高松高等裁判所 平成26年(う)130号 判決 2014年9月04日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人佐藤利男作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。論旨は、原審の不法な公訴の受理(なお、弁護人は、法令適用の誤りが控訴理由である旨主張するが、その内容は、本件起訴は検察官がその公訴権を濫用したもので、刑事訴訟法二四八条に違反し無効であり、原審は同法三三八条四号により本件公訴を棄却すべきであったというものであることに尽きるから、控訴理由としては、同法三七八条二号に規定する原審が不法に公訴を受理したことに当たると解される。)、原判決の訴訟手続の法令違反及び事実誤認の各主張である。
そこで、記録を調査して検討し、以下のとおり判断する。
第一不法な公訴の受理の主張について
論旨は、本件は、「胸倉を掴んだ」という極めて軽微な事案であるだけでなく、そもそも「掴んだかどうか」すら疑わしく犯罪の嫌疑が極めて不十分であり、検察官は、確たる証拠もなければ有罪を勝ち取る確信もないまま、その訴追裁量を逸脱して起訴したもので、その起訴は無効であるから、原審は、本件公訴を棄却すべきであったのに、不法に公訴を受理した違法がある、というものである。
そこで検討するに、検察官がその訴追裁量を逸脱、濫用したことにより公訴提起が無効とされるのは、公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる(最高裁昭和五五年一二月一七日第一小法廷決定、刑集三四巻七号六七二頁)ところ、本件は、そのような事案ではない。所論前段の点は、暴行自体が軽微であるとしても、公務員の公務の執行を害するもので、その犯情は必ずしも軽いものとはいえず、およそ起訴するに値しない事案であるとはいえない。また、同後段の点は、後記第三で説示するとおり、十分に有罪と認められる証拠があり、検察官が確たる証拠もなければ有罪を勝ち取る確信もないままに起訴したという事案であるとは到底いえず、検察官の訴追裁量に何ら逸脱、濫用はない。論旨は理由がない。
第二訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は、原審は、捜査状況報告書二通をいずれも刑事訴訟法三二一条三項書面として採用したが、これらの書面はいずれも犯行の再現で、再現されたとおりの犯罪事実の存在を要証事実とするものであり、被告人以外の者を再現者とする本件の場合は、同法三二一条一項三号書面の要件を満たす必要があるが、再現者の供述録取部分については、供述者の署名押印を欠くため、証拠能力を有しないし、写真については現場供述に当たり、同条項の要件(供述不能)を満たしていないから、いずれも証拠能力を有しないのに、これらの書面を証拠として採用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というものであ。
そこで検討するに、捜査官が被害者等に被害状況等を再現させた結果を記録した実況見分調書等で、実質上の要証事実が再現されたとおりの犯罪事実の存在であると解される書証が刑事訴訟法三二六条の同意を得ずに証拠能力を具備するためには、同法三二一条三項所定の要件が満たされるほか、再現者の供述録取部分については、同法三二一条一項二号ないし三号所定の要件が、写真部分については、署名押印の要件を除き供述録取部分と同様の要件が満たされる必要があると解される(最高裁平成一七年九月二七日第二小法廷決定、刑集五九巻七号七五三頁)。本件では、原審において、原審検察官は、立証趣旨を「被害者指示説明に基づく被害再現状況等」とする捜査状況報告書及び立法趣旨を「目撃者指示説明に基づく犯行目撃状況等」とする捜査状況報告書の証拠調べを請求した。その内容を見るに、いずれの捜査状況報告書(以下「本件各書証」という。)も、本件被害場所において、被害者であるA及び目撃者であるBが本件被害当時に実際に乗車していた自動車を使用して、被告人運転車両と被害者乗車車両との位置関係、被告人が被害者乗車車両の運転席に座っているBに話しかけた状況、その後、助手席側に回り込んで被害者に話している状況、被告人が助手席側の開けられていた窓から腕を車内に入れて被害者のネクタイを鷲掴みにする状況、被害者が被告人の手を払っている状況、被告人が窓から手を抜いた後被害者と話している状況等につき、順次写真撮影がされ、原審甲二号証では写真一〇枚が各説明文付きで添付され、原審甲三号証では写真一二枚が各説明文付きで添付されている。原審弁護人は、本件各書証について、いずれも証拠とすることに不同意との意見を述べ、それぞれの捜査状況報告書の作成者である警察官の証人尋問が実施された。そして、それぞれの証人尋問終了後、原審検察官は、本件各書証につき、いずれも刑事訴訟法三二一条三項により取調べられたい旨の意見を述べ、これに対し、原審弁護人はいずれも異議を述べたが、原審は、提示命令により本件各書証の記載内容を確かめた上、これらを証拠として採用して取り調べた。その上で、原判決は、原判示事実を認定する証拠としては、本件各書証を証拠の標目の項に掲げず、被害状況及び目撃状況を認定する証拠としては、原審証人A及び同Bの各公判供述を掲げ、これにより原判示事実を認定しているものである。
以上のような原審の証拠採用及び証拠の標目の項の記載からすれば、本件各書証添付の各写真及びそれらについての説明は被害状況及び目撃状況それ自体を立証する趣旨のものではなく、それらの状況自体は別途証人尋問において立証を求め、それらの状況が立証された際にその状況をより理解しやすくするための資料として、本件各書証が採用されたものと認められる。要するに、原審は、本件各書証添付の各写真及びそれらについての説明を、被害状況及び目撃状況それ自体を立証する証拠として採用していないものと認められる。そうすると、本件各書証を刑事訴訟法三二一条三項により採用した原審の訴訟手続には何ら違法な点はない。論旨は理由がない。
第三事実誤認の主張について
論旨は、原判決は、原判示事実を認定して、被告人を有罪としたが、被告人は、被害者の胸倉を手で掴む暴行を加えておらず、また、被害者を公務員として認識していなかったので、無罪であるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というものである。
そこで検討するに、原判決が論旨と同様の原審弁護人の主張を排斥し、被害者及びBの原審各公判供述の信用性を肯定し、これに反する被告人の原審公判供述の信用性を否定するなどして、原判示証拠の標目に掲げる関係各証拠によって、原判示事実を認定したのは正当であり、(事実認定の補足説明)の項で説示するところも概ね相当として是認することができる。以下所論に鑑み、補足して説明する。
一 暴行行為の有無について
所論は、(1)被告人は、身長一五五センチメートルであり、助手席の窓を約一五センチメートル開けた状況では、被告人の手が助手席に座っている被害者の胸倉まで届かない、(2)被害者とBは、本件犯行について、被告人が左右どちらの手を差し入れてきたか、どちらの手で胸倉を掴んだか分からないと供述するが、被害者は助手席で、Bは運転席で、被告人の手が被害者の胸倉を掴むのをそれこそ目と鼻の先で見ているのであるから、その手が左右どちらであったかわからないなどということはあり得ない、(3)本件各書証では、被害者もBもどちらの手が差し入れられたか分からないと指示説明しているのに、その再現では左手だけの写真が添付されており、また、被告人役の警察官は、被告人よりも明らかに身長が高いのであるから、その再現は出鱈目というほかなく、その証拠価値は全くない、というのである。
そこで検討するに、(1)の点は、被告人が犯行を再現した状況が写真撮影されており、それらによれば、被告人の手が助手席に座っている被害者の胸倉にまで届かないように見えるが、原判決も説示するとおり、被告人の立ち位置によっては、被害者の胸倉まで手を伸ばすことは十分に可能であると認められ、被告人において、本件犯行が不可能であったということにはならない。(2)の点も、原判決が説示するとおり、一瞬のことで左右どちらの手であったか分からなかったとしても不自然ではなく、また、被害者とBが虚偽供述をするのであれば、どちらの手で掴んだのかという点は容易に口裏合わせができるものと思われるのであり、被害者及びBが、どちらの手で掴んだか分からないと供述する点は、被害者及びBの各供述の信用性を高めこそすれ、その信用性を揺るがせる事情ではない。(3)の点は、原判決は、本件各書証を証拠の標目の項に掲げておらず、有罪認定の証拠として用いていないことが明らかであり、本件各書証によって原判示事実を認定したものではなく、原判決の事実認定を攻撃する主張としては意味がない。
二 公務員であることの認識について
所論は、被告人の供述は、捜査、公判を通じ一貫しており、その内容は十分に具体的、合理的であり、関係証拠によって裏付けられており、その信用性に疑問はないところ、その被告人供述によれば、被告人の問いに対してBは一言も言葉を発していないのであって、Bから被害者らが公務員であることを聞いていないのであるから、被害者が公務員であるという認識がなかった、というのである。
そこで検討するに、被害者及びBは、Bが被告人に対しa港管理事務所の者であることを伝えた旨を供述している。これは、被告人が何で写真を撮るのかと聞いたこと(被告人も認めている)に対する応答としてごく自然な言動であり、十分信用性が認められる。これに対し、被告人は、Bは被告人の問いに対して一言も言葉を発していないというが、被告人の供述が、捜査、公判を通じ一貫しているとしても、それは、供述に自己矛盾がないことからその信用性が否定されることはないというにすぎず、直ちに信用性が肯定されるというものではない。また、被告人の供述が具体的、合理的であるという点は、被告人供述によれば、被告人が助手席側に回ると、被害者が助手席側の窓を下ろしてきたので、逃げられないように手を入れたら、すぐにその窓を閉められて、すぐに自動車をバックさせたというのである。被害者が助手席側の窓を下ろしたということは被告人と話し合う気持ちが被害者にあったということになるが、その状況で逃げられないようにするために被告人が車内に手を入れるという行動を取ることは不可解であるし、また、被告人が車内に手を入れた途端に被害者らが話し合いを拒否して逃げたというのも不合理であり、被告人の供述は到底合理的であるとはいえず、信用できない。
そうすると、被告人は、Bから同人及び被害者がa港管理事務所の者であることを聞いたものと認められ、被害者が公務員であることの認識について欠けるところはない。
三 その他、所論に鑑み、更に記録を調査して検討しても、原判決に所論がいうような事実の誤認はない。所論はいずれも失当であり、論旨は理由がない。
第四結論
よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐堅哲生 裁判官 澤田正彦 辻井由雅)