高松高等裁判所 昭和49年(う)131号 判決 1974年10月23日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、記録に綴つてある新居浜区検察庁検察官事務取扱検事谷山純一作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人阿河準一作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
論旨は、要するに、原判決は、「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四八年五月二日午後一〇時五〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、交通整理の行なわれていない新居浜市西町二番一一号広島屋家具店前交差点を海岸方面から元塚方面に向け、左折進行するに際し、前記交差点の左右の見とおしが困難であつたから、一時停止または徐行して左右道路の交通の安全を確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、左方道路の安全を確認せず、漫然時速約二〇キロメートルで左折進行した業務上の過失により、左方道路から進行してきた河村英夫(当三〇年)運転の普通乗用自動車に自車の右前部を衝突させ、よつて右河村の車両の同乗者藤田光(当二六年)に加療約三か月半を要する左眼部打撲挫創等の傷害を負わせたものである。」との公訴事実に対し、被告人車両の左折時の速度は約一五キロメートル毎時と推認されるから、被告人が交差点進入に際し徐行義務に違反していることは疑いないとしながら、右徐行義務の懈怠は、本件事故発生についての注意義務違反にはあたらず、ないしは相当因果関係を欠くものと評価するのが相当であり、被告人としては、本件の具体的状況のもとにおいて、河村英夫が横断歩道の直前で先行車両を追越すため、中央線右側部分に進路を変更して、そのまま進路を維持したうえ、制限速度を超える速度で対面進行してくることを予見すべき特段の事情の認められない本件においては一時停止の義務も認められないので、被告人に過失の責を問うことはできないとして無罪の判決を言渡したのは、事実誤認ないし法令の解釈適用を誤つたものであり、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで、記録を調査し、原審で取調べた各証拠と当審における事実取調の結果を総合して、以下順次検討することとする。
まず、本件事故現場の道路の状況、事故発生の経緯並びに本件交差点における見とおしの状況等について調べてみるに、<証拠>を総合すると、本件事故現場の交差点は、愛媛県新居浜市西町二番一一号広島屋家具店南西部前にあたり、同市内の繁華街を東西に通ずるほぼ直線の幅員約10.8メートル(そのうち両側に約二メートルないし2.5メートルの路側帯がある。)の平坦なアスフアルト舗装道路(以下東西道路という。)と北方に通ずる幅員約4.8メートルの平坦なアスフアルト舗装道路(以下南北道路という。)とがほぼ直角に交つた交通整理の行なわれていない丁字路交差点であり、河村英男の進行した東西道路は、交通頻繁で、最高制限速度三〇キロメートル毎時の道路標識が設置され、中央線の道路標示が施されており、また、交差点東側入口の側端から東方約一七メートルの地点には信号機の設置されていない横断歩道(幅員約2.4メートル)が設けられているところ、被告人は、本件事故当時、普通乗用自動車(以下被告人車ともいう。)を運転し、南北道路を北から南に向つて進行し、本件交差点で左折し東西道路を東進しようとして、同交差点の北側入口の手前約五メートルの地点で左折の方向指示器を点滅させ、時速約一五キロメートルで交差点に入り、右方道路の交通の安全を確認し、ついで右入口から約三メートル交差点内に進入した地点で左方道路を見たところ、約一一メートル左前方を東から西に向け、東西道路の中央線を越えて進行して来る河村英夫運転の普通乗用自動車(以下河村車ともいう。)を発見し、直ちに急制動の措置をとつたが間に合わず、約2.7メートル進行した地点(東西道路の北側外側線から約1.6メートル中央線寄りの地点)で河村車の右前部と被告人車の前部とが衝突し、その結果河村車に同乗していた藤田光が公訴事実記載の傷害を被つたこと、他方、河村英夫は、河村車を運転し、時速約四〇キロメートルで東西道路を東から西に向つて進行中、前記横断歩道の東側側端から東方約五メートルの地点で先行する普通乗用自動車を追越すため進路を中央線を越えて道路右側部分に変更し、横断歩道を通過して道路右側部分を進行中、右前方約10.2メートルの地点に被告人車を発見し、直ちに急制動の措置をとるとともにハンドルを左に切つたが間に合わず、約7.1メートル進行して前記のとおり衝突したこと、並びに、南北道路を北から南、すなわち本件交差点に向つて進行する場合、同交差点北側入口の手前少なくとも七メートルの地点において交差点内の東西道路に施された中央線の道路標示を確認することができ、交差する東西道路が優先道路であることは看取することができるが、交差点北東角及び北西角から南北道路の両側には建物が建ち並んでいるため、交差点北側入口においては東西道路に対する左右の見とおしがきかず、その入口から約1.7メートル交差点内に進入して初めて左右道路を見とすことができる状況にあることが認められる。
まず、所論は、原判決が、「右横断歩道の東西の側端から各三〇メートルには黄色ペイントによる追越し禁止の道路標示が施されており、その標示線の西側部分は本件交差点内をよぎつている」と認定したことには重大な誤りがある旨主張するので按ずるに、前記実況見分調書及びに各検証調書を総合すると、右横断歩道の東西両側端から東西に各三〇メートルの間黄色ペイントによる道路標示が施されており、その西側部分は本件交差点をよぎつていることは原判決認定のとおりであるが、その標示線は、いずれも道路中央線上に標示されているものではなく、横断歩道の東側部分は中央線の南側に、同西側部分は中央線の北側にそれぞれ中央線に並行して標示されていることが認められる。ところで、道路標識、区画線及び道路標示に関する命令九条、一〇条によると、前記説示の黄色ペイントによる道路標示は、その標示線のある部分の道路を通行する車両に対して、追い越しのため右側部分にはみ出して通行することを禁止する標示であつて、いわめる追い越し禁止の標示ではないのであり、これを事故現場の道路にあてはめれば、前記横断歩道の西側部分の黄色ペイントの標示は、東西道路を西から東に向つて進行する車両に対し、追い越しのため右側部分にはみ出して通行することを禁止するものであつて、右道路を東から西に向つて進行する車両に対する規制を示すものではないのである。したがつて、原判決が、前記黄色ペイントによる標示をもつて追い越し禁止の道路標示であると認定し、東西道路を東から西に向つて進行する車両に対し本件交差点が追い越しの禁止場所であると認定したのは事実を誤認したか、あるいは前記命令の解釈を誤つたものであることは明らかである。
つぎに、所論は、原判決が、被告人が徐行義務に違反していることは疑いないとしながら、これが本件事故発生についての注意義務違反にあたらず、ないしは相当因果関係を欠くものと認定したのは誤りであるというので按ずるに、原判決は、被告人が時速約一五キロメートルで本件交差点に進入したのは徐行義務違反にあたるとしながら、右速度における広義の制動距離が約3.9メートルであつて、これは本件事故による衝突地点よりもわずかに1.2メートル前方に過ぎず、自己の進行しようとする道路左側部分内において停止可能な速度であつて、本件道路、交通の具体的事情のもとにおいては、なんら非難するに値しない旨認定判示している。しかし、自動車運転者に対し、交通整理が行わなれておらず、かつ、左右の見とおしがきかない交差点に進入するに際して徐行義務を課しているのは、いうまでもなく、左右道路の交通の安全を確認するための手段であつて、左右道路からの交通の危険に対処して直ちに停車し、それ以上交差点に進入することを防ぎ、交差点における車両同士の出合い頭の衝突や歩行者との衝突による事故の発生を未然に防止するにある。しかるに、原判決は、時速一五キロメートルの速度は、被告人の左折進入しようとする東西道路の左側部分で停止可能な速度であるから、なんら非難に値しないというのであるが、これは明らかに被告人が左折進行しようとする東西道路の左側(北側)部分に被告人の優先通行権を認める結果となり、道路交通法が認めた優先道路の趣旨にも反するものである。原判決が右のような認定をしたのは、結局、前記の黄色ペイントが追い越し禁止の道路標識であつて、本件交差点が追い越し禁止の場所であると誤認したことによるものといわざるを得ない。また、原判決は、本件衝突事故の発生と被告人が時速約一五キロメートルで本件交差点を左折進行しようとしたこととの間には相当因果関係が認められないとするのであるが、右は、徐行速度の限度が時速約一〇キロメートル程度であることを前提とし、かりに、被告人が時速約一〇キロメートル程度に減速して進行したとしても本件衝突事故を回避し得たかどうか疑わしいとするのである。ところで、徐行とは、車両等が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう(道路交通法二条一項二〇号)ことはいうまでもない。しかし、論旨も指摘するとおり、およそ、徐行とは、見とおしの難易等具体的状況に応じ、その制動距離、惰力前進距離を考慮に入れても事故の発生を避け得る速度で進行することをいうものと解するのが相当であつて、場合によつては、時速一〇キロメートル以下の速度で進行しなければ徐行とはいえないこともあるわけである。そして、本件において被告人がかりに時速五キロメートル程度に減速して徐行したならば本件衝突事故を優に回避することができたと認められるから、原判決が被告人の徐行義務違反と本件衝突との間には相当因果関係がないとしたのは、徐行の解釈を誤り事実を誤認したものというべきである。
原判決は、更に、「被告人としては、河村が横断歩道の直前で先行車両を追い越すため、中央線右側部分に進路を変更して、そのままの進路を維持したうえ、制限速度を超える速度で対向進行してくることは、特段の事情のない限り、予見すべき義務にあたらず、従つて一時停止の義務も認められないところ、本件においては、右特段の事情の存在を認めるべき証拠は発見できない。」旨認定判示している。河村英夫が事故直前横断歩道の東側側端から東方約五メートルの地点で先行車を追い越すため、進路を右に変更し、道路の右側部分を進行していたことは前記説示のとおりである。なるほど、横断歩道及びその手前の側端から前に三〇メートル以内の部分において追い越しのため、進路を変更することは禁止されている(道路交通法三〇条三号)。しかし、この規定は、もともと、横断歩道及びその手前における追い越しは、先行車に視界をさえぎられるため、横断歩道上の歩行者の発見が遅れ、歩行者に危険を及ぼすおそれが極めて大であるところから、これを禁止しようとする趣旨のものであつて、反対方向から進行して来る他の車両との関係を考慮した規定ではないのである。のみならず、河村英夫の右違反は、本件交差点東側入口から東方約一七メートルの地点に設けられた横断歩道(幅員約2.4メートル)の東側側端よりも更に東方約五メートルの地点におけるものであるが、右横断歩道の西側側端から以西では、追い越しのため中央線から道路右側部分にはみ出して進行することは後記説示のとおり適法なのであるから、右横断歩道があることを根拠にして、道路右側部分を西進する車両はないと判断するのは当然であるとは断定しがたいというべきである。また、河村英夫が、東西道路の右側(北側)部分の進行を続けたとの点については、車両は道路の左側部分を通行しなければならないとする道路交通法一七条三項所定の左側通行の原則には反していたものではあるが、しかし、同条四項四号によれば、道路の左側部分の幅員が六メートルに満たない道路において、他の車両を追い越そうとするときは、当該道路の右側部分を見とおすことができ、かつ、反対方向からの交通を妨げるおそれがない場合には道路右側部分にはみ出して通行することが認められているのである。そして、原審検証調書、原審第三回公判調書中の証人河村英夫の供述部分によると、河村英夫の進行した東西道路の左側(南側)部分の幅員は約3.35メートルであり、道路は直線で前方の見とおしはよく、同人が追い越しを開始した当時、反対方向から進行して来る車両もなく、反対方向からの交通を妨げるおそれもなかつたことが認められ、しかも東西道路は優先道路であつて、河村車のように右道路を西進する車両にとつては、本件交差点は追い越し禁止の場所にはあたらない(道路交通法三〇条三号)のであるから、河村英夫が追い越しのため、前記横断歩道の西側側端以西において、東西道路の右側部分を進行したことは違法とはいえない。ところで、同人が制限速度三〇キロメートル毎時を約一〇キロメートル越えた時速約四〇キロメートルで進行したことは前記説示のとおりであり、同人に速度違反があることは明らかである。しかし、その違反速度の程度はわずかに約一〇キロメートルにすぎないのであるから、河村車の右程度の速度違反をもつて、東西道路の北側部分を進行して来る車両はないと判断する資料となし得ないことは明らかである。
そこで、以上説示のような状況のもとにおいて、本件交差点で南北道路から左折して東西道路を東進する場合、左方道路から進行して来る車両のあることを予見できるかどうかについて検討するに、河村車のように東西道路を西進する車両は、前記横断歩道及びその東側側端から東方三〇メートル以内の部分においては追い越しのために進路を変更し、又は右三〇メートルの部分で追い越しのため道路右側部分にはみ出して通行することが禁止されていることは前記説示のとおりであるが、右横断歩道の西側側端から以西においては追い越し禁止が解除され、しかも追い越しのため道路右側部分にはみ出して進行することができるのみならず、追い越し禁止が解除されるとその直後において追い越しを開始する車両があることは容易に考えられるところであるから、本件交差点において、被告人のように左折しようとする場合、左方道路から追い越しのため中央線を越えて西進して来る車両のあることは当然予見できるところである。このことは、本件交差点で左折東進するとすれば、昼間は一時停出して左方及び右方の各道路の交通の安全を確認した後でなければ左折できないとする原審証人加藤無二の供述(第二回公判調書中の同証人の供述部分)によつても十分裏付けられるのである。したがつて、被告人は、交通整理が行なわれておらず、かつ、左右の見とおしがきかない本件交差点に進入するに当つては、一時停止又は徐行して左右道路の交通の安全を確認したうえ進行すべき業務上の注意義務があつたというべきである。しかるに、被告人は、右本件交差点を、南北道路から優先道路である東西道路に左折進入するに当つて、一時停止をすることなく、しかも時速約一五キロメートルの速度のまま、右方道路の交通の安全を確かめただけで、左方道路の交通の安全を確認しないまま交差点に進入したため、左方道路から中央線を越えて進行して来た河村車と衝突し、その結果藤田光が公訴事実記載のとおりの傷害を被つたのであるから、被告人に右注意義務違反があることは明らかである。
以上説示のとおりであつて、原判決が、被告人に過失の責を問うことはできないとして無罪を言渡したのは、事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つたものであつて、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において直ちに判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、自動車運転の業務に従事する者であるところ、昭和四八年五月二日午後一〇時五〇分ごろ、普通乗用自動車を運転し、交通整理の行なわれていない愛媛県新居浜市西町二番一一号広島屋家具店南西部前交差点を、幅員約4.8メートルの南北道路から幅員約10.8メートルの東西道路(優先道路)に左折進行しようとしたのであるが、同交差点の北東角及び北西角から南北道路の両側には建物が建ち並び左右の見とおしが困難であつたから、このような場合、自動者運転者としては、一時停止又は徐行して左右道路の安全を確認したうえ左折進行すべき業務上の注意義務があるのに、右方道路の安全を確認したのみで左方道路に対する安全確認を怠り、漫然時速約一五キロメートルで左折進行した過失により、左方道路から中央線を越えて進行して来た河村英夫運転の普通乗用自動車を左前方約一一メートルの地点に発見し、直ちに急制動の措置をとつたが間に合わず、同車右前部に自車前部を衝突させ、よつて右河村の車両に同乗していた藤田光(当時二六才)に対し加療期間約三か月半を要する左眼部打撲挫創等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(木原繁季 小林宣雄 山口茂一)