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高松高等裁判所 昭和39年(ラ)32号 決定 1965年3月27日

抗告人 村山タツ(仮名) 外一名

相手方 村山典男(仮名)

被相続人 村山松造(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

よつて案ずるに、一件記録中、戸籍簿謄本によれば、被相続人村山松造が昭和三二年一月七日死亡したことが明らかであり、その相続人については、原決定(理由)(1)相続人の項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

ところで、本件については、松山地方裁判所昭和三七年(家)第二〇五号事件で検認のなされた封筒入りの右村山松造作成名儀の遺言書が存在するが、これらの存在と昭和三七年七月二五日付家庭裁判所調査官の調査報告書中、相手方本人の陳述記載に徴すれば、右封筒及び遺言書の全文言、年月日及び村山松造の氏名は、何れも右村山松造の自書にかかるものであり、また、印影も、同人がその印を押捺して顕出したものであることを認めうる。証人村山良男の証言、抗告人村山義一本人審問の結果、前記及び昭和三七年一二月一五日付家庭裁判所調査官の調査報告書中、抗告人村山タツの各陳述記載のうち、右認定に沿わない部分はにわかに信用しえず、他に右認定を左右するに足りる資料はない。

しかるところ、抗告人らは、右遺言書の年月日の記載は、自筆遺言書の要件の一たる日附としての意味を持ちえないと主張する。

成程、右遺言書の一枚目をみてみると、その冒頭の年月日の記載の次に、「より」との文字があり、同一枚目を一読すれば、右村山松造は、右年月日より右遺言書を書き始めたという意味ではないかとの疑が生ずる。

しかし、右封筒と遺言書の各記載を併せ考えると(とくに、遺言書一枚の終りの記載が「……カキノコシタ」と過去形になつている点、右遺言書の内容から、その一枚目は、右遺言書の総括的、完結的部分とみられる点)、右「何年何月何日より」は、右「……カキノコシタ」にかかる文言ではなく、同一枚目の、「村山典男ニ前分イズル……」にかかるものと解せられる。「……カキノコシタ」というのに、「何年何月何日より」と始期のみを記載し、完結日を記載しないということは通常考えられない。そうすると、「村山典男ニ前分イズル」日(即ち、昭和三〇年一二月一八日)はまた、意思表示完結の日であり、その日は、右遺言書の作成の日であると考えられる。相手方本人審問の結果、前記昭和三七年七月二五日付家庭裁判所調査官の事件報告書中、相手方本人の陳述記載には、右判断と異なる部分があるが、これは右「何年何月何日より」とあるを「……カキノコシタ」にかかるものと解し、これに沿うような陳述をしたものと推察できるから信用し難い。

そうすると、右遺言書は、所定諸要件を備えた有効な自筆遺言証書というべく、そして前記「村山典男ニ前分イズル……」とは、右遺言書の全内容から、相手方に村山松造の相続財産の「全部を遺贈する……」との意に解しえられる。

なお、一件記録によれば、抗告人村山タツ主張どおりの調停が同抗告人と相手方との間に成立していることが明らかであり、該調停条項中には、「本件遺産分割は追つて協議のうえ定めることとし……」との箇所があるが、このことだけでにわかに、相手方が、右遺贈の効果の享受を辞退し、通常の相続分による相続に甘んずる意思を表明したものはと解されない。

ところで、本件記録を精査するも、抗告人らが、遺留分権利者として、右遺贈の減殺を請求した形跡はないから(遺贈を認めたうえで、遺産分割の申立をするのであれば、かかる申立に右請求の意思ありと考えうる余地はあるが、本件ではそうではない。)、右のとおり全遺産の遺贈を肯認しうる以上、本件遺産分割の申立は失当たるを免れず、右遺贈を肯認したうえ、更に進んで右請求ありとしてなした原決定は不当であるが、この点については、相手方より何ら不服申立はなされていないから、当裁判所としては、原決定を結局相当として、本件抗告を棄却するにとどめる。

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 安芸修 裁判官 杉田洋一 裁判官 鈴木弘)

抗告理由 省略

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