大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 平成19年(ネ)222号 判決 2008年1月31日

控訴人(原告)

被控訴人(被告)

株式会社損害保険ジャパン

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

平沼髙明

平沼直人

加治一毅

馬渕俊介

柳澤聡

平沼大輔

金田健児

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、1875万円及びこれに対する平成18年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第1、第2審とも被控訴人の負担とする。

第2事案の概要

1  事案の骨子

本件は、弁護士であり、被控訴人との間で弁護士賠償責任保険契約を締結している控訴人が、弁護士業務に起因して第三者に対し負うことになった法律上の損害賠償責任に基づき、当該第三者に対し損害金元本及び遅延損害金の合計1725万円を支払って同額の損害を被ったほか、損害賠償責任の有無を争った民事訴訟で選任した代理人弁護士に対し弁護士費用として合計150万円を支払って同額の損害を被った旨主張して、被控訴人に対し、保険契約に基づく保険金請求として、1875万円及びこれに対する請求の後である平成18年5月26日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

これに対し、被控訴人は、控訴人主張の保険事故及び損害の発生を争うとともに、① 控訴人の負う損害賠償責任は、控訴人の故意又は他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為に起因するものであり、保険約款ないし特約条項所定の免責事由に当たる、② 控訴人は保険約款所定の保険事故の発生等の被控訴人への通知義務を怠ったから、同約款所定の免責事由に当たるとの抗弁を主張した。

原審は、控訴人の負った損害賠償責任は、他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為に起因するものであり、特約条項所定の免責事由に当たると判断して、控訴人の請求を棄却した。

そこで、控訴人が原判決を不服として控訴した。

2  前提事実

次の事実は、当事者間に争いがないか、括弧内に摘示した証拠により容易に認めることのできる事実である。

(1)  保険契約の締結

弁護士である控訴人は、被控訴人との間で、次の契約年月日に、被保険者を控訴人とし、保険期間を次のとおりとする弁護士賠償責任保険契約(以下、個別の契約を指すときも含めて「本件保険契約」という。)を締結した。

ア 契約年月日 平成11年6月28日

保険期間 平成11年7月1日午後4時から平成12年7月1日午後4時まで

イ 契約年月日 平成12年6月23日

保険期間 平成12年7月1日午後4時から平成13年7月1日午後4時まで

ウ 契約年月日 平成13年6月22日

保険期間 平成13年7月1日午後4時から平成14年7月1日午後4時まで

エ 契約年月日 平成14年6月19日

保険期間 平成14年7月1日午後4時から平成15年7月1日午後4時まで

オ 契約年月日 平成15年6月3日

保険期間 平成15年7月1日午後4時から平成16年7月1日午後4時まで

カ 契約年月日 平成16年6月22日

保険期間 平成16年7月1日午後4時から平成17年7月1日午後4時まで

キ 契約年月日 平成17年6月17日

保険期間 平成17年7月1日午後4時から平成18年7月1日午後4時まで

ク 契約年月日 平成18年5月24日

保険期間 平成18年7月1日午後4時から平成19年7月1日午後4時まで

(2)  確定判決の存在

高松高等裁判所は、控訴人とA(以下「A」という。)との間の平成16年(ネ)第149号保釈保証金返還請求控訴事件(原審・松山地方裁判所平成15年(ワ)第7号事件。以下、1審、控訴審及び上告審を通じて「前件訴訟」という。)において、B(以下「B」という。)の刑事弁護人として同人の保釈保証金5000万円を納付し、還付を受けた控訴人が、保釈保証金全額をBに返還した行為は、AとBとの間の代理受領委任契約上のAの利益を侵害した不法行為を構成すると判断して、控訴人に対し1500万円及びこれに対する平成15年1月29日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金をAに支払うよう命じる判決を言い渡した(以下、上記判決によって控訴人が負うものとされた法律上の責任を「本件賠償責任」といい、上記判決を「前件高裁判決」という。)。

控訴人は、前件高裁判決を不服として上告及び上告受理申立てをしたが、上告棄却及び上告不受理決定がされて前件高裁判決が確定した(甲12)。

(3)  控訴人のAに対する損害賠償金の支払等

控訴人は、平成18年2月ころまでに、Aに対し、前件高裁判決に基づく損害金元本1500万円及び遅延損害金の合計1725万円を支払い(甲3の3)、また、前件訴訟の応訴のため選任した代理人弁護士に対し、弁護士費用として合計150万円を支払った(甲3の1・2)。

(4)  本件保険契約に適用される保険約款の内容等

本件保険契約に適用される保険約款の内容(被控訴人がてん補責任を負う保険事故、損害の範囲及び責任限度、免責等)は、別紙1の賠償責任保険普通保険約款(抄)(以下「本件保険約款」という。)及び別紙2の弁護士特約条項(抄)(以下「本件特約条項」という。)記載のとおりである(甲1)。

本件特約条項10条によれば、本件保険約款と本件特約条項の適用関係は、まず本件特約条項が適用され、本件特約条項に規定しない事項については、本件特約条項に反しない限り、本件保険約款が適用されることになる(弁論の全趣旨)。

第3争点及び当事者の主張

1  保険事故及び損害の発生の有無

(1)  控訴人の主張

ア 保釈保証金の納付

Bは、恐喝罪で松山地方裁判所に起訴された(平成6年(わ)第456号事件。以下「B刑事事件」という。)。控訴人は、平成7年3月27日、Bの弁護人として、他の弁護人と連名でBの保釈を請求したところ、同裁判所が保釈保証金5000万円で保釈を許可する決定をしたので、控訴人は、同日、Bが出捐した現金5000万円を控訴人名義で保釈保証金として納付し(以下、納付した現金5000万円を「本件保釈金」という。)、同日、Bは釈放された。

イ 覚書の作成

その後、控訴人は、Bから、本件保釈金のうち1500万円はAが資金提供しているので、B刑事事件終了後、1500万円をAに返還してほしいとの依頼を受け、同年8月31日、控訴人名義で納付した本件保釈金のうち1500万円について、B刑事事件終了後にAに返還することをBとの間で約束する旨のBあて覚書(以下「本件覚書」という。甲4)に署名、押印し、これをBに手交した。

ウ 本件保釈金のBへの返還

松山地方裁判所は、平成9年10月27日、B刑事事件について、Bに対し懲役4年の実刑判決を言い渡した。控訴人ら弁護人は、即日、控訴すると共に保釈を請求したところ、同裁判所が保釈保証金6000万円で保釈を許可する決定をしたので、控訴人は、Bの依頼を受けて、控訴人名義で本件保釈金の充当許可を得ると共に控訴人ら弁護人連名の保証書を差し入れ、同日、Bは釈放された。

控訴人ら弁護人は、その後、Bの弁護人を辞任した。

高松高等裁判所は、平成12年3月28日、B刑事事件について、Bに対し執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。

その後、Bの依頼を受けて裁判所から本件保釈金及び保証書の還付を受けた控訴人は、Bから、本件覚書記載の約束(本件保釈金のうち1500万円をAに返還すること)を取り消し、本件保釈金全額をBに直接返還してほしいとの依頼を受け、本件保釈金全額をBに返還した。

エ 前件高裁判決による本件賠償責任の発生

Aは、平成15年1月9日に前件訴訟を提起し、1審は、Aの請求を棄却する判決を言い渡したが、控訴審である高松高等裁判所は、控訴人の本件賠償責任を認め、控訴人に対し1500万円及びこれに対する平成15年1月29日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金をAに支払うよう命じる前件高裁判決を言い渡し、前件高裁判決が最終的に確定した。

本件賠償責任は、控訴人がBの刑事弁護人として行った本件保釈金の納付及び還付に起因して生じたものであるから、本件特約条項1条1項により被控訴人がてん補責任を負うべき保険事故に当たることは明らかである。

オ 控訴人の損害の発生

控訴人は、平成18年2月ころまでに、Aに対し、前件高裁判決に基づく損害金元本1500万円及び遅延損害金の合計1725万円を支払い(甲3の3)、また、前件訴訟の応訴のため選任した代理人弁護士に対し、弁護士費用として合計150万円を支払い(甲3の1・2)、合計1875万円の損害を被った。

このうち、控訴人が支払った上記1725万円は、本件保険約款2条1項1号所定の「損害賠償金」に当たり、控訴人が支払った上記150万円は、本件特約条項6条1項、2項により被控訴人の承認を得たとみなされる代理人弁護士に支払った訴訟費用等(本件保険約款2条1項4号)又は同項3号所定の「必要または有益であった費用」に当たる。

(2)  被控訴人の主張

控訴人は、前件高裁判決に基づき、Aに対し、遅延損害金を含めて合計1725万円を支払ったほか、前件訴訟の応訴のため選任した代理人弁護士に対し、弁護士費用として合計150万円を支払った旨主張しながら、他方で、本件の訴状や準備書面等において、前件高裁判決の事実認定及び法律判断を争い、控訴人はAに対し損害賠償責任を負わないなどと主張している。

控訴人の上記主張は、本件特約条項1条1項所定の保険事故の発生及び本件保険約款2条1項各号所定の損害の発生を否定する主張にほかならないから、被控訴人は、控訴人の上記主張を被控訴人に有利に援用する。

したがって、本件では、控訴人主張の保険事故及び損害は発生していないというべきである。

2  免責その1-本件保険約款4条1号又は本件特約条項3条1号の該当性

(1)  被控訴人の主張

ア 前件高裁判決は、控訴人が本件賠償責任を負う理由について、要旨、AとBとの間で、Bが控訴人から返還される予定の本件保釈金のうち1500万円をAがBの代わりに受領する旨の代理受領委任契約が成立し、控訴人がAに対しこれを承諾したこと、ところが、控訴人は、Bに対し本件保釈金の全額を返還することにより、上記契約上のAの利益を侵害すること(控訴人とAとの間で当該利益を巡る紛争が生じること)を予見した上で、あえてBに対し本件保釈金全額を返還したものであるとの認定判断を明確にしている。

イ このように、控訴人の負う本件賠償責任は、本件保険約款4条1号にいう「被保険者または保険契約者の故意によって生じた賠償責任」に該当するというべきであり、仮にそうでないとしても、少なくとも本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為(中略)に起因する賠償責任」に該当するというべきである。

ウ したがって、被控訴人は、保険金の支払義務を負わない。

(2)  控訴人の主張

ア 控訴人が署名、押印した本件覚書(甲4)は、Bが控訴人に対し、本件保釈金のうち1500万円をAの銀行預金口座に送金することを依頼し、控訴人がBに対し上記依頼を承諾することを約束するという控訴人とBとの間の文書であって、Aはあくまで第三者である。本件覚書の名宛人も、AではなくBである。前件訴訟の1審判決も、本件覚書は、本件保釈金が戻ったときはそのうち1500万円をBではなく直接その出捐者に返還することを控訴人とBとの間で約束した文書にすぎない旨判断している。

イ これに対し、前件高裁判決は、本件覚書について、AとBとの間の代理受領委任契約を控訴人がAに対し承諾する旨の文書であると解した上、本件保釈金全額をBに返還した行為は、Aの代理受領委任契約上の利益を侵害する行為であると判断して、本件賠償責任を認めた。

しかしながら、仮に、AとBとの間で代理受領委任契約が締結され、控訴人がAに対し同契約を承諾したのであれば、AとBとの間の債権取立て受領委任契約書と控訴人名義のAあて債権支払方法の承諾を依頼する文書及び承認書が作成されているはずである。ところが、本件覚書には、AとBとの間に債権取立て受領委任契約が締結されたと解釈すべき記載はなく、控訴人がAに対し直接取立てを承認する意思が表明されたような記載もない

したがって、本件覚書をもって、AとBとの間に代理受領委任契約が締結され、控訴人がAに対し同契約を承諾したと解釈することは到底困難である。

そもそも、前件高裁判決は、本件覚書の意味内容等を判断する前提事実を誤認した違法があるし、本件覚書の解釈適用を誤った違法がある。

ウ Bの依頼を受けて裁判所から本件保釈金の還付を受けた控訴人は、平成12年3月29日、Bから本件保釈金全額の返還依頼を受け、本件保釈金全額をBに返還した。

そもそも、控訴人は、B刑事事件の控訴審でBの弁護人を辞任したのであるから、B刑事事件の1審判決後のBの再保釈のため控訴人が納付した本件保釈金及び弁護人連名の保証書の還付手続はもとより、控訴人がBに対し本件保釈金全額を返還した上記行為は、Bからの新たな依頼(委任)に基づくものである。

また、本件覚書は、B刑事事件の1審段階における控訴人とBとの間の委任契約に係る文書であるが、B刑事事件の1審判決後の再保釈請求の段階で、Bは、控訴人に対し、保釈保証金6000万円のうち5000万円を本件保釈金でもって充当するよう指示し、保釈後に控訴人は弁護人を辞任しているから、本件覚書は、遅くとも控訴人が弁護人を辞任した時点で効力を失ったというべきである。仮にそうでないとしても、Bが平成14年1月24日に死亡したことにより、本件覚書で合意された控訴人とBとの間の委任契約は、民法653条1号により終了したというべきである。

したがって、本件覚書をもって、AとBとの間の代理受領委任契約を控訴人がAに対し承諾し、これにより法律上の効果が生じたとの誤った解釈、判断をし、控訴人の本件賠償責任を認めた前件高裁判決は、常軌を逸した違法な判断であり、致命的な瑕疵がある。

エ 本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為」とは、同号で定める過失犯を除く「犯罪行為」と同列に扱っていることに照らし、故意犯と同視できるほどの過失、すなわち、損害の発生を予見し、これを認容していること(認容ある過失)が要求され、また、犯罪行為と同程度の強度の違法性が要求されると解すべきである。

オ 以上によれば、控訴人が本件覚書に署名、押印したことにより、AとBとの間に代理受領委任契約が成立したことを認識し得なかったばかりでなく、本件覚書に反して本件保釈金全額をBに返還すれば上記契約上のAの利益を侵害することを予見することはできず、予見できたとしてもこれを認容していなかったから、控訴人の負う本件賠償責任は、本件保険約款4条1号にいう「被保険者または保険契約者の故意によって生じた賠償責任」に該当しないのはもとより、本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為(省略)に起因する賠償責任」にも該当しないというべきである。

3  免責その2-本件保険約款16条1項1号又は5号所定の通知義務違反

(1)  被控訴人の主張

ア Aが前件訴訟を提起したのは平成15年1月9日であり、前件訴訟の1審判決に対しAが控訴したのは平成16年2月25日であり、前件高裁判決の言渡しがされたのは平成18年1月12日であるところ、控訴人は、控訴人とAとの間の紛争が具体化したことにつき、遅くとも前件訴訟の訴状が控訴人に送達された時点で明確に認識していたはずである。そして、本件保険約款16条1項1号及び5号の各規定からすると、控訴人は、遅くとも前件訴訟の1審第1回口頭弁論期日までに、被控訴人に対し、保険事故の発生(Aから前件訴訟を提起されたこと)を書面で通知すべき義務があったというべきである。

イ ところが、控訴人が、上記保険事故の発生を被控訴人に通知したのは、前件高裁判決に対し控訴人が「上告提起及び上告受理申立理由書」を提出した平成18年3月8日(甲11)すら経過した同年4月13日であり、本件保険約款16条1項1号及び5号所定の通知義務に違反している。

ウ したがって、本件保険約款16条2項により、被控訴人は、保険金の支払義務を負わない。

(2)  控訴人の主張

ア 控訴人は、被控訴人との間で本件保険契約を締結するに当たり、被控訴人の代理店である有限会社リスクマネジメント愛媛(以下「本件代理店」という。)の担当者に対し、平成15年1月9日にAが前件訴訟を提起したことを同年6月3日の契約締結時に、平成16年2月18日に前件訴訟の1審判決の言渡しがあったこと及び同月25日にAが控訴したことを同年6月22日の契約時に、平成18年1月12日に前件高裁判決の言渡しがあったこと並びに控訴人が上告提起及び上告受理申立てをしたことを同年5月24日の契約時にそれぞれ口頭で説明し、本件保険約款16条1項1号及び5号所定の通知義務を履行している。

したがって、控訴人は、本件保険約款16条1項1号又は5号所定の通知義務に違反していない。

イ 被控訴人は、本件保険契約を締結するに当たり、控訴人に対し重要事項を説明すべき義務を負っており、被控訴人の免責事由になる本件保険約款16条1項各号所定の通知義務の内容等について、重要事項として控訴人に説明すべき義務があった。

ところが、本件代理店の担当者は、本件保険契約締結の際、控訴人に対し、本件保険約款16条1項各号所定の通知義務の内容等を何ら説明しなかったばかりでなく、控訴人が上記アのとおりAから前件訴訟を提起されたこと等を説明した際も、本件保険約款16条1項各号所定の通知義務の内容等を説明しなかった。

したがって、仮に、控訴人に本件保険約款16条1項1号又は5号所定の通知義務違反があるとしても、その責任は重要事項を説明しなかった被控訴人にあるから、被控訴人は免責されないというべきである。

(3)  被控訴人の反論

ア 仮に、控訴人が本件代理店の担当者に対し、本件保険契約締結の際、前件訴訟の提起等の事実を伝えていたとしても、いずれも口頭によるものであって、本件保険約款16条1項1号所定の書面による通知でないから、同号に違反していることに変わりはない。

イ 控訴人は、上記(2)イで被控訴人の説明義務違反を主張するが、保険代理店が契約書等に精通しているはずの弁護士である控訴人に対し、保険事故が発生した場合は直ちに被控訴人に書面で通知しなければならないと明確に規定され、何ら特殊な解釈をする必要のない本件保険約款16条1項各号の内容等を逐一説明しなければならない義務があるとは解されない。

したがって、控訴人の上記(2)イの主張は失当である。

第4当裁判所の判断

1  判断の大要

当裁判所も、控訴人の負う本件賠償責任は、本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為」に起因する賠償責任に当たると認められ、被控訴人は保険金支払義務を免れるから、控訴人の請求は理由がないと判断する。その理由は、次のとおりである。

2  争点1(保険事故及び損害の発生の有無)について

(1)  保険事故及び損害の発生

ア 前記前提事実(2)のとおり、前件高裁判決は、控訴人がBの弁護人として納付し、還付を受けた本件保釈金の全額をBに返還した行為が、AとBとの間の代理受領委任契約上のAの利益を侵害するものであると判断して控訴人の本件賠償責任を認め、控訴人に対し1500万円及びこれに対する平成15年1月29日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金をAに支払うよう命じたものである。

そして、本件賠償責任が、本件特約条項1条1項にいう「被保険者が弁護士法に規定される弁護士の資格に基づいて遂行した同法第3条に規定される業務(中略)に起因して」負担した「法律上の賠償責任」に当たることは明らかである。

イ 前記前提事実(3)のとおり、控訴人は、前件高裁判決後の平成18年2月ころまでに、Aに対し、前件高裁判決に基づく損害金元本1500万円及び遅延損害金の合計1725万円を支払い、また、前件訴訟の応訴のため選任した代理人弁護士に対し、弁護士費用として合計150万円を支払っており、合計1875万円の損害を被っていると認められる。

そして、上記1725万円が本件保険約款2条1項1号にいう「損害賠償金」に当たることは明らかであり、上記150万円は、本件特約条項6条により被控訴人の承認を得て支出したものとみなされる訴訟費用等(本件保険約款2条1項4号)に当たると認めることができる。

ウ したがって、被控訴人は、被控訴人主張の免責の抗弁が認められない限り、保険金の支払義務を免れないというべきである。

(2)  被控訴人の主張の検討

ところで、控訴人は、本件訴訟において、前件高裁判決で控訴人が本件賠償責任を負うとされた認定判断を争い、被控訴人は、控訴人のかかる訴訟態度を捉えて、控訴人主張の保険事故及び損害は発生していない旨主張する。

しかしながら、控訴人の本件訴訟における主張は、被控訴人が主張する本件保険約款4条1号又は本件特約条項3条1号所定の免責事由には当たらないことを基礎づける一事情として主張する趣旨と解され、保険事故及び損害の発生を否定する主張をしているとまでは解し得ないから、本件特約条項1条1項所定の保険事故及び本件保険約款2条1項所定の損害が発生しているとの上記(1)の判断は、左右されないというべきである。

したがって、被控訴人の主張は採用できない。

3  争点2(免責その1-本件保険約款4条1号又は本件特約条項3条1号の該当性)について

(1)  事実の認定

前記前提事実に加え、証拠(甲6のほか、後掲の括弧内に摘示した証拠)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

ア Bの保釈に至る経緯

(ア) 控訴人は、B刑事事件につき、弁護人として、他の弁護人と連名で、松山地方裁判所に対しBの保釈を請求し、同裁判所は、平成7年3月27日、保釈保証金5000万円で保釈を許可する決定をした(甲17、27)。

(イ) Aは、同日、a建設株式会社(以下「a建設」という。)のオーナーであるCの依頼を受けて、Bの保釈保証金5000万円に充てるため、控訴人名義の銀行預金口座に1500万円を振込送金した(以下、この送金を「本件1500万円の振込送金」という。)。また、同じくBの保釈保証金5000万円に充てるため、a建設が1500万円、D(以下「D」という。)が2000万円をそれぞれ準備した(乙1、乙5)。

(ウ) 控訴人は、Bが代表取締役を務めるb開発株式会社(以下「b開発」という。)のEから本件1500万円の振込送金の連絡を受け、直ちに自己の法律事務所の事務員をして、控訴人の上記銀行預金口座から1500万の払戻しを受け、a建設が準備した1500万円及びDが準備した2000万円とを合わせて現金5000万円を用意した。そして、控訴人は、控訴人名義で松山地方裁判所に上記5000万円を納付し(納付した現金が本件保釈金である。甲28)、同日、Bは釈放された(乙2)。

イ 本件保釈金の出捐者間の処理

(ア) Aは、平成7年3月27日、a建設との間で、本件1500万円の振込送金について、Aがa建設に対し1500万円を貸し付けたものとして処理し、a建設は、同日、b開発との間で、a建設がb開発に対し3000万円(Aからの借入金として処理した1500万円とa建設が準備した1500万円の合計額)を貸し付けたものとして処理した。

(イ) Dは、同日、同人が準備した2000万円について、Bとの間で、DがBに対し2000万円を貸し付けたものとして処理した。

ウ 本件覚書作成に至る経緯

(ア) Aは、平成7年6月ころ、控訴人の事務所を訪れて控訴人と面会し、控訴人に対し、本件1500万円の振込送金に係る振込依頼書を控訴人に示し、「Aが、Bの保釈保証金のうち1500万円を出捐した。Bの刑事裁判が終了して、控訴人が保釈保証金の還付を受ければ、うち1500万円はAに支払ってほしい。」旨依頼した。これに対し、控訴人は、「私は、誰がBの保釈保証金5000万円を用立てたか分からないので、私に分かるように5000万円の出捐者の内訳を出してほしい。」旨述べた(乙1)。

(イ) Aは、F(Cの弟でa建設の代表取締役)に対し、本件保釈金の出捐者とその内訳を記載した文書の作成を依頼し、Fは、同年7月11日、a建設が提供した3000万円の返還に関する文書2通(a建設が出捐した1500万円分とAが出捐した1500万円分)と、Dが提供した2000万円の返還に関する文書を作成し、A及びDにファクシミリで送信して文案の了解を得た(乙1、5)。

(ウ) Fは、同月13日ないし14日ころ、控訴人の事務所を訪れ、控訴人が不在であったので、同事務所の事務員に対し、本件保釈金の出捐者とその内訳を記載した文書2通を控訴人に渡してほしい旨述べてこれを手交した(乙5)。

(エ) Fは、同月19日ころ、保釈保証金として出捐した金員を控訴人から確実に返還してもらうため、A分、a建設分及びD分の各覚書(文案は本件覚書と同内容のもの)3通を作成し、控訴人の事務所に届けたところ、同事務所に在室していた控訴人は、Fに対し、「Bから聞いて分かっているから。」旨述べた(乙5)。

また、控訴人は、同日ころ、Aに対し、「保釈金返還の書類は受け取りました。保釈金は返還時に充分検討させて頂きます。」などと記載された同日付け手紙(乙7)を送付した。

(オ) 控訴人は、Fから受領した上記覚書3通について、事務員をして、パソコン等で下部の余白部分に「年月日」、「上記承諾しました」、「弁護士X」と印字し、「弁護士X」の名下に控訴人の弁護士印(職印)を押印した。

Fは、同月下旬ころ、b開発の営業部長であるGを通じて、控訴人から上記覚書3通のうちa建設分及びA分の覚書2通を受け取った(乙5)。

(カ) FからA分の覚書を受領したAは、別件で相談していたI弁護士に上記覚書の内容等に問題はないか尋ねたところ、I弁護士から、「そんなに心配だったら、X先生の自署をもらっておいたらどうですか。」との助言を受けた(乙1、6)。

そこで、Aは、Fに対し、控訴人の自署による覚書に作り直してほしい旨依頼し、Fは、再度覚書3通を作成してGにこれを手交し、控訴人に自署してもらうよう依頼した(乙4、5)。

(キ) Gは、同年8月3日、控訴人の事務所を訪れ、事務員に対し、上記覚書3通を渡し、控訴人の記名押印ではなく控訴人の自署と押印がほしい旨述べ、同事務所の事務局長であるHから、同人が上記覚書を受領した旨記載された同日付け書面を受け取った(乙4)。

(ク) その後、Aから控訴人の自署と押印のある覚書の作成を督促されたFは、Bに対し、控訴人に覚書への自署、押印をしてもらうよう控訴人事務所に催促してほしい旨依頼した(乙5)。

(ケ) Fは、同月31日、b開発の事務所を訪れ、Bに対し、控訴人の事務所に架電して控訴人に覚書への自署、押印をしてもらうよう控訴人に督促してほしい旨依頼した。そこで、Bが控訴人の事務所に架電したところ、控訴人の事務所から、「覚書を取りに来て下さい。」旨の返事があった。そこで、Fは、同日、Aと共に控訴人の事務所を訪れた。そして、Aが控訴人の事務員に対し、覚書を取りに来た旨を告げたところ、同事務員は、事務所にいた控訴人からA分の覚書(本件覚書。甲4)とa建設分の覚書(甲18)を受け取り、これをAに交付し、Aは、a建設分の覚書をFに交付した(乙1、5)。

エ 本件覚書の記載内容等

本件覚書(甲4)には、平成7年3月27日に仮釈放となったBに対する保釈保証金5000万円(本件保釈金)のうち1500万円はAが資金提供をしているので、Bの裁判終了後、弁護士からAに対し提供資金を返納してほしい旨が記載されており、下部の余白部分には、控訴人の自署で「平成7年8月31日」、「B殿」、「上記承諾致しました」、「弁護士X」と記載され、「弁護士X」の名下に控訴人の弁護士印(職印)が押印されている。

a建設分の覚書(甲18)及びD分の覚書(甲19)にも、本件覚書と概ね同内容の記載がされ、下部の余白部分には本件覚書と同じ控訴人の自署及び押印がある。

オ 本件覚書作成後の控訴人とBの行動等

(ア) Bは、平成9年8月8日、控訴人の事務所を訪れ、控訴人に対し、「b開発とa建設との債権債務関係を相殺し、保釈保証金の貸借関係も清算した。したがって、Bの刑事裁判終了後、控訴人が還付を受ける保釈保証金5000万円(本件保釈金)のうち3000万円については、先にしていた保釈保証金返還者の指定(Aに1500万円を返還し、a建設に1500万円を返還すること)を取り消し、Bに全額を返還してほしい。」旨申し入れ、控訴人もこれを了承した。

(イ) 松山地方裁判所は、平成9年10月27日、B刑事事件につき、Bに対し懲役4年の実刑判決を言い渡した(甲20)。控訴人ら弁護人は、即日、控訴すると共に保釈を請求したところ、同裁判所は、同日、保釈保証金を6000万円とし、うち5000万円は先の保釈保証金5000万円(本件保釈金)をもって充て、残金1000万円は控訴人ら弁護人連名の保証書をもって保証金に代えることを許可するなどして保釈を許可する決定をした(甲21、29)。

控訴人は、同日、本件保釈金を上記保釈保証金6000万円に充当する手続をするとともに、控訴人ら弁護人連名の保証書を差し入れ、同日、Bは釈放された。

(ウ) Bは、平成11年6月28日、本件保釈金のうち2000万円はDが出捐しているので、B刑事事件終了後、控訴人からDに対し提供資金を返納してほしい旨の控訴人あて覚書を作成し、控訴人は、上記覚書下部の承諾書欄に「弁護士X」と署名し、弁護士印(職印)を押印した(甲14)。また、控訴人は、Bから、上記覚書に基づく保釈金返還約束につき、保釈金の出捐者がBであることを誓約し、D以外に保釈金の出捐者が存在し紛争が生じた場合には、Bにおいて責任をもって解決する旨の記載のある同日付け誓約書(甲13)の交付を受けた。

(エ) 高松高等裁判所は、平成12年3月28日、B刑事事件につき、1審判決を破棄し、Bに対し執行猶予付きの有罪判決を言い渡した(甲22)。

控訴人は、翌29日、裁判所から本件保釈金と控訴人ら弁護人連名の保証書の還付を受け、同日、Bに対し、本件保釈金全額を返還した(甲23)。その際、Bは、本件保釈金はBの自己資金をEを使いとして控訴人に手交したことに間違いない旨記載された同日付け誓約書(甲16)を控訴人に交付した。

カ 前件訴訟の経過

(ア) Bは、平成14年1月24日、死亡した。

(イ) Aは、平成15年1月9日、松山地方裁判所に対し前件訴訟を提起した(甲5)。

(ウ) 松山地方裁判所は、平成16年2月18日、前件訴訟につき、要旨、本件覚書の作成経緯を前提とすれば、Aと控訴人との間で、平成7年8月31日に何らかの合意があったと解すること自体困難であるなどと判断して、Aの控訴人に対する請求を棄却する判決を言い渡した(甲31)。

(エ) これに対し、Aが控訴したところ、高松高等裁判所は、平成18年1月12日、前件高裁判決を言い渡した。

前件高裁判決のうち、控訴人が本件賠償責任を負うと判断した理由の骨子は、次のとおりである。

a Bは、遅くとも平成7年8月31日までに、Aに対し、Aが出捐した1500万円(Aのa建設に対する貸金1500万円)を担保する目的で、Bが控訴人から返還を受ける予定の本件保釈金のうち1500万円の代理受領を委任し、Aはこれを承諾した。

b 控訴人は、前同日、Aに対し、本件覚書を作成して上記委任契約の内容を了承し、本件保釈金の還付を受ければ、そのうち1500万円をAに直接支払うことを約した。

c ところが、控訴人は、平成12年3月29日、Aに1500万円を支払わず、本件保釈金全額をBに返還したのであり、これにより、Aが出捐した1500万円(Aのa建設に対する貸金1500万円)の代理受領委任契約上の利益を違法に侵害した。

(2)  検討

ア 上記(1)で認定した事実によれば、控訴人は、Bの弁護人として本件保釈金を裁判所に納付するに当たり、本件保釈金のうち1500万円はAが控訴人の銀行預金口座に振込送金したものであることを認識していたと認めることができる(控訴人は、前件訴訟の本人尋問において、かかる認識はなかった旨供述する〔乙2の3頁、4頁、18ないし20頁〕が、供述内容自体が全体的に不自然、不合理であり、にわかに信用できない。)。

そして、Aは、a建設との間で、本件1500万円の振込送金につき、Aがa建設に対し1500万円を貸し付けたものとして処理し、a建設は、Bが代表取締役を務めるb開発との間で、Aからの上記借入金1500万円とa建設が出捐した1500万円の合計3000万円をa建設がb開発に貸し付けたものとして処理し、Dは、Bとの間で、Dが出捐した2000万円をDがBに貸し付けたものとして処理したのであるから、Bは、自己が代表取締役を務めるb開発のa建設に対する借入金として処理した3000万円の中に、Aが出捐し、Aのa建設に対する貸付金として処理した1500万円(本件1500万円の振込送金)が含まれていることを当然認識していたと認めることができる。

イ 上記(1)で認定した事実によれば、Aは、平成7年6月以降、Aが出捐した1500万円の返還が確実に受けられるようにするため、控訴人と面会し、本件1500万円の振込送金に係る振込依頼書を示して、B刑事事件が終了して本件保釈金が還付された時点で1500万円をAに直接支払ってほしい旨申し入れたり、控訴人の求めに応じて、a建設の代表取締役を務めるFをして、本件保釈金の出捐者と出捐額の内訳を記載した文書を作成させたり、B刑事事件が終了して本件保釈金の還付がされた時点で本件保釈金を出捐者に直接支払うよう依頼する覚書(本件覚書と同内容のもの)を同年7月19日ころまでに控訴人の事務所に届けているのであるから、控訴人は、同日時点で、A、a建設及びDが本件保釈金の出捐者であり、B刑事事件が終了して本件保釈金が還付されれば、直接、控訴人からAら出捐者に対し直接金員を返還することをAらが求めていることを認識していたと認めることができる。このことは、控訴人がAに対し、「保釈金返還の書類は受け取りました。保釈金は返還時に充分検討させて頂きます。」旨記載された同日付け手紙(乙7)を送付していることや、控訴人が、事務員をして、Fが控訴人の事務所に届けた上記覚書の下部の余白部分に「年月日」、「上記承諾しました。」、「弁護士X」と印字し、「弁護士X」の名下に控訴人の弁護士印(職印)を押印したことからも裏付けることができる(控訴人は、陳述書〔甲25の7頁〕において、控訴人がAに対し手紙〔乙7〕を送付した事実はない旨陳述するが、控訴人の事務所の事務員が弁護士に無断でAに控訴人名義の手紙を送付したとは考えられず、到底採用できない。)。

ウ 上記イのとおり、控訴人は、本件保釈金を出捐したA、a建設及びDが控訴人に対し、本件保釈金還付時に直接出捐者に支払うよう求めていることを認識していたところ、上記(1)で認定した事実によれば、控訴人は、Aのみならず、同人及びFの意向を受けたBからも、本件覚書への控訴人の自署及び押印を求められていたのであるから、遅くとも同年8月31日までに、BとAの間において、Aが出捐した1500万円の同人への返還を確実なものとするため、本件保釈金が控訴人に還付された時点で、本件保釈金の中から1500万円をAが控訴人から直接支払を受ける権限をBがAに付与する合意(前件高裁判決でいう「代理受領委任契約」)が成立していることを認識した上、本件保釈金の中から1500万円をAに直接返還することをAに対し承諾したものと認めるのが相当である。

その後、控訴人は、本件覚書(甲4)の下部の余白部分に「平成7年8月31日」、「B殿」、「上記承諾致しました」、「弁護士X」と自署し、「弁護士X」の名下に控訴人の弁護士印(職印)を押印しているが、上記(1)で認定した事実によれば、本件覚書は、本件保釈金のうちAが出捐した1500万円について、B刑事事件が終了して控訴人が本件保釈金の還付を受けた時点で、BではなくAに返還することを控訴人がAに対し承認していることを確認したとの事実関係をBに報告する趣旨の文書と解すべきであって、ただ、かかる趣旨の文書が、本来報告を受けるべき名宛人であるBではなく、Aに交付されたにすぎないと解するのが相当である。いいかえれば、本件覚書は、BがAに対し1500万円の代理受領権限を委任し、控訴人がAに対しこれを承諾するという法律効果をもたらす趣旨の処分証書というよりも、既に上記のような法律関係が成立していることを控訴人が確認したという事実関係をBに報告する文書であると解するのが相当である。

エ 上記(1)で認定した事実によれば、B刑事事件の1審判決に対し、控訴人は、Bの他の弁護人とともに、即日、控訴すると共に再保釈の請求をして保釈保証金6000万円での保釈許可決定を得て、本件保釈金を保釈保証金6000万円の一部に充当する手続をした後、Bの弁護人を辞任しているところ、他方で、控訴人は、平成11年6月28日、Bから、2000万円を出捐したDとBとの間の保釈金返還約束につき、保釈金の出捐者がBであることを誓約し、D以外の保釈金の出捐者が存在し紛争が生じた場合にはBにおいて責任をもって解決する旨記載された同日付け誓約書(甲13)の交付を受け、B刑事事件の控訴審判決後の平成12年3月29日、Bの依頼を受けて裁判所から本件保釈金の還付を受けた控訴人は、Bからの本件保釈金全額の返還依頼に基づき、本件保釈金全額をBに返還し、その際、Bから、本件保釈金はBの自己資金をEの使いとして控訴人に手交したことに間違いない旨記載された同日付け誓約書(甲16)の交付を受けている。

上記ウで説示したとおり、控訴人は、遅くとも平成7年8月31日までに、BとAの間において、Aが出捐した1500万円の同人への返還を確実なものとするため、本件保釈金が控訴人に還付された時点で、本件保釈金の中から1500万円をAが控訴人から直接支払を受ける権限をBがAに付与する合意が成立していることを認識した上、本件保釈金の中から1500万円をAに直接返還することをAに対し承諾したと認められることからすると、控訴人が、1500万円の代理受領権限を有するAの意向を確認することなく、Bからの依頼のみに基づき、漫然と本件保釈金の全額をBに返還した行為は、AとBとの間の1500万円の代理受領に関する合意上のAの利益を侵害するものといわざるを得ない。

そして、上記ア及びイで説示したとおり、控訴人は、本件保釈金の出捐者がA、a建設及びDであり、同人らが控訴人に対し、本件保釈金還付の時点で本件保釈金の中から直接Aらに支払うよう求めていることを認識していたほか、遅くとも平成7年8月31日までに、BがAに1500万円の受領権限を付与したことを認識した上でAに対しこれを承諾し、本件覚書(甲4)にも自署、押印しながら、他方で、平成11年6月28日にBから誓約書(甲13)の差入れを受け、本件保釈金全額をBに返還した際もBから誓約書(甲16)の差入れを受け、しかも、上記各誓約書の記載内容(本件保釈金の出捐者)が従前の控訴人の認識と異なることを当然知っていたと考えられることからすると、控訴人は、本件保釈金全額を出捐者であるA、a建設及びDではなくBに返還すれば、Aらが出捐額と同額の損害を被り、控訴人とAら出捐者との間で紛争が生じるであろうことを認識した上、現実に紛争が生じた場合にはBに全責任を負わせることにより控訴人の責任を免れる意図の下、あえて本件保釈金全額をBに返還したと認めるのが相当である。

オ そうだとすると、前件高裁判決で控訴人が負うとされた本件賠償責任は、少なくとも、本件保釈金全額をBに返還すればAに出捐額1500万円相当の損害を与えるべきことを控訴人が予見した上で、あえて本件保釈金全額をBに返還したという行為に起因するものと認められ、本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為(中略)に起因する賠償責任」に当たると認めるのが相当であるから、被控訴人は、本件賠償責任によって被った控訴人の損害について、これをてん補すべき義務を免れるというべきである。

(3)  控訴人の主張の検討

ア 控訴人は、本件覚書をもって、AとBとの間に代理受領委任契約が締結され、控訴人がAに対しこれを承認したと解釈することは到底困難である旨主張する。

しかしながら、本件覚書は、いわゆる処分証書というよりも、Bを名宛人とする報告文書であると解すべきであることは、上記(2)ウで説示したとおりである。また、上記(1)の認定事実によれば、控訴人は、遅くとも平成7年8月31日までに、AとBの間において、Aが出捐した1500万円の同人への返還を確実なものとするため、本件保釈金が控訴人に還付された時点で、本件保釈金の中から1500万円をAが控訴人から直接支払を受ける権限をBがAに付与する合意が成立していることを認識した上、本件保釈金の中から1500万円をAに直接返還することをAに対し承諾したものと認められるから、AとBの間の上記合意を代理受領委任契約と呼称するかどうかはともかく、上記合意により保護されるべきAの利益を控訴人が正当な理由なく侵害してはならないことを控訴人が認識していたことは明らかである。

したがって、控訴人上記主張は採用できない。

イ 控訴人は、本件覚書に自署、押印した後、B刑事事件の控訴審における弁護人を辞任したから、本件覚書は効力を失ったというべきであり、また、本件保釈金の還付手続はもとより、本件保釈金全額をBに返還した行為は、Bからの新たな依頼(委任)に基づくものであるから、本件覚書の作成とは無関係である旨主張する。

しかしながら、本件覚書は、控訴人とBとの間の約束文書(処分証書)というよりも、Bを名宛人とする報告文書にすぎないと解すべきであることは前示のとおりである。また、控訴人がB刑事事件の控訴審で弁護人を辞任したという法律関係(弁護人選任〔委任〕契約を締結し、その後、解約したこと)と、AとBの間の合意によりBがAに付与した1500万円の受領権限を控訴人が承諾したことにより生じた法律関係は、全く別個のものであるから、控訴人がBの弁護人を辞任したからといって、AとBの間の合意に基づくAの1500万円の受領権限を控訴人が承諾したことにより生じた法律関係が影響を受けるものではない。

したがって、控訴人上記主張は採用できない。

ウ 控訴人は、本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為」とは、同号で定める過失犯を除く「犯罪行為」と同列に扱っていることに照らし、故意犯と同視できるほどの過失、すなわち、損害の発生を予見し、これを認容すること(認容ある過失)が要求され、また、犯罪行為と同程度の強度の違法性が要求されると解すべきである旨主張する。

しかしながら、本件特約条項3条1号の文言解釈上、控訴人が主張するような解釈をすることには疑問が残るが、その点はともかく、上記(2)エで説示したとおり、控訴人は、Aが本件保釈金の中から1500万円を控訴人から直接支払を受ける権限をBから付与されていることを認識し、Aに対しこれを承諾しながら、その後、Bから誓約書(甲13、16)の交付を受けていたのであり、そのような事実関係の下において、控訴人が本件保釈金をBに全額返還すれば、Aに対し損害を与えることになることを予見し、かつ、そのことを認容していたというべきであるから、控訴人が本件保釈金全額をBに返還した行為は、本件特約条項3条1号にいう「他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為」に当たるといわざるを得ない。

したがって、控訴人の上記主張は採用できない。

4  結語

以上によれば、控訴人の請求は、被控訴人主張のその余の免責事由(控訴人の故意、通知義務違反)について検討するまでもなく理由がないことに帰する。

第5結論

よって、控訴人の請求を棄却した原判決は、以上と同旨をいうものとして相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 紙浦健二 裁判官 小池晴彦 島岡大雄)

(別紙1)賠償責任保険普通保険約款(抄)

(当会社のてん補責任)

第1条 当会社は、この約款に従い、被保険者が特約条項記載の事故(以下「事故」といいます。)により、他人の生命もしくは身体を害し(以下「身体の障害」といいます。)またはその財物を滅失、き損もしくは汚損(以下「損壊」といいます。)した場合において、法律上の賠償責任を負担することによって被る損害(以下「損害」といいます。)をてん補します。

(損害の範囲および責任限度)

第2条 当会社が、てん補する損害の範囲は、次のとおりとします。

(1) 被保険者が被害者に支払うべき損害賠償金(後略)

(2) (省略)

(3) 被保険者が第16条(事故の発生)第1項第3号の手段を講ずるために支出した必要または有益であった費用

(4) 被保険者が当会社の承認を得て支出した訴訟費用、弁護士報酬または仲裁、和解もしくは調停に関する費用

(5) (省略)

2項ないし4項 (省略)

(免責)

第4条 当会社は、直接であると間接であるとを問わず、被保険者が次に掲げる賠償責任を負担することによって被る損害をてん補しません。

(1) 被保険者または保険契約者の故意によって生じた賠償責任

(2)ないし(8) (省略)

(事故の発生)

第16条 保険契約者または被保険者は、事故が発生したことを知ったときは、次の事項を履行しなければなりません。

(1) 事故発生の日時、場所、被害者の住所氏名、事故の状況およびこれらの事項の証人となる者があるときはその住所氏名を、また損害賠償の請求を受けたときはその内容を、遅滞なく書面で当会社に通知すること。

(2) (省略)

(3) 損害を防止軽減するために必要な一切の手段を講ずること。

(4) (省略)

(5) 損害賠償責任に関する訴訟を提起しまたは提起されたときは、直ちに当会社に通知すること。

2 保険契約者または被保険者が、正当な理由がなくて前項各号の義務に違反したときは、当会社は、第1号および第5号の場合は損害をてん補しません。また、第2号および第3号の場合は防止軽減することができたと認められる損害額(中略)をそれぞれ控除して、てん補額を決定します。

(別紙2)弁護士特約条項(抄)

(当会社のてん補責任)

第1条 当会社は、賠償責任保険普通保険約款(以下「普通約款」といいます。)第1条(当会社のてん補責任)の規定にかかわらず、被保険者が弁護士法に規定される弁護士の資格に基づいて遂行した同法第3条に規定される業務(以下「業務」といいます。)に起因して、法律上の賠償責任を負担することによって被る損害をてん補します。

2項 (省略)

(保険期間と保険責任の関係)

第2条 当会社は、被保険者が、保険期間中に遂行した業務に起因して、保険期間中または保険期間終了後5年以内に、日本国内において損害賠償請求(以下「請求」といいます。)を提起された場合に限り、損害をてん補します。

(免責)

第3条 当会社は、直接であると間接であるとを問わず、普通約款第4条(免責)各号に掲げる賠償責任のほか、被保険者が次の各号に掲げるいずれかの賠償責任を負担することによって被る損害をてん補しません。

(1) 被保険者の犯罪行為(過失犯を除きます。)または他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為(不作為を含みます。)に起因する賠償責任

(2)ないし(10) (省略)

(弁護士の選任)

第6条 被保険者は、請求に関し、訴訟、仲裁、和解または調停の手続を行うときは、自ら弁護士を代理人として選任することができます。

2 当会社は、普通約款第2条(損害の範囲および責任限度)第1項第4号の承認をする場合において、代理人である弁護士の選任については、被保険者の決定のとおり承認します。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例