高松高等裁判所 平成24年(ネ)340号 判決 2014年5月30日
主文
1 1審原告X1の控訴に基づき,原判決主文第1及び第3項中1審原告X1に係る部分を次のとおり変更する。
⑴ 1審被告は,1審原告X1に対し,660万円及びこれに対する平成8年11月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
⑵ 1審原告X1のその余の請求を棄却する。
2⑴ 1審被告の控訴に基づき,原判決主文第2項を取り消す。
⑵ 上記部分の1審原告X2の請求を棄却する。
3 1審原告X2の控訴を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じ,1審原告X2に生じた費用は1審原告X2のその負担とし,1審原告X1に生じた費用はこれを30分し,その1を1審被告の負担とし,その余を1審原告X1の負担とし,1審被告に生じた費用はこれを30分し,その1を1審被告の負担とし,その1を1審原告X2の負担とし,その余を1審原告X1の負担とする。
5 この判決の主文第1項⑴のうち原審の認容額を超えて支払を命ずる部分は,この判決が1審被告に送達された日から14日が経過したときは,仮に執行することができる。ただし,1審被告が1審原告X1に対し70万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第11審原告ら及び1審被告の各控訴の趣旨
1 1審原告ら
⑴ 原判決を次のとおり変更する。
⑵ 1審被告は,1審原告X1に対し,2億3221万5088円及びうち9931万1087円に対する平成8年11月6日から,うち1091万5130円に対する平成16年2月19日から,うち1億2198万8871円に対する平成17年11月9日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
⑶ 1審被告は,1審原告X2に対し,1100万円及びうち500万円に対する平成8年11月6日から,うち500万円に対する平成17年11月9日から,うち50万円に対する平成16年2月19日から,うち50万円に対する平成18年3月1日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
⑷ 訴訟費用は,第1,2審とも1審被告の負担とする。
⑸ 上記⑵⑶につき仮執行宣言
2 1審被告
⑴ 原判決中,1審被告敗訴部分を取り消す。
⑵ 同部分の1審原告らの請求をいずれも棄却する。
⑶ 訴訟費用は,第1,2審とも1審原告らの負担とする。
第2事案の概要
1 本件は,1審原告X1が,脊髄動静脈奇形の治療のため,1審被告が設置,経営するa病院(以下「a病院」という。)において観血的手術(以下「本件手術」という。)を受けたところ,遮断術を行うとの術前の説明と異なり,かつ術式に係る合意に違反して,適応がない摘出術を施行されるなど承諾なく術式を変更された上,不適切な手術手技により脊髄損傷等の傷害を受け,体幹部及び両下肢の痙性麻痺,感覚麻痺,膀胱直腸障害等の障害を生じて身体障害者2級1種となり,さらに本件手術後の経過観察中に発生した動脈瘤をa病院医師が見落としたことにより上記障害が拡大して身体障害者1級1種となったものであり,1審被告には,適応違反,合意ないし説明義務違反,本件手術手技上の過失及び動脈瘤の見落としの過失等があると主張して,1審原告X1が,1審被告に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為(民法709条)に基づく損害賠償及び遅延損害金の支払を求めるとともに,1審原告X1の夫である1審原告X2が,1審被告に対し,主位的に不法行為(民法711条),予備的に診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償及び遅延損害金の支払を求めた事案である。
原審は,1審被告の本件手術に係る説明義務違反を認め,1審原告X1の1審被告に対する請求につき,550万円及びこれに対する平成8年11月6日から,1審原告X2の1審被告に対する請求につき,110万円及びこれに対する前同日から各支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で各請求を認容し,その余の請求をいずれも棄却したところ,1審原告ら及び1審被告がそれぞれ敗訴部分を不服として控訴し,前記第1のとおりの判決を求めた。
2 本件における前提事実,争点及びこれに対する当事者の主張は,次項のとおり当審における当事者の補足的主張等の要旨を加えるほか,原判決「事実及び理由」第2の2,第3及び第4のとおりであるから,これを引用する(略語については原判決に従う。)。
3 当審における当事者の補足的主張等の要旨
(1審原告ら)
⑴ 1審原告らと1審被告の医師団との間の本件手術に関する合意は,いかなるタイプのAVMであれナイダスの摘出はしないという知見に基づき遮断術を採るとの具体的な術式を定めたタイトな合意であり,変更は許されないものであって,1審被告医師らには合意遵守義務がある。しかるに1審被告医師らは本件手術において,合理的理由もなく摘出術に術式を変更したものであり,合意遵守義務違反がある。
また,それにもかかわらず1審被告医師らが重大な術式変更をした場合は,術後であっても患者に説明する義務があるというべきであるが,A医師もB医師も具体的な説明をしなかった。
1審原告らはこれによって患者の自己決定権を侵害されたとともに,もし摘出術を採用するとの説明を受けていればこれに同意したはずはない。そして,1審原告X1は,本件手術後,T2以下の両側性感覚麻痺,足の深部知覚麻痺,膀胱直腸障害,失調性歩行等手術前になかった症状を生じ,以後回復しなかったものであるところ,これらは本件手術により脊髄に生じた神経傷害の悪化によるものであるから,これらによって生じた全損害は,上記合意遵守義務違反と相当因果関係のある損害である。
⑵ 1審被告には,1審原告X2に対しても説明義務違反があり,合意遵守義務違反等もある。1審原告X2が介護や本訴追行に要している多大な労力に応じた慰謝料が認められるべきである。
⑶ 説明義務違反による不法行為に基づく損害賠償請求権の時効消滅について
本件手術後のB医師の説明は,説明義務違反を基礎づける事実を意図的に認識させないものであり,1審原告らは平成14年9月にa病院の論文(証拠<省略>)を発見したことを契機に本件手術の内容に疑問を感じ,証拠保全手続を経て初めて本件手術に関する説明が違法であると判断するに足りる事実を認識したものであり,損害賠償請求権は時効消滅していない。
(1審被告)
⑴ 血管瘤の摘出は脊髄辺縁部動静脈瘻の遮断術という術前説明に含まれるものであり,術式において異なるものではない。また,血管瘤を摘出せずに遮断のみを行う場合であっても,血管瘤に出入りする血管の探索や同定等のためには脊髄への侵襲を伴いうる周囲の組織との剥離操作を当然に要するものであるし,血管瘤の直前で流出血管を切断する限り正常な血流の還流に悪影響を及ぼすリスクは小さく,遮断術と摘出術とでリスクの程度が質的に異なるともいえない。そして,1審原告X1は常に安全性を優先させるという態度をとっていたわけではなく,根治性と安全性とのバランスを慎重に検討していたにすぎず,本件手術の術前説明は1審原告X1の術前の意思にも反しないものであり,1審被告に説明義務違反はない。
また,以上に述べたところからしても,1審原告X1との間に1審原告ら主張の「タイトな合意」が成立していた事実はない。さらに,1審原告らは術後に術式の変更が正確に説明されなかったと主張するが,A医師がまず1審原告X2に手術結果の概略を説明し,さらにB医師が,本件手術直後に1審原告X2に対し,血管瘤を摘出したことを含む本件手術の経過を具体的に説明したし,平成8年10月16日にはB医師が,同月18日にはC医師がそれぞれ必要な説明をしている。
⑵ 本件における医療上の説明義務の相手方は患者本人である1審原告X1であって,夫である1審原告X2は説明義務の相手方ではない。
また,1審原告X1に対する説明義務違反と同人の症状悪化との間に因果関係があるとは認められず,近親者固有の慰謝料を認めるべき場合にも当たらない。
したがって,1審原告X2につき,説明義務違反による慰謝料請求を認める法的根拠はない。
⑶ 説明義務違反による不法行為に基づく損害賠償請求権の時効消滅
1審原告らは本件手術後間もなく血管瘤の剥離,摘出が行われたことを認識したのであるから,術前説明と術式が異なると主張する点につき,上記時点で一般人であれば当該加害行為が違法であると判断するに足りる事実を認識したといえる。したがって,仮に摘出に伴うリスクを説明しなかったことにつき1審被告に説明義務違反があるとしても,これによる不法行為に基づく損害賠償請求権は,上記時点から3年の経過により時効により消滅したものである。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所は,原審と一部異なり,1審原告X1の1審被告に対する請求は660万円及びこれに対する平成8年11月6日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが,同原告のその余の請求及び1審原告X2の請求はいずれも理由がないと判断するところ,その理由は,当審における当事者の補足的主張に対する判断を含め,以下のとおり付加訂正するほか,原判決「事実及び理由」第5のとおりであるから,これを引用する。
原判決96頁17行目「診察」を「問診」と改める。
原判決101頁5行目「証拠<省略>」の後に「証拠<省略>」を加え,同頁7行目「作成された」から11行目末尾までを「作成され,同月9日又は17日に行われた脳神経外科の総回診等において本件症例報告に基づいて1審原告X1に対する治療方針が検討され,本件手術の方針が決定された。」と改める。
原判決105頁5行目「焼いたことで」を「焼いたことでの」と改める。
原判決106頁2行目「本件手術に」を「手術室内のモニターテレビが見える場所に」と改める。
原判決119頁9行目「上脚」を「上肢」と改める。
原判決120頁7行目末尾の後に「準夜勤看護時,しびれ感は下腿が右=左くらいで大腿部は左しびれあり,前胸部から脇のいやな感じは同様,胸の辺りは右半分感覚問題ないが左半分異常とのことであった。」を加える。
原判決120頁17行目「臀部と」を削り,同頁20行目冒頭に「朝食前に便意があり,」を加える。
原判決122頁6行目末尾の後に「残尿も少なく,トイレで快く出し切った方がよいと考え,残尿測定は止めることとなった。」を加える。
原判決124頁10行目「流入」を「注入」と,同頁13行目「メインの所」を「メイン2ヶ所」と改める。
原判決125頁13行目「19日」を「20日」と改める。
原判決126頁13行目「著明亢進,」の後に,「両足の」を,同頁14行目「チャドック反射」の前に「左足の」を各加える。
原判決127頁2行目「みられ,」の後に「第2胸椎レベルで正常の約70%だが」を,同頁6行目「麻痺」の前に「同80%程度の」を各加える。
原判132頁1行目「ウ」を「エ」と,同頁8行目「エ」を「オ」と各改める。
原判決133頁8行目「悪化したこと」を「悪化し,リハビリでやや改善して退院したこと」と改める。
原判決134頁下から4行目「流出動脈」を「流出静脈」と改める。
原判決143頁3行目末尾の後に改行して以下の記載を加える。
「同講演は,脊髄動静脈奇形の治療の選択には議論が多いという当時の状況を踏まえ,a病院脳神経外科における同段階での治療の選択とその結果について検討したところを報告したものである。」
原判決146頁12行目末尾の後に改行して以下の記載を加える。
「同論文は,脊髄辺縁部動静脈瘻(AVF)につき,先行して血管塞栓術を行った後に観血的手術を行った治療成績についての回顧的な調査を行い,前手術としての血管塞栓術がAVFの血流を劇的に減少させ,その後の手術の手技を容易にし,20例全例で脊髄動静脈短絡の遮断が手術により効果的に行われたとして,大きく流れが速いAVFには術前に血管塞栓術を行うことが効果的であるとの結論を提示する趣旨のものである。」
原判決146頁19行目冒頭から147頁5行目末尾までを以下のとおり改める。
「イ 同論文は,治療の選択について「治療の最終的な目的は,観血的あるいは血管塞栓による動静脈短絡の遮断である。脊髄辺縁部動静脈瘻,特に流速の速いものについては,動脈から動脈への小さな他の側副血行路が存在することに留意しなければならない。それゆえ,流入動脈の近接部の遮断のみでは,脊髄辺縁部動静脈瘻の根治術とはなり得ない。その他の治療上の重要な側面は,動静脈短絡の遮断を行う一方,正常な脊髄の還流を保存することである。」との意見を示し,脊髄辺縁部動静脈瘻の治療法の選択については,未だ意見が分かれているとした上で,観血的手術の前に行われる血管塞栓術の効用は,瘻孔に流入する血液量を減少させ,人工塞栓物は術中における瘻孔部の目印にもなるところにあり,NBCAのような液体塞栓物質は正常な脊髄組織の還流を遮断しないためには瘻孔部に正確に留置されなければならないが,実際の臨床ではしばしば瘻孔部のそばまでマイクロカテーテルを持っていくことが困難であり,ほとんどのケースでは瘻孔部での観血的手術による血行遮断が理想的な治療であるとする。そして,脊髄動静脈奇形(AVM)の動脈流入部よりも手前での結紮は,動静脈奇形への複数の側副血行路を形成することになり,一時的な効果しか期待できない。動静脈短絡の血行遮断を行う外科医のための外科的手技上の重要なキーポイントは,脊髄上の流出静脈を損なわないように留意し,もし静脈瘤が脊髄を圧迫しているのであれば,それを焼き縮めることであると述べた上,結論として,「髄内AVMと判別し,脊髄辺縁部動静脈瘻を正確に診断すること及び瘻孔部の同定が重要であり,脊髄周辺部AVFの最善の治療は動静脈短絡の遮断であるところ,脊髄辺縁部AVFの効果的な遮断は前脊髄動脈の関与に関わらず,外科的手術によって達成され,前処置としての血管塞栓術は大きく血流の速いAVFに有用である。」旨を提示する。」
原判決149頁下から6行目末尾の後に改行して以下の記載を加え,同頁下から5行目冒頭の「ウ」を「エ」と改め,以下項目番号を順次繰り下げる。
「ウ 本件手術の目的等について
1審原告X1に認められた動静脈奇形は5つの動静脈瘻が複雑に混じったものであってa病院で扱われた症例中でも最も複雑なものであったところ,第2胸椎レベル及び第5胸椎レベルの脊髄辺縁部動静脈瘻(原判決148頁にいう患部②,③)は大きな血流が認められ,同各部位の血管瘤(患部②の血管瘤,患部③の血管瘤①及び同②)が脊髄を圧迫していることが左下肢に顕れた神経症状の責任病巣であろうと考えられたことから,本件手術においてはこれらに対する治療をメインとすることとなったものであり,前記認定のとおりの本件症例報告(証拠<省略>)による治療方針の決定の経過,術前説明等からしても,本件手術は,まず上記患部の脊髄に対する圧迫をとり,圧迫の進行による脊髄機能の廃絶や出血の予防といった進行の予防等を目指すものであり,かかる趣旨は1審原告X1にも説明されたものと推認することができる(証拠<省略>)。」
原判決149頁下から3行目から2行目にかけて及び150頁15行目から16行目にかけての「血管同定等のために」をいずれも削る。
原判決151頁2行目「担当し」から同頁4行目「行われた」までを「担当するなどして行われた」と改める。
原判決154頁10行目「動脈瘤」から11行目「高いものの」までを「少なくとも平成8年の本件手術当時の医学的知見に基づき動脈瘤と判断されたことに問題のないものであったといえるが,動脈血がそのまま流れ込んだ短絡部に接した静脈が拡張するなどして生じた血管瘤であることとも矛盾しないとも考えられ,客観的に動脈瘤であったか静脈瘤であったかは」と改める。
原判決158頁下から3行目の「証拠<省略>」の前に「本件手術当時の論文等(証拠<省略>)及び」を加える。
原判決161頁19行目「多大な」から「なる」までを「摘出と同様に周囲の組織等からの剥離操作を要するなどの侵襲を伴うことが予想される」と改める。
原判決162頁下から5行目「そもそも」から同頁末行目「あるが,」までを「そもそも本件のように複雑な脊髄辺縁部動静脈瘻に対する観血的手術を行う以上,摘出をしない場合でも立体的な構造を持つ血管瘤ないし動静脈瘻への流入動脈等を同定し処理するには,脊髄辺縁部における血管等の剥離操作は必要となると解され,脊髄辺縁部への相当程度の侵襲は避けられないものということができ,流入血管及び動静脈短絡の凝固による遮断のみの場合より当然に侵襲が大きいとまでは認められない。」と改める。
原判決163頁4行目「脊髄圧迫」の前に「観血的手術により相当な大きさの血管瘤による脊髄圧迫の状況が確認され,」を加える。
原判決163頁10行目「血管瘤の」から16行目末尾までを「血管瘤が動脈瘤であったとしても,術中にこれにつながる血管が静脈であると確認等されたことも窺われることなどからすると,血管瘤と動静脈瘻が接して一体化した塊となったものであったとも考えられるところであり,そのような可能性も含め,血管瘤の周囲の動静脈が含まれた状態で摘出され,一部に還流静脈が含まれた可能性は否定できないが,本件ビデオを含め,少なくとも血管瘤から離れた血管等の組織を離断して摘出を行ったことを窺わせる証拠はなく,流出静脈の遮断は摘出に伴う必要最小限度のものにとどまっていたといえる(証拠<省略>)。そうすると,周囲の流入血管及び流出血管を一部含むことを考慮しても,脊髄の圧迫をとるという本件手術の目的と実際に病変部を確認したときの圧迫状況等,脊髄表面付近には多数の血管のネットワークが存在していること等を踏まえれば,病変部に接する動静脈を含む血管瘤を摘出したことが,直ちに適応のない手術であるということはできず,本件証拠中にこれを認めるに足りる的確な証拠はないというほかない。」と改める。
原判決168頁14行目の「第2頚椎」を「第2胸椎」と改める。
原判決168頁22行目から同頁23行目にかけての「においては,第2胸椎レベル脊髄後方」及び同行目の「の動静脈短絡」を削る。
原判決169頁13行目冒頭から20行目末尾までを以下のとおり改める。
「イ 1審原告らは,1審被告との間の本件手術に係る合意は,摘出をせず,遮断術を行うというタイトな合意であり,変更は許されない旨主張する。
しかしながら,本件手術の術前に摘出についての具体的説明がなかったことが認められるものの,術前の説明は脊髄の圧迫をとることを目的とし,これにより神経症状の改善も期待できるのではないかという趣旨のものであったと解され,脊髄の圧迫の解消ないし軽減が本件手術の主たる目的とされていたこと,本件手術前に1審原告らと1審被告医師との間で証拠<省略>の論文を前提とした説明や手術の承諾がされたわけではなく(証拠<省略>),摘出との比較において遮断術が選択されたものとは認められないこと,1審原告らは,どの程度の具体的説明であったかはともかくとして,少なくとも本件手術後まもなく,本件手術において瘤の癒着がひどく剥離が大変であったこと,脊髄の圧迫をとるためにAVMないし血管瘤の摘出を行ったが,長年脊髄が圧迫されていたので脊髄の戻りは見られなかったことなどの説明を受けたことが認められる(証拠<省略>)が,これに対して術前の合意に反する点を指摘等した形跡がないことなどからすると,1審原告らと1審被告との間にいかなる場合も摘出をせず,遮断のみを行うといった変更を許さないタイトな合意が形成されていたとは容易に認められない。
加えて,平成6年に発表された証拠<省略>の論文によれば,治療法の選択として,①外科的ナイダス摘出又は動静脈瘻部の結紮・切除,②人工塞栓術,③定位放射線手術との分類がされていたこと,平成7年に発表された証拠<省略>において,1審被告医師らが動静脈短絡の遮断術を提言していたことは認められるものの,従前広範囲の摘出術が行われていたことを前提として,脊髄動静脈奇形では動静脈短絡の遮断が治療の主目的と考えているとの提言をするものであり,具体的な外科的手術の手技手法について論ずるものではなく,その他の論文を踏まえても,脊髄に対する圧迫の程度その他の具体的な症例等に適応する手術としておよそ摘出を否定する方針を示していたものとも認められないし,本件手術において事前の造影検査結果等からは血管瘤の脊髄圧迫状況等も判明していないことなどからすれば,本件手術が摘出をしないとの方針を明示して施行されたものとも断ずることはできない。
以上によれば,本件手術につき,1審原告らと1審被告との間に摘出をしないとのタイトな合意が形成されていたとは認められず,1審被告に合意遵守義務違反があるということはできない。」
原判決170頁10行目冒頭から173頁1行目末尾までを以下のとおり改める。
「(イ) これを本件についてみるに,[判示事項1]特に脊髄辺縁部動静脈瘻については平成8年の本件手術当時その治療方法に議論があったと解されるが,a病院はその治療につき先端的な医療機関であり,同種症例の手術結果について一定の経験と知見を有していたこと,1審原告X1においてもかかる医療機関としての実績を期待して本件手術を受けたといえること,脊髄辺縁部動静脈瘻に対する観血的手術はその具体的な内容によっては脊髄に対する侵襲が大きくなり得るといえるから,どのような具体的内容の手術をする可能性があるかは危険性等の判断において重要となりうること,特に1審原告X1の病態は複雑なものであって手術が極めて困難な事例であった一方,神経症状が進行中であったとはいえ直ちに生命の危険を生じるなどの状態ではなかったこと,1審原告X1が薬剤師であり夫の1審原告X2も医師であって医療についての知識に富み,治療方法の選択についても高い関心と理解力を有していたことが明らかであることなどに照らせば,本件医師団においては,単に遮断術を行うことやとれに伴う一般的な危険性等についての説明に止まらず,適宜それまでの手術実績に基づく知見を情報として示すなどして,流入血管を焼くだけではなく,実際に患部を切開した結果により血管瘤ないし動静脈短絡に対する全体的な剥離を行い,摘出を行う可能性があるのであれば,その点を含めた具体的な内容とその危険性等についても,1審原告X1が,手術の実施やどの程度の内容の手術を行うかについて適切な検討,判断をなし得るような十分具体的な説明を行うべき義務があったというのが相当である。
そして,本件においては,AVMは動静脈短絡及びその流入動脈,流出静脈のみならず,周辺に形成された血管瘤とその前後の流入血管,流出血管等の周辺の病態を含む広い意味で用いられていたことが窺われるところであり,これらに対する具体的な処置について本件医師団の医師らが術前にどのように検討,判断していたかは必ずしも明らかでないが,事前の造影検査結果等から血管瘤の脊髄圧迫状況等は明確には判明しておらず,血管瘤が動静脈短絡と一体化したものであるのか否かなど周囲の血管の状況も不明であったとはいえ,術前から第2胸椎レベル及び第5胸椎レベルの動静脈短絡部付近の脊髄辺縁部に大きな血管瘤が存在することは認識され,これによる脊髄の圧迫による神経症状が出ていると考えられていたことなどからすると,実際に患部を切開して判明した血管瘤の位置,大きさ及び硬さ等による脊髄への圧迫の程度によっては血管瘤等の摘出を要することがあり得ることの予測はできたものと認められる。
(ウ) しかるに,本件手術の術前説明としては,脊髄辺縁部動静脈瘻につき大きな血管瘤があることを前提として,脊髄の圧迫を解消ないし軽減することを目的とするものであったということができるが,その術式,手技としては,第2胸椎レベル及び第5胸椎レベルの動静脈瘻について,塞栓術実施後の観血的手術において細かい流入動脈を焼いてAVMが縮小するようにする,どの程度縮小するか明確でないが50%程は縮んでほしい,第7頚椎レベルの所見については塞栓術を行わず,流入血管を焼くというものであり,脊髄後方の血管を焼くことによる症状悪化の可能性,脊髄前方の髄内動静脈奇形の悪化の可能性,手術による脊髄の腫脹や焼却による神経損傷等の可能性等について説明されたことが認められるが,本件全証拠に照らしても,本件手術の内容として,第5胸椎レベルの血管瘤①及び同②並びに第2胸椎レベルの血管瘤を摘出する可能性があること等について説明されたとは認められない。
そうすると,本件手術の術前説明において,本件手術の内容には実際に患部を切開した結果によっては血管瘤の摘出を伴う可能性のあること及びこれによる危険性等について十分な説明がされたものと認めることはできず,この点につき本件医師団の医師らは1審原告X1に対する説明義務を怠ったというべきである。
なお,1審被告は,摘出をしない場合でも血管瘤ないし動静脈短絡への流入動脈等を同定し処理するには脊髄辺縁部における血管等の剥離操作を要し,摘出術が遮断術と侵襲の程度は異ならず,別途の説明を要しない旨主張するが,一般的に侵襲の程度から遮断術と摘出術とが別個の術式であるといえないとしても,このことは,本件において予測しえた摘出の可能性とそれに伴う手技やリスクの程度に即した十分な説明が術前になされたとはいえないとの上記判断を左右するものではない。
(エ) 以上によれば,本件における程度の説明では,医師の患者に対する治療法選択のための適切な情報を十分提供したとはいえず,本件医師団の医師らの1審原告X1に対する本件手術に関する術前説明には説明義務違反があるというべきである。
(オ) 一方,[判示事項2]1審原告X2は,1審原告X1の配偶者であり,かつ専門外とはいえ医療知識を有する医師として,1審原告X1の治療や本件手術の説明に強い関心をもち,1審原告X1の意思決定に関与していたことはもちろんであるが,1審原告X1に十全な意思決定能力が認められる本件において,1審原告X2が1審原告X1に関する診療契約の当事者となるものではない。また,1審原告X2において,患者本人としての1審原告X1の利益から独立した独自の法的利益があると認めるに足りる特段の事情は窺われないから,本件手術の術前術後を通じて1審原告X2が本件手術に係る説明を1審原告X1と共に聞き,また1審原告X1のためにあるいは同人に代わって聞いたことなどを考慮しても,1審被告には1審原告X1の利益から独立した1審原告X2に対する説明義務があったと認められるものではない。」原判決174頁8行目「あるが」を「あるとしても,かかる事後的判断から平成14年3月12日当時の過失を推認することはできず」と改める。
原判決174頁13行目「⑴ア」を「⑴」と,同頁16行目「本件手術開始後」から同175頁6行目「もっとも」までを「1審原告らが本件手術にあたり,安全性を重視していたことは優に認められるが」と各改める。
原判決175頁10行目「手術直後」の前に「本件において組織の癒着が強かったことなども勘案すれば,」を加える。
原判決175頁12行目「できる」を「でき,摘出が行われず,動静脈短絡等の探索及び遮断にとどめていれば,現に本件手術の結果生じた侵襲が生じなかったとも容易には認められない。」と改める。
原判決176頁6行目「大きいこと」を「大きくなる可能性があること」と,同頁10行目「原告ら」を「1審原告X1」と各改める。
原判決176頁下から2行目「また」から同177頁19行目末尾までを以下のとおり改める。
「しかるに,1審原告X1は,本件医師団の医師から十分な術前説明を受けることができず,十分な理解の下で自ら治療方針,術式を選択する機会を失ったものであり,かかる自己決定権の侵害に対する慰謝料としては,本件に顕れた一切の事情を総合考慮し,600万円と認めるのが相当であり,本件訴訟の提起,追行に要した弁護士費用については,60万円の限度で本件と相当因果関係のある損害であると認めるのが相当である。
⑶ また,以上によれば,1審原告X1に対する説明義務違反と1審原告X1の後遺障害等との相当因果関係を未だ認めるには至らないから,1審原告X2につき,1審原告X1に生じた損害により,その死亡に比肩すべき精神的苦痛を生じたものということはできず,1審原告X2につき独自の慰謝料を認めることはできない。
したがって,1審原告X2の請求は理由がない。」原判決178頁12行目「本件訴訟を」の前に「本件手術が全国的にも実施しうる医療機関が極めて限られたいわゆる先端的医療行為としてされた医療行為であることにもかんがみれば,一定の医学的知見を踏まえて本件手術の具体的な内容を把握しなければ,a病院医師らのした説明が本件手術の説明として違法と評価されるべきものであるか否かを一般人が判断することは困難ということができるから,」を加える。
2 その他,原審及び当審における当事者提出の各準備書面記載の主張に照らし,原審及び当審で提出,援用された全証拠を改めて精査してみても,引用に係る原判決を含め,以上の認定,判断を覆すに足りるものはない。
3 以上によれば,1審原告X1の1審被告に対する請求は,不法行為による損害賠償請求権に基づき660万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成8年11月6日(a病院の1回目の退院の日の翌日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(なお,遅延損害金請求部分を含め,債務不履行による損害賠償請求は上記金額を超えては認められない。)が,1審原告X1のその余の請求及び1審原告X2の請求はいずれも理由がないというべきであり,これと一部異なる原判決はその限度で相当でないから,1審原告X1及び1審被告の各控訴に基づき,原判決を上記の限度で変更することとし,1審原告X2の控訴は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判官 三木勇次 池町知佐子 大嶺崇)