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高松高等裁判所 平成21年(ネ)132号 判決 2011年9月15日

控訴人兼附帯被控訴人(1審被告)

愛媛県

同代表者愛媛県公営企業管理者

Z

同訴訟代理人弁護士

中村隆

平井利明

田邉昇

武輪耕世

被控訴人兼附帯控訴人(1審原告)

甲野次郎

同法定代理人親権者父

甲野太郎

同法定代理人親権者母

甲野花子

被控訴人兼附帯控訴人(1審原告)

外2名

上記3名訴訟代理人弁護士

貞友義典

廣田智子

須加厚美

主文

1  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

2  上記部分に係る被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  本件附帯控訴をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,第1,2審を通じ,被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1  控訴の趣旨等

1  控訴の趣旨

主文第1,2項と同旨。

2  附帯控訴の趣旨

(1)原判決を次のとおり変更する。

(2)控訴人は,被控訴人甲野次郎に対し,金9280万9868円及びこれに対する平成14年1月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)控訴人は,被控訴人甲野太郎に対し,330万円及びこれに対する平成14年1月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)控訴人は,被控訴人甲野花子に対し,330万円及びこれに対する平成14年1月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

1  本件は,主な症状として小下顎(下顎の後退),舌根沈下,上気道閉塞(狭窄)の3つが見られ,一般に気管内挿管が容易ではないピエールロバン症候群を発症していた男児(後記の低酸素脳症発症当時1歳1か月)である被控訴人甲野次郎(以下「被控訴人次郎」という。)が,控訴人が開設する愛媛県立Y病院(以下「控訴人病院」という。)に入院中,呼吸状態を悪化させて低酸素脳症の重篤な後遺障害を残したことについて,控訴人病院の医師が適切な処置をしなかった過失があるなどとして,被控訴人次郎が控訴人に対し,不法行為(民法715条,709条)又は診療契約上の債務不履行による損害賠償請求権に基づき,損害合計9280万9868円及びこれに対する不法行為の日である平成14年1月27日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,被控訴人次郎の父である被控訴人甲野太郎(以下「被控訴人太郎」という。)及び母である被控訴人甲野花子(以下「被控訴人花子」という。)が近親者の死亡に比肩すべき精神的苦痛を被ったとして,控訴人に対し,不法行為(民法715条,709条,710条)による損害賠償請求権に基づき,それぞれ損害合計330万円及びこれに対する平成14年1月27日から支払済みまで前同様の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

原審が控訴人病院の医師に過失があると認め,被控訴人らの請求を一部認容したところ,控訴人が控訴し,被控訴人らが附帯控訴した。なお,原審においては,被控訴人次郎は損害合計1億5293万9674円及びこれに対する平成14年1月27日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,被控訴人太郎及び同花子はそれぞれ損害合計771万8259円及びこれに対する平成14年1月27日から支払済みまで前同様の割合による遅延損害金の支払を求めていたが,当審において前記のとおり請求を減縮した。

2  本件の前提事実,争点,争点に対する当事者の主張は,次のとおり補正する以外,原判決の「事実及び理由」第2の1ないし3(原判決3頁13行目から7頁8行目まで,29頁冒頭から46頁末行まで)の記載と同じであるから,これを引用する。

(1)原判決4頁8行目の末尾の次に,改行の上次のとおり加え,9行目の「(3)」を「(4)」と,14行目の「(4)」を「(5)」と,5頁末行の「(5)」を「(6)」と各改める。

「(3)医学的知見

別紙「医学的知見」記載のとおりの医学的知見がある。」

(2)同4頁10行目冒頭から12行目末尾までを「被控訴人次郎(体重10.2kg)は,平成14年(以下,特に断らない限り,平成14年のことである。)1月25日22時35分ころ,控訴人病院に救急車で搬送され,控訴人病院小児科の救急当番であったD3医師(以下「D3医師」という。)の診察を受け,経過観察のため控訴人病院に入院した。」と,18,9行目の「被告病院医師D3(以下「D3医師」という。)」を「D3医師」と各改め,18行目の「SpO2」の次に「(経皮的動脈血酸素飽和度。パルスオキシメーターで計測する。)」を加える。

(3)同5頁3行目の「であった。」の次に「19時20分ころ,」を,7行目の「状態となった」の次に「(以下,この症状の急変を「本件急変」という。)」を,9行目の「受けて」の次に「19時30分ころ」を,10行目の「及び」の次に「これより少し遅れて駆け付けた」を,11行目の「という。)は」の次に「,いずれも」を,12行目の「その後,」の次に「19時45分ころ」を,13行目の末尾に「20時ころ,小児科のD8医師が訪室した。」を各加え,1行目の「19時過ぎ」を「19時10分」と,4行目の「挿入しようとした」を「挿入した」と,6行目の「押さえていた。」を「押さえていたところ,19時25分ころ,」と,14行目冒頭から24行目末尾までを次のとおり各改める。

「(ウ)20時30分ころ,D3医師から気管切開の依頼を受けた控訴人病院小児外科のD9医師が被控訴人次郎の病室を訪れ,20時50分ころ,被控訴人次郎に気管内挿管を試みたが成功せず,食道挿管となった。

(エ)21時を過ぎた後,D3医師は,被控訴人太郎及び同花子に対し,被控訴人次郎の呼吸状態の悪化があり,気管内挿管を試みたが困難であったこと等のそれまでの経緯や,被控訴人次郎の現在の状況はエアウェイ,酸素投与によりなんとか自発呼吸できているが,呼吸不全の状態であり,再び同様に呼吸停止・無呼吸などの緊急事態になることも考えられることから気管切開術を行って呼吸管理するのがよい選択肢であることを説明した。D9医師も被控訴人太郎及び同花子に被控訴人次郎につき気管切開の必要性と手術に際しての危険性及び合併症を説明し,21時30分ころ,被控訴人太郎及び同花子は,被控訴人次郎に対して気管切開術を実施することに同意した。

(オ)22時30分ころ,被控訴人次郎は,病室から手術室に移動したが,D9医師は,手術室において再度,被控訴人次郎に気管内挿管を試みて失敗した。

22時55分ころ,D9医師は,被控訴人次郎に対する気管切開術(以下「本件手術」という。)を開始し,23時30分ころ終了した。」

(4)同6頁1行目の「2月7日,」の次に「頭部CT検査の画像で,全般性(脳幹~基底核,小脳以外)の低濃度,後頭葉皮質の高濃度が認められて」を加え,10行目の「アンビューバッグ」から11行目の「あったか」までを「本件急変時に気管内挿管を急がず,アンビューバッグによる気道確保を継続して被控訴人次郎を手術室に搬入し,気管切開の準備が完了した時点で気管内挿管操作を開始し,不成功に終わった場合には直ちに気管切開術を開始すべき義務があったか」と改める。

(5)同29頁3行目冒頭から26行目末尾までを次のとおり改める。「1 争点1(本件急変時に気管内挿管を急がず,アンビューバッグによる気道確保を継続して被控訴人次郎を手術室に搬入し,気管切開の準備が完了した時点で気管内挿管操作を開始し,不成功に終わった場合には直ちに気管切開術を開始すべき義務があったか)について

(被控訴人らの主張)

(1)本件急変時にD6医師が気管内挿管を急いだことは不適切であり,被控訴人次郎を手術室に搬入し,気管切開の準備(機器の準備,人の準備)が完了した時点で気管内挿管操作を開始し,不成功に終わった場合には直ちに気管切開術を開始すべきであった。その理由は,次のとおりである。

ア 本件急変時,D6医師がアンビューバッグによる換気を行ったところ,被控訴人次郎は1分も経たないうちに2,3呼吸で強制換気が可能な状態となり,心拍数も徐々に上がってきた。被控訴人次郎は,D6医師が言うように危機的状況を脱したのであり,また,アンビューバッグによる換気が可能だったのであるから,間髪を入れずに気管内挿管にトライしなければならない状況ではなかった。

イ 被控訴人次郎に対する挿管操作は,以下の①から⑥に掲げるようなリスクを伴う侵襲的医療行為であり,挿管困難なときには挿管不能であることが容易に予見され,また無麻酔下に行う挿管操作であるため,そのリスクは倍増する。

① 喉頭鏡挿入及び気管チューブ挿入の試技という物理的刺激(機械的刺激)による咽・喉頭粘膜の損傷,出血,腫脹,分泌物増加,喉頭浮腫の発生

② 咽・喉頭部への強い物理的刺激による呼吸の反射的抑制,迷走神経反射による除脈(心抑制)の発生

③ トライ中は呼吸状態が悪化し,PaO2低下は必至であり,心臓にも負担をかける。

④ 食道挿管となった場合には,食道内に挿入された気管チューブを介してガス(酸素,空気)が胃や腸管に強制的に吹き込まれ,胃・腸管の膨満を招き,これによって横隔膜が挙上して呼吸不全を増悪させる。

⑤ 歯牙の損傷は,歯牙が異物となって気道を塞ぐ危険性がある。

⑥ 筋弛緩薬を使用していないため,喉頭痙攣を誘発する危険性が大である。ひとたび喉頭痙攣が発症した場合には人工換気や気管内挿管は痙攣が寛解しない限りまず不可能である。

ウ 加えて,もしも気管内挿管が不成功に終わった場合には,挿管操作の反復によって気道粘膜の状態はさらに悪化し,気道狭窄の更なる進行が惹起され,心機能にも悪影響が及び,呼吸状態並びに全身状態は挿管開始前に比して確実に悪化することが予見される。

エ したがって,気管内挿管が不成功に終わった場合,アンビューバッグによる人工換気もできないという危機的・絶望的状況に陥った場合を想定し,それに対して適切な処置・対応ができて,死亡や低酸素性脳症の発生という最悪の結果を回避する準備をしてから,気管切開術を実施する必要がある。この実施に要する時間については,手術室への搬入自体は特段のリスクを伴うものではなく,気管切開用のキットは手術室や救急室には常時滅菌・消毒された状態で保管されているはずであり,3次救急を担っている病院であれば夜間の緊急手術に備えて看護師も配置されているはずであるから,気管切開を実施する医師さえ確保できれば20~30分程度で気管切開の準備は完了するはずである。本件においては,D9医師は20時ころ気管切開を依頼され,20時30分ころには病室に訪れており,30分程度で執刀医の確保は可能であったと認められるから,20時ころには気管切開の執刀開始が可能であった。

(2)しかしながら,控訴人病院の医師らは,19時30分以降被控訴人次郎に対し気管内挿管の手技を試みるなどして,上記義務に違反した。」

(6)同30頁1行目の末尾の次に,改行の上,「(1) 被控訴人ら主張の注意義務の存在は争う。」を加え,2行目の「(1)」を「(2)」と改め,31頁12行目冒頭から14行目末尾までを削る。

(7)同34頁20行目及び35頁11行目の「・切開」を削る。

(8)同37頁23行目の「分泌物による」を「分泌物により」と改める。

(9)同39頁8行目冒頭から16行目末尾までを次のとおり改める。

「 仮に,被控訴人次郎に対し病室で気管内挿管を試みずに,アンビューバッグによる気道確保を継続して被控訴人次郎を手術室に搬入し,気管切開の準備が完了した時点で気管内挿管操作を開始し,不成功に終わった場合には直ちに気管切開術を開始していれば,被控訴人次郎の換気不全を早期に改善することができた。」

(10)同41頁11行目冒頭から43頁24行目末尾までを次のとおり改める。

「 被控訴人らは,本件の不法行為ないし債務不履行により,以下の損害を被った。

(1)被控訴人次郎の損害

ア 介護費用

(ア)提訴まで 669万6000円

(イ)提訴後 3659万2491円

イ 治療関係費 53万1810円

ウ 看護・見舞いのための被控訴人太郎及び同花子の交通費 30万円

エ 雑費

(ア)提訴まで 18万円

(イ)提訴後 100万2534円

オ 逸失利益 1306万9773円

カ 後遺障害慰謝料 2600万円

キ 弁護士費用 843万7260円

以上合計 9280万9868円

(2)被控訴人太郎及び同花子の損害 各330万円

ア 慰謝料各 300万円

イ 弁護士費用 各30万円」

(11)同45頁1,2行目の「SaO2とせずにSpO2とする」を「パルスオキシメーターで測定した酸素飽和度はSpO2で表し,実際に動脈血を採血し血液ガス分析装置で測定された酸素飽和度はSaO2と表記し,区別される」と改める。

第3  当裁判所の判断

1  前記前提事実,証拠(<証拠等略>ただし,それらのうち後記認定に反する部分は,他の証拠に照らし採用しない。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。

(1)1月25日の救急搬送までの経緯等

ア 出生

被控訴人次郎は,平成12年12月19日5時51分(時刻は24時間表示。以下同様),控訴人病院周産期センターの分娩室で経膣分娩により出生した(在胎39週5日。出生時体重2167g)。被控訴人次郎は,出生時重度の仮死状態であり,出生1分後のアプガースコアは2点(心拍数と呼吸が各1点,筋緊張,反射及び色調は各0点)であった。被控訴人次郎は,吸引や酸素投与等の処置により,出生5分後にはSpO290%,アプガースコア7点まで改善したが,口蓋裂,小顎等の特徴によりピエールロバン症候群が疑われ,出生時の胎児仮死もあったため,そのまま同センター2階のNICU(新生児集中治療室)に入院し,経管栄養のための胃(M)チューブが挿入された。

ピエールロバン症候群は,胎生9週以前の下顎領域の低形成により生じる先天性かつ複合的な疾患で,主な症状として小下顎症,舌根沈下及びそれに伴う呼吸性気道閉塞(狭窄)の3主徴が見られ,発生率は約3万人に1人と言われる。下顎が小さいため舌根が咽頭部に沈下して気道狭窄が起こると考えられ,出生時が最も危険な局面とされるが,乳幼児期に普段は呼吸が落ち着いている場合でも気道感染症などに伴い気道狭窄が悪化することも多く,症状が重篤になる場合も少なくない。この疾患では,気道確保が最大の課題となるが,治療としては,舌根沈下を防ぐプラスチック製チューブであるエアウェイを装着し,体位を変えるなどして気道を確保し,下顎の発達を待つとされる。また,一般に,上気道狭窄,閉塞が起こり,換気が少ない又はされない状態になると,低酸素血症,二酸化炭素血症が起こり,それらが脳幹に位置する呼吸中枢を刺激して呼吸運動が大きくなり,換気減少,停止の状態が続くと,脳機能の低下,停止に至り,脳機能に依存する呼吸運動は減弱,消失する(脳機能の停止により意識レベルは300になる。)と言われている。

同日8時ころ,担当のD1医師は,被控訴人次郎の状態について,被控訴人太郎及び同花子に病状説明をし,「生まれてすぐ泣くことができなかったため,酸素をあげたり吸引したりして少しずつ改善した。泣くことができなかった原因としては,見てわかるように,下顎が非常に小さいため舌が落ち込んで気道を塞いだためと考えられる。また,口蓋裂があり,そちらの方は後になってから手術することになると思う。腹臥位の方が舌が落ち込みにくいので,この形で様子を見ているが,最初は二酸化炭素が溜まっていたのが少しずつ減っているので,このまま様子を見れそう。この2,3日を越えたら予後は普通の人と同様に生活できると思う。心疾患の合併などに対して,呼吸状態が落ち着いたら超音波検査を行って評価したいと思う。」旨を述べた。

イ 控訴人病院NICU入院(平成12年12月19日~平成13年3月16日)

被控訴人次郎は,入院当初,腹臥位で保育器(クベース)内において酸素30%の投与を受け,SpO2は98%であるものの,著明な呼吸性アシドーシス(肺におけるガス交換が低下して体内に二酸化炭素が滞留し,血液が酸性に傾く現象)が認められたが,徐々に空気の入りが改善し,アシドーシスも改善した。なお,被控訴人次郎は,平成12年12月21日(日齢2),心エコー(心臓超音波検査)でVDS(心室中隔欠損症)等の心疾患が認められたため,DOA(ドーパミン)が投与開始となったが,心不全徴候や心拡大などが認められず,同月27日(日齢8)に投与中止とされ,利尿剤で経過観察となった。

被控訴人次郎は,呼吸状態が落ち着いてきたため,同月26日(日齢7),器内酸素投与が中止され,平成13年1月4日(日齢16)に保育器から出されてコット(新生児用のキャリーベット)移床となり,同月5日から経口哺育開始となった。しかし,吸綴,嚥下ともにほとんど認めない状態で,口腔内マッサージ及び特殊乳首による摂食訓練が行われて徐々に吸綴は見られるようになったが,経口摂取は,呼吸状態の悪化もあり,ほとんど不可能な状態であった。

被控訴人次郎は,啼泣時や覚醒時にSpO2が70%台後半から80%台に低下することがあり,同月19日(日齢31)からは,SpO2低下が大きいときに経鼻的チューブによる酸素投与が開始され,その後もSpO2のふらつきが多く90%以上を維持できない状況で,分泌物も多量であったため,同年2月1日(日齢44),鼻咽頭エアウェイ(以下単に「エアウェイ」という。直径2.5mm)が被控訴人次郎の左鼻孔から挿入(深さ6.5mm)されて酸素投与が開始された。エアウェイは,プラスチック製チューブを鼻から喉頭付近に挿入し,舌による咽頭後壁閉塞を防止するもので,気管内挿管よりも挿入が容易で気管切開をせずに比較的安全に気道を確保できるという利点がある一方,これを使っている間は経口哺乳ができず(哺乳させるとミルクがチューブ内に残り,吸気時に気道に誤嚥される。),抜去後の経口哺乳確立に時間がかかるため,長期管理には向いていないとされる。

被控訴人次郎は,呼吸が比較的安定したため,同年3月13日15時ころエアウェイが抜去されたが,上気道(呼吸の際に空気が出入りする鼻腔又は口腔から喉頭にかけての空隙)閉塞による陥没呼吸(吸気時に胸の一部が陥没する状態の呼吸)著明のため,同日21時30分ころ再挿入(直径3.5mm,深さ6.5cmで固定)された。このとき,被控訴人花子は,エアウェイは不要ではないかなどとして再挿入に対し必死に抵抗したが,主治医の新生児科D2医師(以下「D2医師」という。)は,被控訴人花子がこれまでの看護師による吸引,洗浄の仕方や保清等に不満を溜めていた現れであると考え,被控訴人花子の要望が一刻も早く被控訴人次郎をNICUから一般病棟に転棟させ,自分で直接看護したいというものであったことから,これを尊重し,母子同室による育児目的での転棟を可能な限り早期に行うことにした。

被控訴人次郎の呼吸状態は,エアウェイ再挿入後も改善不良であり,同年3月14日17時ころには,被控訴人花子の要望により,エアウェイを一旦抜去したが,17時30分ころ再度挿入(直径3.0mm,深さ6.5cm固定)され,翌15日午前1時ころ,エアウェイの深さが8.0cm固定に改められて呼吸状態は安定した。

被控訴人次郎は,同年3月16日,NICUから小児科一般病棟(4階)に転棟となったが,新生児科のD2医師が引き続き担当した。転棟時の被控訴人次郎の病名は,① ピエールロバン症候群,② 上気道狭窄,③ 先天性心疾患(心室中隔欠損症(VSD),心房中隔欠損症(ASD),動脈管開存症(PDA)),④ 難聴,⑤ 足関節股関節の可動制限,⑥ 染色体異常(47,XYY)であった。なお,X線写真で被控訴人次郎の肺血流が多めであったため,転棟サマリー(乙A2の53頁)において,酸素投与はSpO290%以上を維持できないときのみ使用可とされた。

ウ 控訴人病院小児科一般病棟入院(平成13年3月16日~10月25日)

被控訴人次郎は,小児科一般病棟に転棟時点(日齢87)で体重が3900g弱であったが,文献を参考にして,体重5kgでエアウェイの抜去予定となった。なお,同年3月21日,控訴人病院小児外科のD9医師が被控訴人次郎を診察して右外鼠径ヘルニア,両側陰嚢水腫と診断し,被控訴人花子に対し,現在は呼吸状態が安定していないので,時期を見て手術を考えること,嵌頓など異常があればすぐに手術が必要となるので,腫れている所が赤くなったり,ひどく痛がるなど異常があれば看護師に知らせることを伝えた。

同年4月19日8時過ぎ,被控訴人次郎(体重4780g)は,被控訴人花子が目を離した隙に手をエアウェイのチューブに引っかけた模様で,チューブが抜けたが,SpO2は98~100%を維持していたため,抜管のままで経過観察となった。しかし,次第にSpO2が70%台まで低下するなどして著明な陥没呼吸や無呼吸が出現して呼吸状態が悪化したため,同月24日13時30分ころエアウェイが再挿入(直径3.0mm,深さ8.0cm固定)された。

被控訴人次郎は,同年4月27日に体重が5000gを超えて5015gとなったが,未だエアウェイを抜去できる状況になかった。

被控訴人次郎は,同年5月10日9時ころ,エアウェイを自己抜管したが,被控訴人花子の強い要望により,抜管のままで経過観察となったが,閉塞性無呼吸が出現するなど呼吸状態が悪化したため,翌5月11日1時ころ再挿入(直径3.0mm)された。また,同年6月5日7時40分ころにもエアウェイを自己抜管し,抜管のままで経過観察となったが,寝入ると無呼吸が出現し,SpO2が60%台に低下することが頻回となり,気道確保のため体位の工夫を試みるなどしたが,改善しなかった。

被控訴人次郎は,同年6月8日の頚部CT検査の結果,声門部直下で気道が狭くなっているようにみえるが,その病的意義は不明であり,その他上気道から気管分岐部までに明らかな気道狭窄は認められないことが報告され,また,同年9月18日の耳鼻咽喉科における気管支ファイバースコープ検査の結果,声帯は見えなかったが披裂部が引き寄せられて声門部に痰が溜まっていること,狭窄のあるところに痰がかかって喘鳴を起こしていると思われ,上下気道感染,喉頭軟化症(疑)と診断されることが報告された。

被控訴人次郎は,SpO250%台が多く,発熱があり,痰も多いことから,同日17時30分にエアウェイが再挿入され,その後は,無呼吸の出現はなく,呼吸状態は安定した。

D2医師が同年5月28日付けで作成した特別児童扶養手当認定診断書には,「日常生活の介護・指導の必要度」欄に「上気道へチューブ挿入しているためえん下ができない。そのため,ミルクを栄養チューブから注入している。又,チューブに分泌物がたまってつまりやすく,非常に頻回に吸引しなくてはいけない。安静時に酸素濃度低くなることあり,モニター管理必要。」と,「予後」欄に「長期の挿管チューブ管理,チューブ栄養が必要と思われる。」と,「総合判定」欄に「重度(挿管チューブを抜去すると著しい呼吸障害を認め窒息死する可能性が非常に高い)」と記載されていた。また,D2医師が同年8月10日付けで作成した障害児福祉手当・福祉手当認定診断書の「備考」欄には「平成12年12月19日在胎39週5日,体重2167g,1分アプガースコア2点,重度の新生児仮死,低出生体重児,不等軽量児として出生。上気道の著しい狭窄のため生後4か月まで,上気道確保のため挿管チューブを常時留置。現在はチューブ除去していますが,陥没呼吸軽度認め,SpO2もときに80%となり,分泌物がうまく出せないために窒息のような症状があります。そのため,現在も入院中で,1日5回以上の上気道の吸引(分泌物除去)が必要です。又,その他の合併症として,先天性心疾患があり,動脈管開存症,心室中隔欠損症,心房中隔欠損症認めています。左→右のトリプルシャントで右室圧がやや高くなってきています。現在利尿剤内服でコントロール中。」と記載されていた。

同年10月25日,被控訴人花子も胃チューブやエアウェイの管理等をできるようになり,被控訴人次郎は,一旦退院した。退院に際しては,被控訴人次郎にピエールロバン症候群による舌根沈下,上気道狭窄があり,啼泣するとチアノーゼが生じる等のことから在宅酸素が設置され,吸引器も購入された。D2医師は,退院中の予防接種,風邪等のかかりつけ医としてA病院医師宛の紹介状を作成したが,それによれば,被控訴人次郎は,① ピエールロバン症候群,② 染色体異常(47,XYY),③ 心室中隔欠損症,心房中隔欠損症,動脈管開存症(小児循環器科フォロー中),④ 両側橈尺骨癒合症(整形外科フォロー中),⑤ 両側鼠径ヘルニア(小児外科フォロー中),⑥ 両側先天性難聴(耳鼻科,B大学教育学部C医師フォロー中)であり,出産直後より呼吸困難で酸素投与を行っており,人工換気はしていないこと,現在,上気道狭窄に対して,エアウェイで鼻腔より喉頭まで気道確保しており,頭囲発育は遅延していることなどが記載されていた。

エ 控訴人病院小児科外来への通院

被控訴人次郎は,平成13年11月下旬から12月上旬に控訴人病院小児科に再入院してエアウェイ抜去の予定であったが,風邪を引くなどして再入院が同年12月10日になった。その間の小児科外来通院において,D3医師(平成5年6月医師免許。平成12年7月から控訴人病院小児科副医長)が被控訴人次郎を診察した。

オ 控訴人病院小児科入院(平成13年12月10日~同月27日)

被控訴人次郎は,平成13年12月10日,控訴人病院の小児科に入院し,同月12日にエアウェイを抜去し,同月27日に退院した。なお,同月18日の心エコー検査により,心房中隔欠損症は欠損孔が閉じており,心室中隔欠損症(軽度)と動脈管開存症が残っていることが確認された。

カ 控訴人病院小児科退院後(平成13年12月27日~平成14年1月25日)

被控訴人次郎は,口蓋裂,上気道狭窄のため経口栄養摂取がうまくできず,胃チューブによりミルク注入を受けていたが,経口栄養摂取のリハビリ目的で,平成14年1月9日,国立療養所E病院小児科(当時の愛媛県<以下略>所在)を受診し,F医師の診察を受けた。F医師は,被控訴人次郎は,① 小下顎症,口蓋裂などの構造的な問題を抱えており,開口も不十分なこと,② 口に食物を入れても咽頭に送り込もうという動作をしないこと,③ 無理に口の中を診察しようとして泣かせた場合,上気道狭窄のためか軽いチアノーゼが見られることが被控訴人次郎に特有のものと考えたが,ピエールロバン症候群の患児の臨床経験に乏しかったため,その当時被控訴人次郎が治療を受けていたG矯正歯科クリニックの歯科医師とも連絡を取りながら,嚥下や口周囲・舌の筋訓練の指導を行うこととした。

被控訴人次郎は,1月24日,A病院小児科でBCGワクチンの予防接種を受けたが,同日夜から37℃台の発熱,咳嗽,分泌物の増加があり,翌25日も朝から37.9℃の熱があったため,被控訴人花子は,同日の午前中,被控訴人次郎を控訴人病院小児科外来を受診させたところ,診察したD4医師は,上気道炎と診断し,内服薬を処方した。

キ 1月25日の急変

被控訴人次郎は,同日22時ころには機嫌がよかったが,22時10分ころから,被控訴人花子が乳児用ポカリスエット90mlに前記処方された内服薬を入れ,注入により被控訴人次郎に飲ませたところ,22時20分ころ,突然顔色不良(チアノーゼ),両眼上転,頻脈(心拍数190~200回/分。以下,心拍数の単位は省略する。なお,全国社会福祉協議会平成17年1月改訂版「新・保育士養成講座第5巻 小児保健」(乙B69)によれば,脈拍数(毎分)の正常値は,乳児が120~140,幼児が80~120とされている。),意識レベル低下,四肢脱力,SpO2が28%まで低下するという事態となった。驚いた被控訴人花子が自宅にあった酸素を投与すると徐々に回復し,約10分後に救急車が到着した時点では被控訴人次郎の呼吸も意識もすでに十分回復していたが,被控訴人花子は,医師の診察を受けた方がよいと考え,被控訴人次郎を救急車で控訴人病院の救急外来まで搬送してもらった。

(2)1月25日の救急搬送から1月27日夕刻の本件急変までの状況

ア 被控訴人次郎は,1月25日22時35分ころ,酸素投与を受けながら救急車で控訴人病院に搬送され,小児科の救急待機当番であったD3医師が診察した。搬送時の被控訴人次郎は,体温37.1℃,心拍数156,意識清明で,咽頭に軽度発赤が見られ,呼吸状態は肺に雑音と喘鳴があったものの,空気の入りはまずまずで,酸素マスクによる酸素毎分1~3リットル投与の下SpO2は95~100%であり,全身状態も悪くなかった。D3医師は,付き添ってきた被控訴人花子から急変時の状況を聞くなどし,原因として① 熱性痙攣,②窒息(上気道の狭窄),③ 薬剤アレルギー等が疑われたことから,被控訴人次郎を小児科に入院させ,絶飲食(注入の中止),輸液,抗生剤(CTX)静注,モニタリング,酸素投与により経過観察することにした。なお,入院時の胸部X線写真で両側下肺野に浸潤影(気管支炎像)が認められ,また22時56分ころの血液検査で軽度の炎症反応があった(CRP1.0mg/dl)ため,被控訴人次郎には呼吸器感染症が予想された。

イ 1月26日(土)

被控訴人次郎は,1月26日0時30分ころ入院となり,1時ころ,両親とともに控訴人病院小児科一般病棟402号室に入室した。N1看護師が被控訴人花子に対し,酸素投与量は毎分1リットルとすることを説明すると,被控訴人花子は,前回の入院時に毎分1リットルでは多過ぎたものの,投与しないとSpO2が低下していたので,投与量を少なくしてほしいと要望した。N1看護師は,毎分0.25リットル程度の酸素投与でもSpO2が100%に維持できたため,しばらくその量で様子を見ることにした。

3時10分ころ,N2看護師がナースコールにより402号室を訪れると,被控訴人太郎が「息を止めそうになって,体をぶるっと振るわせる。SpO2も70台まで下がる。」などと述べた。被控訴人次郎は入眠中であったが,2,3分おきに体に力を入れて息むような動作があり,その度に酸素投与下であるにもかかわらずSpO2の低下が見られたため,N2看護師は,被控訴人次郎に対して鼻腔吸引を試みたがほとんど吸引できず,宿直のD3医師を呼んだ。D3医師は,3時30分ころ来訪して被控訴人次郎を診察し,被控訴人太郎に対して,被控訴人次郎の状態は上気道閉塞の症状であって,熱性痙攣ではないと思われる旨を説明し,被控訴人太郎は納得した。

9時30分ころ,D3医師が被控訴人次郎を診察したが,体温が37.7℃と熱が続いており,全身状態の変化はなかった。

10時ころ,被控訴人次郎は,よく動いており,そのためSpO2の数値が拾えない状況であった。被控訴人花子は,看護師に対して,酸素を外すとSpO2が下がる旨を報告した。

14時ころ,被控訴人次郎は酸素投与を受けながら睡眠中であり,眠っている間SpO2は100%あったが,起きるとSpO297~99%に下がった。

18時ころ,被控訴人次郎は,402号室(内科)から466号室(外科)に転床となった。

ウ 1月27日(日)

0時45分ころ,被控訴人次郎は,体温が39.3℃に上昇した。N3看護師は坐薬を入れることを考えたが,被控訴人花子が「坐薬は今まで入れたことがないし,体に負担がかかると聞いているので,できれば入れたくない。30分後に体温を測ってみて上がっているようなら,入れてもらいます。」などと述べたことから,同看護師は,取りあえず保冷剤アイスノンで冷却のみを行うことにして30分後の1時15分ころ再び訪室したところ,体温は38.4℃に下がっていたため,被控訴人花子の希望に従って,そのまま保冷剤による冷却のみで様子を見ることにした。

3時30分ころ,被控訴人花子から「体温が39.5℃に上昇した。」とのナースコールがあり,N4看護師が466号室に駆け付けると,被控訴人次郎は,心拍数が150~160台,SpO2が99~100%,呼吸は浅く速い状態であった。N4看護師がアンヒバ坐薬100mg1個を使用しようとすると,被控訴人花子が「この間,外来でD4先生から,坐薬は心臓のことがあるから,全部入れずに3分の2個位から始めるように言われたので,減らしてほしい。」などと述べて坐薬使用に対する不安を述べたため,N4看護師は,被控訴人花子と相談の上,アンヒバ坐薬2分の1個を被控訴人次郎の肛門に挿入した。

6時ころ,被控訴人次郎は,体温が37.4℃,心拍数130~140台に下がったものの,抗生剤の点滴で啼泣し始めて体をこわばらせた。しかし,点滴の滴下は良好であり,静注もスムーズなため,N4看護師は,このまま経過観察することとし,次回の点滴からはゆっくり静注して,それでも痛がるようなら,医師と相談する,事前に皮内テストを行っているので抗生剤の副作用の心配はない旨を被控訴人花子に告げた。

8時ころ,被控訴人次郎は,体温が39.2℃まで再上昇し,心拍数が150~160台となった。N4看護師は,D5医師に体温上昇の件を相談したところ,D5医師から,坐薬は指示量の半分でこれだけ解熱しており,今坐薬を使用すると効き過ぎる可能性があるため,冷却のみで様子を見た方がよいと指示され,そのことを被控訴人太郎に伝えて,経過観察とした。

10時30分ころ,D3医師は,前記体温上昇の件等の報告を受け,インフルエンザ罹患の可能性もあるため,被控訴人次郎の右鼻腔から検体を細い綿棒で採取してインフルエンザ抗原検査を行ったが,陰性であった。このころ,被控訴人の咽頭は,見える範囲で,発赤があって分泌物が多く,肺に水疱音,強い喘鳴があった。

エ 10時45分ころの呼吸不全

10時45分ころ,被控訴人次郎は,病室において,啼泣後に,眼球上転,全身虚脱,チアノーゼが出現し,SpO2が28%まで低下した。ナースコールで当時2年目であった若いN5看護師が病室に駆け付けたところ,被控訴人花子が同次郎を抱いて酸素投与をしていた。間もなくD3医師も病室に駆け付けたが,被控訴人次郎には呼吸音減弱,努力呼吸,眼球上転が見られたものの,対光反射があり,痙攣樣動作も認められなかった。D3医師は,被控訴人次郎に対して下顎挙上・吸引などの処置をとったところ,呼吸状態が改善したことから,被控訴人次郎の急変は上気道狭窄症状の増悪が原因であると判断し,被控訴人太郎及び同花子に対し,「気道感染に伴う咽喉頭粘膜の腫脹,分泌物の増加などにより,これまでエアウェイなしでいけていたものが,啼泣後の吸気時などに気道狭窄をきたし,窒息したものと思われ,痙攣が原因ではないと思われる。エアウェイを挿入して経過を見ましょう。」と説明した。そして,被控訴人次郎の右鼻孔からエアウェイ(Portex気管内挿管用チューブ直径3.0mm)を挿入して外鼻孔9cmで固定し,胸部X線検査により,エアウェイの先端が舌骨の高さにあることを確認した。なお,その際のX線画像には,入院時に認められた気管支炎像がやや改善している状況が現れていた。

オ その後の推移

12時ころ,D3医師が被控訴人次郎を診察し,N5看護師が立ち会った。被控訴人次郎は機嫌が悪く,ぐずっていたが,肺への空気の入りはまずまずであり,酸素マスクによる酸素投与毎分2.5リットルでSpO2が98~100%であった。エアウェイ挿入により分泌物が増加したため,N5看護師は,被控訴人花子に対し,エアウェイの閉塞がないようこまめに分泌物を吸引することを指示した。このころ,被控訴人花子は,被控訴人次郎の体動により酸素マスクが容易にずれるため酸素テント(ビニール製のもので,酸素チューブをビニール内に留置することによりテント内に酸素を供給する。)にしてほしい旨要望し,D3医師が承諾したため,N5看護師が酸素テントを準備し,被控訴人花子に対し,テント内からは外が見えず不安になるため,入っている時は被控訴人次郎に触ってやること,酸素マスクでも大丈夫そうであれば,テント外に出してやる方がよいことを伝えた。こうして酸素テントが設置されたが,その後も酸素マスクが併用されることがあった。

13時30分ころ,被控訴人次郎は眠っており,SpO2100%であったが,体温が39.5℃に上がっていたため,N5看護師は,アンヒバ坐薬100mg2分の1個を被控訴人次郎の肛門に挿入した。

14時ころ,被控訴人次郎は,体温が37℃台に下がり,SpO298~100%維持し,肺への空気の入りも良好であった。

15時ころ,被控訴人次郎は,体温が37.0℃になったが,感染症があるとされて466号室(外科)から418号室(内科)に転床した。被控訴人次郎から暗緑茶色の泥状便があり,N5看護師は,下痢をしているものと考えた。

16時30分ころ,準夜勤であったN6看護師(昭和57年5月看護師資格取得)が出勤し,被控訴人次郎が自分の担当するC(内科)チームに転床していることを知り,17時過ぎころ,日勤のN5看護師とともに被控訴人次郎の病室に様子を見に行ったが,特段の状況の変化はなかった。

18時ころ,被控訴人次郎は,体温が再び39℃台に上昇したが,時々笑顔があり,酸素マスクによる酸素投与毎分1リットルでSpO2が98~100%であった。このとき,被控訴人花子の要望により,酸素マスクを外すとSpO2が80台に徐々に低下し,被控訴人次郎の呼吸が苦しそうになったため,酸素マスクを再開した。

18時30分ころ,被控訴人次郎は,体温が39.2~3℃程あったが,被控訴人花子は,N6看護師に対し,「熱冷ましはまだ早いので,もう少し冷やして様子見ようと思って。」と述べた。被控訴人次郎には,ゴロゴロ音(気道内における分泌物貯留を示す。),体熱感,四肢冷感があって,末梢に軽度のチアノーゼも見られた(四肢冷感や末梢のチアノーゼは,血液が体幹部に集められた結果,末梢部の血液循環が不良となることから生じたものと解される。)が,N6看護師は,直近の坐薬使用から5時間程度しか経過していなかったため,坐薬を使用せずに吸引と冷却で様子を見ることにした。N6看護師が被控訴人次郎の体を固定し,被控訴人花子が吸引をしたところ,中等量の分泌物があった。このころ,心拍数は180~190であり,SpO2は計器上100%であった(ただし,被控訴人次郎に末梢にチアノーゼが認められていること等から,このころから19時40分ころまでに表示された100%というSpO2の計器上の表示は誤っているものと解される。また,後記19時42分の0%も,その当時の身体状況等からして,誤表示と解される。なお,パルスオキシメーターの測定誤差を生じる要因として,体動,末梢循環障害,光の干渉,プローブによる圧迫等が挙げられている(乙B71)。)。N6看護師は,このころ,酸素の配管を2又に変更した。

(3)本件急変

1月27日19時10分ころ,吸引の補助を求める被控訴人太郎のナースコールによりN6看護師が418号室を訪れたところ,被控訴人花子は帰宅して不在であり,被控訴人次郎に付き添っていたのは被控訴人太郎のみであった。被控訴人次郎の状態は,SpO2が計器上100%,心拍数190~200,体温39.4℃(冷却中)で,ゴロゴロ音もあった。N6看護師は,被控訴人太郎に同次郎の体を固定してもらい,吸引を行ったところ,白色分泌物が多量にあり,被控訴人次郎が吸引時の刺激により淡黄色のものを嘔吐したため,再度吸引し,肩枕を挿入して体位を改めた。N6看護師は,被控訴人次郎に高熱が続いており,前回の坐薬挿入から約6時間経過したため,被控訴人次郎に坐薬を投与することにし,19時20分ころ,被控訴人次郎の肛門にアンヒバ坐薬100mg2分の1個を挿入したが,被控訴人次郎が息んで坐薬がすぐ出るため,居合わせたN5看護師に肛門を手で暫く押さえてもらった。そうしたところ,19時25分ころ,被控訴人次郎は,眼球を上転させ,自発呼吸はあるが弱く,時折無呼吸となり,全身虚脱の状態となった(本件急変)。この時点でSpO2は計器上100%,心拍数は170~180であった。

N6看護師は,N5看護師に対し,直ちに3次救急の麻酔科医師,新生児科医師,主治医や他の看護師を呼ぶよう依頼するとともに,自らは,酸素マスクを被控訴人次郎の口に当てるなどし,間もなく他の看護師がアンビューバッグ(バッグバルブマスク)などの緊急セットが入った救急カートを運びながら駆け付けた後は,他の看護師とともにアンビューバッグで加圧して被控訴人次郎に対し強制換気を行ったが,SpO2は計器上100%を維持しているのに,問いかけに対して反応がなく,吸引すると多量の白色分泌物が出,酸素マスクによる酸素投与量を毎分10リットルに増量してもチアノーゼが出現し,刺激に反応しない状態(JCS(JapanComaScale)の分類で,意識レベル300)となった。

(4)1月27日19時30分ころから20時ころまで

ア このとき最初に病室に駆け付けた医師は,麻酔科のD6医師(平成3年5月医師免許。平成11年4月から控訴人病院麻酔科医長)であり,当日は救命3次外来の当直であったが,小児病棟で呼吸停止の患者がいるので来てほしいとのドクターコールを受け,19時30分ころ,418号室に駆け付けたところ,被控訴人次郎は,チアノーゼが著明で,呼吸停止かそれに近い状態であり,心臓も心拍数が極めて少ない徐脈で,直ちに対処しなければ1,2分程度で心停止に至ることが予想された。D6医師は,まずは心停止を回避するために呼吸の回復が急務と考え,看護師に替わってアンビューバッグによる強制換気を行ったが,左手でアンビューバッグのマスクと被控訴人次郎の下顎を持った際,その下顎が小さいことに気付き,そのころ看護師から被控訴人次郎がピエールロバン症候群であることを告げられたため,強制換気の困難を予測し,実際加圧バッグを持った最初は,かなりテクニックを駆使してやらないと酸素がきちんと入らない,やや重いような印象を受けたが,意外なことに,加圧開始後2,3呼吸(その間1分足らず。)で肺に酸素を入れることができ,徐々に心拍数も上がってきた。

危機的状況である心停止は何とか免れたものと考えたD6医師は,被控訴人次郎がピエールロバン症候群であることから挿管困難症を予想したものの,安定した気道確保のためには,次に気管内挿管を行うべきであると判断した。

気管内挿管の具体的手技は,① 仰臥している対象者の頭上に立ち,喉頭鏡を用いて舌を左側上方に圧排して喉頭蓋を確認できる状態にし,喉頭鏡を前上方に持ち上げて垂れ下がっている喉頭蓋を起こす(「喉頭展開」と呼ばれる。)と気管の入口に位置する声門が見えてくる,② 気管チューブを声門に通して挿入し,チューブに装着されているカフが声門を越えるのを確認した後,さらに1~2cm進め,カフを膨らませる,③ 気管チューブに接続したアンビューバッグで換気して,挿管が確実に行われたか確認した後,気管チューブを固定し,胸腹部のX線写真や聴診などで気管チューブの位置,肺野の状態を確認する,といった手順で行われる。また,D6医師は,この当時,年間約300例の気管内挿管を行っており,その1割程度が3歳以下の乳幼児で,ピエールロバン症候群の患児も何例かあったが,これまで気管内挿管に失敗したことはなかった。なお,実際に気管内挿管を行う場合には,ピエールロバン症候群などのその病態から挿管困難と言われている症例でも挿管が容易なことがある一方,普通に挿管できるだろうと予想された症例で案外挿管困難であったということもあり,挿管ができるか否かはやってみないとわからないという側面がある。また,挿管困難例においては,経験豊富な医師が挿管できない場合でも,術者を替わることで挿管できることも少なくない。

D6医師は,既に病室に持ち込まれていた喉頭鏡を左手に持ち,被控訴人次郎の右口角から喉頭鏡を挿入して,舌を圧排しながら喉頭蓋を探したが見ることができなかったため,声門があると思われる方向にチューブを進めて挿管する盲目的方法(盲目的挿管)で気管内挿管を2,3回試みたが,チューブはいずれも食道に入ってしまい,気管内挿管は成功しなかった。

イ そのころ,急変の知らせを受けた新生児科のD7医師が駆け付けたため,D6医師は,D7医師に対し,挿管困難症であることを告げた上で,アンビューバッグによる強制換気と気管内挿管の手技を交替したが,D7医師も被控訴人次郎に対する気管内挿管に失敗した。結局,D6医師とD7医師は交替しながら合計5回以上気管内挿管を試みたが,いずれも成功しなかった。D6医師は,気管内挿管は30秒以内に行うのが原則であり,当該手技中に低酸素血症が進行し心臓に酸素が行かなくなって心停止になると取り返しがつかなくなるため,SpO2が下がり或いは心拍数が少なくなる状態に至った場合にはアンビューバッグで強制換気を行う必要があると考えており,前記の気管内挿管の手技の際にも,パルスオキシメーターの発する音(SpO2の値によって音が変化する。)や心拍数の変化に細心の注意を払い,SpO2が下がるなどした場合にはアンビューバッグで強制換気をしていた。

ウ 被控訴人次郎の主治医であったD3医師は,19時15分ころ控訴人病院を出て,車で帰宅途中であった19時30分ころ携帯電話に連絡を受けて控訴人病院に引き返し,19時45分ころ418号室に駆け付けた。418号室には,被控訴人次郎,D6医師,D7医師のほか,複数の看護師がおり,D6医師がアンビューバッグによる強制換気を行っていた。被控訴人次郎の意識レベルはJCS300であったが,瞳孔は正円で散大もなく(直径2~3mm),対光反射も失われておらず,自発呼吸は弱いながらも認められ,肺音からする空気の入りもまずまずで,心拍数もモニター上で拾える状態であった。SpO2は,アンビューバッグによる強制換気 (酸素毎分10リットル)をした状態で60~80%台であったが,アンビューバッグによる強制換気を中止すると40~50%台に低下し,肩呼吸・努力呼吸が増大する状態となった。なお,自発呼吸の出現したことは,心停止ないしそれに極めて近い状況を惹起した低酸素血症が改善したことを示しているが,自発呼吸は,横隔膜の動きに連動した胸郭,腹部の運動であり,換気は,肺に空気(酸素)を入れることであり,自発呼吸があっても,換気するには気道の開放が必要である。

D3医師は,D6医師からアンビューバッグによる強制換気の操作を替わったが,同医師らから,被控訴人次郎の急変以後の状況や気管内挿管を試みて失敗したことなどを聞き,今回の呼吸不全はエアウェイ装着後のものであって,1月25日の入院直前のものや1月27日10時45分ころのものとは違い,ピエールロバン症候群の場合の上気道狭窄は通常エアウェイ装着により解除できるのに今回は違っているため,被控訴人次郎の呼吸不全が今後も起こりうるものとして,安定的に気道を確保するためには気管内挿管が必要と判断し,自らも,被控訴人次郎に対し,下顎挙上をして喉頭鏡で覗いて挿管行為を1回試みたが,病室に持ち込んだポータブル型機械で19時50分ころに撮影されたX線写真によって食道挿管になっていることが確認された。このX線写真では,全体的に肺の含気が少なく,右下肺野に浸潤影が存在し,アンビューバッグによる強制換気によるものと思われる大量のガス像が胃や腸管内に認められ,また,挿管操作によって欠損した被控訴人次郎の歯牙が食道上部付近に存在していた。D3医師は,それ以上は挿管行為を行わず,他に2回程吸引行為を行ったが,それらの処置に際しては,アンビューバッグによる換気を行って被控訴人次郎の呼吸状態を比較的良い状態にしておき,咽喉頭内の粘膜損傷などを起こさないよう細心の注意を払った。

被控訴人次郎の自発呼吸は,19時50分ころには徐々に回復し,アンビューバッグによる加圧を行わなくても,酸素投与のみでSpO2が70~80%になったが,呼吸は浅速で,顔面蒼白,口唇チアノーゼの状態が続いていた。

エ N6看護師又はN5看護師は,19時30分から20時までの間のSpO2及び心拍数について,以下の内容を看護日誌に記載した(19時30分の「パルス」は「SpO2」の誤記と解される。)。

19時30分 SpO2100,心拍数73。パルス100キープも心拍数80~60台で変動あり。

19時40分 心拍数59まで低下。SpO2100表示。

19時42分 心拍数102,SpO20%に低下。

19時47分 心拍数164,アンビューバッグにて加圧,SpO254~66%に上昇。

19時48分 心拍数174,SpO266~81%。

(5)1月27日20時ころから22時ころまで

ア 20時ころ,小児科のD8医師が418号室に駆け付けた。被控訴人次郎の自発呼吸はややしっかりしてきており,エアウェイ先端から酸素を毎分10リットル流した状態でSpO2が70~80%台となった。このころ以降の被控訴人次郎の呼吸補助は,気管内挿管を試みる場合や移動を伴う場合等呼吸状態の悪化が予想される場合を除き,アンビューバッグによる強制換気は行われず,酸素マスク下にて,エアウェイの先端から酸素を流すのみであった。

D3医師は,D6医師と相談の上,現時点では気管切開が必要なほどの状態ではないが,再び19時25分ころと同様の呼吸状態悪化が起こった場合には救命が困難であることから,被控訴人次郎が再度緊急状態に陥ることを防ぐためには気管切開が必要と判断し,専門である小児外科の医師に気管切開を依頼することにした。

この日は日曜であったが,小児外科のD9医師は時間外勤務として4階西病棟で入院中の小児外科患児の診療に従事していたところ,20時30分の少し前ころ,D3医師がD9医師に直接会い,4階東病棟に呼吸不全で入院中のピエールロバン症候群の患児の呼吸状態が不良で,小児内科医,麻酔科医が処置中であるが,状態が安定しないことを伝え,気管切開を依頼した。

イ 20時30分ころ,D9医師が418号室に駆け付けたが,被控訴人次郎の状態は20時ころとほぼ同じであった。D6医師は,D9医師がその場に居合わせたD3,D6,D7,D8の各医師よりも年長で医師としての経験も豊富であったため,或いは気管内挿管に成功するかもしれないと考え,また,気管内挿管をしない状態での気管切開のリスクを避けたいとの思いから,D9医師に気管内挿管を依頼したところ,D9医師は,D6医師らの気管内挿管による呼吸管理の方針に理解を示した。

ウ 20時50分ころ,418号室において,D9医師により被控訴人次郎に対し気管内挿管が試みられたが,胸郭が上がらず成功したかどうかについて判断できなかった。そこで21時03分ころX線写真を撮影したところ,食道挿管となっていることが確認され,挿入したチューブは直ちに抜去された。このころの被控訴人次郎のSpO2はやはり70~80%台で肩呼吸があり,意識レベルはJCS100(刺激に対し,払いのける動作をする状態)~30(痛み刺激を加えつつ呼びかけを繰り返すと,かろうじて開眼する状態)で時々開眼あり,空気の入りが弱いという状態であった。

エ 被控訴人次郎に対する一通りの処置が行われ検査を行う余裕ができたことから,21時17分ころ,被控訴人次郎の血液検査が行われ,次の数値が認められた。なお,BE(ベースエクセス)は,PaCO2が40Torr(mmHgと同じ)のときに現在のpHを7.40にするのに必要な塩基の量であり,通常マイナス側へのBEの逸脱は代謝性アシドーシスを示し,メイロンなどによる代謝性アシドーシス補正の目安になる。

pH7.336

PaCO2(動脈血二酸化炭素分圧)51.2mmHg

PaO2(動脈血酸素分圧)44.6mmHg

BE0.1mmol/L

SpO277.1%

このころ,被控訴人次郎は,エアウェイと酸素カニューレにより毎分5~10リットルの酸素投与を受けていたが,SpO2は上昇せず,70~80%台が続いていた。

D3医師は,被控訴人次郎の意識がはっきり戻らず四肢に緊張がみられたこと,これまでの経過から相応の低酸素状態に曝されたであろうことを考えて,21時20分ころ,当時蘇生後の代謝性アシドーシスを補正するために使用するのが通常であったハーフメイロン20mlを被控訴人次郎に静注し,21時23分ころ,抗緊張剤セルシン3mlを静注した。

また,このころ,D3医師は,被控訴人太郎及び同花子に対し,被控訴人次郎の呼吸状態の悪化があり,気管内挿管を試みたが困難であったこと等のそれまでの経緯や,被控訴人次郎の現在の状況はエアウェイ,酸素投与によりなんとか自発呼吸できているが,呼吸不全の状態であり,再び同様に呼吸停止・無呼吸などの緊急事態になることも考えられることから気管切開術を行って呼吸管理するのがよい選択肢であることを説明したり,D6医師やN6看護師らの話を聞きながら診療録を記載するなどした。

21時30分ころ,D9医師も,被控訴人太郎及び同花子に対し,被控訴人次郎につき急性呼吸不全,気道閉塞に対して気管内挿管,気管切開術を予定すること,解剖学的に気管の偏位,狭窄などが考えられ,出血,挿管困難などの併発に対して致命的となることもあること等を説明し,両名が手術に同意し,被控訴人太郎が「手術・麻酔・検査・治療などに関する説明と同意書(Ⅰ)」(乙A5の12枚目)の末尾に署名押印したため,被控訴人次郎は,そのころ,小児科から小児外科に転科となった。

(6)本件手術

ア 22時30分ころ,被控訴人次郎は,病室から手術室に搬入されてモニター等の装着や局所麻酔を受けるなどした。本件手術は,D9医師が執刀医になり,助手は小児外科のD10医師のほか,D3医師,D8医師も加わり,D6医師が麻酔を担当した。

D9医師は,手術中の気道確保の必要を考え,手術室において,22時55分ころまでの間,被控訴人次郎に対し,再度気管内挿管を試みたが,やはり成功しなかった。

イ D9医師は,22時55分ころ横切開で皮膚を切開して本件手術を開始したが,気管は通常よりも奥深い位置にあり,また,手術は気管内挿管ができておらず,エアウェイによる呼吸管理のためSpO2の低下も見られ,早急な処置が必要であった。D9医師は,甲状腺を正中で切離して左右に分離させ,第2~第4気管軟骨を縦に約6mm切開し,23時19分ころ,シャーリー社製気管切開チューブ3.5mmを気管内に挿入したが,気管内には血性分泌物が多量にあった。本件手術は23時30分に終了したが,執刀中,SpO2の低下があり,口腔内吸引が頻回に行われた。手術終了後は,被控訴人次郎の呼吸状態は安定し,顔や口唇の色も良好となったが,体熱感があった。

23時05分から23時35分までのSpO2の推移は,以下のとおりである(単位の%は省略)。

23時05分から23時10分まで

92,53,46,41,38,44,30,81,90

23時10分から23時15分まで

96,85,80,70,60,84,88,81,74,67,60,56,52

23時15分から23時19分まで

49,44,40,54,46,28,24,24,21,16,10

23時19分から23時20分まで

88,100,95,92,100

ウ 被控訴人次郎は,その後,髄液検査や胸部X線検査を受けるなどした後,暫く手術室に待機し,その間の1月28日0時過ぎころ,D9医師は,被控訴人太郎及び同花子に対し,経口気管内挿管は困難であり,気管切開術を行ったこと,気管の偏位及び体動ある中での手術のため通常よりも困難であったこと,気管切開術後呼吸状態は改善し,落ち着いていることなどを説明した。被控訴人次郎は,同日1時ころ,呼吸及び全身管理のため小児外科から小児科に転科となり,控訴人病院救命救急センターのICUに入室した。

(7)低酸素脳症の診断まで

ア 1月28日2時ころ,D3医師が被控訴人花子らに改めて病状説明をした。そのやり取りの要旨は,次のとおりである。

D3医師 今回の被控訴人次郎の急変の原因には,肺炎の悪化と髄膜炎・脳炎・脳症などの中枢神経の感染に伴うものと元々のピエールロバン症候群によるてんかんなどが考えられる。しかし,現時点での髄液検査からは中枢神経感染は考えにくい。今後としては,低酸素により脳が障害されることが心配される。今後の治療は,① 抗生剤(これまでよりも強いもの),② 脳浮腫改善剤(グリセオール),③ 鎮静剤,④抗痙攣剤,⑤ 呼吸管理(自発呼吸があるときは,それをサポートする。),⑥ γブログリン(ヒトの免疫抗体。ウイルス,細菌に効果がある。)で行う。痙攣が起こることや,血圧が下がること,再び呼吸が止まること(当面は呼吸管理しているので,呼吸に関しては大丈夫。)が心配される。無事,命を取り止めたとしても,後遺症の残る可能性はある。

被控訴人花子 首の所が詰まっているような気がする。肺炎で息が止まるとは考えにくい。

D3医師 肺炎でも呼吸の予備能力が低いと呼吸が止まることはある。

被控訴人花子 BCGが今回の呼吸停止を起こした可能性はないか?

D3医師 BCGの予防接種では肺で抗体を作るわけではないので,99.9%関係ないと思われる。

被控訴人花子 すごく元気だったので,どうしてこうなったか納得がいかない。気道が狭くなる時は徐々になると聞いていた。

D3医師 原疾患による気道狭窄であれば徐々に起こるが,感染によるものであれば急に起こることはありうる。

被控訴人花子 甲状腺を切ったとD9医師から聞いたが,大丈夫か?

D3医師 ホルモンとしては問題ないと思われる。今回,緊急に手術をしたので,神経の損傷は考えられる(声帯麻痺とか)。しかし,命に別状はないと思われる。

被控訴人花子 低酸素による脳の障害とはどのようになるのか?

D3医師 発達の遅れ,痙攣は考えておいてほしい。

被控訴人太郎 低酸素はどの位続いたか?

D3医師 19時30分から23時30分まで,よくなったり悪くなったりだった。何分続いたとは表現しにくい。

被控訴人太郎 1月27日の昼の時点でどうにかできなかったのか?

D3医師 胸部X線写真もよくなっていたし,予測のしにくい状況だった。

被控訴人花子 気管切開が一生のこともある?

D3医師 今は低酸素による脳の障害を乗り切ることが大切。子供の場合は一生続かないことが多い。

被控訴人太郎 記憶障害,痙攣はどの位の頻度で起こるか?

D3医師 何らかの後遺症は必ず出ると思うが,それが目に見える程度かどうかはわからない。つまり,発達のペースが遅くなる程度で済むか,命を落とすとか麻痺があるとか,どうなるかはわからない。

イ 1月28日4時ころ,被控訴人次郎は,体温が40℃に上昇したため,アンヒバ座薬100mg2分の1個を肛門に挿入された。8時30分ころ,被控訴人次郎は,体温が38.9℃であり,時に悪寒振戦によると思われる四肢の緊張があった。9時5分ころ体温は37.2℃に下がり,夕方も状態は落ち着いてきていたが,20時過ぎころから体温が上昇して体温39~40℃の高熱,頻脈,筋緊張増加の状態が続いた。

1月29日1時30分ころ,D3医師は,被控訴人花子らに対し,被控訴人次郎に高熱,頻脈,筋緊張増加の状態が続いていること,これに対して呼吸器の設定,冷却,解熱剤等を色々行ったが状況に変化がないこと,血液検査上のガスのデータは安定しているが,肺炎はX線写真でやや増悪しており,これが原因で発熱している可能性もあり,また,低酸素脳症のため中枢性の発熱の可能性もあること,発熱と四肢緊張の増悪の悪循環を絶つために筋弛緩剤を使用したいが,これを使うと自発呼吸も減弱するため,呼吸器で呼吸を肩代わりする必要が生じ,また痰が出にくくなるなど,呼吸に関するトラブルが増える可能性があることを説明し,被控訴人次郎に筋弛緩剤(マスキュラックス)の投与を開始した。

同日9時ころ,D3医師は,被控訴人花子らに対し,胸部X線像はよくなっており,体温も心拍数も安定し,現在は落ち着いてきていること,筋弛緩をかけて人工呼吸管理にしたのはよい方に働いたものと思われるが,炎症反応を示すCRPは軽度上昇しており,肝機能酵素など上がっているものもあり,これは低酸素により細胞が壊れたことによる影響が出ていると思われることを説明した。

ウ その後も,被控訴人次郎は,高熱,体幹部の発疹,肝腫大等が見られ,2月2日には発疹はほぼ消失したが,同日以降,時々開眼するが固視・追視なく,体動あるものの吸引時などに四肢緊張や振戦が出るようになった。なお,被控訴人次郎は,ICU満床のため2月1日にICUからHCU(高度治療室)に転床した。

被控訴人次郎は,2月4日に鎮静剤中止となって鎮静解除された後も,刺激しても覚醒しない状態(意識レベル3桁)であり,D3医師は,2月5日の診察で低酸素脳症であると判断した。

被控訴人次郎は,2月7日,頭部CT検査を受けたが,画像所見では,脳幹(~基底核)及び小脳以外の全般性の低密度が,後頭葉皮質に高密度が認められたため,正式に低酸素脳症と診断され,同日19時ころ,D3医師は被控訴人太郎及び同花子に病状説明を行った。その際のやり取りの要旨は次のとおりである。

D3医師 頭部CTでは全体的に低濃度な変化があり,思ったより脳のダメージが酷かったと判断できる。元通りにはならないと考える。%までは言えないが,このままの状態の可能性が高い。CTからは低酸素脳症への変化が強く,今後の見通しは暗いと考えられる。今後できることは,注入で栄養を与えることとリハビリで筋拘縮を防ぐこと。刺激を与えることで少しはにこりとしたりする表情の出る可能性はあるが,必ずなるとはいえない。しかし,寝たきりにさせておくとその可能性もなくなる。

被控訴人太郎ら 挿管に時間をかけ過ぎたから低酸素脳症のダメージが酷くなったのではないか?一時的に挿管をやめて,落ち着いてから気管切開をすれば呼吸は回復したのではないか?

D3医師 エアウェイで呼吸停止が起こったのだから,これ以上待つことはより手術の条件を悪くすると思われる。気管に首の表面から針りを刺す方法もあったが,児の気管はすごく細く,出血のリスクを考えるとそれはできなかった。

被控訴人太郎ら 口蓋裂,ヘルニアの手術を予定していたが。

D3医師 口蓋裂の手術はすぐは必要ない。ヘルニアに関しては,腸蠕動がある限りは嵌頓の可能性があるので,全身状態が落ち着けば行った方がよいと思われる。

被控訴人太郎ら どこが悪かったのか?

D3医師 エアウェイが入った状態で呼吸が止まったということは,それより下の気道が悪くなったと考えられ,肺炎の悪化と判断している。

被控訴人太郎ら 今の治療をやめたらどうなるか?亡くなることはできるか?

D3医師 全身状態は回復の方向に向かっており,亡くなることはなく,苦しさが増すだけと思う。

2 争点1(本件急変時に気管内挿管を急がず,アンビューバッグによる気道確保を継続して被控訴人次郎を手術室に搬入し,気管切開の準備が完了した時点で気管内挿管操作を開始し,不成功に終わった場合には直ちに気管切開術を開始すべき義務があったか)について

(1)鑑定人I・H大学医学部附属病院麻酔科教授(以下「鑑定人」という。)は,体温が上がれば代謝が亢進され,身体は多量の酸素を必要とするところ,本件急変は,高熱下,咽喉頭の炎症に基づく腫脹,分泌物増加による上気道閉塞が悪化したことを主な要因とする呼吸不全であること,それまでは風邪を引いたりしたときの上気道閉塞がエアウェイ挿入によって治まっていたのに今回はそうはいかなかった点及びX腺写真で一部肺炎等の所見が見られた点を考えると,前記の上気道閉塞の悪化に加え,下気道の上気道に最も近い位置にある例えば喉頭,声帯部分の炎症に基づく浮腫による下気道閉塞も原因であった可能性があると解されること,本件急変に対しては可及的速やかな気道確保が最重要な処置であるところ,エアウェイや用手的気道確保は不確実であり,確実な気道確保である気管内挿管を行うことは極めて重要であるから,被控訴人次郎に対し控訴人病院の医師が病室で気管内挿管を試みたのは間違いではないことを鑑定所見として述べており(鑑定の結果,鑑定人の証言),この見解を排斥するに足りる医学的見解は見当たらない。

したがって,被控訴人らが主張するように,本件急変時に気管内挿管を急がず,まず被控訴人次郎を手術室に搬入すべき義務があったとはいえない。

(2)これに対し,前J病院長K医師(以下「K医師」という。)は,本件急変時,訪室した麻酔科医がマスク・バッグ換気を行ったところ,被控訴人次郎は1分も経たないうちに2,3呼吸で強制換気が可能な状態となり,心拍数も徐々に上がってきて危機的状況を脱し,マスク・バッグ換気が可能であったのであるから,間髪を入れずに気管内挿管にトライしなければならない状況ではなかった,被控訴人次郎に対する挿管行為はリスクを伴う侵襲的医療行為である上,挿管困難や不能が容易に予見され,また無麻酔下に行うためにそのリスクが倍増する一方,もしも気管内挿管が不成功に終わった場合には,挿管操作の反復によって気道粘膜の状態は更に悪化し,気道狭窄の更なる進行が惹起され,心機能にも悪影響が及び,呼吸状態並びに全身状態は挿管操作開始前に比して確実に悪化することが予見されるから,気管内挿管を試みる場合には,まず被控訴人次郎を手術室に搬入し,気管切開の準備(人的物的準備)が完了した時点で挿管操作を開始し,不成功に終わった場合には直ちに気管切開をすべきである旨の意見を述べている(甲B30)。

しかしながら,19時30分ころにD6医師が駆け付け,短時間の加圧でアンビューバッグによる強制換気が可能な状態となり,心拍数も徐々に回復してきて,ひとまず危機的状況を脱したとしても,本件急変は,それまでエアウェイで呼吸管理できていた被控訴人次郎について,エアウェイ挿入中であるにもかかわらず発生したものであって,この時点ではその原因も把握することは困難であったものと推察できるから,再び本件急変のような事態が再発して深刻な事態に陥るのを避けるために,確実な気道確保の方法である気管内挿管をその場で行う選択枝は合理性があるといえる。K医師のいうように直ちに手術室に搬入する場合には,その搬入の途中で本件急変のような事態が再来する危険を伴うのであって,それにもかかわらず直ちに手術室に搬入すべきであったとは認めがたい。

(3)よって,争点1についての被控訴人らの主張は採用できない。

3 争点2(挿管困難症であることが確認された時点で気管切開術を速やかに行う義務があったか)について

(1)B大学大学院医学系研究科生体機能管理学教授L(以下「L教授」という。)は,鑑定意見書(乙B9)において,気管切開は,輪状甲状靱帯より少し尾側で施行するので,その部位にある甲状腺などを処理する必要があって施行に時間がかかる欠点があり,また,幼児の気管切開では,気管が狭く,気管切開チューブが気管に接する部位に肉芽が形成されて気管切開チューブを抜くことができなくなる(気管切開チューブを抜去すると気管内に形成された肉芽で気管腔が狭くなり呼吸ができなくなる)例が多いなどの理由から,小児の場合にはできるだけ気管切開を避け,他の方法で気道確保ができない時の最終手段と位置づけられていること,小児の気管切開は,大人の場合に比して施行されることが少なくまた難しいので,手技に慣れた耳鼻科,小児外科医が準備の整った手術室で施行するが,その際には,術中に気道周囲を操作するため換気の悪化する可能性が高く,気管内挿管等で確実な気道確保をして行うのが一般的であることを述べている。また,同研究科医学専攻病態制御部門臓器機能統御医学・小児医学准教授M(以下「M准教授」という。)は,鑑定意見書(乙B10の1)において,気管切開には非常に高いリスクがあり,事前に気管内挿管を行っていればそのリスクはかなり軽減されること,気管内挿管のリスクは気管切開のリスクと比べると遙かに小さく,十分に配慮して行えば気管内挿管が重篤な後遺障害をもたらすことは極めて稀であること,気管切開のために患者を手術室に移動させることにも呼吸状態を更に悪化させるリスクがあることを述べ,鑑定人も,定型的気管切開は,時間がかかる,出血も多い,手技も非常に難しい,そういうような点で非常に困難性を伴う旨を述べている(鑑定人の証人調書35頁)ところ,これらの見解を排斥するに足りる医学的見解は見当たらない。

(2)「挿管困難症」とは,通常のトレーニングを受けた麻酔科医よる通常の喉頭鏡での気管内挿管の操作が3回を超えるか又は10分以上要するものをいうとされている(甲B16の3頁)から,本件においては,1月27日19時30分にD6医師が病室を訪れ,アンビューバッグによる換気を行い,気管内挿管を2,3回試みて失敗した時点で被控訴人次郎の挿管困難症が確認されたと認められるところ,鑑定人は,鑑定書において,19時30分ころから19時50分ころまでの間にD6医師とD7医師,D3医師が気管内挿管を行ったことは,気管内挿管操作を15分程かけて施行することは挿管困難ケースではしばしばあることであり,また,経験を積んだ医師が手技を交替することで気管内挿管が成功する場合があるため複数の医師が入れ替わり気管内挿管を行うことも挿管困難ケースではしばしばあることであって,その間にマスク・バッグ換気(アンビューバッグによる換気)が適切に行われ,SpO2が許容範囲内に保たれていた場合には問題ない旨述べており,L教授,M准教授も同意見である。

したがって,被控訴人ら主張の段階では,最終手段と位置づけられている気管切開以外の方法で気道確保ができない状況にあったとまでは未だいえないから,気管切開を行うべき義務があったとすることは困難であって,争点2についての被控訴人らの主張は採用できない。

4 争点3(挿管困難症が確認された時点と19時42分のいずれか早い時点で,ラリンゲアルマスクあるいは輪状甲状靱帯穿刺などの緊急の気道確保手段を採るべき義務があったか。ラリンゲアルマスクの備置がなかった場合,控訴人病院にはそれを備置しておくべきであったか。)について

(1)前記1で認定したとおり,19時30ころD6医師が病室に駆け付けた時点では,被控訴人次郎は,深昏睡(JCS300)であり,チアノーゼが著明で呼吸停止かそれに近い状態にあり,直ちに対処しなければ1,2分で心停止に至ることが予想されたが,D6医師が看護師に替わってアンビューバッグによる換気を行ったところ,加圧開始後2,3呼吸で肺に酸素を入れることができ,徐々に脈拍も上がってきたこと,その後,D6医師が2,3回気管内挿管を試みて失敗し,そのころ駆け付けたD7医師と交替しながら5回以上気管内挿管を行ったが失敗したこと,19時45分ころD3医師が病室に駆け付けた時点では,被控訴人次郎は,深昏睡であったが自発呼吸があり,肺音からする空気の入りもまずまずであったものの,SpO2は,アンビューバッグによる強制換気をした状態で60~80%台,同強制換気を中止すると40~50%台に低下し,肩呼吸・努力呼吸が増悪する状態であったこと,D3医師も気管内挿管行為を1回試みたが失敗し,その前後に各1回程吸引行為を行ったところ,被控訴人次郎の自発呼吸は,19時50分ころには徐々に回復し,アンビューバッグによる換気を行わなくても酸素投与のみでSpO2が70~80%になり,以後は基本的にはその状態が本件手術まで続いたこと,以上の事実が認められる。そうすると,19時30分ころから19時50分ころまでの医師らのアンビューバッグによる換気により,被控訴人次郎は呼吸状態がある程度まで回復したものであって,その間の医師の処置が状況を悪化させる不適切なものであったとは認められない。

なお,高度の低酸素状態が持続した場合には血液ガス分析でBEが高度(-10以上)に低下してくるとされている(乙A8)ところ,21時17分の血液ガス分析によれば,被控訴人次郎のBEは0.1mmol/Lと低下しておらず,高度の低酸素状態が続いたものとは解されないこと等に照らせば,被控訴人次郎の呼吸状態は,20時ころの時点で,SpO2が70~80%より上がらない点を除けば,一応安定した状態にあったと認めることができる。

(2)前記のとおり,鑑定人は,鑑定書において,19時30分ころから19時50分ころまでの間にD6医師とD7医師,D3医師が気管内挿管を行ったことは,気管内挿管操作を15分程かけて施行することは挿管困難ケースではしばしばあることであり,また,経験を積んだ医師が手技を交替することで気管内挿管が成功する場合があるため複数の医師が入れ替わり気管内挿管を行うことも挿管困難ケースではしばしばあることであって,その間にマスク・バッグ換気が適切に行われ,SpO2が許容範囲内に保たれていた場合には問題ない旨述べているところ,証言においては,そこでいうSpO2の許容範囲とは,静脈血の通常値である75%以上あることが望ましいことから,80%位であれば許容範囲内であるが,それも難しいケースも多数あると思われる旨述べている(鑑定人の証人調書28,29頁)。

そして,前記1で認定したところによれば,被控訴人次郎のSpO2は,本件急変後19時42分ころまで低下したが,医師のアンビューバッグによる換気の効果で,その後は回復して19時50分ころには70~80%になったと認めることができるから,D6医師らの気管内挿管の試みが許容範囲を逸脱した不適切なものであったとまでいうことはできない。

これに対し,O大学医学部救急医学科教授P(以下「P教授」という。)は,鑑定意見書(甲B33)において,19時30分から19時50分ころまでの間アンビューバッグによる補助換気で酸素化が保てなかったのは,挿管操作を頻回行っていたことが影響している可能性があるとし,遅くとも19時40分ころ,もしくはD6医師が2回程度挿管を試みて失敗した時点で,挿管手技による刺激により喉頭や声門の浮腫による気道狭窄を起こさせないためにも,更なる挿管操作を試みることなく,ラリンゲアルマスク挿入か気管切開を行うべき旨意見を述べ,K医師も,意見書(甲B30)において,20時ころ以降SpO2が完全には回復しなかった主原因は,挿管操作の反復によって出血や分泌物増加が生じ,血液や分泌物が反射の低下している声門部を通過して気管・気管支内に留まったことにあると述べている。

しかしながら,これまで呼吸不全があってもエアウェイ挿入で対応できていた被控訴人次郎が,本件急変においては,エアウェイ挿入で対応できなくなったのは,鑑定人が述べるように,上気道の閉塞のみではなく,下気道の上気道に最も近い位置にある例えば喉頭,声帯部分の炎症に基づく浮腫による下気道閉塞も原因であった可能性が高い。P教授は,エアウェイは舌骨の高さまで挿入されているところ,チューブ内で分泌物が閉塞した可能性,エアウェイの位置が吸引等によりずれた可能性もあると述べる(甲B33の9頁)が,エアウェイの位置が吸引等によってずれたことを窺わせる証拠はないし,チューブ内で分泌物が閉塞した可能性については,吸引が頻繁に行われており,エアウェイを挿入してあまり期間が経過していない本件の場合には,エアウェイが閉塞して換気ができなくなることは考えがたい旨を鑑定人が証言しており(鑑定人の証人調書12頁),P教授の前記意見をそのまま採用できない。また,医師の気管内挿管操作によって呼吸状態を悪化させる程の咽喉頭の痙攣,浮腫等が発生したとすれば,20時ころにもそれらの痙攣,浮腫等の影響がある程度残っており,一応の状態安定を見ることはなかったのではないかとの疑問があるし,呼吸状態は19時50分ころまでに回復に向かっていたのであるから,被控訴人次郎に喉頭,声帯部分の浮腫があったとしても,それはD6医師らの気管内挿管の手技によって発生したものではなく,それ以前から発生していたものとの蓋然性を排除することができず,前記のP教授やK医師の意見は直ちに採用できない。むしろ,D6医師らの気管内挿管の手技にもかかわらず,被控訴人次郎の呼吸状態は改善したのであるから,それらの気管内挿管の手技が被控訴人次郎の呼吸状態を悪化させる要因になったものと認めることは困難である。

(3)鑑定人は,鑑定書においては,① 19時42分の時点で,気管内挿管の操作を中止して,ラリンゲアルマスク挿入か輪状甲状靱帯穿刺を試みるべきではなかったか,② 結果から考察する一面はあるが,19時30分ころから20時ころまでの間に3名の医師が挿管を試みて失敗していることを考えると,気管内挿管にこだわらずに,ラリンゲアルマスクや輪状甲状靱帯穿刺による気道確保に踏み切るべきであったと考えざるを得ないと記載している。

しかしながら,鑑定人の証言によれば,前記①については,その時点のSpO2が0%を表示しており,呼吸状態が極めて悪い状態を指しているので,如何なる危険を犯しても他の方法を取るべきであるとの趣旨であり,②についても,ラリンゲアルマスクや輪状甲状靱帯穿刺に踏み切っても成功の保証はないものの,それらの方法をとってもよかったのではないかという程度の趣旨である(鑑定人の証人調書46~48頁)というのであり,鑑定書の前記記載をもって医師の注意義務を確定することはできない。

他方,鑑定人は,証言において,そもそも,ラリンゲアルマスクは喉頭にマスクをするものなので,喉頭よりも尾側の下気道に閉塞がある場合には気道確保には有効ではなく(同中書13頁),ラリンゲアルマスクが喉頭にきちんと当たらないと換気できないところ,ピエールロバン症候群の患児の場合は解剖学的な形が違うため,きちんとラリンゲアルマスクを奥まで挿入して喉頭にきちんと当てることができるか,また,うまく当てることができたとしても有効な換気ができたかには疑問があること(同調書18~19頁),小児の輪状甲状靱帯穿刺は,その手技が極めて難しく,本件では失敗の可能性が高かったと解されること(同調書14~16頁)を述べており,その意見を排斥するに足りる医学的所見は見当たらない。

そうすると,鑑定書の記載にもかかわらず,19時42分の時点でラリンゲアルマスクか輪状甲状靱帯穿刺を試みるべき注意義務や,控訴人病院の医師が気管内挿管にこだわらずにラリンゲアルマスクや輪状甲状靱帯穿刺を試みるべき注意義務を認めることは困難である。

(4)その他,本件においては,挿管困難症が確認された時点と19時42分のいずれか早い時点で,ラリンゲアルマスクあるいは輪状甲状靱帯穿刺などの緊急の気道確保手段を採るべき義務があったと認めるに足りる証拠はないから,控訴人病院にラリンゲアルマスクの備置義務があったか否かを検討するまでもなく,争点3についての被控訴人らの主張は採用できない。

5 争点4(D9医師は,気管内挿管を試みることなく直ちに本件手術を施行する注意義務があったか。また,仮に気管切開術のためにアンビューバッグによる換気以外の方法による気道確保が必要であった場合,設備の整った手術室においてファイバースコープ挿管又はラリンゲアルマスクによる気道確保を行った上で気管切開術を行うべき注意義務があったか)について

(1)小児外科のD9医師は,20時30分ころ,被控訴人次郎の病室に駆け付け,麻酔科のD6医師から気管内挿管の依頼を受け,20時50分ころ,被控訴人次郎に対し1回気管内挿管を試みているところ,そのころ被控訴人次郎はSpO2が70~80%台で直ちに気管切開を行う必要のある状態であったとは未だ認められない。前記のとおり,L教授が,気管切開術は,小児の場合にはできるだけ避け,他の方法で気道確保ができない時の最終手段と位置づけられており,また,気管切開術には,術中に気道周囲を操作するため換気の悪化する可能性が高く,気管内挿管等で確実な気道確保をして行うのが一般的であると述べていること(乙B9),気管切開のために手術室に移動させることにも呼吸状態の更なる悪化の危険を伴うことなどを考えると,D9医師が気管切開以外の方法として,また,気管切開を行う場合にも必要となる気管内挿管を手術室に搬入する前の時点で試みたこと自体は,不適切とはいえない。

鑑定人も,証言において,D9医師の前記挿管行為自体は間違っているとは考えない旨を述べ(鑑定人の証人調書48頁),独立行政法人国立病院機構Q小児病院救急部長R医師(以下「R医師」という。)も,鑑定意見(乙B80の1)において,20時以降は呼吸状態がかなり安定してきており,即時に気管切開をする必要はなかったと述べている。

これに対し,P教授は,20時30分ころの段階で既に気管切開術が決定されていたのであるから,それを優先すべきであり,このときのD9医師の気管内挿管は食道挿管になって,喉頭や声門の浮腫を増強させ,その後肩呼吸となりエアー入りも弱くなるなど呼吸状態を悪化させている旨意見を述べ(甲B33),K医師も同旨の意見を述べる(甲B30)が,鑑定人の証言やR医師の意見等に照らし,採用できない。

(2)D9医師は,22時30分ころに被控訴人次郎が手術室に搬入された後も22時55分ころまでの間に気管内挿管を再度試みているが,定型的気管切開の場合には気管内挿管等で確実な気道確保をして行うことが一般的であり,本件でそれを省いてまで早急に気管切開を踏み切るべき緊急性があったと認めるに足りる証拠はないから,D9医師の前記気管内挿管をもって不適切ということはできない。鑑定人も,証言において,D9医師の前記挿管行為自体は間違っているとは考えない旨を述べている(鑑定人の証人調書49頁)。

被控訴人らは,D9医師が気管内挿管にこだわったため本件手術の施行が遅れた旨主張するが,鑑定人の証言(証人調書49頁)やL教授の意見等に照らせば,D9医師の執刀が22時30分ころであっても被控訴人次郎の障害の発生には大きな差異はなかった蓋然性が高いと解されるから,D9医師がこの時点で気管内挿管を試みるべきではなかったとまではいえない。

P教授は,D9医師の執刀が22時55分ころになったのは時間の浪費である旨意見を述べ(甲B33),K医師も本件手術の執刀が22時55分になったのは極めて不適切であった旨述べる(甲B30)が,鑑定人の証言やR医師の意見等に照らし,採用できない。

(3)被控訴人らは,気管切開術のために気道確保が必要であれば,ファイバースコープ挿管又はラリンゲアルマスクによる気道確保を行うべきである旨主張するが,鑑定人の証言によれば,ファイバースコープ挿管は,甲状輪状靱帯穿刺などによって気道確保がある程度できていることが前提であり,気道が全く確保できていないのに行うのは難しいこと(証人調書36頁),ラリンゲアルマスクの使用については,被控訴人次郎の喉頭にうまくマスクを当てることができるか,できたとして有効な換気が可能であったか疑問があることが認められるから,気道確保の方法として,D9医師にファイバースコープ挿管又はラリンゲアルマスクによる気道確保を行うべきであったということもできない。

(4)以上によれば,争点4についての被控訴人らの主張は採用できない。

6 争点5(エアウェイでは対処し得ないほど被控訴人次郎の呼吸状態が悪化した場合に備えた管理をすべき義務があったか)について

K医師は,意見書(甲B30)において,被控訴人次郎は,ピエールロバン症候群の1歳児であって上気道狭窄があることは明確で,呼吸不全を起こしやすい一方,挿管困難であることは予見できたのであるから,このような児が急性上気道炎に罹患し,呼吸不全により入院してきた場合には,最悪の事態,すなわち患児に気道閉塞もしくはそれに近い状態が起こり気管内挿管ができない事態を想定した危機管理をすべきであり,具体的には,① 被控訴人次郎に気管内挿管が必要な事態になったらどうするかを事前に検討し,気道管理困難アルゴリズムを確立しておくこと,② ラリンゲアルマスクなどの小児の気道確保のために必要な器械を準備しておくこと,③ 気管内挿管や気管切開を行うには,麻酔科医,耳鼻科医,小児外科医など他の診療科の医師の協力が必要であるから,主治医である小児科医は事前にそれらの医師に相談し準備しておくことが必要である旨を述べており,P教授も,鑑定意見書(甲B33)において,本件では,誰がどのような処置を行うかを主治医である新生児科医,小児科医は,事前に耳鼻科,麻酔科,小児外科等と連携し治療方針を立てておくべきであった旨を述べている。

しかしながら,前記1で認定したとおり,被控訴人次郎は,これまでエアウェイでは対処しきれない程の呼吸状態の悪化はなかったのであり,本件急変の当日の10時45分ころにも下顎挙上・吸引などの処置で呼吸状態は改善しており,その時点でエアウェイが挿入され,以後は,被控訴人次郎に高熱が見られたものの,本件急変を窺わせる状況にあったとは認められない。その他,被控訴人次郎の今回の入院の目的が1月25日22時20分ころの急変の原因解明であり,控訴人病院に救急搬送された時点では被控訴人次郎の呼吸状態は回復していたことや,その後本件急変までの症状の経緯,控訴人病院が3次救急医療施設を備える愛媛県下有数の総合病院であるものの小児専門病院ではなかったこと等を考えると,控訴人病院において,エアウェイでは対処し得ないほど被控訴人次郎の呼吸状態が悪化した場合に備えた管理をすべき義務があったとまではいえない。この点は,鑑定人も,そのような管理義務の存在を否定している(鑑定人の証人調書31~33頁)。

したがって,争点5についての被控訴人らの主張も採用できない。

7 以上によれば,控訴人側に過失ないし債務不履行があったとは認められないから,被控訴人らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも失当であるところ,被控訴人らの請求を一部認容した原判決は相当ではない。よって,本件控訴は理由があるから,原判決中控訴人敗訴部分を取り消して,同部分に係る被控訴人らの請求をいずれも棄却し,本件附帯控訴はいずれも理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉本正樹 裁判官 政岡克俊 裁判官 田中一隆)

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