高松高等裁判所 昭和31年(う)43号 判決
弁護人の控訴趣意は記録に綴つてある同弁護人の控訴趣意書に記載の通りであるから、これを引用する。
要旨は論するに、原判決が公務執行妨害罪を認定したことに付いては特に言うぺきことはないが、殺人罪を認めたのは誤りである被告人は海上保安官を殺す犯意はなかつた、と言うのである。
本件記録を精査し、原審において取り調べた総べての証拠を検討し、これらに現われている諸般の情状を考慮するに
一、原判決挙示の証拠により
被告人はその妻ハマヱ・妻の兄古井甚一・甚一の妻ツル子と共に広島県三原市旭町三二七の瀬波小一所有の漁船幸福丸(七馬力機関附、二・七三トン)に乗り昭和三十一年二月十九日夜愛媛県温泉郡神和村の二神島西北方海上で、取か締りに違反して、海底に沈んでいた砲弾類の入つた箱四、五個・その空箱五、六個及び裸の砲弾幾個かを四つ目ぐわで引き揚げた後、同夜午後十一時五十分頃同二神島の西端南側の海岸から約五、六十米の海上で同漁船の錨を下し、同船上で火を焚いて休憩中、同漁船の東南方約二百米の海上に砲弾の密引揚の取締りのため来ていた司法警察員二等海上保安正平谷市郎その他乗組みの巡視船第三愛媛丸から漁船日ノ出丸が右幸福丸に近寄つて来て、日の出丸乗船の九名の海上保安官中一等海上保安士機関長で司法警察員の沢原正(当時二十二才)が幸福丸に移乗し、日の出丸は他の任務のためその場を立ち去つた。幸福丸に乗り移つた司法警察員たる海上保安官沢原正に被告人等が無許可で砲弾類を引き揚げた現行犯であることを知り、被告人等を取り調べるため幸福丸を右巡視船第三愛媛丸まで回航するよう命じたので、被告人は船首に行き錨を引き上げ、古井甚一がエンヂンを掛けて、同船は第三愛媛丸の方に向つて航行を始めた。幸福丸が約三十米進んだ時翌二月二十日午前〇時頃、被告人は右沢原海上保安官を海中に突き落して逃げるため、同漁船の中程右舷側に立つて左舷に向いていた右沢原に突然体当りを食わせて同人を後向きに一回転させて海中に落したまゝ同幸福丸を右転させて逃げ去つた。突然、短靴をはきズボン・作業服・首巻を身に附け、その上にオーバを着用したまゝで深さ約四・五米の海中に突き落された沢原海上保安官は持つていた懐中電燈を水面から上げて照らしながら大声で船長船長と叫び、第三愛媛丸に向つて救いを求めたので、同巡視船上から見張つていた木村船長と前示平谷保安官とはこれを見聞して同巡視船から天馬船を下してこれに乗つて行き沢原を救い上げたが、水泳の上手な同人も極度の疲労に陥つていた。
右事実を認めることができる。
一、原判決は右事実につき、被告人は沢原保安官を海中に投げ込めば同人が「或は溺死するかもしれないことを認識しながら敢えてこれを意にかいせず」同人を海中に投げ込んだものと認定しいわゆる未必の殺意を認めて殺人未遂罪の成立を肯定しているのである。
今更論ずるまでもなく殺人罪が成立するためには行為者に殺人の故意少くともそのいわゆる未必の故意がなければならない。未必の故意とは結果発生の可能性即ち結果発生の蓋然の大なることを認識しながらしかもその発生を認容する心的状態である。従つてその結果発生の可能性を認識しなかつた場合は勿論のこと、これを一応認識したにしてもその結果発生を認容したわけではなかつた場合(その結果は発生しないものとしてその行為に及んだのであつて、その結果発生が確実であつたと仮定したら、その行為をしなかつた場合)にも未必の故意を認めることができないのである。
本件において被告人は、その場から逃げたいばかりに前後の考えもなく、沢原海上保安官を漁船幸福丸から海中に突き落したものの、同人が早く現場附近にいた海上保安官に見附けられて無事救助されることを念願しこれを期待しながら逃げ去つたものであり、現実前示のように同海上保安官は救助せられたのである。同保安官が溺死してもかまわぬ気で、海上から助けを求めている同人を見捨てて逃げたとの趣旨を被告人が検察官に供述したかの如く思わせる記載のある被告人の検察官に対する供述調書が原判決の証拠に引かれているが、諸般の情況上、その部分の行文は技巧的であり率直ではなく動揺があり、誘導尋問によるものであることを思わせる供述記載であり、措信することができないのである。本件については、前示認定のような情況下における被告人の暴行の身体行動(意思活動に対する)のみによつては被告人の本件被害者に対する殺意を認定し難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。原判決が公務執行妨害罪の外に殺人未遂罪を認定したのは事実誤認である。
(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 渡辺進)