大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 平成2年(ラ)43号 決定 1990年8月15日

抗告人 柴田勇也

主文

一  原審判を取り消す。

二  抗告人の名「勇也」を「湧也」に変更することを許可する。

理由

一  本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、本件を高知家庭裁判所中村支部に差し戻す、との裁判を求める。」というのであり、抗告の理由は、「1 抗告人の父母は、抗告人に「『湧』也」と命名したかつたが、出生時(平成2年1月12日)において「湧」の文字が人名用漢字として認められていなかつたので、他の名を含め検討していたところ、新聞報道により同年4月から「湧」の文字が人名用漢字として認められることを知つた。そこで、中村市役所に問い合わせたところ、「4月になつて申請すれば、名の変更は直ぐにできる。」という趣旨の回答を受けたので、名の変更が許されることを前提として、取敢えず見た目で似ている「勇」の文字を代用し「『勇』也」の名で届け出た。市役所は、名の変更について審判を下す機関でないことは言うまでもないが、信頼すべき公的機関であるので、その回答を信じ出生届は「勇也」としたものの、「名付け」は「『湧』也」として今日まで通用させている。2 また、対外的にも友人知人等に「湧也」の名を広く周知させており、抗告人の日常生活においては既に「湧也」の名で通つている。3 以上の事実は、改名の正当な事由にあたり、改名の申立てを却下した原審判は不当である。」というのである。

二  そこで、検討するに、一件記録によれば、次の事実が認められる。

1  抗告人は、平成2年1月12日、父柴田哲明、母柴田理子の二男として出生した。

2  抗告人の命名人である父母は、抗告人の名を「湧也」と命名しようとしたところ、「湧」の漢字が常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)及び人名用漢字別表〔戸籍法施行規則(昭和22年司法省令第94号)別表第二〕に掲げる漢字に含まれていないことが判明した。

3  ところが、抗告人の父母は、たまたま新聞報道により近々人名用漢字別表が改正され「湧」の漢字が人名として使用できるようになることを知つた。そこで、抗告人の父母は、市役所戸籍係の係員に問い合わせたところ、同係員から近く人名用漢字別表が改正されるのであれば改正後に家庭裁判所に名の変更許可の申立てをすれば名の変更の許可が得られるかも知れないとの回答を得た。

4  そこで、抗告人の父母は、人名用漢字別表が改正されれば、戸籍上の抗告人の名を「湧也」に変更することができるものと考え、実際には抗告人に「湧也」と命名しながら、出生届では当用漢字にある「勇」を使つて「勇也」とした。

5  平成2年3月1日、戸籍法施行規則の一部を改正する省令(平成2年法務省令第5号)により同規則別表第二人名用漢字別表が改正され、新たに「湧」の漢字を人名に使用することが認められ、同規則は同年4月1日から施行された。

以上の事実が認められる。

三  思うに、名の変更に関しては、戸籍法107条の2に「正当な事由」の存在することを要する旨規定しているので、出生届当時、常用漢字表及び人名用漢字別表になかつた漢字が、その後の改正により新たに漢字の使用が許されることになつたということだけでは、直ちに名の変更について正当な事由があるとはいえないけれども、さりとて原審判のいうように「当人側に日常生活上変更しなければ具合の悪い事情などがあつて変更の必要が感ぜられ、それが社会からみても納得できるものである場合」というような変更を認めるべき積極的な事由の存在を要件とまで考えるべきものでもない。名は氏とともに個人を特定する呼称であり、これらをいたずらに変更するときは、個人の同一性の認識を巡つて社会に混乱を生じさせるから、無制限に許すべきでないことは言うまでもないが、名が個人の同一性の識別に関して占める割合は氏に比べてかなり低いものであり、一般社会生活においていつの間にか名を変更している知人などに遭遇することもままあるけれども、それが故に個人の同一性の認識において混乱を生じたというような経験はないといつても過言ではない。したがつて、名の変更は、前示原審判のように、変更を必要とする事由の存在という積極的要件のある場合のみ認められるべきであると解すべきではなく、名の変更を認めても個人の同一性の認識に混乱を生ずるおそれはないという消極的要件を以つて足りるものと解するのが相当である。

そこで、この見地に立つて本件をみるに、前記認定事実によると、抗告人の出生届がなされた時には、常用漢字表及び人名用漢字別表には「湧」の漢字はなかつたけれども、近々人名用漢字別表が改正され、抗告人の父母が抗告人に命名したいと望んでいた「湧也」の「湧」の漢字が新たに加えられることが予測できたので事実上は抗告人に「湧也」と命名しながら、戸籍の届出(出生届)では「勇也」としたのであるが、右出生届をした40日後の平成2年3月1日に戸籍法施行規則の一部を改正する政令により同規則の別表第二人名用漢字別表が改められて「湧」の字が人名用漢字として認められ、同規則は同年4月1日から施行されていること、抗告人は、現在生後約7か月であつて戸籍上の名を右のように変更しても、社会生活上同一性の認識について何の混乱も生じず、改名による対世的影響は皆無に等しいことが認められるのであつて、これらの諸事情に鑑みると、抗告人の名「勇也」を「湧也」に変更するについては、戸籍法107条の2所定の「正当な事由」があると認めることができる。

三  よつて、抗告人の名の変更の申立ては理由があるからこれを許可すべきところ、これを却下した原審判は不当であるから家事審判規則19条2項を適用してこれを取り消し、右の名の変更を許可することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 安國種彦 裁判官 山口茂一 井上郁夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例