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高松高等裁判所 昭和57年(行ケ)1号 判決 1983年2月22日

原告

福原高直

原告

古味良一

原告

田元陽三

右三名訴訟代理人

梶原守光

被告

高知県選挙管理委員会

右代表者委員長

林一宏

右訴訟代理人

林一宏

右指定代理人

今田直美

外八名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  申立

(原告ら)

1  被告が昭和五七年八月三一日になした同年四月一八日執行の高知県越知町長選挙における選挙の効力に関する審査請求に対する裁決はこれを取り消す。

2  昭和五七年四月一八日執行の越知町長選挙はこれを無効とする。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文と同旨

第二  主張

(原告らの請求原因)

一  昭和五七年四月一八日に高知県越知町長選挙(以下「本件選挙」という。)が執行され、現職の武政浩太郎候補が、対立候補の中越庄次郎に一〇六票の差をつけて当選と決定された。

二  原告らは本件選挙の選挙人である。

三  原告らは、右選挙の効力に異議があるとして、越知町選挙管理委員会(以下「町選管」という。)に異議の申立をしたが、町選管は同年五月二四日、右異議申立を棄却する旨の決定をした。

この決定に対し原告らは更に被告に審査請求を提起したところ、被告は同年八月三一日右審査の申立を棄却する旨の裁決をし、同裁決書は同日原告らに交付された。

四  しかし、本件選挙には次のとおりの選挙の無効事由が存在する。

(一) 選挙の規定に違反する事実の存在

1 町選管は本件選挙の投票用紙として七二〇〇枚の印刷を有限会社久万印刷所に発注した。右七二〇〇枚は当時の総有権者数より約五〇〇枚多いので、さらにそれ以上の予備用紙は一枚も必要でなかつた。

しかるに本件選挙期日後の昭和五七年四月二一日、右七二〇〇枚以外に八三枚の投票用紙(但し、町選管の押印がないもの)が町選管で保管されていることが原告らに判明した。しかも、町選管は久万印刷所からこの投票用紙の納入を受けて以降、原告らが右八三枚を確認するまでの間、契約枚数の七二〇〇枚分だけにつきその枚数を確認し、爾余の納入分については枚数を未確認のままであつたし、この未確認の投票用紙が納入時に何枚あつたか不明であるうえ、これら投票用紙は納入以降、投票開票時を通じて、越知町収入役が管理する金庫室内のキャビネットに入れて保管されていたというが、その収入役は武政町長派の中心人物であるし、また投票用紙に押捺する町選管の公印が同事務所の机上に裸のままおかれていたこともあつたので、投票用紙が不正に使用され、その残余が右八三枚であつた疑いが強い。

2 本件選挙の開票事務執行中、(1)この事務に従事していた町選管の職員数名が選挙長の許可を得ずに開票所外の場所へ出たり開票所へ入つたりしたし、(2)開票事務従事者でない岡林和一町長室長が開票所へ出入し、(3)点検係りの前に他の事務従事者三名が移動してきて立ち並び、投票紙の点検事務を注視していた参観者の視線を故意に妨害した。

3 投票開票事務の進行途中で、開票所の電灯が何者かの手で一〇秒ないし一五秒間消された。この消灯時に投票紙の差替えが行われた確証は得られないとしても、開票の最も重要な場面で、この異常不審な消灯があつたことは、その消灯の間に、投票の差替えなど不正行為が行われた可能性があることを推測させるものである。

(二) 右123の事実を総合すると、本件選挙の開票事務の途中で、投票の差替えが行われたと推断できるので、これが本件選挙の結果に異動を及ぼすおそれがあることは明らかである。

四  しかるに、被告が町選管の本件選挙に関する事務執行に関する手続や処置に法規違反ないし選挙の自由公正を著しく阻害する廉は認められないと認定判断して、原告らの審査申立を棄却する裁決を行つたのは、事実を誤認し、法律の解釈を誤まつたものであるから、右裁決を取消し、本件選挙を無効とする判決を求める。

(請求原因に対する被告の答弁及び主張)

一  請求原因一ないし三を認める。

二  請求原因四(一)1のうち、町選管は久万印刷所から契約枚数七二〇〇枚以外に八三枚の投票用紙の納入を受けたが、投票紙が不正使用されたと疑うに足る証拠はない。

同四(一)2のうち、(1)開票事務従事者数名が開票所から出入りしたことは認めるが、その出入りした理由は、開票所北隣の町史編さん室に設置されていた電話の応接状況の確認や同編さん室で湯茶を飲んだり喫煙等の休憩のため及び用便のためであつて、この出入りの際に開票事務従事者と外部者との間に選挙の公正を阻害する連絡協議が行われた事実はなく、(2)岡林和一が開票所へ入つたかどうか判然しないが、入つたとしても開票所の出入口からせいぜい一歩ほど入つたにすぎず、投票紙に触れるような状況でなく、選挙の結果に異動を及ぼすおそれがあるとはいえず、(3)開票事務従事者三名くらいが点検係西村博の前へ移動してきて、遅れている西村の点検事務を応援したことはあるが、この事務応援は選挙長黒石貞次からの事前指示にもとづくものであつて、違法不正な行動ではない。

請求原因四(一)3につき、開票事務執行中、開票所内の一部電灯が短時間消えたが、その原因は開票所出入口脇のスイッチの近くにいた事務従事者山中弘孝の後肩辺が偶然スイッチに触れたためであると思われ、この消灯が故意に仕組まれたものであると疑うに足る証拠はない。また、そのため灯が消されたのは開票所の天井に三列設けられている螢光灯照明のうち、一列ないし二列だけであり、白熱灯及び他の螢光灯は異常なく点灯していたので、右消灯で開票所内が少し暗くなつた程度で、投票紙に記載された文字を読みとることも含めて、開票事務の執行に支障はなかつた。

請求原因四(二)の主張を認めない。要するに、原告らはいくつかの事実を恣意的に解釈して、本件選挙の管理執行機関の処置が違法であるとか、それが選挙の結果に影響を及ぼすものであると主張し、その主張を肯認できる具体的立証を行わないで、被告の裁決が原告らの主張を容認しなかつたことを非難するにすぎないので、原告らの本訴請求は理由がない。

第三  <証拠関係>省略

理由

一請求原因一ないし三の事実及び町選管が久万印刷所から受取つた投票用紙が契約枚数七二〇〇枚より八三枚多かつたこと、開票事務従事者数名が開票所に出入りしたことがあること、開票事務従事者三各くらいが点検係西村博の前へ移動したこと、開票事務執行中電灯の一部が短時間消えたことは当事者間に争いがない。

二町選管が本件選挙の投票用紙の印刷を有限会社久万印刷所へ注文してから、選挙終了後の昭和五七年四月二一日午後五時すぎ、異議申立人らにその予備用紙八三枚が開示されるまでの経緯等をみると、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

1  町選管の書記長岡林義郷(当時越知町役場町民課次長と兼務)は、昭和五七年三月二三日、高知県高岡郡佐川町甲一七二〇番地の有限会社久万印刷所(担当者はその従業員久万正二)に本件選挙の投票用紙七二〇〇枚の印刷納入を注文した。本件選挙の全有権者数は七〇〇〇人に少しく足らなかつたので、この注文した投票用紙数は予備分として二〇〇枚余を含めたものであつたが、岡林はそれを久万に知らさなかつたし、久万の方も注文枚数に予備分が含まれることを知らなかつた。

2  久万正二は右会社の代表者久万庫吉の子で、右印刷を受注した際には、四六判の八丁付で印刷しようと思つたこともあつたが、その版組にあたり同印刷所全体の版組部門に他の仕事があつた一方、印刷部門の方はひまな状態であつたので、この投票用紙の印刷を四六判の四丁付で行うこととして、その旨を従業員に指示した。四六判の四丁付の場合、印刷機にかける用紙一枚の大きさは、縦272.75ミリメートル、横一九七ミリメートルの短形で、その一枚の用紙に投票用紙四枚が印刷されることになる。

同印刷所の従業員は久万正二の右指示にしたがい、版組のうえ、四六判の一六切用紙約一八二二枚余をカッ版印刷機にかけて刷り上げたが、一枚目の用紙は版組との位置を適合させるための試験用であり、他にも印刷作業中、インクや油が用紙にこぼれたり、用紙のめくれやずれが生じて印刷不良品が生じたかも知れないが、その不良印刷の枚数は確認されないまま、印刷を担当した従業員がその場で不良印刷分を細かく破つて廃棄し、印刷完成の一八二一枚を久万正二に渡し、久万が一枚ずつ数え直して、一八二一枚あることを確認し、その際、印刷原稿(乙第五号証)に「1,821」とメモ書きした。

久万正二は右印刷された一八二一枚を投票用紙一枚分ずつになるよう裁断したが、その裁断作業中、最下部の用紙一枚中の投票用紙一枚の部分が枕木にひつかかつて破れたので、久万正二はその場で右破れた投票用紙一枚を手で細かく破つて破棄したので、でき上つた投票用紙は七二八三枚であつた。

(1,821×4)−1=7.283

3  久万正二は右七二八三枚中、注文枚数の七二〇〇枚分については一〇〇枚ごとに色のついた境紙(へた)を挿入して外包し、残余の八三枚を帯紙で巻いて七二〇〇枚の包の上におき、これを同年四月六日、町選管事務室へ運び書記長岡林義郷へ引渡して納入したが、その際、七二〇〇枚分の外包を外し「これが正規の七二〇〇枚」といい、また帯紙で巻いた分をも渡して「この方が予備じや」と告げたところ岡林書記長は七二〇〇枚分を境紙に当つて確認したが、帯紙で巻かれている分はその厚さで一〇〇枚に少し足りない数であると推算しただけで枚数を確認しないまま受取つた。久万正二も帯紙で巻いた分は注文外のサービス品と思つて渡し、その枚数を数えなかつたので、これを告げなかつたし、四丁付で刷り上げたとか、その投票用紙一枚分を廃棄したこと等は話さなかつた。

なお、この納品の際、現場には右両名のほか、町選管の職員一名が居合わせた。

4  岡林義郷は受取つた右投票用紙を直ちに越知町役場出納室の一隅にある金庫室内の町選管専用のキャビネットに運び入れて保管した。右キャビネットの施錠用鍵二個のうち一個を岡林書記長が他の一個を同役場収入役の前田博が各所持し、金庫室の鍵は同収入役が所持していた。町選管では本件選挙より約二年前からそれまでに施行された他の二回の選挙の際にも、その投票用紙を右キャビネット内に入れて保管した。

岡林書記長は本件選挙の投票用紙のうち、帯紙で巻いて納品された分を、右キャビネットへ入れるにあたり、同選管事務所にあつた紙封筒に帯紙で巻いたまま入れ、封筒の口をホッチキスで閉じた。

5  岡林義郷書記長は臨時雇いの職員二人に指示し、同年四月七日から一六日までの間に、出納室で封筒に入れた分以外の投票用紙合計七二〇〇枚に町選管の印章を押捺させた。右職員二名は指示された日の勤務時間内に指示された枚数に押捺を行ない、枚数を確認したうえ、その投票用紙と印章を前記前田収入役へ渡し、同収入役がその都度、これを出納室金庫内の町選管専用の前記キャビネット内へ戻して同キャビネットに施錠した。

6  右押印を終えて出納室金庫内のキャビネットに保管されている投票用紙中から、岡林義郷書記長が同月一〇日に三〇〇枚を、岡田美喜書記が同月一三日に三〇〇枚を各取り出して町選管事務室の手提金庫へ移し、その六〇〇枚中から同月一七日(投票日の前日)までに、不在者投票申込者に対し合計五六六枚を交付し、残余の三四枚を同金庫に納入して保管していた。この手提金庫には日頃、投票用紙に押捺する町選管の印章等が収納されており、その鍵は岡林書記長が所持し、勤務時間外には同金庫は同選管事務所内のキャビネット内にしまわれ、同キャビネット及び同事務所の出入口も施錠されていた。

7  同月一七日(投票日の前日)正午前ころ、岡林書記長、岡田書記らは、出納室金庫内の前記キャビネットから、押印ずみの投票用紙六六〇〇枚を取出し、一旦、町選管事務所内のキャビネットへ収納のうえ、同日午後三時ころ本件選挙の投票所二一か所の各投票管理者へ所定枚数を確認のうえ、右六六〇〇枚全部を配付した。

8  同月一八日午後七時三〇分ころ、右二一か所の投票管理者から、同日投票者へ交付した分以外の残余の投票用紙合計六〇五枚が岡林書記長へ返戻され、同書記長はこれを町選管事務室内の前記手提金庫へ収納した。また、不在者投票申込者へ交付した前記投票用紙合計五六六枚のうち、一三枚が未使用のままで同月一七日までに町選管へ返戻されたが、その一三枚も右手提金庫へ収納して保管された。

9  同月一八日午後一〇時一〇分に本件選挙の選挙会が閉会し、武政浩太郎前町長が当選人と決定されたが、それまでに町選管では交付ずみの不在者投票用紙の枚数(前記返戻分を除く。)五五三と不在者投票枚数五五一の差数二のうち、一枚が入院中の有権者の手許に未使用のまま残つていることを確かめ、選挙長へ報告した。

10  同月二一日午後二時ころ、岡林書記長は前田収入役から、本件選挙が終つたので前記四月六日以降出納室金庫内の町選管専用キャビネットに収納したままになつている選挙書類を町選管事務室へ移すように勧告されたのに従い、前記のとおりホッチキスで閉じられた封筒に入つたままの予備投票用紙を直ちに町選管事務室へ持ち帰り、同事務所内の前記手提金庫へ収納した。同日午後五時少し前、原告ら三名のほか高島田幸雄等合計六名が他数名とともに右六名連名の町選管に対する本件選挙の異議申立書を越知町役場へ持参し、町選管委員長西村博(同町役場総務課長兼任)に対し、本件選挙で投票に使用されなかつた残余の投票用紙の枚数とその保管状態を開示するよう申入れたので、同委員長は原告らを含む約一〇名の者を町選管事務所に赴かせた。岡林義郷書記長は原告らの面前で、前記手提金庫を開いて、そこに収納されていた町選管の押印がある投票用紙を取り出し、その枚数が全部で六五二枚あることを確認させ、この枚数が前記選挙会へ報告した数であることをも説明した。その説明を終えたころ、その傍らにいた町選管の斉藤某書記が同室北側の窓傍らの机上におかれていたキャビネットの上のダンボール箱から紙封筒(同日午後二時ころ岡林書記長が前記のとおり出納室の金庫から町選管事務室の手提金庫へ収納替した封筒)を手にとつて原告らに対し「ここにもあらあよ」と告げながら封筒の頭を斜下方にしたところ、既に何者かの手で閉封のホッチキス釘が外され、また投票用紙をまいていた帯紙も外されていたので、封筒中から投票用紙がさらさらと外へ出てきた。高島田幸雄がそれを手に取つて一枚ずつ数えたところ全部で八三枚あつた。斉藤書記が如何なる経緯でこの投票用紙が右封筒に在中しているのを知つたのか、また岡林書記長が同日午後二時ころ閉封された封筒入りの右投票用紙を同選管事務所の手提金庫へ収納してから三時間後の同日午後五時すぎに斉藤書記がこの封筒入り投票用紙を原告らや高島田らに提示するまでの間に、何者がこれを右手提金庫から取出し、キャビネット上のダンボールへ移したのか、また、右封筒の開披や在中の投票用紙を巻いてあつた帯紙の取外しを行つたのかは、斉藤書記のこの点の陳述がなく、岡林書記長が右斉藤の右封筒取出しを現認した高島田幸雄や原告田元陽三らの陳述、証言と齟齬する供述(自分が同日午後五時すぎころ手提金庫から閉封のままの封筒を取出して、原告らの前で開披し、帯紙に巻かれている投票用紙をみせて枚数を数えたところ八三枚であることが分かつた旨の供述)をしているので正確なことは判明しない。

11  原告田元陽三は、高島田幸雄ほか一名とともに翌二二日午前八時三〇分ころ久万印刷所で久万正二と会い、町選管へ納入した本件選挙の投票用紙の枚数をそれとなく尋ねた。久万正二はそれまでに匿名者から電話で、本件選挙につき町選管の処置に不正があるとか、久万印刷所もその不正処置に加担しているのではないかという前置きで納入した投票用紙の枚数を尋ねられ不審不愉快に思つていた際であり、右三名中、高島田は従前にも父庫吉が印刷の注文を受けたことがあることを知つていたが、庫吉が折悪しく同月一八日以降、腸閉塞を患い高北病院に入院中で、庫吉のしていた仕事まで処理しなければならず多忙を極めていたため、高島田らから納品した投票用紙数につき「七千二百かつちりじやつたか」と問われると「かつちりよ」と答え、「予備はひとつもやつちやあせざつたか」「予備じやあいうものはなかつたかよ」等と問われると「ええ」「予備じやあいうものはなかつたろうと思うたけんど」「僕が岡林さんという男の人に納品した。」「その人に聞いたらわからあよ」等と返答した。

原告らと高島田ら六名は久万正二の右返答を聞き一層疑惑を深め、前日午後五時をすぎたため提出しないままにしていた本件選挙の異議申立書を同二二日に町選管へ提出した。

12  それから二日経つた同月二四日、原告福原高直は高島田幸雄とともに久万印刷所で久万正二と会い「町選管へいうたら、お前に聞けというけね。選管ではサービスに余分を貰うちよつたぜというが、やつた覚えはあるか」と問いかけ、正二が「ほんならあつたもわからんね。」と前日の返事が正確でなかつたことを認め、さらに原告福原が「枚数は二百、三百枚ばあ、あるよう選管でいいよつた。予備があるようにいいよつたでよ。」と持ちかけると、久万は初めころは「どればじやつたか、確かによう覚えていない。選管の岡林さんが一番よう知つちあせんろうか。」と答えていたものの、高島田から「余分じやあいうたら十や三十やいうて、あんなにやならんか」等といわれるや、相手に同調して「二、三百は当然じやあね」とか「五十枚ばあ選管へ持つていつて予備じやいうて、おつこうなことはいえんけね」などと返答した。

13  久万印刷所の経営者久万庫吉が前記高北病院を退院してから一週間後の同年五月六日の午後三時すぎころ、原告田元陽三は梶原守光弁護士ほか一名を久万印刷所へ案内し、同弁護士から庫吉に、原告ら六名が町選管へ異議申立を行つている事由等を説明し、久万印刷所から町選管へ納入した本件選挙の投票用紙の枚数を確認できる証拠書類が手元に残つていないか調査して、それがあれば原告らにみせて貰いたい旨を紳士的に申入れた。庫吉や正二らは、それまでに新聞で、原告らが右異議申立を行つていることを知つていたが、連夜のように、越知町民だという匿名電話がかかつてきて、久万印刷所が本件選挙の不正投票に加担しているなどといわれて立腹していたが、右弁護士の説明で納得し、同印刷所の棚の一隅においてある印刷ずみの原稿入の袋を持ち出し、その中を探して、本件投票用紙印刷の際に使つた原稿(乙第五号証)を見付け出し、それに「16切」「4丁付」「1,821」と久万正二が摘記していたメモをみて、久万正二の記憶が鮮明になり、町選管へ納入した投票用紙の合計枚数は七二八三枚であることが分つた。庫吉はその直後ころ、久万印刷所と相当前に取引があつた織田建材の社長から電話で、封筒等の印刷注文とともに、納入した投票用紙の枚数を問われた際、七二八三枚である旨返答した。庫吉や正二は梶原弁護士から依頼された調査結果の照会がくるものと心待ちしていたが、その照会はなかつた。

原告らは右五月六日の面談の際、庫吉が梶原弁護士の説明に調子を合わせ「予備として納入した分が八〇枚くらいあつた」とか「八三枚くらいあつたかも知れない。」などといつたため、庫吉らが事前に町選管へ連絡して、前記四月二一日午後五時すぎころ原告らが八三枚の予備分を確認したのを知り、町選管と口実を合わせているものと思いこみ、梶原弁護士と相談して、久万印刷所に対し調査依頼の結果を照会しなかつた。

以上のとおり認められる。<証拠>のうち、前記認定と一部牴触する部分は爾余の前掲証拠と比較して措信し難い。そのうち、<証拠>中の以上と同旨の部分中、前記10で認定した事実と齟齬する部分は、同年四月二一日、同原告らを含む約一〇名に開封ずみの投票用紙入り封筒を提示した斉藤書記の言い分が被告の審理にも提出されていないこと及び<証拠>中の西村博のこの点に関する供述記載をも総合し、措信できない。

他に、右認定と異なり、合計七二八三枚を超える枚数の投票用紙が町選管へ納入されていたとか、七二〇〇枚の投票用紙に押捺した町選管の印章が不用心に選管事務所の机上などに放置されていたことを肯定すべき証拠はない。

三次に、町選管の開票事務に関する管理執行上の処置に、選挙の規定違反ないし選挙の自由公正を著しく阻害するといえるものがあつたか否かを検討するのに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件選挙の開票事務は、越知町役場庁舎三階にある大会議室で投票が行われた日の昭和五七年四月一八日午後八時ころ開始され同日の午後九時四五分ころ終了した。

開票所における開票事務の概要は、開票係約一二人が開票机の上に二一の投票所から運ばれてきた投票箱から出した投票紙と不在者投票紙の合計六五四六票を混合しておいたうえ、一票ごとに開票机の脇におかれた箱四個(候補者二人の記名票を入れる箱各一個と、点字票と疑問票、無効票とみられる票を入れる箱一個ずつの四個)に区分けして入れたうえ、まず記名有効票を侯補者ごとに二〇票を一束として、クリップで結束して、その束を審査係の机へ選んで審査係へ渡し、この二〇票束を渡し終えた後に、散票(二〇票に満たない記名票)を渡し、次に点字票を渡し、最後に疑問票、無効票を渡す順に事務を執行し、審査係四人は二人ずつ一組となつて、開票係から渡された票束の中に、他の候補者の票が混入していないかどうか、一束が二〇票あるかどうかを審査して、その票を点検係四人の机へ移し、点検係四人は審査係から渡された票を一票ごと点検して、開票立会人三人の机へ、その票を移すという各事務を執行した。

この開票事務開始前に、開票管理者黒石貞次(選挙会の事務が右開票事務と合わせて行われたので、選挙長の黒石貞次が開票管理者にあてられた。)及び町選管委員長で点検係の西村博から右開票事務従事者に対し、開票事務執行中にはみだりに開票所外へ出ないよう口頭の指示がなされた。また黒石貞次から事前に、岡林義郷書記長を通じて、開票事務従事者中の五、六人に対し、各自の担当事務が終了すれば、まだ終つていない事務の執行を応援するよう指示していた。

2  開票事務が始められてから、点検係四人のうちの一人である大黒昭一は点検事務が終了するまでの間に、自己が点検した票数を候補者ごとにメモしたり、二ないし三回、自席を立つて他の点検係や開票立会人の背後からその机上に腕をさし出して、机上におかれている票束の上に手を置いて、票束の数を比較してみたり、一回、開票所東南隅の窓際に立つて硝子ごしに屋外をみていたことがあつたほか、一回、開票所東北側の出入口から北側の廊下へ出て暫く後、再び開票所内の自席へ戻つたことがあつた。

審査係の一人である酒井清富は審査事務が終了する少し前ころに一回、開票所の前記出入口から外へ出て、廊下を隔て北側に設けられた休憩室(町史編さん室)に入り、越知町役場町長室長で武政町長に極めて近いといわれている訴外岡林和一と参観人の高島田幸雄から、どちらの候補者の票が多いかなどと問われて、まだ分らない旨答えた後、開票所の審査係席へ戻つたことがあつた。

黒石開票管理者は大黒昭一が票数をメモ書きしていたことや数回その担当席を外れて移動したことに気付かなかつたので、もとより右の点に関して大黒に注意等は行わなかつた。また同管理者は二、三人の事務従事者が無断で開票所外へ出て行くのを現認したが、用便のためか又は北隣の休憩室で湯茶を飲むためであろうと思い、それを看過し、許可を得て出入すべき旨の注意等を行わなかつた。

3  前記岡林和一は同日午後九時ころから九時三五分ころまでの間に、越知町役場二階応接室と三階の開票所北側の廊下辺を行つたり来たりして、数回、開票所の前記出入口から開票所内を覗きこんだことがあつたほか、一回、右出入口から開票所内へ一〇センチメートルくらいのところへ足をふみ入れて立ち止まり、暫く開票状況をみていたことがあつた。

黒石開票管理者は岡林和一が右出入口付近の廊下にいるのを目撃し、参観人の数を制限しているし、岡林和一の職責からみても、岡林が同所にいるのは不適当であると考えたが、廊下は開票所でないと解釈していたので退去するよう勧告せず、岡林が開票所内へ足をふみ入れていたのには気付かなかつたので、退去命令を発することはなかつた。

4  開票及び選挙会の事務執行中の同日午後九時二〇分ころ、開票所の天井に点灯されていた螢光灯(天井の中央と西側で南北に三列に設置)とスポット灯(天井東側で南北に一列に設置されている五灯の白熱灯)のうち、西側二列の螢光灯が突然消えた。この消灯の瞬間には開票事務従事者の手許が急に薄暗くなつたが、残余の消えなかつた天井の照明で票の文字は識別できる程度の明るさが保たれ、その際、この電灯の点滅用スイッチがある開票所の前記出入口西側壁の前で、このスイッチを背後にして立つていた放送連絡係の山中弘孝に向けて、近辺にいた他の開票事務従事者数名が「スイッチ、スイッチ」「弘孝スイッチ」と続けて声をかけたため、山中弘孝は体の正面を壁に向けながら、オフの状態になつているスイッチ二個を手でオンの状態にしたため、消えた二列の螢光灯がすぐ点灯した。

この消灯の原因は、山中弘孝の後肩部が右スイッチ二個にもたれかかつたため、このスイッチがオンからオフに動かされて消灯した公算が強い。しかし山中弘孝はその際、自分の体とスイッチないしその周辺の壁面との間に殆んど空間がなかつたように感じているものの、上体が背後へ動いたとか体が壁面と接触した記憶はない、といい、右スイッチの東へ二〇センチメートル離れた位置が出入口の東端になるので、出入口に接続する廊下南側の壁に体をつけるように立ちながらでも、右手を出入口の端から差入れてこのスイッチを動かして天井の照明を消すことはさして困難ではないが、山中弘孝の記憶に従うと、同人の後背部とスイッチとの間には殆んど空間がなかつたというのに、山中はそのように右スイッチへ向けて差し出される手があつたことやその付近に人影があつた気配を全く感知しなかつたといい、さらにはこの消灯中も、右廊下の照明は点灯されたままであり、開票所内の参観席にいた約三〇人の参観人のうち南端近くにいる者を除く大多数者は右スイッチのある付近の廊下南側壁寄りにいる人影を現認できる位置にいたのに、右消灯時にそのような人影をみたものがいないことにかんがみると、右消灯が出入口の廊下にいた何者かの手でスイッチが動かされたためであると推認することは困難である。

開票所の右照明の一部が消えていた時間は約五秒である。黒石開票管理者はこの一部照明が消えた際、事務従事者に各自の作業を中止し手元等を動かさないよう指示しようかとも考えたが、残余の照明で、票の文字が読めたし、票の枚数を数えることも支障はない状況であつたので、指示を出す決断をしないでいるうち、消えた照明が前記のとおり点灯した。この消灯のため開票事務の執行に支障が生じたことはなく、参観席からも、ざわつきその他、不審がる声も起らなかつたので、消灯した原因の調査を行わなかつた。

5  開票所の照明の一部が右のとおり消えたりついたりした時より少し前の同日午後九時一〇分すぎ、審査係二組四人のうち、一組の酒井清富と上田延男は、開票係から渡される有効票二〇枚束の審査を終つたし、開票係の西森康夫も開票事務を終つていたところ、点検係の西村博の机の上に、未点検の票束が相当多数滞留していたので、前記事務開始前の指示にしたがい、西村博の前に移動し、酒井(北側)、西森(中央)、上田(南側)と並び西村と机を挾んで対面する状態で椅子に坐わり、西村の点検事務を応援した。その後、この点検事務が終了するまでの間に、それまで西村博の隣席(南側)で点検事務に従事していた大黒昭一が、上田延男が右点検事務の応援を行つている席の南側に坐つたが、大黒が上田の南側に坐つてから点検事務を行つたのかどうか判然しない。酒井と西森、西森と上田相互間及び大黒が上田の南隣に移動してきてからは上田と大黒の間は殆んど間隔がなかつたので、西村の前に滞留している票束やその票の点検事務の執行状況が参観席(開票所の東側半分)からは酒井らの体に遮られて見えなかつたが、西村の北側にいる黒石選挙長や開票立会人三人及び点検事務従事者の津野敏夫、氏原和子らは、右西村と酒井ほか二、三名が対面して票の点検を行つているのが十分見え、黒石選挙長はじめ氏原和子らはいずれも酒井、西森、上田、大黒の挙動、気配に異常、不審な点を感知しなかつた。

6  酒井清富と上田延男が審査係席を外れ、西村点検係の前へ移動して点検事務の応援を始めるまでは、二組四人の審査係の審査を行つた票束は、酒井から隣席の点検係氏原和子へ中越候補と武政候補の各票束一個ずつを交互に渡し、酒井、上田が西村点検係の応援を始めてからは審査係箭野憲彦から点検係氏原和子へ点検した票束を従前どおり両候補の票束一個ずつを交互に渡したが、審査及び点検事務の終了に程近くなつた同日午後九時三〇分ころ、酒井ら三、四人の前記応援により西村博の前に滞留していた票束の殆んどが点検を終つたので、それまでは票束がすべて審査係箭野から点検係氏原、同津野を経て西村の前へきていたのに、少なくとも武政候補の票束四個(八〇枚)が審査係から氏原点検係を経ずに、点検応援の上田延男へ渡り、これを同人及び西村博が順次点検し、西村博から隣席(北隣)の開票立会人橋詰柳生へ渡した。

7  開票所の照明の一部が前記4のとおり消えたりついたりした時より少し後で、両候補の得票数が各一七〇〇票と開票所設置の拡声機から放送があつた直後ころ、中越候補推選の開票立会人橋詰柳生は南隣席の西村博の机上に滞留している中越候補の票束が武政候補の票束より相当多いのをみて、開票終了を待つまでもなく、勝負が決したと考え、参観席にいる中越派の参観者数名に向けて、手振りで中越候補が勝つた旨の合図を数回行つた。ところが、その後、両候補の各票束が一束ずつ交互に西村博から橋詰立会人へ渡され、中越候補の票束が渡され終つたのに、なお武政候補の票束四個(八〇票分)が西村博の机上に残つたのを確認した橋詰立会人ほ中越派の参観者に向けて前記合図を行つたのは早合点であることに気がついた。

8  町選挙会は右開票事務終了後、投票総教六五四六票で、そのうち武政候補の得票数三三〇七票、中越候補の得票数三二〇一票、無効票三八票と決定して、同日午後一〇時一〇分に閉会したが、それまでに使用されなかつた投票用紙(但し、前記予備分を除く町選管の印章が押捺されているもの)が町選管に保管されていること及び不在者投票申込者に渡した投票用紙中未回収分二枚のうち、一枚は入院中の有権者の手許に残されたままになつていることを確認した。

以上のとおり認められる。<証拠判断略>。

<証拠>中には、開票の翌日、開票立会人大前覚が森木旧越知町長に対し、武政候補が落選したと思つていたところ、散票中から同候補の票束四個が出てきたので武政候補の当選が分つた旨告げたと森木旧町長から橋詰柳生が聞いたと供述している部分があるが、これは森木からの伝聞であるほか、<証拠>中の大前覚の供述記載と比較して、さらには開票立会人の一人であつた証人橋詰柳生は同立会人に最後に渡された武政候補の票束四個を散票だと解釈したわけでなく、当初から両候補者の票束一個ずつを交互に渡されていたので、得票数の多かつた武政候補の票束四束が最後に連続して立会人へ渡される結果になつた旨供述していることに徴して、大前覚が森木前町長に散票中から武政候補の票束四個が出てきた旨を告げたという供述部分は措信できない。また証人氏原和子は、点検係の氏原和子は左隣席の審査係から、両候補者の票束が一個ずつ交互に最後まで渡されたので、その票束の後に渡された散票等の票数差で当落がきまると考えていたのに、氏原へ渡された散票(票数不明)の点検を終え、疑問票に符箋をつけて立会人席へ渡して、点検事務を終わり、北隣の休憩室で茶を飲んで再び開票所へ戻つたら、既に武政候補が一〇六票差で当選した旨聞き不審に思つた旨供述しているが、<証拠>を総合すると、前記6で認定のとおり、票束の審査の最終段階で審査をした武政候補の票束四個が氏原和子を経ずに点検応援中の上田延男へ渡されたのを、氏原和子が知らないため、氏原が右の疑念を抱いたものと推認されるので、氏原和子へ両候補の票束一個ずつが終始、交互に渡されていたことは前記認定と矛盾するものではない。さらに、<証拠>を総合すると、開票事務執行中、同所の照明の一部が前記4のとおり消えたが、その少し前の時刻に、岡林和一が開票所の北西側出入口付近の廊下にいるのを、原告田元が参観席から現認し、また同日午後九時一〇分すぎころ、開票所(三階)の南東沿いのベランダ上に岡林和一らしい人が立つて、下の役場前の広場辺を何か捜しものでもしているように見廻しているのを、その広場の一隅から片岡佐代が現認したことが認められるが、これらの事実があつても、直ちに開票所の右照明のスイッチを切つたのが岡林和一であると推断することはできないし、岡林和一がそれ以上に開票事務に介入した形跡はない。

他に、右の認定判断を覆えし、開票事務執行の際、開票所の前記照明の一部が消えている間等に、投票紙が抜き取られたとか、偽造票紙とのすり替え混入が行われたとか、右照明の一部が消えた原因が何人かによつて故意に行われたことを肯認できる証拠はない。

さらに、本件全証拠を検討しても、本件選挙における管理執行に関し、他に選挙の規定違反や選挙の自由公正を阻害したものがあることを窺わせる証拠はなく、況んやそれが選挙の結果に影響を及ぼしたと認められる証拠はない。

四右二、三の認定事実によると、

1  町選管が久万印刷所から投票用紙の納入を受けた際、必要でもない契約枚数以外の予備分の枚数を検収しなかつた点で、疑惑を招きいささか事務処理上、不用心があつたといわねばならないが、その後の保管に不備があつた事跡がないので、この投票用紙の検収上の不行届があつても選挙の自由公正を阻害したものとはいえない。なお、予備投票用紙八三枚が原告らを含む町民約一〇名に提示された際における町選管の右用紙の保管については些か不分明な点があるけれども、それは選挙終了後におけるいわば残務整理上の事務にかかるものであるから、選挙の規定違反に該当するとはいえない。

2 開票事務従事者の大黒昭一、同酒井清富の前記三2の行動は開票管理者の指示に違背するものがあるし、開票管理者がそれを看過し是正の指示を行わなかつた点で、指揮監督にいささか不行届があつたといわねばならないが、その目的は茶を飲んだり用便のためであり、その態様は開票手続全体からみて、多数の従事者のうちの二人程度の時間的にも短かい不適切な行動であるので、それが開票手続の公正を著しく阻害したものということはできない。

3  開票事務従事者でなく、しかも武政候補の有力な側近支持者の一人であるとみられる岡林和一町長室長が開票所内へ故なく立入つたのを開票の管理執行責任者において気付かず看過したことは、開票所の秩序保持の面で不備があつたというほかないが、岡林和一の右立入は極く短時間であるし、その立入つた位置からみて投票に触れることができないことが明白であり、その間、岡林が開票の自由公正を阻害するような行動に及んだ事情も認められないので、同人が武政候補の側近支持者であることが参観者の大半にも周知の事実であつたとしても、未だ選挙の自由公正が著しく阻害されたものということはできない。

4  選挙事務従事者西森康夫、酒井清富、上田延男らが各自の割当事務終了後、開票管理執行責任者からの指示にしたがい西村博点検係の事務を応援したことに不都合はなく適正な処置といえるが、その際、机の位置や着席の方向を工夫すれば参観席からも右応援者三名らや西村の点検作業を観覧できる態勢で事務執行が実施されたと考えられるが、この事務応援は点検事務全体からみると時間的には終了に程近い間だけであり、事務量上もそんな多かつたわけでなく、開票管理者や開票立会人三人からは随時その点検作業を監視できたものであるから、開票の公正が著しく阻害されたとはいえない。さらに大黒昭一が指示された席を離れて右上田延男の応援席の隣へ着席していたのはその必要性がないうえ、参観者からは大黒の手許辺が観覧できないので軽率な行動というべきであるが、大黒において右移動後点検事務を行つたとしても、管理者及び立会人三人からその作業を監視できたことは西森康夫らの点検作業と同じであるから、開票の公正を著しく阻害したということはできない。

5  右1ないし4のとおりであるから、本件選挙の管理執行に関するこれらの不備不行届を個々的にみると選挙の規定違反にあたらないし、選挙の自由公正を著しく阻害するものといえないが、さらにこれらの瑕疵を全体として考えてみても、その態様や不備不行届の程度、それらを開票の自由公正保持という基本原則の視点から評価した場合の軽量の度合等各般の事情にかんがみると、未だ選挙の自由公正を著しく阻害するものということはできないものと判断する。

但し<証拠>において武政候補推選の立会人であつた大前覚が当日の開票事務をみた印象として従事者が慣れすぎて緊張の度合が足らんと感じたといつているのを関係者は反省してよいであろう。

五よつて、原告らの審査申立てを棄却した被告の裁決は相当であり、原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(菊地博 滝口功 川波利明)

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