高松高等裁判所 昭和57年(ネ)311号 判決 1988年1月22日
控訴人(一審原告)
岡林糸美
控訴人(一審原告)
西岡恒
右両名訴訟代理人弁護士
梶原守光
控訴人(一審原告)
伊藤千惠子
被控訴人・附帯控訴人(一審原告)
岡林功
被控訴人・附帯控訴人(一審原告)
西岡義夫
被控訴人・附帯控訴人(一審原告)
西岡民江
被控訴人・附帯控訴人(一審原告)
伊藤隆裕
右法定代理人親権者母
伊藤千惠子
右五名訴訟代理人弁護士
梶原守光
同
土田嘉平
同
戸田隆俊
同
山原和生
控訴人・被控訴人・附帯被控訴人(一審被告)
高知県
右代表者知事
中内力
右訴訟代理人弁護士
中平博
同
下元敏晴
右指定代理人
一宮政史
外六名
控訴人・被控訴人・附帯被控訴人(一審被告)
土佐山田町
右代表者町長
小野進
右訴訟代理人弁護士
氏原瑞穂
右指定代理人
門脇弘
(以下、控訴人兼被控訴人兼附帯被控訴人は「一審被告」と、その余の当事者は「一審原告」という。)
主文
一 一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の本件各控訴を棄却する。
二 一審被告土佐山田町、同高知県の本件各控訴に基づき、原判決中、一審被告土佐山田町及び同高知県の各敗訴部分を取り消す。
三 一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕の一審被告土佐山田町及び同高知県に対する各請求(附帯控訴により当審で拡張した部分を含む。)をいずれも棄却する。
四 一審被告高知県に対し、一審原告岡林功は金二四〇万円、同西岡義夫は金一二〇万円、同西岡民江は金一二〇万円、同伊藤隆裕は金四五〇万円及び右各金員に対する本判決確定の日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
五 訴訟費用は、一審被告土佐山田町、同高知県と一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子との間では、当審において生じた費用の全部を右一審原告らの負担とし、一審被告土佐山田町、同高知県と一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕との間では、原審及び当審を通じて、全部を右一審原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子
(控訴の趣旨)
1 原判決中、一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子と一審被告らに関する部分を取り消す。
2 一審被告らは、各自、
(一) 一審原告岡林糸美に対し、金三六六万三三三三円及び内金三三三万三三三三円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで、
(二) 一審原告西岡恒に対し、金三六六万三三三三円及び内金三三三万三三三三円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで、
(三) 一審原告伊藤千惠子に対し、金一一七二万六六六六円及び内金一〇六六万六六六六円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで、
いずれも年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも一審被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 一審被告高知県
(控訴の趣旨―附帯控訴の趣旨に対する答弁を含む)
1 原判決中、一審被告高知県と一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕に関する部分を取り消す。
2 一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕の一審被告高知県に対する請求(附帯控訴により当審で拡張した部分を含む。)を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも右一審原告らの負担とする。
(民事訴訟法一九八条二項の裁判を求める申立て)
一審被告高知県に対し、一審原告岡林功は金二四〇万円、同西岡義夫は金一二〇万円、同西岡民江は金一二〇万円、同伊藤隆裕は金四五〇万円及び右各金員に対する本判決確定の日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の控訴の趣旨に対する答弁)
1 一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の控訴を棄却する。
2 控訴費用は、右一審原告らの負担とする。
3 担保の提供を条件とする仮執行免脱の宣言
三 一審被告土佐山田町
(控訴の趣旨―附帯控訴の趣旨に対する答弁を含む)
1 原判決中、一審被告土佐山田町と一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕に関する部分を取り消す。
2 一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕の一審被告土佐山田町に対する請求(附帯控訴により当審で拡張した部分を含む。)を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも右一審原告らの負担とする。
(一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の控訴の趣旨に対する答弁)
1 一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の控訴を棄却する。
2 控訴費用は、右一審原告らの負担とする。
3 担保の提供を条件とする仮執行免脱の宣言
四 一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕
(一審被告らの控訴の趣旨に対する答弁)
1 一審被告らの控訴を棄却する。
2 控訴費用は、一審被告らの負担とする。
(附帯控訴の趣旨―当審における請求の拡張)
1 原判決中、一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕と一審被告らに関する部分を次のとおり変更する。
2 一審被告らは、各自、
(一) 一審原告岡林功に対し、金八〇三万九五三二円及び内金六六六万六六六六円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで、
(二) 一審原告西岡義夫に対し、金四〇一万九七六六円及び内金三三三万三三三三円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで、
(三) 一審原告西岡民江に対し、金四〇一万九七六六円及び内金三三三万三三三三円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで、
(四) 一審原告伊藤隆裕に対し、金一四七〇万六七六六円及び内金一二三三万三三三三円に対する昭和四八年一月一二日から右支払ずみに至るまで
いずれも年五分の割合による金員を支払え。
3 附帯控訴費用は、一審被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
第二 請求の原因
一 本件災害の概要と一審原告らの地位
1 昭和四七年七月五日午前六時四五分ころ、高知県香美郡土佐山田町繁藤国鉄土讃線繁藤駅駅舎の東北東約三〇メートルの通称追廻山(以下「追廻山」という。)の南斜面において土砂崩れが発生し、折から警戒出動中の土佐山田町消防団員臼杵博(以下「臼杵」という。)が生き埋めとなつた(以下この時の崩壊を「第一次崩壊」という。)。
そこで、土佐山田町消防署員、同町消防団員、繁藤地区私設消防団員ら一五〇名を超える人々がその救助作業(以下「本件救助作業」という。)に従事したが、同日午前一〇時五五分ころ、右追廻山の南斜面が高さ約九〇メートル、幅約一七〇メートルにわたつて大きく崩壊し(以下、右崩壊を「本件大崩壊」といい、右崩壊場所を「本件崩壊地」という。)、その結果、右消防団員らと一般地元住民ら(右救助作業に協力していた人を含む。)合計六〇名の人々が生き埋めになつて死亡するという大惨事となつた(以下、右災害を「本件災害」という。)。
2 岡林勝美、伊藤芳は、私設消防団員として、西岡實は一般協力者としていずれも右救助作業に従事中に本件災害に遭遇し、犠牲となつたものである。また、伊藤和正、伊藤重子は地元住民であり、ともに本件崩壊地前の国道上において本件災害の犠牲となつて死亡したものである(以下、死亡した五名を合わせて指称するときは「本件被害者ら」という。)。
一審原告岡林糸美は、岡林勝美の妻であり、一審原告岡林功は岡林勝美の子供である。一審原告西岡恒は、西岡實の妻であり、一審原告西岡義夫、同西岡民江は右西岡實の子供である。一審原告伊藤千惠子は、伊藤芳の妻であり、伊藤和正の母である。一審原告伊藤隆裕は、伊藤芳の子供であり、伊藤重子の孫である。
二 本件災害の発生
1 本件大崩壊の発生を警戒すべき事情の存在
(一) 本件崩壊地は、四〇度前後の急傾斜地の山麓であるが、本件救助作業が行なわれた昭和四七年七月五日の雨量は、前日の午前九時から当日午前九時までの測定値で741.5ミリメートル(測定地点は、本件崩壊地から約一〇〇メートル離れたところにある土佐山田町繁藤支所)という測定開始以来の集中豪雨であつた。
高知地方気象台は、当日午前七時一五分には「今後更に二〇〇ミリから三〇〇ミリの雨が降るところがあり、特に中部から北東部の山間部でも強く降るおそれがあります。このため、地方では河川が増水し、氾濫するおそれがあります。また、崖崩れ、山崩れが起こるおそれがありますので巌重に警戒して下さい。」と発表し、さらに同日午前九時四五分には、「昨日から県中部及び北東部に降り始めた強いにわか雨は一時弱まつたが、今日早朝から再び強まつています。室戸岬レーダーによると引き続き強い雨雲が県北東部から西南西にのびています。この状態はしばらく続きますので、山崩れ、崖崩れ、低い土地の浸水に十分注意して下さい。特に中部から山沿い地方では厳重に警戒して下さい。」との警報を出していた。
(二) そして、このような気象条件のなかで、
① 本件崩壊地では、崩壊前、大量の湧水が噴出し、すでに目撃現認されていただけでも前記の臼杵が生き埋めとなつた第一次崩壊を含め一〇回にも及ぶ崩壊が断続的に続き、
さらに、本件大崩壊の五分くらい前には、
② 現場付近の数戸の家屋が土砂の移動圧力で国道寄りに傾く、
③ 本件崩壊地に大量に湧出していた水が急に止まる、
④ 本件崩壊地の山の土全体が震動して動いているような状況を呈する、
⑤ 小崩壊後の露出した地肌の上部付近から小石がパラパラと落ち始め、山肌が動く
という現象がみられた。
2 本件大崩壊発生の危険性
本件崩壊地のような急傾斜地の山麓において、右1(一)記載のような集中豪雨があれば、地下水の供給が極端に増大し、地盤のせん断抵抗力が低下して、地滑りの危険が生じるところ、現に、右1(二)①のとおり本件大崩壊までに、第一次崩壊を含めすでに一〇回にも及ぶ崩壊が断続的に続いていた。したがつて、これらのことから、さらに引き続いて大きな崩壊がある危険性は高いと考えられるのであるから、現場で活動するに際しては、十分な警戒監視体制をしいた上で、危険な状況が現れたら直ちに活動を中止して退去できる体制の確立が不可欠であるというべきである。
また、右1(二)①②の現象は、地盤が動いて後に大崩壊が始まることの前兆であり、さらに右1(二)③の現象は、それがあれば必ず地滑りが発生すると考えるべきほどの決定的な前兆である。事実、本件大崩壊の五分ほど前に、本件救助作業に従事していた民間人数名は、防災の専門家でもないにもかかわらず、それぞれ独自に右1(二)②ないし⑤の前駆現象を発見し、避難行動をとつている。
三 一審被告土佐山田町の国家賠償法
一条に基づく責任
本件災害は、一審被告土佐山田町の公権力の行使に当たる公務員である土佐山田町災害対策本部(以下「災害対策本部」という。)の都築潔副本部長(土佐山田町助役兼消防長。以下「都築助役」「都築副本部長」又は「都築消防長」という。)及び土佐山田町消防団(以下「町消防団」という。)の中西良亀、吉川広海両副団長(以下、それぞれ「中西副団長」「吉川副団長」という。)の以下の職務上の義務違反に起因して発生したものである。
1 本件災害時の消防の指揮系統
本件災害当日の午前七時一〇分、災害対策本部が設置され、以後、警戒監視、避難措置は、同本部の指揮に従つて行なわれることとなつた。
同災害対策本部の警戒監視避難に関する所管は、防衛部に属し、その組織及び指揮命令系統は、町長を本部長とし、助役を副本部長、消防本部次長を本部員兼防衛部長、消防司令補(消防署次長)を防衛班長、消防団員等を防衛班員とするものである。そして、本件災害当日は町長が出張中のため不在であつたので、災害対策副本部長たる都築助役が同対策本部の最高責任者であつた。
一方、災害対策本部が、全町的、全般的な災害対策組織であるのに対し、本件救助作業の現場において局地的実戦指揮をとるのは消防団の責任者である。本件において、右の実戦活動の直接の指揮は、災害当日の午前七時三〇分ころまでは都築副本部長(消防長)の命を受けた中西副団長が、右消防団の浅井清郎団長が右現場に到着した同七時三〇分ころから同団長が現場を離れた同九時三〇分ころまでは同団長が、それぞれ行い、その後は、中西、吉川の両副団長が行つた。
2 大崩壊発生の危険性の存在
本件災害当日の本件大崩壊に至る前の状況は前記二1(一)(二)に記載したとおりであり、右二1(一)及び(二)①の事実だけからでも、引き続いて大きな崩壊が起こることの危険性が高いものと考えられ、さらに右二1(二)②ないし⑤の事実の発生は大崩壊が起こることの前兆である。
3 都築副本部長、中西、吉川両副団長の責任
(一) 都築副本部長の責任
そこで、消防組織法一条に規定されているとおり国民の身体、生命、財産を災害から守ることを任務とする消防の最高責任者である都築副本部長としては、右のような状況があるのであるから、少なくとも、災害当日午前七時三〇分以降の時点では、本件救助作業に当たつている作業員が二次災害に巻き込まれないように、右作業現場、当時すでに傾きつつあつた家屋及び小崩壊の起こっていた箇所などにつき、その地盤の変動・湧水の変化等を常時監視する要員、作業現場の裏山である追廻山について上方の地盤の変動・クラックの発生の調査・パトロールを行う要員、降雨の状況判断など全般的な危険判断を行う総括責任者、危険発生時の避難責任者をそれぞれ配置し、さらにこれらの者の間の緊急連絡体制を整備するなどの警戒監視体制を整えるべき条理上の義務があつた。
さらに、本件大崩壊の五分前には、前記二1(二)②ないし⑤記載のとおりの一連の前駆現象が発生しており、これらが地滑りの前駆現象であることはかなり一般化した知識であつて、町の防災に関与する職員は当然知つているべきことがらであるから、右の時点では、右に述べた警戒監視体制をとることはもちろん、本件崩壊地付近にいた救助作業員、待機者、一般の滞留者などすべての人々に対し、事実上の避難の指示をすべき条理上の義務があつた。
ちなみに、行政機関の権限の行使につき、それが当該行政機関の裁量に委ねられている場合であつても、その不行使によつて生じた損害の賠償責任の有無が問題となつている場合には、その不行使に対する評価の基準やその方法は、権限行使そのものの合法違法が問題となる行政訴訟とは当然に異なるべきものである。したがつて、権限の不行使についても、損害の公平な分担を理念とする損害賠償制度の下では、その理念に適合するように評価されるべきであつて、損害という結果発生の危険があり、かつ現実にその結果が発生した場合には、行政機関がその権限を行使することによつて結果の発生を防止することができ、具体的事情の下で右権限の行使が可能であり、これを期待することが可能であつたというときには、その権限を行使するか否かの裁量権は後退し、結果の発生を防止するために右権限を行使すべき義務が発生するものと解すべきである。
そして、公務員の作為権限が法令によつて具体的に規定されていない場合でも、国民の生命、身体、財産に対する差し迫つた重大な危険状態が発生した場合、行政機関が超法規的、一次的にその危険排除に当たらなければ国民に保護が与えられないようなときは、条理に基づき行政機関には右危険排除を行うべき作為義務が生じると解すべきである。
(二) 中西、吉川両副団長の責任
また、本件救助作業の現場において、同日午前九時三〇分ころ浅井団長から現場指揮を引き継ぎ、右時点以降数十人もの人々を指揮して本件救助作業を行う消防の現場責任者であつた中西、吉川両副団長は、前記二1(一)(二)記載のような危険な状況の下で救助活動を行うのであるから、このような状況及び消防の職責、職務権限からして、条理上、右(一)に記載したのと同様な警戒監視体制をしくべき義務及び事実上の避難の指示を行うべき義務がある。
4 都築副本部長及び中西、吉川両副団長の義務懈怠
都築副本部長及び中西、吉川両副団長は、それぞれ右のような義務があるにもかかわらず、いずれも右のような措置をとることを怠つた。
5 因果関係
都築副本部長又は中西、吉川両副団長が前記の義務を尽くしておれば、本件被害者らは死亡を免れたはずであるから、右の各人の各義務懈怠と本件被害者らの死亡によつて生じた損害との間には相当因果関係が存する。
6 したがつて、一審被告土佐山田町は、国家賠償法一条一項に基づき、一審原告らに生じた損害を賠償する義務がある。
四 一審被告土佐山田町の安全配慮義務違反に基づく責任
1 一審被告土佐山田町の安全配慮義務の発生
岡林勝美、伊藤芳、西岡實は、前記二記載のような危険な状況の中で、他の私設消防団員、民間協力者と共に、中西、吉川両副団長の指揮の下で本件救助作業に従事していたところ、本件災害に遭遇したものである。特に、私設消防団は、土佐山田町長又は都築助役が、災害対策基本法六五条一項に基づき応急の措置をとるために行つた協力要請を中西副団長を通じて受けたため、これに応じたものである。
したがつて、消防団から協力要請を受けて救助作業に加わつた者はもちろん、自主的に救助作業に参加した者についても、現場において中西副団長の指揮下に入り、又は同副団長がこれらの協力を受け入れて救助活動を開始した段階から、一審被告土佐山田町との間で一時的な労役従事契約又はこれに準ずる法律関係が成立したとみるべきであり、一審被告土佐山田町は、右契約上の債務として、右岡林勝美ら三名に対し、その業務の履行に伴う生命、身体に対する危険から同人らを保護すべき義務、すなわちいわゆる安全配慮義務を負つている。
2 本件における安全配慮義務の具体的内容
一審被告土佐山田町が右岡林勝美ら三名に対して尽くすべき右安全配慮義務の具体的内容は、前記二1(一)(二)記載の各事実からして、都築副本部長、中西、吉川両副団長において、前記三3(一)に記載したのと同じ内容の警戒監視体制をしくべき義務及び事実上の避難の指示をすべき義務である。
なお、本件災害の発生は、一般人が、前記二1(二)記載の前駆現象を現認し、自ら避難していることからして、予見可能なものである。
3 一審被告土佐山田町の安全配慮義務懈怠
しかし、一審被告土佐山田町の都築副本部長らは、避難の指示はおろかなんらの警戒監視体制をとることもなく、右各義務の履行を怠つた。
4 因果関係
都築副本部長らが右各義務を履行しておれば、右岡林勝美ら三名は避難することができ、被災を免れたはずである。
5 したがつて、一審被告土佐山田町は、岡林勝美、伊藤芳、西岡實の死亡によつて生じた損害について同人らに対する債務不履行に基づく損害賠償義務を右三名の相続人(岡林勝美については、一審原告岡林糸美及び同岡林功、伊藤芳については、一審原告伊藤千惠子及び同伊藤隆裕、西岡實については、一審原告西岡恒、同西岡義夫及び同西岡民江)に対して負つている。
五 一審被告高知県の国家賠償法一条
に基づく責任(その一)
本件災害は、いずれも一審被告高知県の公権力の行使に当たる公務員である松田春喜土佐山田警察署次長(以下「松田警察署次長」という。)の以下の職務上の義務違反に起因して発生したものである。
1 本件災害と警察官の関与
土佐山田警察署の横畠敏博署長(以下「横畠警察署長」という。)以下警察官一三、四名は、本件災害当日の午前七時五五分ころ第一次崩壊の現場に到着し、同署長は、直ちに署員五、六名程度を本件救助作業及びその前の道路の人と車の整理に当たらせた。
その後、横畠警察署長は、午前一〇時三〇分ころ、右現場に一〇名の警察官を残し、松田警察署次長に現場の交通の整理誘導、救出の支援、検視の措置について後事を託して自らは帰署し、その後は同次長が現場における警察活動の指揮をとることとなつた。
2 警察官の職責と権限
(一) 松田警察署次長らが本件救助作業の支援に当たつていたときの現場の状況は前記二1(一)及び(二)①記載のような状況であり、さらに引き続いて大きな崩壊がある危険性は高いと考えられるから、現場で活動するに際しては、十分な警戒監視体制をしいた上で、危険な状況が現れたら直ちに活動を中止して退去できる体制の確立が不可欠であることは、前述したとおりである。
(二) また、警察の任務には災害警備があり、警備実施要則(昭和三八年一一月一四日国家公安委員会規則第三号)は、災害警備の実施は、災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、部隊の運用を伴う警察活動により、個人の生命、身体財産を保護することを目的とする旨規定した(警備実施要則二条)上、警察署長又はそれに代わる者は、消防機関などの関係機関と相互に協力し、警備実施が適切に行なわれるように留意すべきこと(同二〇条)、警備要員は警備実施に当たり、不測の事態が発生して、急速な措置を要し、指揮を受けるいとまがない場合は、自己の判断により、所要の応急措置をすべきこと(同三〇条)がそれぞれ規定されている。
さらに、警察官職務執行法は、危険が切迫している状況下における緊急の措置として、危険を受けるおそれのある者を避難させることができるなどの職務権限を規定している(同法四条)。
3 松田警察署次長の条理に基づく作為義務
そこで、以上のごとき現場の具体的状況、警察官の職責、災害警備の目的、警備実施要則三〇条及び警察官職務執行法四条等の規定の趣旨並びに本件崩壊の現場付近には多くの一般人が居合わせ、これらの者は専門家である警察官の適切な避難措置等を信頼し、期待する状況にあつたことからすれば、本件崩壊の直前、警察側の現場の指揮責任者であつた松田警察署次長は、横畠警察署長から現場における災害警備の指揮権限の委譲を受けた本件災害当日の午前一〇時三〇分以降は、消防など関係機関と緊密な連携の下に、協力して、周辺の状況の変化に即応できる警戒監視を担当する要員を配置して警戒監視体制をしくべき条理上の作為義務があり、さらに少なくとも本件崩壊の五分前の前記の崩壊の前駆現象が発生した時点では右の警戒監視体制だけでなく現場にいたすべての人々を対象に事実上の避難の指示をすべき条理上の作為義務があつた。
4 松田警察署次長の義務懈怠
しかし、松田警察署次長は、右のような措置をとることなく、現場で直接作業に従事していた作業員約一〇名、待機中の者約一〇〇名及び見物人らに対して、なんらの警告や指導もすることなく放置していた。
しかも、同次長は、横畠警察署長から指示された本件救助作業の支援及び検視の措置にも当たらずに、警察官六名を専ら交通規制に当たらせただけで、同次長を含めた五名は、現場を離れ、繁藤駐在所において、交通事故発生届けの対応に当たつたり、朝食をとり又は待機したりしていた。そのため、本件大崩壊五分前に生じた前記二1(二)の②③などの崩壊の前駆現象にも気付かず、右の避難措置をとることもできなかつた。
このように、松田警察署次長は、前記の警戒監視体制をしくべき作為義務があり、それが可能であつたにもかかわらずこれを怠り、さらに避難の指示をすべき義務を怠つたことは明らかである。
5 因果関係
松田警察署次長が前記の警戒監視体制をしくべき作為義務及び避難措置義務を尽くしておれば、本件被害者らは死亡を免れたはずであるから、同次長の右各義務懈怠と右の本件被害者らの死亡によつて生じた損害との間には相当因果関係が存する。
6 したがつて、一審被告高知県は、国家賠償法一条一項に基づき、右松田警察署次長の義務懈怠によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。
7 一審被告高知県の主張に対する反論
一審被告高知県は、災害対策基本法に基づく災害対策本部が設置された場合、避難の勧告、指示は第一次的には市町村長の権限であつて、警察官の義務は二次的補完的なものであり、本件災害の場合は、土佐山田町に災害対策本部が設置され、同本部が十分な機能を果たしていたから、警察官に事実上の避難の指示をすべき責任が生じる余地はないと主張するが、災害対策基本法等においてとられている警察官の義務が二次的補完的であるという建前は、一般的、原則的又は広域的なものであつて、極地的現象において危険が急迫した事態にまで適用されるものではない。
六 一審被告高知県の国家賠償法一条
に基づく責任(その二)
本件災害は、いずれも一審被告高知県の公権力の行使に当たる公務員である高知県知事(以下「県知事」という。)、高知県消防学校長(以下「県消防学校長」という。)の以下の職務上の義務違反に起因して発生したものである。
1 県の教育義務
消防は、国民の生命、身体及び財産を災害から守るという極めて重要な任務を有するが、その職務の性質上、常に危険と困難を伴うものである。したがつて、防災業務に従事する消防職員等が自ら不断の努力をすべきことはもちろんであるが、それと同時に、消防の組織の維持運営を掌るものは、消防活動に従事する消防職員が安全にその職務を遂行できるように配慮するため、当該消防組織全体として当該地域の災害特性などの実情と時代に即応した防災に関する知識及び技能の修得並びにこれらの向上を図ることができるようにその組織の消防職員等に対する必要な教育及び訓練を絶えず組織的に行う義務がある。
すなわち、一審被告高知県は、消防職員に対し、消防学校を設置して消防教育と訓練を行い(消防組織法一条、二六条、高知県消防学校規則一条)、また、災害の発生を予防し、災害の拡大を防止するため、特に災害の防止に関する科学的研究とその成果の実現、治山、治水、防災上必要な教育及び訓練、防災思想の普及に努めなければならない義務(災害対策基本法八条二項一、二、九、一〇号)を負つていたものである。
2 県知事及び県消防学校長の義務と権限
一審被告高知県は、消防組織法二六条一項の規定に基づき、県消防学校を設置し、県消防学校規則を定めている。
県知事は、県消防学校の人事権を持ち、さらに教育訓練計画を承認するか否かの権限を有し(県消防学校規則二条二項)、また、県消防学校長は、県消防学校規則により、毎年、翌年度の教養訓練計画を定め、県知事の承認を受けなければならないこととされ(同規則二条一項)、各教育課程の修業期間、履修方法については、右教養訓練計画に基づいてこれを定める権限を有している(同規則二条二項)。
ところで、消防学校の訓練については、消防庁が定める基準を確保するよう努めなければならないこととされている(消防組織法二六条四項)ところ、消防庁は、相次ぐ全国的な地滑り等災害に対応するため、昭和四五年三月一八日付消防庁告示第一号「消防学校の教育訓練の基準」(以下『「消防学校の教育訓練の基準」』という。)を定め、同日付で県知事宛に消防総第六〇号「消防学校の教育訓練及び一般教養について」と題する消防庁次長通達を発し、消防学校の教育訓練を充実させるよう要請していた。
そこで、県知事と県消防学校長は、協議の上、高知県の実情に即したカリキュラムを組み、その教科内容にふさわしい専門家を配置して教育訓練に万全を期すべき義務がある。
3 高知県における地滑り及び斜面崩壊等に関する教育の必要性
高知県は、県土の九〇パーセント近くを山地が占め、その地形も急峻でかつ地質構造が複雑脆弱であるために地滑りや斜面の崩壊(以下「地滑り等」という。)の危険箇所が非常に多い。加えて台風の常襲地帯であることとも相まつて、しばしば台風や集中豪雨等を誘因とする地滑り等が発生し、それにより多大の被害を受け、全国でも有数の災害県となつていた。
したがつて、県知事及び県消防学校長は、高知県下において消防防災活動に従事する消防職員に対しては、地滑り等の災害に関する教科を重視して、その時間数を十分確保するカリキュラムを組み、これらの教科内容にふさわしい専門家を配置して、地滑り等による災害に対処するための基礎的な教育訓練を十分受けさせ、それに関する知識及び技能を修得させておくことが必要不可欠であり、少なくとも中西、吉川各副団長のような県下各消防組織において実際に現場で消防活動を指揮又はその補佐をする立場の者にだけは、これらの者の任命権者と協議し、協力して、地滑り等の災害への対処について、正式にカリキュラムを組み、砂防学の専門家に講義を依頼するなどして必要な教育訓練を徹底し、もつて消防の責務の達成と二次災害の防止に努めることが必要不可欠であつた。
4 県消防学校長らの義務懈怠
しかるに、県知事及び県消防学校長は、中西、吉川両副団長に対して行うべき地滑り等の災害に対処するための防災教育について、その最も初歩的、基礎的な教育訓練すら怠つていたものである。
この点につき、一審被告高知県は、中西副団長らに対して、昭和四一年二月一日から同月三日まで県消防学校において幹部教育を行つたと主張している。しかし、右のようにわずか三日間だけしか教育の機会を準備しなかつたこと自体十分でなく、しかも、右幹部教育においては地滑り等の災害に関する教育は皆無に等しかつた。右幹部教育においては、地滑り等の災害に関する講義は、第二日目に県の消防防災課課長補佐(当時)町田庄助が担当した「防災について」という九〇分の講義だけであり、その内容は、台風についての時期別進路、風圧方向、波及びその他の一般的事項、フェーン現象、地震及び津波の説明であり、地滑り等の災害に関しては、「雨は、降つた後に蒸発するもの、地表を流れるもの、地下に滲み込み移動するものの三通りがあり、地下に入つたものが、地滑りの原因となること」「砂、土、粘土の種類別の土砂の傾斜角度による浸透角度の関係」「砂三〇度、土三〇度、粘土一五度で水を含むと危険になる。」という簡単で一般的な説明があつただけである。どういう現象が起こつた場合には地滑りになるから注意せよというような事前に予知する方法については詳しい説明は行われていない。もちろん、地下水が濁つたり、急に止まつたりした場合には危険だというようなことの説明もされていない。
一審被告高知県は、第二日目の「図上演習」において地滑り等についての教育がなされたと主張するが、右の図上演習は火災についてのものであり、地滑り等については行なわれていない。
また、吉川副団長は、中西副団長と同様に、土佐山田町消防団の幹部であり、実際に、消防活動を指揮又はこれを補佐する立場にあり、かつ、本件災害現場においても中西副団長と共に本件救助作業を指揮していたものである。にもかかわらず、吉川副団長に対しては、地滑り等の災害の原因や前駆現象の把握、警戒監視体制や指揮等について全く教育訓練の機会が与えられていなかつた。
仮に、地滑り等の災害について県消防学校において幹部教育を施す時間がとれない事情があるならば、中西、吉川両副団長ら幹部に必要最小限の知識をつけさせるために必要な資料を提供し、それを消防学校における教育訓練の機会以外のところで確実に修得できる措置を講じるべきであつたのに、県知事及び県消防学校長はこのような措置を講じなかつた。
なお、「消防学校の施設、人員及び運営の基準」(昭和四九年四月一九日消防庁告示第一号)九条によれば、消防学校の教員は、消防に関する相当の学歴経験を有するものでなければならないのに、当時の県消防学校における教員は、校長以下、ほとんどの教員が高知県防災課の要職と兼務であるとか嘱託であり、地滑り等については、専門家はおらず、防災教育の担当者も置かれていない実情であり、専門家を招いての特別な教育訓練をするということも行われていなかつた。
以上のとおり、一審被告高知県は、中西、吉川両副団長に対して地滑り等による災害に対処するための基礎的な教育訓練を十分受けさせて、地滑り等に関する知識及び技能を修得させておくべく、そのような内容の消防教育及び訓練を行うべきであるのにこれを行つていない。これらは、県知事及び県消防学校長が、それぞれその職務を行うにつき、右2記載の各義務を懈怠したことによるものである。
5 因果関係
本件災害当時、本件大崩壊の現場において土佐山田町消防団の副団長として消防活動の指揮をとつていた中西、吉川両副団長のような消防団員は、日常は、それぞれの生業に携わり、必要が生じた時に招集されて消防活動に従事するものであるから、その職務の性格上強い注意義務が要請されながら、実際には、一般民間人に近い状況に置かれている。したがつて、中西、吉川両副団長についても、前記3記載のような教育訓練を受けていないならば、前記二1(一)(二)記載のような状況の下でも、地滑り発生に対する十分な警戒監視体制をしくことができず、また、地滑りの前駆現象を見落とし、適切な避難措置を講ずることができないことは、通常予見されることである。他方、こうした教育訓練さえ受けていれば、前記二1(一)記載の現場の地形及び当時の気象状況並びに二1(二)①記載の現象から、引き続いて大きな崩壊が起こる危険性が極めて高いことが認識でき、それに応じた十分な警戒監視体制をしくことができ、また、前記二1(二)①ないし⑤記載の前駆現象を発見してしかるべき避難措置を講じ、本件のような大災害の発生を防ぐことができたはずである。また、中西、吉川両副団長が、右の警戒監視体制をとり、前駆現象を察知して適切な避難措置をとつておれば、本件被害者らが本件災害に被災して死亡するという結果は免れたはずである。
このように本件被害者らの死亡と前記県知事及び県消防学校長が右3記載の職務上の義務を懈怠したこととの間には相当因果関係が存する。
6 したがつて、一審被告高知県は、国家賠償法一条一項に基づき、高知県知事又は県消防学校長の義務懈怠によつて一審原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある。
七 本訴における各請求の関係
一審原告らの請求のうち、一審被告土佐山田町に対する都築副本部長らの作為義務懈怠を理由とする国家賠償法一条に基づく請求と同被告の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求及び一審被告高知県に対する松田警察署次長の作為義務懈怠を理由とする国家賠償法一条に基づく請求と県知事らの防災教育義務懈怠を理由とする同条に基づく請求は、いずれも択一的に主張するものである。
八 損害
1 一審原告岡林糸美、同岡林功
(一) 岡林勝美の逸失利益 金二三三九万一〇四三円
岡林勝美は、本件災害当時四八歳の健康な男子で、林業に従事し、少なくとも年額二八六万三一八一円の収入を得ていたものであるので、本件災害により死亡しなければ六八歳までの二〇年間稼動可能であり、その間右年収を下回らない収入を得ることができたはずであるから、その総額から生活費四〇パーセントを控除し、ホフマン方式により右二〇年間の中間利息を控除してその逸失利益を算出すると、後記計算式のとおり金二三三九万一〇四三円(円未満切り捨て。以下同じ。)となる。
2,863,181円×60/100×13.616=23,391,043円
(二) 岡林勝美の慰謝料 金一〇〇〇万円
岡林勝美は、四八歳の働き盛りであり、三人の家族の生活を支える大黒柱であつたこと、同人の遺体はバラバラとなり一部しか発見されない悲惨な状況であつたこと、妻である一審原告岡林糸美が病弱であること、本件災害で死亡するに至つた事情等を考慮すれば、岡林勝美の受けた精神的苦痛は甚大で、これを金銭で償うとすれば金一〇〇〇万円が相当である。
(三) 相続
一審原告岡林糸美は岡林勝美の妻として右(一)(二)の各損害賠償債権の三分の一に当たる金一一一三万〇三四七円を、一審原告岡林功は岡林勝美の子として三分の二に当たる金二二二六万〇六九五円をそれぞれ相続した。
(四) 一審原告岡林糸美の支出した葬儀費用 金三七万二六二〇円
一審原告岡林糸美は、岡林勝美の葬儀費として金五〇万円を下回らない出捐をしたが、他方、非常勤消防団員等に係る損害補償の基準を定める政令及び健康保険法に基づき金一二万七三八〇円を葬祭費として給付されたので、これを右五〇万円から差し引くと、残額は金三七万二六二〇円となる。
(五) 損害の小計と本訴における請求
右(一)ないし(四)によれば、各人の損害額の合計額は、一審原告岡林糸美は金一一五〇万二九六七円、一審原告岡林功は金二二二六万〇六九五円となるが、本訴においては、一審原告岡林糸美は内金三三三万三三三三円(慰謝料相当額)を、一審原告岡林功は金六六六万六六六六円(慰謝料相当額)を請求する。
(六) 弁護士費用
一審原告岡林功は、本件訴訟の第一審における訴訟の追行を高知弁護士会所属の土田嘉平、梶原守光、山下道子の三弁護士に委任し、昭和五六年一一月一四日、右三弁護士に対し、報酬として、本訴の第一審の判決言渡し後に各認容金額の一割に相当する額を支払う旨を約した。右の支払わなければならない報酬額は金六六万円である。
また、一審原告岡林功は、本件控訴審において訴訟の追行を一審の訴訟代理人であつた土田嘉平、梶原守光の両弁護士に委任し、昭和五七年一一月一五日、着手金として金二〇万円及び報酬として原審の認容金額の七パーセントに当たる金五一万二八六六円を支払う旨を約した。
一審原告岡林糸美は、控訴審における訴訟の追行を梶原守光弁護士に委任し、その報酬として控訴審で認容された額の一割相当額を支払う旨を約した。右の支払わなければならない額は、金三三万円である。
2 一審原告西岡恒、同西岡義夫、同西岡民江
(一) 西岡實の逸失利益
西岡實は、本件災害当時四三歳の健康な男子で、株式会社大二繁藤工場に勤務し、少なくとも年額一〇五万三〇六四円の収入を得ていたものであるので、本件災害により死亡しなければ六八歳までの二五年間稼動可能であり、その間右年収を下回らない収入を得ることができたはずであるから、その総額から生活費四〇パーセントを控除し、ホフマン方式により右二五年間の中間利息を控除してその逸失利益を算出すると、後記計算式のとおり金一〇〇七万四〇九四円となる。
1,053,064円×60/100×15.9441=10,074,094円
(二) 西岡實の慰謝料 金一〇〇〇万円
西岡實は四三歳の働き盛りであり、四人の家族の生活を支える大黒柱であつたこと、同人の遺体の傷みがひどかつたこと、本件災害で死亡するに至つた事情等を考慮すれば、同人の受けた精神的打撃は甚大であり、これを金銭で償うとすれば金一〇〇〇万円が相当である。
(三) 相続
一審原告西岡恒は西岡實の妻として、一審原告西岡義夫、同西岡民江は西岡實の子として、右(一)(二)の各損害賠償債権の三分の一に当たる金六六九万一三六四円宛をそれぞれ相続した。
(四) 一審原告西岡恒が支出した葬儀費 金三六万八四二〇円
一審原告西岡恒は、西岡實の葬儀費として金五〇万円を下回らない出捐をしたが、他方、非常勤消防団員等に係る損害補償の基準を定める政令及び健康保険法に基づき金一三万一五八〇円を葬祭費として給付されたので、これを右五〇万円から差し引くと、残高は金三六万八四二〇円となる。
(五) 損害の小計と本訴における請求額
右(一)ないし(四)によれば、各人の損害額の合計額は、一審原告西岡恒は金七〇五万九七八四円、一審原告西岡義夫及び同西岡民江は各六六九万一三六四円となるが、右一審原告ら三名は、本訴において、いずれも内金として各金三三三万三三三三円(いずれも慰謝料相当額)を請求する。
(六) 弁護士費用
一審原告西岡義夫、同西岡民江は、本件訴訟の第一審における訴訟の追行を高知弁護士会所属の土田嘉平、梶原守光、山下道子の三弁護士に委任し、昭和五六年一一月一四日、右三弁護士に対し、報酬として、本訴の第一審の判決言渡し後に各認容金額の一割に相当する額を支払う旨を約した。右の支払わなければならない報酬額は、右両名の一審原告ともに金三三万円である。
さらに、右一審原告両名は、本件控訴審において訴訟の追行を一審の訴訟代理人であつた土田嘉平、梶原守光の両弁護士に委任し、昭和五七年一一月一五日、着手金として各金一〇万円及び報酬として原審の認容金額の七パーセントに当たる各二五万六四三三円を支払う旨を約した。
一審原告西岡恒は、控訴審における訴訟の追行を梶原守光弁護士に委任し、その報酬として控訴審で認容された額の一割相当額を支払う旨を約した。右の支払わなければならない額は、金三三万円である。
3 一審原告伊藤千惠子、同伊藤隆裕
(一) 伊藤芳の逸失利益 金二七一九万〇八七五円
伊藤芳は、本件災害当時二九歳の健康な男子で、国際住宅商事有限会社の専務取締役として勤務し、少なくとも年額二一二万六六九三円の収入を得ていたものであるので、本件災害により死亡しなければ六八歳までの三九年間稼働可能であり、その間右年収を下回らない収入を得ることができたはずであるから、その総額から生活費四〇パーセントを控除し、ホフマン方式により右三九年間の中間利息を控除してその逸失利益を算出すると、後記計算式のとおり金二七一九万〇八七五円となる。
2,126,693円×60/100×21.3092
=27,190,875円
(二) 伊藤芳の慰謝料 金一一〇〇万円
伊藤芳は、二九歳の青年実業家であり、五人家族の生活を支える大黒柱であつたこと、同人の遺体の傷みがひどかつたこと、本件で死亡するに至つた事情等を考慮すれば、同人の精神的苦痛は甚大であり、これを金銭で償うとすれば金一一〇〇万円が相当である。
(三) 伊藤和正の慰謝料 金七〇〇万円
伊藤和正は、本件災害当時二歳に満たない幼児であり、今後長い人生が約束されていたにもかかわらず、本件災害によりその生涯を閉じなければならなくなつた精神的苦痛は甚大であり、これを金銭で償うとすれば金七〇〇万円が相当である。
(四) 伊藤重子の慰謝料 金五〇〇万円
伊藤重子は本件災害当時六三歳であり、孫の子守をしながら幸せな老後を送れるようになつたばかりであるのに、その幸せを一瞬のうちに打ち消されてしまつた精神的苦痛は甚大であり、これを金銭で償うとすれば金五〇〇万円が相当である。
(五) 相続
右(一)及び(二)の損害については、伊藤芳の妻である一審原告伊藤千惠子が三分の一に当たる金一二七三万〇二九一円を、伊藤芳の子である一審原告伊藤隆裕が三分の二に当たる金二五四六万〇五八三円をそれぞれ相続した。
また、右(三)の損害については、伊藤和正の母である一審原告伊藤千惠子がその全額を相続し、右(四)の損害については、伊藤重子の孫である一審原告伊藤隆裕がその全額を代襲相続した。
なお、伊藤芳、伊藤和正及び伊藤重子の三名はいずれも本件災害で死亡し、かつ各人の死亡の前後はいずれも不明であるから、民法三二条の二の規定により、同時に死亡したものとの推定を受けるから、相互に相続しないこととなる。
(六) 伊藤千惠子の支出した葬儀費
金三六万六四四〇円
一審原告伊藤千惠子は、伊藤芳の葬儀費として金五〇万円を下回らない出捐をしたが、他方、非常勤消防団員等に係る損害補償の基準を定める政令及び健康保険法に基づき金一三万三五六〇円を葬祭費として給付されたので、これを右五〇万円から差し引くと、残額は金三六万六四四〇円となる。
(七) 損害の小計と本訴における請求額
右(一)ないし(六)によれば、各人の損害額の合計額は、一審原告伊藤千惠子が金二〇〇九万六七三一円、同伊藤隆裕が金三〇四六万〇五八三円であるが、本訴においては、一審原告伊藤千惠子は内金一〇六六万六六六六円(慰謝料相当額)を、一審原告伊藤隆裕は内金一二三三万三三三三円(慰謝料相当額)をそれぞれ請求する。
(八) 弁護士費用
一審原告伊藤隆裕は、本件訴訟の第一審における訴訟の追行を高知弁護士会所属の土田嘉平、梶原守光、山下道子の三弁護士に委任し、昭和五六年一一月一四日、右三弁護士に対し、報酬として、本訴の第一審の判決言渡し後に認容金額の一割に相当する額を支払う旨を約した。右の支払わなければならない報酬額は金一二三万円である。
また、一審原告伊藤隆裕は、本件控訴審において訴訟の追行を一審の訴訟代理人であつた土田嘉平、梶原守光の両弁護士に委任し、昭和五七年一一月一五日、着手金として金二〇万円及び報酬として原審の認容金額の七パーセントに当たる金一一四万三四三三円を支払う旨を約した。
一審原告伊藤千惠子は、控訴審における訴訟の追行を、土田嘉平、梶原守光、戸田隆俊、山原和生の各弁護士に委任し、その報酬として控訴審で認容された額の一割相当額を支払う旨を約した。右の支払わなければならない額は、金一〇六万円である。
4 本訴における請求額
そこで、本訴において、一審被告らに対し、
(一) 一審原告岡林糸美は、金三六六万三三三三円及び内金三三三万三三三三円について、
(二) 一審原告岡林功は、金八〇三万九五三二円及び内金六六六万六六六六円について、
(三) 一審原告西岡恒は、金三六六万三三三三円及び内金三三三万三三三三円について、
(四) 一審原告西岡義夫は、金四〇一万九七六六円及び内金三三三万三三三三円について、
(五) 一審原告西岡民江は、金四〇一万九七六六円及び内金三三三万三三三三円について、
(六) 一審原告伊藤千惠子は、金一一七二万六六六円及び内金一〇六六万六六六六円について、
(七) 一審原告伊藤隆裕は、金一四七〇万六七六六円及び内金一二三三万三三三三円について
本件訴状が一審被告らに送達された後である昭和四八年一月一二日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。
第三 一審被告土佐山田町の請求の原因に対する認否及び主張
(請求原因に対する認否)
一1 請求の原因一1の事実は認める。ただし、本件救助作業に従事した消防団員らの数は事態の推移により減少し、本件大崩壊時には、四七名であり、また、私設消防団員らは個人の立場で参加していたものであり、私設消防団としての立場で救助作業に加わつたものではない。
2 同一2の事実のうち、岡林勝美、伊藤芳が、私設消防団員の立場で本件救助作業に従事していたことは否認し、伊藤和正、伊藤重子が本件崩壊地前の国道上にいたことは知らないが、その余の事実は認める。
二1(一) 同二1(一)の事実のうち、本件崩壊地には前日来の豪雨があつたこと、高知地方気象台から二回にわたり一審原告ら主張の警報が発せられていたことは認めるが、その余の事実は争う。
(二) 同二1(二)の事実は争う。
2 同二2のうち、一審原告の主張するような避難行動をとつた者がいることは認めるが、その余の主張は争う。
三1 同三の柱書及び同項1の事実のうち、都築副本部長、中西、吉川両副団長がいずれも町の公権力の行使に当たる公務員であること、本件災害当日、一審原告ら主張のとおり災害対策本部が設置され、その指揮系統に基づいて活動がされていたこと、中西副団長が本件救助作業の現場指揮をとつていたことは認めるが、その余の主張は争う。
2 同三2の主張は争う。
3(一) 同三3(一)の主張は争う。
(二) 同三3(二)の主張は争う。
4 同4の主張は争う。
5 同5の主張は争う。
6 同6の主張は争う。
四 同四の事実は否認し、主張はすべて争う。
五 請求の原因八の主張はすべて争う。ただし、一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子が、それぞれ主張のとおりの葬祭費の支給を受けたこと、一審原告らが原審及び当審においてその主張のとおりの代理人に訴訟の追行を委任したことは認めるが、その余の主張は争う。
なお、一審被告土佐山田町は、昭和四七年八月一八日、町長を祭主とする町葬を主催し、遺族列席の上、殉職者、殉難者全員に対し盛大かつ荘厳裡に衰悼の意を表し、その冥福を祈願するとともに、その後も現在に至るまで毎年七月に町費をもつて慰霊祭を挙行し、万全の誠意をもつて対処してきた。したがつて、仮に町に何らかの帰責事由があつたとしても、岡林勝美ほか四名の精神的苦痛は慰謝されているというべきであり、慰謝料は不要か又は大幅に減額されるべきである。
(一審被告土佐山田町の主張)
一 一審被告土佐山田町の消防組織及び防災計画など
1 消防組織
市町村は、消防組織法上、市町村消防の管理機関であり(消防組織法七条)、その実施機関として消防本部、消防署、消防団が存在する。このうち、消防署は消防本部の下部組織であるが、これらと消防団とは互いに独立した並列的な関係にある機関で上下の関係はない。
しかし、災害時の消防活動を迅速かつ効果的に行うためには、消防機関相互の指揮系統を一元化しておく必要があるから、消防本部を置く市町村では、消防団は消防長又は消防署長の所轄の下に行動することと規定されている(消防組織法一五条三項前段)。
2 地域防災計画
一審被告土佐山田町は、災害対策基本法四二条一項に基づき、地域防災計画を制定しており、昭和四六年度土佐山田町地域防災計画(以下「町地域防災計画」という。)において、「動員計画」の中で各配備計画及び災害対策本部の設置を定め、また、「避難計画」の中で避難勧告、指示の基準の設定、伝達方法、避難方法等を定めている。
3 災害対策本部
一審被告土佐山田町においては、災害対策基本法二三条六項の規定に基づき土佐山田町災害対策本部条例(昭和三八年条例第四号。以下「災害対策本部条例」という。)を制定し、災害対策本部の組織、編成を定め、さらに町地域防災計画において、その組織、編成、開設、閉鎖の時期及び開設の場所、各部等の所掌事項の概要を定めている。右計画によれば、本部長には町長が、副本部長には助役が、本部員には教育長、収入役、総務課長以下の全課長、消防本部次長等が任命され、本部の下に各部が置かれ、避難誘導に関する事項は防衛部の所掌事項とされている。
防衛部は、防衛班、班員からなり、防衛部長は消防本部次長が、防衛班長は消防司令補、班員は消防本部員、消防団員がそれぞれ任命される。なお、中西、吉川両副団長は、右一班員にすぎない。
町地域防災計画及び災害対策本部条例によれば、第一配備、第二配備の発令は町長が行い、第三配備発令と同時に災害対策本部が設置されると、それ以後は、町長が災害対策本部長として防災計画に基づき、災害対策本部の事務を総括し、所属職員を指揮監督することとなつている。
二 本件災害時に至るまでの経過
1 本件災害前日の昭和四七年七月四日午後五時、町地域防災計画の災害応急対策計画に基づき第一配備(準備体制)が発令され、さらに翌五日午前六時土佐山田町繁藤分団長小野寺聖(以下「小野寺分団長」という。)から伊藤重子方裏山の土砂崩れの通報があると、同日午前六時一五分、第二配備(警戒体制)が発令された。
第二配備の発令と同時に都築消防長は、消防組織法一五条三項に基づき、繁藤地区在住の中西副団長に対し、とりあえず繁藤地区における消防活動につき指揮をとるべき旨指示した。
2 そこで、中西副団長は共に現場に赴いた小野寺分団長に指示して他の分団員と共に地区内住民に対し、国鉄繁藤駅付近まで避難するように連呼勧告に当たらせる傍ら、自らも分団員一名と共に右土砂崩れ箇所の検分に当たり、小野寺分団長も重ねて裏山の警戒に当たらせるべく、吉川班長を岡部食堂の西側に登らせて右土砂崩れ箇所の巡視警戒をさせた。また、同副団長は、特に危険が予想される近藤徳一方裏側において、流出した土砂の除去及び排水作業を実施させたのであるが、右除去作業中、繁藤私設消防団(以下「私設消防団」という。)の西岡統一、岡林兼正が任意に駆けつけ、作業に加わつて応急措置を終わり、国道筋に待機した。
3 ところが、午前六時四五分、突然近藤徳一方裏山において、再び高さ・幅共に約一二、三メートルにわたる土砂崩れが発生し、右近藤徳一方家屋は半壊状態となり、近藤徳一方に来合わせていた繁藤分団員の臼杵の妻が避難作業を手伝つていた臼杵が生き埋めとなつたことを通報し、同時に近藤徳一の妻、長女、長男の三名が倒壊しようとする右家屋に閉じ込められ救出を求める声が聞こえた。そこで、山本班長以下二名の分団員が、ガラス戸を壊して、右三名を救出したが、その間、特に降雨が激しく、流出土砂もあつて、臼杵の救助作業にまでは到底手が着けられない状態であつた。
4 この現場の状況を見た中西副団長は、臼杵のように二重遭難の危険に遭遇することにならないように小野寺分団長に対し再三にわたり注意し、直ちには臼杵の救助作業に着手させずに、現場の警戒と巡視に当たらせ、午前六時四八分、臼杵救助のため、土佐山田町消防署(以下「町消防署」という。)に全団員の出動を要請すると同時に、繁藤分団員及び地元住民の協力を得て、降雨・土砂流出の状況を確かめつつ、救助作業に全力を注ぐこととしたが、激しい降雨に三度目の土砂崩れが加わり、作業は遅々として進まず、しかも、右近藤徳一方家屋の国道側への傾斜は次第に激しくなり、倒壊のおそれが予想されたので、国道側から支柱を加える等の作業を行つた。
5 他方、中西副団長の要請を受けた土佐山田町消防署長(消防本部次長兼務)岡林忠義(以下「岡林消防署長」又は「岡林消防本部次長」という。)は、六時五〇分、物部川等一級河川をひかえる町南部における災害の発生を考慮し、山田、片地の二分団を予備として手許に残し、有線放送により、佐岡、楠目、明治、岩村、植、新改の六分団に対し、繁藤分団への応援出動を命じた。この間、中西副団長は国道三二号線が繁藤地区以外においても、各所で土砂崩れが起こり、通行障害が生じていたので、応援消防団の到着に時間を要するものと判断し、有線放送や事情を聞いて駆けつけた一般民間人らに作業内容を説明して、流出土砂の除去、家財の搬出、避難勧告作業に従事するように要請した。
6 午前七時一〇分、町長は、災害対策本部長として、第三配備(非常体制)を発令し、災害対策本部が開設された。
7 午前七時一五分、協力に応じた株式会社大二繁藤工場から社員、工員一四名が鍬、スコップ、家屋倒壊防止材をもつて現場に到着したので、中西副団長指揮の下に作業を行い、午前七時三〇分には支柱による近藤徳一方家屋の補強作業を終了した。その頃には、浅井団長、野口邦永消防署次長(以下「野口消防署次長」という。)ら一行も現場に到着した。しかし、中西副団長は、現場は降雨が激しく、再び土砂崩れが発生することを慮つて、その余の作業を中断していたが、山田方面から消防団員が次々に到着し始めたので、万一の危険を考えて、一般住民に対しては消防団員に作業を任せて退避するように指示した。
8 午前七時五〇分、逐次現場に到着した応援の各分団の団員が作業に着手したので、浅井団長は、現場の管理警戒のため、吉川副団長、三木本部分団長、吉川消防士長の三名に現場管理と警戒監視を命じ、吉川消防士長には電柱又は塀などの上から本件救助作業を警戒監視させ、三木本部分団長には国道東方面上において、吉川副団長には国道西方面上において、それぞれ第一次崩壊を起こした斜面付近を中心に同様の地滑りが起きないかどうかを警戒監視させた。また、三木本部分団長は、団員らと共に付近住民に避難勧告を行つた(避難勧告は、佐岡分団の五百蔵副分団長も行つている。)。また、午前七時五五分ころ到着した土佐山田警察署長ら一二名も、交通整理、避難誘導に当たつた。
9 午前八時には土佐山田町繁藤支所に現地連絡本部が設置されて第四配備(緊急非常体制)が発令され、同時に都築消防長ほか三名が調査班九名と共に繁藤地区に向けて出発した。
10 現地に到着して実情を検分した浅井団長は、本件救助作業については流出土砂が多く、このままでは長時間を要し、その間に万一にも作業員に危険を及ぼすおそれがあることを防止すべく、近藤徳一方家屋を取り壊すこととし、右家屋の所有者である阿部智枝と連絡をとるため野口消防署次長を赴かせるなどしたが、連絡がとれず、偶然来合わせた同女の承諾を得てようやく午前九時ごろになつて、降雨の状況を見ながら繁藤分団員、地元協力者及び応援消防分団員らによつて家屋の取壊作業を開始することができた。
11 しかし、午前九時消防本部から豪雨により物部川流域が氾濫して土佐山田町南部一帯が危険な状態となり、分団の一部移動の必要がありと指示があつたため、浅井団長は、直ちに明治分団を同所に移動させ、さらに午前九時三〇分には、岩村、植、楠目分団を同所へ移転させ、同団長自身も、楠目分団と共に南下移動した。
12 その間も、降雨の状況をみては地元分団員、協力者及び応援分団員ら二五、六名が家財の搬出、家屋の取壊作業を行い、繁藤所在の株式会社大二繁藤工場から、廃材土砂運搬用トラック二台の提供を受けて作業に当たらせていたが、午前一〇時ころに至り、中西副団長は、人力のみで作業がなかなかな進捗しないため、現場から西方一キロメートルの地点の国道修理に来合わせていた香川建設のショベルカー一台に作業を要請した。そして、これによる土砂の国道上への搬出作業及びトラックへの積込作業と消防団員及び協力者による近藤徳一方と伊藤重子方との間からの土砂の除去作業を実施し、交替待機者には国道のガードレール寄りに退避させて、待機と見張りをさせ、また一般住民も退避させた。
そうしたところ、午前一〇時三〇分、新改川入野で二名が濁流に飲まれて行方不明になつたとの通報が入つたので、吉川副団長は、新改分団に同方面における捜索のための出動を命じた。
13 したがつて、現場の指揮は、南部に移動した浅井団長の後は、再び吉川副団長と中西副団長が当たることとなり、警察の横畠警察署長らも、新改川の事件発生のため署員一〇名を残して南下転進した。そして、その直後の午前一〇時五五分ごろ本件大崩壊が発生した。
三 本件災害時における指揮系統
以上のとおり、第三配備発令までの間は、土佐山田町の消防組織は、消防組織法の規定に基づいて職務に従事していたのであるが、昭和四七年七月五日午前七時一〇分の第三配備発令後は、災害対策本部が設置され、災害対策本部長の指揮監督に従つて消防組織法の規定に基づき職務に従事することとなつた。
したがつて、同日午前九時三〇分以降の本件災害現場における指揮は、右の指揮系統の監督の下に中西副団長と吉川副団長がこれに当たり、また、野口消防署次長は、消防司令補として、町地域防災計画における防衛部に関する事項の連絡を所掌事項とする本部連絡責任者を担当して、本件現場で連絡事務に従事していた。
四 消防機関等の権限
災害対策基本法六〇条一項は、災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、人の生命又は身体を災害から保護し、その他災害の拡大を防止するため特に必要あると認めるときは、市町村長は、必要と認める地域の居住者、滞在者その他の者に対し、避難のための立退きを勧告し、急を要するときは、これらの者に対し、避難のための立退きを指示することができると規定している。
通常の場合、市町村長がする右勧告又は指示は、消防長(消防本部)又は消防署長(消防署)から消防団長に命ぜられ、さらに消防団長が部下の消防団員に対して直接指揮命令して実施する。
消防組織法一条は消防機関が具体的任務を遂行するためにとるべき消防手段の一般抽象的根拠規定であり、同条は、個々の消防職員が住民に対して負うべき具体的作為義務を定めた規定ではない。また、同条を根拠として消防機関が用いることができる手段は、注意、指導、説得など住民の権利を制限したり、義務を課したりすることのない事実行為で、しかも住民の意思に反しない任意の手段に限られている。
また、危険が切迫した場合でも、消防団が行えるのは市町村長の補助機関としての災害対策基本法六〇条一項に基づく避難のための勧告と指示に止どまるものであり、強制手段は存しない。
したがつて、災害の危険が切迫した場合でも、具体的根拠もなく、右以上の行為を消防機関がなすべき理由はなんら存在しない。
五 本件大崩壊の不可抗力性及び予見不可能性
本件災害の発生した区域は、国道三二号線に面し、その斜面には樹木(雑木、竹林)が茂り、本件災害に至るまで台風や豪雨などによつても災害が発生したことはない。国鉄土讃線防災対策委員会(地質専門委員会)が昭和三七年七月から昭和三八年末までの間に行つた現地地質調査においては、国鉄阿波池田駅から繁藤駅区間全線にわたり路線を中心として幅員五〇〇メートルに及ぶ広大な地域についての地質調査の結果に基づいて作成された五〇〇〇分の一の地質図によつても、全体では一二八箇所の危険箇所が指摘されているにもかかわらず、本件災害の発生した区域は指摘を受けていない。こうした点や本件災害後の災害の原因等の調査結果からすれば、本件災害は不可抗力の災害であるというべきである。
また、消防団員(指揮者を含む。)が消防訓練に関して受ける教育の重点は、消火と水防におかれ、地滑り災害に対する訓練は極めて少ないのが実情である。したがつて、消防団員にこのような災害の事前予知の知識がほとんどなかつた状況に鑑みると、本件災害時において、十分な警戒監視体制を敷いていたとしても、消防団員において、本件災害のような大規模な地滑り災害が発生するおそれがある場合を予測することは不可能であるから、災害対策基本法六〇条一項に基づく避難の勧告又は指示をすべきであると認識することもできなかつたというべきである。
したがつて、右のような当時の状況からすれば、前記二8記載のような内容の警戒監視体制をとつたのは相当であり、中西副団長以下現場で防災に当たつた消防団員、災害対策本部員、その他の職員は、数回にわたり本件崩壊斜面山麓の民家の住民に対し、繁藤駅付近又は公民館へ避難するように勧告を行い、勧告しても応じない者については警察官に依頼してようやく退去させるなどの措置をとつたものであるから、都築副本部長、中西副団長、吉川副団長ら町の消防職員の措置にはなんら過失はない。
六 条理に基づく作為義務違反の主張に対する反論
一審原告らは、中西、吉川両副団長らが行政権限を行使すべき作為義務に違反したと主張する。
しかし、行政庁の作為義務は、法令が行政庁に権限を付与していることが不可欠の前提であり、かつ、右義務を被害者である国民(住民)との関係で負つていることが必要であつて、単なる行政庁の内部的作為義務や一般抽象的義務では足りない。
本件では、前述したとおり、都築副本部長らが国民(住民)に対して、一審原告ら主張のような避難勧告を行うべき具体的な作為権限の根拠規定がないのであるから、特段の事情もないのにこのような作為義務の存在を肯定することはできないというべきである。
七 一審原告らの安全配慮義務違反の主張に対する反論
1 安全配慮義務の不存在
一審被告土佐山田町と岡林勝美、伊藤芳、西岡實との間には、いわゆる安全配慮義務を負うべき法律関係は存在しない。
私設消防団は、昭和三八、九年ころ、繁藤地区追廻部落において追廻消防団として発足したものであるが、その後、土佐山田町私設消防連合団に参加し、同消防連合団の繁藤分団と称して、本件災害当時には、西岡統一を分団長として、国鉄繁藤駅前の岡部輝香方以東大豊町との町境までの区域に存在する約三〇戸全戸の世帯主を構成員とし、同区域内の火災に対する正規の消防署、消防団が到着するまでの初動消火を目的として活動していたものである。同分団は、旧土佐山田町消防団繁藤駅前分団跡の木造小屋に屯所を置き、一審被告土佐山田町から払い下げられた消防ポンプ一式を持ち、揃いのヘルメット及びはつぴを各戸に支給していた。その経費は、同部落が毎年初頭に初午と称する新年会において地元住民から募る寄付金と一審被告土佐山田町からのホース一本の代金相当額の補助金によつて賄われていた。右私設消防団においては、団員の出動や出動後の作業従事は全く強制されることなく、各人の篤志に委ねられており、他の地域の応援や火災以外の災害に出動することはなかつた。
本件災害の現場に岡林勝美らが居合わせたのは次のような事情によるものである。本件災害当日の午前五時四〇分ころ、私設消防分団長であつた西岡統一は、同分団員である伊藤芳から電話で「裏山から樹木が倒れかかり土砂が流れ込むので至急助けてくれないか。」という旨の連絡を受けた。そこで、直ちに身支度をして、途中で、いずれも私設消防団員であつた岡林兼正、宅間貞重、岡林勝美に声をかけ、伊藤重子方に赴いた。西岡らは、現場を見聞したが、倒れかかつた樹木の根幹部が巨大なため持参した鍬などでは手の下しようもない状態であつたので、ひとまず対策を検討すべく、先に現場に居合わせた町消防団繁藤分団の臼杵にも声をかけ、いつたん国道まで引き返した。その直後の午前六時四五分ころ、臼杵が生き埋めになる事故が発生し、近隣各所からこれを知つた人々が現場に駆けつけたが、私設消防団としては、その設立の目的からしても、また、現場の状態からしても、自らの手には負えない情況であつたので、各戸の分団員に招集を要請することもせず、町消防署、町消防団の処置に待つこととした(なお、西岡統一らは、西岡實が現場に居合わせたことは、本件災害発生以前には知らなかつた。)。その後、西岡統一らは、現場において、到着した町消防署、町消防団らによる臼杵の救助作業を見守りつつ、万一応援を必要とする事態を慮り、現場のガードレールによりかかるなどして自発的に待機していたが、応援、協力などの要請はなんら受けることなく本件災害に至つた。
このように、岡林勝美、西岡實、伊藤芳は、自分の仲間内又は身内の災害に対し、任意の篤志により現場に駆けつけたものであつて、町消防署又は町消防団から応援又は協力の要請を受けたものではない。また、右伊藤らは、現場において、町消防団の指揮監督の下に労務を提供すべき拘束状態に置かれていたものでもない。
また、仮に、右岡林らが、一時的に中西副団長の指揮命令、使用従属関係の下に入つたとしても、右岡林らはいつでも自由に右の関係から離脱できたものである。
したがつて、一審被告土佐山田町は、右岡林らに対し、安全配慮義務を負うべき立場はない。
2 安全配慮義務の内容
仮に、一審被告土佐山田町と右岡林らとの関係が消防職員と同様の法律関係にあるとしても、消防職員はその職務の性質上、危難に立ち向かい、これに身を曝すべき義務を負つているのであるから、その職務上の活動につき、使用者である同被告に対して安全配慮義務を強く求めることはできないというべきである。
第四 一審被告高知県の請求の原因に対する認否及び主張
(請求の原因に対する認否)
一1 請求の原因一1の事実は認める。ただし、本件救助作業に従事した消防団員らの数は事態の推移により減少し、本件大崩壊時には四七名であつた。
2 同一2の事実のうち、伊藤和正、伊藤重子が本件崩壊地前の国道上にいたことは知らないが、その余の事実は認める。
二1(一) 同二1(一)の事実は認める。
(二) 同二1(二)の事実は否認する。
2 同二2の主張は争う。
三1 同五柱書は松田警察署次長が一審被告高知県の公権力の行使に当たる公務員であることは認め、その余の主張は争う。同項1の事実は認める。
2(一) 同五2(一)の主張は争う。
(二) 同五2(二)の主張のうち、警察官職務執行法及び警備実施要則に一審原告ら主張のような規定が存することは認める。
3 同五3の主張は争う。
4 同五4の主張は争う。
5 同五5の主張は争う。
6 同五6の主張は争う。
四1 同六の柱書及び同項1の事実のうち、県知事及び県消防学校長が公権力の行使に当たる公務員であること、消防組織法など一審原告ら主張の各規定に主張のとおりの規定があることは認めるが、その余の主張は争う。
2 同六2の主張は争う。
3 同六3の事実のうち、高知県が全国でも有数の災害多発県であることは認めるが、その余の主張は争う。
4 同六4の主張は争う。
5 同六5の主張は争う。
6 同六6の主張は争う。
五 請求の原因八の主張はすべて争う。ただし、一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子が、それぞれ主張のとおりの葬祭費の支給を受けたこと、一審原告らが原審及び当審においてその主張のとおりの代理人に訴訟の追行を委任したことは認めるが、その余の主張は争う。
(一審被告高知県の主張)
一 警察官の警戒監視義務・避難措置義務懈怠の主張について
1 一審原告ら主張の警戒監視義務及び避難措置義務の不存在
(一)(1) 災害対策基本法上の防災行政は、災害予防、災害応急対策、防災行政に大別できるが、警察の行う災害警備活動は、右のうちの災害応急対策に属する。
災害対策基本法は、警察等の関係行政機関の防災活動については包括的な権限規定を置かず、関係行政機関は、それぞれ固有の権限に基づいて同法上の責務を遂行することとしている。そして、同法一〇条は、防災行政に関し、関係行政機関の権限が同法の権限と抵触する場合には、同法が優先することを明定している。
警察官職務執行法四条の避難等の措置と災害対策基本法における避難等の措置とが競合する場合には、当然に災害対策基本法が優先して適用され、警察官職務執行法四条の措置は、災害対策基本法による措置を講じない場合に初めてその権限を行使することができるにすぎない。
警察の行う災害警備活動は、防災行政の一環として災害対策基本法上のこのような位置付けと制約の下に行われるものである。
(2) また、警察の行う災害警備実施活動の根拠法令としては、災害対策基本法のほかに警察官職務執行法、石油コンビナート等災害防止法二三条、二五条、水防法一四条、一五条、消防法二三条の二、二八条、水難救護法四条、二九条、水害予防組合法五〇条、気象業務法一五条、活動火山対策特別措置法二一条、河川法四八条、地すべり等防止法二五条、戸籍法八九条などがあるが、これらによれば、警察官に一次的な責務と権限を与えたものは皆無であつて、警察は第二次的、補助的立場に立つものとして規定されている。
一方、地方自治法二条二項、三項は、普通地方公共団体に防災と罹災者の救護義務があることを定め、災害対策基本法は従前から指摘されていた防災行政の欠陥を是正するため、長期的視野に立つた総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図ることを目的として、災害に際して国民に直結して防災活動を実施しているのは地方公共団体であるとの認識に立ち、第一次的には市町村が第一線にあつて防災に当たるものとし、防災行政の第一次的責任者と明定しているのであつて、警察は、右のような広汎な防災行政の中の一部である災害応急対策のさらにその一部である避難等の措置等について、市町村の第二次的、補助的な立場で担当しているにすぎない。
(二)(1) 本件災害現場では、土佐山田町職員としては、都築助役(消防長兼務)、岡本企画課長、藤野水道課長ほか十数名、町消防職員としては前記都築消防長ほか、野口消防署次長ほか八名、町消防団員としては浅井団長、中西副団長、吉川副団長ほか数十名が防災に当たり、警察官としては、横畠警察署長、松田警察署次長ほか十名余が出動していた。
都築助役は消防長を兼務する災害対策本部の副本部長であり、岡本企画課長、藤野水道課長らは本部員とされ、野口消防署次長ほか八名の中には災害対策本部防衛部防衛班長である消防司令補も当然に含まれていたものと考えられる。
そして、本件現場と災害対策本部とは無線通信等により即時に連絡のとれる状況にあつた。
右のとおり、本件災害時の防災は、災害対策基本法に基づいてなされ、その執行機関である土佐山田町災害対策本部も本来の機能を発揮し得る状況にあつたことは明らかである。
(2) 警察には、刑事訴訟法、道路交通法等の各種法令によつて定められた警察本来の任務があり、これらの任務は他の機関にはこれを行う権限がなく代替の効かない任務であつて、これらの任務をおろそかにすることは一時たりとも許されない。
本件現場における警察の本来の任務としては、①本件災害現場を通過する主要国道における交通規制、整理、誘導(道路交通法)、②交通事故の処理(道路交通法)、③被災地においては、物資の欠乏、戸締まりの不完全、将来の生活に対する不安感等から、犯罪の発生しやすい状態となるため、これら犯罪の予防、取締り(刑事訴訟法、警察官職務執行法)、④死体の検視(刑事訴訟法)、⑤その他災害情報の収集、伝達等がある。
本件災害当日の午前七時一〇分には、災害対策本部の第三配備がしかれ、現場においては、右配備に基づき同町職員、町消防署員、町消防団員、その他地元住民等多数の人々が組織的に活動し、その態勢が整つて防災機能が十分に発揮されていた状況の下においては、警察は、その本来の任務を優先して行う義務を負つていた。本件現場の警察官も、右任務を忠実に遂行しており、災害対策基本法上の第二次的な警察の任務は、右時期以降は、警察独自の任務としてはもはや存しようがなく、また、その権限を行使し得る状況にもなかつた。
(三) 以上のとおり、本件災害時には、すでに災害対策基本法に基づく災害対策本部が有効に活動していたのであるから、本件現場の警察官について、一審原告ら主張のような警戒監視義務又は避難措置義務が生じる余地はなく、警察がその義務を懈怠するということもあり得ない。
一審原告らは、警察官には条理に基づく作為義務があつたと主張するが、本件の場合、災害対策基本法六〇条において市町村長に災害全般についての避難の勧告、指示の権限が具体的に規定されるとともに、具体的状況においてこれらの権限を行使し得る現場体制が整備確立され、その権限を行使し得る状態のもとにあつたのであるから、条理を根拠として警察官に作為義務を生じせしめる余地はない。
2 警察官の違法行為の不存在
本件のような地滑りは、諸々の悪条件の重なりにより危険が内蔵され、ある時点において大崩壊に至るものと考えられるところ、本件大崩壊に伴う危害を未然に防止するには事前にその前兆を行政側において把握し、避難の指示等の措置を講ずることを要する。
また、本件において警察官に作為義務があるというためには、緊急事態たる「差し迫つた重大な危険状態」があることがその要件の一つとされているのであるから、右の考え方からすると、緊急事態以前の問題である警戒監視体制をしく義務の生じる余地はあり得ないはずである。
現場の状況からみると、なるほど本件大崩壊当日、現場付近においては数回の小崩壊は認められたものの土佐山田町職員、町消防団員、付近住民、警察官等は、大崩壊直前を除き、だれ一人として事前に「差し迫つた重大な危険状態」つまり緊急事態にあることを知ることができなかつた。さらに本件大崩壊五分前においては、土砂搬出作業をしていた二名の者がその前兆を察知しながら、付近にいた警察官らに告知することもなく、現場を退避していたので、警察本来の職務に従事中の警察官においては本件大崩壊に至るまで右緊急事態にあることを知ることができなかつた。したがつて、右時点においても警戒監視、避難の指示をすることは不可能であり、右不作為に違法があつたということはできない。
なお、本件大崩壊直前には、現地に残留した警察官一〇名のうち、松田警察署次長ら四名が繁藤駐在所内にいたが、同次長は交通事故届出の応対に当たり、小松巡査は同次長の伝令として所内待機し、高橋巡査は現場付近で交通整理中であつたが、臼杵の死体が発見されそうになつたので駐在所に連絡に来たものであり、更にもう一人の警察官は交通整理に当たつた後、所内において食事中であつた(本件現場に出動中の警察官らは、いずれも当日午前六時五〇分過ぎの非常招集に応じて出動していたため朝食をとる余裕がなく、右警察官も職務執行に支障を来さないように交代で朝食をとつていたものである。)。また、その他の六名の警察官は、現場付近等において、いずれも交通整理に当たつており、警察本来の任務を遂行中のこれらの警察官が職務命令に違反したような事実はない。
二 防災教育訓練義務懈怠の主張について
1 教育訓練を施すべき対象
一審原告らは、中西副団長、吉川副団長に対する教育訓練義務の懈怠があると主張する。
しかし、消防組織法上、県消防学校において消防団員等に教育訓練を受けさせるか否か、あるいはいかなる課程の教育訓練を受けさせるかを決するのは、県消防学校長ではなく、右団員の任命権者であり、吉川副団長については、県消防学校で教育訓練を受けたことはないのであるから、本件災害との関係で教育訓練実施の有無が問題となるのは任命権者によつて県消防学校における教育訓練の機会が与えられた中西副団長に対するものだけである。
また、本件災害の際の現場における消防活動の総指揮は、午前七時三〇分ころまでは、都築災害対策副本部長(消防長)の命令を受けた中西副団長が、同時刻以降は浅井団長がとつていた。そして、同団長は、午前九時三〇分ころ、後事を中西副団長に託して移動し、その後本件大崩壊発生までの現場における総指揮は中西副団長がとつた。
したがつて、吉川副団長は、中西副団長の指揮に従うべき立場の者であつた。
2 県消防学校長及び県知事の教育訓練に関する義務履行の状況
(一) 県消防学校長の義務履行の状況
中西副団長は、浅井団長と共に、昭和四一年二月一日から同月三日までの三日間県消防学校で幹部教養を受講している。
そこで、右の機会に県消防学校でいかなる教育訓練を施したかが問題となるが、右幹部教養では、第二日目に防災教育に関する教科として、「図上演習」「防災について」を正式のカリキュラムに組み込んでいる。
「図上演習」では、当時の県消防学校長で高知県防災課長でもあつた沢田熊衛が担当し、防災図上演習計画に基づいて行われ、同計画第八研究問題は「避難」であつて「避難準備、避難勧告、避難場所、避難順位と携帯品」の演習がなされ、同計画第一一研究問題は「洪水による流失、山くずれの人命救助」であつて「山くずれ予知法」の演習がなされている。
「防災について」は、当時の同校主事で高知県消防防災課課長補佐であつた町田庄助氏が担当し、避難の指示と誘導、避難経路と避難場所、避難措置等主として風水害に対する防災活動について講義している。
沢田熊衛が県消防学校長に就任した直後の昭和三八年九月、台風九号のため、高知県下の山間部を中心に一七名の人損を含む多大の被害が発生した。そこで、同校長は、右被害の実態を解明して、これからの災害による人損は山崩れや土砂の崩壊によるものであると判断し、昭和三九年度から同校教科の中に「防災について」を設け、同校長自身が担当する図上演習にも「山くずれの予知法」を取り入れて、同校の受講生である消防団員に山崩れ、地滑りの対処方法の教育訓練を行つてその徹底を期したものである。
このような当時の県消防学校における防災教育訓練は、全国的にも高水準にあり、他の四国三県はもとより九州の各県からも右訓練に参加を希望される程の状況にあつただけでなく、同校校長は、大きな災害があるたびにその状況と措置の反省をして記録し、さらに一年度が終わるたびにその状況と措置の反省をまとめて検討して記録し、これらの記録を県消防学校での授業に取り入れて教訓を生かしながら消防団員の防災教育訓練に万全を期していた。
県消防学校では、右のとおり中西副団長らに対し防災教育をなしているのであるから、県消防学校長に義務懈怠がなかつたことは明らかである。
(二) 県知事の義務履行の状況
県知事は、県消防学校の施設人員及び運営の基準に規定する教員については、消防に関する相当の学識経験を有する者でなければならないことになつているところ、県知事は、右の資格を有するものを任命しており、また、必要に応じて県庁内部の技術者などを臨時講師として派遣するなどしていた。
また、「消防学校の教育訓練の基準」の趣旨については、当時、県知事名をもつて県下各市町村に通報し遺憾なきを期している。
以上のとおり、県知事には、中西副団長らの教育訓練に関し、なんらの義務懈怠もない。
3 行政権限の不行使の違法の主張に対して
(一) 公権力の行使に当たる地方公務員の不作為が違法として当該地方公共団体が賠償責任を負うためには、当該地方公務員に作為義務が存しなければならない。そして、その作為義務は、賠償を求める個人に対して負うものであつて、行政上の責務又は道義上の作為義務では足りず、しかも、法律上の作為義務であること、具体的な義務であることを要する。
県消防学校は、消防職員及び消防団員の教育訓練を行うために消防組織法二六条一項に基づき設置され、その教育訓練については同条四項によつて行われているが、同項からも明らかなとおり、右規定によつて「教育訓練については、消防庁が定める基準を確保するように努めなければならない」とされるのは消防学校であつて、同校における教育訓練は一審原告らに対する義務として行われるものではない。
したがつて、県消防学校長らの行う教育訓練について一審原告らに対して作為義務を生ずる余地はなく、同校長らの不作為が一審原告らに対する違法行為になり得る余地もないのであるから、この点のみからしても、一審原告らの主張は失当である。
(二) また、県消防学校長は、「消防学校の教育訓練の基準」の確保に努めているが、仮に同人に不作為があつたとしても、それが作為と同視できる程度のものであることが必要である。
しかし、県消防学校長の権限は自由裁量として定められており、一審原告らに対する義務でもない。
このような場合には、行政権限の不行使が違法の問題を生ずる余地はない。
仮に、行政庁の裁量権が収縮し、行政権限の行使が違法とされる場合があるとしても、それは権限の不行使が裁量の範囲を超えて著しく合理性を欠く場合であると解すべきである。これが認められるためには、行政庁としてとり得る権限の行使が一義的に明確であつて、権限の不行使が作為と同視されるものであることを要し、そのような場合に初めて作為義務が成立すると解するべきであるが、本件においては、このような作為義務が成立する余地がないことは明らかである。
4 因果関係の不存在
仮に、県消防学校の防災教育に不備があつたとしても、本件災害の発生とは因果関係がない。
(一) 原判決は、①本件崩壊地上では、午前六時ころの第一回の小崩壊及び午前六時四五分ころの第一次崩壊を経由した後も、本件大崩壊時に至るまで目撃現認されているものだけでも一〇回近くにわたり、断続的に小崩壊が続いていたこと、②そして、右のように断続する小崩壊による崩落土砂の流出のため本件崩壊斜面山麓にあつた笹豊寿、伊藤重子、阿部智枝、坂本稔重、中西正らの各家屋がいずれも国道側に傾いてきていたこと、③本件崩壊の五分余りほど前には、中西朔が、笹豊寿方の家が傾いてきたのを認め、山崩れの危険を感じて退避を開始し、その退避途中に「山肌の見えるような感じ」を目撃して切迫した山崩れの危険を感じ、後は走つて逃げていること、④次いで本件大崩壊の五分程前には、香川善六が、裏山の土が全体に震動して動いているような状況にあることを目撃し、山崩れの危険を感じて退避を開始し、退避途中、中西正方の家が傾いてきたのを認め、また道路に大量の土砂が流れてきたのを目撃していること、⑤右香川が退避を開始して間もなくのころ、甲藤栄一は、第一次崩壊により地肌が露出している部分の上部付近から小石がパラパラと落ち出したのを目撃し、山肌が動いたような印象を受けて山崩れの危険を感じ、その旨を知らせに本件崩壊地前の友人宅に向けて走り出していることを認定している。
また、本件崩壊地の山麓付近から湧水が大量に噴き出し、しかも、本件大崩壊の五分程前には右のように大量に噴き出していた湧水が急に止まつたことも認定している。
これらの現象からすると、特別の防災教育を受けていない者であつても、本件大崩壊を十分予見できたはずである。現に、中西朔は③の現象を、香川善六は④の現象を、甲藤栄一は⑤の現象をそれぞれ目撃し、山崩れの危険の切迫を察知して本件現場から直ちに退避している。
前記①ないし⑤の現象は、一般人においても、危険の切迫を察知できる種類のものであるのみならず、湧水が止まるなどの現象よりもより強度の切迫感を与えるものであり、しかも、原判決によると、右湧水が急に止まつたのは本件大崩壊の五分程前であつたのに、前記①ないし⑤の現象は右以前に発現していたものと考えられるのであるから、中西副団長が右のうち一つでも察知していれば、同副団長が仮に県消防学校において防災教育を受けていなかつたとしても、同副団長の能力の範囲内で本件大崩壊を予見できたものである。
したがつて、中西副団長が警戒監視体制さえとつていれば、遅くとも本件大崩壊の五分程前には右①ないし⑤の諸現象の発現に気づき、退避避難の措置を講じて、本件災害の発生は防止できたはずであるから、県消防学校における防災教育訓練と本件災害との間には相当因果関係がない。
(二) また、中西副団長は、二七年余の消防歴を有し、その大半を消防分団長以上の幹部としてつとめている。県消防学校で防災教育訓練を受けたのは、本件災害発生から六年余も以前の昭和四一年二月二日のことであつて、当日の教育訓練時間はせいぜい四、五時間にすぎなかつたのである。
したがつて、この点からも、県消防学校の教育訓練と本件災害の発生との間には相当因果関係がないことは明らかである。
第五 抗弁
(一審被告土佐山田町及び同高知県の仮定抗弁―損害の填補)
一 一審原告岡林糸美関係
1 遺族補償年金
一審原告岡林糸美は、岡林勝美の死亡を原因として、消防遺族補償年金(消防法三六条の二に基づく非常勤消防団員等に係る損害補償の基準を定める政令一条、二条三項、七ないし九条に基づくもの。以下同じ。)として、昭和四七年八月分から昭和八五年五月分まで、少なくとも総額金五一四三万五五一七円を受領し得ることになつたので、同原告の損害は完全に填補されたというべきである。
仮に、将来受領すべき年金について損害額から控除することが許されないとしても、同原告は、昭和六二年六月末までに総額金一四四四万二五五〇円の支払を受けているから、右の限度で同原告の損害は填補された。
2 特別ほう賞金、葬祭補償金、遺族に対する見舞金
一審原告岡林糸美は、岡林勝美の死亡を原因として、国、一審被告高知県、同土佐山田町から各金一五〇万円(合計金四五〇万円)の特別ほう賞金を、葬祭補償金として金一三万〇三八〇円を、見舞金として金九八万一〇〇〇円(内訳は、一審被告土佐山田町から金一〇万円、厚生大臣から金三〇〇〇円、建設大臣から金三〇〇〇円、共同募金会から金五〇〇〇円、義援金から金八七万円)を受領したので、右の限度で同原告の損害は填補された。
二 一審原告西岡實関係
1 遺族補償年金
一審原告西岡恒は、西岡實の死亡を原因として、消防遺族補償年金及び厚生年金保険法に基づく遺族年金として、昭和四七年八月分から昭和八九年一月分まで、少なくとも総額金六四八五万六三八九円を受領し得ることになつたので、同原告の損害は完全に填補されたというべきである。
仮に、将来受領すべき年金について損害額から控除することが許されないとしても、同原告は、昭和六二年六月末までに総額金一七三九万五四一二円の支払を受けているから、右の限度で同原告の損害は填補された。
2 特別ほう賞金、葬祭補償金、遺族に対する見舞金
一審原告西岡恒は、西岡實の死亡により、国、一審被告高知県、同土佐山田町から各金一五〇万円(合計金四五〇万円)の特別ほう賞金を、葬祭補償金として金一三万一五八〇円を、見舞金として金九八万一〇〇〇円(内訳は、一審被告土佐山田町から金一〇万円、厚生大臣から金三〇〇〇円、建設大臣から金三〇〇〇円、共同募金会から金五〇〇〇円、義援金から金八七万円)を受領したので、右の限度で同原告の損害は填補された。
三 一審原告伊藤千惠子関係
1 遺族補償年金
一審原告伊藤千惠子は、伊藤芳の死亡を原因として、消防遺族補償年金及び厚生年金保険法に基づく遺族年金として、昭和四七年八月分から昭和九九年五月分まで、少なくとも総額金一億〇八〇一万三七八一円を受領し得ることになつたので、同原告の損害は完全に填補されたというべきである。
仮に、将来受領すべき年金について損害額から控除することが許されないとしても、同原告は、昭和六二年六月末までに総額金二七〇三万四〇五一円の支払を受けているから、右の限度で同原告の損害は填補された。
2 特別ほう賞金、葬祭補償金、遺族に対する見舞金
一審原告伊藤千惠子は、伊藤芳の死亡により、国、一審被告高知県、同土佐山田町から各金一五〇万円(合計金四五〇万円)の特別ほう賞金を、葬祭補償金として金一三万三五六〇円を、見舞金として金九八万一〇〇〇円(内訳は、一審被告土佐山田町から金一〇万円、厚生大臣から金三〇〇〇円、建設大臣から金三〇〇〇円、共同募金会から金五〇〇〇円、義援金から金八七万円)を受領したので、右の限度で同原告の損害は填補された。
(一審被告土佐山田町の仮定抗弁―弁護士費用についての消滅時効の完成)
一審原告らの請求する弁護士費用は、いずれも、同原告らがその損害を知つた時から三年を経過した後になした請求であるから、消滅時効が完成している。一審被告土佐山田町は、右消滅時効を援用する。
第六 仮定抗弁に対する認否及び主張
一 損害の填補の主張に対する一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の認否及び主張
(損害填補の主張に対する認否)
一審被告ら主張の金員の受領はすべて認めるが、これらが損害額から控除されるべきであるとの主張は争う。
(損害填補の主張に対する反論)
遺族補償年金は、一審原告らが主張する一審被告らの各所為を原因として支給されたものではなく、遺族扶助という特別の目的を持つ法律の規定に基づいて被害者の遺族に直接発生する請求権であつて、本来、損害の填補を目的とするものではない。
また、厚生年金保険は、厚生年金保険法一条に規定するとおり、労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという独自の目的のもとに一定事由(保険事故)の発生を原因として支給されるものであり、保険料の対価たる性質を有するものであるから、本来、損害の填補たる性格を有していない。
特別ほう賞金は殉難者の一身を顧みない献身的功労を称え、これを表彰する目的で支給された賞金であつて、本来、損害の填補たる目的も性格も有していない。仮に損害填補の意味が一部に含まれているとしても、特別ほう賞金全部を損害填補とみることは誤りである。
以上のとおり、これらはいずれも、本来、損害填補としての給付ではないから、これらの損害額から控除することは許されない。
二 弁護士費用についての消滅時効の完成の主張に対する一審原告らの認否
否認する。
第七 民事訴訟法一九八条二項の裁判を求める申立ての理由
(一審被告高知県)
一審被告高知県は、昭和五七年一〇月二八日、原審の仮執行宣言付判決の執行力ある正本により、一審原告岡林功に対し二四〇万円、同西岡義夫に対し金一二〇万円、同西岡民江に対し金一二〇万円、同伊藤隆裕に対し金四五〇万円を支払つた。
よつて、民事訴訟法一九八条二項に基づき右仮執行により支払ずみの各金員の返還及びこれに対する本判決確定の日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第八 証拠<省略>
理由
一本件災害の発生
昭和四七年七月五日午前六時四五分ころ、高知県香美郡土佐山田町繁藤国鉄(当時。以下同じ。)土讃線繁藤駅駅舎の東北東約三〇メートルの追廻山の南斜面において土砂崩れが発生し、土佐山田町消防団員臼杵博が生き埋めとなる事故が発生したこと、そこで、土佐山田町消防署員、同町消防団員らがその救助作業に従事していたところ、同日午前一〇時五五分ころ、追廻山の南斜面が高さ約九〇メートル、幅約一七〇メートルにわたつて大きく崩壊し、消防団員ら及び一般地元住民ら(右救助作業に協力していた者を含む。)合計六〇名が、生き埋めになつて死亡するという大惨事となつたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二本件崩壊地付近の概況と本件災害発生時前後の気象状況など
1 本件崩壊地付近の概況
<証拠>によれば、本件崩壊地付近の概況は次のとおりであることが認められる。
本件大崩壊発生前の本件崩壊地付近は、追廻山(高さ約一五〇メートル)の南側斜面と東西に流れる穴内川に挟まれた地域で、高松市と高知市を結ぶ主幹道路である国道三二号線(以下「国道」という。)と国鉄土讃線が平行して東西に走り、国道を隔ててその南西のはずれに国鉄繁藤駅がある。民家は、国道に面して追廻山の山裾に沿つて一列に並んでおり、国鉄繁藤駅の構内には、国鉄職員の宿舎(山中慶祐方)がある。これら崩壊地付近の位置関係は、別紙「繁藤地区山崩れ現場原形見取図」記載のとおりである。
2 本件災害時の気象状況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件災害の発生した繁藤地区は、普段から年間平均降水量三三八九ミリメートル(昭和六年から昭和三五年までの平均)という我が国でも有数の多雨地帯であるが、本件災害発生の前日の昭和四七年七月四日(以下、昭和四七年七月中の日時については、年月の記載を省略する。)の正午ころから五日の正午ころまでの間、記録的な集中豪雨に見舞われ、四日午前九時から五日午前九時までの総雨量(日雨量)は七四二ミリメートルという測定開始以来の記録となつた。
すなわち、四日正午ころから降り始めた雨は、午後一時ころから雨脚を強め、午後二時ころからは急激にその激しさを増して、午後二時から三時まで、午後三時から四時までの各時雨量はそれぞれ八四ミリメートル、八三ミリメートルに達し、一度小康状態となつたが、午後七時ころから再び強く降り始めて、午後七時から八時まで、午後八時から九時までの各時雨量は、40.5ミリメートル、91.5ミリメートルに達した。その後はしばらく小康状態を保つたが、五日午前四時ころから再び激しく降り始め、午前一一時までの各時雨量は、午前四時から五時まで六二ミリメートル、午前五時から六時まで95.5ミリメートル、午前六時から七時まで九五ミリメートル、午前七時から八時まで七五ミリメートル、午前八時から九時まで58.5ミリメートル、午前九時から一〇時まで31.5ミリメートル、午前一〇時から一一時まで八ミリメートルであつた。
このため、降り始めからの累積降雨量は、第一次崩壊時点では五一三ミリメートル、本件大崩壊発生時点では七八一ミリメートルに達した。
(二) この間、高知地方気象台からは、四日午後四時に大雨注意報、雷雨注意報が、同日午後九時四五分に大雨警報・洪水注意報・雷雨注意報が発せられ、これらは五日午前三時にいつたん解除されたが、同日午前五時五〇分再び大雨注意報・洪水注意報・雷雨注意報が発せられ、同日午前七時一五分大雨警報・洪水警報・雷雨注意報に改められ、同時に「梅雨前線の活動が引き続き活発で、再び雷を伴つたにわか雨が降つており、すでに局地的に五〇〇ミリを越えたところもあります。今後さらに二〇〇ミリから三〇〇ミリの雨が降るところもあり、特に中部から北東部の山間部で強く降るおそれがあります。このためこの地方では河川が増水し、氾濫するおそれがあります。また、崖崩れ、山崩れが起こるおそれがありますので厳重に注意して下さい。」と発表された。
また、四日午後九時三〇分に大雨情報第一号が、五日午前九時四五分に同第二号がそれぞれ発表され、大雨情報第二号では「昨日から県中部及び県北東部に降り始めた強いにわか雨は一時弱まつたが今日早朝から再び強まつています。室戸岬レーダーによると引き続き強い雨雲が県北東部から西南西にのび宿毛地方にのびています。この状態はしばらく続きますので、山崩れ、崖崩れ、低い土地での浸水に十分注意して下さい。特に中部から北東部の山沿い地方では厳重に警戒して下さい。今朝九時までの各地の雨量は次のとおりです。天坪(繁藤)七四一ミリ、…」となつている(なお、気象台からこのような発表があつたことは、当事者間に争いがない。)。
三本件災害発生に至るまでの経緯など
<証拠>によれば、次の事実が認められる。なお、<証拠>中には、以下の認定と異なる記載部分があるが、これらの部分は右各証言と対比すると容易に措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
1 本件大崩壊発生までの経緯
(一) 土佐山田町では、四日午後三時、本件集中豪雨によつて舟入川の山田堰で川の水が越流したため、町地域防災計画に定められた災害応急対策計画に基づいて第一配備(準備体制)が発令された。また、繁藤地区においては、小野寺分団長指揮下の町消防団繁藤分団が、同日午後七時三〇分ころから午後一一時三〇分ころまでの間、地区内の巡視警戒に当たるなどした。
そうしたところ、五日午前六時(以下、五日の状況については、時刻のみを表示する。)少し前ころ、繁藤駅前の同町角茂谷四四七四番地所在伊藤重子方家屋の裏山が崩れて土砂が右家屋内に流れ込んだ。当時、右家屋内には、伊藤重子のほか同人の子である伊藤芳とその妻一審原告千惠子夫婦及び同夫婦の子供である一審原告隆裕及び和正が居住していたが、伊藤芳は、早速、電話で西岡統一に援助を求めた。そこで、西岡統一は、近所に住む宅間貞重及び岡林勝美に応援を求める旨の電話連絡をした上で伊藤方へ赴き、またその途上で出会つた岡林兼正にも応援を要請した。
(二) 西岡統一、岡林兼正、宅間貞重及び岡林勝美らは、午前六時少し過ぎころには、相次いで伊藤方へ到着し、伊藤芳と共に、持参したスコップや鍬で土砂の取り除き作業を始めたが、雨が激しい上に、土砂の量が多く、生木の立木なども流入していたため作業はほとんど進まなかつた。
また、西岡統一らが伊藤重子方に駆けつけたときには、その東隣の近藤徳一方にはいまだ土砂は流入していなかつたが、同人方裏側では、近藤徳一と親戚関係に当たる臼杵が、山から流れて来る水の排水を容易にするためスコップで溝を掘る作業をしていた。
(三) 一方、伊藤重子方裏の崩壊については、午前六時ころ、繁藤郵便局からも、町消防団繁藤分団の小野寺分団長に対し、「伊藤方の裏山が崩れ、土砂が家に流入して危険である。」旨の通報がなされたので、小野寺分団長は、直ちに分団員を非常招集するとともに消防本部に応援の要請をした。
そこで、消防本部では、六時一二分ころ、野口消防署次長以下署員七名、町消防団の浅井団長らを現地に向けて出発させると共に、都築消防長が、繁藤支所を通じて、繁藤地区在住の消防団本部の中西副団長に対し、同地区における消防活動に万全を期すように指示した。
なお、当時、土佐山田町には、消防事務を処理するための機関として、消防組織法に基づき、消防本部、消防署、消防団がそれぞれ設置されていたが、消防活動は、消防団の活動に依存している部分が多く、消防署と消防団が共同して消防活動に当たる場合であつても、消防署長が出動していない限り、消防活動の現場における指揮は消防団の長に任せられていた。
また、土佐山田町では、繁藤地区で崖崩れが発生したとの情報が入つたために、午前六時一五分、第二配備(警戒体制)が発令された。
(四) 中西副団長は、小野寺分団長らと共に、西岡統一らと相前後して、伊藤重子方裏に到着し、直ちに鍬などで土砂を取り除き、裏山から流れて来る水の排水をよくする作業をした。また、同副団長は、自ら、団員一名を連れ、雨が激しく降る中を右現場裏山の状態の視察に出掛け、続いて、小野寺分団長の命を受けた吉川班長も、右現場裏山の状態を視察したが、この時には、いずれも特に変つた兆候は現認できなかつた。
そうしたところ、午前六時四五分ころ、近藤徳一方の裏山が、高さ12.3メートルのところから幅12.3メートルにわたつて突然崩壊し(第一次崩壊)、近藤徳一方裏で前記作業をしていた臼杵が生き埋めとなつた。
(五) しかし、右崩壊直後は、崩れ落ちた土砂の量が多量であり、雨も激しく、二重遭難のおそれがあつたので、中西副団長は、しばらく救出作業の着手を見合わせることとし、直ちに消防本部の岡林消防本部次長(消防署長)に対し、臼杵団員救出のために消防団全員の出動を要請した。
これを受けた岡林消防本部次長(消防署長)は、午前六時五〇分、所轄の佐岡、楠目、明治、岩村、植、新改の六分団に対して出動を命じた。
その後間もなく、臼杵が生き埋めとなつた第一次崩壊の現場では、中西副団長が指揮をとり、分団員及びこれに協力しようと集まつて来た地元住民、近所の株式会社大二繁藤工場の工員などによつて、土砂を取り除くなどの作業が行われたが、現場が狭くて一度に数人の者しか作業ができない上、雨が激しく、さらに新たな崩壊があつたりしたために、作業は遅々として進まなかつた。そのうちに、近藤徳一方家屋の傾斜が大きくなり、倒壊のおそれが生じたので、国道側から支柱で右家屋を支える作業が行われた。
(六) また、土佐山田町では、右生き埋め事故発生の通報を受けて、午前七時一〇分、災害対策本部が設置され、第三配備(非常体制)が発令された。
本件災害当時、土佐山田町では、同町の防災について定めた町地域防災計画には、災害対策本部の組織及び権限の分掌、災害時における職員の動員計画、住民の避難計画などが規定されていたが、これによれば、災害対策本部の本部長には町長が、副本部長には助役が、本部員には各課の課長及び消防本部次長などがそれぞれ充てられ、消防本部員及び消防団員は、災害対策本部の防衛部防衛班に属して、水防や消火などの防衛活動に当たることとされている。
また、災害対策本部長に事故があるときには、災害対策本部副本部長がこれを代理するが(災害対策本部条例二条二項)、本件災害当日は、本部長である町長が出張中で不在であつたため、副本部長である都築助役(消防長兼務)が災害対策本部全体の指揮をとつた。
(七) 近藤徳一方家屋を支柱で支える作業が終了したのは午前七時三〇分ころであつたが、そのころには、野口消防署次長、浅井団長らが到着し、以後、浅井団長が中西副団長に代わつて本件救助作業の指揮をとり、野口消防署次長は、第一次崩壊現場近くの国道上に指揮車をとめて、無線で消防署と連絡をとりつつ命令の伝達及び情報の収集などに当たつた。
浅井団長は、到着後の少しの間は、それまでと同様に雨が弱くなつた時をみながら、消防団員らにより数人ずつ交替でつるはしやスコップで崩れ落ちた土砂の除去作業を継続させていたが、土砂の量が多く、そのままでは長時間を要し、作業員にも危険を及ぼすおそれが大きいと判断して、近藤徳一方家屋を取り壊すこととし、同家屋の所有者である阿部智枝の承諾を得るように野口消防署次長に要請した。
しかし、阿部智枝の所在が容易に判明せず、同人を捜すのに手間取つたため、同人の承諾を得て近藤徳一方及びその東隣の阿部智枝の店舗(美容院)から荷物を運び出し、近藤徳一方の取壊し作業が開始されたのは午前九時ころであつた。
これらの一連の作業のうち、特に荷物の運び出しや取り壊した廃材の運搬などの作業には、近所の女性も含め多くの地元住民が協力した。また、そのころ、作業現場の前の国道上の穴内川寄りのガードレール付近には、救助作業の交替要員として待機する消防団員や救助作業を見守る地元住民など大勢の者がいた。
(八) この間、午前七時五〇分ころには、応援の分団員が逐次到着し始めたので、浅井団長は、吉川副団長、三木本部分団長、吉川消防士長の三名に対し、現場の管理と警戒監視を命じ、吉川消防士長は現場付近の電柱又はブロック塀に上がつて本件救助作業の現場を、三木本部分団長は国道東方上、吉川副団長は国道西方上で、それぞれ本件救助作業の現場付近の上方を警戒監視した。しかし、第一次崩壊現場付近は、裏山が間近に迫り、第一次崩壊箇所のすぐ上の辺りには雑木が生えていたので、それより上部は見通すことができず、しかも、右作業中は、激しい降雨のために霧がかかつたような状態となり、見通しは一層困難であつた。また、浅井団長及び中西、吉川両副団長らは、右作業中、第一次崩壊によつて地肌が露出した斜面を流下して来る泥水は専ら上部に降つた雨水が流れて来たものであると考え、右斜面の上方に湧水があることには気が付かなかつた。
そして、浅井団長は、同じころ、自らの判断で、団員ら数名と共に、近藤徳一方付近の家屋の居住者らに対し、家の中にいては危険であるから避難するように勧告した。
(九) 午前八時ころには、第四配備(緊急非常体制)が発令され、しばらくして、都築副本部長以下土佐山田町役場の課長らを中心とする本部員一〇数名が第一次崩壊現場から西方に約四〇〇メートルほど離れた土佐山田町役場繁藤支所(以下「繁藤支所」という。)に到着した。
都築副本部長らは、ただちに救出活動の現場の視察に赴き、作業状況を確認し、浅井団長及び中西副団長らから、既に付近の住民に対しては避難勧告の措置をとつたこと、中西副団長らが第一次崩壊現場の裏山に登つて調査をしたことなどの報告を受けた。都築副本部長は、本件救助作業については特に具体的な指示を行わず、その後の作業についても浅井団長ら消防団の幹部の判断と指揮に任せて、繁藤支所に戻り、本部員である課長らと、独居老人の安全の確認や右救助作業に従事している者への食事の手配など今後の作業の所管を協議した。
その後、門脇弘本部員ら数名は、避難勧告の徹底のために、それぞれ分担して第一次崩壊現場付近の家屋を訪ねて避難を促したが、中には、これに応じず、反発する者もいたので、これらの者については、警察官に説得を依頼して避難させるなどした。
(一〇) 午前九時ころ、消防本部から、片地川が氾濫するなど土佐山田町の南部一帯が危険な状態になつたので分団の一部をその方面に移動させる必要があるとの連絡が入つたので、浅井団長は、午前九時ころに明治分団を、午前九時三〇分ころに岩村、植、楠目の三分団をそれぞれ同町南部方面に転進させ、同団長自身も、消防署において同町全域の指揮をとるため、午前九時三〇分ころに、その後の作業の指揮を中西、吉川両副団長に委ねて、本件救助作業の現場を離れた。
それ以後、右現場においては、右両名のうち年長者の中西副団長が主に指揮をとつて本件救助作業が進められた。
(一一) その後、中西副団長は、午前一〇時すぎごろ、崩れ落ちた土砂の除去作業を進展させるため、たまたま近くにいた土木請負業者の香川善六に依頼して、現場の土砂を同人の運転するショベルカーで国道上まで運び出し、これを消防団員らがトラックに積み替えて運搬するという方法で作業を開始した。
(一二) 午前一〇時三〇分ころ、新改川で二名が濁流に飲み込まれて行方不明になつたとの連絡があつたので、吉川副団長は、新改分団に対し、その方面への移動を命じた。
また、これと同時に、都築副本部長も、本部員らの一部と共に新改川の現場へ移動した。
(一三) 本件救助作業は、ショベルカーの導入によつて作業が進展し、三〇分ほどすると臼杵の衣類が見える程度にまでなつたので再び手掘りによる作業に戻した。しかし、臼杵については事故発生からすでに長時間が経過し、生存は絶望視されたので、中西副団長は、野口消防署次長に対し、遺体が掘り出された後の収容方法について町当局と協議するように要請した。
(一四) そうしたところ、午前一〇時五五分ころ、突然、大音響と共に本件大崩壊が発生した。
2 本件大崩壊発生までの警察の活動状況
(一) 土佐山田警察署の横畠警察署長は、午前六時五〇分ころ、繁藤駐在所の宮崎巡査から臼杵の生き埋め事故発生の報告を受けると、署員を非常招集して、直ちに松田警察署次長以下四名を第一陣として第一次崩壊現場に出動させた。
松田警察署次長らは、右現場到着後、現場が付近の主要道路である国道に面していたため、国道上で交通整理を行つていたところ、午前七時五五分ころ、横畠警察署長らが現場に到着した。同署長は、現場の状況を確認し、現場付近の山裾を歩いてみる一方、浅井団長から、救助作業の状況及び付近住民の避難はすでに消防団が行つたことの説明を受けた。
(二) そこで、同署長は、署員を付近道路の交通整理、臼杵団員が遺体で発見され検視を行う必要が生じた場合に備えての現場観察、本署と現場との連絡などの各部署に配置したほか数名を本件救助作業の支援に当たらせた。さらに同署長自身は、消防団が先に行つた避難勧告の措置を徹底するため、数名の署員と手分けして、現場の近藤徳一方付近の民家一〇戸ほどを戸別に訪ねて歩き、避難勧告をした。これらの家の住民らの多くは既に避難していたが、まだ居住者が残つていた家も数軒あり、その中には「絶対に潰えることはない。」と言つてなかなか避難しようとしない者がいたので、右警察官らは、これらの者についても説得して屋外に避難させた。
(三) その後、横畠警察署長は、午前一〇時三〇分ころ、本署から、新改川で二人が濁流に飲み込まれる事件が発生し、しかも、町南部地区でも河川が氾濫するおそれが生じているから本署に戻つて全体の指揮をとつてもらいたいとの要請を受けたので、臼杵の発見にも見通しがついたことから、第一次崩壊現場の西方約七〇〇メートルの繁藤駐在所で連絡業務などに当たらせていた松田警察署次長に対し、右現場付近の交通の整理、臼杵が遺体で発見された場合の検視の措置などを十分注意して行うように指示して現場を離れた。
(四) 横畠警察署長の帰署後、松田警察署次長は、右駐在所において根曳峠付近で発生した交通事故の届出の処理に当たつていたところ、高橋巡査が臼杵団員の発見が近い旨の報告に来たので、同巡査に対し、検視の責任者である魚谷刑事課長に知らせるように指示した後、自らも現場に赴こうとして駐在所を出たところで本件大崩壊に遭遇した。
3 本件災害時における本件被害者らの行動
(一)(1) 伊藤芳は、本件大崩壊に先立つ一連の崩壊のうち最初の崩壊が自宅裏で発生したため、応援に駆けつけてくれた岡林勝美らと、午前六時ころからその処理に当たり、その後、隣家で臼杵の生き埋め事故が発生したので、右岡林勝美と共に、任意に本件救助作業に協力していたものである。
なお、右両名は、当時、火災の際の初期消火などを目的として設けられていた私設消防団(分団長西岡統一)に加入していた者であるが、右伊藤芳らが現場に居合わせた経緯は右のとおりであつて、私設消防団に対する出勤要請を受けたことによるものではなく、また、本件救助作業の現場においても、私設消防団の分団長の指揮の下に行動したものではない(岡林勝美、付藤芳の両名が本件救助作業に従事していたことは当事者間に争いがない。)。
(2) 西岡實は、大豊村角茂谷在住のものであるが、株式会社大二繁藤工場に勤務していたことから、臼杵の生き埋め事故発生後、同工場の現場監督藤川某の指示によつて、本件救助作業に参加協力したものである(西岡實が本件救助作業に従事していたことは当事者間に争いがない。)。
(3) 伊藤重子は、前記伊藤芳の母であるが、本件災害時には、自宅の状況を心配しながら、孫の伊藤和正を背負い、本件救助作業現場付近の国道上で右作業を見守るなどしていたものである。
(二) 本件被害者らは、本件災害時にいずれも本件救助活動の現場付近にいて本件大崩壊に巻き込まれ、死亡したものである(本件被害者らが、本件災害で死亡したことは、当事者間に争いがない。)。
四本件大崩壊の概要と崩壊の原因
1 本件大崩壊の概要
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
本件大崩壊は、追廻山のほぼ中腹付近から、幅約一七〇メートル、長さ約一五〇メートル、高低差約九〇メートル(崩壊部の上端は、国道面から約七八メートルの高さにある。)、崩壊土量約一〇万立方メートルの規模で崩壊した大規模な地滑りであり、流出した土砂は、またたくまに前記の国道を乗り越え、折から繁藤駅構内に停車中の機関車及び客車二両を巻き込んで穴内川の対岸にまで押し出し、計約一二五メートル流動して対岸に乗り上げて、一時は穴内川を閉塞した。
その結果、本件救助作業に従事し、又はその付近で右作業を見守つていた者などから死者六〇名、重軽傷者八名の犠牲者が出たほか、家屋の全壊一〇棟、半壊三棟という極めて大きな被害が発生した。
2 本件大崩壊の原因
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
(一) 本件災害の原因については、本件災害直後に高知県森林土木課が国土防災技術株式会社に委嘱して昭和四七年七月から昭和四八年三月まで災害原因及び地質構造の調査を行つたのをはじめとして、総理府に設けられた豪雨非常災害対策本部も、昭和四七年八月に技術調査団を派遣して災害原因等の調査を行い、また、昭和四七年度文部省科学研究費自然災害科学の総合研究「昭和四七年七月豪雨の調査と防災研究」で本件大崩壊がテーマとして取り上げられて研究された。
(二) これらの調査研究の結果によれば、本件大崩壊(講学的には地滑り現象である。)が発生した原因(機序)については、崩壊斜面の各層に浸透した水が、中央部の断層破砕帯を伝わり、標高三七五メートルライン付近の地下水を押し出し、これが更に土を押し出すことによつて本件大崩壊が発生したとする説、崩壊斜面上部右側に存在するチャートに発達した大小の割れ目が、水の通り道となり、断層破砕帯や風化粘板岩を直に押し出すことによつて発生したとする説、崩壊斜面中央の断層破砕帯などに存在する粘土が、イオン交換作用を通じて徐々に変質し弱体化したことが一因であるとする説、崩壊斜面に存する緑色岩質風化粘土が滑剤の作用を果たしたとする説など様々の見解が示され、いずれの機序をたどつて地滑りが発生したものかは決し難い状況である。
(三) しかし、右各調査研究の結果は、前記二2(一)記載の前日午後から災害当日にかけての集中的な豪雨が一つの誘因であるとし、また、素因としては、次のような点を指摘している。
ア 本件崩壊地付近は、秩父帯の北帯に属する古生代ペルム系中世に堆積した上八川累層であり、チャート、輝緑凝灰岩、粘板岩、砂岩などの互層になり、これらは山腹斜面に対して受盤になつている。崩壊斜面の中央部には、最大幅約一〇メートル程度の断層破砕帯が上下方向に存在し、大小の劈開、節理が深部まで発達して、地表から五メートル前後までは風化が進行して粘土化している。さらに崩壊斜面の東側三分の一には、緑色岩質風化粘土が存在している。
イ 本件崩壊地付近には、標高三五〇メートルライン、標高三七五メートルライン、標高四二〇メートルラインの三段にわたり、大量の湧水が列状に分布している。
ウ 本件崩壊地は、両側に谷部分を持ち、穴内川に凸状に突き出た尾根型地形であり、斜面はかなり急である。
五一審被告土佐山田町に対する国家賠償法一条に基づく請求について
1(一) これまで認定したところによれば、本件救助作業現場及びその付近において、本件災害発生までに、消防団員、災害対策本部員又は警察官によつてとられた警戒監視及び避難に関する措置としては、次のような事実を挙げることができる。
(1) 中西副団長は、第一次崩壊の発生前、団員らを連れて追廻山に登つてその状況を視察した。
(2) 浅井団長は、午前七時五〇分ころ、吉川副団長ら三名に命じて本件救助作業の現場付近の上方を監視させた。
(3) 同団長は、同じころ、自らの判断に基づいて、団員ら数名と共に第一次崩壊の現場である近藤徳一方付近の数戸の民家にいた住民らに屋内については危険であるから避難するように勧告した
(4) 横畠警察署長らも浅井団長らの避難勧告の措置を徹底するため、数名の署員とともに、近藤徳一方付近の民家一〇戸ほどを訪ね、これらに残つていた住民らに避難するように説得して回つた。
(5) 門脇弘ら災害対策本部員数名も、避難勧告措置の徹底のために現場付近の民家を回り、そこにいた住民に危険であるから避難するように促したが、なかなかこれに応じようとしない住民もいたので、これらについては警察官に説得を依頼して避難させた。
(二) ところで、本件救助作業は近藤徳一方裏山の崩壊によつて生き埋めになつた臼杵を救出するための作業であること、作業中は依然豪雨が降り続き、右崩壊現場付近において、断続的に数回の崩壊が発生していたこと及び右(一)の各措置がとられたことなどからも明らかなように、中西、吉川両副団長ほか右作業現場で作業していた者らが、第一次崩壊に引き続いて新たな崩壊が起こることを危惧しながら作業を進めていたことは疑いがない。
しかしながら、作業中の警戒監視の対象が第一次崩壊の現場周辺に限られていたこと、避難勧告を行つた対象も第一次崩壊の現場付近の民家に限られ、待機中の者や作業を見守つていた者など国道上にいた者に対しては避難勧告がまつたく行われていないこと、阿部智枝方の荷物の避難先を近藤徳一方のすぐ西側の元駐在所跡の建物(本件大崩壊で潰滅)としたことなどからすれば、中西、吉川両副団長は、第一次崩壊(高さ約12.3メートルのところから、幅も約12.3メートルにわたつて崩れ落ちた崩壊)と同程度又はこれをある程度上回ることがあつても比較的小規模の崩壊が起こるかもしれないということは予想していたものの、第一次崩壊箇所の遙か上方の高さ約八〇メートル程度のところから幅約一七〇メートル、崩壊土量約一〇万立方メートルにも及ぶ本件大崩壊(大規模な地滑り)が極めて短い時間内に発生し、崩壊した土砂が国道際に立ち並ぶ家屋をまたたくまに押し潰して国道上及びその付近にいる者にまで危害を及ぼすような大規模な崩壊が起こることなどはまつたく念頭になかつたものと認められる。
また、このような認識は、右の中西、吉川両副団長に限らず、都築副本部長ほか現場に居合わせた消防、警察の各幹部においても同様であつたことは、<証拠>から明らかである。
2 この点につき、一審原告らは、都築副本部長及び中西、吉川両副団長には、本件救助作業に当たつている作業員が二次災害に巻き込まれないように、作業現場、当時既に傾きつつあつた家屋及び小崩壊の起こつた箇所などにつき、その地盤の変動、湧水の変化等を常時監視する要員並びに作業現場の裏山である追廻山について上方の地盤の変動・クラックの発生の調査・パトロールを行う要員、降雨の状況判断など全般的な危険判断を行う総括責任者及び危険発生時の避難責任者をそれぞれ配置し、さらにこれらの者の間の緊急連絡体制を整備するなどの警戒監視体制を整えた上、地滑りの前駆現象が発生した時点では、本件崩壊地付近にいた救助作業員、待機者、一般の滞留者などすべての人々に対して事実上の避難の指示をすべき条理上の義務があつたと主張する。
しかし、公務員の権限の不行使が違法の問題を生ずるのは、原則として、当該権限が法令に具体的に規定されているときに限られる。そして、例外的に国民の生命、身体、財産に対する差し迫つた重大な危険が発生したときなどは具体的な法令上の根拠がないにもかかわらず条理に基づいて当該公務員に一定の作為義務が生じると解する余地があるとしても、そのためには、少なくとも具体的事情の下で当該公務員にそのような作為を容易に期待できるような状況があることが前提となるというべきである。
そこで、本件災害当時、中西、吉川両副団長及び都築副本部長らについて、一審原告ら主張のような警戒監視体制の整備又は事実上の避難指示をすることが容易に期待できたかどうかを検討する。
3 <証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件崩壊地付近は、過去に、崖崩れや地滑りによつて人家が危険にさらされるというようなことはなかつた。
(二) 国鉄は、昭和三七年ころ、学識経験者によつて地質専門委員会を組織し、同年七月から昭和三九年三月までの間、調査日数延三九四日をかけて、土讃線の阿波池田駅から繁藤駅までの全線にわたつて、路線付近の岩石崩壊、地滑り、岩屑崩壊の危険度に関する詳細な調査を実施し、その結果、一二八箇所の危険箇所が指摘されたが、本件崩壊地付近については、これらの危険性の存在はまつたく指摘されていなかつた。
(三) また、右の(一)(二)のような事情から、本件災害当時は、高知県地域防災計画付属資料の「危険予想箇所一覧」においても、本件崩壊地付近は危険箇所として指摘されていなかつた。
4(一) ところで、<証拠>によれば、本件大崩壊発生に至るまでには、本件大崩壊と関連性を有するとみられる次のような現象が存在したことが認められる。
ア 午前六時ころの伊藤重子方裏側の崩壊に始まり、本件大崩壊発生までに数度にわたり、第一次崩壊と同程度又はこれより小規模の崩壊が、断続的に発生した。
イ 伊藤重子方、阿部智枝方、笹豊寿方、岡本重美方、坂本伊勢松方などでは、午前七時すぎころから、裏山の土砂が流れ込み、流入する土砂や水の圧力で、柱が家の土台から外れたりした。そして、笹豊寿方では、本件大崩壊の少し前には、家屋が国道側に押し出され、それまで一メートル以上あつた家屋とブロック塀の間隔が一〇ないし二〇センチメートルに狭まるまでになつた。
ウ 本件大崩壊の五分ほど前には、第一次崩壊を起こした部分の山肌が全体に揺れているように見え、それまで斜面中央部を流れ落ちていた水が止まつた。
エ また、これに引き続いて、国道及び繁藤駅構内にまで相当量の泥水が流れ出てきた。
オ その後、第一次崩壊によつて土が露出していた部分の上部付近がすとんと下に落ち、それに連れて小石もパラパラと落ちるという現象があり、それが東の方向へ広がつた。
カ 右オの現象がいつたん終息した直後、大音響と共に山の中腹付近に亀裂が入り、山が大きく波打つようにうねつて、大量の土砂が流れ出し、一瞬のうちに山裾の民家を次々に飲み込んで穴内川にまで達した。
(二) また<証拠>によれば、前記(一)の諸現象を目撃した者の行動は次のとおりであつたことが認められる。
(1) 中西朔は、現場から出る廃材などを運搬するため、笹豊寿方の前にトラックをとめていたが、本件大崩壊発生の一〇分ないし一五分前ころ、笹豊寿方の前記(一)イの現象を見て、笹豊寿方の前は危険であると考え、トラックを坂本伊勢松方の前までゆつくりと後退させた。
(2) 香川善六は、ショベルカーで本件救助作業現場の土砂をすくい出す作業を行つていたが、本件大崩壊発生の五分前ころ、ショベルカーによる作業を一応完了し、「あとは臼杵の体を傷つけたりしないように、手掘りでやつたほうがよい。」という趣旨のことを他の作業員に話しながら、第一次崩壊で土の露出した斜面を見たときに、前記(一)ウの現象に気が付き、その辺りが潰えるのではないかと感じながらショベルカーを後退させて国道に出て、ショベルカーを運搬してきたトラックの運転手である都築一男及び助手の福永慶次郎に一緒に退くように指示して、自分はショベルカーに乗つたまま、歩くよりやや速い程度の速度で国道を高知よりに移動した。途中、中西正方の前でいつたん停車した後、再び移動して、別紙「繁藤地区山崩れ現場原形見取図」記載の貨物上屋の前でショベルカーをとめた。その間、前記(一)エも目撃したが、助手の福永慶次郎は、泥水と共に路上に流れ出た鯉を拾つてバケツに入れたりした。
(3) 甲藤栄一は、国道のガードレールが途切れる辺りに立つている時に前記(一)オの現象を目撃し、友人の国鉄職員山中慶祐に対し、線路沿いの同人方に残つている同人の妻を避難させておいてはどうかと声をかけた上、同人の妻を連れ出しておこうと思い、約一五〇メートルほど離れた同人方まで水溜まりの中をゆつくりと走つて行つた。その途中で、「ドウ」という音を聞き、さらに山中方の前あたりまで来たときに土砂がガードレールを越えて来たのを目撃して危険を感じ、その後は必死に線路を横切つて走り、後ろから来た泥に追われるようにして穴内川に飛び込んだ。
(4) 利岡正種は、駅構内にとめてあつたダンプカーの近くで前記(一)オの現象を目撃したが、それがいつたん終息したので、ダンプカーで作業に出ようとしたところ、今度は大きな音と共に山の中腹に亀裂が生じ、崩壊が始まつた(前記(一)カの現象)ので、右手から大きな音と共に襲つて来る土砂を見ながら懸命に駅のホームの方へ逃げた。
(5) 前記中西朔は、坂本伊勢松方前のトラックの座席から山を見上げたところ、「ドン」と音がして山肌が見え、山が崩壊して来た(前記(一)カの現象)ので、トラックから跳び降り、しばらく高松寄りに走つて近くの溝に身を隠した。
(6) 平川寅通は、駅構内にいたとき、「ゴー」という音で山を見ると、二〇年生くらいの樹木がゆらゆらと揺れながら山が波打ち始めた(前記(一)カの現象)ので「山が来るぞー。」と叫びながら駅の構内を土砂に追われるように必死に走つて逃げた。
(7) 依光征二郎は、線路寄りのホームの上に立つて本件救出作業の現場を見ていたが、山の中腹に大きな亀裂が見え、山がうねるように見えた(前記(一)カの現象)ので、大声で「つえるぞー。」と叫び、線路に飛び降り、再びホームを越えて、高知寄りの陸橋の辺りまで必死に走つた。
(三) 右(二)の各事実によれば、前記(一)イないしオの各現象を発見した段階における中西朔、香川善六、福永慶次郎、甲藤栄一、利岡正種らの行動は、危険に対する切迫感には乏しいこと、その後に同人らが移動した箇所は、本件大崩壊のような大規模な地滑りが発生した場合には、やはり危険な場所であること、右中西朔らは右(二)(6)(7)記載の平川寅通や依光征二郎が前記(一)カの現象を見た際のように周囲の一般の人々に大声で危険の存在を知らしめるようなことも行つていないことなどからすれば、右中西朔らは、前記(一)イないしオの各諸現象を発見した段階では、それぞれ第一次崩壊程度の規模の崩壊が起こることは危惧したものの、本件大崩壊のような大規模な崩壊が発生することまでは予想していなかつたと認めるのが相当である。右のうち、香川善六は、長年土木請負業に従事し、経験的に前記(一)ウのような現象が崩壊の前駆現象であることは知つていた者であるけれども、同人においても、前記(一)ウ及びエのような現象を現認しても、本件救出作業中の現場付近に再び第一次崩壊程度の規模の崩壊が起こるのではないかという程度の認識をもつたにすぎず、大規模な崩壊の発生などはまつたく予想していないことは、前記の同人の行動だけでなく、原審における同人の証言からも明らかであり、中西朔、甲藤栄一についても、その認識内容が右認定のとおりであることも、原審における同人らの証言から明らかである。
そうすると、本件救助作業の現場及びその付近の国道上などに居合わせた人々が、それまでとは異なつて国道上にいても危険が及ぶのではないかというように感じたのは、前記(一)カの現象が発生した際又はその直後ころであるということになる。
しかし、右(一)カの現象は、本件大崩壊そのものの現象であつていわゆる前駆現象ではないから、結局、本件の証拠上、一審原告ら主張のように、本件大崩壊発生以前に、当日起こつたなんらかの前駆現象から本件のような大規模な地滑りが発生することを予知できた者が存在したものと認めることは困難である。
5(一) 前記認定の事実からすれば、中西、吉川両副団長は、本件災害当時、第一次崩壊現場の裏山が急な斜面であること、当日、非常な降雨があり、斜面の崩壊が起こりやすくなつており、既に数度にわたつて第一次崩壊程度の規模の崩壊が起こつていること(前記4(一)アの現象)、伊藤重子方など山裾の家屋が流入する土砂や水の圧力を受けて柱が家の土台から外れたりしたこと(前記4(一)イの現象の一部)などは、当然に認識していたものと考えられる。
しかしながら、同副団長らが事後の専門的な調査により初めて判明した断層破砕帯の存在など本件大崩壊の重要な素因と考えられる前記四2(三)アイ記載の本件崩壊地付近の地質的特性やそこに多量の湧水が存在することなどを事前に知らなかつたのはもちろん、本件崩壊地付近については、本件のような大規模な地滑りが発生する危険性を指摘したような調査結果その他の情報もなかつたこと、本件崩壊地付近は、過去に人家が危険にさらされるような地滑りが発生したことがなかつたこと、本件災害当日、本件大崩壊以前に発生した一連の崩壊は、いずれも山の端末部において、一〇メートル前後の高さから崩壊した小規模のものであり、崩れ落ちた土砂の大半は山裾の家屋の裏側で止どまり、これらの家屋を押し潰して国道上にまで及ぶようなものではなかつたこと、当日は、午前一〇時ころから雨が小降りになつたもののそれ以前は激しい降雨が続いていたことから、周囲の見通しが悪く、また、多量の雨水が山肌を流下していて湧水の存在などに気付くことが極めて難しかつたこと、その他前記三1記載の本件救助作業の経緯などを総合して考えれば、中西、吉川両副団長らが認識していたと認められる前記の諸事情及び前記二2(二)記載の気象警報の存在を考慮に入れても、同副団長らにおいて、これらのことから、本件大崩壊のような大規模な地滑りが発生するかも知れないと警戒することは困難であると認められる。また、右の諸点と前記4(一)イないしオの諸現象を実際に認めた者の認識の内容から考えると、仮に同副団長らが一審原告ら主張のような警戒監視体制をしき、前記4(一)イないしオ記載の諸現象を把握したとしても、これらの現象からは、非常に早い速度で本件大崩壊(大規模な地滑り)が発生する危険性を予見することが可能であつたとも認め難い。
したがつて、中西、吉川両副団長は、災害対策本部の防衛班に属し、本件救出作業現場における実際上の指揮を任されていたものではあるが、右のような状況の下では、同副団長らが一審原告ら主張のごとき警戒監視体制をしいた上、右地滑りの前駆現象を事前に発見して崩壊地付近にいたすべての人々に対して避難の指示を行うことが容易であつたとは到底いえないから、同副団長らがこのような行為を行うべき義務を条理に基づいて負つていると解することはできない。
(二) また、都築副本部長は、本件救出作業現場における消防団員及び消防署員の指揮については、中西、吉川両副団長に任せ、自らは第一次崩壊現場から西方に約四〇〇メートルも離れた繁藤支所の方にいることが多かつたものであり、同副団長ら以上に、本件大崩壊のような地滑りの発生を予見することが困難な状況に置かれていたのであるから、同副団長ら同様都築副本部長において右のような警戒監視体制を敷いたり避難措置を行うことは期待し得る余地がない。
したがつて、同副本部長が、一審原告ら主張のごとき警戒監視義務及び避難措置義務を条理に基づいて負つていると認めることはできない。
なお、右のとおり、同副本部長においても、本件大崩壊(大規模な地滑り)の発生及びこれによる大災害の発生を事前に予見できる事情は存しなかつたのであるから、本件災害発生当時、国道上にいた者らに対して、同副本部長が災害対策基本法六〇条一項の規定に基づく立退きの勧告又は指示しなかつたことが違法であると解する余地もない。
(三) よつて、中西、吉川両副団長及び都築副本部長が一審原告ら主張の前記各義務に違反したことを理由とする一審被告土佐山田町に対する一審原告らの本訴請求は理由がない。
六一審被告土佐山田町に対する安全配慮義務違反に基づく請求について
1 岡林勝美、伊藤芳、西岡實が、本件災害当時、本件救助作業に従事していたことは、当事者間に争いがなく、右救助作業に参加した経緯については、前記三3記載のとおりである。これによれば、右岡林勝美らと一審被告土佐山田町との間には、雇用契約や公法上の身分関係など明確な形での法律関係が設定されたものではあるとはいい難いけれども、本件救助作業の現場で指揮をとつていた中西、吉川両副団長は、右岡林勝美らの労務の提供を受け入れて、豪雨の中で崩落の危険を伴う状況下において、消防団員及び消防署員らと共に本件救助作業に従事させていたのであるから、一審被告土佐山田町としては、信義則上、右岡林勝美らがこれの作業に従事している間は、同人らに対しても、具体的状況に応じて当該現場における消防団員及び消防署員に対すると同様その生命、身体に危険が及ばないよう保護を与えるべき義務があつたと解するのが相当である。
2 一審原告らは、右義務の具体的な内容として、前記の同被告に対する国家賠償法一条に基づく請求において主張するのと同内容の警戒監視義務及び避難措置義務があつたと主張する。
しかし、中西、吉川両副団長らは第一次崩壊と同程度又はこれをある程度上回ることがあつても比較的小規模の崩壊があることを予想して、その範囲で、これに対する警戒監視及び避難の措置をとつたけれども、当時の状況下で、同副団長ら及び都築副本部長において、本件大崩壊(大規模な地滑り)が発生することを警戒すること及び前駆現象などから右大崩壊を予見することが困難であつたことは、すでに前記五1ないし5に記載したとおりである。
したがつて、一審被告土佐山田町が、岡林勝美らに対する保護義務の具体的な内容として、一審原告ら主張のような警戒監視義務及び避難措置義務を負つていたと認めることは困難である。
そして、同副団長らが本件救助作業中第一次崩壊と同程度又はこれを上回ることがあつても比較的小規模の崩壊が起こるかもしれないということを予想し、右救助作業に従事する者の生命身体を保護するために相応の警戒監視などの措置をとつていたことは前記認定のとおりである(右作業中に新たな小崩壊が発生した際も、そのために作業員が事故にあうなどの災害は発生していない。)から、一審被告土佐山田町に安全配慮義務の懈怠があつたものとは認められない。
3 よつて、一審被告土佐山田町が岡林勝美らに対する一審原告ら主張の内容の安全配慮義務があることを前提として、その履行を懈怠したことを理由とする一審原告らの本訴請求は理由がない。
七一審被告高知県に対する警察官の義務懈怠を理由とする国家賠償法一条に基づく請求について
1 本件災害当日、本件の現場に出動した土佐山田警察署の警察官らは、本件救助作業現場が付近の主要道路である国道に面している場所であつたので、主として右国道上において交通の整理に当たつたほか、臼杵団員が遺体で発見された場合に備えて検死の準備をするなど警察固有の職務を行つていたこと、横畠警察署長は、現地に到着して間もなく浅井団長から既に消防団が付近の民家に避難勧告をしたことを聞き、その徹底の趣旨で署員らと共に現場付近の民家を戸別に訪ね、残つていた者に避難するように説得をして回つたこと、松田警察署次長は、横畠警察署長が現場に到着後、同署長の指示に従つて、本件救助作業現場から約七〇〇メートルほど離れた繁藤駐在所において本署との連絡業務に当たつていたこと、そのため、横畠警察署長から指揮を引き継いだ後も、本件災害発生の直前まで同駐在所で職務を行つていたことは、いずれも前記認定のとおりである。
2(一) これに対し、一審原告らは、当時の現場の具体的状況と警察官の職責、災害警備の目的、警備実施要則三〇条及び警察官職務執行法四条の規定の趣旨や本件災害時には現場に多くの一般人が居合わせ、これらの者は警察官の適切な避難措置等を信頼し、期待する状況にあつたことなどから、午前一〇時三〇分以降現場の指揮をとつていた松田警察署次長としては、消防など関係機関と緊密な連携の下に協力して、周辺の状況の変化に即応できる警戒監視要員を配置して警戒監視体制をしいた上、本件大崩壊の前駆現象が発生した時点で現場にいたすべての人々に対して事実上の避難の指示をすべき条理上の作為義務があつたにもかかわらず、松田警察署次長は右義務の履行を懈怠したものであると主張する。
しかし、災害対策基本法六〇条、六一条の規定などからすれば、災害時に同法に基づき市町村に災害対策本部が設置された場合に、住民の身体生命を災害から保護するため避難措置などをとるべき一次的責任は当該市町村長にあり、警察官は、市町村長が右の措置をとることができないとき又は市町村長から要求があつたときなど二次的に責任を負うにとどまるものであると解するのが相当である。そこで、このような立場にある松田警察署次長らが、本件災害時に、右一審原告ら主張のような作為義務を条理に基づいて負うべき事情があつたかどうかを検討する。
(二) 本件災害時には、土佐山田町では、午前七時一〇分に災害対策本部が設置され、午前八時以降は、町防災計画に基づいて第四配備(緊急非常体制)が発令された。また、当日の災害対策本部の最高責任者である都築副本部長を始めとして、本部員のほとんどが、逐次本件救助作業の現場又は繁藤支所に来て防災対策に当たつており、本件救助作業の現場においては、災害対策本部の防衛部に属する消防団員及び消防署員が本件救助活動に従事し、また、災害対策本部の連絡責任者である野口消防署次長は右現場のすぐ前に指揮車をとめて無線で消防本部と連絡をとりあつていた。
また、横畠警察署長、松田警察署次長ら警察の幹部が、当日、崩壊の危険性について危惧していた内容が中西、吉川両副団長らと同様であることは前記のとおりであり、また、それ以上の規模の大規模な地滑りの発生を予見できず、予見可能でなかつた事情も同副団長らと異なるところはない。
したがつて、災害対策本部が設置された場合に住民の生命身体を災害から保護するために二次的責任を負うに過ぎない横畠警察署長、松田警察署次長ら警察の幹部としては、本件災害時には、右のように災害対策本部の活動が有効に機能していた上、右災害対策本部の各構成員と比較して、警察官の方が特に本件大崩壊のような災害の発生を予測し得る立場にあるという特段の事情も存在しないのであるから、前記三12記載の状況下で、一審原告ら主張のような条理に基づく義務を負つていたとは認められない。
3 よつて、松田警察署次長が右義務に違反したことを理由とする一審被告高知県に対する一審原告らの本訴請求は、理由がない。
八一審被告高知県に対する県知事及び県消防学校長の教育義務懈怠を理由とする国家賠償法一条に基づく請求について
1(一) 一審原告らは、右請求の前提として、県知事及び県消防学校長は、消防組織において実際に現場の指揮又はその補佐をする立場にある中西、吉川両副団長らに対しては、これらの任命権者と協議し、協力して、地滑りなどの災害への対処について、正式にカリキュラムを組み、砂防学の専門家に講義を依頼するなどして必要な教育訓練を行う義務があると主張する。
(二) 災害対策基本法は、国及び地方公共団体は、災害の発生を防止するために防災上必要な教育及び訓練に関する事項の実施に努めるべきことを定め(同法八条二項九号)、消防組織法は、各都道府県に対し、消防職員及び消防団員の教育訓練を行うために消防学校の設置を義務付けた上(同法二六条一項)、消防学校で習う教育訓練については、消防庁で定める基準を確保しなければならないと定めている(同条四項)。そして、右の基準として「消防学校の教育訓練の基準」(昭和四五年三月一八日消防庁告示第一号)及び「消防学校の施設、人員及び運営の基準」(昭和四六年四月一九日消防庁告示第一号)が設けられている。しかし、これらは、消防学校の各課程における教科目及びその時間数についてその基準を示しているにとどまり、当該教科の具体的な教授細目、講義内容などは各消防学校長において定めるべきこととされており、各消防学校において、一定の時間の範囲内で具体的にいかなる内容の教育訓練を行うか、またそのためにどのような教授方法をとるかは、右基準に基づいて各県の災害の実情など諸事情を考慮して、消防学校長が自由な裁量によつて決定すべき事柄であると解される。
また、消防団員のうちのだれを県消防学校における教育訓練に参加させるかについては、各消防団員の任命権者において判断すべき事項である。
さらに、右の諸規定は、国又は地方公共団体の行政上の責務を規定したのであつて、国又は地方公共団体が特定の個人に対して直接にこのような教育訓練義務を負担することを定めたものでないことは明らかであり、ほかに地方公共団体又はその機関が右のような義務を特定の個人に対して直接負担する旨を定めた規定は見当たらない。
右のとおり、高知県がその地勢的な特性から地滑り災害が多いという事情があるとしても、県消防学校長の教養訓練計画立案の権限又は県知事の右計画に対する承認権限を行使するに際して、右県消防学校長又は県知事が、中西、吉川両副団長に対して、一審原告ら主張のような具体的教育訓練を必ず施さなければならず、これを履行しない場合には、本件被害者ら又は一審原告らとの関係で違法な義務懈怠としての責任を負わなければならない関係にあるものと解すべき法的根拠は見い出し難い。
2 また、右の点をさて措くとしても、非常勤の消防団員についての教育訓練は、各団員の生業の合間をぬつて行わなければならないことから、もとより時間的な制約を免れないものであり、他方、その職責の範囲は火災、水防、その他災害など多岐にわたつているから、教育訓練を行わなければならない対象は広範囲にならざるを得ない。こうした場合に、特定の事項について一定の教育訓練を実施したとしても、それらのすべてが受講者の知識として身につき、年月を経た後、実際の活動場面において実践できるものとは限らないことは経験則上明らかである。
ところで、<証拠>によれば、中西副団長が昭和四一年二月一日から三日までの間に受講した幹部教育の際に、地滑りの予知法などに関しては十分な教育が行われたとはいえないことは、一審原告ら主張のとおりであると認められるけれども(右認定に反する<証拠>は、甲六一号証の記載に照らして疑問が残り、容易に措信し難い。)、右の幹部教育が行われたのは、本件災害から六年半以上前のことである。加えて、本件災害時において、香川善六は、それまでの職業知識や経験から、山肌が揺れ、水が止まることが崩壊の前駆現象であることと知りながら、このような現象を現認しても、そのことからは、本件第一次崩壊程度の規模の発生を危惧したにすぎず、本件大崩壊のような大規模な地滑りの発生はまつたく予想できなかつたものである。
file_5.jpgしたがつて、これらのことからすれば、本件に現れた証拠からは一審原告らが主張する教育訓練を行わなかつたことと本件被害者らの死亡との間に相当因果関係が存するものとは認め難い。
3 以上のいずれの点からしても、県消防学校長らの教育訓練義務の懈怠を理由とする一審被告高知県に対する一審原告らの本訴請求は理由がない。
九結論
1 本案の判断について
以上の次第で、一審原告らの一審被告らに対する本訴請求はすべて理由がないから、原判決中一審原告岡林糸美、同西岡恒、同伊藤千惠子の一審被告土佐山田町、同高知県に対する本訴請求を棄却した部分は相当であり(なお、右一審原告らは、原判決中、同一審原告らの一審被告高知県に対する賞じゆつ金又は特別報しよう金として金一五〇万円及びこれに対する昭和四八年一月一二日から完済まで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分については、不服を申し立てていない。)、右一審原告らの本件各控訴はいずれも理由がないが、原判決中一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕の一審被告土佐山田町、同高知県に対する各請求を認容した部分は理由がないから、右一審被告らの本件控訴に基づいてこれを取り消し、右各請求及び一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕の附帯控訴により当審において拡張された各請求については、いずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法九五条、九六条、八九条、九三条の規定を適用する。
2 民事訴訟法一九八条二項の裁判を求める申立てについて
一審被告高知県が右申立ての理由として主張する事実関係は、一審原告岡林功、同西岡義夫、同西岡民江、同伊藤隆裕らの争わないところであり、原判決中右一審原告ら勝訴部分を取り消し、右部分の請求を棄却すべきことは、右1に判示したとおりであるから、原判決に付された仮執行宣言はその効力をすべて失うべきものである。
したがつて、民事訴訟法一九八条二項に基づき、右一審原告らに対し、右仮執行宣言に基づいて一審被告高知県が右一審原告らに給付した金員の返還を求めると共にこれらに対する本判決確定の日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める右申立ては理由があるので、これを認容することとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官柳澤千昭 裁判官福家寛 裁判官市村陽典)