高松高等裁判所 昭和37年(う)407号 判決
判決理由〔抄録〕
論旨は、原判決は、被告人が東原喜和子を恐怖狼狽させたと認定しているけれども、右は事実誤認であって、同女は狼狽したとは思えないし、また、同女が自転車から下車しないで進行すれば本件事故発生の虞はなかったのであるから、被告人に業務上の過失があったとはいえないというのである。なる程、原審証人東原喜和子の尋問調書によると、同女は、自転車の操縦には自信があり、バス通過の際それ程把手を取られたのではない旨の供述記載が存し、また、バスが同女の傍を通過した際同女が下車しないでそのまま進行すれば或いは本件事故の発生を免れ得たかも判らないことは、論旨に指摘するとおりであるが、しかし、原判決挙示の各証拠及び当審における検証調書を綜合すると、同女は、被告人の運転するバスが同女の運転する自転車の右側(自転車の右把手とバスの左側面との至近間隔は約四二糎位)に迫って追越しにかかられ、同女の左側は自転車の左把手から約五〇糎の間隔で橋の欄干(高さ約八〇糎)に遮ぎられて左方に避譲する自由を奪われ、しかも自転車の後部荷台には当時四歳になる次女有紀を乗車させていたことが認められるのであるから、同女がバスと橋の欄干の間にはさまれ恐怖狼狽の余り自転車の把手操作に動揺を来しやむなく咄嗟に下車の処置を措ったと認めるのが相当であって、かかる場合、同女に下車しないでそのまま真直ぐ進行を続けるよう求めることは難きを強いることというべく、同女が前記所論のような供述をしていることは右認定を妨げるものではない。およそ、自転車の運転者は歩行者とは異なり、背後から自動車に追い越されもしくは自動車と対向して離合する場合には、自動車の速度とそれとの間隔の如何によっては、周章狼狽して自転車の把手操作を誤ることのあるのは経験則上明らかであるのみならず、本件においては東原喜和子は自転車の後部荷台に幼女を同乗させていたこと前記説示のとおりであるから、危険発生の蓋然性がより高度であったことは多言を要しないところである。原判決挙示の各証拠を綜合すると、被告人は、水道橋の橋上左側を前記説示のような状態で自転車を運転して被告人のバスと同一方向に西進している東原喜和子をその二〇米位手前の地点で現認し、しかも右橋上の幅員は僅か約五米に過ぎない狭隘な場所であるにかかわらず、同女を追越しにかかつたことが認められ、元来、自動車の運転に従事する者は通行の人車等に危害を加えないよう交通の安全を保持するため万全の措置を講じつつ自動車の運転をなすべき業務上の注意義務のあることは条理上当然のことであるから、被告人としては、自己の運転するバスをできる限り右側に寄せ(被告人が東原喜和子を追越したときのバスの右側面と水道橋の北側欄干との間隔は、約一米位であったことが原審及び当審における各検証調書によって認められる)、同女の運転する自転車との間隔を十分保持し、同女の動静を仔細に注意し、臨機の措置を講じ得るよう減速して交通の安全を確保しながら同女を追越すべき業務上の注意義務があったというべきである。然るに、原判決挙示の各証拠を綜合すると、被告人は右各注意義務を怠り、単に速度を時速約一五粁に減じただけで前記説示のように東原喜和子の運転する自転車の至近場所を追越にかかった過失により、前記説示のように同女を下車するのやむなきに至らしめ原判示のような本件事故を惹起させたことが認められる。してみると、被告人に本件事故の発生につき過失がなかったということはできない。