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高松高等裁判所 平成9年(行コ)7号 判決 2001年5月29日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴人の当審における拡張請求を棄却する。

3  当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

第1控訴人の求めた裁判

1  原判決主文一項のうち原判決別紙1の(一)(2)記載の訴えを却下した部分及び同別紙1の(五)(1)記載の訴えのうち後記4項の請求に係る土地部分の明渡の訴えを却下した部分,主文二項のうち原判決別紙1の(一)(2)記載の請求を棄却した部分及び同別紙1の(六)(1)の請求のうち後記3項の請求にかかる土地部分の所有者確認請求を棄却した部分を取り消す。

2  被控訴人愛媛県収用委員会が控訴人に対し平成2年7月17日付けでした権利取得裁決及び明渡裁決を取り消す。

3  控訴人と被控訴人国との間で,本判決別紙物件目録記載1,2,3の各土地が控訴人の所有であることを確認する。

(控訴人は,当審において,土地所有権確認請求につき,請求の拡張及び減縮をした。)

4  被控訴人国は,控訴人に対し,本判決別紙物件目録記載1,2,3の各土地を明け渡せ。

(控訴人は,当審において,土地明渡請求につき,請求の拡張及び減縮をした。)

第2当事者の主張

1  控訴人の請求原因

(1)  分筆前の松山市α611番2の土地(以下「旧611番2の土地」という。)は,一級河川重信川水系の石手川沿いに位置し,昭和42年4月1日付け建設省告示により,河川法上の河川区域内の土地に指定された。

控訴人は,昭和53年5月4日,相続により旧611番2の土地の所有権を取得した。

(2)  建設大臣(代理人四国地方建設局長)は,石手川改修工事について,松山市α及び同市β地区内を起業地として,平成元年2月28日,土地収用法16条の事業認定の申請をし,建設大臣は,同年3月28日付けで前記申請にかかる事業認定をし,その旨告示した。

(3)  建設大臣は,平成2年2月5日,被控訴人愛媛県収用委員会(以下「被控訴人委員会」という。)に対し,本判決別紙地積測量図H1,N2,N25,K4,K5,N1,H2,H1の各点(以下,単に符号をもって示す地点は,同地積測量図記載の地点である。)を順次直線で結んだ範囲の土地815平方メートルが旧611番2の土地の一部であるとして,前記範囲の土地につき収用裁決の申請及び明渡裁決の申立てをし,被控訴人委員会は,同年4月3日,裁決手続開始決定をした。

建設大臣(復代理人四国地方建設局松山工事事務所長)は,平成2年5月19日,K2,H1,N2,N25,K4,K5,N1,H2,K1,K2の各点を順次直線で結んだ範囲の土地848平方メートル(以下「被控訴人ら主張の旧611番2の土地」という。)が旧611番2の土地であり,同土地からH1,N2,N25,K4,K5,N1,H2,H1の各点を順次直線で結んだ範囲の土地815平方メートル(以下「被控訴人ら主張の611番3の土地」という。)を松山市α611番3の土地(以下「611番3の土地」という。)として分筆し,その残地となるK2,H1,H2,K1,K2の各点を順次直線で結んだ範囲の土地33平方メートル(以下「被控訴人ら主張の現611番2の土地」という。)が分筆後の611番2の土地(以下「現611番2の土地」という。)になるものとして,裁決手続開始決定書正本を代位原因証書とし,土地収用法45条の2,不動産登記法46条ノ2に基づき,旧611番の2の土地の地積を809平方メートルから848平方メートルに更正する地積更正登記並びに旧611番2の土地を611番3の土地と現611番2の土地に分筆する登記の各申請手続をし,その旨の各登記がなされた。

(4)  被控訴人委員会は,平成2年7月17日,権利取得の時期及び明渡の時期を同年11月30日として,611番3の土地を収用する旨の権利取得裁決(以下「本件権利取得裁決」という。)及び明渡裁決(以下「本件明渡裁決」という。)をし,その各裁決書正本は,同年7月20日ころ,控訴人に送達された。

(5)  起業者である建設大臣が,前記各裁決申請書に添付した土地調書(以下「本件土地調書」という。)及び物件調書(以下「本件物件調書」という。)の作成手続及びその内容には,次の違法があるから,被控訴人委員会は,土地収用法47条により,前記収用裁決申請及び明渡裁決申立てを却下しなければならないのに,これをせずにした本件権利取得裁決及び本件明渡裁決は違法である。

① 本件土地調書及び本件物件調書(以下,総称して「本件土地調書等」という。)には,控訴人が立会を拒否したことを理由に,土地収用法36条4項により,松山市吏員が立会押印した旨の記載がある。

しかし,控訴人は,平成元年9月13日及び同月21日の現地立入調査に立ち会っており,本件土地調書等への署名押印を拒否したこともない。建設省松山工事事務所職員は,平成2年1月8日及び同月16日,手にした本件土地調書等を控訴人に覗きこませるようにしたが,控訴人は,内容を確認できなかった。そこで,控訴人は,原本を預からせてくれるかコピーをくれるよう要求したが,前記職員はこれを拒否した。したがって,控訴人は,本件土地調書等の内容を確認した上で異議を付記して署名押印する機会を与えられていないから,土地収用法36条4項にいう「署名押印を拒んだ者」に当たらない。

② 本件土地調書には,土地収用法37条1項1号で義務付けられている土地の地積(創設時筆界が確定されるに伴って確定された地積)の記載がない。

③ 土地収用法37条1項2号に基づき本件土地調書に記載された収用しようとする土地の面積815平方メートルは誤っている。前記面積は,旧611番2の土地の面積から現611番2の土地の面積を差し引いた地積となるべきであった。

④ 土地収用法40条1項2号ロに基づき本件土地調書に記載されている収用しようとする土地の面積848.79平方メートルは誤っている。前記面積は,旧611番2の地積となるべきであった。

⑤ 土地収用法37条1項1号及び同法40条1項2号イに基づき本件土地調書に記載されている地目「河川法による河川区域の土地」は誤りである。このような地目はない。本件の収用地は,建物が存在していた宅地であるから,「宅地」と記載すべきであった。

⑥ 本件物件調書には,土地収用法37条3項で義務付けられている建物の実測平面図の添附がない。

⑦ 本件物件調書には,土地収用法37条3項で義務付けられている建物の構造の記載がない。同調書には「プレハブ造」と記載されているが,これは建物の造り方を表すものであり,建物の構造に「プレハブ造」との種類はない。同調書には,建物の構造として「軽量鉄骨造」とすべきであった。

(6)①  前記のとおり,本件権利取得裁決及び本件明渡裁決は,取り消されるべきものであるから,控訴人の所有の旧611番2の土地の一部であり,本件権利取得裁決により収用された別紙物件目録記載1の土地は,控訴人の所有であるが,被控訴人国は,前記土地部分が控訴人の所有であることを争っている。

②  控訴人の所有していた旧611番2の土地とその南西側に接する松山市β町1005番2の土地(以下「β町1005番2の土地」という。)及び同番1の土地(以下「β町1005番1の土地」という。)の境界は,N5,J2,丙2,NO12の各点を結ぶ直線(以下「控訴人主張線」という。)であり,N1,N25,N5,J2,丙2,NO12,乙1,NO5,K2,H1,N2及びN1の各点を順次直線で結んだ範囲の土地(以下「本件甲土地」という。)は,旧611番2の土地の一部であり,控訴人の所有に帰属する。しかし,被控訴人国は,本件甲土地のうち,別紙物件目録記載3の土地は,β町1005番2の土地の一部であり,これを所有者であるp1から取得したと主張し,同目録記載2の土地は国有の河川敷であると主張して,控訴人の所有であることを争っている。

③  旧611番2の土地とβ町1005番2及び同番1の土地の境界が,控訴人主張線である主な根拠は,次のとおりである。

ア 旧611番2の土地を分筆する前の本件各土地付近の公図は,別紙公図写しのとおりである。ただし,本件の境界は,かつての温泉郡と久米郡との郡境,α村とβ村との村境に当たるため,前記公図写しは,2葉の公図写しを合成したものである。前記公図写し記載のとおり,旧611番2の土地の南西側にはβ町1005番1,2の各土地が接していた。β町1005番1の土地は公簿上23名の共有地であり,ここには,かつて番小屋があったが,その位置は,石手川の水制(越流堤防)上の空地部分であった。前記水制(越流堤防)は,別紙説明図の赤斜線部分であり,控訴人主張線は,これを通過することになるのに対し,被控訴人らの主張する後記境界線は,これから大きく外れる。

イ β町1005番1,2の土地はもと1筆の土地(1005番)の土地であり,別紙説明図記載のとおり,その南西側には,松山市β町1006番の土地,これに囲まれるように同所1007番,前記1006番の土地に南西側に同所1008番の土地が位置していた(地名は現在の表示による。以下,これらの土地を「β町1006番の土地」等という。)。明治9年6月作成の愛媛県久米郡β村の段別畝順帳(甲81),明治16年8月作成の野取図(甲97)及び明治21年4月,当時のβ村の地主総代らが,同県知事に対し,前記段別畝順帳の土地の実測結果につき更正を願い出た文書である「畝順帳更正願」(甲80)には,それぞれβ町1005番,1006番,1007番及び1008番の各土地の南側道路の距離について,別紙説明図の表内のとおりの記載がある。なお,β町1008番の土地は,南東側で道路と接しているが,この道路は,S字状に曲がり,南道部分と東道部分からなる。このような土地及び道路の形状並びに前記各文書の記載からすると,β町1008番の土地に接する道路の長さは13間であり,うち,東道部分が5間,南道部分が8間であると判断される。

各種資料を総合すると,別紙説明図e点をβ町1008番の土地の南東端と判断するのが合理的であり,このe点を起点として,前記各文書記載の距離を現地に当てはめると,別紙説明図記載のとおり,いずれの文書の記載距離によってもβ町1005番の土地の東端は,NO12点に極めて近い地点となるが,被控訴人ら主張の境界端であるK2点には遠く及ばない。

ウ 昭和37年5月6日に本件の各土地付近を撮影した航空写真には,前記番小屋が撮影されている。前記航空写真の縮尺は1250分の1に極めて近く,これを前提に,前記航空写真上の距離に基づいて,α橋の下流側端から番小屋までの距離を算出すると約96メートルになる。α橋の下流側端から被控訴人らの主張する境界の南東端であるK2点までの距離は64.41メートルであるから,本件の真実の境界端は,同点から約31メートル南西のNO12点である。

エ なお,控訴人は,昭和55年9月6日に実施された現地立会の際に示された境界を正しいものと認めたことはない。控訴人は,前記境界に疑問を持っていたが,仮杭であるとの説明を受けたので,あえて異議を述べなかったにすぎない。

(7)  被控訴人国は,別紙物件目録記載1の土地及び本件甲土地を,石手川の河川敷公園又は河川敷として占有している。

よって,控訴人は,被控訴人委員会に対し,本件権利取得裁決及び本件明渡裁決の取消を求めるとともに,所有権に基づき,被控訴人国に対し,別紙物件目録記載1の土地及び本件甲土地(同目録記載2,3の土地)が控訴人の所有であることの確認並びに前記各土地の明渡を求める。控訴人は,原審において境界をNO5点から丁点を結びこれを延長した線と主張したが,当審においてこれを上記のように改め,被控訴人国に対する所有権確認及び明渡請求の対象をNO12,丙2,J2,N5の各点を結ぶ線までの土地に拡張した。

2  被控訴人委員会の本案前の主張

控訴人は,被控訴人国に対し,平成3年4月4日までに,611番3の土地(すなわち,被控訴人ら主張の611番3の土地)を明け渡しているから,本件明渡裁決の取消を求める訴えは,訴えの利益を欠き不適法である。

3  請求原因に対する認否

(被控訴人委員会)

(1) 請求原因(1)ないし(4)の各事実は認める。

(2) 同(5)冒頭の主張は争う。仮に,本件土地調書等に違法があったとしても,土地収用法38条所定の効力が生じないだけであって,本件権利取得裁決及び本件明渡裁決が違法となるものではない。

① 同(5),①のうち,本件土地調書等に控訴人主張の記載があることは認めるが,その余の事実は否認し,主張は争う。

② 同(5),②の事実は否認する。本件土地調書には,登記簿上の地積及び実測面積が記載されている。

③ 同(5),③,④は争う。

④ 同(5),⑤は争う。土地調書の地目欄は登記簿上の表示を記載すべきところ,旧611番2の土地の登記簿上の地目は「河川法による河川区域の土地」であるから,本件土地調書の地目の記載に違法はない。

⑤ 同(5),⑥の事実は認める。

⑥ 同(5),⑦のうち,本件物件調書の建物の構造の記載が不動産登記法に準じたものでないことは認める。

(被控訴人国)

(1) 請求原因(1)ないし(4)は認める。

(2)① 同(6),①のうち,別紙物件目録記載1の土地が,旧611番2の土地の一部であり,本件権利取得裁決により収用され,本件明渡裁決の対象となったこと,被控訴人国が,別紙物件目録記載1の土地が控訴人の所有であることを争っていることは認めるが,その余は争う。

② 同(6),②のうち,旧611番2の土地の南西側にβ町1005番2の土地が接していること,被控訴人国が,本件甲土地が控訴人の所有であることを争っていることは認めるが,その余は否認する。

後述のとおり,旧611番2の土地とその南西側に接するβ町1005番2の土地の境界(β町1005番1の土地は,旧611番2の土地に接していない。)は,K2,H1,N2,N25及びK4を順次結ぶ直線(以下「被控訴人ら主張線」という。)であり,乙1,甲,丁,NO5及び乙1の各点を順次直線で結んだ範囲の土地付近は,旧611番2の土地の一部ではなく,β町1005番1の土地である。別紙物件目録記載3の土地のうち,被控訴人国が,β1005番2の土地の一部としてp1から任意取得したのは,別紙物件目録記載3の土地の北西部分の一部(元々国有の河川敷である。)及びβ町1005番1の土地である前記土地部分を除いた部分である。別紙物件目録記載2の土地は,収用により控訴人から取得した土地の一部であり,河川敷ではない。

③ア 同③,アのうち,本件の境界が,かつての温泉郡と久米郡との郡境,α村とβ村との村境に当たること,旧611番2の土地の南西側にβ町1005番2の土地が接していたこと,β町1005番1の土地が23名の共有地であり,ここにかつて番小屋が建てられていたことは認めるが,その余は否認する。

イ 同③,イのβ町1005番,1006番,1007番及び1008番の各土地の位置関係が控訴人主張のとおりであること,段別畝順帳,野取図及び畝順帳更正願に控訴人主張の数値の記載があることは認めるが,その余の事実は否認し,主張は争う。

ウ 同③,ウは争う。

エ 同③,エは否認する。

(3) 同(7)は明らかに争わない。

4  被控訴人らの主張

旧611番2の土地の南西側で接する土地は,β1005番2の土地のみであり,両土地の境界は,控訴人主張線ではなく,被控訴人ら主張線である。その主な根拠は,以下のとおりである。

(1)  旧611番2の土地の地番は,明治44年1月27日にα611番の土地を同番1と同番2の土地に分割されたことにより設けられた。この時の同番2の土地(旧611番2の土地)の範囲は,反別野取帳記載の図面(甲9)により,4辺の長さが特定された。旧611番2の土地は,その後,請求原因(3)記載のとおり平成2年5月に611番3の土地を分筆するまで,分合筆されていない。前記反別野取帳記載の図面(野取図)に記載された旧611番2の土地及びその周辺土地の周囲の距離数値を現地に当てはめると,前記境界は,被控訴人ら主張線に一致する。

(2)  昭和55年9月6日,控訴人ら地権者,α・βの各土地改良区の役員等が立ち会った測量の際,前記野取図記載の数値を基準に地権者に旧611番2の土地を含む各土地の境界を確認して杭を打設したが,控訴人ら地権者及び前記役員からは,何らの異議も苦情も申し立てられなかった。

(3)  β1005番1の土地にはかつて番小屋が建っていたが,その位置は,公図に表示されたβとαの字界ではなく,β1005番1の土地は,旧611番2の土地と接していない。番小屋は,道路に面していたこと,β土地改良区に保管されていた林全図(乙4)には,β1005番1の土地は同番2の土地に囲まれて南側の道路に面する位置に表示されていることからして,公図のうち,同番1が字界に接している表示部分は誤りである。

(4)  現行河川法上,水制の上に工作物を設置するには河川管理者の許可を要するが,原則として,この許可がなされることはなく,旧河川法上も,水制の上に工作物を設置するには地方行政庁の許可を要したから,水制の上に番小屋があったはずがない。

(5)  本件判決別紙物件目録記載1,2の土地は,収用によって被控訴人国の所有となった611番3の土地に属するが,同目録記載3の土地は旧611番2の土地に属さず,したがって611番3の土地でもない。

5  被控訴人委員会の本案前の主張に対する控訴人の認否

控訴人が,被控訴人国に対し,平成3年4月4日までに,611番3の土地(すなわち,被控訴人ら主張の611番3の土地)を明け渡したことは認めるが,その余の主張は争う。

理由

第1本件明渡裁決の取消を求める訴えの適法性について

控訴人が,被控訴人国に対し,平成3年4月4日までに,被控訴人ら主張の611番3の土地を明け渡したことは,控訴人と被控訴人委員会との間で争いがなく,前記事実によれば,控訴人の被控訴人委員会に対する本件明渡裁決の取消を求める訴えは,訴えの利益を欠くものと解すべきである。その理由は,原判決40頁2行目「明渡裁決」ないし末行末尾に説示するとおりであるから,これをここに引用する。

第2被控訴人委員会に対する本件権利取得裁決取消請求について

1  請求原因(1)ないし(4)の各事実(本件権利取得裁決に至る経緯等)は,控訴人と被控訴人委員会との間で争いがない。

2  請求原因(5)のうち,本件権利取得裁決の違法性について判断する。

控訴人は,本件物件調書の作成手続及びその内容の違法を主張するが,土地調書の作成手続に違法がある場合,または,土地調書の記載内容が真実に反することの証明があった場合,収用委員会は,当該収用裁決申請を却下することができるときもあるが(土地収用法47条),却下せずに職権で土地調書の記載事項につき調査し,その結果に基づいて裁決することも許されると解すべきである。したがって,控訴人の主張するような土地調書の瑕疵は,直ちに本件権利取得裁決分の取消原因とはならない。なお,物件調書は,明渡裁決申立てにおいて提出を要するが(土地収用法47条の3第1項2号),収用裁決の裁決申請書の添附書類ではないから(同法40条1項),本件物件調書の作成手続及びその記載内容が本件権利取得裁決の適法性に影響しないことは明らかである。

さらに,以下のとおり,本件土地調書には控訴人の主張するような瑕疵は認められない。

(1)  請求原因(5),①について

土地収用法36条4項違反をいう控訴人の主張に対する当裁判所の認定判断は,下記のほか,原判決77頁2行目「証拠」から同79頁6行目末尾と同一であるから,これをここに引用する。

① 原判決77頁2行目「1・2、」の後に「41の16・23、」を加える。

② 同78頁2行目「原告は、」の後に「同月8日には,」を加え,4行目「署名押印を拒絶した」を「同月16日には,「考えさせて欲しい。」,「署名押印はできない。」として,署名押印しなかった」と改める。

③ 同78頁8行目「誤って」を「,松山工事事務所職員の助言に従って」と改める。

④ 同78頁10行目「立会いはしたが署名押印をしなかったのに」を「,土地収用法36条4項にいう土地調書への「署名押印を拒んだ者」に当たるといえるが,平成2年1月8日及び同月16日に同条2項所定の立会いをしたと解することができるにもかかわらず」と改め,同79頁6行目末尾の後に「乙11号証によれば,控訴人に対して本件土地調書への署名押印が求められていた時点で,控訴人から,松山工事事務所職員に対して同調書のコピーの交付が要求されたが,同職員はこれを拒否したことが認められるが,この事実も,同調書の作成手続を違法とするものではない。また,松山工事事務所職員が,平成2年1月8日及び同月16日,あえて控訴人にその記載内容を十分確認できないようにしながら,本件土地調書への署名押印のみを迫ったなどの事実を認めるに足りる証拠はない。」を加える。

(2)  請求原因(5),②について

土地収用法37条1項は,土地調書には,収用しようとする土地について,左に掲げる事項を記載しなければならないとした上,同条1号において「土地の地積」と規定する。そして,同条2号の規定と対比すると,同条1号にいう「土地」とは,収用しようとする土地の属する筆又は一団の土地をいうものと解される。また,同条4項を受けて定められた土地収用法施行規則14条,別紙様式第八は,土地(その意味は,前同様である。)の土地登記簿又は土地台帳上の地積及び実測面積を土地調書に記載すべき旨定めている。したがって,土地収用法37条1項1号により記載が義務付けられている「土地の地積」とは,収用しようとする土地の属する筆又は一団の土地の公簿上の地積及びその実測面積である。これと異なる控訴人の主張は採用できない。

乙2号証によれば,本件土地調書には,旧611番2の土地の土地登記簿上の地積として809平方メートルと,その実測面積として848.79平方メートルとそれぞれ記載されていることが認められるから,本件土地調書には,収用しようとする土地の属する筆の公簿上の地積及び実測面積の記載が欠落した違法はない。

なお,旧611番2の土地の登記簿上の地積は,809平方メートルであり(甲2),本件土地調書記載の公簿上地積に誤りがないことは明らかであるが,控訴人の前記主張は,同調書記載の実測面積に誤りがあるとの趣旨を含むとも解される。しかし,前記のとおり,控訴人が署名押印を拒んだため,松山市吏員が署名押印して本件土地調書は適法に作成されたというべきであるから,同調書記載の前記実測面積は,真実に合致するものと推定されるところ(土地収用法38条),後記第3認定説示のとおり,前記推定は覆らず,前記記載の実測面積は妥当と認められる。後記認定第3,4認定事実,甲6号証及び弁論の全趣旨によれば本件土地調書記載の実測面積は,公簿面積を機械的に5パーセント増加させたものであり,同土地調書添付の実測平面図記載の旧611番2の土地の範囲は,以前に,建設省の職員が,同人の認識した同土地の北西側境界を前記地積増加に合わせるため隣接する国有河川敷寄りに移動させて確定させた土地の範囲を,そのまま採用したものであるが,同実測平面図記載の北東側境界及び南西側境界の各距離数値は,野取図の対応部分の間数(いずれも20間)にほぼ合致することが認められるから,測量誤差を考慮すると,前記実測平面図記載の旧611番2の土地の表示が北西側境界部分において真実と異なり,また,その実測面積も不正確であるとは必ずしもいえず,むしろ,結果としては,より真実に近い表示をしているとも解される。

(3)  請求原因(5),③について

本件土地調書には,収用しようとする土地の面積として815.00平方メートルと記載されているが(乙2),前記のとおり,建設大臣が,収用裁決の申請をした対象地は,後に611番3の土地として分筆された面積815平方メートルの土地であるから(請求原因(3)),本件土地調書の前記記載には何ら誤りはない。控訴人は,旧611番2の土地とβ町1005番1,2の各土地との境界を控訴人主張線とした場合の旧611番2の土地の面積から現611番2の土地の面積を差し引いた面積が収用しようとする土地(611番3の土地)の面積になると主張する趣旨とも解される(原審における控訴人の平成8年9月2日付け準備書面(十四)59頁,60頁等)。しかし,本件の収用裁決申請の対象地は,前記のとおり後に611番3の土地として分筆された旧611番2の土地の一部815平方メートルの土地であることが明らかであり,このことは,旧611番2の土地の範囲,面積につき控訴人と被控訴人らの各主張のいずれが正当であるかによって左右されるものでもない。控訴人の前記主張は,前記の理及び土地の分筆における分筆地と残地の関係を正解しない独自の見解であって採用の限りでない。

(4)  請求原因(5)、④について

本件土地調書には,収用しようとする土地の属する筆,すなわち,旧611番2の土地の実測面積として,848.79平方メートルと記載されている(乙2)。

控訴人の主張は,旧611番2の土地とβ町1005番1,2の各土地との境界は,控訴人主張線が正しく,被控訴人ら主張線を前提とする被控訴人ら主張の旧611番の2の土地の面積である前記848.79平方メートルは誤りであるというにあると解されるが,前示のとおり,本件土地調書記載の前記実測面積の真実性の推定は覆らず,前記記載の実測面積は妥当である。

(5)  請求原因(5),⑤について

本件土地調書には,収用しようとする土地の属する筆,すなわち,旧611番2の土地の地目として,「河川法による河川区域の土地」と記載されている(乙2)が,甲2号証によれば,平成2年当時,旧611番2の土地の登記簿上の地目は,「昭和42年4月1日河川法による河川区域内の土地」であったことが認められる。土地収用法37条1項1号に基づき土地調書に記載すべき土地の地目及び同法40条1項2号イに基づき裁決申請書の添附書類に記載すべき土地の地目につき,登記簿上の地目を記載することに何ら違法不当な点はないと解されるから(むしろ,前記各規定は,登記簿上の地目を記載することを予定しているとも解される。),本件土地調書の地目の記載に違法はない。

3  甲1号証によれば,被控訴人委員会は,旧611番2の土地の範囲につき被控訴人ら主張の旧611番2の土地がこれに相当すると判断した上,起業者の申請を認めて611番3の土地を収用すべき旨の本件権利取得裁決をしたことが認められるが,後記第3,4認定説示のとおり前記判断は正当であったと認められ,他に,前記裁決に違法があったことを窺わせる証拠はない。

したがって,本件権利取得裁決に取消原因となる違法はない。

第3被控訴人国に対する請求について

1  請求原因(1)ないし(4)の各事実(本件権利取得裁決に至る経緯等)は,控訴人と被控訴人国との間で争いがない。

2  請求原因(6),①のうち,別紙物件目録記載1の土地が,旧611番2の土地の一部であり,本件権利取得裁決により収用され,本件明渡裁決の対象となったこと,被控訴人が,別紙物件目録記載1の土地が控訴人の所有であることを争っていることは,控訴人と被控訴人国との間で争いがない。

しかし,本件権利取得裁決に取消原因がないことは前示のとおりであり,前記裁決が既に取り消されたことを認めるべき証拠はないから,別紙物件目録記載1の土地が控訴人の所有であると認めることはできない。

3  請求原因(6),②のうち,被控訴人国が,本件甲土地の一部である別紙物件目録記載2の土地が控訴人の所有であることを争っていることは,控訴人と被控訴人国との間で争いがない。前記第3,1の事実(請求原因(3),(4),によれば,別紙物件目録記載2の土地は,611番3の土地の一部であり,611番3の土地は本件権利取得裁決により収用されている。したがって,別紙物件目録記載2の土地は,その全部が控訴人の所有していた旧611番2の土地に含まれていたとしても,本件権利取得裁決により,被控訴人国の所有に帰したから,控訴人の所有であるとは認められない。

4  請求原因(6),②のうち,被控訴人国が,本件甲土地の一部である別紙物件目録記載3の土地が控訴人の所有であることを争っていることは,控訴人と被控訴人国との間で争いがない。控訴人と被控訴人国の各主張を対比すると,その争いの主な原因は,旧611番2の土地と南西側隣接地との境界の位置についての主張の相違(控訴人主張線と被控訴人ら主張線のいずれが正当であるか)にあると解されるから,以下,前記境界について判断する。

(1)①  関係各土地の来歴及び位置関係

甲2号証,4号証,20,21号証,34号証,36,37号証,43ないし46号証の各1・2,82号証,83号証の1・2,89号証,控訴人本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。

ア 旧来,旧611番2の土地が存在するα地区は久米郡α村に,また,β町1005番1の土地が存在するβ地区は同郡β村にそれぞれ属していたが,明治22年の町村制施行により,他の村と併合して同郡γ村となり,従来のα村及びβ村は,いずれも大字となった(甲89)。γ村はその後温泉郡に属した(甲2)。

イ 旧611番2の土地の土地台帳(その様式及び記載内容からして,明治20年代の土地台帳制度発足後間もない時期に作成されたと推測される。)は,当初から611番2の土地(表記は「611番の内第2」)の台帳として作成され,同土地台帳には,一貫して,地目は山林,林,反別は8畝5歩と記載されている。なお,前記土地の登記簿は,明治44年に作成されている。

ウ 松山市α611番1の土地(以下「611番1の土地」という。)の土地台帳(作成時期は前同様)上も,当初から611番1(表記は「611番の内第1」)の土地の台帳として作成され,以後,土地分割の記載はなく,一貫して,地目は山林,林,反別は8畝5歩である。611番1の土地の登記簿は,昭和3年に作成されている。

エ β町1005番2の土地も,土地台帳(作成時期は前同様)上,当初から枝番の付された土地として登載され,同台帳上の地目は,終始,山林,林である。

β町1005番1の土地の土地台帳(作成時期は前同様)上の地目は,当初は郡村宅地であり,明治43年に宅地に改められた。

オ 旧611番2の土地及びβ町1005番2の土地は,松山市α町と同市β町(かつてのα村とβ村,大字αと大字β)の境に接し,両土地付近の公図を合成すると,別紙公図写しのとおりとなる(611番3の土地を分筆する前は,別紙公図写しの「611-2」と「611-3」の部分が一体として「611の2」と表示されていた。)。マイラー原図又はこれより更に古い旧公図と推測される法務局保管の2葉の地図(甲83の1,2)においても,旧611番1,2,β町1005番1,2の各土地の隣接位置関係は,前記公図と変わらない。なお,前記各地図には,「久米郡β村」及び「α村」との記載がある。

カ 旧611番2の土地は,控訴人の父p3が,昭和18年ころ,控訴人の祖父p6からの贈与によりその所有権を取得し,昭和53年5月4日,控訴人がこれを相続した。

611番1の土地は,昭和28年9月,相続によりp7の所有となった。

β町1005番2の土地は,かつてp6の所有であったが,昭和26年2月,同人の子p5の子で為るp1がp6から贈与を受けた。

β町1005番1の土地は,土地台帳上,当初は,「p8外23名」の所有とされていたが,後にp8ら個人22名及び大字βの所有と訂正された。

②  現況等

ア 甲2号証,58号証及び59号証の各1,2,77号証(後記認定に反する部分を除く。),90号証,乙8号証,26号証によれば,次の事実が認められ,後記イのほか,この認定に反する甲50号証,62号証の1,69号証,71ないし77号証及び控訴人本人の供述の各一部は乙26号証に照らし,甲102号証の一部は甲77号証に照らして,いずれも採用できない。

a 昭和18年ころ以降,611番1,旧611番2及びβ町1005番2の各土地及びこれらの土地の南西側に連なる土地の南東側には道路が接し,反対の北西側は石手川(の河川敷)に面していた(甲83号証の1・2の各地図の記載からして,前記道路は,明治期から存在したと推測される。)。

b 昭和18年ころには,別紙説明図赤斜線部分の越流堤防の右側根元から同図面上右寄りの前記道路に面する位置に,接道部分約3.5間,奥行き約2.5間の平家建て建物が存在した。

前記建物には,昭和18年ころから昭和36年ころまでの間,p2の一家が居住していた(この建物は,昭和18年ころ以前から存在していたが,その建築時期及び以前の使用状況を明らかにする確たる証拠はない。)。

c p2の一家が前記建物に居住していた期間,前記越流堤防から南西側(別紙説明図上では左側)は雑木林であり,前記建物の北東側(同説明図上では右側)には,p6の管理する竹の子畑があり,その北東側では控訴人の父p3の一家が竹の子畑を管理し,さらにその北東側は雑木林となっていた。

p2が昭和36年ころに前記建物から転居した後,p6が死亡し,同人が管理していた前記竹の子畑の部分は,同人の子で,p1の父であるp5が管理を継承した。

d p2の前記転居後,前記建物は朽廃して滅失し,同建物から北東側での竹の子栽培もなされなくなり,昭和54年ころは,かつて竹の子栽培がなされていた一帯は竹木が繁っていた。

e 昭和54年末ころ,控訴人から依頼を受けた建設会社が,概ね被控訴人ら主張の旧611番2の土地に属する範囲の土地を開墾整地した。なお,旧611番2の土地の登記簿上の地目は,昭和53年11月7日,山林から畑に変更された。

イ p2方居宅の所在位置について補足する。

a 控訴人は,別紙説明図赤斜線の越流堤防上の空地にかつて番小屋があったと主張し,甲62号証の1,71ないし76号証及び控訴人本人の供述中には,これに副う部分がある。

控訴人のいう「番小屋」がp2の居住していた前記建物と同一であるとしても,乙26号証には,前記建物が控訴人主張の位置になかった旨記載されている。乙26号証は,それが前記建物の居住者であったp2自身の作成であり,内容が具体性に富み迫真的であることからして,信用性が高いというべきであり,これと対比して前掲甲号各証及び控訴人本人の前記供述は採用できない。

b 控訴人は,「昭和37年5月6日に本件の各土地付近を撮影した縮尺約1250分の1の航空写真には,前記番小屋が撮影されているが,同航空写真上の距離に基づいて,α橋の下流側端から番小屋までの距離を算出すると約96メートルになる。α橋の下流側端から被控訴人の主張する境界の南東端であるK2点までの距離は64.41メートルであるから,本件の真実の境界端は,同点から約31メートル南西のNO12点である。」旨主張する。

甲84号証の2,90号証及び弁論の全趣旨によれば,国土地理院が昭和37年5月6日に本件の各土地付近を撮影した航空写真(撮影地区名松山,写真番号SI-62-05-008-6)には,前記p2方居宅と見られる建物及びその北方にあるα橋が撮影されていることが認められる。ところで,当審における調査嘱託の結果によれば,前記航空写真の撮影高度は1850メートル,カメラの焦点距離は152.02ミリメートルであること,一般に,航空写真で撮影された特定の場所における写真縮尺は,次の式による算出されることが認められる。

焦点距離=縮尺/撮影高度

しかし,本件において,昭和37年5月6日当時の前記番小屋及びα橋が所在する場所の正確な海抜高度を明らかにする証拠はないから,前記算式によって,前記航空写真中の前記場所の縮尺を算出することはできない。したがって,前記航空写真上の距離をもって控訴人主張の前記区間の距離を算定し得ない。また,控訴人は,その本人尋問において,縮尺の明確な図面(乙8,25)を適宜縮小コピーし,これと前記航空写真とを重ね合わせる方法により,前記航空写真の縮尺を1250分の1と判断した旨供述するが,このような方法では,図面縮小の際に生ずる誤差及び縮小した図面と航空写真との厳密な重ね合わせの困難さのため航空写真の正確な縮尺を判定することは期待できないと解される。

これらの点を措くとしても,航空写真の場合,中心部分から離れるに従って画像が偏位すると考えられるから,写真上の距離から実際の距離を算出する方法は,程度の差はあるが,誤差が生じ得ることを避け得ない。

したがって,控訴人の主張する航空写真上の距離から前記番小屋の所在位置を特定する方法には,種々の点から精度上の制約があるから,これによって,p2方居宅(番小屋)の所在位置についての前記認定を覆すことはできないというべきである。なお,p2方居宅敷地とβ町1005番1の土地との関係については後に検討する。

c 当審における検証の結果によれば,現況からすると,前記認定のp2方居宅の所在位置には,これを建てる空間的余裕がないかのようでもあるが,現在の地形は,同建物が存在していた当時と変化している可能性もあるから,前記認定の所在位置に同建物が存在し得なかったとはいい得ない。

③  α土地改良区保管の野取帳

甲9号証,41号証の17,42号証及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア 611番1の土地及び旧611番2の土地の地元にあるα土地改良区には,野取図又は野取帳と称され帳簿又は図面帳(「野取帳」又は「野取図帳」等との表題があるのかどうかは不明。以下,便宜「α野取図」という。)が保管されている(α野取図は,その記載内容に照らし,明治期の地租改正事業における一筆限調査の成果を記載した一筆毎の見取図(野取絵図,野取図)を行政区画毎に集めた図面帳又はこれと段別帳(野取帳,丈量帳)を一体化したものと推測される。)。

イ α野取図には,611番1の土地及び旧611番2の土地と推測される土地が当初,地番611番の1筆の土地として記載されている。この土地の見取図には,同東側及び南側が道に,北側が河にそれぞれ接し,西側がβ村との境界で林に接している旨の記載がある。

次いで,前記土地が,611番第1と同番第2に分割されたことを示す記載があり,前記各土地の4辺の長さにつき,611番第1の土地は,北辺8間7合5勺,南辺15間2合5勺,北辺及び南辺間の距離20間の台形状の土地として図示され,611番2の土地は,北辺及び南辺各12間2合5勺,東辺及び西辺各20間の長方形上の土地として図示されている。また,611番第1及び同番第2の各土地の地積は,いずれも8畝5歩と記載されている。

④  β町の畝順帳

甲34号証,80,81号証,87号証の2,97,98号証,乙1号証及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア β町1005番1,2の土地はもと1筆の土地(1005番)の土地であり,別紙説明図記載のとおり,その南西側には,松山市β町1006番の土地,これに囲まれるように同所1007番,前記1006番の土地に南西側に同所1008番の土地(現在は同番1と同2の各土地に分筆)が位置していた(前記各土地の位置関係は,控訴人と被控訴人国との間で争いがない。)。前記1008番の土地は,その南西瑞付近が鋭角的に南東側に突出し,同土地の南東辺に接する道路も,これに沿って南東に向かって屈曲している。

イ その記載内容からしてβ村での地租改正事業における一筆限調査の成果を記載した段別帳(野取帳,丈量帳)の控えと推測される明治9年6月調整の段別畝順帳(甲81)には,前記1005番,1006番,1007番及び1008番の各土地の各南側(南西側)接面道路の長さ(南道長)について,別紙説明図の「畝順帳」欄記載のとおりの記載がある(間表示の数値)。

ウ β村の野取図帳と推測される図面帳(甲97)には,前記1005番,1006番及び1007番の各土地の各南側(南東側)接面道路の長さについて,別紙説明図の「野取図」欄記載のとおりの記載がある(間表示の数値)。前記野取図帳には,前記1008番の土地については,南道長13間,東道長5間と記載されている(同土地の見取図に記載された三斜法による求積のための距離数値からすると,南東側接面道路の長さが13間で,前記南東側突出部分に沿って屈曲した道路部分(前記突出部分のほぼ東側に接面する)の長さが5間との意味に解すべきである。これと異なる控訴人の解釈は,前記距離数値との数学的整合性が著しく劣るから採用できない。)。

エ β村地主総代が明治21年4月に作成した愛媛県知事宛ての畝順帳更正願(甲80号証)には,前記1005番及び1006番の各土地の各南側(南東側)接面道路の長さについて,別紙説明図の「畝順帳更正願」欄記載のとおりの記載がある(間表示の数値)。また,前記1008番の土地については,更正前後の2つの数値の記載がなく,単に南長5間との記載がある(前記野取図長の記載と対比すると,ここに「南長」とあるのは「東長(東道長)」の誤記と推測される。)。

オ 前記1005番,1006番,1007番及び1008番の各土地の各南側(南東側)接面道路の長さの合計は,前記畝順帳及び前記野取図帳によると,別紙説明図記載のとおり,それぞれ133.4メートル及び135.59メートルとなる(前記野取図帳によるときは,前示のとおり,南側接面道路の長さが8間ではなく13間であるとする。)。前記畝順帳更正願に記載された更正後の前記1005番及び1006番の各土地の南側(南東側)接面道路の長さは,98.28メートルとなり,これに前記畝順帳記載の前記1007番,1008番の各土地の南側(南東側)接面道路の長さを加えると,136.5メートルとなる。

カ 昭和55年当時,前記1008番の土地の南側(南東側)接面道路が同土地の南東側突出部分に沿って南東側に屈曲する地点からK2点までの距離は,約140メートル(乙1の図上距離から算出)である。

⑤  境界確認等

昭和55年に現地でなされた境界確認作業の経緯等についての当裁判所の認定は,下記のほか,原判決48頁4行目ないし同58頁1行目と同一であるから,これを引用する。

ア 原判決48頁5行目「乙九の1・2、」の後に「27ないし29,」を加え,6行目「認められる。」を「認められ,この認定に反する控訴人本人の供述の一部は前掲各証拠に照らして採用できない。」と改める。

イ 同49頁1,2行目「開墾地で」を「前記認定の建設会社による開墾整地作業が進んでおり」と改める。

ウ 同49頁5行目「別紙」の前に「原判決」を,6行目「保管している」の後に「α野取図中の」をそれぞれ加え,6,7行目「、明治三十七,八年ころ作成」を削り,8,9行目「別紙図面(一)のK1,K5線」を「K1,H2,N1,K5の各点を順次直線で結ぶ線(以下「K1・K5線」という。)」と改め,9行目末尾の後に「また,p9は,K1点に境界石とおぼしき石が存在するのを発見し,これも境界判定の資料とした。」を加える。

エ 同49頁末行の各「別紙図面(一)の」をいずれも削る。

オ 同50頁3行目「二一、」の後に「97,」を,同行目「乙三の1ないし4、」の後に「4,」を,4行目「一六、」の後に「27ないし29,」をそれぞれ加え,5行目「られる。」を「られ,この認定に反する甲8号証,50号証,65号証の1,控訴人本人の供述の一部は,前掲各証拠に照らし,同じくこの認定に反する乙27ないし29号証の一部は,証人p10の証言に照らして採用できない。」と改める。

カ 同50頁6行目「本件」を「石手川」と改める。

キ 同51頁5行目「一〇〇五番二」を「1005番」と改める。

ク 同52頁5行目「別紙図面(一)の」を削り,8行目「別紙図面(一)のK2・K4線」を「K2,H1,N2,N25及びK4を順次直線で結んだ線(被控訴人ら主張線。以下,「K2・K4線」ともいう。)」と改める。

ケ 同52頁末行「別紙図面(一)の」を削り,同53頁4行目「を了解していた。」を「に対して異議を述べなかった(控訴人は,前記木杭は仮杭であるとの説明を受けたと主張するが,この事実を認めるに足りる証拠はない。)。」と改める。

コ 同53頁4行目末尾の後に次を挿入する。

「(6)別紙公図写し記載のとおり,公図上,旧611番2の土地は,その南西側の一部がβ町1005番1の土地と接している。昭和55年9月6日の前記境界確認の際,β町1005番1の土地の共有者は誰も立ち会っておらず(公簿上記載の個人,共有者は全員死亡していた。),前記土地は公簿上の地目が宅地であったが,現地において公図上前記土地に当たると推定される付近に,宅地の痕跡は発見できなかった。松山工事事務所の担当職員は,立ち会った前記各土地改良区の理事長らから,β町1005番1の土地にはかつて小屋が建てられていたが,その位置は,道路に面した別紙地積測量図甲,乙,丙,丁及び甲の各点を順次直線で結んだ範囲付近である旨の説明を受けた。また,β町土地改良区の関係者が持参していた同土地改良区で保管する「林全図」(乙4)にも,前記土地が前記の位置付近に記載されていたことから,前記土地は,公図上の記載と異なり,道路に面する前記位置にあると判断し,その旨を現地にいた控訴人やp1らの関係者に告げたが,異論を唱える者はいなかった。この日,旧611番2の土地とβ町1005番2の土地との境界は,同町1005番1の土地の位置についての前記判断も踏まえて,関係者の間で,前記のとおり確認された。」

サ 同55頁8行目「別紙図面(一)の」,末行「別紙図面」ないし同56頁5行目末尾をいずれも削る。

シ 同56頁7行目「三四、三六・三七」を「41の2の3」と改める。

ス 同57頁2行目「乙一の実測平面図も」を「前記各実測平面図(乙1,7)に表示した旧611番2の土地の範囲を前提にしてその中の買収予定地を図面上特定し,これを」と,4行目「乙一」から6行目末尾までを「控訴人が,河川区域外の土地と同等の)価格での買収や河川管理者の許可を得ずに建てた倉庫の損失補償を要求するなどしたのに対し,建設省がこれを拒否したことから,買収交渉は成立に至らないまま時日が経過したが,控訴人から,旧611番2の土地の境界や実測面積について異論が出されたことはなかった。なお,控訴人所有の旧611番2の土地及び当時の所有者が確定できなかったβ町1005番1の土地以外の買収予定地については,昭和56年2月16日,各土地所有者との間で売買契約が締結された。」とそれぞれ改める。

セ 同57頁8行目「一二日」を「一一日」と改め,9行目「(甲三六・三七)」を削る。

(2)  境界についての判断

旧611番2の土地と南西側隣接地との境界が控訴人主張線であると認めることはできない。かえって,前記境界は,被控訴人ら主張線(K2・K4線)であると認めるのが相当である。その理由は,以下のとおりである。

①ア 前記認定のα野取図の記載によれば,611番1の土地及び旧611番2の土地は,地租改正事業における一筆限調査の際,地番611番の1筆の民有地として把握されたが(それ以前に,前記611番の土地につき地券が発行されていたか否か等は不明である。),その後,611番1と旧611番の2筆の土地(前記野取図の表示は,611番第1と同番第2)に分割された。その分割の時期は,明治22年の町村制施行前の行政区画である「久米郡β村」及び「α村」の表示がある旧土地台帳附属地図と推測される法務局保管の地図に前記分割後の2筆の土地が記載されていること(甲83号証の1によると,後に分割線を記入した形跡はなく,地図作製当初から2筆の土地として記載されていたと推測される。),明治20年代の制度発足後間もない時期に作成されたと推測される土地台帳には,最初から前記2筆の土地として登載されていることに照らして,明治10年前後の地租改正事業後,明治22年ころまでの間であると推定される。

そして,α野取図には,旧611番2(611番第2)の土地の地積が8畝5歩と記載されているが,土地台帳上も,前記土地の反別は,一貫して8畝5歩であることからして,前記土地は,地番611番の土地の分割によって生じた当時からその範囲,地積に変更がないまま土地台帳に登載され,611番3の土地を分筆するまでの間それが維持されていたと認められる。

以上の点からすると,旧611番2の土地の本来の四囲の距離を最も忠実に表しているのは,α野取図の611番第2の土地部分の記載であると認められる。したがって,前記野取図の記載は,旧611番2の土地の境界を判断する上で最も重視されるべきである。なお,公図は,一般に,野取図(一筆限図)を連合して作製したものであるから(甲42),その作製過程で整合性を維持するため種々の加工がなされている可能性があるので,地図としての精度は,野取図(一筆限図)に劣る。

イ もっとも,一般には,明治期に作成された土地台帳の反別は,地租改正又は地押調査等における測量方法及び当時の測量技術が原因で,必ずしも正確ではなく,特に山林等では縄伸びが著しい場合がある等とされている。しかし,前記の地番611番の土地は,前記境界について控訴人主張線が正しいと仮定しても,広大な地積を有するとは到底いえないし,前記土地の一筆限調査の際,ことさら明白な境界標を無視したなどの事実を窺わせる証拠もないから,α野取図に記載された前記土地の四囲の距離の記載が信用できないというべき理由はない(前記野取図の611番第2の土地についての距離関係記載は,現地測量によるものではない可能性があるので,前記分割前の地番611番の土地についての記載の信用性を検討する必要がある。)。

ウ α野取図は,611番第2の土地の北辺(正確には北酉辺)及び南辺(正確には南東辺)の各距離をいずれも12間2号5勺,すなわち,約22.295メートルと記載している。

控訴人,611番1の土地の所有者の養子及びα土地改良区理事長らが立ち会った昭和55年1月12日及び同年9月6日の現地での2回に亘る境界確認の際,611番1の土地と旧611番2の土地との境界は,K1・K5線と確認されており,控訴人は,本訴において,K1点が前記境界の南東瑞であり,前記境界がK1・K5線上にあることを争っていない。別紙地積測量図記載のとおり,K5点からK4点までの距離は22.20メートル,K1点からK2点までの距離は22.97メートルであるから,K1・K5線が前記境界とすると,同線から南西側の被控訴人ら主張線(K2・K4線)までの範囲の土地を旧611番2の土地と考えると前記野取図記載の前記辺長と符合するが,控訴人主張線までを前記土地の範囲とするのは,これと著しく齟齬することになる。

したがって,α野取図の示す旧611番2の土地の範囲,辺長からすると,控訴人主張線ではなく被控訴人ら主張線を旧611番2の土地の南西側境界と認める方がはるかに合理的である。

② 旧611番2の土地の南西側には,β町1005番2の土地が接しており,両土地の境界は,α町とβ町の境(かつては村境,大字の境)である。β町1005番2の土地は,かつての地番1005番の土地の一部であるが,同土地から同じく分割されたと推測される同町1005番1の土地の位置がいずれであっても,分割前の1005番の土地の南西及び北東の各境界と同町1005番2の土地の前記各境界の位置は同一である。同町1005番2の土地の南西には,順次,同町1006番,同町1007番及び同町1008番の土地が連なり,同町1008番の土地はその南西瑞付近が鋭角的に南東側に突出し,南東側に接していた道路もこれに沿って南東に屈曲している。

旧β村での地租改正事業における一筆限調査の成果を記載した段別畝順帳(甲81)及び野取図帳(甲97)並びに畝順帳の更正願(甲80)に記載されたβ町1008番の土地の南東側接面道路(前記突出部分の北東側接面道路を含まない。),同町1006番,同町1007番及び同町1005番の各南東側接面道路の距離の合計は,概ね133メートルないし136メートルであるが,昭和55年当時,同町1008番の土抽の南東側接面道路が前記のとおり南東に屈曲する地点からK2点までの現況道路距離は約140メートルであり,前記段別畝順帳等記載の各距離と比較的近似する。これに対し,控訴人主張の境界点であるNO12点は,K2点から31メートル南西寄りの地点であるから(別紙地積測量図),前記屈曲地点からの距離は約110メートルとなり,前記段別畝順帳等記載の各距離よりかなり短くなる。

以上によると,現況道路距離の測定精度が高いとはいえないこと等を考慮しても,β町の地租改正関係資料からすると,旧611番2の土地の南西側境界(前記町境)を控訴人主張線と認めるのには難があるが,これを被控訴人ら主張線とすると矛盾が少ない。

③ α土地改良区及びβ町土地改良区の各理事長,β町1005番2の土地の所有者らが立ち会った昭和55年9月6日の現地での境界確認の際,旧611番2の土地の南西にはβ町1005番2の土地が接し,その境界はK2,K4線であることが確認されたが,控訴人も,これについて異議を述べていない。また,この結果を踏まえたその後の土地買収交渉においても,控訴人は,相当期間,前記境界がK2,K4線であることを否定しなかった。

これらの事情も,旧611番2の土地とβ町1005番2の土地の境界を,控訴人主張線ではなく,被控訴人ら主張線と判断するのを相当とする理由となる。

④ かつて別紙説明図赤斜線の越流堤防の右側根元から同図面上右寄りの道路に面する位置,すなわち,NO12点から北東寄りの位置にp2の一家が居住していた建物が存在していた(昭和55年9月6日の境界確認の際は,松山工事事務所の担当職員が,関係者の話や資料から,別紙地積測量図甲,乙,丙,丁及び甲の各点を順次直線で結ぶ線で囲まれた範囲付近に小屋があったと判断している。)。そして,前記建物の北東側にp6が管理する竹の子畑があり,その更に北東側に控訴人父の一家が管理する竹の子畑があった。p6は,控訴人及びp1の祖父であり,旧611番2及びβ町1005番2の各土地のかつての所有者であるが,同人死亡後は,同人の管理していた竹の子畑の管理は,同人の子でp1の父であるp5が引き継いでいる。

以上によると,控訴人主張線から北東側のある範囲までは,旧611番2の土地の所有者であった控訴人の父の家族ではなく,β町1005番2の土地の所有者であるp1の関係者が管理していたと認められるが,この事実も,控訴人主張線から北東側の被控訴人ら主張線寄りの位置に,旧611番2の土地ではなく,β町1005番2の土地の一部が存在していたことを推測させる。

この点につき,甲102号証(控訴人の陳述書)には,別紙物件目録記載3の土地部分は,控訴人の父p3が占有し,p4及びp5に竹の子の収穫をさせていた旨の記載があるが,控訴人は,その本人尋問において,旧611番2の土地の境界について父親等から具体的説明を受けたことはない旨供述していることに加え,いずれも多くの部分が作成名義人の認識,意見というより控訴人の主張をそのまま記載したかにも見られる甲62号証の1,65号証の1及び77号証にさえ,甲102号証の前記記載と同旨の記載はないことからして,甲102号証の前記記載部分は信用できない。

⑤ 以上の諸点に照らすと,旧611番2の土地とその南西側に接するβ町1005番2の土地の境界が,控訴人主張線であると認めることはできず,かえって,これを被控訴人ら主張線と考えるのが合理的である。

(3)  控訴人の主張等について

① 控訴人は,番小屋(p2方居宅)はβ町1005番1の土地に所在していたが,その位置は別紙説明図に「1005番1」と表示した部分であり,公図上,前記土地は,β町とα町の境に接し,旧611番2の土地と隣接しているから,旧611番2の土地の南西側境界は,別紙説明図記載のとおり,β町1005番1の土地に接する控訴人主張線となる旨主張する。別紙公図写し記載のとおり,β町1005番1の土地の公図上の位置関係は控訴人が主張するとおりである。甲71ないし76号証,証人p9の証言等には控訴人の前記主張に副う部分があるし,甲41号証の23によれば,昭和55年9月6日の境界確認の際,立ち会った土地改良区理事長が,前記土地には,周辺の竹木の収穫のための管理小屋があった旨の発言をした形跡がある。

前記認定事実によれば,現在のβ町1005番1及び同番2の各土地は,土地台帳登載当時から地目が異なる2筆の土地であったが,元来1筆の土地であり,それが明治21年4月以降の明治20年代に分割により前記2筆の土地となったものと一応推測される。そして,β町1005番1の土地の地目が土地台帳登載当時から郡村宅地であり,当初は24名の個人の共有とされ,後に個人22名及び大字βの共有と訂正されたことからすると,前記土地は,入会地的な共有地で,共同の用に供する建物敷地であったとの推測が可能であるから,土地改良区理事長の前記発言も首肯できないことはない。

しかし,番小屋の所在位置についての控訴人の主張が採用できないことは前示のとおりである。さらに,乙4号証によれば,前記認定のβ町土地改良区に保管されている大正8年2月調整のβ第4区の林全図には,β町1005番1の土地が,αとの大字界に接する位置ではなく,同大字界から南西寄りで,南東側は道路に接し,他の三方を同町1005番2の土地に囲まれる位置に表示されていることが認められる。この事実に加え,p2方居宅が道路に面する位置にあったことからすると,公図は,β町1005番1の土地の位置を正確に記載していないと解される。

さらに考えると,p2方居宅がβ町1005番1の土地上にあったと断定できるのか,前記居宅と前記土地改良区理事長発言にある(番)小屋が同一建物であるのかについても疑問がある。すなわち,まず甲69号証及び乙26号証によっても,p2方居宅が,竹木収穫のための管理小屋として使用されていたとはにわかに認め難く,甲70号証の1に示された同居宅の間取にも,特段,管理小屋であることを窺わせるところがない。したがって,β町1005番1の土地上には,同土地の土地台帳作成当時又はそれ以前から地域住民の共用の建物が存在していたとしても,それがp2方居宅と同一の建物であるのかは疑問が残る。β町1005番1の土地は,確かに公図記載のとおり,道路から離れた大字界に接する位置にあり,かつては,そこに同土地所有者らの共用の建物が存在したが,その後,これが滅失するなどして同土地は更地となり,これとは別にp2方居宅が前記認定の位置に建てられたとか,あるいは,同町1005番1,2の各土地所有者間で所有地の交換がなされて同番1の土地上の建物が収去されて交換後の同番1の土地にp2方居宅が建てられたが,公簿上は前記土地交換が反映されないままであった等の可能性も考えられる。このような経過であるとするなら,β町1005番1の土地についての公図の記載に誤りがないことになるが,公図の記載を理由に,旧611番2の土地の南西側境界が控訴人主張線であるとはいえなくなる。

したがって,控訴人の前記主張は,いずれにしても,その結論において採用できない。

② 甲87,88号証の各1,2,89号証,100号証,乙42号証によっても,旧611番2の土地の南西側境界についての前記判断は左右されない。

(4)  別紙物件目録記載3の土地の所有権について

以上によれば,別紙物件目録記載3の土地が控訴人の所有する旧611番2の土地の一部であると認めることはできない。他に,同目録記載3の土地が控訴人の所有に属することを認めるに足りる証拠はない。

第4結論

以上の次第で,控訴人の被控訴人委員会に対する本件明渡裁決の取消を求める訴えは不適法であるからこれを却下すべきであり,被控訴人委員会に対する本件権利取得裁決取消請求並びに当審における請求の拡張前の被控訴人国に対する各請求(当審における減縮後のもの)は,いずれも理由がないから棄却すべきところ,これと同旨の原判決は相当で,本件控訴は理由がない。控訴人の当審における被控訴人国に対する拡張請求は理由がないからこれを棄却する。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井土正明 裁判官 杉江佳治 裁判官 佐藤明)

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