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高松高等裁判所 昭和26年(う)82号 判決 1952年6月14日

控訴人 被告人 大西弘 外二名 弁護人 下田勝久 外七名

検察官 岡本吾市

検察官 井関安治 田中泰仁関与

主文

本件各控訴はいずれもこれを棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人三名の連帯負担とする。

理由

被告人大西弘の弁護人下田勝久、同池田克、同皆川治広、同小野清一郎の各控訴趣意、被告人三名の弁護人山本将憲、同宇和川浜蔵、同白石近章、同村上常太郎の各控訴趣意、検察官(松山地方検察庁検事正岡本吾市)の控訴趣意並に各弁護人の控訴趣意に対する検察官(高松高等検察庁検事田中泰仁)の答弁は夫々別紙記載の通りである。

弁護人下田勝久の控訴趣意第一点について。

原判決は「被告人大西は日進産業株式会社の社金費消に関する事件(以下単に日進産業事件と称す)で昭和二十二年七月三十一日保釈により釈放せられた際かような憂目をみたのは日進産業の社長田中忠雄副社長田村某の所為によるものと考へ甚だしく憤慨すると同時に(中略)右事件捜査の背後には青木愛媛県知事や愛媛県会議員であつて同県警察医である梶原勘一等の策動があるものと思料し同人等に対しても深く恨を懐くに至つた」と認定しながら、他方「被告人大西は昭和二十二年八月十二日頃栗木久嘉が大西方を訪れた際同人に対し田中を煽動して自分を突込んだ者は青木知事と梶原であることが判つた、田中や田村は問題ではない梶原をやれと告げて梶原勘一の殺害方を教唆し」と認定していること所論の通りである。論旨は右は矛盾した認定であり判決理由にくいちがいがあると主張する。しかし原判決を検討するに原判決の認定した趣旨は、被告人大西は右保釈当時右事件捜査の背後には青木愛媛県知事や梶原県会議員等の策動があるものと思料して同人等に対しても既に恨を懐くに至つていたけれども主として憤慨したのは自己の尽力によつて前記日進産業株式会社の社長、副社長の地位についている田中忠雄及び田村某に対してであつてその憤懣の情をはらすため同年八月二日頃栗木久嘉に対し右田中忠雄の殺害方を依頼したものであるところ、その後青木知事と梶原が田中を煽動したことが判明したため寧ろ田中等よりもその黒幕である梶原勘一を殺害すべきであると心境の変化を来し同月十二日頃栗木に対し殺害の相手方を変更し梶原殺害方を教唆したものであるとの趣旨であつて、かかる経緯は吾人の充分首肯し得るところであり原判決の認定が矛盾しているとは見られない。原判決には所論の如き理由のくいちがいはなく論旨は理由がない。

同第二点について。

論旨は原判決は証拠に基かないで栗木久嘉が殺意を以て梶原勘一を刺した事実を認定していると謂うのである。しかし原判決の右殺意の点についての証拠説明(原判示一の事実についての証拠(六)のニ参照)に徴し栗木久嘉は殺意を以て刺身庖丁で梶原勘一の背部及び胸部を突刺した事実を充分肯認することができ、原判決に所論の如き違法はない。論旨は理由がない。(尚栗木の殺意の点については論旨第十八点に対する判断参照)

同第三点について。

論旨は原審は証第十六号の一、二乃至第三十号(栗木久嘉より栗木きみ子宛)及び証第三十一号乃至第五十六号(栗木きみ子より栗木久嘉宛)の各手紙を刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当する書面として証拠調をしているけれども、右各手紙は右条項に該当する書面とは認められず、従て証拠能力のないものであると主張する。仍て考察するに刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当する書面は所謂信用性の情況的保障の点において同条第一号及び第二号の書面に準ずる程度のものであることを要するものと解すべきこと所論の通りであるけれども、原審は差出人又は受取人である栗木久嘉及び栗木きみ子の原審における各証言に徴し右各手紙が信用すべき情況の下に作成されたものと認めたこと明かであり(原審第五回公判調書参照)、また右各手紙の封筒及び中身につきその外観、内容等を仔細に点検すれば原審がこれ等の手紙を刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当するものとしてその証拠能力を認めたのは蓋し相当であると謂はなければならない。

尚右各手紙の中証第十六号の一、二乃至第十八号、第三十四号、第三十七号、第四十八号、第五十四号の各手紙の封筒には刑務所の検閲印又は受附印等が押捺された形跡がないけれども、必ずしもこの一事を以て刑務所在監者との往復信書でないとは断ぜられない(当審における証人越智伸夫に対する尋問調書参照)。従て原審の訴訟手続には所論の如き違法はなく論旨は採用し難い。

同第四点について。

論旨は押収に係る本件各手紙の中には封筒と中身とが一致せず明かに中身を書きかえて差しかえたと認められるものが数通あり種々の工作が施されていること明かであつてこれ等の手紙は証拠能力を有しないものであると主張する。仍て本件各手紙を検討するに(イ)証第三十一号の手紙(きみ子より久嘉宛)は封筒は松山刑務所宛であるところその中身には夫久嘉が早く松山刑務所に移監になり同刑務所で服役できる日を待つている旨の文言があり、(ロ)証第十六号の二の手紙(久嘉よりきみ子宛)は封筒に昭和二十三年七月二十五日の山口郵便局の消印がありその中身に「子供の写真を撮つて送つて下さい」との文言があるところ、その返信と見られる証第五十号の手紙(きみ子より久嘉宛)によれば封筒に昭和二十三年七月二十二日の松山郵便局消印がありその中身二枚目に「秀子の写真との事ですが今顔も身体も一面に水ぼうそうで写せぬ故治り次第写してお送り致します」との文言があること(ハ)証第三十五号の手紙(きみ子より久嘉宛)は封筒は昭和二十三年八月十三日附であるところその中身二枚目に「私もその中何か考えて暖くなれば秀子も幸子と二人でおいておける様になりますから六月頃より私がつとめることに致します」との文言があることいずれも所論の通りである。しかし当審公判廷における証人栗木きみ子の証言(当審第三回公判調書参照)に徴すれば、夫久嘉とやりとりした本件各手紙をその後しばしば取出して読み返しその際封筒と中身とを入れ違えたものもあることを窺うことができ、また本件手紙はその数が多いため(約四十通)検察庁における取調の際等において封筒と中身とを入れ違えることもあり得ることであり、現在封筒と内容とが一致しない一事を以て直ちに本件各手紙については中身の差しかえその他の工作が行はれているとは断ぜられない。また証第二十九号の手紙(久嘉よりきみ子宛)は中身だけであつて封筒がなく且つ栗木久嘉の他の手紙と異り多少教養のある者が書いたと認められること所論の通りであるけれども、右手紙の内容を仔細に検討するも後日故意に作成した書面であるとは認められない(尚右手紙は四月十九日附であること及びその内容より判断して昭和二十四年四月一日栗木久嘉が山口刑務所より岡山刑務所に移監した後同刑務所において何人かに代筆させたものと認められる)。而して当裁判所は本件各手紙全部につき逐一その内容、形式等を仔細に点検するに封筒と内容とが一致しない分があること、刑務所の検閲印のないものがあること、代筆させたと認められる分があることその他論旨主張の諸点を充分考慮に容れても本件各手紙に所論の如き種々の工作が行はれた形跡は全然認められず、原審が刑事訴訟法第三百二十三条第三号により証拠能力を認めこれ等の手紙の存在及び内容を、本件事実認定の資料に供したのは適法であつて、原判決に所論の如き違法は認められない。従て論旨は採用できない。

同第五点について。

論旨は原判決は証人渡部朝隆の証言を引用して被告人大西は日進産業事件につき保釈釈放せられた当時既に梶原勘一に対し恨を懐くに至つたと認定しているけれども、証人渡部朝隆は原審公判廷において被告人大西が日進産業事件につき保釈になつた時(昭和二十二年七月三十一日)と農地調整法違反事件につき釈放になつた時(同年九月中)とを混同して供述しているのであつて、被告人大西は日進産業事件につき保釈になつた当時右事件捜査の背後に梶原勘一がいると推量する筈はなく原判決の認定は誤認であると謂うのである。仍て原審第四回公判調書に基き証人渡部朝隆の証言を検討するに、同証人は被告人堀池福一の反対尋問に対し同被告人に頼まれて勾留中の被告人大西に辨当を持参したのは被告人大西が農地調整法違反事件で勾留されていた時であると供述していること所論の通りであり、被告人大西は前記の如く昭和二十二年夏頃二回に亘つて勾留されていたため右証人はこれを稍混同して供述した形跡が窺はれ、同証人の証言のみによつては被告人大西が刑務所より釈放帰宅の際見舞に行つた者等に対し検事の取調最中梶原から検事に電話がかかつて来た事実を話し梶原の仕打に対し憤慨していたのは日進産業事件で保釈になつた時か又は農地調整法違反事件で釈放になつた時か稍明確でないと謂はなければならない。しかし原判決はこの点につき右証人渡部朝隆の証言の外裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書及び証人栗木久嘉の証言等を掲げ被告人大西は日進産業事件で保釈になつた当時既に梶原勘一に対し恨を懐くに至つていたと認定しているのであり、右各証拠を綜合して判断すれば被告人大西は日進産業事件で保釈帰宅した際見舞に行つた者等に対し右電話云々の話をし梶原勘一に対し憤懣の情を洩していた事実を充分肯認することができ、原審及び当審において取調べた各証拠を検討しても原判決の右認定が誤であるとは認められない。従て論旨は理由がない。

同第六点について。

論旨は原判決は被告人大西が日進産業事件の捜査の背後に梶原の策動があることを洩した時期につき証人渡部朝隆の証言(被告人の反対尋問に対する)を排斥して裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書並に証人渡部朝隆の主尋問に対する供述を夫々証拠に引用したのは採証の法則及び実験則に違背していると主張する。しかし裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書は原審において弁護人がこれを証拠とすることに同意していて(原審第十回公判調書参照)証拠能力を有するものであり、右証人尋問には被告人又は弁護人が立会つて居らず従て反対尋問をしていないことは所論の通りであるけれども、後に池田弁護人の控訴趣意第一点に対する判断において説示する通り原判決が右尋問調書を証拠に引用したのは適法であると謂はなければならない。而して前記第五点に対する判断において説示した通り被告人大西が梶原の電話云々の話をした時期についての証人渡部朝隆の証言は稍明確を欠いているけれども、同証言及び裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書の各内容を検討すれば原判決が証人渡部朝隆の証言の一部及び証人福岡春良に対する右尋問調書を証拠に掲げて被告人大西は日進産業事件で保釈帰宅の際梶原の電話云々の話をしたものと認めたことを以て必ずしも採証の法則及び実験則に違背しているとは認められない。(尚原審第四回公判調書に徴すれば証人渡部朝隆は被告人等の反対尋問を受けてその証言が多少動揺したことは窺えるけれども、被告人大西が梶原の電話云々の話をした時期を同被告人が農地調整法違反事件で釈放帰宅した時であると主尋問に対する供述を全面的に訂正したものとは見られない。)原審が取調べた各証拠を精査し被告人大西の弁解を考慮に容れても原判決に所論の如き違法は認められず論旨は採用できない。

同第七点について。

論旨は原判決が裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書を断罪の資料に供したことを更に非難する。仍て考察するに被告人大西が日進産業事件で高橋検事の取調を受けていた際同検事に対し電話がかかつて来たのは梶原勘一の妻澄子からでありその用件は立石検事の宿所を聞くためであつたことは所論の通りであるけれども(原審第四回公判調書中証人梶原澄子の供述記載参照)、証人福岡春良に対する右尋問調書を仔細に検討するも同証人の供述内容が虚偽であるとは認められず、同証人が原審において証人として召喚状の送達を受けながら出廷しなかつたからといつて右尋問調書の供述内容が信用できないものであるとは断ぜられない。尚原審において弁護人が右尋問調書を証拠とすることに同意していることは前敍の通りであり且つ右尋問調書は裁判官の証人尋問調書であるからその作成された情況を考慮するも右同意がある以上刑事訴訟法第三百二十六条により証拠能力を有するものであり、論旨主張の諸点を考慮に容れても原判決が右尋問調書を事実認定の資料に供したことを以て違法又は不法であるとは云えない。(但し被告人大西は高橋検事と梶原澄子との電話による問答を直接聞いていないと認められることは所論の通りである。)原判決に所論の如き違法は認められず、論旨は理由がない。

同第八点について。

論旨は要するに原判決は社会通念上殺人教唆をなすが如き動機と認められない事実を以て本件殺人教唆の動機原因と認めているのであつて原判決には判決に影響を及ぼす事実の誤認があると謂うのである。しかし原判決認定の事実をその挙示する各証拠と共に仔細に検討するに原判決が被告人大西が本件の如き殺人教唆をなすに至つた動機及び経緯として認定した事実は充分首肯し得るところであり、論旨の主張する日進産業事件の内容、梶原勘一は日進産業事件につき何等策動をした事実のないことその他の諸点を考慮に容れても原判決の認定した本件教唆の動機が吾人の経験に照し考え得られないものであるとはいえない(この点については尚論旨第十九点に対する判断参照。)原審及び当審において取調べた各証拠を検討しても原判決がその掲げる各証拠により原判示の如く本件教唆の動機を認定したのは蓋し相当であつて、原判決に所論の如き事実の誤認は認められない。(尚原判決は被告人大西が昭和二十二年八月二日頃栗木久嘉に対し田中忠雄の殺害方を教唆した事実については原判示一の事実の証拠説明(四)において、また同月十二日頃栗木に対し田中を煽動して自分を突込んだ者は青木知事と梶原であることが判つて旨告げて梶原勘一殺害方を教唆した事実については原判示一の事実の証拠説明(五)において夫々証拠を掲げているのであつて、所論の如く証人渡部朝隆の証言及び裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書のみによつて右各事実を認定しているのではない。)従て論旨は理由がない。

同第九点について。

論旨は栗木久嘉が梶原勘一を刺すに至つた動機は栗木久嘉に対する住居侵入恐喝殺人未遂被告事件につき高松高等裁判所が昭和二十三年二月十六日言渡した第二審判決(確定)の判決理由に明示されている通り、自己の親分である高橋喜市が昭和二十一年六月十五日松倉義雄外数名と乱闘して死亡した事件につき昭和二十二年七月三日松山地方裁判所において右松倉義雄等に対し傷害致死罪として執行猶予の判決がなされたのは、右高橋喜市の死因等の鑑定をした鑑定人医師梶原勘一が故意に真相を曲げて鑑定をしたため右の様に意外に軽い判決がなされたものと考え、他方加害者である松倉側との間には既に仲裁人が入り同人等に対する報復は許されなくなつたため親分の霊を慰め且つ自己の遊人仲間に対する面目を立てるには右梶原医師を刺すに如かずとして同人暗殺の挙に出たものであつて、原判決認定の如く被告人大西の教唆によるものではないと謂うのである。仍て考察するに栗木久嘉に対する住居侵入恐喝殺人未遂被告事件第二審判決謄本(記録第一一九九丁以下)に徴すれば栗木久嘉が梶原勘一を刺した犯行の動機は所論の如く認定されて居り、また当裁判所が職権で取寄せた栗木久嘉に対する住居侵入恐喝器物毀棄殺人未遂被告事件確定記録によれば栗木久嘉は警察及び検察庁における取調並に第一審及び第二審における各公判を通じて梶原医師を刺したのは自己の単独犯行であつて前敍の如き動機により同医師を刺した旨供述していること明かである。而して原審第七回公判調書中証人国重リヱ(亡高橋喜市の妹)、同西崎助市の各供述記載、原審第九回公判調書中証人黒川春一の供述記載、原審第三回公判調書中証人栗木久嘉の供述記載の一部及び司法警察官の栗木きみ子に対する昭和二十二年九月三日附、栗木久嘉に対する同年八月三十一日附各聴取書(栗木久嘉に対する前記殺人未遂被告事件記録中に存するもの)並に当裁判所が職権で取寄せた松倉義雄外三名に対する傷害致死等被告事件確定記録(鑑定人医師梶原勘一作成に係る高橋喜市の屍体に対する鑑定書を含む)等に徴すれば、高橋喜市が昭和二十一年六月十五日松山神農会(露店商人の団体)の会員である松倉義雄等のため頭部その他全身二十数個所に切挫創を負はせられて無惨な最後を遂げたことにつき右喜市の身内の者等は痛く憤激し一時はその仇討を企図したこと、同年八月二十四日被告人大西等の仲裁により高橋側と松倉側との間に仲直りができたけれども高橋喜市の身内の者等の気持は尚釈然とせず殊に昭和二十二年七月三日松山地方裁判所において右松倉義雄等に対し執行猶予の寛大な判決がなされるや右身内の者等は該判決を不満に感じたこと高橋喜市の子分である栗木久嘉もまた右判決を不満としかかる軽い判決がなされたのは喜市の創傷についての梶原医師の鑑定(死後創か否かまた鋭利な刄物によるか否かの点)が加害者側に有利になされた結果ではないかと考え同医師の鑑定についても不満の念を懐いたことは充分これを窺うことができる。しかし証人栗木久嘉の本件原審及び当審における各証言を仔細に検討しこれと前記殺人未遂等被告事件における栗木久嘉の各供述とを対比して考察すれば、梶原医師の右鑑定に対する不満から親分喜市の無念をはらすためまた自己の遊人仲間に対する面目上梶原を刺すに至つたとの栗木の前記被告事件における供述は甚だ不自然であつて到底信を措き難く、栗木は自己に対する被告事件において犯行の動機につき虚偽の供述をしたものと断ぜざるを得ない。勿論確定判決における事実認定はこれを尊重すべきであること多言を要しないところであり栗木久嘉に対する右被告事件記録に徴すれば証拠の関係等により犯行の動機をかく認定した右確定判決を必ずしも非難できないけれども、栗木等の属する所謂親分子分の社会において親分が殺された場合その仇討としてその加害者に対する刑事事件における鑑定人の鑑定が不当であるからといつてその鑑定人を殺傷せんとするが如きことは当裁判所の到底諒解し難いところである。右は加害者側と被害者側との間に仲裁人が入つて仲直りの盃が取交されかかる社会の所謂仁義として爾後相手方に対し報復の手段を採り得なくなつた本件の如き場合においても亦然りと謂はなければならない。要するに原判決の掲げる各証拠を綜合して判断すれば栗木の本件犯行は被告人大西の教唆に基くものである事実を充分認めることができ、原審及び当審において取調べた各証拠を検討し論旨援用の事実を斟酌しても原判決が栗木の犯行について前記の如き確定判決が存在するに拘らずこれと異る事実認定をしたことを以て事実の誤認であるとはいえない。従て論旨は採用し難い。

同第十点について。

論旨は原審における証人河井勝治、同河井ミツの各証言を援用して栗木久嘉は昭和二十二年八月の盆頃高橋親分の仇を討つため広島より松山に帰つたものであり、原判決が被告人大西の教唆により栗木が梶原を刺したと認定したのは事実誤認であると主張する。仍て原審第九回公判調書に基き証人河井勝治、同河井ミツの各証言を検討するに同証人等は論旨摘録の如く栗木が昭和二十二年八月の盆頃広島より松山に帰る前同証人等に対し高橋親分の仇討をする意図があることを仄かした旨夫々供述しているけれども、同証人等の証言は証人栗木久嘉の証言その他原審の取調べた証拠と対比して信を措き難く、右各証言によつては栗木が高橋親分の仇を討つため梶原勘一を刺したものとは未だ認めることができず、原判決に所論の如き事実の誤認があるとはいえない。論旨は採用できない。

同第十一点について。

論旨は栗木久嘉は亡高橋喜市の死体解剖に立会つているに拘らず原審において右解剖に立会つたことはないと証言しているのは被告人大西を陥し入れんとする画策が暴露することを虞れて事実に反した供述をしたものであり、この点よりするも被告人大西の本件教唆を認定した原判決は事実誤認であると謂うのである。仍て栗木が亡高橋喜市の死体解剖に立会つたか否かの点に関する本件各証拠を検討するに、栗木久嘉は同人に対する殺人未遂等被疑事件における司法警察官の取調に対しては右死体解剖に立会つたことがある旨供述(同人に対する前掲司法警察官の昭和二十二年八月三十一日附聴取書参照)しているけれども、原審においては解剖の時は外に出て居て立会はしなかつた旨証言し(原審第三回公判調書参照)、証人大西谷五郎は原審において栗木は右死体解剖に終始立会つていた旨証言(原審第六回公判調書参照)しているけれども、証人梶原勘一は原審において解剖に立会つていた者は警察官、判事、検事の外看護婦等で栗木は立会つていなかつた旨証言(原審第四回公判調書参照)している。而して原判決も栗木が死体解剖に立会つたか否かを頗る疑問とし結局解剖に立会つているのではなかろうかと判断しているけれども、当裁判所が以上の各証拠を綜合して判断するに高橋喜市の死体解剖の際栗木も来ていて解剖室の中に入つたことはあるかも知れないけれども数時間に及ぶ解剖に際し同人が解剖室内において終始解剖に立会つていたかどうかは甚だ疑はしい(この点につき証人大西谷五郎の証言を全面的に措信することはできない)。従て栗木が解剖立会の点につき被告人等を陥し入れるため故意に解剖に立会つていないと虚偽の証言をしたものとは必ずしも認め難く、この点についての栗木の証言を捉えて同人の証言が全部措信できないとなすことはできない。原判決並に本件各証拠を検討するも原判決に所論の如き理由のくいちがい又は判決に影響を及ぼす事実の誤認は認められず、論旨は採用できない。

同第十二点について。

論旨は原判決が本件における証人栗木久嘉の証言は前の被告事件においてなした同人の供述と対比して詳細を極め他の幾多の証拠とも合致していて到底これを動かし得ないものであると判断して栗木証人の証言を全面的に採用したことを非難している。仍て考察するに裁判官が証拠の証明力を判断するにつき論理法則、経験法則の制約を受けること勿論所論の通りであるけれども、証人栗木久嘉の原審における証言(原審第二回及び第三回各公判調書参照)を仔細に検討し当審において同証人を直接尋問した結果(当審における証人栗木久嘉に対する尋問調書参照)に徴するに、前敍の如く同証人が自己に対する被告事件において犯行の動機として供述するところが諒解し難いのに引きかえ、同証人が本件において梶原勘一を刺すに至つた経緯として証言するところは吾人の充分首肯し得るものであり、全然架空の事実を供述しているものとは到底認められない。而して原審が取調べた各証拠を精査するに栗木久嘉の証言を裏付けするに足る証拠としては原判決が証拠として掲げる証人栗木きみ子、同渡部朝隆、同高木徳一、同高橋ナカの各証言、裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書その他多数存在するが、とりわけ栗木証言が動かし難いものであると断じ得る有力な証拠は栗木久嘉が刑務所服役中に同人とその妻きみ子との間に取交された約四十通に上る手紙(証第十六号の一、二乃至第五十六号)の存在である。而してこれ等の手紙はいずれも信用すべき状況の下に作成されたものであり何等かの工作が行はれた形跡の認められないことは前記控訴趣意第三点及び第四点に対する判断において示した通りであるが、その内容を逐一検討するに原判決も説示する如くこれ等の手紙によつて栗木の本件犯行が被告人大西の教唆に基くものであり且つ被告人成松、同堀池(井上)がこれに加担している事実を充分窺うことができるのである。

今次に右手紙中の文言を二、三摘記すれば、

(イ)  証第十六号の一(山口刑務所在監中の久嘉よりきみ子宛)

「(前略)おじや井上成松が栗木の手をとり夜るたのんだ時わ内やお前がいる金わどれだけいつても出すとやくそくしながらそれはなに一つしてくれなかつたそれどころか君子にまでよくない事をするとわもつての外の事だよ(中略)私の身だわおじさんしだいだどうでもなるおじさんは自分の事わどうでもむりしてやるが栗木の事わほつたらかしだ自分が刑務所がいやならやはり栗木もいやだ(中略)私としても皆の人にいつてやりたい事ばかりだ栗木に皆の人が色々とたのむ時の気持になつてもらいたい(後略)

(ロ)  証第十六号の二(前同)

「(前略)今さらいつても男がすたると思つていわないがおじさん又井上成松心にはじずにおる事かと思つておるおじさんの出ようしだいで金をむりにとつてもよいだがおじさんの方で栗木にすまぬといゆふ心があれば又かんがえる事もある十年といえば永い年月だ君子や子供がどれだけさびしい思いをするかそれをおじさんはわかつて下さる事か(中略)私の身だわやつたが君子をやるといわなかつた貴女がそういつたらおじさんも思いあたる事だ(後略)

(ハ)  証第十八号(前同)

「(前略)今度は私もかんがえましたあんな者たちにだまされて十年も君子に苦しい思いをさす事かと思えばはらがたつあれらわ人でなし男でないたのむ時ばかりだ今になりざんねんでたまらないやくざはつらいもの男は馬鹿な者だ妻や子供もわすれてつまらぬ義理を立てゝなにゝなる今度君子所にかえる時にわ心より足をあらい良い幸子の兄であり秀子の父になりてかえります今になりつくずく思いあたりました(後略)」

(ニ)  証第二十八号(岡山刑務所移監後久嘉よりきみ子宛)

「(前略)成松などはつまらないうそばかりだそれで君子よりおじさんに栗木のかわりに井上か成松どちらでもよいかわつて下さいといつて下さい(中略)それでおじさんかえりしだいにあつて栗木の所にすぐ君子といつて下さいといつてつれてきて下さいもしこない時はそれでわまちがいなく裁判をやりなをすからそのつもりでいて下さいといつて(中略)君子の前でおじさんが私にたのんだ事又どんな事いつたかそれを君子にきかせておきたいのです(中略)たのむ時ばかり上手にたのんでもうわすれたのかといつて下さいあとになつてうらまぬ様にして下さいといつて下さいよ(後略)」

(以上は原文の侭であり、「おじさん」とあるは被告人大西を指すこと本件記録上明かである。その他久嘉よりきみ子に宛てた証第二十、二十三、二十四、二十五、二十七、二十九、三十号の各手紙並にきみ子より久嘉に宛てた証第三十一、三十二、三十四乃至三十七、三十九、四十、四十二、四十四乃至五十一、五十五、五十六号等の各手紙の内容参照)

而して本件における証人栗木久嘉の証言と矛盾ずる証拠もまた本件においては相当存すること所論の通りであるけれども、本件の如き事案については偽証をなす証人が出ることはあり得ることであるしまた故意に偽証をしたものでないとしても約三年又は四年前の事実について証言を求められるのであるから(栗木の犯行は昭和二十二年八月十三日であるところ本件が起訴されたのは昭和二十五年十月二十七日である)、記憶の喪失、記憶違い等により真実に反した証言をなすことは充分考え得られ殊に年月日等については正確な証言は到底期待できず、寧ろ確たる根拠なくして正確な年月日を供述する証人の証言の如きは愼重に検討を要するところである。右のことは証人栗木久嘉の証言その他被告人等に不利な証人の証言についても同様に言い得ることであり、栗木証人の証言についても日時の点についてはかなり記憶違い又は記憶の判然せぬ部分があることは充分考え得られる。しかし栗木証言その他原審が取調べた各証拠を検討し当審おいて証拠調をした結果より判断するに、被告人大西の教唆により梶原勘一を刺すに至つたとの本件における栗木久嘉の証言は充分信を措くに足るものであり原審が同人については既に単独犯として認定された確定判決があるに拘らず栗木証人の証言を採用したことを以て採証の法則に違背しているとは認められず、また原判決の認定が事実誤認であるとは考えられない。従て論旨は採用し難い(尚栗木証言の信憑性については論旨第二十三点に対する判断参照。)

同第十三点について。

論旨は原判決は被告人大西は仁侠界の親分高橋喜市と兄弟分の関係にあつたこと及び栗木久嘉の妻きみ子は高橋喜市の娘分であり栗木はそのむことなつたものであることを夫々判示しているけれども以上の点については本件において何等の証拠がないと謂うのである。仍て原判決を検討するに原判決は右各事実を如何なる証拠により認定したか稍明確でないけれども(尤も原審が取調べた松倉義雄等に対する傷害致死被告事件記録中の特別弁護人選任届添付の事由書には特別弁護人大西弘は亡高橋喜市の所謂仁義界における兄分であるとの記載がある)、仮に所論の如く被告人大西は亡高橋喜市と兄弟分の関係にあつたものではなく栗木久嘉の妻きみ子が右喜市の娘分でなかつたとしても右は本件犯罪事実の認定に何等影響を及ぼすものではなく、原判決に判決に影響を及ぼす事実の誤認があるとはいえない。従て論旨は理由がない。

同第十四点について。

論旨は原判決は経験則上あり得べからざる事実についての栗木証言を採つて犯罪事実を認定していると主張する。仍て原判決を検討するに原判決は被告人大西が昭和二十二年八月十二日頃栗木久嘉に対し梶原勘一殺害方を教唆した事実の証拠として証人栗木久嘉の原審公判廷における証言を掲げ同証言中「(前略)大西は私に向つて市会に行つたら青木知事と梶原が田中や田村を煽動して自分を突込んだ事が判つた、田中、田村は問題ではない梶原をやれ、やつたら自首せよと云い、私は自首の理由はと聞くと大西は広島からの船中で新聞を見たところ大西を陥し入れている悪い人間が居る事を知りそれでは一万なんぼの選挙民にすまぬと思つたのでやつたと云つて自首すればよいと云はれたので之を承知し梶原をやる事を引受けた(中略)私は必ずやつて来ますと云うと大西は家族の事は心配するな、東京から弁護士が来るようにする、刑務所へ行けば必ず保釈をとつてやると云い(後略)」との部分を引用していること所論の通りである。而して論旨は当時の新聞に右の如き記事が掲載されたことはなくまた被告人大西が栗木に対し自首の理由として右の如きことを指示することはあり得べからざることであると主張するけれども、栗木久嘉は当審における証人尋問(同証人に対する尋問調書参照)に際しこの点につき「大西さんは私に対し広島から帰る途中船の中で大西さんが引張られた新聞を見たが船の中の話では梶原さんが大西さんを陥し入れようとしているとのことであつたので云々と云つて自首せよとのことであつた」と証言して居り、ここに云う新聞は大西を陥し入れている者があるとの記事が掲載されている新聞の意ではないことが窺える。また前記選挙民云々の点を考慮に容れても被告人大西が栗木に対し、前記の如き理由を犯行の動機として自首する様指示することが必ずしも絶対にあり得ないことであるとは断ぜられない。また前記証言中の「大西が市会に行つたら云々」の点は必ずしも開会中の市議会を意味するものとは限らず、所論の如く昭和二十二年七月三十一日から同年八月十三日迄の間に松山市議会が開催された事実がないとしても直ちに栗木の右証言が虚偽であるとはいえない。更に論旨は若し被告人大西が栗木に対し弁護士の件につき前記の如き約束をしているのであれば栗木は自己に対する殺人未遂等被告事件において被告人大西に対し東京より弁護士を依頼してくれと当然請求すべき筈であるのに第一審第二審を通じかかる請求をした事実がないのは栗木の証言が虚偽である証左であると主張する。しかし栗木が被告人大西に対し自己の事件につき東京の弁護士を依頼してくれと請求しなかつた事実を以て被告人大西は栗木に対し東京の弁護士云々の話をした事実はなく、従て栗木の証言が措信できないものであるとはいえない。次に論旨は証人栗木は原審公判廷において昭和二十二年八月十三日の夕刻頃大西方西側の田圃道で被告人大西に対し兇行用の刺身庖丁を見せたと証言しているけれどもかかる場所においてかかることをなすはあり得ないことであると主張する。しかし証人栗木久嘉の原審及び当審における証言を仔細に検討し当裁判所の検証の結果(当審における検証調書参照)に徴して判断するに、栗木が刺身庖丁を見せたと主張する場所は大西方の西側にある田圃道を通つて一間か一間半位奥の方へ行つて箇所であり(記録第一八九丁裏参照)、その西方及び北方は田圃であるが南方は小川及び道路を隔てて人家があり殊に二階家から見下せる箇所であることは所論の通りであるけれども、時刻は既に薄暗くなつた後であり(記録第二九一丁裏参照)その地形の状況、道路の通行人、附近人家からの見通し等の諸点を考慮に容れても懐中より刺身庖丁を取出して人に見せるが如き行為を到底なし得ない箇所であるとは断定できない。尤も当審における証人土居信一(同証人に対する尋問調書参照)は昭和二十二年八月中旬当時前記小川(幅約一米半)には大西方西南隅の箇所に橋がかかつていなかつた旨証言し栗木久嘉は当審における証人尋問に際し右川をどうして渡つたか判然した記憶がない旨供述しているけれども、当時現在かかつているが如き石橋はなかつたとしても右地点が人の容易に行けない箇所であつたとは認められず右土居証人の証言を考慮に容れても刺身庖丁を見せた場所についての栗木証言が全然虚構であるとはいえない。従て原判決が昭和二十二年八月十三日夕刻頃栗木が大西方西側の田圃道で被告人大西に対し懐中から刺身庖丁を出して見せ大西はそれを手に取つて見て「これならいく」と云つた旨の栗木証人の証言を引用したことを以て経験則上あり得べからざる証言を採用したものとは認められない。

これを要するに原判決が証拠として掲げた証人栗木久嘉の原審における証言を検討するも原審の採証が経験法則に違背しているとは認められず、原審及び当審における各証拠を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同第十五点について。

論旨は原判決が「証人西尾兼徳の証言によつては昭和二十二年八月十三日日没時に栗木が被告人大西より梶原暗殺について激励を受けた旨の証人栗木久嘉の証言を覆すことはできない」と判断しているのは誤であると主張する。仍て昭和二十二年八月十三日における被告人大西の動静につき考察するに当審における証人坪内敝雄、同五百木政一に対する各尋問調書及び証人坪内敝雄の証言により信用すべき情況の下に作成されたと認めらるる昭和二十二年卓上日記(弁証第一号)の記載並に検察官作成に係る被告人大西弘の昭和二十五年十月二十日附供述調書を綜合すれば、昭和二十二年八月十三日午後三時頃より愛民党(愛媛県民主党の略)松山支部懇談会が松山興業株式会社の二階で開かれたこと及び被告人大西は右懇談会に出席し相当飲酒の上午後六時前頃同会社を出た事実を夫々肯認することができる。原判決は証拠説明三の(一)のホにおいて検察官に対する大野彌兵衛の供述調書及び同人作成の手帳(証第六一号)の記載により愛民党松山部会の開催日は同年八月十日であると認定しているけれども、当審において証拠調をした結果に徴すれば前記の如く被告人大西が昭和二十二年八月十三日午後愛民党松山支部懇談会に出席して飲酒した事実はこれを認めることができる。仍て次に同日夕刻頃松山市西堀端神宮前において被告人大西が酩酊して倒れていたのを発見し牛車に乗せて同被告人宅迄送りとどけたとの証人西尾兼徳の原審及び当審における証言を検討するに、同証人はその日が自己の誕生日であつたから月日の点は間違ない旨供述しているけれども、原審公判廷においては戸籍上の生年月日は大正十年十二月十五日であるところ実際はその二日前である同年十二月十三日生である旨供述しているに拘らず(原審第六回公判調書参照)、当審公判廷においては大正十年八月十三日生である旨供述している点、当審における証人西尾徳一(兼徳の父)の証言に徴すれば兼徳の実際生れた日は八月十日から十五日迄の間であり止め草を取つていた頃であると稍不明確な供述をしている点等より判断すれば、西尾兼徳の実際の生年月日は明確でなく、同人が嘗て酩酊した被告人大西を牛車に乗せて同被告人宅へ送りとどけたような事実があつたとしてもそれが果して昭和二十二年八月十三日であつたかどうかは甚だ疑はしい。而して被告人大西の前掲供述調書によれば「会は午後六時前に解散して自転車で帰ろうと思い二十間位乗つて行つた処で倒れそれから急に酔が廻つて来たので自転車を抛つて帰つた、午後六時頃帰宅したと思う」旨の供述記載(記録第一三三四丁)があり、同被告人がその時相当酩酊していたことは窺えるけれども牛車に乗せられて帰宅した点については何等供述して居らず、同被告人が西尾兼徳証人の証言する如く泥酔の状態にあつたものとは認められない。従て証人西尾兼徳の証言は信を措き難く、原判決が同証人の証言によつては証人栗木久嘉の証言を覆すことはできないと判断したのは結局において相当であり、原判決に判決に影響を及ぼす事実の誤認があるとはいえない。論旨は採用できない。

同第十六点について。

論旨は被告人大西は受刑中の栗木久嘉に対し書信によりまたは面会の際訓戒を与えた事実がありこの点よりするも被告人大西が本件教唆をしていないこと明瞭であると主張する。而して昭和二十三年六月二十五日附被告人大西より山口刑務所在監中の栗木久嘉に宛てた手紙(証第二号)によれば論旨摘録の如く栗木に対する訓戒の文句が記されて居り、また原審第六回公判調書中証人大森豊(松山刑務所看守部長)の供述記載に徴すれば被告人大西が昭和二十五年八月二十一日松山刑務所在監中の栗木に対し真面目になる様訓戒をした事実を認め得るけれども、所論の如く被告人大西が栗木に対し本件殺人教唆をしたものであれば在監中の同人に対し右の如き訓戒をなすことはあり得ないとは断ぜられない。尚論旨は証人大森豊は原審公判廷において「栗木は大西に対し大西が梶原勘一暗殺の教唆をした様に根も葉もないことを云い触して申訳がないと衷心より謝罪したことを面会に立会つて聴いた」と証言したと主張するけれども原審第六回公判調書に基き同証人の証言を検討するに同証人の右の点についての証言は甚だ曖昧を極めて居り、被告人大西の尋問に対しても「栗木はすまなんだとか何とか云つた様にも思いますが詳しいことは思い出しません」(記録第五七八丁参照)と供述し同証人が論旨指摘の如き趣旨の証言をしたものであるかどうかは記録上疑はしい。しかし仮に栗木が被告人大西に対し刑務所面会の際所論の如く謝罪した事実があつたとしてもその事実から推して被告人大西の本件教唆が全然虚構の事実であるとは断定できない。その他本件各証拠を精査するも原判決の認定が誤認であるとは認められず、論旨は採用できない。

同第十七点について。

論旨は原判決の証拠説明四の(二)を反駁し被告人大西が原判示の如く栗木久嘉夫婦に対し金品を贈与したのは本件殺人教唆の報酬と見るべきものではないと主張する。論旨は先づ若し栗木が被告人大西より梶原勘一殺害方を教唆せられたものとすれば栗木は相当巨額の金員を現実に受取らねばこれを引受ける筈がないと主張するけれども、栗木久嘉は原判示の如く親分高橋喜市が松倉義雄等に殺害せられた際その葬儀を営むに際し被告人大西の援助を受け高橋一家と松倉側との間の紛争は被告人大西の仲裁により円満解決し、また栗木は大西の斡旋により松山道後のダンスホールの取締人になりその他種々被告人大西の世話になつたことがあつたところから同被告人に対し非常に恩義を感じ且つ同被告人を敬慕していたため被告人大西の梶原殺害方依頼(但し最初は田中殺害)を承諾するに至つたものであること明かであり、且つ被告人大西は栗木に対し栗木が服役中その家族の面倒を見てやると明言していたのであるから(原審第二回公判調書中証人栗木久嘉の供述記載及び原審第八回公判調書中証人穗坂重喜の供述記載参照)、栗木が本件犯行承諾につき巨額の金員を受取つた事実がないからといつて同人が被告人大西の本件依頼を引受けるが如きことはあり得ないとはいえない。

次に被告人大西が農地調整法違反事件により松山刑務所に勾留されていたとき当時同じく同刑務所に勾留中の栗木久嘉から食事その他につき種々世話になり同被告人はこれを非常に感激した事実は本件記録上充分これを窺い得るけれども、原判示の如き栗木夫婦に対する金品贈与が単に栗木久嘉の右親切に対する謝恩のあらわれに過ぎないものとは到底解せられないこと原判決説示の通りである。また本件記録を検討するも被告人大西が栗木に対し交付した金員の中には嘗て栗木の斡旋により入手した進駐軍の煙草や酒の未払代金が含まれているとは認められない。

次に論旨は証第十六号の一、二、証第十八号等の栗木久嘉の手紙を援用して栗木は被告人大西が妻きみ子に手を出したということを種にしてきみ子をして大西に対し金銭を要求させたものであると主張する。仍て右各手紙の内容を仔細に検討するに栗木が被告人大西のきみ子に対する振舞を憤慨していることはこれを窺い得るけれども、証人栗木久嘉及び同栗木きみ子の原審及び当審における各証言と相俟つて考察するに右手紙中に見られる被告人大西に対し強硬に金員を要求してもよいとの趣旨(証第十六号の二参照)は被告人大西は本件教唆に際し栗木の家族の生活を保障すると確約しながらその約に反し次第に同被告人の態度が冷淡になつて来たためきみ子に対し大西に金員を要求してもよいとの趣旨を書き送つたものであり、所論の如く被告人大西がきみ子に手を出したことを種にして同被告人より金を出させようとしたものとは認められず、また被告人大西が単に政治家としての名誉上外聞を怖れてきみ子に対し金品を供与したものとは受取れない。

要するに本件各証拠を検討するに被告人大西の栗木夫婦に対する金品供与がその金額の点を考慮しても論旨主張の如き趣旨でなされたものとは到底認められず、原判決がこの点を本件教唆事実認定を強力ならしめる状況の一として採り上げたのは蓋し相当であつて、原判決に所論の如き誤認はなく、論旨は採用し難い。

同第十八点について。

論旨は若し栗木が被告人大西より梶原勘一殺害を教唆されてその決意をなしたものとすれば同人殺害の目的を以て実行行為をなすべき筈であるに拘らず栗木は終始梶原勘一を殺す意思はなかつたと供述している点を指摘し、原判決の本件教唆事実認定が誤認であることを主張する。仍て記録に基き考察するに栗木久嘉は原審公判廷における証言においてまた自己に対する殺人未遂等被告事件において犯行の際梶原勘一を殺す意思はなかつた旨供述していること所論の通りであり、栗木は既に確定判決を受けているのであるから真に殺害の意思があつたものであれば本件においてはその旨の証言をなす筈であるとの所論は一応首肯し得るけれども、原判決の判示一の事実についての証拠説明(六)のニに徴し栗木が殺意を以て梶原勘一を刺した事実は明かであると謂はなければならない。尤も本件兇器は刺身庖丁であり所論の如く刺身庖丁は刄が極めて薄く人間の骨を斬るに達せず、また栗木は本件犯行に際し刺身庖丁を金物屋の包紙で包みその上を更に新聞紙で包みハンカチでこれを解けないように結び右包んだ侭で梶原を刺したとしても、刺身庖丁で人体の胸部、背部等を深く突刺せば死の結果を生ずることがあるのは明かであつて(現に被害者梶原勘一は左前胸部に大胸筋切断三肋骨骨膜切開同肋骨損傷を起す刺切創その他の相当の重傷を負うている。医師有留勇作成に係る傷害診断書参照)、本件兇器の点より栗木に殺意がなかつたものとは断ぜられない。従て栗木が本件犯行に際し殺意がなかつたと終始供述しているからといつてその犯行が被告人大西の教唆に基くものでないことは断定できず、本件各証拠を精査検討するも被告人大西の教唆により栗木が殺意を以て刺身庖丁で梶原を刺したとの原判決の認定が誤認であるとは認められない。論旨は採用できない。

同第十九点について。

論旨は被告人大西が栗木に対し殺人の教唆をなすが如きことは社会通念上到底首肯できないところであると主張する。仍て本件記録を検討し当審において事実調をした結果に徴して判断するに、所論の如く証人栗木久嘉、同黒川春一の原審における各証言によれば被告人大西は高橋喜市が松倉義雄等に斬り殺され子分である栗木及び黒川等が高橋親分の仇討を企図した際今時仇討などする時勢でないとしてこれを制止した事実のあることは明かであり、また被告人大西は当時松山市会議長、愛媛県会議員等の要職にあり且つ社会公共のために相当尽していたことは記録上これを認め得るけれども、昭和二十二年四月市会議員、県会議員に当選し且つ市会議長に選ばれて当時地方政界に相当の勢力を占むるに至つた被告人大西は同年七月中日進産業事件により横領罪の嫌疑を受け逮捕勾留の憂目を見るに至るや日進産業株式会社の社長田中忠雄や同副社長田村某の措置に対し痛く憤慨すると共に右事件捜査の背後に当時松山の政界において自己の反対派と目される人々の策動があることを察し自己を陥し入れようとしたこれ等の者に対しても深く恨みを懐くに至つた事情もまたこれを窺うことができ(当審第六回公判における被告人大西の供述及びその供述態度に徴してもその一端を窺い得る)、被告人大西は当時既に所謂仁侠界との繋りを断ち切つていたとしても元来所謂親分子分の社会に生活して来た同被告人が憤激無念の余り前記の者等に対し殺意を懐くに至るということは必ずしも考え得られないことではない。原判示の如き動機原因により被告人大西が梶原勘一殺害の教唆をなすことは決してあり得ないことではなく、本件各証拠を検討するも原判決が被告人大西が原判示の如き動機により栗木久嘉に対し本件教唆をしたものと認定したのは相当であつて、事実誤認であるとはいえない。従て論旨は理由がない。

同第二十点について。

論旨は証人栗木久嘉の証言中道後のダンスホールをやめた理由及び穗坂重喜から家族の生活費として毎月三千円宛出して貰うことになつたとの部分は事実に反すると謂うのである。

仍て考察するに原審第八回公判調書中証人穗坂重喜の供述記載に徴すれば栗木は昭和二十二年二、三月頃より穗坂重喜の経営する道後のダンスホールに取締人として雇はれていたところ女の問題等でごたごたを起したため右穗坂重喜は秋月安吉を介して同年六月頃栗木をやめさせるに至つた事実を認めることができる。しかし同証人の証言に徴するもその時期以後栗木と穗坂とは完全に手が切れていたとは認められない。而して原審第二回公判調書に基き証人栗木久嘉の証言を検討するに、同証人は「当時私は道後の松山ダンスホールで働いていたが私が刑務所に入つた後多少でもダンスホールの方から家族に金が来るように経営者の穗坂に交渉してくれるよう井上(堀池)と成松に頼んだところこれを引受けてくれた云々」と供述して居り、必ずしも所論の如く被告人大西より本件教唆を受け刑務所に入ることになるので右ダンスホールを辞職するに至つたとは供述していない。また栗木の家族の生活費として穗坂が栗木に対し月三千円宛出すとの話が決つたか否かの点については、証人穗坂重喜は原審において「二千円位は出してもよいと思つていたが三千円出すとの話は承諾していない」と証言しているけれども、証人秋月安吉は原審において穗坂は栗木に月三千円出すことを承知した旨証言して居り(原審第七回公判調書参照)、穗坂から毎月三千円宛金を出してくれることに話が決つたとの栗木の証言が必ずしも事実に反するものであるとはいえない。従て右の点についての栗木久嘉の証言が事実に反し信憑性がないことを前提として同人の証言を断罪の資料とした原判決の認定が誤認であるとの論旨は理由がない。

同第二十一点について。

論旨は証人栗木きみ子及び証人渡部朝隆の各証言を援用して原判決は認定事実と証拠との間にくいちがいがあると主張する。仍て検討するに証人栗木きみ子は原審公判廷において検察官の尋問に対しては「栗木は七月末に広島から夕方帰つて来るとすぐに出かけて行きその夜十一時頃に帰つて別れ話を持出した」(原審第四回公判調書参照)と証言していること所論の通りであるけれども、同証人は下田主任弁護人の尋問に対しては「栗木から別れてくれという話があつたのは栗木が広島から帰つた翌日位であつたと思う」旨の供述をして居り(記録第四一五丁裏参照)、証言迄既に三年余の時日が経過しているため栗木より別れ話が出たのは同人が広島から帰つた日の晩であつたかその翌晩であつたか栗木きみ子の証言に徴するも明確でない。原判決が同証人の証言中、栗木が広島より帰つた日の晩に別れ話を持出したとの供述部分を証拠に引用しているからといつて、必ずしも認定事実との間にくいちがいがあるとはいえない。また証人渡部朝隆は原審公判廷において梶原勘一が刺されたことを知つた時前に広島へ行く船中で栗木から話を聞いていたので栗木が梶原をやつたものと思つた旨の証言(原審第四回公判調書参照)をしていること所論の通りであるけれども、同証人は昭和二十二年八月上旬頃広島へ行く船の中で栗木から聞いた話の内容については何等証言して居らず(弁護人より伝聞事項であるとの異議申立があつたため)、前記証言からして必ずしも所論の如く栗木は昭和二十二年八月三日頃から同月五日頃迄の間に右渡部に対し既に梶原勘一を刺すことを洩していたものであるとは断定できない(渡部朝隆は栗木より大西の教唆により何者かを殺害するとの話はこれを聞いていたものと察せられるから殺害の相手方が梶原であることを聞いていなくても諸般の情況より推して栗木が梶原を刺したものと推測することは充分考えられる)。従て証人栗木きみ子及び同渡部朝隆の右各証言を考慮に容れても原判決が昭和二十二年八月十二日頃栗木は被告人大西の教唆により梶原勘一殺害の犯行を決意するに至つたと認定したのは相当であつて、原判決の事実認定と証拠との間に所論の如き矛盾は認められず、また本件各証拠を検討するも原判決に事実誤認は存しない。従て論旨は採用できない。

同第二十二点について。

論旨は証人河井勝治、同河井ミツの各証言を援用して原判決の認定は誤認であると主張する。仍て考察するに証人河井勝治、同河井ミツは原審公判廷において栗木は昭和二十二年八月盆前頃広島より松山に帰り而もその目的は高橋親分の仇を討つためであつたかの如き趣旨の証言(原審第九回公判調書参照)をしているけれども、右各証言は証人栗木久嘉の証言その他の各証拠と対比して信を措き難く、本件各証拠を検討するも所論の如く栗木は高橋喜市の霊を慰めるため且は遊び人としての自己の面目を立てるため梶原勘一に傷害を加えたものであるとは到底認められない。原判決には所論の如き事実誤認の疑はなく論旨は理由がない。

第二十三点について。

論旨は栗木が恐喝の常習者である点、検察庁が予断に基いて捜査をした点等を指摘し原判決は信憑力のない証拠を採り上げて本件犯罪事実を認定したのは明かに誤認であると主張する。仍て本件各証拠を検討して考察するに所論の如く栗木久嘉は所謂無頼の徒として一般市民から怖れられ些細な事に憤激して乱暴を働き且つ常習的に恐喝行為を行い、住居侵入、竊盗、営利誘拐、詐欺等の前科数犯を有する者であることは同人に対する住居侵入恐喝器物毀棄殺人未遂被告事件記録並に本件各証拠に徴し明かであり、また刑の執行停止中被告人大西に対し脅迫的文句を用いて金員を出させようとした事実は原審公判廷における被告人大西の供述及び証人大西福衛の証言(原審第一回及び第六回各公判調書参照)によりこれを窺うことができる。しかし当裁判所は栗木のかかる性格、前科、環境その他同人が如何なる人間であるかを充分念頭に置いた上同人の原審及び当審における証言を仔細に検討した結果より判断するに、栗木は前記の如き人間であるとはいえ栗木の本件における証言は被告人大西より本件教唆を受けるに至つた経緯被告人成松、同堀池が本件犯行に加担した模様、何故本件犯行を引受けるに至つたか、また約三年経過後において何故本件を明るみに出すに至つたか等の諸点につき詳細を極め且つ真実を吐露していることが窺はれまたその供述内容は吾人の充分首肯し得るところであり、記憶違い、記憶の喪失等により日時その他の点につき不正確な供述部分が相当あるとしても、被告人大西の教唆により梶原を刺すに至つたとの証言が全く虚構であるとは到底考えられない。従て所論の如く被告人大西が野本病院入院中の栗木から四万円要求を峻拒した事実があるからといつて同被告人が潔白であるとは断ぜられない。

また梶原暗殺未遂事件発生当時警察及び検察当局において既に栗木の背後に大西が居るものと睨んでいたことは本件記録並に栗木に対する殺人未遂等被告事件記録に徴しこれを窺い得るけれども栗木がこれを種にして教唆の事実がないのに大西より金員を喝取しようと企てたものとは認められず、またこれが意の如くならないため証拠につき種々工作の上検察庁に対し大西を教唆犯人であるとして申出たものとも見られる。而して検察庁は右の如く梶原事件発生当時より本件は被告人大西の教唆に基くものではないかとの疑を有つていたとしても、予断を以て捜査に当り関係人をして無理に被告人等に不利な供述をなさしめ以て所謂空中楼閣を築いたものであるとの所論には遽に賛し難い。尚検察庁における高本徳一の取調に際し同人に対し飲酒させた上供述させたことは同人の原審及び当審における証言により明かであるが、同人は所謂アルコール中毒者であることもまた同証言に徴し明かであり、検察庁が医師の診断等を経ないで取調中の同人に対し飲酒させたことは遺憾であるけれども、同人の検察庁における供述調書は原審において証拠として提出されて居らず、また成松ヒナ子に対し検察庁において無理な取調がなされたとしても同女の供述調書も証拠として提出されていない。

これを要するに論旨主張の諸点を彼此斟酌しても原判決が信憑力のない証拠で本件犯罪事実を認定したものとはいえず、本件各証拠を精査するも原判決に事実誤認は認められない。

同第二十四点について。

論旨は原判決が証人山本将憲の証言を排斥して証人栗木久嘉の証言を断罪の資料としたのは採証の法則に違反すると主張する。仍て考察するに証人山本将憲の原審における証言(原審第六回公判調書参照)によれば日進産業株式会社の社金費消の事件につき被告人大西の代理人として右会社側と交渉の任に当つた山本将憲弁護士は当初民事問題であつた右事件が刑事事件化するに至つた経緯を被告人大西に逐一報告している事実を認め得るけれども、さればといつて被告人大西が右会社の田中社長等に対し恨を懐きまた背後に梶原等の策動があるのではないかとの疑念を有つことがあり得ないことであるとはいえず、原判決が証人山本将憲の証言によつては原判示の如き本件動機の存在を否定することができないと判断したのは相当であつて、栗木証言を採用した原判決に所論の如き採証法則の違背があるとは認められない。従て論旨は理由がない。

同第二十五点について。

論旨は原判決が昭和二十二年八月十二日被告人大西が池田春雄(同人の妻は大西の妻と姉妹の間柄)方を訪れ終日同人宅に居たとの証人池田春雄の証言を排斥したのは実験則に反すると主張する。仍て考察するに所論の如く原判決は右証言の措信できない理由の一つとして「池田証人はその娘が済美高等女学校一年生に在学して居つて大西被告人が来宅したときは娘が登校前で早い時刻であつた旨証言するけれども当該月日は何れの学校においても暑中休暇の為休校している筈であつてその日に特別に登校する事情が存したことを認め得る証拠がないのみならず云々」と判断しているけれども、当審における証人池田妙子の証言により信用すべき情況の下に作成されたと認めらるる同人の暑中休暇日記帳(弁証第二号)によれば、八月十二日火曜日の欄に「今日は朝早くから市駅にあつまり武田さんといつしよに海え行きましたたいへんおもしろかつた」との記載があり、右日記帳の記載と当審における証人池田妙子に対する尋問調書とを綜合すれば池田春雄の娘である妙子は昭和二十二年八月十二日の早朝自宅を出て学友と海水浴に行つて夕方頃帰宅した事実はこれを肯認することができる。仍て右同日被告人大西が右池田宅を訪れたか否かの点につき考察するに、当審における証人池田妙子は当日早朝家を出る前に山越の叔父さん(被告人大西を指す)が初めて訪ねて来て夕方帰宅した時叔父さんはまだ帰らないで居た、私が海水浴に行けばお使いをする者が居なくなるので母は私を海水浴へやりたくなかつたが私が無理に海水浴に行き母に叱られたことがあるのでその日を記憶している旨証言しているけれども、右日記帳に徴するも八月十二日の欄には前記の如き記載があるのみで初めて来訪して終日自分の家に居たという叔父(被告人大西)のことについては何等の記載がなく、右証言の如く山越の叔父が来たのに外出しようとして叱られた事実があつたとしてもそれが果して昭和二十二年八月十二日のことであつたかどうかは甚だ疑はしい(当審における池田妙子の証人尋問は昭和二十六年九月二十七日行はれたのであつて同人の証言は実に満四年前の事実に関するものである)。また原審における証人池田春雄の証言を原審第六回公判調書に基き検討するに池田春雄が被告人大西に対し電燈取付方を電気会社に奔走して貰うため同被告人を自宅に招き電燈取付工事の見積り等につき実地を見て貰つた事実はこれを認め得るとしても三年余以前の事柄につきそれが梶原暗殺未遂事件の前日のことであつたと極めて明確に供述している点は原判決の判断する如く当裁判所としても首肯し難いところである。従て原審における証人池田春雄、当審における証人池田妙子の各証言並に前掲日記帳の記載を綜合判断しても被告人大西が池田春雄宅を訪問した日が昭和二十二年八月十二日であつたと確定することは些か躊躇せざるを得ない。原判決が暑中休暇中は原則として学生が登校することはあり得ないとの前提の下に、大西被告人が来宅したときは娘が登校前であつたとの証人池田春雄の供述部分を同証人の証言が措信できない一理由としたのは稍妥当を欠いているけれども、当審において証拠調をした結果に徴するも結局において原審が右証人池田春雄の証言を排斥したのは相当であつて、論旨主張の諸点を考慮に容れても所論の如く実験則に違背しているとは認められない。従て論旨は採用し難い。

同第二十六点について。

論旨は原判決は栗木久嘉が亡高橋喜市の死体解剖に立会つた事実はこれを是認しているが右立会の事実を認める以上本件における証人栗木久嘉の証言は全面的に否定し去らねばならぬと主張する。栗木が右死体解剖に立会つたか否かの点についての当裁判所の見解は前記控訴趣意第十一点に対する判断において示した通りであるが、この点は原判決も頗る疑問にしているところであり今仮に栗木の証言中死体解剖に立会つていないとの証言部分が事実に反し措信できないとしても同人の証言を全面的に否定し去ることができないことは原判決の説示する通りである(原判決の証拠説明三の(一)のへ参照)。栗木の証言を仔細に検討しても原判決が同人の証言を断罪の資料に供したことを以て採証の法則に違背しているとはいえず、論旨は理由がない。

同第二十七点について。

論旨は原判決が証拠説明四の(一)において本件認定を強力ならしめる状況の一として栗木久嘉が本件兇行後の逃走の経路につき証言するところが真実に合致している点を挙げているのは首肯し難いと主張する。仍て考察するに栗木が梶原を刺して後の逃走の経路等は被告人大西が栗木に対し本件教唆をしたか否かの点と直接関係のない事実であること所論の通りであるけれども、原判決に証人栗木久嘉の証言が十分措信できることの一証左とし同証人の本件兇行後の動静について供述するところが真実に合致していることを指摘したのであつて、これを本件教唆事実認定を強力ならしめる状況として掲げたことに稍首肯し難い点があるとしても原判決に影響を及ぼす採証法則の違反があるとはいえない。論旨は採用できない。

同第二十八点について。

論旨は原判決が証人西崎助市、同河井勝治、同河井ミツの各証言を排斥して栗木久嘉は昭和二十二年七月三十一日頃広島より松山に帰り同年八月二日頃被告人大西より田中忠雄殺害方を依頼されたと認定したのは採証の法則に違反し且つ事実の認定を誤つていると主張する。仍て考察するに所論の如く証人西崎助市、同河井勝治、同河井ミツはいづれも原審公判廷において栗木は昭和二十二年八月盆前頃広島より松山へ帰る迄は広島に居て松山へ帰つたことはない旨証言しているけれども(原審第七回及び第九回公判調書参照)、右各証言はこれを仔細に検討しても原判決の判断する如く証人栗木久嘉、同栗木きみ子の原審及び当審における各証言証人渡部朝隆、同高橋ナカの原審における各証言その他の各証拠と対比して到底信を措き難いところである。栗木が昭和二十二年七月末頃広島より松山に帰つた事実は原判決挙示の各証拠により充分肯認することができ、原審及び当審における各証拠を仔細に検討するも原判決の認定に誤認は認められず、また原判決に所論の如き採証法則の違反があるとはいえない。従て論旨は理由がない。

弁護人池田克の控訴趣意第一点について。

論旨は原判決は証拠として裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書を掲げているところ右証人尋問には被疑者又は弁護人が立会つた形跡がなく憲法第三十七条第二項の趣旨に違反しているからかかる調書を証拠に引用した原判決には判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反があると主張する。仍て記録に基き考察するに原判決が証拠として掲げる裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書は刑事訴訟法第二百二十七条に基き検察官の請求により松山簡易裁判所裁判官高橋義夫が昭和二十五年十月二十五日(起訴前)福岡春良を証人として尋問した調書であり右証人尋問には被疑者も弁護人も立会つた形跡のないこと所論の通りである。しかし刑事訴訟法第二百二十八条第二項は犯罪捜査上の必要を考慮して同法第二百二十六条及び第二百二十七条の請求を受けた裁判官は捜査に支障を生ずる虞がないと認めるときは被告人、被疑者又は弁護人を証人尋問に立ち会はせることができる旨規定し(刑事訴訟規則第百六十二条参照)同法第百五十七条の規定を排除しているから右の請求を受けた裁判官が捜査に支障を生ずる虞があると認めて被疑者又は弁護人を立ち会はせないで証人尋問をしても何等違法であるとはいえない。憲法第三十七条第二項前段は刑事被告人はすべての証人に対して審問する機会を充分に与えられる権利を有すると規定しているけれども、右は裁判所の職権により又は訴訟当事者の請求により喚問した証人に対しては反対尋問の機会を充分に与えなければならないという趣旨であつて、被告人に反対尋問の機会を与えない証人の供述を録取した書類は絶対にこれを証拠とすることは許されない趣旨であるとは解せられない(最高裁判所昭和二三年(れ)第八三三号昭和二四年五月一八日大法廷判決参照)。而して刑事訴訟法第二百二十七条による裁判官の証人尋問調書は当然に証拠能力を具有するものではなく同法第三百二十六条により被告人がこれを証拠とすることに同意するか又は同法第三百二十一条第一項第一号により供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき又は供述者が公判準備若しくは公判期日において前の供述と異つた供述をしたとき(この場合は供述者に対し反対尋問をなす機会が与えられる)に限り証拠能力を有するに至るものであるから、被告人、被疑者又は弁護人の立会を裁判官の裁量に委ねた刑事訴訟法第二百二十八条第二項の規定が憲法第三十七条第二項前段の規定に違反するものであるとはいえない(本件の場合と稍異るが最高裁判所昭和二五年(し)第一六号同年一〇月四日大法廷決定参照)。従て前掲裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書には何等の違法がなく、且つ本件においては弁護人が原審公判廷においてこれを証拠とすることに同意し被告人等は異議を述べた形跡が認められないから(原審第十回公判調書参照)、右証人尋問に被疑者又は弁護人が立会つていなくても該尋問調書は適法な証拠能力を有するに至つたものと謂はなければならない。而して所謂反対尋問権は抛棄を許さない権利ではなく右同意により該証人に対する反対尋問権はこれを抛棄したものと謂はなければならない。これを要するに原判決が右尋問調書を証拠に引用したのは適法であつて原判決に所論の如き訴訟手続の法令違反は存せず、論旨は理由がない。

同第二点について。

論旨は原審第五回公判において弁護人より証人高本徳一の再尋問を請求したのに拘らず原審がこれを却下したのは不当であると非難する。仍て本件記録を検討して考察するに高本徳一が相撲の招待券を配つている時栗木及び被告人成松、同堀池等に会つた時期が梶原が刺された日に接近した日であつたか或は弁護人主張の如く昭和二十二年八月二、三日頃から同月五日頃迄の間であつたかは(記録第四九九丁参照)本件において相当重要な点であること所論の通りであるけれども、裁判所が訴訟関係人よりの証拠調の請求を採用するか否かは裁判所の裁量に委ねられていること多言を要しないところであり、原審が弁護人よりの証人高本徳一再尋問の請求を却下したことを以て違法であるとなすことはできない、而して本件の場合高本徳一は原審第三回公判において証人として喚問を受けて居りその際栗木等に会つた時期については既に証言しているのであるから、同一事項についての再尋問請求を原審裁判所が必要ないものとしてこれを却下したことが必ずしも不当であるとも見られない。また右第三回公判における高本徳一の証人尋問は検察官の請求によりなされたものであるけれども、下田主任弁護人及び被告人大西は右高本の証言に対し反対尋問をして居り被告人成松、同堀池に対しても反対尋問の機会を与えられていること(但し同被告人等は何等の反対尋問をしていない)原審第三回公判調書の記載に徴し明かであつて、原審の措置に所論の如く憲法第三十七条第二項に違反した点があるとはいえない。従て論旨主張の諸点を充分考慮に容れても原審が証人高本徳一の再尋問請求を却下したことを以て違法であるとはいえず、論旨は理由がない。

同第三点について。

論旨は本件については原判決後池田妙子の日記帳及び坪内敝雄の卓上日誌が発見されたことにより再審の請求をすることができる場合にあたる事由が生じたものであり刑事訴訟法第三百八十三条第一号により原判決は破棄されるべきであると主張する。しかし被告人大西が昭和二十二年八月十二日朝早く池田春雄方を訪問し夕刻頃迄同人方に居たか否かの点に関する当裁判所の判断は弁護人下田勝久の控訴趣意第二十五点に対する判断において示した通りであり、また被告人大西が昭和二十二年八月十三日愛民党松山支部懇談会に出席して飲酒酩町したか否か、同日夕刻頃西尾兼徳の牛車に乗せられて帰宅したか否か等の点については下田弁護人の控訴趣意第十五点に対する判断において説示した通りであつて、以上の諸点に関する原判決の判断中には稍妥当を欠く部分が存するとはいえ、池田妙子の日記帳及び坪内敝雄の卓上日誌の各記載を考慮に容れても本件につき、刑事訴訟法第三百八十三条第一号に該当する事由があるとは認められない。従て論旨は採用し難い。

同第四点について。

論旨は原判決には判決に影響を及ぼす事実の誤認があると主張する。しかし既に弁護人下田勝久の控訴趣意に対する判断において説示した通り原判決の掲げる各証拠を綜合して判断すれば原判示の如き経緯及び動機により被告人大西が栗木久嘉に対し梶原勘一殺害方を教唆するに至つた事実を充分肯認することができ、本件記録並に原審が取調べた各証拠を仔細に検討し当審において証拠調をした結果に徴するも原判決の認定が誤認であるとは認められない。また論旨の主張する諸点殊に被告人大西の社会的地位身分等を考慮に容れても被告人大西が原判示の如き動機により栗木に対し梶原勘一殺害方を教唆するというが如きことが絶対にあり得ないことであるとは断定できず、原判決挙示の如き証拠によつて本件教唆の動機を認定することが経験法則に違反するものであるとも云えない。

尚論旨末尾において箇条書的に主張する諸点につき本件記録を検討して判断するに

一、日進産業株式会社の社金横領事件につき青木愛媛県知事や梶原県会議員が田中社長等の黒幕として策動することがあり得ないことであるとしても被告人大西がかく想像するということは必ずしもあり得ないことではない。

二、被告人大西は日進産業事件において保釈釈放せられた際既に梶原勘一に対し或程度憤懣の情を懐いていたものであるが、果して同人が右事件捜査の背後において策動しているかどうかについては未だ確信がなかつたため昭和二十二年八月二日頃栗木に対し直接の告訴人である田中社長の殺害方を依頼したものであるところ、その後梶原が田中等の黒幕になつているものと確信したので同月十二日頃栗木に対し殺害の相手方を変更し梶原殺害方を教唆したものと認められる。従て被告人大西が日進産業事件で保釈になつた際「梶原がこんな卑怯なことをするなら許しておけない」と言つたという証人渡部朝隆の原審における証言と殺害の相手方が最初は田中であつたところその後梶原に変更になつたとの栗木証言とは決して矛盾するものではない。

三、下田弁護人の控訴趣意第二十一点に対する判断参照

四、同第十一点に対する判断参照

五、原審第三回公判調書に徴するに被告人大西は証人栗木久嘉に対する反対尋問において「証人が引受けてくれるかどうか判らぬのにその様なことを言うのも変だし、第一、人の生命をとるのにそんなに簡単に「やつてくれ」「やりませう」と云う様なことは考えられんことだが証人何か気が違つているのではないか、これが徳川幕府時代の事ならともかく今の世の中にそんな簡単に返事ができるか」との問に対し栗木証人は暫く沈黙したところ立会検察官が「どうか」と証人に発言を促した事実を窺うことができ(記録第二七八丁裏参照)、立会検察官の右措置は稍穏当を欠いた憾みがあるけれども、証人栗木は引続き「私は正気です、大西は私を見込んで居り私も大西を信じて居りました、双方信じ合つていたので私は大西の頼みを引受けたのです」と供述し、更に右沈黙した理由として「大西は判りきつていながらしやあしやあと言つているので返答するのが嫌だつたのです」(記録第二七九丁裏)と供述して居り、右の如く証人栗木が被告人大西の反対尋問に対し暫く沈黙し検察官より促されて供述を続けるに至つた事実があるからといつて、同証人の証言が信を措くに足りないものであるとなすことはできない、これを要するに原判決に所論の如き事実の誤認があるとは認められず、論旨は採用できない。

弁護人皆川治広、同小野清一郎の控訴趣意第一点について。

論旨は本件については検察官が冒頭陳述において裁判所に偏見又は予断を生ぜしめる虞のある陳述をして居り刑事訴訟法第二百九十六条但書に違反していると主張する。仍て原審第一回公判調書(昭和二十五年十一月十日)を検討するに検察官は冒頭陳述において三年前栗木を単独犯として起訴した当時においても捜査当局では既に被告人大西弘が栗木の背後にありと睨んでいたし世間にも伝えられこれを気にしたものか大西は南海タイムスに言訳を載せたのであるとの趣旨の陳述をしていること(記録第八五丁参照)所論の通りである。而して刑事訴訟法第二百九十六条は但書において「証拠とすることができず又は証拠としてその取調を請求する意思のない資料に基いて裁判所に事件について偏見又は予断を生ぜしめる虞のある事項を述べることはできない」と規定し検察官が所謂冒頭陳述において裁判所に偏見又は予断を生ぜしめる虞のある事項の陳述を禁止しているけれども、梶原を暗殺せんとした犯行については既に昭和二十二年九月十日栗木久嘉の単独犯行として同人が起訴せられ昭和二十三年二月十六日高松高等裁判所において懲役十年の判決言渡があり該判決は確定しているに拘らず検察当局は昭和二十五年十月二十七日に至り右犯行は被告人大西が栗木を教唆して行はせたものであるとして本件を起訴したものであるから、検察官が冒頭陳述に際しさきに栗木を単独犯として起訴した当時検察当局が如何なる見解を有していたかを或程度説明することは必ずしもこれを非難することはできず、ただその際当時の世間の風評をも附言したことは稍妥当を欠くけれども検察官が本件において右の程度の陳述をしたことを以て刑事訴訟法第二百九十六条但書の規定に違反するものとなすことはできない。また原審裁判所は本件につき極めて慎重に審理を進め各証拠を仔細に検討の上原判決の如き結論に到達したものであることは本件記録並に原判決に徴し明かであつて、検察官の前記陳述により原審裁判所が偏見又は予断を懐いて本件の審理をなし判決をしたと見られる形跡は全然これを窺うことができない。従て論旨は採用できない。

同第二点について。

論旨は原審裁判所は本件につき予断を以て審理に臨んだものであり憲法第三十七条第一項及び新刑事訴訟法の基本精神に反するものであると主張する。而して原判決は証拠説明の冒頭において「先ずこの事件の概要と特殊性について略説する」と前置きして本事件の発端より本件が起訴を見るに至つた迄の経過を説明し更に「この事件の審判に当り考慮せねばならぬことは云々」と論旨摘録の如き説示をしていることは所論の通りである。しかし原判決がかかる説明をなしたのは本件が種々の点例えば既に栗木の単独犯行としての確定判決が存する点、犯行後三年有余を経て起訴せられた点、被告人大西は現職の国会議員である点、最も重要な証人である栗木久嘉が前科数犯を重ねている所謂やくざ者である点その他関係証人の多くが所謂親分子分の社会に住む者達である点等において一般刑事事件に比し頗る特殊性を有する事件であるからであつて、原判決がかかる説明をしているからといつて原審裁判所が本件につき検察官の起訴を相当根拠あるものと考えまた栗木に対する確定判決が誤であることを予定して即ち予断を以て本件に臨んだものとは到底考えられない。本件記録並に原判決を仔細に検討しても原審が予断を懐いて審理を進め判決をした形跡は全然これを認めることができず、原判決が公平な裁判を保障した憲法第三十七条第一項及び新刑事訴訟法の精神に違背しているとの論旨は採用できない。

同第三点について。

論旨は原判決が栗木久嘉の証言を全面的に信用し且つ推理の過程において経験法則を無視して被告人大西が栗木に対し本件教唆をしたものと認定したのは事実誤認であると謂うのである。しかし栗木久嘉が論旨摘録の如き種々の前科を有する人間であり且つ本件については同人の単独犯行としての確定判決が存在するに拘らず本件における同人の証言が信憑性を有する点については下田弁護人の控訴趣意第二十三点、同第十二点、同第九点に対する各判断において説示した通りであり、証人栗木久嘉の原審及び当審における各証言その他本件各証拠に徴するも栗木は被告人大西が高橋喜市横死の件につき加害者側と被害者側との間の仲裁をなし且つ加害者松倉義雄等に対する裁判において特別弁護人として加害者等に有利な弁論をしたことを恨みに思つていた上その後刑務所入所中大西が自己の妻と通じたことに憤慨し大西に言いがかりをつけて金を出させようとしたが大西がその要求に応じなかつたため報復的に虚構の事実を以て大西を陥し入れようとしているものであるとは到底認められない。

尚栗木が高橋親分の恨みをはらすため梶原医師を刺したものとすればその犯行動機が頗る不自然であることについては下田弁護人の控訴趣意第九点に対する判断において説示した通りであり、被告人大西が梶原勘一に対し殺意を懐くことがあり得べからざることではない点については右控訴趣意第十九点に対する判断において示した通りであり、当初栗木に対し田中忠雄の殺害方を依頼し後殺害の相手方を梶原に変更した点については池田弁護人の控訴趣意第四点、下田弁護人の控訴趣意第十四点に対する各判断において説示した通りである。而して所論の如く被告人大西が何故青木知事を狙はないで梶原県会議員を狙つたかについては本件証拠上明かでないけれども、右の点は本件犯罪事実認定につき必ずしもこれを明かにする必要はないものと考える。原審及び当審において取調べた各証拠を検討し論旨主張の諸点を考慮に容れても原判決の認定は相当であつて所論の如き事実誤認は認められない。従て論旨は理由がない。

同第四点について。

被告人大西が昭和二十二年八月十二日池田春雄方を訪問したか否か、同月十三日愛民党松山支部懇談会に出席したか否かまた同日夕刻頃西尾兼徳の牛車に乗せられて帰宅したか否か等の諸点についての当裁判所の判断は下田弁護人の控訴趣意第二十五点及び第十五点に対する各判断において既に説示した通りであり、論旨は結局採用し難い。

弁護人山本将憲の控訴趣意第一点について。

論旨は検察官の冒頭陳述が刑事訴訟法第二百九十六条に違反すると主張するがこの点についての判断は皆川、小野両弁護人の控訴趣意第一点に対する判断において示した通りであつて、論旨は採用できない。

同第二点について。

論旨は原審裁判所は予断を懐いて本件の審判をしたと主張するけれども、この点の論旨の理由のないことは皆川、小野両弁護人の控訴趣意第二点に対する判断において説示した通りである。

同第三点について。

論旨は原判決が信憑性の乏しい証人栗木久嘉の証言を全面的に信用して被告人大西の本件教唆事実を認定したのは判決に影響を及ぼす事実の誤認であると主張する。しかし栗木久嘉が論旨摘録の如き数多の前科を有ししばしば虚言を弄する者であることを考慮に容れても尚本件における同人の証言が充分信を措くに足るものであることは下田弁護人の控訴趣意第十二点及び第二十三点に対する判断において示した通りであり、その他既に各弁護人の各控訴趣意に対する判断において説示した通り原審及び当審において取調べた各証拠を愼重に検討しても原判決の認定が事実誤認であつて且つ経験則に反した認定であるとは考えられない。

以下本論旨が栗木の証言した事実中虚構の事実であると主張する諸点につき附言するに

(1)  論旨は栗木は昭和二十二年七月三十一日より同年八月十日頃迄の間は広島より松山に帰つていなかつたと主張するけれども、この点についての証人西崎助市、同河井ミツ、同河井勝治の原審における各証言は措信し難い(下田弁護人の控訴趣意第二十二点及び第二十八点に対する判断参照)。

(2)  論旨は昭和二十二年七月三十一日大西方よりサイドカーで栗木を}えに行つた事実はないと主張するけれども、この点についての当審における証人山田力、同大西健夫の各証言(同証人等に対する当審各尋問調書参照)は栗木証人の証言と対比して信を措き難い。尤も証人栗木久嘉は原審公判廷において広島に居たところ家内のきみ子から用事があるからすぐ帰れという電報が来たのですぐ自宅に帰つたがその日の夕方かその翌日の夕方に大西の方からサイドカーで私を迎えに来たのでそれに乗つて大西方へ行つた、その年月日は昭和二十二年七月末頃の晩であつた旨(原審第二回公判調書中記録第一六三丁参照)供述しており、栗木が最初大西方へ行つた日時は必ずしも明確でなく昭和二十二年七月三十一日ではなくて或は翌八月一日であつたかもしれない(この点については後記村上弁護人の控訴趣意第一点の(一)に対する判断参照)。

(3)  論旨は昭和二十二年七月末頃栗木の妻きみ子が夫久嘉を電報で広島より呼び返した事実はないと主張する。仍て考察するに証人栗木きみ子は原審においても当審においても当時久嘉を電報で呼び返した点については判然した記憶がない旨供述(原審第四回及び当審第三回各公判調書参照」しているけれども、三年余以前の事柄であるから右打電の件につき栗木きみ子が判然した記憶がない旨の供述をしているからといつてこの点についての栗木久嘉の証言が虚構であるとは断ぜられない。その他論旨主張の諸点を考慮に容れても同様である。

(4)  論旨は昭和二十二年八月上旬栗木は被告人大西より田中忠雄殺害方を依頼されたので刑務所入所後の家族の生活費を案じ道後ダンスホールの経営者穗坂重喜に交渉し毎月三千円宛の金を出して貰うことになつたとの事実は虚構であると主張するけれども、この点については下田弁護人の控訴趣意第二十点に対する判断において説示した通りである。而して栗木が昭和二十二年八月上旬頃被告人成松、同堀池と共に伊予鉄平井駅附近に疎開していた穗坂重喜を訪問したことがあるか否かの点につき考察するに証人穗坂重喜は原審公判廷において成松、井上の二人が栗木のことについて話に来たような記憶はない旨証言(原審第八回公判調書参照)しているけれども、右証言は穗坂重喜の村上検察官に対する昭和二十五年十二月九日附供述調書に照して信を措き難く、右穗坂宅訪問についての証人栗木久嘉の供述(原審第二回及び第九回各公判調書殊に記録第八九九丁裏参照)が虚偽であるとは認められない。

(5)  原審における証人渡部朝隆の証言については下田弁護人の控訴趣意第二十一点に対する判断において示した通りであつて、同証人の証言は決して証人栗木久嘉の証言と牴触するものではない。

(6)  原審第九回公判調書に徴すれば同公判における証人栗木久嘉、同西崎助市、同河井ミツ、同河井勝治の四名対質尋問において栗木の供述は他の三名の供述と二、三の点につきくいちがつていることが窺えるけれども、本件における栗木の証言の重要部分が所論の如く虚構乃至偽作であるとは到底認められない。

尚栗木に対する殺人未遂等被告事件の確定判決において認定せられた犯行の動機が極めて不自然であつて真実と見られない点については下田弁護人の控訴趣意第九点に対する判断において説示した通りであり、右被告事件における栗木きみ子に対する司法警察官の昭和二十二年九月三日附聴取書の内容及び原審における証人国重リヱの証言を考慮に容れても栗木が梶原医師の鑑定に対する不満から高橋親分の霊を慰めるため同医師を殺害せんとしたものであるとは認められない。また栗木が所論の如き大西に対する憎悪から虚構の事実を証言していると認められない点については皆川、小野両弁護人の控訴趣意第三点に対する判断において示した通りである。

同第四点について。

論旨は原判決が被告人成松、同堀池(井上)は栗木の犯行を幇助したものであると認定したのは事実誤認であると謂うのである。しかし原判決が証拠として掲げる証人栗木久嘉、同栗木きみ子、同高本徳一の原審公判廷における各証言を綜合して判断すれば、原判示二の幇助事実即ち被告人成松及び同堀池は被告人大西が栗木久嘉を教唆し同人をして梶原勘一を殺害せしめようとする事情を知りながら被告人大西のため栗木の犯行に協力しようとして原判示の如き行為をして栗木の犯行を容易ならしめた事実を充分肯認することができる。原審及び当審において取調べた各証拠を検討し論旨摘録の証人高本徳一の原審における証言その他論旨主張の諸点を考慮に容れても原判決に事実誤認は認められず、論旨は理由がない。

同第五点について。

論旨は原判決は被告人成松が犯行当日の朝栗木と共に松山市大街道の金物店で犯行に使う刺身庖丁を買求めた点につき証拠によらずその事実を認定していると主張する。しかし右事実は原判決が証拠として掲げる証人栗木久嘉の原審における証言により明かであつて、原判決はこの点につき右証言以外に証拠を掲げていないけれども所論の如く証拠によらずして事実を認定したものであるとはいえない。検察官作成に係る山内正幸(金物商)の昭和二十五年十月九日附供述調書によれば同人は被告人成松につき全然見覚えがない旨供述していること所論の通りであるけれども、三年余時日が経過している点を考慮すれば右供述調書は被告人成松の前記行動を認定するに何等妨げとなるものではない。その他本件各証拠を検討しても原判決の右認定は相当であり原判決に所論の如き違法は認められない。従て論旨は理由がない。

同第六点について。

被告人大西が昭和二十二年八月十二日池田春雄宅を訪問したか否か、同月十三日愛民党松山支部懇談会が開かれたか否か、同日夕刻頃被告人大西が西尾兼徳の牛車に乗せられて帰宅したか否か等の点については下田弁護人の控訴趣意第二十五点及び同第十五点に対する判断において既に述べた通りである。

弁護人宇和川浜蔵、同白石近章の控訴趣意第一点について。

論旨は原審が証第十六号の一、二乃至証第五十六号の各手紙を刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当する書面として証拠能力を認めこれを事実認定の資料としたのは違法であると主張する。しかし原審が右各手紙を刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当する書面として証拠能力を認めたことが相当であること。右各手紙の中には封筒と内容との一致せぬもの、代筆に係るもの、刑務所の検閲印のないもの等が存するけれどもこれを逐一点検しても何等かの工作が施され又は或意図の下に作成された形跡は全然認められず信用すべき情況の下に作成されたものと認められることについては下田弁護人の控訴趣意第三点及び第四点に対する判断において説示した通りである。尚所論の如く原審は右各手紙が如何なる経緯により検察官の手許に存在するに至つたかの点についてはこれを調査した形跡がないけれども、裁判所が右の点を調査していないからといつて必ずしも審理不尽であるとはいえない(尚この点については当審第三回公判における証人栗木きみ子の供述参照)。原判決には所論の如き違法はなく、論旨は採用できない。

同第二点について。

論旨は原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼす法令の違反があると主張する。而して原審第二回公判調書(記録第二一七丁以下)に徴するに検察官は証人栗木久嘉に対し後に提出する証第十六号の一、二乃至証第三十号の各手紙(栗木久嘉より妻きみ子宛)を示し「これ等の手紙は証人が出したものか」「この中誰かに代筆して貰つたものもあるか」「証人自身が書いたものはどれか」等の問を発したのに対し下田主任弁護人は右は一種の証拠調であるからとして異議を申立てたところ裁判長は右異議申立を却下するとの決定を宣したこと所論の通りである。仍て考察するに右第二回公判当時右各手紙については未だ証拠調の請求がなされていないけれども証拠調の請求をなす前提として右各手紙は何人が出したものであるか、何人から来た手紙であるか或は自筆か代筆か等の点につき証人の供述を求めることは許されるものと解すべきであり、原審が弁護人の異議申立を却下したのは相当であると謂はなければならない。而して右各手紙はその後原審第五回公判に至り検察官より証拠物として証拠調の請求がなされたこと所論の通りであるけれども、右第二回公判の法廷において検察官より証人に対し右各手紙が示された以上被告人並に弁護人は右各手紙を閲覧し当該証人の供述に対し検察官の尋問をした点に関し反対尋問をなすことは勿論許されるものと謂はなければならない。論旨は弁護人並に被告人は第五回公判まで前記各手紙の内容、形状を知る機会がなく栗木証人に対し反対尋問をなす機会を奪はれたと主張するけれども、栗木久嘉の証人尋問が行はれた原審第二回及び第三回各公判調書を検討しても裁判所又は検察官が被告人又は弁護人に対し右各手紙の閲覧を妨げまたは拒んだ形跡は全然窺えない。殊に証人栗木久嘉の尋問は昭和二十五年十一月二十一日の第二回公判に引続き翌二十二日弁護人及び被告人より詳細な反対尋問が行はれているのであつて、弁護人又は被告人が右各手紙を閲覧し手紙の作成につき栗木証人に対し反対尋問をなす機会が全然与えられなかつたものとは見られない。従て原審の訴訟手続に所論の如き違法があるとはいえず、論旨は採用し難い。

同第三点について。

論旨は原判決が訴因の変更追加等の措置をしないで原判示二の事実を認定したのは違法であると主張する。而して本件起訴状によれば公訴事実第二は「被告人忠造、同福美(堀池福一)は前記窮地に陥つた被告人弘に深く同情していた矢先前記の如く別懇の間柄にある栗木久嘉より被告人弘の依頼を受けて勘一の暗殺を遂げる決意なることを聞かされるや之に協力せんことを決意し(中略)勘一を追尾する等久嘉の前記犯行を容易ならしめる為の協力的行為をなし以て犯行を幇助し」となつているところ、原判決は二の事実において「被告人成松及び同堀池は栗木久嘉が前記の通り被告人大西の教唆によつて梶原勘一を殺害することとなつた事情を知り大西のため共同して栗木の前記犯行に協力せんことを決意し(中略)栗木のために便宜を与え或は気勢を添へ以て栗木の前記犯行を容易ならしめて之を幇助し」と認定していること所論の通りである。仍て右両者を比較するに原判決も公訴事実と同じく右被告人両名が栗木の殺人未遂行為を幇助した事実を認定して居り、唯被告人両名の間に意思の連絡があり共同して幇助行為をなしたものである点を明かにしたに過ぎず、所論の如く公訴事実の訴因と犯罪の態様を異にする事実を認定したものとは見られない。従て本件の場合訴因変更等の手続は何等これを必要としないものと解する。尚幇助者同志の間の意思の連絡があり共同して幇助行為をなした場合においては共同正犯に関する刑法第六十条の規定はこれを適用する余地がないものと考えられるから、原判決が被告人成松、同堀池の所為につき刑法第六十二条第一項の外刑法第六十条をも適用しているのは首肯し難いが、右法令適用の誤は判決に影響を及ぼすものではない。原判決には所論の如き違法は認められず、論旨は理由がない。

同第四点について。

論旨は原判決は理由にくいちがいがあるとして五つの点を指摘している。以下順次判断するに

(1)  原判決が二の事実に対する証拠として掲げた証人栗木久嘉の原審公判廷における証言中には論旨摘録の如き供述部分があり昭和二十二年八月十三日朝梶原をねらつた際栗木及び被告人堀池、同成松は梶原の顔が判らなかつたため犯行の決行を一応中止した事実を窺い得るところ、原判決は証人大西谷五郎の証言について批判した箇所において「栗木は喜市の死体の解剖に立会したがために鑑定医である梶原勘一の容姿を或程度知つていたものであつてこれにより暗夜二人連れの男の中から梶原を識別し得たものと認めるのが相当ではないであろうか」と判示していること所論の通りである。しかし原判決は右判断において栗木は梶原勘一の容姿を或程度知つていたものではなかろうかと判示したに過ぎず同人の容貌等を充分知つていたものと認定した訳ではないから、原判決の証拠判断に必ずしも所論の如き矛盾があるとはいえない。

(2)  原判決は証拠説明三の(二)において「栗木久嘉は高橋親分の加害者松倉義雄外数名に対する裁判の軽きを恨み鑑定医梶原勘一に対しても不満の念を抱いていたことを推知し得ないことはない」と判断していること所論の通りである。しかし原審は栗木は梶原医師の鑑定に対する右不満の念から同人を刺したものではなく、被告人大西の教唆により梶原勘一を殺害せんとしたものと判断したものであることは明瞭である。

(3)  自ら殺害を依頼して犯罪を犯さしめたものがその依頼によつて罪を犯し現に刑を受け涜罪のため苦しんでいる者に対し善道に立帰るべきことを訓戒するが如き行為はあり得べからざることであるとの所論は一応首肯し得るけれども、本件の場合においては被告人大西が栗木に対し善道に立帰るべきことを訓戒した事実があるからと云つて本件教唆事実の認定に影響を及ぼし得ないと原判決が判断したのは相当であつて該判断が経験則に違背しているとは見られない。

(4)  栗木久嘉は昭和二十二年七月末頃広島より松山に帰つて一度大西方へ行きその晩帰宅して妻きみ子に対し別れ話を持出したものであるかどうかの点については下田弁護人の控訴趣意第二十一点に対する判断において示した通りであり、原判決は証人栗木きみ子の証言中「栗木は七月末夕方広島から帰り帰ると直ぐに出かけて行きその夜十一時頃帰宅し別れ話を持ち出した」旨の供述部分をも証拠に引用しているけれども、原判決は証人栗木きみ子の証言の外証人栗木久嘉、同高橋ナカ、同森治その他列挙の各証拠を綜合判断して昭和二十二年八月二日頃被告人大西が栗木に対し田中忠雄殺害方を依頼した事実を認定したものであり、挙示の証拠中認定事実と稍牴触する部分があるとしても所謂判決理由にくいちがいがある場合に該当するとは見られない。

(5)  論旨は原判決は栗木久嘉の証言の信憑性について十分留意するの必要があると判示しながら結局栗木証言を全面的に採用し同証言の信憑性につき留意した跡が見られないと主張する。しかし原審は栗木久嘉の証言を軽々に措信したものとは見られず同人が前科数犯を重ねている博徒であつてその供述を軽々しく信用することは危険であることを十分留意した上同人の証言を検討し高橋喜市の死体解剖に立会つたか否かの点を除いては栗木の証言を十分措信し得るものであるとしてこれを証拠に引用したものであることは原判決の理由記載に徴しこれを窺うことができる。

従て論旨主張の諸点を考慮に容れても原判決の理由に所謂くいちがいがあるとは見られず、論旨は採用し難い。

同第五点について。

論旨は原判決は証拠によらずして事実を認定した違法があると主張する。仍て考察するに所論の如く原判決が証拠として掲げる証人高橋ナカ、同森治、同栗木きみ子、同渡部朝隆、同菊池ふみ子、同越智明門の原審公判廷における各証言、裁判官の証人福岡春良に対する証人尋問調書等は被告人大西が栗木に対し田中忠雄後に梶原勘一の殺害方を教唆した事実を直接に立証するに足るものではないけれども、右の各証拠は証人栗木久嘉が全然架空の事実を証言しているものでないことを裏付ける意味において充分本件有罪認定の資料となり得るものであり、要証事実と何等関連のない証拠であるとはいえない。而して本件教唆行為自体については証人栗木久嘉の証言及び原判決が証拠説明の末尾において掲げる栗木夫婦の間に取り交された各手紙(証第十六号の一、二乃至証第五十六号)の存在及びその内容に徴し充分これを認めることができ、原判決を検討しても所論の如く原審が採証の法則に違反し又は証拠によらないで事実を認定したものとはいえない。従て論旨は採用できない。

第六点について。

論旨は原判決がその挙示の如き証拠により原判示の如き本件殺人教唆の動機を認定したことを非難する。しかし原判決の掲げる各証拠を綜合して判断すれば被告人大西が田中忠雄、田村某、青木愛媛県知事、梶原県会議員等に対し原判示の如き恨を懐くに至つた経緯を充分肯認することができ、被告人大西の当時の社会的地位を考慮に容れても同被告人が田中又は梶原に対し殺意を懐くに至ることが経験則上絶対にあり得ないことであると断ぜられないことは既に判断した通りである(下田弁護人の控訴趣意第十九点に対する判断参照)。尚被告人大西は青木知事に対しても恨を懐いていたものであるところ何故青木知事を殺害の対象とせずして梶原県会議員を殺害せんとしたかは本件証拠上明かでないけれども、同被告人が梶原殺害方を教唆した事実を証拠上充分認め得る以上本件の如き被告人が絶対否認している事案において原審が右の点を明かにしていないからと云つて必ずしも原審の審理が不充分であるとはいえない。殺人罪において動機の点が重要であることは云うまでもないことであるが、論旨主張の諸点を考慮に容れても原審が証拠に基かないで本件動機を認定したものであるとはいえず、また動機の認定につき原審に審理不尽の点があるともいえない。従て論旨は採用し難い。

弁護人村上常太郎の控訴趣意第一点について。

論旨は縷々主張するけれどもこれを要するに原判決が証人栗木久嘉の証言を信用して被告人大西の本件教唆事実を認定したのは事実誤認であると謂うのである。而して被告人大西が栗木に対し本件の如き教唆をしたことについての直接の証拠は栗木久嘉の証言を措いて他に存しないことは所論の通りであるけれども、このようなことは本件の如く甲が乙に対し第三者のいないところで口頭で或犯罪行為を教唆したとする事案においては已むを得ないことであり、窮極において教唆を受けたとする乙の供述が措信できるか否か、また甲の教唆が架空の事実でないこと(動機の点も含む)を窮うに足る状況的証拠が存するか否かによつて有罪無罪を決しなければならないことになる。今本件につき考察するに既に他の各弁護人の控訴趣意に対する判断において示した通り栗木久嘉が詐欺恐喝等の前科を有ししばしば虚言を弄する人間であることを考慮に容れても本件における同人の証言は充分信を措くに足るものであり、またその証言を裏付けるに足る証拠及び本件教唆が架空の事実でないことを推測せしめるに足る状況的証拠が相当存在しており、原審及び当審において取調べた証拠を検討しても原判決の事実認定が誤認であるとは到底考えられない。

以下論旨を追うて順次判断するに

(一)(1) 栗木が昭和二十二年七月末頃妻きみ子よりの電報に接し広島より松山に帰り大西方よりの迎へのサイドカーで大西方に行つたところ大西は用件を語らず「明朝六時に来てくれ」と言つて一旦栗木を帰宅させたからといつて所論の如く必ずしも奇怪事であるとはいえない。当時被告人大西は保釈直後で訪問客が多いため訪問客のない早朝を選んで重大用件を依頼することは考えられるところである。また栗木は妻よりの電報に接し帰宅したのに拘らず妻に対し用件を聞きたゞした点につき何等供述していないからといつて、栗木の証言が不自然であるとはいえない。尚原審における証人河井勝治、同河井ミツ等は栗木の妻より栗木に対し電報が来た事実はないと証言するけれども三年前の事柄であるから記憶が喪失していることも考えられ右各証言は本件有罪認定の妨げとなるものではない。また論旨は栗木の広島よりの帰松と大西の保釈帰宅との関係につき疑を懐いているけれども、栗木が広島より松山に帰り大西宅を訪れたのが昭和二十二年七月末頃であることは証拠上窺い得るけれども、栗木が松山に帰つた日、サイドカーで大西宅を訪れた日、翌朝来てくれといはれて早朝大西方を訪れた日が夫々果して何月何日であつたかは必ずしも明確でない。当裁判所としては松山刑務所長の保釈釈放についての回答書、証人栗木久嘉の証言、金九千円の受取証(証第五十七号の一)等を綜合して、被告人大西は昭和二十二年七月三十一日保釈出所し栗木を呼寄せるため栗木の留守宅に連絡を取り栗木の妻きみ子は広島に居る栗木に打電し栗木は同年八月一日広島より松山に帰りその夕刻迎えのサイドカーで大西宅を訪れたが翌朝来てくれとのことで翌二日朝再び大西宅を訪れ原判示の如く田中忠雄の殺害方を依頼されたものではないかと推測する。しかしその頃栗木が広島より帰松して被告人大西より田中忠雄の殺害方を依頼された事実を証拠上認め得る以上その正確な年月日が判然としないからといつて本件の認定に何等影響を及ぼすものではない。これを要するに大西の保釈帰宅と栗木の帰松との間に所論の如き疑点は認められない。

(2)  被告人大西が日進産業事件で取調を受けていたとき県会議員である梶原の宅から高橋検事に電話がかゝつたことにつき疑惑を懐くことは梶原が県警察医であつて高橋検事と懇意であることを考慮に容れても必ずしもあり得ないことではなく栗木が広島より帰つて最初大西方を訪れた際「大西が調べられた時の模様が不審であつたとか電話がかかつたとか云つて調べられた時のことを話していた」との栗木の証言部分(記録第一六四丁裏)が所論の如く虚偽であるとは認められない。

(3)  被告人大西は栗木に対し本件教唆に際し東京から弁護士を呼んでやると約束しながら同人に対するさきの刑事事件につき東京の弁護士を依頼しなかつたことに対し栗木が大西に何等抗議を申出ずまたその事件の担当弁護人に対する弁護料を大西に支出させなかつたとしても、栗木の「大西はお前が引張られたら東京から弁護士も雇つて入れてやる云々と云はれたので田中等を殺すことを引受けた」との証言部分(記録第一六五丁裏)が虚偽であるとは認められない。

(4)  栗木は被告人大西の所謂直系の輩下ではないけれども、高橋喜市の葬儀に際し大西の世話になつたこと、高橋一家と松倉義雄等との紛争を大西が円満に仲裁したこと、大西の斡旋により道後のダンスホールの取締人になつたこと、ダンスホールで働いていた時大西より種々激励を受けたこと等の関係から栗木は被告人大西に恩義を感じ且つ敬慕していたことは記録上明らかであり、昭和二十二年八月上旬当時において大西と栗木との関係が所論の如く必ずしも浅かつたものとは見られず栗木が如何なる人物であるかを考慮しても、被害人大西が栗木に対し本件の如き田中又は梶原暗殺という大役を依頼したことが常識上考え得られないことであるとはいえない。また大西は成松、堀池その他多くの直系の輩下があるに拘らず同人等を利用しないで傍系に属する栗木を選んだことは決して不自然ではなく寧ろ充分首肯し得るところである。被告人大西が自分に対し本件教唆をしたとの栗木証言が社会通念上首肯し得ないものであるとなすことはできない。

(5)  栗木が昭和二十二年七月末頃広島より松山に帰つて来た事実は原判決挙示の各証拠により明かであつて、この点に関する証人西崎助市、同河井ミツ、同河井勝治等の原審における各証言の措信し難いことは既に判断した通りである。

(6)  昭和二十二年八月十三日薄暮頃大西方の屋外で栗木が大西に対し犯行に用うる刺身庖丁を示し大西より激励を受けた事実が必ずしもあり得ない事ではない点については、下田弁護人の控訴趣意第十四点に対する判断において説示した通りであり、大西が田中及び梶原の殺害方を教唆した時は自己の家宅内で栗木と密談したのに拘らず刺身庖丁を示した時に限り戸外を選んだからといつて必ずしも不合理であるとはいえない。また栗木が大西方の家人が証人として現れることを避けるため殊更屋外の場所を証言しているものとは考えられない。尚栗木は大西より本件教唆を受けた時には傍に誰も居なかつた旨証言しているけれども、所論の如く証人となる者がない場面を釀成せんとする意図の下に虚偽の証言をしているものとは受取れない。

(7)  「無より有を生ずるの理なし」との所論は一応首肯することができ、栗木は梶原医師の高橋喜市の死体鑑定に対し或程度不満の念を懐いていたと推測されることは原判決も判示する通りであるが、栗木に対する殺人未遂等被告事件の判決において認定された様に右鑑定に対する不満から高橋親分の霊を慰めるため梶原医師を殺害せんとしたものであると認められないことは既に判断した通りである。而して栗木の本件における証言中前の被告事件において供述したことは全部でたらめであるとの趣旨は犯行の動機として供述したことがでたらめであるとの趣旨と見られる。尚論旨摘録の証人西崎助市同国重リエの原審における各証言を考慮に容れても栗木が高橋親分の怨をはらすため梶原鑑定医を刺すに至つたものとは到底考えられない。

(8)  原審における証人大森豊の証言により認められる松山刑務所における被告人大西と栗木との面会の模様を考慮に容れても被告人大西の本件教唆が架空の事実と認められないことについては下田弁護人の控訴趣意第十六点に対する判断において示した通りであり、その時における栗木の大西に対する態度が所論の如く弱々しかつたからといつて本件の認定に影響を及ぼすものではない。

(9)  被告人大西の栗木に対する種々の財政的援助が単に大西が農地調整法違反事件で勾留せられていた際栗木より厚遇をうけたことに対する謝恩の意味でなされたものと認められないことは下田弁護人の控訴趣意第十七点に対する判断において示したとおりであり、所論の如く感激性に富む被告人大西が右勾留中における栗木の親切に対し如何に感激したかは充分察知し得るけれども、栗木夫婦に対する金品贈与が単に栗木の右好意に対する謝恩又は同被告人の人格から出た純粋な恵与であるとは認められない。また被告人大西は昭和二十四年十月頃栗木よりの金借の要求に対しそれが賭博に使う金であつたため「賭博等に使う金はない」と言つて断つた事実(原審第三回公判調書中記録第三〇〇丁参照)があつたからといつて、被告人大西が栗木に対し本件の如き教唆をした事実がないからかかる高飛車的態度に出ることができたものとは断定できない。

(二) 刑事訴訟法第二百二十七条に基く検察官の請求により裁判官から証人として尋問された者がその尋問前該事件の共同被疑者として勾留されていた場合においても右証人尋問が適法か否かの点につき考察するに、刑事訴訟法第二百二十七条により証人尋問の請求ができるのは同法第二百二十三条第一項の規定(被疑者以外の者の取調に関する規定)により検察官、検察事務官又は司法警察職員の取調に際して任意の供述をした者であることを要件としていること所論の通りである。しかし共同被疑者として取調を受けた者であつてもその者を起訴しないような場合において他の共同被疑者に対する関係において刑事訴訟法第二百二十七条の要件を充たす限り検察官が同条に基き証人として尋問の請求をなすことは許されるものと解すべきであり、その者が勾留されて取調を受けている場合においても強制、拷問、脅迫等に基かない任意の供述をしている限り同条の証人になり得るものと謂はなければならない(同条にいわゆる任意の供述が所論の如く勾留中の供述を含まない趣旨であるとは解せられない)。而して原審第三回公判調書中証人高本徳一の供述記載に徴すれば同証人は当初傷害被疑事件で勾留されその後本件梶原事件の共犯としての嫌疑で再び勾留されて取調を受けたこと及び釈放された日の午後検察官の請求により直ちに証人として裁判官の尋問を受けたことを窺い得るけれども、前記理由により右証人尋問請求が不適法であるとはいえない。尚検察当局が高本徳一の取調に際し両人に飲酒させた点については下田弁護人の控訴趣意第二十三点に対する判断中において述べた如く検察当局の措置に遺憾の節が見られるけれども、同人の検察庁における供述調書及び同人に対する裁判官の証人尋問調書等は本件において証拠資料とされて居らないのであり、同人に対し検察当局の採つた種々の措置が原判決に何等かの影響を及ぼしているとは認められない。尤も原判決は原判示二の事実の証拠として証人高本徳一の原審における証言を引用しているけれども、原審第三回公判調書に基き同証人の証言を検討しても同証人が公判廷において検察官の威圧を受け又は検察官に迎合して虚偽の供述をした形跡は窺えない。論旨主張の諸点を考慮に容れても原判決が証人高本徳一の証言を採用したことを以て採証の法則に違反しているものとはいえない。

次に論旨は裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書についても検察官が刑事訴訟法第二百二十七条により証人尋問の請求をしたのは違法であると主張するけれども、同人がさきに被疑者として勾留され取調を受けていたとしても任意の供述をしている限り他の被疑者に対する関係において同条の証人になり得ることは前叙の通りであり、右証人尋問の請求が違法であるとはいえない。以下論旨が右尋問調書中矛盾であるとして指摘する部分につき検討するに

(イ) 論旨は右証人は大西が茶の間の横の廊下を通りかかり私達に対し云々と供述しているけれども、当時大西方茶の間の横に廊下は存在しなかつたと主張する。しかし当裁判所の検証の結果及び当審における証人柴田憲一の証言(当審の同証人に対する尋問調書及び検証調書参照)を綜合すれば、被告人大西方茶の間(四畳半)と六畳間との間は昭和二十二年七月当時においては現在の如く全部廊下になつて居らずその北半分は押入となつていた事実はこれを認め得るけれども、その南半分は当時においても廊下であり該廊下は東に折れて茶の間南側の板の間に続いていること明かであるから、福岡証人のいう茶の間の横の廊下とはどの部分を指しているのか稍明かではないけれども、当時茶の間の横に廊下が全然なかつたとはいえない。

(ロ) 被告人大西が日進産業事件で検事の取調を受けていた時梶原方より検事に電話がかかつたのは梶原勘一の妻澄子が立石検事の宿所を聞くためであり、検事の取調室には電話機はなく給仕が検事に対し梶原宅よりの電話を告げ検事が取調室を出て行き電話を受けたものであつて大西は右電話の内容を聞くに由なきものであつたとしても、証人福岡春良の証言中「大西は私達に対し高橋検事に取調べられていた際梶原勘一から同検事へ電話がかかり自分の事件の事を何か話していたが今度の事件では梶原が自分の事を何か中傷したのではないかと思うと言つていた」との供述部分(記録第一二七九丁)が全然虚偽であるとは認められない。即ち被告人大西が検事の取調中に梶原宅から右電話がかかつたことにつき疑念を懐きこれを自己の事件と結び付けて考えその電話の内容をも想像して保釈帰宅後福岡等に対し右の如き趣旨の話をすることがあり得ないことであるとはいえない。

(ハ) 栗木久嘉は通常高橋喜市のことを親分と呼んで居り被告人大西のことを親分と呼んでいなかつたことは本件記録上これを窺い得るけれども、証人福岡春良が論旨摘録の如く五日市競馬場で栗木が「梶原を刺したのは親分の事でやつた」と言つた親分の事というのは大西の事でやつたのだろうと想像したと証言していることが所論の如く必ずしも不自然であるとはいえない。

これを要するに論旨指摘の諸点を考慮に容れても裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書の供述内容が措信できないものであるとは認められない。

尚原審及び当審において取調べた各証拠を検討しても栗木が真実は高橋親分のために本件犯行に及んだものであるに拘らず論旨主張の如き経緯により被告人大西の教唆に基くものであると虚偽の証言をなすに至つたものとは到底考えられず、また被告人成松、同堀池の両名が日進産業事件につき梶原医師の策動があるとの風聞により偶々梶原医師に対し不満の念を懐いている栗木を利用して所論の如き一石二鳥の考慮より大西の関知せぬ間に栗木の犯行を助勢したものであるとは見られない。本件については所論の如く栗木の供述以外に直接証拠はなく、各証人の証言の間に相当矛盾牴触する部分がありまた検察当局の措置に稍遺憾な点が窺えるけれども、原判決の掲げる各証拠を綜合して判断すれば被告人大西の本件教唆事実を充分認めることができ、本件にあらはれた証拠によつては未だ刑事訴訟法第三百三十三条の要求を充たし得ないものであるとの論旨は採用できない。

(三) 論旨は原審における証人渡部朝隆の証言は矛盾撞着があり措信するに足りないものであることを主張する。而して同証人の証言に関しては下田弁護人の控訴趣意第五点及び第六点に対する判断において既に触れた通りであり、同証人の証言は被告人側の反対尋問にあい稍動揺したことは否定し難いが、さればといつてその証言全部が措信できないとなすことはできない。而して渡部証人と被告人堀池とは所謂インチキ賭博の名コンビであつて二十年来の懇意な間柄であることを本件証拠上窺い得るけれども、同証人が昭和二十二年八月上旬広島へ渡る船中において栗木より聞いた話(殺人の企て)を同行の被告人堀池に話さなかつたと証言したからといつて、必ずしもその証言内容が不自然であるとはいえない(同証人は被告人堀池に右の話をしなかつた理由として「井上は私が云はなくても知つていると思うので云はなかつた」と供述している。(記録第三七一丁裏参照。)

(四) 論旨は証人栗木きみ子の本件における証言は措信し難いものであることを主張する。仍て考察するに栗木久嘉に対する殺人未遂等被告事件における昭和二十二年九月三日附栗木きみ子に対する司法警察官の聴取書に徴すれば同女は夫久嘉は梶原医師の鑑定に対する不満から同医師を刺したのではないかと思う旨の供述をしているけれども、きみ子は当時夫の意中を察して大西の名を出すことができなかつたところ久嘉は梶原医師の鑑定に対し不満の念を洩していたことがあつたためかかる趣旨の供述をしたものと見られ、前の被告事件においてきみ子が久嘉が犯行の動機として述べるところと同趣旨の供述をしているからといつて、栗木久嘉が同人に対する被告事件において供述する動機が真相であるとは認められない。原審第四回公判調書に基き証人栗木きみ子の原審における証言を検討し当審において直接同女を証人として尋問した結果に徴するも(当審第三回公判調書参照)同女が夫久嘉と相謀つて大西を陥し入れるため虚偽の証言をしているものとは到底受取れない。

(五) 論旨は要するに被告人大西の人格、当時の環境よりすれば本件の如き動機により殺人の教唆をなすが如きことは全然考え得られないことであると強調する。凡そ刑事事件において当該被告人が当該犯罪行為をなすことがあり得ると考えられる人物であるかどうか、またかかる犯罪行為を犯すに至つた動機が充分首肯し得べきものであるかどうかは裁判所として充分愼重に考慮すべきであること云うを俟たないところである。而して本件につき当裁判所が愼重に本件記録並に原審において取調べた各証拠を検討し当審において直接事実調をした結果に徴するに、被告人大西は同情心深く貧しき者困窮せる者を救済する等の善行を施しまた市会議員、県会議員、衆議院議員に選ばれて社会公共のために相当尽力していることはこれを充分認め得るけれども、如何に立派な人格の者でも時に反省の力が足らずして心の調和或は平均を失つて意外の罪を犯すことはあり得ることであり、本件の審理全体を通じて考察すれば遺憾乍ら被告人大西が本件の如き動機により本件の如き教唆をなすことが絶対にあり得ないとはいえないのである。右のことは同被告人が当時松山の地方政界において旭日昇天の勢にあつたことを考慮に容れても同様であり、寧ろ旭日昇天の勢にあつたがため日進産業事件で逮捕勾留の憂目を見たことにつき同被告人が如何ばかり憤激し心の平静を失つたかが察せられるのである。また高橋親分が殺害せられその身内が仇討を企てた際被告人大西が暴力否定を説き仇討を制止した事実があるからといつて同被告人が本件の如き教唆行為をなす筈がないとは断定できない。

尚原審が栗木夫婦の間に取交された本件各手紙を刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当する書面として証拠能力を認めたことが相当であることは既に下田弁護人の控訴趣意第三点に対する判断において示した通りである。また右手紙中栗木が受刑につき被告人成松、同堀池に代つて貰いたいとの文意のものが存するけれども、かかる手紙の文言からして被告人大西は本件に何等関係がないものであるとはいえない。

以上論旨は原判決の掲げる各証拠が措信すべからざることを指摘して原判決の事実誤認を主張するけれども論旨はいずれも採用し難い。

同第二点について。

論旨は裁判官の証人福岡春良に対する尋問調書は違法であると主張するけれども、刑事訴訟法第二百二十七条第二百二十八条により同人を証人として尋問したことが違法であるといえないことについては既に第一点の(二)に対する判断において説示した通りである。

論旨は更に原判決が証人高本徳一の証言を採用したことを非難する。而して高本徳一に対し検察当局の採つた措置(約一ケ月に亘る勾留、飲酒、取調に栗木を立会はせた点等につき論旨の非難する点は充分首肯し得るけれども、原判決の引用する同証人の証言部分が虚偽であるとは認められず、また原判決が同証人の証言中論旨摘録の部分を採用しないで他の部分を採用したことが採証の法則に違反しているとは認められない。従て論旨は理由がない。

以上当裁判所は各弁護人の詳細多岐に亘る各控訴趣意を愼重に検討したけれども原判決に判決に影響を及ぼす事実誤認、訴訟手続の法令違背、理由不備又は理由のくいちがいその他原判決を破棄すべき事由は認められず、各論旨は採用し難い。

検察官の控訴趣意について。

論旨は被告人三名に対する原判決の科刑はいずれも軽きに失し刑の量定が不当であると謂うのである。仍て本件記録を精査して原審の量刑の当否を考察するに、本件は原判決認定の如く被告人大西は自己が日進産業株式会社の社金横領の嫌疑で逮捕勾留せられたのは愛媛県会議員である栗原勘一等が自分を陥し入れるため右会社の社長田中忠雄等を煽動した結果であると軽信しその憤懣の情をはらすため栗木久嘉に対し右栗原の殺害方を教唆し栗木は右教唆に基き昭和二十二年八月十三日の夜刺身庖丁で右栗原を刺殺せんとしたが重傷を負はせたのみでその目的を果さず、また被告人成松、同堀池の両名は被告人大西の意を受けて栗木の右犯行を容易ならしめるためこれを幇助したと謂う事案であり、所論の如く被告人大西は単なる人の噂を軽信して県会議員であり警察医である栗原勘一を暴力を以て亡き者にせんとしたことは民主主義社会において到底容認し難い行為であり、幸い右栗原は外科医であつたため受傷の際直ちに応急処置を講じ得た結果生命を取りとめることができたけれども背部、左前胸部等に治療約一ケ月を要する重傷を負うたことを併せ考へればその犯情は決して軽くないものと謂はなければならない。しかし本件における諸般の情状を彼此考量し右の如く幸い栗木の犯行が未遂に終つた点を斟酌すれば原審が被告人大西に対し懲役五年の刑を科したことを以て必ずしもその刑軽きに失するとはいえず、同被告人が是迄論旨列挙の如き前科(恐喝、窃盗、傷害、賭博等)のある点、終始否認して改悛の情の窺えない点、正犯である栗木久嘉に対する科刑(懲役十年)との権衡その他論旨主張の諸点を考慮に容れても原審の量刑が不当であるとは認められない。また被告人成松、同堀池についてもその犯情軽しとはいえないけれども、被告人大西との関係その他諸般の情状を考量すれば原審の量刑(各懲役二年六月)は相当であつて論旨主張の諸点を斟酌しても科刑軽きに過ぎるとはいえない。従て論旨は採用し難い。

その他職権で調査するも原判決には刑事訴訟法第三百七十七条乃至第三百八十三条に規定する事由が認められないから同法第三百九十六条により本件各控訴はいずれもこれを棄却すべきものとし同法第百八十一条第百八十二条により当審の訴訟費用は全部被告人三名をして連帯してこれを負担させるものとする。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人下田勝久の控訴趣意

第三点原審判決には訴訟手続に左の如き法令の違反があつて其違反が判決に影響を及ぼすこと明らかである即ち昭和二十五年十一月二十五日原審第五回公判に於て検察官より提示した栗木久嘉と栗木君子間に於て取交はした手紙なりとして証第十六号の一、二乃至第三十号及証第三十一号乃至第五十六号の手紙を証拠として取調を請求したるに対し弁護人及被告人は該手紙は信用すべきものではないから証拠として其取調をすることに同意せざる旨述べて不同意の意思を表示したのに原審裁判所に於ては該手紙は刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当する書面と認める旨決定して其証拠調をしたのである。

然しながら刑事訴訟法第三百二十三条第三号に前二号に掲げるものの外特に信用すべき状況の下に作成された書面として証拠能力を有せしめたのは同条第一号の戸籍謄本、公正証書謄本其他公務員(外国の公務員を含む)が其職務上証明することができる事実について其公務員の作成した書面同条第二号の商業帳簿、航海日誌、其他業務の通常の過程に於て作成された書面に類する特に信用すべき状況下に於て作成せられた書面であることを要するものである。

故に公務員が証明文書以外に於て職務上作成した文書は第一号同様に特に信用すべき状況下の書面として同条第三号に該当するものを認むべく公判調書の如き司法上の記録も供述録取書に該当しない部分に付又公証人の作成保存する証書原簿受附簿等は特に信頼すべきものであるから本号に該当するものとして取扱はるべきものである。

同条第二号の商業帳簿航海日誌その他業務の通常の過程に於て作成された書面は公務員の証明文書に類似の状況に関する信頼的保証性を持つて居るから証拠能力を与へたのである。

商業帳簿航海日誌の外病院の診療簿統計係が作成した統計表等は本条第三号に該当するものと謂ふべきである。

然しながら本件栗木久嘉と栗木君子とが往復したりと為す手紙であつて而も該手紙は栗木君子と在監中の栗木久嘉とが取り交はしたものとして提出したのであるが在監中の者が手紙を発するには刑務所の係官の検閲印がなければ外部に出すことが出来ぬのに拘らず該手紙中証第十六号の一乃至第十八号第二十号乃至第二十六号第二十八号第二十九号第三十四号第五十号には刑務所の検閲印なく在監中刑務所内より差し出したものと認め難く且第四点に記述する如く該手紙自体に於て手紙の中味は後日差し変へたことが顕著である証跡があるのに拘はらず特に信用すべき状況下に於て作成したものとし同条第一号第二号の書面に匹敵する状況に対する信頼的保証があるものと解することはまことに危険であつて無条件に証拠能力を認めることは違法である。之は厳密に解し供述書に準ずるものとして刑事訴訟法第三百二十一条第三百二十二条の制限の下に証拠能力を認むべきであるのに何等其制限条件なきに拘らず敢えて之に服せず原審裁判所が被告人及弁護人の同意なきに特に信用すべき状況下に於て作成せられた書面として該手紙の証拠能力を認めて其証拠調を為したのは刑事訴訟法第三百二十一条第三百二十二条第三百二十三条に違反するものである。

而して原判決は其理由に於て本件犯罪事実を認定したるこの認定を強力ならしめる状況として栗木久嘉同きみ子の当公判廷に於ける証言により栗木が服役中同人より妻きみ子にあてた手紙及きみ子より久嘉にあてた手紙としてその内容から見当し十分信を措くに足る証第十六号の一、二乃至証第五十六号の各信書の内容を見当すれば夫婦間における綿々たる情愛を書き連ねている間に栗木の本件犯罪が大西被告人の教唆によつて生じ成松、堀池両被告人の犯罪加担があつた事を窮ひ得ると同時に栗木久嘉がヤクザの仁義に背いて事件の真相を暴露するにいたつた這般の事情を窺知することができるのである。弁護団は敍上の各手紙は封筒はともかく内容は何時たりとも差し変へ得るものに過ぎないと主張するけれどもその内容を遂一点検すればかかる工作の行はれた跡を発見し得ない事を知り得るのである。

と認定し其訴訟手続法に違反する証拠能力なき該手紙を以て心証の基礎と為し有罪の認定を為した強力なるものであると判決に掲げたのである。

苟も判決理由に於て犯罪事実の認定を強力ならしめるものとして証拠調を為したる書面を掲げ其内容を説示して十分信を措くに足るものなりと判示すれば其書面を証拠として犯罪事実を認定したることを認めたること勿論であつて少くとも此書面を証拠として犯罪事実認定の心証を構成した強力なる資料なりと為すものである。証拠能力なき違法の書面を犯罪認定の証拠と為すことを得ざるは勿論証拠能力なき違法の書面を以て犯罪認定の心証を構成する強力なる資料と為すことも採証法上之を許さざるところである。

此の如きは訴訟記録第五回公判調書及証第十六号の一、二乃至証第五十六号の手紙を取調べた証拠に現はれて居る事実であつて訴訟手続に法令の違反があつて其違反による証拠調の結果が明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の違反であつて現実に之が明らかに判決に影響を及ぼして居る事が原判決理由自体に現はれて居るのである。

右の次第で原判決は刑事訴訟法第三百七十九条に該当するものであるから同法第三百九十七条により破棄せらるべきものと信ずる。

弁護人池田克の控訴趣意

第一点原判決は、憲法の趣旨に違反して証拠とすることのできない調書を罪証として引用して居り、その違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄されなければならない。

原判決は、被告人大西が日進産業株式会社の社金横領事件の発生や検察庁における取調の経過等から、田中、田村、青木、梶原等に対し憤激の念を抱いたこと、及び栗木久嘉が広島より松山に帰つた後、八月十二日頃(昭和二十二年)被告人大西をその自宅に訪れた際、被告人大西は栗木に対し梶原勘一の殺害方を教唆し、因つて栗木をして梶原殺害の犯行を決意せしめるに至つたことを認定するにあたり、その証拠として「裁判官の証人福岡春良に対する証人尋問調書の記載」を引用している。

そこで右の証人尋問調書を査閲すると、この調書は被疑者大西に対する殺人未遂被疑事件につき検察官の請求にもとづき、松山簡易裁判所高橋裁判官が昭和二十五年十月二十五日福岡春良を証人として尋問したものであるが、その尋問に被疑者も弁護人も立会つた形跡がないから、裁判官は右の尋問に被疑者も弁護人も立会わせなかつたものと云わねばならない。而して、その立会わせなかつた理由は、刑事訴訟法第二百二十八条第二項に「裁判官は捜査に支障を生ずる虞れがないと認めるときは被告人、被疑者又は弁護人を証人の尋問に立会わせることができる」とあり、証人福岡の場合は捜査に支障を生ずる虞があるものと認めたことに在るのであろう。

しかし乍ら、証人は人的証拠として最も重要なものである。従つて憲法においても「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられる」(第三七条第二項前段)ことを基本的人権として保障するところである。私は、この規定は文字通りの意義に解すべきものと信じているが、その所謂すべての証人を、仮りに証人尋問の行われるすべての証人の意味に解するものとしても、憲法の保障するこの基本的人権は、侵すことのできない権利(第一一条)であるから、刑事訴訟法の解釈適用上憲法の保障する趣旨が十分に尊重されなければならないところである。

更に重要なことは、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」ことを規定する憲法第三七条第三項の規定である。この規定が刑事訴訟法上如何に取扱われているかを見ると、多くの場合に形式的な字義通りに解釈適用されているようである。然し、この規定は、米国憲法修正箇条第六条を母法とするものである。「凡ての刑事上の訴追において、被告人は自己に不利なる証人との対審を求め、自己に有利なる証人を得るために強制の手続をとり、又自らの防護のため弁護人の援助を受くるの権利を有す」。之れが右修正第六条の規定である。この規定中「弁護人の援助を受くるの権利を有すの」原文はthe accused shall enjoy the right to have the assistance of counsel for his defence である。之れは憲法第三七条第三項は右の如く単に「弁護人を依頼することができる。」と云う形式的な言葉を用いているが、同条項を米国憲法修正第六条と同趣旨に解すべきことは、英文日本憲法第三七条第三項が「被告人は何時でも資格ある弁護人の援助を受けることが出来る」At all times the accused shall have the assistance of competent counsel としていることによつて明らかである。即ち、被告人が憲法第三七条第二項によつて保障されている証人の審問について弁護人の援助を受けることは、正に憲法の保障する基本的人権であつて、刑事訴訟法の解釈適用上尊重されなければならないことも亦言をまたないところである。

なるほど捜査の段階においては、公訴提起後の訴訟手続におけるが如き当事者主義が原則的には要求されていない。従つて被告人に保障された基本的人権が全部そのまま被疑事件に適用を見るものでない。然し乍ら、憲法第三四条の保障している基本的人権は、起訴の前後を問はないのであるし、起訴前の強制処分によつて拘禁された被疑者が、その依頼した弁護人から自己の防護のため必要なる援助を受けることができることは、同条前段の規定の趣旨とするところと解すべきものである。蓋し同条前段は「何人も直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ抑留又は拘禁されない」と規定しているが英文日本憲法の同条前段によると no person shall be arrested without the immediate privilege of counsel 即ち、「何人も直ちに弁護人の特典を与えられなければ抑留又は拘禁されない」とあり、その弁護人の特典 privilege of counsel とは、憲法第三七条第二項が被告人に保障している特権、即ち弁護人の援助を受ける権利を指しているものに外ならないからである。刑事訴訟法第二十条が「被告人又は被疑者は何時でも弁護人を選任することができる」と規定して被疑者にも弁護人選任権を認めているのは、又右の理由によるものに外ならない。

そこで、本件に則して捜査上の証人尋問に関する刑事訴訟法の規定を見ると、検察官から第二百二十七条によつて証人尋問の請求を受けた裁判官は「証人の尋問に関し、裁判所又は裁判長と同一の権限を有する」(第二百二十八条第一項)ものとされながら、捜査に支障を生ずる虞があると認めるときは、被告人被疑者又は弁護人をその証人尋問に立ち会せなくてもよい(同条第二項)ものとされている。「証人の尋問に関し裁判所又は裁判長と同一の権限を有する」とは、同法第一編総則中証人尋問に関する規定が第二百二十七条の請求を受けた裁判官のなす証人尋問に当然に準用される意味であるから、例へば当事者の立会権、尋問権を認めた同法第百五十七条の規定は、右の証人尋問の場合に当然に準用さるべきものである。然るに、第二百二十八条第二項は捜査上の必要を理由として第百五十七条の準用を排除しているのである。第二百二十八条第二項の文理解釈は第百五十七条の準用を排除しているものとするの外はないのである。

茲において右の第二百二十八条第二項の違憲性を問題としなければならない。蓋し、起訴前の強制処分によつて拘禁された被疑者が弁護人を依頼することができても、その弁護人からは単に勾留理由開示の手続をしてもらへる程度と云うのでは、殆んど意味をなさないわけであり、前述の如く、その以外にも自らの防護のため弁護人の援助を受けることができるものとしなければ、憲法の保障する基本的人権は有名無実のものとなつてしまうからである。だからと云つても、公判の前段階をなす捜査の性質に鑑み、捜査機関の行う参考人等のすべての取調に、被疑者、弁護人の立会権と尋問権とを要求することができるものとするのではない。それらの供述調書は、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号又は第三号の書面たるにとどまり、これらの書面に対しては公判においてその信頼性を衝く機会が与へられているからである。然るに、同じく捜査の段階においてではあつても、同法第二百二十七条の請求を受けた裁判官のなす証人尋問調書は、同法第三百二十一条第一項第一号の書面に該当し、証拠能力の強度において捜査機関の供述調書と格段の差異があり、公判中心主義及び直接審理主義の例外をなすものである、のみならず捜査機関によつて同法第二百二十七条の請求が濫用されるときは、予審制度の復活する危険さへも存するところである。故に裁判官のなす証人尋問には、被疑者又は弁護人に立会の権利を有せしめなければ憲法の趣旨に副わないものと断ぜざるを得ないものと云うべく、従つて刑事訴訟法第百五十七条の準用を排除して「裁判官は捜査に支障を生ずる虞がないと認めるときに限り、被疑者又は弁護人を証人の尋問に立ち会わせることができる」ものとしている同法第二百二十八条第二項の規定は憲法に適合しないものと思料されるのである。

唯この点につき、なお検討の余地があるのは、刑事訴訟法第二百二十七条の要件が、捜査権関の取調に際して任意の供述をした者が、公判期日においては圧迫を受け、前にした供述と異る供述をするおそれありと認められる場合とされているから、裁判官のなす当該証人の尋問に被疑者の立会権を認めることがどうであろうかの問題である。然し捜査の遂行上支障なきことを所期する刑事訴訟法の保障規定(第百九十六条参照)は訓示規定であり、憲法の保障する基本的人権がその優位におかれなければならないことは、憲法の解釈上当然のことでなければならない。従つて右の問題はもとよりこれを積極に解すべきものである。但し、刑事訴訟法第二百二十七条の請求を受けた裁判官が証人の尋問をなす場合に、被疑者を立会わせなくとも、その弁護人を立会わせるにおいては、憲法上の要請は最少限度に充たされることとなる。

この意味において、被疑者大西に対する殺人未遂被疑事件につき検察官の請求による松山簡易裁判所高橋裁判官が昭和二十五年十月二十五日証人福岡春良の尋問をなすに際しては、被疑者大西は兎も角としても、少くとも弁護人を立会わせて反対尋問をなすの機会を与へねばならなかつたところである。本件記録に徴するに、被告人大西は右被疑事件の被疑者として逮捕拘禁され、同年十月十八日、弁護士山本将憲、白石近章及び宇和川浜蔵の三名を弁護人として選任届出をしていることが明らかである。然るに高橋裁判官は、右の証人尋問に被疑者大西を立会わせなかつたばかりでなく、一名の弁護人すら立会わせなかつたのである。即ち、高橋裁判官の証人福岡に対する証人尋問調書は、憲法に適合しない。刑事訴訟法第二百二十八条第二項を誤つて適用した違法の調書であり、証拠能力を有しないものである。原審第十回公判調書を見ると、弁護人が右の証人尋問調書を証拠とすることに同意しているが、かかる同意によつて調書の違法性が治癒されないことは勿論のことであり、この違法の調書を本件の罪証として引用している原判決は、訴訟手続に法令違反があるものと云うべく、その違反は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

上敍の理由により、原判決は、刑事訴訟法第三百七十九条に規定する事由があり、同法第三百九十七条により破棄されなければならない。

弁護人皆川治広、同小野清一郎の控訴趣意

第一点原審第一回公判調書によれば、検察官はその冒頭陳述において昭和二十二年八月十三日栗木久嘉が梶原勘一を刺した当時、その捜査中栗木のした供述が奇妙な不自然な供述で信用ができなかつたのであるが、栗木ががんばるので単独犯として起訴したことを述べたのに続いて「当時に於ても捜査当事(局の誤か)では現に被告人大西弘が栗木の背後にありと睨んでいたし、世間にも伝えられ、之を気にしたものか大西は南海タイムスに云い訳が載つていたのである(云い訳を載せていたの意味と解される)」と陳述している。これは栗木の犯行が単独の犯行でないこと、しかも現在の被告人大西がその共犯であることはその当時すでに知られていたといふ意味の陳述であつて、明かに裁判所に事件について偏見又は予断を生ぜしめる陳述である。当時捜査当局が一応の嫌疑をもつたこと、又それが世間に伝はつたことは、或は事実であるかも知れない。しかし、それは証拠調のはじめにおいて陳述すべきことではない。そうした捜査当局の一応の嫌疑や世間の風評などは法律上証拠とすることができないものであり、又検察官においてもその証拠調を請求する意思は勿論なかつたのである。かように証拠とすることができず又証拠としてその取調を請求する意思のない資料に基いて、裁判所に偏見又は予断を生ぜしめる虞のある陳述をすることは明かに刑訴第二九六条に違反するものである。しかもこの法令の違反は本件審判の運命に決定的な影響を及ぼす重大な法令の違反がある。原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。

第二点原判決は、理由第二、証拠説明において、「先づこの事件の概要と特殊性について略説する」と冒頭して、栗木久嘉に対する確定判決によつて認められた同人の犯行が同人の単独の犯行であることに疑を挾み、検察官の本件起訴となつたことが相当根拠あるものであるかの如き口吻をもつて縷々事件の経過を敍述している(しかもこの部分について一も証拠を示していない)。これは裁判官が審理にさきだつて或る予断を懐いていたことを示すものである。更に、「この事件の審判に当り考慮せねばならぬこと」として説示している部分も、「犯行は昭和二十二年八月に行はれ、その後三年有余を経過し本犯である栗木の刑事事件は同人の単独犯行として結末を見たがために物的証拠が殆ど滅失したのみならず」云々と、あたかも栗木に対する確定判決が誤であつたことを予定しているものの如くである。これによつても原裁判所が予断を以てこの事案に臨んだことが窮はれるのである。新憲法第三七条にいはゆる「公平な裁判」の保障はここに全く裏切られているのである。そうして又これは新刑訴における公判手続の基本精神に反するものであることも明瞭である。しかもこれが判決に重大な影響をもつ事項であることは言ふを俟たない。かような予断にもとづく原審の判決は違憲違法のものとして破棄されなければならない。

弁護人宇和川浜蔵、同白石近章の控訴趣意

第二点原審は訴訟手続に於いて明らかに判決に影響を及ぼす法令の違反がある。

原審訴訟記録中第二回公判調書(昭和二十五年十一月二十一日開廷)に「後に提出する証第十六号の一、二乃至証第三〇号(栗木久嘉から妻君子宛の手紙)を証人に示した上、問、これ等の手紙は証人の出したものか、答、全部私が出したものに相違ありません、問、この中誰かに代筆して貰つたものもあるか、答、中に大橋と越智に代筆して貰つたものもあります、問、証人自身が書かれたものはどれか、此の時下田主任弁護人は、検察官は内容迄も説明した上で証人に示すのは一種の証拠調であるから異議を申立ると述べた。村上検察官は証人に内容の概略を云つて確認させているのは成立を明かにする為であると述べた。裁判長は合議の上弁護人の右異議申立は却下すると決定を宣した。下田主任弁護人は手紙を出して彼之選択することは五官の作用により物の存在等を実験する検証であるから証拠決定後為さるべきであり法上違法の見解を持つて居ると述べた。裁判長は手紙を見ていない。従つて検証ではない証人が手紙を出したかどうかと云う点の証言を求めたものであるから適法だと認める。この手続が違法か否かは上訴審が判断する旨告げた」とあり、其の後前記の方法をもつて更に証第三十一号乃至四十七号(栗木君子から栗木久嘉宛の手紙)其の他を法廷に顕出した。其の後第五回公判調書(昭和二十五年十一月二十五日開廷)によると検察官側証人の取調を全部終つた後、右栗木久嘉同君子間に交された右信書が初めて証拠として提出せられ弁護人の異議にも拘らず受理せられ証拠調が施行せられたことが明かにされている。

然しながら、訴訟法は原則として同意が得られない書面は法廷に顕出することは許されないのである。しかるに、弁護人の異議申立に拘らず、原審は如何なる訴訟法の解釈の上に立つのか不明であるが右異議を却下した。その結果弁護人並に被告人は第五回公判まで前記手紙の内容並形状を知る機会もなく、従つて有効に反対訊問を行う手段が与へられなかつたのである。原審裁判所としては、前記第二回公判期日に於て栗木証人に対する検察官側の訊問が終了した際検察官をして前記信書は之を証拠として提出せしめ証拠決定を為したる上弁護人側に同証拠を利用せしむべきである。しかるに、ことここに出でず、元来証拠能力なき右信書を証拠として採用したのであつて、右訴訟手続の違反は同信書に関する事項に至つて、証人栗木久嘉に対する反対訊問の機会を奪つたものといはなければならない。従つて右訴訟手続の違反は明かに判決に影響を及ぼす場合である。

弁護人村上常太郎控訴趣意

第一点原判決は被告人大西弘を有罪と断ずるの証拠として証人栗木久嘉同君子高本徳一渡部朝隆等の原審証言並に福岡春良に対する刑訴第二二七条による松山地方裁判所栄枝裁判官作成の訊問調書を援用したり、然れども原判決は信を措くに足らざる供述を軽信し重大なる事実誤認を敢てしたるの不法ありと思料す。

原判決援用の各証拠につき列挙検討せんに被告人大西弘が栗木久嘉をして該犯行に出でしむべく同人を教唆したりとの事実関係の直接証拠は栗木証言の外なきところなり、栗木の妻君子同人の情婦菊池フミ子渡部朝隆等の其の証言は大西被告人が栗木を教唆したりという点に関し独立性を有するものにあらずして伝聞証言であり栗木の証言に従属するものなり、栗木の証言倒るれば全部悉く光を失ふ立場にあるものと思料す、栗木の証言中の大西が六法全書を見つつ栗木に「お前の身体を呉れ田中をやつて呉れ」と言へる際には大西と栗木の二人のみなりしといふことは栗木の繰返し証言せるところなり、栗木は又「八月十二日成松方へ行きしに相手が変つたと申せるより共に大西を来訪したるに大西は相手が変つた梶原をやれと申向けたるが其の話の場に傍聴者ありしや否や記憶せず」と証言せり、斯くの如くにしては教唆の事実関係は栗木の証言を以て立証する外直接証拠は存在せず、証人渡部朝隆福岡春良栗木君子栗木の情婦菊池フミ子等が栗木より聞きたりといふ所謂伝聞証言をなしたりとするもそれ等は総て栗木証言の内容の反映にして栗木の言ふ事が虚偽ならば悉く消え去る関係にあるや言ふを俟たざるところなりとす、かかる捜査は至言ならずとも謂はば放射線捜査とも名付くべきものにして恰も太陽と其の光線との関係に於けるが如し、軍艦旗は中央に赤く丸々と太陽を描きそれより赤色の放射線を描きて日の出づる国日本を象徴せるものなるが其の中心点たる太陽が赤色なると同様この足たる光線が赤色なるは太陽が赤い光を発するが故に赤色を呈するものにして中央の太陽が光を失し黒色とならば其の足放射線は期せずして悉く黒色となる必然の運命にあるものにして誠に危険なる捜査なりと謂ひ得べし、詢にかかる捜査には甚しく危険を伴ふものなる故又過去に於て其の弊害を多々経験せるが故に伝聞証言に関する刑訴第三二〇条及び同法第三二四条第二項の規定が設けられたるものにして該立法は故なきにあらざるなり。

かかるが故に先づ大西被告人の供述と栗木証人の証言を比較検討するの要ありと思料す、凡そ嘘言を弄する人の言常にそれが虚偽なりとは断定し難し、其の言や時に真実を語る場合あり、然れども其の習癖ある人の陳述を直ちに措信すべきものにあらざるは謂ふを俟たず、この習癖ある人は容易に嘘言を弄し且つ其の反復累行は之に巧妙さを加ふるに至るものとす、検察官は原審に於て栗木証人が嘘言を弄せざる人間なることを立証せられしや又大西被告人にこの習癖あることを立証せられしや栗木証人にこの習癖のあることは同人の前歴に詐欺恐喝あり加ふるに原審に於て河合証人松岡証人西崎証人等の証言により完全に立証せられたるところとす、而も栗木自ら自分は巧妙に嘘言を弄するものなることを立証せり、そは何ぞや、曰く本件に於ける栗木の証言と栗木に対する梶原暗殺被告事件に於ける同人の供述とを比較検討せば二者動機の点に関し相反するところあるを見る、栗木自身に対する殺人事件に於ける供述が真ならば大西被告事件に於ける証言が嘘偽なることいふを俟たざるところとす、人間のオピニオンは幾つも存在し得るもファクトは唯一のみ、然らば栗木は同人が嘘言を弄することを自ら明言したるなり、以上を以てすれば栗木の証言を採用するにつきては之が真なりとなすべき相当なる裏書証拠なかるべからず、然るにこの裏書証拠に就ては見るべきものなし、本件証拠関係に於て栗木の証言を真実なりと裏付する資料としては前述の如く嘘言を弄する習癖を有する栗木より伝聞したりといふ証人栗木の妻栗木の情婦渡部等の証言あるのみ、栗木が何等かの目的ありて大西弘に関し虚偽の事実を流布したりとせば前掲伝聞証言が事実に該当せざるものなることいふを俟たざるなり、故に本件教唆事実の有無についてはあらゆる角度より検討すべきものなることを信ず。

(二) 次に原判決援用の高本徳一の証言を検討せんに刑訴法第二二七条は同法第二二三条第一項の規定による検察官の任意の取調に際して任意の供述を為したるものなることを条件とす、この二つの任意をその要件とす、任意の取調を前提とすることは刑訴法第二二七条には刑訴法第二二三条第一項の規定による検察官の取調に際してと記載せられ其の第二二三条第二項には刑訴法第一九八条第一項但書及び第三項乃至第五項は第二二三条第一項の場合に之を準用すと明規せらる、而して其の刑訴法第一九八条但書は「出頭を拒むことができる」とか「何時でも退去することができる」とかの権利を明規す、即ちこの刑訴法第二二七条は任意捜査の場合に於て(強制捜査に非ず)任意の供述をなしたることを要件とするにあり、而して之に加ふるに犯罪証明に不可避なることの疏明と公判期日に其の者が圧迫を受くるおそれある疏明あること、この二つの要件を具備する場合茲に始めて刑訴法第二二七条が運用せられるるなり、即ち強制捜査となり裁判官の証人訊問となるなり、而して強制の処分なるが故に旧刑訴法第二二五条の立法せられたる時と同様之等の条件の厳守せらるゝことを条件として成立したる条文なることも亦明かなるところなりとす。

これは過去に於て吾人の経験せし如く時に司法警察官が国民を威圧して供述を求め調書をとる、検察官が之を土台として調書をとる、斯く繰返す中後の裁判に誤りを来す場合あり事実誤りを起したる事例もあり危険なるが故に人権保護の為この第二二七条に於て四つの条件を附したる所以なりとす、故に任意の取調に際して即ち任意の捜査を前提とし強制力の加はらざる自由なる心にて述ぶるものなるが故に間違は起らざるべしと前提して第二二七条に強制の証拠保全を認めたることいふ俟たざるところとす。

然るに原審法廷に於て高本は何と証言せるや、当初呼び出さるゝや古き傷害罪に依り十日間拘留、次に殺人未遂事件により引続き拘留せられ合せて二十八日間の拘留、又本件殺人未遂容疑者として拘留せられてよりは時折栗木立会の上被疑者として取調べを受けたるなり、之は任意捜査にあらずして拘留したる被疑者に対する強制捜査なり、尚さきに附加せる如く栗木と対質せしめ栗木が「早く言つて帰してもらへ」或は「あゝであつたろう、こうであつたらう」との誘導せる取調ありしと証言したり、更に村上検事が「酒を飲んだらよからうと言つた」と証言せり、村上検事は「左様なことは言はぬ、君の考違いだ、思ひ違いではないか」と高本の記憶喚起につとめられしも高本は「あなたは斯くの如く言つたので私は左様なことをして貰つてはとお断りした位であり思ひ違いはない」と主張して譲らさりき、村上検察官が左様申向たるや否やは別論として渡部事務官が高本に飲酒せしめたる事実は高本の供述のみならず、酒を竹輪の肴にて飲ませしことは西崎証人の証言によりても確定し得ることゝ思料す、彼高本の経歴には酒の為に自分の会社の工事ならぬ他社の工事に一日費したる大失敗を演じたることのある人物なることは大西の反対訊問により立証せられたるところなりとす、高本の証言を以てすれば飲酒の上にて取調べを受けたる事実は認め得らるゝところとす。

高本の証言によれば生れて始めての刑務所住ひ(其の期間二十八日間)十一月二十二日の公判に於ける証言は其の拘留期間中其の家族に対する苦悶の如何ばかり甚大なりしかを物語りしなり、かゝる強制捜査に尚栗木立会の上取調べの結果生れし高本の供述が任意供述と言ひ得るや、而して釈放せんとするにあたり「裁判官の調べがあるから下に待つて居れ」と言はれ、それが十二時頃なりしが、更に二時頃より裁判官の取調べを受けたり」と証言せり、然るに既に釈放せるよりもはや之を第三者なりしとなし「一寸待つて居れ、裁判所が調べるから」とて留置き検察官が其の被疑者として強制捜査により得たる結果即ち内容を刑事訴訟規則第一六〇条により訊問事項として書上げそれに基き刑訴法第二二七条により裁判官の訊問を求むる行為は反法行為であり、かゝる捜査は検察の常道にあらずして邪道にあらざるか、刑訴法二二七条は任意捜査と任意供述を前提要件となせるやいふを俟たず、其の直前まで被疑者として拘束し繰返し取調べ得たる供述を其の直後に裁判官に第三者証人関係として訊問を求むる如きは刑訴二二七条要求の任意捜査に際してとの条件を充し得るものとなすべきや、何時、何処にて高本に対する検察官の任意捜査ありしや、この捜査に就ては国家治安維持を目的とし正義をモツトーとする検察庁の処置として甚だ遺憾に感ずる次第なり。而してかかる事情を知らざる裁判官は同人に宣誓せしめて訊問事項につき証言を求め更に公判に於ては宣誓して証言をなさしむる前証言に反する供述をなせば偽証訴迫の虞あり頭に病を持つ高本には前の約一ケ月間の刑務所の経験もあり検察官に申したる通りの供述をなさゞれば再び拘留を受くるやの心配もあり裁判官に其の通りの陳述をなすの惧れ多分に存す、原審法廷に於ける自由なる意思に於て証言することに対し相当の威圧とはならざりしか、検察官こそ威圧を加へたる結果を醸成しあらざるか。

飲酒、其の点に就て裁判長は「取調中の者が酒を飲んだといつて別に公判進行に支障はない問題は酒を飲まうと飲むまいと公判廷での証言が真実かどうかといふことが裁判官の注目するところである」と述べられたり、此の点は翌日の新聞にも掲載せられたるところなり、右は刑訴第三一八条自由心証主義を述べられたるものと思考す、翌日の愛媛新聞には岡本検事正談として「薬として飲ました」と題し「高本証人は法廷での証言通りアルコール中毒者で取調中活気が失せ証言がとれなくなり薬用として飲ましたもので気嫌をとつて言へ言へといつたものでは全々なく薬用として飲ましました」との記事掲載せられあるを見たり、猶ほ県病院長西村氏の談として「アルコール中毒者は酒を飲まないと一般に人格が崩れてしまふ、記憶力認識力が減退し話してゐる相手の認識を欠くこともあるが、これは余程の重症で日本には稀にしかないだらう云々、ある中毒者を常人として取扱ふかどうかは酒は人により用量が異り、アルコール中毒になつた期間にもよるから判然としたことはいへない」との記事が掲載せられあるを見たり、この専門家の言ふところによれば其の中毒の程度は酒の量によることであるが故に高本証人の飲みし酒が薬代りの役を努めたるや否やは容易に断定し難しとの結論に到達すべし、高本の鑑定を前提とすべきものと思料す。

敗戦直後外人が「日本人は奥深きとばりの中で霞を喰つて生きてゐる人間である」といへることを以て評したることあり、これは戦争中今にも神風吹くべしと物量並に科学に於て敗るゝとも精神力、大和魂にて勝つべしといへるが如き抽象的、観念的な考へ方をなしゐたる吾等を評したるものなるが、高本の飲酒につき右と同様に薬代りに飲ませたりとの主張は非科学的なる主張にあらざるか、飲酒後高本証人の検察官取調べに於ける口が軽くなりしといふ其の態度のみにて酒の力を以て普通人に帰らしめたりと前提し決めてかかることは稍々非科学的なる考へ方には非るか、病院長の言の如く酒は人によりて用量異り「アル中」になりし期間にもよるが故に鑑定せざれば適量を知るに由なく詢に困難なる問題なりと思料す、本弁護人の浅墓なる法医学の知識をもつてするも中毒者の態度のみにて証言の確実性を決定することは甚しく危険の伴ふものなることを惧る、之に関する権威者クレベリンの酒精と精神作用に関する研究を見るに、アルコール中毒者ならずとも酩酊せる人の精神作用には早期性反応を起すものであり、何でもなきことを錯覚する場合多しと謂はる、宴席にて屡々起る喧嘩はこれによるものにして酩酊者は余人が些々たることを言ひ居るに之を錯覚し文句をつけ喧嘩となる場合多々あるを見る、之はその早期性反応に基因するものなりとの説明あるを見る、尚中毒者の中には病的酩酊あり其の中には酒客檐妄と名付くるものあり、之は其の飲む分量により其の態度が種々変化し妄覚を見るに至る事例あり(小南又一郎著「法医学」)斯くの如くアルコール中毒者には種々の精神異状を生ずるものなるが故に薬代用として飲ませたるものなるが故に、これにより普通人となり普通人同様宣誓を守り前の検察官の強制捜査による供述には拘束されず普通人同様供述したりとなし証明力ありとなすは非科学的且つ非合理的なる採証方法にはあらざるか。

これ等の点を除きても強制捜査の結果得たる供述を更に其の直後其の供述により検事作成の訊問事項を呈示して裁判官の証人訊問にかけて裏付けをなし、更に原審法廷に於て前に取調べたる検事の面前に於て証言を求むる場合而も其の証人が飲酒せる者なる場合その証人の原審法廷に於ける証言は心証形成上何等の危険をも伴はざるや裁判官は之をもつて採証に安全なりとなさるゝや。

以上をもつてすれば高本の証言をそのまゝ認容するは採証の法則に反せざるや。

次に又福岡春良証人に関する捜査に於ても検察庁は同人を被疑者として拘留の上取調べをなしたるが之又強制捜査にして高本同様裁判官の訊問を求めしは刑訴第二二七条に背反する行為なりと思料す、更に又前掲違法の強制捜査により生れたる(原判決援用の)福岡春良に対する裁判官の訊問調書記載に於ける矛盾を指摘せんに、答「私が大西方へ行つた際同人は座敷十畳の間に居り云々(中略)大西が茶の間の横の廊下を通りかゝり私達に「今度は随分検事局でしぼられた、高橋検事に取調べられてゐた際梶原から電話がかゝり自分の事件のことを何か話してゐたが云々」と言ふて居りました」とあり然れ共右茶の間の廊下は当時存在せず一昨年頃家屋増築の際附置せられたるものなることは一見明白なるところにして(該廊下の検証申請の予定)既にこの点につき真実に添はざる点あるのみならず前掲記の「電話がかゝり自分の事件のことを何か話してゐた」とあるも該電話は梶原の妻より立石検事の宿所を問はんが為のものにして(梶原澄子の証言)且つ受話機はその取調室内に存在せず給仕が梶原より電話を告げ検事が取調室を出で行き受話したる事実にして電話の内容を聞くに由なき関係にありて春良の証言にあるが如く、自分の事件のことを何か話してゐたのを漏れ聞きたりといふ事実関係にあらざるなり、更に、問「成松方ではどんな模様であつたか」答「私と栗木と成松の三人が成松方の座敷でコツプ酒を飲み(中略)其の帰る直前の飲酒中成松が私に対し「今度栗木がやることになつた」と申しました(下略)」問「梶原に対し暴行でもするように聞きとれなかつたか」答「私が其の話を聞いた時には(中略)何人に対してするのか判からなかつたのですが今日考へて見ると梶原に対してやるといふ意味であつたものと思ひます」との記載あり、而して同調書の最終問答より一つ前の問答に於ては問「其の際の状況はどうか」答「私は前述(中略)四五日目に栗木が私を同競馬場に訪ねて来て松山市発行の愛媛新聞を示し、愛媛県にもこんなことがあつたと申しました。私は其の新聞を読むと梶原が誰かに刺された記事が載つてゐたので(中略)栗木に対して「どうしてやつたのだ」と尋ねますと栗木は「親分のことでやつた」と言ひました、栗木はそれだけ言つただけで「親分のこととはどういふ意味」か「あたつて」見ませんでしたが大西のことでやつたのだらうといふ風に想像しました」との記載あり、然れ共栗木の親分が亡高橋喜一であり大西弘と栗木久嘉とが親分子分の関係にあらざること並に大西に対し栗木の用ひる呼び名が親分なる語句」にあらざることは栗木の原審証言に徴せるも明々白々なるところとす、何すれば「親分のことでやつた」と聞乍らこの「親分」とは大西ならんと想像するに至りしや、本訊問調書を検討せば三年前の事実につき福岡証人に対し前段に於てその当時の推測想像を誘導して陳述せしめおき更に之を基礎として理屈攻なる訊問ありしため、斯くなりしにあらざるやの疑問存す、然らざれば親分のことでやつたと聞ける福岡が大西のことに関せるならんと想像したりとは矛盾も甚しといふべく現に原審証人高本徳一は同人の調書第二十問答に於て、問「酒を飲んだ場所は」答「其の時酒を飲んだのは成松方でありました」第二十八問答、問「証人はその時栗木がやると聞きどんな感じを得たか」答「栗木は親分の高橋喜一が殺されたとき解剖のしかたが悪いとか検屍のしやうが悪いといふて梶原のやつたことに不服を言つて居りましたので、それでやつたのだと思ひました」と証言し居るところなり、尚又西崎証人の原審に於ける当時やくざ界では栗木が梶原をやらねばとの風評ありしとの証言並に河合ミツの原審に於ける「栗木から高橋親分の為に仇討をする趣旨の話ありし」との証言及び栗木君子の事件について司法警察官に対し陳述せる聴取書記載をもつてすれば福岡春良の証言は全く揣摩臆測にかゝり居り非合理的且つ矛盾あることが認められ、該証言は措信し得べきものにあらざるなり。(福岡春良「原審当時所在不明のため直接訊問なし第二審に於て直接訊問を申請する予定」)

西崎助市、国重リエ並に前掲証拠関係よりすれば栗木が高橋親分に対し又やくざ界に於ける自己の面目保持のため梶原を刺傷せんとするに当り、やくざ界に於て日頃懇親なる成松、井上がやくざ界の仁義として之を助勢したるに該犯行が栗木に対しては恥の上塗りとなり又自己の錯覚により梶原に苦痛を与へたるは申訳なしとの感想と其の苦悶は彼をして自分は高橋のために犯行に及びたりといへるも実は大西の為に犯行に及びしなりと知人に物語らんか、然らば自己の面目も保持せられ且つ将来大西よりの援助もあるべしとの意図を生み、之が策を構ぜるも却つて大西より疎外せらるゝに至り、一回は謝罪し(大森看守部長の証言)旧態に復したるも其の後更に又賭銭の借用を申し出で大西被告人が断固として拒否するや両名の間に大間隙を生ずるに至り、大西を敵視するに至りて大西の為に梶原を刺傷したりとの表白は大西に依頼せられて、と転化し虚偽なる教唆の場面を作為せんとするの余り通常人をしてまことに奇なりとの感を持たしむる場面を供述するに至りしにあらざるやと想定し得るなり、更に一件記録にあらはるゝ証拠につき仮に想像をなさんに、被告人大西の輩下井上、成松等が栗木久嘉が梶原医師に対し憤懣あるを知り好機として偶々被告人大西の日進産業事件につき梶原医師が策動せるものなりとの風聞ありたるにより一石二鳥の考慮より或は栗木を助勢して栗木のウツプンを散ずるに便乗し自分の盟主に忠誠の意を現さんと独断(成松方に於ける成松、井上等の会合)これをなしたるかを或は推測なし得んか、大西が直接関知したるに非るは勿論、被告人大西が教唆したりとなすには教唆の場面其の状況が余りにも非常識なりと考へざるべからざるに且つ栗木が成松、井上に受刑の交替を同人妻をして伝言せしめんとしたる点を綜合検討すれば前掲想定事実も或は推測し得られざるものにあらず、然るに栗木の供述以外に大西が殺人教唆なしたりとの直接証拠なき本件に於て前記の如き性格の持主にして大西を敵視する栗木の供述のみをもつて大西に起訴状記載の教唆ありとなすは刑訴第三三三条の要求を充たし得ざるものと思慮す。大西弘に対する有罪判決が彼大西の社会的生命の破滅なることは火を見るよりも明らかなるところとす、然るを本件の如く証人の証言の矛盾、予断ある捜査、違法なる捜査に眼を覆ひてかの教唆の点に関する直接証拠は詐欺恐喝の常習者なる前歴を有し大西を敵視する栗木の証言のみなるに、本件教唆の事実ありとなすは余りにも危険を包蔵し、正義の具体化たる裁判として国民之を納得すべしとなし得べきや。

起訴は犯罪の嫌疑あらば足る、然れ共刑訴第三三三条の要求は確実なる心証形成にあり「証拠の上に於て合理的疑問存する場合は、其の疑の利益は之を被告人に帰せ、百の有罪を逸するとも一の無罪を罰する勿れ」との法諺は其の意を表明戒告せるものなることいふを俟たざるなり。

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