高松高等裁判所 昭和62年(ネ)106号 判決 1989年11月30日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 申立て
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 控訴人と被控訴人との間において、別紙物件目録記載の土地は控訴人の所有であることを確認する(控訴人は、当審において請求を一部減縮した。)。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同じ
第二 主張
一 請求原因
1 別紙物件目録記載の土地(以下「本件各土地」という。)は、もと訴外亡久米勝三郎の所有であったところ、控訴人は、昭和四六年五月一〇日、右亡久米勝三郎の相続人である久米武義から本件各土地を買い受け、本件各土地につき徳島地方法務局昭和四六年五月一九日受付第一〇八二六号をもって、久米武義から控訴人への所有権移転登記が経由された。
2 被控訴人は、本件各土地が被控訴人の所有であると主張している。
3 よって、控訴人と被控訴人との間で、本件各土地が控訴人の所有であることの確認を求める。
二 本案前の被控訴人の主張
1 一般に、所有権確認訴訟は、特定の物に対する所有権の帰属を明確にすることによって当事者間の紛争を解決防止するものであるが、確認を求める権利の客体としての物とは、有体物として現存するものをいうのであり、これを土地に関していえば、現地における土地(以下「現地土地」という。)を指すというべきである。
したがって、土地所有権確認訴訟においては、現地土地が特定されることを要するというべきところ、現地土地を請求の趣旨中に表記して訴訟物を特定するに際し、登記簿上表示された所在、地番、地目及び地積を表記する方法によって特定しようとする場合には、かかる登記簿上表示された土地(以下「表示土地」という。)がいかなる現地土地を表示するのかについて明確であること、少なくとも紛争当事者間において認識の合致が存することを要するというべきである。すなわち、現地土地の所在位置、区画及び形状等の客観的状況が不明あるいは紛争当事者間で争いのある場合には、単に表示土地を表記する方法は許されず、右客観的状況を明らかにするに足りる図面、いわゆる現地復原性ある図面等によってこれを特定する必要があるというべきである。けだし、土地所有権確認訴訟の確定判決により、その目的とする当事者間の紛争解決防止を図るには、係争地が現地のいかなる地域に当たるかが明確であることが当然の前提となるからである。
2 しかるに、今日においては、本件各土地につきその所在位置及び区画等を現地において特定することは事実上不可能であり、かつ、控訴人はいまだに特定をなし得てないのであるから、訴えとしての要件を欠くものというべきである。
三 右二の主張に対する認否
右二の主張は争う。控訴人としては、本件各土地は吉野川の河床敷ないし堤防敷以外の区域にあると考えているが、仮にそうでなく、本件各土地が吉野川の河床敷ないし堤防敷の一部であっても、この土地が現存することに消長がなく、したがって、本件訴えは適法である。
四 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、本件各土地につき控訴人主張の所有権移転登記が経由されていることは認めるが、控訴人主張の売買の事実は知らない。
2 請求原因2の事実は認める。
五 本件土地所有権の帰属についての被控訴人の主張
仮に、本件各土地の所在位置が特定されていて訴訟要件が具備されているとしても、次のとおりの理由で、本件各土地は国の所有である。
(一) 買収による国有化
(1) 一級河川である吉野川水系吉野川は、もとは、今日、旧吉野川と称されている河川をその本流としていたのであるが、寛文一二年に阿波藩が第十樋門(現在の石井町藍畑)と姥が島(現在の上板町高志)の間に水路(別宮川)を造ったのが原因で、もともと低地であった別宮川への流水が多くなり、第十樋門から下流においては現在の旧吉野川が派川に、別宮川が本流のようになった。明治時代になって、吉野川は同三一年に、別宮川は同三三年にそれぞれ旧河川法(明治二九年四月八日法律第七一号)の適用河川に認定され、同四〇年からの河川改修工事(以下「第一期改修工事」という。)では別宮川を改修してこれを本格的に本流とすることが計画され、第十樋門の下流一二キロメートルにわたって改修工事が施工され、別宮川の築堤は大正九年に完成し、第一期改修工事は昭和二年に完了した。
(2) 右第一期改修に際して、工事実施区域内の土地が築堤に必要な敷地として買収されたものであるが、本件各土地も右の際に国に買収された。
(二) 河川区域の変更(認定)による国有化
(1) 本件各土地は、第一期改修工事による別宮川の改修に伴う築堤により、その水面下の地盤ないし堤防敷となった。
(2) そして、第一期改修工事の完成に伴い別宮川が吉野川の本流となったことにより、昭和七年三月一六日付けで吉野川の河川区域の変更及びその附属物の認定が告示され、もとの別宮川(現吉野川)にも旧河川法の規定が適用若しくは準用されることになり、同法三条により一切の私権が排除され、その後、昭和四〇年四月一日の現行河川法(昭和三九年七月一〇日法律第一六七号)及び河川法施行法(同日法律第一六八号)の施行に伴い、河川法施行法一条の規定により、旧河川法は廃止となり、河川法施行法四条の規定により、旧河川法による河川敷地等は、国の所有に帰することとなった。
(3) 第一期改修によって完成した堤防は、その後昭和二四年から開始された第二期改修により、堤防前面に一部根固め及び護岸補強工事が加えられて現在に至っているが、現在の堤防は、その位置、形状において、第一期改修工事完了時のものと同一である。
六 右五の主張に対する認否
1 右五の(一)(1)の事実は知らない。
同五の(一)(2)の事実については、そのうち、本件各土地が国に買収されたことは争う。その余の事実は知らない。
2 同五の(二)(1)(2)(3)はいずれも知らない。
第三 証拠<省略>
理由
第一 本案前の抗弁(被控訴人の主張)について判断する。
一 わが国においては、明治初年の地租改正の際に、初めて所有権の対象となるべき個々の土地の区画を明らかにし、これに一定の地番を付して、これらの土地を特定する作業が進められ、それに伴って、地番と地番とを区画する境界線が公権的に設定・認証されたことは当裁判所に顕著な事実である。
そして、<証拠>によると、本件各土地につき、明治四〇年七月までに一定の地番がそれぞれ付されていたことが認められ、他に右認定を動かすべき証拠はない。
二 一般に、土地所有権確認の訴えにおいて、その権利の目的物である土地の特定につき、一定の地番が付された土地全部が目的物とされる場合には、通常は地番を明示することだけで、土地の特定が行われているといえるけれども、一定の地番が付された当時の土地の形状が、何らかの事由により、その後、区画に関する標識が喪失するなどして一変し、訴え提起時においては、現地で、地番と地番との区画線などが全く認識できなくなってしまっており、加えて当該一定の地番の土地と対応する地積の測量図(図根点の明示があるもの)及び土地の所在図(以下、これらの図面を「実測図等」という。)が見当らないため、右地番の土地の所在位置及び区画を現地で特定し認識できないときは、このような地番の土地を権利の目的物として裁判を行なっても、その確定判決で、当事者間の権利紛争が解決されたことにはならないから、この場合には、地番の明示があっても、権利の目的物である土地の特定が行われているとは認められず、右の場合における土地の特定としては、現地復原性のある実測図等をもってする以外に方法がないというべきである。
三1 控訴人が本件訴状に、本件各土地の地番を明記していることは、原審記録に徴して明らかである。
2 <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 明治三一年三月一四日、内務省告示第二一号をもって、吉野川筋左岸徳島県阿波郡林村、同右岸同県麻植郡川田村以下海に至るまでの区域が旧河川法(明治二九年法律第七一号)の適用河川に認定された。ついで吉野川下流部の支川であった別宮川のうち右岸同県名西郡藍畑村、左岸同県名東郡北井上村から海口に至る区域が明治三三年一〇月二五日、内務大臣の認可を経たうえ、徳島県告示第一七三号をもって、旧河川法の適用河川(吉野川の派川)に認定された。
(二) 被控訴人は、その後の明治四〇年から吉野川の本格的な直轄改修(第一期改修)工事にかかる用地買収を始めた。この改修は、吉野川の派川である別宮川を吉野川の本流に変えるものであり、第十堰の下流約一二キロメートルの区間において、別宮川の川筋に沿って新たに堤防法線(築堤線)を定め、従来蛇行の多かった河川を整正するとともに、川幅を大きく拡げるものであった。この第一期改修は明治四四年九月に工事が始められ、そのうち別宮川の築堤工事は大正九年に完了した。右堤防のうち右岸側は当初計画された位置に築かれた。
(三) 第一期改修に際して、その工事実施区域内の民有地が河川敷(川床と堤防)用地として被控訴人に買収された。
(四) 本件各土地は、遅くとも明治四五年四月までに、訴外久米勝三郎から被控訴人へ引渡された。
そして、土地台帳において、本件各土地について「明治四四年一月六日、官有地第三種、地目川敷ニ組換」と記載され、また右時期以降、公図上に本件各土地は登記されなくなった。しかし、本件各土地の地番が掲記されている右公図は実測図等でなく、縮尺関係も正確でないため、この公図だけでは本件各土地の位置及び区画等を特定することは到底不可能である。
(五) 第一次改修工事は昭和二年に終了した。この工事で築かれた前記堤防の位置はその後変更されていない。
そして、右工事の施行に伴い、本件各土地の形状は、その地番が付された当時のものから、地番と地番との間の境界(区画)標識が喪失したことも含めて一変してしまい、工事終了後においては、堤防敷または川床敷の一部となって、もはや、現地の形状から本件各土地の所在位置及び区画を特定し認識できなくなった。
以上のとおり認められ、他にこの認定を動かすに足る証拠はない。
3 一及び三の2の各認定事実に、<証拠>を総合すると、本件各土地は、別紙図面表示の<1>点と<2>点を結ぶ直線(吉野川右岸堤防の裏法の一部)以北の堤防敷(ただし右岸)ないし川床敷のなかに所在し、そのうち別紙物件目録二及び四の両地の各南側の境は、別紙図中の<1><2>の両点を結んだ直線の一部であり、別紙物件目録二の土地の南西端別紙図面中の<2>点であり、同土地の南東端は右<1><2>線上にあるがその正確な位置は明らかでなく、また別紙物件目録四の土地の東南端は、別紙図面中の<1>点であり、同土地の南西端は右<2><1>線上にあるが、その正確な位置は明らかでないこと、その余の本件各土地は、右<1><2>線より離れて北側の前記右岸堤防敷またはその北側の川床敷の一部として存在することは確実であるものの、本件各土地と対応する実測図等が見当らないこともあって、本件各土地のいずれについても、その地番が明示されていても、各土地の所在位置及び区画を特定し認識することが事実上不可能であることが認められる。<証拠>によると、登記官署昭和四六年五月一九日受付をもって、本件各土地につき前記久米勝三郎(明治一〇年九月生、大正一五年二月一五日死亡。)の財産上の地位の承継人である久米武義名義の所有権保存登記が経由されたことが認められるが、この事実があっても、右認定を妨げるものでなく、他にこの認定を動かすに足る証拠はない。
4 したがって、本件では、訴状に本件各土地の地番が明記されているけれども、その地番表示をもって、土地の特定が行われているとはいえない。
四1 前記二の説示及び三の事実と説示のとおりであるから、本件の場合において、控訴人が確認を求めている所有権の目的物である本件各土地の特定方法として残されているのは、現地復原性のある実測図面をもってすること以外にはないのである。
2 そして、原審及び当審の記録に徴すると、原裁判所は、その第一回口頭弁論期日(昭和五六年一一月五日)に控訴人に対し、本件各土地の所在位置及び範囲を明確にする旨の釈明命令を発したこと、しかし控訴人は原審の第二八回口頭弁論期日において、本件各土地の特定は不可能であるとの主張を記載した準備書面を陳述して、同日、原裁判所はその口頭弁論を終結したこと、控訴人は、当審においても、実測図面等をもってする本件各土地の特定を、ついに行わなかったことが明らかである。
五 以上の事実及び説示によると、本件訴えは、請求の趣旨が特定されていない点で不適法であるから、却下されるべきである。
第二 よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 柳澤千昭 裁判官 滝口功 裁判官 市村陽典)