高松高等裁判所 平成17年(ネ)185号 判決 2006年1月27日
高松市a町b c番地d
控訴人兼被控訴人(1審原告)
A
(以下「1審原告A」という。)
高松市a町b c番地d
控訴人兼被控訴人(1審原告)
B
(以下「1審原告B」という。)
上記両名訴訟代理人弁護士
高見澤昭治
高松市番町e丁目f番g号
控訴人(1審被告)
香川県
(以下「1審被告県」という。)
同代表者知事
D1
上記訴訟代理人弁護士
田代健
上記指定代理人
D2
同
D3
同
D4
同
D5
高松市h町i番地j
被控訴人(1審被告)
F
(以下「1審被告F」という。)
上記訴訟代理人弁護士
川崎達夫
主文
1 1審被告県の控訴を棄却する。
2 1審原告らの控訴(当審における新請求を含む。)を棄却する。
3 控訴費用は,1審原告らと1審被告県との間においては,1審被告県の負担とし,1審原告らと1審被告Fとの間においては,1審原告らの負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 1審原告ら
(1) 原判決中,1審被告F関係部分を取り消す。
(2) 1審被告Fは,1審原告らに対し,それぞれ金120万円及びこれに対する平成14年2月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 1審被告県
(1) 原判決中,1審被告県の敗訴部分を取り消す。
(2) 上記部分に係る1審原告らの請求を棄却する。
第2事案の概要等
1 原判決の補正と引用
次のとおり補正するほかは,原判決の「事実及び理由」中,「第2 事案の概要等」記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,1審被告G(以下「G」という。)に関する部分を除く。)。
(1) 原判決3頁15行目末尾の次に,改行の上,次のとおり加える。
「原判決は,1審原告らの1審被告県に対する請求を,1審原告らそれぞれに対し,3184万9394円及びこれに対する平成14年2月19日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で認容し,1審被告Fに対する請求を棄却した。
1審被告県は同被告の敗訴部分,1審原告らは1審被告F関係部分を不服として控訴した。
1審原告らは,当審において,1審被告Fに対し,主位的に,債務不履行に基づく請求を新請求として追加し,不法行為に基づく請求を予備的請求とした。」
(2) 原判決6頁10行目「子育て支援課の」の次に,「主査である」を加える。
(3) 原判決10頁3行目「職員」の次に,「(副主幹)」を加える。
(4) 原判決10頁6行目,10行目,11行目,15行目,16行目,19行目に「H1」とあるのを,それぞれ「J」と改める。
(5) 原判決11頁末行目「強く指導し,」の次に,「文書で改善指導し,報告を求める旨指示した。Gは,「今後はこういうことのないよう気を付けます。」と約束した。Jらは,」を加える。
(6) 原判決13頁11行目「午後1時30分ころ」の次に,「から同2時ころにかけて」を加える。
(7) 原判決14頁4行目「3日間である」の次に,「(乙ロ28)」を加える。
(8) 原判決14頁9行目末尾の次に,改行の上,次のとおり加える。
「カ Kの退園後,Gの加害行為がC以外の園児に向けられたことを認めるに足りる証拠はない。」
(9) 原判決16頁17行目「同日」とあるのを,「同月18日」と改める。
(10) 原判決16頁24行目「乙ロ25」の次に,「ないし27」を加える。
(11) 原判決18頁9行目「負わせたものである」の次に,「(Gによる上記加害行為を「本件加害行為」という。)」を加える。
(12) 原判決25頁11行目「児童の福祉のため」から同頁13行目「することができる」までを,「児童福祉審議会の意見を聴き,事業停止又は施設閉鎖を命じることができる」と,同頁13行目「同法」とあるのを,「平成13年法律第135号による改正(平成14年10月1日施行)前の同法」と,それぞれ改める。
(13) 原判決29頁23行目「司法解剖」を「死体検案」と改める。
(14) 原判決30頁3行目「外因死」とあるのを,「不詳検索中」と改め,同頁5行目「「11 その他及び不詳の外因死」又は少なくとも」とあるのを削除する。
2 当事者の当審における主張
(1) 1審原告らの主張
ア 1審被告県関係
(ア) 保育施設における虐待の防止について
児童福祉法2条の趣旨は,国及び地方公共団体の責任について規定したものであり,児童の保護者の責任を定めたものではない。「児童の保護者とともに」との言葉があることをとらえて,行政の責任を保護者に転嫁することはできない。
本件では,Cに異常が生じ,それがGの虐待によるものと1審原告らが認識する以前に,児童が虐待で殺されてしまったものであり,行政への通報や保育施設への委託停止を,1審原告らに求めるのは現実的でない。
(イ) 事業の停止又は施設の閉鎖について
1審被告県は,小鳩幼児園の事業の継続やそこでの雇用の確保といったことを配慮することが大切と考えて,規制権限の行使をためらった結果,死亡事件を発生させたというのが実態である。
人の生命・身体の安全こそが最優先に考えるべき法益であり,とりわけ本件のような乳幼児への虐待といった重大な法益侵害の危険性が存在するときには,行政には,何よりもこれを優先して確保する法的責任がある。
(ウ) 本件指針等について
平成13年3月29日付けで,厚生労働省雇用均等・児童家庭局長から,「認可外保育施設指導監督指針」及び「指導監督基準」(本件指針等)が各都道府県知事ら宛てに通知され,そこには,本件立入調査前である平成13年4月1日から施行することが明記されている。
そして,「問題を有すると認められる場合の指導」として,改善勧告や「事業停止又は施設閉鎖命令」について細かく規定し,「緊急時の手続の特例」として,「事業停止又は施設閉鎖命令の対象となることが明らかであって,児童の福祉を確保すべき緊急の必要性があるときは,改善指導,改善勧告,弁明の機会の付与,児童福祉審議会からの意見聴取の手続を経ることなく,事業停止又は施設閉鎖を命じることができる。」とされている。
認可外保育施設については,昭和56年に児童福祉法が改正され,行政庁が必要な報告を求めたり,立入調査できる旨が規定されたが,その後も無認可保育施設での問題が度々発生し,特に平成12年6月には,大和市の無認可保育施設「スマイルマム大和ルーム」での園長による「せっかん死」事件が社会問題化したことから,緊急に各都道府県知事ら宛てに局長通知という方法がとられたのである。
保育行政に携わる職員であるならば,そうした事件に関心を持ち,厚生労働省からの通知について,その内容及び緊急性・必要性を熟知していたことは当然である。
1審被告県は,本件指針等を単なる望ましい姿というような捉え方で,真摯に受け止めなかったことを自白したに等しい。
(エ) 虐待の危険が切迫していることの認識について
加害者の心身の状況や周辺の事情も問題ではあるが,本件で最も重要なのは,加害者であるGの性癖,特に虐待の常習性,加害行為(虐待)の手段・方法及び虐待の対象が誰に向けられていたかである。
Gが小鳩幼児園で行っていたことは,感情のおもむくままに,小さな乳幼児の身体に対し,太鼓のバチやパイプ椅子などの用具を用いて,手加減を加えることなく,すさまじい暴行を加えるというものであり,Gは,そうして連続的常習的虐待を行うという性癖を持っていたのである。
そうしたGの性癖やそれまでのやり方からすれば,Kが退園した後,同児の代わりに預けられていた他の乳幼児に対して,それまでと同じような常軌を逸した虐待が,いつ,どの児に加えられても決しておかしくない状況にあったというのが実態であった。
元園児や保護者らの各供述調書を検討すれば,明確な時期はともかく,それぞれがかなり長期にわたるGの園児らに対する度重なる虐待の事実を克明に語っており,しかもそれがほぼ間断なく行われていることが分かる。
Gの園児に対する虐待の事実は,G本人の供述調書でもリアルに述べられている。そこには,「幼児の数が急激に減り,最近では,4~5名の園児しかおらず,経営難にも陥り心身ともに疲れ切っていたのです。」ということを認め,「こうした中で次第に私の体罰がエスカレートしていき,今回のKちゃんの事件になったのです。」ということを自白している。
本件事件は,たまたま死の結果をもたらしたという以外は,それまでGが園児らに加えた暴行の内容や程度とほとんど同じである。
(オ) GによるK以外の園児に対する虐待の認識義務について
1審被告県(子育て支援課)が,本件立入調査前にGの加害行為について得ていた情報がKに関するものだけであったとしても,長期にわたる太鼓のバチなどを使うなどの常軌を逸した虐待の手口やそれによって被った傷害の程度からすれば,子育て支援課のJらは,Gがまさに傷害罪に該当する行為を繰り返していたことが認識できたのであるから,残された他の園児への危険を予見でき,又は少なくとも予見可能性は十分にあった。
しかも,Jらが得たGの園児らに対する虐待の情報は,KとNに関するものだけではなかった。Jらは,平成13年11月6日の電話での会話において情報を得ており,しかも同月14日には,P宅において,Nにも出会い,同人から,具体的に同人に対するGの虐待の内容と他の園児への虐待について詳しく聞いて危険が切迫していることを認識していた。
(カ) 本件立入調査におけるGの言動について
本件立入調査は,1審被告県(子育て支援課)が,長年にわたって虐待を受け,太鼓のバチで殴打されて傷害を負わされて退園したばかりのKからの申告を受け,診断書も提出させて行ったものである。それにもかかわらず,園児らに対する危険の切迫性よりも,長年保育等に携わってきた実績を持つ保育士という点を慮ってその弁解を鵜呑みにして,事業の停止又は施設の閉鎖を命じなかったことは,国民の期待に反し,著しく合理性を欠く。
Pらの情報に加え,1審被告県は,立入調査によって,60人の定員の園でありながら,わずかに3~4人の園児しか存在しないとの事実を目の当たりにしているのであるから,保護者らが小鳩幼児園に児童を入れない原因として,虐待が繰り返されている可能性が高いと容易に認識できたはずである。
乳幼児の安全を確保することが最重要な任務である子育て支援課の職員としては,Gを長年保育等に携わってきた実績を持つ保育士としてではなく,むしろ長年にわたる虐待を繰り返してきた,まさに「虐待行為者」ではないかという疑念を持ち,Gに対してそのことを厳しく問い質し,同人が2度と虐待行為を行えないよう,行政として与えられた権限を適切に行使すべきであった。
Gが体罰とかしつけの一環だとして,その一部を認め,「今後こういうことのないよう気をつける」といったからといって,それを反省ととらえ,他の児童に虐待を絶対しないという改善を期待することは,乳幼児の安全を確保することが最重要の責務である子育て支援課の職員としては,あまりにも楽観的すぎる。
ましてや,Gは,立入調査をした1審被告県(子育て支援課)の職員に対し,K以外の園児に対しては虐待を加えた事実はないと否認し,職員に対して不満を漏らしたというのである。そうであれば,PやNから聞いた事実との違いから,Gが真摯に反省しているどころか,他の園児に虐待を繰り返す危険性を予見して,さらに厳しく問い質すか,直ちに業務停止命令又は施設閉鎖命令を発すべきであった。
(キ) Gによる園児への処遇の実態を把握すべき義務について
1審被告県は,小鳩幼児園に在園し又は以前に在園していた園児の保護者らからの具体的事情聴取について,なんら実施しておらず,検討すらしたこともないのに,現実の行政組織の実態に照らして実施可能か否か,実施したとして,どこまで真実に沿う事実を把握できるのか,保育施設の側の正当な利益を損なうおそれはないのかなどと述べ,自らの無為無策を正当化しようとしている。1審被告県には,人の生命・健康の安全を護ることが最優先であるという行政に課せられた基本的姿勢が欠けている。
(ク) Gによる虐待の予見可能性等について
Kに対する虐待は,まさに死亡の結果をもたらし得るような苛烈な虐待というべきものであり,1審被告県がGのKに対する加害行為程度の加害行為を予見できれば,その結果,死亡することもあり得ることを予見し得た。
被侵害利益が生命・身体・健康のように重大なものについて,行政の不作為が問われた場合には,その安全性が脅かされることについて予見可能性があれば,規制権限を行使すべきである。
(ケ) 過失相殺について
1審被告県は,原審では,過失相殺は主張しないと言明しておきながら,当審において新たに過失相殺の主張をした。これは禁反言の原則に反するものである。
子供を保育園に通園させる親としては,最愛の子供を全面的に委ねるのであるから,保育士やそのスタッフを信頼し,子供が愛情をもって保育されると心から信じられる場合にはじめて子供を預けるのであって,いじめや虐待などを加えられることについて少しでも不信感や疑念をもったら,決してそこに預けることはない。
1審原告Bは,Cを小鳩幼児園に預けるようになった後,Cのけがに気付いたが,そのような場合でも,信頼しているGの虐待を疑うまでに至らず,平成14年2月18日夜にはじめてGによる虐待の可能性について疑念をもったが,Gのような保育を専門にしている年配の女性が,まさか1歳2か月の幼児に対して虐待など加えるはずはないと最後まで信頼していたのが実態であった。
何も知らされていない1審原告らに,GのCに対する加害行為に気付き,行政(警察を含む。)に対する通報をしたり,通園を止めたりすることを期待することはできない。
イ 1審被告F関係
(ア) 債務不履行責任(主位的請求,当審における新請求)
① 死体を検案した医師は,遺族らに対して,死体検案書を作成し,交付する義務がある(医師法19条2項,20条)。
医師は,医療を受ける者に対し,良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない(医療法1条の4)とされており,死体を検案した医師は,客観的な事実に基づいて良質かつ適切な死体検案書を作成するよう努めなければならず,検案に基づいて客観的(余計な配慮を加えない)かつ真実(虚偽でない)死体検案書を作成する義務がある。
死体検案は,変死体を扱った警察や病院からの情報で行われることもあるが,多くは自宅で突然に亡くなった者の遺族からの依頼でなされる。本件のように死体検案の対象である遺体について遺族がはっきりしている場合は,死体検案書の作成についてはもとより,死体検案も法的には遺族からの依頼で行われると解すべきである。
そして,医師が,虚偽の死体検案書を作成した場合はもとより,非科学的かつ不適切な死体検案書を作成して交付した場合には,給付された目的物に瑕疵があることになり,当該医師の責めに帰すべき事由に基づき,違法である以上,不完全履行として遺族に生じさせた損害を賠償する義務がある。
② 1審被告Fは,本件死体検案書の「死亡の原因」欄に直接死因として,「不詳検索中」,「死因の種類」欄に「12 不詳の死」と記載すべきであった。
ところが,1審被告Fは,「死亡の原因」欄に直接死因として,「乳幼児急死症候群の疑い」,「死因の種類」欄に「1 病死及び自然死の疑い」と記載し,これを1審原告らに交付した。
③ 生後1年2か月の幼児に存在する損傷を見れば,何らかの外力が加えられた可能性が高いと考えるのが相当であり,「病死及び自然死」は,絶対に選択すべきではなかった。上記記載は,外因死の可能性を排除するものであり,客観的事実に反し,非科学的かつ不適切なものである。
④ 本件死体検案書により,1審原告らは,以下のとおり,耐え難い精神的・肉体的苦痛を被った。
(ⅰ)遺族は,死亡した者の死因原因や死亡時間について,死亡診断書や死体検案書によって,客観的で正確な情報が与えられる権利利益を有する。
1審原告らは,1審被告Fが本件死体検案書に非科学的かつ不適切な記載をすることによって,外因死の可能性はないというあまりにも実態と合わない情報を与えられ,これが平成14年6月6日に訂正されるまで107日間,絶望的ともいえる精神的苦痛を被った。
(ⅱ)犯罪被害者は,司法手続きによって犯罪者を適正に処罰することを求めることが制度的に保障されており,そのために警察が適正かつ迅速に捜査を遂げ,犯人をできるだけ早く逮捕することを要求する権利を有する。
1審原告らは,いったんは殺人罪で立件した高松南署の担当者から,1審被告Fによって本件死体検案書が作成された以降は,「病気では事件にできない」,「運命だと思ってあきらめろ」と冷たくあしらわれ,やむなく弁護士に依頼し,平成13年3月29日,Gを殺人罪で告訴するまで38日間,絶望の余り自殺を考える程の精神的苦痛を味わった。
(ⅲ)告訴を受けて捜査が再開されたものの,その間に証拠物がGによって隠蔽されたため,高松南署の担当者から,捜査が困難になり手間取っていると聞かされ,やきもきさせられるなどの精神的苦痛を被った。
(ⅳ)1審原告らは,本件死体検案書を使ってCについて死亡届を行い,それに基づいて戸籍が作成された。
ところが,本件死体検案書が虚偽であったことから,1審被告Fは,3か月半も過ぎてから,新たな死体検案書を作成し,そのために1審原告らは,家庭裁判所に戸籍訂正の許可申請を申立て,役場に戸籍事項変更の申立てを行うことを余儀なくされ,腹立たしい思いをしながら,不慣れなことをしたことによる精神的苦痛を被った。
⑤ 本件死体検案書の客観的真実に反した,あるいは悪質かつ不適切な記載によって,1審原告らは,上記の損害を被った。
本件死体検案書は,1審被告Fによって作成された後,高松南署の本件事件担当者に渡され,その後に1審原告らに交付されたが,その過程で,高松南署の担当者が本件死体検案書の内容を見て,Cの死亡の原因として「乳幼児急死症候群の疑い」と記載され,死亡の種類として,外因死でなく,「病死及び自然死」が選択されていたから,事件ではないと判断し,捜査を打ち切った。
死体検案書は,専門の医師による判断であって,交付の対象は遺族であっても,異常死体を前にした警察官としては,事件として捜査すべきかどうか強い関心を持って見るのは当然であり,1審被告Fは,そのことを当然に予期して,本件死体検案書を渡したものである。
高松南署の担当者が,本件死体検案書の所定欄に,たとえ「疑い」と記載されていようと,「外因死」の可能性を排除した内容である以上,事件性がないと判断するのは当然である。なお,1審被告Fが立会捜査官に捜査を続けるようなことをいったとは考えられない。
1審被告Fの上記行為によって,高松南署が捜査を中止し,その結果,1審原告らが損害を被った以上,その損害と1審被告Fの行為との間には,相当因果関係がある。
(イ) 不法行為責任(予備的請求)
① 医師として死体検案書を作成する者は,専門的知見を十分用いて検案し,死体検案書には,客観的事実に基づいて,その時点での医師としての判断をできるだけ正確に記載する注意義務があり,医学的な判断以外の主観的な配慮や,客観的な事実から推認される死亡原因についての可能性を排除する記載をしてはならない。
② 1審被告Fの作成した本件死体検案書がいかに客観的な事実に反し,悪質かつ不適切で,著しく不合理であるかは,上記(ア)のとおりである。
③ 1審被告Fは,本件死体検案書に「乳幼児急死症候群の疑い」と記載した第1の理由として,「外因死であるというような死因を書くと,Cの周囲にいた人,例えばCの家族や保育士等による虐待や同じ園にいる園児との喧嘩などが十分な証拠もなく疑われる結果となり,えん罪をつくるおそれさえあった」ことを挙げる。客観的な事実に基づいて科学的な判断を記載すべき死体検案書の作成にあたって,このような捜査機関を牽制するような余計な配慮をすることは許されない。
1審被告Fは,第2の理由として,「遺族に納得させるため」ということを挙げるが,死体検案書には客観的・科学的所見を記載しなければならず,遺族感情を配慮するようなことはしてはならない。
④ 1審被告Fは,本件死体検案書を一定の意図・目的の下に,客観的事実と専門家の科学的な所見をまげて作成したものであるが,仮にこれが故意でないとしても,過失責任を免れない。
⑤ 1審原告らは,1審被告Fの上記行為により,(ⅰ)客観的かつ真実に即した死体検案書の作成・交付によって親族の死についての正しい情報を与えられる権利利益,(ⅱ)虚偽ないし非科学的かつ不適切な死体検案書によって,わが子の殺害事件についての捜査を不当に妨害されない権利,(ⅲ)客観的かつ真実に即した死体検案書の作成・交付によって,死亡届や戸籍の記載が適切になされ,訂正手続等余計なことをしなくて済む権利利益を侵害された。
(2) 1審被告県の主張
ア 保育施設における虐待の防止
1審被告県が,「児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」(児童福祉法2条)ことは間違いないが,それは「児童の保護者とともに」(同条)であることを忘れてはならない。
保育施設においては,保護者が児童の味方として,日々児童の様子・状態を観察しており,児童に何らかの異常が生じれば,まず保護者がこれを発見し,行政(警察を含む。)に対する通報,保育施設への委託停止等必要な対応をすると期待できる。
保育施設における虐待の防止は,行政と保護者とがともに協力して対応するのが本来の姿であり,保護者を差し置いて行政(都道府県知事)が虐待者を征伐するという発想は現実的でない。
イ 事業の停止又は施設の閉鎖
認可外保育施設は,平成13年度に都道府県が把握しているもので,施設数6111,保育児童数約16万9000人であり,施設数及び保育児童数ともに増加傾向にある。
認可外保育施設は,市場において自然発生的に提供されるようになった私的サービス業である。しかも認可保育所では,カバーしきれない機能(乳児保育,夜間保育等)を果たしてきたものであって,保育に欠ける乳児又は幼児の福祉に多大な貢献をしてきた。認可外であるからといって,不法ないし違法な存在と誤解してはならない。
また,認可外保育施設は,市場における私的サービス業ではあるが,業務の困難性や利益性の低さなどから,必ずしも十分な供給を期待できる状況にない。
さらに,認可外保育施設は,多数の保育従事者の生計を支えているのであって,これら保育従事者の存在も忘れてはならない。
認可外保育施設における児童の死亡者数は,事件・事故を問わず,毎年ほぼ10人未満であり,死亡率(対10万人当たり0.7~6.7)は,著しく低い。
以上のように,認可外保育施設は,適法かつ有用な存在であり,その長所を生かしながら育成していくべきものであって,性急に事業の停止又は施設の閉鎖を進めてしまうと,17~18万人にも及ぶ乳幼児とその保護者や多数の保育従事者の利益を損ない,社会の要請に反する。
実際にも,認可外保育施設に対して,事業の停止又は施設の閉鎖命令が出たのは,平成12年12月26日のスマイルマム大和ルームに対する施設の閉鎖命令が1件あるのみである。
ウ 本件指針等
本件指針等は,平成13年4月1日から施行されており,それ以前の指導基準は,基本的に10人以上を入所させる無認可保育施設を対象としていた。いわば,平成13年度は,認可外保育施設の実態を把握し,適正な指導監督を行う方向に向けて動き出した時期であった。したがって,本件指針等は,認可外保育施設について,当時の行政の実情を明文化したというより,むしろ行政のあり方(望ましい姿)を提示したといっていいものであった。
エ 虐待の危険が切迫していることの認識
一般に,特定の人が,他人に対して加害行為(虐待)に及ぶのは,加害者の心身の状況,被害者の対応,周辺の事情等,様々な要因によって生じるのであり,計画的犯行でもない限り,一定の条件が整うに従って加害行為(虐待)の危険が高まっていき,ついには爆発するというものではない。したがって,第三者が加害行為(虐待)の危険の切迫を認識するのは,通常不可能である。
Gの園児に対する虐待行為の実態は,必ずしも明らかでないが,捜査の結果得られた各供述調書によれば,相当厳しい状況であったことが窺われる。
しかしながら,上記各供述調書の暴行の時期や頻度は明らかではなく,暴行の頻度が徐々に増える傾向にあったとの根拠は見出し難い。また,暴行の態様も,危険度が高くなったというよりも,Gの状況,被害者の対応,周辺の事情等により異なっていたといえる。さらに,Gが経営難に直面したからといって,虐待行為の危険が急迫したというのは余りにも短絡的である。
Gの加害行為について,平成13年11月5日のPからの通報に至るまで,行政(警察を含む。)に対する申告や被害の訴えがあった形跡はない。
本件事件前の虐待(加害行為)と,本件加害行為とは,その苛烈性・危険性において,隔絶の差がある。同質の暴行が続いて本件加害行為に至ったというより,Gが本件事件当日,急激に逆上して死亡原因となった暴行を加えたというべきである。本件加害行為は,突発的な激情型の暴行であり,それより前の暴行とは質的に異なる。
本件事件に至るまでのGの一連の暴行は,基本的に捜査の結果,明るみに出たものであり,1審被告県(子育て支援課)においては,知ることのできなかった情報である。
そして,平成13年11月ころから平成14年2月にかけての時期に,Gの在園児に対する加害行為(虐待)は,K及びCに対するもの以外には,全く行われた形跡がない。
オ GによるK以外の園児に対する虐待の認識義務
1審被告県(子育て支援課)が,本件立入調査前にGの加害行為について得ていた情報は,Kに関するものだけであった。
Gによる長年にわたる多数の園児に対する虐待が存在していたとしても,1審被告県(子育て支援課)においては,Kに関する情報を除いては全く知らなかった。
また,Q及びKに対するGの暴力の事実を聴取した平成13年11月14日においては,Kは既に小鳩幼児園を退園していた。
さらに,同月20日,Q側からは,小鳩幼児園の立入調査に当たって名前は出さないで欲しい,警察への被害届も出さない,という極めて消極的な対応が示されていた。
GのNに対する加害行為については,同人は,平成13年当時既に中学生であり,小鳩幼児園に通園していた時代からは相当年数が経過しており,Gの加害行為も,「ごはんを食べるのが遅かったらたたいたり,トイレに閉じ込めた。また,走っていてこけたら,怒ったりした。」という内容であった。
Pの情報についても,Kに関するもの以外は,漠然とした噂程度のものである。
本件事件が発生した後に考えれば,更なる調査が望ましかったのかも知れないが,本件事件の発生など思い及ばない時点で,K以外の園児への虐待の認識義務を課するのは,難きを強いるものである。
カ 本件立入調査におけるGの言動
本件立入調査当時,1審被告県(子育て支援課)の職員にとって,Gは,長年保育等に携わってきた実績を持つ保育士であり,また,GについてPらの情報以外には虐待情報はなかった。したがって,この段階で,1審被告県(子育て支援課)の職員が,Gを虐待行為者と決めつけて,Gに対し,虐待行為の事実につき自白を求めるような態度をとるべきであったとはいえない。
1審被告県(子育て支援課)の職員には,犯罪捜査における捜査権限と同様な権限は認められていないのであるから(児童福祉法59条2項),Gの虐待行為の否認を覆すことを1審被告県(子育て支援課)に求めることは無理である。
Gは,本件立入調査において,1審被告県(子育て支援課)の職員に対し,Kに対して体罰を行ったことは認めていた。具体的かつ詳細な内容についての供述は得られなかったが,これは,「通常の指導監督」(本件指針の第二)としての第1回目の立入調査でもあり,1審被告県(子育て支援課)の職員の供述を求める権限の限界を考えれば,やむを得なかった。
そうすると,GがKに対する体罰を認めた上で,今後はこういうことのないよう気をつける旨の約束をした以上,1審被告県(子育て支援課)が,Gについて反省・改善の余地を期待するのは当然のことである。
キ Gによる園児への処遇の実態を把握すべき義務
Gの園児に対する加害行為につき,1審被告県が得ていた情報は,本件立入調査の前後を通じ,Kに関するもの以外は,P及びNに関するものだけであった。P及びNに関する情報は,必ずしも現実性・具体性を備えていたわけではなく,Kに関する情報は,Kが既に小鳩幼児園を退園している以上,将来のおそれはなかった。
上記状況を考えると,Kに対する虐待の通報がなされた当時,小鳩幼児園は現実に保育施設として相当期間存続しており,一定の保育需要に応じていたのであるから,行政に対する苦情,通報のない中で,1審被告県(子育て支援課)において,小鳩幼児園に在園し又は以前に在園していた園児の保護者,小鳩幼児園の元職員,香川町立保育所等他の保育施設の関係者,近隣住民等,小鳩幼児園についての情報を得られる可能性のある者からの事情を広く聴取義務が生じるとは考えられない。これを実施するとすれば,現実の行政組織の実態に照らして実施可能か否か,実施したとして,どこまで真実に沿う事実を把握できるのか,保育施設の側の正当な利益を損なうおそれはないのか,といった問題を無視できない。
本件二度目の立入調査に至るまで,Gの園児に対する具体的な加害行為の情報は,Kに関するものに限られており,Kは,本件立入調査前に退園していた。
そのような状態の中で,1審被告県(子育て支援課)の職員に園児の衣服を一部でも脱がせるなどして確認することや,午睡中の園児についてその園児に触れること,外見から一瞥できる身体部分のみならず,衣類で覆われている身体部分についても,ある程度の確認を行うこととかをすべき義務が生じるとは考えられない。少なくとも,在園児について,保護者又はそれに準ずる立場の人からの訴えがあるなど特段の事情のない限り,児童とはいえ,衣服を脱がせたり,触ったりすることが公務員に許されるはずはない。
ク Gによる虐待の予見可能性
本件事件において,1審被告県の予見可能性を判断するには,少なくとも,死亡の結果をもたらし得るような苛烈な虐待を対象とすべきであり,Gの園児に対する苛烈な虐待を予見することは何人にもできなかった。
仮に,1審被告県(子育て支援課)の行政権限の行使に関し,何らかの過失があるとしても,本件事件に至るまで,1審被告県(子育て支援課)に予見可能であったのは,GのKに対する加害行為を限度とする程度の加害行為にとどまる。したがって,上記過失とCの死亡との間に,相当因果関係があるということはできない。
ケ 過失相殺(当審における新主張)
1審原告らは,Cの保護者として,Gの虐待に気付くことが可能であり,そうすれば,行政(警察を含む。)に対して通報することも,小鳩幼児園の通園を見合わすことも,十分可能であった。したがって,1審原告らにおいて本件事件を自力で回避できたはずである。
仮に,1審被告県(子育て支援課)に何らかの損害賠償責任があるとしても,1審原告らにおいても,GのCに対する加害行為に気付いており,又は少なくとも気付くことが可能であったのに,行政(警察を含む。)に対する通報もせず,小鳩幼児園にCを通園させるのを止めようとしなかった。これは,被害者側の過失として斟酌されるべきである。
(3) 1審被告Fの主張
ア 債務不履行責任について
本件死体検案は,1審被告Fが,1審原告らの依頼を受けて行ったものではなく,高松南署から司法解剖を委嘱され,その一環として行ったものである。したがって,本件死体検案について,1審原告らと1審被告Fは契約関係にはなく,債務不履行責任は生じない。
死体検案をした医師の死体検案書作成・交付義務(医師法19条2項)は,医師法上の義務であり,1審原告らからの求めにより,1審被告Fが本件死体検案書を交付していたとしても,医師法上の義務を履行したにすぎず,債務不履行責任が生ずる余地はない。
イ 不法行為責任について
(ア) 解剖をしない死体検案だけで「SIDSの疑い」,「病死の疑い」と記載した場合には,ほぼ死因を特定したことになるが,解剖をした場合には,解剖に際し,血液を含めた組織や脳等を採取保存しており,以後の検査が可能である。したがって,解剖直後に作成した死体検案書の上記記載は,あくまで疑いであり,他の死因も考慮していることを含んでいる。そして,本件においては,1審被告Fは,死体検案書の「その他特に付言すべきことがら」の項に,「剖検結果により死因を明確に特定できず,各種検査により決定予定」と記載し,その後の検査により外因死等を含めて死因が変更される可能性を明らかにしているのであるから,誤りはない。
(イ) 司法解剖では,死因の特定が重要であり,事件性の有無の判断が求められている。容易にその判断ができる場合がほとんどであるが,本件のような死因の特定が困難な場合には,警察の捜査結果を参考として,死因を特定する必要もあり,捜査能力の差異により,早急に解決されることもあるが,長期に及ぶことも少なくない。司法解剖では,最後の結論は鑑定書であり,そこで事件死を病死と判断した場合には鑑定人として責任を問われるのは当然であるが,死体検案書は,解剖直後に作成される書類であり,不適切な記載も生じ得るが,本件において,1審被告Fは,病死と断定した記載をしている訳ではなく,過失責任はない。
(ウ) 平成17年4月18日に厚生労働省研究班は,「SIDSに関するガイドライン」(乙ハ4。以下「本件ガイドライン」という。)を公表したが,その前文では,「これまで,我が国では本疾患に対する認識が浅く,解剖率が必ずしも高くないことから,厚生省研究班(現厚生労働省研究班)は,昭和57年に「広義と狭義の定義」を作成して疾患の認識の普及に努めた。平成8年の報告では,解剖されなかった例には,「SIDSの疑い」という定義を用いてきた。しかし,平成7年からICD-10(国際死因分類の第10回改訂版)の採用により,SIDSが独立して統計処理されるようになって,人工動態統計の0歳の死因順位では3位に掲載されるようになり,疾患の重要性が認識されるようになった。この間,我が国では,SIDS,窒息,虐待の診断を巡る混乱が生じ,社会的混乱を招くところとなり,平成14年来の研究班では,国際的に討議されつつある定義も参照して,我が国におけるSIDSに関するガイドラインを作成することになった。」と述べられている。そして,診断に際しての留意事項において,「SIDSの診断は剖検に基づいて行い,解剖がなされない場合及び死亡状況の調査が実施されない場合は,死因の分類が不可能であり,したがって,死亡診断書(死体検案書)の分類上は,「12 不詳」とする。」とされた。
要するに,SIDSを巡っては,近年学会等で論争が続いているが,死因について解剖されなかった例において,平成8年ころには「SIDSの疑い」という分類も用いられていたが,平成17年4月18日の本件ガイドラインにおいて,かかる場合は,「不詳」に分類すべきとされたのである。
本件は司法解剖であり,1審被告Fが作成した本件死体検案書は,死因について最終判断をしたものではなく,中間報告として仮説的判断をしたものであり,本件ガイドラインを直ちに当てはめることはできない。仮に当てはまるとしても,本件は,平成14年2月の出来事であり,その当時は,かかる場合の死因の記載方法に定説はなく,「SIDSの疑い」も用いられていたのであり,1審被告Fが法的責任を問われる余地はない。
(エ) 本件ガイドラインでは,「SIDSは除外診断ではなく,一つの疾患単位である」と記載され,疾患名であれば,「SIDSの疑い」との記載も十分あり得る。
(オ) 1審原告らの主張するように,死亡の原因を「不詳」ないし「不詳検索中」,死因の種類を「不詳の死」と記載したとしても,解剖時に死因が特定できていないことに変わりはない。捜査機関の捜査は任意で行われるであろうから,事件の真相の解明には相当の日数を要したと思われ,場合によっては,1審被告Fにおいて死因を特定した時点で,強制捜査が着手された可能性も高い。
1審被告Fは,解剖直後に捜査機関に外因死の可能性もあることを説明しているし,また,捜査方針については,捜査機関が独自に判断するものであるから,1審被告Fの行為と,捜査の進展状況に関する1審原告らの不満との間に相当因果関係はない。
第3当裁判所の判断
1 1審被告県の責任1-高松南署の警察権限の不行使の違法について
(1)ア 警察は,国の一般統治権に基づき,公共の安全,危険の防止と秩序の維持などを直接の目的として,国民に命令してその自由を拘束し,必要ある場合,実力をもってこれを強制する権力作用であると解される。
また,警察法2条1項は,「警察は,個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする。」と定め,警察官が具体的に任務を遂行するために採るべき警察手段の一般的根拠を規定している。
イ そして,警察権限は,公共の安全,危険の防止と秩序の維持などを目的としており,その行使にあたっては,現実の社会に生起する多種多様な危険・障害に対して迅速かつ適正にされなければならず,その権限の発動要件を網羅的に規定することは,ことの性質上,不可能であって,警察行政機関にある程度包括的な裁量を与えるもやむを得ないところであると解される。
他方,警察権限は,国民の自由を著しく制約する場面を予定するものであるから,一面においては,その行使には格別に慎重な配慮を必要とするものであり,そのため,当該権限行使は,一般に,その事前又は事後において,厳格な司法機関によるチェックが予定されているものと解される。
ウ 以上の点を踏まえ,警察権限の不行使が違法となるか否かについては,犯罪等の加害行為の危険の切迫性,警察官においてその危険が切迫していることを知り又は知り得たかどうか,警察権限を行使することによって加害行為発生を回避し得たかどうか等の観点から,警察権限の不行使が著しく不合理と考えられる場合には,その不作為は違法と評価するのが相当である。
(2) 具体的に認められる事実
前提事実,証拠(証人R,証人P,該当箇所に掲記した証拠)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア Gの園児への虐待の実態(甲61ないし甲64,甲86,甲87)
(ア) Gは,昭和41年ころに勤務していた大阪府高槻市にある虚弱児施設において,おねしょのひどい子に対しその子の尻を叩くなどの体罰を加えるようになり,同施設の先輩にあたる職員の中にも同様の指導を行っていた者がいたなどのことから,指導の方法として,平手や拳で子どもの尻や背中,頭,顔を叩く,ものさしで頭を叩く,ろうそくのろうを尻にたらす,ほうきで尻を叩く等の暴行を加えるようになった。
(イ) Gは,昭和52年4月1日から,高松市内にあるS保育園に主任保母として勤務するようになったが,昭和57,8年ころ,同園の4,5歳児らで構成されるピアニカ鼓隊(マーチングバンド)の発表会に向けた練習の指導において,他の保母が園児を叩いて指導し演奏を上達させるのを見るなどして,厳しく指導するあまり,園児らに対し手を出すようになった。
その後,Gは,運動会の練習などの際にも,同様に体罰をもって指導をするようになり,暴力への抵抗感を持たなくなり,むしろ逆に体罰によって厳しくしつけを行うことがその子のためであるという考えがGにおける教育方針として定着していった。
(ウ) Gは,昭和64年1月,小鳩幼児園を開園してからは,多いときには約70名もの園児を抱えるなど,順調に園を経営していたこともあったが,何かにつけて園児に対し暴行を行うため,保護者とのトラブルも増え,徐々に園児が減っていった。また,Gは,被雇用者である保母に対しても,感情を露わにして,怒鳴ったり,嫌がらせをしたため,保母も,被告Gの行為に耐えられず辞めていった。
ちなみに,小鳩幼児園の卒園者数,雇用労務者数は次のとおりである。
a 卒園者(甲68)
平成2年度(平成3年3月)7名,平成3年度(平成4年3月)11名,平成4年度(平成5年3月)13名,平成5年度(平成6年3月)7名,平成6年度(平成7年3月)7名,平成7年度(平成8年3月)3名,平成8年度(平成9年3月)1名,平成9年度(平成10年3月)0名,平成10年度(平成11年3月)0名,平成11年度(平成12年3月)1名
b 月毎の労務者数(甲69)
平成2年度(平成3年3月まで)常用労務者4人ないし6人,臨時労務者0人,平成3年度(平成4年3月まで)常用労務者1人ないし2人,臨時労務者3人,平成4年度(平成5年3月まで)常用労務者1名,臨時労務者2人ないし3人,平成5年度(平成6年3月まで)常用労務者0人ないし1人,臨時労務者2人ないし4人,平成6年度(平成7年3月まで)常用労務者0人,臨時労務者1人ないし2人,平成7年度(平成8年3月まで)常用労務者1人,臨時労務者0人ないし2人,平成8年度(平成9年3月まで)常用労務者0人ないし1人,臨時労務者0人,平成9年度(平成10年3月まで)常用労務者0人,臨時労務者0人,平成10年度(平成11年3月まで)常用労務者0人,臨時労務者0人,平成11年度(平成12年3月まで)常用労務者0人,臨時労務者0人,平成12年度(平成13年3月まで)常用労務者0人,臨時労務者0人
(エ) Gは,小鳩幼児園の園児に対し,原判決別紙3記載のとおり,園児の頭部を太鼓のバチや自分が履いていたスリッパ,スプーン,フォーク,プラスチック製の小さいコップ,絵本,縄跳びの縄などで叩いたり,通園をぐずる園児に対し,平手で頭や背中を叩いたり,押し入れに閉じ込めたり,園児の手足を持って振り回し,放り投げて床に叩きつけたり,園児の使っていたはさみを取り上げて園児に向かって投げつけたり,トイレの中で立たせたり,トイレの便器に頭を近づけさせてトイレの水を流したり,パイプ椅子を振り上げて園児の頭部を殴打し,頭頂辺りから血が床にしたたるほど出血をさせたり,園児の両足を両手でつかみ,逆さ吊りのような状態でトイレの中に放り投げ,男子用の便器の下辺りに後頭部を打ちつけさせたり,我が強くキーキーした声で泣く園児の頬をつねったり,昼寝をしない園児の尻を叩いたり,歩き方がトロトロしていて言葉がはっきりしない子に対し,言葉の指導の際に頬をつねったり,泣いてうるさい園児を押し入れに閉じ込めるなどといった暴行を行っている(甲50ないし甲64。ただし,この中には,後記(オ),(カ),(ク)のKやNに対する暴行も含まれている。)。
(オ) Nも,小鳩幼児園に在園した時期,Gから,日常的に平手や太鼓のバチで殴られたり,一日中トイレに立たされ飲食を許されなかったり,便器に顔を突っ込まれ水を流されたり,プールに突き落とされたり,運動場を10周も走らされるなどの虐待を受けていた(甲41)。
(カ) Gは,平成10年の終わりか平成11年の初めころ,Qに送られて小鳩幼児園に入るのをいやがるKに対し,「この子はこういうふうにせなあかんのや。」などと言って,Kの両腕をつかんで床に投げつけたり,頬を平手で叩いたり,つねったり,Kの足を踏んだり蹴ったりする暴行を繰り返した(甲55,甲65)。
(キ) Gは,同じころから,Qに対しても,Kに対するしつけの仕方が悪いことなどを理由に,小鳩幼児園の遊戯室などにおいて,顔面を手で殴ったり,腕を後ろにねじ上げたり,太鼓のバチで頭を思い切り殴ったりするようになった。Gの暴行により,Qがかけていた眼鏡が床に跳んだことや,太鼓のバチで殴られ,頭から出血したこともあった(甲54,甲55,甲65)。
(ク) また,Gは,Kに対し,トイレの中で子ども用のパイプ椅子を振り上げて頭をめがけて2,3度振り下ろすという暴行を加えたこともあった(原判決別紙3の番号10と同じ。乙ロ26)。
(ケ) 平成13年10月29日ころ,Gは,Kの頭や背中を太鼓のバチで殴打し,怪我を負わせた。また,翌30日,Gは,Kの顔面を両手のひらや拳で殴打し,怪我を負わせた。
イ 高松南署による対応とQらの反応(甲38,甲70ないし甲72,乙イ1ないし乙イ3,証人R,証人P)
(ア) 高松南署は,平成13年11月8日のT議員からの通報を端緒として,GによるKに対する虐待行為に関し,K,Q,U,Pらから,その被害状況についての申告を受け,これを事件として立件するべく取り扱うこととし,Qに対し,Kの受傷状況を証拠化するために,診断書を取って提出するよう助言をするなどした。
(イ) 同月14日午後4時ころ,P,U及びKは,Kの受傷状況に関するZ病院の診断書(乙イ3)を持参して高松南署を訪れ,Gによる傷害事件について,状況を説明した上で被害届を出したい旨を告げた。その際,Pらは,対応した警察安全相談係主任のV(以下「V」という。)から,被害届を提出するのであれば,Kの小鳩幼児園入園時に遡って逐一事情を詳細に思い出して聴取しなければならない旨を告げられたため,そのことをQに伝えた上で被害届を提出するかどうかを決めることとし,その日は,前記診断書の写しを提出し,Kの受傷状況について写真撮影を受けるにとどまった。
(ウ) 同月27日,Rは,Q及びKの立件に関する意向を確認するために,U方に電話で連絡をしたところ,QからRに電話があり,検討した上で翌日,Uから連絡するとの回答であった。
(エ) 同月28日,Uは,Rに電話をかけ,Qらの意向として,Gによる虐待の件については,事件として被害申告することは控えることとし,Gを呼び出して注意することについても希望しない旨を伝えた。
高松南署は,これを受け,一旦は,Gに対する捜査を見合わせることとした。
ウ 本件事件後の高松南署の対応
高松南署は,本件事件によりCが死亡するに至った後である平成14年3月ころ以降,再び捜査を行い,KやQから再度事情を聴取するなどした後,平成14年4月13日,GをKに対する傷害事件で高松地方検察庁に送致した(甲38,甲70ないし甲72,乙イ1)。
エ 小鳩幼児園の経営状況等
(ア) 小鳩幼児園の平成13年11月ころから14年2月ころにかけての時期における在園児の数は,2名ないしせいぜい5名程度にとどまっていたものであり,Gは,在園児数の減少に伴う収入減による経営難にも直面し,平成11年の冬場の3か月間は牛乳配達にも従事するほどであり,事業者としても厳しい状況に置かれていた(甲86)。
(イ) そして,保育施設においては,児童をその保護者から預かり,保護者に代わって保育を行うものであるから,特に乳幼児の場合には,絶えずその様子に配慮しなければならない状況にあるため,保育従事者にとっても相当のストレスを生じる場所であることは想像に難くないところ,保育施設において保育従事者による児童への虐待が少なからず見られることは,社会的事実として認識されていた(甲22,甲30,甲31)。
(3) 検討
ア(ア) 前記(2)アにおいて認定した事実によれば,Gの園児らに対する虐待行為は,平成13年11月の時点で,約20年もの長きにわたり,いわばGが行う保育の常套手段として行われていたものであること,その間,暴行の頻度が徐々に増える傾向にあったこと,Gによる暴行は,平手や拳で殴ったり足で蹴るなどにとどまらず,太鼓のバチや子ども用のパイプ椅子などの用具まで持ち出してなされ,また,Kに対しては,両腕をつかんで床に投げつけるといった極めて危険な態様による場合もあったもので,Gの暴行の態様は,園児の生命又は身体に対し重大な危害を加えるおそれがあったと認められる。
そして,平成13年11月ころから平成14年2月ころにかけての時期において,Gは,園児に対し,体罰をもって厳しくしつけることが子供のためであると正当化し,これが教育方針として定着しており,小鳩幼児園に通園する園児らに対し,Gによって虐待行為がなされる具体的な危険は急迫していたと推認することができる。
(イ) しかしながら,Qらは,平成13年11月28日,最終的に,Rに対し,Kに対する傷害事件について被害届を提出することをせず,またGを呼び出して注意することをも求めない旨を連絡していたもので,Qらにおいては,Gの犯罪についての被害申告を行ったことをGには知らせたくない旨の意向を表明していたともいえる態度を示しており,高松南署は,その連絡を受けて,被告Gに対する捜査を,一時保留することとしたものである。
そして,高松南署が,このように,Gに対する捜査を一時保留とした時点では,被害者であるK及びその親族らからの供述を得,Kの受傷についての診断書及び受傷部位の写真を収集したにとどまり,未だ,周辺参考人への事情聴取にも着手せず,Gに対し,そのような被害の申告があることさえ告げず,同人に対する事情聴取に着手していない段階であった。
そして,高松南署は,本件立入調査を行ったJから同調査の経過報告を受け,Qらは,警察に被害届を出さない意向であることを告げられ,高松南署による確認の際も,被害者であるKの保護者であるQ及びその親族らから,被害届も出さない旨を告げられていたから,以後,捜査を進めたとしても,被害者本人及びその保護者らの協力が得られない可能性もうかがわれたのであり,かかる状況において,Gによる園児へのさらなる虐待を予見し,かつ,Kに対する傷害被疑事件の捜査を進める必要性を認識した上で,Gの園児に対する虐待を止めることを期待することは困難であったといわざるを得ない。
加えて,一般国民が被疑者として取調べを受けることを不当に強いられ,身に覚えのない犯罪事実について身柄を拘束されるなどその人権を侵害されることは決してあってはならず,そのことは,前記犯罪検挙の要請に勝るとも劣らぬ国民一般の要請であることも,さらに論を待たない。
そうすると,およそ警察権限の行使により,国民が被疑者として取調べを受けることを余儀なくされたり,まして,逮捕,勾留といった方法によってその身体の自由を拘束されたりするためには,当該被疑者が罪を犯したと疑うに足りる十分な根拠が必要となるものであるところ,そのためには,まずは被害者側からの事情聴取や被害申告についての裏付け捜査等を十分に行い,一定程度の証拠を収集しなければならないものである。そして,万一,被害者側からの一方的な申告のみに基づいて,当該申告の信憑性について全く検証することもなく,被疑者に対する取調べを実施するとすれば,それによって被疑者と目された者の利益を害する可能性を不当に広げる結果となることは明白であり,むしろそのような警察権限の行使の在り方こそ,その行使の不当性が問題となるものと解される。
(ウ) 以上の個別の検討を踏まえると,平成13年11月28日の時点で,高松南署による警察の権限の不行使が著しく不合理であるとまでは認められないものといわざるを得ないから,高松南署の対応が警察法2条1項に定められた作為義務に違反し違法であると評価することはできない。
イ(ア) この点,1審原告らは,前記捜査の中断が,高松南署の捜査員が,Kに対する傷害事件の捜査に消極的であったために,QやUに対し,意図的に被害届を提出させないように不当に誘導された結果である旨主張する。
確かに,平成13年11月14日,診断書を持参したPらに対応した高松南署のVが,被害届を提出するのであれば,Kの入園時に遡って逐一事情を詳細に思い出して聴取しなければならない旨を告げ,それによってQらは,被害届を提出することに消極的となったと推認することはできるが,しかし,通常,犯罪被害者が被害の申告を行う場面においては,事案によって程度の差はあれ,被害者が捜査官に対して犯罪事実を詳細に説明しなければならないことはいうまでもないことであるし,ましてKが幼児であることにかんがみれば,その作業には,Qら親族の負担を伴うものであったことは想像に難くないところであるから,Vが,そういった点を敢えて強調して説明をしたものと解しても決して不自然ではないから直ちに不当ともいえない。また,Vのそのような説明が,PやUにとっては不親切又は冷酷な印象を与えるものであったとすれば,その説明の態度として適切でなかったと評価される余地は残るものの,そのことが直ちに,警察権限の行使方法として違法であるとまでいうことはできないと解される。
(イ) 1審原告らは,Kに対する虐待事件について,高松南署が捜査を中断することがなければ,Gによる本件事件の惹起を未然に防止することができたはずであると主張するが,この点についても,以下の理由により失当である。
確かに,小鳩幼児園において生じていたGによる在園児への虐待という事実は,新興住宅地に転入し,しかも,我が子を通園させるようになって間もない1審原告らにおいては,知ることができない事実であり,したがって,Gの園児に対する虐待の事実が1審原告ら保護者に対して何らかの方法で情報として提供されない限り,1審原告らにおいて本件事件の発生を自力で回避することはおよそ不可能であったものというべきである。
しかしながら,高松南署が,Kに対する虐待事件の通報がなされた平成13年11月の時点で捜査を進め,それによって本件の発生が未然に防止され得たといえるためには,当該捜査活動により,Gが反省し,自発的に在園児への処遇を改めるか,若しくは自発的に小鳩幼児園を閉園するのでない限り,結局のところ,香川県知事の指導監督権限に基づいて適切な改善指導がなされ,若しくは小鳩幼児園をその規制権限に基づいて強制的に閉鎖するなどの措置を採るのでなければならないところであり,要するに,警察権限の行使のみで,確実に本件事件の発生を未然に防止し得たとまでいうことは困難であると解される。
(ウ) 1審原告らは,この点に関連し,高松南署は,子育て支援課と連携を取ることにより,そのような要請に応えるべきであった旨主張する。
しかしながら,高松南署としては,前記のとおり,Qらから,被害届を提出しない旨の連絡を受けていたのであるから,子育て支援課との連携が期待される場面であるとしても,高松南署に対し当該連携における主導的役割を期待することはできないというべきであり,これだけを取り上げて高松南署の責任を問うことはできない。
ウ 以上のとおりであり,1審原告らの香川県警に係る1審被告県に対する国家賠償法に基づく請求は理由がない。
2 1審被告県の過失責任2-県知事の児童福祉法に基づく規制権限不行使の違法について
(1) 前提事実,証拠(証人J,証人Q,証人P,乙ロ14,該当箇所に掲記した証拠)及び弁論の全趣旨から,以下の事実が認められる。
ア 都道府県知事が認可外保育所に対して有する権限
(ア) 国及び地方公共団体は,児童の保護者とともに,児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う(児童福祉法2条)。そして,これは,児童の福祉を保障するための原理であり,すべての児童に関する法令の施行にあたって,常に尊重されなければならないとされている(同法3条)。
(イ) そして,都道府県知事は,児童の福祉のため必要があると認めるときは,いわゆる認可外保育所について,その施設の設置者若しくは管理者に対し,必要と認める事項の報告を求め,又は,当該職員をして,その事務所若しくは施設に立ち入り,その施設の設備若しくは運営について必要な調査若しくは質問をさせることができ(平成13年法律第135号による改正(平成14年10月1日施行)前の同法59条1項),都道府県児童福祉審議会の意見を聴き,その事業の停止又は施設の閉鎖を命ずることができる(上記改正前の同条3項)。
イ 認可外保育施設に対する本件指針等
認可外保育施設における児童の処遇に関する問題及びこれに対する監督行政庁の指導監督の在り方については,従来から,いわゆるベビーホテルといわれる,夜間保育,宿泊を伴う保育又は時間単位での一時預かりのいずれかを行う乳幼児保育施設などを中心に問題が指摘され,昭和56年には,「無認可保育施設に対する指導監督の実施について」と題する通知(昭和56年7月2日児発第566号厚生省児童家庭局長通知)が発せられ(なお,同通知は,その後,昭和62年,平成2年及び平成8年に改正されている。甲35),また,平成12年2月に神奈川県大和市の無認可保育所「スマイルマム大和ルーム」にて発生した,同保育所園長Wが園児に対し行ったせっかんにより園児が死亡するという事件(以下「スマイルマム事件」という。)などを契機として,厚生労働省からは,平成13年3月29日,「認可外保育施設に対する指導監督の実施について」と題する通知(平成13年3月29日雇児発第177号厚生労働省雇用均等・児童家庭局長通知)が都道府県知事,各指定都市市長及び各中核都市市長宛に発せられ,より効果的な指導監督を図る観点等から,要旨,原判決別紙2の本件指針等が策定された(甲23)。
ウ 本件事件以前における1審被告県での乳幼児に対する虐待事件の状況
(ア) 1審被告県において,児童相談所にて処理された,いわゆる児童虐待相談の件数は,平成5年度から平成7年度にかけては年間20件台であったところ,平成8年度及び平成9年度は,それぞれ49件及び48件と,ほぼ倍増しており,それ以後も,平成10年度には81件と増え,更に平成11年度には156件,平成12年度には159件と,飛躍的に増加する傾向にあった(乙ロ8,乙ロ11)。
(イ) 次に,1審被告県において,保育所の児童の処遇に係る苦情・通報件数について見れば,苦情・相談の件数としては,平成7年度に1件,平成10年度に2件,平成12年度に2件あり,そのうち平成12年度のうちの1件を除く4件は認可外保育所についてのものであった。また,通報等の件数としては,平成11年度以前は見られず,平成12年度に1件あり,これも認可外保育所についてのものであった(乙ロ12)。
これらの事案の内容は,子どもがよく泣いているといったものから,施設内で虐待があるというものや,子どもがやけどをしたとか顔に怪我をした,転倒して顎を縫ったなどというものもあるが,子育て支援課としては,それぞれの苦情や通報に対し,当該施設に調査(立入又は呼出)を行うという対応を採ってきていた(乙ロ13,乙ロ29~31)。なお,新聞報道によれば,平成9年度から13年度までの5年間に,実際に乳幼児の死亡又は重傷という事態に至った事案が10件(死亡5件,重傷5件)認められるが,そのうち乳幼児の保育施設において発生したものはない(乙ロ9)。
エ Kに対する傷害事件の通報を契機として,子育て支援課が有した認識とそれに基づき行った措置
(ア) 子育て支援課は,従来は,認可外保育施設に対する立入調査をほとんど行わず,厚生労働省からの実態調査の依頼に対し,各施設に宛てて調査書を送付し,記入してもらって取りまとめた結果を厚生労働省に報告するという方法でのみ調査を行っていたが,平成12年度には,入所児童が10人以上の施設についてできる限り立入調査を行い,また平成13年度には,入所児童が5人以上の施設に順次立入調査を行う予定であった。そして,小鳩幼児園に対しても,平成13年11月から平成14年2月までの間に立入調査が行われる予定であった。
(イ) 平成13年11月5日,子育て支援課のJは,Kが小鳩幼児園においてGから暴行を受けた旨の通報を受け,同月6日にはJがPと電話でやりとりをし,同人宅に身を寄せていたQとも話をした。Qは自ら積極的に被害状況について話しをしようとせず,Jは,Qから,Kを生後6か月から小鳩幼児園に預けたが,体罰は,Kが成長するにつれてひどくなったということ等を聴取したが(太鼓のバチによる暴行については後述する。),小鳩幼児園に通園している他の園児の保護者についても知らないとのことであった。
同月6日,Jは,電話で,Q,Kのほか,たまたまその場に居合わせた,Pの娘の友人であって当時中学生だったNからも事情を聞き,Nが以前,小鳩幼児園に通園していたことがあり,Gが,Nに対し,ごはんを食べるのが遅かったら叩いたり,トイレに閉じ込めたり,走って転んだら,怒ったりしたことがあるということを聴取した。
同日,Jは,Pから,電話で,以前知り合いの子どもが小鳩幼児園に通っていて,脱臼したことがある。以前知り合いの母親の目の前で園長が子どもを殴ったり,蹴ったりしたと聞いたことを聴取した。
また,Jらは,同月14日になって,P宅を訪問し,X医師のKに関する診断書(乙イ3)の写しを受領するとともに,K本人に面会した。その際,Jは,Pから,Gの体罰によりKの頭にこぶ,顔にあざ,背中に傷ができたこと,Gは,Kのしつけが悪いとしてQにまで暴力を振るったこと,QがKを退園させようとすると,GがQ宅にまて押しかけて来たのでP宅にかくまっていること,小鳩幼児園には未だ4人の子供が預けられており,Kがいなくなると別の子供に体罰が及ばないか心配だ,他の園児に暴力が及ばないようにしてほしいという旨の内容を聴取した。Qは,このときも積極的に話しをしようとせず,Kは2歳くらいから,けが(顔や足にあざ)ができるようになったこと,けがは4歳くらいからひどくなり,あざが絶えなかったこと,Q自身もGから暴力を受けたこと,小鳩幼児園に在園する他の園児は,乳児ばかりであるが,その名前は知らないこと等を述べた。そして,Jは,Kの顔,頭,体幹,手足等の傷の確認をしたところ,傷やあざ(打ち身)は確認できなかったが,右額と右後頭部に直径2cm位の硬いこぶがあるのを確認した。Jがそのこぶを押さえて痛いかどうか聞いたところ,Kは首を振って痛くないとの動作を示した(乙ロ14,37)。
(ウ) Jは,平成12年2月に発生したスマイルマム事件につき,当該事件が発覚し報道され始めた平成12年6月ころ以降,立場上,報道などをかなり関心を持って見聞し,また子育て支援課においては,当該事件を契機に,県内の各認可外保育施設にはこういったことのないよう,十分児童の人格に注意するようにとする通知文を発信していた。
ところで,スマイルマム事件に関しては,神奈川県が,事件発生以前に4回にわたって立入調査を行い,この際,保育士の資格を有する職員がいなかったため是正するよう指導していたこと,神奈川県は,平成11年9月,園児が右腕を骨折したとの通報を受けて,翌10月に当該保育所に対し立入調査を実施するなど調査を行い,当該骨折が虐待によるものであると判断しながらも,その後の調査を怠り,また警察に通報するなどの措置を採らなかったことこと等が報道され,非難を受けていた(甲39の1ないし4)。
(エ) Jらは,KやQらに面談して事情を聴取する以前である平成13年11月5日の時点で,小鳩幼児園への立入調査を実施することを決定しており,そのことを同月6日のPとの電話での会話の中で同人にも伝えていた。
(オ) Jらは,その後,子育て支援課の課長以下の上司に報告し,今後の対応について相談をし,また,香川町保健福祉課の佐藤と情報交換を行ったが,同町では小鳩幼児園に関し虐待等の情報を聞いたことはないとのことであった。
(カ) 本件立入調査に赴く際,Jらは,保育室を園児とGだけの,いわゆる密室状態にすることは避けなければならないとの認識を有してはいたものの,本件立入調査の目的としては,Gの園児に対する虐待行為についての事実確認というよりも,今後の小鳩幼児園における園児に対する処遇改善を求めることに重点を置いていた。
(キ) Jらは,前提事実(4)アのとおり,本件立入調査を行い,その結果,以下の情報を得た(乙ロ1の1,2)。
a 小鳩幼児園は,保育室の面積が非常に広く,多い時には75人もの園児を預かっていた。ところが,本件立入調査の時点で小鳩幼児園においてGが保育している園児は,月極め預かりの0歳児が3人,一時預かりが月に1,2名であり,保育者は園長であるG一人であった。
b Gは,Kの処遇に関し,H1らに対して,Kを叱ることもあり,その際には,手が出たこともあり,Kの頬を叩いたこともある旨認めたが,Jは,それをしつけのための体罰として行われたものと認識していた。同時に,Gは,Qについて,未婚の母であって他の家族との関係が悪いこと,Kについて,小さい時から奇声を発したり,言葉を発するのが遅かったこと,そのような事情があるのに,Gは,Qからの相談に親身にのってやり,Qからも慕われていたなどと述べ,QのKに対する保育の仕方について批判的な言動を示していた。
また,Gは,「体罰をしたのは,Kに対してだけであり,他の子は小さいのでしていない。」と述べていた。
H2が,Gに対し,「しつけとはいえ,体罰は児童福祉の観点から許されることではない。体罰は禁じられている。やめて下さい。」と厳しく指導すると,Gは,「今後はこういうことのないよう気をつけます。」と約束した。
c 当日の在園児については,外見上,顔や手足には傷やあざなどはなく,起きている児童には,Gに対し特に怯える様子は認められなかった。
d H1らは,Gに対し,今後の指導については,文書で改善指導し,その報告を求める旨指示し,場合によっては閉鎖命令もあり得ることを告げ,同日の立入調査を終えた。
e 同日,本件立入調査を終えた後,子育て支援課は,香川町保健福祉課を訪問し,本件立入調査を実施したことを伝え,今後の協力を依頼した。同課のH3課長らは,小鳩幼児園についての虐待等の風評は聞いていないとのことであった。
f 平成13年11月22日,Jは,本件立入調査について,高松南署のRから経過報告を求める電話を受けた。
(ク) 平成13年11月24日付けでGから提出されていた認可外保育施設運営状況調書によれば,開園時間は7時30分から19時までと記載され(すなわち保育時間は11時間30分ということになる。乙ロ2の1・2),また,Gは,本件立入調査の後,平成13年12月27日付け文書で,子育て支援課に対し,同月10日から非常勤職員1名を雇用した旨を報告し,その際添付された非常勤職員雇用契約書には,被告Gが雇用したと記載した非常勤職員の雇用期間は「自平成13年12月10日 至平成14年12月28日」,勤務時間は「自午前10時 至午後4時」,休憩時間は「自午後1時 至午後2時」と記載されている(乙ロ4の3)ところ,当該職員が実際に雇用されたのは平成14年1月15日であり,しかも,当該職員が小鳩幼児園で稼働したのは,同年1月は15日,17日,22日及び24日の合計4日間であり,同年2月は1日,5日,15日の合計3日間のみであった(甲64,乙ロ26,乙ロ28)。
(ケ) また,Jらは,小鳩幼児園に対し,平成14年2月13日,前提事実(6)エのとおりの内容で,本件二度目の立入調査(事前通告なしの抜打ち調査)を実施した。
その際,Jらは,Cを含む園児3名が在園していることを確認した。そのうち,1歳くらいの園児はGに機嫌良く抱かれるなどしており,怯える様子は見せず,あと2人の園児は静かに午睡中であった。
Jらは,G以外の非常勤職員が稼働している事実を確認することができなかったため,勤務状況を把握できる書類を提出するよう指示した。
オ C入園に際しての1審原告Bの行動(乙ロ17,20,1審原告B)
(ア) 1審原告Bは,平成12年12月25日生まれのCを香川町の保育所に預けようとして,平成14年1月ころ,香川町役場に電話をしたが,担当者から「いま一杯ですし,年度の途中からは入れない。4月から入れるとも限らない。」との回答であったので,自分で探すほかないと考えた。
(イ) そこで,1審原告Bは,たまたま香川町内のタウンページで小鳩幼児園を見つけ,同月上旬ころ,小鳩幼児園に電話をかけ,同月12日にGと面接することになった。しかし,1審原告B及び同A夫婦は,平成11年ころ香川町の新興住宅地に転入したばかりで,近所に知り合いや友達がいなかったため,小鳩幼児園の評判をあらかじめ聞くことができなかった。
カ 香川町と小鳩幼児園との関係(甲33,甲47,1審原告A)
(ア) 香川町保健福祉課のH3課長の妻は,平成元年4月から平成2年11月ないし12月まで,小鳩幼児園に勤務していた。
(イ) また,平成14年4月26日付けの読売新聞にH3香川町保健福祉課長の釈明として「厳しいしつけのうわさは届いていたが,管轄外なので調査しなかった。受け皿として頼らざるを得なかった」とする旨の記事が掲載されているが,これに対して,H3課長は抗議していない。
(2) 1審被告県(子育て支援課)の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を被った者との間において,国家賠償法1条1項の適用上違法となると解される(最高裁判所平成16年10月15日第2小法廷判決,民集58巻7号1802頁)。
そこで,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等についてさらに検討する。
児童福祉法は,児童の福祉の保障を行政運営の第一義的な目的とし(同法3条),国及び地方公共団体は,児童の保護者とともに児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う(同法2条)旨規定している。そして,平成13年法律第135号による改正(平成14年10月1日施行)前の児童福祉法59条1項において,都道府県知事が認可外保育施設に対し,その報告徴収や立入調査の規制権限を行使し得るのは,「児童の福祉のため必要があると認めるとき」であるとされ,行政機関に広い裁量が認められており,上記改正前の同条3項では,都道府県知事は「児童福祉審議会の意見を聴き,事業の停止又は施設の閉鎖を命じる」ことができると規定されているが,その要件について規定は置かれていない。
そのため,厚生労働省は,スマイルマム事件などを契機として,より効果的な指導監督を図る観点等から,平成13年3月29日付けで「認可外保育施設に対する指導監督の実施について」と題する通知を各都道府県知事等に宛てて発し,原判決別紙2記載のとおり,「認可外保育施設指導監督の指針」(本件指針)及び「認可外保育施設指導監督基準」(本件基準)を明らかにし,改善指導,改善勧告,事業停止命令,施設閉鎖命令等を行う際の手順,留意点を示した。事業停止命令及び施設閉鎖命令は施設設置者にとって重大な不利益処分であるから,本件指針はその適正な発令を確保するための要件を示したものとも解される。
なお,平成13年法律第135号による改正においては,改正後の児童福祉法59条1項は,改正前と同旨の規定であるが,改正後の同条3項は,「児童の福祉のため必要があると認めるときは,施設の設置者に対し,その施設の設備又は運営の改善その他の勧告をすることができる」旨,改正後の同条4項は,「施設の設置者がその勧告に従わなかったときは,その旨を公表することができる」旨,改正後の同条5項,6項は,「児童の福祉のため必要があると認めるときは,都道府県児童福祉審議会の意見を聴き(児童の生命又は身体の安全を確保するため緊急を要する場合で,あらかじめ都道府県児童福祉審議会の意見を聴くいとまがないときは,当該手続を経ないで),その事業の停止又は施設の閉鎖を命じることができる」旨規定し,概ね本件指針等を法的に根拠付ける内容の改正がなされていることが認められる。
(3) 1審被告県(子育て支援課)の事業停止又は施設閉鎖命令不行使の違法に関する判断基準
以上の児童福祉法の趣旨,目的や,その権限の性質等によれば,1審被告県(子育て支援課)の児童福祉法59条に基づく事業停止又は施設閉鎖の権限の不行使をもって違法か否かを判断するについては,Gが在園児に対しその生命又は身体に対し重大な危害を加える加害行為をするおそれが切迫していたか否か,1審被告県(子育て支援課)においてその危険が切迫していることを知り又は知り得たか否か,1審被告県(子育て支援課)は,認可外保育施設に対し監督権限を行使するための要件及び手続等について定めた本件指針等に則り,その権限を適正かつ妥当に行使していたか否か等の事情を総合し,事業停止又は施設閉鎖の権限の不行使が著しく不合理と認められる場合に,これが違法と評価されると解するのが相当である。
ア Gが在園児に対しその生命又は身体に対し重大な危害を加える加害行為をするおそれが切迫していたか否かについて
GのK及びCに対する虐待行為が発覚した後,捜査機関が捜査権限を行使して得られた供述調書,即ち,小鳩幼児園の元園児,その保護者,元保母らを取り調べた結果得られた供述調書によれば,Gの園児らに対する虐待の内容は,原判決別紙3記載のとおりであり,Gは,長期間にわたり,手で園児の頭や顔,背中,足を殴ったり,つねったり,足で蹴ったりし,園児の両足をつかんで放り投げたりする暴行を加えたほか,太鼓のバチやパイプ椅子等の道具(兇器)を用いて顔や頭を叩いたりする暴行を加えていたことが認められる。そして,第3の1(3)ア(ア)において判断したとおり,平成13年11月ころから平成14年2月ころにかけての時期にあっては,小鳩幼児園において,Gによる在園児への虐待行為がさらに行われ,その生命又は身体に対し重大な危害を加えるおそれが切迫していたことが認められる。
イ 1審被告県(子育て支援課)において上記加害行為が切迫していることを知り又は知り得たか否かについて
(ア) 前記第3の2(1)エ(ア)ないし(カ)に認定した事実によれば,PによるGのKに対する虐待の情報がもたらされた平成13年11月5日から,本件立入調査が行われた同月21日までの間に,子育て支援課が把握していたGによる小鳩幼児園に在園する園児らに対する虐待に関する情報は,①平成13年11月6日,Jが電話で聴取した際,Qから得た,Kを生後6か月から小鳩幼児園に預けたが,体罰は,Kが成長するにつれてひどくなったということ等の情報,②同日,N(当時中学生)から得た,同人が以前,小鳩幼児園に通園していたことがあり,Gが,Nに対し,ごはんを食べるのが遅かったら叩いたり,トイレに閉じ込めたり,走って転んだら,怒ったりしたことがあるとの情報(ただし,同人は,平成13年当時中学1年生であり,小鳩幼児園に通っていたのは2歳から5歳までで,記憶にあるのは4,5歳ころのものと認められる。),③同日,Pから得た,以前知り合いの子どもが小鳩幼児園に通っていて,脱臼したことがある。以前知り合いの母親の目の前で園長が子どもを殴ったり,蹴ったりしたと聞いたとの情報(ただし,同人の情報は,いずれも他人から得た伝聞にとどまるもの),④同月14日,JがP宅を訪問した際に提出を受けたX医師の診断書(乙イ3),⑤同日,Pから得た,Gの体罰によりKの頭にこぶ,顔にあざ,背中に傷ができたこと,Gは,Kのしつけが悪いとしてQにまで暴力を振るったこと,QがKを退園させようとすると,GがQ宅にまで押しかけて来たのでP宅にかくまっていること,小鳩幼児園には未だ4人の子供が預けられており,Kがいなくなると別の子供に体罰が及ばないか心配だ,他の園児に暴力が及ばないようにしてほしいという内容の情報,⑥Qから得た,Kは2歳くらいから,けが(顔や足にあざ)ができるようになったこと,けがは4歳くらいからひどくなり,あざが絶えなかったこと,Q自身もGから暴力を受けたこと,小鳩幼児園に在園する他の園児は,乳児ばかりであること等の情報,⑦同日,Jが確認した,Kの右額と右後頭部に直径2cm位の硬いこぶであったこと,⑧これに対し,前記第3の2(1)エ(キ)(ケ)に認定した事実によれば,Gは,本件立入り調査の際,Kを叱った際同児の頬を手で叩いたことを認めたが,小さな子(乳児)に対する暴行はこれを否定したこと,また,その際,Jらは,在園児を観察したが,外見上,顔や手足には傷やあざなどはなく,起きている児童は,Gに対し特に怯える様子はなかったこと,本件二度目の立入調査の際,Jらは,在園する園児3名中,1歳くらいの園児はGに機嫌良く抱かれるなどしており,怯える様子は見せず,あと2人の園児は静かに午睡中であったことを観察したこと,小鳩幼児園のある香川町及び1審被告県には同園の虐待情報は寄せられていなかったこと,以上であったと認められる。
(イ) 子育て支援課職員は,GがKに対し,その両手をつかんで放り投げたりする暴行を加えたり,太鼓のバチやパイプ椅子等の道具(兇器)を用いて頭や顔面を叩いたりする暴行を加えていたことを認識していたか,又は本件指針に従った調査すれば,容易に認識することができたかについて
同職員Jは,本件立入り調査が行われた平成13年11月14日,P宅で,Kの右額と右後頭部に直径2cm位の硬いこぶを見て,Qに対し,その受傷原因を尋ねたが,Qからの答えはなく,叩かれたんですかと聞いたら,そうと答えた,しかし,太鼓のバチだとかで叩かれたという具体的な話しはなかったと供述する(J調書9頁,乙ロ14,15,37(いずれもJの陳述書),乙ロ16(子育て支援課副主幹H4の陳述書)も同じ。)。これに対し,Qは,県職員に聞かれて,暴力を受けた内容を話した,具体的に太鼓のバチで叩かれたことも話している旨供述している(Q調書20頁,甲41のNの陳述書も同じ。)。太鼓のバチで頭部や顔面を殴打することは,頭蓋骨骨折又は脳内出血をきたし生命又は身体に重大な危害を加えるおそれがあるから(甲66),どちらの証言が採用できるかは慎重に検討する必要がある。
前提事実(3)オによれば,当時,Qは,Kを小鳩幼児園から退園させようとしたが,Gが自宅に連れに来るため,Kを連れてP宅に避難し,約10日が経過していたこと,その間,Pを通じて,相談センター,子育て支援課,あるいは県会議員を通じて高松南警察署に虐待を受けた事実を告げ,在園児に危害を及ばないように訴えていた時期であったこと,Q及びPは,同月4日,Kのたんこぶやあざを見たとき,K(5歳)からたんこぶはGから太鼓のバチで叩かれたと聞いて受傷原因を知っていたこと,Q自身もGから太鼓のバチで2回頭を殴られ,服まで流れるほどの出血をしたこともあること(甲65),Qは本件訴訟の結果に直接の利害関係を有しない証人であることに照らすと,そのQが県職員からKの受傷原因を聞かれ,太鼓のバチと答えたとの供述の方が事態の推移から自然であり,採用できるというべきである。Qは,Jらに対し,積極的に話をするという対応ではなく,JはPから得た情報を確認する形の事情聴取であった(乙ロ14,J調書),また,Qは既にKを小鳩幼児園から退園させており,本件立入り調査日ころ警察に被害届をする意思をなくしていた(ただし,正式に被害届をしない旨申出たのはその約1週間後であった。前提事実(5))としても,上記認定を左右するに足りないものである。
以上によれば,子育て支援課職員は,GがKに対し,その頭部や顔面を太鼓のバチで叩いていたことの情報を得ていたと認められる。
(ウ) また,子育て支援課職員は,虐待の被害者であるK自身からその受傷原因を聴取していないが,聴取すれば(Kが記憶していることは甲71で明らかである。),GはKに対し,太鼓のバチのみならず,パイプ椅子等の道具(兇器)を用いて頭を叩いたりする暴行を加えていたことを認識できたと認められる。もっとも,幼児の供述の信用性には確信が持てない点もあるので,Qから受領した診断書作成者のX医師から,その受傷原因を聴取して,その裏付けも得るべきであった(前提事実(3)(ウ)c参照)。そして,Gから太鼓のバチ等の兇器使用について具体的に事情聴取をすれば,Gからの兇器使用についての返答も変わっていたかもしれないし,本件指針・第四・(1)の留意事項18によれば,施設内で犯罪があると思料する場合は,警察と連携を図ることとされており,受傷原因の解明に警察の協力も求めることもできたのである。
以上によれば,子育て支援課職員は,Gが園児に対し,太鼓のバチのみならず,パイプ椅子等の道具(兇器)を用いて頭や顔面を叩いたりするような暴行を繰り返し加えていたことを認識し,又は容易に認識することができたというべきである。そして,上記(ア)の情報(必要とあれば,NやPからさらに特定の被害児童の情報を得て,当該児童の元園児やその保護者等から事情聴取するべきであった。)も加味すれば,子育て支援課は,Gの虐待行為の内容及びその回数からして,兇器を使用して園児の頭部や顔面等を殴打するような,生命又は身体に重大な危害を加える虐待が行われるおそれが切迫していたことを予見できたというべきである。
(エ) なお,以上の他に,Kに対する虐待の深刻さからすれば,1審原告らの主張するように,本件指針等において,施設内での虐待が疑われる場合等は,利用児童の保護者等から事情を聴取すること(本件指針・第二(通常の指導監督)・3(2)立入調査の手順)⑦(保育従事者及び保護者からの聴取)とされており,本件においては,Gによる園児虐待の疑いがあったから,子育て支援課は,必要に応じて1審原告ら保護者,元保育従事者,元園児,元保護者らから虐待の有無について事情聴取することもあり得たといえる。
(オ) 1審被告県は,本件事件は,突発的な激情型の暴行の典型であり,それより前の暴行とは質的に異なる旨主張する。確かに,本件事件より前の暴行はしつけの機会になされたものであるが,本件事件はCの母親への不満と1歳を過ぎたばかりのCが泣き止まないことに腹を立てて行ったものでしつけと無関係になされたものである,その結果もKに対する暴行は幸いにして軽症(全治約1週間の打撲痕)で,本件事件は死亡の結果を招いているという点では大きな違いがある点では指摘のとおりである。しかし,生命又は身体に重大な危害を与えるおそれがある態様の暴行という意味では,腰の高さに抱え上げて布団の上に投げ出す暴行も,本件事件より前の兇器を用いて頭部等を殴打する暴行もともに上記態様の暴行に該当するものと認められ,この観点を重視して監督権限の行使が図られるべきである。
また,1審被告県は,Gの加害行為はKにだけ向けられていた可能性があり,他の在園児に対して行われない可能性も十分にあった旨主張する。しかし,1審被告県の調査の結果,Gの加害行為はKにだけに向けられ,他の在園児に向けられることはあり得ないなどの特別の事情が認められないかぎり,Kへの暴行は他の在園児にも向けられるおそれがあると推認すべきである。上記イ(ア)の虐待情報によれば,1審被告県は,Gの加害行為がKにだけ向けられたものと認識することはできなかったというべきである。
ウ 1審被告県(子育て支援課)は,認可外保育施設に対し監督権限を行使するための要件及び手続等について定めた本件指針等に則り,その権限を適正かつ妥当に行使していたか否かについて
(ア) 本件指針等によれば,立入調査の結果,指導監督基準に照らし,改善を求める必要があると認められる認可外保育施設について,文書により改善指導を行うこと。ただし,緊急の必要があるときは,文書により改善指導を行うことなく,改善勧告又は事業停止命令若しくは施設閉鎖命令を採ること(本件指針・第三(問題を有すると認められる場合の指導監督)・2(改善指導)(1)(改善指導の対象)),改善指導を繰り返し行っているにもかかわらず改善されず,改善の見通しがない場合,改善勧告を行うこと,ただし,著しく児童の安全性に問題がある場合,その他児童の福祉のために特に必要があると認められる場合,改善指導を経ることなく,改善勧告を行うこと(本件指針・第三・3(改善勧告)・(1)(改善勧告の対象)),改善勧告を行ったにもかかわらず改善が行われていない場合であって,かつ改善の見通しがなく児童福祉に著しく有害であると認められるとき,又は,改善指導,改善勧告を行う時間的余裕がなく,かつ,これを放置することが児童福祉に著しく有害であると認められるとき,弁明の機会を付与し,児童福祉審議会の意見を聴き,事業停止又は施設閉鎖を命ずること(本件指針・第四・(1)(事業停止命令又は施設閉鎖命令の対象)),事業停止命令又は施設閉鎖命令の対象となることが明らかであって,児童の福祉を確保すべき緊急の必要があるときは,改善指導,改善勧告,弁明の機会の付与,児童福祉審議会からの意見聴取の手続を経ることなく,事業停止又は施設閉鎖を命じることができる(本件指針・第四・(2)(事業停止命令又は施設閉鎖命令の手順)・⑤(緊急時の手続の特例))とされている。
(イ) 前記2(1)エ(キ)のとおり,本件立入調査の際,Gは,「体罰をしたのは,Kに対してだけであり,他の子は小さいのでしていない。」と述べ,H2による厳しい指導に対し,「今後はこういうことのないよう気をつけます。」と約束したこと,Jらは,保育室をGと園児だけの密室状態にすることを避けることによって,Gによる体罰を極力防止し得ると考えていたので,G以外の非常勤職員が稼働している事実を確認するべく,Gに対し,勤務状況を把握できる書類を提出するよう指示したこと,平成13年12月13日に,子育て支援課によりなされた文書による改善指導に対し,Gは,同月27日,「児童の人権を十分尊重して保育する」「職員を新たに採用した」旨の改善状況報告書(乙ロ4の2)を提出したこと,これに対し,子育て支援課が保育施設の設置者による自主的な改善努力を期待したこと,そして,本件指針等に基づき,「改善指導を繰り返し行っているにもかかわらず改善されず,改善の見通しがない場合」に改善勧告を行う予定としたことが認められる。
(ウ) しかしながら,小鳩幼児園の施設内で,園児に対し,兇器を用いて頭部や顔面に暴行を加える虐待がなされ,それはその身体に重大な危害を加えるおそれのある行為と評価されるのであるから,上記指導によって改善指導をし,改善が行われないことを待って改善勧告を行うというのは,結局,新たな上記危険な虐待行為の発生を待って初めて改善指導に従わないとして,改善勧告等の監督権限を行使することができることになりかねず,著しく不合理と評価せざるを得ない。上記Kに対するような身体に重大な危害を加えるおそれのある虐待行為は,これを放置することが児童福祉に著しく有害と認められるので,改善指導,改善勧告の手続を経ることなく,事業停止又は施設閉鎖を命じることができる(本件指針・第四・(2)(事業停止命令又は施設閉鎖命令の手順))を適用し,とりあえず小鳩幼児園の事業を上記虐待のおそれが解消するまで一時停止し,虐待防止対策並びに施設閉鎖命令発令の可否及び当否を検討すべきであったと解するのが相当である。
エ 以上認定したところによれば,本件において,平成13年11月ころから平成14年2月ころ,小鳩幼児園において,Gによる在園児への兇器等を用いた虐待行為のような,生命又は身体に重大な危害を加る加害行為が行われるおそれが切迫した状況にあること,1審被告県(子育て支援課)において,その危険が切迫していることを知り得たこと,1審被告県(子育て支援課)の行った改善指導,報告書の徴求等の児童福祉法に基づく規制権限の行使は著しく不合理と評価せざるを得ないこと,従業員でなく施設の園長による常習的な暴行であること等の事情を総合すると,1審被告県(子育て支援課)の平成13年法律第135号による改正前の児童福祉法59条3項ないし本件指針等に定められた事業停止命令の権限不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるので,1審原告らとの間において,国家賠償法1条1項の適用上違法となると解するのが相当である。
(4) 上記のとおり,1審被告県(子育て支援課)は,GがKに対し太鼓のバチやパイプ椅子を凶器にして頭部や顔面を繰り返し殴打したことを少なくとも認識できたのであるから,その常習的かつ危険な行為態様から,園児に対する身体に重大な危害を加えるおそれだけでなく,場合によればその結果として園児の生命が失われる場合もあり得ることを予見できたというべきである。1審被告県(子育て支援課)には過失が認められる。
(5) また,仮に1審被告県(子育て支援課)がKに対する太鼓のバチによる暴行等を契機に,事業停止命令を発令するとしても,その発令に要する期間は,小鳩幼児園の在園児の受け入れ先の確保で関連機関との調整等に必要な期間を経るのに約3か月もあれば足りると推認される。したがって,事業停止命令を発していれば,本件事件を防止することができたと認められ,1審被告県(子育て支援課)による事業停止命令の違法な権限不行使とCの死亡との間には,相当因果関係があると認められる。Cの死亡は,Gの本件加害行為及びその発覚をおそれ救命医療措置を講じなかった不作為,並びに1審被告県(子育て支援課)の事業停止命令の違法な権限不行使の共同不法行為により発生したものである。
(6) 1審被告県は,1審原告らに対し国家賠償法1条1項に基づく責任は免れない。
3 1審被告Fの責任について
(1) 前提事実,証拠(甲13,甲14,乙ハ1,1審被告F,1審原告A,同B,該当部分の末尾に掲記した証拠)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 平成14年2月19日,Gは自ら乗用車を運転し,Z病院にCを連れて行ったが,医師らによる懸命の救命措置もむなしく,Cは息を引き取った。
Z病院でCを診察したX医師は,Cの死因について,乳幼児突然死症候群の疑いがあるものと判断した(乙ハ3)。
イ 高松南署は,Cが死亡した事件の通報を受け,一旦は殺人被疑事件として立件し,1審被告Fに対し司法解剖を委嘱した。
ウ これを受け,1審被告Fは,次のとおり,平成14年2月20日午前10時から午後0時40分にかけて,香川医科大学法医学解剖室においてCに対する本件解剖を実施した(乙ハ2)。
(ア) 1審被告Fは,本件解剖に先立って,事情として,Cが保育所でうつ伏せに寝かされていて,異変が生じているのを保育所の園長が発見し,Z病院へ搬送したが亡くなったという情報を与えられており,その他の情報は与えられていなかった。
(イ) 1審被告Fは,Cの頭部や顔面に新旧とりまぜた多くの軽度の打撲傷と思われる皮下出血があることを認め,Cが自分で転倒し又は子ども同士の喧嘩により打撲傷を負ったか,誰かに虐待されていた可能性を考えたが,これら打撲傷はいずれも軽度のものであり,頭蓋骨に骨折も認められないことから,直接死因に結びつく傷ではないと判断した。また,Cの後頭部の外表には,皮下出血は認められなかった。
(ウ) 次に,1審被告Fは,Cの頭蓋内に著しい脳浮腫を認めたが,脳浮腫の発生原因を特定できるような病変,外傷は認められず,また,Cの脳には,くも膜下出血も認められたが,出血の程度が弱いため,これが脳を圧迫して浮腫を発生させたとは考えられず,したがってこれらの外傷はCの直接死因に結びつくものではないと判断した。
またCの後頭蓋窩には血液が溜まっており,硬膜下血腫の所見が認められたが,これも脳を圧迫して浮腫を発生させるようなものではなく,したがってこれも直接死因に結びつくものではないと判断された。
(エ) Cの脳は,手に持つととろけそうで,頭蓋骨内から取り出すのに苦労するほど軟化しており,十分にその様子を観察できる状態ではなかったことから,1審被告Fは,摘出してすぐにさらしで包み,10パーセントホルマリン溶液に漬けて固定することにした。
また,1審被告Fは,このような脳の状態から,Cは脳浮腫で死亡した可能性が高いと考えたが,Cの脳の腫れが浮腫なのか,死後の時間経過に伴う自己融解かが断定できない上,脳浮腫の発生原因はさまざまであり,その原因が分からないことには死因を脳浮腫と特定することはできないと判断した。
(オ) Cの脾臓には腫大,うっ血が認められ,胃,十二指腸,小腸等の消化器には出血があるように認められたが,それらの原因は組織切片を拡大検査してみなければ分からなかった。
エ 以上の所見から,1審被告Fは,Cの死因は,他人の所為や事故等の外的要因による死の可能性が50パーセント,C自身の病変等内的原因による死の可能性が50パーセントであるとの印象を持った。
1審被告Fは,このような状況において,①死体検案書に死因として外因死であるとの記載をすれば,Cの家族や保母等による虐待又は同じ保育所の園児との喧嘩などによる死亡が十分な証拠もないまま疑われる結果,いわゆるえん罪をつくるおそれがあること,②Cがうつ伏せに寝かされていたと聞いていたため,Cの鼻口部に当たる布団が濡れていた場合には,鼻口圧迫による窒息死の可能性も否定できないこと,③遺族の感情として,解剖までして死因が全く分からないというのでは納得が行かないのではないかと考えたこと等の理由から,死体検案書には暫定的に内因死の疑いを推知できる記載をしておき,詳細については組織検査結果等を経た上で明らかにするのが最も妥当であると判断した。
オ 1審被告Fは,上記の配慮から,本件死体検案書の(14)の「(ア)直接死因」の欄に「乳幼児急死症候群の疑い」と,同じく(14)の「解剖」欄中の「主要所見」の欄に「急死所見。全身に古い皮下出血散在。軽度の肺水腫。高度の脳浮腫。」と,(15)死因の種類の欄に「病死及び自然死の疑い」と,また「(18)その他特に付言すべきことがら」の欄に「剖検結果により死因を明確に特定できず,各種検査により決定予定。」と記載した(甲16)。
また,1審被告Fは,本件中間報告書にも,死因として「乳幼児急死症候群の疑い(詳細は組織検査の結果による)」と記載したほか,主要解剖所見として,全身に古い皮下出血が多数散在すること,心臓被膜下及び肺被膜下に少数ないし10数個の溢血点が散在して認められること,脾臓がやや腫大していること,気道内には白色泡沫液を少量ないし中等量容れるが,食物残渣等の異物は認められないこと,肺には軽度の肺水腫を認めるほか,特変はないこと,脳は高度に浮腫状を呈し,脳回は扁平状で,脳溝は消失していること等を記載し,「凶器(結索物)などの種類使用法」の欄には,「全身に散在する皮下出血は比較的狭い部位で打撲して惹起されたものであるが,その程度は軽度でいずれの皮下出血も死亡直前ないしやや以前に形成されたとは考え難い。」と記載し,「胃内容物」の欄に「未消化の米飯,ニンジン,カボチャ等を混じた泥状物約30m?」と,「消化程度」の欄に「食後約2~3時間位」とした上で,「死後経過時間」の欄に「解剖着手時死後約21~23時間(推定)」と記載した(乙イ5)。
カ 本件解剖終了後,1審被告Fは,香川県警捜査第1課のY1刑事調査官及び高松南署のY2刑事官ら本件解剖に立ち会った捜査官らに対し,解剖所見として,Cの外表に見られる多数の損傷は致命的損傷とは考え難いこと,脳に高度の浮腫があるが,高度に軟化しており,ホルマリン固定後に検査し,他の臓器の組織検査の結果を勘案して死因を判断する旨を説明し,捜査官に対し,一応死因を乳幼児急死症候群(SIDS)の疑いとはするが,外因死の可能性も十分あるから,捜査をして欲しい旨申し述べた。
キ その後,1審原告らは,高松南署の担当者から,一旦は,本件解剖の結果,刑事事件としては取り扱うことができない旨の説明を受けたが,平成14年2月22日午前11時20分,高松南署を訪れ,GによるCの様態の変化や食事の時間等の説明に矛盾があること,被告Gの対応が不自然であること,Cの身体に残ったあざや死亡する直前のCの様子も今思えば不審であること,等を述べ,もう一度,警察で調べて欲しい旨を申し立てた(乙イ8)。
高松南署のY3は,1審原告らの上記申立てに対し,司法解剖まで実施した上で,事件性なしと判断した場合について,捜査することはできないが,確認すべき点は確認して連絡するのでしばらく解答を待って欲しい旨を回答した(乙イ8)。
その後も,1審原告らは,再三にわたって高松南署に出向くなどして,Gに対する捜査を要請したが,高松南署の捜査が行われる様子がなかったため,1審原告らは,自ら関係者に事情を確認するなどして捜査を進展させるための資料を収集せざるを得なかった。
ク 平成14年4月初旬ころ,1審被告Fは,ホルマリン液で固定したCの脳を観察し,本件解剖時には観察が不能であった脳底面では左右側頭葉下面に軽度のくも膜下出血を認めるが挫傷は認められないこと,小脳にヘルニアが認められること等を確認した(甲75)。
その後,1審被告Fは,Cの脳の組織切片の詳細な検査を行い,神経細胞やグリア細胞が融解せず形をとどめていることが確認できたことから,Cの脳の腫れが強度の浮腫であることを確定した(乙ハ2)。また,Cの脳浮腫が極度に強かったことから,脳浮腫が死因であるものと判断した(乙ハ2)。
ケ 1審被告Fは,本件解剖の検査所見に関する鑑定書を,平成14年5月27日付けで作成した(甲75)。その主な内容は,次のとおりである。
(ア) Cの身体には,頭部打撲傷など,28項目の損傷を認める。
(イ) (ア)の損傷は,うち1項目を除き,いずれも鈍体による打撲傷,圧迫的及び擦過的作用により引き起こされたものである。
(ウ) 致命的損傷である頭部打撲傷は,その発起原因となる打撲痕が頭皮並びに頭皮下に見られないことから,頭部を軟らかい部位で強打して惹起された可能性が強い。
(エ) Cの死因は,頭部外傷に起因した外傷性脳浮腫とも考えられるが,発見時うつ伏せ状態であったとのことであり,脳浮腫の進行に伴う鼻口腔閉塞(完全な閉塞とは考えられず,不完全な閉塞と思われる)並びに胸郭の運動制限等による低酸素症が脳浮腫の増悪の原因となり死期を早めた可能性も否定できない。したがって,Cの死因は外因性脳浮腫と考えるのが妥当である。
(オ) 高度の損傷である頭部打撲傷は他為による可能性が強い。
(カ) Cの死後経過時間は,その死体現象並びにその他の条件を根拠として,その解剖開始時たる平成14年2月20日午前10時まで約21~23時間位と推測される。
コ 1審被告Fは,原審における本人尋問時である平成16年3月9日時点において,本件死体検案書の(14)の「(ア)直接死因」の欄に「乳幼児急死症候群の疑い」と記載したのは間違ってはいないが,遺族である1審原告らの納得が得られなかったという結果からすると,不適切であったとし,正確には,同欄には,「不詳検索中」と書くのが正しいとする。
サ Gに対する刑事事件の手続は,前提事実(9)のとおりの経過で進行し,Gは,最終的には,Kに対する傷害及びCに対する殺人につき有罪判決の言渡しを受けた。
(2) 1審被告Fの債務不履行責任(主位的請求)について
1審原告らは,死体を検案した医師は,遺族らに対して,死体検案書を作成し,交付する義務がある(医師法19条2項,20条)こと,医師は,医療を受ける者に対し,良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない(医療法1条の4)こと,死体検案は,変死体を扱った警察や病院からの情報で行われることもあるが,多くは自宅で突然に亡くなった者の遺族からの依頼でなされることから,本件のように死体検案の対象である遺体について遺族がはっきりしている場合は,死体検案書の作成及び死体検案は,法的には遺族からの依頼で行われると解すべきであり,医師が虚偽の死体検案書を作成したり,非科学的かつ不適切な死体検案書を作成・交付した場合には,遺族に対し,債務不履行責任を負う旨主張する。
しかしながら,前記(1)イに認定したとおり,1審被告Fは,高松南署からの委嘱を受け,司法解剖を行ったものであり,司法検視の一環として,死体検案と死体検案書の作成を行ったものと認められる。
したがって,1審原告らが,1審被告Fに対し,死体検案と死体検案書の作成を依頼したと認める余地はなく,死体検案をした医師は,公法上(医師法19条2項)死体検案書の作成・交付義務を負うにとどまり,1審被告Fが1審原告らに対し,本件死体検案書の作成について,契約が締結されその債務不履行責任を負うことはないと解するのが相当である。
(3) 1審被告Fの不法行為責任(予備的請求)について
ア 司法解剖に携わった医師の一般的な注意義務
(ア) 死体検案とは,医師が死体の外表のみを観察,検査し,その所見に基づいて,異状死体につき,死亡の確認,死亡の原因,受傷後(発症後)の経過時間,死亡時刻,死亡の種類(病死か外因死かなど),創傷があればその部位,程度,成傷器(凶器)の種類,その用法,死因との因果関係,受傷時期等,犯罪との関連性(特に解剖の必要性があればその意見)等の点について,医学的に判断することであり,司法解剖とは,犯罪死体やその疑いのある死体に対し,刑事訴訟法に基づき行われる解剖のことであり,検察官又は司法警察員による鑑定嘱託に基づいて,裁判官の鑑定処分許可状の発行を受け,鑑定人が行うものである。
死体検案が行われれば,医師は,死体検案書を作成する。死体検案書の記載内容は,犯罪捜査,生命保険金の受け取り,刑事・民事責任追及等の法的問題の解決に決定的役割を果たすことが多いので,慎重に記載する必要がある(甲91)。
死体検案書は,死亡届,埋火葬に必要な書類であり,医師は,その交付の要求があった場合には,正当の事由がなければ,これを拒んではならない(医師法19条2項)。
(イ) 1審被告Fは,法医学の分野における専門家であり,警察から司法解剖についての嘱託を受けた者として,司法解剖を実施し,専門的知見を十分に用いて正確に解剖所見を得た上で,所定の事項につき警察に報告しなければならない責務ないし義務を負っている。
1審被告Fは,死体検案を行う医師として,死体検案書を作成する過程において,その判断を誤り,適正な死体検案書の作成義務に反し,これにより,第三者に物的又は心的損害を与えた場合には,当該第三者に対し,不法行為責任を負うことがあるものと解される。
イ 乳幼児突然死症候群(SIDS)に関する知見
(ア) 「乳幼児突然死症候群(SIDS)診断の法医病理学的原則に関する提言」(平成11年3月,平成8年度~10年度文部省科学研究費補助金(基盤研究)研究成果報告書,代表者・高津光洋(東京慈恵会医科大学法医学),本件提言,甲15)によれば,SIDSの診断基準に関し,次のとおり検討,提言がなされている。
乳幼児突然死症候群(SIDS)は,国際的に「1歳未満の乳幼児の突然死のうち,その死亡が生前の病歴や健康状態から予知できず,死亡時の状況や精密な解剖検査によっても死亡の原因が説明できないもの」と定義されている。SIDSは,剖検診断名であり,死因不明のためにやむを得ず診断されたもの(除外診断)であり,生前の病歴,死亡前の健康状態,死亡時の状況,精度の高い剖検所見等を総合的に判断して診断されるべきものである。したがって,SIDSに特徴的な病理組織学的所見,症候,状況等はない。乳幼児死亡例では,死亡時の状況がわかりにくい等の特殊性があるにしても,安易にSIDSと診断され,外因死の隠れみのとして利用されている例も少なくない。
SIDS診断の法医病理学的原則に関し,以下の点を提言する。
a 必ず精度の高い解剖が実施されていること
b 死亡児に関する十分な情報が収集されていること
c 外因死や虐待の可能性が完全に否定されていること
d 上記のa~cを総合的に検討して診断すること(外因死や虐待の可能性が完全に否定されない場合の死因は,SIDSでなく,「不詳」とし,死因の種類は「病死」ではなく,「不詳の死」とする。)
全国の大学法医学教室など81機関を対象に,乳幼児突然死症候群についてアンケート調査を行った。31機関から307例について回答があった。これらの症例をSIDS群(死因がSIDSあるいはその疑いと診断されていたもの)と,non-SIDS群(死因がSIDS以外のもの)に大別した。307例中,SIDS群は122例(39.7%),残り60.3%がnon-SIDS群であった。解剖の種類別では,承諾・行政解剖では28.9%,司法解剖では58.4%をSIDS群が占めており,司法解剖でのSIDS,あるいはSIDSの疑いの診断の頻度の高い傾向が認められた。
(イ) 「乳幼児突然死症候群(SIDS)診断に関する提言の検証と病理組織学的基準の構築」(平成16年3月,平成12年度~15年度科学研究費補助金(基盤研究)研究成果報告書,代表者・東京慈恵会医科大学法医学講座・高津光洋,甲78)によれば,本件提言の検証,SIDS診断の向上に向けて,次のとおり研究報告されている。
前回の研究(本件提言)において,研究班班員の教室及び全国法医学教室から提供された乳幼児急死剖検例307例のうち,SIDSあるいはSIDSの疑いと診断された122例(SIDS群)を対象に,本件提言によるSIDS診断の原則に準拠して検討した結果,SIDS診断がやむを得ないと判断されたのは,14例(11.5%)であった。これは,307例の4.6%に相当する。特に死亡児に関する情報収集,特に死亡時の状況が不明のままSIDSと診断されている症例が多かった。18%で外因死の可能性が否定できなかった。
1995~2001年の7年間におけるわが国のSIDS診断の実態を,厚生労働省人口動態統計,日本病理学会剖検集,日本法医学会鑑定例概要から都道府県別に抽出した資料で検討した。乳幼児突然死症候群を含む乳幼児死亡率の年次推移では,死亡総数は平成7年5054例から13年の3599例まで毎年減少し,SIDSも540例から290例と著しく減少した。SIDS死亡数の総死亡数に占める割合は,平成7年の10.7%から13年の8.1%に減少した。法医解剖におけるSIDS診断に著しい年次的変化は認められなかったので,SIDSの減少は,非解剖事例における診断数の減少に基づくと考えられた。
乳幼児死亡例の法医解剖においても,死因を含む法医学的診断は剖検所見のみならず,死亡児の生前の健康状態,死亡時の状況,死亡現場の状況等を含めて総合的に診断すべきである。しかし,剖検所見以外の情報のほとんどは伝聞によるので,慎重に吟味すると同時に,剖検所見と矛盾しないことを確認する必要がある。また,医学的診断根拠に状況証拠が含まれると,その診断の精度は状況証拠の信頼度に依存し不安定となるので,医学的診断根拠(例えば剖検所見)と,状況証拠とは,厳密に分けて考える必要がある。
SIDSは,国際疾病分類で「診断名不明確及び原因不明の死亡」欄に記載されているので,病死に分類されるが,特定された,独立した疾患ではない。すなわち,SIDSは,仮説的な診断名であり,しかも,除外診断に基づいて病死に分類されるべきであるので,外因死の可能性が完全に否定できるということが基本的かつ重要な前提要件である。SIDSには剖検時の急性死の所見以外に共通の臨床経過,病因,症候などいずれも不明で,疾患としての実態あるいは単位を構成していないので,SIDSという疾患はない。したがって,SIDSの疑い,あるいはSIDS(推定)という診断はおかしい。
剖検されていない場合,死亡時の状況,剖検所見などから窒息死,虐待などの外因死の可能性が完全に否定できない場合など,外因死の可能性が完全に否定されない場合の死体検案書の記載については,死体検案書の「死亡の原因」欄に「不詳」と記載し,死因の種類は「12 不詳の死」とする。さらにその理由を「その他特に付言すべきことがら」欄に記載する。
(ウ) 「乳幼児突然死症候群(SIDS)に関するガイドラインの公表について」(平成17年4月18日,厚生労働科学研究(子ども家庭総合研究事業)「乳幼児突然死症候群(SIDS)の診断のためのガイドライン作成及びその予防と発症率軽減に関する研究(主任研究者・坂上正道北里大学名誉教授,本件ガイドライン,乙ハ4)によれば,厚生労働省研究班によって,SIDS診断のガイドラインが次のとおり作成,公表されている。
乳幼児突然死症候群(SIDS)の定義:それまでの健康状態及び既往歴からその死亡が予測できず,しかも死亡状況調査及び解剖検査によってもその原因が同定されない,原則として1歳未満の児に突然の死をもたらした症候群
これまでわが国では,本疾患に対する認識が浅く,解剖率が必ずしも高くないことから,厚生省研究班(現厚生労働省研究班)は,昭和57年に「広義と狭義の定義」を作成して疾患の認識の普及に努めた。平成8年の報告では,解剖されなかった例には「乳幼児突然死症候群(SIDS)の疑い」という定義を用いてきた。しかし,平成7年からICD-10の採用により乳幼児突然死症候群(SIDS)が独立して統計処理されるようになって,人口動態統計の0歳の死因順位では第3位に掲載されるようになり,疾患の重要性が認識されるようになった。この間,わが国では,乳幼児突然死症候群(SIDS),窒息,虐待の診断を巡る混乱が生じ,社会的混乱を招くところとなり,平成14年来の研究班では,国際的に討議されつつある定義も参照して,わが国における乳幼児突然死症候群(SIDS)に関するガイドラインを作成することになった。
診断に際しての留意事項:
a 諸外国でも行われている研究も考慮し,SIDSの診断は,原則として新生児期を含めて1歳未満とするが,1歳を超える場合でも,年齢以外の定義を満たす場合に限り,SIDSとする。
b SIDSの診断は,剖検に基づいて行い,解剖がなされない場合及び死亡状況調査が実施されない場合は,死因の分類が不可能であり,したがって,死亡診断書(死体検案書)の分類上は,「12 不詳」とする。
c SIDSは,除外診断ではなく,一つの疾患単位であり,その診断のためには,SIDS以外の乳幼児に突然の死をもたらす疾患及び窒息や虐待などの外因死との鑑別診断が必要である。
d 外因死の診断には,死亡現場の状況及び法医学的な証拠を必要とする。虐待や殺人などによる意図的な窒息死は,SIDSとの鑑別が困難な場合があり,慎重に診断する必要がある。
ウ 乳幼児突然死症候群(SIDS)の診断にあたっての注意義務
(ア) 本件提言(甲15,78)によれば,乳幼児突然死症候群(SIDS)とは,概ね1歳未満の乳幼児の突然死に対して付される仮説的な,いわゆる剖検診断名であり,死因不明のためにやむを得ず診断されるべき病死(除外診断)であって,特定のあるいは独立した疾患名ではなく,特徴的な病理組織学的所見,症候,状況等は存在しないとされる。
他方,本件ガイドライン(乙ハ4)によれば,乳幼児突然死症候群(SIDS)とは,それまでの健康状態及び既往歴からその死亡が予測できず,しかも死亡状況調査及び解剖検査によってもその原因が同定されない,原則として1歳未満の児に突然の死をもたらした症候群であり,除外診断ではなく,一つの疾患単位であるとされる。
そうすると,乳幼児突然死症候群(SIDS)については,その定義や,診断基準,除外診断か一つの疾患単位かについて,研究者間において未だ見解の一致をみていないことが認められる。ただし,その診断のためには,解剖が実施されるべきこと,外因死との鑑別診断が必要なこと,外因死の診断には,死亡現場の状況及び法医学的な証拠を必要とすることについては,見解の一致をみている。
(イ) 1審原告らは,SIDSの診断については,平成11年3月に発表された本件提言に従って,Cの場合のように,外因死や虐待などの可能性が完全に否定されない場合には,死体検案書における死因は「SIDS」ではなく,「不詳検索中」と,死因の種類は「病死」ではなく,「不詳の死とする」と記載すべきである旨主張し,それに沿う証拠として,平成16年に出された「乳幼児突然死症候群(SIDS)診断に関する提言の検証と病理組織学的基礎の構築」と題する書面(甲78)及び医師であるEの「SIDSの定義と診断について」と題する書面(甲95),「意見書」(甲97),「追加意見書」(甲105)を提出する。
(ウ) この点,確かに,1審原告らが指摘する本件提言によれば,乳幼児の死亡事案において,乳幼児突然死症候群(SIDS)との診断を行うためには,必ず精度の高い解剖が実施されること,死亡児に関する十分な情報が収集されていること,外因死や虐待の可能性が完全に否定されていること,これらを総合して診断することが条件とされなければならない旨が記されており,外因死や虐待などの可能性が完全に否定されない場合の死因は乳幼児突然死症候群(SIDS)ではなく不詳とし,死因の種類は病死ではなく不詳の死とする旨が記されており,安易に乳幼児突然死症候群(SIDS)との診断がなされてはならない趣旨が強調されている。また甲78及び甲95,97,105の内容も,本件提言と同旨である。
しかしながら,本件全証拠によっても,本件提言によって提案されている内容が,実際に死体検案や解剖等を行う個別の医師にとって,診断基準となるべき定見であるとの事実は認められず,むしろ,証拠(1審被告F)によれば,本件提言は,医師らによる研究会活動の報告ともいうべき位置づけが与えられるものとされている。また,本件ガイドラインにおいては,SIDSは除外診断ではなく,一つの疾患単位であるとされ,外因死との慎重な鑑別診断が必要とされるものの,外因死の可能性が完全に否定されることまでは要求していないと解され,本件提言とは異なる見解が示されているところである。そうすると,本件提言は,乳幼児の突然死の死因を判断するにあたって参考とされるべき一要素であり,司法解剖に携わった医師の判断及び死体検案書の記載方法の是非については,このような提案がなされた背景にある社会的状況をも踏まえて判断されるべきではあるとはいえるが,本件提言に述べられる基準に基づいて判断がなされ,また死体検案書が記載されなければ直ちに医師としての注意義務に反し,違法となるとまでいえるものではないと解するべきである。
エ 1審被告Fの本件における注意義務違反の有無
(ア) 1審被告Fが,本件解剖の直後に作成した本件死体検案書及び本件中間報告書のそれぞれに,Cの死亡の原因に関して,「乳幼児急死症候群の疑い」と記載したこと,後日,当該Cの死亡原因についての見解を見直し,最終的には,その死亡の原因は脳浮腫にあり,その原因は,外部からの打撃によるものであること,したがってCが乳幼児突然死症候群(SIDS)によって死亡したとの見解は採り得ないとしたこと,及び平成14年2月22日,高松南署においてGに対する不審を訴える1審原告らが,同署員より,司法解剖まで実施した上で事件性がないと判断された場合については,それ以上捜査をすることはできない旨の説明を受けていること,以上の事実が認められる。
(イ) そこで検討するに,1審被告Fによる「乳幼児急死症候群の疑い」との記載は,本件提言の見解によれば,乳幼児突然死症候群(SIDS)が,そもそも特定の疾患名ではなく,外因死等の死亡原因が否定された際にやむを得ず付される仮説的な診断名(除外診断)であるから,そもそも「SIDSの疑い」などとする記載表現は,それ自体,論理的には矛盾をはらむものということになる。しかし,本件ガイドラインの見解によれば,SIDSは,除外診断ではなく,一つの疾患単位であるとされるから,「SIDSの疑い」とする記載をもって,診断名としてあり得ない誤りであるということはできないと認められる。
しかしながら,1審被告Fの本件死体検案書における「SIDSの疑い」との記載は,死亡現場の状況及び法医学的な証拠等を検討し,外因死との慎重な鑑別診断を経た上でなされたとは認められず,Cの死因について,最も可能性の高いものとして乳幼児急死症候群(SIDS)を掲げており,しかも,その他の記載箇所を併せて読むと,むしろ外因死の可能性には否定的とも受け取られかねず,実際,高松南署においては,1審原告らに対し,この記載をそのように受け止めた上でその後の捜査の見通しが説明されていたとみることができるから,その意味で,1審被告Fは,本件死体検案書に必ずしも正確でない記載を行ったことにより,以後の関係者の行動に対し,少なくない影響を与えたもので,1審被告Fによる当該行為は適切でなかったといわざるを得ないのであって,この点につき,1審原告らが納得できなかった思いは理解することができる。
なお,1審被告Fは,死因を不詳と記載しなかった理由として,解剖まで行ったのに死因が不詳とされたのでは,遺族の納得が得られない可能性がある旨を配慮したと主張し,その旨の供述をするが,死因の記載を乳幼児突然死症候群(SIDS)の疑いとするのと,不詳とするのとで,どちらがより遺族の納得が得られるかは,事例によってさまざまであるというべきであり,また,専門医としての科学的所見を求められる立場にある解剖担当医師として,死体検案書を作成する際に遺族感情に過度に配慮すること自体,むしろ好ましくないともいうべきであるから,この点に関する1審被告Fの説明は合理的とは認められない。
(ウ) しかしながら,一方で,1審被告FのCの死因に関する当初の判断は,結論において,最終的な判断は組織検査の結果を見なければ分からないというものであり,そのことは本件死体検案書の全体からは比較的容易に理解できるところである。
すなわち,1審被告Fは,本件死体検案書作成の時点で,Cの死因を最終的に判断したものではなく,したがって,「乳幼児急死症候群の疑い」との記載も,あくまで仮説的判断であることを明示する趣旨であったと解するべきであり,この時点における1審被告Fの判断自体に誤りがあったとすることはできない。
しかも,本件では,1審被告Fは,①解剖時の所見では,外傷による出血等は多数確認できたものの,直接死因に結びつく外傷を発見することができず,当初得られた情報のみから安易には結論を急がず,最終的な判断を留保した上で,死亡届及び埋火葬のための必要書類である死体検案書をその時までに得られた情報に基づいて作成していること,②その後も,慎重に検査結果の検討を行っていること,③その結果,当初の自らの所見に拘泥することなく,その見解を改め,正確な判断を責任をもって行うべく行動していること,④あくまで最終的な判断は組織検査,特に脳の固定後の観察を踏まえて行う旨を,解剖実施後,早い段階で警察関係者にも伝えていること,⑤最終的に,Cの死因が外因性のものであるとの正確な結論を導いたといえること,⑥本件提言によれば,平成11年当時,司法解剖でのSIDS,あるいはSIDSの疑いの診断の頻度の高い傾向がみられたとされていること等を踏まえると,1審被告Fの示した見解によって,結果的に,1審原告らが真相を解明するために多大な労苦を強いられることになったということができるとしても,そのような事態は慎重に正確な判断を導く上でやむを得ない過程であったものということができ,1審被告Fにおいて責めを負うべきものではないものといわざるを得ない。
そして,司法検視に携わる医師は,犯罪被害者又はその遺族との関係で直接何らかの注意義務を負うものではなく,あくまで嘱託を受けた警察との関係で,自らの職務を果たすべき責務を負うものというべきであるから,死体検案書の記載が必ずしも適切ではなく,そのことも一因となって,その後の捜査活動に何らかの影響を与え,その結果,犯罪被害者又はその遺族において感情を害される事態を生じたとしても,そのことを理由に,直ちに,当該医師個人が,当該犯罪被害者又はその遺族に対し,法的責任を負うとまでいうことはできないと解される。
そうすると,1審被告Fが本件死体検案書等にCの死因について「乳幼児急死症候群の疑い」と記載した行為は,前記注意義務に法的に違反するものであるとまでは認めることができず,原告らとの関係で過失と評価することはできないものと解される。
オ 1審被告Fの責任に関する結論
以上のとおりであり,1審被告Fの採った措置は,記載された内容として必ずしも最善の方法ではなかったとしても,それは,法的責任を問われるべき過失とされるようなものではあり得ないといわざるを得ない。
したがって,1審原告らの被告Fに対する請求は理由がない。
4 争点(5)(損害)について
(1) 1審原告らの損害
ア Cの逸失利益
Cは,平成k年m月n日生まれで,平成14年2月19日に1歳1か月で死亡した(甲1)。
Cが死亡した時点である平成14年の賃金センサスによる男性労働者学歴計の年収額は555万4600円であり,Cの就労可能年齢は18歳から67歳までであると認められるから,当該就労稼働期間の中間利息は,これに対応するライプニッツ係数,すなわち死亡時から稼働期間終期までの係数(67年-1年=66年に対応する係数)から,死亡時から稼働期間始期までの係数(18年-1年=17年に対応する係数)を控除した係数により控除されるべきであり,また生活費については40パーセントを控除するのが相当であるから,Cについての逸失利益は,次の算式のとおり,2641万8788円となる。
5,554,600円×(19.2010-11.2740)×(1-0.4)=26,418,788円
イ Cの慰謝料
Cは,何ら自らに落ち度などない状況において,被告Gから虐待を受け,しかもそのあげくには,人生が始まって間もない時期だというのに,その尊い生命を突然にかつ理不尽に被告Gの殺人行為により奪われたものであり,その無念さには察するに余りあるものがある。
かかるCの無念さに対する慰謝料としては2000万円を相当と認める。
ウ 葬儀費用
1審原告らが,Cの父母として,Cの葬儀を執り行い,その費用として,少なくとも,1審原告ら各自75万円合計150万円の支出を余儀なくされると推認されるから,同額をもって,1審原告ら各自の損害と認める。
エ 1審原告ら固有の慰謝料
1審原告らは,結婚して7年目にようやく授かった長男であるCを,突然かつ理不尽なGの殺人行為によって失った。
当該1審原告らの苦痛に対する慰謝料は,各500万円とするのが相当である。
オ 上記アないしエの合計
1審原告らは,上記ア及びイのCに生じた損害合計4641万8788円をそれぞれ2分の1ずつ相続したと認められるから,当該相続にかかる損害額は2320万9394円となり,1審原告らそれぞれに固有に生じたウ及びエの損害合計は575万円となる。
そうすると,1審原告らは,それぞれ2895万9394円の損害を被ったこととなる。
カ 弁護士費用
本件事案の内容,経過及び本訴請求の認容額等諸般の事情を考慮すると,弁護士費用は,1審原告らそれぞれにつき289万円をもって相当と認める。
キ 損害総額
以上によれば,1審原告らが被った損害の総額は,それぞれ3184万9394円となる。
(2) 過失相殺について
1審原告らは,Cの保護者として,Gの虐待に気付くことが可能であったのに,行政(警察を含む。)に対して通報することも,小鳩幼児園にCを通園させるのを止めようとしなかった。これは,被害者側の過失として斟酌されるべきである旨主張する。
よって,検討するに,前提事実(7)ウ,(8)ア及び乙ロ20によれば,1審原告Bは,13年2月4日にCの左こめかみ付近に二筋の軽い擦り傷があることに気づき,誰かにおもちゃをぶつけられていたのかと思ったこと,同月7日Cの右頬にあざがあることに気づき,G以外の保育従事者が虐めているのかもと疑ったこと,本件事件の前日にCの左膝の上辺りにピンポン球くらいの大きさで青黒くあざになっており,その傷は平手で叩くくらいでできる傷ではないと考え,Gが何か道具か手拳で殴ったものではないかと疑い,本件事件当日Gにその点を詳しく確認しようと思い,普段より10分程度早くCとともに小鳩幼児園に行ったが,Gから早くCを連れてきたとして口論となったことが認められる。
上記認定事実によれば,1審原告らはGの虐待を疑い,その確認をしようとしていた矢先に本件事件が発生したので,Gの虐待に気づかなかったことに過失があるとはいえない。仮に過失があったとしても,1審被告県が認識していた重大な虐待情報と比較すれば,過失相殺をすることは相当でない。
第4結論
よって,原判決は相当であるから,1審原告ら及び1審被告県の控訴はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし,控訴費用につき民事訴訟法61条,67条を適用し,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 馬渕勉 裁判官 吉田肇 裁判官 平出喜一)