとれない場合には本件グランドにおけるサッカー競技の開催を中止するなどし、参加生徒に落雷被害が発生しないよう未然に防止する義務があった。

しかるに、被控訴人体育協会及び被告北脇は、これらの義務を怠り、こうした連絡体制を整えたり、責任者を定める等の措置をとらなかった。

また、被控訴人体育協会及び同北脇は、自ら常時雷注意報を掌握するよう努める義務があったにもかかわらず、これを怠った。

特に、B山高の競技した午後四時三〇分ころまでには、雷鳴と黒い雲が頭上を覆い、あるいは押し寄せてきて、直ちに安全空間に避難させるべき状況にあったのであるから、被控訴人体育協会は、この段階においては、サッカー競技を直ちに中断・中止し、本件フィールドから引き上げ、落雷被害を回避する義務があったにもかかわらず、これを怠った。被控訴人北脇は、当日は本件グランドにいなかったとはいえ、こうした態勢を整えておくべき義務はあったにもかかわらず、その義務を尽くさなかった。

イ 本件フェスティバルの主催者は、本件グランドの被貸与者であり、本件フェスティバル実行委員会を組織させた被控訴人体育協会及び同被控訴人により組織された本件フェスティバル実行委員会である。

ウ 本件フェスティバル実行委員会は、権利能力なき社団といい得るための要件を欠いており、本件フェスティバル実行委員会は、本件事故に関する債務不履行ないし不法行為に基づく責任主体とならないから、本件フェスティバル実行委員長である被控訴人北脇が、本件フェスティバル実行委員会こと被控訴人北脇として、債務不履行ないし不法行為責任を負う。

被控訴人北脇は、本件フェスティバル実行委員会の委員長として、自身及び履行補助者により本件フェスティバルを実行したものであり、被控訴人北脇の行う役割が何であるかを問わず、本件フェスティバル実行委員会としての対外的責任を負う。その活動がボランティアによるものであっても責任が軽減されるものではなく、また、本件事故当日、病気のため自宅で静養していたとしても、免責されることはないというべきである。被控訴人北脇が自身で安全配慮義務を履行できない場合には、同被控訴人に代わり、安全配慮義務を履行すべき履行補助者をして同義務を尽くさせるべきだからである。

エ 本件フェスティバルの主催者としての被控訴人体育協会及び同北脇の具体的安全配慮義務は、前記①カの被控訴人学校法人の具体的安全配慮義務と同様であり、現地(本件グランド)における主催者の担当者であるC田は、D原教諭と同様に、被控訴人体育協会及び同北脇の履行補助者として、危険性認知義務(警戒義務)及び避難義務を負っていた。

被控訴人協会及び同北脇は、屋外活動においては落雷事故が生じる危険性があり、落雷事故に被災した場合には、死亡、重度障害を含む深刻な被害を生じる恐れがあるとの知見を有することを期待できる。そして、被控訴人体育協会及び同北脇は、(ア)落雷が生じやすい気象条件であることについて判断するための科学的な知見(基礎的気象情報収集の基礎たる知見)、(イ)落雷の具体的危険性について認知するために必要な科学的知見(落雷の現実的危険性認知の基礎たる知見)、(ウ)落雷の具体的危険性発生について認知した上で、落雷事故を防止するための避難をするために必要な知見(避難義務の基礎たる知見)を有すると期待することが相当である

しかるに、被控訴人体育協会及び同北脇及びその履行補助者であるC田は、落雷の現実的危険性の認知義務及び落雷事故回避義務を怠った。

オ 被控訴人体育協会及び同北脇の民法七一五条に基づく責任

C田は、上記エのとおり、落雷事故発生を防止するための具体的安全配慮義務(注意義務)を怠ったものである。

よって、被控訴人体育協会及び同北脇は、民法七一五条に基づき、C田の過失により控訴人らが本件事故で被った損害について賠償する責任がある。

(5)  損害

被控訴人らの安全配慮義務違反又は不法行為により、控訴人らの被った損害は以下のとおりである。

① 控訴人二郎の損害

ア 得べかりし利益

控訴人二郎は、昭和五五年七月八日生まれで、本件落雷事故当時満一六歳であった。

本件落雷事故により、生涯労働することが不可能となったことから、一八歳から就労可能な六七歳までは、これを賃金センサス平成八年第一巻第一表の産業計・男子労働者・学歴計の平均給与を基礎収入とし、六八歳から平均余命の七七歳までは、六五歳から六七歳までの上記平均給与の二分の一を基礎収入とし、五パーセントの単式ホフマン係数を乗じて現価を算出すると、別紙一「将来損害原価表」のとおり一億二七四四万六五七二円になるが、これから日本体育・学校健康センターの第一級障害見舞金三三七〇万円を控除すると、残額は、九三七四万六五七二円となる。

イ 治療費関係

a 入院費

平成八年八月一三日~同年九月九日(三島救命救急センター) 八一万五五二四円

平成八年九月九日~平成九年四月一七日(高知赤十字病院) 一六一万三九六七円

平成九年四月一七日~平成一〇年三月一四日(近森リハビリテーション病院) 八六万六八五八円

小計 三二九万六三四九円

b 通院費

平成九年八月四日~平成一〇年一二月一一日(近森病院本院への月二回程度の外来扱い分) 五万〇二三二円

平成一〇年五月一九日~平成一一年一月一一日(退院後の近森リハビリテーション病院でのショートステイ代) 一万六五三三円

平成一二年一〇月二五日~同月三〇日(近森リハビリテーションでのショートステイ代) 一万五一九五円

小計 八万一九六〇円

c 治療費関連費

駐車場代(平成九年四月二一日~平成一〇年二月二四日) 一九万二七〇〇円

装具費

けいつい装具(平成八年九月一二日) 一万九二四〇円

右短下肢装具(平成九年六月五日) 四万〇八三〇円

小計 六万〇〇七〇円

器械類

按摩いす 一六万二七四〇円

ファクシミリ 三万八九三四円

電話機 一万五五四〇円

病室用CD 一万四四六〇円

同TV 三万五八六〇円

視力回復機(リース代) 三万円

同(購入費) 五万八〇〇〇円

折りたたみ椅子 三万〇二四〇円

リハビリ用砂のう 一万三四四〇円

リハビリ用バイク 五万五四四〇円

サポーター 二五二〇円

リハビリ用パワーステップ 八〇七〇円

紙おむつ・紙パンツ 三万七二〇八円

リハビリ用シューズ 一〇五一円

別紙二「器械類・在宅介護経費追加分」 一八万七二五二円

小計 六九万〇七五五円

d 文書代 五万五四二五円

e 針・マッサージ代 一五万円

f 近森病院EPA―α投薬代 一五万六六〇〇円

g 交通費・宿泊費

高知―大阪 四三万三六六六円

控訴人太郎、同花子、同一郎は、本件落雷事故現場が遠隔地であったため、平成八年八月一三日より同年九月九日まで、高知と大阪を何度となく往復せざるを得なかった。その旅費・宿泊費四三万三六六六円は、最終的な負担者からみて、控訴人二郎の損害と考えるべきである。

京大付属病院 一八万〇二五七円

阪大付属ボバース記念病院診療費 七万七一八〇円

紹介病院交通費・診療費 三万二四五〇円

高知―瀬高―柳川リハビリテーション病院 八万〇七七〇円

控訴人二郎は、盲学校受験に必要な検査をするため、平成一六年二月四日から同月一〇日まで、柳川リハビリテーション病院に入院した。控訴人二郎は、同病院に入院するため、高知駅から瀬高駅まで列車で移動し、瀬高駅から同病院までタクシーで移動したが、これらの交通費は、本件事故と相当因果関係のある控訴人二郎の損害というべきである。入院に必要な衣類等の送料も同様である。また、入院時と退院時に控訴人花子が付き添っており、この交通費も控訴人二郎の損害というべきである。

小計 八〇万四三二三円

h 在宅介護経費 八九万三一八六円

i 入院退院時の病院へのお礼 三九万三六八六円

j ボランティアさわやか高知回数券 一〇六万八六〇〇円

k イトオテルミー治療費 四七万七三三五円

合計 八三二万〇九八九円

以上aないしkの合計は八三二万〇九八九円となるところ、控訴人二郎は、日本体育・学校健康センターよりの災害共済給付金三三六万一三一六円を受給したことから、これを同金額から控除すると、残額四九五万九六七三円となる。

ウ 介護費 八四七九万三一五〇円

控訴人二郎は、現在母親の介護を受けているが、これは本来専門の介護資格を有する者の介護を受けるべきところ、これに代わって行っているに過ぎず、終生にわたって専門家の介護が必要である。

一六歳の平均余命は六一・〇一年であり、かつ、専門の介護資格を有する者の介護費は少なく見積もっても一日一万円を下回ることはないから、一六歳から七七歳までの介護費の総額は、八四七九万三一五〇円となる。

一万円×三六五×二三・二三一(一六歳から七七歳までの六一年間に対応するホフマン係数)=八四七九万三一五〇円

エ 障害者用自動車購入代金 一三九万一三〇〇円

控訴人二郎は、リハビリ通院を継続することにより、身体機能・運動機能の低下劣化を防止し、体力が少しでも向上するよう毎週月曜から金曜までほぼ毎日リハビリテーションクリニックちかもりに通院中であるところ、平成一一年一〇月二〇日までは、障害者サポート組織のさわやか高知の車いす用の自動車(一回利用料金三〇〇〇円)や車いす用リフト付バス(一回利用料金三一八〇円、他に月会費が必要)を利用せざるを得なかった。

控訴人太郎は、その毎回の経済的負担(平成一〇年五月から平成一一年一〇月二〇日までの三一六回の利用料金は一回三〇〇〇円としても九四万八〇〇〇円であった。)よりも自家用車を購入した方が経済的負担が少ないことから、平成一一年一〇月二〇日にマツダデミオ(一三〇〇cc特別仕様車)を一三九万一三〇〇円で購入した。

これは、本件と相当因果関係にある損害というべきである。

オ 障害者用居宅増築代(一部) 二五六九万五五五七円

控訴人二郎の後遺障害等級は一級であるところ、その具体的な症状は次のとおりである(なお、四肢麻痺については、本人及び家族の必死の努力とリハビリの効果により、軽減改善の傾向をたどり、現在四肢運動障害といえる状態に至っている。)。

a 嚥下障害 下垂足 構音障害 湿疹 尿路感染症

b 白癬 便秘症 失調症 落雷による脳損傷

c 症候性てんかん

d 運動失調 不完全な皮質盲 低酸素脳症

e 四肢運動障害 感覚障害

これらの後遺症は、どれを取り上げても重症な後遺障害というべきところ、多重障害者たる控訴人二郎を少しでも人間らしい生活を営ませるため、控訴人太郎は、同二郎の生活空間を自宅の増築という形で用意した。

そのための出費は以下の内訳のとおり二二九一万一〇〇〇円である。

内訳

セキスイハイム宛支払総額 二四九七万円

うち本体工事代金 二一九七万五〇〇〇円

うち太陽光発電工事代 一五四万円

うち浄化槽工事代(補助五一万九〇〇〇円を含む。) 一四五万五〇〇〇円

このうち、浄化槽工事代については、高知市環境保全課より五一万九〇〇〇円の補助が出たのでこれを減額するほか、太陽光発電工事代一五四万円も必要不可欠な工事ではないのでこれを減額すると、損害額は二二九一万一〇〇〇円となる。

また、家の中から道路へ出るまでのアプローチ工事をしたが、その工事代金は、三一五万三八三二円であり、追加分一一万二八七五円を含めると、合計三二六万六七〇七円であった。これに対しても高知市より五〇万円の助成金が支出されたので、これを減じると、損害額は二七六万六七〇七円となる。

手すり設置の自己負担金 一万七八五〇円

合計 二五六九万五五五七円

カ 将来の療養品等購入費 六〇八万五四六二円

a 車椅子作成費用 二九万五七〇五円

車椅子は、五年毎に公的助成を受け、一回分の自己負担金三万五〇〇〇円で買い換えをすることができ、しかも車椅子の耐用年数は五年が相当であるから、別紙一「将来損害原価表」のとおり、将来の五年毎の車椅子の作成費用は合計二九万五七〇五円となる。

b EPA―α投薬代 七〇万三八六四円

EPA―αは、脳の血流をよくするため、今後毎月購入しなければならず、一か月二七〇〇円、一年に三万二四〇〇円の投薬代が必要となるから、別紙一「将来損害原価表」のとおり、将来の投薬代は、七〇万三八六四円となる。

c 自動車の購入費用 五〇八万五八九三円

自動車の耐用年数は、最長でも六年であり、控訴人二郎が満七七歳に達するまで少なくとも九回の買い換えが必要であるから、一回当たり一三九万一三〇〇円として、別紙一「将来損害原価表」のとおり、将来の自動車購入費用は、五〇八万五八九三円となる。

キ 慰謝料 三九五〇万円

控訴人二郎は、本件落雷事故により、一生障害を抱えて生活せざるを得ず、その豊かな将来を奪われたことによる精神的損害は筆舌に尽くしがたく、本人がいかに努力しようとも回復は困難である。この精神的損害をあえて金額に換算すれば四〇〇〇万円は下回らない。

なお、被控訴人学校法人より見舞金が合計五〇万円支払われていることから、これを控除し、三九五〇万円を請求する。

ク 弁護士費用 二五一二万円

アないしキの損害額合計は、二億五六一七万一七一四円であるところ、その九パーセントに二〇七万円を加算した弁護士費用二五一二万円は、本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。

ケ アないしクの合計 二億八一二九万一七一四円

控訴人二郎は、上記損害のうち、二億六〇六九万七三三八円並びに内金二億三七二七万七三三八円に対する本件事故の日である平成八年八月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金及び弁護士費用の内金二三四二万円に対する第二審判決言渡しの日の翌日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

② 控訴人太郎の損害

ア 慰謝料

控訴人太郎は、本件落雷事故により控訴人二郎の将来に対し親として回復しがたい精神的損害を被った。その程度ははかりがたく深いものであるが、あえて金銭評価するならば一〇〇〇万円を下回らない。

イ 弁護士費用 一七七万円

ウ ア及びイの合計 一一七七万円

③ 控訴人花子の損害

ア 慰謝料 一〇〇〇万円

控訴人太郎と同額とするのが相当である。

イ 弁護士費用 一七七万円

ウ ア及びイの合計 一一七七万円

④ 控訴人一郎の損害

ア 慰謝料 一〇〇〇万円

控訴人太郎及び同花子と同額とするのが相当である。

イ 弁護士費用 一七七万円

ウ ア及びイの合計 一一七七万円

二  請求原因に対する認否

(1)  被控訴人学校法人

① 請求原因(1)①は認める。

同②アについては認める(同②イないしエは認否対象外)。

② 同(2)①のうち、被控訴人体育協会がサッカー連盟に本件フェスティバル実行委員会を設置させたこと、平成八年八月に本件フェスティバルを開催したこと、同②の第一段のうち、「第一〇回高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル」という名称で本件フェスティバルが実施され、控訴人二郎がB山高を代表して競技に参加したことは認めるが、その余の詳細は不知。

同②の第二段は認める。

同③の第一段は認め、同第二、三段は争う。

同④のうち、控訴人二郎が三島救命救急センターに救急車で搬送されたこと、同センター、高知赤十字病院及び近森リハビリテーション病院で治療を受けたことは認め、その余は不知。

③ 同(3)①ア、イについては、控訴人二郎と被控訴人学校法人との間に在学契約関係が存在したこと、控訴人二郎が課外活動としてサッカー部に所属していたこと及び被控訴人学校法人が控訴人二郎に対し抽象的な意味での安全配慮義務を負っていたことは認め、その余は不知ないし争う(同(3)②ないし④は認否対象外)。

④ 同(4)①アないしクについては否認ないし争う(同(4)②③は認否対象外)。

⑤ 同(5)は争う。

なお、同(5)について、控訴人らに対して、日本体育・学校健康センターから障害見舞金三三七〇万円及び災害共済給付金三三六万一三一六円が支払われているほか、被控訴人学校法人から見舞金及び被控訴人学校法人呼びかけの「A野二郎君を支援する会」から義援金約一七〇〇万円が交付されている。

(2)  被控訴人高槻市

① 請求原因(1)①は不知。

同②イについては認める(同②ア、ウ、エは認否対象外)。

② 同(2)①は認否対象外。

同②は不知。

同③のうち、控訴人二郎に本件落雷事故が起きたことは認め、その余は不知ないし否認する。

同④について、三島救命救急センターで救急手当が施されて控訴人二郎が蘇生したとの点は否認する。控訴人二郎が蘇生したのは、本件落雷事故直後の応急措置によるものである。また、控訴人二郎の後遺障害等級が一級であることは認めるが、その余は不知ないし争う。

③ 同(3)②については、被控訴人高槻市が本件フェスティバルを後援し、本件グランドを提供したことは認め、その余は争う(同(3)①、③、④は認否対象外)。

④ 同(4)②ア、イについては争う(同(4)①、③は認否対象外)。

⑤ 同(5)は争う。

(3)  被控訴人体育協会及び同北脇

① 請求原因(1)①は認める。

同(1)②ウ、エについては概ね認める(同②ア、イは認否対象外)。

② 同(2)①のうち、被控訴人体育協会がサッカー連盟に本件フェスティバル実行委員会を設置させたこと、平成八年八月に本件フェスティバルを開催したことは認めるが、その余は不知。

同②について、「第五二回国民体育大会サッカー競技(少年男子)開催記念大会」とあるが、記念大会ではない。また、本件フェスティバルは、あくまで練習会ないし交換試合であり、競技会ではない。その余は概ね認める。

同③、④は不知ないし争う。

③ 同(3)③、④については否認ないし争う(同(3)①、②は認否対象外)。

本件フェスティバルの主催者は、高槻市体育協会サッカー連盟である。控訴人らは、被控訴人体育協会及び本件フェスティバル実行委員会が主催者であり、同委員会は権利能力なき社団でないことから、その代表者である被控訴人北脇が責任を負うと主張するが、各団体の法人格性の有無にかかわらず、代表者であるからといって過失責任を負う根拠は全くない。

なお、被控訴人北脇は、本件落雷事故当日、現場にいたわけではなく、現場の状況から落雷を予見することは不可能であったから、被控訴人北脇の行為が不法行為を構成することはない。

④ 同(4)③については否認ないし争う(同(4)①、②は認否対象外)。

⑤ 同(5)は否認ないし争う。

三  被控訴人学校法人の主張

(1)  安全配慮義務の内容

① 本件落雷事故は、落雷という自然現象によるものであって、一般的にサッカー競技に内在する危険が現実化したものではないから、参加する生徒の年齢、知能、体力、技能等に応じ、生徒に過度とならないよう参加計画を立てる、試合にあたっては、立会い、監視し、生徒の健康状態や技能を把握し、場合によっては生徒の試合への参加を見合わせる等の一般的な義務は本件においては検討の対象外である。

② 問題となりうるのは、サッカー競技は、比較的広い会場で行われること及び一般には悪天下でも行われることから、気象状況に対する配慮をどこまでなすべきかという点である。

この点につき、控訴人らは、被控訴人学校法人は、本件フェスティバルに生徒を参加させるにあたって、A川校長、教頭、D原教諭、E田教諭等は、事前に気象情報を綿密に調査し、A川校長としては、自ら気象を調査し、気象についての注意を教諭らに与え、対応を協議し、気象について専門的知識を有しないD原教諭を引率から外し、あるいは教頭と協議して別の教諭も随行させる義務があった、D原教諭としても、気象についての判断能力のある者の同行を求め、それでも一人のときには引率を拒否するべきであり、やむを得ず一人で引率する場合には、気象情報の収集に努め、危害発生を予測し、資料器財を収集、準備すべきであった旨主張し(特に、請求原因(4)①アないしウ参照)、学校の管理責任者や生徒の引率者等に対し、気象の専門家に劣らない知識・能力、あるいは不足する知識・能力を補うための義務を要求する。

③ 過失の内容として注意義務違反が指摘され、注意義務違反の内容として、結果予見義務と結果回避義務に言及されるが、結果予見義務は、結果の予見可能性を、結果回避義務は結果の回避可能性を、それぞれ規範面から述べたものである。また、予見可能性はあるが、結果回避可能性はないということは原則としてないので、結局のところ、過失イコール予見可能性ということになる。そして、予見可能性の対象は、本件事故の場合でいえば、落雷による控訴人二郎の受傷である。

予見可能性は、一般人(通常人)を基準に考えなければならない。一般人(通常人)といっても、世の中一般の平均人ではなく、当該状況と同じ状況にある一般人(通常人)を指すのであって、その知識・経験・技能等を考慮することを要し、これらを要求される職業に従事している場合には、その職業を実施することとなる。本件の場合でいえば、平均的なサッカー指導教員が基準となる。

本件フェスティバルに参加した学校の引率者(サッカー指導者)は誰も気象についての専門的知識を有していなかったと思われるし、おそらく、すべての参加校が控訴人らが主張するような気象状況に配慮した措置はとっていなかったと思われる。

現実の問題としても、屋外スポーツをするについて、冬山登山時、よほど危険なことをするような特別の事情がある場合は除き、学校に気象専門家と同様の対応を求めるのは、人材や費用の点からも非現実的である。

したがって、控訴人らの主張は、被控訴人学校法人に対し過度の注意義務を課するものであって、妥当な見解とはいえない。

④ 次に、本件落雷事故当日以降の過失についていうと、本件落雷事故についての予見の対象は、本件落雷事故当時、本件グランドにおいての競技者、観客等に対する落雷被害の発生であり、予見可能性の程度としては、結果発生の蓋然性とその認識の容易性が必要である。

まず、本件落雷事故においては、台風と落雷の間には関連性がないというのが一般的な認識である。台風一二号は、八月一二日午後三時ころ沖縄本島中部を通過しており、同日あるいは翌日に大阪地方を通過するとの予報はなかった。

雷注意報は同月一三日午後三時一五分ころには発令されていたが、D原教諭は知らなかった。雷注意報は頻繁に発令されており、落雷による人身事故の被害者数に比較すれば、雷注意報の発令は、具体的な落雷による被害の危険を意味するものではない。

本件落雷事故の当日、午前中は降雨はなく、本件落雷事故直前の試合中に降雨があったが、試合を中断するような状態ではなかった。本件試合の開始のときには雨はほとんど止んでおり、本件試合開始から本件落雷事故までの間の雷鳴についてはD原教諭はよく覚えていない。落雷は突然であり、その危険を感じたものはなかった。本件フェスティバルは、当日は、摂津市内及び高槻市内の一〇か所の会場で試合が開催されていたが、いずれも中断はなかった。

本件落雷事故当日、本件グランドには少なくとも一〇〇人以上の者がいたが、危険を感じた者はいなかった。本件落雷事故当時、本件グランドから約六キロメートル西北の高槻警察署の話によっても、落雷の危険を感じるほどの雷雨ではなかった。

したがって、試合開始から本件落雷事故発生までの間、本件グランドにおいてサッカーの試合をしてはならず、続行しているサッカーの試合を中断せねばならないほど落雷の危険があったとはいえない。

以上から、落雷被害についての具体的予見可能性はなかった。

(2)  社会的分業の問題等について

① 本件フェスティバルは、公共的団体であるサッカー連盟の主催したもので、第一〇回目とされているとおり、既に同種の大会が一〇年にわたり毎年開催されており、参加は六二チームという比較的大規模な大会である。

また、本件フェスティバルが実施された本件グランドは、主催者等の管理・支配する場所であって、被告学校法人が管理・支配する場所ではない。

また、本件落雷事故は自然現象によるものであって、生徒・選手のみならず観客等に対する危険も同程度存在し、その防止も同様に問題になる。

したがって、気象状況に対する配慮が問われるとしても、その義務は、原則的には主催者側が負担すべきであって、参加校は、主催者側よりも、参加校側においてよりよく気象状況を把握しうるという特別の事情がある場合にのみ負担するに過ぎないと解されるべきであるところ、本件の場合そのような特別の事情はない。

② また、本件における結果回避の方法の一つとして、試合の中断ないし中止が考えられるが、サッカー競技における荒天候による試合の中断、中止の決定は、日本サッカー協会制定の競技規則により、主審の権限とされている

したがって、対戦チームの監督等が試合の進行についての申し入れをするとすれば、特別な事情のある場合に限られるし、主審の指示なくして一方的に試合を中止して選手を退避させる等の行為は、さらに特別な事情のある場合に限られるのであって、参加校の義務は、原則的に主審の指示に従う義務にとどまっている。

本件落雷事故は、気象の突然の変化によって発生した落雷事故であり、このような特別の事情はない。

(3)  具体的危険の存否について

本件事故当時における具体的な落雷の危険は、落雷の可能性が零ではないというような自然科学的な判断ではなく、社会生活上の危険の判断である。

本件事故当日、高槻市内及び同市に隣接する摂津市内の計一〇か所の会場で本件フェスティバルの試合が予定されていたが、他の会場では、いずれも中断はなく、試合は予定どおり行われた。本件事故当時、本件グランドには、各チームの選手、関係者多数がいたが、それらの者のなかに、落雷の危険を感じていた者はなかった。また、本件グランドのすぐ近くにゴルフ場(高槻ゴルフ倶楽部、一八ホール)があるが、そのゴルフ場においてさえ、本件事故当日の午後は、プレーヤーを退避させたことはなく、通常どおりプレーがなされていた。

したがって、本件事故当時、具体的な落雷の危険(試合をしてはならない程の危険)はなかった。

(4)  警戒義務について

控訴人らは、被控訴人学校法人のサッカー部が本件グランドに到着した平成八年八月一三日午前一一時ころには、被控訴人学校法人には、「大気が不安定(台風の影響下)」で、「本件グランドでは落雷があれば落雷事故が生じる危険性の高い環境下にある」から、落雷事故に対する警戒義務が生じ、具体的には、「継続的かつ最新の気象情報を収集し」、「落雷の現実的な危険性を認知し得るためのAMラジオなどを用意する義務があった。」と主張する。

しかし、単に、「大気が不安定」で、「本件グランドが広大なものであって、避雷針等がない」という状況をもっては、人の生命、身体等に重大な被害が発生するにつき、相当程度の危惧が感じられるといえず、本件フェスティバルの関係者の誰にも、落雷事故に対する具体的な安全性を確認する調査義務及び調査結果に基づく適切な措置をとる義務は生じていない。

また、仮に、調査義務が生じるとしても、次に、その義務の主体は誰なのかが問題となるが、本件フェスティバルのように、しかるべき主催者が存在する場合において、主催者と参加校のいずれが調査義務を負担するかについては、主催者として、人を来集させる場所・施設を提供し、人とそれらを組織し、管理する行為をなす者は、それにともなって生じ得べき危険を防止すべき地位にあることからして、主催者が調査義務を負担することは明らかである。

大阪府下における雷注意報の発令は、本件グランドにおける落雷事故の具体的危険を意味するものではなく、AMラジオの携行については、本件グランド付近においては、頻繁な放電はなく、本件試合の直前には、数回の放電さえもなかったのであるから、AMラジオの携行によって落雷の危険が認知できたとは考えられない。

(5)  D原教諭の義務について

D原教諭の義務は、具体的状況に応じたより具体的な義務について検討することが必要である。

本件では、本件グランドにおいては、四チームによって二つの試合が行われていたのであり、危険は四チームの選手ら、さらには本件グランドにいた者すべてについて同様であるから、試合が中断されるとすれば、それは二試合ともになる。

一つのチームの監督(引率者)が中止すべきと判断し、その結果二試合が中止される経緯は、①その監督が中止すべきこと等を相手チームの監督と協議した上で、または直接に審判に申し出て、②審判が、両チームの監督と協議して、または単独の判断で、中止すべきと判断し、③その審判がそれを大会関係者またはもう一試合の審判に申し出て、④両審判が大会関係者と協議して、または両名で協議して、中止すべきと判断し、その旨の指示がされることになる。

日本サッカー協会の見解も、「試合の中止、中断の権限は、当該試合の主審が保持している。」、「主審が主催者、主管者、出場チーム関係者等と協議を行い、中止、中断の決定をすることがある。」、「出場チームの監督等関係者が中止、中断の申し入れを行った場合、主催者が必要と認めれば、前項の協議が開催される。」、「出場チームの監督等関係者が試合続行が困難と判断した場合には、主催者(大会本部)にその旨を申し入れるべきであり、一方的に選手を引き上げさせる行為は是認されない。」というものである。

そうすると、よほどの危険が存する場合はともかく(本件の場合はそうではないが)、仮にD原教諭に義務があるとすると、それは、相手方チームの監督または審判に対する申し出の義務となる。

そして、仮に、D原教諭が申入れをしていたとしても、その会場内の関係者の態度からは、本件試合が中止されていたとは到底考えられない。

四  被控訴人高槻市の主張

(1)  本件フェスティバルにおいて使用された本件グランドを含む競技場は、被控訴人高槻市の所有ではなく、大阪府の所有であり、被控訴人高槻市は大阪府より行政財産使用許可を得て使用しているに過ぎないものであるから、被控訴人高槻市が国賠法二条の責任を負うことはない。

(2)  被控訴人高槻市の管理するあらゆる施設は、「落雷(事故)の危険性」という意味では、一般的にその可能性は否定できないのであり、そのことを考えれば、落雷の危険発生が迫った時点で「瑕疵あるもの」となるというのは、あまりにも論理に飛躍があるといわなければならない。けだし、落雷の危険発生という極めて不確定な要素によって「瑕疵」の有無が決せられるというのは、妥当ではないからである。控訴人らは、危険発生が「迫った」と主張するが、その状況は必ずしも一義的に決せられない。加うるに、「利用中止」の点も、国賠法二条の営造物の設置又は管理の瑕疵は、客観的に、営造物の安全性の欠如が、営造物に内在する物的瑕疵、または営造物自体を設置する行為によるかどうかによって決めるという客観説が通説であり、控訴人らが主張する義務違反説は、少数説である

本件において重要なのは、落雷の現実的危険性が存する気象状況下にあった」ことに関する予見(認知)可能性の有無であり、本件事故発生当時、本件グランドに居合わせたサッカー指導者のほとんど(観客も含め)が、本件落雷事故が発生するまでは、落雷の危険性を全く、あるいはほとんど感じていなかったのであり、だとすれば、本件事故当時、D原教諭に限らず、落雷を予見することが可能であったとはいえず、また、そのことを予見すべき義務があったとまではいえない。

控訴人らは、被控訴人高槻市は、避雷針や避雷舎を設置したり、「落雷の危険性」について情報収集し、かつ、危険性が認められる場合、利用を中止する措置を講ずべきであると主張するようであるが、前者についていえば、我が国では、建築基準法、消防法、火薬類取締法により、それぞれに定める対象物には、避雷設備を設置することが義務づけられているものの、これらはいずれも特定の対象物に対応するためのものであって、避雷針の設置イコール人身への落雷回避のためのものではないし、後者の点も、控訴人らの主張を突き詰めれば、危険性を的確に判断できる専門家を本件グランドに配置し、絶えず落雷注意報等の収集に努め、中止する義務を果たさなければならないとするものであるが、果たして妥当な解釈といえるか極めて疑問である。

五  被控訴人高槻市、同体育協会及び同北脇の主張

(1)  本件落雷事故当日までの状況

八月一三日当時、台風一二号は、未だ九州地方南方の海上に位置する段階であり、高槻地方は、日中は曇り空ではあったが、荒れた天候ではなかった。同台風は、本件落雷事故当時には、東シナ海を北上している位置にあり、同月一四日午前一〇時過ぎころ九州(熊本市付近)に上陸したのであり、本件落雷事故当日は、高槻市と相当の距離があり、台風の影響で高槻地方が荒天候であったとはいえない。本件落雷事故当日の高槻地方の天候は、晴れたり曇ったり雨が降ったりで、風も強くなく、夜に入るまで同台風の影響はなかった。

また、本件では、同台風が関西地方に影響を与えたかどうかではなく、本件落雷事故の起きた八月一三日午後四時三五分ころ以前に高槻市地方において台風による落雷を予見しえたかどうかが問題であるところ、そもそも台風と落雷との関係については科学的にも証明されているとはいえず、一般人の常識としても、通常台風といえば暴風雨を想起し、雷と密接な関係を有するという認識はない。

(2)  本件落雷事故直前の状況

本件落雷事故当日、午前中は、晴れ間が広がり天気がよかった。午後に入ってから雨が降り出し、時折強く降ることもあったが、本件落雷事故のあったB山高の第二試合の始まるころには雨はあがり、晴れ間ものぞくようになって、試合を行うことについて問題はない状況であった。

本件グランドにおいても、また、同様の催しがあった現場にほど近い大冠高校グランドでも、落雷の危険を察知して建物や車両の中に避難しよとする者はいなかった。

サッカーの試合は原則として雨天でも行われるものであり、本件落雷事故当日の天候から、本件フェスティバルを開催すべきではなかったとはいえない。

同日午後三時一五分、大阪管区気象台から雷注意報が発令された。しかし、雷注意報に対する警戒心は一般に低いものであり、雷注意報の発令があったことのみをもって落雷事故発生の予見義務を基礎付けるのは妥当ではない。大阪府においては、平成八年八月には延べ一五日、雷注意報が発令されている。一般人の感覚からすれば、雷注意報が発令されていても、実際に雷光が近くに見えたり、雷鳴が響き渡るなどしない限り、落雷に対する警戒心を持たないものである。

本件落雷事故当日、大阪管区気象台において、雷電、雷光、雷鳴は全く観測されておらず、京都地方気象台においても、本件落雷事故発生時刻である午後四時三五分以前には一件の雷電が観測されているに過ぎず、高槻地方でしばしば雷鳴が鳴っていたとする客観的な記録は存在しない。

本件落雷事故は突然で、雷光、雷鳴等の事前の予兆はなかったのであるから、被控訴人高槻市、同体育協会及び同北脇には、落雷についての予見可能性がなく、結果回避可能性もなかった。

六  被控訴人体育協会及び同北脇の主張

(1)  本件フェスティバルの主催者は、社団法人高槻市青年会議所とともに、共催として名を連ねているサッカー連盟である。したがって、本件フェスティバル実行委員会が権利能力なき社団であるか否かに関わらず、被控訴人北脇は、本件フェスティバル主催者ではないので、債務不履行ないし不法行為責任を負わない。

(2)  被控訴人北脇は、個人として、本件フェスティバルの主催者とはなっていないこと及び被控訴人北脇は、本件フェスティバル実行委員会の他の構成員を、いわゆる履行補助者として利用して本件フェスティバルを実行したのでないことからして、被控訴人北脇が、本件事故について責任を負うことはない。

被控訴人北脇は、本件事故当時、高槻市サッカー連盟の会長の地位にあった者であるが、慣例上、サッカー連盟の会長が本件フェスティバル実行委員会の委員長に就任することになっていたため、本件フェスティバル実行委員長となっていたにすぎない。

そして、本件フェスティバル実行委員会は、サッカー連盟の高校の部に所属する高槻市内の高校教諭が主として構成員となっており、被控訴人北脇自身の本件フェスティバル実行委員会における役割分担は、本件フェスティバルにおける挨拶や本件フェスティバル実行委員の激励など「名誉職的な渉外活動」にすぎなかった。被控訴人北脇は、準備段階を含めて本件フェスティバル開催のための具体的作業を行ったことはほとんどなく、実際の運営は、本件フェスティバルの運営委員や実行委員らによって行われた。サッカー連盟の構成員は、全員がボランティアであり、本件フェスティバル実行委員会の構成員もボランティアであり、本件フェスティバルの参加費は、本件グランドの使用料や石炭等の消耗品の購入費に使用していた。

本件フェスティバル実行委員会は、事前に本件フェスティバル開催の準備を行い、本件フェスティバル開催当日には、実行委員自身が参加チームの監督等であることから、実行委員以外にも参加チームの監督等が会場担当者という形でグランド整備やゲームの進行等の事務を分担していた。このように、本件フェスティバルは、本件フェスティバル実行委員を中心に準備活動等は行われていたものの、当日の本件フェスティバルの進行は、本件フェスティバル実行委員を含め、参加チームの監督等の協力によって行われていた。

したがって、被控訴人北脇は、本件フェスティバル実行委員長という肩書を有していたが、それは名誉職的な肩書にすぎず、被控訴人北脇が、自分自身を中心として、本件フェスティバル実行委員等に具体的に指示・命令を与えて本件フェスティバルを開催・運営した事実はなく、被控訴人北脇が本件フェスティバルの主催者でないことは明らかである。また、本件フェスティバルは、様々な役割分担をになった本件フェスティバル実行委員及び参加チームの監督等の協力者が本件フェスティバルの運営という共通目的の達成のために、無償で相互に役割を分担して、自らの意思で主体的に役割を果たすことによって開催されていたのである。したがって、債務者が債務者の意思に基づいて債務を履行するために、他者に対して指示・命令を与え、指示を受けた者がそれに従って行動するという関係は存在しないのであって、「履行補助者の過失」理論を適用する前提事実がない。

(3)  控訴人らは、C田が本件フェスティバル主催者の履行補助者であると主張し、本件フェスティバル主催者とC田との関係を、被控訴人学校法人とD原教諭との関係と同視して、全面的に被控訴人学校法人に対する主張を引用している。

しかし、被控訴人北脇は、本件フェスティバル主催者ではなく、かつ、C田は、被控訴人北脇の履行補助者でもない。そして、C田は、被控訴人体育協会との間でも、同被控訴人の履行補助者という関係にはないのである。

D原教諭は、被控訴人学校法人の職員であり、両者の関係は、典型的な被用者・使用者の関係にある。他方、C田は、本件フェスティバルに参加していた大阪トレセンB2チームの監督であったが、本件事故当時は、本件グランドの会場担当者となっていた。会場担当者の役割は、参加チームに対するグランド整備の指示や更衣場所等の説明、弁当の手配などの事務であった。C田の担当していた事務は、本件フェスティバル実行委員からの依頼によるものであるが、本件フェスティバルに参加する以上、参加チームの監督等は、主審や本件フェスティバル運営のための事務を、ボランティアとして分担することが当然の前提とされていたのであって、本件フェスティバル主催者からの指示・命令によって行っていたものではない。本件フェスティバル主催者は、参加チームの監督等の協力を得られることを前提に、事務分担が重複したり集中したりすることがないように事前に調整することが、本件フェスティバル運営に関する主たる業務であった。

したがって、本件フェスティバル主催者とC田ら参加チームの監督等の関係は、本件フェスティバルを事前に立てられた計画に沿って運営していくという共通目的を達成するために、各自が担当の業務を主体的に行っていくというものであって、C田は、本件フェスティバル主催者の履行補助者ではない。

(4)  C田は、本件グランドの担当者(ボランティア)として、本件フェスティバルの開催・運営に協力していた者であり、控訴人二郎に対する第一義的な安全配慮義務を負っていた被控訴人学校法人の履行補助者とは、負担する安全配慮義務の内容・程度は異なるのであり、控訴人らが主張するような著しく高度な注意義務を負うことはない。

そして、本件事故発生は、気象状況を自ら判断し得る一般的な能力を有していたと推認されるスポーツ指導者でも相当困難であったのであるから、C田について落雷の予見可能性はなかった。

控訴人らが警戒義務として主張する内容に関しては、C田が本件事故当日の天候として台風の影響もあり、「大気が不安定」であったことは認識していたとしても、大気が不安定であることだけで落雷事故の発生を具体的に予見することは不可能であり、落雷事故を防止するためにAMラジオを用意したり、気象情報等を収集する義務は生じない。また、グランドの客観的状況として、グランドが広大で避雷針がないという事実を認識していても、そのことのみから落雷事故を予見することはできない。

そもそも、過失責任を基礎付ける注意義務の対象は、注意を尽くすことによって結果発生を具体的に予見できるものであることが必要である。結果発生が具体的に予見できたのに、結果発生を回避しなかった場合にはじめて他者に損害賠償責任を負わせることができるのである。控訴人らは、気象情報を収集する方が望ましいという科学的知見に基づく提言を、そのまま法的義務として主張しているにすぎず、法的な注意義務の内容としては到底認められない。なお、大阪府下における雷注意報の発令が落雷事故発生の具体的危険性が生じたことを意味しないことは、控訴人ら自身が主張するとおりである。

控訴人らは、「(ア)午後一時五〇分の時点で、雷雲が上空に現れ、小雨が降り始め、時に遠くに雷鳴が聞こえるような状態であり、(イ)午後一時五〇分の時点で、B山高サッカー部の選手の中には、その試合の前後に、落雷防止のため、首にしていたペンダントを外す者もおり、控訴人二郎もチームメートにペンダントを外した方がいいかを聞いたりしていた、(ウ)午後三時ころから開始された本件事故の前の試合(三原高校対武生商業高校の試合)においては、試合開始直後から、空には暗雲が立ちこめて暗くなり、ラインズマンがラインを確認し、オフサイドの判定をするのが困難なほどの豪雨が降り始め、後半も激しく降り続いた、(エ)午後三時一五分ころ、大阪管区気象台から雷注意報が発令された、との諸事情があったから、午後四時ころまでには、落雷の現実的危険性認知義務に基づき、落雷の現実的危険性を認知すべきであったにもかかわらず、これを看過して試合を中断せず、(オ)午後四時三〇分(本件試合開始時刻)には、雨は止み、空も大部分は明るくなりつつあった。もっとも、そのころには、「本件グランドの西南の方向に黒く固まった暗雲が立ちこめ、雷鳴が聞こえ、雲の間に放電が起きるのが目撃されたが、雷鳴自体は大きなものではなく、遠くの空で発生したものと考えられる程度のものであった。」という気象状況等の推移から、落雷の現実的危険性認知義務に基づき落雷の現実的危険性がなくなったとは判断できないのに、避難義務を怠り続けた。」と主張するが、上記(ア)から(エ)までの事情で本件グランド付近に落雷が発生することを予見することは不可能であり、また(オ)の事情を加えたとしても結論は同じである。

理由

一  まず、被控訴人学校法人の責任について検討する。

(1)  請求原因(1)①及び②アの事実は、いずれも控訴人らと被控訴人学校法人との間において争いがない。

(2)①  請求原因(2)①のうち、被控訴人体育協会がサッカー連盟に本件フェスティバル実行委員会を設置させたこと、平成八年八月に本件フェスティバルを開催したことは、控訴人らと被控訴人学校法人との間において争いがない。

②  同(2)②及び③の第一段の事実は、いずれも控訴人らと被控訴人学校法人との間において争いがない(明らかに争わない事実を含む。)。

同④のうち、控訴人二郎が三島救命救急センターに救急車で搬送されたこと、同センター、高知赤十字病院及び近森リハビリテーション病院で治療を受けたことは、控訴人らと被控訴人学校法人との間において争いがない。

(3)  請求原因(3)①ア、イについて、控訴人二郎と被控訴人学校法人との間に在学契約関係が存したこと、控訴人二郎が課外活動として被控訴人学校法人のサッカー部に在籍していたこと及び被控訴人学校法人が控訴人二郎に対し抽象的な意味での安全配慮義務を負っていたことは、控訴人らと被控訴人学校法人との間において争いがない。

(4)  そこで、請求原因(2)③の第二、三段、同(3)①、及び(4)①について検討する。

①  まず、控訴人二郎が本件落雷事故に遭うまでの事実経過について検討する。

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

ア D原教諭について

D原教諭は、保健体育の中学校一級、高等学校二級の免許を有する中学・高校の体育を担当する教師であり、昭和四四年四月からB山中学校ないしB山高の体育教師として勤務していた。

同教諭は、高校、大学時代にサッカー部に所属し、教員になってからも一〇年間高知教員サッカー部に所属しており、被控訴人学校法人への赴任と同時にB山高及びB山中のサッカー部監督となった。

ただし、平成五年ころ、B山高の監督はE田教諭に引き継いだため、第八回フェスティバル当時から本件フェスティバルまではB山高サッカー部の監督はE田教諭であったが、D原教諭は、平成六年度の第八回フェスティバルについては、E田教諭と二人でB山高の引率をした。

さらに、D原教諭は、平成七年ころから、E田教諭が高知県ユース選抜チーム(高知県下の中学三年、高校一、二年生の選抜チーム)の監督をしており、高槻市ユース・サッカー・サマー・フェスティバルの日程と重なっていたことから、第九回高槻市ユース・サッカー・サマー・フェスティバル及び本件フェスティバルについても監督として参加した。

なお、D原教諭は、四国サッカー協会二級審判員の資格を有し、年間四〇~五〇試合の審判をしているが、特に雷(落雷)について、専門的に勉強をしたことはなく、稲光の四、五秒後に雷の音が聞こえる状況になれば雷が近くなってきているが、それ以上間が空いていると落ちる可能性はほとんどないとの認識であった。

イ 本件フェスティバルにB山高が参加するに至った経緯

D原教諭は、平成六年四月ころ、西日本高校サッカーフェスティバルという大会に参加していた際、他チームの監督から勧誘を受けた。そのため、B山高は、同年八月に実施された第八回フェスティバルに参加することとなり、それ以後、第一〇回の本件フェスティバルまで継続して参加するようになった。本件フェスティバルの際も、平成八年五月ころにB山高に参加の要請及び日程の説明があり、前二年度も参加していたことから、特に疑問を持つこともなく参加を決定した。

なお、D原教諭は、第八回フェスティバルのパンフレットとそれ以降のパンフレット間における主催、主管、後援等の微妙な表現の差異については特に検討したことはなく、本件フェスティバルについても、明確な主催者等の認識はなく、サッカー連盟等の大きな団体が主催しているといった程度の認識の下に参加した。

そして、平成八年七月一日ころ、E田教諭から、A川校長にあてて、秋季大会(全国高校選手権予選)に向けての強化を目的とする本件フェスティバルへの参加計画書が提出され、A川校長は、同日ころ、日程、行程、参加生徒に対する教員の数等のチェックをした上で、その承認をした。

なお、その計画書には、名称、日程(八月一二日~一六日)、宿泊場所、出場人員及び引率者としてD原教諭の名称が記載されていた。また、同計画書には、夏休み練習計画等の書類も併せて添付されていた。

ウ 被控訴人学校法人における教職員に対する指示等について

被控訴人学校法人においては、サッカー部等の顧問、監督の教諭に対して、特に専門的に天候についての知識を教授するような機会は設けられておらず、生徒及び教諭に対する注意喚起は、個々の試合参加に際しては行われていなかった。

エ 八月一〇日から同月一三日にかけての台風一二号の動向

八月一〇日付けの朝日新聞によれば、大阪管区気象台の一〇日から一六日までの週間予報では、「期間半ばころから台風一二号や大陸から進んでくる気圧の谷の影響で、雲の多い天気になり、にわか雨や雷雨のところもありそう。」との予報がなされていた。

その後、台風一二号は、同月一一日午後九時ころには那覇市の東南東約二三〇キロメートルの海上を勢力を強めながら時速約一五キロメートルで北北西に進み、同月一二日午前九時には那覇市の東南東約七〇キロメートルの海上を時速約一五キロメートルで北西に進むと予想され、さらに、同月一三日付け高知新聞朝刊の予報によれば、台風の威力について、それまでの中型で強い台風との表現から大型で強い台風と表現を変更した上で、同月一二日午後一一時現在、沖縄県名護市の西北西約四〇キロメートルの地点をゆっくりと北北西に向けて進んでいる状態であるとされ、同日付け夕刊の予報によれば、同月一三日午前中には、鹿児島県奄美大島の西南西約一七〇キロメートルの海上を時速一五キロメートルで北に進んでおり、奄美地方北部が暴風域に入り、九州地方でも強い雨が降り始めているとされていた。

ただし、同時期に、兵庫県西宮市で開催されていた第七八回全国高校野球選手権大会は、同月一三日、一四日ともいずれの試合も中止されることなく行われた。

なお、台風一二号は、同月一四日午前一〇時過ぎに熊本市に上陸した。

オ B山高サッカー部員らの動向

八月一二日午後八時三〇分ころ、B山高サッカー部の部員は、高知港に集合して大阪南港に向かうフェリーに乗り込み、同フェリーは午後九時ころに高知港を出航した。船中では天気は晴れており、船上からは星が見える状態であった。

D原教諭は、事前に日本に台風一二号が接近してくることをテレビ等で知っていたが、特にラジオや携帯電話を携行したり、台風接近を理由にA川校長に随行教諭を増やすよう要求することはしなかった。

部員らは、同月一三日午前六時三〇分ころから大阪南港に到着、同日午前八時三〇分ころ高槻市の宿舎に到着、同日午前一一時ころ本件グランドに到着した。

なお、同日のサッカーの試合は、午後一時四五分から二時五〇分まで対岡山山陽戦、午後四時一五分から五時二〇分まで対大阪トレセンB2チーム(本件フェスティバル実行委員会から協力依頼を受けて、南大樋グランドBコートの会場担当者をしていたC田が監督を務めていた。)戦が予定されていた。

カ 落雷前後の本件グランド付近の天候及び落雷時の状況

B山高サッカー部員らが本件グランドに到着した八月一三日午前一一時ころ、本件グランド付近は曇り空であり、それ以降、B山高の第一試合(対岡山山陽高校戦)が始まった午後一時五〇分ころまではずっと曇り空が続いた。なお、本件グランドには、大体二〇〇人程度の選手らが集まっていた。

B山高の第一試合は、前の試合が遅れていた結果、予定では午後一時四五分に開始予定であったのが、約五分遅れた午後一時五〇分に開始された。そのころの天候は、雷雲が上空に現れ、小雨が降り始め、時に遠くに雷鳴が聞こえるような状態であった。

そのため、B山高サッカー部の選手の中には、その試合の前後に、落雷防止のため、首にしていたペンダントを外す者等もおり、控訴人二郎も、チームメートにペンダントを外した方がいいかを聞いたりしていたが、控訴人二郎は、結局、ペンダントを外すことまではしなかった。

B山高の第一試合は、午後二時五五分に終了し、その後、D原教諭を主審、B山高サッカー部の部員であったC山秋夫及びD川冬夫を前半、E原一夫及びA田二夫を後半のラインズマンとして、三原高校対武生商業高校の試合が行われた。

この試合は、試合開始直後から、空には暗雲が立ちこめて暗くなり、ラインズマンがラインを確認し、オフサイドの判定をするのが困難なほどの豪雨が降り始め、後半も激しく降り続いた。

この試合中である午後三時一五分ころ、大阪管区気象台から雷注意報が発令されたが、被控訴人体育協会、同傘下のサッカー連盟及び本件フェスティバル実行委員会のいずれの者も、雷注意報の発令を知らなかった。

なお、被控訴人北脇は、同日は、病気のため自宅におり、これらの状況を全く覚知していなかった。

この試合が終了し、B山高の第二試合が午後四時三〇分(当初の予定は午後四時一五分)に開始するまで少し間があったが、そのころには雨は止み、空も大部分は明るくなりつつあった。

もっとも、そのころには本件グランドの西南の方向に黒く固まった暗雲が立ちこめ、雷鳴が聞こえ、雲の間に放電が起きるのが目撃されたが、雷鳴自体は大きなものではなく、遠くの空で発生したものと考えられる程度のものであった。

B山高の第二試合(対大阪トレセンB2チーム、本件試合)が開始した五分後の午後四時三五分ころ、本件フィールドのB山高側ゴールからみて左サイドにボールがあり、両チームの選手がそこに集まっており、控訴人二郎のみが右サイドのスペースを駆け上がって走り始めたところ、突然フィールドが明るくなり、大きなぱちぱちという音とギザギザの稲光とともに、控訴人二郎に突然落雷し、同人はその場に倒れた。

そのころ、D原教諭は、前記の試合の主審をしていたときに汚れた靴下を洗っており、選手らからは目を離していた。

なお、控訴人らは、本件試合が開始された午後四時三〇分ころの天候につき、「雨はやんだが、西南からどんよりした黒い雲が迫ってきて、どうなるか心配だと思う者が多かった。」と認められるべきであると主張するが、《証拠省略》に照らし、前記認定を動かすことはできない。

キ 落雷後の状況

落雷後、控訴人二郎が本件フィールド上で倒れていたことから、会場担当者として本部テント内にいたC田らがその場に駆け寄り、D原教諭は、全員をベンチに戻らせて、自分は控訴人二郎の所に駆け寄った。

その後、C田において控訴人二郎に声をかけたところ、少しうめき声がするだけで返事がなく、また、脈拍も弱かった。

そこで、C田は、自己の携帯電話で救急車の手配をするとともに、控訴人二郎の心臓マッサージをした。また、D原教諭が、同控訴人に対し人工呼吸を施した。

その後、控訴人二郎は救急車で病院に運ばれ、脈拍及び自力呼吸が回復した。

なお、当日、本件グランドでのその後の競技は中止されるに至った。

②  次いで、被控訴人学校法人の注意義務の具体的内容及び注意義務違反の有無について検討する。

ア 被控訴人学校法人(教師はその履行補助者)は、在学契約上の付随義務として、在学生徒である控訴人二郎に対する安全配慮義務を負うことはいうまでもなく(なお、それは控訴人二郎に代わって在学契約を締結した控訴人二郎の親権者である控訴人太郎及び同花子に対する義務でもある。)、それは課外活動であるクラブ活動においても同様であると解される。

特に、クラブ活動が屋外で行われるスポーツ競技の場合において、その内容等からみて必然的に危険が内在していることから、その指導にあたる教員は、生徒の能力を勘案して発生する可能性のある危険を予見し、これを回避すべき適切な防止措置等をとらなければならず、これを怠った場合には、履行補助者として安全配慮を尽くさなかったものとして、被控訴人学校法人は、債務不履行責任を負うと同時に、民法七一五条の使用者責任としての不法行為責任を負うものといわなければならない。

なお、被控訴人学校法人は、一般的には、控訴人二郎の被害に関し、その兄である控訴人一郎に対して不法行為責任を負うことはないが、控訴人二郎が生命を害された場合に比肩すべき特別な精神的苦痛を受けたような場合には、民法七一一条の類推適用により、固有の慰謝料を請求しうる場合があり得ることは必ずしも否定できない。

イ そこで、被控訴人学校法人に本件落雷事故の危険性についての予見可能性あるいは予見義務違反があったかどうかについて検討する。

a まず、《証拠省略》によれば、落雷事故を防止するための注意等に関して、以下の趣旨の文献上の記載等のあることが認められる。

ⅰ 「夏のお天気」(矢花槇雄著・一九九六年三月二五日発行)

「雷鳴の聞こえる範囲は、せいぜい二〇kmです。雷鳴が聞こえたら、雷雲が頭上に近いと思ったほうがよいでしょう。また落雷は雨のふりだすまえやこやみのときにも多いことがわかっています。遠くで雷鳴が聞こえたら、すぐに避難し、雨がやんでもすぐに屋外に出ないことがたいせつです。

草原や運動場などでまわりに建物がないときはしゃがむ。

かさやバットなどとがったものを頭より高くしない。」

ⅱ 「雷と雷雲の科学 雷から身を守るには」(北川信一郎著、平成一三年一月三一日発行)

「屋外は危険であるから、かすかでも雷鳴が聞こえたらただちに安全空間(自動車、バス、列車、コンクリート建築の内部、通常の落雷に対しては木造建物内部)に避難する。安全空間に入るまでには次のような応急措置をとる。

高い物体、樹木からできるだけ離れて、姿勢を低くし、雷が激しいときは両手の指で耳穴をふさぎ、放電活動が弱まるのを待つ。

送電線、配電線の最上部には架空地線が張ってあるので、これを四五度以上の角度で見上げるベルト地帯を通って安全空間に避難する。架空地線の高さが三〇m以上の時は架空地線の真下から左右三〇mの幅のベルト地帯を通って避難する。

屋外では絶えず気象の変化に注意し、次のような雷雲接近の兆候を認めたら早めに安全空間に避難する。

雷鳴が聞こえる。

入道雲(雄大積雲)がもくもくと成長する。

上空が暗雲で覆われる。

携帯ラジオ・無線受信機の雑音が強く連続的になる(FM放送を受信するときは雷からの雑音は入らない)。

突風が吹き寄せる(雷雲の前方には陣風と呼ばれる地表風が吹き出す)。

大粒の雨あるいはあられが降り出す。

屋外スポーツ中は、スポーツ審判員とは別に、気象監視員を設ける。

天気予報に注目し、雷雨注意報がでているときは、すべての屋外行事を取りやめ、登山、ハイキングには出かけないようにする。

屋外行事一般を計画するときは気象情報に注目し、雷雨に遭遇しないよう配慮する。」

ⅲ 「理科室が火事だ! どうする?」(横山正編・一九九〇年四月発行、小学生向け)

「遠くで『ゴロゴロッ』と鳴りだしたら、もう危険がせまっているわけですから、はやめに避難するようにしましょう。」

ⅳ 「お天気の科学―気象災害から身を守るために―」(小倉義光著・一九九四年九月発行)

「雷の放電の長さは、平均すれば六kmであるが、長いのは一五kmもとぶ。ごろごろと雷鳴が聞こえるのは一〇kmぐらいとされている。一五kmといえば個々の積乱雲より大きいくらいである。」

ⅴ 「雷から身を守るには―安全対策Q&A―」(日本大気電気学会編・編集委員長北川信一郎・平成三年六月一日発行)

「雷の発生・接近は、人間の五感で判断する、ラジオ・無線機を利用する、雷注意報などの気象情報に注目する等の方法があります。しかし、どの方法でも、正確な予測は困難ですから、早めに、安全な場所(建物、自動車、バス、列車等の内部)に移っていることが有効な避雷法です。」

「運動場等にいて、雷鳴が聞こえるとき、入道雲がモクモク発達するとき、頭上に厚い雲が広がるときは、直ちに屋内に避難します。雷鳴は遠くかすかでも危険信号ですから、時をうつさず、屋内に避難します。突然雷が激しくなったときは、できるだけ姿勢を低くして様子を見ます。近くに落雷があれば、その直後の一分間は、安全ですから、その間に、屋内に避難します。ゴルフ場で、避難小屋まで遠いときは、落雷と落雷の合間を見計らって、少しずつ移動し、安全な場所に近づくようにします。雨が降っても傘はささずに移動します。屋外スポーツ中に、雷鳴がきこえず雨が降っていないとき、突然落雷がおこり死亡事故が発生した実例があります。また雷雨が通りすぎて青空が出てきたので、野球試合を再開した直後、プレーヤーの一人が雷にうたれて死亡した例もあります。雷鳴や空模様に注意するだけでなく、雷注意報などの気象情報に気をつけ、注意報、警報の出ているときは屋外スポーツを中止することが大切です。テレビ、ラジオの気象情報が得られず、携帯ラジオで雑音状況を知ることもできないときは、上空に雷雲がなくなっても、二〇分くらい様子を見てから屋外に出ることです。」

ⅵ 「スポーツ事故の総合的研究」(三浦嘉久編著・平成七年一〇月二二日発行)

「屋外でのスポーツ活動においては、落雷に当たり死亡という事件がある。落雷による事故を防ぐには、雷の発生についての知識、雷との距離の確認法(ラジオなどをつけておくと雑音によって判断できる)、避難時機、避難場所などの判断、指示が指導者に求められる。」

b また、《証拠省略》によれば、前記aのⅱ、ⅴの著者あるいは編集委員長であり、落雷についての研究についての日本での第一人者とされる北川信一郎は、雷雲と雷放電のメカニズムや落雷から人体を守る科学的安全方法について、次のような意見(以下「北川意見」ということがある。)を述べていることが認められる。

「空気は絶縁体で電気を流さないが、一センチメートル当たり五〇〇〇ボルト以上の電圧をかけると絶縁が破壊されて、火花放電がおこり、瞬間的に電気が流れる。自然がおこす空気の絶縁破壊が雷放電で、その長さは五キロメートル程度の超大型の火花放電となる。

屋外の物体は金属、非金属を問わず落雷を受ける可能性がある。

落雷を避けるには、雷放電が到達しない空間内に避難することである。この空間は丈夫な電気の導体で囲まれた空間で、実際には自動車、バス、電車、鉄筋コンクリート建築等の内部である。

雷鳴が微かに聞こえる遠方に雷雲があるとき、落雷の直撃を受ける確率はゼロではないから、安全のためには直ちに安全空間に避難し、上空の雲が消え、雷鳴が聞こえなくなっても、最低二〇分間は安全空間に退避しなければならない。

屋外では人体は落雷を受ける確率が高いので、気象情報、雷注意報に注意し、屋外で雷雨に遭遇しない行動をとる。万一屋外で雷雲接近の兆候を認めるときは、直ちに安全空間に避難する。近くに安全空間がないときは、高い物体から遠ざかって姿勢を低くし、雷活動の収まるのを待つ。」

c 以上のような文献や北川意見等を総合すれば、自然科学的な見地からいえば、屋外スポーツを実施する者は、雷雲等が発生し、あるいは雷注意報が発令された場合には落雷の可能性を否定できないから、直ちに屋外で予定されている競技を中止し、安全な場所に退避しなければならず、かつ、屋外スポーツ競技中に遠くで雷鳴が聞こえたりした場合には、即刻進行中の競技を中断して安全空間である自動車、バス、電車、鉄筋コンクリート建築等の内部に逃げ込み、その余裕がなければ全員姿勢を低くして雷活動のおさまるのを待たなければならず、上空の雲が消え、雷鳴が聞こえなくなっても、最低二〇分間は安全空間に退避していなければならないということになり、さらに、その際の条件整備として、AMラジオを携行して雑音が聞こえないかを監視し、スポーツ審判員とは別に、気象監視員を設け、天気予報に注目するなどして、雷雨注意報が出ているときは、直ちに屋外スポーツを取りやめるか、少なくとも、雷から避難すべき安全空間を確保しておく必要があるということになる。

そして、本件落雷事故においては、少なくとも、事故が起きる約一時間以上前の八月一三日午後三時一五分には大阪管区気象台から雷注意報が発令されていたこと、同日午後四時三〇分にB山高の第二試合が開始される直前には遠くで雷鳴が聞こえており、かつ、西南方に暗雲が立ちこめていたことは前記①認定のとおりであるから、前記文献や北川意見等によれば、落雷の危険性の予兆(兆候)があるものとして、サッカー競技を直ちに中止して、安全空間に避難すべきであったということになる。

d 確かに、落雷被害を防止するという観点だけからすると、本件落雷事故当時、前記文献や北川意見に従って、前記のような気象状況であることを理由として、直ちにサッカー競技を中止・中断することは必ずしも不可能とはいえないから、D原教諭がそのような見解に立っておれば、本件落雷事故が生じなかった可能性は否定できない。

しかしながら、雷注意報の発令や遠雷は、それ自体は具体的な落雷被害の発生を当然に意味するものではなく、社会通念上も、雷注意報が発令されたり、遠くで雷が聞こえたりしていることから直ちに一切の社会的な活動を中止あるいは中断すべきことが当然に要請されているとまではいえないから、被控訴人学校法人に安全配慮義務違反があったというためには、自然科学的な見地から落雷被害についての結果回避可能性があったというだけでは足りず、その前提として、前記①認定の具体的な事実関係の下において、D原教諭に落雷被害についての予見可能性のあったことや平均的なスポーツ指導者としての予見義務違反があったことが必要である。

控訴人らは、被控訴人学校法人の安全配慮義務違反の有無は、被控訴人学校法人において、落雷事故予防に関する知見を有することが相当と認められるか否かによって判断されるべきであるとし、被控訴人学校法人の履行補助者であるD原教諭において、落雷事故に関する知見が不十分であり、落雷事故発生の危険を予見していなかったとしても、被控訴人学校法人の安全配慮義務は否定されない旨主張するところ、上記のとおり、被控訴人学校法人の安全配慮義務違反の有無は、D原教諭において、平均的なスポーツ指導者として具有すべき落雷事故の発生や防止に関する一般的知見の取得を怠り、そのために本件落雷事故を防止し得なかったと認められるかどうかによって決せられるべきであると考えられる。

そこで、本件落雷事故当時、スポーツ指導者の落雷被害に対する一般的な認識がどのようなものであったかについて検討するに、《証拠省略》によれば、平成九年一二月に発行された「詳解サッカーのルールと審判法(一九九九年版)」においては、主審の任務について、「台風や大雪、強風などで、サッカーのプレーができないようなコンディションのときにまでゲームを強行すべきではない。」としつつも、「雷雨などで回復が見込まれるときは、一時中断してしばらく様子を見るのがよいだろう。」とされるにとどまり、落雷の危険性を想定した事柄には何ら触れられていないこと、雷注意報は、平成七年は全国で四四八二回、大阪では四九回、平成八年は全国で四四三三回、大阪では五四回、平成九年は全国で四七二六回、大阪で五九回発令されているが、雷により死亡し、あるいは傷害を負った事故は、平成五年では全国での発生件数四〇件のうち五件(うち死亡三人)、平成六年は同五一件のうち一一件(うち死亡四人)、平成七年は同六三件のうち一〇件(うち死亡六人)、平成八年が同五一件のうち一五件(うち死亡六人)、平成九年は同四二件のうち一一件(うち死亡五人)であって、雷被害は、雷注意報の発生件数と比較して、相対的に死傷事故の発生件数が少ないことが認められ、こうした状況からすると、スポーツ指導者の間においても、落雷被害に対する危険性の認識はそれほど強いものではなかったことが認められる。

のみならず、《証拠省略》によれば、気象状況も、直前の試合である三原高校対武生商業高校の試合中には一時期豪雨は降ったものの、B山高の第二試合(本件試合)が開始されたころから本件落雷事故までの間はほとんど雨は降っていなかったこと、本件落雷事故当時には、雷の予兆(兆候)とされる雷鳴はあったが、雷鳴自体は大きな音ではなく、遠くの空で発生したと考えられる程度のものであったこと、試合が開始された午後四時三〇分ころには、暗雲は立ちこめていたが、本件グランドの西南方の一部にとどまっており、空も一部明るくなっていたことは前記認定のとおりであって、本件グランドに居合わせたサッカー指導者のほとんどが、本件落雷事故が発生するまでは落雷の危険性を全くあるいはほとんど感じていなかったことが認められる。

控訴人らは、参加生徒であるB野が、D原教諭に「こんな状態でもやるのですか」と尋ね、競技続行に不安を告げられたにもかかわらず、これを放置し、落雷事故防止の措置をとろうとしなかった旨主張するが、《証拠省略》によれば、同人がD原教諭に上記のように尋ねたのは、落雷事故を懸念したというよりも、降雨の影響で足をとられ、選手同士が接触・転倒する等の事故を懸念したためであると認められるから、B野の上記発言があったからといって、D原教諭において本件落雷事故の発生を予見する義務を怠ったということはできない。

控訴人らは、本件試合が開始された午後四時三〇分の時点、あるいは本件事故が生じた午後四時三五分の時点では、試合を再開するための条件である「上空に雷雲がなくなっても二〇分くらい様子をみる」との条件を満たしていないと主張する。確かに、落雷事故に関する文献等によれば、「雨がやんでもすぐに屋外に出ない。」、「上空の雲が消え、雷鳴が聞こえなくなっても、最低二〇分間は安全空間に退避しなければならない。」との知見が、北川ら一部の専門的研究者によって提唱されていたが、上記のような気象条件下にあることを、一般人が一義的に認知することは困難であると考えられ、上記知見をもって、落雷被害からの退避の要否、退避開始時刻、退避時間等を判断するための基準とするには不明確であり、適切といえない。そして、むしろ、雨がやみ、空が明るくなり、雷鳴が遠のくにつれ、落雷の危険性は減弱するとの認識が一般的なものであったと考えられ、平均的なスポーツ指導者においても、この認識を超えて上記知見を具有すべきであったと認めることはできない。したがって、本件落雷事故当時、上記知見がスポーツ指導者の間で、落雷事故防止のため一般的に認識された知見であるとして、その遵守を強いることは相当とはいえない。

控訴人らは、日本体育・学校健康センターが毎年発行する「学校の管理下の死亡・障害」と題する冊子には、はしがきに、「学校管理下における死亡あるいは障害の原因となった事故の発生状況をみると毎年同種の事例が見受けられ、安全教育・安全管理にもう少し配慮されていたならば防止し得たであろうと思われる事故例も少なくありません。」、「重災害の発生には、的確な防止の手だてを講ずることが、ぜひとも必要である。」と発行目的が記載され、昭和六〇年度、昭和六一年度、平成元年度から平成六年度版まで、毎年、落雷人身事故の事例が紹介されており、これらの記載は、被控訴人学校法人において落雷事故予防に関する知見を有することを期待することが相当と認められるか否かの判断に当たり、最初に考慮されるべき文献である旨主張する。しかしながら、上記冊子において、落雷事故として紹介されているのは、毎年一件程度であり、しかも落雷事故の発生状況・態様は、各事例毎に千差万別ともいうべきものであって、本件における具体的状況下に当てはめて、落雷事故発生の具体的危険性の認識可能性を判断するための資料とするには、不十分である。その他、一般人を対象とした啓蒙目的のパンフレット、新聞報道、文部省(現文部科学省)の指導等における落雷事故に関する知見を総合考慮しても、本件の状況下において、平均的なスポーツ指導者が落雷事故発生の具体的危険性を認識することが可能であったと認めることはできない。

以上によれば、三原高校対武生商業高校の試合の後半の半ばころである午後四時ころ、本件試合が開始された午後四時三〇分ころ、本件落雷事故が発生した午後四時三五分ころのいずれの時点においても、雷注意報が発令されていたことや雷鳴・黒雲の発生があった等の雷発生の兆候があったとしても、そのことから直ちにD原教諭において本件フィールドの選手に落雷することを予見することが可能であったとはいえず、また、そのことを予見すべき義務があったとまではいえないというべきである。

ウ ところで、控訴人らは、被控訴人学校法人の安全配慮義務違反の具体的内容として、まず、被控訴人学校法人には、A川校長が本件フェスティバル参加の可否について被控訴人高槻市、同体育協会及び同北脇と、自校の全参加生徒の安全確保に関する対策について協議・確認をしていないこと、生徒の引率者兼監督としてD原教諭を選んだこと及びD原教諭に気象条件による危険発生原因と対策についての学習、研究をさせなかった安全配慮義務違反があると主張する。

しかしながら、D原教諭は、長年のサッカーの競技経験があり、過去にはB山高のサッカー部監督を務めていたものであり、本件フェスティバル参加当時もB山中のサッカー部監督であったのであり、天候、特に雷についての専門的知識は有していなかったとはいえ、野外スポーツの危険性についての一般的な知識も有していたものであるから、A川校長がD見教諭を引率者として人選したことやD原教諭に天候(雷)についての教育を受けさせなかったことが直ちに被控訴人学校法人の安全配慮義務違反であるとはいえない。

エ また、控訴人らは、A川校長が台風一二号が日本本土へ向かっていることを認識していたにもかかわらず、教頭等に指示して引率者を増員しなかったこと、A川校長やD原教諭は、同台風の発生とその後の気象状況を知見し、もしくは知見し得たにもかかわらず、その詳細を公的機関等に問い合わせるなどして情報収集しなかったこと、また、A川校長、教頭としては、野外スポーツの性質上気象の変化を無視できないのであるから、その情報収集のため携帯ラジオ(小型で可)や携帯電話等の情報収集機器を引率者に携行させ、気象に関する情報収集を容易にさせ、学校との連絡体制を確立しておくべきであるのにこれを怠ったことが安全配慮義務違反となると主張する。

しかしながら、前記①認定の台風一二号の位置関係等からしても、本件落雷事故は、同台風の接近に伴う危険が現実化して発生したものとはいえない上、仮に控訴人らの主張の対策を立て、それによって雷注意報を事前に覚知できたとしても、前記dに認定説示したとおり、雷注意報は非常に発令回数が多く、それが発令されたからといって本件グランドの具体的危険性が明確に覚知できるようなものではないから、本件落雷事故を直ちに回避できるという関係にはない。

したがって、A川校長、教頭、D原教諭が原告ら主張のような方策を立てなかったことが安全配慮義務違反になるとまではいえない。

オ さらに、控訴人らは、本件グランドは、被控訴人学校法人として初めて使用する教場であるから、A川校長としては、D原教諭あるいはE田教諭に対し、本件グランドとその周辺地域を調査させ、安全性の確保が具備されているか確認する義務があった、また、D原教諭は、本件グランド到着後、直ちに、当日の競技実施手順の確認をし、気象状況の悪化に伴う競技の中断・中止について、ひいては、本件フェスティバルの運営そのものの中断・中止について、運営責任者であるC田との間で中止・中断の取りきめのルールを確認し、あるいは自らの意見を具申して協議決定しておくべきであり、主審らとの間においても、気象が変化したときにおける競技の続行及び中止の基準を協議しておくべきであったと主張する。

確かに、控訴人ら主張のとおり、本件フェスティバルにおいては、八月一三日の本件フィールドにおける競技を含めて、天候悪化に伴う試合の中止・中断のルールが明確に定められていたわけではないから、D原教諭において、競技実施手順を確認したり、気象状況の悪化に伴う競技の中断・中止のルールを協議しておく必要があったことは否定できない。

しかしながら、本件においては、前記イに説示したとおり、本件落雷事故前後の状況下では、D原教諭において本件フィールドの選手に落雷することを予見することが可能であったとはいえないというべきであるから、D原教諭がC田あるいは主審らとの間において競技実施手順を確認し、気象状況の悪化に伴う競技の中断・中止のルールを協議していたとしても、本件落雷事故を阻止し得ることにはならなかったというべきである。

したがって、D原教諭が前記のような確認・協議をしなかったことと本件落雷事故発生との間には相当因果関係がないといわざるを得ないから、この点についても、被控訴人学校法人に安全配慮義務違反があったと評価することはできない。

カ 以上のとおりであって、被控訴人学校法人及びその履行補助者兼民法七一五条の被用者であるD原教諭が安全配慮義務を尽くさなかったとする控訴人らの種々の主張は、いずれも理由がないといわざるを得ないから、被控訴人学校法人に債務不履行責任あるいは不法行為責任があるということはできない。

二  次に、被控訴人高槻市の責任について検討する。

(1)  請求原因(1)①の事実は、《証拠省略》によって、これを認めることができる。

同②イの事実は、控訴人らと被控訴人高槻市との間において争いがない。

(2)  請求原因(2)③のうち、控訴人二郎に本件落雷事故が起きたこと、同④のうち、控訴人二郎の後遺障害等級が一級であること、同(3)②のうち、被控訴人高槻市が本件フェスティバルを後援し、本件グランドを提供したことは、いずれも控訴人らと被控訴人高槻市との間において争いがない。

(3)  そこで、請求原因(2)②、同③のその余の点及び同(3)②のその余の点、同(4)②について検討する。

①  控訴人らは、本件グランドは国賠法二条一項の「公の営造物」であるから、その設置又は管理に瑕疵がある場合には、被控訴人高槻市がその損害賠償責任を負うと主張するのに対し、被控訴人高槻市は、本件グランドは大阪府の所有物であり、被控訴人高槻市が行政財産使用許可を得てこれを使用しているに過ぎないものであるから、被控訴人高槻市が国賠法二条の責任を負うことはないと主張する。

しかしながら、国賠法二条にいう公の営造物の設置・管理者とは、当該営造物についての所有権あるいは賃借権等の法律上の管理権限を有している者に限られるものではなく、事実上の設置・管理を行っているにとどまる国又は地方公共団体もこれに含まれるものと解されるところ、《証拠省略》によれば、本件グランドは、大阪府の所有ではあるが、被控訴人高槻市が行政財産使用許可を得た上、事実上、被控訴人高槻市の運動場や災害時広域避難地として使用している施設であり、本件フェスティバルにおいても、サッカー競技の会場の一つとして使用するため、被控訴人高槻市から無償で被控訴人体育協会に貸与されていたことが認められるから、被控訴人高槻市は、本件グランドの設置・管理に瑕疵があると認められる場合には、国賠法二条の責任を免れることができないというべきである。

②  国賠法二条にいう公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、その判断については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的になされるべきである。

《証拠省略》によれば、本件グランドは、とりたてて落雷を招来するような構造物は存在しない運動場であること、その広さはサッカーのフィールドが二面とれるような広大ものであり、全面をカバーするような避雷針を設置することは非現実的であること、また、競技者及び観客の収容数からみて、全員が待避できるような避雷舎を設置することも実際上困難であること、本件グランドはもともとは大阪府の所有であり、被控訴人高槻市は行政使用財産許可により無償で貸与を受けてこれを管理しているにとどまること等の事情が認められる。したがって、このような事情を総合すれば、被控訴人高槻市が本件グランドに避雷針や避雷舎を設置していなかったことが国賠法二条にいう設置の瑕疵にあたるということはできないというべきである。

控訴人らは、落雷の危険性が存する気象条件下では、本件グランドは、その構造上、通常有すべき安全性に欠ける施設であると主張するが、落雷の危険性の有無によって、設置又は管理の瑕疵の有無が左右されるものではないから、上記主張は採用できない。

③  さらに、控訴人らは、被控訴人高槻市は、本件グランド利用契約に際し、被貸与者である被控訴人体育協会に対し、(ア)落雷が予想される気象条件下では、本件グランドは、通常有すべき安全性に欠ける状態となることを告知し、(イ)本件グランドの客観的環境から、本件グランドは、利用者に落雷事故が生じやすいことを告知し、(ウ)本件グランド利用者は、落雷の危険性について情報収集をし、危険性が認められる場合は、利用を中止する措置を講じる必要があることを告知し、(エ)本件グランドないしその周囲の避雷設備及び避難経路を教示し、被控訴人体育協会をして、利用中止の判断から安全に避難が完了するまでに要する時間を確認させ、避難に要する時間を考慮の上、避難が可能な時点で、予め利用を中止させる必要があるのに、これを怠ったから、被控訴人高槻市には、本件グランドの管理に瑕疵があった旨主張する。

しかしながら、被控訴人高槻市は、サッカー競技の会場の一つとして使用するために被控訴人体育協会に本件グランドを貸与していたものであることは前記②認定のとおりであって、その使用目的からしても、特に危険な用法が予定されていたわけではないこと、また、本件グランドを使用していたのはスポーツ団体である被控訴人体育協会(あるいは傘下のサッカー連盟)であって、気象状況についても自らこれを判断し得る一般的な能力を有していたと推認されること等に鑑みると、国賠法二条の管理の内容として、被控訴人高槻市が、本件グランドを貸与した際に、その職員自らがわざわざ気象情報を収集して、これを被貸与者に伝達したり、本件グランドは、落雷事故発生の危険性を有する施設であることや、そのことの故に、利用者に利用中止の措置を講じる必要性があることを告知したり、雷注意報が発令される等した場合に、それを理由として本件グランドにおける競技の中止・中断を求めるまでの義務があったとはいえず、被控訴人高槻市が上記(ア)ないし(エ)の各措置をとらなかったからといって、そのことによって、本件グランドが通常有すべき安全性を欠いていたことにはならないというべきである。

したがって、被控訴人高槻市には国賠法二条にいう管理の瑕疵があったということはできない。

(4)  以上によれば、被控訴人高槻市に国賠法二条の責任があるとの控訴人らの主張は、理由がないというべきである。

三  最後に、被控訴人体育協会及び同北脇の責任について検討する。

(1)  まず、請求原因(1)①及び②ウ、エの事実は、いずれも控訴人らと被控訴人体育協会及び同北脇との間において争いがない。

(2)①  請求原因(2)①のうち、被控訴人体育協会がサッカー連盟に本件フェスティバル実行委員会を設置させたこと、平成八年八月に本件フェスティバルを開催したことは、控訴人らと被控訴人体育協会及び同北脇との間において争いがない。

②  請求原因(2)②のうち、本件フェスティバルが「第五二回国民体育サッカー競技(少年男子)開催記念大会」であるとの点を除くその余の事実は、控訴人らと被控訴人体育協会及び同北脇との間において争いがない。

③  請求原因(2)③、④については、前記一(4)①に認定したとおりである。

(3)  そこで、請求原因(3)③、④及び同(4)③について検討する。

①  まず、フェスティバルの主催者は誰であったのかについて判断する。

前記二の争いのない事実のほか、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 昭和六二年、被控訴人体育協会の加盟団体であるサッカー連盟は、「高槻市体育協会サッカー連盟」主催との名目で、高校生年代におけるサッカー競技力向上、選手間の親睦、指導者間における情報交流等を目的として第一回高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバルを開催した。同フェスティバルは、昭和六二年から、本件フェスティバルまで一〇回開催された。

同フェスティバルは、第一回から第一二回(第二回は除く。)までパンフレットが作成されており、同パンフレットによれば、第一回、第三回ないし第七回、第一〇回(本件フェスティバル)ないし第一二回においては、「財団法人高槻市体育協会サッカー連盟」が主催者(ただし、第一〇回、第一一回は、社団法人高槻青年会議所との共催)であるとされ、第八回は、「高槻市・高槻市教育委員会」及び「高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会」、第九回は、「高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会」の主催とされている。そして、主催者とは別に、主管者が定められており、第一回、第三回ないし第七回、第一〇回ないし第一二回においては、「高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会」が主管者とされ、第八回及び第九回では、「財団法人高槻市体育協会サッカー連盟」が主管者とされている。

高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会とは、上記フェスティバルの期間中にのみ、サッカー連盟の中に高槻市内の高校のサッカーチームの監督らが自ら委員となって結成するフェスティバル実行機関である。

主催、共催、主管については、特に大きな意味の違いはなく、いずれもフェスティバルの実行・運営に直接関与する団体である。

第八回フェスティバルにおいて、被控訴人高槻市が共催者となったのは、平成六年七月に国体が開催されることが正式決定し、高槻市において、本件フェスティバルと競技及び年齢層が同一である少年男子サッカー競技が開催されることをフェスティバル参加者に周知徹底するために、記念事業として、高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会とともに主催者として名を連ねることとなったものであった。

イ 被控訴人体育協会は、大阪府教育委員会の認可を受けて設立されたスポーツ振興等を主な目的とする財団法人であり、その職員は、専従の事務局長を除いて全員がボランティアである。被控訴人体育協会は、その傘下に各種二二のスポーツに関する加盟団体があり、そのうち、サッカー競技に関しては、サッカー連盟が加盟団体となっている。本件グランドは、本件フェスティバルの会場の一つとして、その管理者である被控訴人高槻市から、被控訴人体育協会が貸与を受けて使用していた。

ウ サッカー連盟は、法人格を有さず、その役員は代表者である会長が一人、副会長が若干名、副理事長及び理事長がそれぞれ若干名おり、意思決定機関として理事会が存在する。役員らはすべて別に職業を持っており、連盟の活動は個々のボランティアで成り立っていた。サッカー連盟の規約によれば、連盟は、サッカーの普及と技術の向上を図り、加盟団体相互間及び全国サッカー連盟関係者との親睦を図ることを目的とし、各種サッカー大会の主催及び主管並びに後援等を事業として行い、役員・機関・経費・会計等に関する規定が置かれている。サッカー連盟には、社会人の部、高校の部、中学の部、少年の部、女子の部があり、それぞれ各種大会を担当して開催している。高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバルは、高校の部の担当であり、同フェスティバルの開催に当たっては、同部の中にさらに、高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会が組織され、同フェスティバルの企画・運営に当たっていた。

被控訴人北脇は、本件落雷事故当時、サッカー連盟会長であり、慣例上、高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会委員長には、サッカー連盟会長が就任することになっていたので、本件フェスティバル実行委員会委員長となっていた。

以上に認定したところによれば、本件フェスティバルの主催者は、被控訴人体育協会の傘下にあるサッカー連盟であると認めるべきであり、サッカー連盟内に組織された本件フェスティバル実行委員会は、本件フェスティバルの主管者、すなわち同フェスティバルを企画・実施するための実働部隊であったと認めるのが相当である。そして、前記の事実関係によれば、サッカー連盟は、権利能力なき社団としての実体、すなわち、団体としての組織を有し、多数決原理によって団体の意思決定が行われ、構成員の変更にもかかわらず、団体そのものが存続するような実体を有するものと認めるのが相当である。

そして、被控訴人体育協会は、被控訴人高槻市から、本件グランドを貸与され、本件フェスティバルのパンフレットにも、主催者として、「財団法人高槻市体育協会サッカー連盟」として名称を冠されていたが、被控訴人体育協会が人的、組織的に本件フェスティバルの実施に関与したことを窺わせる証拠はなく、被控訴人体育協会は、その傘下にあるサッカー連盟が本件フェスティバルを実施するに当たり、名目的に関与したものにすぎないと認めるべきであるから、被控訴人体育協会が本件フェスティバルの主催者(実施主体)として、本件落雷事故の発生について責任を負うと認めることはできない。

また、前記のとおり、サッカー連盟が権利能力なき社団として独立した責任主体となる以上、その代表者(会長)である被控訴人北脇が、サッカー連盟こと被控訴人北脇として責任を負うと認めることもできない。

②  なお、本件フェスティバルの主催者(サッカー連盟)ないし主催者の履行補助者に本件落雷事故を防止すべき安全配慮義務違反があったかどうか、検討する。

前記(2)の争いのない事実のほか、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 被控訴人北脇は、勤めている会社のサッカー部に入部し、同サッカー部がサッカー連盟に加盟していたことが縁で、昭和四九年ころから被控訴人体育協会の傘下団体であるサッカー連盟の会長を務めていた。

サッカー連盟の役員らはすべて別に職業を持っており、連盟の活動は個々のボランティアで成り立っていた。

サッカー連盟の会長の職務は、主に渉外活動であり、被控訴人北脇自身は、大会の開会式における開会の挨拶や表彰式の表彰をするなどの関与しかしていなかった。

ところで、高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバルは、昭和六二年に第一回が開かれたものであるが、これは、高槻市内の高校サッカーの指導者が複数のチームと練習試合をする機会を設けたいとの希望をサッカー連盟に持ちかけたことが発端になっており、このような経緯もあって、同フェスティバルは、県内の高校サッカーチームの監督自らが委員となって組織された高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会が企画、参加呼びかけ、グランド管理等を行っていた。

そして、被控訴人北脇は、本件フェスティバル実行委員会の委員長として名前を連ねていたが、これは、慣行上、単にサッカー連盟の会長がその主催する事業の実行委員会の委員長となることとされていたからであって、いわゆる名誉職であり、本件フェスティバルの実際の運営にかかわっていたわけではなかった。

なお、被控訴人北脇は、本件フェスティバル当日は、持病が悪化して医師から静養するようにいわれ、滋賀県内の自宅で休養していたものであり、八月一三日午後五時一〇分ころ、本件落雷事故の連絡を受けた。

イ 高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバルの運営についての権限は、実質的にはフェスティバル運営委員長(本件フェスティバルにおいては大冠高校の奥谷彰男がその地位にあった。)が掌握していたが、高槻ユース・サッカー・サマー・フェスティバル実行委員会の前記アのような性格から、その主催する試合は、いわゆる公式試合(日本サッカー連盟の直接の傘下にある大阪サッカー協会が開催した事業。大阪府では、インターハイ、高校選手権の予選及び新人戦に限られる。)ではなく、練習試合の域を出ないものであって、本件フェスティバル実行委員会の側で決めるのは対戦チームや試合の予定までにとどまっており、個々の試合については、天候等の悪化による大会の中止・中断の基準等は特に定められておらず、個々の試合の中止・中断は、競技場にいる個々の主審、参加チームの監督に委ねられていた。また、個々のフィールドには、主としてグランドの整備や試合の進行等の雑用を任されていた会場担当者がいたが、これらも、本件フェスティバル実行委員会の実働部隊である個々の高校の教諭らから選ばれていた。

本件フィールドにおいては、奥谷運営委員長から依頼されたC田が会場担当者の職にあったが、同人は、サッカーの試合の中止権限については、自ら単独で行えるという認識ではなく、あくまで主審、監督及び同一のグランドの別フィールドの会場担当者(最終的には奥谷運営委員長)との協議によって決せられるべき事項であると考えていた。また、D原教諭も、個々のフィールドの試合の中止権限は主審、本件フェスティバルの中止・中断の連絡は会場担当者であるC田が行うものと思っていた。

ウ 財団法人日本サッカー協会発行のLAWS OF THE GAME(サッカー競技規則)一九九九/二〇〇〇」においては、「主審は、以下のことに法的責任を持たない:これには以下のものが含まれる:フィールドやその周辺の状態、あるいは天候の状態が、試合の開催に適しているか、いないかの決定、何らかの理由による試合中止の決定」との記載がある一方、財団法人日本サッカー協会は、平成一一年(一九九九年)六月二四日、高知弁護士会長からの「荒天下におけるサッカー競技の中止・中断についての関係各者の権限・義務の確認」の照会に関し、「1 試合の中止・中断の権限は原則的に主審が保持している。2 試合が選手権大会、興行等の場合、主審が主催者、主管者、出場チーム関係者等と協議を行い、中止・中断の決定をすることがある。3 出場しているチームの監督等関係者が試合続行困難と判断した場合には、主催者(大会本部)にその旨を申し入れるべきであり、一方的に選手を引き上げさせる行為は是認されない。」との見解を示していることが認められる。

そうすると、サッカーの試合及び大会の荒天時における中止・中断の基準については、財団法人日本サッカー協会から一定の見解が示されてはいるものの、荒天時におけるサッカー競技の中止・中断についての最終的な決定権者が主催者なのか主審なのかは必ずしも明確とはいえなかったから、主催者としては、大会を開催するにあたり、その点を明らかにしておく必要があったというべきであって、それは、本件フェスティバルのような大規模な練習試合についても変わりはないものと考えられる。

しかるに、本件フェスティバルにおいては、主催者であるサッカー連盟あるいは主管者である本件フェスティバル実行委員会は、その点についての明確な取り決めをしておらず、また、関係者の個々の認識も一致していたとはいいがたいから、サッカー連盟あるいはその上位団体である被控訴人体育協会には、荒天時のサッカー競技の対応や中止・中断の条件に関する取り決めを検討しておくことが望ましかったことはいうまでもない。

しかしながら、本件落雷事故は、本件フェスティバルの中止・中断についての取り決めが明確ではなかったことの危険が現実化したものではなく、屋外スポーツ競技における天候の変化についての危険が現実化したものであり、しかも、本件落雷事故当時、本件グランドに居合わせたサッカー指導者のほとんどが落雷の危険性を全くあるいはほとんど感じていなかったことは既に認定説示したとおりであって、本件グランドに本件落雷被害が発生することは、気象状況を自ら判断し得る一般的な能力を有していたと推認されるスポーツ指導者であっても相当困難であったというべきであるから、本件落雷事故発生は、被控訴人体育協会あるいはその傘下団体であるサッカー連盟が、本件フェスティバルの中止・中断権限を明確に定めず、これを関係者に周知しなかったこと、落雷に関する気象情報を収集しなかったこと、落雷事故を防止するための人的物的体制を整えなかったこと、及び本件試合開始前にサッカー競技を中断・中止させなかったこととは相当因果関係がないといわざるを得ない。

そして、前記D原教諭におけると同様、本件グランドの会場担当者であり、本件フェスティバルの主催者であるサッカー連盟の履行補助者と認めるべきC田においても、本件落雷事故の発生を予見することはできなかったと認めるのが相当である。

そうすると、結局、サッカー連盟にも本件落雷事故についての責任があるということはできない。

③  また、被控訴人北脇は、前記に認定説示したとおり、サッカー連盟の会長であり、本件フェスティバル実行委員会委員長であったとはいえ、その職務はボランティアとして名誉職的な渉外活動をしていたにとどまり、その構成員が行った行為についての責任を当然に負うような地位にあったものとは認められないから、同被控訴人において、荒天時(雷注意報発令時を含む。)における本件フェスティバルの中止・中断権限を取り決めず、落雷に関する気象情報を収集せず、落雷事故を防止するための人的物的体制を整えず、本件試合開始前にサッカー競技を中断・中止させなかったからといって、直ちにその責任を負うことになるとはいえない。

しかも、被控訴人北脇は、前記認定のとおり、本件落雷事故当日は、病気のため自宅で静養していたものであるから、同被控訴人に対しては、その点においても、本件フェスティバルの中止・中断に関する責任を問うことはできないというべきである。

④  以上によれば、被控訴人体育協会及び同北脇に責任があるとの控訴人らの主張は、いずれも理由がないといわざるを得ない。

四  結論

以上によれば、控訴人らの請求はいずれも理由がないから棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官 松本信弘 裁判官 吉田肇 種村好子)

<以下省略>

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