高松高等裁判所 平成17年(ネ)365号 判決 2006年9月15日
控訴人
国立病院機構(以下「控訴人機構」という。)
国訴訟承継人
独立行政法人
同代表者理事長
矢崎義雄
同訴訟代理人弁護士
柳瀬治夫
同指定代理人
佐々木隆憲
他7名
控訴人
B山松夫(以下「控訴人B山」という。)
同訴訟代理人弁護士
近石勤
同
桑城秀樹
被控訴人
A野太郎
他1名
上記両名訴訟代理人弁護士
早渕正憲
小巻真二
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
(1) 原判決中、控訴人らの敗訴部分を取り消す。
(2) 上記部分に係る被控訴人らの請求を棄却する。
二 被控訴人ら
主文同旨
第二事案の概要
一 本件における事案の概要等(概要、前提事実及び争点)は、以下に付加、補正するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要等」一ないし三に記載のとおりであるから、これを引用する(なお、引用部分中「看護婦」とあるのは「看護師」と読み替えるものとする。)。
二(1) 原判決三頁一〇行目の次に、改行の上、「原審は、被控訴人らの請求を一部認容したため、控訴人らが敗訴部分の取消しを求めて控訴した。」を加える。
(2) 原判決四頁八行目の「言われた」の次に「(証人C川竹子)」を加える。
(3) 原判決七頁三行目から四行目の「ノンアドレナリン」を「ノルアドレナリン」と改める。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所も、原審が認容する限度で被控訴人らの請求は理由があるものと判断するところ、その理由は、以下に付加、補正するほかは、原判決「事実及び理由」中「第三 当裁判所の判断」一ないし三に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決一一頁二〇行目の「一二」の次に「、一八、一九の一~一〇、二六」を加える。
(2) 原判決一二頁一七行目の「その後」から二三行目末尾までを次のように改める。
「その後、C川看護師は、測定機器パルスオキシメーター)を亡一郎の指先に装着し、また亡一郎の腕にマンシェットを巻き、酸素飽和度、血圧及び脈拍を計測した。その結果、酸素飽和度は九八パーセント、血圧は九八mmHgから六六mmHg、脈拍は一分間当たり七二回であった。なお、上記測定機器の画面には、血圧、脈拍及び酸素飽和度が自動的に表示されるところ(乙一二)、カルテ(甲五、乙一)には、血圧及び脈拍は記載されているが、酸素飽和度の記載はない。」
(3) 原判決一三頁三行目の「C川看護師は」から六行目末尾までを次のように改める。
「C川看護師は、上記測定機器によって、亡一郎の酸素飽和度、血圧及び脈拍等を再度計測した。その結果、酸素飽和度は九八パーセント、血圧は一一〇mmHgから七二mmHg、脈拍は一分間当たり八〇回で、呼吸数は一分間に一八回であった。C川看護師は、上記計測結果のうち、血圧、脈拍及び呼吸数についてのみカルテに記載し、酸素飽和度については記載しなかった。」
(4) 原判決一三頁九行目の「亡一郎は」から同一〇行目末尾までを次のように改める。
「亡一郎は、控訴人B山の問いかけに対し、言語がやや不明瞭であるが、「A野です。」「E田学院の学生です。」などと答え、また、若干よろけながらではあるものの、ベッドにも座るなどした。」
(5) 原判決一三頁一一行目の「軽度のアルコール中毒」の次に「(中等度寄り)」を加える。
(6) 原判決一四頁二〇行目の「帰ったもらっても心配ないですよ」を「帰ってもらっても大丈夫ですよ」と、同一五頁一四行目から一五行目の「血を吐いたけど大丈夫ですか?」を「血を吐いたので診てほしい。」とそれぞれ改める。
(7) 原判決一六頁一八行目の「聞こえ」の次に「(甲三の三)」を、一七頁四行目の「甲二」の次に「、四の二」をそれぞれ加える。
(8) 原判決一七頁一四行目の「問質」を「間質」と改める。
(9) 原判決一八頁一三行目冒頭から一九頁一九行目末尾までを次のように改める。
「イ 酸素飽和度の測定の有無
(ア) 被控訴人らは、控訴人B山及びC川看護師が亡一郎の酸素飽和度を確認した事実はない旨主張する。
確かに、急性アルコール中毒患者を診察する際には、意識レベルと低酸素血症を注意すべきこととされており、酸素飽和度は重要な事柄である(甲一五、鑑定の結果)にもかかわらず、カルテには血圧及び脈拍の測定結果の記載はあるのに(二度目に測定した血圧等の結果も記載されている。)、酸素飽和度についての記載は一度もないことが認められる。
(イ) しかしながら、控訴人B山本人及び証人C川竹子は、C川看護師が控訴人B山の診断開始に先立つ二一日午後一〇時四〇分ころ、血圧及び脈拍と同時に酸素飽和度の測定を行い、その結果は九八パーセントであった旨、さらに、C川看護師が、午後一〇時五〇分ころの控訴人B山の診察開始と同時に、もう一度血圧及び脈拍とともに酸素飽和度の測定をし、やはりその結果は九八パーセントであった旨供述しているところ、《証拠省略》によれば、亡一郎の指先に装着された測定機器(パルスオキシメーター)は、同人の血圧及び脈拍とともに酸素飽和度の値を計測するための装置であり、上記測定機器の画面には計測結果が自動的に表示されるようになっていて、C川看護師らにおいてこれを確認することは容易であったと認められる。
また、カルテに酸素飽和度の測定結果が記載されていないことは、控訴人B山及びC川看護師が、亡一郎の病態との関係でその重要性を認識していなかったことを推認させるものではあるにせよ、控訴人B山らが確認した酸素飽和度が九八パーセントと正常値であったことや、控訴人B山及びC川看護師が、当直として複数の患者の診療に当たっていたという当時の状況に照らし、不自然とまではいい難いところであって、カルテにその記載がないことの一事をもって酸素飽和度を確認しなかったとまでいうことはできない。
(ウ) そうすると、控訴人B山及び証人C川竹子の前記供述は信用することができるというべきであるから、控訴人B山及びC川看護師において、午後一〇時四〇分ころ及び午後一〇時五〇分ころの亡一郎の酸素飽和度がいずれも九八パーセントであって異常がなかったことを確認したものと認められ、これを覆すに足りる証拠はない(なお、控訴人B山又はC川看護師において、その後、亡一郎が退院するまでの間、同人の酸素飽和度を確認したと認めるに足りる証拠はない。)。」
(10) 原判決一九頁二三行目及び二〇頁一一行目の「ふらつき」をいずれも「うなづき」と改める。
(11) 原判決二一頁九行目の「肝不全」を「腎不全」と改める。
(12) 原判決二三頁三行目の「乙八や丙五」を「乙八、一三、一四及び丙五」と改める。
(13) 原判決二四頁一一行目の「肺気腫」を「肺水腫」と改める。
(14) 原判決二四頁一四行目冒頭から一八行目末尾までを次のように改める。
「ウ 控訴人らの主張について
これに対し、控訴人らは、亡一郎について、①アルコール性心筋症、②低体温による心機能低下及び③アシドーシスの存在を具体的に証明するものはなく、また、④比較的早い輸液についても、亡一郎に急性心不全を発症させるほど短時間で輸液が行われた事実はないから、結局のところ、亡一郎の死因及びその機序は不明といわざるを得ない旨主張するので、以下検討する。
(ア) アルコール性心筋症について
井廻道夫医師作成の意見書(乙一三)には、慢性のアルコール飲酒者や心疾患を基礎疾患として有する患者を除き、アルコールの直接作用により急性心不全が生じる可能性を想定することはない旨の記載がある。
しかしながら、上記意見書に添付された資料にも、アルコールは、付き合いによる飲酒のように健康な人が少量を摂取した場合でさえ無症候的な心機能障害を起こし得ること、従来、アルコールによる心筋障害は食事摂取が十分でないことによって起こるという仮説があったが、現在では心筋症はアルコールあるいはその代謝物の直接作用によって起こるということが明白であること(以上、資料三(訳文)の二頁)、急性アルコール中毒はどこの緊急病院でも頻繁に見られるが、近年若年者での急性アルコール中毒による急死が問題となったこともあり、油断してはならないこと(資料一の三一〇頁)等が指摘されており、このような指摘及び鑑定の結果に照らせば、亡一郎の場合にも、アルコール性心筋症の可能性は十分に認定し得るというべきである。
(イ) 低体温による心機能低下について
急性アルコール中毒の場合、末梢血管が拡張するため低温環境下では体温が低下しやすいこと(甲二一)、また、証人C川竹子によれば、亡一郎がしきりに寒さを訴えていたことや善通寺病院の廊下や処置室には暖房がなく、亡一郎が横たわっていたベッド付近の暖房も十分とはいえなかったことが認められるのであるから、亡一郎において重篤な低体温を来したことによって心機能低下をひきおこした可能性は十分認められる(なお、善通寺病院において、亡一郎が体温を測定されたと認めるに足りる証拠はない。)。
(ウ) アシドーシスの存在について
《証拠省略》によれば、アシドーシスがアルコール中毒で問題になるのは、低栄養の慢性アルコール中毒患者の場合が通常ではあるけれども、ケトアシドーシスは、嘔吐と食事摂取不足による脱水が伴うと、初めての激しい飲酒でも稀に発症することが認められ、前記認定のとおり、亡一郎は飲酒の後、数回の嘔吐を繰り返していることに照らすと、亡一郎にアシドーシスが存在した可能性が認められる(なお、アシドーシスは血液ガス分析により確認できるところ、善通寺病院において、亡一郎の血液について上記検査が実施されたと認めるに足りる証拠はない。)。
(エ) 輸液の速度について
控訴人機構は、亡一郎に対し実施した輸液の速度は適切であった旨主張し、また、控訴人B山は、同輸液の速度は若干速かったことを認めつつも、そのことによって心不全を来すことはない旨主張し、井廻道夫医師作成の上記意見書(乙一三)及び友池仁暢医師作成の意見書(乙一四)中にもこれに沿う記載がある。
前記認定のとおり、C川看護師は、亡一郎に対し、平成一〇年一一月二一日午後一〇時五〇分過ぎから翌同月二二日午前〇時三〇分ころまでの約一〇〇分間に、ラクテックG(五〇〇ml)及びヴィーンD(五〇〇ml)を点滴投与したものであるが、証人C川竹子によれば、一本目のラクテックG(五〇〇ml)の点滴について約一〇分間相当の液量を残して二本目の点滴につなぎ変えたことが認められ、上記各輸液の添付文書(甲二五、乙一五、一六)にその用法として記載された投与速度(いずれも体重が五〇キログラムの成人に対し一時間で五〇〇ml以下とされる。)及び亡一郎の当時の体重(約五六キログラム。甲六、弁論の全趣旨)に照らすと、確かに亡一郎に対する輸液の速度は、控訴人B山も自認するように若干速めではあったということができるところ、上記添付文書によれば、これら輸液は心不全のある患者には慎重に投与すべきこととされており、前記(ア)ないし(ウ)のとおり、亡一郎についてもアルコール性心筋症等の発症の可能性があったことにかんがみれば、上記のように輸液の速度が若干速めであったことが亡一郎の急性心不全(ひいてはこれに伴う肺水腫)発症の誘因の一つとなった可能性を認めることができるというべきである。
エ 結論
以上によれば、結局、亡一郎は、急性アルコール中毒に起因して、アルコール性心筋症等を生じて急性心不全となり、それによって、直接死因である肺水腫を発症し、急性呼吸不全のため死亡したと認めるのが相当である。」
(15) 原判決二五頁一五行目冒頭から二六頁二二行目末尾までを次のように改める。
「 (エ) 急性アルコール中毒の救急患者の治療に限らず、救急患者の治療が終了した後に患者を帰宅させる場合には、帰宅前には必ず患者の様子を確認する必要がある。通常の急性アルコール中毒では時間と共に(数時間ないし半日で)、意識、運動能力ともに改善していくのであるから、その改善ぶりを確認する必要がある。
イ 亡一郎を診察する場合の注意義務
前記一(1)の「亡一郎の治療経過と死亡」の認定事実のとおり、控訴人B山は、午後一〇時五〇分ころの診察において、亡一郎が多量の飲酒により血を吐き自力歩行ができずに救急患者として友人に連れられ救急治療を受けたこと、亡一郎の頭部等に外傷がないこと、湿性ラ音がないこと、心雑音がないことを診察し、C川看護師の測定した血圧、脈拍等が正常範囲内にあること、控訴人B山の問いかけに言語がやや不明瞭であるが一応答えていたこと、ベッドによろけながら座ったことなどから運動失調のある軽度(中等度寄り)のアルコール中毒と診断して、ラクテックG(五〇〇ml)を点滴静注した。また、午後一一時四〇分ころの二回目の診察では、亡一郎を隣に並んだ別のベッドに一人で移動させた際、亡一郎がコーヒー残渣様の血液を嘔吐したことから、ヴィーンD(五〇〇ml)の輸液に止血剤等を投入した。その後、控訴人B山は、亡一郎の診察を行わないまま、C川看護師に亡一郎を帰宅させるように指示し、翌日午前〇時四五分ないし五〇分ころ、被控訴人らが、亡一郎が血を吐き、しんどいと訴え、自力歩行もできないといった状態のため再度診察を求めたにもかかわらず帰宅させたものである。
(2) 控訴人B山の注意義務違反の有無
以上によれば、控訴人B山は、亡一郎が一回目の診察から約五〇分経過後の二回目の診察においても意識や運動能力の回復が遅く、治療終了後さらに約一時間を経過しても血を吐き、しんどいと訴え、自力歩行もできないといった状態であって急性アルコールの中毒症状の改善がなく、また、被控訴人らからも再度の診察を求められたのであるから、救急患者である亡一郎の治療が終了して帰宅させる際、アルコール性心筋症等の発症を疑い再度亡一郎を診察すべき義務があるのにこれを怠った過失があるというべきである。控訴人B山は、亡一郎の退院時の状態や再度診察の依頼をC川看護師から直ちに報告されなかったとしても、亡一郎の退院直後には報告を受け、その報告内容を咎めていない(乙一、控訴人B山本人)のであるから、C川看護師が控訴人B山の指示に反して亡一郎を退院させたとはいえず、控訴人B山の上記責任を左右するものではない。
そして、亡一郎の治療終了後に診察がされていれば、亡一郎を善通寺病院内で経過観察をして亡一郎の状態に応じた治療がされ、アルコール性心筋症等の発症を防止することができたか、あるいはこれらが発症したとしても、急性肺水腫の発症までには至らなかった蓋然性があると推認するのが相当である。
なお、控訴人らは、亡一郎が、善通寺病院を退院する時点で、アルコール性心筋症、急性心不全又は肺水腫を発症していたと認めるに足りず、控訴人B山において肺水腫に至る機序を予見し得たと認める根拠がない旨主張する。
しかしながら、上記のような亡一郎の退院時における状態及び退院後の経緯に加えて、《証拠省略》によれば、亡一郎が退院後早い時期において重篤な状態に陥ったと認められること、他方で、控訴人B山が、亡一郎に対し、肺水腫等の発症を疑った診療行為(午後一〇時五〇分ころ以降の酸素飽和度の確認、血液ガス分析等)を実施していないばかりか、退院時に診察すらしていなかったことにも照らせば、控訴人らの上記主張は採用することができない。」
二 以上によれば、被控訴人らの請求につき、控訴人らが連帯して、被控訴人ら各自に対し各四四二二万五五〇〇円及びこれに対する不法行為の日である平成一〇年一一月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからいずれも棄却すべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 馬渕勉 裁判官 豊澤佳弘 山口格之)