高松高等裁判所 平成17年(行コ)17号 判決 2006年4月24日
主文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第1,2審を通じて被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人(控訴の趣旨)
主文と同旨
2 被控訴人(控訴の趣旨に対する答弁)
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2事案の概要
1 事案の骨子
本件は,被控訴人が,高知県情報公開条例(平成2年条例第1号,乙8。以下「本件条例」という。)に基づき,高知県知事に対し,控訴人又は高知県知事が当事者として現に係属中の民事訴訟事件及び行政訴訟事件の訴訟記録(一部)の開示を請求(以下「本件開示請求」という。)したところ,高知県知事が,19件の訴訟記録を開示(うち10件について一部非開示)する処分(以下「本件処分」という。)をしたので,被控訴人が,控訴人に対し,本件処分中の非開示部分の取消しを求めた事案である。
2 前提事実
証拠(甲1,乙1,8,11,14)及び弁論の全趣旨によると,次の事実が認められる。
(1) 当事者
被控訴人は,高知市に在住する行政書士である。控訴人は,高知県であり,本件の処分行政庁(本件条例2条1項にいう「実施機関」)は,高知県知事である。
(2) 本件処分に至る経緯等
ア 本件開示請求
被控訴人は,平成17年5月10日,本件条例5条に基づき,高知県知事に対し,高知県又は高知県知事を当事者とし,当時係属中の民事訴訟事件,行政訴訟事件の訴訟記録の一部(訴状,答弁書,一部の準備書面,証拠説明書,判決書,控訴状,控訴理由書)の開示を請求した(本件開示請求,乙11)。
控訴人担当者が調査した結果,その対象事件数は19件(民事訴訟事件14件,行政訴訟事件5件。1審事件15件,控訴事件4件)であった。
イ 本件処分
本件開示請求に対し,高知県知事は,平成17年5月24日付けの通知書(甲1,乙1)により,被控訴人に対し,次のとおり,全部開示の処分,一部開示の処分(本件処分)をした。
(ア) 全部開示の処分
別紙1記載の訴訟事件9件の訴訟資料名欄記載の訴訟記録については,全部開示した(乙1)。
(イ) 一部開示の処分
別紙2記載の訴訟事件10件の訴訟資料名欄記載の訴訟記録については,別紙2の非開示部分欄記載の訴訟資料(以下「本件情報」という。)を開示せず(以下「本件非開示処分」という。),別紙2の訴訟資料名欄中の本件情報以外の部分は開示した(甲1)。
(3) 本件非開示処分をした訴訟事件の種別,その情報内容
ア 訴訟事件の種別
高知県知事が本件非開示処分の対象とした訴訟記録は,別紙2記載の訴訟事件10件に関する訴訟記録である。
別紙2記載の訴訟事件10件中,冒頭から3件の事件は医療過誤訴訟(以下「本件医療過誤訴訟」という。)であり,3番目ないし10番目の事件(8件の事件)は原告(控訴人)がいわゆる本人訴訟による訴訟事件(以下「本件本人訴訟」という。)である。
本件本人訴訟事件8件中には,最初は本人訴訟であったが,途中から弁護士に委任した事件を含む。
イ 本件情報の内容
本件情報(別紙2記載の訴訟事件10件の非開示部分欄)の内容は,次のとおりである。
(ア) 本件情報1(本件患者の氏名等)
本件医療過誤訴訟3件(別紙2の冒頭ないし3番目に記載された訴訟)に関する別紙2の非開示部分欄(以下「本件情報1」という。)の内容は,亡き患者の氏名,生年月日,勤務先,及びその相続人である原告(控訴人)の氏名,住所,亡き患者の友人の氏名(以下「本件患者の氏名等」という。)に関するものである。
(イ) 本件情報2(本件個人の印影)
本件本人訴訟8件(別紙2の3番目ないし10番目に記載された訴訟)に関する別紙2の非開示部分欄(以下「本件情報2」という。)の内容は,訴状,準備書面,証拠説明書,控訴状,控訴理由書中の原告(控訴人)氏名の横に押印されている原告(控訴人)個人の印影(以下「本件個人の印影」という。)である。
3 関係規定
(1) 民訴法
民訴法91条1項は,「何人も,裁判所書記官に対し,訴訟記録の閲覧を請求することができる。」と規定している。ただし,民訴法91条1項による訴訟記録の閲覧については,同条2項(公開を禁止した口頭弁論に係る訴訟記録の制限)及び同法92条(秘密保護のための閲覧等の制限)の例外規定が設けられている。
(2) 本件条例
ア 本件条例3条は,「実施機関(知事等)は,公文書の開示を請求する権利が十分に尊重されるようにこの条例を解釈し,運用しなければならない。この場合において,実施機関(知事等)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」と規定している。
イ 本件条例6条1項は,公文書の開示請求があった場合には,公開するのが原則である旨定めているが,その例外として,次のとおり定めている。
(ア) 本件条例6条1項2号は,氏名,生年月日等の個人に関する情報であって,特定の個人を識別することができると認められるものについては,同号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」,同号ただし書イの「公表を目的として作成し,又は取得した情報」等を除き,非開示としうる旨定めている。
(イ) 本件条例6条1項4号は,開示することにより,犯罪の予防,鎮圧又は捜査,公訴の維持,刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を生ずるおそれがあると実施機関が認めることにつき相当の理由がある情報については,非開示としうる旨定めている。
(ウ) 本件条例6条1項5号は,開示することにより,人の生命,身体,財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報については,非開示としうる旨定めている。
4 争点
本件の争点は,本件非開示処分の適否であり,具体的には次の4点である。
(1) 本件情報1(本件患者の氏名等)について
ア 争点1(本件条例6条1項2号ただし書ア該当性)
本件情報1(本件患者の氏名等)が,本件条例6条1項2号ただし書アの開示情報(「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」)に該当するか。
イ 争点2(本件条例6条1項2号ただし書イ該当性)
本件情報1(本件患者の氏名等)が,本件条例6条1項2号ただし書イの開示情報(「公表を目的として作成し,又は取得した情報」)に該当するか。
(2) 本件情報2(本件個人の印影)について
ア 争点3(本件条例6条1項5号該当性)
本件情報2(本件個人の印影)が,本件条例6条1項5号の非開示情報(「開示することにより,人の財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報」)に該当するか。
イ 争点4(本件条例6条1項4号該当性)
本件情報2(本件個人の印影)が,本件条例6条1項4号の非開示情報(「開示することにより,犯罪の予防,鎮圧等に支障を生ずるおそれがあると実施機関が認めることにつき相当の理由がある情報」)に該当するか。
第3争点に関する当事者の主張
1 本件情報1(本件患者の氏名等)について
(1) 争点1(本件条例6条1項2号ただし書ア該当性)について
ア 被控訴人の主張
本件情報1(本件患者の氏名等)は,本件医療過誤訴訟記録の一部であり,憲法82条1項,民訴法91条1項により訴訟記録は原則として公開することとされている情報である。
民訴法91条2項による公開禁止の措置がとられる事件は殆どなく,同法92条による秘密保護のための閲覧等の制限の措置がとられる事件もごく少数であることは顕著であって,現に本件患者の氏名等が記載された訴訟記録(本件医療過誤訴訟記録)についても,それらの措置はとられておらず,既に訴訟記録として公開されている。
よって,本件情報1(本件患者の氏名等)は,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」に該当する。
イ 控訴人の主張
訴訟記録の閲覧については,事件名あるいは当事者名を特定しなければ手続上閲覧できないことになっており,しかも,民訴法91条2項及び同法92条の例外規定が設けられていることからすると,本件医療過誤訴訟記録は,何人も閲覧できるとされている情報には当たらない。
また,当事者及び利害関係人以外の一般の者は閲覧しかできない訴訟記録の開示と異なり,公文書の開示請求では請求者が写しの交付を受けることができるため,伝播性が高くプライバシーの侵害の程度は大きいこと,医療過誤訴訟は,新聞報道でも患者や原告が公表を望まない限り患者の個人名は公表しない建前をとっているように,個人情報を保護する必要性が高いこと,本件条例3条は,その解釈運用に当たり,「個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」と規定していること,他方,本件情報1(本件患者の氏名等)を開示しなくても,その他の開示情報によって本件情報1が記載された訴訟(本件医療過誤訴訟)の事案の概要は分かるから,県民の知る権利や公共の利益に与える影響は高くないことに照らすと,本件情報1(本件患者の氏名等)は,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」には該当しない。
(2) 争点2(本件条例6条1項2号ただし書イ該当性)について
ア 被控訴人の主張
本件条例6条1項2号ただし書イは,個人情報のうち「公表を目的として作成し,又は取得した情報」を非開示情報から除外している。
「公表を目的として作成し,又は取得した情報」とは,積極的には公表を目的としていなくても,結果として公表したと同じ効果をもたらす場合を含み,「公表することを目的として作成した情報」,「個人が公表されることについて了承し,又は公表されることを前提として提供した情報」,「個人が自主的に公表した資料等から何人でも知り得る情報」が該当する(甲6-14頁7)。
したがって,仮に本件情報1(本件患者の氏名等)が本件条例6条1項2号ただし書アに該当しないとしても,本件条例6条1項2号ただし書イに該当する。
イ 控訴人の認否
被控訴人の前記アの主張は争う。
2 本件情報2(本件個人の印影)について
(1) 争点3(本件条例6条1項5号該当性)について
ア 控訴人の主張
(ア) 実印や金融機関届出印
実印や金融機関届出印は,財産に関する取引において重要な役割を果たすものであり,印影がみだりに公開されると,その印影をもとに実印や金融機関届出印を勝手に作成されて犯罪等に利用され,個人の財産等に対する危険を生じるおそれがあるから,個人の実印や金融機関届出印の印影は,本件条例6条1項5号の非開示情報に該当する。
本件情報2(本件個人の印影)が,実印や金融機関届出印に係る印影であるかどうかは,行政庁においては不明であるので,いわゆるシャチハタの印鑑のように,文書上から実印や金融機関届出印でないことが明らかでないかぎり,実印や金融機関届出印の可能性があり,本件条例6条1項5号所定の非開示情報に該当するというべきである。
行政庁が,訴訟記録に押印されている個人の印影が実印や金融機関届出印であることを立証するためには,当該個人から印鑑証明書等を提出させるか,市役所や金融機関等に問い合わせるほかないが,行政庁にそのような権限はなく,また,本人や市役所・金融機関等も,必ずこれに答えなければならない義務はない。かかる状況において,実印や金融機関届出印に係る印影であることの立証がされないかぎり,開示しなければならないとすると,本件条例6条1項5号により,個人の財産保護を図ろうとした趣旨が達成されないことになる。
(イ) 実印や金融機関届出印以外の印鑑
日本の社会は,印鑑社会といわれるように,日常生活のあらゆる場面において,文書等が真正に成立した証として,自署ではなく印鑑の押印で対応されている。しかも,日常一般の私的経済活動においては,実印や金融機関届出印ではなく,むしろ,実印や金融機関届出印以外の三文判の印鑑が,日常生活上の簡単な契約書や申込書に使用されているのが通常である。そして,かかる印影は,通常,取引関係者等の一部の限られた者のみが必要に応じて確認することが予定されているもので,これが広く一般に公にされることは予定されていない。
そして,スキャナー等による複製の技術が進歩した今日にあっては,当該印影を開示すれば,当該印影が容易かつ精巧に複写されるおそれが存するから,このような社会の実態からすると,実印や金融機関届出印だけでなく,広く,それ以外のすべての印鑑の印影について開示されると,印影の偽造,そして,有印私文書偽造がなされ,ひいては,詐欺などの犯罪に利用されて,財産等の保護に支障をきたすおそれがある。
したがって,本件情報2(本件個人の印影)が,実印や金融機関届出印に係る印影でなかったとしても,本件本人訴訟の訴状等に押印しているということは,日常一般の私的経済活動において使用されている印鑑の印影の可能性が高いことが容易に想像されることである。それゆえ,本件個人の印影が開示されると,印影等が偽造され,有印私文書偽造がなされ,ひいては,詐欺などの犯罪に利用されて,財産等への保護に支障をきたすおそれがある。
以上の次第で,本件情報2(本件個人の印影)が,実印や金融機関届出印に係る印影でなかったとしても,本件条例6条1項5号の「開示することにより,人の財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報」(非開示情報)に該当する。
イ 被控訴人の主張
(ア) 本件情報2(本件個人の印影)が記載された本件本人訴訟記録は,法令等の規定により何人も閲覧可能である上,本件本人訴訟の訴訟記録として既に公開されているから,開示することにより,新たに,人の生命,身体,財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報とはいえず,本件条例6条1項5号の非開示情報には該当しない。
(イ) 本件条例6条1項5号の非開示情報は,具体性を要件とし,非開示とすべき印影は,控訴人が平成14年7月に発行した「情報公開事務の手引」に【具体例】として記載されている「実印や金融機関届出印に係る印影」(甲6-23頁)でなければならず,その主張立証責任は控訴人にある。
社会通念上,各種手続において,実印又は金融機関届出印が要件として求められることは限定的であり,訴状,答弁書等の書類に実印又は金融機関届出印の押印が要件でないことは顕著であって,本件情報2(本件個人の印影)が実印又は金融機関届出印の印影である可能性がないことは,控訴人にとって経験則上明らかである。
(ウ) よって,本件情報2(本件個人の印影)について,実印や金融機関届出印の印影である可能性があるということを理由に,本件条例6条1項5号の非開示情報に該当するということはできない。
(2) 争点4(本件条例6条1項4号該当性)について
ア 控訴人の主張
スキャナー等による複製の技術が進歩した今日にあっては,本件個人の印影を開示すれば,当該印影が容易かつ精巧に複写されるおそれが存するから,このような社会の実態からすると,実印や金融機関届出印だけでなく,広く,それ以外のすべての印鑑の印影について開示されると,印影が有印私文書偽造などの犯罪に悪用され,犯罪の予防に支障を及ぼすおそれがあるので,本件条例6条1項4号に該当するとする高知県知事の判断には相当の理由があり,この点に裁量権の濫用逸脱があるとは認められない。
したがって,本件情報2(本件個人の印影)が,本件条例6条1項4号の非開示情報「開示することにより,犯罪の予防,鎮圧等に支障を生ずるおそれがあると実施機関が認めることにつき相当の理由がある情報」に該当する。
イ 被控訴人の主張
本件条例6条1項4号(犯罪の予防・捜査等に関する情報)は,本件条例6条1項5号(財産等の保護に関する情報)に該当しない情報について適用されるものである。
ところが,控訴人は,本件情報2(本件個人の印影)は,本件条例6条1項5号(財産等の保護に関する情報)に該当する情報であると主張するのであるから,本件情報2(本件個人の印影)が,本件条例6条1項4号(犯罪の予防・捜査等に関する情報)に該当しないことは明らかである。
第4当裁判所の判断
1 本件情報1(本件患者の氏名等)の検討
(1) 争点1(本件条例6条1項2号ただし書ア該当性)の検討
ア はじめに
本件情報1(本件患者の氏名等)は,本件条例6条1項2号の特定の個人を識別することができる「個人に関する情報」に該当することは,当事者間に争いがない。そして,「個人に関する情報」であっても,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」については,開示するものとしている。
本件条例は,「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」は,特定の個人を識別することができる「個人に関する情報」であっても,何人も閲覧できることから,これを開示しても個人のプライバシーを侵害しないことが明らかであるから,これを開示するものとしたのである。
そして,被控訴人は,本件情報1(本件患者の氏名等)は,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」に当たるので,本件情報1を開示しない処分(本件非開示処分)は違法であると主張する。
イ 本件条例6条1項2号ただし書ア該当性の検討
(ア) ところで,訴訟記録の閲覧等については,民訴法が適用又は準用(行政事件訴訟法7条)されるところ,憲法82条1項は,「裁判の対審及び判決は公開法廷でこれを行う。」と定め,また,民訴法91条1項は,「何人も,裁判所書記官に対し,訴訟記録の閲覧を請求することができる。」と定めている。
(イ) しかし,訴訟記録の閲覧については,民訴法91条2項(公開を禁止した口頭弁論に係る訴訟記録の制限)及び同法92条(秘密保護のための閲覧等の制限)に例外規定があり,訴訟記録はあらゆる場合に閲覧できることにはなっていない。
(ウ) しかも,訴訟記録の閲覧について,平成9年8月20日付け最高裁総三第97号総務局長通達「事件記録等の閲覧等に関する事務の取扱いについて」によれば,訴訟記録の閲覧を希望する者は,できる限り,裁判所に備え付けられている民事事件記録等閲覧・謄写票(別紙3参照)に基づき申請しなければならない,とされている。
そして,民事事件記録等閲覧・謄写票によると,訴訟記録の閲覧を希望する者は,① 訴訟記録の事件番号,当事者氏名で閲覧を希望する訴訟記録を特定しなければならない,② 更に,申請人資格(当事者・代理人・利害関係人・その他),閲覧等の目的(訴訟準備等・その他)を明らかにしなければならない。
したがって,被控訴人が,高知県知事に対し本件開示請求をした際のように,高知地方裁判所及び高松高等裁判所(本件医療過誤訴訟が係属していた裁判所)に対し,「高知県又は高知県知事を当事者とし,現在係属中の民事訴訟事件,行政訴訟事件」という特定のみで,その訴訟記録の閲覧を申請をしても,閲覧を希望する訴訟記録がいまだ特定していないとの理由で,閲覧が拒否されるものと思われる。
しかも,裁判所書記官は,民事事件記録等閲覧・謄写票に記載された申請人資格,閲覧等の目的から判断して,明らかに閲覧請求権の濫用と認められる場合には,民訴法91条1項の解釈としても,閲覧を拒否することも可能である。
(エ) このように,裁判所での訴訟記録の閲覧については,閲覧を希望する事件の事件番号や当事者名で特定していなければ,閲覧を拒否されるし,また,場合によれば,裁判所での訴訟記録の閲覧が,閲覧請求権の濫用として拒否される場合があるのだから,本件患者の氏名等が記載された訴訟記録(本件医療過誤訴訟3件の訴訟記録)は,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」には該当しないものといわなければならない。
ウ 本件条例3条からの検討
(ア) 本件条例3条の規定
本件条例3条は,「実施機関(知事等)は,公文書の開示を請求する権利が十分に尊重されるようにこの条例を解釈し,運用しなければならない。この場合において,実施機関(知事等)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」と規定している。
(イ) 医療過誤訴訟の訴訟記録と個人のプライバシー
ところで,本件医療過誤訴訟記録(訴状,答弁書,一部の準備書面,証拠説明書,判決書,控訴状,控訴理由書)には,患者個人の病状や死亡原因等,個人の心身の状況に関する情報が記載されており,かかる情報は,個人に関する情報の中でも最もプライバシー性及び秘密保持性の高い情報であり,その保護の必要性の高い情報である。
特に,患者本人あるいは遺族にとっては,医療過誤訴訟を起こすのはやむにやまれない感情等があって,仕方なく訴訟を提起しているのであって,訴訟になった以上,患者本人あるいは亡くなった患者の病状,死亡状況が世間一般に知れても仕方がないと思っているわけではなく,訴訟になったとしても,できうる限り亡くなった患者の病状,死亡状況等は秘密にしておきたいと思うはずのものであり,こうした遺族の感情は最大限に尊重されるべきである。
被控訴人は,本件開示請求では,本件医療過誤訴訟記録中の書証を開示請求の対象としなかったが,医療過誤訴訟では,通常,カルテ等が書証として提出されており,カルテには,患者のこれまでの病歴について漏れなく記載されている。したがって,被控訴人や原判決の見解によれば,患者本人ないしはその家族が高知県を被告として医療過誤訴訟を提起し,秘密保護のための閲覧等の制限の裁判を得ていなければ,患者個人の病名が克明に記載されたカルテも,当然,本件条例に基づく情報公開の対象となる。
しかし,このような解釈が,「実施機関(知事等)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」と規定している本件条例3条の趣旨が生かされた正しい解釈といえるか,大いに疑問がある。
(ウ) 新聞報道,裁判所の判例公表との対比
a 現に,新聞報道等においても,医療過誤訴訟については,極めて保護の必要性の高い個人に関する情報であることから,訴訟が提起されたり判決がなされたことを報道する場合であっても,患者や原告が公表を望まない限り,名前は公表しない建前をとっている(当裁判所に顕著な事実)。
また,最高裁判所をはじめとして,全国個々の裁判所が,近年,重要な判例をインターネットで公表するようになったが,そこでは,医療過誤訴訟に限らず,殆どの事件について,訴訟当事者だけでなく,関係者が個人である場合は,その個人名を伏せて公表している(当裁判所に顕著な事実)。
これらは,いずれも,訴訟が提起され,民訴法91条1項で何人も訴訟記録を閲覧できる建前になっていても,そのことから直ちに,個人に関する情報を保護しなくてよいとの認識を社会一般が持っていないという実態を配慮した取扱いである。
b ところが,被控訴人や原判決の見解では,一旦,高知県ないしは高知県知事を当事者とする訴訟が提起された場合には,当該訴訟記録に,事件関係者個人に関する極めて高度な個人情報(個人のプライバシーが最大限に守られるべき情報)が記載されていても,当該個人が秘密保護のための閲覧等の制限の裁判を得ていなければ,高知県知事は,当該訴訟記録の閲覧申請をした者(本件条例5条では,何人も公文書の開示を請求できる。)に対して,当該個人に関する極めて高度な個人情報(個人のプライバシーが最大限に守られるべき情報)をそっくりそのまま開示しなければならないことになる。
しかし,このような解釈が,「実施機関(知事等)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」と規定している本件条例3条の趣旨が生かされた正しい解釈といえるか,大いに疑問がある。
(エ) 訴訟記録の閲覧・謄写との関係
本件条例においては,公文書の開示は,文書等の閲覧又はその写しの交付等により行うものとされており(13条),請求者は写しの交付を受けることができることになっているため,本件条例に基づく個人情報の開示については,ペーパーを媒介として個人情報の伝播性が高く,プライバシー侵害の程度が大である。
他方,裁判所での訴訟記録の閲覧・謄写については,「当事者及び利害関係を疎明した第三者は,訴訟記録の謄写,その正本,謄本若しくは抄本の交付を請求することができる。」(民訴法91条3項)が,当事者及び利害関係人以外の第三者は,「訴訟記録の閲覧を請求できる。」(民訴法91条1項)に過ぎず,訴訟記録の謄写が認められていないので,当事者及び利害関係人以外の第三者が訴訟記録の閲覧をしただけでは,訴訟記録中の関係者に関するプライバシーの伝播性が低く,プライバシー侵害の程度も少ない。
ところが,被控訴人や原判決の見解では,被控訴人のような当事者でも利害関係人でもない第三者は,裁判所に対しては,医療過誤訴訟の訴訟記録の閲覧しか認められず,その謄写が認められていないのに,高知県知事に対しては,医療過誤訴訟の訴訟記録の写しの交付を受けることができ,当該医療過誤訴訟の患者本人のプライバシーの伝播性が高く,プライバシー侵害の程度も大きくなる。
このような解釈が,「実施機関(知事等)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」と規定している本件条例3条の趣旨が生かされた正しい解釈といえるか,大いに疑問がある。
(オ) 高知県知事の開示・非開示の対応
高知県知事は,本件医療過誤訴訟事件3件の訴訟記録について,本件情報1(本件患者の氏名等)を非開示としたが,その余の情報(別紙2記載の冒頭から3件の事件に関する訴訟資料名欄記載の情報)は,すべて被控訴人に開示している(乙14)。
したがって,被控訴人は,本件情報1(本件患者の氏名等)を開示されなくとも,本件医療過誤訴訟事件3件の事案の概要を十分に理解することができたはずであり,高知県知事が本件情報1を非開示としたことにより,県民等の知る権利が害されたり,公共の利益が害されたことは,およそ考えられないことである。
そうだとすると,高知県知事が,本件医療過誤訴訟事件3件について,本件情報1を非開示とし,その余の情報を開示したことについては,まさに,本件条例3条の規定「実施機関(高知県知事)は,公文書の開示を請求する権利が十分に尊重されるようにこの条例を解釈し,運用しなければならない。この場合において,実施機関(高知県知事)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」を忠実に遵守したものといえる。
(カ) まとめ
a 何人も民訴法91条1項で訴訟記録を閲覧できる建前であるからといって,そのことから直ちに,あらゆる場合に,訴訟記録の開示が個人のプライバシーを侵害しないとはいえないことが明らかであり,かえって,医療過誤訴訟記録中の病状等個人の心身の状況に関する情報は,個人に関する情報のうちでもその保護の必要性が高いといえる。
したがって,「実施機関(高知県知事)は,公文書の開示を請求する権利が十分に尊重されるようにこの条例を解釈し,運用しなければならない。この場合において,実施機関(高知県知事)は,個人に関する情報が十分に保護されるように最大限の配慮をしなければならない。」(本件条例3条)ことから,本件条例6条1項2号ただし書アで開示情報としてあげている「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」に該当するか否かは,法令等に閲覧できるとされている制度により,どの程度広く県民等に閲覧されているものであるかを検討し,かかる閲覧の制度があることにより,どの程度の個人に関する情報がオープンになっているか,問題とされる個人に関する情報の保護の必要性及び非開示にすることによる県民等の知る権利に与える影響等を勘案して,決定されるべきものといえる。
b そうだとすると,次の各事情を考慮して,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」の意味を弾力的に解釈し,本件情報1(本件患者の氏名等)を非開示とすることは,本件条例3条の趣旨を忠実に遵守したものであり,許された解釈手法であるといえる。
(a) 医療過誤訴訟に関する訴訟記録には,病状や死因など個人の身体に関する情報が記載されており,かかる情報は,患者本人やその遺族にとっても,第三者には知られたくない個人に関する情報であって,その保護の必要性が極めて高い(前記(イ)参照)。
(b) 医療過誤訴訟を新聞報道する場合に,患者や原告が公表を望まない限り,名前は公表しない建前をとっている。裁判所が重要な判例をインターネットで公表する場合にも,殆どの事件について,関係者が個人である場合は,その個人名を伏せている(前記(ウ)参照)。
(c) 民訴法91条の閲覧制度だけであれば,訴訟記録の閲覧だけであり,広く世間の目に晒される可能性のなかった個人に関する情報が,本件条例により開示されることにより,訴訟記録の写しの交付まで認められることから,広く世間の目に晒され,個人のプライバシー等が侵害される危険の程度が大きくなる(前記(エ)参照)。
(d) 本件医療過誤訴訟記録については,本件情報1(個人を識別できる情報)を開示しなくとも,事案の概要は分かることから,県民等の知る権利を害したり,公共の利益を害するものではない(前記(オ)参照)。
エ 小括
以上の次第で,本件情報1(本件患者の氏名等)は,本件条例6条1項2号ただし書アの「法令等の規定により何人も閲覧できるとされている情報」には当たらないので,本件情報1を非開示とした本件非開示処分が,本件条例6条1項2号ただし書アに違反した違法なものであるとは認められない。
(2) 争点2(本件条例6条1項2号ただし書イ該当性)の検討
ア 被控訴人は,「本件条例6条1項2号ただし書イは,個人情報のうち『公表を目的として作成し,又は取得した情報』を非開示情報から除外している。したがって,仮に本件情報1(本件患者の氏名等)が本件条例6条1項2号ただし書アに該当しないとしても,本件条例6条1項2号ただし書イに該当する。」と主張し,本件情報1(本件患者の氏名等)を非開示とした本件非開示処分は違法であると主張する。
イ しかし,患者本人あるいは遺族にとっては,医療過誤訴訟を起こすのはやむにやまれない感情等があって,仕方なく訴訟を提起しているのであって,訴訟になった以上,患者本人あるいは亡くなった患者の病状,死亡状況が世間一般に知れても仕方がないと思っているわけではなく,訴訟になったとしても,できうる限り亡くなった患者の病状,死亡状況等は秘密にしておきたいと思うはずのものであり,こうした遺族の感情は最大限に尊重されるべきである。
ウ したがって,医療過誤訴訟の訴訟記録は,患者個人あるいは遺族が「公表を目的として作成し,又は取得した情報」であるとは認められないので,本件情報1(本件患者の氏名等)が記載されている本件医療過誤訴訟記録についても,本件条例6条1項2号ただし書イの「公表を目的として作成し,又は取得した情報」に当たるものと解することはできず,被控訴人の前記アの主張は採用できない。
2 本件情報2(本件個人の印影)の検討
(1) はじめに
本件条例6条1項5号は,「開示することにより,人の財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報」については,非開示としうる旨定めており,本件情報2(本件個人の印影)が,本件条例6条1項5号の非開示情報といえるかが問題となる。
(2) 実印や金融機関届出印からの検討
ア ところで,実印や金融機関届出印は,売買契約,預金取引,手形取引等の財産に関する取引において重要な役割を果たすものであり,この印影がみだりに公開されるとなると,印影が模倣されたり,印影を基に実印や金融機関届出印が偽造されたりして,個人の財産等に対する危険が生じるおそれがある。
したがって,個人の実印や金融機関届出印の印影は,本件条例6条1項5号の「開示することにより,人の財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報」といえる。
イ もっとも,本件情報2(本件個人の印影)が,実際に,本件本人訴訟(8事件)の原告(控訴人)の実印や金融機関届出印に係る印影であるか否かは不明である。
しかし,本件情報2(本件個人の印影)が実印や金融機関届出印による印影である可能性があり,高知県知事が本件個人の印影を開示することは,本件本人訴訟(8事件)の原告(控訴人)の「財産等の保護に支障を生ずるおそれ」があるといえるので,本件条例6条1項5号の非開示情報に当たると認められる。
ウ この点につき,被控訴人は,「非開示とする印影は,実印や金融機関届出印に係る印影でなければならず,その主張立証責任は控訴人にある。」と主張する。
しかし,高知県知事が,本件本人訴訟(8事件)の訴訟記録に押印されている印影が実印や金融機関届出印であることを立証するためには,本件本人訴訟(8事件)の原告(控訴人)ら本人に問い合わせ,原告(控訴人)ら本人から回答がない場合には,原告(控訴人)らが住民登録をしている市役所や,原告(控訴人)らが利用している可能性のある全金融機関(その金融機関数は極めて多数にのぼるであろう。)に問い合わせるほかないが,高知県知事にはそのような権限はなく,原告(控訴人)ら本人や市役所・金融機関等も,必ずこれに答えなければならない義務はない。
かかる状況において,高知県知事が実印や金融機関届出印に係る印影であることの立証をしない限り,本件個人の印影を開示しなければならないとすると,高知県知事は,実印や金融機関届出印である可能性があるにもかかわらず,本件個人の印影を開示しなければならなくなる。しかし,それでは,本件条例6条1項5号の情報を開示せず,個人の財産等の保護を図ろうとした趣旨が達成されなくなり,被控訴人の上記主張は採用できない。
(3) 実印や金融機関届出印以外の印鑑からの検討
ア ところで,日本の社会は,印鑑社会といわれるように,日常生活のあらゆる場面において,文書等が真正に成立した証として,自署ではなく印鑑の押印で対応されている。しかも,日常一般の私的経済活動においては,実印や金融機関届出印だけでなく,実印や金融機関届出印以外の印鑑についても,日常生活上の簡単な契約書や申込書に使用されているのが通常である。そして,かかる印影は,通常,取引関係者等の一部の限られた者のみが必要に応じて確認することが予定されているもので,これが広く一般に公にされることは予定されていない。
イ そして,スキャナー等による複製の技術が格段に進歩した今日にあっては,当該印影を開示すれば,当該印影が容易かつ精巧に複写されるおそれが存するから,このような社会の実態からすると,実印や金融機関届出印だけでなく,それ以外の印鑑の印影についても,これが開示されると,その印影やその印影を顕出した印鑑が偽造され,個人の財産等の保護に支障をきたすおそれがある。
ウ したがって,本件情報2(本件個人の印影)が,実印や金融機関届出印に係る印影でなかったとしても,本件本人訴訟の訴状等に押印されているということは,日常一般の私的経済活動において使用されている印鑑の印影の可能性が高いことが容易に想像されることである。それゆえ,本件個人の印影が開示されると,印影や印影を顕出した印鑑が偽造され,ひいては,詐欺などの犯罪に利用されて,当該印鑑を使用している個人の財産等への保護に支障をきたすおそれがある。
エ 以上の次第で,本件情報2(本件個人の印影)が,実印や金融機関届出印に係る印影でなかったとしても,本件条例6条1項5号の「開示することにより,人の財産等の保護に支障を生ずるおそれのある情報」(非開示情報)に該当すると解するのが相当である。
(4) 小括
よって,いずれにせよ,本件情報2(本件個人の印影)は,本件条例6条1項5号の非開示情報に該当するので,本件情報2を非開示とした本件非開示処分が違法であるとは認められない。
第5結語
1 以上の次第で,本件情報1,2を非開示とした本件非開示処分が違法であるとは認められず,被控訴人の本件非開示処分取消請求は理由がないので棄却すべきである。
2 よって,本件非開示処分を違法としてこれを取り消した原判決は失当であり,原判決を取り消し,被控訴人の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 紙浦健二 裁判官 島岡大雄)
裁判官熱田康明は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 紙浦健二