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高松高等裁判所 平成17年(行コ)4号 判決 2006年2月23日

控訴人

X1

ほか1名

被控訴人

南国税務署長

代理人

熊谷保

中西博子

倉本幸芳

ほか5名

主文

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人が,X1に対し,平成14年2月15日付でした平成9年分贈与税の決定処分及び無申告加算税の賦課決定処分を取り消す。

3  被控訴人が,X2に対し,平成14年2月15日付でした平成9年分所得税の更正の請求に対する更正をすべき理由がない旨の通知処分を,所得金額859万3262円を超える部分につき取り消す。

4  訴訟費用は,第1,第2審とも被控訴人の負担とする。

第2事案の概要

1  事案の骨子

本件は,X1及びX2が,それぞれ次の各行政処分の取消しを求めた事案である。

(1)  X1について

X1は,平成9年2月21日,X2との間で,同人から有限会社A鉄工所(以下「A鉄工所」という。)の出資口1125口を1口当たり1万5000円(総額1687万5000円)で購入する旨の売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結したところ,被控訴人は,本件売買契約はその代金額が適正価額1億1541万3750円(1口当たり10万2590円)を下回る低額譲渡に該当するとして,平成14年2月15日付で,X1に対し平成9年分贈与税の税額を5775万9700円とする決定処分及び無申告加算税の税額を866万2500円とする賦課決定処分(以下,両者を併せて「本件各決定処分」という。)をした。

そこで,X1は,本件売買契約が錯誤により無効であるなどと主張して,被控訴人に対し,本件各決定処分の取消しを求めた。

(2)  X2について

X2は,平成9年分の所得税の確定申告につき,総所得の金額を859万3262円,本件売買契約に係る譲渡所得の金額を1571万4600円(収入金額1687万5000円,必要経費116万0400円),納付すべき税額を417万7600円とする確定申告書を提出し,平成13年12月21日,本件売買契約が錯誤により無効であるとして,平成9年分所得税の更正の請求をした(以下「本件更正請求」という。)ところ,被控訴人は,平成14年2月15日付で,X2に対し更正をすべき理由がない旨の通知処分(以下「本件通知処分」という。)をした。

そこで,X2は,被控訴人に対し,本件通知処分のうち所得金額859万3262円を超える部分の取消しを求めた。

2  訴訟の経過

(1)  原判決の内容

原審は,次のとおり判断して,控訴人らの請求をいずれも棄却した。

ア X1とX2との間の本件売買契約には要素の錯誤(民法95条本文)がある。

イ X1には,錯誤に陥ったことにつき重大な過失(同条ただし書)がある。

ウ 契約当事者双方が錯誤に陥っている場合に,第三者である被控訴人が表意者であるX1に重大な過失のあることを主張し得ないわけではない。

エ そうすると,本件売買契約は無効とはならないから,本件売買契約が有効であることを前提とする本件各決定処分及び本件通知処分は,いずれも適法である。

(2)  控訴人らの控訴

これに対し,控訴人らが原判決を不服として控訴した。

3  争いのない事実等

原判決第2の2(3頁1行目から6頁24行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,原判決3頁7行目の「X2」の次に「(大正○年○月○日生)」を,10行目の「X1」の次に「(昭和○年○月○日生)」を各加え,6頁24行目末尾の次に改行して次のとおり加える。

「③ 本件訴訟の提起

控訴人らは,平成15年9月20日,高知地方裁判所(原審裁判所)に対し,X1は本件各決定処分の取消しを求めて,X2は本件通知処分の取消しを求めて,それぞれ本件訴訟を提起した(記録上明らかな事実)。」

なお,法令の引用については,当該行為当時のものを指し,その後に法令の改正が行われている場合であっても,改正法令名等は記載しないこととする(第3以下で法令を引用するときも同様とする。)。

第3争点及び争点についての当事者の主張

1  争点

本件の争点は,

(1)  本件売買契約における控訴人らの錯誤(民法95条本文)の有無(争点1)

(2)  仮に控訴人らに錯誤があると認められた場合の控訴人らの重大な過失(同条ただし書)の有無(争点2)

(3)  課税庁である被控訴人に対する控訴人らの錯誤無効の主張の可否(争点3)

(4)  本件更正請求についての国税通則法23条2項3号又は1号(当審追加主張)の適否(争点4)

(5)  本件各決定処分による贈与税及び無申告加算税の課税額(争点5)

であり,争点についての当事者双方の主張は,次の2ないし6のとおりである。

2  争点1(本件売買契約における控訴人らの錯誤〔民法95条本文〕の有無)について

原判決第2の3(1)の①及び②(7頁6行目から14頁21行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,原判決引用部分中,「前記2」を「前記第2の3」に改める。

3  争点2(仮に控訴人らに錯誤があると認められた場合の控訴人らの重大な過失〔民法95条ただし書〕の有無)について

(1)  原判決の引用,補正

次の(2)のとおり当事者双方の当審補充主張を付加するほか,原判決第2の3(2)の①及び②(14頁23行目から17頁22行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,原判決14頁24行目の「前記(1)①」を「前記2の①ア」に改める。

(2)  当事者双方の当審補充主張

ア 控訴人らの主張

(ア) 本件売買契約につき,控訴人らはともに錯誤に陥っていたものであるところ,次の(イ)及び(ウ)で述べる共通錯誤の理論からすれば,本件売買契約を有効として保護すべき利益はないから,仮に錯誤に陥ったことにつき控訴人らに重大な過失があったとしても,民法95条ただし書の適用はなく,控訴人らは,本件売買契約の無効を主張しうるというべきである。

(イ) 共通錯誤の理論とは,概ね次のように説明されている(内田貴・民法Ⅰ・75頁参照)。

a 理論的に,契約当事者双方が共通の錯誤に陥って契約を締結した場合,表意者に重大な過失があったとしても,一方的錯誤の場合のように,契約を有効にして相手方を保護すべき利益があるとはいえないから,この場合,民法95条ただし書は適用すべきではなく,契約の無効主張も認められるべきである。

b 実質的にも,仮に共通の錯誤がある場合にも民法95条ただし書が適用されると,共通錯誤により有利な契約を締結した者が,他方当事者の重大な過失を理由に,自己にも錯誤があったにもかかわらず不当な利益を手に入れることが可能となってしまい,公平に反する。

c 更に,私法上の契約の当事者双方に錯誤があり,本件のように,本件売買契約締結後に「第三者」との私法上の取引をしているわけでもない場合に,当事者双方の意思に反して本件売買契約の無効を認めず,私法上有効を強制しなければならない合理的理由は全くない。

(ウ) 裁判例をみても,共通錯誤の理論を認め,契約の錯誤無効を認める裁判例(例えば,大阪地裁昭和62年2月27日判決・判例時報1238号143頁,東京地裁平成14年3月8日判決・判例時報1800号64頁,横浜地裁平成16年6月25日判決・金融・商事判例1197号14頁など)も多数存在し,共通錯誤の理論自体が認められている。

(エ) したがって,控訴人らは,本件売買契約の錯誤無効を被控訴人に主張することができるというべきである。

イ 被控訴人の主張

(ア) 確かに,控訴人らが主張する共通錯誤の理論という見解があり,これに沿う下級審裁判例も存する。

しかしながら,このような見解を肯定した最高裁判例はない。しかも,最高裁昭和40年6月4日第二小法廷判決(民集19巻4号924頁)は,「民法95条は,法律行為の要素に錯誤があった場合に,その表意者を保護するために無効を主張することができるとしているが,表意者に重過失ある場合は,もはや表意者を保護する必要がないから,同条によって表意者は無効を主張できないものとしているのである。その法意によれば,表意者が無効を主張することが許されない以上,表意者でない相手方または第三者は,無効を主張することが許さるべき理由がないから,これが無効を主張できないものと解するのが相当である。」と判示するところ,これは,錯誤無効を主張しうるのは錯誤者のみであり,錯誤者が無効を主張しないのに,相手方又は第三者が無効を主張することは許されず,錯誤者に重過失があれば,錯誤者自身も無効を主張し得なくなるから,結局何人も無効を主張し得ないとするものである。

(イ) 本件においても,控訴人らに重過失があり,控訴人らが無効を主張し得ない以上,本件売買契約を錯誤無効とする余地はなく,契約当事者である控訴人らは,相互に無効を主張することも,また,課税庁である被控訴人に対し無効を主張することもできない。

4  争点3(課税庁である被控訴人に対する控訴人らの錯誤無効の主張の可否)について

原判決第2の3(3)の①及び②(17頁24行目から18頁20行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

5  争点4(本件更正請求についての国税通則法23条2項3号又は1号〔当審追加主張〕の適否)について

(1)  原判決の引用

次の(2)のとおり当事者双方の当審追加主張を付加するほか,原判決第2の3(4)の①及び②(18頁23行目から20頁9行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

(2)  当事者双方の当審追加主張

ア X2の主張

(ア) X2のした本件更正請求は,次に述べるとおり,国税通則法23条2項1号に該当し,更正の理由がある。

(イ) 同号は,「その申告,更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実に関する訴えについての判決(判決と同一の効力を有する和解その他の行為を含む。)により,その事実が当該計算の基礎としたところと異なることが確定したとき。」を更正の理由に該当すると規定している。

ここにいう「判決と同一の効力を有する和解」には,裁判上の和解及び起訴前の和解があり,「その他の行為」とは,民事調停(民事調停法16条)及び家事調停(家事審判法21条)等の調書に記載することを要する(民事訴訟法267条等)行為を指すと一般に解されている。

(ウ) 本件の場合,本件売買契約に要素の錯誤が存在したことが本件訴訟を通じて明らかになっているのであるから,次に述べる理由からして,国税通則法23条2項1号にいう「判決と同一の効力を有する和解その他の行為」が本件訴訟を通じて生じたとして,更正の請求を認めるのが妥当である。

a 同法71条1項2号は,各税法に共通の更正事由として,「無効な行為により生じた経済的成果がその行為の無効であることに基因して失われたこと」を減額更正の事由として明記している。

課税庁は,契約の無効により経済的成果が失われているときは減額更正しなければならないのである。同号の規定が「できる」という文言であることから,減額更正するか否かは課税庁の裁量であるかのように誤解されるおそれがあるが,この「できる」の意味は,更正の除斥期間経過後でも処分ができるという意味であり,経済的成果が失われているという実体的要件が充足されている場合には,減額更正処分をしなければならないのである。

本件の場合,まさに本件売買契約が錯誤無効であり,この無効に基づいて本件売買契約の経済的成果が既に失われている。

したがって,本件は,課税庁である被控訴人により減額更正処分がされなければならない事案なのである。

b 課税庁は,相続税・贈与税の実務の取扱いにおいて,当該法律関係が無効な場合,判決等以外の場合でも課税対象から外している。国税庁も,インターネット上で次のような事例を紹介している。

【照会要旨】

A(株)は,社長が死亡したため,株主総会及び取締役会の決議に基づき死亡退職金として1億円をその遺族に支払っていましたが,その後,遺族から退職金受領を辞退したい旨の申し入れがあり,1億円が返還されました。この場合,相続税の課税はどのようになるのでしょうか。

【回答要旨】

社長の遺族が受領した退職金1億円は,その支給について正当な権限を有する株主総会及び取締役会の決議に基づいて支給されたものであることから,受領した退職金を返還したとしても相続税が課税されることにかわりはありません。

但し,返還事由がその退職金の支給決議が無効又は取り消し得べきものであった場合において,その無効が確認され又は取り消しがなされたことが,権限を有する機関の議事録等から明らかであれば,相続税の課税対象とはなりません。

c このように,無効・取消しが判決等以外の場合であっても,「権限を有する機関の議事録から明らか」であれば,課税対象としないことが明らかとされている。

したがって,仮に本件更正請求が国税通則法23条2項3号の「やむを得ない理由」に当たらないとしても,同項1号には該当するものとして処理するのが妥当な事案であるから,更正の理由が認められるべきである。

イ 被控訴人の主張

(ア) 原判決は,本件売買契約の意思表示について要素の錯誤があったことは認定したものの,その錯誤には重大な過失があるため,本件売買契約は無効とはならず,したがって,本件売買契約が有効であることを前提とする本件各決定処分及び本件通知処分は,いずれも適法であるとして控訴人らの請求を棄却したものであるから,国税通則法23条2項1号にいう「その事実が当該計算の基礎としたところと異なること」を認定したとはいえず,原判決は確定もしていない。

(イ) そうだとすると,原判決が言い渡されたことをもって,同項1号の要件が充たされたとはいえないことは明らかである。

6  争点5(本件各決定処分による贈与税及び無申告加算税の課税額)について

(1)  被控訴人の主張

ア 本件出資口の評価

前記第2の3の争いのない事実等(補正の上引用した原判決第2の2(2)の⑤〔4頁16行目から5頁8行目まで〕)のとおり,本件出資口は,評価通達168《評価単位》に定める取引相場のない株式に該当し,また,A鉄工所が評価通達178《取引相場のない株式の評価上の区分》に定める大会社に該当するため,評価通達179《取引相場のない株式の評価の原則》に従って,類似業種比準価額方式によって本件出資口を評価するのが原則であるが,納税義務者の選択で純資産価額方式によって評価することも可能である。

そして,本件売買契約当時の本件出資口の評価額は,類似業種比準価額方式によると,本判決別表2<省略>のとおり1口当たり12万7268円,純資産価額方式によると,本判決別表3<省略>のとおり1口当たり10万2590円となる。

これによれば,純資産価額方式による評価額が類似業種比準価額方式による評価額を下回るので,本件出資口の評価額は,純資産価額方式によって評価した1口当たり10万2590円とするのが相当である。

イ 贈与税の課税価格

相続税法7条は,著しく低い価額の対価で財産の譲渡を受けた場合においては,当該財産の譲渡があった時において,当該財産の譲渡を受けた者が,当該対価と当該譲渡があった時における当該財産の時価との差額に相当する金額を当該財産を譲渡した者から贈与により取得したものとみなす旨規定している。

本件売買契約について,同条の規定を当てはめると,X1は,X2から本件出資口を1687万5000円(1口当たり1万5000円)で譲り受けたが,本件課税時期における本件出資口の評価額は,上記アのとおり1口当たり10万2590円とするのが相当であるから,その時価の総額は,譲受口数1125口を乗じた1億1541万3750円となる。そして,本件出資口の対価1687万5000円との差額はX2から贈与により取得したものとみなされることから,贈与税の課税価格は9853万8750円となる。

ウ 納付すべき贈与税額

納付すべき贈与税額は,上記イの贈与税の課税価格9853万8750円から,相続税法21条の5に規定する贈与税の基礎控除額60万円を控除した9793万8000円(ただし,国税通則法118条1項の規定により1000円未満の端数切捨て後の金額)に,相続税法21条の7に規定する税率を適用して算出した5775万9700円となる。

エ 無申告加算税額

国税通則法66条1項は,同法25条の規定による決定があった場合,当該納税者に対し,「決定に基づき第35条第2項(期限後申告等による納付)の規定により納付すべき税額に100分の15の割合を乗じて計算した金額に相当する無申告加算税を課する。」と規定している。

これを本件についてみると,上記ウのとおりX1が納付すべきこととなった贈与税5775万円(ただし,国税通則法118条3項の規定に従い1万円未満の端数を切り捨てた金額)に100分の15を乗じて計算した866万2500円が無申告加算税の額となる。

(2)  X1の主張

被控訴人の上記主張は概ね認める。

第4当裁判所の判断

1  判断の大要

当裁判所も,控訴人らの請求はいずれも理由がないと判断する。

その理由は,次のとおりである。

2  争点1(本件売買契約における控訴人らの錯誤〔民法95条本文〕の有無)について

原判決第3の1(1)及び(2)(20頁13行目から24頁7行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,原判決引用部分中,「第2の2の争いのない事実等」を「前記第2の3の争いのない事実等(補正の上引用した原判決第2の2〔3頁1行目から6頁24行目まで〕)」に読み替えるものとする。

3  争点2(仮に控訴人らに錯誤があると認められた場合の控訴人らの重大な過失〔民法95条ただし書〕の有無)について

(1)  前記第2の3の争いのない事実等(補正の上引用した原判決第2の2〔3頁1行目から6頁24行目まで〕)及び上記2で補正の上引用した原判決第3の1(1)認定の事実に基づく検討

ア 前記第2の3の争いのない事実及び上記2で補正の上引用した原判決第3の1(1)認定の事実によれば,次のようにいうことができる。

a 控訴人らは,本件売買契約締結に当たり,本件出資口の売買代金額1口当たり1万5000円,合計1687万5000円がその実際の価値に見合った適正な金額であり,X1が贈与税を課されることはないと誤信していたのであり,本件売買契約において,本件出資口の実際の価値及びX1が贈与税を課されないことは,控訴人らにとって重要な要素であった。

b したがって,控訴人らは,本来的には,本件売買契約を締結するに当たり,売買代金額及び贈与税が課されるか否かについて,税理士等の専門家に相談するなどして十分に調査,検討をすべきものであり,そのような調査,検討を何ら行わないまま,安易に課税されないものと軽信した場合には,通常人であれば注意義務を尽くして錯誤に陥ることはなかったのに,著しく不注意であったために錯誤に陥ったものとして,重大な過失があるということになる。

イ しかしながら,本件では,次のような事情が存する。

a 前記ア掲記の各事実によれば,次の点を挙げることができる。

(a) X1(昭和○年○月○日生)は,L大学ジャパンセンター英語科1年生であった平成9年1月ころ,Cが白血病を宣告され,余命幾ばくもないことが判明したため,大学を中退し,A鉄工所の後継者として働くことにした。そして,Cは,自分が元気なうちにA鉄工所の出資口を可能な限りX1に取得させようと考え,X2に対し,その所有していた本件出資口をX1に売却するよう頼み,X2は,自分が死亡すれば本件出資口をCに相続させる予定であったが,死期が近いCからの頼みを断る理由もなかったため,これを了解した。また,X1は,Cが自分を後継者として体制を固めるために奔走しているのを見て,可能な限り,Cの意向に従いたいと思い,購入可能な金額であれば本件出資口を購入したいと考えた。

(b) 控訴人らは,本件売買契約締結に際し,Cから,A鉄工所の取引先であった岡山県のJ工業の株式の時価を調査するなどした上,本件出資口の売買代金額を1口当たり1万5000円と提案され,その売買代金額については,南国税務署に相談に行って了解を得た旨の話を聞いた。そこで,X1は,当時所有していた約1000万円の預金に加え,I銀行からの借入金約700万円によって本件出資口を購入することとし,平成9年2月21日(X1は当時19歳),X2との間で本件売買契約を締結した。

b 本件出資口の評価額について,確かに,税理士や公認会計士が,A鉄工所の会計帳簿類をもとに,評価通達に従って類似業種比準価額方式又は純資産価額方式による評価額を算出することはそれほど難しいことではないと考えられる。

しかしながら,税理士や公認会計士といった税務会計の専門家ではなく,その知識もない通常人が,A鉄工所の会計帳簿類をもとに,評価通達に従って上記各方式による評価額を算出することは著しく困難であることは明らかである。そして,控訴人らは,税理士や公認会計士といった税務会計の専門家でもなければ,その知識もない通常人であり(X2は,夫であるBとともにA鉄工所を設立したものではあるが,だからといってA鉄工所の会計関係に精通しているとの事情はうかがわれない。),しかも,本件売買契約当時,A鉄工所にはいわゆる顧問税理士はいなかったのである。(弁論の全趣旨)。更に,本件売買契約当時,X1は19歳,X2(大正○年○月○日生)は80歳であり,このような控訴人らの当時の年齢や,Cが白血病に冒され,余命幾ばくもないという状況のもと,Cが自分なりに調査して本件出資口の売買代金額を1口当たり1万5000円とすることを提案し,その際,事実関係の詳細は不明というほかはないものの,南国税務署に相談に行って了解を得た旨の話をしたというのである。

ウ 以上検討したところによれば,控訴人らは,本件売買契約を締結するに当たり,売買代金額やX1に贈与税を課されるか否かについて,税理士等の専門家に相談するなどして十分に調査,検討をすべきであったにもかかわらず,税理士等の専門家に相談するなどしなかったという点において,過失のあることは否定できないところである。

しかしながら,控訴人らが税理士等の専門家に相談するなどしなかったのは,白血病に冒され,余命幾ばくもないCが自分なりに調査をし,南国税務署に相談に行って了解を得た旨の話をしたことなどから,本件出資口の売買代金額を1口当たり1万5000円とすることを了承したものであって,一応の調査,検討はしているのであるから,当時の控訴人らの置かれていた立場や年齢をも考慮すると,控訴人らの上記懈怠が著しく不注意であって重大な過失であると認めることはできない。他に控訴人らの過失が重大であることを基礎づける事実を認めるに足りる証拠はない。

エ したがって,控訴人らが錯誤に陥ったことについて重大な過失があるとは認められない。

(2)  被控訴人の主張の検討

ア 被控訴人は,「一般に,課税負担の有無,程度が,契約締結の重要な動機ないし前提であれば,契約当事者において,税理士等の専門家に相談するなど課税負担に関する調査,検討を十分するはずであり,どのような種類の租税をどの程度負担すべきかは,比較的容易に把握できるのが通常であるから,そのような調査,検討を十分に行わないまま,安易に課税されないものと軽信して契約を締結した場合は,通常人であれば注意義務を尽くして錯誤に陥ることはなかったのに,著しく不注意であったために錯誤に陥ったものというべきであり,錯誤につき重大な過失が認められる。」旨主張する(前記第3の3で補正の上引用した原判決第2の3(2)の②ア〔16頁10行目から17頁9行目まで〕)。

イ 確かに,課税負担の有無や程度が契約締結の重要な動機ないし前提である場合には,契約当事者において,税理士等の専門家に相談するなどして課税負担に関する調査,検討をするのが通常であると考えられ,税理士等の専門家であれば,契約締結に伴って生じる租税の種類や負担額は比較的容易に把握できるものと考えられる。したがって,契約当事者において,税理士等の専門家に相談することが容易であるのに相談せず,課税負担に関する調査,検討を何らすることなく契約を締結したような場合には,課税負担につき契約当事者が錯誤に陥っていたとしても,そのことにつき重大な過失があるということになる。

しかしながら,上記(1)ウ説示のとおり,控訴人らが税理士等の専門家に相談するなどして十分に調査,検討をしなかったのは,白血病に冒され,余命幾ばくもないCが自分なりに調査をし,南国税務署に相談に行って了解を得た旨の話をしたことなどから,本件出資口の売買代金額を1口当たり1万5000円とすることを了承したものであって,控訴人らは,一応,Cの調査,検討結果を踏まえており,何ら調査,検討をしていないわけではなく,当時の控訴人らの置かれていた立場や年齢をも考慮すると,控訴人らが錯誤に陥ったことにつき,控訴人らに著しい不注意があり,重大な過失があると認めることはできない。

ウ したがって,被控訴人の上記主張は採用することができない。

4  争点3(課税庁である被控訴人に対する控訴人らの錯誤無効の主張の可否)について

(1)  控訴人らの主張

控訴人らは,「錯誤によって何らかの契約を締結した者が,錯誤に気づかないうちに法定申告期限を過ぎてしまった場合に,課税庁に対して,当該契約の錯誤無効を主張し得ないとすれば,民法95条が錯誤無効により表意者を保護しようとした趣旨が没却されることになり,不合理というべきであって,そのような場合にも,租税法律関係の安定の要請よりも表意者保護を優先すべきである。」旨主張する(前記第3の4で引用した原判決第2の3(3)の①〔17頁24行目から18頁9行目まで〕)。

(2)  検討

ア 我が国は,申告納税方式を採用し,申告義務の違反や脱税に対しては加算税等を課している結果,安易に納税義務の発生の原因となる法律行為の錯誤無効を認めて納税義務を免れさせたのでは,納税者間の公平を害し,租税法律関係が不安定となり,ひいては申告納税方式の破壊につながるのである。

したがって,納税義務者は,納税義務の発生の原因となる私法上の法律行為を行った場合,当該法律行為の際に予定していなかった納税義務が生じたり,当該法律行為の際に予定していたものよりも重い納税義務が生じることが判明した結果,この課税負担の錯誤が当該法律行為の要素の錯誤に当たるとして,当該法律行為が無効であることを法定申告期間を経過した時点で主張することはできないと解するのが相当である。

イ 以上の見解については,次のとおり,その結論の妥当性も認められる。

すなわち,私人間の経済取引については,常に税負担を考えて行うものである。そして,取引当事者間において,どのような取引形態(法律行為)をとれば,両当事者の税負担が最も少なくて済むか,十分に検討を加えた上で,一定の取引形態(法律行為)を決め,それを前提に申告をするのが通常である。

ところが,法定申告期限を経過した後に,当事者の予期に反して,課税当局から,当事者が予定していなかった納税義務が生じるとか,予定していたものよりも重い納税義務が生じることを理由に,更正処分がなされた場合に,この課税負担の錯誤が当該法律行為の要素の錯誤に当たるとして,当該法律行為の錯誤による無効を認め,一旦発生した納税義務の負担を免れることを是認すれば,そのような錯誤の主張を思いつかない一般的な大多数の納税者との間で著しく公平を害し,租税法律関係が不安定となり,ひいては一般国民の素朴な正義感に反することになる。

それゆえ,当該法律行為が錯誤により無効であることを法定申告期間を経過した時点で主張することを許さず,既に確定している納税義務の負担を免れないと解するのが相当である。

(3)  小括

したがって,控訴人らは,本件売買契約の錯誤無効を課税庁である被控訴人に主張することはできない。

5  争点4(本件更正請求についての国税通則法23条2項3号又は1号〔当審追加主張〕の適否)について

(1)  はじめに

前記4(3)説示のとおり,控訴人らは,本件売買契約の錯誤無効を課税庁である被控訴人に主張することができないから,X2は,本件売買契約は錯誤により無効であり,国税通則法23条2項3号又は1号(当審追加主張)に該当する事由があることを主張して,被控訴人に対し本件更正請求をすることはできないことになる。

したがって,本件更正請求について,同項3号又は1号に該当する事由があるとのX2の主張は,同項3号又は1号に該当するか否かを判断するまでもなく理由がないことになる。

以下,本件事案及び審理経過に鑑み,本件更正請求について,同項3号又は1号に該当する事由があるといえるか否か検討する。

(2)  国税通則法23条2項3号について

ア 国税通則法23条2項3号は,納税申告書を提出した者につき,「その他当該国税の法定申告期限後に生じた前2号に類する政令で定めるやむを得ない理由があるとき」は,当該理由が生じた日の翌日から起算して2か月以内に更正の請求をすることができると規定している。

そして,同法施行令6条1項は,同法23条2項3号にいう「やむを得ない理由」を具体化して,申告,更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた行為の効力に係る官公署の許可その他の処分が取り消されたこと(同法施行令6条1項1号),申告,更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実に係る契約が,解除権の行使によって解除され,若しくは当該契約の成立後生じたやむを得ない事情によって解除され,又は取り消されたこと(2号),帳簿書類の押収その他やむを得ない事情により,課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき帳簿書類その他の記録に基づいて国税の課税標準等又は税額等を計算することができなかった場合において,その後,当該事情が消滅したこと(3号),わが国が締結した所得に対する租税に関する二重課税の回避又は脱税の防止のための条約に規定する権限のある当局間の協議により,その申告,更正又は決定に係る課税標準等又は税額等に関し,その内容と異なる内容の合意が行われたこと(4号)の4つの事由を挙げている。

同法施行令6条1項各号で列挙する事由のうち,1号,3号及び4号は,いずれも納税者の意思の如何にかかわらない第三者の一方的な行為によるものと考えられる。また,国税通則法23条2項に基づく更正の請求について,外形を伴わず外部から認識することのできない主観的な事情に基づく更正の請求を認める場合には,当該事情の存否の判別が困難である上,不誠実な納税者により,滞納処分を免れる手段として後発的事由に基づく更正の請求の制度が悪用されるおそれも生じるから,主観的な事情を含ませることは妥当とはいえない。

そうだとすると,同法施行令6条1項2号にいう「申告,更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実に係る契約が,解除権の行使によって解除され,若しくは当該契約の成立後生じたやむを得ない事情によって解除され,又は取り消されたこと」についても,同項1号,3号及び4号と整合的に解釈すべきであり,同項2号にいう「やむを得ない事情」とは,例えば,契約の相手方が完全な履行をしないなどの客観的な事由に限定されるべきであって,錯誤のような表意者の主観的な事情は含まれないと解するのが相当である。

イ 本件の場合,控訴人らは,本件売買契約の締結によりX1に多額の贈与税が課されることにつき錯誤に陥っていたものであって,もとより控訴人らの主観的な事情に基づくものであるから,国税通則法23条2項3号,同法施行令6条1項各号に該当しないことが明らかである。

ウ X2は,「国税通則法施行令6条1項2号の規定は,更正に係る課税標準等の計算の基礎となった事実に係る契約の解消の方法のうち,典型的なものを示したに過ぎず,その解消の方法を解除又は取消しに限定し,錯誤無効を除外すべき合理的理由は存しないから,本件売買契約における錯誤は,同号に規定する『やむを得ない事情』に該当する。」旨主張する(前記第3の5(1)で引用した原判決第2の3(4)の①〔18頁23行目から19頁10行目まで〕)。

しかしながら,前記ア説示のとおり,国税通則法23条2項3号,同法施行令6条1項2号にいう「やむを得ない事情」とは,例えば,契約の相手方が完全な履行をしないなどの客観的な事由に限定されるべきであって,錯誤のような表意者の主観的な事情は含まれないと解するのが相当であるから,これに反するX2の上記主張は,独自の見解であって採用することができない。

(3)  国税通則法23条2項1号(当審追加主張)について

ア 法の規定

国税通則法23条2項1号は,納税申告書を提出した者につき,「その申告,更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実に関する訴えについての判決(判決と同一の効力を有する和解その他行為を含む。)により,その事実が当該計算の基礎としたところと異なることが確定したとき」は,その確定した日の翌日から起算して2か月以内に更正の請求をすることができる旨規定している。

この規定は,更正の請求ができる期間が,通常の場合は,国税の法定申告期限から1年以内であるが(国税通則法23条1項),その後においても,判決や和解により申告に係る税額等の計算の基礎となった事実に変動を生じたことが確定したことにより,申告に係る税額等が過大となった場合に,例外的に,当該事由が生じた日から2か月以内に限り,更正の請求を認める規定である。

イ 本件への適用

(ア) 前記4(3)説示のとおり,控訴人らは,本件売買契約の錯誤無効を課税庁である被控訴人に主張することができないから,本判決により,「申告に係る税額等の計算の基礎となった事実に変動を生じた」とはいえない。それに,本判決は確定していないので,本判決により,申告に係る税額等の計算の基礎となった事実に変動を生じたことが「確定したとき」にも当たらない。

(イ) しかも,X2のした本件更正請求について,国税通則法23条2項1号所定の事由があるとして更正が認められるためには,本件通知処分がなされた平成14年2月15日時点において,「その申告等に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実に関する訴えについての判決等により,その事実が当該計算の基礎としたところと異なることが確定したとき」でなければならない。

ところが,平成14年2月15日時点においては,当然のことながら,未だ本判決を言い渡していないのであるから,そもそも,本件については,国税通則法23条2項1号の適用は全く問題とならないものである。

ウ まとめ

したがって,国税通則法23条2項1号に該当することを理由に,本件通知処分のうち所得金額859万3262円を超える部分の取消しを求めるX2の主張は,理由がない。

6  争点5(本件各決定処分における贈与税及び無申告加算税の税額)について

前記4(3)説示のとおり,控訴人らは,本件売買契約の錯誤無効を課税庁である被控訴人に主張することができない結果,被控訴人との関係では本件売買契約が有効であるとして,X1に対し,低額譲渡による贈与税及び無申告加算税を課することになる。

そして,この場合のX1に対し課税されるべき贈与税の額が5775万9700円であること,無申告加算税の額が866万2500円であることは,X1において概ね認めるところであり,弁論の全趣旨によれば,本件各決定処分に係る税額は,贈与税が5775万9700円,無申告加算税が866万2500円であることが認められる。

したがって,本件各決定処分に係る贈与税及び無申告加算税の額に計算上の誤りはない。

第5結論

以上によれば,控訴人らの請求を棄却した原判決は,いずれも結論において正当であり,本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判官 紙浦健二 熱田康明 島岡大雄)

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