高知地方裁判所 平成21年(行ウ)10号 判決 2012年6月08日
原告
A
訴訟代理人弁護士
藤原充子
被告
国
代表者法務大臣
滝実
処分行政庁
須崎労働基準監督署長
訴訟代理人弁護士
柳瀬治夫
指定代理人
西丸真弓
外9名
主文
1 処分行政庁が原告に対して平成19年12月26日付けでした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しないとの処分及び同月27日付けでした同法に基づく休業補償給付を支給しないとの処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 原告の請求
主文と同旨
第2 事案の概要等
1 事案の概要
本件は,振動工具を使用する業務に従事していた原告が,業務に起因して振動障害を発症したと主張して,処分行政庁に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,療養補償給付及び休業補償給付の請求をしたが,処分行政庁が,原告が業務に起因して振動障害を発症したとは認められないと判断して,これらをいずれも支給しないとの処分をしたため(以下「本件各処分」という。),原告が本件各処分の取消しを求めている事案である。
2 前提となる事実(証拠等の記載のあるもの以外は争いがない。)
(1)原告の従事していた業務(甲1)
原告(昭和20年生)は,昭和35年から平成18年8月までのうち相当期間にわたり,土工,造林夫として,さく岩機,チェーンソー等の振動工具を使用する業務に従事していた。
(2)関連法令等
ア 労災保険法12条の8は,療養補償給付や休業補償給付は労働基準法75条,76条に規定する災害補償の事由が生じた場合に行うと規定し,同法75条2項は,補償の対象となる業務上の疾病は厚生労働省令で定めると規定している。これを受けて,同法施行規則35条は,この業務上の疾病は,別表第1の2に掲げる疾病とすると規定し,別表第1の2は,3号に「身体に過度の負担のかかる作業態様に起因する次に掲げる疾病」として「3 さく岩機,鋲打ち機,チェーンソー等の機械器具の使用により身体に振動を与える業務による手指,前腕等の末梢循環障害,末梢神経障害又は運動器障害」(以下「振動障害」という。)と規定している。
イ 厚生労働省は,振動障害の認定にあたり,次のとおり,昭和52年5月28日付け基発307号労働基準局長通達「振動障害の認定基準について」(以下「認定基準」という。)を定め,これに基づいて認定業務を行っている。
「さく岩機,鋲打機,チェーンソー等の振動工具を取り扱うことにより身体局所に振動ばく露を受ける業務(以下「振動業務」という。)に従事する労働者に発生した疾病であって,次の1及び2の要件を満たし,療養を要すると認められるものは,労働基準法施行規則別表第1の2第3号3に該当する業務上の疾病として取り扱うこと。
なお,次の「2」の要件は満たしているが,「1」の要件を満たさない事案については,必要事項を調査のうえ,個別に業務起因性の判断を行うこと。
また,本認定基準により判断し難い事案については,関係資料を添えて本省にりん伺すること。
1 振動業務に相当期間従事した後に発生した疾病であること。
2 次に掲げる要件のいずれかに該当する疾病であること。
(1)手指,前腕等にしびれ,痛み,冷え,こわばり等の自覚症状が持続的又は間けつ的に現われ,かつ,次のイからハまでに掲げる障害のすべてが認められるか,又はそのいずれかが著明に認められる疾病であること。
イ 手指,前腕等の末梢循環障害
ロ 手指,前腕等の末梢神経障害
ハ 手指,前腕等の骨,関節,筋肉,腱等の異常による運動機能障害
(2)レイノー現象の発現が認められた疾病であること。」
レイノー現象(いわゆる白ろう現象)とは,全身が寒冷にさらされ,冷感を覚えたとき等に,手指血管の攣縮発作により,手指が発作的に蒼白となる現象をいい,振動障害に最も特徴的な症状とされる。(乙7)
ウ 認定基準の細目を示すものとされる認定基準の解説部分においては,末梢循環障害,末梢神経障害及び運動機能障害の把握は,原則として別に定める検査(別紙「認定基準別添1」)によることとされ,検査結果の評価方法(別紙「認定基準別添2」)も定められている。また,個々の事案に応じて医師が有効であると判断する方法により上記障害の検査を行っているときは,その結果を参考とすることとされている。(乙7)
なお,林業労働災害防止協会振動障害検診委員会や個人の研究者が,それぞれ集積したデータ等を基に,認定基準別添1に定められた検査の検査結果について異常の有無を判定する目安となる判定基準を作成しており,検査結果の評価の際にはこれらが参考にされることがある(以下「参考判定基準」という。)。(乙20,23,B証人,C証人,弁論の全趣旨)
また,認定基準別添1に定められた5℃10分の冷水負荷方式による冷却負荷は,被検者に与える苦痛が大きいことから,これを軽減させるため,現在は,多くの医療機関において10℃10分の冷水負荷方式(手を10℃の冷水中に手首まで10分間浸漬する方法により冷却負荷する方式)による冷却負荷が採用されている。そして,同方式による冷却負荷後の皮膚温や皮膚温回復率の異常の有無の判定基準としては,宮下和久教授らが作成した判定基準が存在する(以下「宮下基準」という)。(乙19,23,B証人,C証人)
(3)本件各処分に至る経緯
ア 原告は,平成18年12月22日,手指,前腕のしびれ,痛み,冷え等の自覚症状,右手だけにレイノー現象を訴え,医療法人防治会勤労クリニックにおいて,振動障害に関する検査等を受けた。同クリニックのC医師は,次のとおり判断したうえ,原告について,振動障害であると診断した。(乙1)
・ レイノー現象の発現 自訴があるが未確認
・ 末梢循環障害 著明に認められるないし認められる
・ 末梢神経障害 著明に認められる
・ 運動機能障害 著明に認められる
イ 原告は,振動障害であると診断された後,その療養を要する治療を開始し,本件各処分がされるまでこれを続けた。また,原告は,現在に至るまで,休業状態にある。(甲8~15,原告本人,弁論の全趣旨)
ウ 原告は,平成19年2月以降,処分行政庁に対し,業務に起因して振動障害を発症したと主張して,労災保険法に基づき,療養補償給付及び休業補償給付の請求をした。
エ 処分行政庁は,平成19年9月5日,原告に対し,振動障害に係る鑑別診断として,愛媛労災病院において医師の診断を受けるべきことを命じる受診命令をした。
オ 原告は,平成19年9月25日と26日,愛媛労災病院において,振動障害に関する検査等を受けた。同病院のB医師は,次のとおり判断したうえ,原告について,振動障害であるとは診断できないと判断した。(乙5)
・ レイノー現象の発現 認められない
・ 末梢循環障害 認められない
・ 末梢神経障害 認められるが著明なものではない
・ 運動機能障害 認められるが著明なものではない
カ 処分行政庁は,C医師やB医師の診断結果及び意見書,これらを踏まえた高知労働局地方労災医員協議会の意見書等を検討した結果,次のとおりであるから,原告に発症した疾病は,認定基準の要件を満たしておらず,労働基準法施行規則別表第1の2第3号に定める業務上疾病に該当しないと判断して,平成19年12月26日,原告の請求した療養補償給付を支給しないとの処分をし,同月27日,原告の請求した休業補償給付を支給しないとの処分をした(本件各処分)。
(甲1,乙8~12の12)
・ 原告は,振動業務の従事期間について,認定基準の定める要件を満たす。
・ レイノー現象の発現 認められない
・ 末梢循環障害 認められない
・ 末梢神経障害 認められる
・ 運動機能障害 認められる
(4)本件訴訟に至る経緯
ア 原告は,平成20年1月16日付けで,本件各処分を不服として,高知労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,同審査官は,同年10月22日,審査請求を棄却した。
イ 原告は,平成20年12月10日,労働保険審査会に対して再審査請求をしたが,同審査会は,平成21年7月29日,再審査請求を棄却した。
ウ 原告は,平成21年8月4日,本件訴訟を提起した。
3 本件の争点
本件の争点は,原告が業務に起因して振動障害を発症したか否かである。
そして,原告について,認定基準の定める要件のうち,振動業務の従事期間に係る要件を満たすことは処分行政庁も認めていること,レイノー現象の発現が認められないことは争いがないこと,末梢神経障害及び運動機能障害が著明にではないが認められることは処分行政庁も肯定していることなどを踏まえると,本件の具体的な争点は,(1)原告に末梢循環障害が認められるか否か,(2)原告に末梢神経障害が著明に認められるか否か,(3)原告に運動機能障害が著明に認められるか否かである。
なお,原告は,そのほかにも高知労働局地方労災委員協議会の違法性,処分行政庁の手続及び判断の誤りなどを主張するが,これらはいずれも上記要件該当性の問題に帰着するから,争点として取り上げる必要がない。
4 争点についての当事者の主張の要旨
(1)争点(1)(原告に末梢循環障害が認められるか否か)について
【原告の主張の要旨】
ア C医師が判断するとおり,常温下及び5℃10分の全身空冷負荷方式による冷却負荷後の皮膚温等の各種検査の検査結果を総合すると,末梢循環障害が著明に認められるないし認められる。
全身空冷負荷方式は,認定基準別添1に定められたものではない。しかし,これまでも同方式による冷却負荷後の検査結果に基づき各地の労働基準監督署で振動障害の認定が多数行われているなど,同方式は,十分に合理性があり社会的にも認知されており,C医師はこれを有効なものと考えて採用しているのであるから,本件においても同方式による冷却負荷後の検査結果が参考にされるべきである。
イ 被告は,C医師が皮膚温回復率の算定とFSBP%の測定(ストレンゲージプレチスモグラフィーという装置を用いて指動脈血圧を測定する検査)をしていないことを問題にするが,少なくともFSBP%の測定は,認定基準において必要的なものではない。
また,被告は,この点に関するB医師の判定は,皮膚温回復率が境界値であり,FSBP%が正常であると主張する。
しかし,前者については,B医師の採用した宮下基準によれば明らかな異常値を示すものであるし,後者についても,B医師の設定した判定基準によれば異常の可能性ありと判定されるべきものである。
ウ 認定基準別添1に定められた検査手技によれば,B医師は,原告がレイノー現象を訴える右手について冷却負荷を行うべきであったにもかかわらず,原告の左手についてこれを行っている。原告の右手が左手より症状が重かったことは明らかであり,B医師が左右の手の選択を誤らなければ,末梢循環障害を認めるべき検査結果が得られたと考えられる。
【被告の主張の要旨】
ア 手指の皮膚温の測定は,室温等の諸条件に大きく影響されるため,冷却負荷後の皮膚温の評価については,測定値そのものの評価のみならず,皮膚温の回復過程を見るために冷却負荷終了5分後と10分後の皮膚温回復率を総合して評価した方が,客観的に障害の有無及び程度を把握できる。
原告の冷却負荷後の皮膚温回復率は,冷却負荷終了5分後が20%,10分後が30%であった。宮下基準によれば,皮膚温回復率の判定の目安は冷却負荷終了5分後の皮膚温回復率が25%,10分後の皮膚温回復率が39%とされていることに照らして,原告の皮膚温回復率は,境界値であるというべきである。
他方,C医師は,皮膚温回復率の算定をしていない。
イ また,爪圧迫テストについて,常温下と冷却負荷後の検査結果がともに正常値であるし,末梢循環障害の客観的な判定方法として国際的にも重視されているFSBP%の測定値は,原告について68.2%であり正常である。
ウ B医師は,各種検査結果を踏まえ,常温下の皮膚温も冷却負荷後の皮膚温回復率も境界値であると判定したうえで,FSBP%検査の結果が正常であることなどを考慮して,振動暴露に起因する末梢循環障害は認められないと判断したのであり,これは医学的に妥当なものである。
これに対し,C医師が採用した全身空冷負荷方式による冷却負荷後の検査結果については,医学的に検証可能な判定基準が存在しないため,その検査結果を評価することはできない。
(2)争点(2)(原告に末梢神経障害が著明に認められるか否か)について
【原告の主張の要旨】
C医師が判断するとおり,右尺骨神経不全麻痺,右手筋萎縮,冷却負荷後の振動覚の著明低下,両側手根管症候群,右側肘部管症候群などの原告の諸症状を総合して評価すれば,原告には末梢神経障害が著明に認められる。
【被告の主張の要旨】
B医師は,痛覚テスト及び振動覚テストの結果に加えて,客観性や再現性に優れるニューロメーターによる電流知覚閾値検査の結果も総合的に評価すれば,原告には末梢神経障害が著明には認められない。
認定基準別添1においては,末梢神経障害の有無を判断するための検査として,痛覚テスト及び振動覚テストが掲げられているが,C医師は,痛覚テストを実施しないで,振動覚テストの結果のみをもって,原告に末梢神経障害が著明に認められると判断しており,不当である。
(3)争点(3)(原告に運動機能障害が著明に認められるか否か)について
【原告の主張の要旨】
B医師は,原告に客観的に著明な運動機能障害が存在することを認めたうえで,この障害の主な原因は頚椎症性脊髄症であると判断しているが,原告の肘関節レントゲン像や可動域の測定結果は頚椎症性脊髄症からは説明ができないものである。
したがって,C医師が判断するとおり,原告には運動機能障害が著明に認められる。
【被告の主張の要旨】
B医師が判断するとおり,振動障害により短期間に運動機能障害が進行するとは考え難いこと,頚椎のMRIの画像所見によると,末梢循環障害及び末梢神経障害の程度と比較して運動機能障害だけが著明に悪化することは考えられないことなどによれば,運動機能障害の主な原因は頚椎症性脊髄症であるから,原告には運動機能障害が著明には認められない。
第3 争点についての判断
1 争点(1)(原告に末梢循環障害が認められるか否か)について
(1)C医師が原告に実施した末梢循環機能検査(<証拠略>,B証人,C証人,弁論の全趣旨)
ア C医師は,平成18年12月22日,原告に末梢循環機能検査を実施した(以下「C医師検査」という。)。C医師検査の内容は,両手についての,常温下の皮膚温の測定及び爪圧迫テスト,冷却負荷後の皮膚温の測定及び爪圧迫テスト,指尖容積脈波の測定である。
なお,C医師検査における冷却負荷は,5℃10分の全身空冷負荷方式(室温を5℃に下げた部屋の中に被検者を10分間入室させる方法により冷却負荷する方式)により行われた。
イ C医師検査の検査結果に基づくC医師の判定等は次のとおりである。
・ 常温下の皮膚温は中等度異常である。
・ 常温下の爪ワ圧迫テストの結果は異常なしである。
・ 冷却負荷後の皮膚温は高度異常である。
・ 冷却負荷後の爪圧迫テストの結果は高度異常である。
・ 冷却負荷後の指尖容積脈波は異常である。
・ これらの各種検査の検査結果を総合すると,末梢循環障害が著明に認められるないし認められる。
ウ なお,C医師検査の検査結果に基づくB医師の判定等は次のとおりである。
・ 常温下の皮膚温は境界値から軽度異常である。
・ 常温下の爪圧迫テストの結果は境界値である。
・ 冷却負荷後の検査結果は,全身空冷負荷方式により冷却負荷が行われたため,評価できない。
(2)B医師が原告に実施した末梢循環機能検査(<証拠略>,B証人,C証人,弁論の全趣旨)
ア B医師は,平成19年9月26日,原告に末梢循環機能検査を実施した(以下「B医師検査」という。)。B医師検査の内容は,両手についての常温下の皮膚温の測定及び爪圧迫テスト,左手についての,指尖容積脈波の測定,FSBP%の測定,冷却負荷後の皮膚温の測定(皮膚温回復率の算定を含む)及び爪圧迫テストである。
なお,B医師検査における冷却負荷は,10℃10分の冷水負荷方式により行われた。
イ B医師検査の検査結果に基づくB医師の判定等は次のとおりである。
・ 常温下の皮膚温は境界値ないし軽度異常である。
・ 常温下の爪圧迫テストの結果は正常である。
・ 冷却負荷後の皮膚温回復率は境界値である。
・ 冷却負荷後の爪圧迫テストの結果は正常である。
・ 常温下の指尖容積脈波は正常である。
・ FSBP%は正常である。
・ 常温下の皮膚温,冷却負荷後の皮膚温回復率は境界値であるが,レイノー現象の発現が認められないこと,FSBP%が正常であることを考慮すると,振動暴露に起因する末梢循環障害は認められない。
ウ なお,B医師検査の検査結果に基づくC医師の判定等は次のとおりである。
・ 常温下の皮膚温は軽度異常である。
・ 常温下の爪圧迫テストの結果は異常なしである。
・ 冷却負荷後の皮膚温は高度異常である。
・ 冷却負荷後の皮膚温回復率は宮下基準によれば異常である。
・ 冷却負荷後の爪圧迫テストの結果は異常なしというべき数値であるが,冷却負荷直後の検査結果が1秒台に止まることは通常考え難い。
・ 常温下の指尖容積脈波は正常である。
・ FSBP%はB医師の設定した基準に従えば異常の可能性ありである。
・ 冷却負荷後の皮膚温回復率やFSBP%について適切に判定すれば,B医師検査の各種検査結果を前提としても,原告には末梢循環障害が認められる。
(3)C医師検査の検査結果に基づくC医師の判定等についての評価
ア C医師検査においては,全身空冷負荷方式により冷却負荷が行われている。しかし,同方式は,これによる冷却負荷を行うために特殊な設備が必要であるなどの理由からほとんどの医療機関で採用されておらず,検査結果について異常の有無を判定するための医学的に検証可能な判定基準も明らかにされていない(乙3,B証人,弁論の全趣旨)。そして,本件証拠上,今回のC医師検査の検査結果の判定の根拠となった具体的なデータ等も見当たらない。
イ 以上の事情を考慮すると,同方式の検査方法としての有効性やこれまでの実績等はさておき,本件において,C医師検査における冷却負荷後の検査結果及びこれについてのC医師の判定の妥当性について適切に評価することはできないといわざるを得ない。
ウ したがって,このような検査結果及びこれに基づく判定を前提としてC医師がした末梢循環障害が認められるとの判断は,直ちにこれを採用することはできないというべきである。
そうすると,C医師の判断に依拠する原告の主張は,成り立たないとも考えられる。しかし,本件において,原告の振動業務従事期間は相当長期間にわたるとうかがわれるし,末梢神経障害と運動機能障害が認められることは処分行政庁も肯定している。このような事情を踏まえると,末梢循環障害について,C医師が一般性のない冷却負荷方式を採用したことだけで,原告が,本来認められるべき障害が認められないという不利益を被るのは相当でない。そこで,次に,B医師の判定等の当否について検討する。
(4)B医師検査の検査結果に基づくB医師の判定等についての評価
ア B医師は,常温下の皮膚温は境界値ないし軽度異常である,常温下の爪圧迫テストの結果は正常値である,常温下の指尖容積脈波は正常であると判定しているところ,これらの判定は,これらについてのC医師の判定や参考判定基準とも整合的であるため,概ね適切なものと考えられる。
イ B医師は,冷却負荷後の皮膚温の測定値そのもの(冷却負荷終了直後:11.2℃,冷却負荷終了5分後:15.0℃,冷却負荷終了10分後:16.9℃。乙5)について異常の有無を判定していないが,宮下基準によれば,これらはいずれも中等度異常であると判定されるべきものである。そして,末梢循環障害の有無を適切に判断するためには冷却負荷後の皮膚温回復率を算定・評価することが有益であると指摘する文献等を見ても,皮膚温の測定値そのものの評価が不要であるとはされておらず,皮膚温の測定値に加えて皮膚温回復率を総合して評価することが重要であると認められる(乙23,40,C証人,弁論の全趣旨)。
そうすると,B医師が,冷却負荷後の皮膚温の測定値そのものについて異常の有無を判定せず,これを考慮しないまま,末梢循環障害の有無を判断したことは,適切ではないと考えられる。
また,B医師は,原告の左手について冷却負荷を行っているが,原告が右手だけにレイノー現象を訴えていたのであるから,特に右手について冷却負荷をすべきであった。そして,実際に原告の両手について実施した各種検査結果を見ると右手の方が異常値が高くなっていること(甲38,乙1,5,C証人)などを考慮すると,B医師が適切に右手について冷却負荷を行っていれば,より異常値の高い検査結果となった可能性もある。
ウ B医師は,冷却負荷後の皮膚温回復率(冷却負荷終了5分後:20%,冷却負荷終了10分後:30%。乙5)は境界値であると判定している。しかし,宮下基準によれば,皮膚温回復率の異常の有無は,冷却負荷終了5分後について,異常なしと軽度異常の境界として25%,軽度異常と中等度異常との境界として18%,冷却負荷終了10分後について,同様にそれぞれ39%と28%を目安に判定するものとされているのであるから(乙23,C証人),原告の冷却負荷後の皮膚温回復率は,境界値ではなく,少なくとも軽度(実際には中等度に近い)異常であると判定されるべきである。
エ B医師は,冷却負荷後の爪圧迫テストの結果は正常であると判定している。しかし,C医師が冷却負荷直後の検査結果が1秒台に止まることは通常考え難いと指摘していることや,B医師も,同テストは険者の主観あるいは巧緻さの差に影響されると述べていることに照らすと(乙39),そもそもB医師検査における同テストの精度を検証するのは困難である。これに加えて,末梢循環障害の有無の判断のための有効な検査法等を検討した比較的近時の文献(乙23)において,爪圧迫テスト自体が採り上げられていないことなどを踏まえると,上記障害の有無の判断の際に,同テストの結果及びそれについての判定をそれほど重要視する必要はないと考えられる。
オ B医師は,FSBP%(最も数値の悪い左手の示指について68.2%である。乙5)は正常であると判定している。
FSBP%の測定は,末梢循環障害の客観的な判定方法として注目されるものであるが,これによる異常の有無の判定基準については,その目安となる数値を60%とする見解や70%とする見解があり,未だ定説といえるものがない状態であると認められる(甲3,乙18,19,23,24,B証人,C証人)。そして,B医師自身が,判定の目安となる数値を60%とするのか70%とするのかは微妙なところでありはっきりとはいえないと証言していることや,B医師が原告のFSBP%を測定した際の検査シート(乙72の12ページ)を見ると,「dysfunction」(機能障害ないし異常)の欄において,80%未満について「Possible」(可能性あり),60%未満について「Definite」(確定)と区分けがされたうえ,FSBP%が68.2%であった示指について「×」(Possibledysfunction〔機能障害ないし異常の可能性あり〕を指す。)と記載されていることなども考慮すると,68.2%という数値については,これを正常であると判定するのは適切ではなく,少なくとも異常の可能性のある境界値であると判定するのが相当であると考えられる。
なお,B医師は,原告の左手についてFSBP%の測定を行っているが,仮に右手についてこれを行っていれば,前記イと同様の理由から,より異常値の高い検査結果となった可能性もある。
カ B医師は,各種検査結果を踏まえ,常温下の皮膚温,冷却負荷後の皮膚温回復率は境界値であるが,レイノー現象の発現が認められないこと,FSBP%が正常であることを考慮すると,振動暴露に起因する末梢循環障害は認められないと判断している。
しかし,前記のとおり,上記判断の前提となった冷却負荷後の皮膚温回復率及びFSBP%についてのB医師の判定は適切ではないし,B医師が,冷却負荷後の皮膚温の測定値そのものについて異常の有無を判定せず,これを考慮しないまま,末梢循環障害の有無を判断したことも適切ではない。また,認定基準において,レイノー現象の発現が認められる場合には,それだけで(格別の末梢循環機能検査による末梢循環障害の有無の判断を問わずに),振動障害の認定をすることとされていることに照らせば,末梢循環機能検査によって末梢循環障害の有無を判断する際には,レイノー現象の発現が認められないことが当然の前提となっているというべきである。そうすると,B医師が,レイノー現象の発現が認められないことを,末梢循環障害が認められないと判断する理由の一つに挙げていることも,少なくとも認定基準の適用としては適切ではない。
以上によれば,B医師がした末梢循環障害は認められないとの判断は,その判断に至る過程において上記のような適切ではない点が認められるものであるから,これを信用することはできないといわざるを得ない。
(5)原告に末梢循環障害が認められるか否かについて
以上のとおり,B医師検査の各種検査結果のうち,常温下の皮膚温が境界値ないし軽度異常,冷却負荷後の皮膚温が中等度異常,冷却負荷後の皮膚温回復率が少なくとも軽度異常,FSBP%が少なくとも異常の可能性のある境界値であるとそれぞれ判定できることに加えて,C医師が,B医師検査の各種検査結果を前提とした場合でも,原告には末梢循環障害が認められると証言しており,その証言には特に信用性を疑わせるような事情も見当たらないことなども考慮すると,原告には末梢循環障害が認められるというべきである。
2 本件各処分の違法性について
(1)以上によれば,そのほかの争点について判断するまでもなく,原告に発症した疾病は,認定基準の要件1及び要件2(1)を満たし,療養を要するものと認められるというべきであるから,労働基準法施行規則別表第1の2第3号3に該当する業務上の疾病(振動障害)であるということができる。
そして,振動業務に従事してきた原告が上記業務上の疾病(振動障害)を発症した場合には,特段の反証のない限り,これが業務に起因して発症したことが事実上推定されるというべきところ(最高裁昭和63年3月15日第三小法廷判決・新訂体系・労災保険判例総覧309ページ参照。なお,認定基準自体も,要件1及び要件2を満たす事案については,業務起因性が推定されることを前提としているものと解される。),原告には末梢神経障害や運動機能障害と同様の症状を呈することのある頚椎症性脊髄症が疑われるものの,同疾病による影響を度外視した場合においても,原告には末梢神経障害及び運動機能障害が認められる(甲1,乙5,39,B証人,C証人,弁論の全趣旨)のであるから,原告に発症した振動障害は,業務に起因して発症したことが否定されるとはいえない。
したがって,原告は,業務に起因して振動障害を発症したと認められる。
(2)そうすると,本件各処分は,原告が業務に起因して振動障害を発症したことについて判断を誤ってされた違法なものというべきであるから,取消しを免れない。
第4 本件の結論
以上のとおりであるから,原告の請求は理由がある。したがって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松田典浩 裁判官 小畑和彦 裁判官 塩田良介)
別紙認定基準別添1,2<省略>