高松高等裁判所 昭和40年(ネ)136号 判決 1967年9月06日
控訴人(被申請人) 松山生活協同組合 外一名
被控訴人(申請人) 中川境子
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人の申請を却下する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文第一項と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、疎明方法の提出、援用、認否は、次に附加するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、その記載をここに引用する。
(一) 控訴人松山生活協同組合(以下単に生協という)の主張
生協が被控訴人を解雇するに至つたのは、前示(原判決事実摘示中被申請人及び引受参加人の主張参照)のような行動に出て、(一)上司の命に従わないのみならず、上司に圧力を加えて業務の運行を妨げ、(二)同僚を煽動して勤労意欲を低下させ、生協の経営する松山市民病院(以下単に病院という)の経営秩序を破壊したため、生協としては、被控訴人を病院組織の中に置いておくことはできないと判断して、解雇したのである。昭和三六年九月初頃における被控訴人の行動も正当な労働組合活動ではなかつた。すなわち、病院の新館移転に伴う看護婦等の増員問題については、昭和三六年七月六日に生協側から計画案を労働組合(以下組合という)に提示し、翌七日組合側から右計画案に対する意見即ち被控訴人主張のいわゆる五項目の要求が出され、翌八日生協側の回答として、(一)外来担当看護婦の居残りは、午后七時までとする、(二)準夜間勤務者は二名、深夜勤務者は一名とする、(三)主任看護婦は夜勤をしない、(四)病棟の看護婦詰所勤務(以下詰所という)は、看護婦一〇名見習一名、計一一名とする、(五)外来担当看護婦の欠員は、外来担当看護婦の間で都合をつける、との趣旨の回答をなし、組合側は、これに対し執行委員会、組合大会等を開き、同月三一日執行委員会において生協側の右回答を了承し、(一)外来担当看護婦は午后七時まで、それ以後は三階詰所の看護婦があたる、なお午后五時以後の患者は真の急患のみを受付けることとし、そのように患者を指導する、(二)詰所については、患者の状態によつて看護婦数を考慮する、(三)入院患者に対する給食の配膳がおそくなつた場合、三〇分位の居残りはやむを得ない、ということで了解したのである。団体交渉も、七月六、七、八日の三日間行われただけで、同年八月九日、一〇日の両日にわたつて、旧館から新館への移転が円満に実施された。そして新館移転当時の入院患者数は、三〇名であつたが徐々に増加し、同年八月末頃ようやく七六名位に達したのである。ところで看護婦の定員数は、入院患者の数に応じて定められるべきものであるところ、新館移転後も定員数はこれを充足していたのであつて、看護婦は或程度多忙であつたにしても、てんてこまいするような状態ではなかつた。ところが、同月二七日から詰所が二階と三階とに分れたことから、組合側から、準夜間勤務者、深夜勤務者をそれぞれ二名宛にしてほしいとの要求があり、生協側は、九月六日二階は準夜間勤務者、深夜勤務者各一名、三階は準夜間勤務者二名、深夜勤務者一名、但し深夜勤務者については実態調査をした上更に考慮することとし、組合側もこれを了承したのである。しかるに被控訴人だけが既に組合において了承したこと或は看護婦の定員数に関する法規を無視して、直接或は被控訴人の指導下にあるグループに属する他の看護婦を煽動して、生協側に抗議していたに過ぎないのであつて、被控訴人の行為は、正当な労働組合活動とは言えないのである。従つて生協が被控訴人を解雇したことが不当労働行為となるいわれはなく、また右解雇には、正当の事由があつたものであり、解雇権の濫用にも当らない。
(二) 控訴人財団法人永頼会(以下単に永頼会という)の主張
生協は、(イ)医学の急速な進歩による施設の改善及びこれに伴う医師、医療従業員の充足の必要、(ロ)医師全員の提供を受けかつ指導を受けている岡山大学医学部当局の考え方、(ハ)厚生省の医療行政の方向、(ニ)税法上の問題等からして、生協による病院運営が著しく困難となつたこと、並びに国民健康保険法の施行以来、生協の組合員の病院利用率も激減して来たこと等のため、昭和三八年暮頃から、これらの問題打開のため新らしく財団法人を設立し、これによつて病院を経営することが望ましいとの議が起り、昭和三九年五月二三日生協の総会において、新らしく設立される財団法人に病院の施設を寄附すべきことが議決された。その後永頼会が同年一一月一日設立許可を受け、同月一四日設立登記を経由し、同年一二月一日愛媛県知事より病院設備の使用許可を受けた上、生協所有の病院の建物設備を借受け、これを使用して診療業務を行うに至つたものである。そして生協と永頼会の間では、(イ)土地建物等病院設備は、寄附行為が完了するまで、永頼会が生協との使用貸借によりこれを使用することとし、永頼会は、その使用損料として生協に対し生協が金融機関に支払うべき利息相当額を支払う、(ロ)薬品等の消耗品は、永頼会が薄価で買取る、(ハ)生協の債権債務は引継がないこととし、生協の買掛債務等は、生協の未収診療費より支払う、(ニ)患者は、転医手続をとり、永頼会の新患として扱う、(ホ)生協の従業員は、全員解雇し、賞与及び退職金は生協より支払うこととし、他方永頼会は、従業員を公募し、審査の上新規採用することとする、但し特段の事情がない限り、生協の病院従業員は優先的に採用する、との了解事項を付することとした。従つて永頼会より生協に対しいわゆる営業権に対する対価その他これに類する補償は一切行われていないのであつて、企業或は営業の譲渡が行われたとする余地は全くない。また被控訴人を殊更に排除しようとする目的で永頼会を設立したものでもなく、永頼会と生協との間において、生協の病院従業員の労働契約を永頼会が承継するという明示ないし黙示の合意も存在していないのである。仮に両者の間に、永頼会が生協の病院従業員を引継ぐという暗黙の合意があつたとしても、引継ぐべき従業員は、昭和三九年一二月一日現在生協の従業員であつたものに限られるべきであるところ、被控訴人は、当時既に解雇されていたのであるから、被控訴人を含めて暗黙の合意があつたとは考えるに由なく、かえつて被控訴人については、その引継を除外する合意がなされていたものである。従つて被控訴人が永頼会の従業員であるとの被控訴人の主張は理由がない。
(三) 疎明<省略>
理由
一、当裁判所も、控訴人松山生活協同組合(以下生協という)が昭和三七年六月二二日なした被控訴人に対する解雇の意思表示は、被控訴人が労働組合の正当な行為をなしたことの故をもつてなされたものであつて、不当労働行為を構成し、その効力を生じないものと判断するところ、この点についての認定判断は、次に附加するもののほかは、結局原判決理由一、二と同一に帰するから、その記載をここに引用する(ただし原判決理由二の末尾中解雇権の濫用にあたるとの部分を除く)。当審における証拠調の結果を仔細に検討しても、未だ右認定判断を左右するに足りない。
生協は、被控訴人が主導者となつて、同僚看護婦のうち、駄場博美、汐見百合子、堤清子(現在日野姓)及び小島看護婦らと一派をなし、他の同僚を煽動して病院(生協の経営する松山市民病院を指す、以下同じ)の業務秩序を破壊し、或は上司に圧力をかけて病院の業務の運行を阻害し、従業員の勤労意欲を阻害した旨主張し、その具体的事例を多数挙げているので、その点につき判断を附加する。
(一) 原判決事実摘示中被申請人及び引受参加人の主張四の1について
原審及び当審証人赤松瑞恵、同竹村照子、同鈴木武の各証言は、右主張に副うかのようであるが、右各証言は、原審証人木下玖仁の証言に照らしにわかに信用できず、かえつて、同証人の証言に徴すると、昭和三五年五月頃病院の分院勤務の看護婦の間で、昼休時間に当番として勤務した者が、昼休をしなかつたことの代償として、午後五時までの勤務時間を一時間短縮して午後四時頃帰宅するようなことが時々行われていて、これが問題となり、院長から注意を受けたことがあつたが、右は被控訴人が同僚を煽動したものではなかつたことが疎明される。
(二) 同四の2について
原審及び当審証人竹村照子の証言によれば、被控訴人が「主任がとろとろしているから、帰るのが遅れるのだ」と言つたことが認められ、そのような発言自体は、いささか穏当を欠くが、同証言によると、右は昭和三六年八月頃病院の新館移転後、入院患者数が増加したのに対し、給食関係の炊事部門の人手不足が原因して、患者に対する配膳が遅くなり、そのため勤務時間を超えたことがあつた時に、竹村主任看護婦の居る所でなされた発言であること明らかであり、当時看護婦達に勤務時間超過を余儀なくさせたのは、病院側が入院患者の増加にもかかわらず、炊事部門を増員しなかつたことに基因することが窺われるから、右のような状況下における発言を捉えて被控訴人を責めるのは、相当でない。
(三) 同四の3、4について
この各主張事実は、生協が本件解雇理由7及び2として示したところとほぼ同一であるから、既に判断したとおりである(原判決理由引用)。
(四) 同四の5について
原審及び当審証人赤松瑞恵、同竹村照子の各証言によると、被控訴人が赤松看護婦長、竹村主任看護婦らに対し、見習看護婦に雑用をさせるべきでない旨申し出た事実は、疎明されるが、右各証言並びに原審及び当審における被控訴本人の供述を綜合すると、右申出は、病院側が見習看護婦の実習の名目で、雑用ばかりをさせることに反対する趣旨に出たものであることが窺われ、右のような申出は十分首肯できるところであり、生協主張のように、被控訴人が見習看護婦の勤労意欲を低下させるよう煽動したものとは認め難い。
(五) 同五の1前段について
右主張事実に副う原審証人大井淳道の証言は、原審証人汐見百合子の証言と対比してにわかに信用できず、その他右主張事実を認めるに足る疎明がない。かえつて、右証人汐見百合子の証言、原審における被控訴本人の供述を綜合すると、昭和三六年八月二二日頃の夜大井淳道(事務宿直)から汐見看護婦に対し急患の介助依頼をしたが、たまたまその時汐見は、手術後の患者の看護のため大井の右依頼に応ずることができなかつたものであることが疎明され、疎乙第一〇号証の二によるも右認定を動かすに足りない。
(六) 同五の1後段について
この主張事実を認めるに十分な疎明がなく、原審証人駄場博美の証言に徴すると、昭和三六年五月頃は、外来担当看護婦の欠員補充は、病棟勤務看護婦のうち清拭係が当ることとなつていたところ、その頃上司より投薬係の看護婦に外来勤務が命ぜられたので、どうして投薬係が行くのかと質問するとともに、いくらか不平を述べたが、結局は外来へ勤務に出たことが窺われる。
(七) 同五の2について
この主張事実についても、これを認めるに足る疎明がない。もつとも原審及び当審証人竹村照子の証言中には、右主張事実の前段に副うかのような部分があるが、右証言部分は伝聞であつて疎明があつたとは未だいい難い。
(八) 同五の3について
この主張事実のうち昭和三六年五月頃のこととして主張するところは、本件解雇理由4に相当するから、既に判断したとおりである(原判決理由引用)。その余の主張事実については、原審及び当審証人赤松瑞恵、同竹村照子の各証言中これに副う部分があるが、右各証言部分は、原審証人駄場博美の証言及び原審における被控訴本人の供述に照らすと、にわかに信用し難く、他に右事実を認めるに足る疎明がない。
(九) 同五の4について
この主張事実もこれを認めるに足る疎明がない。かえつて、原審における被控訴本人の供述によると、昭和三六年九月中頃、糖尿病患者が肩こりを訴えて来たのに対し、森貞看護婦が当直の渡部医師に指示を仰いだところ、同医師よりカンポリジンを注射するよう指示があつた、しかし右指示薬は当時病院になく、病院においてはカンポリジンに代る劇薬スパを使用していたので、森貞看護婦から被控訴人に対し、カンポリジンがないのだがどうしたらよかろうかとの相談があつたので、被控訴人は渡部医師に、カンポリジンがないので、スパを注射してはどうかと尋ねたところ、渡部医師からスパでもよい旨の返答があつたので、被控訴人はその旨を森貞看護婦に伝え、同看護婦がスパを注射したものであること、また三八度以上の発熱患者に対し氷枕を与えることは、医師の指示をまつまでもないことなどが疎明される。
(一〇) ところで、原審証人汐見百合子、同駄馬博美、同日野清子、同和田君子、当審証人水本君子の各証言、原審及び当審における被控訴本人の供述に徴すると、被控訴人、汐見百合子、堤清子(現在日野姓)らは、準看護婦の同期生、駄場博美は一級下の関係にあり、互に個人的に親しい間柄であること、そしてこれらの者は、いずれも労働組合における活動家で、日常看護婦の業務内容の明確化、労働条件の改善等につき強い関心を有し、且熱心に病院側に種々の要求を出していたものであることが窺われるが、本件にあらわれた各疎明方法を検討しても、生協主張のように、被控訴人を含めて右の者らが、グループとなつて、病院における業務秩序の破壊ないし同僚看護婦らの勤労意欲の低下を煽動するような行動をしていたものとは未だ認め難い。前記具体的事例の検討の結果から見ても、生協の主張は、多分に誇張のきらいがあり、事実に副わない観がある。
また生協は、被控訴人の昭和三六年九月上旬頃の行動は、正当な労働組合活動ではなかつた旨主張するので判断を加えるに、前記認定の事実(原判決理由引用)に当審証人八木武、同水本君子の各証言、当審証人鈴木武の証言の一部、原審及び当審における被控訴本人の供述を加えると、昭和三六年七月末病院側と労働組合との間に協定された人員の増員(薬局一人、検査室一人、炊事夫または調理士一人、看護婦の増員)が、同年九月頃に至るも実現されなかつたこと、そして同年八月末頃病棟勤務看護婦詰所が二階及び三階の二箇所に分れ、この詰所に勤務する看護婦の人員配置、特に準夜間、深夜勤務者の各人員数、備品不足等の問題が生じたため、その頃から九月初頃にかけて、右各問題を中心に病院側と労働組合側との間に折衝が行われ、被控訴人は、同年九月六日頃三好執行委員の代理人として団体交渉に出席して、病院側に対し諸要求をするとともに、席上法定看護基準につき看護婦の員数は、病床数を基準にして増員すべきであると強く主張し、病院側と論争したことが疎明される(原審及び当審証人鈴木武の証言、原審及び当審における永頼会代表者中西恒心の供述中右人員配置の問題については、八月三一日組合側と了解ができていたとの部分は措信できない)。ところで仮に、右団体交渉で被控訴人の主張した看護基準が誤つていたとしても(医療法施行規則(乙第一二号証の一ないし三)第一九条第一項第四号によると、看護婦数は、入院患者の数が四又はその端数を増すごとに一名と定められているが同条第三項但書によれば、右患者の数は、新規開設の場合は推定数による、と規定されている)、右認定のような被控訴人の行動が、労働組合の正当な活動でなかつたということはできず、生協の右主張は採用の限りでない。
二、次に控訴人財団法人永頼会(以下永頼会という)が生協と被控訴人との間の労働契約を承継したか否かにつき検討する。
成立に争いのない疎甲第一七、第一九、第二〇号証、同第二六ないし第三一号証、疎乙第六、第八号証、疎丙第四、第五号証、原本の存在及びその成立に争いがない疎乙第七号証、当審証人鈴木武の証言、当審における生協代表者薬師寺真の供述により真正に成立したことが認められる疎乙第一一号証、当審における永頼会代表者中西恒心の供述により真正に成立したことが認められる疎丙第二号証、原審証人中西恒心、原審及び当審証人鈴木武、当審証人明比順市の各証言、当審における前記各代表者の供述、原審及び当審における被控訴本人の供述、並びに弁論の全趣旨を綜合すると、
生協は、昭和三一年三月一九日設立された生活協同組合であるところ、その組合員及び組合員の家族のため、健康保険の被保険者なみの診療費で診療をする目的で、同年六月松山市民病院を開設し、同病院は次第に治療の充実、設備の拡充をして来たのであるが、(1)昭和三五年に松山市に国民健康保険事業が開始されるに至り、病院そのものの発展とは逆に、昭和三六年頃から生協組合員の患者が激減し、同病院患者のうち生協組合員の占める比率はわずか一、二パーセントになり、生協として松山市民病院を経営する意義が薄らいだこと、(2)同病院の医師は、殆んど岡山大学医学部出身者で占め、同大学から派遣されたような形であつたところ、同大学は、医師は生活協同組合経営の病院に就職するのを余り喜ばないから、財団法人或は医療法人経営の病院が望ましいとの意向を示し、生協としては、医師不足の折柄、同大学の右意向を尊重せざるを得なかつたこと、(3)財団法人組織の病院とすると、設備資金の融資、或は病床増加に際し有利な扱いが得られること、また(4)財団法人であれば、一定の条件のもとで課税上、優遇措置が得られること等のため、昭和三八年頃から、松山市民病院当局及び生協理事らとの間で、適当な財団法人を設立し、その法人によつて病院を経営することにしたいとの機運が生じたこと、かくて昭和三九年五月二三日開催された生協第九期総会において、このことが議題とされた結果(第三号議案、病院組織の変更について)、「財団法人を設立して、これに松山市民病院の施設その他をあり姿のまま財産を寄附する」との趣旨の決議がなされ(疎甲第二六号証参照)、この決議に基づき、生協理事会において、具体的に財団法人設立の計画が進められた結果、同年一〇月末頃生協の理事六名及び松山市民病院の医師三名を理事とする財団法人永頼会の設立をみるに至り、同年一一月一四日その登記を経由したこと、そこで生協は、同年一二月一日愛媛県知事宛に、病院の建物及び施設を永頼会に寄附するため、同年一一月三〇日をもつて松山市民病院を廃止した旨の届出をなし、一方永頼会は、同年一二月一日愛媛県知事宛に、松山市民病院を開設した旨の届出をなしたこと、かくて、松山市民病院の施設一切は、昭和三九年一二月一日を以て、生協から永頼会に引継がれ、この間松山市民病院の業務は、何ら中断されることなく行われたが、これより先同年一一月一二日生協と永頼会との間において、生協は永頼会に対し松山市民病院の建物及びその敷地、医療機器及び什器備品一切を、同年一二月一日より寄附の手続が完了するまで、無償で使用させる旨の使用貸借契約を締結していたこと(疎丙第二号証参照、病院建物については、昭和四〇年四月五日に至り、寄附を登記原因として、生協より永頼会に対し所有権移転登記がなされた)、そして診療継続中の患者については、昭和三九年一二月一日形式的に転医手続が行われ、病院従業員については、生協松山市民病院当局(院長中西恒心は、永頼会の理事長、事務長代理鈴木武は永頼会松山市民病院の事務長にそれぞれ予定されていた)と同病院の労働組合との話し合いで、生協が病院施設一切を永頼会に寄附するにつき、一応病院従業員を全員解雇することとするが、希望する者は永頼会の松山市民病院従業員として引続き雇用されることになるという了解が成立し、生協松山市民病院の昭和三九年一一月三〇日当時の医師、看護婦その他の従業員は、現職、現給のまま永頼会松山市民病院の従業員となつたこと(もつともそのうち一、二名は、この機会に退職している)、また、生協松山市民病院労働組合と生協との間の労働協約もそのまま永頼会との間で効力があるものとされたこと、以上の各事実が疎明される。
右疎明事実に徴すると、永頼会は昭和三九年一二月一日生協より生協が経営していた松山市民病院の施設一切(医療機器及び什器備品を含めて)を引継ぐとともに、転医手続をしたとはいえ、患者も引継ぎ、また医師、看護婦その他の病院従業員も生協当時の者らを使用して松山市民病院の経営を開始したこと明らかであり(病院の名称もそのまま)、松山市民病院の経営主体は、昭和三九年一二月一日を以て生協より永頼会に変つたものの、医療機関としての松山市民病院は、その同一性を維持していたものであつて、永頼会は生協より松山市民病院経営事業を同日現在の状態においてそつくりそのまま無償で譲受けたものと見るのが相当である。そうだとすれば、病院従業員と生協との間の労働契約関係も生協が一旦従業員全員を解雇し、永頼会が従業員を新規採用したような過程が履まれていたとしても、それは経営主体の交替に伴いそのような形式を採つたに過ぎず、生協と永頼会との間においては、労働契約関係を包括的に承継する暗黙の合意がなされていたものと推認するのが相当である。なお永頼会の従業員新規採用が形式にすぎなかつたことについて、原判決理由三のうち該当部分(原判決書第二八枚目裏第四行目より第二九枚目表第二行目まで)をここに引用する。
ところで永頼会は、仮に生協より病院従業員の労働契約関係を引継いだとしても、生協との間に被控訴人はこれを除外する合意があつた旨主張するが、当審における永頼会代表者中西恒心の供述を以てしても、右事実を認めるに十分でなく、他に右事実を認めるに足る疎明がない。
そうすると、永頼会は、昭和三九年一二月一日生協から生協と松山市民病院従業員との労働契約関係を承継したものといわざるを得ず、被控訴人に対する本件解雇が無効であつて、右昭和三九年一二月一日当時被控訴人が生協松山市民病院の従業員の地位を有していたことになることは、さきの認定により明らかであるから、被控訴人は同日永頼会の従業員たる地位を取得したものといわなければならない。
三、ところで当裁判所も被控訴人が本件解雇当時賃金として平均一ケ月金一万二七二七円の支給を受けていたこと、被控訴人が本件解雇によつて右賃金の支給を絶たれ、生活に困窮しているとともに、控訴人らから従業員であることを否定され、著しい損害を蒙つていること、従つて本件仮処分の必要があるとするところ、その認定判断は、原判決の理由四、と同一であるから、その記載をここに引用する。当審における証拠調の結果も右判断を動かすものではない。
よつて、右と同趣旨に出でた原判決(但し被控訴人の申請認容部分)は、相当であるから、民事訴訟法第三八四条により、本件各控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき、同法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 浮田茂男 山本茂 奥村正策)