大判例

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高松高等裁判所 昭和30年(う)359号 判決

判決理由〔抄録〕

刑法上の過失犯における過失とは注意義務違反である。

注意とは一定の対象即ち「蓋然性ある結果の発生」をはっきり認識するための必要な意思の緊張を意味するものであり、蓋然的な結果を回避するために意思を緊張せしめることであって、どこまでも回避することが目的で意思緊張はそのための手段にしかすぎない。注意義務とは法益侵害の危険を避けるに必要な意識・無意識の状態における用心深い態度であって、作為・不作為による一切の行為であると言える。その内容は漠然たる法益侵害の危険を回避すべき行為というが如き抽象的なものではなく、必ず具体的内容を持っているのである。それはそれぞれの社会環境において客観的に規定され個別的に具体化され、単に法令上の根拠あるものに限らず、共同生活における社会規範から見て条理・慣習・業務の性質上必要とされる一切の注意を遵守しなくてはならないのである。注意義務違反即ち結果回避義務違反を確定するためには、行為者の人格的能力が考慮され義務づけられた行為の可能性が肯定されなくてはならないのである。

結果回避義務違反はその行為の違法性を示すに止まり、その過失責任を肯定し得るためには行為者人格に由来する予見義務違反即ちその不遵守に基づくものでなくてはならない。結果の予見可能の場合でなければその者の過失責任を問うことはできないのである。予見可能性を問題とするときは、行為者人格に一般経験上期待しうる能力を中心として考察するのであって、現実行為者が用いた注意によっては結果を予見することができなかったが、合義務的或は適当な注意を用いたならば予見し得たであろうかどうかを問題とするのである。予見可能性は、行為者人格を基盤として一般的経験判断に相応することが必要であり、行為者の具体的状況からすれば予見不可能であったにしてもその人格体系が平素の努力の過程において、規範的に要求される如き無関心でない人格であったならば、一般的経験判断に照らし、予見できたに相違ないという場合にのみ認められるのである。

被告人佐伯公良は日本国有鉄道四国地方自動車事務所川之江営業所の旅客自動車の運転者として、被告人福岡好男は同営業所の自動車の車掌としてそれぞれその業務に従事し、その業務に従事中は公衆の利便及び安全の確保に務めなければならない義務があったところ、昭和二十八年四月十九日午後四時頃国鉄所有の一九四六年式いすゞ五一型の愛媛二ノ八一一三〇八号旅客自動車(定員三十七人)に乗客七十余名を乗せ被告人佐伯がこれを運転し、被告人福岡がその車掌として乗務し、愛媛県宇摩郡新宮村奥之院を出発して同県川之江市に向う途中、同日午後五時頃川之江市金田大字半田字平山のモクズ谷に掛かっている橋の手前約三十米の所で被告人両名は、プロペラシャフト(推進軸)が脱落して動力は車軸に伝わらず足踏みブレーキによる以外に同自動車を停車する方法がないことを発見したので、同自動車を同橋から約二十米進んだ幅約五米・約十五分の一の下り勾配・左側は山・右側断崖で約十九米下にモクズ谷がある道路上で同自動車を左側山手に接して止めこれを修理することになったが、その際同自動車は乗客で超満員であり十五分の一の下り勾配の地点であるから車輪に歯止めを掛けるだけで停車させて置くには、その歯止めを余程完全にして置かねば同自動車は重みでその歯止めを乗り越えて暴走する恐れがあるから、その足踏みブレーキの利いている間に先ず一応乗客全員を下車させてその安全を確保すべきであったのに拘らず、被告人福岡は同自動車内から持ち出した木製歯止め(長さ三〇糎幅一〇糎高さ八糎)一個を左後車輪に掛けようとしたが地形上困難であったので、これを右前車輪に掛け、これだけでは不安であったのでその附近山手にあった長さ二五糎高さ八糎の長方形の石一個を左前車輪に噛ませたのみで歯止めは完全であるものと軽信し、車外から足踏みブレーキを踏んでいた運転手の被告人佐伯に「歯止めオーライ」と合図したので、被告人佐伯も足踏みブレーキから静かに足を放したところ同自動車は動かないので、歯止めは完全と軽信し、下車して見ると、歯止めは後車輪に掛けてなく前示の状態であったので更に安全な処置を取ろうとしているうち、左前車輪の歯止め石は重みのために割れて、同自動車は歯止めを乗り越えて被告人両名が不注意にも降車させないで乗車したままにしておいた約六十名の乗客を載せたまま動き出したので、同車の前方にいた被告人福岡は驚いて同自動車に飛び乗りハンドルを左に切ろうとし、車外にいた被告人佐伯は歯止めを後車輪に噛ませ、同車の進行を阻止しその転落を防止しようとしたが、いずれもその効なく、同自動車は約十九米走って約十六米下の谷間に転落し、因ってその乗客藤井為恵をして頭蓋骨々折並びに脳挫滅・右肋骨々折により即死させると共に、宇摩郡関川村深川信義(当時二十五歳)に左右上膊部挫傷・右大腿部挫傷の全治約十日間を要する傷害を与えた外五十六名に原判決の負傷者一覧表記載(但し五三の福岡好男に関する部分及び四五の深川信義の傷害部位程度の部分を除き、「治療日数」とあるを「全治に要する日数」と訂正する)の通り全治約二日乃至二ヶ月を要する傷害を与えた

事実を認めることができる。

一 論旨主張の通り、被告人両名が本件プロペラシャフトの脱落を確認した後直ちに本件旅客自動車の進行を停止して全乗客を下車させることをせず、前示認定事実の通りモクズ谷の橋から約二十米進行した場所に車を止めたのは、適当な措置であって、原判決認定のようにこの点に過失を認めることはできない。また原判決は本件自動車を停車して置くに当り前車輪を十分左側の山手の方に向けておかなかったのは過失であると言うのであるが、諸般の情況上同前車輪を左側に向け得るにもその限度があり、その限度一杯に左に向けていたとしても、大して本件事故防止には役立たなかったものと認められるので、本件事故発生の原因たる過失として取り上げることはできない。国鉄自動車運転取扱手続にも定めてある通り、本件の場合自動車の歯止めは最も効果的に両側の後車輪に指定の歯止めを掛けてなすべきに拘らず、被告人福岡は左右の前車輪に、しかも左前車輪には指定の木製歯止めではなく、その附近にあった石塊一個をその脆くないかどうかに十分の注意を払わずして歯止めとして使用し、本件自動車には乗客が超満員であって歯止めに掛ってくる重さは相当大きいことに深い考慮を払わず、軽率にも、右歯止めは安全にできているものと思って、運転手の被告人佐伯に「歯止めオーライ」と合図したのであるから、被告人福岡はこの点において過失を犯しているのである。被告人佐伯は被告人福岡が下車して歯止めを掛けている間足踏みブレーキを踏んでいたが、被告人福岡が「歯止めオーライ」と合図するや、その踏んでいた足を静かに放し車が進行しないのを見て、歯止めは完全なものと軽信し、運転者席を離れて、乗客を車内に残して下車したのであって、この点に過失がある。現に被告人佐伯は下車して歯止めの状況を見てその安全でないことを直観して後車輪にも歯止めを施そうとしていた際自動車は歯止めを乗り越えて進行し出したのである。本件自動車が歯止めを突破して進み始めたのは被告人佐伯が運転台を離れてから三、四分間後のことであったが同被告人は運転手として歯止めの状況を見ておらずそれが判らなかったのであるから、右運転台を離れて下車すると同時に本件自動車が歯止めの不完全なため走り出すこともなきにしもあらずとまで注意力を働かして然るべきであった。若し本件歯止めが安全でないと思ったならば勿論被告人両名とも乗客を全部下車させていたはずであり、被告人両名ともその歯止めの安全性を軽信せず先ず乗客全員を下車せしめてその安全を確保の上自ら下車すべきであったのに、かかる措置に出なかった点に過失がある。

<中略>

被告人佐伯公良は日本国有鉄道四国地方自動車事務所川之江営業所の旅客自動車の運転者として、被告人福岡好男は同営業所の自動車の車掌としてそれぞれその業務に従事し、その業務に従事中は公衆の利便及び安全の確保に務めなければならない義務があったところ、昭和二十八年四月十九日午後四時頃国鉄所有の一九四六年式いすゞ五一型の愛媛二ノ八一一三〇八号旅客自動車(定員三十七人)に乗客七十余名を乗せ被告人佐伯がこれを運転し、被告人福岡がその車掌として乗務し、愛媛県宇摩郡新宮村奥之院を出発して同県川之江市に向う途中、同日午後五時頃川之江市金田大字半田字平山のモクズ谷に掛かっている橋の手前約三十米の所で被告人両名は、プロペラシャフト(推進軸)が脱落して動力は車軸に伝わらず足踏みブレーキによる以外に同自動車を停車する方法がないことを発見したので、同自動車を同橋から約二十米進んだ幅約五米・約十五分の一の下り勾配・左側は山・右側断崖で約十九米下にモクズ谷がある道路上で同自動車を左側山手に接して止めこれを修理することになったが、その際同自動車は乗客で超満員であり十五分の一の下り勾配の地点であるから車輪に歯止めを掛けるだけで停車させて置くには、その歯止めを余程完全にして置かねば同自動車は重みでその歯止めを乗り越えて暴走する恐れがあるから、その足踏みブレーキの利いている間に先ず一応乗客全員を下車させてその安全を確保すべきであったのに拘らず、被告人福岡は同自動車内から持ち出した木製歯止め(長さ三〇糎幅一〇糎高さ八糎)一個を左後車輪に掛けようとしたが地形上困難であったので、これを右前車輪に掛け、これだけでは不安であったのでその附近山手にあった長さ二五糎高さ八糎の長方形の石一個を左前車輪に噛ませたのみで歯止めは完全であるものと軽信し、車外から足踏みブレーキを踏んでいた運転手の被告人佐伯に「歯止めオーライ」と合図したので、被告人佐伯も足踏みブレーキから静かに足を放したところ同自動車は動かないので、歯止めは完全と軽信し、下車して見ると、歯止めは後車輪に掛けてなく前示の状態であったので更に安全な処置を取ろうとしているうち、左前車輪の歯止め石は重みのために割れて、同自動車は歯止めを乗り越えて被告人両名が不注意にも降車させないで乗車したままにしておいた約六十名の乗客を載せたまま動き出したので、同車の前方にいた被告人福岡は驚いて同自動車に飛び乗りハンドルを左に切ろうとし、車外にいた被告人佐伯は歯止めを後車輪に噛ませ、同車の進行を阻止しその転落を防止しようとしたが、いずれもその効なく、同自動車は約十九米走って約十六米下の谷間に転落し、因ってその乗客藤井為恵をして頭蓋骨々折並びに脳挫滅・右肋骨々折により即死させると共に、宇摩郡関川村深川信義(当時二十五歳)に左右上膊部挫傷・右大腿部挫傷の全治約十日間を要する傷害を与えた外五十六名に原判決の負傷者一覧表記載(但し五三の福岡好男に関する部分及び四五の深川信義の傷害部位程度の部分を除き、「治療日数」とあるを「全治に要する日数」と訂正する)の通り全治約二日乃至二ヶ月を要する傷害を与えた

事実を認めることができる。

一 論旨主張の通り、被告人両名が本件プロペラシャフトの脱落を確認した後直ちに本件旅客自動車の進行を停止して全乗客を下車させることをせず、前示認定事実の通りモクズ谷の橋から約二十米進行した場所に車を止めたのは、適当な措置であって、原判決認定のようにこの点に過失を認めることはできない。また原判決は本件自動車を停車して置くに当り前車輪を十分左側の山手の方に向けておかなかったのは過失であると言うのであるが、諸般の情況上同前車輪を左側に向け得るにもその限度があり、その限度一杯に左に向けていたとしても、大して本件事故防止には役立たなかったものと認められるので、本件事故発生の原因たる過失として取り上げることはできない。国鉄自動車運転取扱手続にも定めてある通り、本件の場合自動車の歯止めは最も効果的に両側の後車輪に指定の歯止めを掛けてなすべきに拘らず、被告人福岡は左右の前車輪に、しかも左前車輪には指定の木製歯止めではなく、その附近にあった石塊一個をその脆くないかどうかに十分の注意を払わずして歯止めとして使用し、本件自動車には乗客が超満員であって歯止めに掛ってくる重さは相当大きいことに深い考慮を払わず、軽率にも、右歯止めは安全にできているものと思って、運転手の被告人佐伯に「歯止めオーライ」と合図したのであるから、被告人福岡はこの点において過失を犯しているのである。被告人佐伯は被告人福岡が下車して歯止めを掛けている間足踏みブレーキを踏んでいたが、被告人福岡が「歯止めオーライ」と合図するや、その踏んでいた足を静かに放し車が進行しないのを見て、歯止めは完全なものと軽信し、運転者席を離れて、乗客を車内に残して下車したのであって、この点に過失がある。現に被告人佐伯は下車して歯止めの状況を見てその安全でないことを直観して後車輪にも歯止めを施そうとしていた際自動車は歯止めを乗り越えて進行し出したのである。本件自動車が歯止めを突破して進み始めたのは被告人佐伯が運転台を離れてから三、四分間後のことであったが同被告人は運転手として歯止めの状況を見ておらずそれが判らなかったのであるから、右運転台を離れて下車すると同時に本件自動車が歯止めの不完全なため走り出すこともなきにしもあらずとまで注意力を働かして然るべきであった。若し本件歯止めが安全でないと思ったならば勿論被告人両名とも乗客を全部下車させていたはずであり、被告人両名ともその歯止めの安全性を軽信せず先ず乗客全員を下車せしめてその安全を確保の上自ら下車すべきであったのに、かかる措置に出なかった点に過失がある。

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