高松高等裁判所 昭和25年(う)295号 判決 1950年8月31日
控訴人 検察官 岡本吾市
被告人 木下公吾 外一名
検察官 塩田末平 西本定義関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
別紙検察官の控訴趣意第一点について。
原審公廷における被告人両名及び証人星博の各供述を綜合すると論旨摘録の原判示事実を認めることができ、原審で適法に取調べた全証拠及び当審公廷における被告人両名及び証人奥田浩三の各供述を精査しても、前記判示部分につき原審に採証の法則を誤り事実を誤認した違法が認められないから、論旨は理由がない。
同第二点について。
当審公廷における被告人木下公吾の供述及び医師実地修練に関する通牒写中、医療及び公衆衛生に関する実地修練実施要領によれば、同被告人が昭和一九年岡山医科大学附属医学専門部に入学し五年の課程を了えて昭和二四年三月卒業した医学実地修練者であること、医師法第一一条の実地修練は修練者に臨床上必要な医学及び公衆衛生に関し、医師として具有すべき智識及び技能を体得せしめることを目的として実施せられることが認められる。よつて当審鑑定人広瀬研之、同八塚陽一の各鑑定意見をも参酌して考察すると実地修練者が医師の責任においてその直接指導監督の下に外科的手術に関与し得べき程度は、正規の医学的素養を欠ぐ者の場合と異り、相当広範囲に亘り得るものと解すべきであり、本件において主として被告人木下が相被告人壺井の直接指導監督の下に行つた原判示皮膚軟部の切開、第二、第三肋骨各十二、三糎の切除及び肪膜癒着の粗で剥離容易な部分の剥離は比較的容易で生命の危険を伴うこと甚だ少く、未だ実地修練者が手術行為に関与し得べき範囲を逸脱しないものと認めるを相当とする。論旨引用の(イ)の判例は実地修練者に関する本件事案に適切でなく、原判決が被告人等の本件所為を医師法第一七条に違反しないものと判示したのは結局相当であるから、本論旨も理由がない。
同第三点について。
原判決が理由冐頭に、本件公訴事実はこれを認めることができると判示したのは、措辞妥当を欠ぐ嫌があるが、要するに公訴事実の事実関係を肯認したに止まることその全趣旨から明白である。而して原判決には以上論旨第一、二点につき説明した通り、事実誤認、法令解釈適用の誤なく、理由不備の違法も認められないから所論は採用することができない。
よつて刑事訴訟法第三九六条に則り主文の通り判決する。
(裁判長判事 満田清四郎 判事 太田元 判事 横江文幹)
検察官検事正岡本吾市控訴趣意
第一点原判決理由中には「被告人両名及証人星博の当公廷に於ける各供述を綜合すると、被告人木下が医師でなく医学修練生に過ぎないのに前記のように肺患者武智保の右肺上葉切除の手術をしたのは同被告人が主宰してしたものでなく、医師である被告人壺井が主宰してしたもので云々……被告人木下を施術助手として幇助させたもので、被告人木下は患者武智保の右肺上葉切除をするに必要な手術をしたが右は孰れも終始現場で監督していた被告人壺井の具体的指示に従いその補助者としてしたもので、その他の重要な手術は被告人壺井自身が之をしたことを認めることができる」と判示して居るが、被告人壺井は本件手術をした周桑病院の外科医長で被告人木下は右病院とは何等の関係もない医学修練生であるから、被告人壺井が本件手術の主宰者と主張し被告人木下が補助者と主張することは右病院の対外信用維持のためにも亦自分等の刑責を免れようとするためにも当然の供述であるのに、原審は被告人等の法廷に於ける弁解を容易に真実と速断して前記認定をしたと思料される併し被告人等が法廷で主張するように本件手術の主宰者と補助者の地位にあつたか否は本件手術に当り被告人等の行つた施術行為自体、その前後の情況、如何なる具体的指示監督が為されたか等の諸事実に基き判定すべき事柄である。而して(イ)被告人木下に対する司法警察員の供述調書によれば「周桑病院を訪れて外科医長の被告人壺井に会うたところ、患者武智保に対し胸廓成形手術を施す心算だと語られたが、その病状から成形術より肺葉切除手術の方が良法であると考えたから書物を研究したり先輩奥田医師の意見も打診した上、被告人壺井に進言して肺葉切除手術をすることに決めた。その晩患者武智保の病室へ行つて同人に肺葉切除手術をすることにした旨を告げて納得させた。周桑病院で勤めている外科医師福田に対して自分から手術当日は脈搏を診てくれと依頼した。手術当日患者の母親から手術を延期してくれと云われたが心配することはない旨をさとして説得した。手術室では無言のうちに被告人壺井が助手席についたから私が手術席に就いてメスを執つて施術した。被告人壺井からは大した指導指示は受けなかつたが内乳動脈を切らないように注意をせよなどと云われた」旨の記載。
(ロ)被告人木下に対する検察官の供述調書によれば「手術は私の手で患者の右胸部乳上を横に約十七糎切開しその下部の第三、第四肋骨を切除し更に肋膜を切り開いて肺臓を露わした。それからは被告人壺井と自分が交互に手を差入れて肺上葉の融着部をもぎとり最後に肺門処理に移つたがこの時患者が死亡した」旨の記載。
(ハ)被告人壺井に対する司法警察員の供述調書によれば「肺患者武智保に対して胸廓成形術を施すことにしていたが被告人木下が肺葉切除の方が良いのではないかと云つたので書物等研究した上肺葉切除術をすることに決めた。施術については私が指示乃至指揮という立場で被告人木下が執刀でやりました。ですから終始実際の手術は木下がやつたようなわけである」旨の記載。
(ニ)被告人壺井に対する検察官の供述調書によれば「被告人木下は私の指示に従つて執刀して直接施術をした。手術は先ず患者の右胸部を横に十七糎位切開し次に第三肋骨を切り除け、なお狭いので第四肋骨を切り除けてその下の肋膜を切開いた。ここまでは簡単なので被告人木下にやらせた。これから以後行つた肺葉のもぎとり、肺門処理等は大切なので私が主となつてやつた」旨の記載。
(ホ)証人星医師に対する公判調書には「皮膚切開のメスは被告人木下がもつていた。肋骨切除、肋膜の切開きは被告人木下であつたと記憶する。肺葉のはくりは被告人木下と被告人壺井が交互にやつていた」旨の供述。
(ヘ)証人福田医師に対する公判調書には「被告人壺井から手術の二、三日前頃脈膊係を命ぜられたがその前日頃被告人木下から肺葉切除をしたいから手伝つてくれと頼まれた」旨の供述。
(ト)証人武智ハルヨに対する公判調書には「七月十七日証人が被告人壺井に会つて話をきいた時は胸廓成形の外科手術をすると云つていた、其の晩証人の娘(患者の妻)が患者に弁当を持つて行き十八日朝帰つて来て 木下と云う人が昨夜十一時頃病室に来て胸廓成形術をやめて肺葉切除の手術をすることになつたと云うていた。手術当日の朝証人が被告人木下に会つて肺葉切除の手術をやめてくれと頼んだが被告人木下は死ぬような事は絶対にありません、若しあるような時は中止する医学も進歩しているから大丈夫だと云つて手術をしてしまつた」旨の供述。
以上の(イ)乃至(ト)の証拠を綜合するとき、本件手術は被告人木下の発意によつて決定され施術行為の大部分も同被告人の手によつて行われ被告人壺井が指揮監督して具体的に指示した事跡なく、被告人等は実質的には主宰者と補助者との地位に立たずに共同して本件手術を為し被告人木下がむしろ主働的立場で手術し、これは被告人壺井の示唆容認によるものであると認めるのが妥当であり真相である。従つて原判決が被告人壺井が本件手術の主宰者で被告人木下が其の補助者であると認め、この認定により被告人木下の治療行為は無免許にて医業をしたものと云うことが出来ないと断じたのは、事実誤認を疑う事由があるから破棄を免れない。
第二点原判決理由中には「被告人木下は医師である被告人壺井が本件手術をするに当りその手足として補助したものに過ぎずその治療行為はたとえ通常医師でなければ完全にできないような危険を伴う手術であつても医師たる被告人壺井の行為と看做さるべきであり、補助者である被告人木下が無免許にて医業をしたものということはできず、医師法第十七条の罪とならないものというべきである。」旨判示して居るが、これは医師法第十七条の解釈を誤つたものである。医師が非医師を補助者として如何なる治療行為に使役出来るかにつき判例の説示するところによると、
(イ)大正二年十二月十八日大審院第二刑事部判決には「医師法に於て無免許医業を禁止し之に違反する者を処罰する所以は之に依つて一般の危険を防止するを趣旨とするものなれば、一の行為が無免許医業なるや否やを定むるには又之を標準とするを至当とす。蓋し患者に対し処方を授け又は切開を行うが如き治療行為は医師自ら之を為すべきものにして、医師にあらざる他人をして代て之を為さしむるを得ざるは論を俟たずと雖も、医師が自ら治療行為を為すに当り医師の免許を有せざるものを使役し其の指揮監督の下に治療行為を補助せしむることありとするも、補助者は単に医師の手足として行動するに止まり毫も患者に対して危険を生ずるの虞あることなく医師の意思により治療行為が行わるるに於て其の治療行為は即ち医師の治療行為にして医師の治療行為以外に無免許医業の行為あるものと云うを得ず。従つて医師が其の面前に於て補助者を使役する場合に限らず、其他一時外出するに当り補助者を指揮監督して不在中自己の従来診察せる患者に対し前に掲ぐるが如く危険を生ずる虞なき治療の事に関与せしめ、補助者が単に医師の手足として行為したるに止まる場合の如きは之を面前に於て使役する場合と同視し、其の治療行為は即ち医師の治療行為にして医師の治療行為以外に無免許医業の行為なきものと認むるを妨げず。要するに治療に関し一般の患者をして医師の指図に従い自ら取扱はしむるか又は通常の人をして医師の指図に従い取扱はしむるに於て毫も危険を生ずるの虞なき事項に在ては、医師が医師の免許を有せざる者を使役し其の指揮監督の下に之を取扱はしむるも此の場合には無免許医業の犯罪を構成することなし云々……」
(ロ)大正三年四月七日大審院第一刑事部判決には 医師の免許を受けざる者が単独にて業として人の疾病を診察治療する行為は勿論、医師に於て診察治療行為を施す患者に対し其の免許を受けざる者が医師の手足として其の指揮監督の下に補助的の行為を為すにあらずして、自己の意思に依り医師の意思に拘らず業として診察治療行為を為すことも亦医師法第十一条に所謂免許を受けずして医業を為すものと謂わざるべからず医師が無免許者を使用して自己を補助せしむるにはあらずして之と離れて同一患者に対して診察治療行為を為すことは右犯罪の成立を消長せしむるの効あるものにあらず、」
(ハ)大正五年九月三十日大審院第三刑事部判決には「歯牙に疾患なきに拘らず単に装飾の目的を以て之に金冠を施し若くは金隙歯を嵌入するが如き行為と雖も、其の施術方法の当を得ると否とは当該歯牙は勿論之に隣接若くは対向せる歯牙の健全に影響を及ぼすべきは当然なれば、之等の行為が歯科医術の範囲に属するは論を俟たざる所にして、歯科医師法第十一条は右の如き施術と雖も亦一定の資格を公認せられたるものにあらざれば之を為さしめざるの法意なりと解すべきものなるが故に云々……」
等でこの判例の趣旨と医師法の立法精神とにより、医師が補助者として非医師を使役することが許されるのは患者の診察治療行為に当り患者の健康状態、身体、生命に毫末も危険を及ぼす虞のない処置に限られるもので、本件手術のように患者の身体、生命に危険を及ぼす虞のあること明らかな切開手術行為はたとえ医師が逐一具体的指示を与えても非医師にさせる事は出来ない法意と解するのが医師法第十七条の正当な解釈であると謂わねばならぬ。従つて前記判示のように医師がその指揮監督の下に手足として手術の補助をさせる場合には、医師でなければ完全に出来ない危険を伴う手術でも医師の行為と看做され補助者である非医師が無免許医業をしたということが出来ず、医師も非医師法第十七条の罪とならないという解釈は到底首肯し得ないもので、万一かような解釈が許されるとすれば医師免許制度の破壊であり一般民衆の保健衛生を医師に託することは極めて危険な結果を招来することとなる。故に第一点掲記の理由が容れられないとしても被告人等の本件手術は医師法第十七条に違反し同法第三十一条第一項第一号の刑事責任を負うべきもので原判決は法令の解釈を誤り罪となる事実を罪とならないとした違法があつて破棄すべきものと信ずる。
第三点原判決理由には「本件公訴事実は云々……というにあつて右事実は之を認めることができる」と判示しながら結局被告人両名に対し無罪の言渡をしているが、これは理由第一、二点に示す通り事実誤認と法令誤解に基くと思料される次第で本件記録を精査すれば右誤解による審理進行の跡を観取することが出来る。医師が非医師を使役して如何なる程度の診察治療行為を補助させることが出来るかは医師の健全な常識や一般社会通念によるも具体的に一線を劃することは相当困難で、本件の帰趨については全国の医師が重大な関心を寄せて居ると共に国民の保健衛生にも至大な利害関係があると思われるので愼重な御審理を冀う訳である。
要するに原判決は医師法第十七条の解釈を誤り理由齟齬の違法があつて 判決に影響を及ぼすことが明らかであるから速かに原判決を破棄し被告人両名に対し適当な有罪裁判を求める。