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高松高等裁判所 昭和33年(ネ)323号 判決 1959年6月15日

控訴人(附帯被控訴人) 松山市

被控訴人(附帯控訴人) 池田シマ

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

被控訴人の附帯控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共全部(附帯控訴に関する費用を含む)被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文第一、二及び四項と同旨の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人)代理人は、控訴棄却の判決を求めると共に、附帯控訴として、「原判決中附帯控訴人(被控訴人)敗訴部分を取消す。附帯被控訴人(控訴人)は附帯控訴人に対し金四十万円を支払え。」との判決を求め、控訴人(附帯被控訴人)代理人は、附帯控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、

被控訴人(附帯控訴人)代理人において、

(一)  本件第一次火災(昭和二十九年二月六日午後十時頃出火の分、以下同じ)の発見者は、訴外池田定子(池田勇の妻)であり、本件第二次火災(同年二月十三日午前五時半頃出火の分、以下同じ)の発見者は、訴外池田勇であるところ、控訴人(附帯被控訴人、以下同じ)松山市の本件司法警察職員等(巡査部長佐伯宗明、司法巡査天野正康、同鈴木俊男を指す、以下同じ)が、右各火災発見者につき火災発見当時の状態のみならず、火災を発見するに至つた縁由、経路等を詳細取調べるべきであるに拘らず、毫もその取調をしなかつたのは重大な過失である。若し右池田定子を取調べていたならば、第一次火災については同女に対し放火の疑をかけるに至るであろうし、また前記池田勇を詳細に尋問していたならば、第二次火災については同人に放火の疑が濃厚となり、松山市東警察署が被控訴人(附帯控訴人、以下同じ)に対し逮捕状の請求をなすことはなかつた筈である(因に第一次火災については、池田定子が夫勇の女遊びに手を焼き、夜は早く帰つていなければ留守中どんなことが起きるかも知れぬと思い知らせるため嫌がらせの放火をなすことが考えられ、第二次火災については、池田勇において、第一次火災が妻定子の放火であることを隠蔽するため、他人の放火と見せかけるために自ら放火することが考えられる)。

(二)  訴外池田勇は司法警察員巡査部長佐伯宗明に対し、「被控訴人が昭和二十九年正月頃法事の席上で池田勇方に対し反感を懐いているような意味のことを言つたことがある旨中村実より聞いたことがある」との趣旨の供述をしているのであるから、右佐伯巡査部長は当然右中村実を取調べるべきであるに拘らず、同人を取調べることなく被控訴人に対し逮捕状を請求した。しかし右中村実を取調べるならば被控訴人は池田勇を気の毒がりこそすれ同人を恨むべき立場になかつたことが判明した筈である。

(三)  訴外中田和夫は、前記住伯巡査部長の取調に対し、池田弘子との縁談の経緯につき一部始終を述べ、形の上では自分の方が断わられたことになつているが、実際は自分の方が嫌になつたのである旨述べているに拘らず、同巡査部長は右中田和夫の供述を全部録取していない(甲第十一号証参照)。右は、同巡査部長が被控訴人を本件放火犯人とするために、故意にその供述の全部を調書に記載しなかつたものである。

(四)  被控訴人の実妹橋本シナヨは前記佐伯巡査部長に対し、被控訴人が池田勇に対し中田和夫と池田弘子の縁談に関し恨みを懐くような筋合でないことを上申したにも拘らず、同巡査部長は故意に右橋本シナヨを取調べなかつた。若し同女を取調べて居れば被控訴人に本件放火の動機がなく、無実であることが判明していた筈である。

これを要するに、本件司法警察職員等は、本件各火災の放火犯人は他にあることを知りながら、被控訴人に罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があるように装い、裁判官及び検察官を欺罔して逮捕状及び勾留状を発付させて、被控訴人を不法に逮捕勾留したのであり、右は被控訴人松山市の公務員である本件司法警察職員等がその職務を行うにつき故意に被控訴人の自由及び名誉を侵害したものというべきである。仮に本件司法警察職員等に明確な故意がなかつたとしても、未必の故意があり、仮に未必の故意がなかつたとしても、少くとも重大な過失があつたものである。

と陳述し、

控訴人(附帯被控訴人)代理人において、

(一)  本件逮捕につき被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたか否かの判断は、被控訴人逮捕の日である昭和二十九年三月二日現在における捜査資料に基き、司法警察職員一般に要求される能力水準から判断されなければならないところ、本件放火事件の捜査に当つた控訴人松山市の本件司法警察職員等が、被控訴人を昭和二十九年三月二日逮捕するまでに有していた捜査資料は、巡査部長佐伯宗明、巡査天野正康、同鈴木俊男各作成に係る捜査状況報告書五通(甲第一、七、八、九、十号証)、池田勇の第一、二回供述調書(甲第五号証及び乙第二号証)、中田和夫、岡田好美、池田弘子、池田コサヨ、山本重雄及び池田秀一の各第一回供述調書(甲第十一号証、乙第一号証の一、乙第三乃至第六号証)であり、右各資料を綜合すれば、被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたものであり、本件司法警察職員等が右各資料により被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるものと判断したのは決して不合理ではなく、かく判断することにつき本件司法警察職員等に故意はもとより過失も存しなかつたものである。而して刑事訴訟法第百九十九条第一項にいわゆる「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとき」とは、左程濃厚な嫌疑がなくても社会通念上犯罪者たる可能性が相当強い程度に認められればよく、その判断は犯罪の種類、物的証拠の有無、捜査の状況等諸般の事情に鑑みて個々の事件毎に具体的に決するの外ないところであるが、本件の場合本件司法警察職員等は捜査の状況、放火事犯の特質等も併せ考えた上、前記各捜査資料により認められる間接事実を綜合して、被控訴人に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるものと判断して本件逮捕に及んだのであり、而も本件逮捕状請求書に添付された資料により裁判官もまた被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるものと判断して、逮捕状を発している以上、本件司法警察職員等が被控訴人に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断したことにつき、司法警察職員に要求される一般的注意義務を怠つた過失があつたものということはできない。

(二)  仮に被控訴人逮捕につき本件司法警察職員等に過失があつたとしても、控訴人松山市が被控訴人に対し賠償すべき損害は、被控訴人が逮捕されてから検察庁に送致される迄の間(四十八時間以内)に蒙つた損害に限られるべきである。

(三)  被控訴人の謝罪広告掲載の請求に対し、国家賠償法により国または公共団体に課せられる責任は、損害賠償のみであつて、名誉回復処分に及ばないものと解すべきであり(国家賠償法第一条第四条参照)、被控訴人の右請求は失当である。

と陳述し

た外原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

立証として、

被控訴人(附帯控訴人)代理人は、甲第一乃至第十一号証、同第十二、第十三号証の各一、二及び同第十四乃至第十八号証を提出し、原審証人池田勇(第二回)、同山内茂、原審並に当審証人山本重吉、同中田政一、同池田政太郎、同佐伯宗明(原審は第一、二回)、同中田和夫、同中村実、同橋本シナヨ、当審証人池田肇(第一、二回)、同池田繁一、同池田匡一、同池田ハツヨの各証言、並に原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果(当審は第一、二回)を援用し、乙号各証の成立を認め、

控訴人(附帯被控訴人)代理人は、乙第一号証の一、二、同第二乃至第六号証、同第七号証の一乃至三、同第八号証及び同第九、第十号証の各一、二を提出し、原審証人山内茂、原審並に当審証人池田勇(原審は第一回)、同佐伯宗明(原審は第一回)、当審証人谷本弘子、同山本重雄、同池田コサヨ、同岡田好美、同池田千代子、同池田定子、同天野正康、同鈴木俊男の各証言並に当審における現地検証の結果を援用し、甲第一乃至第十一号証及び同第十六乃至第十八号証の各成立を認めるも、爾余の甲号各証の成立は不知、甲第一乃至第十一号証を利益に援用す、と述べた。

理由

第一、火災の発生

昭和二十九年二月六日午後十時頃と同年同月十三日午前五時三十分頃の二回に亘り、松山市南江戸町千三百二十番地の第一、訴外池田勇方住家に火災が発生したこと(以下二月六日の分を第一次火災、二月十三日の分を第二次火災と称す)、第一次火災は右池田勇方本屋東側部分物置入口より発火したが僅少の炎上で消し止めたこと並に第二火災は同人方本屋の東南に近接する牛舎便所等の一棟の一棟南端から発火し、その建物とその東隣にあつた訴外池田泰三郎方の物置とが焼失したことは、いずれも当事者間に争がない。

第二、右火災は失火か放火か

成立に争のない甲第一号証、公文書であつて真正に成立したものと認められる甲第十三号証の一、二及び同第十四号証並に当審証人佐伯宗明の証言を綜合すれば、前記出火場所は控訴人(附帯被控訴人、以下同じ)松山市の東警察署の管轄区域に属していたものであるところ(当時新警察法施行前であつて、自治体警察当時)同警察署においては、第一次火災発生当時は格別捜査をしなかつたが、第二次火災が発生するに及び、出火場所(第一次火災の出火場所を含めて)につき十分調査を遂げた結果、両度の火災の出火場所がいずれも全然火気のないところであり、而も漏電の形跡もなく、また家人、近隣の者或は通行人等の火の不始末による出火と見られないような状況であつたため、前記二回に亘る火災は何者かの放火に因るものと判断して捜査を進めるに至つたことを認めることができる(以下便宜この事件を本件放火事件と称する)。

第三、被控訴人の逮捕勾留

本件放火事件につき被控訴人(附帯控訴人、以下同じ、明治二十五年三月十日生)が嫌疑を受け、昭和二十九年三月一日松山市東警察署警部西山道春(刑事訴訟法第百九十九条第二項による指定を受けた司法警察員)が松山地方裁判所裁判官に対し、被控訴人につき逮捕状の請求をなし、同日松山地方裁判所裁判官瓦谷末雄は被控訴人に対する逮捕状を発し、右逮捕状により松山市警察本部の司法警察職員巡査部長佐伯宗明、同巡査天野正康、同巡査鈴木俊男の三名(以下単に本件司法警察職員等と称す)が昭和二十九年三月二日被控訴人を逮捕したこと、次いで同年三月四日松山地方検察庁検事山内茂は松山簡易裁判所裁判官に対し本件放火容疑につき被控訴人の勾留請求をなし、同日松山簡易裁判所裁判官秋山正雄が被控訴人に対し勾留状を発し、同日右勾留状は執行されたこと(同年三月十二日前記検事山内茂は松山簡易裁判所裁判官に対し勾留期間延長請求をなし、勾留期間は同年三月二十三日迄延長された)、被控訴人は右逮捕状及び勾留状の各執行を受けて、昭和二十九年三月二日以来松山市東警察署及び松山地方検察庁において本件放火被疑事実につき取調を受けていたが、同年三月十七日釈放されたこと並にその後(同年五月二十四日)松山地方検察庁において被控訴人に対し嫌疑なしとの理由で不起訴処分の裁定がなされたことは、いずれも当事者間に争がない。

而して成立に争のない甲第十六号証(逮捕状請求書)及び同第三号証(通常逮捕手続書)に徴すれば、前記逮捕状請求書に記載された被疑事実の要旨は、「被疑者(被控訴人)は昭和二十八年五月頃松山市南江戸町千三百二十番地農業池田勇の長女弘子と愛媛県温泉郡小野村字平井農業中田和夫との縁談の媒介を進めていたのであるが、弘子の実母定子の反対により破談となつたため反感を懐くに至るようになつたところ、たまたま昭和二十九年正月頃弘子の縁談がまとまつたため非常に憤慨してその欝憤をはらそうと決意し、昭和二十九年二月六日午後十時半頃前記隣家である池田勇方納屋入口附近の藁に火を放つて住宅その他建物に延焼させようと企てたが、家人に発見せられ瓦葺納屋四坪位を焼燬したのみであつたので、これに満足せず更に二月十三日午前五時半頃再度池田勇の住宅に接続せる池田勇所有の牛小屋軒下に積み重ねてあつた麦藁へ火を放ち、現に人の居ない瓦葺小屋一棟を焼燬し、隣接せる松山市南江戸町千三百二十九番地農業池田泰三郎所有に係る瓦葺納屋六坪位をも延焼せしめ、以て放火したものである」というのであること並に右逮捕状請求に際し、逮捕状請求者は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由として、(一)火災発生の事実、(二)被疑者が縁談不成立に反感を懐いていた事実、(三)二月十三日の発火当時被疑者が被害者方と被疑者方との間に居たと認められる事実の三点を挙げ、(一)の事実の資料として、池田勇の供述調書(甲第六号証)と巡査部長相原一馬の実況見分調書を、(二)の事実の資料として池田勇の供述調書(乙第二号証)と巡査部長佐伯宗明の捜査状況報告書を、(三)の事実の資料として、池田弘子の供述調書(乙第三号証)、岡田好美の供述調書(乙第一号証の一)と巡査部長佐伯宗明の捜査状況報告書を添付し、被疑者の逮捕を必要とする事由としては、証拠隠滅の虞れがあることを挙げたこと明らかである。

第四、本件司法警察職員等が被控訴人に放火の嫌疑をかけるに至つた経緯及び理由

成立に争のない甲第一号証、同第七乃至第十号証、乙第十号証の一(以上いずれも捜査状況報告書)、乙第一号証の一、同第二乃至第五号証に原審並に当審証人佐伯宗明(原審は第一、二回)、当審証人天野正康、同鈴木俊男の各証言を綜合すれば、松山市東警察署においては、前記の如く本件二回に亘る火災を何者かによる放火と判断して、第二次火災の直後特別の捜査班を組織し、前記巡査部長佐伯宗明を捜査主任となし、その下に前記司法巡査天野正康、同鈴木俊男外二名の巡査を配属させて、本件放火事件の捜査に当らせたこと、右捜査班においては、被害者池田勇に対し恨みを懐いていることが考えられる客野健一(当時二十五年)、現場附近に落ちていた葉書の宛名人村上一夫、現場附近の居住者で放火の前科を有する山本泰、精神異常の風評のある池田美恵(当時二十三年、被控訴人の二女)その他附近の白痴者、浮浪者、通行人等につき内偵捜査を進めたが、いずれも本件放火の嫌疑が認められなかつたこと、然るところ佐伯巡査部長が昭和二十九年二月二十三日岡田好美を、翌二十四日池田勇を、また天野巡査が同年二月二十四日池田弘子を夫々取調べるに及び、(一)被控訴人が昭和二十九年二月十三日の朝(第二次火災の後)岡田好美に対し、「自分は昨夜は眠れなかつたので今朝四時頃に起きて表へ出て一廻りしてから床に入り、うとうとした頃池田弘子が火事だと騒ぐ声がするので表へ飛出したと語り、更に右弘子が路地に誰か居たのを見たというがそれは間違だ、同女があわてていたから人のように見えたのだ」。と話した事実、(二)池田弘子が昭和二十九年二月十三日の午前五時半頃(第二次火災の際)荷物を西隣の池田政太郎方(被控訴人宅)へ運んだ際、池田勇の家と池田政太郎の家との間に男女の別は判らないが人間が立つているのを見かけた事実、(三)昭和二十八年五、六月頃被控訴人の仲介で池田勇の長女弘子と中田和夫との間に縁談が進んでいたのであるが、池田勇の妻定子が反対して右縁談を断つたことがあること、その後池田勇方では池田繁一の仲介で右弘子を他へ縁付けることになり、嫁入支度を調えていたところ、被控訴人は内心それを快く思わず、池田勇方家族に対し皮肉めいた言を洩らしていたことがある事実が夫々判明し、その他佐伯部長が昭和二十九年二月二十五日取調べた池田コサヨ(池田勇の妻定子の母)、天野巡査が同日取調べた山本重雄の各供述(乙第四、五号証参照)からも、被控訴人の本件火災後における言動に種々不審な点があることが窺えたので、本件司法警察職員等は捜査当初においては全然捜査線上に浮んでいなかつた被控訴人に本件放火の嫌疑をかけるに至つたことを肯認することができる。

第五、本件逮捕当時被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたか否か。

刑事訴訟法第百九十九条第一項は「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときは、裁判官のあらかじめ発する逮捕状によりこれを逮捕することができる<但書省略>」と規定しているところ、右「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとき」とは、もとより捜査機関の主観的な判断では足らず、その者が罪を犯したことを疑うにつき客観的妥当性を有し合理的な理由が要求されるこというまでもないが、被疑者逮捕は犯罪捜査の段階においてなされるのであるから、逮捕に際しては、裁判所が有罪判決をする場合に要求されるような犯罪事実の存在を確信するに足る証拠の存在を心要としないのみならず、公訴を提起するに足りる程度の嫌疑までも要求されていないこと多言を要しないところである。また「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があることは逮捕の要件であると共に、逮捕状請求の要件でもあるところ、捜査機関が或者に対し逮捕状を請求し、またその者を逮捕するに際し、その者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたか否かは、捜査機関がその当時蒐集し得た資料に基いて判断しなければならないこともいうまでもない。

そこで本件の場合につき、被控訴人に対する逮捕状の請求がなされた昭和二十九年三月一日並に被控訴人が逮捕された同年三月二日当時において、果して被控訴人が本件放火を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたか否かにつき、当時迄に控訴人松山市の警察当局が蒐集し得た捜査資料に基いて検討することとする(なお本件火災発生後昭和二十九年三月一日迄に警察当局の得た資料にして、本件に証拠として提出されたのは、甲第一号証、同第六乃至第十一号証、同第十三号証の一、二、同第十四号証、乙第一号証の一、同第二乃至第六号証及び同第十号証の一である)。控訴人松山市の司法警察員西山道春が、松山地方裁判所裁判官に対し被控訴人につき逮捕状を請求するに際し、被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由として挙げたのは、前記(第三参照)の如く(一)火災発生の事実、(二)被控訴人が縁談不成立に反感を懐いていた事実、及び(三)第二次火災の発火当時被控訴人が被害者方と被控訴人方との間に居たと認められる事実の三点であるところ、

(一)  本件火災が放火に因るものであること、

昭和二十九年二月六日の午後十時頃と同年二月十三日の午前五時半頃の二回に亘つて前記池田勇方において火災が発生し且つ右火災が何者かの放火に因るものであることは、前顕甲第十三号証の一、二及び同第十四号証(いずれも実況見分調書)、成立に争のない甲第一号証、同第七乃至第十号証(いずれも捜査状況報告書)並に成立に争のない甲第六号証及び乙第二号証(いずれも池田勇の供述調書)を綜合して、これを認めることができ、

(二)  被控訴人に本件放火の動機があつたこと。

(イ)  成立に争のない乙第二号証(司法警察員巡査部長佐伯宗明が昭和二十九年二月二十四日作成した池田勇の第二回供述調書)によれば、池田勇は「君または家族がシマ(被控訴人)に反感を持たれているようなことはないか」との問に対し、「それは何共言えません、と申しますのは娘の弘子を一時(昭和二十八年五、六月頃)嫁入の仲人をして貰うて居り、シマさん等の仲人で平井の中田和夫という男に話が進んでいたのを、私の妻が極度に反対し断つたことがあり、その弘子をただ今池田繁一の仲人で他へ嫁入させるようなことになつているので、それをシマさんは内心腹を立てては事につけ直接は申さぬが気分を悪くしているらしい。そんなことから女の浅はかな心から今度の火災もシマさんでないかと言うような者もあるが、事実をつかんでいないので何ともいえぬ。」と供述し、また「シマが何かそのことを洩した事実はないか」との問に対し、「本年(昭和二十九年)正月頃平井仲田に法事があり、その席上でシマさんが私方のことや弘子のことを言い出したことがあつた。弘子は一人娘だという支度をどんどんしているが、他家へはやらんとか若しもやるようなことがあれば何かにつけ邪魔をしてやるつもりだ、という意味のことを言うていた、と私の従兄弟に当る中村実から聞いたことがある」と供述していること明らかであり、

(ロ)  成立に争のない乙第三号証(司法巡査天野正康が昭和二十九年二月二十四日作成した池田弘子の第一回供述調書)によれば、池田弘子(池田勇の長女)は、「私の家が二度も火災に罹つたので、誰かが恨んでしたことと思われるが、もし恨みからの放火とすれば、西隣りの池田シマさん(被控訴人)が疑われる。それは以前私の縁談を断つてから、池田シマさんが私が着物一枚作れば、すぐに皮肉めいたことを言うようになり、また最近においては特にその皮肉がひどいようだつた。」との趣旨の供述をしたことが明らかである。

右池田勇及び池田弘子の司法警察職員に対する各供述に、成立に争のない乙第四号証により認められる池田コサヨ(池田勇の妻定子の母)が昭和二十九年二月二十五日前記佐伯巡査部長に対してなした供述をも綜合すると、被控訴人が昭和二十八年五、六月頃池田勇の長女弘子と中田和夫との縁談を仲介したことがあるところ、右縁談が弘子の母定子の反対により破談となつたことを不満に思つていたところ、その後池田勇方においては他の人の仲介により弘子のため別の縁談を進め結婚支度を調えていることにつき、被控訴人としては快く思つていなかつたことを認めることができ、被控訴人に本件放火の動機があることを一応窺うことができる。

(三)  本件第二次火災と被控訴人の行動について。

(イ)  成立に争のない乙第一号証の一(前記佐伯巡査部長が昭和二十九年二月二十三日作成した岡田好美の第一回供述調書)によれば、岡田好美(池田勇の妻定子の妹)は、「自分は昭和二十九年二月十三日の朝実兄の嫁の連絡により第二次火災を知り、池田勇方へ駈けつけたところ、既に火は消えていたが、妹や家族の者が気がかりであつたから探していたら、義兄の勇が姉等は西隣の政太郎さん方に居ると申したので、直ちに池田政太郎(被控訴人の夫)方へ行つた。ところが同人方に姉等は居らず、叔母さん(被控訴人のこと)が一人居たので「姉等は」と尋ねたところ、叔母さんは「前へ(池田盛雄方の意)行つているのじやろう」位の返事であつたた。そこで池田政太郎方を出ようとした時、叔母さんが「ゆうべはなあ、どうしても眠れんので今朝も四時頃に起きて表へ出て一廻りしてから床に入り、うとうととした頃弘ちやんが火事だと騒ぐ声がするので、飛出したのよ、弘ちやんは路地に誰か居つたのを見たというているが、それは間違よ。あんな所に人が居るのが見えるものか。あわてているから人の様に見えたのよ。」など申した旨供述していること明らかであり、

(ロ)  前掲乙第三号証によれば、池田弘子は、「昭和二十九年二月十三日の午前五時半頃私は父の火事だという声で眼が覚めて、早速荷物を西隣りの池田政太郎方の方へ運んだ。その際私の家と政太郎さん方の家との間に人の立つているのを見かけた。その折は別に気にもとめていなかつたので男の人か女の人であつたかは記憶がないが、人が居たことには間違ない。その時はまだ近所の人は来ていない時であつた。燃えている場所はそれと反対の東の方であつて、その人がなぜその様な場所に立つていたのか不審でならぬ。その場所は普通人の通る所でもなく、またその附近には政太郎の家の外には家もない。」と供述していること明らかであり、右岡田好美及び池田弘子の司法警察職員に対する各供述を綜合すれば、被控人が第二次火災の発生直前に起き出でて屋外に出た事実を一応窺うことができる。

以上本件司法警察職員等が昭和二十九年三月一日迄に捜査によつて知り得た事実は、(一)本件両度に亘る火災が放火であること、(二)被控訴人が被害者池田勇方家族の者に対し同人の娘弘子の縁談に関連して快く思つていなかつた事実があること、(三)被控訴人が第二次火災の発生前起き出でて屋外に出たことがある事実の三点であり、被控訴人が本件放火を犯したことを証するに足る物的証拠は何等発見されて居らず、犯行の目撃者もなく、いわゆる直接証拠は皆無であつて、右事実のみによつては被控訴人が本件放火を犯したものと断定するにもとより程遠いものであるけれども、一般に放火事件はその証拠蒐集が極めて困難であることを考慮に容れると、右の如く被控訴人に本件放火の動機が考えられることと被控訴人が第二次火災の発生直前起き出でて屋外に出たことがあることの二点は、一応被控訴人が本件放火を犯したのではないかと疑わせるに十分であり、本件司法警察職員等が被控訴人に本件放火を犯した疑があるとして昭和二十九年三月一日前記司法警察員西山道春をして逮捕状を請求せしめ、翌二日被控訴人を逮捕したことを以てあながちこれを非難することはできず、その当時においては前記(一)乃至(三)の事実を以て被控訴人が本件放火を犯したことを疑うに足りる相当な理由即ち客観的にも一応首肯し得られる合理的な理由があつたものということができる(なお本件逮捕状の請求を受けた裁判官も、逮捕状請求書に添付された前記各資料により、被控訴人が本件放火を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるものと判断して、被控訴人に対する逮捕状を発したものと見なければならない)。従つて本件逮捕状請求並に裁判官の逮捕状に基く被控訴人逮捕が必ずしも不当または違法であつたと見ることはできない。

第六、本件逮捕状請求及び本件逮捕につき、本件司法警察職員等に故意または過失があつたか否か。

本件逮捕状請求並に本件逮捕は、その当時の捜査資料によれば、被控訴人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたものと見られること前叙説示の通りであり、本件にあらわれた各証拠を仔細に検討しても、本件司法警察職員等が、被控訴人に本件放火の嫌疑のないことを知りながら、故意に、殊に被害者の池田勇と通謀して、被控訴人を犯人にでつち上げ、前記司法警察員西山道春をして逮捕状請求をなさしめた上被控訴人を逮捕するに至つた形跡は、全然これを認めることができず、右の点につき本件司法警察職員等に未必の故意があつたとも見られない。また被控訴人に対し勾留状が執行された後本件司法警察職員等が捜査を続けた結果被控訴人が無実であることが判明したにも拘らず、故意に被控訴人を釈放するよう検察官に意見を述べなかつた形跡も、本件証拠上これを認めることができない。

そこで本件逮捕につき本件司法警察職員等に何等かの過失があつたか否かにつき審究する。

(一)  本件火災を放火と判断した点。

先ず本件司法警察職員等が本件両度に亘る出火を何者かによる放火と推断したことは、前掲甲第十三号証の一、二、同第十四号証(いずれも実況見分調書)及び当審における現地検証の結果により認められる本件出火場所の状況、原審(第一回)並に当審証人池田勇、当審証人佐伯宗明の各証言に徴し十分これを是認することができ、右判断に誤があつたとは見られない。

(二)  被控訴人に本件放火の動機があると判断した点。

(1)  池田弘子と中田和夫との縁談の経緯について。

成立に争のない甲第十一号証に原審並に当審証人中田政一、同中田和夫、同池田政太郎、同中村実、同池田勇(原審は第一回)、当審証人池田定子、同谷本弘子(旧姓池田)の各証言を彼此綜合すれば、昭和二十八年五月下旬頃被控訴人の甥に当る中田政一(同人の母の妹が被控訴人)が被控訴人に対し、政一の父の妹の孫に当る中田和夫の妻として、被控訴人の隣家に住む池田弘子(池田勇の長女、現在谷本姓)を世話して貰いたい旨依頼し、被控訴人が右の話を池田勇に告げ、同年五月二十五日池田勇方において右中田和夫と池田弘子の見合が行われたこと、右縁談は被控訴人及びその夫池田政太郎の仲介により急速に進展して同年六月上旬頃一応婚約が成立したこと、然るところその後池田勇方においては、同人の妻である池田定子(弘子の母)が、右中田和夫方は所有田地も多く早朝に起きて朝食前に草を刈らねばならぬような忙しさであるから、それでは弘子が可哀想であるとして、右縁談に反対し、右定子が被控訴人に対し、一旦ととのつた右婚約を解消して貰いたい旨申出たこと、そこで被控訴人の夫池田政太郎が前記中田政一宅を訪れ、右婚約解消の話をしたところ、中田政一及び中田和夫は、先方において今一度考え直して貰うことを希望したため、池田政太郎は池田勇方に赴き、右中田政一等の意向を伝えたが、池田勇方においては右婚約解消の申出を撤回せず、ために右縁談は結局破談となつたこと、ところがその後しばらくして、池田勇の従兄弟に当る青木一寿の妻ひろ子(同女は中田和夫の再従姉弟に当る)が中田和夫を訪ね来り、同人に対し池田弘子本人は右縁談の成立を望んでいる様子である旨告げ、一度弘子本人に直接会うことを勧めたこと、そこで中田和夫は、昭和二十八年七月四日頃の夕刻、弘子の勤務先である松山競輪場へ赴き、帰宅せんとする弘子に会い、約一時間位同女と共に歩きながら同女に対しさきに縁談を断つた理由を質すと共に同女の真意を確めたこと、その際中田和夫としてはできれば縁談の復活を希望していたのであるが、弘子と共に歩き同女を観察する中次第に気が進まなくなり、中田政一と相談の上返事する旨約して同女と別れたが、結局その後池田弘子に対し何等の返事をしなかつたこと並に被控訴人は婚約解消後右の如く青木ひろ子の仲介により縁談が再燃した経緯を知らなかつたのであるが、その後浅村半蔵(被控訴人の兄)方の法事に出席した帰途妹の橋本シナヨより始めて右経緯を聞かされたことを認めることができる。

(2)  池田弘子と谷本武雄との縁談

当審証人谷本弘子、同池田勇、同池田定子、同池田コサヨの各証言を綜合すれば、前記池田弘子はその後昭和二十八年十二月初頃より池田繁一の仲介により谷本武雄との間に縁談が進み、昭和二十九年一月四、五日頃右武雄との婚約が成立したこと、池田勇方においては直ちに結婚支度に取りかかり、第一次火災の前日頃も呉服屋よりかなりの呉服類を買い求めたことを認めることができる。

(3)  被控訴人が池田勇方家族に対し縁談に関し皮肉を洩していたか。

当審証人池田勇、同池田定子、同谷本弘子、同池田コサヨの各証言を綜合すれば、被控訴人は、池田弘子と中田和夫との縁談が前記の如く破談になつた後池田勇方家族に対し「弘子は一人娘じやから養子を貰つて側ヘおいておきな。床祭りにしときな。」などと皮肉めいた言を洩していたこと、また弘子と谷本武雄との婚約が成立してからは、被控訴人は弘子の結婚支度に特に関心を懐き、第一次火災の前夜などは池田勇方に来て、「一人娘じやけん支度はなんぼでもできるじやろ。三面鏡も買つておやり。」など申していたことを認めることができる。被控訴代理人は、被控訴人は弘子と谷本武雄との婚約成立を第一次火災の二、三日後訴外池田肇より聞いて始めて知つたものである旨主張するけれども、当審証人池田肇(第一、二回)の証言に徴するも右事実を肯定するに十分でなく、却て前掲当審証人池田定子、同池田ハツヨの各証言に徴すれば、被控訴人は第一次火災前において、弘子に他の縁談が調つたことを既に知つていたことを窺うことができる。

(4)  被控訴人の池田勇方家族に対する感情について。

前記(1) (2) (3) に認定した各事実を綜合すれば、被控訴人は池田勇の娘弘子のため良縁なりと信じて自己が持込んだ中田和夫との縁談を、池田勇方においては一旦承諾しておきながら、これが婚約解消を申出て破談となつたことにつき快く思つていなかつたところ、その後池田勇方においては前記池田繁一の仲介により谷本武雄との縁談を進め、而も相当の婚礼支度を調えていることにつき、女性にあり勝ちな反感、嫉み等の入りまじつた感情を懐いていたことを窺うことができ、被控訴人は池田勇方家族の者に対し、中田和夫との縁談が破談となつたことにつき強い怨恨の情を懐いていたとまでは考えられないけれども、池田勇方において被控訴人の持込んだ縁談を破談としながらその後他の縁談を進め且つ相当の婚礼支度を調えていたことにつき、内心快く思つていなかつたこと明らかであるといわなければならない。従つて被控訴人につき、池田勇方家屋を灰燼に帰せしめようとするような放火の動機は考えられないとしても、池田勇方家族の者を困惑させるために、いわゆるいやがらせ的な放火を行うことは必ずしも考えられないことではない(本件両度に亘る火災はその出火時刻につき稍特徴があること後に説示する通りである)。

(5)  放火の動機につき捜査が不十分であつたか。

被控訴代理人は、本件司法警察職員等が池田弘子と中田和夫との縁談の経緯につき今少しく調査を進めるならば、被控訴人が池田勇方家族に対し恨みを懐くことは考えられず、寧ろ逆に池田勇方家族が中田和夫に対し恨みを懐いていることが判明した筈である、と主張するにつき検討する。

(イ) 中村実を取調べていない点。

被控訴代理人は、池田勇は佐伯巡査部長の取調に対し、被控訴人が昭和二十九年正月頃平井の中田方における法事の席上で弘子の他家への縁談を邪魔してやるという意味のことを言つていたことを中村実より聞いたと供述したのであるから(前掲乙第二号証参照)本件司法警察職員等は中村実を当然取調べるべきであつたと主張する。右主張は一応もつともであり、本件司法警察職員等は、池田勇が前記の如き趣旨の供述をした以上中村実をも取調べるべきであつたであろう。しかし当審証人池田勇、同池田コサヨの各証言を綜合すれば、被控訴人の前記言辞は中村実の母リンが被控訴人より聞いたものであつて、右リンがこれを池田コサヨ(池田定子の母)に話し、更に右コサヨが池田勇に語つたものであることを認めることができ、池田勇の佐伯巡査部長に対する前記供述が正確でなかつたことは否めないけれども、右勇が全然事実無根の供述をしたものとも見られない。而して当審証人佐伯宗明の証言に徴すれば、佐伯巡査部長は、池田勇が前記のような供述をしたため、刑事を派遣して中村実を取調べようとしたのであるが、同人が留守か何かで取調べることができなかつたものであることを窺うことができる。従つて本件司法警察職員等が中村実を取調べなかつたことにつき必ずしも過失があるとはいえない。

(ロ) 中田和夫の司法警察員に対する供述調書について。

被控訴代理人は、前記佐伯巡査部長は同部長が取調べた中田和夫の供述調書を作成するに際し、右中田和夫が池田弘子との縁談の経縁につきなした供述につき、故意にその供述全部を録取していない、と主張する。仍て甲第十一号証(司法警察員巡査部長佐伯宗明作成に係る中田和夫の昭和二十九年二月二十七日附第一回供述調書)を検討するに、右供述調書には、中田和夫の供述として、同人と池田弘子との縁談の経緯が記載されているけれども、右縁談が池田家の申出により破談となつた後親族の者の斡旋で再燃したが、結局中田和夫が弘子に対し嫌気がさし婚約復活に至らなかつた経緯が記載されていないこと被控訴代理人指摘の通りである。この点につき証人中田和夫は当審において、自分は警察署で佐伯部長の取調を受けた時、弘子との縁談のことを一部始終述べておいた、形式の上では私の方が断わられたことになつているが、実際は私の方が嫌気だつたのだと述べておいた旨証言しているけれども、右証言部分は当審証人佐伯宗明の証言と対比してにわかに信用し難く、右中田和夫が佐伯巡査部長の取調に対し、弘子との縁談が再燃した経緯及びその結果を詳細供述したか否か必ずしも明らかでない。しかし仮に中田和夫が佐伯巡査部長に対し右の点を供述したとしても、佐伯巡査部長が被控訴人を本件放火犯人とするために故意に右の点を供述調書に録取しなかつたことを窺うに足る資料はなく、この点についての被控訴代理人の主張は採用し難い。

(ハ) 橋本シナヨを取調べなかつた点。

被控訴代理人は、訴外橋本シナヨが佐伯巡査部長に対し、中田和夫と池田弘子の縁談に関し、被控訴人が池田勇に対し恨みを懐くような筋合でないことを上申したにも拘らず、同巡査部長は故意に右橋本シナヨを取調べなかつたと主張する。しかし右橋本シナヨ(被控訴人の実妹)が本件に関し始めて松山市東警察署に赴いたのは、被控訴人が逮捕され且つ勾留状が執行された後である昭和二十九年三月五、六日頃であること証人橋本シナヨの原審及び当審における証言に徴し明らかであるから、仮に右橋本シナヨがその際佐伯巡査部長に対し、被控訴代理人主張のような上申をしたとしても、本件司法警察職員等が被控訴人に対する逮捕状請求前に橋本シナヨを取調べなかつたことにつき過失があつたということはできない。尤も原審並に当審証人橋本シナヨの証言に徴すれば、浅村半蔵方における法事に被控訴人も右橋本シナヨも共に出席し、その帰途被控訴人が右シナヨに対し「今日中田和夫の母が私に、池田勇方では怒つているのではないか、との意味のことを言うたが、どういうことか」と尋ねたので、シナヨが被控訴人に対し、和夫と弘子との縁談が一応破談になつた後、池田コサヨ(池田勇の妻定子の母)が縁談の復活方を中村実に頼み、同人が中田保を介して中田和夫に申入れたところ、結局右和夫がこれを断つた経緯を話したところ、被控訴人がそれでは池田勇の方が気の毒だ、と答えた事実を認めることができるけれども、かかる事実があつたからといつて、直ちに被控訴人に本件放火の動機が考えられないと即断することはできず、被控訴代理人主張の如く本件司法警察職員等が橋本シナヨを取調べれば、被控訴人に本件放火の動機がないことが判明した筈であるとはいえない。従つてこの点に関する被控訴代理人の主張も採用できない。

これを要するに、本件司法警察職員等は、前記中田和夫と池田弘子の縁談に関し、右縁談が一旦婚約成立後池田勇の側より婚約解消の申出があつて破談になつた後の経緯につき十分調査をしていなかつた憾みがあるけれども、右縁談に関連して被控訴人が池田勇方家族の者に対し快く思つていなかつたと認められること前叙判断の通りである以上、中村実及び橋本シナヨを取調べ、また中田和夫に対し破談後の経緯を詳細取調べていたならば、被控訴人に本件放火の動機の存しないことが判明した筈であるとは断ぜられず、本件司法警察職員等が中村実及び橋本シナヨを取調べず、また中田和夫に対する取調が不十分であつたことにつき、必ずしも過失があつたとはいえない。本件司法警察職員等がその取調べた資料により被控訴人に本件放火の動機があると判断したのは一応首肯できるところである。

(三)  被控訴人の第二次火災前の行動について。

証人谷本弘子(旧姓池田)は、当審において、「第二次火災の時私は父が「火事だ」と言うと同時に飛び起きき、表三畳間へ行つて箪笥の抽出を出し、座敷を廻つて庭へ飛び下り、「火事じや、火事じや」と叫びながら、被控訴人方へ駈けて行つたが、その途中私方と被控訴人方との中間の所に、黒い服装の人間が立つていた被控訴人方の表へ抽出を置いて引返す時には、もうその人影はなかつた、右人影は私の前方五、六米の所に立つていた、私があわてていたのと薄暗かつたため、男女の別も判らなかつた、しかし人間であつたことは間違ない」旨証言して居り、また証人岡田好美は、当審において、「私は第二次火災が起きたことを朝早く聞き、早速自転車で池田勇方へ駈けつけ、同人に対し定子姉はどこに居るかと尋ねると、池田政太郎方に居るとのことだつたから、同人方へ行つた、被控訴人は、定子は森さんとこへ行つていると答えたが、その際尋ねもしないのに被控訴人は私に対し、「ゆうべは寝られず、今朝の四時頃起きて外を廻つて見た、姉さんところ(池田勇方の意)を見廻つて見たが、どうもなかつた、弘子さんはこの境に人が立つていたというが、誰も居りはせん」、と池田勇方と被控訴人方の間の空地を指して申した」との趣旨の証言をしているところ、右各証言がいずれも虚偽であるとは見られない。

尤も被控訴本人は、原審及び当審(第一、二回)において、第二次火災の直前起き出た事実及び岡田好美に対し前記のようなことを言つた事実を極力否定しているけれども、

(イ)  成立に争のない乙第七号証の一(被控訴人の司法警察員に対する第一回供述調書)によれば、被控訴人は、昭和二十九年三月二日(逮捕の日)前記佐伯巡査部長に対し、「第二次火災の日の朝方、火事のすぐ前であつたが、私は主人政太郎、二男堤と座敷六畳間に寝ていたところ、便所へ行きたくなつたので、丁度座敷の西側にある便所へ行つた。その時急に私方の鶏小屋が気になつたので、以前深夜に鶏を取られたことがあつたためめ、便所草履をはいたまま便所の処の廊下から土間に下りて、私方の表側にある鶏小屋まで行つて見たら、何等の変りもなく鶏もいたのでそのまま引返し、先に下りた便所の処から部屋に入り寝た。それからまだ寝つかぬ前のことであつたが、うとうとしていたら隣りで火事だ火事だと騒ぎ始めたので、皆を起した。そのようなわけで火事の直前私一人が便所から表へ出たことは間違ないが、池田勇方の方へは行つていない」との趣旨の供述をしていること、

(ロ)  成立に争のない乙第七号証の二(被控訴人の司法巡査に対する第二回供述調書)によれば、被控訴人は、昭和二十九年三月三日(逮捕後)司法巡査天野正康に対し、「二月十三日の前夜、私が寝たのは午後七時頃だつたと思うが、何時頃かは判らなかつたが、小便がしたくなり、家の西側にある便所へ小便に行つた。その便所は母屋とは別個に建つている関係でチリ草履をいつも履くようになつて居り、私もそのチリ草履をはいて小便をすませたが、何分家の周囲が気にかかるのでその足ですぐに裏側に当る風呂場の所迄見て廻り、更にそれと反対の南西の処にある鶏小屋を見て廻つた。別に毎夜見て廻るわけではないが、以前鶏を犬が盗ろうとして小屋の網を壊していたことがあつたから、見て廻つた。それと反対の方の裏側を見て廻つたのは炊事場の戸がなく、自由に入れるようになつているので、鍋や釜を盗まれてはいけないと思つたので、見て廻つた。けれども格別変つたこともないので、私はまた寝床に入つた。それからどの位時間が立つたか判らなかつたが、火事だという声に目がさめた」との趣旨の供述をしていること、

(ハ)  成立に争のない乙第七号証の三(被控訴人の司法巡査に対する第三回供述調書)に徴すれば、被控訴人は昭和二十九年三月六日司法巡査天野正康に対し、「私が先日申上げた鶏小屋附近を見て廻つたということは間違つていたのであつて、私が平素より鶏を気にかけていることは本当だが、夜中に起きて見て廻つたことは、昨年(昭和二十八年)の暮頃丁度五女に当る美恵の縁談がととのつたため多少の着物類や道具などを買つたことがあり、盗まれては大変だと心配していたので、夜中に起きて鶏小屋附近や裏側の方も見て廻つたことがあるので、その頃のことを間違えて、隣りの池田勇方の火災に罹つた日であると申上げたような次第であります、尚私が夜中に鶏小屋附近を見て廻つたことは誰にも話したことはないと思う」との趣旨の供述をしていることを夫々認めることができ、被控訴人は司法警察職員の右三回に亘る取調に対し、第一回目と第二回目の取調においては、第二次火災の直前起き出でて屋外に出たことはこれを認めていたこと明らかである。被控訴人は、当審において、私は逮捕された後佐伯巡査部長等より「おばさん悪いといえ」「悪いといえ」と何回も言われ、鶏小屋を見て廻つたりしたことはないと言つたのに、刑事はこれを聞き容れてくれなかつた旨供述しているけれども、当審証人佐伯宗明の証言に徴すれば、松山市東警察署においては昭和二十九年三月二日被控訴人に対し任意出頭の形式で出頭を求め、佐伯巡査部長が取調べたのであるが、その際被控訴人は、第二次火災の直前起床して屋外を見廻つたことをはつきり認めていたことを窺うことができ、本件司法警察職員等が被控訴人に対し格別無理な取調をしたことを認めるに足る資料はないから、被控訴人の前記供述は信用できない。

以上摘記した当審証人池田弘子、同岡田好美の各証言内容に乙第七号証の一、二の被控訴人の供述内容を綜合し、これに当審における検証の結果により認められる池田弘子のいう黒い人影の位置(当審検証調書添付現場見取図中<4>点参照)を考慮に加えると、被控訴人が第二次火災の直前起き出でて屋外に出たという事実が全然架空の事実であるとも断ぜられない。従つて本件司法警察職員等が岡田好美及び池田弘子の各供述(前掲乙第一号証の一及び同第三号証参照)により、被控訴人が第二次火災直前起き出でて屋外に出た事実があるものと判断し、この事実を被控訴人に前記の如く本件放火の動機が考えられる点と結び付けて、被控訴人に本件放火の嫌疑があると思料したことは、少くとも捜査の段階においては、一応首肯できるところであり、右の点につき本件司法警察職員等に過失があつたものとはいえない。

なお附言するに、成立に争のない甲第九号証(捜査状況報告書)には、司法巡査鈴木俊男の昭和二十九年二月十六日附捜査状況報告として、その第六項中に、「第二次火災の発火直後頃、被害者の娘弘子が部屋の箪笥の引出しを全部抜いて一個の引出しを提げ、西隣の池田政太郎の家に運ぶ際、被害者と池田政太郎の家との間の路地に、背中を向けて立つていた男を発見しているが、これも健一(客野健一を指す)の風体によく似ていた、黒いジヤンバー用のものを着ていた」との記載が見られるけれども、当審証人鈴木俊男は、右は同証人(司法巡査)が本件に関し内偵中誰からか聞いたことである旨証言して居り、右記載事実はもとより正確な事実であるとは認められないから、右捜査状況報告書にかかる記載が存するからといつて、池田弘子の目撃したという人影が男であつたとは断ぜられない。また本件司法警察職員等が右人影は男であるとの心証を得ながら、被控訴人を本件放火犯人とするため、故意に右人影と被控訴人とを結び付けたことを推認するに足る資料はない。

(四)  被控訴人が被害者宅の隣人である点。

被控訴人が本件火災の発生した前記池田勇宅の西隣に当時居住していたことは、本件当事者間に争ないところである(被控訴人の一家はその後その居住する家屋を他へ移した)。そこで隣に居住する者が果して隣家に放火することが考えられるかの点につき判断を加える。

或家の隣に居住する者が自家類焼の危険を顧みずその隣家に放火するということは、その者が精神異常者でもない限り通常考えられないところではあるが、隣家とはいえ自家に類焼する危険が少い状況下においては、隣家に放火することが絶対にあり得ないことであるとはいえない。今本件の場合につき観るに、被控訴人方家屋は池田勇方家屋の西隣に相当接近して建てられていたこと(約一間乃至一間半の間隔)当審における検証の結果により明らかであるけれども、前掲甲第十三号証の一、二、同第十四号証(いずれも実況見分調書)並に当審における検証の結果に徴すれば、第一次火災の出火場所は池田勇方の東側部分にある物置の入口であり、第二次火災の出火場所は池田勇方母屋の東南に近接する牛舎便所等の一棟南端であつて、右両出火場所共東隣りの池田泰三郎宅には接近しているけれども、西隣りの被控訴人宅からは、約七、八間離れていることを認めることができ、また成立に争のない甲第五号証によれば、第一次火災の発生した昭和二十九年二月六日午後十時頃の松山市における天候は雪しぐれ模様であつたが、風速四米程度(南東風)であり、同年二月十三日午前五時三十分頃の同市における天候は良く、風速僅か二米(東風)であつたことを認めることができ、右本件各火災の出火場所及び当時の天候状況に本件各火災の出火時刻(第一次火災の出火時刻は午後十時頃であり、第二次火災の出火時刻は午前五時三十分頃であり、いずれも家人または近隣者の熟睡時刻ではなく、容易に出火を発見、比較的早期に消火し得る時刻である)をも考慮に加えると、前記各出火場所で発火しても、当然被控訴人宅まで類焼するような危険がある状況にあつたものとは、断じ難い。従つて本件司法警察職員等が池田勇方の隣人である被控訴人に本件放火の嫌疑をかけたことにつき、必ずしも過失があつたものということはできない。また被控訴人の夫池田政太郎と池田勇とは従兄弟の間柄であつて、両家は従来さしたる不和もなく永年親族として交際を続けて来たことは、成立に争のない乙第二号証及び当審証人池田勇の証言に徴し明らかであるけれども、かかる両家の間柄を考慮に容れても、本件司法警察職員等が被控訴人に本件放火の嫌疑をかけたことにつき、過失があつたとはいえない。

以上種々の点につき検討を加えたが、本件司法警察職員等がその蒐集した資料により被控訴人が本件放火を犯した疑があると判断して、逮捕状の請求をなし、被控訴人を逮捕したことにつき過失があつたものと見ることはできない。また被控訴人に対し勾留状が執行された後において、本件司法警察職員等に何等かの過失が存したことを認めるに足る資料もない。

第七、真犯人に関する被控訴代理人の主張について。

被控訴代理人は、本件第一次火災の放火犯人は、池田勇の妻定子であり、第二次火災の放火犯人は、池田勇自身であると主張する。第一次火災につき、証人池田定子は当審において、第一次火災の前夜は主人(勇)外出後夕食を早く食べ寝ていたところ、「シヤー」という音がしたので、目をあけると、「パツ」と光がさしたので、夫の帰つた自動車の明りがさしたのかと思つた。けれども夫は帰らぬので、これはおかしいと思い出て見ると、物置が火事になつていた。そこで「火事じや、火事じや」と叫びながら一番先に子供を起した」との趣旨の証言をして居り、また第二次火災につき、証人池田勇は、当審において、「第二次火災の時は、私は表三畳の間で寝ていたが、朝方ガラス戸が照るようなものだから、「またやられた」と家人を起して家を飛び出た。その時は既に三、四分間燃え続けていた模様で、納家の中に積んでいた麦藁が燃えていた。私は寝巻のまま飛び出していたが、ずつと消火に努めた。」との趣旨の証言をしているところ、右各証人の証言に別段不自然な点はなく、本件にあらわれた各証拠を検討しても、第一次火災につき池田定子が、第二次火災につき池田勇が夫々自宅に放火した疑は、全然これを認めることができない。従つて池田定子及び池田勇が本件放火の真犯人であるとの被控訴代理人の主張は、到底首肯できないところである。

第八、結語

凡そ犯罪捜査の衝に当る者は、被疑者につき逮捕状の請求をなしまたこれを逮捕するに当つては、憲法の保障する基本的人権尊重の理念に照し、果してその者が罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があるか否かにつき、客観的に信用し得る資料に基き慎重且つ公正に判断し、いやしくも無実の罪により身柄を拘束される者が生じないよう極力配慮すべきであることは、多言を要しないところである。しかしもとより捜査進行途上の段階であるから、公訴を提起するに足りる程度の嫌疑及び証拠資料の存することを要しないこともいうまでもなく、一応その者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が存するときは、その者に対する逮捕状の請求をなし得るものと解すべきであるところ、本件の場合本件司法警察職員等が本件逮捕状請求当時までに蒐集した資料によれば、被控訴人が放火を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたものと見られること前叙説示の通りであり、被控訴人は結局検察官より嫌疑なしとの理由で不起訴処分を受けたけれども(但し被控訴人に本件各火災発生当時アリバイがあつたというわけではなく、また他に真犯人が発見されたわけでもなく、右不起訴処分により被控訴人が本件放火犯人でないことが確定したことにはならない)、被控訴人につき昭和二十九年三月一日逮捕状が請求され、翌二日被控訴人が右逮捕状により逮捕され、引続き勾留状が発せられて同年三月十七日迄勾留されたことにつき、控訴人松山市の公務員であつた本件司法警察職員等にその職務執行上故意または過失があつたということはできない。

然らば国家賠償法の規定に基き控訴人松山市に対し損害賠償及び謝罪広告掲載を求める被控訴人の請求はその余の点に対する判断をなすまでもなく失当であつて、排斥を免れない。

仍て被控訴人の請求を一部認容した原判決中控訴人敗訴部分は不当であるから、民事訴訟法第三百八十六条によりこれを取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、原判決中被控訴人敗訴部分は相当であつて、これに対する被控訴人の本件附帯控訴は理由がないから、同法第三百八十四条によりこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法第九十六条第八十九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 浮田茂男 橘盛行 白井美則)

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