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高松高等裁判所 平成21年(行コ)4号 判決 2009年12月25日

控訴人

同代表者法務大臣

千葉景子

処分行政庁

江戸川労働基準監督署長乙山二郎

同訴訟代理人弁護士

柳瀬治夫

同指定代理人

P他5名

被控訴人

同訴訟代理人弁護士

林伸豪

川真田正憲

小倉正人

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の不支給取消請求を棄却する。

3  被控訴人の遺族補償給付及び葬祭料の給付決定を求める義務付けの訴えを却下する。

4  訴訟費用は,第一審,第二審とも被控訴人の負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,食品機械・食品包装機械製造会社に勤務する設計技師であった亡Q(以下「Q」という。)が平成11年11月24日自殺をしたのは,同年4月16日からの子会社への出向と,出向先での業務による心理的負荷によりうつ病を発症したことに基づくものであるとして,Qの妻である被控訴人が,控訴人に対し,処分行政庁である江戸川労働基準監督署長が行った遺族補償給付及び葬祭料の不支給の決定の取消し並びに労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の給付決定を求めた事案である。

原審は,Qのうつ病の発症・増悪及び自殺は,業務に起因するものと認められるから,これを否定した処分行政庁の上記各処分はいずれも違法であるとして,被控訴人の請求をいずれも認容した。

これを不服として控訴人が控訴し,上記第1のとおりの判決を求めた。

2  本件における前提事実,争点及び争点に関する当事者の主張は,後記3のとおり付加するほか,原判決「事実及び理由」第2の2及び第3のとおりであるから,これを引用する。

3  原判決48頁16行目の末尾に改行の上,次のとおり加える。

「ウ なお,判断指針に当てはめる際に,本人の経験した出来事が,職場における心理的負荷評価表(原判決別紙3)の欄に示した「具体的出来事」の複数に該当すると考えられる場合には,それぞれを別々に取り上げ重複して評価することはせず,心理的負荷強度が最も高い出来事を代表して評価すべきである。例えば,出向に伴い,仕事内容,ポスト,職場の人間関係なども当然に変化するが,同表に示した出来事はこのような変化を包含するという前提で作成されているので,「出向した」という出来事のみを評価することになる。

さらに,発病前の概ね6か月の間に,当該精神障害の発病に関与したとされる複数の出来事が認められる場合には,その各々の心理的負荷の強度の総体が「客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある程度の業務による強い心理的負荷が認められる」といえるか否かを判断するため,各々の出来事の発生時期,当該出来事の持続,改善の状況等と精神障害発病の関係について個々の事案に即して総合的に検討する。すなわち,判断指針においては,出来事全体を誤りなく評価するため,出来事の平均的心理的負荷の強度の修正に当たり,重複して該当すると考えられる各出来事が包含する心理的負荷の評価の要素を分析し,それらを総合して適切に評価するとされている。」

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,被控訴人の請求をいずれも認容すべきであると判断する。その理由は,後記2のとおり補正するほか,原判決「事実及び理由」第4のとおりであるから,これを引用する。

2  原判決59頁3行目の「認められる」の次に「上に,その内容自体,過去のいわゆる落ち込んだ心理状態を思い出しながらの憶測ないし素人判断の域を出ないことが明らかである」を加える。

原判決62頁24行目の「この認定」から25行目の末尾までを「(証拠省略)(D及びEの各聴取書)中には,いずれもQに対して出向期間を3年から5年くらいと告げた旨の記載部分があるが,一般的にはそうなのでそのように告げたと思うとか,過去の例からしてそういったかもしれないとかいった類の内容であり,曖昧であって,容易に採用し難い。」に改める。

原判決64頁18行目から19行目にかけての「これとこれしか知りません」という趣旨を述べた。」を「ボックスモーション機とロータリー機しか知らず,デザートチームにいたとはいえ,ほかの機械は知りません。」などと発言し,暗にすぐには戦力には慣れないことを仄めかすかのようであった。」に改める。

原判決66頁21行目から22行目にかけての「150時間と指定されていた(」を「Hによりおおよそ150時間程度かかるものと見積もられていた(<証拠省略>,」に改める。

原判決66頁26行目の「<証拠省略>」の次に「,<証拠省略>」を加える。

原判決72頁19行目の「153.75」を「150.50」に改める。

原判決77頁5行目の「,いわば平均的労働者の最下限の者」を削除する。

原判決77頁11行目の冒頭から18行目の末尾までを次のとおりに改める。

「 そして,本件においては,社会通念に照らして,上記の意味の平均人がQと同じ状況に置かれた場合に,当該業務がうつ病を発症させる危険性があったか否かを判断すべきことになる。」

原判決94頁4行目の「Qの」から23行目の末尾までを「Qについて,うつ状態の症状が現れたのは,Q自身が自覚する平成11年5月8日ころのことであって,明らかにうつ病と診断されるべき時点は同月16日以降のことであるといえる。もっとも,うつ病の診断に関し,ICD-10では原則として各症状の持続期間は約2週間とし,重度の急性症状を呈する場合には,2週間未満でも重症うつ病の診断をすることを妨げないとされているとおり,うつ病は精神的負荷により突然発症するものではなく,症状が出る以前の段階,すなわち,平成11年4月ころから精神的な負荷による不安感等が生じていたものと認めるのが相当である。K医師は,「Qのうつ病発症の時期としては,平成11年4月ころであると思われるが,これは同月に出向の話を聞かされた時点から不安感が始まったと解釈したものである。表面的に明らかな抑うつ状態の発現は同年5月であったとしても,健常者が出向や単身赴任の話を持ち掛けられて通常感じると思われる不安感から,出向後にかかった精神負荷による症状の発現までの経過を連続する症状の変化と考え,発症時期を同年4月とした。」とし,うつ病の確定診断時期としては,同年5月である旨述べており,K意見も同趣旨の見解と思われる。これに対し,R意見は,発症時期を平成11年4月中旬とするが,これは,F常務が,同月20日にQが上京した際に「その目が据わっているように見えた」と述べていること,F常務は,Qが同年5月6日に着任した際に,F常務に対し赴任2日前から妻にも緊張感があると指摘された旨を述べたことから,着任前から不安,抑うつ感が時折表出されていることをもって,同年4月中をうつ病の発症時とするものであるが,F常務が同月20日のQの目が据わっているようであったと述べる点については,医師でもない者の主観的な印象を述べたにとどまるものであることに加え,F常務は,同日のQの言動について,単身赴任に当たり,離婚も考えた旨をQが述べたとするところ,Qが単身赴任に対する不安として述べていたのは,妻である被控訴人が一人で子育てをしなければならず負担が大きいこと等であって,離婚によって不安が解消するものではなく,F常務の前記供述を裏付ける証拠もないことからすると,同人の供述は信用できるものではない。また,Qが同年5月6日に着任した際に,F常務に対し赴任2日前から妻にも緊張感があると指摘された旨を述べたとのF常務の供述についても,被控訴人本人の原審における尋問結果に照らし,信用することができず,むしろ,F常務以外に,同年4月の時点におけるQの精神的異変について言及する供述は存在しないことからすると,同月の時点においては,Qに明らかな精神的異変は生じていなかったと認定するのが相当である。したがって,上記ICD-10のうつ病の認定基準に照らし,同月時点をQのうつ病の発症時点と認定することはできない。R意見はその前提とする事実を認めることができないから採用することができず(なお,同意見は,業務起因性の判断に関しても,出向から通常は3年から5年で戻れることを前提として判断するものであるが,この点においても上記1引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(5)イ(本判決による補正後のもの)のとおり,Qの認識していたところと異なる事実を前提とするものである。),また,同じく同月をうつ病の発症時期とする専門部会の意見及びS意見については,上記認定したところに照らし採用することができない。」に改める。

原判決96頁24行目の冒頭から26行目の末尾までを削除する。

原判決97頁1行目の「Qは,」の次に,「それまで担当していたデザート機械の設計を完了し,その販売に意欲を燃やしていたところであって,Qにとって,四国化工機勤続中に一度は出向等が命じられることがあり得ること自体は理解していたものと認められるものの,本件出向の命令は,その時期として予測されたものではなかったこと,」を加える。

原判決97頁6行目の「思い悩んだ末に」から12行目の末尾までを「これらの事情によれば,Qと同じ立場におかれた平均人を基準としてみた場合に,一般に想定される在籍出向の事例と比較して,強い心理的負荷がかかったものといえる。なお,控訴人は,Q自身が,出向期間は3年ないし5年と予測していたと思われる旨を主張するが,上記1引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(3),(5)ア及びイ(本判決による補正後のもの)のとおり,出向期間について四国化工機から植田酪農機への出向者の前例からは長期にわたることが予想され,かつ,四国化工機から約束されることはなく,むしろ,本件出向が,それまで四国化工機で扱っていた小型デザート機に関する事業を植田酪農機に移管するという事業再編に伴うものであって,Qに当該部門の設計リーダーとしての役割が期待されていたことからすれば,Qの出向期間は,植田酪農機における小型デザート機の事業が軌道に乗り,かつ,Qに代わるリーダー的存在が成長するまでとなる可能性も考えられることからすると,Qが本件出向期間を3年ないし5年と予測していたとは認められない。」に改める。

原判決100頁4行目冒頭から6行目の末尾までを次のとおりに改める。

「 上記1引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(6)イのとおり,QにUFS-12の改造を指示したのはF常務であるところ,UFS-12の総工数(設計に加え,見積作業や,取扱説明書等の資料作成,現場に立ち会う時間等の合計)の指定工数は,a社とb社向けのものそれぞれについて50時間とされており(<証拠省略>),このうち設計工数はその2分の1ないし3分の1が割り当てられるものとされていた(人証省略)。」

原判決100頁18行目の「153.75」を「150.50」に改める。

原判決100頁19行目の末尾に「また,上記1引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(6)オ(本判決による補正後のもの)のとおり,Qは平成11年5月13日に,同月15日の出図納期には間に合わないため,同月20日に延期するよう求め,その許可を得ていること,UFS-12に不慣れなQがすべてを行うことは困難であったため,HがUFS-12機の一種類を担当し,もう一つをHが教えながら,Qが担当しつつ,設計の線を引く作業はTが行うなどした結果,特に問題はなく,予測された時間で終わったこと(<証拠省略>)からすれば,UFS-12の2機種について,指定工数合計100時間の2分の1ないし3分の1で設計を行うことは極めて困難であったといえる。」

原判決100頁20行目の冒頭から101頁4行目の末尾までを次のとおりに改める。

「 さらに,上記1引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(6)オ(本判決による補正後のもの)のとおり,Qは,植田酪農機におけるUFS機の導入担当者として,平成11年5月20日を締切日として,UFS-10の検収条件提示を求められ,同時並行的に作業を行い,現にその作業を完成させた(<証拠省略>)。F常務は,Qに対し,UFS-12の改造を急ぐため,UFS-10を棚上げするように指示した旨を述べるが,上記のとおり,QがUFS-10の検収条件を指摘し(<証拠省略>),その結果を踏まえて,株式会社c及びd工業株式会社がUFS-10の改良点対策案(<証拠省略>)を作成したことに照らし,信用できない。」

原判決103頁1行目の冒頭から17行目の末尾までを次のとおりに改める。

「 (証拠省略)及び(証拠省略)によれば,植田酪農機は,平成11年4月以降,設計負荷率(山積工数/保有工数)が毎月100パーセントを超え,ことに同年5月は189パーセントに達しており,山積工数のうちの一部について外注に出したことを考慮しても恒常的に業務繁忙状態にあったことが窺われる。

Qは,UFS-12に関しては,UFS-12が四国化工機のHが設計した機種であり,Qの担当したことのない機種であったことから,四国化工機において同社の支援の下で作業を行うことを許可され,同月11日から17日まで,四国化工機においては,Hほか2名の援助を受けて作業を行ったが,このような支援は,本件出向に伴う臨時的な措置であったと推測され,四国化工機と植田酪農機が親子会社の関係にあることを考慮しても,会社としての組織上,その後も恒常的にQが四国化工機に戻って設計を行い,あるいは四国化工機の他の従業員の支援を受けられる見通しがあったとは考えがたい。

控訴人は,Qが四国化工機の支援を受け,納期までに作業が終了したと主張するが,実情をみると,Qは植田酪農機において,短期の納期に間に合わせるために,Q自身は使用したことのないオートCADによる設計図面の作成を,同僚や部下に任せることもできず(<証拠省略>),また,Qが植田酪農機におけるUFS機導入の担当者であって,技術面で相談できる上司等もいないなど,周囲の支援体制に乏しい状態にあったと認められる。よって,上記主張は採用できない。

以上のとおり,Qは,本件出向後,その業務としてこれまで担当したことのない機械の設計等を担当することになり,その設計等に利用するCADもこれまで使用したことのないものを使用せざるを得ない状況の中で,実現不可能な納期による業務を命じられ,かつ,命じられた業務については出向元の会社への出張という形式で支援は得られたものの,所属する部署の業務は恒常的に繁忙であり,技術面で相談できる上司等や業務を命じることができる部下もいないなど,支援が乏しい状況に置かれていたといえ,このようなQの立場に置かれた平均人としては,通常の出向に伴う業務や周囲の環境の変化以上の強い心理的負荷を感じるものというべきである。」

原判決103頁17行目の末尾に改行の上,次のとおり加える。

「(6) 業務による心理的負荷の総合評価

以上によれば,本件出向命令後約1か月という短期間において,本件出向そのものによる心理的負荷及び本件出向後の業務による心理的負荷の両面において,通常の出向による心理的負荷として想定される範囲を超える強い負荷が加わったものといえ,客観的にうつ病を発症させるおそれのある程度の業務による強い心理的負荷が認められるというべきであるから,心理的負荷の強度はⅢ(強)に当たると認めるのが相当である。」

原判決103頁18行目の「(6)」を「(7)」に改める。

原判決103頁21行目の「(7)」を「(8)」に改める。

原判決103頁25行目の末尾に次のとおり加える。

「なお,Qは,平成11年5月25日の時点において,被控訴人から指摘を受けて気付いたが,過去何度かこのような状態になった経験がある旨を記載し,その具体的な例として,母親の死亡時,土地の境界の問題時,御殿場工場でのシール機でのトラブルを掲げている(<証拠省略>)が,同時に,これらの際には,父親や出張同伴者もおそらくうつ状態であったとし(<証拠省略>),また,同年6月10日付けの状況報告書(<証拠省略>)においては,F常務やO次長も「私と同じく“うつ状態”にあるのではという疑問を持つようになった」などとしているが,その内容自体,過去の出来事を思い出し,現在の自分の心境に当てはめて,種々憶測しているに過ぎず,いわゆる素人判断の域を出ないものであることが明らかであることに加えて,被控訴人がQに対して過去にうつ状態になったことがある旨の指摘をした形跡は見当たらず(<証拠省略>),むしろ,江戸川労働基準監督署における調査結果復命書によれば,Qが御殿場工場でのトラブルに伴い出張を繰り返していた中で,Qから精神的な負荷について打ち明けられた者もいないこと(<証拠省略>)に照らすと,上記同年5月25日のQの記載をもって,Qが過去にうつ状態に陥ったことがあるなど,Qに精神障害と関連する疾患を含む既往症があったと認めることはできない。」

原判決103頁26行目の「(8)」を「(9)」に改める。

原判決104頁1行目の冒頭から5行目の末尾までを次のとおり改める。

「 上記(6)のとおり,業務による心理的負荷の強度はⅢに該当する。」

3  以上によれば,本件処分は違法な処分として取り消されるべきであり,処分行政庁としては,遺族補償給付及び葬祭料の給付決定をすべきであることが,労災保険法に基づき明らかであるから,本件処分の取消及び上記給付決定の義務づけを求める被控訴人の請求は理由がある。よって,原判決は相当であり,本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢延正平 裁判官 釜元修 裁判官 金澤秀樹)

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