高松高等裁判所 平成21年(ネ)56号 判決 2010年2月25日
控訴人(一審被告)
Y1<他2名>
上記三名訴訟代理人弁護士
西山司朗
同
加藤創一
同
浦山周
同
森本宏
同
児玉実史
同
生沼寿彦
同
飯島歩
同
中森亘
同
敷地健康
同
米倉裕樹
同
荒川雄二郎
同
吉田広明
同
木曽裕
同
井垣太介
被控訴人(一審原告)
X
同訴訟代理人弁護士
高田義之
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 控訴人らは、被控訴人に対し、連帯して五六四二万八〇〇二円及びこれに対する平成一六年一〇月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二〇分し、その一七を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
五 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消す。
二 同部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
第二事案の概要等
一 事案の要旨
本件は、控訴人財団法人Y2会(以下「控訴人Y2会」という。)の開設するa病院(以下「本件病院」という。)において、大腸がんと診断され、腹腔鏡手術による横行結腸切除術を受けた後に、縫合不全(縫合部が完全には癒合せず、腸管内容物が腹腔内に漏出すること)の合併症を発症した被控訴人が、その後、腹膜炎、肺炎、ARDS(成人型呼吸窮迫症候群)等に罹患し、長期間の入院治療による廃用症候群の後遺障害を負ったことに関して、被控訴人の治療を担当した本件病院の勤務医である控訴人Y1(以下「控訴人Y1」という。)及び同Y3(以下、「控訴人Y3」といい、控訴人Y1と併せて「控訴人医師ら」という。)には上記手術について十分な説明義務を尽くさず、また、縫合不全について適切な対処をしなかった過失があるなどと主張して、控訴人ら各自に対し、不法行為(民法七〇九条、七一五条一項及び七一九条)に基づき、損害賠償金六六〇三万九九三九円及びこれに対する不法行為後の日である平成一六年一〇月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
二 前提事実、争点及び当事者の主張
原判決の第二の一ないし三(二頁二〇行目から一三頁二一行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
ただし、原判決五頁一、二行目の「愛大病院への転院」を「愛媛大学医学部附属病院(以下「愛大病院」という。)への転院」に、二二行目の「復腔鏡手術」を「腹腔鏡手術」に、一〇頁一〇行目の「保全的」を「保存的」に、一二行目の「局限」を「限局」に各改める。
第三当裁判所の判断
一 認定事実及び医学的知見
(1) 認定事実及び医学的知見は、次の(2)のとおり原判決を補正するほか、原判決の第三の一(一四頁三行目から二三頁二一行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(2) 原判決一四頁三行目の《証拠の補正略》、二二頁八行目の「原告の」を削り、「新居浜市長」を「被控訴人」に、八、九行目の「身体障害者福祉法別表一級または」を「身体障害者福祉法施行規則五条一項二号の障害の級別一級と、」に、九、一〇行目の「認定した」を「それぞれ認定された」に各改め、一二行目から二三頁二一行目までを次のとおり改める。
「(1) 結腸切除術は、結腸を切除して吻合する手術であり、手術侵襲に伴って、術後出血、縫合不全、創感染、イレウス(腸閉塞)等の術後合併症を発症する危険がある。特に、大腸の手術では術後感染のリスクが高いことから、結腸切除術後には、早期合併症として縫合不全や腹腔内膿瘍等が生じやすい。そのため、これらの合併症の予防、早期発見、早期ケアが必要とされる。
結腸切除術後、術後出血のモニタリング、リンパ液等の腹腔内の分泌液の排液を目的として、インフォメーション・ドレーンが挿入される。なお、ドレーンの抜去時期に関しては、様々な見解があり、一定の基準は確立されていない。
(2) 腸管を縫合した場合、縫合創は、通常約七日目で生理的癒合が完成する。創傷が治癒できる環境条件は、栄養や酸素、代謝や循環状態が整っていることであり、全身状態をチェックし、より早く環境を改善することが縫合不全のリスクの減少につながるとされる。
縫合不全とは、縫合部が完全に癒合しないことをいい、縫合不全が生じると、腸管内容物が腹腔内に漏出し、腹膜炎を併発することが多く、縫合不全は、消化管吻合における最も重大な術後合併症の一つとされる。
縫合不全の原因としては、低栄養状態、糖尿病、肝機能障害等の全身的因子と、吻合部の血行障害・感染・過緊張、吻合部周囲の炎症の存在等の局所的因子とがあり、手術手技以外にも様々な要因が原因となり得る。大腸がんの手術において術後に縫合不全が発生する確率は、五パーセント前後といわれている。
縫合不全が悪化して腸管内容物が腹腔内に広がると、腹膜炎を併発し、死亡等の重篤な結果を引き起こす危険性がある。
(3) 縫合不全発症の判断要素としては、発熱(術後四日目ないし六日目以降は、通常は平熱に戻っている時期である。特に後述の後期発生例では、熱が三八度台となる。)、頻脈、腹部の触診所見(圧痛と筋性防御)、背部痛、疼痛、嘔吐、白血球増加、CRP値の上昇、排ガス停止、排便異常(頻回の下痢や排便停止等)のほか、ドレーンからの排液の性状等が挙げられる。
このうち、ドレーンからの排液は、通常では血性から淡血性、漿液性へと徐々に変わるが、茶色や黄土色の排液、混濁や便臭のある排液の場合は縫合不全が疑われ、膿性や悪臭のある場合は腹腔内感染が疑われる。術後七日目になっても創部に発赤があり、微熱が続いている場合には、縫合不全を発症していることが多い。
医師としては、これらの症状があり、縫合不全が疑われる場合には、注腸造影やCT検査を行って、縫合不全や瘻孔の状態を把握し、腹膜炎の有無を確認しなければならない。
(4) 縫合不全が発症する時期は、術後三日ないし一〇日ほどで、術後二週間が経過した時点で発症していなければ、それ以後新たに発症する危険性はほとんどないとされる。
術後三日目ころの早期に縫合不全が起こる例では、吻合そのものに問題のあるメジャーリーク(大きい穴)であることが多い。この場合、瘻孔が大きく周囲の癒着がほとんどないため、炎症が起こると、局所だけに止まらず汎発性腹膜炎に移行することが多く、早期の再手術が必要となる。
それ以降の後期発生例は、炎症所見のないマイナーリーク(小さい穴)であることが多く、保存的療法で治癒可能な場合が多い。縫合不全の保存的治療の原則は、栄養管理、腸管内容物漏出の防止及び感染の除去であることから、経口摂取を禁じ、輸液による栄養管理を行うとともに、漏出した腸管内容物や膿汁のドレナージ効果を高めるため、低圧持続吸引や洗浄を行う。腹痛がほとんどなく、発症後二日ないし三日で発熱が消失する場合には、ドレナージが有効であると判断できる。また、炎症所見を伴った場合であっても、炎症が局所に限局していれば、保存的に治療することが可能であり、この場合にも、ドレナージを効かせて瘻穴化し、治癒させることが基本方針となる。縫合不全全体の約半数から七割がこれらの保存的療法で治癒しているとの報告がある。
(5) 膿瘍腔のドレナージが不十分であったり、保存的療法にもかかわらず治癒傾向がない場合には、腸管に一時的人工肛門を造設した上で、膿瘍腔のドレナージを行う。一時的人工肛門は、通常、数か月から一年後に再手術をして、閉鎖することが可能である。一時的人工肛門を造設する場合には、閉鎖のための次回手術も考慮し、安全でより低侵襲な手技を選択すべきとされる。
(6) ARDSは、肺胞内に液体が溜まり、肺の機能が低下して、血液中の酸素濃度が異常に低下するという肺の機能不全の一つである。ARDSは、胸部の損傷や膵臓の炎症等の様々な疾患から発症するが、敗血症が原因疾患であるものが全体の約三分の一を占める。
ARDSによって血液中の酸素濃度が低下し、肺細胞で産出されるサイトカイン等が血流内に漏出すると、他の器官の炎症や多臓器不全等の合併症を引き起こす。ARDSでは、早期に治療が行われないと九〇パーセントが死に至るが、適切な治療が行われれば、重症患者の約半数は救命が可能であり、治療の成否は原因疾患の治療の可否にかかっているとされる。」
二 争点一(控訴人医師らの過失と因果関係)について
(1) 争点一に対する当裁判所の判断は、次の(2)のとおり原判決を補正するほか、原判決の第三の二(二三頁二二行目から二八頁一三行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(2)ア 原判決二四頁二一行目の「原告ら」を「被控訴人」に、「本件術後」を「本件手術後」に各改める。
イ 同二五頁二二行目の「一〇月五日」から二五行目末尾までを「九月二八日に創部のガーゼに淡茶色の汚染が見られたこと、一〇月一日には開放創部のガーゼが悪臭のある淡茶色や灰茶色の膿で汚染されていたこと、一〇月二日以降被控訴人は嘔吐や下痢を繰り返すようになったこと、一〇月五日のCT検査の結果、皮下膿瘍と索状物を通じて連結する一〇センチメートル×四センチメートル程度の大きな腹腔内膿瘍が存在し、腸管との交通が認められたことからすると、遅くとも九月二八日の時点で縫合不全が発症していたものと認められる。」に改める。
ウ 同二六頁五行目の「しかし」を「確かに、《証拠省略》によると、皮下膿瘍が縫合不全を誘発することが稀にあり得ることが認められるが、本件においてかかる経過により縫合不全が発症したと認めるに足りる的確な根拠はない上、」に政め、八行目の「また」から一一行目の「矛盾する。」までを削り、一三行目の「異常」の次に「、茶色を帯びた膿の排出」を、二四、二五行目の「治癒が遅く、」の次に「九月二八日には創部のガーゼに淡茶色の汚染が見られたこと、」を各加える。
エ 同二七頁一六行目の「結局」から一八行目の「とおりである。」までを「上記のとおり、本件において皮下膿瘍が縫合不全を誘発したと認めるに足りる的確な根拠はなく、皮下膿瘍自体が縫合不全に起因するものである可能性が高いと考えられる。」に改める。
オ 同二七頁二二、二三行目を次のとおり改める。
「(3) 被控訴人は、縫合不全の発症が確認された場合には、最適なドレナージを確保して漏出物を体外に出すなどの措置を講じ、心要に応じて人工肛門を造設しなければならないのに、控訴人医師らはこれらを怠って漫然と保存的療法を続行したと主張する。
前記の医学的知見によると、術後三日目以降の後期発生例は保存的療法で治癒可能な場合が多く、その場合には、絶食の上で、ドレナージ効果を高めるため、低圧持続吸引や洗浄を行うものとされ、発症後二日ないし三日で発熱が消失する場合にはドレナージが有効と判断できるが、ドレナージが不十分であったり、保存的療法にもかかわらず治癒傾向がない場合には、一時的人工肛門を造設する必要があるとされる。
そこで、この点について検討するに、前記認定事実のとおり、①控訴人Y3は、一〇月五日、経口摂取を中止するとともに、ドレナージを行い、PTCDチューブ(比較的細いチューブ)を二本挿入したが、膿の粘性が強く、十分に洗浄できなかったこと、②控訴人Y3は、その後、留置したドレナージチューブで洗浄を行ったが、被控訴人の体温は上昇したこと、③被控訴人は、一〇月八日未明に呼吸困難となったが、便の流出も著明で、洗浄しても完全なドレナージができていなかったこと、④控訴人医師らは、同日、再手術を実施することとし、正中部を開腹したところ、腹壁膿瘍を認めたが、縫合不全部位を特定できず、また、腸管内容物の流出も確認できなかったため、膿瘍を吸引してドレーンを二本設置し、人工肛門を造設することなく再手術を終えたこと、⑤被控訴人は、その後も疼痛や発熱を訴えていたが、控訴人医師らは、ドレナージが順調に進んでいると判断したこと、⑥被控訴人には、一〇月一二日、両側肺水腫が確認され、翌一三日、人工呼吸器による呼吸管理やステロイドの投与が行われたこと、⑦その後、CRP値や白血球数値はいったん低下したが、一〇月一八日にこれらの値が再上昇し、翌一九日以降、被控訴人の体温は三八度台となり、症状は改善しなかったこと、⑧被控訴人が一〇月二五日に愛大病院に転院したところ、横行・上行結腸移行部に大きな漏出が認められるとともに、肋骨弓下の開いた傷から多量の便汁が流失していたが、汚染範囲は縫合不全部位に限局され、膿汁が貯留していたこと、⑨愛大病院の医師らは、ドレナージ効果が十分でないと判断して、ドレーンチューブを交換した上、人工肛門を造設するとともに、気管切開を行ったことが認められる。
上記事実経過及び医学的知見によると、本件においては、膿の粘性が強かったにもかかわらず、ドレーンチューブの選択が適切でなかったことなどからドレナージ効果が不十分で、縫合不全の症状も改善していなかったものであり、かかる状況の下では一時的人工肛門を造設する必要があったというべきであるところ、縫合不全の発症を一〇月五日に確認した控訴人医師らは、ドレナージ効果が不十分であったことを認識し得たにもかかわらず、適切なドレナージを施行することなく、また、速やかに一時的人工肛門を造設することもなく、被控訴人が愛大病院に転院するまでの二一日間、漫然と保存的療法を続行したものであるから、控訴人医師らには縫合不全について適切な処置を講ずべき義務を怠った過失があるというほかない。」
カ 同二七頁二五行目の「《証拠省略》」の次に「及び前記医学的知見」を加える。
キ 同二八頁七行目から一〇行目までを次のとおり改める。
「(四) 以上によれば、控訴人医師らには、縫合不全の発見の遅延と縫合不全に対する適切な処置を怠った過失があるところ、①本件手術当時、被控訴人はメニエール症、C型肝炎、高血圧症等の併発症を有してはいたものの、その体調に特段の不良はなく、日常生活にも問題はなかったこと(《証拠省略》により認められる。)、②被控訴人に発症した縫合不全は術後三日目以降の後期発生例であり、保存的療法で治癒可能な場合が多いとされることに照らすと、仮に、控訴人医師らが縫合不全の発症を遅延することなく発見し、適切な処置を講じていたとすれば、縫合不全が悪化して腹膜炎を併発し、これが原因疾患となってARDSを発症することはなかったであろうことが高度の蓋然性をもって認められるから、控訴人医師らはこれによって生じた被控訴人の損害について賠償する責任がある。」
三 争点二(被控訴人の損害)について
(1) 争点二に対する当裁判所の判断は、次の(2)のとおり原判決を補正するほか、原判決の第三の三(二八頁一四行目から三〇頁一三行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(2)ア 原判決二九頁七行目及び一九、二〇行目の「三五二八万九〇七六円」をいずれも「二六四六万六八〇七円」に改め、一四行目の「とすることが」の次に「認められる。そして、前記のとおり、①本件手術当時、被控訴人はメニエール症等の併発症を有してはいたものの、その体調に特段の不良はなく、日常生活にも問題はなかったこと、②被控訴人に発症した縫合不全は、術後三日目以降の後期発生例であり、保存的療法で治癒可能な場合が多いとされることに照らすと、控訴人医師らにおいて縫合不全の発見の遅延と縫合不全に対する適切な処置を怠った過失がなかったとすれば、被控訴人の縫合不全は保存的療法で治癒したか、あるいは、仮に一時的人工肛門を造設したとしても、その閉鎖のための再手術の実施が困難なほどに体力が低下することはなかったであろうことが高度の蓋然性をもって」を、一六行目の「介護料は、」の次に「被控訴人の上記のような要介護状況にかんがみると、」を各加え、同行目及び二〇行目の「八〇〇〇円」をいずれも「六〇〇〇円」に、二五行目の「三七〇万三四六〇円」を「三一四万二七二〇円」に、末行目の《証拠の補正略》に各改める。
イ 同三〇頁二、三行目の「その費用として三一四万二七二〇円を支払ったこと」を「その結果、通常の設備、仕様と比較して三一四万二七二〇円の工事代金額が増加したこと」に改め、三、四行目の「、今後、トイレリフト、洗面台を車椅子対応にするため、工事費用として五六万〇七四〇円を要すること」を削り、六行目末尾の次に、改行の上、「なお、被控訴人は、トイレリフト及び洗面台を車椅子対応にするための工事費用等として五六万〇七四〇円を今後要する旨主張するが、これらの工事は、平成一九年一月の自宅新築の際には施工されることなく、また、今日まで施工されないままであることや、被控訴人の上記のような要介護状況にかんがみると、かかる工事が被控訴人の介護のために必要不可欠なものとまで認めるには足りないから、これらの工事費用は本件不法行為に基づいて控訴人らに賠償を請求し得る損害と認めることは相当でない。」を加え、八行目の「原告ら」を「被控訴人」に改める。
四 まとめ
以上によれば、被控訴人は、控訴人らに対し、連帯して損害賠償金五六四二万八〇〇二円及びこれに対する不法行為後の日である平成一六年一〇月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
第四結論
よって、被控訴人の請求は、五六四二万八〇〇二円及び遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないから、上記判断に従って原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉本正樹 裁判官 市原義孝 佐々木愛彦)