高松高等裁判所 昭和40年(ネ)108号 判決 1967年5月12日
控訴人・附帯被控訴人・被告 国 外一名
訴訟代理人 上野国夫 外二名
被控訴人・附帯控訴人・原告 谷口春茂 外一名
訴訟代理人 大坪憲三
主文
本件各控訴を棄却する。
附帯被控訴人ら(控訴人ら)は、各自、附帯控訴人(被控訴人)両名に対し、それぞれ各金一八一万一五三八円及び内金一五六万一五三八円に対する昭和四〇年九月一日より、内金二五万円に対する同年五月八日より各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。附帯控訴人らのその余の請求拡張部分を棄却する。
当審における訴訟費用は、これを四分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)らの、その余を控訴人(附帯被控訴人)らの各負担とする。
附帯控訴人ら(被控訴人ら)において各金二〇万円の担保を供するときは、右第二項に限り、仮りに執行することができる。
事実
一、控訴人(附帯被控訴人以下単に「控訴人」という)らの各指定代理人らは、「原判決を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求めるとともに、附帯控訴に対し、「附帯控訴人らの当審における請求拡張部分を棄却する。附帯控訴費用は、附帯控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
被控訴人(附帯控訴人以下単に「被控訴人」という)ら代理人は、「本件各控訴を棄却する。」との判決を求めるとともに、附帯控訴として、請求を拡張し、「控訴人らは被控訴人らに対し、各自それぞれ金三〇〇万円及び内金二五〇万円に対する昭和四〇年九月一日より、内金五〇万円に対する同年五月八日よりそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。附帯控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。
二、当事者双方の事実上及び法律上の陳述は、次に附加するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、その記載をここに引用する(但し、亡谷口幸一の生年月日を「昭和二二年一月二〇日」と訂正する)。
(一) 控訴人らの主張
(1) 本件の場合道路の管理責任を論ずるには、本件事故発生現場に限定して、その場所を危険個所と認めるべきか否か、さらに道路管理者として如何なる範囲まで管理責任を負うべきかを判断すべきである。すなわち、本件事故現場を含む安和、久礼間約二粁の間に、危険個所が数ケ所存在しており、さらに小石程度の落石の可能性のある場所が或程度多数存在していたことは認めるが、小石が一、二個直接道路上に落下したとしても、その程度の落石は、人身に危険を及ぼすものではなく、そのような落石が直ちに崩土を予想させる現象でもない。崩土の先駆的現象である落石と一、二個の小石が岩盤からかけくずれて落下するのとは、全く異質のものである。従つて右約二粁の全区間を危険区域と見て、右区域全体を対象として、道路管理上の瑕疵の有無を論ずるのは失当である。
ところで本件事故現場及びその附近は、かつて崩壊事故も落石事故もなかつた上に、具体的な危険発生の徴候も全く見られなかつた安定した地盤のところで、少しも危険発生が予想されなかつた場所である。もつとも本件崩壊現場下方の道路の海ぎわにある鉄筋コンクリートのガードレールが損壊して居り、また現場附近の断崖及び附近一帯の海岸に、岩石が累々と散在してはいるが、そのうち、右ガードレールは、昭和五年の路線改修に際し設置され、爾来三〇余年の歳月の経過のため、コンクリート自体の低質性によつて酸化現象が進み風化した上、昭和二一年南海大地震の地盤変動により損壊したのであつて、落石ないし崩土がガードレールに落下接触して損傷したものではなく、また下方海岸一帯に散在する岩石は、本件道路開設の際及びその後の改修の際に、人為的に落下させたものであつて、道路上方の山地から自然に落下したものではない。従つて右ガードレール損壊の事実或は海岸に多数の岩石が存在する事実から、本件現場が危険な個所であつたと認定することはできない。危険を予想し得ない個所に対し、防護施設その他の措置をとらなかつたとしても、道路に通常備えるべき安全性が欠けていたとして、道路管理者に管理責任を負わすべき理由はない。
(2) 須崎土木出張所においては、昭和二七年以降現在まで、本件道路における車両通行の安全と交通危険の防止を目的として、安和黒滝と久礼橋の両地点の道路際に、「これより落石あり」と明記した白木の標示札を道路標識として設置し、また関係警察署とも連絡をとつて、須崎市公安委員会から提供された赤色の注意喚起の布切れを立てて、一般の道路通行者の危険性認識の標識として、注意を促がして来たものである。そして、本件事故発生の昭和三八年には、異常気象のため、高知県全県下に豪雨と長雨が降り続き、道路災害の発生が憂慮されたので、同年四月当時右土木出張所は、係員をして前記二ケ所に、「落石注意」の立札を立てて、通行者に注意を与え、本件道路の交通上の危険予防の措置をとつていたものである。
(3) 本件事故は、異常な天然現象から生じた災害であつて、全く不可抗力に基づくものである。昭和三八年四月以来、高知県下は未曾有の長期降雨に見舞われ、加うるに六月上旬には台風第二号が襲来したが、更に本件事故当日には、台風第三号が高知県西部に上陸し、同県上空に停滞していた梅雨前線を剌激して、県下各地に多量の降雨をもたらしたのであるが、須崎地方の海岸地帯においても、強風と強い俄か雨を正面から受けたことはいうまでもない。ところで本件崩壊現場附近の地質は、硬質の砂岩と泥岩との混成層であり、地表近くの泥岩が長年にわたつて風化流亡して、これに亀裂を生じたため、本件のような何人も予想できない岩石の崩壊事故が発生したものと推定される。このような状況のもとに発生した事故は、道路の維持管理が不完全で、通常備えるべき安全性を欠いていた結果生じたものということはできず、もつぱら外部的な事情から生じた不可抗力による事故というべきである。仮に本件事故が不可抗力によるものでないとしても、右のような状況の下に発生した以上、道路管理の範囲外に属し、道路の管理の瑕疵に基づくものとはいえない。
(4) 仮に本件事故現場が危険を予想し得る場所と認められ、防護施設の設置その他の安全確保の措置をとらなかつた場合に、営造物自体に関連した損害の発生があれば、管理の瑕疵に基づく責任が生ずるとする絶対的責任論の立場をとるにしても、事物の性質に従つて責任を緩和する免責事由は認められるべきであり、特に建築物等一般の営造物とは異なる道路のような営造物においては、その事物の性質から来る特殊性を考慮して、責任の有無を決定すべきである。しかるところ、本件道路は、昭和五年県道中村線として認定されて以来、改良されないまま同二八年五月二級国道松山高知線となり、さらに同三八年四月一級国道五六号線として指定され、今日に至つている道路で、道路法施行法第一〇条第一項にいう「新法施行の際現に存在する道路」に該当するから、落石等により交通に支障を及ぼし、若しくは道路の構造に損傷を与えるおそれがある個所には、適当な防護施設を設けることを義務付けた道路構造令第三一条の適用は除外されている。従つて右規定の適用がある新設道路とは異なつた見地から、その通常備うべき安全性を判断すべきであつて、一般抽象的な通常備うべき安全性をすべての道路に劃一的にあてはめるべきではない。また本件道路を改築するとした場合、安和の国鉄ガードから久礼の国鉄ガードまでの間の九、六八五米の部分に要する費用は、実に金二四億五四〇〇万円となり、そのうち防護柵に要する費用は、一米当り金四万五〇〇〇円、合計金二億三五四〇万円の巨費を要することとなる。しかもこの防護柵によつては、落石を防ぎ得ても、崩壊には耐え得ないのである。さらに本件崩壊現場につき、巨費を投じて調査したとしても、事実上事前に崩壊の危険性を発見することは不可能に近いのである。このように予算面からも事実上からも事故防止が不可能であるにもかかわらず、一般抽象的な通常備うべき安全性に欠けるとして、機械的に管理責任を認めることは、現実を無視するものであり、本件の場合は、すべからく免責されるべきである。
(5) なお本件道路の管理に瑕疵があつたかどうかの判定基礎となる道路が備えるべき通常の安全性とは、通行車両や交通量、並びに附近の地形、地質等を綜合的に勘案して、当該道路がこれらの具体的な自然条件と維持管理者の実質的管理能力のもとで、社会通念上一般的に期待される道路交通上の諸機能とそれに伴う質的及び量的な諸施設とを保持していることであつて、この道路安全上の一般的な基準を超えて、道路上で発生した損害や危険性に対してまでも、道路管理者がすべての責任を負うべきのではない。さらに道路が抽象的一般的に備えるべき安全性と国ないし県の財政規模との関連において道路が具体的実質的に備えている安全性とは、明確にこれを区別すべきであつて、本件のような落石による通行者死亡事故は、まさに偶発的な事故であり、このような事故に対してまでも、道路の備えるべき抽象的な安全性を基準にして、道路の安全性を劃一的に解釈し、管理責任を問うのはまことに不当である。
(二) 請求拡張部分(附帯控訴)についての被控訴人らの主張
(1) 亡谷口幸一は、被控訴人らの間に、昭和二二年一月二〇日五男として出生し、健康に恵まれ、自動車運転手を志して訴外四国運輸建設株式会社のトラック運転助手に採用され、本件事故(昭和三八年六月一三日)当時、一六歳であつて、一ケ月平均一万一〇〇〇円以上の収入を得ていたが、遅くとも事故の二年後である昭和四〇年六月までには、正規の運転手として、月収金二万五〇〇〇円以上を得ることが予想されていた。そして前記会社の定年は、五六歳であつて、それまで少くとも三六年間は、運転手として、或いはその他の作業員として、同額の収入を維持することが可能であつたから、結局右幸一は、本件事故による死亡のため、次のような得べかりし利益を失つたわけである。
(イ) 助手の期間(二年間)について
前記月収金一万一〇〇〇円から月額金五〇〇〇円の生活費を控除した金六〇〇〇円の二四ケ月分、合計金一四万四〇〇〇円
(ロ) 運転手の期間(三六年間)について
前記月収金二万五〇〇〇円から月額金五〇〇〇円の生活費を控除した金二万円の四三二ケ月分、これを各月毎にホフマン式計算法(年五分の一二分の一に当る中間利息控除)を用いて、昭和四〇年六月における現在価格を算出すると、金四九三万五七五〇円となる。
従つて右(イ)(ロ)を合計すると、金五〇七万九七五〇円となるから、亡谷口幸一は、本件事故により少くとも金五〇〇万円の損害を蒙つたもので、同人は控訴人らに対し、それぞれその賠償を請求する権利を取得したのであるが、右幸一には配偶者も子もなかつたので、父母である被控訴人らは、相続によりこの損害賠償請求権をそれぞれ二分の一(金二五〇万円)宛承継した次第である。
(2) また被控訴人らは、右谷口幸一の父母として、幸一の不慮の死により、多大の精神的打撃を蒙つたので、本件事故の態様、当事者の資力、社会的身分等を考えると、それぞれ金七五万円宛をもつて慰藉されるのが相当である。
(3) よつて被控訴人らは、当審において控訴人らに対し、右相続した財産上の損害各自金二五〇万円宛、慰藉料各自金五〇万円宛(金二五万円については、既に原審において請求し、認容されている。)、合計金三〇〇万円宛及び右金二五〇万円については、本件事故後である昭和四〇年九月一日から、右金五〇万円については附帯控訴状送達の日の翌日である昭和四〇年五月八日から、各完済に至るまでそれぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
(4) なお被控訴人らが、控訴人ら主張のような遺族補償費、葬祭料の支給を受けたことは争わないが、葬祭料については、これを本件損害賠償額の算定に当つて考慮すべきでない。
(三) 請求拡張部分に対する控訴人らの答弁
(1) 被控訴人らの前記主張事実中、亡谷口幸一が被控訴人らの間に昭和二二年一月二〇日出生した五男であること、右幸一が訴外四国運輸建設株式会社に雇われ(トラック臨時作業員)、本件事故当時同会社において就労中であつたことは認めるが、その余の事実はすべて争う。
(2) 仮に控訴人らにおいて、本件事故による損害賠償義務があるとすれば、その賠償額の算定に当つて、労働者災害補償保険法により、(イ)被控訴人谷口春茂に対し支給された遺族補償費金二一万五五一〇円、及び葬祭料金二万五八六一円、計金二四万一三七一円、(ロ)被控訴人谷口良恵に支給された遺族補償費金二一万五五一〇円は、それぞれ控除されるべきである。
三、証拠
当事者双方の証拠の提出、援用、認否は、次に附加するほかは、原判決の事実摘示中五、証拠の項に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
(一) 被控訴人ら代理人は、甲第一一、第一二号証を提出し、当審証人黒岩崇、同藪田[風易]治の各証言を援用し、乙第六、第七号証の各一、二、第八号証、第九号証の一ないし三の各成立を認め、乙第一〇号証の一、二の成立は不知、と述べた。
(二) 控訴人指定代理人らは、乙第六、第七号証の各一、二、第八号証、第九号証の一ないし三、第一〇号証の一、二を提出し、当審証人広瀬盛清、同古谷重利、同北沢長壽、同尾崎晴光、同西本速夫、同多田耕三、同山崎満高、同黒田武吉、同山中忠、同藤原稔弘、同森庸夫、同福井迪彦の各証言並びに現地検証の結果を援用し、甲第一一、第一二号証の各成立を認めた。
理由
第一、本件事故の発生
一、谷口幸一は、訴外四国運輸建設株式会社(以下単に四国運輸という)に雇われていた者であるところ、昭和三八年六月一三日、金子香栄が運転する四国運輸所有の一九六一年型六トン車日産UD六八〇型貨物自動車(高1い一〇-八七号)に助手として同乗し、高知市から高知県中村市に向う途中、同県須崎市安和、長佐古トンネルの北方約二〇〇米の道路上で、上方からの落石に起因する事故により死亡したこと(以下本件事故という)は、本件当事者間に争いがない。
二、そして成立に争いのない乙第一号証の一、二、同第二号証の一ないし三、甲第一号証、同六号証の一ないし三、同第七号証に、原審証人金子香栄、同下岡正昭、当審証人黒田武吉、同古谷重利の各証言、並びに原審及び当審における各検証の結果を綜合すると、前記貨物自動車は、当日国道第五六号線を進行し、午後〇時三〇分頃時速約三五キロ位で、先行する小型貨物自動車(四国運輪所有、運転手黒田武吉、助手下岡正昭)より二〇米位離れて、本件事故発生地点にさしかかつたところ、突然進行方向に向つて右側山地の上方、道路からの斜距離約七七米(垂直距離約六五米)の個所が、幅約一〇米、高さ約二米にわたつて崩壊し、相当量の土砂と共に大小二〇個位の岩石が道路上に落下して来たこと(以下これを本件崩土という)、そのため前記先行の貨物自動車にも、その運転台と荷台との境部分に直径五〇糎位、厚さ三〇糎位の石が当ると共に、本件貨物自動車の運転助手席上部に、直径約一米位の岩石(重量約四〇〇瓩)が落下し、助手席に乗つていた前記谷口幸一(昭和二二年一月二〇生、当時十六才)が、その衝撃により、内臓破裂の傷害を受け、路上にほうり出されて即死するに至つたこと(なお金子運転手は、負傷に止つた)を認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はない。
第二、本件道路の沿革
本件事故が発生した道路は、高知県須崎市安和より同県高岡郡中土佐町久礼に通じているものであるが、この道路は、昭和五年に高知県道高知中村線の一部として開通したこと(昭和五年一一月一九日高知県告示第六三八号参照、なお右道路のうち、安和より海岸線に沿い、長佐古トンネルに至る約二、〇〇〇米の区間を、以下本件道路と称す。原審検証調書添付見取図第一図参照)、右高知県道は、昭和二八年五月一八日二級国道松山高知線として指定を受け、更に昭和三七年五月一日一級国道五六号線(高知市より土佐市、須崎市、中村市、宿毛市、宇和島市、大洲市、伊予市を経て松山市に至る)として指定されたこと(昭和三七年五月一日一級国道の路線を指定する政令等の一部を改正する政令参照)は、弁論の全趣旨並びに関係法令に照し明らかである。
第三、本件道路の管理主体
本件道路は、前記のように一級国道五六号線の一部であるところ、これを高知県知事が管理し、同知事は、その維持、修繕その他の管理を高知県須崎土木出張所の所管とし、同所長以下の職員をしてその任に当らしめていたことは、本件当事者間に争いがない。
第四、本件道路の概況
本件道路は、もともと高さ約二〇〇米に及ぶ急傾斜の山岳がそのまま海中に没するところを、その中腹を切取つて設置されたものであり、中土佐町に向つて左側は、海岸線に沿つているのに対し、その右側は、あたかも屏風を立てたような山の急斜面に接していること、並びに本件道路の幅員は、約六米で、舗装されていない砂利道であることは、成立に争いのない甲第二号証の一、二、原審及び当審における検証の結果に照し明らかである。
第五、本件道路の重要性
成立に争いのない甲第七号証に、原審証人金子香栄、同尾崎晴光、同和泉一の各証言並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、須崎市より中村市方面に出る道路としては、須崎市より大野見村を経て窪川町に通ずる道路が存するけれども、右道路は、甚しく迂回することになり、且つ大型自動車の通行に無理があること、従つて本件道路がいわば須崎市から中村市に通ずる唯一の幹線道路であり、高知市方面と中村市方面とを結ぶ重要交通路であることを窺うことができる。
第六、本件崩土発生の原因
原審及び当審証人西本速夫(高知県開発総室主幹)の証言に徴すれば、本件崩土が生じた箇所及びその附近の地質は、砂岩と頁岩の互層帯を成して居り、頁岩は砂岩に比して風化し易いため、長年月に亘る頁岩の自然風化に、降り続いた雨が誘因となつて、本件崩土を起したものであることを肯認することができる。そして本件事故発生前の昭和三八年六月上旬頃須崎市附近は、雨天の日が多く、相当の降雨があつたことは、成立に争いのない乙第四号証、同第三号証の一ないし三により、これを窺うことができる。
第七、本件道路の危険性
一、控訴人らは、本件道路の区間内に従来落石が或程度あつたことは、必ずしもこれを争わないところであるが、従来の落石或は崩土の状況につき、本件にあらわれた各証拠を検討して見るに、
(1) 原審及び当審証人尾崎晴光(当時の須崎土木出張所長)は、須崎市安和海岸附近の道路においては、落石の危険があることを承知して居り、須崎土木出張所長着任(昭和三八年四月一日)前に、本件事故現場より一粁位須崎寄りの地点で、進行中の自動車のフロントガラスに握り拳位の大きさの石が飛んで来て、右ガラスを損傷したことがあるとのことを聞いた旨
(2) 原審証人竹崎茂太郎(須崎土木出張所修路工手)は、自分の担当区域は、須崎中学校前から久礼(中土佐町)との境に至る道路(本件道路が含まれる)であるが、右担当区域内で落石(石がパラパラと落ちて来ること)や崩土(土砂に石が混つて落ちて来ること)が多くあり、右道路区間は、全線危険性がある。なお昭和三六、七年頃本件事故現場より六、七百米須崎寄りで崩土のため車が埋つているのを見たことがある旨
(3) 原審証人中脇良孝(須崎土木出張所補修係)は、本件道路において、小さな石が落ちることは始終あり、昭和三五年頃小さな石が車に当つたことがあると聞いている旨
(4) 当審証人広瀬盛清(元須崎土木出張所現場監督)は、本件道路においては、台風や豪雨のあとなどに、山崩れのあるなしにかかわらず、天気になる前に、地盤がゆるんで石がバラバラと落ちて来ることがある。自分も通行している時に、バラバラと小石が落ちて来たのを経験したことがある。また自分の在任中(昭和三三年七月から昭和三七年一月まで)二回程崩土があつたが、それは山側約三〇米位の高所からであつた旨
(5) 当審証人北沢長壽は、自分は安和に居住して居り、戦前須崎土木出張所に工手として勤務していたことがあるが、南海大地震(昭和二一年一二月)より前に、黒滝、小水谷、松ばえのあたり(いずれも安和より本件事故現場に至る間)で、崩土があつたことがあるが、南海大地震以後においても、昭和二五年頃本件事故現場より一五〇米位北方の本件道路上に、崩土が来たことがある旨
(6) 原審証人金子香栄(本件貨物自動車の運転手)は、数年前に、本件事故現場附近で、四国運輸の自動車が落石に遭遇したことがあり、自分も直径三〇糎位の石がバラバラと落下するのを何回か見たことがあり、特に本件事故現場から須崎寄り三〇〇米位の箇所において、落石が多かつた旨
(7) 当審証人黒田武吉(先行自動車の運転手)は、これまで本件道路を通る時に、石が落ちていたことは、五回や六回はあつた。その石は、約三貫か四貫位なものであつた旨
(8) 原審証人下岡正昭(先行自動車の助手)は、本件事故現場附近は、落石の危険があると聞いて居り、車に石が当つたこともあると聞いていた旨
(9) 原審証人松本喜志馬(四国運輸の自動車運転手)は、須崎市安和の海岸は、戦前戦後を通じ、落石の多い所であり、特に長佐古トンネルの前後附近でよく落石があるが、本件事故現場附近でも落石があつた。自分の眼の前に石が落ちたこともあり、また崩壊があつて、ボロボロと崩れ落ちているところを目撃したこともある。なお本件事故の一カ月位後にも、本件事故現場からさほど遠くない地点で、三輪自動車が落石に遭い、損傷を受けたことを聞いたことがある旨
(10) 当審証人多田耕三は、長佐古トンネルから本件道路を北へ三〇〇米位行つた所が、従来落石のあつた箇所である旨
(11) 当審証人山崎満高は、長佐古トンネルから本件道路を東北へ一、〇〇〇米位行つた附近で、石がよく落ちる。自分も小さい石が落ちたところは再三見たことがある旨
(12) 当審証人藤原稔弘(元須崎警察署交通主任)は、安和海岸の道路においては、小さい石がボロボロ落ちる程度の箇所が十二、三カ所位あつた。また長佐古トンネルより本件道路を二、三百米位須崎に寄つた箇所で、山崩れが二、三度あつたが、それは山側約五、六十米位の高所からであつた旨
それぞれ証言している(右各証言内容につき、原審検証調書添付見取図第一図参照)。
以上摘記の各証言に、後記認定のように、高知県須崎土木出張所において、従来本件道路に「落石注意」の標札を立てたりなどした事実を総合すれば、落石或は崩土があつた場所及び時期の点につき幾分明確を欠くきらいがあるとはいえ、いずれにしても、本件道路においては、従来山側から、しばしば落石があり、また何回か崩土もあつた事実を肯認するに十分である。
二、ところで前記第一で認定したような本件事故が発生したこと自体、本件道路が危険であつたことを示すものであるが、これに本件道路においては、従来右一、で認定したような落石及び崩土があつた事実を併せ考えると、本件道路は、山側から、何時落石があつたり、或は崩土が起るかも判らず、本件道路を通行する人及び車は、たえず危険にさらされていたことを窺うことができる。
第八、本件道路の管理状況
原審証人竹崎茂太郎、当審証人古谷重利、同北沢長壽、同広瀬盛清、同藤原稔弘、同山崎満高、同多田耕三、同山中忠の各証言を綜合すれば、本件道路を管理する任に当つていた高知県須崎土木出張所においては、(イ)昭和二三年頃から昭和三〇年頃までの間は、崩土があつた時など、本件道路の区間内で年に五、六回通行止めをしたことがあり、(ロ)昭和三〇年以後においては、本件道路の区間中安和寄り黒滝の附近に、「落石注意」或は「これより落石あり」と記した標識を立てたことがあり、(ハ)昭和三四、五年頃須崎警察署、高知県交通安全協会須崎支部と三者合同して、本件道路の危険箇所(崩土または落石のおそれがある箇所)を調査し、本件道路の区間内十二、三箇所に、長さ一間位の竹竿の先に赤の布切れをつけたものを立てたことがあり、また(ニ)従来大雨があつた後などには、所属の修路工手らをして、本件道路の見廻りをさせていたことを認めることができる。しかし高知県須崎土木出張所において、本件道路につき、右認定のような措置以外に、本件道路通行の安全性を確保するための措置を講じた事実を認めるに足る証拠はない。
なお前記(ロ)の「落石注意」の標札が、本件事故発生当時まで存在していたかどうかについては、これを確認するに十分な資料がなく(原審証人金子香栄、同下岡正昭、当審証人黒田武吉の各証言によれば、本件事故発生当時には、右標札がなかつたことを窺うことができる)、原審及び当審証人尾崎晴光の証言に徴すれば、同証人は、昭和三八年四月一日須崎土木出張所長に就任後、本件道路に「落石注意」の標識を整備する必要を感じ、同年五月末か六月初頃須崎市の塗料店へ標識を数本注文していたが、その製作が遅延し、本件事故発生までに間に合わなかつた事実を認めることができる。
第九、道路管理者の義務
およそ道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もつて一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならないこと道路法第四二条第一項の明定するところである。そして成立に争いのない乙第六号証の二によれば、建設省道路局長は、昭和三七年八月二八日各都道府県知事、五大市長に宛て、「道路の維持修繕等管理要領」と題する通達を発していること、右通達によれば、道路の構造を保全し、円滑な交通を確保するため、道路の維持、修繕等の管理の万全を期することを基本方針とした上、交通及び沿道住民の危険を防止する対策として、防護柵、道路照明灯、道路標識、区画線、横断歩道橋等の道路交通安全施設の設置を強力に推進すること(管理要領五参照)を指示していること明らかである。
従つて本件道路の管理者たる高知県知事(国の機関として)も、本件道路の通行者が安全に通行できるよう、万全の措置を講ずべき義務があること多言を要しない。
第十、本件道路管理の瑕疵
国家賠償法第二条第一項は、「道路の管理に瑕疵があつたために、他人に損害を生じたときは、国または公共団体は、これを賠償する責に任ずる」旨規定しているところ、右「道路の管理に瑕疵があつた」とは、道路の管理の不完全により、道路が道路として通常備えるべき安全性を欠いていたことを指称するものと解するのが相当である。そして右の場合道路管理者側に過失があつたかどうかは、これを問うところでないと解すべきである。
そこで今本件につき見るに、本件道路において、本件のような瞬時にして貴重な人命を失うような非惨な事故が発生したこと、従来本件道路の区間内において、しばしば落石或は崩土があつたこと、そのため本件道路を通行する者は、いつ何時落石または崩土に遭遇するかも判らず、非常な危険にさらされていたこと前認定のとおりであるところ、本件道路管理者側においては、右落石或は崩土の危険に対し、従来前記第八に認定した程度の措置を採つたことがあるに過ぎず、本件道路に防護柵或は防護覆を設置するとか、山地側に金網を張るとか、或は常に山地斜面部分を調査して、落下しそうな岩石があるときは、これを除去し、崩土が起るおそれがあるときは、事前に通行止めをするとかなどの措置を採つた形跡のないことも前叙認定に照し明らかである。まして本件事故発生までは、本件道路管理者側において、本件道路に面する山地部分の地質を調査して、落石或は崩土に対する根本的対策を樹てようとした形跡などは、全然見られない。
そして本件道路が、さきに認定したように、当時一級国道であり、高知市方面と中村市方面とを結ぶ交通上極めて重要な道路の一部であることをも考慮に加えると、本件道路は、その通行の安全を確保する上において、その管理が完全でなく、ために道路として通常備えるべき安全性を欠いていたものと断ずるに十分である。従つて本件道路については、その管理に瑕疵があつたことは、これを否定することはできない。
第十一、控訴人らの所論に対する判断
(一) 控訴人らは先ず、道路管理の瑕疵の有無は、本件事故発生現場に限定してこれを論ずべきである、と主張する。しかし証人西本速夫は、当審において、砂岩と頁岩(風化し易い)との互層帯は、一般に横のひろがりがあり、一定の方向に連なつているものであつて、本件崩土が生じた箇所の右互層帯の延長上には、同種の互層帯が存するものと推定されるとの趣旨の証言をして居り、右証言と、さきに認定したように本件道路においては、従来しばしば落石或は崩土があつた事実とを綜合すると、右落石或は崩土は、本件道路の山側の地層にその原因があるものと推認される。従つて仮に控訴人ら主張のように、本件事故発生地点においては、南海大地震の際の大きな崩土を除き、従来落石或は崩土がなかつたとしても、本件事故発生地点に局限して、道路管理の瑕疵の有無を論ずるのは、妥当でなく、本件の場合においては、本件事故発生現場を含む本件道路全般(その区間は、さきに限定したとおり)についての危険状況及び管理状況等を考慮に容れて、道路管理の瑕疵の有無を決するのが相当である。
(二) 次に控訴人らは、本件崩土が起きた箇所は、その峻険な地形に照し、事前に調査などすることは事実上不可能である、と主張する。なるほど本件崩土が起きた箇所は、さきに認定したように、垂直距離約六五米(斜距離約七七米)の高所であり、道路からは草木に遮られて見えない上、急斜面であつて登ることも容易でないことは、原審及び当審における検証の結果に照し、これを認めることができるけれども、本件道路に面する山地部分が、全然登ることの不可能な地形であるとは、到底見られない。そして若し登つて、地質、地層等を調査するならば、落石或は崩土の危険を予知できたであろうことは、原審及び当審証人西本速夫の証言に徴して明らかである。従つて、本件崩土が起きた箇所を事前に調査することは不可能であるとの所論は、採用できない(なお本件崩土が生じた箇所附近の山地は、私人(辻勇八)の所有地に属すること原審証人尾崎晴光の証言に徴して明らかであるが、道路管理者またはその命じた者若しくはその委任を受けた者は、道路に関する調査、測量若しくは工事又は道路の維持のため必要ある場合においては、他人の土地に立ち入ることができることは、道路法第六六条に規定されているところである)。
(三) 次に控訴人らは、本件道路に防護柵等の防護施設を設置するには、巨額の費用を要し、予算面において到底不可能である、と主張する。成立に争いのない乙第九号証の一、二及び当審証人福井迪彦(四国地方建設局道路計画課長)の証言に徴すれば、本件道路に防護柵(金網張軌条造落石止柵、二米間隔で、長さ一〇米、重さ三〇瓩の軌条を立て、その上部を四五度に曲げて、金網を張る)を設置するとした場合、一米の単価が金四万五〇〇〇円で、全区間を一、〇〇〇米として、約金九、〇〇〇万円の費用を要することを窺うことができる。右費用の額が、相当の多額であることは否定できず、高知県として、その予算措置に窮するであろうことは、容易に察せられるとこではあるが、それだからといつて、道路の管理の瑕疵によつて生じた損害に対する賠償責任が免責されると考えるのは相当でない(地方公共団体が予算の範囲内で道路の管理をしたからといつて、直ちに道路の管理の瑕疵がないとはいえない点につき、最高裁判所昭和四〇年四月一六日判決、判例時報第四〇五号九頁参照)。
(四) 控訴人らは、本件道路については、道路構造令(昭和三三年政令第二四四号)第三一条の適用がないから、防護施設を設ける義務がないとも主張する。しかし右道路構造令第三一条は、「(前略)なだれ、落石等により交通に支障を及ぼし、若しくは道路の構造に損傷を与えるおそれがある箇所には、さく、駒止、擁壁その他の適当な防護施設を設けるものとする」と定めているところ、本件道路は、現行道路法(昭和二七年法律第一八〇号)施行当時既に存在していた道路であるから、これを改築する場合を除き、右道路構造令が直接適用されないとしても(道路法施行法第一〇条第一項参照)、本件道路に前認定のような落石または崩土の危険性が存する以上、道路管理者としては、右第三一条の趣旨に則り、状況に応じて適当な防護施設を設け、危険性の除去に努めるべきは、当然である。
(五) 控訴人らは、本件事故は、異常な天然現象から生じた災害であつて、全く不可抗力に基づくものであると主張する。ところで本件事故前の昭和三八年六月上旬頃、須崎市附近は、雨天の日が多く、降り続いた雨が誘因となつて、本件崩土を起したものであることは、さきに認定したとおりであるが(前記第六参照)、本件道路においては、従来しばしば落石または崩土があつたことは、前記第七に認定したとおりであり、降雨の続いた後などに、落石または崩土が起るかもしれないことは、十分予測し得るところであつて、これに対処して道路の安全を図る方法が全然なかつたとは考えられないから、本件事故前の気象状況が或程度異常であつたにもせよ、本件事故の発生が不可抗力に基づくものであるとは、到底認められない(なお控訴人らが本件事故当日襲来したと主張する台風第二号は、当日の午後一〇時頃四国南西部に上陸したものであること成立に争いのない甲第一〇号証の一に徴し明らかであつて、本件事故発生前においては、右台風の影響は格別なかつたことが窺われる)。
その他控訴人らの提出援用に係る各証拠を仔細に検討しても、控訴人らの所論は、未だこれを採用し難い。
第十二、控訴人らの損害賠償責任
以上の説示により、本件事故は、本件道路の管理に瑕疵があつたために生じたものといわざるを得ず、本件道路は国道(国の営造物)であつて、高知県知事が管理していたものであるから、控訴人国は、国家賠償法第二条第一項により、控訴人高知県は、管理費用負担者(道路法第四九条参照)として、国家賠償法第三条第一項により、それぞれ本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責に任ずべきであるといわなければならない。
第十三、損害額について
(一) 亡谷口幸一の財産上の損害
成立に争いのない甲第一号証、乙第五号証、原審証人和泉一、同金子香栄、同下岡正昭、同松本喜志馬、当審証人黒田武吉、同黒岩崇、同藪田[風易]治の各証言並びに原審における被控訴本人両名の各供述を綜合すると、谷口幸一は昭和二二年一月二〇日被控訴人らの五男として出生し、健康に恵まれ、昭和三七年一一月二五日訴外四国運輸建設株式会社に自動車運転助手として雇われ、将来は、自助車運転手として同会社に勤務する意思を持ち、そのため、助手として勤務の傍ら、運転手である金子香栄の指導で運転技術の習得に励んでいたこと、同会社における同人の死亡時の助手としての給与は、一ケ月平均金一万一〇〇〇円を下らなかつたこと、そして遅くとも、昭和四〇年六月頃までには、同会社の運転手に採用される見込があり、その時点における同会社の一八才の運転手の給与は、一ケ月金二万五〇〇〇円を下らないものであること、同会社は、定年は五六才であるところ、谷口幸一は、死亡時一六才を超えたばかりであつて、死亡しなければ、昭和四〇年六月までは助手として(その期間二年)、それ以後は運転手或は作業員として、少くとも三六年間は勤務し、その間右各金額を下らない収入を挙げることができたであろうにもかかわらず、本件事故による死亡によつてこれを失つたこと、以上の事実を認めることができ、右認定を動かすに足る資料はない。
ところで当審証人黒岩崇の証言、原審における被控訴本人谷口春茂の各供述を綜合すると、谷口幸一は、事故当時の生活費は、一ケ月金八〇〇〇円の支出で足りたこと、右は同人が前記会社の無料の宿舎に住込み、衣料品等を会社の支給物で済ませたためであることが窺われる。そうすると、同人の生活費としては、助手期間は、一ケ月金八〇〇〇円で足りるとしても、運転手に昇格し、年令も長ずれば、少くとも一ケ月金一万円の生活費の支出を要するものと見るのが相当である。
そうすると、助手期間の二年間は、毎月一万一〇〇〇円から金八〇〇〇円を控除した金三〇〇〇円、運転手となつた後三六年間は、毎月金二万五〇〇〇円から金一万円を控除した金一万五〇〇〇円の利益を得ることができたものというべきであるところ、これの死亡時における現価額(ホフマン式計算法に従い、一ケ月毎の複式計算方式により年五分の割合による中間利息を控除した額は、金三五五万四〇九七円(円以下切捨)となること算数上明らかである。従つて幸一は、本件事故により、右金額相当の利益を失つたことになるから、控訴人国及び高知県に対し、それぞれ同額の損害賠償債権を取得したこととなる。
ところで、成立に争いのない甲第一号証によれば、亡谷口幸一の相続人は、その両親である被控訴人両名であること(相続分各二分の一)明らかであるから、被控訴人両名は、各自右幸一の有する損害賠償債権の二分の一宛、すなわち金一七七万七〇四八円(円以下切捨)宛の債権を相続により取得したこととなる。
しかるところ、被控訴人らは、労働者災害補償保険法により、本件事故による遺族補償金として、それぞれ金二一万五五一〇円宛を給付されていること、当事者間に争いがないから、この金員は、控訴人らが賠償すべき金員から控除すべきものである。なお控訴人らは、被控訴人春茂が給付を受けた葬祭料も控除すべきであると主張するが、これは損害を填補するものでないから、控訴人らの右主張は理由がない。
(二) 被控訴人らの慰藉料について
前顕甲第一号証及び原審における被控訴本人両名の供述によると、谷口幸一は、被控訴人らの五男ではあつたが、生存する男子として事実上の三男であり、上二人の男子は、他県に転出し、或は病弱であるため、被控訴人らは、幸一に老後を託することとしており、同人に対する期待は大きかつたこと、同人の不慮の死亡により、被控訴人両名は、精神上大きな苦痛を蒙つたことを十分窺うことができる。この苦痛に対する慰藉料としては、前叙認定の諸事実を考慮に容れると、それぞれ金五〇万円を以て相当と認める(そのうち各金二五万円については、既に原審において被控訴人らの請求が認容されている)。
第十四結論
そうすると、控訴人らは、被控訴人らに対し、それぞれ、財産上の損害賠償として各金一五六万一五三八円及びこれに対する本件事故発生後であること明らかな昭和四〇年九月一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、並びに慰藉料として各金二五万円及びこれに対する本件事故発生後であること明らかな同年五月八日より完済に至るまで前同率の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務があるものというべきである。
よつて、被控訴人両名の慰藉料請求を認容した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条第一項に従い、本件各控訴を棄却することとし、被控訴人らの当審における請求拡張部分については、前記認定の限度でこれを認容し、その余の部分は、失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、同法第九五条、第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について、同法第一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 浮田茂男 裁判官 加藤龍雄 裁判官 山本茂)