高松高等裁判所 平成9年(う)89号 判決 1998年2月10日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中二五〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人久保和彦、同岡義博共同作成の控訴趣意書並びに被告人作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官寺野善圀作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、いずれも原審の訴訟手続の法令違反を主張するものであるが、以下に説示するとおりいずれも採り得ない。
一 公訴権濫用の主張について
所論は、被告人に対する平成七年一月二三日付け起訴状に基づく起訴について、被告人は広島刑務所出所後、所定の期間内に免許更新手続きをとれなかったが、これは同刑務所の被告人所有物の領置手続に不始末があったためであり、被告人は未だ運転免許を有するものと確信しており、この確信は、被告人が平成五年一一月一二日に人身事故を起こした際に無免許運転が不問に付されたことでより一層強くなったもので、このように、警察、検察は被告人が運転免許を有するかのような取扱いをしていたにもかかわらず、その後特別の事情の変更がないのに、被告人の無免許運転を起訴したもので、これは恣意的な公訴権の運用であって、公訴権の濫用であり、憲法三一条、刑事訴訟法一条に違反するのに、右起訴に基づいて被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。
しかし、受刑中に運転免許証の有効期間が満了し、その更新手続きができずに運転免許が失効した場合には、道路交通法九七条の二第一項二号等の規定に従い、出所後一か月以内に運転免許試験の一部の免除を受けて新たに運転免許を取得することができる(なお、その際失効した運転免許証の提出が不可欠とされるものではない。)が、被告人はその手続きをしていないのであるから、仮に、被告人が運転免許を有するものと思っていたところで、そのことに合理的な理由があるということはできないし、記録によれば、被告人が平成五年一一月一二日に追突事故を起こした際、無免許運転は送致されず、業務上過失傷害のみで送致され、起訴猶予処分とされていることが認められるが、このことから直ちに被告人の無免許運転をその後一切起訴することができなくなるものでもない。その他所論にかんがみ記録を検討しても、被告人の本件各無免許運転につき、起訴猶予を相当とするような事情はなんら見出せない。所論は採用できない。
二 違法収集証拠の主張について
所論は、被告人は、平成六年七月四日から翌五日にかけて身柄拘束を受けたが、これはおよそ任意による同行とはいえず、逮捕手続によらない違法な逮捕であり、右違法な身柄拘束下で作成された同月四日付け交通事件原票(原審検察官請求証拠番号69、86、以下、かっこ書きで数字のみを示すのはその意味である。)、その間に被告人が提出した尿に関する任意提出書(67)、所有権放棄書(68)、鑑定書(9)はいずれも違法収集証拠であり、被告人は同年一二月三日に逮捕されたが、これは右違法収集証拠に基づいて発せられた逮捕状によるものであって違法であり、右違法逮捕に基づき作成された身体検査調書(23)、写真撮影報告書(24)、交通事件原票(80、87)も違法収集証拠であり、さらにこれらの違法収集証拠を鑑定資料としてなされた鑑定人J及び同I作成の各鑑定書も同様に違法性を帯有するから、いずれも証拠能力がないのに、これらを証拠として採用して事実認定の用に供した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。なお、弁護人は、右各証拠を排除した後の証拠によっては、被告人を有罪とするに足りず、被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があると主張するが、右は、結局のところ、違法収集証拠について証拠能力を肯定した訴訟手続の法令違反の主張に帰するものである。
しかし、この点については、原判決が、その補足説明の項の一の1ないし4で詳細、適切に説示するとおりであって、警察官が、被告人が運転していた自動車を運転免許を有する者が引取りに来るまでの間保管する必要性や、右自動車内で注射器が発見されたことなどから被告人に尿の任意提出を求める必要から、被告人に最寄りの高松北署まで任意の同行を求めたことには十分な理由があり、被告人はこれに異議を唱えることなく応じているのであるから、これを違法な任意同行とみる余地はない。被告人は、原審において、警察官から無免許運転で逮捕する旨告げられたと供述するが、原審証人Fの証言に照らし信用できない。結局、この点に関する所論も採用できない。
三 交通事件原票等の偽造の主張について
所論は、前記交通事件原票(69、86)、任意提出書(67)、所有権放棄書(68)は、いずれも警察官が偽造したもので、証拠能力がないのに、これらを証拠として採用して事実認定の用に供した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。しかし、右各証拠は被告人が署名指印するなどして作成されたものであって、警察官が偽造したものでないことは、原審証人F及び同Hの各証言、原審鑑定人J及び同I作成の各鑑定書等により明白である。所論は採用できない。
四 刑事訴訟法二八九条一項違反の主張について
所論は、本件は刑事訴訟法二八九条一項に定めるいわゆる必要的弁護事件であるところ、本件審理にあたっては第一七回公判期日から第二〇回公判期日までの間、弁護人不在のまま実質審理が行われており、以下に述べるような理由により、これは同条項に違反するものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。すなわち、最高裁平成七年三月二七日決定(刑集四九巻三号五二五頁)は、必要的弁護事件について刑事訴訟法二八九条一項の適用がない場合として、<1>裁判所が弁護人出頭確保のため方策を尽くしたにもかかわらず、<2>被告人が、弁護人の公判期日への出頭を妨げるなど、弁護人が在廷しての公判審理ができない事態を生じさせて、<3>その事態を解消することが極めて困難な場合という三要件を満たすことを要するとしている。ところで、本件において原審弁護人が公判廷への出頭を拒否せざるを得なかったのは、被告人が公判廷に出廷せず、接見にも応じないため、打ち合わせが全くできない状態が続いたためであるが、原裁判所は被告人の出頭確保のための何らの措置も講じることなく、公判期日において漫然と高松刑務所刑務官から被告人の出頭拒否の状況を聴取するのみであった。被告人は韓国籍であり、我が国の歴史的、社会的偏見ないし迫害の中で生活してきたことなどから、我が国の裁判制度ないし裁判に関与する人間に対し根強い不信感を抱いており、このような背景を考えれば、被告人が筆跡及び指紋の鑑定を韓国大使館に依頼するよう求めた趣旨は、韓国大使館が信頼するに足りると認める鑑定人による鑑定を求めたものと理解できるところ、原裁判所が韓国大使館に鑑定人の推薦依頼をすることは容易にでき、そうすることによって被告人が公判廷への出頭の意向を示すことは十分考えられた。しかるに、原裁判所は何らそのような措置を講じなかったのであり、弁護人の出頭確保のための方策を尽くしたとは言い難いというのである。
しかし、本件審理の経過については、原判決が、その被告人及び弁護人の主張等に対する判断の項の二の2、3で詳細、適切に説示するとおりであって、要するに、被告人は、原審公判の当初から本件起訴が不当であり公訴棄却を求めるなどとして、第二回及び第三回公判期日への出廷を拒否するなどしていたが、その後、前記交通事件原票等が偽造であるとして、その筆跡及び指印の鑑定を韓国大使館に依頼することに固執し、その要求が容れられないとみるや第一〇回公判期日において出頭した鑑定人の尋問を実力で阻止するなどして原審の審理を妨害する一方で、弁護人に脅迫的な内容の手紙を再三にわたって送り、第一二回公判期日には実際に弁護人を足蹴にするという暴行にも及び、さらには右要求が容れられない限りハンガーストライキに出る旨宣言して実行し、第一三回公判期日からは出廷を拒否し、弁護人との接見も拒否するとともに、弁護人にも出廷を拒否するよう脅迫的な内容の手紙を送りつけるなどするようになった(なお、それまでの間、原裁判所は、二回にわたり国選弁護人を解任して新たな国選弁護人を選任することを余儀なくされている。)が、原裁判所は、同期日以降第一六回公判期日まで被告人不出頭のまま実質審理を行うことを留保して被告人の翻意を待ったが被告人の出廷は得られず、第一七回公判期日に至り、やむなく原裁判所が被告人不出頭のままで実質審理に入る旨告げると、弁護人らは、被告人と打ち合わせができないこと、被告人から出廷拒否を求められていること、被告人から脅迫されていることを理由にあげて、原裁判所の在廷命令を無視して退廷し、その後、被告人が態度を一部軟化させ自らは出廷しないものの、弁護人の在廷には反対しなくなって、第二一回公判期日からは弁護人が在廷して審理が行われるようになったが、第二〇回公判期日までは同様に退廷を繰り返したため、原裁判所は、弁護人の立会いが得られないまま右各公判期日に関係者の証人尋問等の実質審理を行ったというのであり、まさしく、前記最高裁決定のいう、刑事訴訟法二八九条一項の適用がなく、弁護人の立会いがないまま公判審理を行うことができる場合にあったものということができる。
所論は、原裁判所は、韓国大使館に鑑定人の推薦依頼をすべきであったのであり、右措置を講じなかった原裁判所は、弁護人の出頭確保のための方策を尽くしたとは言い難いというが、外国大使館は、その性質上、筆跡や指印の鑑定人の推薦を依頼するに適当な機関とはいえないばかりか、仮に、裁判所がその推薦に拘束されるとすれば、裁判権の行使を外国政府の機関の手に委ねるに等しい事態となるのであって、その採り得ないことは明白である。所論は採用できない。
五 被告人不出頭のまま審理、判決した違法の主張について
所論は、原審の審理においては、被告人不出頭のまま証拠調べ等がなされて判決が宣告されており、この点において、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。
しかし、記録によれば、原裁判所は、いずれも被告人不出頭のまま第一七回ないし第二三回公判期日において関係者の証人尋問等の証拠調べを実施し、第二四回公判期日において論告、弁論をさせた上で、第二五回公判期日において判決を宣告しているが、被告人は、いずれもこれらの期日に召喚を受けながら、前記のとおり筆跡及び指印の鑑定を韓国大使館に依頼することなどを要求し、これを原裁判所が受け入れない限り出頭しないなどとして正当な理由なく出頭を拒否し、刑務官による引致に抵抗してこれを著しく困難にさせたため、原裁判所は、刑事訴訟法二八六条の二により、当該期日の公判手続を行ったものであることが認められ、原裁判所の右措置になんら違法な点はない。所論は採用できない。
よって、刑事訴訟法三九六条、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中明生 裁判官 三谷忠利 裁判官 山本恵三)