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高松高等裁判所 平成15年(ネ)428号 判決 2004年7月20日

控訴人

愛媛県

上記代表者愛媛県公営企業管理者

和氣政次

上記指定代理人

藤井靖久

外2名

被控訴人

甲野花子

上記訴訟代理人弁護士

西嶋吉光

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1  控訴人の求める裁判

1  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

2  上記部分にかかる被控訴人の請求を棄却する。

第2  事案の概要

1  事案の概要、争いのない事実及び争点は、以下のとおり付加訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」、「第3 争いのない事実」及び「第4 争点」各記載のとおりであるから、これを引用する。

2  付加訂正部分

(1) 原判決5頁15行目<編注本号260頁左段14行目>末尾の次に、改行の上、次のとおり加える。

「 平成9年1月17日午前11時38分ころ、全身の間代性の痙攣が起き、亡太郎が呼吸停止に陥ったとの主張、及び、同時にアンビューバックによる人工呼吸を行ったとの主張は、いずれも否認する。

また、ACLS(救急医学)マニュアルに定められた救命処置は、内科疾患での心肺停止に対する対処方法であり、適応は、心室細動、無脈性心室頻脈とされており、本件のような心臓の血管に病気があって急性冠閉塞を来たし、心原性ショックにより循環障害を来したものへの適応はない。したがって、PTCA施行後の急性冠閉塞、ショックによる循環障害という事態に対しては、心臓外科手術で用いられているPCPSをつけてショック状態から回復させることが優先される。しかも、本件では、術前、医師らは、亡太郎に対し、本件手術がうまくいかなかった場合には心臓外科医による緊急CABGに備えて準備をしておくと約束していたにもかかわらず、待機的準備をしていなかったのであるから、控訴人病院に責任があることは明らかである。」

(2) 同5頁25行目<同260頁左段28行目>「優先させたものである。」の次から同6頁11行目<同260頁左段50行目>末尾までを、改行の上、次のとおり改める。

「 平成9年1月17日午前11時38分、亡太郎に心原性ショックが起こり、全身の間代性の痙攣が起こった。そして、呼吸停止と心電図上洞性徐脈を認めたため、医師らはただちに心蘇生術にとりかかり、アンビューバックによる人工呼吸を開始するとともに、心臓マッサージを行い、救急蘇生の手順である一次救命処置、二次救命処置を開始し、同40ないし45分ころ、急性循環不全改善剤カコージンD、昇圧剤エホチールを投与するとともに、原因疾患である冠動脈の閉塞を確認し、診断用カテーテルから血栓溶解剤を注入し、PTCA用のガイディングカテーテルに変更の上、原因疾患に対する治療を開始した。そして、同50分には再PTCAにより閉塞していた冠動脈に血液を流し始めることができ、同53分には、気管内挿管に成功し、人工呼吸器による呼吸管理を開始し、同54分には、再灌流と心筋障害に伴い一過性の不整脈を認めたため、心臓マッサージと電気的徐細動を行った。その後、心拍動は再開され、血圧計で血圧86mmHgと計測されるようになった。その後のPTCA治療中においても、一過性の不整脈が再度発生した時には間歇的に心臓マッサージと電気的徐細動を行った。

上記のとおり、控訴人病院が亡太郎に施した一連の心蘇生術の手技は、日本救急医学会のACLSマニュアルに定められた救命処置が適切に行われたものである。一方、この時に、PCPSを使用することは、ACLSマニュアルに定められていないばかりでなく、心肺蘇生の救急処置としての有効性については評価できない状況である。さらに、PCPSは観血的手技と操作が必要で、合併症が3分の1前後に発生しており、必要以上の補助流量は心機能の回復に有害であるとも言われていて、PCPS装着に伴う危険と装着の有用性との比較については、未だ定説のない状況であるし、かえって、体動による回路屈曲などにより脱血不良が生じると血圧低下とそれに引き続く重篤なイベントが生じる危険性があるとともに、合併症が発生するとも言われており、安易に使用されるべき装置ではない。

さらに、控訴人病院の医師らは、ただちに第一次、第二次救命措置を開始し、ACLSマニュアル等に沿った心肺蘇生を行っており、この時に、同時にPCPS装着はできない。また、PCPS装着のためには大腿動脈と大腿静脈にそれぞれ太い針を刺してカテーテルを挿入する必要があるが、心原性ショックの発症時には血圧は触知不能であり、その穿刺条件は非常に悪い。したがって、実際上、医師らは、15分程度でPCPSを行うことは到底できない。

さらに、亡太郎は、同日午前11時38分には呼吸停止状態となっていたところ、心停止後5分が不可逆性脳障害を来す限界時間となり、PCPS装着に15分かかるとすると、心原性ショック発生後直ちにPCPSを装着しても、亡太郎の脳機能障害は不回避であり、しかも、PCPSのみでは急性冠閉塞に陥った心臓を救済することはできなかった。そして、上記のとおり、亡太郎がショック状態となってから約16分後である同日午前11時54分ころには、全身循環が確保され、心原性ショックから離脱しているから、PCPS装着に要する時間程度で全身状態は回復していたのである。なお、IABP(大動脈内バルーンパンピング)は、あくまでも回復した心臓の自律運動のサポートである補助循環のために行われたものであり、心臓マッサージについては一過性の不整脈が生じた時、間歇的に行ったものである。また、IABPは、再疎通した冠動脈が再々閉塞しないため極めて有用である。」

第3  当裁判所の判断

1  当裁判所も、原判決と同様、被控訴人の控訴人に対する請求は、7375万0947円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成12年4月4日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないものと判断する。

その理由は、以下のとおり加除訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第5 当裁判所の判断」記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、第3項は除く。

2  加除訂正部分

(1) 原判決8頁27行目<同261頁左段35行目>「20」の次に「、30ないし37、43」を、同28行目<同261頁左段36行目>「19の1・2」の次に「、20、24」を、それぞれ加える。

(2) 同10頁14行目<同261頁右段42行目>「が、同日」から同末行目<同262頁左段7行目>「続けた結果」までを、次のとおり改める。

「ところ、左前下行枝が血栓によりステントの近位部で完全に閉塞し、さらに、血栓が左回旋枝及び左主幹動脈へと流れ込んできていたため、緊急PTCAとすることとしたが、同日午前11時38分、亡太郎に心原性ショックが起こり、全身の間代性の痙攣が起こった。そして、心電図上洞性徐脈を認めた(洞結節からの信号が55回/分)ため、医師らは心臓マッサージを行った。同日午前11時45分ころ、診断カテーテルから急性循環不全改善剤カコージンD、昇圧剤エホチール、急性心筋梗塞における冠動脈血栓の溶解剤プラスベータを投与するとともに、原因疾患である冠動脈の閉塞を確認し、診断用カテーテルから血栓溶解剤を注入し、PTCA用のガイディングカテーテルに変更の上、再び、血栓溶解剤を冠動脈内に注入した。その後、同日午前11時50分、控訴人医師らは再PTCAを試み、他方で、同日午前11時53分、麻酔科医師によるIABP(大動脈内バルーンパンピング)実施のためのバルーン挿入が行われた。一方、再PTCAのためのガイドワイヤーが左前下行枝を通過し、バルーンを膨らませて全体的な閉塞を解除できたところ、同日午前11時54分、心臓の自律調律を示す不整脈が出現し、収縮期圧86mmHgとなったが、血栓形成が非常に強く、バルーンを膨らませて高圧で拡張しても、さらに血栓形成がされる状態で、心室性不整脈予防薬キシロカインを注入し、さらに、同日午前11時56分、アシドーシス剤メイロンを注入し、同日午前11時58分、血液凝固予防剤ヘパリンを注入し、最終的に、プロUK(血栓溶解剤)を使用し、PSステントの留置も施行した。その間、心室頻拍及び心室細動を繰り返したので、心マッサージと電気的徐細動を行い、同日午後0時13分、IABPを開始した。一方、控訴人医師らは、同日午後0時4分、中枢神経系の抑制と骨格弛緩剤マグネゾンを注入した。医師らによる心臓マッサージは、同日午後0時24分まで続けられ、その結果」

(3) 同11頁2行目<同262頁左段11行目>末尾の次に、改行の上、次のとおり加える。

「 なお、本件手術時、控訴人病院の心臓外科医らは、一応待機をしている状態で、手術室も空いていたが、緊急事態が生じてから手術を始めるまでに1時間程度かかる状態であった。また、CABG自体、手術開始から約1時間半の時間を要する手術であった。」

(4) 同11頁24行目<同262頁左段41行目>末尾の次に、改行の上、次のとおり加える。

「 しかし、2枝病変の重篤な症例においては、PTCAを行った場合の再発率(再度PTCAを繰り返す率)が高く、何度も入院を繰り返すことが予想されるので、適応としては高いとはいえない。」

(5) 同12頁8行目<同262頁右段4行目>末尾の次に、改行の上、次のとおり加える。

「(3) 控訴人病院の本件手術の術式選択における過失の有無

ア 先に引用した原判決認定事実によれば、亡太郎は、冠動脈の内、左前下行枝と左回旋枝とに有意狭窄があった上、右冠状動脈が小さく右非優位型と分類され、左冠状動脈がその分だけ大きく、左の2枝で右の分を含む3枝分の広範な心筋領域を潅流していることになっていたので、事実上、3枝病変と同様に考えるべき症例であったと認められる。その上、同人は、糖尿病も合併していたと認められるのであるから、重症多枝病変として術式選択を行う必要があったものと認められる。

そして、亡太郎に対する本件手術が行われた平成9年1月当時、上記のような重症多枝病変の場合、通常、術式選択としては、CABGが第1選択とされていたと認められる。

ただし、PTCAが禁忌であるとまではいえないが、亡太郎には、糖尿病の合併症があったのであるから、PTCAが成功しても、再度PTCAをしなければならない可能性が高い上、血液が凝固しやすく、血栓が生じやすいことは十分予想できたと認められる。したがって、PTCAの施行時又は施行直後に血栓が生じ、PTCAが不成功となる場合があることは十分予想されたのであるから、PTCAを第1選択とした場合、補助循環装置を早急に設置した上で緊急CABGを行うことができるようなバックアップ体制を整えておく必要があり、それができないのであれば、PTCAを実施すべきではなかったと認めるのが相当である。

そして、先に引用した原判決認定事実によれば、控訴人病院において、本件手術を施行した際、緊急事態が生じてから心臓外科としてCABGを開始するまでに約1時間もの時間がかかる状態であったと認められるところ、PTCAが不成功となった場合には、循環機能が不全となるような場合が十分に予想されたにもかかわらず、本件手術においては、早急な補助循環装置の挿入ができず、緊急CABG実施もできない状態であった(CABG開始までに約1時間、手術開始から終了まで約1時間半を要する。)のであるから、そのような体制の下、亡太郎に対してPTCAを第1選択として同手術を実施した控訴人病院には、術式選択についての過失があったと認めるのが相当である。

イ この点、控訴人は、亡太郎は、糖尿病について、インスリンもしくは経口血糖降下薬を服用しておらず、BARI試験の結果(乙B11の2)は、亡太郎には当てはまらないと主張する。しかしながら、鑑定結果によれば、亡太郎が罹患していた程度の糖尿病であっても、合併症、すなわち危険因子として理解した上で術式を選択すべきことが認められ、糖尿病であるとの判断は、インスリンもしくは経口血糖降下薬の服用の有無によりなされるものではない。BARI試験は、糖尿病が危険因子となることを示すものであるという意味で有意であり、これを覆すに足りる証拠はない。」

(6) 同12頁9行目<同262頁右段5行目>「(3)」を「(4)」に改める。

(7) 同12頁26行目<同262頁右段30行目>末尾の次に、改行の上、次のとおり加える。

「 控訴人は、医師らが亡太郎に施した一連の心蘇生術の手技は、ACLSマニュアル(乙B20)に定められた救命処置であり、適切なものであるし、一方、PCPSによる心肺蘇生法は有効性、有用性、有益性が確立していないと主張する。しかしながら、控訴人病院では、本件手術当時、PCPSを設置していたのであって、控訴人病院が、有効性、有用性、有益性が確立しておらず、緊急時に使用することが想定されていないような装置を設置していたとは到底考えられない。そして、PCPSは、心筋梗塞等の重篤な循環不全に対応されるものであるとのことであり(乙B19)、証拠(乙B5、鑑定結果)によれば、本件手術において、亡太郎にPCPSを装着することは可能であったと認められる。また、控訴人が亡太郎に装着したIABP自体も、ACLSマニュアルにおいて、使用を義務化されたものではない。にもかかわらず、医師らが、亡太郎にIABPを装着したことからすれば、医師らが、当時の亡太郎の症状からして、心マッサージのみでは心肺機能の蘇生が十分できないと判断し、補助循環装置を装着したと認められるのであって、亡太郎の当時の症状からすれば、緊急に補助循環装置を装着することが、心肺機能の蘇生に必要であったが、亡太郎の症状及びその後の状態からして、IABPでは、全身循環補助機能としては十分でなく、PCPSを装着し、行うべきであったと認められる。

また、控訴人は、再度のPTCAを行いつつPCPSの装着を行うことは極めて困難であったと主張し、心原性ショックの発症時には、PCPS装着のために針を差し込む大腿動脈と大腿静脈が触知不能であって、針を差し込むのが困難であるとか、心臓マッサージをしながら心臓カテーテル台でPTCAを行っている術野で大腿動脈からPCPSのカニューレを挿入するのは極めて困難であると主張する。しかしながら、本件手術中、心臓マッサージを施されている亡太郎に対して、麻酔医がIABPの大腿動脈への挿管を行い、IABPが実施されていることからすると、PCPS装着のために針を差し込むことが極めて困難であるということはできない。また、鑑定結果によれば、本件手術において、亡太郎に対し、PCPSを15分ほどで装着することは十分可能であったと認められるのであるから、控訴人の主張はいずれも理由がない。」

(8) 同13頁3行目<同262頁右段38行目>「なお、」から同5行目<同262頁右段41行目>末尾までを削る。

(9) 同13頁12行目<同262頁右段51行目>冒頭から同14頁9行目<同263頁左段33行目>末尾までを、次のとおり改める。

「  控訴人は、亡太郎は、平成9年1月17日午前11時38分、心原性ショックが生じた時点において、呼吸停止及び心停止状態に陥っており、そこからPCPSを15分程度で装着できたとしても、不可逆的脳障害の発生は不可避であったと主張する。しかしながら、上記時間に、亡太郎が呼吸停止及び心停止状態に陥っていたと認めるに足りる証拠はない。カルテ(乙A6)上、上記時間に、亡太郎が呼吸停止及び心停止状態であったことを示す記載はない。カルテには、亡太郎には、同日午前11時35分前には心電計が装着されており、その時の心電図では洞性徐脈(洞結節からの信号が55回/分)が確認されたので、その後、とりあえず心臓マッサージを開始し、同日午後0時23分より前に、心室頻脈、心室細動を繰り返したと記載されている反面、それ以外の心電図に関する記載がないことからすれば、乙B27、28号証及び証人Cの供述によっても、亡太郎について、同日午前11時38分、亡太郎が呼吸停止及び心停止の状態であったと認めることはできない。そして、鑑定結果によれば、むしろ、PCPSを装着し、再度PTCAを行うことにより、亡太郎の全身循環が確保され、不可逆的脳障害を生じさせることはなかったと認めるのが相当である。

(5) 以上のとおりであって、本件手術において、控訴人病院医師らには、亡太郎の病態からして、CABGを第1選択とすべきであったのに、これをしないでPTCAを第1選択とした上、同選択をしたのであれば、同手術が不成功に終わり、緊急事態が生じた場合に、緊急CABGが実施できる体制を採らなければならなかったのに、同体制を採らず、かつ、本件手術において、控訴人病院医師らには、亡太郎急変後、速やかにPCPSを装着すべき義務があったのにこれを怠った過失があるというべきであり、この点において、診療契約上の債務不履行があるものと認められる(以下「本件債務不履行」という。)。」

第4  結論

以上のとおりであるから、本件控訴は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・松本信弘、裁判官・吉田 肇、裁判官・種村好子)

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