高松高等裁判所 昭和37年(ラ)12号 決定 1962年9月04日
抗告人 松田末熊
訴訟代理人 薬師寺尊正
主文
本件再抗告を棄却する。
再抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
本件再抗告の理由は別紙のとおりである。
その第一点について。
管轄の合意は書面によつてなされる訴訟法上の合意である。しかしその合意成立のための意思表示の合致については、それが書面によつてなされることを要するほか訴訟法に特別の規定はないから、意思表示解釈の一般原則にもとづいてその書面に表われた当事者の意思を合理的に解釈してその効果を決すべきであり、右解釈に当つては該書面以外の資料を用いることももとより可能である。本件において原審が合意を表わす書面(甲第三号証)に表われた当事者の意思を原告代表者本人尋問の結果を資料として「原告代表者が原告会社を代表して訴外エムエス製作所との間の取引について被告(抗告人)との間に連帯保証契約をすると共にその契約関係にもとづく訴訟について管轄の合意をした」ものと認定したのは、合意の解釈として相当であつて論旨のような法令違背は存しない。論旨は独自の見解であつて採るをえない。なお原審の認定によれば当事者の意思と表示との間には不一致は存しないわけであるから、不一致を前提とする見解も採用できない。
第二点について。
民事訴訟法第三〇条による移送申立却下決定に対して同法第三三条による即時抗告が許されるかどうかについては争いがあるところである。しかし管轄違いであるか否かは裁判所の職権調査事項に属し、若し管轄違いであるならば応訴管轄を生ずる場合を除き当事者から管轄違いによる移送の申立のあるなしにかかわらず決定をもつて管轄裁判所に移送することになるのである。又規定の上からいつても民事訴訟法第三一条、第三一条の二においては移送の申立権が認められておるのに第三〇条においては申立権がある旨規定されていないのである。したがつて第三〇条の場合移送の申立があつてもその申立は単に裁判所の職権の発動を促すものにすぎないのであつて右申立に対し仮りに却下の決定があつてもこれに対しては同法第三三条の適用はなく即時抗告は許されないものと解する。(昭和三〇年四月二七日東京高裁決定、昭和三五年一一月八日福岡高裁決定参照)なお同法第二六条の管轄違いの抗弁はいわゆる妨訴抗弁ではなく裁判所に管轄について職権で調査することを求めるものにすぎないから(したがつて本案について弁論を命じられれば拒みえない)、それによつて実質的に移送の申立権が認められたことにはならない。しかも右抗弁を申立てた当事者は管轄を認めた(つまり移送をしない)判決(中間または終局判決)に対して上訴によつてその点を争うことができ不利益を蒙むることはない。
よつて原審のこの点の判断は正当であつて論旨は採るをえない。なお本件を論旨のように特別の場合と解すべき根拠もない。
以上のとおり本件再抗告は理由がないので、これを棄却することとし、抗告費用につき民事訴訟法第九五条第八九条を準用して主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 渡辺進 裁判官 水上東作 裁判官 石井玄)
再抗告の理由
民事訴訟法第二五条は裁判管轄合意が有効になされたとするには合意者が其の合意を書面を以つてすることを要する旨を定めている。之は合意者か又は合意者の適法な代理人が其の合意を書面で為すことを要するということである。裁判管轄合意が事実上為されて居れば、其合意者(又は其の適法な代理人)以外の第三者作成の書面であろうと、或は其の合意者(或は其の適法な代理人)の一方と第三者とで作成した書面であろうと、苟くも書面があり其の書面の記載から又は其の記載と併せて証人の供述等から右合意の事実を認め得れば、右第二五条に言う有効な裁判管轄合意があつたとなすことは許されないと信ずる。原審が真正に成立したと認むる甲第三号証は再抗告人と訴外小倉好雄との契約で、其の契約各項はその両者間の契約事項であり、再抗告人と相手方との契約書でもなく再抗告人と相手方との契約は何処にも記載されて居らないことは同証自体に明白である。川島簡易裁判所における相手方代表者尋問の結果に徴しても、同証は再抗告人の住所氏名の記載及其捺印以外は全部既に記載されていた書面に再抗告人の住所氏名記載及捺印を求められて両抗告人がそれに応じて訴外小倉好雄に対し契約した書面であることは明白である。そういう書面であるに拘わらず、その書面の記載からも再抗告人と相手方との間に第一審裁判管轄合意があつたことを充分看取出来る故川島簡易裁判所の移送申立却下決定は相当とした徳島地方裁判所の裁判は民事訴訟法第二五条に違反していると申さざるを得ない。
次に民事訴訟法第三〇条第一項による移送申立を却下した決定に対しては原則として同法第三三条の適用が無いとの原審の見解は裁判所の職権発動の違法不公正なる場合における是正の途を塞ぐもので到底肯定し得ないが、仮りに同裁判所の見解に誤りがないとしても、本件の如く、当事者間に裁判管轄合意が無いとすれば当然東京地方裁判所の管轄なることが明白である事案に於て、管轄合意の有無が真剣に争われている場合に、其の合意の存否につき為された裁判が裁判所の違法乃至不当な措置とする者に上訴の途無しとする如きは違法であり民主憲法の大精神に背くものであつて、原審は此点に於ても法令違反がある。
よつて本再抗告に及んだ次第である。
再抗告理由補足
一、甲第三号証の解釈につき民事訴訟法第二五条の、書面による管轄合意についての規定は、左の如く解釈して適用さるべきものと信ずる。
同条に言う書面とは、合意者が作成したものであること、然らずんば合意者の意思表示たる効力を生ぜしむる権限を有する代理人が合意者の代理人として本人の為めに成立させたものであることを要する。但し公証人が合意者の嘱託によつて合意者の意思表示を公正証書に作成したような場合、和解調書や調停調書の如く当事者の意思表示を調書に作成することを法で定められた者が当事者たる合意者の意思表示を調書に作成したような場合には、その証書や調書を同条の書面と為し得る。然らざるもの、例えば、訴訟の証拠調に於て、証人が、合意の口頭で為されたことを証言し、それが調書とされた如き場合は、其調書たる書面には該合意のことが記載されて居るが、だからと言つて、該合意が同条の書面に作成されたとすることは許さるべきでない。
次に同条に言う書面の趣旨解釈は、専ら其書面に基づき、其文章を厳に尊重し、書面の表現に忠実に為さるべきである。唯書面の文辞に、脱字や、誤字や、文意不明の部分や、相互に相矛盾する部分等があつて、其為め、書面の趣旨が其書面丈けからは判然としないような場合に於てのみ、その書面外の資料を補助として書面の解釈を為すことが許さるべきである。以上は同条に、合意は書面をもつて為すにあらざれば其効なしとした明文(原審は之を合意は書面をもつて証するにあらざれば其効なし、との法意と解しているようであるが、誤なるは明)に徴し当然のことであつて、右の如き書面を右の如くにして解釈した結果によつて合意の有無が判断せられて始めて同条の正しい解釈適用が為されたと申し得る。
而して甲第三号証は如何と言うに、同証には文意曖昧とか不明とかの部分は全く無い。同証外の資料によつて同証の趣旨を解することが許さるべき必要も理由もない。同証は再抗告人と訴外小倉好雄との合意書面であり、再抗告人の相手方(原告鴨島針工有限会社)に対する合意は同書面を以つてはなされて居らないとする外に同証の認定の致し様はない。
然るに、原審も川島簡易裁判所(原原審)も、相手方代表者訊問の結果という、同証の外の資料によつて同証に解釈を加え、同証は再抗告人の相手方に対する管轄合意として有効なりと認定している。之は全くの同条違反である。
仮りに百歩を譲り、同証の趣旨は同証だけで充分明白であり、同証外の資料を補助とする必要も理由もないに拘わらず、裁判所が同証外の資料によつて同証を解釈することが許されるとしても、右原審、原原審の認定は誤つている。原審も原原審も再抗告人と相手方とに真意として管轄合意があり、其の真意がそれと一致しない形で同証に作成されたとするのであるから、同証は該真意と一致しない表示ということになる。
管轄合意の場合でも、意思と表示の不一致のときの意思表示の無効か否かは民法第九三、九四、九五の三つの法条によつて解決さるべきであるところ、同証が表意者の真意と一致しない意思表示であるとすると、右民法の三つの法条の何れによつても同証管轄合意の意思表示は之を無効とすべきであつて、有効とさるべき根拠は無い。原審も原原審も同証を意思と表示の不一致として右民法の法条との関係に於て何等かの審理を為したかにつき看取すべきものは無く、其の点審理不尽たるを免れず、仮りに審理不尽無しとしても、両審の右認定は民法違反である。
二、原原審における移送申立却下決定に対する即時抗告が出来るか否かの点につき
原審は、民事訴訟法第三〇条第一項による移送申立を却下した決定に対しては原則として同三十三条の即時抗告を許さないものであつて、同審昭和三六年(ソ)第一号の即時抗告も許されないものであるとするが全く承服出来ない法令違反、憲法違反である。
民事訴訟法は、管轄違の抗弁について第二六条、管轄違の場合の移送について第三〇条、管轄違でなく且つ訴訟当事者に於ても管轄につき争がない場合の移送申立について第三一条及同条の二、移送の裁判、移送申立却下の裁判に対する抗告について第三三条を定めて居るが、裁判所に管轄が属し当事者間に於ても管轄につき争が無い場合でも、第三一条及同条の二によつて当事者は便宜的に其裁判所に移送申立が出来るのであるから、管轄を争う当事者が正しい管轄権がある裁判所で裁判を受くることが出来るよう管轄違の抗弁を為す場合、移送の申立を為し得るのは当然であつて、此の場合の移送申立は申立人の権利として移送を求めるので、管轄違いであれば移送は為されねばならない筋合である。此の管轄違の抗弁による移送申立は裁判所の職権発動をうながすのではなく職務の遂行を求めるのである。
原審は第三一条及同条の二の移送申立が却下された場合第三三条の即時抗告が原則として出来るか否かについて何等の判断を示して居らないが、こういう却下に対して右の即時抗告が為し得るとすれば、管轄違の抗弁による移送申立却下の場合にそれを為し得ないというのは均衡上も全く当を得ない。寧ろ後者の場合は之を許すが前者の場合は之を許さないとする方が腑に落ちると申し度い位である。若し夫れ前者の場合も後者の場合も右第三三条の抗告が出来ないということになると同条の移送申立却下に対する即時抗告の規定を抹殺することになる。
右の次第で原審決定は重大な法令違反があり、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないとする憲法に違反する。