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高松高等裁判所 昭和61年(う)122号 判決 1987年7月28日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金八万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金四〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、高知地方検察庁検察官検事西尾精太作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人堀井茂作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一  所論は、原判決は、「被告人は、昭和六〇年三月五日午後零時五〇分ころ、普通自動車を業務として運転し、高知市五台山一三八四番地西方約五〇メートル付近道路を、南国市方面から高知市方面に向かい時速約三〇キロメートルないし三五キロメートルで進行中、当時降雨中でアスフアルト舗装の路面が湿潤し、滑走しやすい状況であつたから、対向車を認めた際不用意な制動措置をとることのないよう、あらかじめ減速して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前記速度で進行した過失により、対向車を認め急制動して自車を道路右側部分に滑走進入させ、折から対向してきた石坂道雄(当時五六年)運転の普通乗用自動車に自車を衝突させ、同人に対し加療約四か月間を要する口唇部裂創等の傷害を負わせた」との公訴事実に対し、被告人の捜査官に対する供述調書の信用性を否定し、被告人運転の車両が滑走したことから被告人が急制動の措置をとつたと認定することには合理的な疑いがあり、かつ被告人が本件事故現場付近の道路が滑走しやすいものであることを認識し、あるいは認識しえたと認定するには疑問があり、従つて被告人には右の注意義務の懈怠があつたとは認められないと判断し、被告人に対し無罪を言い渡した。しかし、被告人の捜査官に対する供述調書は信用性にいささかも欠けるところはなく、関係証拠を総合すれば、公訴事実は優に認定できるのであつて、原判決は証拠の取捨選択及びその信用性の評価を誤つた結果事実を誤認したものであり、さらに原判決が検察官の予備的訴因の追加のための弁論再開の申立てを却下したのは、訴訟手続の法令違反があると主張する。

二  そこで検討すると、原審及び当審において取調べられた各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

本件事故現場付近の道路は、高知市五台山一三八四番地の西方に位置し、東西に流れる下田川南岸沿いの堤防上に設けられた幅員約四メートルのほぼ直線で見通しのよいアスフアルト舗装路である。同道路の北側(川寄り)は、高さ約一・五五メートルのコンクリート壁が全面にわたり設置され、南側は堤防の法面となつており、高知県知事の規制により一般車両の通行が禁止されている。同番地には道路南側に消石灰を製造している株式会社刈谷石灰工業所の工場(以下「石灰工場」という)があり、同工場からトラツクにより搬出された石灰が路面に落下し、その粉塵により同工場付近は一面に白くなつていたほか、同所から西方の道路の南側部分は、一五〇メートル以上にわたり、路面に落下して堆積した石灰が凝固して白つぽくなつており、肉眼でも識別できる状況にあつた(なお、これに対し道路北側部分は、約一七メートルの範囲で石灰が固着しているに過ぎなかつた)。

被告人は、昭和六〇年三月五日午後零時五〇分ころ、普通乗用自動車(車幅一・七二メートル、以下「被告人車」という)を運転し、当時降雨中で路面の湿潤していた右道路を東から西に向け、道路左側(南側)を時速約三〇ないし三五キロメートルで進行し、前記石灰工場前を経て、同工場西方約五八メートルの地点の本件事故現場にさしかかり、折から対向して進行してきた石坂道雄運転の普通乗用自動車(車幅一・六七メートル、以下「被害車」という)を相当前方に認め、その後同車と離合するため、ブレーキを踏んだところ、右斜め前方に滑走し、被害車前部に自車前部を衝突させ、その衝撃により、同人に対し加療約二か月を要する(原審記録五五丁、治療状況照会に対する回答書参照)口唇部裂創、頭部外傷等の傷害を負わせた。一方、右石坂は、時速約四〇キロメートルで道路左側(北側)を進行し、被告人車を認めて離合するため減速し、同車と約三〇メートルに接近した時、被告人車が後部を振り(一回)近付いてきたのでブレーキを踏み、左側一杯に寄つたが、停止する直前被告人車と衝突したものである。

右事実によれば、本件事故は、被告人車がブレーキをかけたことにより同車を右斜め前方に滑走させ被害車の進路上に進出したことによることは明らかである。被告人は、被告人車を右のように滑走させるに至つた経緯、状況について、昭和六〇年三月五日(事故当日)付司法警察員に対する供述調書において、「時速約四〇ないし四五キロメートルで進行し、衝突地点の手前約二〇メートル付近(被害車は約三四メートル前方)でブレーキを強めに踏むと自車の後部が振れ滑走した」と述べ、同月二二日付検察官事務取扱検察事務官に対する供述調書においては、右のブレーキを踏んだ距離関係を認めたうえで、「事故の原因は時速約三〇ないし三五キロメートルで急制動したためである」と述べ、原審公判廷においては、急制動したことを否定し、「進行速度は三〇ないし三五キロメートルであり、ブレーキをかけながらの徐行である。ブレーキを踏むと、がくつというような音がした体勢で滑りだした」と述べている。このように、被告人車の速度及び制動の程度に関する被告人の供述には若干の変遷があるが、被告人車の速度については、被告人のこの点に関する供述の経緯にかんがみ、時速約三〇ないし三五キロメートルであつたと認められ、また被告人車の制動の程度については、被告人車、被害車及び道路の幅員の関係(両車が離合するには最徐行する必要がある)や制動を開始した位置、被告人車の速度等に照らし、被告人車が急制動したとみるのは不自然であり、被告人が司法警察員に対する供述調書で述べているように、被害車と離合するため、ブレーキを強めに踏んだと認めるのが相当である。他方、この程度の制動では、降雨のため路面が湿潤していたとしても、通常平坦なアスフアルト舗装路で車両が滑走するとは考えられないから、本件において被告人車が滑走したのは、路面上の他の要因に起因することが明らかである。そして、前記認定のとおり、被告人車が進行していた道路は、石灰工場を起点としてその西方の道路左側部分が、本件事故現場付近をはさんで一五〇メートル以上にわたり石灰が路面に堆積、凝固していたものであり、右事実に、原審で取調べられた昭和六〇年七月四日付捜査報告書(「事故当日の実況見分時路面は湿潤し、表面が白つぽくなつて足でこすつてみると滑りやすい状況であつた」との記載)、横山眞造撮影の写真(本件事故後現場付近の三か所に「とばすな、すべる」と書いた標識が立てられていること)、証人楠瀬孝の証言(事故直後の実況見分時の際現場は多少滑りやすい様であつたと供述)等を総合すると、本件事故現場付近の道路は、石灰が路面に付着・凝固していたところへ折からの降雨で湿潤して滑りやすくなつており、被告人が対向車を認め離合するため減速するに際し、強めにブレーキを踏んだため被告人車を滑走させ、本件事故を惹起したものと認められ、このことは当審証人中沢昌子の証言(小雨の中普通乗用自動車を運転して本件事故現場付近を時速約三〇ないし四〇キロメートルで進行中、対向車を認めて軽くブレーキを踏んだところスリップして衝突した旨供述)を始めとする当審における事実取調べの結果によつても裏付けられている。

ところで、一般に右のような滑走しやすい道路を通行する車両の運転者としては、対向車を認め同車と離合するため減速するにあたつては、不用意な制動をして車両を滑走させることのないよう適宜速度を調節して進行すべき義務上の注意義務があるというべきであるから、被告人の本件における運転方法は、行為の側面を客観的にみれば、右の注意義務に違反していることは明らかである。そこで、さらに進んで被告人が本件道路が滑走しやすい状況にあつたことを認識していたか否かについて検討すると、先に指摘したように、被告人車の進行していた本件道路南側部分は、雨天でない時には路面に堆積・凝固している石灰で帯状に白つぽくなつており、同所を通行する運転者にとつてこれを明確に認識し得る状況にあつたことは、原審で取調べた関係各証拠によつて充分認められるところであり、当審における検証の結果等に徴しても同様である。そして、被告人は、本件時までに本件道路を五、六回車両を運転して通行したことがあるという(被告人の原審供述等)のであるから、被告人が右の状況を認識していたことは明白である。降雨時の状況については、昭和六〇年五月一六日付実況見分調書によれば、「表面は薄白く少し滑るような感じ」の状況、前記楠瀬証言によれば、「表面が白つぽくなつて滑りやすい感じ」の状況というのであり、さらに当審証人中沢昌子の証言によれば、「見た感じも光つて見える」(同人の検察官事務取扱副検事に対する供述調書によれば、「白つぽく光つている」)状況であつたと述べていることからすると、降雨で湿潤した本件道路南側部分は、他の部分と区別して認識し得るような滑りやすい状況を呈していたことが認められる。従つて、これまで数回通行して本件道路の特異な状況を知悉していた被告人としては、降雨時の道路の特徴を見て、少なくとも本件道路が滑るかもしれない程度の未必的な認識は有していたものと推認される。被告人は、この点につき、検察官事務取扱検察事務官に対する昭和六〇年三月二二日付供述調書において、「事故当日は降雨中で路面が湿潤しており、石灰工場の廃液が路面に長い距離に流出し滑走しやすい状況だつた」と述べ、積極的な認識の状況を明らかにしており、右調書の信用性を疑うべき理由はない。これに対し、被告人は、原審から当審を通じて、本件道路が滑りやすかつたことは知らなかつた旨供述するが、被告人は路面が湿潤していない時の道路の特徴的な状況でさえその認識を否定しているのであつて、右供述は全体として信用できない。

以上によれば、原判決は、本件事故時被告人の進行していた道路が滑りやすかつたことを被告人が認識していなかつたと認定判断した点において、事実を誤認したものというべく、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

三  よつて、刑訴判法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して当裁判所において直ちに判決することとする。

本件の主位的訴因は、冒頭に示したとおりであるが、本件過失行為を構成する被告人車の滑走の原因を単に降雨による路面の湿潤に求めている点において失当であり、採るを得ない。そこで当審において予備的に追加された訴因に基づき次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和六〇年三月五日午後零時五〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、高知市五台山一三八四番地西方約五八メートル付近道路(幅員約四メートル)を南国市方面から高知市仁井田方面へ向かつて時速約三〇ないし三五キロメートルで進行中、対向進行してきた石坂道雄(当時五六年)運転の普通乗用自動車を進路前方に認めたが、当時被告人の走行していた道路左側部分は、付近の石灰工場から排出された石灰の粉塵が路面に堆積凝固していたところへ折からの降雨で路面が湿潤し、車輪が滑走しやすい状況にあつたのであるから、対向車と離合するため減速するにあたり、不用意な制動措置をとることのないよう、あらかじめ適宜速度を調節して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然右同速度で進行し、右石坂運転の自動車に約三四メートルに接近して強めの制動をした過失により、自車を道路右側部分に滑走進入させて同車に自車前部を衝突させ、よつて同人に対し加療約二か月間を要する口唇部裂創等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金八万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金四〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用のうち原審において支給した分は、刑訴法一八一条一項本文により被告人に負担させることとし、当審において支給した分は、同項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

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