高松高等裁判所 昭和60年(ネ)51号 1988年9月12日
控訴人
社会福祉法人恵城福祉会
右代表者代表理事
浅野吉治郎
右訴訟代理人弁護士
白川好晴
被控訴人
高橋蓉子
右訴訟代理人弁護士
高村文敏
同
久保和彦
同
臼井満
同
重哲郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一申立て
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の申請をいずれも却下する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨の判決
第二当事者の主張
(申請の理由)
一 控訴人は、社会福祉事業法に基づき昭和四三年八月一日保育所の経営を目的として設立された法人であり、保育所恵城保育園(以下「園」という。)を経営している。
二 被控訴人は、昭和四三年九月一日、控訴人の事業開始と同時に主任保母として期限の定めなく雇用され、以来その業務に従事し、昭和五五年一二月ころは月額一九万五〇三〇円の賃金を毎月二八日限り受給していた。
三 主任保母は、他の保母に対する指導計画作成の指導、運動会等特別行事に関する計画及び指導などを行う保母の中で最も重い任務を有する保母である。
四 控訴人は、被控訴人に懲戒事由があると称し、昭和五六年一月五日、口頭で同年一月一日付で主任保母を解任する旨の意思表示(以下「本件降格」という。)をなし、同年二月一〇日到達の内容証明郵便で控訴人の就業規則(以下「就業規則」という。)一一条四号の事由により同月一〇日付けで普通解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。
五 しかしながら、本件降格及び本件解雇は、次のとおり、懲戒権ないし解雇権の濫用であり、かつ、不当労働行為にも該当するから、いずれも無効である。
1 被控訴人の主任保母としての就業態度は雇用以来一貫して有能かつ勤勉であって、控訴人の主張の就業規則に該当するような事由はいっさい存しない。
したがって、本件降格及び本件解雇は、懲戒権又は解雇権の濫用である。
2 被控訴人は、昭和五二年三月から同年六月まで恵城保育園職員組合の委員長を、同年六月から昭和五五年三月まで同組合監査委員をそれぞれ務め、同月から日本社会福祉労働組合恵城保育園分会(以下「組合」という。)の執行委員長に就任し、積極的に組合活動に取り組んでいた。右活動は、園の園児の保育条件の向上、保母等職員の給与、労働条件等の待遇改善を目的とするものであって、その手段も団体交渉、地方労働委員会への斡旋申請、行政機関への要請、陳情等いずれも正当なものである。
しかるに、控訴人は右組合を敵視し、組合の瓦解ないしは弱体化を図るため、右組合において中心的活動をなしている被控訴人に対し、本件降格及び本件解雇の各意思表示をなしたものであるから、不当労働行為に該当する。
六 控訴人は、本件降格及び本件解雇を有効として、昭和五六年一月五日以降被控訴人を主任保母として処遇せず、同年二月一〇日から被控訴人の就業を拒絶して被控訴人の主任保母たる職員としての雇用契約上の地位を認めない。
七 被控訴人の夫は、香川県高等学校教職員組合の専従委員長として月額二五万円程度の給与を受けているが、子供が二人おり、これらの生活のためには被控訴人の前記給与収入の金額が必要である。
被控訴人は本訴を提起する予定であるが、その結果を待っていては、著しい損害を被ることは明白である。
そこで、被控訴人は控訴人に対し、主任保母としての雇用契約上の権利を有する地位を仮に定め、昭和五六年二月以降本案判決確定まで一箇月一九万五〇三〇円の割合による金員を毎月二八日限り支払うことを求める。
(申請の理由に対する認否及び控訴人の主張)
一 申請の理由に対する認否
1 申請の理由一の事実は認める。
2 同二の事実のうち、被控訴人が主任保母として採用されたこと及び主任保母に任命された時期は争い、その余の事実は認める。
3 同三のうち、主任保母の職責に関する主張は争う。
4 同四の事実は認める。
5 同五は争う。
6 同六の事実は認める。
7 同七は争う。
仮払を必要とする金員は、原則として、被解雇労働者が居住する地域におけるその者と同様の家族構成の家庭で必要とする標準生計費の額をもって、その一応の標準と考えるべきであり、その期間も、労働者の潜在的労働力の活用が図られるまでに必要な期間に限られるべきである。
また、過去分の賃金の仮払は、数箇月以上経過した分については、原則として保全の必要性はない。
二 控訴人の主張
1 申請外岡田房枝(以下「房枝」という。)は丸亀市において初めての私立保育園を開設するため、私財を投じて園舎等を建設し、昭和四三年八月一日、社会福祉事業法に基づき控訴人法人を設立し、自ら理事長に就任した。
当初園の定員は九〇名であったが、房枝は、更に順次私財を投じて園の拡充を図り、昭和五二年には定員三〇〇名、保母三〇数名を数えるまでに発展させた。また、房枝は、園の開設二年後からは、園長も兼任した。
2 被控訴人は、園の開設と同時に保母として採用され、間もなく主任保母に任命されて、以来、主任保母として勤務していた。
3 控訴人は、昭和五二年二月香川県(以下「県」という。)から特別監査を受け、その結果、控訴人は昭和四九年から昭和五一年にかけて地方公共団体から支給される保育措置費(以下「措置費」という。)を不正に流用していた事実が発覚し(以下「特別監査事件」という。)、そのため、房枝は理事長及び園長を辞任した。また、同時に、当時園の事務長をしていた房枝の夫岡田巌(以下「巌」という。)も事務長を辞任し、同園の用務員となった。
後任の理事長には浅野吉治郎(以下「浅野」という。)が、後任の園長には伊藤文子(以下「伊藤」という。)がそれぞれ就任したが、伊藤は、民間保育園の園長としての経験がなく、園の実情も分からず、しかも、県全体の保育園の父母の会の事務局長を兼任していたため毎日園に出勤することもできなかった。
そこで、控訴人は伊藤からの要請により、昭和五二年四月ころ、被控訴人を口頭で園長代行に任命した。
4 そして、被控訴人は、次のような非違行為を行った。
(一) 会計上の越権行為・不正行為等
被控訴人は、房枝が理事長を辞任した後は、浅野が理事長に就任したのであるから、控訴人の一切の会計は同人の管理下に置かれるべきであったのに、これを無視排除し、主任保母と園長代行の権限を濫用して、会計に関し、次のような行為を行った。
(1) 会計上の越権行為・不正行為等
措置費会計並びに特別会計中の雑会計及び主食会計につき、昭和五二年四月から昭和五三年六月まで自己において管理するとともに、右雑会計及び主食会計については、昭和五三年六月、帳簿、預金通帳等を返還せよとの理事会の命令があるにもかかわらず、これに従わず、雑会計については昭和五三年一〇月まで、主食会計については昭和五四年三月ころまで管理し、しかも、主食会計については、その預金名義を菅綾子名義とし、雑会計については被控訴人名義とした上で被控訴人が常時所持する印章を使用し、これら会計を自己の意のままに専断した。
右のうち、措置費会計については、昭和五二年四月時の昇給については理事者の承認を得たものの、前記菅に指示して、同人とともに理事者に無断で給与表の改訂を行い、給与台帳にその旨を記入し、かつ、これを支給し、その過程において、年度途中である昭和五二年一〇月に、自己及び菅綾子(以下「菅」という。)外一名のみの昇給をも実現した。
また、前記雑会計については、その会計帳簿に公衆電話代収入等定期的に収入のあるものに記載漏れがあるなど収入全部を記載したものか否か疑わしいばかりでなく、雑会計の支出中、左記のとおりの不正支出をなした。
記
職員の負担すべきおやつ代(アイスクリーム代) 金二〇五〇円
送別会負担金 金二万六〇〇〇円
職員上靴代 金四万四〇〇〇円
ソフトボール応援代 金一万六二〇〇円
生活発表会・反省会費用 金一一万四一五〇円
県職員・市職員の接待費
(香川県福祉事務所長) 金一万円
(県庁手土産) 金三九〇〇円
(県職員来客用果物等代金) 金八一七二円
(お礼金) 金二万九〇〇〇円
(香川先生お礼金) 金五〇〇〇円
(県監査ケーキ代・昼食代) 金一五〇〇円
不必要なタクシー代
(昭和五三年八月二一日) 金一万二四一〇円
(昭和五三年九月二日) 金三七〇〇円
(昭和五三年一二月二〇日) 金二二八〇円
(昭和五四年一月一七日) 金一九六〇円
(昭和五四年二月一六日) 金二八〇円
さらに、主食(米食)会計についても、毎月父母からほぼ同額徴収する昭和五三年二、三月分の入金が計上されていない。これは、被控訴人によって意図的に記載されなかった疑いがあり、仮に被控訴人が主食会計にゆとりがあると判断して、二、三月だけ徴収しなかったというのであれば、被控訴人は理事者の知らない間に、その意に反して不徴収という経営的な判断を恣意的に行ったものである。
また、本来別途に行うべき職員の給食費の預入・支出を、園児の主食会計の中で一緒に行い、しかも職員の負担する米食費及びおかず代が実際に要する額より過少であったため、この分を園児の米食費から負担させた。
(2) リベートの収受
園の職員はリベート収受を厳禁されていたにもかかわらず、被控訴人は、昭和五四年四月から七月三一日までの間、青木写真館から、リベートを継続して収受した。
(3) 右(1)(2)の各行為は懲戒解雇事由を定めた就業規則四〇条三号(「職業上の指示命令に従わず、越権、専断の行為をなし、職場の秩序を乱した者。」)又は八号(「その他前各号に準ずる行為をした者。」)に該当する。
(二) 主任保母としての職責違反等
(1) 昭和五二年四月以降、伊藤が欠勤がちで出勤時間が遅く、早朝の保育管理者が不在で保育業務に支障をきたすため、被控訴人は、控訴人から、午前八時出勤を命じられたにもかかわらず、これを守らず、右命令直後は午前八時二〇分ころ、しばらく後は午前八時四〇分ころしか出勤しなかった。
(2) 被控訴人は、昭和五五年五月、園長であった吉川弘(以下「吉川」という。)が辞任すると、当時、副園長に就任していた巌に敵対反抗し、次のような行為を行った。
イ 就業時間中、職場を離れて外出する際、巌に届け出る義務を怠り、しばしば無断で外出し、あるいは園内において所在不明となり、業務に支障を生じさせた。
ロ 保母からの欠勤の届出を受けながら事前に巌にこれを連絡しないなど父母と副園長その他管理者側との意思疎通及び連絡調整を故意に妨げた。
ハ 保育に従事中に、その職務を放棄して現場を離れて、巌の制止を無視して、巌と父母の会会長との話会いの席に終始同席を強行し(各三〇分ないし一時間)、無断で口出し発言することが、昭和五五年ころの一〇箇月の間に少なくとも二〇回ほどあった。
ニ 特別行事のプログラムを印刷前に見せるようにとの明示の指示を巌から受けながら、これに繰り返し違反し、昭和五五年一〇月の運動会のプログラムに至っては、従来の慣行にさえ反して主催者である巌の挨拶を削除しようと画策し、同年の生活発表会においては、来賓等の面前で、臨席していた巌の挨拶を強引に奪い去り、副園長及び園の名誉及び信用を傷つけようとした。
ホ 巌は、右イないしニの行為の都度、上級者として被控訴人を注意し又は制止したが、被控訴人は、これをまったく無視して従わず、しばしば巌に対して言葉激しく反発した。
(3) 右(1)の行為は、遅刻、早退又は勤務時間中の外出の際は、園長又は園長に代わるべき上司の承認を得なければならない旨を定めた就業規則一八条に違反し、また、懲戒解雇事由を定めた就業規則四〇条四号(「理事長の承認を受けないで、職務を放棄し、職場を離脱した者。」)に該当する。
また、右(2)の行為は、服務の基本原則を定めた就業規則一五条及び服務上の遵守事項を定めた同一六条の三号(「就業時間中は定められた業務に専念し、許可なくその職務から離れないこと。また、休憩時間中であっても次の勤務に支障をきたさないようにしなければならない。」)、四号(「常に品位を保ち、保育園の名誉を害し、信用を傷つけるようなことをしないこと」)、八号(「職務の権限を超えて専断的な行為をしないこと。」)にそれぞれ違反し、懲戒解雇事由を定めた同四〇条の三号、四号、八号に該当する。
(三) 虚偽事実の流布等
被控訴人は、房枝及び巌を理事会から追放しようと企て、当時、自己の影響下にあった組合、父母の会を指揮して、まだ、被控訴人しか知らない控訴人の秘密事項を組合に漏らし、これら団体をして、ささいな事実又はまったく根拠のない事実を取り上げて、左記のような文書において、昭和五二年度の特別監査事件と強引に結び付け、右両名が理事者である限り右特別監査事件に匹敵するような事態が発生するかのような真実に反する宣伝を、父母その他の第三者に宛て繰り返し、控訴人の信用及び名誉に重大な侵害を加えた。
記
ア 組合の昭和五四年三月一九日付父母宛「みんなで子どもたちを守りましょう!!」と題する文書
イ 昭和五四年一二月一四日付父母の会発行の「恵城だより」
ウ 組合の昭和五五年三月一七日付父母宛「おとうさん・おかあさん」と題する文書
エ 組合の昭和五五年作成と思われる「社会福祉関係者・父母・県民のみなさん!」と題する文書
オ 組合の昭和五五年一〇月二五日付「未来をになう子どもたちによりよい保育を!!」と題する文書
カ 組合の昭和五五年一一月の「子どもたちとその保育を守るために」と題する文書
右の各行為は、遵守事項を定めた就業規則一六条の四号、六号(「職務上知り得た秘密をもらさないこと。」)に違反し、懲戒事由を定めた同四〇条の三号、四号に該当する。
(四) 被控訴人は主任保母解任後も反省せず、次のような行動をとった。
(1) 主任保母解任後も反省せず、控訴人が、昭和五六年一月、通常の保母としてクラスへ入室して保育を担当するように業務命令を出したが、これを二日間拒否して、従わなかった。
(2) 昭和五六年一月、三回ほど、保育現場で保育時間中に無断で父母の会の副会長ら数名と私的な会合をもった。
(3) 昭和五六年二月五、六日ころ、父母の会をして、同月八日に開催予定の同会の臨時総会用のプログラム、経過報告、議案を含んだ冊子を作成させた上、父母らに配布させたが、右冊子中には、事実の根拠を欠き、あるいは事実を歪曲した中傷記事が含まれており、これによって控訴人の名誉及び信用を傷付けた。
(4) 右(1)の行為は遵守事項を定めた就業規則一六条の三号、八号に違反し、懲戒事由を定めた同四〇条三号、四号、八号に該当し、右(2)の行為は同一六条三号、八号に違反し、同四〇条四号、八号に該当し、右(3)の行為は同一六条四号、八号に違反し、同四〇条三号、八号に該当する。
5 本件降格及び本件解雇の意思表示
控訴人は、昭和五五年一二月二七日、理事会において、前記4の(一)ないし(三)の事実に基づき、被控訴人は主任保母として不適任であるので一般の保母に降格し、反省の態度が見られないようならば、被控訴人の利益を考慮して懲戒解雇とせずに普通解雇とする旨決定し、同人を一般の保母に降格した。
なお、控訴人の就業規則には、降格は懲戒処分としては規定されておらず、本件降格は、控訴人が、前記4の(一)ないし(三)の事実から被控訴人は主任保母として不適任であると判断したために行った人事上の処分であって懲戒処分ではない。
被控訴人には、右降格後も、反省の態度がまったく見られず、かえって、前記4(四)記載のとおりの行動をとるに至ったので、昭和五六年二月七日、普通解雇事由を定めた就業規則一一条の四号所定の事由(「その他前各号に準ずるやむを得ない事由がある場合。」)に基づき、同月一〇日付をもって被控訴人を解雇する旨の意思表示をなした。
本件降格は、前記のとおり、控訴人が、被控訴人は主任保母として不適任であると判断したために行った人事上の処分であって懲戒処分ではないから、本件降格後さらに普通解雇しても二重処分には当たらない。
また、本件解雇は、直接的には4(四)記載の事実を理由とし、同(一)ないし(三)記載の事実を情状としてなされたものとして判断した場合においても正当であるから、二重処分には該当しない。
よって、本件降格及び本件解雇は、懲戒権又は解雇権の濫用にも不当労働行為にも該当せず、控訴人と被控訴人との雇用関係は有効に終了している。
6 仮に、被控訴人の本訴請求の一部が理由があるとしても、原判決言渡し後、次のような事情が生じたから、右の限度において、被控訴人の請求は理由がなくなった。
(1) 控訴人は、昭和六〇年八月一三日、被控訴人を被供託者として、昭和五九年八月分ないし昭和六〇年一月分までの合計六箇月分の元金一一七万〇一八〇円及び遅延損害金四万三二〇六円を供託し、その後、被控訴人はこれを受領した(なお、右金員請求権は、被控訴人の控訴人に対する高松地方裁判所丸亀支部に係属中の不動産競売事件の請求債権の一部となっている。)。
(2) 被控訴人は、昭和六〇年二月分から昭和六一年二月分までは、強制執行により、これを実現している。
(控訴人の主張に対する被控訴人の認否及び反論)
一 控訴人の主張1の事実は認める。
二 同2の事実は争う。
三 同3の事実のうち、被控訴人が園長代行に任命されたことは争い、その余の事実は認める。被控訴人は、園長代行に任命されたことはない。
四1 同4(一)会計上の越権行為・不正行為等の主張について
(一) 控訴人は、特別監査事件後、香川県及び丸亀市から強力な行政指導を受けて、措置費は勿論、雑収入、主食費収入、土曜保育料、協力費収入等経理全般の権限を園長の伊藤に集中し、伊藤のもとで措置費の帳簿と貯金通帳の作成、収入に応じた特別会計の区分とその帳簿預金通帳の作成が行われ、右会計事務は保母である菅が専任として担当することとなり、右通帳はすべて園の金庫内に保管された。
右通帳のうち、措置費は伊藤の、雑会計は被控訴人の、その他の特別会計は菅の各名義となっているが、雑会計については、当時理事長であった浅野の依頼により、被控訴人がたまたま名義を貸しただけである。
したがって、伊藤は、控訴人の会計すべてを管理決済し、昭和五二年四月以降昭和五三年六月まで伊藤宛に給付されていた措置費については、保母らに対する給料の増額等重要事項について浅野の承諾を得て執行し、特別会計については伊藤の指揮のもとに菅が管理していたものであって、被控訴人にはなんらの関係もなく、ただ菅が忙しいときだけ、その記帳の手伝いをした程度である。
右のとおり、被控訴人は会計一切についてなんらの管理権限も責任も負っていなかったのであるから、控訴人が主張するように雑会計と主食(米食)会計の引渡し要求を受けたこともなく、ましてやその妨害をなしたこともないし、控訴人が主張する不正支出なるものにも一切関係がない。
また、主食(米食)会計の不徴収は事実であるが、これは父母の会の役員会で検討の上決定され、その後、園長から理事長に報告がなされている。被控訴人は、右の役員会にも参加していない。
(二) 青木写真館からのリベートは、一度これを受領したことがあるが、これについては直ちに園長に渡したもので、なんら咎めをうける筋合いはない。また、右以外には一切受領したこともない。
2 主任保母としての職責違反について
(一) 被控訴人は、長年にわたって遅出の保母より早い午前八時四〇分に出勤し、退園は居残り保母と同じかそれより遅かった。それで、まったく保育には支障がなく、誰からも苦情を申し出られたこともなかったところ、控訴人は、被控訴人に対し、突然、内容証明郵便で出勤時刻を午前八時とする旨通告した。そこで、組合が団体交渉を申し入れ、昭和五二年一一月の団体交渉の席で理事会側は「内容証明郵便にしたのは不穏当であった。今後勤務時間については園の責任者である園長に任せる。」と回答し、先の業務命令は取り消された。
なお、その後、被控訴人は、園長の指示に従って、午前八時二〇分に出勤してきたが、その間に、これを注意されたようなこともない。
(二) 被控訴人が無断で職場を離れたこと及び被控訴人が保母からの欠勤の届出を受けながら、故意にこれを巌に連絡しなかったことはない。また、父母の会の会長と巌との会話に被控訴人が参加したことは一回あるが、このときは、巌に「あんたは、早よ部屋へ行きな!」と言われたので、それに従い、部屋に戻った。
運動会など特別行事のプログラムは慣行に従い、職員会議の検討結果に従って作成されていたもので、巌もその都度右会議には参加している。また、生活発表会の挨拶の順番については、急いでいた来賓を先にしたにすぎない。
被控訴人が巌に対して、その上級者としてする注意を無視したり、これに言葉激しく反発したような事実はない。
3 虚偽事実の流布について
被控訴人は、虚偽事実の流布などの指導をしたことはないし、被控訴人しか知らない控訴人の秘密事項を漏洩したこともない。
そもそも、被控訴人の活動や責任と組合や父母の会の活動は区別されるべきであり、組合の執行機関の意思に基づく活動や父母の会の代表者の意思に基づく活動に被控訴人がすべての責任をもたなければならない理由はない。
また、控訴人主張の組合や父母の会が発行したニュースに指摘された事実は、いずれも真実であり、それぞれ十分な根拠が存し、しかも、それらは、既に当時公になっていたことばかりである。
4 降格後の反省なき行動について
被控訴人が二日間保育を拒否したり、保育時間中に無断で父母の会と会合を持った事実はない。
また、父母の会が控訴人に対する文書による批判をし、反省を求めたのは、子供達を大切にし、園児を健全に保育する保育園になって欲しいとの願望に出た正当な活動であって、非難されるべき理由はない。控訴人の主張は、父母の会の活動を被控訴人の行動であると故意に混同させているものである。
第三疎明(略)
理由
一 当事者等
(疎明略)、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、
(一) 控訴人は、社会福祉事業法に基づき、昭和四三年八月一日、房枝が中心となって保育所の経営を目的として設立された法人であり、同年九月一日から、園を経営し、昭和五六年一月当時は、右園は、定員三〇〇名、職員数約四〇名に達する香川県下では最大規模の保育園であったこと、
(二) 被控訴人は、香川県立保育専門学校を卒業後、保母として合計約三年の経験をもつものであったが、房枝の勧めで、昭和四三年九月一日、控訴人の保育事業の開始と同時に、控訴人に保母として雇用され、開園後二〇日ほどした時点で、園の主任保母に任命された者であること、
(三) 園における主任保母の主な職責は、一般の保母の保育指導、保育カリキュラムの指導、特別行事に関する計画立案及びその指導などであるが、被控訴人は、房枝が園長に就任した昭和四五年九月ころからは、広く園の保育面全体の指導を任された立場にあったこと、
(四) 控訴人においては、主任保母の給与は一般の保母よりも高く格付けされ、被控訴人に対しては、昭和五五年一二月ころは、月額一九万五〇三〇円の賃金(主任保母手当七四三〇円、通勤手当二〇〇〇円を含む。)が毎月二八日限り支給されていたこと、
(五) また、被控訴人は、昭和五二年三月に組合が結成されて以来同年六月まで右組合の委員長に就任し、その後昭和五五年六月までは監査委員を、さらに同月以後現在までは再び委員長をそれぞれ務め、組合活動においても中心的な立場にあったこと
が、それぞれ一応認められる(右事実は、申請の理由一及び二記載の限度で当事者間に争いがない。)。
なお、控訴人は、被控訴人が園長代行に任命されたと主張し、原審における証人岡田巌、同和田笑子の各証言、原審及び当審における証人岡田房枝の証言中には、被控訴人は昭和五二年六月ころから昭和五四年八月ころまで園長代行に就任し、そのため本俸の二パーセントの手当を支給された旨の供述があり、また、(疎明略)中には右供述に沿う記載があるけれども、右二パーセントの手当は、園長代行を解かれたとされる右昭和五四年八月以降もしばらく支給されていることからして右各供述は不自然であること、右供述を裏付ける辞令などの明確な資料がないこと、さらに右各供述の内容は、原審における証人伊藤文子、同菅綾子の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果とまったく食い違うことからして、控訴人の右主張を認めることは困難である。
二 本件降格の意思表示
控訴人が、昭和五六年一月五日、被控訴人に対し、本件降格の意思表示を行ったことは、当事者間に争いがあい。
控訴人は、本件降格処分は、懲戒処分ではなく、被控訴人が主任保母として不適任であると判断したために行った人事上の処分であると主張する。
しかし、前掲(疎明略)によれば、控訴人の就業規則中の懲戒処分として降格は規定されていないことが一応認められるけれども、原審証人岡田巌の証言により真正に成立したものと認められる(疎明略)原審及び当審証人岡田房枝の各証言及び弁論の全趣旨によれば、主任保母から一般の保母への降格は被控訴人にとって不利益な処分であること、控訴人が、本件降格を行った理由は、前記事実摘示二控訴人の主張4(以下「控訴人の主張4」という。)の(一)ないし(三)記載の事由があると判断したためであること、右降格処分に先立つ昭和五五年一二月二七日の理事会では、被控訴人に右のような各事由があるので懲戒解雇すべきであるとの意見が有力であったところ、昭和五六年一月四日の理事会で、当時、懲戒解雇に慎重な態度をとっていた浅野理事長の提案によって、被控訴人に反省の機会を与えるために本件降格をすることが決定されたことが、一応認められる。
したがって、これらの事実によれば、本件降格は、控訴人が懲戒権の行使としてこれを行ったことは明らかである。
三 本件降格の効力
1 控訴人は、被控訴人には、控訴人の主張4の(一)ないし(三)記載の事由があったので本件降格に及んだ旨主張するので、まず、右事由の存在を検討する。
(一) 会計上の越権・不正行為等(控訴人の主張4(一))について
(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(1) 控訴人においては、理事長であった房枝が、昭和四五年九月から、園長を兼務し、昭和四七年一月には、房枝の夫である巌も園の事務長に就任するなど、園の運営の実権は房枝夫婦に集中し、園の会計についても、右両名が事務員を置かずに自ら処理していた。
(2) そうしたところ、香川県(以下「県」という。)は、昭和五二年二月、控訴人に対して特別監査を実施した結果、控訴人は、昭和四九年度から昭和五一年度にかけて架空の保母の人件費一三九〇万六四四九円を不正に受給していたこと、昭和五〇年度及び昭和五一年度において、定員外で私的契約児を多数入所させ、これらの者の保育費用も定員分の措置費で賄い、右私的契約児から徴収した保育料七七六万六三八〇円を他に流用し、さらに、給食材料費一四二万三八八五円を浮かせてこれも他に流用したことがそれぞれ明らかとなり、県からは、右のような不正が発生した原因は、内部の組織体制及び運営関係諸規定が不明確なため、権限が房枝夫婦に集中して、独善的な運営がなされたことによるものであると指摘されるに至った。
(3) そこで、房枝は、右事件の責任をとって、同年二月に園長を、同年三月に理事長を相次いで辞任し、後任の理事長には、昭和五二年三月二七日に、房枝と婚姻関係にあった浅野が、後任の園長には、同年四月に、県の推薦を受けた伊藤が、それぞれ就任した。
また、巌も、同月から、事件の責任をとって、事務長を辞め、引き続き園の用務員として勤務することとなった。
(4) 新たに理事長になった浅野は、同月ころから、控訴人の会計管理等の改善のために県の積極的な指導監督を要請し、その一環として、同月、当時保母として勤務していた菅を、会計担当専任の事務員として配置することとし、同人に対し、県の指導を受けながら伊藤の指示に従って会計処理をするように指示した。
しかし、その際、菅は、浅野から措置費関係の通帳一通を引き渡されただけであり、それまで会計事務を行っていた房枝又は巌からの引継ぎや説明などは一切なかった。したがって、措置費以外の会計に関する通帳などを引き継がれず、また、帳簿類についても、措置費関係の差引き簿が事務室に残されていただけという状況であった。
(5) 菅は、このような中で、県の職員の指導を受けながら、伊藤の指示に従って、会計帳簿等を整備し、会計管理を行うようになった。
菅の主な仕事は措置費関係の会計処理であったが、菅は、会計事務を担当して間もなく、料金回収後電話局へ支払うまでの間一時的に保管する園内の電話料金などは、措置費会計とは区別して管理すべきものであると考え、伊藤に相談の上で、措置費外で処理すべき会計(以下「雑会計」という。)の通帳と帳簿を設けることとした。
ところで、園においては、菅が会計を担当する以前から、園が園児に対して制服、保育用品などの販売を斡旋した場合に、業者から、園に対し、割引料や謝礼の名目で金員が支払われたことがあったが、菅は、右雑会計を設けて以後、これらの金員についても、措置費の会計とは区別すべきものであると考えて、前記の公衆電話料金と同様に雑会計として管理し、記帳することとした。菅は、これらの記帳に当たっては、前記の不正流用事件の後であったことから、雑会計の通帳に表示される金員の表示が帳簿上のそれと一目で対照できるように、同一日に複数の入出金を通帳上で行う場合には、帳簿上の項目ごとに出入金の伝票を分けて各別の入出金処理を行うようにするなど、会計処理の明確化に特に気を配っていた。
ところで、右の割引料などの収入は、来客があった場合の食事代や茶菓子代など本来措置費から支出するのが適当でないような場合の支払に当てるための財源として使用され、その一部は、控訴人が「控訴人の主張4(一)」で主張する事項についても支出されたが、これらの支出は、すべて伊藤園長がその都度判断した上で、その会計処理を菅に指示して行ったものであり、菅が独自の判断で金員を支出したり、被控訴人がこれを命ずるようなことはなかった。
また、園では、三才以上の園児についても昼食の米飯を用意していたが、これらの米代は措置費からは支出できないため、園は、父母からその実費を徴収していた。また、園は、保母に対しても、園児たちと同じ昼食を用意する代わりに、そのための実費として、各保母から月額二五〇〇円(昭和五四年六月当時。その後、同年九月ころから月額三五〇〇円)を徴収していた。菅は、これらの会計についても、前記の措置費会計、雑会計との混同を避けるため、別個に会計(主食会計)を設けて、これに関する収支を管理することとした。
以上の各会計の金員の管理のためには、それぞれの会計ごとに預金通帳が設けられ、措置費会計については、県の指示で当分の間、伊藤園長名義の預金口座に振り込まれることになったが、雑会計及び主食会計の通帳については、通帳等の名義が同一人に集中しないようにした方がいいという伊藤の意見で、主食会計の名義は、菅名義とするが、雑会計については、同じ事務室内で勤務する被控訴人の名義を借りることとし、同人の承諾を得て、それぞれ住所はいずれも園の住所とした上で、右各人名義の通帳が設けられた。
しかし、菅が担当したのは、右各会計のうち記帳事務を中心とする専ら事務的な面に限られ、日常の保育用品の購入などは、伊藤園長の指示に従って行われ、これらについても高額なものは、更に、副園長が理事長の許可を得た上で行っていた。また、雑会計についての支出も、個々に同園長の指示によってなされたもので、菅の独断で行われるようなことはなかった。
被控訴人は、雑会計の通帳に名義を貸したこと、及び、一時期、菅が忙しかったので賃金台帳の記載を手伝ったことはあるが、そのほかには、右各会計の管理に関与したことはない。
また、これらの各会計に関する帳簿は事務室の書棚に、預金通帳は事務室の金庫にそれぞれ保管されており、特定の個人の手元に管理されたような事実はない。
(6) また、浅野理事長は、前記特別監査以後、園の指導に当たっていた県の職員から、控訴人の給与規定が整備されておらず、各人の給与に不均衡があることを指摘されたので、県にその指導方を依頼し、県の職員は、菅に対して、丸亀市の給与条例を参考にして、各人の職歴、経験、学歴を基礎として、俸給の格付けや昇給のやり方を指導した。菅は、被控訴人の協力を得て、各保母に関する資料を作り、右試案に沿って給与表を作り、さらに給与の改定作業を行った。その結果、それまでの給与と比較すると、上がる者もいる反面、下がることになった者も数名おり、被控訴人はかなり昇給することとなったが、これらは、新しい給与表への当て嵌めの結果そのようになったものであって、右の格付けに当たって、菅や被控訴人が恣意的な評価を行った事実はない。そして、それぞれに格付けされた給与について、浅野理事長から各人に辞令が交付され、その後も、理事長の承諾の下に昇給が行われた。
(7) また、伊藤園長は、昭和五三年度の主食会計に余裕があり、園児から昭和五三年二月分及び三月分の主食費を徴収しなくてもやっていけることが判明したので、これらを徴収しないこととした。
(8) ところで、浅野は、昭和五二年四月の理事長就任当初はしばしば園を訪れたが、次第にその回数が少なくなり、会計担当者であった菅に対しても、理事長やその他の理事から、会計管理に関して、理事会としての具体的な指示や指導が伝えられことはほとんどなかった。
その後、控訴人の理事会は、県から注意を促されたこともあって、法人としての控訴人の会計面における執行責任体制を整備すべく、昭和五三年五月三一日、会計担当理事として溝渕義雄(以下「溝渕」という。)を選任し、同年六月初め、浅野理事長は、溝渕理事を同伴して園の事務室を訪れ、菅に対して、これからは同理事が会計を行うようになったから、同人の事務を、同理事に引き継ぐようにと指示した。そこで、菅は、右当日、措置費関係の帳簿、試算表などを溝渕に示して引き継いだが、主食会計及び雑会計については特に説明をしなかった。
溝渕は、その後、週二、三回の割合で園を訪れて会計面をみるようになった。また、溝渕が理事に就任すると間もなく、会計を担当する事務員として真鍋悦子(以下「真鍋」という。)が雇用され、その後は、毎日の記帳事務は真鍋が中心となり、菅は真鍋を指導しながら細かな点の引き継ぎを行った後同年九月ころに会計担当から完全に離れて保育現場の方に復帰した。
主食会計については、右の間に、菅が真鍋に説明しながら引き継いだが、雑会計については、伊藤園長の判断で、同園長自身が直接に記帳し、管理することとしたので、同年一〇月ころ、菅から同園長に引き継がれ、さらに同園長が退任する直前である昭和五四年三月初めから、真鍋が引き継いだ。
(9) また、被控訴人は、昭和五四年夏ころ、青木写真館が、園に対して、割戻し金として金一万五〇〇〇円を持参した際、これを受け取ったが、その場で、直ちに吉川園長にその金の趣旨を説明して交付し、その後は、右金員の処分に関与していない。
以上の事実が一応認められる。
以上のことからすれば、昭和五二年四月以降昭和五三年六月までの間、園の措置費等の会計は、浅野理事長の指示に従い、伊藤園長の指示監督のもとに菅が管理記帳していたものであり、被控訴人は、雑会計の預金通帳に自分の名前を貸したこと及び一時期給与台帳の記帳について菅を手伝ったことはあるものの、措置費会計、雑会計、主食会計のいずれについても、自らこれらを管理又は支配していた事実はないから、被控訴人が、控訴人の措置費会計等を管理し、また、雑会計及び主食会計については、帳簿等の引渡命令があるにもかかわらず、これを引き渡さず、これらの会計を自己の意のままに専断したとの控訴人の主張が、その根拠を欠くことは明らかである。
なお、控訴人は、雑会計の預金通帳の名義が被控訴人の個人名義になっていたことを問題視するが、被控訴人の名義が使用された事情は前記のとおりであり、そのことによってなんら不都合な事態は起こっておらず、しかも、被控訴人自身は、その後の雑会計の管理については関与していないのであるから、この点につき、被控訴人が非難されるべきいわれはない。
また、無断昇給の実施の主張については、これらを被控訴人が理事長らに無断で行ったものでないこと、また、雑会計からの控訴人主張の各支出及び主食会計における昭和五二年二、三月分の不徴収についても、伊藤園長の判断と指示によるもので、被控訴人の指示によるものでないことは、それぞれ前記認定のとおりである。
さらに、主食会計における職員負担分が過少であったとの主張については、主食会計を管理していた者は菅であって被控訴人ではなく、また、職員の過少負担の結果、本来職員が負担すべき米食代及びおかず代が園児の米食代の負担となっていた事実を認めるに足るだけの疎明もない。
次に、青木写真館からのリベートの収受の主張については、被控訴人が、昭和五四年夏ころ、一万五〇〇〇円を受け取った事実は一応認められる。しかし、前記の事実関係からすれば、被控訴人は、単に園側の窓口としてこれを受け取ったにすぎず、この種の金員の収受は民間の保育園である控訴人においては、特別監査以前から行われていたこと、このような収入が被控訴人や特定の個人のために使用されたことはなく、その収支の状況については、菅が会計担当となってからは、逐一帳簿に記載されて、明確化されていたことなどからすれば、被控訴人が右金員を受領したことも、特に非難されるべきものとはいえない。また、右以外について、青木写真館から被控訴人が受け取ったとされる点については、これを認めるに足るだけの疎明がない。
以上のとおり、控訴人の主張4のうち(一)の事由については、本件の疎明資料からは、懲戒処分の事由たり得るような事実は認め得ない。
(二) 主任保母としての職責違反(控訴人の主張4(二))について
(1) 控訴人の主張4(二)(1)について
(証拠略)によれば、
ア 園においては、職員の出勤時間は午前八時が原則であったが、被控訴人は、園に勤務した当初、子供の幼稚園の通園時間の関係から、遅く出勤することが容認されており、主任保母は退勤時間が遅くなりがちなため、子供の通園等の特別事情がなくなった後も、被控訴人の朝の出勤時刻は遅く、昭和五二年一〇月ころの出勤時間は、午前八時四〇分ないし五〇分前後のことが多かったこと、
イ このような出勤状況について、巌は、被控訴人が右の時間ころに出勤した場合、保母が当日の朝になって急に欠勤したときにこれに対応した保母の配置を行う者がいなくなるので被控訴人を早く出勤させるようにすべきであると浅野理事長に進言したところ、同理事長は、これを受け入れて、伊藤園長に相談することなく、同月三一日付の内容証明郵便で、被控訴人に対し、「同人の出勤時刻を午前八時、退勤時刻を午後五時とする。」旨の業務命令を発し、右命令はそのころ被控訴人に到達したこと、
ウ 被控訴人は、右のような業務命令が突然に内容証明郵便という形式で行われたことに驚き、組合に訴えて、組合が浅野理事長に団体交渉を申し入れた結果、同理事長は、「今後のことは園長に任せるから、園長と相談して園の運営に支障のないようにやって欲しい。」と述べて、被控訴人の出退勤時刻問題の処理を伊藤園長に委ねたこと、
エ そこで、伊藤園長は、被控訴人に対し、当面の間、午前八時に出勤するように命じ、被控訴人もしばらくはこれに従って右時刻までに出勤したが、園は、午後五時半までは、居残り園児の保育があったので、被控訴人は主任保母としての立場上、これらの保育が終了するころまで残留する必要があることが多かったので、伊藤は、事務室に真鍋が事務員として雇用された直後ころ、同人が午前八時までに出勤するようになったのを契機として、被控訴人の出勤時間を午前八時二〇分と変更し、以後、被控訴人は右時刻までに出勤するようになったことが一応認められる。
右事実によれば、浅野理事長の業務命令は、その後、組合との団体交渉の結果、撤回されて効力を失い、被控訴人は、同理事長のその後の指示に従い伊藤園長の定めた出勤時刻に出勤しているのであるから、被控訴人が右業務命令に違反しているという控訴人の主張には根拠がない。
(2) 控訴人の主張4(二)(2)について
ア 控訴人の主張4(二)(2)イロホの主張について
(疎明略)中には右事実に沿う部分があるが、これらは、原審証人菅綾子、同吉川弘の各証言及び原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果に照らしてにわかに措信し難く、他に右事実の存在を一応認めるに足る疎明はない。
イ 控訴人の主張4(二)(2)ハの主張について
(疎明略)によれば、被控訴人は、昭和五五年ころ、父母の会の会長が当時園長であった巌のところに話し合いに来た際に、しばしばこれらの話し合いに加わったことがあるが、これらは、たまたま被控訴人に関する事柄が話題として出たために参加したものであり、巌がこれを咎めたのは、同年末のころの年末のチャリティーコンサートへの出場が問題となった席上で一度あるだけであり、この時も、咎めを受けてから以後は、被控訴人が巌の注意を無視して話し合いへの参加を強行したことはないことが、一応認められる。
また、この点に関するその余の控訴人の主張事実については、これを認めるに足るだけの疎明はない。
ウ 控訴人の主張4(二)(2)ニの主張について
(疎明略)によれば、巌は、昭和五四年八月、理事会の決定によって副園長に就任したが、当時の吉川園長は、保育上の問題は専ら被控訴人と話し合って決定し、巌には相談がなかったこと、吉川園長が、昭和五五年四月三〇日に辞任してからは、後任の園長が決まらず、その間、副園長の巌が園の最高責任者となったこと、昭和五五年度の運動会のプログラム原案は、被控訴人が作成し、職員会議で決定されたものであるが、右の原案には、当時の最高責任者である副園長の挨拶の予定が記載されていなかったので、巌がこれを指摘し、副園長の挨拶の予定を記載させたこと、昭和五五年一二月一三日の生活発表会において、被控訴人が司会を務めた際に、副園長である巌の挨拶が、来賓の社会事務所長の後になったことが、一応認められる。
しかし、(疎明略)によれば、運動会や生活発表会のプログラムは最終的には、職員会議で決定され、これには巌も出席すること、生活発表会について、園長らの挨拶は従来からプログラムに記載しておらず、巌は、昭和五五年度の生活発表会のプログラムを決定する際も、その職員会議に出席しながら、この点になんら意見を述べていないことが一応認められる。
したがって、先に認定した事実からだけでは、昭和五五年度の運動会のプログラム原案に副園長の挨拶予定が記載されていなかったことや生活発表会における巌の挨拶の順番が社会事務所長の後になった点につき、被控訴人が故意に画策し、巌に反抗したものであるとまでは認め難いから、同人に控訴人主張のような職責違反があるとはいえない。
(三) 控訴人の主張4(三)について
組合又は父母の会が控訴人主張の各文書を発行したことは当事者間に争いがなく、被控訴人が、右各文書が発行された当時、組合の委員長の立場にあったことは前記認定のとおりである。
控訴人は、被控訴人は、これらの記事は、いずれも、被控訴人が、自己の影響下にある右組合又は父母の会を指揮して、真実に反する宣伝を意図して、このような記載をさせたものであると主張するが、本件では、右控訴人の主張事実を裏付けるに足るだけの疎明はない。そして、被控訴人が右のように組合の委員長の立場にあるからといって、そのことだけでは、当然に、組合又は父母の会が発行した文書の記載内容及びその個々的な表現の当否について、個人としての立場で責任を負うべき理由はない。したがって、これらの記事の内容について、被控訴人が個人として責任を負うべき事情が疎明されない以上、その余の点について判断するまでもなく、これらの点に関する控訴人の主張は理由がない。
また、控訴人は、被控訴人が、同人しか知らない控訴人の秘密事項を組合に漏洩したと主張するが、この点についても、これを一応認めるに足るだけの疎明はない。
2 以上のとおり、控訴人が本件降格の事由として主張している事由のうち、その事実が肯認されるのは、僅かに前記1(2)イの事実だけであるところ、右事実は、就業規則に定める懲戒事由に該当するものではあるが、その行為の動機及び態様からして非違性は軽微であると認められる。
そして、控訴人が本件降格の事由として主張している爾余の事実がすべて認めるに足りないことを合わせ考えると、本件降格は重きに失し、懲戒権の濫用に当たるものとして無効であるというべきである。
なお、仮に、本件降格が懲戒処分ではなく、控訴人の人事権の行使としてなされたものと解する余地があるとしても、被控訴人が、主任保母として有能であり、十分にその職責を果たしていたことは、原審証人伊藤文子、同吉川弘の各証言から明らかであり、このような事実関係の下では、前記各処分事由の大半が認められない以上、本件降格は、人事権の行使として行われた場合でも、その濫用に当たり、その効力は生じないものというべきである。
四 本件解雇の意思表示
控訴人が、昭和五六年二月一〇日、被控訴人に対し、就業規則一一条四号の事由に基づいて同月一〇日付で被控訴人を普通解雇する旨の意思表示を行ったことは、当事者間に争いがない。
ところで、(証拠略)によれば、控訴人は、昭和五六年二月八日の理事会において、控訴人の主張4の(一)ないし(四)の各事由があると認めて同人を懲戒解雇することを検討したが、再就職など被控訴人の将来に及ぼす影響を考慮して、懲戒解雇に代えて、就業規則一一条四号の事由による普通解雇とする旨を決定し、その旨前記のとおり意思表示を行ったものであることが認められる。
しかし、右のように懲戒解雇に代えて普通解雇を行った場合においても、当該解雇が有効とされるためには普通解雇としての要件を備えておれば足りると解されるから、以下、本件解雇がこの点の要件を具備しているかどうかを検討する。
五 本件解雇の効力
1 控訴人の主張4のうち(一)ないし(三)の主張事実については、先に検討したとおりであるが、控訴人は、被控訴人には、本件降格後にも、控訴人の主張4(四)(1)ないし(3)記載の行動があったと主張する。
しかし、右(四)(1)の主張事実については、その前提としての控訴人の本件降格が無効であることは前記のとおりであるだけでなく、被控訴人が二日間にわたって保育を拒否したことを一応認めるに足るだけの疎明もない。
次に、右(四)(2)の事実については、これを認めるに足るだけの疎明はない。
さらに、(四)(3)の事実については、(疎明略)によれば、昭和五六年二月八日の父母の会の臨時総会のために、プログラム、経過報告、右臨時総会における議案を含んだ冊子が用意され、これらが父母らに配布されたことは一応認められるが、これらは、父母の会がその責任において作成したものであって、被控訴人が、父母の会をして、虚偽の事実あるいは事実を歪曲した記事を書かせたということについては、これを認めるに足る疎明はない。
2 以上検討したことからすれば、被控訴人には、就業規則一一条四号その他同条所定の普通解雇事由が存在するものとは到底認められないから、本件解雇は無効であるというべきである。
六 被保全権利の存在
右のとおり、その余の点について判断するまでもなく、本件降格及び本件解雇はいずれも無効であるから、被控訴人と控訴人との雇用契約はなお存続し、被控訴人は園の主任保母の地位にあり、控訴人から、少なくとも毎月一九万五〇三〇円の賃金を受ける権利を有していると認められる。
控訴人は、控訴人の主張6記載のとおり、被控訴人は、原判決後に、供託の一部を受領し、また、強制執行により一部の権利を実現したと主張するが、(証拠略)によれば、右供託にかかる金員は、控訴人が本件仮処分事件の一審判決によって仮払を命ぜられた金員の一部であって、被控訴人が、本件の被保全権利である控訴人との雇用契約上の賃金請求権に基づき、その履行として、控訴人から右主張にかかる金員を受領したという疎明はないから、右の主張は認め難い。
七 保全の必要性
主任保母が、一般の保母と比べ、職責上より高い地位にあるのみならず、経済的な待遇面でも優遇されていることは前記のとおりであり、また、(証拠略)によれば、被控訴人は県立高校の教諭をしている夫と二人の子供がいること、本件解雇当時、被控訴人の家庭は、月額手取り二四、五万円の夫の収入と被控訴人の収入月額一九万五〇三〇円とによって生計を維持していたが、住宅を購入した際とその後の増築の際の二度の借入金の返済や子供の教育費用がかかることなどから、余裕はなかったこと、その後、本件仮処分申請事件の審理が係属中に、二人の子供はそれぞれ東京の大学を卒業したが、被控訴人は、親戚から約一〇〇万円の援助を受けたり、生命保険を解約するなどして、右教育費用などの捻出をしたことが認められる。
右の事実からすれば、前記の被保全権利に基づいて本案を提起し、その確定を待っていては、被控訴人に著しい損害が生じるおそれがあるから、被控訴人が控訴人の主任保母たる従業員である仮の地位を定め、控訴人が被控訴人に対し本件解雇処分がなされた昭和五六年二月から本案判決が確定するまで毎月二八日限り金一九万五〇三〇円を仮に支払うことを求める本件仮処分申請はいずれも理由がある。
八 よって、被控訴人の本件仮処分申請を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 柳澤千昭 裁判官 滝口功 裁判官 市村陽典)