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高松高等裁判所 昭和56年(う)123号 判決 1981年9月22日

御国ハイヤー有限会社

右代表者代表取締役

甲野一郎

会社役員

甲野一郎

会社員

乙山二郎

右の者らに対する各労働基準法違反被告事件について、高知簡易裁判所が昭和五六年三月一八日言渡した判決に対し、弁護人から各適法な控訴の申立があったので、当裁判所は検察官赤池功出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人らはいずれも無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人徳弘壽男提出の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官赤池功提出の答弁書に記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

控訴趣意第一点の一について

弁護人の所論は、本件公訴事実は、被告人らが「賃金を現金で直接労働者に支払わなかった」というのであるところ、労働基準法(以下労基法という)二四条一項は「通貨で」支払うことを命じているのであり、したがって「現金払をしなかった」ことは同法条違反の構成要件該当事実ではないから、このような罪とならない事実をもってした公訴を受理し、かつ有罪判決をした原判決は、刑訴法三七八条二号前段に違反するというのである。

しかし、起訴状記載の公訴事実は刑罰法規に定める構成要件に当てはめて構成された特定の犯罪事実を具体的に記載するを要し、かつこれをもって足りるのであって、法文の用語をそのまま使用しなくても、これがいずれの構成要件に当てはまる事実であるかが明らかであればよい(たとえば、窃盗行為の「着手」につき「物色」の語を用い、「窃取した」を「すりとった」と表現するなど)と解されるところ、そもそも「現金」なる用語は、「通貨」と実質的にほぼ同様の観念であってこれが「通貨」と同義に用いられることもあるのみならず、原判決が引用する起訴状記載の本件公訴事実は、「もって賃金を現金で直接労働者に支払わなかった」と結ぶ前に、犯行の日時場所を明らかにしたうえ、「労働者岡田英世ほか五名に対する賃金を、本店において同人に支払わないで、同人ら名義の各銀行預金口座に振込入金して支払い」との具体的特定された事実を記載し、しかも、罰条として労基法二四条一項を掲げているから、右公訴事実は正に同項にいう通貨直接払の有無を問題としており、労基法二四条一項違反の構成要件である「通貨で直接支払わなかった」ことに当てはまる具体的事実としての記載であること明らかであって、原判決が罪とならざる事実をもって犯罪を構成するとし、不法に公訴を受理したうえ有罪判決をしたものということはできない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一点の二について

弁護人の所論は、原判決はその理由中「補足説明」及び「弁護人の主張に対する判断」において「現金」と「通貨」を混同し、また賃金支払の二大要件である通貨払いの原則と直接払いの原則を混同している点で、理由に齟齬があるというのである。

しかし、前記のとおり現金と通貨は同義に用いられることもあるのみならず、原判決が「補足説明」において説示するところは、被告人らのした銀行預金口座への振込入金の方法による賃金支払(以下「口座払」という)に対する労働組合の要求事項あるいは監督官庁の行政指導事項の具体的内容事実として、現金払を求め、あるいは現金払に切替えるよう行政指導した(上池章男、森沢能夫、岡崎正一の検察官に対する各供述調書において現金払の語が用いられている。)旨判示しているにすぎないものであり、また「弁護人の主張に対する判断」において説示するところは、弁護人の主張、すなわち口座払の方法によることは労基法二四条一項の法意に照らし通貨による直接払と同一視すべきものであって同条項に違反するものではないとの主張に対し、口座払の方法による賃金支払は本来使用者の行うべき賃金の支払に対し、労働者に若干の不便と一定の協力行為(括弧内省略)を義務化する点で、これをただちに「通貨」による「直接」払と同一視することはできず、労働者の同意なくこの方法によることは同条項に違反するものであり、労働者の申出または同意により口座振込を開始したものであっても、その後労働者から現金払の請求があった場合にこれに応じないで口座払の方法を継続するときは同条項に違反するもので、弁護人の主張は採用できない旨の原裁判所の見解を示したもので、その趣旨は判文上極めて明らかであり、原判決に刑訴法三七八条四号にいう理由のくい違いはない。本論旨も理由がない。

控訴趣意第二点について

弁護人の所論は、要するに、労働省の行政解釈(昭和五〇年二月二五日労働省労働基準局長発第一一二号の通達)に従えば、口座払の方法による賃金の支払は、これが(1)労働者の意思に基づくもので、(2)労働者が指定する本人名義の預貯金口座に振り込まれ、(3)振り込まれた賃金全額が所定の賃金支払日に払出しうる状況にあることの三要件を充す限り、労基法二四条一項所定の通貨による直接払の原則に違反しないと解され、本件においては右(2)(3)の要件は問題なく、(1)の労働者の意思に基づくものであるかが問題となるところ、原判決はこの点について、本件各労働者は一応口座払を承諾していたものの、その後現金払を希望するようになったものであり、被告人らは少なくとも労働基準監督署から労働者らの右希望を伝えられ、口座払を現金払に切り替えるよう行政指導を受けたとき以降は、労働者の右要求を知りながらこれに応じることはできないとして口座払を継続したものというべきであるから、労働者の意思に基づかない場合として同条項に違反すると判示しているが、本件各労働者は一応承諾したというのではなく、口座払によることを使用者と合意していたものであり、これにつき各労働者から会社側になんら解約の申入れもなかったもので、組合が労働基準監督署に会社への行政指導を要請したなどということから、賃金支払の方法に関する当事者間の契約が解除されるいわれはないから、原判決は事実を誤認し、ひいて法令の適用を誤ったものである、というものと解される。

そこで検討するに、労基法二四条一項は、労働者に支払われる賃金が中間搾取されることがないよう完全かつ確実に労働者の手に渡ることを期して、通貨で直接支払うべきことを命じたものであると解され、賃金の口座振込みによる支払が同項に違反するか否かはかねてから問題とされていたが、所論も指摘するとおり、昭和五〇年二月二五日労働省労働基準局長の基本通達があり、これに基づく行政指導が行われ実務に大きく影響を及ぼしていたと思料されるところ、原判決挙示の証拠によれば、本件各労働者はいずれも臨時雇であるが、それぞれ入社間もない昭和五二年から同五三年にかけてその振込まれるべき本人名義の口座等を指定して同意し、会社側と口座払による賃金支払につき合意し、右方法で相当期間異議なく賃金の支払を受けていたこと、ところが本件各労働者は、昭和五四年初めころから全自交労連高知地方本部みくに分会(以下、分会という)に加入し、分会は会社側との団体交渉の席上で、本件労働者を含む臨時雇の者一一名全員につき、被告人二郎に対し現金払をするよう申入れたが、会社側はこれに応じなかったこと、その結果、分会は同年一〇月中旬ころ同本部を通じ高知労働基準監督署に対し会社に対する行政指導方を要請し、これを受けた同署は同月二三日被告会社に労働基準監督官を派遣し、あるいは同月末ころ被告人二郎を同署に出頭させて、労働者の意思に反して口座払を続けることは労基法二四条一項に違反するから現金払に切り替えるよう行政指導したにもかかわらず、会社側はこれに従わなかったこと、以上の各事実を認めることができる。なお、被告会社の従業員総数は約一一〇名であり、このうち分会加入者は三九名である。

ところで、被告人甲野一郎同乙山二郎の司法警察員や検察官に対する各供述調書によると、被告人らはそもそも賃金の口座振込による支払は労基法二四条一項に違反しないとの基本的見解を有していたようでもあるが、一面、乙山二郎が昭和五五年二月八日付司法警察員に対する供述調書において、組合の団体交渉の席上組合員で口座振込み払いの者について現金払いにして欲しい旨の申し込みがあったが、組合側からは個々の従業員の要望であるというような話はなく、この申し込みは単なる組合執行部の話でなかろうかと考えていた、組合員で賃金の口座振り込み払いであった者一一名から現在に至るも私のところへは直接この賃金の支払方法を変えて欲しいという趣旨の申し込みはない、旨供述し、被告人甲野一郎同乙山二郎の両名が共に原審及び当審公判廷において、労働者個人が言うべきであり、個人からの申し出はない、賃金の口座振込を合意解除する申込みは受けていない旨、供述しているところよりみると、前記基本通達に従い、口座払による賃金支払をするには各労働者の同意を要するが、ただ本件においては、本件労働者各人からの会社に対する口座払による合意の解除の意思表示(口座等指定取消の通知や同意取消の通知を含む趣旨と解すべきだろう。)は未だなされていない、との認識で、口座払による合意が解除された効果は発生していないとの見解ででもあったように見受けられる。

ところで、労働者に対する賃金支払方法につき賃金を保護した労基法二四条一項の趣旨よりみて、前記基本通達における、賃金支払を口座払にするに必要な労働者の意思とは、労働者各人の自由な意思の趣意と解される。口座払の方法が通貨払と同一視できるほど便利なものであるかどうかはもっぱら個々の労働者の主観的事情によるとは、原判決の既に指摘するところであるが、その主観的事情は人によって異り得るのであるから、賃金保護の趣旨よりみて、先づ労働者各人の自由な意思が尊重されるべきことは多言を要しない。本件においても口座払の方法によることの合意は、各労働者と被告人ら会社側との間で個々的になされたものであり、したがって右支払方法の継続を希望しない労働者の合意の解除は、同様個々的に会社側との間になされなければならない。各労働者の個々的な口座等指定取消の通知なり、同意取消の通知なり、合意の解除申込なり、という性質を示すものが会社側に対しなされなければならない。その際においても保護さるべきは各労働者の賃金であり、重視さるべきは労働者個々の意思であり、たとえば、かりそめにもこれを組合がその斗争手段等として悪用したり組合の便宜のため左右したりしてはならないし、会社側としても、本人よりのものであると認められるものがあればそれが取消権の濫用等でない限り、誠実に対処し各労働者の意思を尊重すべきであると考える。

記録に徴しても、各労働者が会社側に対し口座等指定取消の通知なり、同意取消の通知なり、合意の解除申込なりを個々的にしたなどの事跡はない。誰一人として直接会社側に右のような手続をした者はないのである。ただ、現金払でするようにとの、分会からの団交の席上での申出があり、その分会からの要請を受けた労働基準監督官の行政指導があっただけである。しかも、分会からの申出は、その組合員となった臨時雇いの者一一名全員につき一律に現金払で行うようにというのである。このようにみてくると、団交の席上、分会長ら組合役員から現金払を求めるとの要求が出されても、それは組合執行部としての要求に過ぎないものであって、各労働者から会社側に対する口座指定等取消の通知や同意取消の通知・口座支払による賃金支払方法の合意の解除申込は未だなされていない、という被告人甲野、乙山両名の認識を示す前記供述を、必らずしも弁解に過ぎないと無下に一蹴することもできず、合意の解除の効果は発生していないとの同被告人らの主張も、少なくとも同人らの見解として無理からぬものをもっていると考えられるのである。他に右認定を否定するような証拠はない。

以上のことは、労働基準監督署の行政指導があった時点においても、それが前記のような組合からの申出に基づく行政指導である以上、同様に考えられるのである。もっとも、本件各労働者である岡田英世、福原有信、津田敏明の司法警察員に対する各供述調書によると、同人らは取調べに当った司法警察員である労働基準監督官に対し口座払ではなく現金払を求める旨供述し、その旨行政指導をするよう依頼しており、右取調べに当った労働基準監督官の一人である岡崎正一の検察官に対する供述調書によると、同人は被告人乙山二郎に対し分会の組合員は全員が現金払を求めている旨を伝え現金払をするよう指導した、と供述している。しかし、各労働者よりの口座払の合意の解除申込は会社にあててなされなければならないところ、労働基準監督官に対する現金払を求める旨の前記供述が即会社側に対する意思表示としてなされたものといえるか、そもそも疑問であるばかりでなく、労働基準監督官としては、先づ各労働者から口座指定取消の通知なり口座払によることの同意取消の通知なり、場合によっては前記合意の解除申込なりを会社にあてて明確な形で(なるべくならば書面によって)なさしめ、その上で会社側に行政指導すべきであったと考える。前記基本通達によると、口座払によることの同意はトラブルを防止し支払が円滑に行われるようにするため口座等を指定した書面によりするよう指導しその徹底を図るべきだとされているから、本件において、既にトラブルが生じている以上、同様トラブルの拡大を防止し支払が円滑に行われるように、労働基準監督官としては、先づ各労働者に前記のような措置をとるよう指導すべきであったと考える。してみれば、被告人甲野両名の本件労働者各人からの会社に対する口座等指定取消等の通知がなく、口座払による合意の解除申込の意思表示がなされていないとの前掲供述を、単に後から考えた理屈としてすますこともできないのであって、同被告人らに犯意ありとするには微妙なものとならざるを得ない。

よって、被告人甲野両名には労基法二四条一項違反の構成要件要素としての故意を欠き、同条項違反の犯罪は成立しないのではないか、従って被告会社にも責任を問いえないではないか、との疑いを払拭し切れないのであって、原判決はこの点の事実を誤認したものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は右の理解といささか異なるところもあるが、結局理由があることに帰する。

以上のとおり、控訴趣意中第二点は理由があるので、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において直ちに判決することとする。

本件公訴事実は、

「被告人御国ハイヤー有限会社は、高知市南はりまや町一丁目六番一四号に本店を置き乗用自動車による旅客運送業を営む事業主、被告人甲野一郎は、同社の代表取締役として同社の業務全般を統括するもの、被告人乙山二郎は、同社総務部長として、被告人甲野一郎を補佐して同社の経営全般を担当しているものであるが、被告人甲野一郎、同乙山二郎の両名は共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、被告人会社の業務に関し、別表記載のとおり、昭和五四年一一月九日から同五五年九月二四日までの間、一三〇回にわたり、労働者岡田英世ほか五名に対する賃金を、本店において同人らに支払わないで、同人ら名義の各銀行預金口座に振込入金して支払い、もって賃金を現金で直接労働者に支払わなかったものである。」

というのであるが、前記説示のとおり右事実については犯罪の証明がないから、刑訴法三三六条により被告人らに対しいずれも無罪の言渡をする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊東正七郎 裁判官 佐々木條吉 裁判官 田尾健二郎)

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